新潟3デイズに幕、感動の舞台は埼玉へ

2017年5月28日(日)夕刻、正確には17時半過ぎ。
今回はいきなりその時刻の心境から書き出します。

その時刻、・・・
はや1時間も前に、Noism1ダブルビル・新潟公演(全3公演)は、
客席からの鳴りやまぬ大きな拍手と
飛び交う「ブラボー!」の掛け声をもって、
感動のうちに楽日の幕を下ろしてしまっていた、そんな時刻。

アフタートークを終えてさえ、なお日は高かったものの、
既に先刻、羨望の的たる「世界の中心」が
新潟から埼玉へとシフトしてしまったという思いを抱えつつ、
場所を移して座った、さるカフェの屋外ベンチ。
珈琲のカップを傾ける者たちの上に注がれていたのは、
まったく艶を欠いた日光であり、
その抜け殻のような光を照り返す街の姿もやはりどこか虚ろで、
それらは全て、心の中の寂寥感のなせる業。
感動と感傷、否、感動から感傷へ。
他でもない、早くも、所謂「Noismロス」に陥ってしまっていたに違いありません・・・。

   ☆   ★   ☆   ★   ☆

新潟3デイズを終えて(寂しさと共に)振り返る
感動のダブルビル公演、
全く趣きを異にする2作とも見えますが、
初日のアフタートークでの客席からの感想にもあったように
大きな共通点を有する2作ともとれました。

異なるベクトル。
間断なく耳をいらだたせるノイズ群に合わせて、
脱中心化され、拡散する印象の身体と
甘美にうねることで心を揺さぶるワーグナーの旋律へと
一分の隙もなく収斂していく雄弁な身体。

しかし、観点をずらすと見えてくるものも変わります。

両作品に共通するもの。
抗いようにも抗い得ない物理的な事実と、
如何に抗い得ないとしても、それでもなお抗うよりない身体。

人など卑小な存在に過ぎませんが、それでもなお抗う、
その身体が内側から発光するさまを目撃すること。
刹那の輝きという共通点。
そしてそれがまさに刹那のものであるがゆえに、
心は揺さぶられずにはいないのだと言い切りましょう。

「見る」という特に何の変哲もない営為を通してではありながら、
どのように作品にコミットするかが大きく分かれる2作。
舞踊の多彩さの一端に触れるのが
観客としての最も豊かな振る舞いであることは言を俟ちません。

ここまで書いてきて、はたと気付くのは、
どんなに言葉を費やしても、「良いものは良い、ただ見詰めるのみ。
そして感じるだけ」と言うのと何ら大差がないという事実。
私のような者が語っても、端から同語反復の徒労に終わる他ないのでしょうが、
新潟3デイズを終えた今に至り、
見終えて、こんなにも寂寥感を掻き立てる感動の舞台を、
埼玉でも、是非とも多くの方にご覧頂きたいとの思いから、
非力を顧みず書いてきたような次第です。

今回、埼玉へ行くことが叶わない者にとっては、
感動が大きかった分、ぽっかり空いた穴も大きい訳ですが、
所詮、相手は刹那なるもの。
ここは気持ちを切り替えて、
網膜を通して刻まれた記憶を愛撫し、或いは咀嚼しながら、
また再びNoism1にまみえる日を待つことにします。

埼玉公演は今週末の全3公演。
圧巻の舞台をご堪能ください。 (shin)

快調!Noism1ダブルビル新潟2日目、そしてサポーターズ懇親会

2017年5月27日(土)、突然、一時的に雨が落ちてきたり、
風が強くて、体感気温も低く感じられる街を移動して、
りゅーとぴあに着くと、
そこは硝子張りの劇場ホワイエ、
風は遮られ、太陽光だけが差し込む空間では軽装が正解。
17時の公演を待つ気持ちの昂ぶりと相俟って熱気が感じられる空間でした。

