土曜の夕刻、BSNラジオ「サロン・ド・かおり」に井関さん登場♪

2025年5月31日(土)17:00、地元のBSNラジオで石塚かおりさんがパーソナリティを務める番組「サロン・ド・かおり」のゲストとして、井関佐和子さんが登場され、公演のこと、日頃の過ごし方、身体のメンテナンス等々について、約30分間のやりとりを聞かせてくれました。

「時刻は5時をまわりました。『サロン・ド・かおり』のオープンです。お相手は石塚かおりです。ここは全国で、世界で活躍する様々な皆さまが束の間、翼を休める憩いの場。ラジオをお聴きの皆さまもゆっくりと耳を傾けてくださいね。…」そうした石塚さんの語りから始まる番組は、かつて、JFN系列のFM局で放送されていた人気番組「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー(AVANTI)」を彷彿とさせるような雰囲気の、同じくトーク番組です。

ここでは、主に井関さんが語った内容を中心にほんの少しだけ、かいつまんでご紹介したいと思います。それでは「おふたりの話にさっそく耳を傾けてみるとしましょう」(←「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」風に。)、ってことで。

*「Noism Company Niigataは変わらずに、それでいて進化している」(石塚さん)→「変わらないことの重要性ある。しかし、とどまることは衰退なので、進化し続けるための毎日を過ごしてきた」「年齢と向き合っている時間はない。前を見て、今の身体とどう向き合っていくかを常に考えている。身体的には少し若返ってきている感覚がある」(井関さん)

*20年前(2005年)の井関さんの日記には、「20年後の私はどう考えているんだろう」の記載。Noismが20年続くとは考えていなかった。彼女(20年前の井関さん)に「伝えてあげたいなぁと思って」と。

*この20年間、劇場文化の在り方の「変わらない部分」と相変わらず闘い続けている金森さん。新潟にそれがあればいいということではなく、この国で芸術活動をしている人たちを支える基盤を作っていきたいという思い。

*『アルルの女』/『ボレロ』公演のこと: 全然違う2作品。豊かな時間になると思う。(新潟公演:6/27、28、29。埼玉公演:7/11、12、13。)
・『ボレロ』: コロナ禍の動画版→オーケストラとの舞台版→今回の劇場版へ。金森さんの師・ベジャールさんへの敬意を込めて、オマージュ的なものも含まれている。
・『アルルの女』: 共依存の家族。例えば、「母」(井関さん)が「息子」をハグする場面も多いが、その距離感・間合い・角度で示すものが全然違う。それも観て欲しい。

*舞踊の舞台にはある意味、リアリティは必要ない。瞬間の集中があって、音と空気感で出てしまうもの、それを引き出すのが上手いのが金森さん。

*「ひとつ観て、Noismは知れない、そんな奥の深さがある、それがNoism」(石塚さん)

*公演が近付いてくるなかの井関さんの日常生活のこと:
・無意識ながら、どんどんストレスがかかってきて、背中がガチガチになる。精神とかかわりの大きいという肩甲骨の間の部分がピリピリ硬くなっていく。食べ物・入浴・ストレッチ、より一層注意している。そして健康グッズ(小さなガジェット)が増えていく。最近、ポチッてしまったのが「針がいっぱい出ているマット」、その上に20分くらい寝るとマッサージをしたくらい筋肉が緩んでいくという触れ込みのもの!(まだ届いていないので、試せていない。)身体のため、心のためになるものに手を出してしまう。
・劇場に入っていないときには、基本、スイッチがOFFになっていて、金森さんからは、「省エネモードに入ったね」と言われる。
・食事はグルテンフリーを10年くらいずっと続けていて、「もう戻り方がわからない、怖くて。ずっと続けていくことだろうなと思っている」
・肉・魚・野菜、全部食べる。本番が近くなってくると、時間が限られてきて、自分で作る時間がなくなってしまう。そこで身体によさそうなものを下調べしてネットで購入して、本番までの1,2週間分はストックしている。ちゃんと食べながら、踊りに集中する。
・サプリメントも何種類も摂っているほか、ここ数年、毎朝、一番最初に飲んでいるのは酵母。あったかいお湯に溶いて飲んでいる。
・それらは全部、佐和子さん発信で、金森さんも気に入ると続けている。
・野菜は、「週1」で地場産のものを売っているところで、大量買いしている。

