『マレビトの歌』、スロベニア公演に先立つメディア向け公開リハーサルに唖然、そして吃驚♪

2025年9月30日(火)の新潟市は気持ちよい秋晴れ。そんな恵まれた空の下、『マレビトの歌』のスロベニア公演に先立って開催されるメディア向け公開リハーサル(12:00~13:00)に臨むため、りゅーとぴあを目指しました。

ご存じの通り、『マレビトの歌』は先日、利賀村での「SCOT サマー・シーズン2025』にて上演された作品で、スロベニアの「ヴィザヴィ・ゴリツィア・ダンス・フェスティバル」からの招聘を受けて、Noismにとって6年振りの海外公演(10/9、10)として踊られることになっていて、この日はそれに向けた公開リハーサルでした。

数日前に、金森さんは「X(旧ツイッター)」にて、舞台形状の違いから演出のし直しの必要性について触れておられましたから、少しは変えてくるのだろうと思っていました。予めそうした想定でいたものですから、少しくらいの変更には驚かない構えは出来ているつもりでした。しかし、しかしです!唖然、そして吃驚!見たことのない演出もひとつやふたつではありません。あまつさえ、『Fratres』部分もこれまで通りではありません。例をあげるなら、記憶では「ユニゾン」だった筈が、「カノン」になっている等々、かなり手が入っていて、異なる舞台に合わせたアジャストどころではなく、この機に、かなり創り変えられているように思われました。ドラマ性を増して迫ってくるようでした。

スロベニアに持って行く『マレビトの歌』を「通し」で見せて貰い、何度も驚きに襲われたこの日の公開リハーサルでしたが、囲み取材はなく、金森さんも敢えてほぼ何も話されようとしませんでした。ですから、私たちに提示されたのは、ただ、静謐から始まったのち、一転して、見る者に様々な情感を喚起させつつ踊る気迫の籠った身体のみ。「これを持って行きます」とばかりに、自信を窺わせて。

そんな公開リハーサル、ここからは多くの画像に語って貰うことに致します。

先ずは、「ダイジェスト」として、Noismスタッフの深作さんから提供を受けた画像です。迸る熱気、躍動する舞踊家の身体、その刹那がしっかり写されています。

次いで、この機に撮ってしまえるものは撮ってしまうおうという気持ちで私が撮った写真たちです。拙いものですけれど。そこは質より量ということで。「通し」に備えて、めいめい身体をほぐす場面からです。

やがて、金森さん、〈スタジオB〉に入ってくると、「この明るさで良いの?結構、暗い」と言って、自ら、床に据えられた照明器具の調整を行ってから、椅子に腰掛け、『マレビトの歌』が通されていきました。それを収めた画像たちを掲載します。雰囲気をお楽しみ頂けたらと思います。

音楽は全てアルヴォ・ペルト。しかし、その響きは様々です。そしてそれをバックに、否、それと一体化して踊られるNoismの舞踊もとても多彩で、そのレンジの広さに圧倒されてしまいます。

2023年に黒部で発表された『セレネ、あるいはマレビトの歌』は、今夏、利賀村で『マレビトの歌』になったかと思えば、この度、スロベニアへ行くに際して、またもや生まれ変わったとさえ言えるように思われます。果たしてそれは年末の新潟、そして埼玉ではどう変貌しているのか、とても興味深いものがあります。そんな思いを胸に、凱旋公演を楽しみに待ちたいと思います。

【追記】夕方の地元テレビ局BSNは、ニュース番組「ゆうなび」において、この公開リハーサルの模様に加えて、これに先立って同日午前中に開催された、「レジデンシャル事業(Noism Company Niigata)の活動評価に関する有識者会議」についても取り上げています。そちらは、芸術総監督・金森さんの任期をめぐって、今後の行方が気になります。

→そのBSN「ゆうなび」はこちらからどうぞ。

(shin)

『火の鳥』からの『フラトレス』&『ボレロ』を満喫した「サラダ音楽祭2025」♪

2025年9月15日(月・祝)、前日開幕した「サラダ音楽祭」2日間の2日目、池袋の東京芸術劇場に出掛けて来ました。この日はまず、13時にプレイハウスにて、Noism2による「親子で楽しむダンス バレエ音楽《火の鳥》 Noism2メンバーによるダンス公演&ワークショップ」、そして15時からはコンサートホールでの「音楽祭メインコンサート《Boléro》」において、Noism1の『Fratres』、そしてNoism0+Noism1『ボレロ』が観られるとあっては駆けつけない理由を見つけるのが困難なスケジュールが組まれていたのでした。

まだまだ蒸し暑さが去らないなかでしたが、JR池袋駅から地下通路を使って劇場に向かいますと、不快感はありません。胸が高鳴るのみで、ややもすると足早にさえなりそうでした。

エスカレーターで2階のプレイハウスへ進みます。入場時に渡された二つ折りカラー・リーフレット(デザイン:ツムジグラフィカ・高橋トオルさん)の素晴らしい出来栄えにワクワクしなかった人はいない筈です。名作『火の鳥』、満を持しての東京上演です。

この『火の鳥』の上演&ワークショップは前日の音楽祭初日から既に好評を博していた様子(当然!)ですが、私は各種SNSをほぼ全てシャットアウトしてこの日に臨みました。東京の(家族連れの)観客、一人ひとりの心に刺さる様子を臨場感をもって感じたかったからです。そしてNoism2メンバーの熱演もあり、その通りの「帰結」を迎えたことに心のなかで快哉を叫びました。

金森さんから若者に向けた「贈り物」という性格を有する名作『火の鳥』は、「0歳から入場OK!」と謳われたこの音楽祭での上演にあたり、衣裳、照明など様々な刷新が図られ、より広範な観客を惹き付けるものとなった感があります。特に作品のラストの改変!それはあの二つ折りカラー刷りリーフレットの表紙、容易に切り取れる「白いマスク」によって、誰もが「火の鳥」になった気分を味わえる工夫と相通ずるものと言えるでしょう。この度刷新された『火の鳥』、今後ご覧になる機会もあるだろうことに鑑みて、ここではラストの改変の詳細は伏せておくことと致します。そのときまでお楽しみに。

その後は、「スチール撮影可」のレクチャーとワークショップが続きました。時間にして約30分間、進行は山田勇気さんと浅海侑加さんです。客席から選ばれたお子さんが舞台にあがって、作中の「少年」が持ち上げられる場面を体験する機会なども用意されているなど、満足度の高い好企画だったと思います。自分もひとりの親たる身として、我が子が小さかった頃のことなど思い出したりしながら、微笑ましいひとときを過ごしました。

次いで、15時からの「メインコンサート」です。コンサートホールは3階席まで満員。

当然のことながら、都響(東京都交響楽団)の演奏は素晴らしく、20分間の休憩を挟んだ約2時間、それだけでもホントに贅沢な気持ちになりました。休憩前にはモーツァルトを2曲(『魔笛』序曲と《戴冠式ミサ》)、典雅だったり、厳かだったり、その流麗な心地よさときたら、もうハンパないレベルだったかと。

そして、休憩が終わると、いよいよNoismの登場となります。ペルトの音楽に合わせて踊られる『Fratres』、(彩り豊かで活気溢れるファリャ『三角帽子』を挟んで、)更にラストにはラヴェルの『ボレロ』が待っています。

『Fratres』は、先日の公開リハーサルで、金森さんが繰り返し口にされていた「手の舞」という視点から見詰めました。「う~む、なるほど」と。しかし、これまで幾度も観てきていて、「あ?ん?え?」となった見慣れない振付にも出くわします。終演後に偶然お会いして少しお話しをする機会を得た糸川さんから、それは「利賀村ヴァージョン」(『マレビトの歌』中の『Fratres』)と教えて頂き、既にして「古典」の趣すらあるこの作品も刷新が続いていることを知る機会となりました。

