金森穣、Noismメンバーの献身と反骨に滂沱(『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日)(サポーター 公演感想)

2026年6月27日(土)、ついにNoism0・Noism1『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』が初日を迎えた。金森穣Noism芸術総監督に、「安吾の会」世話人代表、シネ・ウインド代表・齋藤正行が「坂口安吾作品を舞踊化してほしい」と伝えてから長い時が過ぎたが、ついに結実する日を迎えた。

シネ・ウインドや安吾の会メンバーはNoismを長きに渡って応援してきたが、金森穣さんの「退任」、安吾作品の舞踊化とあって、これまで以上に公演の盛り上げに奔走した。寄付を募っての新潟日報紙での「坂口安吾生誕祭120」と『私は海をだきしめていたい』をPRする一面広告掲載(4月24日)、シネ・ウインドでの『私は海をだきしめていたい』特大ポスター掲示や、『ジョン・クランコ バレエの革命児』上映(5月16日〜6月5日)などなど、今回の公演がひとりでも多くの方に届くよう、心を込めて広報を展開した。

そして公演初日に併せて、本日10時からは安吾のご子息・坂口綱男さんの案内による、恒例の安吾の生地・西大畑界隈の街歩きを開催。関東から参加された2名を含む5名の参加者が集まった。今回から街歩きの集合場所が「ゆいぽーと」(旧二葉中学校)に変わったこともあり、綱男さんはまず日本海の風景を見るルートを取った。好天に恵まれ、青く透き通るようだった海もまた、安吾原作の舞踊の誕生を寿ぐように思えたのは、私の牽強付会だろうか。今回の街歩き参加者全員が、Noism鑑賞を予定していたことも嬉しいことであった。


今日のりゅーとぴあでは、Noismに加えて「新潟A・フィルハーモニック第5回定期演奏会」にて「〜坂口安吾生誕120年に捧ぐ〜ジムノペディ ドビュッシー版 第1番」としてエリック・サティの楽曲が演奏された為、両会場で安吾関連書籍の販売も実施。学芸員・岩田多佳子さんによる新刊『新潟県人物小伝 坂口安吾』(新潟日報メディアネット刊)を、多くの方に手にしていただけた。


そして16時半、Noism公演の開場を迎えた。私は書籍販売の為、既に劇場ロビーに入っていたが、開場直前になって『私は海をだきしめていたい』の冒頭で使用されるサティの楽曲が場内に流れ始めた為、「おや? こんなことは今まで無かったぞ」と違和感を覚えた。その答えは間もなく明かされたのだが、今は詳述を控える。ただし、明日以降の公演に出掛ける方はなるべく早めに劇場ロビーへ進んでいただきたい。私は「客席が安全ではない、舞台を他人事に思わせない」Noismを始めとする舞台芸術に心惹かれて来たが、この驚きに満ちた開演間際までの時間は、「客席」と「舞台」、「劇場」と「ロビー」の境界を突破するようであり、金森穣さんの並々ならぬ気合とアバンギャルドさに、「安吾的だよ!」と興奮を抑えられなかった。

そして始まった『私は海をだきしめていたい』初演。詳述は控えるものの、シンプルに研ぎ澄まされた照明の元、安吾描くところの男女の「遊び」をサティの調べに載せて、いつまでもこの時間が続くことを願うような舞踊作品に昇華した金森さんの演出と、躍進著しいNoismメンバーが見せる静謐でいて激しく、艶めかしくも透き通るような舞踊にため息さえ漏れた。初期Noism作品に濃厚だったエロスが、時を経て「性愛」を俯瞰するような成熟を見せたように思う。メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、今回は特に庄島すみれ・さくら姉妹、太田菜月さん、春木有紗さんの身体表現が安吾描く観念的な「女」に、熱い血肉を与えたこと、その美しさに魂を奪われるようであったことを特筆したい。

公演後、坂口綱男さんに感想を尋ねたところ、「とっても良かった!」とサティの楽曲と安吾の作品精神がピッタリ噛み合った舞台を絶賛されていた。
そして、黒部シアターでも鑑賞した改訂版『春の祭典』もまた、舞台版として更なる高みに到達していた。相互監視や全体主義と、自由を確立しようとする者との相克を私は本作に感じてしまうが、井関佐和子さんと太田菜月さんのある「相克」を描く場面からは涙が溢れ出し、音と身体表現を全身で浴びる喜び、Noismが新潟にあることの僥倖を思い、恍惚にも似たところへ運ばれた。

