NIDF2017第二弾のこの日、2017年10月8日(日)は朝から晴れて、気温も上昇。
新潟市内のあちこちで様々なイベントがあったようですが、
どれもお天気の心配がないことに、主催者は揃って安堵したことでしょう。
汗ばむような晴天の下、そんな混み合う道路を進み、りゅーとぴあまで。
この日は元Noism後田恵さんも名を連ねるT.H.E ダンスカンパニーの公演ということもあり、
興味を掻き立てられ、舞台に向かうワクワク感は弥が上にも募りました。
定刻の15時をやや過ぎて、先般リニューアルされた緞帳があがると、
60分の作品『As It Fades』の開演です。
舞台やや奥の方、横一列に並んだ6つのセットが目に飛び込んできました。
切っ先鋭いガラスの破片を思わせるポリカーボネートを幾枚も斑にあしらって構成された
上方が先細りで、歪な「棘」のようにも見える曇った透明の衝立とでも言いましょうか。
で、それを通して、その向こう、中央奥に、木製で背もたれの高い椅子が一脚見えます。
人は座っていません。
しかし、座面には「何か」が載っています。視認出来ませんでしたけれど。
---無音。
衝立の向こう、上手奥から現れたダンサーが、ゆっくり、まっすぐに椅子へと歩み寄り、
しゃがんで、その「何か」を操作すると、
スクラッチ音とともに古風な楽の音が小さく聞こえてきました。
そうは見えませんが、どうやら「蓄音機」に見立てられているようです。
衝立のこちら側では、その音に合わせて踊るダンサーがひとり、またひとりと増えていき、
全員「黒」に身を包んだ女性3名、男性4名の都合7名でのダンスとなります。
継ぎ接ぎだらけでありながら、それで大過なかった社会を象徴する衝立のこちら側、
作品劈頭のダンスは、その後との比較で言えば、個性ミニマムなものと言えます。
衝立の奥では、依然として「無人の中心」たる「玉座」(椅子)に
「集団的な記憶」を隠喩的に示す「蓄音機」が鎮座し、
それが統べる社会での一種整然としたダンスであるからです。
しかし聞こえてくる音楽以上にダンスは動的です。
やがて音は低音がズシンズシンと響く大音量に切り替わり、時が移ります。
それに呼応して、何かの胎動を内に宿すかのように、
ダンスも激しさを増しますが、かろうじて一体感は保たれているように見受けられました。
更に時代は下って、現代に。
7人のうち、男女一組が「黒」ではない普段着姿で登場し、
他の5人との調和を志向しない、極めて享楽的なダンスを繰り広げます。
揺るぎないものに映っていた衝立に手がかけられ、遂に動かされたかと思うと、
その奥に鎮座する椅子が舞台中央まで移動させられるのですが、
このとき、椅子の上の「何か」はもはや「蓄音機」ではなく、
この上なくパーソナルな音のデバイス、「携帯電話」を表象するでしょう。
それは元々大きさから言えば、掌中に収まる程度の「何か」なのでしたし。
やがてどのダンサーも、他に一瞥もくれることがなくなり、
一人ひとりが過度に自らの「今、ここ」に耽るあまり、
例えば、動く度に「This one time!」と連呼する男性ダンサーの姿が雄弁に物語るように、
各々のダンスは、他とは没交渉で、お互いにすっかり分断された
断絶感の顕著なものに成り果ててしまいます。
伴って、ダンサーの衣裳も、てんでんバラバラな普段着になってしまっている一方、
衝立は、6枚がその表側を内向きにして空間を閉ざす形で集まると、
その中にダンサーを飲み込んでしまい、
「中心」を欠きながらも、閉塞感の強い極小の世界像を露わにします。
しかし、そこに希望が点されます。
閉ざされた狭苦しい空間から出て、再び7人で踊るダンサーたち。
更に、踊り疲れたひとりの女性ダンサーの背後に
他の6人が無言で「あの椅子」を宛がい、
腰かけさせることで、彼女を転倒から救ったのです。
客席側に背面を見せて置かれるに至った衝立の脇、
いわば社会の裏面で、断絶を経て、身体を介して通じ合い、
この時代におけるコミュニケーションに辿り着いた若者たち。
その姿を、舞台を縦に貫く一筋の白い照明が眩しく照らしていました・・・。
以上、「サクッと」はお題目倒れで、個人の印象を長々連ねてしまってますが、
彼らが示した強靱なフィジカルが繰り出す圧倒的な運動量、
そのスピーディで、ときにスローな7人のダンスは
エネルギッシュで、力強さに溢れ、まさに目に突き刺さってくるかのようでした。
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以下、終演後のクイック・スィ・ブン氏と金森さんによるアフタートークについても
簡単に記しておきます。
---本作『As It Fades』に関して
☆初演の2011年以来、10ヶ国で上演しているが、
セットひとつのことがあったり、ショートバージョンがあったりと、
そのときの劇場の状況に応じて様々なスタイルをとっている。
今回は大きな劇場ということで、初演時と同じフルセット(6セット)を使った公演が出来た。
★初演時には14人で踊っていた作品を、今日は総勢7人で踊っている。
つまり、ひとりが「2人分」踊っていることになる。(「大変だ、それは」と金森さん)
☆美術・空間は自分(以下、クイック・スィ・ブン氏)が考えている。
---この作品の制作のきっかけは?
