新潟日報「assh」vol.521(2024/10)表紙に浅海侑加さん登場♪

2024年10月6日(日)、地元紙・新潟日報のコンセプトペーパー「assh」vol.521(2024/10)の表紙に、Noism2 リハーサル監督・浅海侑加さんの凛々しい姿が♪

加えて、「assh 表紙の人」に付された2次元コードから、更に、「Web magazine assh (Web magazine assh (niigata-nippo.co.jp))」からも、浅海さんへのインタビュー「『Noism2』リハーサル監督 浅海侑加さん/後進へのまなざし温か イメージの共有に試行錯誤」もお読み頂けます。とても興味深い内容ですので、是非ともお読みください。

そしてインタビューに続けて、この秋(2024/11/23)の「新潟県文化祭2024」こども文化芸術体験ステージについての告知もあります。Noism2が出演し、『火の鳥』と『砕波』を踊ります。(@越後妻有文化ホール「段十ろう」・十日町市本町一丁目上508番地2)
浅海さんが指導する若さ溢れるNoism2メンバー、その躍動する姿は必見です。観覧申込みは11/7(木)まで。是非、ご応募ください。

で、こちらには、この機会にこれまで当ブログでお届けしてきました浅海侑加さんについての記事へのリンクを以下にまとめて掲載しておきますので、そちらも併せて(改めて)お読み頂けましたら幸いです。

「私がダンスを始めた頃」②浅海侑加
「ランチのNoism」#20:浅海侑加さんの巻

【追記】…私はラクトアイスやポテトチップスを食べながら、ネット見てたりしますけれど、…弛緩し切ってます…(汗)。皆さんはどうですか。

そして、話題は変わりますが、今夜(深夜25:25)1:25からのNHK BS「プレミアムシアター」はベジャール『ボレロ』他に加えて、金森さん+東京バレエ団『かぐや姫』(再放送)です。こちらもリアルタイム視聴または録画にてお見逃しなく♪

(shin)

凄いものを聴いた!観た!-「サラダ音楽祭」メインコンサートの『ボレロ』、圧倒的な熱を伝播♪

2024年9月15日(日)、長月も半ばというのに、この日も気温は上昇し、下手をすれば、生命すら脅かされかねない暑熱に晒された私たちは、陽射しから逃げるようにして、這々の体(ほうほうのてい)でエアコンの効いた場所に逃げ込んだような有様だったのですが、まさにそのエアコンが効いた快適な場で、全く別種の「熱」にやられることになろうとは予期できよう筈もないことでした。

「サラダ音楽祭2024」のメインコンサートは早々に完売となり、当日券の販売もなく、期待の高さが窺えます。池袋・東京芸術劇場のコンサートホール場内では文芸評論家で舞踊研究者の三浦雅士さんの姿もお見かけしました。この日ただ一度きりの実演な訳ですから、期待も募ろうというものです。

私自身、先日の公開リハーサルを観ていましたから、この日の『ボレロ』が見ものだくらいのことは容易に確信できていましたけれど、大野和士さん指揮の東京都交響楽団とNoism Company Niigataによるこの日の実演は、そんな期待やら確信やらを遥か凌駕して余りあるもので、凄いものを聴いた、凄いものを観た、と時間が経ってさえ、なお興奮を抑えることが難しいほどの圧倒的名演だったと言わねばなりません。

そのメインコンサートですが、まず15時を少しまわったところで、ラターの《マニフィカト》で幕が開きました。私にとっては初めて聴く曲で、「マリア讃歌」と呼ばれる一種の宗教曲なのですが、そうした曲のイメージからかけ離れて、親しみ易いメロディーが耳に残る、実に色彩豊かで現代的な印象の楽曲でした。更に、前川依子さん(ソプラノ)と男女総勢50人を超える新国立劇場合唱団による名唱も相俟って、場内は一気に祝祭感に包まれていきます。「ラター」という人名と聖歌《マニフィカト》とは私の中にもしかと刻まれました。

20分の休憩を挟んで、後半のプログラムは、ドビュッシーの交響詩『海』で再開しました。こちら、どうしても、金森さん演出振付による東京バレエ団のグランドバレエ『かぐや姫』、その冒頭ほかを想起しない訳にはいきませんよね。粒立ちの鮮明な音たちによって、次第にうねるように響きだす音楽によって、そこここであの3幕もののバレエ作品を思い出さずにはいられませんでした。その意味では、都響によるダイナミックレンジが広く、階調も情緒も豊かな熱演が、同時に、次の『ボレロ』へのプレリュードとしても聞こえてくるというこの上なく贅沢な選曲の妙、憎い仕掛けにも唸らされたような次第です。

そしていよいよラヴェルの『ボレロ』です。金森さんと井関さん共通の友人でもあるコンサートマスターの矢部達哉さんが楽団員たちとのチューニングを始めると、客電が落ち、井関さんをはじめNoismメンバーが上手(かみて)袖からオーケストラ前方に設えられた横長のアクティングエリア中央まで駆け足で進み出て、特権的な赤い衣裳の井関さんを中心に、フードまで被った黒い8人が円を描くように囲んで待機します。金森さんの師モーリス・ベジャールの名作と重なる配置と言えるでしょう。やがてスネアドラムがあの魔的な3拍子のリズムを静かに刻み始め、フルートがそこに重なって聞こえてきます…。昨年末のジルベスターコンサートでの原田慶太楼さん指揮・東京交響楽団の時とは異なり、今回は中庸なテンポです。

金森さんによるこの度の『ボレロ』ですが、先ずは赤い井関さんと周囲の黒ずくめ8人の関係性の違いが、ベジャールの名作と最も大きく異なる点と言えるかと思います。音楽のリズムやビートを最初に刻むのが井関さん。そしてその中心からそのリズムやビートに乗った動きがじわじわ周囲に伝播していくことになります。

両腕を交差させて上方に掲げたかと思えば、両手で上半身を撫でつけたり、或いは、両手を喉元までもって来ることで顔が虚空を見上げるかたちになったり、苦悶と言えようほど表情は固く、如何にも苦しげな様子を経過して、決然たる克己の直立へ戻るということを繰り返すうち、次第に、井関さんから発したその身振りが断片的に、先ず周囲の幾人かに伝播していくのです。この「抑圧」が可視化されている感のあるパートで用いられる舞踊の語彙にはベジャール的なものはまだ含まれておらず、これまでのNoismの過去作で目にしてきたものが多く目に留まります。