*今年、21年目のNoism Company Niigata:
5月に黒部の屋外公演、6・7月・『アルルの女』/『ボレロ』公演、8月・利賀村での公演、9月・サラダ音楽祭、そして、10月に久し振りの海外・スロベニア公演と目白押し。通常の夏休みはなく、海外公演後に、「秋休み」となる予定。

*井関さんからのメッセージ: 今回の公演は『アルルの女』と『ボレロ』、全然違う作品を一晩で楽しめる機会。「Noismって、こういう感じもあるんだ」と発見もして貰える筈。是非、劇場に足を運んで、生の舞台を観て欲しい。

「ちょっと暫く佐和子さんにお会いしてない時間が開いちゃったので、次はあまり開けないうちにお目にかかりたいと思います。井関佐和子さんでした。どうも有難うございました」「『サロン・ド・かおり』、それでは来週も土曜日の夕方5時にご来店をお待ちしています。『サロン・ド・かおり』、お相手は石塚かおりでした」とそんなふうに締め括られていきました…。

気心が知れた旧知のふたりといった感じで、終始、リラックスした雰囲気のなか、井関さんのことをあれこれ知れる、約30分間のやりとりでした。同時に、聴いていると、やはりこの先のNoismの公演への期待感がずんずん高まってきました。radikoでは明日の夕方くらいまでは聴ける様子かと思いますので、興味のある方はとり急ぎ、radikoへ。

(shin)

暗闇の先の光芒(サポーター 公演感想)

「黒部シアター2025春」でのNoism Company Niigata『めまい − 死者の中から』を、5月17日(土)、18日(日)の両日鑑賞した。

昨年8月「SCOT SUMMER SEASON 2024」での初演時、アルフレッド・ヒッチコックの大傑作映画や、ボアロー&ナルスジャックによる原作『死者の中から』に基づく金森穣演出と舞踊家達の気迫が、新利賀山房の漆黒の空間に炸裂し圧倒されたことは記憶に新しい。先日、りゅーとぴあ・スタジオBで開催された活動支援会員向けリハーサルでの通し稽古では、会場となる前沢ガーデン野外ステージを想定しての空間を広々と使った構成の変化や、バーナード・ハーマンの楽曲と舞踊とのシンクロの深化、更に「探偵」役・糸川祐希さんの表情・身振りの躍進に唸り、リハーサル後にバッタリ遭遇した金森さんに感想を伝えたところ、嬉しげに「金森作品は何度も観てもらうことで理解が深まりますから」と返してくれたものだ。

今回の黒部シアター公演は、当初雨天が予想され、刻々と変化する天気予報を直前まで追い続けたが、両日共に雨は降ることなく、安堵する思いだった。18日(日)も、16時発の会場行きシャトルバスに乗り込み、開演までの約2時間半を胸高鳴らせつつ過ごした。前沢ガーデンゲストハウスでは、金森さんが旧知と思しき方々と歓談しており、私もご挨拶。更に鈴木忠志氏始めSCOTメンバー、浅海侑加さんや準メンバー、金森さんのご両親もお見かけした。ゲストハウス二階のSCOTに関する展示コーナーでは、23・24年のNoism公演全編が上映されており、改めて前沢ガーデン野外ステージを活かしきった舞踊作品の凄みに気付かされる。

19時の開演直前、利賀新山房では板付きだった井関佐和子さんの「女優」が舞台下手から登場し、虚無とも蠱惑的とも見える表情で中空を見つめる。その視線を見つめ返すことに恐ろしささえ覚えつつ、定刻に舞台は始まった。

「女優」と「亡霊」、横暴な「男Ⅰ」・「男Ⅱ」、「双子」、更に分裂する机や椅子。いくつもの「相似」するイメージに加え、野外ステージ背後の小高い丘を照らす紫の照明と、幻のようにその頂から現れる「亡霊」には、彼岸の光景が現前に現出するようで、感涙を禁じ得なかった。舞踊家の身体とバーナード・ハーマンの楽曲、小道具、照明がピシリと噛み合う舞台には、ヒッチコック作品冒頭のソール・バスによるタイトルバックにも通じる洗練を感じ、ため息さえ漏れた。

