20周年記念公演「Amomentof」記者発表に出席してきました♪

2024年4月19日(金)の新潟市は、雨こそ落ちてはこないものの曇天そのもので、薄着では肌寒く感じられるような一日でした。そんなお昼の時間帯(12:00~13:00)に、りゅーとぴあの〈スタジオA〉で開かれたNoism Company Niigata 20周年記念公演「Amomentof」の記者発表に出席してきました。

Noismの出席者は金森さん、井関さん、山田さん、そしてその後ろにNoism1及びNoism2全員の総勢25名。揃って居並ぶ様子は壮観でした。この日の会場には県内マスコミ各社が駆けつけていたほか、オンラインで約20社ほどの参加があったとのことです。
ここではその記者発表での様子についてご報告いたします。

☆井関佐和子さん(Noism 国際活動部門芸術監督): 今回の公演の意図と経緯
・新作2本(『Amomentof』『セレネ、あるいは黄昏の歌』)を上演。
・演出振付家の金森に依頼するにあたって、20年を通過点とみて、「蓄積」(=今までのもの)ではなく、飛躍のためにも、「蓄積」の次の一歩を、と思った。
・演出振付家への信頼、メンバーへの信頼とともに、観客への信頼がある。「次は何を作るんだろう」「それに観客はどう反応するんだろう」→金森には「何もテーマを決めることなく、今、現時点で作りたいものを作って欲しい」と依頼。→作品はほぼ仕上がりつつあるが、「20周年記念」に相応しいものになったと思っている。

★金森穣さん(Noism 芸術総監督): 今回の演出振付作品について
・芸術家は何もテーマがないところから創作は出来ない。必ず、そこには対象がある。
・『Amomentof』の対象は井関佐和子。その身体のなかにNoismの歴史がある。そしてマーラーの交響曲第3番第6楽章から感じる「舞踊とは何か」を井関佐和子という舞踊家を通して顕現させたいと思った。
・『セレネ、あるいは黄昏の歌』に関しては、現代の科学技術の進歩の恩恵は計り知れないが、それによって脅かされているもの、失われていくもの、忘れられているものがある。再び忘れてはならないものに向き合うきっかけを与えるものが芸術のひとつの力と考えている。「人間とは何か」ということを軸に集団として表現したい。また、『Amomentof』とも共通して、Noismとして蓄積してきた身体性が総動員されている。春夏秋冬、異なる身体性で創作している。

☆山田勇気さん(Noism 地域活動部門芸術監督): Noism2メンバー出演に関して
・研修生カンパニーNoism2は2009年に発足。地域の学校公演、地域のイヴェント等で活動している。今回は『Amomentof』に出演する。
・カンパニー全体としての層の厚さ、空間的な広がり、奥行き等を表現出来たら嬉しい。
・次の5年、次の10年、次の20年に向けて鼓舞したり、希望となるような公演にしたい。

★質疑応答:
【Q1】20周年を迎えてどんな思いか?
 -金森さん: 「A moment」、一瞬だった。20回、循環する四季の巡りを体験してきたが、ひとつとして同じ季節はなかった。時間の蓄積と多様性が大きな変化。20年ということに「節目」感はない。裏を返せば、毎日が節目。
 -井関さん: 現時点では、一瞬といえば一瞬だが、いろんな道のりがあった。この20年の歩みのなかで、この道しか自分を生かす道はないなと思った。この道を歩くというのをこの20年で定めた。

【Q2】公演に向けてここからどう進めていくのか?
 -金森さん: 作品としてラフスケッチは出来たが、更に練って練って試行錯誤。舞踊家の身体に入れていく。演出という行為は、そこにある空間・もの・気配などを活かすことではなくて、変容させること。それは振付も同様。舞踊家が変容していくさま。無自覚で潜在的な能力や才能、輝きみたいなものを引き出すために振付はある。そのためには時間もエネルギーも必要。我々のこのような環境でなければ辿り着けないもの。Noismにおける金森穣の舞台芸術は、金森穣のアイディア、コンセプトに基づいて生まれるものではあるが、ひとり残らず、参加するNoismの実演家たちによって生み出されるもの。そうした実演のされ方が重要。
 「どれだけの時間をかけてきたんだ、この人たちは」といったものを我々の舞台を通して感じて貰えるようでなければ、Noismとしての存在意義はないと思う。