やがて井関さんとその周囲、赤と黒、合わせて9人のポジションは、(徐々に黒い衣裳を脱がせながら、脱ぎながら、)3人×3という構成にシフトしていきます。それは即ち、最初の円形が横方向へ伸びるフォーメーションへの移行を意味します。そうなるともう多彩な群舞の登場までは時間を要しません。Noism的な身体によるNoism的な舞踊の語彙が頻出する限りなく美しい群舞が待っていることでしょう。見詰める目の至福。そしてそこに重ねられていくのは師へのオマージュと解されるベジャールの動きの引用。ここに至って、感動しない人などいよう筈がありません。飛び散る汗と同時に、9人の表情もやらわぎを見せ始め、笑みさえ認められるようになってきます。それは演出でもあるのでしょうが、自然な成り行きに過ぎないとの受け止めも可能でしょう。可視化されるのは「解放」です。その「解放」があの3拍子のリズムに乗って圧倒的な熱と化して、見詰める目を通して、私たちの身体に飛び込んでくるのですから、一緒に踊りたくなってうずうずしてしまう(或いは、少なくとも一緒にリズムを刻みたくなってしまう)のも仕様のないことでしかありません。(私など全く踊れないのにも拘わらず、です。)そして同時に、心は強く揺さぶられ、狙い撃ちにされた涙腺は崩壊をみるよりほかありません。

金森さん演出振付のダンス付きの、この都響の『ボレロ』は、最初のスネアドラムが刻んだかそけき音に耳を澄まし、それと同時に生じた井関さんの動きに目を凝らしたその瞬間から、最後の唐突に迎える終焉に至るまで、刻まれる時間と場内の空気は全てオーケストラによる楽音とNoismメンバーの身体の動き、ただそのふたつのみで充填し尽くされてしまい、夾雑物などは一切見つかりようもありません。両者、入魂の実演はまさに一期一会です。そんな途方もない時間と空間の体験は、それが既に過去のものとなっているというのに、未だに心を鷲掴みにされ続けていて、落ち着きを取り戻すことが難しく感じられるのですから、厄介なことこの上ありません。

繰り返されたカーテンコールで、満面の笑みを浮かべて拍手と歓声に応えた金森さんの姿も(腕まくりと駆け足も含めて)忘れられません。そんなふうに凄いものを聴き、凄いものを観た9月折り返しの日曜日、Noism20周年のラストを飾るに相応しかったステージのことを記させて貰いました。

(shin)

「サラダ音楽祭」活動支援会員対象公開リハーサル、その贅沢なこと、贅沢なこと♪

2024年9月7日、ここ数日で気温自体はやや落ち着きを見せてきてはいましたが、それでも湿度が高く、「不快指数」も相当だった土曜日、りゅーとぴあのスタジオBを会場に、「サラダ音楽祭」メインコンサートで生オーケストラをバックに踊られる『ボレロ』の公開リハーサルを観て来ました。

この日のりゅーとぴあでは、「西関東吹奏楽コンクール」中学生の部Aがコンサートホールで開催されており、大型バスが何台も駐められていたりした駐車場は、スタッフが入庫の采配を振るっているなど、普段とは異なる様相を呈していて、早めに到着したことで慌てずに駐車できました。りゅーとぴあ内外には楽器を抱えた中学生や関係者の方々の姿が溢れていて、それは賑やかな風景が広がっていました。

そんな湿度と人熱(ひといき)れのりゅーとぴあでしたが、この日開催された活動支援会員対象の公開リハーサルは、この上なく贅沢なものでした。

正午頃、少し早くスタジオB脇の階段まで行って待っていると、ホワイエには椅子に腰掛けて何かを読んでいる金森さんの後ろ姿がありますが、スタジオ内からはラヴェルの『ボレロ』の音楽が漏れ聞こえてきます。メンバーたちは入念に準備をしているようです。

12:27、スタッフに促されて私たちもスタジオ内に進みます。
12:29、金森さんが「もう全員(来た)?」と確認すると、やがて静かにあの音楽(金森さん曰く「テンポ感的によかった」というアルベール・ヴォルフ指揮、パリ音楽院管弦楽団演奏の古い音源らしい)が聞こえてきて、公開リハーサルが始まりました。中央に井関さん、そして取り囲むように円形を描く8人のNoism1メンバーたち。金森さんの『ボレロ』も、その滑り出しにおいては、ベジャールの『ボレロ』を思わせる配置から踊られていきますし、ベジャール作品において象徴的なテーブルの「赤」も別のかたちで引き継がれています。

今回の金森さんの『ボレロ』ですが、恩師ベジャールへのオマージュとしての引用には強く胸を打たれるものがあります。そしてそれと同時に、これまでのNoism作品で金森さんが振り付けてきた所謂「金森印」に出会うことにも実に楽しいものがあります。とりわけ、あたかも『Fratres』シリーズや『セレネ』2作を幻視させられでもするかのように目を凝らす時間は、紛れもなくNoismの『ボレロ』を観ているという実感を伴うことでしょう。

クレッシェンドの高揚していく展開だけではなしに、実に細かなニュアンスに富んだこの度の『ボレロ』、Noismならではの身体が魅せる群舞の美しさは格別です。
加えて、井関さんと中尾さんに糸川さん。三好さんと庄島すみれさんに坪田さん。樋浦さんと庄島さくらさんに太田菜月さん。その3組を軸にしたフォーメーションの変化も見どころと言えるでしょう。

12:45、音楽と舞踊の切れ味鋭い幕切れの時が来ました。「OK!」の金森さんの声。予定時間のほぼ半分の時間です。「あと15分、金森さんの細かなチェックが入る様子を観ることになるのかな」、そう思った瞬間、「10分休憩してください」と踊り終えた9人に向けて、金森さんがそう言葉を発するではありませんか!「えっ?えっ?どゆこと?」頭には無数のクエスチョンマークが飛び交いました。

で、その「休憩」時間中に金森さんが明かした衝撃の(笑撃の)事実をこちらにも書き記しておきましょう。Noismの『ボレロ』と言えば、昨年(2023年)大晦日のジルベスターコンサートでの実演の記憶が新しいところですが、実はあのときの演奏は正味13分台という「ありえない速さ」(金森さん)だったのだと。リハーサルのときから速かったので、ゆっくり演奏して欲しいと伝えていたにも拘わらずで、「みんなめちゃめちゃ怒っていた」(笑)のだそう。気の毒!それを聞いた私たちは大爆笑でしたが。
確かにあの夜は亀井聖矢さんが弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番もそうでしたが、それもこれも指揮の原田慶太楼さんが「煽って仕掛けてきた」(亀井さん)ってことでしたね。…「お疲れ様でした」以外の言葉は出てきません。