まずは山田勇気さん振付のレパートリー『Painted Desert』。
美しく移り変わる照明と、印象深いシルエットが、
耳に届く不穏な音響を更に際立たせていきます。

8人の舞踊家が息づく場所、
何物も根付かせることのないトポス、「砂漠」。
安らぎをもたらすかのように映じたとしても、それは蜃気楼かもしれず、
徹底して起承転結を欠き、人を弄ぶ「砂漠」。
そして何人(なんぴと)といえども座ることを拒む椅子。それもまた「砂漠」。

突出する身体、しかしそれも消えゆく定めから逃れられることなどない、まさに刹那。
「砂漠」の悠久に対して、人が刹那を彩る、「painted desert」。
ラスト、セピアの照明を浴びて談笑する8人のうち、
ひとり客席を向いて、口を動かし、しかし、音声にはせず、
「何か」を伝えてくる池ヶ谷さんを目にするまで、
50分間、「作品の強度」(金森さん)と8人の強靱な身体に目は釘付けです。

そして金森さんの新作『Liebestod – 愛の死』。
ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』が流れ出すと、
いとも易々と作品世界のなかに投げ込まれてしまう感じは前日と変わりません。
二日続けて観るので、幾分か落ち着いた心持ちではいられましたが、
ふたりの舞踊家が流麗に、あくまで流麗に可視化していく「愛と死」、
そして「その後」に、身を乗り出すようにして見入っていると、
心を鷲づかみにされて、
自然と鼓動が速くなり、
耳たぶが、目頭が熱をもち、
遂には、涙腺が崩壊寸前になってしまう他ありません。

この感動は言葉では伝えきれない類いのものですし、
敢えて言葉にしてみても陳腐なだけで、
到底、この20分間の何物も伝わったりはしませんから、
観る以外にない、何度も観たくなるとしか書けません。

アフタートークを終えてから、
サポーターズとしても初の試み、懇親会(19:30~)が開催されました。
場所は、白山神社近くのオリエントイタリアン「Iry(イリィ)」。
参加した18名のなかには、遠く京都、横浜からお越しの会員も含まれ、
美味しいお料理と飲み物を肴に「Noism愛」が繋ぐ絆を堪能し、
和気藹々のうちに、楽しい夜は更けていきました。
またの機会がありましたら、是非多くの方からご参加頂き、
Noismについての熱い思いを交換して頂けたら、と思います。 

本日は、ダブルビル新潟公演の最終日、
感動の待つりゅーとぴあ・劇場へ是非。
(shin)

雨の新潟にNoism1降臨 ー 『Liebestod – 愛の死』『Painted Desert』ダブルビル公演新潟初日

確かに天気予報では高い降水確率の予報が出ていたようでしたが、
街には傘を持たずに出掛けてしまって
時ならぬ激しい雨にうつむき加減で早足を繰り出す人々や、
傘を差していても結構な雨量に足許が濡れるのを如何ともしがたい人々の姿が見られ、
「ならば、車で」と思っても、隣の県民会館でも集客の見込めるイベントが組まれており、
車は車なりに大変だったのだろう、新潟市、2017年5月26日(金)の夕まぐれ。
そんな様々な不都合を越えて各所からりゅーとぴあ・劇場に集った私たちの眼前に、
満を持して、Noism1は降臨したのでした。
それはまさに金森穣さんと山田勇気さんの見えない手と舞踊家の身体によって描き出された、
ふたつの非日常。

この日、初日を迎えたダブルビル公演は
まずは、山田さんがNoism2に振り付けたレパートリー『Painted Desert』から。
かつてNoism2で観ていた作品をNoism1が踊ることに興味をそそられました。
間断なく耳を襲う不穏な地鳴りの響きが緊張感を高めるなか、
冒頭から石原悠子さんが、井関佐和子さん抜きのNoism1を牽引して、
圧倒的な存在感を示します。
他の舞踊家も、椅子に沈み込む姿が、或いは床に身を縮めて眠る姿が、
尋常ではないエッジの利いた身体として静止を続け、もうそれだけで目を惹き付けます。