【Q3】「一瞬の」と読める作品、もう少し説明して貰えないか?
 -金森さん: 20年前からずっとNoismを追ってくれている人たちにとっては涙がとまらないような作品になるかもしれない。極めて具体的にNoismの20年を想起させる演出をしている。一方、初めてNoismを観る人にとっても、舞踊芸術への昇華ぶりを目の当たりにして感動して貰える作品にしたい。

【Q4】改めて今、金森さんにとって、「舞踊とは何か」を聞かせて欲しい。
 -金森さん: 詩や音楽やあらゆる文化・芸術が生み出される前に、そして、我々が身体をもって生まれる限りにおいて、そこには既に舞踊がある。それだけ根源的な芸術こそが、「人間とは何か」を表現するのに最も相応しい、それが私の舞踊観。「人間とは何か」の問いは、どれだけ時代が変わり、社会が変容し、技術が発展したとしても問われ続けていくこと。そうした舞台芸術を新潟市という一地方自治体が文化政策として掲げていることの価値や意義には大きなものがある。生涯、命が尽きるまで舞踊と向き合っていく。「私を見てください。それが舞踊です」

【Q5】(メンバーへの質問)「20年」の歴史の節目に立ち会っている思いと公演への意気込みを聞かせて欲しい。
 -Noism1・三好さん(井関さんからの指名による): これまでの様々な人の顔が思い浮かび、プレッシャーに感じることもあるが、この一瞬にどれだけ同じような愛情を注げるか。今、自分が日本の劇場で働けていることは誇り。海外への憧れよりも、もっと素敵な「夢」を20年かけて作ってきてくれたという思いをのせて公演をよいものにしたい。

【Q6】ファンの人たちへの思いは?
 -金森さん: 感謝しかない。感謝という言葉では足りない。見て貰えなければ成立しないものだから。ただ、その人たちのためにやっているのではない。そのあわいを失すると芸術家として死んでしまう。物凄い感謝を感じつつ、背を向ける。その背中で愛を感じて欲しい。
 今、私が思っている未来は、このふたつの作品に全て込めている、それが今、演出家として言える全て。

【Q7】舞踊家・井関さんのどこに創作の源泉を感じるのか?
 -金森さん: 一舞踊家として様々な要素があるが、何より生き様とか献身する姿。これだけ舞踊芸術を信じ、献身する舞踊家を見て触発されない演出振付家はいないだろう。

【Q8】『セレネ』に関して、前作と今回作との関係性は?
 -金森さん: どちらも「セレネ」という役が出て来ること、イメージ的には前回は黒が基調の世界観に対して、今回は白と反転。(井関さんからの囁きがあって、)共通するのは儀式性。 

【Q9】『セレネ、あるいは黄昏の歌』、ヴィヴァルディを選んだ理由は?
 -金森さん: 四季の巡りのテーマからリサーチをした。最初にヒットしたのがヴィヴァルディだったが、「これは作品化できないなぁ」と思って、更にリサーチして、マックス・リヒターの編曲版と出会い、「これはいける」と感じた。
そのふたつの『四季』に関して、「何故この音楽には舞台空間が見えて、何故この音楽には見えないか」は本質的な問い。「この(創造の)能力は果たして何なのか、どこから来ているのか」、答えられる者はどこにもいないと思う。「見えた」ということ。

