公開リハーサルが始まる15分前に劇場に到着すると、ホワイエには沢山の報道陣が囲み取材の準備をしていました。かつてないほどの多さに戸惑いつつ、開場を待ちました。


本日(2026年6月19日)は『私は海をだきしめていたい』の通しリハーサルを見せていただけるとのこと。定刻時間、衣装を着けた舞踊家達が舞台上で動きを確認するなか、劇場後方に案内されました。先ず目に入ってきたのは女性舞踊家の赤いドレス。その赤は白い肌に重なりとても美しく、瞬時に惹きつけられました。男性舞踊家の衣装は黒、床のリノリウムは白だったので、よりその美しい赤が際立ちます。その魅力はリハーサルが始まると、舞踊家達の見事な身体表現と共に加速していきます。動きに合わせて表情ゆたかに揺れる赤いドレスは、この物語の言葉に出来ない心情を掻き立ててくるものがありました。




















登場人物は、一人の男と女。それを複数の舞踊家たちが表現していきます。リハーサル中、金森さんが「一人の男の様々な側面を表現しているのだから…」と伝えます。その場面の“複数”の男性舞踊家は1人の男の異なる側面であり、ほんの少しの動きで「別の人間になってしまう」という指摘がありました。そこから動きの微細な修正。その修正後には、先程とは見え方、見ている側の感じ方までもが変わります。また、表情や内面の在り方について「浴びて! 浴びているものが途切れるから倒れる!」と指摘する場面。それによって舞踊家の表情や身体から発するものが変わります。「ああ!これが公開リハーサルの醍醐味!」と心の中で叫び、心が踊りました。
公開リハーサルの間、金森さんが全体を見て振りの細かなニュアンスや振り一つひとつをどう活かしていくのかをアドバイスし、井関さんが舞踊家に振付の具体的なアドバイスをしていく作業を見ながら、ひとつの舞踊団としての共通言語があるからこその修正の素早さ、的確さがあることを実感しました。
(公開リハーサル前に金森さんと井関さんはリハーサルを終えたとのことで、本番ではお二人とも出演とのことですのでご心配なく。)
『春の祭典』は先般の黒部公演で拝見したのですが、今のNoism、本当にひとり1人の舞踊家達のレベル、状態、魅力が見るごとに増していっていると感じます。今回の『私は海をだきしめていたい』でも、その魅力と輝きは爆発的にアップしていました。見逃したら損しちゃいます。今回は、全4回公演、土日で月またぎで開催されます。お見逃しなく♪
それでは、囲み取材での質疑応答についてお伝え致します。