それから今回のアクティングエリアの奥行きは「リノ4枚分」しかなくて、ジルベスターコンサートのときよりもめちゃめちゃ狭いため、横に展開しなければならないのだとも。

で、金森さんからそんな話を聞いていた10分後、(否、5分後くらいからだったでしょうか、)そこから13:30迄、私たちは、実に贅沢なことに、金森さんの「ダメ出し」からの、言うなれば、「ワーク・イン・プログレス」による作品の練り上げ過程をつぶさに目撃することになるのです。

「そこ、ノーアクセント。力入れ過ぎ」…「最初からお願い」…「それ、『3』の終わりじゃないの?」…「じゃあ、『2』の始まりから音ちょうだい」…「蹲踞のところなんだけど…」…「3個目で膝立ち」…「近づいてくるところ、足幅(注意)」…「『11』の始まりね」…「ちょっとやってみて」…「フードを脱ぐタイミングも」…「ああ、なるほどね」…「最後のところ見せて」…「ダウンステージ(=ステージ前方部分)で走るところ、結構急だけど、『さくすみ(庄島すみれさん・すみれさん)』はとりあえず走ればいい。ジャストだから」…等々、その臨場感ハンパなしだった訳で。

はたまた、とある場面では、「マテリアルのAとB」とか「女性はB・B、男性はC・A」や「BとB’(ダッシュ)に」などの言葉が飛び交い、カウントを唱えながら、色々試してみた末に、私たちの方に向き直った金森さんから、「どう、こっちの方が良くない?」とか訊かれたりしても、答えられませんって(笑)。でも、もうそれくらい特別な時間過ぎて、堪えられなかった私たちなのでした。

ここまでの全体の仕上がり具合(通し)を見ておいてから、その後、それがいささかの瑕疵も見逃さぬ鋭敏な手捌きをもって部品(要素の振り)にばらされると、数多の部品が繊細に再検討に付され、ヤスリがかけられ、注油されるように徐々にその精度を高めていく工程。見詰めた約1時間の興奮。その贅沢。

13:30、「OK!以上かな、ハイ。あとは現場でテンポを合わせて。じゃあ、ここまででございます。いつもご支援有難うございます」と金森さん。
ついで、金森さんから「挨拶の空気」を伝えられた井関さんが、「今シーズン、これ(サラダ音楽祭)が最後です。これが終われば夏休み。頑張ります」と語って予定された倍の時間たっぷり見せてもらったこの日の公開リハーサルが終わりました。

きたる9月15日(日)「サラダ音楽祭」メインコンサート(@東京芸術劇場)での一回限りの実演に向けて、更に更にブラッシュアップが続くものとの確信とともに、りゅーとぴあのスタジオBを後にしたような次第です。当日、ご覧になられる方々、どうぞ期待値MAXでお運びください♪

(shin)

「きゃあ!あっちにもこっちにも♪」メディア登場ラッシュのNoismに嬉しい悲鳴♪

設立20周年の記念すべきシーズンのラスト、来週の「サラダ音楽祭」での『ボレロ』を前にして、このところのNoism Company Niigataはメディア登場ラッシュで、嬉しい悲鳴の「大渋滞」中♪

皆さんはそれら全てを追えているものと思いますが、こちらにもその「大渋滞」を纏めておきたいと思います。よろしければ、改めてご確認ください。

見逃し無料配信動画サービス「TVer」のTOKYO MX『アンコール!都響』#32 J.S.バッハ(マーラー編曲):管弦楽組曲より「序曲」「エア(アリア)」,ドヴォルザーク:スターバト・マーテル【配信期限あり・9/21(土)14:59まで】

2023年の「サラダ音楽祭」メインコンサートにおいて、J.S.バッハ(マーラー編曲)管弦楽曲より「エア(アリア)」を踊る金森さんと井関さんを観ることができます。
*8:15あたりで、メインコンサート映像の前説が始まり、おふたりのパフォーマンスについて、「その存在自体が美しい」「『美しい』の一言に尽きる」などと語られます。
*9:08頃より、今回の放送に向けての金森さんからのメッセージがあります。こちら、ご覧ください。


*10:06から「序曲」「アリア」が始まります。
*16:20頃、両袖から金森さんと井関さんが登場して「アリア」(17:47頃)に繋がっていきます。まさに「美しさの極み」です。配信終了まで何度も観ちゃいますよね。

NHK国際放送「ワールドジャパン」、「Direct Talk」での金森さんのインタビュー動画「Dancing into the Future」

15分に纏められたインタビュー自体、「稽古ism」Noismに関する奥深い内容が語られていて興味深いのは勿論ですが、途中にインサートされる欧州時代の若き金森さんの画像と動画はまさに「蔵出し」クラス!「喜びの舞」もので、必見です♪

③ 「新潟日報デジタルプラス」の連載記事(全4回)「新潟からの挑戦Noism(ノイズム)20年」です。
こちらでは、以下にX(旧twitter)「新潟日報ニュース」のポストへのリンクを貼らせていただきます。
【各記事の全文を読むためには、新潟日報パスポート(ID)の登録が必要となります。(新潟日報ご購読の方は無制限で利用できます。)】

〈1〉「国内初、そして唯一の公共劇場専属舞踊団…「りゅーとぴあ」から劇場文化をつくる」
〈2〉「財政難の新潟市が税金を投じる意義とは…存続問題浮上、文化的価値の評価は難しく」
〈3〉「地域に根ざした舞踊団になるには…アウトリーチやコラボに手応え、世代超えファン増やす」
〈4〉「金森穣さんが考える地方発信とは、井関佐和子さんの舞台への思いとは/インタビューで語る現在地」

Noismのこれまでを読み、新潟市のこれからを考える機会となる連載記事です。なかでも、「第4回」に出てくる新たなレジデンシャル制度における芸術監督の任期「1期5年、最大2期10年」という規定と金森さんの思いが気になるのは、この間ずっと変わりません。

…以上、今回は各メディアで「大渋滞」となっている昨今のNoism Comapny Niigataについて、「交通整理」を試みたつもりですが、「賞味期限」の早いもの(TVerの配信)から一つひとつ全てご覧頂きたいと思います。そして、更に支援に力を注いで参りましょう。

(shin)

「SCOT SUMMER SEASON 2024」、新利賀山房にて『めまい ~死者の中から』初日を愉しむ♪

 2024年8月24日(土)の富山は前日ほどではないものの酷暑の予報。更に午後には雷雨の可能性も高いとのこと。穏やかな天気となることを願って、朝早く新潟を車で出発して、利賀芸術公園を目指しました。

