春、若芽が吹くように…「Noism2 定期公演vol.16」(2025/03/09)

皮肉なことに、東京をはじめ関東には凍結の恐れなどを伝える注意喚起がなされていたというのに、新潟では光に少し春らしさが感じられるようになってきた、そんな2025年3月9日(日)。15時からの「Noism2 定期公演vol.16」2回公演の2日目を観るために、りゅーとぴあに向かいました。

前日(3/8)は同時刻に、金森さん演出振付の新作『Tryptique ~1人の青年の成長、その記憶、そして夢』を含む牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅢ」を観に行ってましたので、この日はまた異なる舞踊が観られることにワクワクする気持ちがありました。

過日の公開リハーサル後の囲み取材の場で、地域活動部門芸術監督の山田勇気さんから、今回(vol.16)のラインナップに込めた思いを聞いたことも、その期待を膨らませる効果がありました。山田さん曰く、次世代の振付家を輩出することと、「登竜門」を通過する舞踊家を観ること。そのふたつは充分に興味深い事柄でした。

物販コーナーにはNoism1準メンバーの春木有紗さん(左)と佐藤萌子さん(右)

そして15時になります。最初の演目は樋浦瞳さん演出振付の『とぎれとぎれに』。緞帳があがると、初日公演を観た久志田さんの文章にあるように、斜めに配された大きな「紙」が存在感たっぷりに目に飛び込んできました。思ったこと。「やはり樋浦さんは『斜めの人』であって、『正面の人』じゃないんだ。だから、『にんげんしかく』で客席の方を向いて、ポケットから笹団子を取り出したり、身体の前で両手を動かして矩形のイメージを伝えてきたりしたときに、何やら新鮮な感じがしたんだ」とかそういったこと。
蠢いたり、たゆたうようだったりしながら、斜め位置の「紙」で表象される舞台(時間、人生)との関わりのなかで、逃げ出そうとしたり、格闘したりしながらも、とぎれがちながら繋がっていく関係性。その間も「紙」が決して破れることがなかったのは、この日の私には希望に映りました。そして、その歪な「紙」が上方に浮き、その真下で踊られるようになってからは、佐野元春『No Damage』のメインビジュアルが想起されもしましたが、「人生ってそうだよな」とも妙に納得させられる部分がありました。
最後、6人が舞台正面奥に消えていくときにハッとしたのは、『にんげんしかく』のときと同じでした。樋浦さんがこれから先も変わらず「斜めの人」なのか興味があります。

10分の休憩を挟んで、今度は中尾洸太さん演出振付『It walks by night』です。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が聞こえてきます。第3楽章です。レインコートと帽子、蝋燭、そして一枚のドア。多分にウェットでシリアスな雰囲気を待ち受けていたところ、開いたドアから折り重なるようにして見える顔たちはいずれもこちらを見据えています。「えっ!」と思うが早いか、「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ(とても速く活発に)」に乗って展開されるコミカルで楽しい動き。腰には白いチュチュを巻いて。この先、あの音楽を耳にする度、その光景が浮かんでくるようになってはちょっとつらいというか、残念というか、そんな困った組み合わせに、唖然としつつ、気持ちは「脱臼」させられたような塩梅です。(ゴダールの映画もよく「脱臼」を狙ってきます。)
しかし、第4楽章の「アダージョ・ラメントーソ(悲しげにゆっくりと)」では、踊りの調子がガラリと変わっただけでなく、紗幕の向こう、シルエットとして浮かんでくる「活人画」に似た場面には殊更に美しいものがありました。「何も徹底的に『美』を廃した訳ではなくて、硬軟をフットワーク軽く行き来することを狙ってのものなのだな」、そう理解しました。
それからこの作品では、今度は腰に巻いていた筈のチュチュが揃って上方に浮いただけでなく、ラストでは(予想通り)全員が中央のドアの向こうに消えていきます。そのあたりに樋浦さん作品との近縁性も強く感じられ、興味深く見詰めました。また、ふたりとも広い舞台を充分に活かそうとする演出振付をされていたように思います。

その後の休憩は15分。そして、「登竜門」(山田さん)の『火の鳥』、何度観ても、観る度にゾクッとする金森さん演出振付の名作です。若いダンサーがその身体を使って、この作品に一体化したときに放たれる「美」は決して色褪せたり、揺いだりすることのないものです。「これをしっかり踊り切れたら、観る者はちゃんと感動する」、そんな作品がこの『火の鳥』なのです。金森さんから若者に向けられた愛で出来上がっていて、寸分の隙もない作品と言えます。
また、繰り返し観てきた者としては、初めてこれを目にする人たちが「あっ!」と声まで出さんばかりに、心地よい不意打ちをくらう瞬間が訪れるのを待つ、そんな楽しみもあります。そして同行者がある場合には、まず例外なく、終演後、笑顔でその場面の話をする姿が見られるのです。そんなリアクションはこの日もあちこちに認められました。
この日、この「登竜門」或いは「試金石」に挑んだダンサーたちに鳥肌が立ったことは書き記しておかねばなりませんし、それを書き記すだけでもう充分かと思います。そんな心を揺さぶる踊りを見せてくれたダンサーたちにこの日もっとも大きな拍手が贈られました。彼女たちにとっては、「伝統」(山田さん)に繋がった日だった訳です。