その後、幾度も繰り返されたカーテンコールの熱さ・温かさには、これまでのNoismのどの公演とも違うものがあったように思う。舞台の為に献身し、圧倒的な芸術を届けることで、カンパニーが追い込まれた苦境を突き破るような、素晴らしき「反骨」。その結実と、豊かな未来を確信させられるようで、いつしか舞台上のメンバーと客席には涙だけでなく、笑顔さえ拡がったのだ。

不可逆の時間の中で、舞台の一瞬にかけるNoismの営為が、坂口安吾が生を受けた新潟の地でまた新しい到達を見せたことを、心から祝したい。

久志田 渉(「月刊ウインド」編集部、安吾の会事務局長)

狂える集団に対峙する「正気」という狂気(「黒部シアター春2026」2日目)(サポーター 公演感想)

富山県黒部市前沢ガーデン「黒部シアター」でのNoism野外公演も、4年目となった。5月30・31日の『春の祭典』は、両日とも魚津市に宿泊のうえ鑑賞した。31日は歌舞伎観劇時にもお会いする方始め関東からのNoism応援勢の方々に同行し、扇状地の高低差を活用した「釈泉寺円筒分水槽」「東山円筒分水槽」や、滑川港からの富山湾クルーズなど富山の自然と地形を浴びてから、二日目の鑑賞に臨んだ。夕刻となって雲ひとつ無い快晴となった前沢ガーデン。16時頃入場整理券待ちをしていると、ガーデンハウス玄関に現れた金森穣さんに手を振っていただき、「これから御大が来られるんだよ」と教えられる。金森さんが師と仰ぐSCOT鈴木忠志氏と団員の皆さん、前沢ガーデンハウスを所有するYKKの方々、『鬼』や『still / speed / silence』などの金森作品の音楽を手がけた原田敬子さんをお見かけしつつ、盛夏を思わせる暑さの中で開演を待った。


19時定刻、円形劇場に能を思わせる摺足で井関佐和子さんが音も無く現れてからの、序曲『Zodiac 1~5』のNoism的なる支配と被支配の黒い喜劇と人形振り、間髪入れずに始まる『春の祭典』の圧倒的な狂える美に至る50分間。新潟での6月末からの改訂版『春の祭典』公演を控えるため核心には触れないが、コロナ禍中に創作された金森版『春の祭典』初演・再演時にあった人間たちの狂騒さえ呑み込む人智を超えた存在への「畏れ」は、本作では全く異なる「人の集団」そのものや、今の世界を覆う全体主義・ファシズム・国家という暴力装置への「恐れ」と「抵抗」の物語として、力強い変容を遂げたように思える。狂える集団の同調圧力の中で、「正気を保つ」ことこそ「狂気」ととられることを体現するような井関佐和子さんの裂帛の気合こもる舞踊は勿論、初演時に井関さんが演じたパート含め表情豊かに舞台を駆ける現Noismメンバーの躍進に幾度も涙が溢れた。太田菜月さん演じる「生贄」が取る行動の残酷さ・脆さ・狂気こそ、私たちが生きる人間社会の酷薄なる象徴であり、それでも尚孤立を恐れずに「個の自由」の為に舞うかのような井関さんの凄烈なる表情に打ちのめされた。
前沢ガーデン野外劇場でしか実現できない終幕の、神がかり的な自然と照明が織りなす背筋が凍るほどの美含め、ここまでの彼岸に観る者を運ぶNoismという「集団」が持つ、肯定的な意味での「狂気」と「献身」にも思いを馳せずにはいられなかった。
6月末からの改訂版『春の祭典』で、また私たち観客の想像を遥かに超えたものを金森さんとメンバーが届けてくれるだろう予感に震えつつ、美しい満月に照らされた前沢ガーデンを後にした。

久志田渉(「月刊ウインド」編集部)

個と社会の相克を描く、圧倒的な完成度(『春の祭典』5/23公開リハーサル)(サポーター レポート)

来週末5月30日、31日の富山県黒部市「黒部シアター2026春」に向けたNoism活動支援会員向けの『春の祭典』公開リハーサル。昨日に加えて、急きょ本日のスタジオBでのリハが追加開催され、約20名の会員が集まった。


いつに増して緊張が空間に漲るスタジオB。12時定刻、芸術総監督・金森穣さんのいつもの「はい、始めましょうか」の合図で、井関佐和子さんが能を思わせる摺り足で歩み始めてから、約50分間、息つく間もないほどの勢いで展開される音と心体の共振。昨日のリハーサルレポートでfullmoonさんが詳述された黒部公演のみの新作『ゾディアック』は、冒頭の摺り足始め、人形振り、支配と被支配などNoismが22年間表現してきたエッセンスが凝縮しており、様々に舞台の記憶が脳裏を駆け巡る。そして、この鮮やかな序曲を経ての改訂版『春の祭典』はその到達した高みに涙を禁じ得ないほどの仕上がりだった。詳細は黒部、そして6月末からの公演で確かめていただきたいが、新型コロナ禍の苦しみの中で創作され、個と社会の相克とそれをも凌駕する人智を超えたものに打ちのめされた初演・再演を超えて、金森さんは12名の舞踊家の心体による渾身、12脚の椅子、そしてストラヴィンスキーの楽曲の力を駆使して、人は本当に「自由」を希求し得るのか、異端を排するものとは誰なのかを冷徹なまでに突きつけてくる。終盤の改編には、息を呑み、鮮やかな終幕には打ちのめされた。