【Q10】井関さんの身体に蓄積された年月というアプローチには『夏の名残のバラ』もあったが、今回との違いなどあれば聞きたい
 -金森さん: そこは私の魂の同じ箇所から出てきている。過去作のなかで類似するものがあるとすれば、『夏の名残のバラ』だと昨日あたりから考えていたところ。しかし、今回は先にマーラーの音楽を舞踊化するというのがあり、その感動を表現するのに、井関佐和子を軸にしたアプローチをという発想。マーラーのあの崇高な音楽を聴いたときに、愛や献身や喜びや苦悩、「生きるとは何か」が迫ってくる。それを舞台上に顕現させる方法論として、井関佐和子という舞踊家が蓄積してきたものを舞台化することで、マーラーの音楽を自分なりに表現出来ると感じたということ。

…大体、そんな感じでしたでしょうか。その後に写真撮影がありました。

写真撮影をもちまして、この日の記者発表は終わりました。

以下に、Noismの広報スタッフより提供して頂いた「公式」画像をアップさせて頂きます。ご覧ください。(どうも有難うございました。)

最後に、この日の記者発表の席上、スタッフの方から『セレネ、あるいは黄昏の歌』の公開リハーサルが来月あること、そして、金森さんからは、その前作『セレネ、あるいはマレビトの歌』の再演予定もある旨、語られたことも記しておきたいと思います。

そして、テレビ各局の報道に関してですが、私が確認した限りでは、NHK新潟放送局が同日夕刻の「新潟ニュース610」内において、この記者発表を取り上げていました。そちら、一週間、NHKプラスで見ることが出来ますから、是非。おっと、同じものがもっと簡便に、こちらからもご覧いただけます。NHKの「新潟 NEWS WEB」です。どうぞ♪
あと、他局の放送、及び各紙誌の掲載が楽しみです。

それでは以上をもって、この日の記者発表報告とさせて頂きます。

(photos: aqua & shin)
(shin)

「ムジチーレンの悦び」に浸った祝祭感たっぷりの大晦日:りゅーとぴあジルベスターコンサート2023

2023年最後の一日は、雨降る新潟。雪ではなく。その天気だけでも所謂「普通」ではありませんでしたが、その午後のりゅーとぴあコンサートホールに流れた2時間半の時間は、そこに居合わせた誰もが「普通」ではいられないほどの濃密な時間でした。エモーショナルな熱演に次ぐ熱演。舞台上の渾身が、「ムジチーレン(音楽する)の悦び」が、客席に伝わり、客席と共鳴して、ホール全体が尋常ではないほどの祝祭空間へと変容していった、そうとした言い表せないような圧倒的な時間で、この日の観客は決してこの日の舞台を忘れることはないだろう、容易にそう確信できました。そんなところを以下に少しご紹介していこうと思います。

この日が最後の営業となる6F旬彩・柳葉亭にて2023ジルベスターコンサート限定甘味セットなどを頂いてから、14:30、入場時間。客席に進むと、暫くして、煌めく緋色ドレスに身を包んだ石丸由佳さんによるパイプオルガンのウェルカム演奏が始まりました。最初の2音で、20世紀を代表する「巨大不明生物」ゴジラの音楽だとわかります。『シン・ゴジラ』好きの身としては一気に気分がアゲアゲ状態になっただけでなく、更にニヤリとしました。どういうことかと言えば、伊福部昭作曲によるこの音楽の動機部分は彼が敬愛して止まなかったラヴェルのピアノ協奏曲、その第3楽章にほぼ似たメロディを聴くことができるのですから。というのも、この日の私の一番のお目当ては勿論、プログラムの最後、Noism Company Niigataが踊るラヴェルの『ボレロ』でしたから、「見事に円環が閉じられることになるなぁ。この選曲、やってくれるなぁ」という訳です。

そして始まったこの日のコンサート。「ラフマニノフ生誕150年&20世紀最高の作曲家たち」というテーマに基づく音楽を原田慶太楼さん指揮・東京交響楽団が聴かせてくれました。(司会はフリー・アナウンサーの佐藤智佳子さん。)