ラストの『ボレロ』。もう圧巻の一言でしかありません。赤い衣裳の井関さん、黒からベージュのNoism1の8人、全員が客席を圧倒し尽くしました。舞踊家にあって、「メディア」としての自らの身体を両の掌で確かめながら、ラヴェルによるリフレインの高揚をそこを通過させ、可視化して周囲に放っていくひとりと8人。

この日、都響が奏でたのは、ともすれば走りがちになりそうなところ、終始、それを抑制しつつ進んでいく泰然たる『ボレロ』であり、過度の興奮を煽ることをしない、ある種禁欲的な姿勢で向き合われたその音楽は、零れるようにニュアンス豊かなものとして耳に届き、その豊かさな響きに同調する舞踊家の9つの身体により、一瞬一瞬、味わい深い厚みが加えられ、見詰める目に映じることとなりました。かようにためてためて「走らない」『ボレロ』、これも糸川さんに伺ったところ、都響とのリハーサルを通してこの間変わらないことだったのだそうです。都度書き換えられていく『ボレロ』の記憶!都響とNoismによる一期一会のもの凄い実演を目の当たりにし、『ボレロ』のまた違った一面に触れた気がして、もう興奮はMAX。繰り返されたカーテンコールに、スタンディングオベーションをしながら、「ブラボー!」と叫ばずにはいられませんでした。

感動を胸に東京芸術劇場を後にしましたが、酩酊は今も…。

(shin)

「こ、これは!」作品の内奥に連れて行かれた驚嘆の「SaLaD音楽祭2025」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル♪

酷い雨も去って、酷暑も少しは和らいだ感もありましたが、それでもこの日もやはり暑い一日に変わりはなかった新潟市。2025年9月6日(土)、りゅーとぴあ〈スタジオB〉にて、「SaLaD音楽祭2025」に向けた活動支援会員/メディア向け公開リハーサルを見せて貰ってきました。

受付を済ませて、ホワイエに並べられた椅子に腰掛けると、丁度、正面に見えるパーテーションを兼ねたホワイトボードに、「12:00~公開リハーサル ボレロ」や「ボレロ ダメ出しRH」の文字が書きつけてありましたから、そのつもりで入場を待っていました。

で、12時少し前に、スタッフから「今日は『通し』ではなく、…」とそのあたりのことが告げられようとするや、パーテーションの向こうから、「通します、通します」という金森さんの声が聞こえてくるではありませんか。『ボレロ』のあの高揚感に浸ることが出来る!入場を待つ者のなかに、胸の高鳴りを感じなかった者などいなかった筈です。同時に、この日の公開リハーサルは1時間の予定でしたから、「あと45分程度はどうなるのだろう?」というドキドキもありました。

促されて、〈スタジオB〉に入り、用意された椅子に腰を下ろします。その後、金森さんが「こんにちは」、そう言いながら入って来ます。奥の掛け時計は「11:59」を指しています。メンバーたちは『ボレロ』冒頭の位置につこうとします。

「いこうか。大丈夫?」(金森さん)
「どこまで?」(井関さん)
「通すよ」(金森さん)
「えっ?(知らなかったのは)私だけ?」(井関さん)
「昨日、最後まで確認したじゃん。あと通すだけじゃん?」(金森さん)

そんなハプニングめいたやりとりを目撃して、声をあげて笑う私たち。敢えて表情筋を動かしつつ、スタンバイに入る井関さん。金森さんが音楽スタートの合図を送るときには、張り詰めた空気感が支配していました。

そこからの約16分間、衣裳こそ本番と同じではありませんでしたが、音楽と舞踊が醸す圧倒的な生命力に揺さぶられつつ、惹き込まれて見入りました。

「オーケー!」そう言ってスタジオ中央に進んだ金森さん。手のスパイラルな伸ばし方、中尾さんと糸川さんによる井関さんのリフト、そして「昨日変えたところ」(!)など、幾つかの修正を加えていきました。そして全体的には、金森さんから、「本番は生オケだからどうなるかわからないけど、『ボレロ』は基本、『後(あと)どり』。くっちゃうと高揚感出ないから」という指示があったりもしました。

でも、金森さんから見て、この日通された『ボレロ』は満足いくレベルだったようで、「良かったよ」。更に、「オレは良かったと思うけど、皆さんからダメ出しないですか?」の言葉には、笑いながらも、拍手していた私たちです。

それらが一段落をみると、再び、
「『通し』やると思っていなかったから。今日はダメ出しだと」(井関さん)
「昨日終わってるから」(金森さん)
「両方、飛び交ってたから」(井関さん)
笑う私たち。すると、
「いいよ、いいよ、終わり。『Fratres』やろうか?」(金森さん)
金森さんを除いて、〈スタジオB〉の中にいた誰もが「!」っとなった筈。このとき、時間は12:25。
「ダメ出しは終わったから。ずっとそうやっていてもしょうがないでしょ。通さないから」(金森さん)
そんな訳で、その後、『Fratres』冒頭部分の入念な調整過程をつぶさに見る機会が訪れたのです。

「こ、これは!」それこそ、まさしく仏像への「魂入れ」にも似た、あたう限りギリギリまで表現に彫琢を施す時間。剔抉され、刷新されていく動き、そして身体。金森さんがメンバーの動きに向き合い、自らの身体でも示しながら発せられた言葉の数々に、私たちも『Fratres』という作品の内奥にまで連れて行かれることになった、そんな、実に得難い時間だったと言えます。そして、それらの言葉は、『Fratres』を鑑賞する際の私たちの視座に大きな刺激を与え、ことによっては、それを刷新し得るような深みを持つものだったと言っても過言ではありません。断片的に書き留めたそれらの言葉たち、そのなかから少しご紹介いたします。

「ただのポールドブラ(腕の動き)ではなくて、両手のチャクラを身体の前から上に」
「掌のチャクラを開く。何かを外から受けなきゃダメ。そこに掌があるだけじゃダメ。受信する手だから」
「手が伸びるから、身体が伸びる。両手のチャクラ、魂をつかむ。掌が自分の方に向いているか、外を向いているか。伏せて、自分の身体に寄せて、入れて」
「『Fratres』は全て手だから。手との関係性を身体化しないと、ポーズ・ダンスになっちゃう」
「手のなかにある何かを自分の中に入れる。自分の身体を撫でるということを感じて欲しい。ある種の官能性・エロさが欲しい」
「そのままのコントラクション(筋収縮)で足が伸びる」
「耳の後ろに何かあるんだよ。それをとらないと。何かは知らん。夜道で背後に何かを感じるような、自分の背後への感覚。それをとって、見る。掌でまわして、のっけたものを投げる。手をそっちに動かすために、身体を動かす」
「日本舞踊っぽい手の舞。手の繊細さが欲しい。ないと体操っぽくなってしまう」
「観る人に質感を届けなきゃいけない。形じゃなくて」
「持続させなきゃいけない。終わりはない。音楽は続いてるんだから。君たちのなかにある一つひとつのシークエンスを身体化してはいけない」
「手を空間に投げていく。掌にボールを持っている感覚。繋がってなくちゃダメ。ボールを落とさない」
「頭は下に。前じゃなくて。フォーカスは『イン』だよ。見えない壁に頭をぶつけている。鳥籠のなかで鳥が頭をぶつけている。行き詰まっている。壁、壁、壁。向こうに光を見て、リーチ・アウト。伸ばす。スパイラルで」
「宇宙まで伸びる。呼び込んで、自分の身体に集めて、抗って、パッ!離れて」
「外から何かが来る。リアクション。聞きたくないから耳を覆う。祈る。怖い」
「能動ばっかりで、受動がないから、『どうしてそうなったんだろう?』っていうサプライズがない」
「『動きが弱い』と言うと、すぐ、強くやっちゃおうとするんだけど、弱いのはイメージ。イメージの持続」等々…