-『私は海をだきしめていたい』この作品に込めた思いは
金森さん: 坂口安吾という作家は勿論知っていたし、作品もいくつか読んでいたが、安吾の小説を題材として作品を創ることになるとは思っていなかった。「安吾の会」から依頼を受けて、今回こういうかたちで創ることになったことを嬉しく思うし、新潟の方には是非観ていただきたい。
-安吾への印象
金森さん: 色々なタイプの芸術家がいると思うが、ある特定の精神性を持ち、芸術作品に自らが書いていたものと私生活=どうやって生きるかということをなかなか分離しがたく、密接に結びつく強度が強い芸術家というのがいる。サティと安吾というのは、それに属する芸術家だと思っている。私自身、芸術家の端くれとして常に自分の中の芸術性というものと、日常との折り合いをつけながらやっている。安吾の芸術家としての生き方に憧れるというのはあるが、現実的には難しいという思いがある。自分の人間性に照らし合わせるとこういう生き方は出来ないなと思うと、大先輩の芸術家へのアイロニックな感情を持ちますね。
-「安吾生誕120年」という節目に作品を創るということについて
金森さん: 先に話した通り、「安吾の会」の皆さんからお声掛けいただかなければ、なかなか自分からは歩み寄っていくイメージがなかった。本はいくつも読んだが、舞踊化できないと思っていた。ただ今回、お話を頂いてから改めて安吾の小説を出来るだけ多く読んだり、安吾について色々調べていくなかで、安吾が心酔した音楽家のサティという存在があったことを知った。私の作品創作においては、音楽が一番大事で、どの小説であれ音楽が決まらないと創作出来ないと思っていたので、安吾とサティの世界観から「これでいける!」と思った。
-作品のテーマや赤と黒の衣装など、観客の皆さんにどんな想いを感じて欲しいか
金森さん: この小説の登場人物は一人の男と一人の女だけであり、男の中の多面性とか、女の中の多様性みたいなものが主題になっている。安吾の作品には常に付き纏う“孤独”とか“不安”というものが随所に散りばめられていると感じている。色味の世界観としては、今回エリック・サティの世界観や精神性も安吾と拮抗するかたちで用いている。男性の衣装のハットや傘は完全にサティの世界観。
-作品の中でハットを男女で取ったり、被せたりといった場面があったが、どういった意図があるのか
金森さん: その解釈については自由でいいというか、あまり限定したくない。我々がやっていることは非言語の表現なので、抽象的であることによって解り難いとか一般性がないと思われがちだが、実は言語化さて具体化されるものほど、人と人との溝を生むし、軋轢を生む。こういう抽象化された音楽であったり、舞踊だったり、一概にこういうことを言っていると言えないものと向き合った時に自らの感受性を基に自由に発想するとか、それを基に他者と会話するとかがすごく大事だと思うし、それが芸術の役割だと思う。なので、自由に解釈してくれると嬉しい。
-リハーサル中、「もう一人の男と言えども同じ男」という言葉を伝えていました。そういうことを始めとしてこの作品に込められたテーマはあるか
金森さん: ひとりの人間の中には様々な側面がある。対象や環境が変わると別な側面が見えてしまうこともある。それが人間だと思う。この人はこういう人だとか、一概に言えない。この人がこういう人だと決めつけてしまうことの暴力性みたいなものがある。安吾やサティはそれに対してすごく敏感なふたりであると思う。だからこそ、ある種の堕落性とかある種の負の感情を抱くということも肯定するべきであるのは、それが人間の本質であるからという世界感。そこを踏まえた上で舞踊化するときに、一人の男、一人の女が分裂したような構成を取ることで、一人の男、一人の女の多様性というものを群像劇的に展開できると思った。
テーマを上げるとしたら「繰り返す」。サティの音楽も繰り返しが多い。安吾も然り。とても飛躍した言い方をすると「人間、同じことを繰り返すよね…社会も同じことを繰り返すよね…」
-改訂版『春の祭典』ということで、このタイミングでの再演の意図
金森さん: 作品が再演できるということは、振付家にとって大変嬉しいこと。常に完成はない。公演をする度に作品のここをもっとこうしたいという思いを抱くのが振付家だと思うので、今回の改訂にあたっては出演人数を減らして、演出もシンプルにして、その分“音楽と身体”という舞踊の根源に迫るもっと強度のあるものに出来上がっている。再演を決めたのはこちら(井関さん)です。
井関さん: 『春の祭典』ではNoismならではの集団の強さをお客さんに是非、感じて欲しい。改訂版は人数を減らしたことや舞台美術もシンプルにしたことによって、ほんとにNoismらしさ全開な作品になったと思う。“身体そこに在りき”というものになった。音楽も有名なものですし、Noismを観たことのない方でも、そのエネルギーを劇場で直に見るという体感は、満足してもらえるものだと思うので、是非観ていただきたい。
-Noismがレジデンシャル制度としては終了と発表され、ダンサーの皆さんはどのような思いでこの公演を迎えているのか
井関さん: 年明けから色々あり、様々な気持ちになったと思う。彼らの年齢で、なかなか経験出来ないことを経験して大変だったと思うが、それが血肉になっているのをすごく感じる。りゅーとぴあでは、あと3プロダクションで終わるというのが分かっているからこそ、この空間で舞台稽古が出来ることの有難みとか様々なことを再認識していると思う。それは慣れてきていたりすると感じ難いことなので、そういう意味では毎日を大切にしながら過ごしているなと感じている。Noismとしての強度が上がってきているなと感じる。
-半年色々あったなかで、おふたり(金森さん、井関さん)は、どんな思いで定期公演を迎えたのか
井関さん: もうほんとに色々ありすぎて、本当に半年だったのかなと思うほどだったが、この公演を始める前に穣さんが「Noismは継続します」という事を発表できたのは大きかったと思っている。メンバー、スタッフ、応援してくださる方々にとって、どうなるか分からない未来だったが、そのたった一言がすごく大きな希望を与えたと思うし、自分自身も今は前を向いて希望を持って見えてきているものがあり、それをどう実現していくかということに思いが向いているので、今回の公演をこれくらいポジティブな気持ちで迎えられていることがすごく嬉しいです。
-色々なことがあり、環境についてこれまで言葉で伝えてきた訳だが、いよいよ作品で伝えられると思うことは何かあるか
金森さん: それに関しては、「絶対的に自信があるので是非、観て欲しい」としか言いようがないし、そのクオリティを揺るがなく維持するために、みんなでこの怒涛の五ヶ月の間も立ち止まらずに稽古は続けてきたので、その成果を是非観てほしいと思います。
-「X」で「Noismは終わらない」と書いていたが、その辺の思いや今後について
金森さん: いたって前向きに来年の夏以降もNoismは続けていこうと思っている。支援者や協力者の方達の協力を仰ぎながら、先ずは拠点をどこに定めるかを決めていき、整備し、活動を続けていきたいと思っている。りゅーとぴあでの活動を終えると縮小してしまうとか立ち行かなくなってしまうというような懸念は全く無い。我々は活動を続けるし、我々が生きている限り芸術活動を続けていく。それに賛同してくれる若者たちがいれば、是非一緒にやりたいと思うし、それに賛同するスタッフがいれば、是非協力して欲しい。何かの終わりではない。次への始まりだと思っている。



以上です。ぜひぜひ、お見逃しなく!
(aco)
(photos by aqua)











この256mm×182mmの小さな紙片から、

