皆さま、先月末(7/31)に金森さんがXで呟いていましたが、鈴木忠志さんを特集した岩波書店「思想」(2024年第8号)はもうお手にとられましたでしょうか。「SCOT SUMMER SEASON 2024」をすぐすぐに控えたこの時期に、「知」のあり方を問い、超絶硬派、ハイブローで知られる「あの」雑誌が組んだ鈴木忠志さん特集。そこに金森さんも寄稿されておられるのです。そんなことでもなければ、私にとってはなかなか手に取ることもない雑誌なのですが(汗)。
ですが、ですが、金森さんにとって、モーリス・ベジャール、イリ・キリアンと並んで、「師」と仰ぐ3人目、鈴木忠志さんの特集ですから、金森さんが寄せた9頁分の文章「過剰の思想」には、鈴木さんに寄せる金森さんの思いの熱さが溢れていて、読み応え満点なのです。
2023年の自著『闘う舞踊団』(夕書房)においても、第Ⅱ部の「6.Noismの身体性を模索する」と題された章で、「鈴木忠志の衝撃」として記されていた内容と重なるものではありますが、今回の「思想」誌においては、いつも通りの切れ味鋭い明晰な文章に溢れんばかりの敬慕の念を込めて、「師」の存在を知った際のその「衝撃」が、更に、既に自らと同じ「闘い」を経験し、紛れもなくこの国の文化シーンにおいて変革を成し遂げた道程への「驚愕」が綴られていくのです。そしてそれは恐らく、自らを照らす「希望」の光としても。
で、誠に恐縮なのですが、ちょっと私自身のことを書かせていただきます。利賀には『still / speed / silence』(2019)を観に行ったことがあり、今月の『めまい』も観に行くことにしていますが、未だ鈴木忠志さんの作品は観たことがない私です。そしてこの「思想」誌についても、ここまでに読んだ部分もまだまだ少ないのですが、頁を繰っているだけで、今回の利賀行を『めまい』だけにしたことを少し後悔する気持ちも湧いてくるほどです。その裏には、巻頭の「思想の言葉」で、柄谷行人さんの「鈴木忠志と『劇的なるもの』」なる文章が読めてしまうこともあるかもしれません。若かった頃、彼の『マルクスその可能性の中心』や『探究Ⅰ』『探究Ⅱ』『内省と遡行』などを心躍らせて読み、彼が、書かれたもの(エクリチュール)をその他多くの作品たちと呼び交わすような開かれた「読み」の相において捉え、原テキストからは想像もつかないような途方もない豊かな「読み」の可能性を引き出してしまうその精緻な手捌きに大いに刺激を受けたからです。でも、そうした「間テクスト性(アンテルテクスチュアリテ)」こそ、金森さんとNoismの舞踊にも大いに見出せる要素ではないかと思ったりもして、さきの「後悔」にも繋がるのです。
私事はそれくらいにして、金森さんが同誌に寄せた文章に戻ります。その分量にして9頁の「過剰の思想」ですが、綴られた鈴木忠志さんへの敬慕は、その奥に、金森さん自身を取り巻くこの国の状況とそれに関する金森さんの問題意識を読むことができるものでもあります。その意味からも必読の文章と言えるでしょう。まだ手にとられていない方も勇気を出して(笑)、是非!
(shin)
shinさま
ありがとうございました!
まさに「あの」雑誌!(汗)
「思想」は取り寄せて昨日やっと届き、金森さんの「過剰の思想」だけ読んだばかりです。凄い文章に興奮しました!
グッドタイミングでshinさんがブログアップしてくれてうれしいです♪
鈴木忠志あってこその金森穣&Noismメソッド!
「メソッドの開発とは集団としての活動指針を持つことであり、その確立は文化の創造に他ならない」
「芸術活動の理念は社会変革にある」等等々々
刺激的な文言に満ちた「過剰の思想」、
あの金森さんが師と仰ぐだけあります。
ぜひお読みください!
(fullmoon)
fullmoon さま
コメント有難うございます。
限りなく素っ気ない表紙の「あの」雑誌ですが…
「過剰の思想」、ホントに私もゾクゾクしながら読みました。
その文章からは、金森さんから鈴木さんへの敬慕が、火傷するほどの、それこそ“過剰な”とも感じられるほどの熱として読み取れたからです。(とすれば、擬音としては「ゾクゾク」はミスマッチかもしれませんが、確かに「ゾクゾク」って感じがしていたのでした。)
「帰国以降、舞台関係者の口から一度も利賀や鈴木の名前を聞いたことがなかったという現実に、私は愕然とした」(金森さん)という、数十年も前に同じ状況・同じ問題と格闘していた唯一の先人との「邂逅」、その驚き。そしてそこから今日まで続く敬慕。
「舞踊家である金森穣が、なぜ演劇の鈴木忠志を師と仰ぐのか」、金森さんは明晰でいながら、なおかつ発火しそうなほどの熱をもった文章で、余す所なく書き記してくれています。
必読でしかありませんね。
(shin)