 この日、車のナビもスマホのgoogle先生も富山ICからの利賀入りを推していたため、それに従いましたが、待っていたのはつづら折の狭い狭い山道で、それこそ生きた心地がしないウイリアム・フリードキン『恐怖の報酬』(1977)のようなドライヴ。ちょっと大袈裟?いや、マジで。ホントのホント。
 「えっ?前はそうでもなかったんだけどな…」以前に来たときには砺波ICから利賀に入るコース(国道359→国道471→県道229)だったのですが、そちらの方が運転してて、格段に楽なので、ルートを思案中の方には、私、迷わずそちらお勧めします。

 でも、そのような思いをしてまでも観たかった、そして観てよかったのが、金森さん演出振付の新作『めまい ~死者の中から』でした。

 開演時間は14時。受付開始はその1時間前でしたが、入場整理番号は既に電話による観劇予約の順番で割り振られていますから、示された整列開始時間までに受付を済ませて会場前に並べばよい訳です。

 今回、その会場は新利賀山房。金森さんは「狂気の生まれる場」と書いていますが、まさしく「禍々しい」と言ってよいような、圧倒的な「場」の力を宿す建物でした。外観は合掌造りの所謂「和テイスト」そのものですが、中はガラリとその雰囲気を異にします。凹凸があり陰影に富む表情豊かな壁の手前、横長に広がる空間(アクティング・エリア)。そこに敢えて不可視の領域を作り出さんとでもするかのように突き刺さる角ばった黒い2本の柱の存在感。そして照明に(逆に)浮かび上がるかのような闇。のし掛かかってくるその威容に観客は一瞬にして飲み込まれてしまわざるを得ません。

 その威容に一歩も引けを取らない濃密な舞踊を私たちは目撃したのでした。それはまさにその「場」だからこそ生まれた圧巻の作品だったと言えるでしょう。

 金森さんは「演出ノート」に、今作(そのタイトルも途中から『めまい』ではなく、『めまい ~死者の中から』に変更されています。)が、あくまでもボアロー=ナルスジャックの原作『死者の中から』にインスピレーションを得た制作であると書いていて、ヒッチコックの映画『めまい』に関する言及は使用音楽について見出されるのみと、極めて限定的なものでしかありません。「女優(井関さん)」と「探偵(糸川さん)」をめぐる展開に関しても下敷きにされたのがどちらかは明らかでしょう。

 では、こう考えてみるのはどうでしょうか。『死者の中から』からインスピレーションを得て作品を作った者がふたりいて、私たちはふたりによるふたつの作品を愉しむ豊かさを手にしている、と。

 今回の井関さんも、いつも通り、冒頭からまったく見事な存在感を示しており、目は釘付けにされるでしょう。その点ではヒッチコック映画のキム・ノヴァクも同様です。違うのは、監督と演出振付家からふたりへの「愛」が感じられるかどうかです。その点で、映画『めまい』において、観客はキム・ノヴァクではなく、ジェームズ・スチュアートにシンパシーを感じながら見詰めることになるのですが、金森さんの『めまい~死者の中から』にあっては、そこは間違っても、糸川さん寄りの目線にはならない訳です。ですから、伴って、新利賀山房の私たちはあたかも「男Ⅰ(山田さん)」の共犯者のようにして事のなりゆきを見詰めていたのでしょうし、まあ、少し控え目に言っても、「未必の故意」的な心持ちでその推移を目撃し続けるのだろうことくらい最初から予見できてしまう恐ろしい「場」に身を置いていたとは言えるのではないでしょうか。

 で、同じひとつの原作から生まれたふたつの作品に認められるそうした味わい或いは肌合いの違いはまさしく互いに相照らすことで豊かさを増すものでもあり、私たちはここで「2」という象徴的な数字を前にすることになります。「2」の象徴性は、まさしく金森さんが今回の作品のあちこちに(岩波書店「思想」2024年第8号風に言えば、「過剰に」)散りばめたものです。「1」は自立し得ないとでも言うかのように…。

 その「場」の凄さを構成する要素のひとつに照明があることに異を唱える者はいないでしょう。で、その照明スタッフとして、金森さん、丹羽誠さんふたりの名前に先立ち、先頭に「御大」鈴木忠志さんの名前も見られるのです。これからご覧になる方は、凝りに凝った照明もご期待ください。

 …とまあ、ネタバレしないように気を配りながら、あの「場」で、そしてその後、私が個人的に感じたことを書いてきました。あくまでも個人的な感じ方に過ぎません。しかし、観終えたら、「はい、おしまい」で済むような作品ではないことは確かです。初日をご覧になられた皆さんの目にはどのように映り、どのように感じられましたでしょうか。とても興味があります、ハイ。

 あと、この日の利賀のことをもう少しだけ。作品に圧倒されて、新利賀山房を出ると、予報通りというか、雷鳴が轟くではありませんか。夏そのものの濃い青ではなく、舞踊作品に浸っているい時間のあいだに、すっかりグレーにその色を変えてしまっていた空がまるで突然に破けでもしたのではないかと思うような凄まじい雷鳴が、すぐ頭の上で聞こえたのでした。その後、やはり(!)雨も降り出します。これらも金森さんの演出か!?そんな感じでした。

 不穏な作品に不穏な天気が追い打ちをかけてくるのです。でも「怖い思い」はもうたくさん。帰りは車のナビで「砺波IC入り口」を検索して、車を走らせることにしました。県道229号線方向に左折すると、目の前にトンネル!見覚えがあります。思い出しました。そうそう、この道、この道!そこからの帰路はあまり怖い思いをすることもなく、新潟を目指すことができました。『めまい ~死者の中から』の余韻を『恐怖の報酬』で上書きすることなしに、です。蛇足でしたが、ご参考まで。

 以上、少し歩くだけですぐに汗が噴き出す暑さはあっても、蜻蛉も多く飛び交い、一足早く、確実に季節の移行も感じさせるこの時期の利賀芸術公園、『めまい 〜死者の中から』初日レポートとさせて頂きます。

(shin)

SCOTサマー・シーズン2024 Noism0+Noism1『めまい』公開リハーサル♪ ~ヒッチコックとトリュフォー、キム・ノヴァクのことなども~

 2024年8月11日(土)、夜には新潟まつりの花火が打ち上げられるこの日、白山公園駐車場は一部終日閉鎖されていたりしたこともあり、車で駆け付けるのもなかなか容易ではなかったような事情もありましたが、そんななか、りゅーとぴあ〈スタジオB〉にて、12:30から正味1時間、たっぷり『めまい』の公開リハーサルを見せて貰いました。