リハーサル後、金森さんは「これだけの仕上がりになっています。舞踊家たちは身を削って、ここまでに達しています。これもこの恵まれた環境あってのこと。そして、それも後一年」「バイトの合間に集まって練習していては、ここまでのレベルには届かない。比べてお見せしたいくらいだけど」と、Noismが置かれた苦境を踏まえつつ語った。
公演後、あまりの興奮にりゅーとぴあ屋上庭園で一服していると、「お疲れさまです!」と井関佐和子さんが声を掛けてくださった。二日続けての公開リハーサルだった為お疲れとのことだったが、改訂版に至るまでの初演・再演時の記憶含めて、お話することが出来た。コロナ禍中の初演時の公開リハーサルで、金森さんが見せた涙を思い返しつつ、この舞踊団が新潟で続けてきた「献身」は決して失われないし、その為に何が出来るかを、改めて思わされた。まずは来週末の黒部公演に心して臨みたい。

久志田渉(「月刊ウインド編集部」)

「地方文化の確立について」考える傑作 Noismメンバーをお招きしての『ジョン・クランコ バレエの革命児』試写会レポート(サポーター レポート)

シネ・ウインドにて5月16日(土)〜6月5日(金)上映の『ジョン・クランコ バレエの革命児』のNoism Company Niigata・Noismサポーターズの皆さんに向けた試写会を、5月12日(火)に開催した。ドイツの地方都市シュトゥットガルトの公立劇場専属バレエ団を、世界有数の存在に高めた伝説的振付家ジョン・クランコ(1927〜73)の生涯を描く本作。上映企画時から、Noismの皆さんと、日本唯一の「劇場専属舞踊団」を擁する新潟に暮らす人たちに広く観ていただきたいと願い、今回の試写会を企画した。
16時からの上映を前にNoismメンバーがシネ・ウインドに集まり、ウインド有志で作成した6月からの『私は海をだきしめていたい』巨大ポスターを前に記念撮影。金森さん・井関さん始めメンバーは折々にウインドで映画を観てくださるが、全員がこの場に集う光景には、感慨無量だった。


事前に作品を鑑賞していた私も、皆さんと上映に臨んだが、舞踊映画を超えた本作の力に打ちのめされ、幾度も落涙した。ドイツの地方都市に世界各地からの舞踊家が集い切磋琢磨しつつ、圧倒的な舞台芸術を創造する過程。日本と比して戦争犯罪に向き合っているとされるドイツにもあった歴史修正や差別への怒りを作品に込めるクランコの姿(南アフリカ出身かつユダヤ系である彼の背景もしっかりと描写される)。そして、現役の「シュツットガルト・バレエ団」メンバーが、マルシア・ハイデ始め当時のメンバーを演じ、息遣いや情感まで見せきる舞台シーンの迫真に、この時代に広く届いてほしい傑作映画との思いを再確認した。クランコの「形をなぞるな。舞台を生きろ」という檄や、音楽と心体表現への「祈り」に通じる情熱、マルシア・ハイデ役であるエリサ・バデネスが全身で体現する舞踊家の矜持など、バレエを観たことのない人にも届くであろう。

上映後、熱のこもった場内からは自然と拍手が起こった。世界に誇る舞踊団を擁する新潟に於いてNoismに起こっている苦難に思いを馳せつつも、それを超える舞台芸術の豊かさを皆さんと噛み締めるようだった(不勉強故、クランコが金森さんの恩師イリ・キリアンの恩師であることを、上映後に知った)。

『ジョン・クランコ バレエの革命児』シネ・ウインド上映は5月16日(土)〜6月5日(金)まで。坂口安吾がアジア太平洋戦争直後に書いた檄文「地方文化の確立について」を思わせる本作を、新潟に暮らす皆さまにこそご覧いただきたい。Noismがあるこの街の意味を考えるためにも。

久志田渉(「月刊ウインド編集部」)



「日本」を飛び越える普遍性(『かぐや姫』5/5ソワレ)(サポーター 公演感想)