春、若芽が吹くように瑞々しい躍動を見せた若きダンサーたちと若き振付家ふたり。大地に力強く根を張り、限りなく広がる高い空に向かって大きく育っていって欲しいものです。きっと襲ってくるのだろう風雪などものともすることなく、逞しく、そして美しく。3つの演目を観終えて、そんなことを思ったような次第です。

(shin)

清新さと野心と(サポーター 公演感想)

毎年3月恒例の研修生カンパニーNoism2定期公演。今回(vol.16)はNoism1・中尾洸太さんに加え、同じく樋浦瞳さん(新潟市出身)が演出振付家デビューすることもあって、各種媒体でも公演が紹介され、初日の客席も盛況だった(BSN新潟放送の取材班もお見かけした)。客席や物販コーナーではNoism1メンバーの姿もあり、皆で若き舞踊家と演出振付家を盛り立てようという思いが、劇場に漂うよう。


開幕は樋浦瞳作品『とぎれとぎれに』から。私たちが「Noism的なるもの」として連想する、虚飾を剥いだ舞踊の連なりに、樋浦さんならではの細やかな感性が染み込んだ一作。舞台正面から斜め方向を意識した空間構成や、ある舞台美術が雄弁に示す舞台の一回性。白から黒、生から死へのあわいで悶える6人の若き舞踊家達と、照明が織りなすものに、私は奪われていくガザ始め世界を生きる人たちの命を思わずにはいられなかった。

続く中尾洸太作品『It walks by night』は、中尾さんの既にして才気溢れる作家性に圧倒される仕上がりとなっていた。Noismの基礎にある「クラシックバレエ」そのものを解体し、再構築していく舞台に息を幾度も呑んだ。あるクラシックの有名曲(最近ではアキ・カウリスマキ『枯れ葉』でも印象的に使用されていた)と9人のダンサーの調和、バレエでの女性表象を超えるNoismらしいエログロまで内包した演出には唸るばかり。

公演ラストを飾るのは金森穣芸術総監督による、最早古典的風格さえ漂う「火の鳥」。ストラヴィンスキーの楽曲と寸分違わず溶け込む振付、8人の舞踊家の「今」を活かし切る瑞々しさと、安易な感傷を排して観客のイマジネーションを膨らませる「仮面」と「黒衣」。幾度見ても新たな発見を得られる名品だ。

公演初日は、地域活動部門芸術監督・山田勇気さん、中尾洸太さん、樋浦瞳さんによるアフタートークが開かれた。「若いダンサーへのメッセージ」を問われ、「自分が今持っている身体に向き合えるのは自分だけ。未来と今、他者と出会うことを意識して踊り、あなたの身体でしか発見出来ないことを見付けてほしい」と語る樋浦さんと、「夢を見ないこと。夢は叶わないかもしれないし、逃げにもなる。身体や心から起こる野心と、現在地を見つめる為の目標を大切にしてほしい」という中尾さん。対照的でいて、各々の誠実さが滲む答えに胸が熱くなった。


若き舞踊家それぞれの献身と躍動に加え、新しい舞踊作家の誕生を目撃する機会。本日の公演の更なる盛況を祈る。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、安吾の会事務局長)

只事じゃなかった金森さんの『Tryptique』♪(2025/03/08 牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅢ」)

2025年3月8日(土)、とりあえず雪も落ち着いた新潟から、降雪予報が出ている東京は文京シビックホール 大ホールまで赴き、牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅢ」を観て来ました。

先日起きた新幹線の連結トラブルの影響を引き摺り、いまだ若干の遅れを伴う新幹線で東京駅まで行くと、そこからは丸ノ内線へ乗り換えます。文京シビックホールが入る文京シビックセンターは東京メトロ・後楽園駅から直通ということで、天気に関しては、さして心配することもなく到着出来ました。

地下2Fから同複合施設に入っていくと、前方の「区民ホール」では「都市交流フェスタ」というイヴェントが開催中で、ステージではトルコの民族舞踊などが踊られているなど、賑わいを見せていました。暫し足を止めてその踊りを眺めてから、1Fの大ホールに上がって行きました。

まったくバレエには疎い身ゆえ、牧阿佐美バレヱ団の「ダンス・ヴァンドゥ」がどういうものかも分からず、金森さん演出振付の新作見たさに足を運んだのでしたが、公演チラシによれば、「多彩なバレエ作品の魅力を紹介するシリーズ」とのことで、「『ダンス・ヴァンドゥ』それは、バレエの進化と継承。」の文言が踊っています。そしてそれは確かで、誰にも楽しめるバレエのショーケースと言ってよいステージでした。