 今夏「SCOT SUMMER SEASON 2024」の公式チラシに読める今作の紹介には「ヒッチコックのサスペンス映画『めまい』の原作となっているボアロー=ナルスジャックの小説『死者の中から』にインスピレーションを得て制作される作品。自他の境を見失っていく人間の様態を踊る」とあり、映画『めまい』に魅了された者としては興味を惹かれない筈がありません。

 そのピエール・ボワロー&トマ・ナルスジャックによる原作小説『死者の中から』についてですが、フランソワ・トリュフォーが敬愛するアルフレッド・ヒッチコックに行った50時間に及ぶインタビューを収録した名著『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(1981)(*註)のなかに、同小説がヒッチコックに映画化されることを念頭において書かれた数篇の小説のひとつであり、その映画化権をパラマウント社がヒッチコックのために買い取ったという事実がトリュフォーの口から語られるのですが、ヒッチコックは自身を巡るそうした経緯をまるで知らなかったことが読めます。(同書pp.249-250)

 続けて、トリュフォーがその小説のどこに惹かれたのか訊ねると、ヒッチコックは、「主人公が、死んだ女を生き返らせようとするところ、生きている女を死んだ女のイメージに重ね合わせて愛してしまうところ」(同p.250)と答えています。

 しかし、ヒッチコックのその『めまい』(1958)は、本来、ヴェラ・マイルズ主演で構想されたものの、彼女の妊娠がわかり、それを断念。キム・ノヴァクを主演に据えて撮影されることになるのですが、撮影前のそんな事情もあって、「映画のリズムがうまくつかめなくなってしまった」(ヒッチコック)として、ヒッチコック自身からの同作及びキム・ノヴァクに対する評価が低いことにも触れられています。(同pp.254-255)

 また、それに関係して、もうひとつここで触れたいと思うのは、映画『めまい』を観ていると、ヒッチコックのキム・ノヴァクに対する「距離」或いは「隔たり」が否応なく感じられるということです。同作に起用されたキム・ノヴァクの素晴らしさはトリュフォーも言及している通りで、間違いないことなのですが、他のヒッチコック作品における監督から主演女優に捧げられる「愛」とも呼ぶべき親密さが目に映ずることはありません。(個人的な印象ですが、的外れではないと確信しています。)映画って怖いなぁと…。

 そんな色々な経緯がありながらも、ヒッチコック自身のために書かれた小説を本人自らが映画化した訳ですが、ブロンドのマデリンとブルネットのジュディ(キム・ノヴァクの二役)がそれぞれ登場する前半と後半の「間」に、ヒッチコックは(周囲には猛反対されたと明かす)作品構成上の大きな改変を差し挟んでいます。彼の慧眼はそのことによって心理的なサスペンスを導入することに成功したのでした。
 「はてさて、金森さんはそのあたりどう処理して表現していくのだろう?」興味は尽きませんでした。否、正確には、そこが気になって仕方なかったと言うべきだったでしょうか。で、基本的にはストーリーを踏まえつつ、「なるほど、そうなのか!」という舞踊作品に仕上がっています。

 さて、その金森さんと井関さん、そしてNoism0+Noism1(浅海侑加さん、樋浦瞳さんは出演されないようですが、)による舞踊作品『めまい』です。監督と主演女優の間の葛藤は、当然、ここには存在しません。
 金門橋をはじめ、サンフランシスコのランドスケープを背景に、自動車で経巡る迷宮めいた街路や霧など効果的に用いて展開されるヒッチコック作品に対して、金森さんの舞踊作品版は、自他の間に横たわる「2」という数を随所に象徴的に用いながら紡がれていきます。で、キム・ノヴァクが演じた役どころは井関さんと三好さんが担い、痩身ジェームズ・スチュアートについてはやはり似た体つきの糸川さんがそのイメージを引き受けつつ、情感豊かな熱演を見せてくれます。

 舞踊作品ですから、展開されていく舞踊を観るのが本筋な訳で、原作(や映画)のストーリーに過度に頓着・執着するべきではありませんが、やはり文化史的な「教養」の一部としてヒッチコックの映画は観ておいた方がよいかなとは思います。未見の方はこの機会に是非ご鑑賞ください。

 たっぷり全編を見せて貰って、13:30、この日の公開リハーサルは終了しました。1時間ものの大作です。観終えて圧倒されている私たちに、「いつにもまして皆さんシーンとしていますね」と笑って切り出した金森さん。「このあいだの20周年記念公演のあと、こんな作品を作っていたんです。16日には利賀に行きます。(Noism0とNoism1)みんなで行くのは初めてですが、その経験も必ず今後に活きると思いますし、活かしていきます」と今後の展開も視野に収めつつ力強く語りました。

 「Noismの公演(『めまい』)は完売ということなので、またどこかで」そうも語った金森さん。この意欲作、ほぼ2週間ののち、利賀村の新利賀山房でご覧になられる、その意味で「幸運な」方はどうぞ期待してお待ちください。

 私はエサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンゼルス・フィルによるバーナード・ハーマン映画音楽集CDに収められた『めまい』の音楽をかけて、今日の余韻を楽しみながら、花火までの時間を過ごすことと致します。

(shin)

【*註】この『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(山田宏一・蓮實重彦訳:1981・晶文社)という本には、ヒッチコックがイギリスから移り住んだアメリカにおいて、偉大な「映画作家」と看做されることなく、単なるサスペンス映画の「職人」として不当に低く評価されてきたことを看過できなかったフランスのトリュフォーが、「映画作家」としてのヒッチコックの真価、その凄さをアメリカに逆輸入・再評価させるための「教育」或いは「啓蒙」の書として企画されたものという側面もあります。
 また、ヒッチコックの『めまい』(1958)に関しても、現在では映画史に残る名作の呼び声を欲しいままにしていますが、公開当時は興行的な成功を収めることがなかっただけでなく、同作に対する評価が真に高まりを見せるのも後年になってのことです。 (shin)

岩波書店「思想」(2024年第8号)、鈴木忠志さんへの熱い思いを綴る金森さん♪

皆さま、先月末(7/31)に金森さんがXで呟いていましたが、鈴木忠志さんを特集した岩波書店「思想」(2024年第8号)はもうお手にとられましたでしょうか。「SCOT SUMMER SEASON 2024」をすぐすぐに控えたこの時期に、「知」のあり方を問い、超絶硬派、ハイブローで知られる「あの」雑誌が組んだ鈴木忠志さん特集。そこに金森さんも寄稿されておられるのです。そんなことでもなければ、私にとってはなかなか手に取ることもない雑誌なのですが(汗)。