5月5日(火・祝)、東京バレエ団『かぐや姫』再演の為、東京へ駆けつけた。東京行きを決めたのは直近だったが、夜の部(18時半から)の「パリ・オペラ座公演記念応援シート」席を確保出来た。5月6日をもって長期休館に入る東京文化会館でNoism『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』(18年)を繰り返し観、合間に本郷台地の坂道を歩き倒したことを思い返しつつ、当時のNoism「活動継続」問題と今目の前にある金森穣さんの去就を巡る現実、また「国立劇場」問題にも通ずるこの国の文化軽視・利益至上の風潮を嘆かずにはいられなかった(公演前の東京文化会館前で反戦サイレントスタンディングを開催された方々をお見かけし、「何かプラカードを持ってくれば良かった」と思いつつ)。

夜の部公演前の17時50分からは、金森さんによるプレトークが開催された。『かぐや姫』に当て書きされたかのようなドビュッシーの楽曲に至るまでに多くの日本人作曲家の作品を聴いたこと、「最初はお見合いのようだったけれど、今は専属振付家になった気持ちでいます」と語る東京バレエ団(東バ)との創作、専用スタジオを複数要する東バの環境、舞台美術・衣装など要素を削ぎ落とし、手を加え続けてきた金森版『かぐや姫』の創作過程(この日の昼の部を観て、「あぁ、ここも変えたいけど夜の部には間に合わない」)についてなど。そして、今年末のイタリアでの『かぐや姫』一幕、来年のパリでの全幕公演については、「本当に楽しみ。いつかオーケストラ付き公演も実現したい。その為にも皆さん、今、応援してください」と強調しつつ、「5階席の方も見えますね。最前列の方も5階席の方もこの場で舞台を体験したことは心に刻まれるはず。それこそが舞台芸術の一回性」と語る金森さんの伸びやかな芸術観が印象深かった。

夜の部でかぐや姫を演じたのは足立真里亜さん。21年の第一幕初演時にその溌剌たる姿に心惹かれたが、やっと足立さんによる三幕通しての舞台を観ることが出来た。全身でこの世界を跳躍するような姫に振りかかる男性社会の歪み、奪われる愛(道児と重ね合う手の振りや、抱きしめることの意味の変容)、無常の連鎖の末の「声なき絶叫」、その先にある「無」の非情な救済。幾度となく落涙しつつ、確信に至ったのは、「日本最古の物語」に基づく「国産バレエ」を謳いつつ、金森さんが本作で到達したものは「日本」など軽々と飛び越えて、この世界何処にもある孤独な魂や、権力に尊厳を奪われた人々を包み込む、圧倒的な「普遍性」ではないかと思い至る。日本的情緒を削ぎ落とすように、磨き抜かれていった衣装・装置・振付の無機質でさえある美にこそ、この世に生を受けたあらゆる人々がその思いを仮託できる「余白」が生まれたと思えるのだ。「救いがないことこそ救い」という坂口安吾言うところの「人間の絶対的孤独」と金森さんとの共振を感じたのは、Noismによる安吾作品『私は海をだきしめていたい』舞踊化を控えていることからの牽強付会かもしれないが。

パリ公演に向けて金森さんがこの豊かな余白を、更に拡げていくであろう期待を覚えつつ、幾度も繰り返されたカーテンコールでは汗だくになりながら声援を送った。

(久志田渉 「月刊ウインド」編集部)
(photo by fullmoon)

新潟日報「窓」掲載に至らなかった投稿ですが、それでもお読み頂きたく…(サポーター 投稿)

個人的なことにはなりますが、前年末に金森さんの「退任意向」が報じられて以来、もう心落ち着く日もなく、その穏やかならぬ気持ちを多くの人たちに届けて、共有したいと思い、地元紙・新潟日報の「窓」欄への投稿を続けて参りました。

同投稿欄には、以前、どれもNoismに関して、6回続けて掲載して貰っていましたが、その後、ぱったりとボツ続きに(涙)。しかし、「この一大事にあっては」、そう思って投稿したのですが、掲載に至らず、それがために次々と連続投稿になったような塩梅です…。

掲載されることはなくても、読んで頂きたい思いは変わらずで、そんな折に、fullmoonさんから「サポーターズ・ブログに載せてはどうでしょう?」とのお考えをお聞きしましたので、極めて変則的なかたちにはなりますが、この場をお借りし、「***from SUPPORTERS & READERS」のカテゴリーで、お読み頂くこととしました。暫くお付き合いをお願いし、お読み頂ければと思います。(統一性がとれていないところもありますが、その点はご容赦ください。)