関東から来られたNoismファンの方々とも感想が一致したのが、舞台終盤「金髪」に妄執する「探偵」を襲うブロンドの鬘をまとった男女の場面の凄まじさだ。眼前の女性ではなく、「概念」に囚われた男の脆さを突き付けるエログロを視覚化する金森演出に、初期Noism作品の性と暴力のニュアンスを懐かしく想起させられた。

照明も相まってその透き通るような白い肌から醸されるエロスと、妖艶と冷徹を自在に往来する表情で、「男から求められるものを演じる女優」を体現しきる井関佐和子さんに魅了されたのは勿論だが、やはり糸川祐希さんの「探偵」の迫真は今回の公演の収穫だろう。堂々と井関さんに対峙しつつ、終盤「事の真相」が明かされた後の後悔・憤り・慟哭を全身で表現する糸川さんの演技には思わず落涙した。

18日(日)公演では、これまで「亡霊」(映画版のカルロッタ)を演じてきた三好綾音さんに代わって、兼述育見さんがダブルキャストで登場したが、三好さんとはまた違う伸びやかさと儚さで、冥界の存在を見せていた。

改めて思うのは人間の心の闇や脆さを直視し、芸術作品に昇華仕切るNoismと金森穣作品の得難さだ。社会に厳然としてある「不条理」を無きことにし、「明快さ」だけを求める現代社会に疲弊している者は、筆者だけではないだろう。人間の底知れない暗部を苛烈なまでに見つめ、其処に美と光明を見出す芸術の力に、生きる糧を与えられるようであった。

終演後、舞台に立った金森さんは「今日も空席が目立ったのは、私の未熟さ。見巧者とされる人から評価を得ても、それがより広く届かないことは課題」としつつも、師匠・鈴木忠志氏のSCOTや黒部シアターへの敬意、今年10月のスロベニア公演など「世界へ向けた闘い」を力強く語り、大きな拍手が巻き起こった。

これからの利賀や黒部での公演は勿論、Noismの「闘い」を応援し続ける為に、観客である私もまた新たな闘志を授けられたように思う。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)

「黒部シアター2025春」、前沢ガーデン屋外ステージで観た『めまい ― 死者の中から』初日公演に痺れる♪

2025年5月17日(土)、朝に雨が降り、風も吹く新潟市を出発して、『めまい - 死者の中から』が上演される富山県黒部市の前沢ガーデンを目指して、車を走らせました。富山県に入ると、やや天気は好転したものの、時折、強風に煽られて叩きつける雨粒に屋外ステージでの公演のことを案じたりもしていました。それでも、受付が始まる夕方迄には雨はすっかりあがり、心配は杞憂に終わって、胸をなで下ろしたような塩梅でした。

昨年8月(SCOT SUMMER SEASON 2024)に利賀村は新戸賀山房でその初演を観た金森さんの『めまい』は、ヒッチコックの同名映画(そこにはサンフランシスコの街路や金門橋といった「抜け感」のある「屋外」シーンもあるにはあるのですが、)同様に、「密室」での奸計、謀略の色彩が濃厚でしたから、黒く太い角柱が死角を産み、影と光のコントラストが強烈な印象を残すその山房のために創作された作品という印象が強く、「まさか、屋外で!?」「一体どうなるのだろう!?」と強く興味を掻き立てられたのは、私だけではなかった筈です。

18:40に整列して、円形の屋外の円形ステージ客席に移動し、腰を下ろすと、もう開演時間です。舞台下手(しもて)側から毛皮を纏った井関さん〈女優〉が姿を現すと、舞台中央に置かれた机と椅子に向けてゆっくりと歩みを進めます。腰掛けた井関さん、瞬きも身じろぎもせず、その右手は、後ほど登場する三好さん〈亡霊〉と同じポジションです。井関さんはまったくの不動なのですが、そこは屋外、そよぐ風が井関さんの衣裳の脚部を揺らしています。そこに山田勇気さん〈男Ⅰ〉がやはり下手(しもて)より登場して、物語が動き出します…。

舞台の奥に広がる「借景」(金森さん)は緑の丘。その手前、舞台との境界には赤いチューリップの花が一列に配され、此岸と彼岸を画するのか、それとも繋ぐのか。気付くと、丘をゆるやかに移動する薄青色の三好さんの姿。見るからに彼岸、或いは冥界。雰囲気たっぷりです。