ですが、ですが、金森さんにとって、モーリス・ベジャール、イリ・キリアンと並んで、「師」と仰ぐ3人目、鈴木忠志さんの特集ですから、金森さんが寄せた9頁分の文章「過剰の思想」には、鈴木さんに寄せる金森さんの思いの熱さが溢れていて、読み応え満点なのです。

2023年の自著『闘う舞踊団』(夕書房)においても、第Ⅱ部の「6.Noismの身体性を模索する」と題された章で、「鈴木忠志の衝撃」として記されていた内容と重なるものではありますが、今回の「思想」誌においては、いつも通りの切れ味鋭い明晰な文章に溢れんばかりの敬慕の念を込めて、「師」の存在を知った際のその「衝撃」が、更に、既に自らと同じ「闘い」を経験し、紛れもなくこの国の文化シーンにおいて変革を成し遂げた道程への「驚愕」が綴られていくのです。そしてそれは恐らく、自らを照らす「希望」の光としても。

で、誠に恐縮なのですが、ちょっと私自身のことを書かせていただきます。利賀には『still / speed / silence』(2019)を観に行ったことがあり、今月の『めまい』も観に行くことにしていますが、未だ鈴木忠志さんの作品は観たことがない私です。そしてこの「思想」誌についても、ここまでに読んだ部分もまだまだ少ないのですが、頁を繰っているだけで、今回の利賀行を『めまい』だけにしたことを少し後悔する気持ちも湧いてくるほどです。その裏には、巻頭の「思想の言葉」で、柄谷行人さんの「鈴木忠志と『劇的なるもの』」なる文章が読めてしまうこともあるかもしれません。若かった頃、彼の『マルクスその可能性の中心』や『探究Ⅰ』『探究Ⅱ』『内省と遡行』などを心躍らせて読み、彼が、書かれたもの(エクリチュール)をその他多くの作品たちと呼び交わすような開かれた「読み」の相において捉え、原テキストからは想像もつかないような途方もない豊かな「読み」の可能性を引き出してしまうその精緻な手捌きに大いに刺激を受けたからです。でも、そうした「間テクスト性(アンテルテクスチュアリテ)」こそ、金森さんとNoismの舞踊にも大いに見出せる要素ではないかと思ったりもして、さきの「後悔」にも繋がるのです。

私事はそれくらいにして、金森さんが同誌に寄せた文章に戻ります。その分量にして9頁の「過剰の思想」ですが、綴られた鈴木忠志さんへの敬慕は、その奥に、金森さん自身を取り巻くこの国の状況とそれに関する金森さんの問題意識を読むことができるものでもあります。その意味からも必読の文章と言えるでしょう。まだ手にとられていない方も勇気を出して(笑)、是非!

(shin)

場内を魅了し尽くして幕をおろした「Amomentof」7/28大千穐楽(@埼玉)+6/29アフタートーク補遺

Noism Company Niigataの20周年記念公演「Amomentof」が、遂に2024年7月28日(日)に灼熱の埼玉は与野本町、彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉にてその全6公演の幕をおろしました。

この日の開演時刻(15:00)頃には、気温は38℃になるとの予報が出ていた与野近辺。風もなく、蒸し風呂の中にでもいるかのようなその暑さは、ヒトの暑熱順化など到底追いつくべくもないほどの気温であったかと。

そんな酷暑の街路を辿って彩の国さいたま芸術劇場を目指して歩いていたのは、しかし、別種の「熱」を求める人たち。その移動振りは、この日、その場所を目指した目的から、周囲の異常とも言える高温にさえ負けぬ様子を示していたように思います。

その「熱」を発する舞台を観ようと集まってきた大勢の観客のなか、浅海侑加さんのお母さん、糸川祐希さんのお母さんと、そしてフランスからドバイ経由の20時間の空旅で駆けつけた旧メンバー・中村友美さんとも色々お話ができましたし、更に宮前義之さんの姿なども認めたりして、いやが上にも気分はあがりました。

大千穐楽の舞台はやはり「熱」を発して余りあるものでした。

まずは『Amomentof』。バレエバーに手をかけて身体をほぐすことに始まる日常から、日々に住まう葛藤や苦悩をあからさまにしつつ、物凄い高揚を見せてのち、最初の場面へ。「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」と言ったのはイチロー選手。誰もが肯(がえ)んずるほかない真理なのですが、この舞台ほどの説得力を伴って可視化されることは稀でしょう。井関さん、金森さん、そして他のメンバーたち、それぞれが見せる目の表情、それらが行き違い、交錯するさまには実にスリリングなものがあります。

この演目には、Noismの過去作で目にしてきた「振り」の数々があちらこちらに織り込まれているだけでなく、終盤に至っては、私たちが見詰めるその舞台の奥に、『Mirroring Memories』を彷彿とさせるようなかたちで、先刻、ハケたメンバーたちがこれまで井関さんが纏ってきた数々の衣裳ほかに身を包んで居並ぶ姿が見えてくるではありませんか!更に、やがて、その上方に「20年間」の公演ポスターが一気に映し出されて追い打ちをかけてくるのです。胸に去来する様々な思い出の場面。「ずるいよ、金森さん」涙を堪えることなど早々に諦めるしかありませんから。目に映ずるのは孤高を経て、やがて敬意の群舞へと転じ、その舞台狭しと躍動するメンバーたちの中央、井関さんが発する万感籠もった泣き叫びの声には胸を強く揺さぶられずにはいられません。

更に言えば、マーラーの交響曲第3番第6楽章「愛が私に語りかけるもの」をその作品中に取り込んでしまうといった、大胆と言えば大胆に過ぎる構成の妙も畳みかけてきます。マーラーの旋律とともに現前する圧倒的な高揚感の画、しかし、その全てが、最後、井関さんがメンバーたちに向けるキョトンとした目によって、ありふれた日常の時間のなかに回収されてしまうさまが実に詩情豊かで、切れ味抜群、憎いくらいに見事なのです。

この日は完全に幕がおり切るまで、拍手は一切起こらず、(刹那とはいえ、)甘美な余韻が静寂となってホール内におりてきました。その後、「もっと拍手をしていたいのに」、そんな気持には頓着することなく、呆気なく客電が灯るのはいつも通りでした。