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*2026年1月3日投稿: 「改めてノイズム金森監督の慰留協議を」
昨年末12/29に報じられた「金森さん退任意向」の記事を読んで以来、切ない思いに苛まれている。新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)専属舞踊団「Noism Company Niigata」(ノイズム)の金森監督が1期で退任する意向だというのだ。
刷新された「新レジデンシャル制度」のもと、金森監督とノイズムは国内外から熱い視線を集める圧倒的な舞台を見せ続けているし、当初、課題とされた「市民貢献」の面でも、小学校へのアウトリーチの実施や、ダンス愛好者のみならず、視覚・聴覚障がい者を対象とするワークショップの展開など、他に類を見ない精力的な取り組みを重ねており、もやは新潟市のひとつの「顔」となった感もあるのにだ。
金森監督は退任意向について、4つの点で妥協できないとしているが、どれも、芸術家としての創作活動の根幹に関わるものと、増え続ける事業に応じる必要からくるものであり、至極当然な要求に思える。
新潟市は協議を継続して、金森監督の慰留に全力を挙げて欲しい。

*2026年2月5日投稿: 「ノイズム金森監督の「任期」は新潟市の文化行政の観点で」
年末にノイズム金森監督の「退任意向」が報じられてから色々と考えている。個人的には、国際的な名声を博する一方、多様な市民還元にも努めてきた金森さんの芸術監督継続を望むものだが、ことはそれにとどまらず、芸術監督の任期を1期5年(最長2期10年)とした「レジデンシャル制度」をどう捉えるかは、新潟市の文化行政の在り方を問う側面も大きいように思う。
令和3年の有識者会議において、任期を設けることを妥当とした判断も理解できるが、芸術監督を猫の目のようにくるくる変えてしまう文化行政では機会の公平性は担保されても、市の未来の姿を遠望する視点に欠けており、会議そのものが交替を最適解として前提していたきらいも否めない。
奇しくも金森監督は同年、ノイズムを率いての活動が評価され、紫綬褒章を受章している。そうした名誉に浴する活動の場を用意したのが新潟市なら、その誇らしさを金森監督と共有し、今一度、長期的な観点で市の文化行政に資する新たな解を求めて欲しい。

*2026年2月13日投稿:
昨年末に明らかになったノイズム・金森監督の「退任」意向の流れから、ノイズムのメンバー・スタッフが中原新潟市長に提出していた「要望書」に対して、芸術監督任期の上限は撤廃しない、及び、新潟での活動継続については「ノイズム内で話し合うべき」との回答が届いたと報じられたことに疑問を禁じ得ない。
この間、市長は一貫して「任期」の上限設定については有識者から妥当との見解が示されたことを理由に、「撤廃しない」姿勢を示しているが、果たしてそれのみに過度に固執することが、未来を志向した文化政策として充分なのかという疑問である。
任期に上限を設定することの意味も理解できるが、顕著な活動実績を積み重ねている場合、交代させることのみが「最適解」とは思えない。一期5年(最長二期10年)で交代を繰り返していては、新潟市の未来に「持続可能」で発展的なビジョンなど描きようがないし、描こうとする姿勢そのものの不在が明らかになるだけだ。
制度一期目の今だからこそ、協議を重ね、未来志向の新たな「解」を創り出していって欲しい。

*2026年3月11日投稿(投稿後、2週間が経ち、不掲載と判断):
3/4付け朝刊掲載の「舞踊の十字路(中)」太下義之さんへのインタビューを読んだ。ノイズム芸術監督である金森穣さんの「退任意向」を巡って、新潟市の持続可能な文化政策の在り方を考えるうえで、重要な声と感じた。芸術監督任期に上限を設けることに関して、ノイズムの活動評価に関する有識者会議の座長も務めた太下さんが「任期更新の制限疑問」との見解を示したのは、「有識者会議で妥当とされた」と繰り返す中原市長や新潟市と相容れない内容だったからだ。そもそも有識者会議とは多角的な視点から多様な意見が出る場であり、恣意的に総括することは許されない。「妥当」とされた判断も諸外国や国内の例に照らしてのものに過ぎない。
21年前に前例のない劇場専属舞踊団を抱え、その後の顕著な活動を支えてきた新潟市にあっては、今ここで横並びでしかない「妥当」判断に固執して市の文化の独自性を損なう道を選ぶのではなく、金森さんとノイズムを活かしながら持続可能な文化政策の意義の最大化を目指すのが「文化創造都市」の名に恥じない姿勢ではないか。

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以上となります。お読み頂き、有難うございます。

AIによれば、不掲載となる主な要因には、「紙幅の都合」「内容の重複」「投稿規定違反」「内容の適切性」「情報の鮮度」等があるとのことですが(笑)、ひとえに私の不徳の致すところなのでしょう。