最初の曲はバーンスタインの『ウエストサイド物語セレクション』。指揮者の原田さんが当初はダンスと歌に打たれて、音楽を志すきっかけとなったのが、バーンスタインの音楽が流れる同映画を観たことだったそうです。指揮台の上でステップを踏み、踊るかのようにタクトを振る身体の躍動とそれに呼応して奏でられる東響のダイナミックかつ色合い豊かな音。両者の持ち味をたっぷり示して余りある一曲目と言えました。

そしてこの日最大の驚きがやってきます。ソリストに亀井聖矢さん(弱冠22歳!)を迎えて演奏されたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。最前列で聴いていましたから、冒頭の途切れ途切れのピアノの音の間には、その都度、深く呼吸する音まで聞こえてきました。それだけでもう既に相当エモい導入に感じたのですが、それなどまだまだほんの序の口。目をカッと見開いて鍵盤を見詰めたかと思えば、顔を上方に向けて目を瞑ってたっぷり思いを込めたり。身体を揺らしながらの演奏は、幾度も椅子から腰を浮かせ、時折、左足の靴で床をバンッと蹴っては勢いを加速させたり。ラフマニノフの音楽に全身全霊で没入し、その果てにラフマニノフが憑依したかのようなピアニストの身体がそこにありました。完璧なテクニックから放たれるリリカルさ具合は言うに及びません。そこに火が出るような熱さが加わります。その変幻自在な音の奔流に、聴く者の魂はこれでもかと揺さぶられ続け、遂にはラフマニノフの音楽の真髄との邂逅を果たすに至らしめられた、そんな風に思えます。まさに驚異の演奏でした。指揮者の原田さんによれば、前日の練習を終えた亀井さんはもう少し落ち着いて弾こうと言っていたのだそうですが、この日の演奏はその対極。亀井さんによれば、原田さんが「煽って仕掛けてきた」のだとか。いずれにせよ、一期一会の熱演を堪能しました。スタンディングオベーションも頷けようというものです。
*この日の演奏、最後の部分は亀井さんご本人のX(旧twitter)アカウントでご覧頂けますので、こちらから渾身の熱演の一端に触れてみてください。

休憩中にも石丸由佳さんによるパイプオルガン演奏があり、とてもスペシャルな感じがしました。演奏されたのはラインベルガーにのオルガン・ソナタ第11番の第2楽章「カンティナーレ」とのこと。初めて聴く曲でしたが、会場に優雅な雰囲気を添えていました。

休憩後の第2部はりゅーとぴあ委嘱作品という吉松隆の『ファンファーレ2001』から。原田さんによれば、第九のように毎年聴けるものではなく、今回が「4年に1度」の機会だったとか。また、「プログレッシよるロック好き」の吉松さんらしい曲とも。(その方面、私は明るくないため、よくわかりませんが、)冒頭から打楽器の存在感が耳に届く曲で、盛り上がっていく際の色彩感と高揚感は堪りません。
そしてハチャトリアンの『剣の舞』へ。個人的には、これまでこの曲を面白いと感じたことはなかったのですが、この日は原田さんが突っ込んでは引き出したテクスチュアの多彩さが耳に新鮮に響き、初めて惹き込まれて聞き入りました。

次いで、ヴァイオリンの服部百音さんが加わった2曲も聞きものでした。まずは「これまで弾くのを避けてきて、初めて弾いた」(服部さん)というエルガー『愛の挨拶』。繊細かつ迫力ある弦の響きで奏でていていきながら、最後、「別れの挨拶」(服部さん)として、弾きながら舞台袖に消えていってしまうお茶目な服部さん。呆気にとられて見送る原田さん。打ち合わせになかったドッキリをかます服部さんに、ふたりの関係性が窺い知れるようで、微笑ましかったです。
続く、ラヴェルの演奏会用狂詩曲『ツィガーヌ』。病気を克服して筋肉もついてきて再び演奏活動に戻ってこられたとのこと。まさに入魂の演奏で、全身に漲る気魄が弓を介して弦に伝わり、鬼気迫る熱演を聴かせてくれました。そんなふうに、切れそうなほどに張り詰めた空気感を作り出して流れた音楽。その最後の一音を、顎をぶつけて奏でているかに見えるほど、全身の勢いを込めて弾いた服部さんの姿にアッと声が出そうでした。