20分の休憩を挟んで、『セレネ、あるいは黄昏の歌』が記念公演の掉尾を飾りました。この大作も、目の表情のスリリングさの点で『Amomentof』に全く引けを取らないものがあります。陶然として春の歓びを発散させる目があったかと思えば、動物的な「生」のエネルギーが「性」的な逸脱へと至る様子を押し殺した怒りを浮かべながらも、敢えて直視しようとしない目があり、はたまた、「憎しみ」の連鎖を宿し、その対象を見出してしまう凶暴な目や、その自らの「蛮行」に自ら怯える目もあり、老いて呆けた印象の、同時に寛容さを示す目に、それを模倣しようとする剽軽な目や、何物にも囚われることのない無邪気さそのものの目、かと思えば、呪術的な手の仕草を繰り返しながら、真っ直ぐ前を見詰めて動じない迫力に満ちた目、等々、挙げだしたらきりがないほどです。舞踊作品において、目ばかり取り上げるのもどうかと思いますが、少なくとも、そこにこの作品を読み解く鍵(のひとつ)があるとしか思えないのです。

命が芽吹く春。内的な力が溢れて、ときに暴発し、その様相をすっかり異にしてしまう夏。平衡かに見える秋を経て、やがて冬の死へ。しかし、一刻も止まることはなく、やがて再生へ…。そんなふうに巡る季節。循環。描かれる円環。

そう、「ENKAN」。近藤良平さんを招いての来る冬の「トリプルビル」です。「巡ること」のモチーフはこの後のNoismにあって、多様に追い求められていくことになりそうですね。楽しみです。

大千穐楽の幕がおりたとき、場内に谺した大きな拍手と「ブラボー!」。そして広がったスタンディングオベーション。無理からぬことです。「20周年」ということを全く抜きにしても、私たちが目撃したのは、物凄い訴求力をもつふたつの演目であり、それは取りも直さず、舞踊家の献身煌めく刹那が途切れることなく連なることで編み上げられた舞台だった訳ですから。もう、端的に言って、至福のときを過ごしたとしか言いようがありません。

皆さんの目には、そして心にはどう映じたでしょうか。「Amomentof」大千穐楽についてはここまでです。

ここからは、以前(2024/6/29)のブログ記事(「Noism 20周年記念公演新潟中日の眼福と楽しかったアフタートークのことなど♪」)において、公演が続いている事情から、「ネタバレ」に繋がるので書けないでいた同夜のアフタートークでの井関さんと金森さんのやりとちをご紹介して、ブログの締め括りにしたいと思います。以前の分と併せてご覧頂けたら幸いです。

☆★6/29アフタートーク(新潟公演中日終演後開催)補遺★☆
☆井関さんが一番思い出に残っている衣裳は何か
金森さん: 『Amomentof』では井関さんがこれまでに着た衣裳を出した。
井関さん: 「一番」となると難しいが、思い入れで言ったら、故・堂本教子さんによる『夏の名残のバラ』の赤い衣裳。生地に拘って色々語っていたのを思い出す。今回、出ていなかった衣裳だけど。
金森さん: 色味が色々あったし、バランスがあった。でも、拘りがあって、最後の最後、井関さんが「あれは(出すのは)イヤだと言った」
井関さん: アレを出したら、「私が着ます」となっちゃうから。

…というところを今漸く書くことが出来て、スッキリした気持になりました。以上です。

(shin)

NHK「ラジオ深夜便」インタビューに金森さん登場♪

皆さま、昨夜(2024年7月17日・水)はお聴きになられたものと思います。勿論、NHKが毎日放送している深夜番組「ラジオ深夜便」(アンカー:芳野潔)、その午後11時台後半、金森さん登場の「公共劇場専属舞踊団を20年」と題されたインタビューのことです。

こちらのインタビューですが、鈴木由美子ディレクターとオンラインで行われたものとのことで、約25分間の放送でした。

未だ「道半ば」とする金森さんのご意向と拝察しますが、聞き手から終始、「20周年おめでとうございます」のような言葉はなく、「前例のないことでしたので、あらゆる面で困難の連続でしたし、まあホント、あっという間に過ぎたっていうのが実感ですかねぇ」と語り出した金森さん。

その後、Noismの「20年」に発して、話は多岐に渡ります…。
・新潟市長交代期に(「幸か不幸か」(金森さん))政治的なトピックになってしまったNoism
・「日本初の公共劇場専属舞踊団」が意味するもの
・「新潟の文化」であることの理解の継続性
・舞踊や文化をめぐって、この国で変えるべきもの、可能性への献身
・「無理解の壁」との闘い、後世のための文化状況改革への闘い
・この国の文化状況を新潟から変えるための金森さんの闘い
・舞踊家たちの稽古への情熱
・芸術が社会に浸透していく循環の実現へ
・記念公演「Amomentof」に込めたもの、舞踊とは一瞬への献身
・消えてなくなること、残らないことの尊さ
・「時分の花」(世阿弥)を目の当たりにすることの醍醐味、一期一会、緊張感
・井関さんの20年間の献身、その身体に刻まれた記憶や注いできた情熱、舞踊への愛をマーラー交響曲第3番第6楽章『愛が私に語りかけるもの』を用いて作品化、未来に繋がれていく情熱、その刹那を共有して欲しい
・次週に迫る「東京公演」(←浦安にあるにも拘らず、「東京ディズニーリゾート」とされるテーマパークに似た、聞き手による「その」表現に、「『埼玉公演』でしょうが!」と思わず突っ込みを入れましたけれど)、「東京一極集中」(金森さん)の危うさ
・「劇場」とは(東京を介さずに)地方独自の文化を創造・発信する場所という理念
・金森さんの「私がダンスを始めた頃」、欧州で体感した社会と舞踊
・目指すもの: 舞踊芸術に従事する舞踊家の情熱・献身が社会のなかでうまく活用され、社会に還元され、この国の劇場文化が、地方が豊かになり、その劇場文化から創造されたもので平和に寄与したい(金森さん)
・舞踊家であること: その社会や他者にとっての価値、世界にとっての貢献、それを一人でも多くの後輩たちに伝えたい、可能性を見せてあげたい(金森さん)…

そんなこんなで、中身の濃い約25分間でした。

こちらのインタビューはNHKのネットラジオ「らじる☆らじる」にて、7月25日(木)午前0:00までの期間限定で配信中です。お聴きになりたい方はこちらからどうぞ。(金森さんへのインタビューは23:17頃から始まります。)

また、この日のやりとりに興味をお持ちになられた向きには金森さんの著書『闘う舞踊団』(夕(せき)書房:2023年)の一読をお勧めします。金森さんの信念と「闘い」の真実が余す所なく記されていて、読めば胸アツになること必至、必読の好著です。

さて、いよいよ「埼玉公演」3 DAYSも間近に迫って参りました。献身のさまを目撃し、刹那を共有すべく、是非、彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉へ♪お見逃しなく!