ここに(お恥ずかしながら)「ボツ投稿」をまとめてお読み頂いたもうひとつの理由に、これらがきっかけとなって、この先、生産的なやりとりが生じたり、或いは、お読みになられた方々のなかから、ご自分で投稿することをお考え頂ける方が出てきてくれたりしたら大層嬉しいという思いがありました。

(因みに、新潟日報「窓」欄への投稿はこちらから行えます。)

今はあらゆる手段を排除することなく、声をあげるべき時かと思います。一つひとつは大きな声でなくても、発せられたその声が広がりを、そして力を得ていくことを信じています。後悔したくはありませんし。

最後に、新潟日報さん、この先も益々、新潟の豊かな文化創造に寄与する紙面をお届けください。そしてそのなかに私のNoism投稿も取り上げて頂けたら嬉しく思います。益々精進致しますので、引き続き、よろしくお願い致します、ということで。

(shin)

舞踊の「意義」を、この国は築けるのか? - 「新・柳都会」vol.1(2026/01/24)レポート

1月24日(土)の新潟市は、時ならぬ豪雪に見舞われた。年末のNoism Company Niigata金森穣芸術総監督「退任」報道以降、舞踊団と新潟の文化の未来を思わぬ日は無かったが、同じ思いを抱くであろう方々と、日本舞踊界を牽引する6人が結集した「新・柳都会」にこもった空気には、良い意味で重みと熱を感じずにいられなかった。


りゅーとぴあ・スタジオBの中央に四角く設えられた席には、金森さん、「Dance Company Lasta」櫛田祥光さん、「BATIK」黒田育世さん、「La Danse Comagnie Kaleidoscope / Dance Brick Box」二見一幸さん、「OrganWorks」平原慎太郎さん、「関かおり PUNCTUMUN」関かおりさんの順で坐り、参加者もその四囲の座席で、この濃密な対話を目撃した。

この模様は、後日YouTube(https://youtu.be/b4HN9ekaEEI?si=HGOEbIJQ-_zDWKpq)でも配信される為、対話の細かなニュアンスはそちらを参照していただきたい。だが、金森さんが5人の舞踊団主宰者に問いかける「舞踊団のダンサー・制作担当者の人数」「舞踊家が制作を兼務すること」「稽古場をどのように確保するか?」「舞踊団を作るモチベーション」「定期的に公演する劇場はあるか?」「もし日本の何処かの劇場が、劇場専属舞踊団を募集したら、応募するか?」「舞踊団の拠点を地方に移すか?」といった問いかけと、その返答は、これまで金森さんが指摘してきた、舞踊家が舞踊だけに専念出来ない日本の現状や、東京に一極集中する舞踊界とその要因、Noismという画期的な事例が波及しなかった現実、「公平性」と劇場の平穏な維持を求める行政・公共施設運営側と芸術家との断絶などを改めて突きつけるようだった。決して数値化し得ない、芸術が人の心に深く及ぼす力、言葉で語り得ない舞踊という共通言語で成り立つ舞踊団と観客との豊かな関係性は、6人と聴衆にも共通した認識だが、Noismに通じる「劇場専属舞踊団」が何故他に生まれなかったのか、その複雑な要因もまた浮き彫りにするようだった。

5人のゲストそれぞれの実感に基づく言葉ひとつひとつが刺さったが、ひときわ印象深かったのは、かつてNoismに所属し、新潟でも公演を実施してきた平原慎太郎さんの、師・金森穣に通じる明晰かつ真摯な語りだった。昨年末に表面化した「事件」への悔しさを滲ませつつ、「行政にもダンスが好きな人はいる。ただ、社会や市民の声が届かないと機能不全に陥る。ここに集まってくれた舞踊・芸術を愛する人が何倍にも増えれば、公共も動く」という言に「ただ数を増やすだけでは、大衆的なものがドッと動き、数に踊らされてしまう。数で測り得ないものがある」と返す金森さんのやり取りや、「行政と芸術家の中間に立って、芸術の必要性を伝えられるスポークスマン的存在が必要だ」との指摘など、今回のやりとりの中でもハイライトになっていたように思う。

この国の舞踊始め芸術・文化が、より伸びやかな未来を描く為に、現状を厳しく見つめ直す視座を与えられるようなひと時であり、一連の「事件」を突破する為に何が出来るかを改めて考えている。

久志田渉(安吾の会事務局長、さわさわ会役員)

(photos by aqua & 久志田渉)

【速報】中原八一市長への「質問・要望書」からの、副市長面談について(2026/01/22)

1月5日にNoismサポーターズ、さわさわ会、安吾の会、シネ・ウインド連名で中原八一市長へ提出した「質問・要望書」に関して、新潟市側より面談の機会が設けられました。