私自身は『Fratres』という作品の核とも呼ぶべきものに接することが出来て、大興奮の時間となりましたが、それを「紹介」しようとすると、やはり、「紹介」と言うには程遠く、断片的な言葉の羅列となってしまう他ありませんね。その点、力及ばずです。すみません。それでも、上に書き付けたものから少しでも「作品」に近付くアングルを見出して頂けたなら幸いです。

時計の針は予定時間を超過して、13:10を指しています。金森さんが、「時間過ぎちゃった。こんな感じじゃないかな」、そう言ったところで、この日の濃密な公開リハーサルは終了となりました。もう目が点になりっ放し、息を詰めっ放しの一時間強でした。

この『ボレロ』と『Fratres』は、9月15日(月・祝)に東京芸術劇場〈コンサートホール〉にて「サラダ音楽祭」のメインコンサートとして東京都交響楽団の生演奏で踊られます。この日の驚嘆の公開リハーサルを経て、両作品がどう見えてくるか、期待感も募ろうというものです。楽しみでなりません。

なお、今なら期間限定ですが、TVer「アンコール!都響」で、昨年の同音楽祭にて踊られた『ボレロ』ほか(114分)を観ることが出来ます。よろしければ、そちらも次のリンクからどうぞ。

TVer「アンコール!都響」より「サラダ音楽祭2024」メインコンサート

また、今年はNoism2も同音楽祭に初登場し、9月14日(日)、15日(月・祝)の両日、同じく東京芸術劇場の〈プレイハウス〉を会場に、『火の鳥』の上演とワークショップを行います。そちらも楽しみです♪

「活動支援会員」であることのメリットを噛み締めた、豊穣過ぎる一時間強の贅沢でした。

(shin)
(photos by aqua & shin)

濃密な闇に蠢く身体、その光芒(サポーター 公演感想)

2023年5月に富山県黒部市の前沢ガーデンで初演された『セレネ、あるいはマレビトの歌』の衝撃は今なお鮮明だ。野外劇場と芝生の丘の高低差を活かしきる金森穣さんの演出と照明美、アルヴォ・ペルトの身体の奥底に響く楽曲とNoismメンバーとの共振、そして近年の代表作『Fratres』シリーズをまた異なる文脈で作品に盛り込み、「来訪者」「異邦人」への迫害・抑圧を超えた先にある連帯を見出すヒューマニズム。前沢ガーデンという得難い環境と密接に結びついた作品だけに、他の空間での公演は難しいかと思っていたが、今年12月のりゅーとぴあ・劇場公演に加え、鈴木忠志氏率いる「SCOT」のSUMMER SEASON 2025での利賀公演、更にスロベニア公演が発表され、「果たして金森さんはどのように作品を再創造するのか?」と期待が膨らんでいた。

8月29日(金)、列車や新幹線、南砺市利賀村行きのシャトルバス(狭隘な山道を進む故、時折悲鳴を上げつつ)を乗り継ぎ、利賀芸術公園内の茅葺き住宅を改装した「新利賀山房」を目指した。『マレビトの歌』は29、30、31日の3回公演だったが、より多くの方が鑑賞できるよう「一人一回」のみの鑑賞制限があった。りゅーとぴあでの公演まで再び観られないとあって、何時にも増して舞台の一瞬も見逃すまいと、気合を入れて開演を待った。

漆黒の新利賀山房の舞台。今回加えられた井関佐和子さんと山田勇気さんのデュオから、一気に客席の空気が変質し、情感と凄絶さが同居するその身体に引き込まれてゆく。約1時間の公演中、殆ど休むことなく舞い続ける井関さんは勿論、躍進著しい若きNoismメンバーたちの鬼気迫る表情、汗に濡れていく衣装を、手が届くほどの距離で見つめることの得難さ。観客もまた舞台の共犯者であり、それは一瞬の気の緩みで崩壊してしまうことを突きつけてくる。

メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、糸川祐希さんの殺気に溢れる表情と身のこなし、春木有紗さんの目力と透き通るような肢体で見せる舞踊の迫力を特筆したい。

漆黒の空間に置き換えられた『マレビトの歌』は、野外劇場の空間とその広がりとは何もかも違う、より濃密かつ人間の闇とその先にある光芒を見つめる作品に変貌したように思う。「来訪者」と魂を通わせ合う女性たちと、暴力・男権によって支配下に置こうとする男たち、彼らの閉鎖的な集団性を打破する女性たちの連帯。この国に暮らすルーツを異にする人々を排斥する現代に、楔を打つようなヒューマニズムは、より切実なものとして胸に刺さった。

初演時、若干の不満を覚えた終幕も、テンポよく再構成されており、りゅーとぴあでの公演までに更に深化されるだろうと、これもまた楽しみ。
終演後、会場のそこかしこから「凄かった」「緊張した」の声が聞こえたが、Noismと向き合うことは観客それぞれの内奥と対峙することだと、改めて思わされた。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)

SCOTサマー・シーズン2025『マレビトの歌』活動支援会員/メディア向け公開リハーサル、身じろぎすら憚られた57分間♪

2025年8月9日(土)の新潟市は、折しも新潟まつりの2日目ということもあり、街にも人にも華やぎが感じられ、祭りばかりが理由ではないのでしょうが、白山公園駐車場も満車状態。近くの駐車場にまわって、車を駐車して、りゅーとぴあを目指し、12時からの『マレビトの歌』の公開リハーサルを観て来ました。

この日の公開リハーサルでは、鈴木忠志さん率いるSCOTの50周年目という記念すべきタイミングで開催される「SCOTサマー・シーズン2025」において、8/29(金)~31(日)の3日間上演される『マレビトの歌』を通しで見せて貰いました。会場はりゅーとぴあ〈スタジオB〉。その正面奥の壁に掛けられた時計での実測57分間は、ぴんと張り詰めた空気感でのしかかってきて、身じろぎひとつさえ憚られるほどの強烈な圧に満ちた時間でした。

月末の利賀村での3公演の舞台は、富山県利賀村芸術公演の新利賀山房。そこは闇と幾本もの太い柱が統べる合掌造りの劇場空間であり、その印象的な柱を模した「装置」が目に飛び込んでくるなかでのリハーサル(通し稽古)でした。

今回の衣裳は全て黒。『Fratres』シリーズで見てきたものです。その点では、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』とは異なります。

正午ちょうど、金森さんが「いきましょうか」と発して始まった実測57分間は、私に関して言えば、2年少し前に『セレネ、あるいはマレビトの歌』として観た記憶などちっとも召喚されることもなしに、「これ、前に観たのと同じ?違うんじゃない?」とばかり、ただただ新しい視覚体験として、息をのみながら見詰めるのみでした。自らの情けないくらい頼りなく覚束ない記憶力に呆れつつ、新作を目の前にするかのように目を凝らして…。

12:57、金森さんの「OK!」の声が耳に届くと、壁に沿った椅子に腰掛けて見詰めていた者たちから、汗を迸らせて踊り切り、上手(かみて)側の壁際へとはけた舞踊家たちに対して大きな拍手が送られました。

すると、私たちに向き合うかたちに椅子を移動させた金森さんから、「お盆には相応しいかも。亡き祖先への思いだったり」という思いがけない言葉が発せられると、息をつめて見詰めた者もみな緊張感から解放されて、漸く和むことになりました。

「何か訊きたいことがあれば、どうぞ」金森さんがそう言うので、途中、東洋風の響きに聞こえるものさえ含まれていた使用曲について尋ねると、全てアルヴォ・ペルトの曲で統一されているとのお答えでした。