白眉はやはり中川賢さんと池ヶ谷奏さんによるブラインド・パ・ド・ドゥ。
この作品は「レパートリー」ということですから、
ふたりが完全に目をつむったままで数分間踊るということは書いても差し支えないでしょう。
その姿を観ているだけで、舞踊家の緊張感がダイレクトに伝わってきます。
そしてこの日、私の目に強い印象を残したのは、他ならぬふたりの掌のセンサー。
目という感覚器官の代替物としての掌。見詰める私の目は釘付けでした。
力を抜き、柔らかく、緩やかにほんの少し曲げられた五指が
相手の身体を繊細にキャッチする様子、
それは同時に実に艶めかしくもありました。

照明も美しい作品です。

15分の休憩を挟んで、今度は金森さんの『Liebestod -愛の死』、文字通り世界初演。
ワーグナーの蠱惑的な旋律が流れるなか、
暗闇の下手側に一筋の光が落ちてくると、そこには吉﨑裕哉さんの後ろ姿。
その立ち姿だけで、既に「末期」が表象されています。
再び暗闇。次に上手側で照明が、こちら向きの井関さんの「歓喜」を捉えます。
「実験的な作品ではない。思いっきり感情で作っている。これが金森穣。」(金森さん)
観る者の心を掴んで、虜にしてしまうのにまったく時間は要しません。
見事な滑り出しです。

衣裳、照明、そしてシンボリックな装置の力も相俟って
ほんのふたりしか登場しない作品とは思えない程の空間的、時間的な広がりをもって
観る者を眼福へと誘います。
今、新潟に、井関さんと吉﨑さんがいて結実し、
ふたりの存在が不可欠な作品にして、
感涙必至の名作なのですが、
これより先は、これからご覧になる方に配慮して、あまり書かないでおきます。

ただ、アフタートークの最初、用紙での質問がなかったばかりか、挙手さえもなく、
金森さんが「新作の発表というのに『驚愕の事態』」と笑ったことを書き添えておきましょう。
観客はもれなく作品世界から現実世界への帰還を果たし得ないでいたからに相違ないのです。
この作品はかくの如く観る者を連れ去ってしまうことでしょう。

ここでは、舞台について直接触れることはせずに、
金森さんがその初日のアフタートークで、この作品について語った言葉を紹介することにします。
「憧れのために死ぬのではなく、憧れながら死ぬのだ。」(ショーペンハウアー)
「生は死のなかに取り込まれていて、死のなかの一瞬が生である。」
「(井関さんの「歓喜の女」には)悲しみにくれる女性であって欲しくない。
絶望的な悲しみを超越して立つ姿。それこそ、舞踊家の姿とも重なるもの。
冷ややかな視線や、酷評を前にしても、それを受けて立ち、
踊らなければ生きていけない存在。舞踊家のあり方。」
「劇場は、そうした舞踊家の生き様を見ることに喜びを感じる人が集まる場所であって欲しい。」(金森さん)

   ☆   ★   ☆   ★   ☆

アフタートークでは、金森さん、山田さんおふたりとも、
今回、狭いスタジオ公演ではなく、劇場という広い空間での公演ということから、
席によって見え方が全く異なるので、
是非、席を変えてもう一度見て欲しいとも言っておられました。

また、「今の時代、物質的に恵まれていて、自己表現が容易な社会という側面もある。
そのなかで、敢えて人を集めてまで、人と共に舞台芸術を作るには相当な覚悟を問われる。
作ることは魂の所在を示すこと。」と金森さん。

振付家と舞踊家の覚悟に満ちた舞台は必ずや観る者の心を強く揺さぶることでしょう。
生涯に渡る感動が待っていると言っても過言ではありません。
是非、一度、いえ、一度と言わず劇場へ足を運び、
己の身体と向き合う舞踊家の姿を前に、
感動を共有してみませんか。  (shin)

Noism1公演、26日(金)開幕! サポーターズ会報31号、さわさわ会会報誌vol.4、会員に発送しました!