1月22日(木)10時より新潟市役所秘書課にて、中原市長は公務の為、欠席。野島晶子副市長にご対応いただき、私たちからは、さわさわ会、シネ・ウインド、安吾の会代表・齋藤正行、Noismサポーターズ事務局長・越野泉、さわさわ会役員、安吾の会事務局長・久志田渉の3名が出席。20分間の予定でしたが、40分近い議論となりました。

野島晶子副市長(左)と齋藤正行

私たちからは、新潟市長・新潟市文化振興財団・有識者、そして金森穣さん出席による公開での対話の機会を求める「新・要望書」を提出。改めてNoism存続に向けた制度の見直しや、22年目を迎えるNoismに限らず、新潟の文化を長い時間軸で見つめていこうと提案。これに対し、野島副市長からは先の「質問・要望書」に関して、「レジデンシャル制度」と金森穣さんとの契約に基づく回答が提示されました(詳細は市からの「回答書」〈画像〉を参照してください)。

中原市長からの「1/22回答書」

面談でのやり取りについて詳細は伏せますが、その後の囲み取材にて齋藤代表が「今回の『事件』が、新潟とその文化を何段もレベルアップさせる契機となってほしい。そしてそこには金森穣という存在が必要だ」と力強く語ったことは特記します。

囲み取材に応じる齋藤正行

何より、22年目を迎えるNoismと彼らを擁する新潟市とが豊かに意見を交わし合い、創造的な未来に至ることを強く祈ります。

(久志田渉)

【追記】

この下には、この日、私たちが新たに提出した「新・要望書」(全文)も併せて掲載しておきますので、そちらも是非、ご覧ください。

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「りゅーとぴあのレジデンシャル制度」と金森芸術監督の「意向」をめぐる要望書

中原八一 新潟市長殿

日頃からの市政への並々ならぬご尽力に重ねて敬意を表します。また、この度はお願いしていた面談の機会を設けて頂いたことに心より感謝申し上げます。

1月5日付けでお送りした「『りゅーとぴあのレジデンシャル制度』に関する金森芸術監督の意向の取り扱いについて(質問および要望)」をお読み頂き、私たちの要望についてはご存知頂けているものと思います。

・金森監督が公開した「任期更新を固辞する理由」(4つ)についての見解。
・昨年12/29に、りゅーとぴあが「お知らせ」として、「金森監督への感謝と、そのレガシーを引き継いでいく決意を込めて」とする踏み込んだ内容の文章を発表したことについての見解。

その後、Noismメンバー・スタッフによる1月12日付け要望書の提出、そして、1月14日の市長定例記者会見があり、この度の面談となりますので、「1/5質問・要望書」に対する回答を頂くだけでなく、私たちが今、求めたい事柄を改めてお伝えしたいと思う次第です。

それは取りも直さず、芸術監督の任期をめぐる協議を継続(或いは再開)することです。
金森監督が提示した4項目(芸術監督任期の上限撤廃及び3つの環境改善の要求)に対して、知恵を出し合い、ここ新潟市での「最適解」を見出すことを意味します。

「1/14市長会見」で、中原市長は「一般論として、制度として不備や足りないところがあれば、見直しもやぶさかではない」と語っています。

そして、金森監督が求める環境整備に関する項目(3つ)に向き合うには、予算の問題も大きく関わってきます。りゅーとぴあ全体の予算が決まっているなか、音楽・演劇・能の各分野との兼ね合いも極めて重要な事柄ですし、現在の「仕組み」の刷新も含めて、ここでも知恵を出し合うことが必要です。

改めて、この4項目について、
有識者、新潟市、新潟市芸術文化振興財団(理事等)、りゅーとぴあ、
そして金森監督も出席しての会議開催を要望いたします。

なお、この会議は公開で開催されることを望みます。

以上、この先も金森監督がいて、Noismがある「他に比類のない」文化が息づく新潟市の継続・発展を求めての要望とさせて頂きます。よろしくお取り計らいくださいますようお願い致します。
また、ご多忙とは存じますが、これ以降も、諸々の進捗状況に応じて、私たちとも引き続き対話の場の設定を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。

令和8年1月22日

 代表団体名:舞踊家 井関佐和子を応援する会「さわさわ会」、シネ・ウインド、安吾の会

住所:新潟市                  代表 齋藤正行             

連絡先:電話          FAX

     メール

NoismサポーターズUnofficial 事務局長(代表) 越野泉

☆☆☆☆☆

以上が、この日、私たちが提出した「新・要望書」となります。
改めて、新潟市の「創造的な未来」を睨みながら、制度の「軌道修正」を含む建設的な協議が行われていくことを願うのみです。