恐らく、Noismレパートリーのオープンクラス受講者だったのだろう若い女性が、『ボレロ』の振りと似ていると思ったとの感想を口にすると、金森さんは、「若い頃は色々な振りを入れようとしたりするものだが、齢を重ねてくると、目指す身体性や美的身体が定まってくる」と説明してくれましたし、フード付きの衣裳は視界が狭くて踊り難いのではないかとの質問に対しては、「能の面に開いた穴などもほとんど見えないくらいのものだが、日々の鍛錬によって空間認識が出来てくる」と教えてくれた金森さんに、すかさず、井関さんが「最初の頃は結構、柱が倒れていた」とユーモラスに付け加えてくれたりもして、笑い声とともに公開リハーサルは締め括られていきました。

ここからは、以前に当ブログにアップした記事の紹介をさせていただきます。必要に応じて、お読み頂けたらと思います。

まずは、自家用車を運転しての利賀村芸術公園入りを考えておられる向きに対するアクセスのアドバイスになれば、ということで、(昨年8月に『めまい』を観に行ったときのものですが、)こちらをどうぞ。
 → 「SCOT SUMMER SEASON 2024」、新利賀山房にて『めまい ~死者の中から』初日を愉しむ♪(2024/8/25)

そして、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』に関するリンク(4つ)となります。
 → 驚嘆!『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサル!!(2023/5/11)
 → 控え目に言って「天人合一」を体感する舞台!「黒部シアター2023 春」の『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日(サポーター 公演感想)(2023/5/21)
 → Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)(2023/5/22)
 → 「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージでの「稀有な体験」が語らしめたインスタライヴ♪(2023/5/24)

お盆を前にして、貴重な晴天だったこの日の夕方、金森さんの言葉とは逆になりますが、私は『マレビトの歌』のリハを思い出しながら、父と祖母が眠るお墓の掃除をしていました。汗だくになり、もう目に入って痛いのなんの。数時間前に心を鷲掴みにされた舞踊家たちの身体を流れた多量の汗には遠く及びませんでしたけれど、それでも同じ57分間はやろうと決めて…。(個人的過ぎる蛇足、失礼しました。)

あの実測57分間は本当に衝撃でした。利賀でご覧になられる方が羨ましいです。それくらい、『マレビトの歌』公開リハーサル、圧倒的でした。

(shin)
(photos by aqua & shin)

Noism『アルルの女』/『ボレロ』埼玉で迎えた大千穐楽(「箱推し」の推し活ブログ風)

2025年7月13日(日)、Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』公演が、埼玉は彩の国さいたま芸術劇場で大千穐楽を迎え、大評判のうちに、全6公演のその幕をおろしました。ここまで、ネタバレなしにレポートのような、感想のようなブログをあげてきましたが、今日は様々な偶然、それもとても嬉しい偶然が重なったことから、これまでとはまるで違うタッチのブログを残そうという気持ちになりました。敢えて、そのタッチを言い表すなら、「箱推し」の推し活ブログ、とでもなりましょうか。多分に個人的な色彩も強いものになるかもしれませんが、よろしければ、お付き合いください。

朝、宿泊した横浜から、Noism20周年記念の黒Tシャツを着込んで、彩の国さいたま芸術劇場を目指しました。前日の過ごし易さとは打って変わった焦げるように暑い日曜日です。JR与野本町駅からほんの12〜13分歩くだけではあるのですが、それがかなり堪える「苦行」に感じられたため、「着いたら、カフェに行って、冷たいものを飲もう」、そう同行の家族に言うことでやっと辛抱して汗をかきかき歩くことが出来たようなものでした。

劇場前の横断信号を渡って、ガレリアに通ずる入り口を入って、何気なく振り返ると、そこに見覚えのある女性の姿が!その女性、かつて、Noism1メンバーとして活動しておられた西澤真耶さんではありませんか!西澤さんと言えば、映像舞踊版の『ボレロ』に出演しておられるといった点に、今回の公演との繋がりが見出せたりもします。最近は東京で活躍されておられて、なんとかこの日の公演を観に来ることが出来たとのことでした。また、Noism在籍当時に、気さくに接してくださったお母様によろしくお伝えくださいとお願い出来たことも含めて、嬉しい偶然(1)でした。

ミックスジュース、アイスカフェラテ、大人のコーヒーゼリーアフォガード(早くも溶け始めている…)

でも、そのカフェ(Cafe Palette)に着いてみると、みんな考えることは一緒で、3人で座れる席が見つかりません。相席をお願いしようと、連れ合いがお顔も見ずに声をかけさせて貰ったご夫婦が、「えっ!えええっ!」、なんとNoism1の糸川祐希さんのご両親だったのでした。それから約30分間、思いがけずも、糸川さんのこと(今日に通ずる「出発点」Noismのオーディションを受けるに至った経緯なども!)やら、今回の公演のことやらを中心に様々話しながら過ごすことが出来た、スペシャルな時間が持てたのでした。これが嬉しい偶然(2)です。

そして、14:30開場。スーツケースをクロークに預けて「87」の札を受け取った後も、ホワイエに留まり、サポーターズ仲間たちと合流して、大千穐楽開演前の華やぎの中に身を置きながら、入り口付近で外の様子に目をやる金森さんの姿を見続けていると、やがて外に向けて手招きをし始めた金森さん。すると、今年も来月に「サラダ音楽祭」でコラボする東京都交響楽団コンサートマスターの矢部達哉さんが入って来られて、ハグをして、それから親密に話される様子などワクワク見詰めたりしていました。

15:00開演。『アルルの女』です。音楽が耳に届いてくると、緞帳の手前、客席に背中を向けた「アルルの女」井関さんと抱き合う「フレデリ」糸川さん、その目の半端ない色気にうっとりしながら、そこから始まる約50分間の「悲劇」を、この日もカタルシスをもって堪能しました。

全6公演が終わった今だから書けること、繰り返される4度の「死」について。あのインパクトある表現は、かつて、劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』(2018)で用いられ、大いに衝撃を受けたもの!今回、公開リハーサル時に、舞台の手前に、舞台高と同じ高さで黒く立ち上がり、ピットを隠すようにめぐらされた目隠し状のそれを目にした時から、「もしかしたら、また、鳥肌が立ったあの表現が見られるのではないか」、そう微かな期待感を抱いたのでしたが、実際に、時を隔てて再び目にした「死」の表現としての「落下」は、微塵もその破壊力を減じることのなく、この演目においても見どころのひとつとして機能し、やはり今回も鳥肌ものだったことを認めたいと思います。

モロに「ネタバレ」になってしまうため、ご紹介を控えていたのですが、新潟公演でのアフタートーク(6/28)において、その「落下」後のコツについて、質問があり、ピットには無数のウレタンスポンジが敷き詰められていて衝撃を和らげてはくれるものの、出来るだけ大きな面で受け止められるように落ちるのがダメージが少ない、そう金森さんが説明してくれたことをここに書き記しておきます。

見事に可視化されていく妄想やら、妄執やら、不在の現前やら。瓦解する精神性が命とりになってしまう様子やら、その表現の巧みさとそれを支える身体の迫真性があって初めて、ラスト、微動だにせず、ただ小首を傾げる「ジャネ」(太田菜月さん)の姿に、あのカタルシスが宿る訳です。この日は埼玉の中日(そして初日)のような「静けさ」「静寂」から始まるリアクションとは別物の、大千穐楽という、謂わば「祝祭空間」がもたらしたのだろう即応性の高い熱烈な拍手が、緞帳が下り切る前に劇場内に谺することになりました。その後の休憩時間にあっては、観終えた観客の多くが、入場時に手にしたパンフレットに、さも興味深げに、目を落としていました。