開演前の華やぐホワイエ内、目に入ったカフェスタンドを覗きに行くと、「えっ!金森さん!井関さんも!あっ、金森さんのお父さんだ!」それはそれは嬉しい偶然でした。で、金森さんから「新潟はいいの?」と問われましたが、あたふたしていたので、「新潟はいい天気でした」など答えてしまうと、連れ合いが「Noism2のことだよ。(金森さんに)明日行きます」と答えてくれ、「ああ、そうか」と。で、お願いしてスリーショットの写真を撮らせて頂きました。許可も得ましたので掲載致します。(お父様の金森勢さんとも、かつてよくテレビで拝見していたことをお伝えすると、ユーモアたっぷりに返してくださるなど、ほんの少しだけでしたが言葉を交わせたことも嬉しいことでした。)

そんなこんなで、ウキウキした気分で開演を待ちました。

そして開演時間の15時になります。

この日の演目ですが、第1部は『グラン・パ・ド・フィアンセ』(20分)、第2部が『ホフマン物語』第2幕幻想の場(20分)、そして金森さんの『Tryptique ~ 1人の青年の成長、その記憶、そして夢』(15分)が第3部で、ラストの第4部が『ガーシュインズ・ドリーム』(40分)という順番で、どれも大いに楽しみました。

バレエについて詳しく書くことなど私の手に余ることですので、ここでは主に金森さんの『Tryptique』に関して私がこの日の舞台を観て得た印象を書かせて頂きます。その点、ご容赦ください。

先ずは衣裳。金森さん作品だけがシンプルなレオタードとタイツでダンサーのボディラインをそのまま露わに見せるものでした。そこに、ダンスとダンサーへのリスペクトが込められていることは、先日のインスタLIVEで金森さんが語っていました。更に言えば、纏って何かに「寄せる」道は絶たれ、何者をも表象することかなわず、ただおのれに徹し、それを越え出て、舞踊と一体化すること。その身体ひとつで観客の視線を受け止めつつ、見詰める目という目を圧すること。他の3演目に溢れていた美しい衣裳以上のものを、間違いなく、ダンサーたちの身体に観ることになりました。見惚れるほどに美しくて、いつまでも観ていたかった。作品も、ダンサーたちも。

そして、音楽と舞踊の関係性も、他の3演目とは異なっていたことは確かです。ロシア的な情緒、或いは、甘美かつ不穏な森の雰囲気、はたまた、アメリカはニューヨークの往時のキャバレー界隈の光景は、それぞれ、音楽を情感たっぷりに踊る身体を客席から観て、ひととき楽しむ風情だったかと思います。それはそれでそれぞれに客席にいる私たちの目を喜ばせてくれる、とびっきりの「ショー」でした。
ところが、金森さん演出振付の『Tryptique』だけは様子が違っているのです。一言、只事じゃなかった、と言いたいと思います。あの僅か15分という短過ぎる時間(それに先立つ休憩時間と同じ、僅か15分です!)、私たちは客席にいながらにして、客席ではない場所に連れて行かれたからです。そんなことが如何にして可能なのか。私はこう言ってみたいと思います。芥川也寸志さん作曲の音楽が内包する豊かな「可能性」の領野に分け入り、あのかたちでひとつの舞踊作品として可視化することが出来たからだと。あの奥深さは、音楽に合わせて踊るのではなく、本当の意味で音楽と一体化する舞踊に至っていてこそのものなのだと。更に更に、こうも言ってよければ、芥川さんのあの音楽は金森さんによるこの舞踊化を待っていたのだとも。客席に身を置いて視線を投げていた筈が、別の時空に没入している自分を体感することになった、圧倒的な15分間でした。

その世界初演に立ち会い、その顕現を目撃出来たことは観客として僥倖以外の何物でもありませんでした。そして、バレヱ団にとっては、その歴史に物凄いレパートリーをひとつ加えることになった、そうも思っています。2025年3月8日のこの舞台は長く語り継がれていくことでしょう。

『Tryptique』の15分が終わると、場内はこの日一番の拍手で割れんばかりとなりました。客席のその興奮は、促されるかたちで金森さんが舞台に姿を現したとき、頂点に達し、「ブラボー!」の掛け声も飛び交いました。そして、オーケストラを指揮して見事な音楽を奏でた湯川紘惠さんにも盛大な拍手が贈られました。それでも観客の拍手が止まず、繰り返されるカーテンコール。その様子もまた圧巻でした。

上でも触れた先日のインスタLIVEにおいて、金森さんは今回の「青」と「緑」についても語ってくれていました。その「青」に絡めて、バレエの歴史、バレヱ団の歴史という見方を重ねてみようとしたとき、不遜に過ぎて、私がそんなことを言う立場にないことは重々承知なのですが、敢えて言ってみれば、「青は藍より出でて…」みたいなことも感じたような次第です。無礼でおこがまし過ぎるので、その先は容易に続けられませんし、勿論、金森さんご自身はあずかり知らぬことですけれど。それでも、あの物凄さ、確かに、「バレエの進化と継承」を感じさせるに足る15分だったので、牧阿佐美さんもきっとお喜びの筈、そう言って締め括りたいと思います。何より、師と弟子、双方の偉大さに触れた一日でした。

(shin)