(shin)

濃密な闇に蠢く身体、その光芒(サポーター 公演感想)

2023年5月に富山県黒部市の前沢ガーデンで初演された『セレネ、あるいはマレビトの歌』の衝撃は今なお鮮明だ。野外劇場と芝生の丘の高低差を活かしきる金森穣さんの演出と照明美、アルヴォ・ペルトの身体の奥底に響く楽曲とNoismメンバーとの共振、そして近年の代表作『Fratres』シリーズをまた異なる文脈で作品に盛り込み、「来訪者」「異邦人」への迫害・抑圧を超えた先にある連帯を見出すヒューマニズム。前沢ガーデンという得難い環境と密接に結びついた作品だけに、他の空間での公演は難しいかと思っていたが、今年12月のりゅーとぴあ・劇場公演に加え、鈴木忠志氏率いる「SCOT」のSUMMER SEASON 2025での利賀公演、更にスロベニア公演が発表され、「果たして金森さんはどのように作品を再創造するのか?」と期待が膨らんでいた。

8月29日(金)、列車や新幹線、南砺市利賀村行きのシャトルバス(狭隘な山道を進む故、時折悲鳴を上げつつ)を乗り継ぎ、利賀芸術公園内の茅葺き住宅を改装した「新利賀山房」を目指した。『マレビトの歌』は29、30、31日の3回公演だったが、より多くの方が鑑賞できるよう「一人一回」のみの鑑賞制限があった。りゅーとぴあでの公演まで再び観られないとあって、何時にも増して舞台の一瞬も見逃すまいと、気合を入れて開演を待った。

漆黒の新利賀山房の舞台。今回加えられた井関佐和子さんと山田勇気さんのデュオから、一気に客席の空気が変質し、情感と凄絶さが同居するその身体に引き込まれてゆく。約1時間の公演中、殆ど休むことなく舞い続ける井関さんは勿論、躍進著しい若きNoismメンバーたちの鬼気迫る表情、汗に濡れていく衣装を、手が届くほどの距離で見つめることの得難さ。観客もまた舞台の共犯者であり、それは一瞬の気の緩みで崩壊してしまうことを突きつけてくる。

メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、糸川祐希さんの殺気に溢れる表情と身のこなし、春木有紗さんの目力と透き通るような肢体で見せる舞踊の迫力を特筆したい。

漆黒の空間に置き換えられた『マレビトの歌』は、野外劇場の空間とその広がりとは何もかも違う、より濃密かつ人間の闇とその先にある光芒を見つめる作品に変貌したように思う。「来訪者」と魂を通わせ合う女性たちと、暴力・男権によって支配下に置こうとする男たち、彼らの閉鎖的な集団性を打破する女性たちの連帯。この国に暮らすルーツを異にする人々を排斥する現代に、楔を打つようなヒューマニズムは、より切実なものとして胸に刺さった。

初演時、若干の不満を覚えた終幕も、テンポよく再構成されており、りゅーとぴあでの公演までに更に深化されるだろうと、これもまた楽しみ。
終演後、会場のそこかしこから「凄かった」「緊張した」の声が聞こえたが、Noismと向き合うことは観客それぞれの内奥と対峙することだと、改めて思わされた。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)

彩の国さいたま芸術劇場でのNoism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』初日公演(2025/7/11)に行ってきました。(サポーター 公演感想)

前日(2025/7/10)の大豪雨の効果影響か、道中は大変涼しく、劇場に向かう足どりも心なしか軽やかでした。金森さんの仕業でしょうか(笑)。

いつも楽しみにしている壁面の巨大ポスター、今回はありませんでした。残念…
劇場ビュッフェも営業していました!「コエドビール」が気になる…

客席も平日夜間にしては大分埋まっており安心しました。冬公演(「円環」)からのリピーターもたくさんいらっしゃるのかもしれません。

新潟初日以来の2回目の鑑賞となりますが、2回目にして更に感動しました!
『アルルの女』については金森さんが設定を変えているので、舞台上で起こる出来事をありのまま受け取るのが良いかもしれません。
詳細は観てのお楽しみですが、ひとこと。終盤の「ファランドール」は音楽とのシンクロが笑っちゃうぐらい見事で感動しました!

『ボレロ』も歩みを止めず、徐々に陰を陽に変える力強さが素晴らしいです。過去2回のオーケストラとの共演ではあまり感じませんでしたが、円(卓)を囲んでおどると途端にベジャールぽくなるのが不思議です。

明日、あさってもきっと良い公演となるでしょう。私も最終日に伺う予定です。楽しみにしています!

開場時にはまだ明るかったのに
終演後はすっかり暗くなりました。

(かずぼ)