そして、『ボレロ — 天が落ちるその前に』。ひとり、真上からのダウンライトを浴びて、特権的な赤を纏う井関さんを除くと、他は全員、『Fratres』シリーズ(2019-2020)の黒の衣裳で登場してきます。やがて、ひとり、またひとりとそれを脱ぎ捨て、あれは「キナリ」でしょうか、手足を露出させつつ、「脱皮」或いは「メタモルフォーゼ」を遂げていきます。それはベジャール振付の名高い『ボレロ』とは異なり、中心から周囲への「伝播」の方向性をとるものであり、Noismの集団性を謳いあげるベクトルを感じさせるものと言えると思います。やがて、シンクロして踊る身体を見詰める醍醐味が横溢するでしょう。その美しさ!少し先を急ぎ過ぎました。

加えてこの演目で、その美しさをもって、観る者を圧倒しにかかるのは、徐々に顕しとなっていく最後方、金色のホリゾント幕です。下の方からその金色が見えてくる様子自体が陶酔を誘うひとつのハイライトを形作っている、そう言っても過言ではないでしょう。有無を言わせぬ圧倒的な美そのものです。それは、かつて、『Liebestod — 愛の死』(2017)で用いられた装置であり、ここでも、ラストにいたって、あのときの「屋台崩し」に似た場面が再現され、その頽れる美の有り様で私たちを虜にしてしまうでしょう。またしても、急ぎ過ぎてしまっているようです。

「魔曲」にのって、自らの身体(メディア)をチューニングし、上方、天に向かって、両の腕を伸ばす舞踊家たち。祈りと献身は、中央の井関さんに発して、フォーメーションを変化させながら、やがて、集団へと「伝播」し、全員のものとなっていく。しなやかで強靭な身体。力強くも繊細な身体。優美ながらも艶かしささえ立ち上げる身体。エロス(生)と同時にタナトス(死)、刹那と同時に永遠さえ表象してしまう身体。およそあらゆる二分法が無効化され、止揚されて、迎えることになるラストの一瞬。その陶酔。

この日も客席からは爆発的な拍手が湧き起こり、「ブラボー!」の声が飛び交ったことは言うまでもないことでしょう。

この火を吹くような『ボレロ』の終演後、興奮を抑えることが出来ないサポーターズ仲間に混じって、前出の糸川さんのお母様が、終盤の盛り上がる場面で、中央の井関さんが両脇に目配せして、「最後、思いっ切り踊り切ろう」という感じで誘いかける様子を目撃したと話されると、確かにそう見えたと応じる人もいました。私自身は、しかと目にしてはいなかったのですが、そうだとしても、何ら不思議ではありませんから、「なるほど」と聞いていました。同時に、「全てを観るためには目はふたつでは足りないな。情報量が多過ぎる」、とも。本当に魂から揺さぶられ通しの、圧倒的な大千穐楽だった訳です。

しかし、偶然はまだここで終わりではなかったのです。新潟に向かう新幹線に乗ろうとJR大宮駅まで行き、やや時間をもて余し気味に、新幹線待合室で過ごしていて、ペットボトルの水でも買おうかと売店まで赴いたとき、目を疑うような偶然(3)があり、驚いたのでした。なんとそこには、先程まで踊っていた庄島さくらさん・すみれさんの姿があったからです。またしてもの「えっ!えええっ!」体験です。私の目はハート型になっていたに違いありません。もうテンパってしまったことは容易に察して頂けるものと思います。感動の舞台のお礼を伝えたのち、テンパっていたのをいいことに、「連れ合いも連れて来ていいですか」など口走って、結果、4人で立ち話をする時間を手に入れてしまった訳です。お疲れのところにも拘らず、(同じ新幹線に乗車予定だったため、)まだ少し時間があると、優しく応じてくれたおふたりには感謝しかありません。

そこで件の『ボレロ』における井関さんの目配せについて訊いてしまいました。訊いちゃったんです、実際に。すると、確かに盛り上がりのところで目配せはあったと教えてくれました。しかし、それはこの日だけではなしに、埼玉入りしてから始まったことだったのだとも。で、その目配せで気持ちが通じていることが嬉しかった、そう教えてくださいました。テンパっていたから訊けたことですよね。で、テンパりついでに、『ボレロ』終盤でのおふたりのポジションについても、下手(しもて)側がさくらさん、上手(かみて)側がすみれさんだったことも確認させて頂き、胸のつかえがとれました。今回は髪の色も同じ、髪型も同じということで、見分けるのが極めて困難だったのですが、そんな私の失礼と言えば、失礼でしかない質問に対しても、「そうですよね、見分けはつき難いですよね」、微笑みながら、そう言ってくださっただけでなく、「穣さんも間違ったりしましたから」とまで付け加えてくださる気遣いにホント感動しました。(おまけに、4人で自撮り写真まで撮らせて頂きました。それ、もう宝物です。)更に更に「推し」ていく他ないじゃありませんか!

そんな夢みたいな時間を過ごして、新潟に向かう新幹線に乗り込み、荷物を棚に上げたりなどしていると、通路を歩いて来る男性が、私の苗字に「さん」付けで呼び掛けてくるではありませんか!偶然(4)はここにも。それは山田勇気さんでした。山田さんも同じ新幹線だったのですね。虚を突かれて、「あっ!どうもです」くらいしか言えず、トイレに向かった連れ合いに知らせに行くと、驚いた連れ合いも大した挨拶も出来なかったような始末。常に平常心でキチンと応じることの出来る人にならねば、この日の締め括りにそんな思いを強くしたような次第です。

思いがけず、様々な嬉しい偶然に恵まれたことで、これを書いている今もまだ「Noismロス」に見舞われずに済んでいました。

ということで、このような「箱推し」の推し活ブログ、長々とお読み頂き、誠に恐縮、並びに心より感謝です。

(shin)

『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演初日、「唯一無二」のNoismらしさで客席を圧する♪

2025年6月27日(金)、曇り空の新潟市はここ数日の厳しい暑さではなく、幾分かしのぎやすい一日で、ホッとひと息つける感じがしました。

それはそれぞれ身体のなかに滾る「期待感」の熱を宿していたから、であったかもしれません。その「期待感」が向かった先は、言うまでもなく、『アルルの女』/『ボレロ』の新潟公演初日に他ありません。世界初演の『アルルの女』と上演の度に刷新を繰り返してきて、今回、新たに「天が落ちるその前に」の副題が添えられた『ボレロ』、どちらも楽しみでない筈がなかった訳です。

開場時間の18:30になり、ホワイエに進むと、一目散にNoism2リハーサル監督の浅海侑加さんが待つ「Noism 20周年記念冊子スタンプコーナー」へ。「一番乗りですね」と浅海さん。で、2種類のスタンプを手にして、イメージトレーニングを重ねた通りに押してみたのですが、力の入れ具合、伝え加減が難しくて、「中抜け」状態になっちゃってちょっと失敗(涙)。でも、浅海さんから、「ああ、もう一度押し直したい!」とまで言って貰えましたし、スタンプ自体はシールに押したものを貰って上から貼ることにしました。(右下画像)

この記念冊子へのスタンプ、Noismの歩みに自分の手で「今」を足していく、とても素敵な企画ですね。この先もスタンプまみれの「唯一無二」のMy冊子にしていきたいものです。スタッフの方々、宜しくお願いします。

そしてサポーターズ仲間や友人、知人と色々話すうちに、開演時間が近づいてきます。(この先、ネタバレなしに書いていきますので、鑑賞前の方も安心してお読みください。)