いよいよ初日目前となりました!
ますます期待が膨らみます!!

公演に先がけて、Noismサポーターズ会報とさわさわ会会報誌を会員の皆様にお送りしました。

サポーターズ会報内容
・インタビュー:金森穣、井関佐和子、山田勇気、Noism1メンバー、そして平原慎太郎
・メンバーリレーエッセイ:浅海侑加
・批評:『マッチ売りの話』+『passacaglia』山野博大(舞踊評論家)、他
・会員の公演感想、他

さわさわ会会報誌内容
・写真と佐和子さんの文章による、井関佐和子原寸の魅力
・佐和子さんが出演した公演の写真と本人ご感想

Noism1公演ご鑑賞の方には新潟・埼玉とも、もれなく2誌が付いてきます!
どうぞお楽しみに♪
(でも、会員になっていち早くご入手くださいね)

公演について、ネット等で見たり聞いたりするだけではなく、舞台芸術の魅力は足を運んでこそ。
ぜひご来場ください♪

さて、NoismサポーターズUnofficial事務局では、会員の皆様に公演ご感想やNoismへの応援メッセージをお寄せくださるようお願いしています。
ご感想等は800字以内で、公演後なるべくお早めに事務局宛にメール送信していただけるとありがたいです。

文字数や締切について会員周知していなかったので、今回編集に間に合わず、長文(1,924字)のご感想をくださった会員さんがいました。申し訳ありませんでした。

会報31号には掲載できなかったので、当ブログでご紹介させていただきます。
Noism2公演、『マッチ売りの話』+『passacaglia』、山田勇気作品について書かれています。