そしてその丘。冒頭、その斜面にはこれも下手(しもて)側から赤紫の照明が放たれて縞模様を描いています。不穏な印象を掻き立てられるのは、無論、「横縞」と「邪」の濁点の有無という音の近似性からではなくて、自然に対して人為的になされた「装い」(照明)が「偽り」の性格を帯びてしまうことの故かと。

そうです。この作品のそこここで目に飛び込んで来るのは、まさしく、偽って装うことであり、それと絡む夥しい二重性、そして反復の禍々しさなのです。見詰めることになるのは巧みに仕組まれた「犯罪」。偽って装うことそのものです。

対して、対極には自ら装うことなく、ただある自然。例えば、晴れること、或いは、雨が降ること、風が吹くこと等々を含めて、一切装わず、単純で揺るがないもの。自然のそうした側面は、今作に先立つ屋外上演の『セレネ』2作にあって、「悠久」といったものへと拡大していくベクトルが濃厚だったのに対して、今回の『めまい』においては、人の奸計や謀略といったもののスケールの卑小さを際立たせ、強調していくように映じます。その意味で、この『めまい』における自然は、巧緻にあの「犯罪」が仕組まれる「密室」、或いは「閉鎖性」を浮かび上がらせて余りあるもの、そんなふうに言えようかと思います。何という逆説でしょう!痺れてしまいました。そしてそれはまた、井関さん、山田さん、そして糸川さん〈探偵〉をはじめ、出演した9人揃っての息のあった、一分の隙もない熱演あって初めて細部まで鮮明に可視化されるものであることも言を俟たないことでしょう。異様な緊迫感を湛えた約一時間の舞台、その見事だったこと!ここまでそれに触れずに書き進めてきたことの非礼はお詫びするより他にありません。本当にすみません、と。

雨上がりの湿気が照明を燻らせ、「犯罪」や「悲劇」を恐ろしいほどまでに美しく呑み込んでいきました。嘲笑いでもするかのように泰然と。立ち竦むしかない探偵…。

終演後、昨年と同様に、黒部舞台芸術鑑賞会実行委員会・堀内会長が舞台にあがり、「委員長としての一番の仕事は天気が晴れるよう祈ること」とのつかみで笑いをとって語り始めると、「この環境で、同じ風を感じながら舞台を観たことは素晴らしいことだった」とこの日の舞台の感想を語りました。

その後、堀内会長に促されて、金森さんが今年も登壇。2年前に同じ前沢ガーデン屋外の円形ステージで発表した『セレネ、あるいはマレビトの歌』をもって、5ヶ月後にスロベニアへ行く予定があり、「黒部から世界へ」の一歩を確かに刻めることや、今年50周年を迎えるSCOTの「聖地」利賀村、今年もそこでNoismの公演も予定されていることなどを紹介すると、その都度、客席から大きな拍手が湧き起こります。更に、緑の「借景」を背景とする今回の『めまい』について、昨年の新戸賀山房でのそれとは「こうも違うものか!」との印象を持って貰えたものと思うとも話されました。そして「まだまだこのへんに空席があるので、明日もまた足を運んで欲しい。当日券もあります」と(ユーモラスかつシリアスに)付け加えることも忘れなかった金森さんです。

まず亡霊が、次いで女優も手にし、探偵が翻弄されていく赤いチューリップ。割りと健康的なイメージのある花ですが、「鬱金香(うっこんこう)」と漢字表記にしてみると、途端に、金森版『めまい』において説話論的機能を担った、「メタフォリカル(隠喩的)」な空気感を芬々(ふんぷん)と漂わせ始めるように思います。そして更に、その花、舞台上、彼岸と此岸を越境し、「犯罪」に絡んで、あたかも愛憎をともに起動する装置のように、手から手へ移動しただけでは足りずに、舞台を離れては、奇しくも富山と新潟とがそれぞれにその「県花」としていたりするものでもあります。そこにもまたひとつ二重性が認められること。そんな細部、果たして偶然なのでしょうか。

まだまだ刮目され、読み解かれることを待つ細部に溢れた『めまい ― 死者の中から』。(個人的には、特に前半部分、そんなふうに感じます。)観終えて後、今もなお、痺れています。そして同時に渇望してもいます。もっともっと繰り返して観る機会に恵まれることを。

(shin)