客席に進むと、舞台の設えから、(先日の公開リハーサルの時にも感じたことでしたが、)過去に大興奮した劇的舞踊の「ある作品」を思い出させられることに。果たしてあの展開(演出)が待っているのか?(その作品名はネタバレに繋がるのを避けるため、ここでは書きませんが。)そんなことなどを思っていると、客電も落ち切らないうちから、音楽が聞こえてきます。『アルルの女』です。もうトップシーンからホント目が離せません。

ビゼーの音楽の、輪郭がはっきりとした、覚え易いメロディが進行していくさまは、降り注ぐ強い陽光がくっきり描き出す、どこか乾いていて、截然と「割り切れた」感じを漂わせるものと言えようかと思いますが、そこにNoismならではの舞踊が、そこはかとない深みある陰翳を加え、見詰める私たちの目に、実にスリリングな情感をもって迫ってきます。全編に漂うことになる不安感や悲劇性はまさに金森さんの独壇場と言えるものでしょう。極上の味わいに酔いしれること請けあいです。また、井関佐和子さん、山田勇気さんは言うに及ばず、その一家の兄弟を踊る糸川祐希さんの雄弁に語るような目、太田菜月さんのコミカルで物悲しい動きの数々なども長く忘れ得ないものとして記憶されることでしょう。

20分の休憩を挟んで、『ボレロ - 天が落ちるその前に』です。これまで色々なヴァージョンを観てきましたが、こちらはもう舞踊そのもの、圧巻の「ザ・ダンス」とでも言いたい演目でした。ベジャールさんの『ボレロ』へのオマージュが含まれていたり、金森さんの過去作『Fratres』は勿論、『Liebestod - 愛の死』に通ずるものが見てとれたり、様々な「系譜」が織り込まれた作品と言えますが、それ以上に、超克と伝播、そして委ねるさま、「今」を踊り切る舞踊家の身体が輝き出すのを目撃する約15分の持続に、胸打たれない者などいよう筈はありません。最後の一音が最高潮に達しつつ、全曲を締め括るが早いか、大興奮の客席からは、堰を切ったように、猛烈な拍手が湧き起こりました。高揚感は「ブラボー!」の掛け声やスタンディング・オベーションとなって広がっていきます。舞台上、カーテンコールに金森さんも加わると、一段と高まるその音量。すると、舞台にいる横一列の皆さんも客席に向けて拍手を返してくれましたし、その場にいた者はひとり残らず笑顔だった筈です。私も多幸感に震え、「こんな幸せ、そうそうない」、そんなふうに感じた次第です。

Noismでしか観ることの出来ない、圧倒的で、「唯一無二」の2作品、まさに素晴らし過ぎでした。私たちの大きな期待感さえ遥かに超えてきてくれたと言えます。
書いているうちに、日付を跨ぎましたので、今日は新潟公演の中日(なかび)。皆さま、くれぐれもお見逃しなく、です。

最後になりますが、皆さんの入場時に、Noismサポーターズからもチラシとともに、「Noism Supporters Information #12」をお渡しさせて貰っております。是非、ご覧ください。そして私たちサポーターズに加わって頂き、Noism Company Niigataを一緒に応援していって頂ける方がいらっしゃるようでしたら、望外の喜びでございます。

以上で新潟公演初日のレポートとさせて頂きます。

(shin)

「サラダ音楽祭」活動支援会員対象公開リハーサル、その贅沢なこと、贅沢なこと♪

2024年9月7日、ここ数日で気温自体はやや落ち着きを見せてきてはいましたが、それでも湿度が高く、「不快指数」も相当だった土曜日、りゅーとぴあのスタジオBを会場に、「サラダ音楽祭」メインコンサートで生オーケストラをバックに踊られる『ボレロ』の公開リハーサルを観て来ました。

この日のりゅーとぴあでは、「西関東吹奏楽コンクール」中学生の部Aがコンサートホールで開催されており、大型バスが何台も駐められていたりした駐車場は、スタッフが入庫の采配を振るっているなど、普段とは異なる様相を呈していて、早めに到着したことで慌てずに駐車できました。りゅーとぴあ内外には楽器を抱えた中学生や関係者の方々の姿が溢れていて、それは賑やかな風景が広がっていました。

そんな湿度と人熱(ひといき)れのりゅーとぴあでしたが、この日開催された活動支援会員対象の公開リハーサルは、この上なく贅沢なものでした。

正午頃、少し早くスタジオB脇の階段まで行って待っていると、ホワイエには椅子に腰掛けて何かを読んでいる金森さんの後ろ姿がありますが、スタジオ内からはラヴェルの『ボレロ』の音楽が漏れ聞こえてきます。メンバーたちは入念に準備をしているようです。

12:27、スタッフに促されて私たちもスタジオ内に進みます。
12:29、金森さんが「もう全員(来た)?」と確認すると、やがて静かにあの音楽(金森さん曰く「テンポ感的によかった」というアルベール・ヴォルフ指揮、パリ音楽院管弦楽団演奏の古い音源らしい)が聞こえてきて、公開リハーサルが始まりました。中央に井関さん、そして取り囲むように円形を描く8人のNoism1メンバーたち。金森さんの『ボレロ』も、その滑り出しにおいては、ベジャールの『ボレロ』を思わせる配置から踊られていきますし、ベジャール作品において象徴的なテーブルの「赤」も別のかたちで引き継がれています。

今回の金森さんの『ボレロ』ですが、恩師ベジャールへのオマージュとしての引用には強く胸を打たれるものがあります。そしてそれと同時に、これまでのNoism作品で金森さんが振り付けてきた所謂「金森印」に出会うことにも実に楽しいものがあります。とりわけ、あたかも『Fratres』シリーズや『セレネ』2作を幻視させられでもするかのように目を凝らす時間は、紛れもなくNoismの『ボレロ』を観ているという実感を伴うことでしょう。

クレッシェンドの高揚していく展開だけではなしに、実に細かなニュアンスに富んだこの度の『ボレロ』、Noismならではの身体が魅せる群舞の美しさは格別です。
加えて、井関さんと中尾さんに糸川さん。三好さんと庄島すみれさんに坪田さん。樋浦さんと庄島さくらさんに太田菜月さん。その3組を軸にしたフォーメーションの変化も見どころと言えるでしょう。

12:45、音楽と舞踊の切れ味鋭い幕切れの時が来ました。「OK!」の金森さんの声。予定時間のほぼ半分の時間です。「あと15分、金森さんの細かなチェックが入る様子を観ることになるのかな」、そう思った瞬間、「10分休憩してください」と踊り終えた9人に向けて、金森さんがそう言葉を発するではありませんか!「えっ?えっ?どゆこと?」頭には無数のクエスチョンマークが飛び交いました。

で、その「休憩」時間中に金森さんが明かした衝撃の(笑撃の)事実をこちらにも書き記しておきましょう。Noismの『ボレロ』と言えば、昨年(2023年)大晦日のジルベスターコンサートでの実演の記憶が新しいところですが、実はあのときの演奏は正味13分台という「ありえない速さ」(金森さん)だったのだと。リハーサルのときから速かったので、ゆっくり演奏して欲しいと伝えていたにも拘わらずで、「みんなめちゃめちゃ怒っていた」(笑)のだそう。気の毒!それを聞いた私たちは大爆笑でしたが。
確かにあの夜は亀井聖矢さんが弾いたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番もそうでしたが、それもこれも指揮の原田慶太楼さんが「煽って仕掛けてきた」(亀井さん)ってことでしたね。…「お疲れ様でした」以外の言葉は出てきません。

それから今回のアクティングエリアの奥行きは「リノ4枚分」しかなくて、ジルベスターコンサートのときよりもめちゃめちゃ狭いため、横に展開しなければならないのだとも。

で、金森さんからそんな話を聞いていた10分後、(否、5分後くらいからだったでしょうか、)そこから13:30迄、私たちは、実に贅沢なことに、金森さんの「ダメ出し」からの、言うなれば、「ワーク・イン・プログレス」による作品の練り上げ過程をつぶさに目撃することになるのです。