金森山田/金森金森

十二月にNoism2のダブルビルを観た。『火の鳥』と『ÉTUDE』。一月にはNoism1を観た。『マッチ売りの話』+『passacaglia』。1の公演で感動したのは久しぶりのことだった。二月にもう一度、劇場に足を運んでしまったくらいだった。1はいつも遠くを見つめている。われわれ新潟市民の遥か頭上を越え、遠い世界に向けてメッセージを投げかけている。そんな印象をずっと抱いていた。金森作品にいつも含まれている鋭い批評性。今回の公演では、それが直球で胸に飛び込んでくるような感じがした。バシッと来た。『マッチ売りの話』で描かれた暴力と貧困、そしてその連鎖。不条理。それは絵本の中のお話ではないし、どこか遠い世界の話でも、過去の出来事でもない。それは私たちの身近な日常生活の中に雌伏している。今は目立たないかもしれないが、深く根を張り、地表を割って勢いよく育とうとしている。そう感じられるからこそ、なのかもしれない。
『マッチ売りの話』が具体的だとしたら、『passacaglia』は抽象的で分かりにくい作品だった。しかしこちらのほうが、金森氏の本性に近い感じはした。男と女、生殖とテクノロジー。SFみたいな作品だった。未来を描いているはずのSFが、物語としては神話に、テクノロジーとしては太古の身体感覚に繋がる、ということはよくある。サイエンス・フィクションは抽象度を増していき、スペキュレイティヴ・フィクション(思弁的小説)に至る。音楽を担当した福島氏による楽曲解説を読むと、そこにはひどく具体的な内容が簡潔に書かれている、ということは分かるのに、さっぱり何が書かれているのか分からない、という複雑な事態に陥る。ひどく面白い。
しかし、今回の舞台に重層的な意味合いがあるとして(当初はダブルビルとして構想されていた)、それでも作品として印象に残るのはやはり『マッチ売りの話』のほうだ。鑑賞中は気が付かなかったのだが、ふたつの作品を繋ぐ「雪」というキーワードがもっと掘り下げられていたら、また違う感じ方をしたかもしれない。
 2の公演はいつもジュブナイル。フレッシュで、不安定で、どこか卒業式のような雰囲気が漂っている。それは2のメンバーがまだ若く、表現者として未だ何者でもないからなのかもしれない。また実際にその公演を最後に、2を飛び出していくメンバーがいるからなのかもしれない。1と2との違いは何だろう。1の舞台からは強烈な作家性が感じられる。2では時として作品よりも、出演者個人の抱えているものに目が行ってしまう。金森作品『火の鳥』においてもそうだった。死と再生、少年と通過儀礼。寓話的でとても分かりやすい作品だった。少年は少年らしく、そして人外のものは、まさにそのような動きで見事に表現がされていた。しかしそれでも、その役柄や物語よりも、出演者の中にある「揺らぎ」のようなものに魅かれてしまう自分が居た。
 『ÉTUDE』習作、練習曲、山田作品。くっきりとした印象の『火の鳥』に対して、『ÉTUDE』には取り付く島がなかった。どこかのバレエ教室の、毎日の練習風景のような場面が続いていた。レッスンバーにスタンドミラー、アップライトのピアノ。パンフレットの覚書では、「稽古」の「稽」という漢字について解説がなされていた。だから何だと思った。退屈だった。
しかし突然、世界はその姿を変容させる。宇宙にリンゴが出現する。コペルニクス的転回が起こる。ニュートンは落下するリンゴを見て万有引力の法則を思いついた。バレエ教室の床には死体が転がっている。毒リンゴを齧ったのだろうか。殺したのは誰? 生徒たちは互いに犯人探しを始める。疑心暗鬼に目を覆われ、闇雲に憎しみをぶつけ合う。でもそもそも、殺されたのは誰? 壁際に並べられた照明のライトが、今は蝋燭の炎のように揺れている。それはこの現象が、儀式殺人であったことを暗示している。「稽」=「禾」+「尤」+「旨」。聖所での生け贄の儀式。殺されたのは人ではなく、踊りであったのか。
無音の中、舞台はやがて、弔いの儀式へと移行する。アップライトの棺と共に進む葬列。死者と共にゆっくりと前を見据え歩く参列者たち。ただ歩く、花を手向ける、そういった日常的な動作がただただ美しい。いわゆる踊り的な動きではなくとも、世界は美しい、人の身体は美しい、動くことは美しい。シンプルな答えが導き出される。ニュートンは落下するリンゴを見て万有引力の法則を思いついた、わけではないらしい。アリストテレスの昔から、物体が地球に引きつけられる現象や、天体の楕円運動についての考察はされてきた。変わったのは世界ではない。世界の見方が変わったのだ。
次のダブルビル公演では、いよいよ山田作品が、Noism1のメンバーによって上演される。楽しみにしています。   松浦武利(新潟市)

どうもありがとうございました。

『Painted Desert』そして『Liebestodー愛の死』、楽しみです!!

(fullmoon)

Noism1『Liebestod −愛の死』プレス向け公開リハーサル&囲み取材に行って来ました

Noism1ダブルビル公演の初日を8日後に控えた2017年5月18日(木)、
りゅーとぴあ・劇場での新作『Liebestod – 愛の死』プレス向け公開リハーサルと
それに引き続いて行われた、金森さんの囲み取材に参加して来ました。

午後3時を少しまわり、劇場内へと促され、
客席に腰を落ち着けて前方を見やると、
既にふたりの舞踊家はステージ上にいて、
動きや立ち位置を確認していました。

正面奥の金色(こんじき)の手前、黒い床面の上、
金色の髪に白い衣裳、或いは黒髪に白い衣裳が目を奪います。
今回、大役を務める若い舞踊家(吉﨑さん)が目や口を思いっきり広げ、
表情筋を大きく動かすことで、緊張や体をほぐそうとするなら、
成熟した舞踊家(井関さん)は照明スタッフに語りかけ、
両手を腰にあてて大きく頷いています。