(shin)

胸に迫る万感と感涙、そしてその先へと~Noism20周年記念公演「Amomentof」新潟公演の幕おりる

2024年6月30日(日)、Noism20周年記念公演「Amomentof」新潟公演楽日の新潟市は昼過ぎから雨。あたかも一足先に天がホームでの最終舞台となるのを惜しむかのように、数時間後の私たちの心を映した天候となっていったのでしょうか。そんなふうにすら思えてしまうほど、楽日の心持ちには寂しさも忍び込んでいたりします。

この日は15時の開演でしたが、通常より30分早い14時ちょうどにホワイエまでの開場となり、そのホワイエ内で同時刻に『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』の上映が始まり、多くの人たちが大型モニターの前に立ち、その優れたドキュメンタリーに見入っていました。

そうでなくても、楽日の賑わいを示すホワイエ。この日の公演に足を運んだ方々のなかには、金森さんの芸術監督招聘およびNoismの設立に関わった篠田昭前新潟市長や、鼓童とのコラボレーション『鬼』の音楽を作曲した原田敬子さん、そしてかねてより金森さんと親交が深く、『ラ・バヤデール-幻の国』において空間を担当した建築家・田根剛さんといった面々の姿がありました。(とりわけ、ご自身も登場するドキュメンタリーに視線を送る原田さんの姿には興味深いものがありました。)

約55分の尺をもつドキュメンタリーが半ば過ぎに差し掛かった14:30、客席への入場も始まりました。チケットカウンターには「当日券あります!!」の表示があったりもしましたが、この日の〈劇場〉はほぼ満席に近かったように見えました。

20年!そう、20年前に今のNoism Company Niigataを、ピークを更新し続ける日本唯一の公共劇場専属舞踊団の姿を想像できていた人は恐らく、そう多くはなかったのではないでしょうか。勿論、金森さんを除いて。

「すみずみまで明瞭にイメージできたことは間違いなく成就するのです。すなわち見えるものはできるし、見えないものはできない。したがって、こうありたいと願ったなら、あとはすさまじいばかりの強さでその思いを凝縮して、強烈な願望へと高め、成功のイメージが克明に目の前に『見える』ところまでもっていくことが大切になってきます」そう書いたのは京セラを設立した稲盛和夫氏(著書『生き方』(サンマーク出版)より:同書は「あの」大谷翔平選手がお勧めの本として挙げる一冊。)ですが、恐らく、金森さんが歩んで来た20年の軌跡にも、ここに引いた内容と重なる部分が大きかったものと推察されます。(稲盛さんの「見える/見えない」という言い回しは、奇しくも前日のアフタートークにおいて、音楽に振り付ける際のキーワードとして金森さんが使ったものでもあります。)

この度の記念公演の舞台を観ていると、新潟と世界が直結されている、或いは、今のこの一瞬間、ここ新潟はある意味、間違いなく世界の中心と言って差し支えなさそうだ、そんな普通なら途方もない放言と捉えられかねない思いさえ、自然に信じられてくるのです。恐るべし、金森さん。余人をもって代え難い芸術総監督、そう思う所以です。そして、今この国にあってそんな類い希な芸術家を支援することの豊かさや誇らしさといったらそうそうあるものでもないのでは。そんな思いも。

「今、自分が日本の劇場で働けていることは誇りなんですね。海外への憧れよりも、もっと素敵な『夢』を20年かけて作ってきてくれたという思いをのせて公演をよいものにしたいです」4月19日の20周年記念公演「Amomentof」記者発表の席上、そう語ったのはNoism1メンバーの三好綾音さん。(ウォルト・ディズニーではありませんが、)「ワンマンズ・ドリーム」を着実に根付かせるといった「偉業」に対して、(その闘いを知る)メンバーから贈られたこの言葉に相好を崩した金森さん。そして今公演で踊るメンバーたちを「みんないい顔をしている」と評したのは金森さんと井関さん。大きく頷いた山田さん。信頼やら発展やら継承やら…。素晴らしい公演にならない訳がないのです。

新潟楽日のこの日も終演後、りゅーとぴあ〈劇場〉は割れんばかりの拍手とどんどんその数を増していくスタンディングオベーション、そして飛び交う「ブラボー!」の掛け声に満たされました。誰もが幸せを絵に描いたような表情を見せています。(最高潮に達したところで終わりを告げるマーラーの楽曲、前日同様、それにつられて湧き起こった拍手すらご愛敬に見えました。)

20年!当たり前のように新潟の地にあり続けたNoism。一瞬一瞬の献身によって、弛むことなくピークを更新し続けた20年。しかし(これも前日のアフタートークで語られたことにはなりますが、)20年という年月にすら、何かを成し遂げたという感覚はなく、常に今日より明日、すべての可能性はここにあるとして更に先へと目を向ける金森さん、井関さん、山田さん。翻って私たち観客は、だから、次から次へと、常に純度の高い良質な刺激に恵まれた20年を過ごしてこられた訳です。それを幸せ以外のどんな言葉で言い表せましょうか。

『Amomentof』も『セレネ、あるいは黄昏の歌』も、Noism20年の軌跡の果てに、今この時点で結実した「奇跡」のような2演目であり、同時に、そこにはNoismに伴走してきた私たち観客側の年月も(当然に)織り込まれる筈ですから、涙腺破壊指数が高くて当たり前な道理です。舞踊家と観客、向かい合う2者が、非言語の「舞踊」を介して(無言のうちに)20年の区切りを寿ぐことになる2演目と言えます。

しかし、安住することを嫌うのが金森さん。この間の金森さんの言動によって想起させられるものはといえば、やはり彼が常々唱える「劇場文化100年構想」でしょう。20年をかけて、既に言葉以上のものとなっている金森さんの「ワンマンズ・ドリーム」、その軌跡を情感豊かに可視化させた2作品にまみえることを通じて、更に長い100年というスパンで劇場文化を捉える視座のもとに、一緒に明日の劇場を作っていく観客という名の「同志」として誘われているようにも感じた次第です。胸に迫る万感と感涙、それを携えながら、更にその先へと。金森さんと一緒なら。
…そんなことを感じた新潟3daysの楽日でした。

さて、全舞踊ファン必見のNoism Company Niigata 20周年記念公演「Amomentof」ですが、今度は約1ヶ月後の7月26、27、28日、埼玉3days(@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)です。期待に胸を膨らませてお待ちください。

(shin)