「そこ、ノーアクセント。力入れ過ぎ」…「最初からお願い」…「それ、『3』の終わりじゃないの?」…「じゃあ、『2』の始まりから音ちょうだい」…「蹲踞のところなんだけど…」…「3個目で膝立ち」…「近づいてくるところ、足幅(注意)」…「『11』の始まりね」…「ちょっとやってみて」…「フードを脱ぐタイミングも」…「ああ、なるほどね」…「最後のところ見せて」…「ダウンステージ(=ステージ前方部分)で走るところ、結構急だけど、『さくすみ(庄島すみれさん・すみれさん)』はとりあえず走ればいい。ジャストだから」…等々、その臨場感ハンパなしだった訳で。

はたまた、とある場面では、「マテリアルのAとB」とか「女性はB・B、男性はC・A」や「BとB’(ダッシュ)に」などの言葉が飛び交い、カウントを唱えながら、色々試してみた末に、私たちの方に向き直った金森さんから、「どう、こっちの方が良くない?」とか訊かれたりしても、答えられませんって(笑)。でも、もうそれくらい特別な時間過ぎて、堪えられなかった私たちなのでした。

ここまでの全体の仕上がり具合(通し)を見ておいてから、その後、それがいささかの瑕疵も見逃さぬ鋭敏な手捌きをもって部品(要素の振り)にばらされると、数多の部品が繊細に再検討に付され、ヤスリがかけられ、注油されるように徐々にその精度を高めていく工程。見詰めた約1時間の興奮。その贅沢。

13:30、「OK!以上かな、ハイ。あとは現場でテンポを合わせて。じゃあ、ここまででございます。いつもご支援有難うございます」と金森さん。
ついで、金森さんから「挨拶の空気」を伝えられた井関さんが、「今シーズン、これ(サラダ音楽祭)が最後です。これが終われば夏休み。頑張ります」と語って予定された倍の時間たっぷり見せてもらったこの日の公開リハーサルが終わりました。

きたる9月15日(日)「サラダ音楽祭」メインコンサート(@東京芸術劇場)での一回限りの実演に向けて、更に更にブラッシュアップが続くものとの確信とともに、りゅーとぴあのスタジオBを後にしたような次第です。当日、ご覧になられる方々、どうぞ期待値MAXでお運びください♪

(shin)

音の粒を宿す身体、その僥倖(サポーター 公演感想・2023/08/06)

「サラダ音楽祭」での東京都交響楽団とNoism Company Niigataとのコラボレーションも今年で四年目となった。20年9月、新型コロナ禍による緊急事態宣言下での『Fratres』上演に新潟から駆けつけた時の緊張感と、街行く人の多くがマスクを着けていない現在との対比や、まとわり着くような東京の暑熱に眩暈しつつ、会場となる東京芸術劇場へ向かった。

今回は金森穣さんと井関佐和子さんのデュオが、都響と共演。J.S.バッハ(マーラー編曲)管弦楽組曲「序曲」がクライマックスに差し掛かる頃、舞台の上手・下手から金森さんと井関さんが登場。舞台中央で互いを見つめつつ廻る二人の姿に眼を奪われる内、間断無くに「エア(アリア)」(ヴァイオリン曲に編曲された『G線上のアリア』として有名)の演奏と舞踊が始まる。

大野和士氏指揮による都響の演奏、その音のひと粒ひと粒を身体に置き換えるように、互いが時に主旋律、重低音となって舞う金森さんと井関さん。先日の『Silentium』同様、言葉以上の雄弁さで、信頼・愛情・緊張を身体の動きで語り尽くす二人から放たれる情感は圧倒的。個として立脚した舞踊家が、緊迫感と多幸感を矛盾させることなく、互いの身体と音楽に解け合って行く約5分の舞台を、脳裏に焼き付けるよう見つめた。僥倖のようなひと時と言いたい。私はどうしても男女の愛しあう姿を二人に重ねて羨望を覚えてしまうが、それに留まらない普遍性を伴って、音楽そのものになって舞う金森さん・井関さんに、惜しみ無い拍手が送られた(カーテンコールは三回に及んだ)。

続くドヴォルザークの歌曲『スターバト・マーテル』は80分を超える10曲の演奏だったが、4人の声楽家、新国立劇場合唱団の圧倒的な歌声も相まって、音楽の渦を全身で味わい尽くすような時間だった。

(久志田渉)

「纏うNoism」#07:樋浦瞳さん

メール取材日:2023/05/20(Sat.) & 06/01(Thur .)

去る2023年5月20日(土)&21日(日)の僅か2日間のみ屋外舞台にその姿を現したNoism0+Noism1『セレネ、あるいはマレビトの歌』。「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージのその初日の日付で、わざわざアンケートにお答えくださった樋浦瞳(あきら)さん。そこから「纏うNoism」第7回、樋浦さんの回のやりとりが動き出しました。画像もその前沢ガーデンで撮影して頂きましたし、サポーターズへの気配りをもちながら、黒部で踊っておられたのだと知ることの有難さといったらないでしょう。では、その「纏う」樋浦さんをお楽しみください。

「流行に夢中になってはだめ。ファッションにあなたを支配させてはだめ。その着こなしと生き方によって、あなたが誰で、どう見せたいかは自分で決めればいい」(ジャンニ・ヴェルサーチ)

それでは樋浦さんの「纏うNoism」始まりです。

纏う1: 稽古着の樋浦さん

 *おお、「あの」前沢ガーデン!裸足!野性味のあるご登場ですね。そしてもう一枚の方、木の陰から「ひょっこりはん」しているのはNoism1準メンバーの横山ひかりさん。そして左側に立つのはNoism2の春木有紗さん。ホントにいい雰囲気の写真ですね。

 樋浦さん「この写真は黒部の前沢ガーデンで撮影しました」

 *ですよね。実に素敵な場所でした。溶け込んでいますね、樋浦さんも、横山さんと春木さんも、ハイ。なにやら、「自然児」というか、自然の一部と化したというか、そんな雰囲気ですね。では、ここではまず稽古着一般についてお話しいただけますか。

 樋浦さん「稽古着は、リハーサル中の作品がどんな衣裳かによって半袖か、タンクトップか、短パンか、長ズボンか変わっていきます。
Noismではいつも黒い服の人が多いのですが、自分は黒い服を着ると緊張してしまうので、普段はあまり着ません」

 *そうなんですね。「黒」を避ける感じなのですね。で、この日のトップスはグレー。そのグレーっていうのは樋浦さんの好みの色なのですか。そして他に稽古着として着るのに好きな色とか、好きなブランドとかってありますか。

 樋浦さん「いちばん好きな色は藍色、紺色です。落ち着きます。スポーツ用品のブランドでは、アディダスの服が多い気がします」

 *なるほどです。短パン、紺色ですものね。樋浦さんが稽古着の色に求めるものは「落ち着き」、理解しました。

 *あと、この日は美しい野外の緑の上ということもあってのことでしょう、裸足ですが、お約束の「アレ」についてもお訊きします。普段の稽古で身につける靴下に好みなどはありますか。

 樋浦さん「最近はユニクロの靴下を履いています。たくさん色の展開があるので毎回選ぶのが楽しいです。あとはナイキの靴下も指が開いて踊りやすいです」

 *ユニクロで色を選ぶ楽しさ、よくわかります。それでも、いつも似たような色選んじゃうんですけどね、私の場合。あと、ナイキの靴下はそうなのですね。メモメモメモ。

纏う2: 樋浦さん思い出の舞台衣裳

 *これまでの舞踊人生で大事にしている衣裳と舞台の思い出を教えてください。

ん?この感じ…?