客席に身を沈めた金森さんの「いきましょう」と囁く声が聞こえたかと思うと、
本番さながらの照明と音楽が訪れ、通しの公開リハーサルが始まりました。

リハーサルなら、先日もスタジオBで見せて貰っていましたが、
衣裳と照明とが加わると、やはり別物。
ふたりの舞踊家による「愛と死」を巡る舞踊は
「ふたりきり」の舞踊であるということが嘘のような
壮大なスケールをもって胸に迫って来ました。
その迫力ある非日常の美しさを伝える言葉など見つけるべくもありません。
是非ともご自分の目で観て、圧倒されて欲しいものです。
このうえなく豪華で、このうえなく濃密な20分間であることだけは確かです。

リハーサル後はホワイエに場所を移して、
金森さんの囲み取材がありました。
新潟の報道各社が揃って参加していたことに、
Noism1新作へと注がれる関心の高さが窺え、
嬉しく感じました。

質疑応答の形で金森さんが語った事柄のなかから一部紹介させて頂きます。

〇今、この作品を作る意味について
「現代の社会は決して明るいものではない。
未来に対して希望を抱けない若者も多いと聞く。
それだけに、人を愛することや、生きることに、
純粋に真っ直ぐ向き合う非日常的な感動が必要な時代なのだと言える。」

〇光を用いた表現について
「そもそも光がなければ何も見えないのだし、
光は舞台にとって最も不可欠な要素。」
「それは生と死、或いはその境界のメタファーであり、
影は実存のメタファーでもある。」

〇吉﨑さんのキャスティングについて
「最初は驚いただろうけど、嬉しかったと思う。
彼は野心もあるし。どんどん良くなってきている。」
「身長も高く、筋力にも恵まれていて、今回のハードな役にはうってつけ。」
「自分がここまでひとりの舞踊家にエネルギーと愛情を注いだことはないくらい。
今までにない吉﨑裕哉をお見せできるはず。」
「彼を念頭に置いた『あて振り』もあるし、敢えて全く別のものを求めた部分もある。」
「若い舞踊家(吉﨑さん)と成熟した舞踊家(井関さん)が描く愛の姿を観て欲しい。」

〇ダブルビル、もう一本の山田勇気さんの『Painted Desert』について
「ほとんど見ていない。見ると何か言いたくなっちゃうから。
舞踊家たちは、山田勇気という自分(金森さん)とは違う振付家にどう向き合うかが問われている。」
「金森穣以外の作品をどういうふうに踊れるか。
そして、お客さんが観て、今までにない発見があるのでなければ、
(Noism)1がやる意味はない。」・・・等々。

到底、紹介し切れるものではありませんが、
ここはひとまず、「最近、あまり感動してないなと思ったら、劇場に来てください。
劇場に来れば感動します」
(金森さん)という言葉をもって締めくくりとします。

金森さんが18歳のときに魅了されたワーグナーの楽曲、それ以来、25年。
今、ここに機が熟するかたちで届けられる
Noism1最新作『Liebestod – 愛の死』、その世界初演。
新潟は来週末、埼玉はその翌週。チケット好評発売中。

是非、純粋な「感動」が待つ劇場へ。
心が震えます。
ただひと言、必見とだけ。
もうそれで充分なはずです。 (shin)

駐ルーマニア・フィンランド大使からNoismブカレスト公演のご感想をいただきました!


「終演後に懇談する井関佐和子さんと大使」

Noism1公演、いよいよ来週末開幕となりました。どうぞご覧くださいね!
予告映像:https://youtu.be/beiXJ1gdAH8 

さて、ブカレストで『ラ・バヤデール-幻の国』をご覧になられた、駐ルーマニアのフィンランド大使の公演ご感想です。
英文に続き、日本語訳があります。

Päivi Pohjanheimo
ambassador of Finland in Bucharest

I was led into a Nation of Illusion by the masterous direction of Jo Kanamori. The setting and costumes made this imaginary country resemble an Asian country. The impressive last scene of the destruction reflected something bigger, a collapse of something universally shared by us all.