そしていよいよクライマックスは金森さんの新振付でNoismが踊るラヴェルの『ボレロ』です。この新振付版は金森さんによれば、修道僧たちのなかに、ひとりの女性の踊り手が交じり、性的かつ生的なものが伝播していく筋立てとのこと。女性は井関さん(ベージュの衣裳)。冒頭、井関さんを円状に囲む修道僧8人は、両脇に中尾洸太さんと糸川祐希さん。最奥に三好綾音さんと杉野可林さん。最前に坪田光さんと樋浦瞳さん。その後ろに庄島さくらさんと庄島すみれさん(いずれも黒の衣裳)、といった布陣だったでしょうか。衣裳は恐らく『セレネ、あるいはマレビトの歌』のときのものと思われ、ということは、故・堂本教子さんの手になるものです。
上に触れた筋立てからもわかることですが、今回披露された新振付による『Bolero』は以前の映像舞踊『BOLERO 2020』とは全くの別物・別作品です。中心に女性がいて、その周囲を円状に囲まれて始まる様子は金森さんの師・ベジャール振付版に似ていますし、途中、ベジャールからの引用と思しき振付も登場するなど、オマージュと継承とを見て取ることができます。その意味では映像舞踊のときとは比べ物にならないくらい、ベジャールを想起させられる要素は大きいと言えます。しかし、この作品での影響力の伝播の方向は、中心の井関さんから8人に向かうのであって、その点では真逆と言ってもいいくらいでしょう。これまでの金森さん作品の持ち味に溢れた新『Bolero』(「シン・ボレロ」?)な訳です。
この夕の『ボレロ』、Noismが踊っているため、もう目は演奏するオーケストラにはいきませんでした。オーケストラの様子だって見たいことは見たいのですが、仕方ありません。但し、踊るNoismメンバー一人ひとりの生き生きした表情にも原田さん+東響と同質の「ムジチーレンの悦び」が溢れていたことは間違いありません。(敢えて言う必要もないかと思われますが、それはこの日のソリスト亀井さんと服部さんにも共通して見出せた要素です。)
おっと、金森さんの新『Bolero』に関しては、今ここではこれ以上は書かずにおきます。終演後に偶然お会いした山田勇気さんによれば、今のところ具体的な再演の予定はないとのことでしたが、必ずその日が訪れると信じていますから。私もその時を楽しみに待ちますし、この日はご覧になられなかった方々もそこは変わらない筈でしょうし。

ラストは東響によるアンコール、エルガー『威風堂々』でしたが、これがまた華やかで、その後、会場内の数ヶ所から一斉に放たれた赤とオレンジのテープの吹雪がこの日の祝祭感を大いに増幅してコンサートの最後を締め括ってくれました。

こちらの画像、クラウドファンディングのお知らせメールからの転載です。

この大晦日のジルベスターコンサートについてはそんなところをもって報告とさせて頂きますが、折から同日、クラウドファンディングも目標額に達したとのことで、その点でも嬉しい大晦日となりました。
そして、これを書いているのは、紅白歌合戦を見終えて、年も改まった2024年の元日です。皆さま、明けましておめでとうございます。是非、一緒にNoism Company Niigataの20周年をお祝いしつつ、応援して参りましょう。 今年も宜しくお願い致します。

(shin)

「纏うNoism」#07:樋浦瞳さん

メール取材日:2023/05/20(Sat.) & 06/01(Thur .)