★欧州から戻った際の母との会話がきっかけ。
それまで意識しなかった「方言」、それって何なのだろうと思った。
同時に、言葉、文化、家族との関係性をも考えさせられた。
---途中で、英語や他の言語が使われているが、
サブタイトル(字幕)を用いようとは考えなかったか?
☆内容を理解してもらうことはさして重要なことだとは考えていない。
中国語のタイトルは「破砕、捻れ」を意味し、身体のツイストから感じて貰えるだろう。
---作品制作について
★「動き」は全て自分で作っている。
☆制作過程は2段階に分かれていて、①音楽、コンセプトの段階:間違いようがない段階。
②ダンサーとのコラボレーションの段階:「もっと優しくならなければならない」段階。
ダンサーからインスピレーションを受けることもあるが、どうしたら伝えられるかを考える過程。
しかし、ダンサーはみな異なる身体をしているので、それに応じた「動き」にすることもある。
---シンガポールにおけるコンテンポラリーダンスの状況はどんなものか?
★気運が高まっていて「動いている」感じがあるが、まだまだここ20年くらいの伝統しかない
「若い国」であり、成熟していくのを忍耐強く待つしかない部分がある。
---欧州とアジアの文化の融合に関して思うところは?
☆当初は、欧州で自分が得てきたもの、正しさをぶつけようとして疲れた。
今はなるようにしかならないと思っている。
シンガポールは多民族・多文化の国。自らと異なるものも受け入れるようでありたい。
★世界は残念なことに、民族主義的な色彩が色濃くなっていると感じる。
それだけに、いつもオープンなマインドセット(心的態度)でいる必要があると思う。
以下は会場からの質問
---主役と見えるラストで「椅子に座るダンサー」を選考した理由は何か?
☆初演時に、動きが速い女性ダンサーが演じていた役どころで、それを踏襲した。
---作品中、気合い声を響かせる部分があったが、よく用いているのか?
★今回は、広い舞台に負けないように、エネルギーを出して貰う意味から用いた。
「発声」に関しては普段のトレーニングシステムにも組み込んでいる。
アジアの武道などに見られるアジア的なもので、欧州ではやっていなかったが、
今では多くのダンサーが取り入れているように感じる。 等々。
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この日のT.H.E ダンスカンパニーの公演は、
ダンサーが舞台狭しと走り回っては、回転やリフトを繰り出すといった
極めてエッジの利いたパフォーマンスだったのですが、
例えば、終演時、カーテンコールでは、
スラリとした長身に、凛とした雰囲気を纏って新潟の地に「凱旋」し、
私たちを大いに魅了してくれた元Noismの後田恵さんに対して、
ひときわ大きな拍手と「けいちゃ~ん♪」という掛け声が飛び、
また例えば、アフタートークの結びでは、
金森さんからの「いつかNoismにも振り付けて欲しい」との言葉に、
クイック・スィ・ブン氏も少したじろいで、
おどけながら、「大きなプレッシャーですね」と返すなど、
終始アットホームな空気が会場全体に漂っていて、
それがもたらした多幸感を心ゆくまで堪能し、会場を後にしました。
NIDF2017、第三弾は一週間後の10月15日(日)、
中国・香港の城市当代舞踊団の公演(17時半開演)。
ますますの盛り上がりを見せてきましたし、大いに楽しみなところです。
ただ、その日は、同じりゅーとぴあ内、お向かいのコンサートホールにて、
河瀨直美演出によるプッチーニのオペラ『トスカ』(14時開演)もあり、
時間的な重なりはありませんが、混雑が予想されます。
(『トスカ』終演が17時の予定で、丁度、劇場の開場時間となっています。)
お時間に余裕をもってお出ましください。
そう、そう、明日(10/9・月)も新潟シティマラソンのさなか、
クイック・スィ・ブン氏のワークショップ(11時~12時半)がありますから、
参加された方からコメントなどをお寄せ頂けましたら幸いです。 (shin)