 樋浦さん「黒田育世さんの『ラストパイ』という作品との出会いは自分の人生の転機でした。衣裳は山口小夜子さんのデザインです」

 *おお、そうなのですね。『ラストパイ』は未見な私が、なにか見覚えみたいなものがあるように思ったのですが、それ、山口小夜子さん繋がりなのだと。基本、黒の装いに赤のラインが走る印象的なヴィジュアルから、米国のスティーリー・ダンによる傑作アルバム『彩(エイジャ)/Aja』(1977)、そのジャケットに写る山口小夜子さんの装いに通ずるものを感じたのでした。じっくり見較べるてみると結構違っているのですが、瞬時に浮かんだ印象です。まあ、それ自体、あくまでも寡聞な私の個人的なものに過ぎませんけれど。

 *話が逸れてしまいましたね。スミマセン。元に戻しまして、その転機となった『ラストパイ』についてのお話、もっと聞かせてください。

 樋浦さん「2018年のDance New Airという東京のダンスフェスティバルでのプログラムとして上演された際に出演しました。この作品は、2005年にNoism05が黒田育世さんに振付委嘱して製作されました。初演時は、穣さんや佐和子さんも踊られていました。
自分がこのとき担ったパートは、初演時は平原慎太郎さんが踊られていたところでした。衣裳も当時から同じものがずっと受け継がれているそうです。何回も床に倒れる振付があるので、左肘に緩衝材があてがわれているのが印象的でした」

 *なるほど、興味深いお話ですね。で、「転機」となったという点について、更にお願いします。

 樋浦さん「自分がこの作品と出会ったのは2017年で、その時は穣さんのパートを踊りました。当時は大学4年生で、もう踊ることはそろそろやめようと考えていました。
穣さんのパートは40分間絶えず踊り続けるので、身体が本当にもげそうになるのですが、この時自分の身体がまだまだもっともっと踊りたいと感じていることに気づいたのです。
本番を終えたあとに、いつも優しい笑顔で話す育世さんが、鋭い眼光で『踊りなさい』と言ってくれました。この時かけてもらった言葉は、今でも自分の舞踊人生を力強く支えてくれています。育世さんは自分の踊りの恩人です。
写真は2018年の公演のゲネプロ後に、誕生日を祝っていただいた時のものです」

 *なるほどです。それはまさしく「転機」ですね。樋浦さんの現在に繋がる重要な「鍵」を握る作品を踊る機会だったってことなのですね。更にそれに加えて、Noismとの「縁」をも感じるお話と受け取りましたが、その2017~18年頃、樋浦さんはNoismに関して、どのような思いをお持ちでしたか。

 樋浦さん「2018年は『NINA』の埼玉公演を観に行って、衝撃を受けました。その時は自分がNoismに入ることは全く考えていませんでした…。でも、元Noismのダンサーと海外のオーディションで出逢ったり、東京で出逢ったり、少なからず影響は受けていたと感じています」

 *導かれるべくして導かれて今に至っている。私たちにはそう思えますね、うん。そうそう。やはり「縁」ですよ、「縁」。

纏う3: 樋浦さんにとって印象深いNoismの衣裳

 *Noismの公演で最も印象に残っている衣裳とその舞台の思い出を教えてください。

 樋浦さん「『Fratres』の衣裳です。禊(みそぎ)へ向かう白装束のような、特別な儀式に向かっていく感じがします。Noismでの踊りはいつもものすごく緊張しますが、この衣装を着るときは特にビリビリとします」

 *はい、はい。わかります。「白」と「黒」、対極と言える見た目の色彩的な違いを超えて、内面的にと言うか、精神的にと言うか、通ずるものがありますよね。で、『Fratres』は樋浦さんにとって、基本、緊張するという「黒」ですから。でも、その「黒」を纏った「ビリビリ」の緊張状態を通過して、作品内世界へと越境し、憑依したりトランスしたりしていくのでしょうね。

 *Noism Web Siteへのリンクを貼ります。
 2019年の『Fratres I』、2020年の『Fratres III』の画像をどうぞ。

 *それこそ、前沢ガーデン野外ステージでの『セレネ、あるいはマレビトの歌』も、途中まで『Fratres』でしたけど、張り詰めた厳かさはあっても、特別、緊張の「ビリビリ」は感じませんでしたよ。

纏う4: 普段着の樋浦さん

凝ったローポジションからの撮影は
前回ご登場の…

 *この日のポイントと普段着のこだわりを教えてください。

 樋浦さん「普段着は、ゆったりとした服を着ていることが多い気がします。
新しい服を買うことが滅多にないので、稽古着も普段着も古着が多いのですが、このTシャツはH&Mで一目惚れして買ってしまいました。お気に入りです」

 *おお、盆栽のTシャツ!凡才の私ですが、何やら惹き付けられるものがありますねぇ。(笑)これ、相当エモイんじゃないでしょうか。添えられた「OBSERVATION(観察)」と「KNOWLEDGE(知識)」というふたつのワードも、描かれた盆栽の松が漂わせる佇まいを引き立てて、何だか意味深ですし!
そして、何より前沢ガーデン(と野外ステージ)というロケーションにピッタリではないですか。こちらのTシャツと前沢ガーデン野外ステージでの公演との間に何か関連はありますか。

 樋浦さん「あまり意識はしていなかったです…。半袖を昼間から着れるくらい暖かくなったので、嬉しくて着ていました」

 *そうなんですね。では、これはそもそものお話になるのでしょうが、古着はお好きと考えていいですか。

 樋浦さん「稽古着はすぐ汚れたり傷がついてしまったりするので、古着の方が気兼ねなく使えるのでよく利用します。あまり古着自体にこだわりが強くあるわけではありません」

 *ほお、そうなんですね、ほお。じゃあ、稽古着として着る古着に絞って、もう少し教えてください。

 樋浦さん「ダンサーの仲間や先輩から、着なくなった稽古着を譲り受けたりすることがあります。人の縁を感じたり、あの人の踊りすごかったなあとか、たまに思い出す時間は自分の支えになっているように感じます」

 *なるほど。そうした場合の古着って、単に古着というだけではなくて、繋がりや記憶も込みの稽古着ってことなのですね。いいお話しです♪

 *あと、これは服からは離れてしまうのですが、最後にもうひとつだけ。首から下げておられるお洒落なカメラについて教えてください。

 樋浦さん「FUJIFILMのX-E3というモデルのカメラです!最近中古で購入しました。レンズもとても気に入っています」

 *昔のフィルムカメラにあったようなボタンとかダイヤルが付いたレトロな感じのカメラなんですね。そして、撮影もカメラ任せのオート撮影機能ではなく、自ら設定を行うモデルのため、撮る人の個性が色濃く出るカメラなのだそうですね。その点、樋浦さんにピッタリかと。うん、お洒落です。カメラもそれをさりげなく首から下げた樋浦さんも♪
樋浦さん、どうも有難うございました。

樋浦さんからもサポーターズの皆さまにメッセージを頂いています。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつもあたたかいご支援をありがとうございます。
感染症への警戒も落ち着いてきましたので、みなさんと直接お会いしてお話しできる機会を心待ちにしております。
今後もみなさんへいい舞台をお届けできるよう、精進いたします」

…ということでした。以上、「纏うNoism」第7回、樋浦瞳さんの回はここまでです。樋浦さん、色々と有難うございました。

これまで、当ブログでご紹介してきた樋浦さんの他の記事も併せてご覧ください。

 「私がダンスを始めた頃」⑳(樋浦瞳さん)
 「ランチのNoism」#19(樋浦瞳さん)

今回の「纏うNoism」、いかがでしたでしょうか。では、また次回をどうぞお楽しみに♪

(shin)