去る2023年5月20日(土)&21日(日)の僅か2日間のみ屋外舞台にその姿を現したNoism0+Noism1『セレネ、あるいはマレビトの歌』。「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージのその初日の日付で、わざわざアンケートにお答えくださった樋浦瞳(あきら)さん。そこから「纏うNoism」第7回、樋浦さんの回のやりとりが動き出しました。画像もその前沢ガーデンで撮影して頂きましたし、サポーターズへの気配りをもちながら、黒部で踊っておられたのだと知ることの有難さといったらないでしょう。では、その「纏う」樋浦さんをお楽しみください。

「流行に夢中になってはだめ。ファッションにあなたを支配させてはだめ。その着こなしと生き方によって、あなたが誰で、どう見せたいかは自分で決めればいい」(ジャンニ・ヴェルサーチ)

それでは樋浦さんの「纏うNoism」始まりです。

纏う1: 稽古着の樋浦さん

 *おお、「あの」前沢ガーデン!裸足!野性味のあるご登場ですね。そしてもう一枚の方、木の陰から「ひょっこりはん」しているのはNoism1準メンバーの横山ひかりさん。そして左側に立つのはNoism2の春木有紗さん。ホントにいい雰囲気の写真ですね。

 樋浦さん「この写真は黒部の前沢ガーデンで撮影しました」

 *ですよね。実に素敵な場所でした。溶け込んでいますね、樋浦さんも、横山さんと春木さんも、ハイ。なにやら、「自然児」というか、自然の一部と化したというか、そんな雰囲気ですね。では、ここではまず稽古着一般についてお話しいただけますか。

 樋浦さん「稽古着は、リハーサル中の作品がどんな衣裳かによって半袖か、タンクトップか、短パンか、長ズボンか変わっていきます。
Noismではいつも黒い服の人が多いのですが、自分は黒い服を着ると緊張してしまうので、普段はあまり着ません」

 *そうなんですね。「黒」を避ける感じなのですね。で、この日のトップスはグレー。そのグレーっていうのは樋浦さんの好みの色なのですか。そして他に稽古着として着るのに好きな色とか、好きなブランドとかってありますか。

 樋浦さん「いちばん好きな色は藍色、紺色です。落ち着きます。スポーツ用品のブランドでは、アディダスの服が多い気がします」

 *なるほどです。短パン、紺色ですものね。樋浦さんが稽古着の色に求めるものは「落ち着き」、理解しました。

 *あと、この日は美しい野外の緑の上ということもあってのことでしょう、裸足ですが、お約束の「アレ」についてもお訊きします。普段の稽古で身につける靴下に好みなどはありますか。

 樋浦さん「最近はユニクロの靴下を履いています。たくさん色の展開があるので毎回選ぶのが楽しいです。あとはナイキの靴下も指が開いて踊りやすいです」

 *ユニクロで色を選ぶ楽しさ、よくわかります。それでも、いつも似たような色選んじゃうんですけどね、私の場合。あと、ナイキの靴下はそうなのですね。メモメモメモ。

纏う2: 樋浦さん思い出の舞台衣裳

 *これまでの舞踊人生で大事にしている衣裳と舞台の思い出を教えてください。

ん?この感じ…?

 樋浦さん「黒田育世さんの『ラストパイ』という作品との出会いは自分の人生の転機でした。衣裳は山口小夜子さんのデザインです」

 *おお、そうなのですね。『ラストパイ』は未見な私が、なにか見覚えみたいなものがあるように思ったのですが、それ、山口小夜子さん繋がりなのだと。基本、黒の装いに赤のラインが走る印象的なヴィジュアルから、米国のスティーリー・ダンによる傑作アルバム『彩(エイジャ)/Aja』(1977)、そのジャケットに写る山口小夜子さんの装いに通ずるものを感じたのでした。じっくり見較べるてみると結構違っているのですが、瞬時に浮かんだ印象です。まあ、それ自体、あくまでも寡聞な私の個人的なものに過ぎませんけれど。