Noism is an overwhelmingly gifted group, the main dancers with most sensitive and most powerful expression. Ms. Sawako Iseki performed Miran’s role with incredible lightness and intensitivity. She was able to make all the audience to breathe and feel Miran’s desperate love story.

After the performance I was happy to greet Ms. Sawako. To our surprise we have friends in common: Arigato, Hitoshi! And Arigato, Noism for this moving experience!

Noism版ラ・バヤデールを観て

駐ルーマニア・フィンランド大使
ペイヴィ・ポッホヤンヘイモ

金森穣の巨匠の風格のある演出によって、私は幻の国に導かれました。舞台装置と衣装によって、この想像上の国はアジアのある国ように見えます。しかし、最後の破壊される場面は、何かもっと大きな事態を反映していて深い感動に捉われました。何かが崩壊するということは、私たちが誰でも至るところで共有しているのです。

Noismは圧倒的に才能に恵まれた集団で、主役のダンサーはとても繊細でかつ力強い表現をしていました。ミラン役の井関佐和子は、信じられないほど軽やかかつ強く踊りました。彼女のおかげで、観客全員はミランの絶望的な愛の物語を吹き込まれ、感じたのです。

終演後に、井関佐和子さんに挨拶をすることができました。井関さんと私には共通の友人がいてびっくりしました。この感動をもたらしてくれたNoismに「ありがとう」と言いたい。

(翻訳:寺尾 仁)

ご感想うれしいですね♪
どうもありがとうございます。
文中の「共通の友人」というのはNoismサポーターズUnofficial会員の方です。
次のサポーターズ会報31号にご感想を掲載したかったのですが、編集に間に合わなかったので、とりいそぎブログ掲載しました。
もう少し長いご感想を32号に掲載予定です。どうぞお楽しみに♪

ルーマニア公演については、報告会の様子がブログ、la dolce vita:http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2017/05/noism-2a37.html に詳しく載っています。
こちらもぜひご覧くださいね。
(fullmoon)

『Liebestodー愛の死』 会員特典 公開リハーサルに行ってきました!

ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」から、前奏曲と終曲による、究極の愛の踊り。

二人の愛に不安を隠せないトリスタン(吉崎裕哉)。微笑むイゾルデ(井関佐和子)。叶わぬ愛、不可能の愛、しかし二人は激しく魅かれ合う。

圧倒的な音楽に圧倒的な踊り。デュオの超絶振付の連続に目を奪われ、井関佐和子のソロに魂を奪われます。

衣裳もとても美しく、現世では成就しない二人の愛を表しているかのよう。

上演時間20分。音楽に歌唱は入りません。金森穣渾身の新作に渾身で応える舞踊家2名。

公開リハーサルで拍手が出ることはあまりないのですが、今回は自然に拍手が起こりました。

『Painted Desert』出演のNoism1メンバー8名もスタジオの2階から拍手を送っていました。

Noism1
新作『Liebestod-愛の死』
レパートリー『Painted Desert』


新潟公演
日時:2017年5月26日 19:00、27日 17:00、28日 15:00
会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・劇場
電話:025-224-5521(りゅーとぴあチケット専用ダイヤル)
入場料:一般 S席4000円 / A席3000円 / 25歳以下S席3200円 / 25歳以下A席2400円

埼玉公演
日時:2017年6月2日 19:00、6月3日 17:00、6月4日 15:00
会場:彩の国さいたま芸術劇場・大ホール
電話:0570-064-939(彩の国さいたま芸術劇場チケットセンター)
入場料:一般 5500円 / 25歳以下 3500円

チケット好評発売中!
皆様ぜひご覧くださいね!!(fullmoon)