 *話が逸れてしまいましたね。スミマセン。元に戻しまして、その転機となった『ラストパイ』についてのお話、もっと聞かせてください。

 樋浦さん「2018年のDance New Airという東京のダンスフェスティバルでのプログラムとして上演された際に出演しました。この作品は、2005年にNoism05が黒田育世さんに振付委嘱して製作されました。初演時は、穣さんや佐和子さんも踊られていました。
自分がこのとき担ったパートは、初演時は平原慎太郎さんが踊られていたところでした。衣裳も当時から同じものがずっと受け継がれているそうです。何回も床に倒れる振付があるので、左肘に緩衝材があてがわれているのが印象的でした」

 *なるほど、興味深いお話ですね。で、「転機」となったという点について、更にお願いします。

 樋浦さん「自分がこの作品と出会ったのは2017年で、その時は穣さんのパートを踊りました。当時は大学4年生で、もう踊ることはそろそろやめようと考えていました。
穣さんのパートは40分間絶えず踊り続けるので、身体が本当にもげそうになるのですが、この時自分の身体がまだまだもっともっと踊りたいと感じていることに気づいたのです。
本番を終えたあとに、いつも優しい笑顔で話す育世さんが、鋭い眼光で『踊りなさい』と言ってくれました。この時かけてもらった言葉は、今でも自分の舞踊人生を力強く支えてくれています。育世さんは自分の踊りの恩人です。
写真は2018年の公演のゲネプロ後に、誕生日を祝っていただいた時のものです」

 *なるほどです。それはまさしく「転機」ですね。樋浦さんの現在に繋がる重要な「鍵」を握る作品を踊る機会だったってことなのですね。更にそれに加えて、Noismとの「縁」をも感じるお話と受け取りましたが、その2017~18年頃、樋浦さんはNoismに関して、どのような思いをお持ちでしたか。

 樋浦さん「2018年は『NINA』の埼玉公演を観に行って、衝撃を受けました。その時は自分がNoismに入ることは全く考えていませんでした…。でも、元Noismのダンサーと海外のオーディションで出逢ったり、東京で出逢ったり、少なからず影響は受けていたと感じています」

 *導かれるべくして導かれて今に至っている。私たちにはそう思えますね、うん。そうそう。やはり「縁」ですよ、「縁」。

纏う3: 樋浦さんにとって印象深いNoismの衣裳

 *Noismの公演で最も印象に残っている衣裳とその舞台の思い出を教えてください。

 樋浦さん「『Fratres』の衣裳です。禊(みそぎ)へ向かう白装束のような、特別な儀式に向かっていく感じがします。Noismでの踊りはいつもものすごく緊張しますが、この衣装を着るときは特にビリビリとします」

 *はい、はい。わかります。「白」と「黒」、対極と言える見た目の色彩的な違いを超えて、内面的にと言うか、精神的にと言うか、通ずるものがありますよね。で、『Fratres』は樋浦さんにとって、基本、緊張するという「黒」ですから。でも、その「黒」を纏った「ビリビリ」の緊張状態を通過して、作品内世界へと越境し、憑依したりトランスしたりしていくのでしょうね。

 *Noism Web Siteへのリンクを貼ります。
 2019年の『Fratres I』、2020年の『Fratres III』の画像をどうぞ。

 *それこそ、前沢ガーデン野外ステージでの『セレネ、あるいはマレビトの歌』も、途中まで『Fratres』でしたけど、張り詰めた厳かさはあっても、特別、緊張の「ビリビリ」は感じませんでしたよ。

纏う4: 普段着の樋浦さん

凝ったローポジションからの撮影は
前回ご登場の…

 *この日のポイントと普段着のこだわりを教えてください。

 樋浦さん「普段着は、ゆったりとした服を着ていることが多い気がします。
新しい服を買うことが滅多にないので、稽古着も普段着も古着が多いのですが、このTシャツはH&Mで一目惚れして買ってしまいました。お気に入りです」

 *おお、盆栽のTシャツ!凡才の私ですが、何やら惹き付けられるものがありますねぇ。(笑)これ、相当エモイんじゃないでしょうか。添えられた「OBSERVATION(観察)」と「KNOWLEDGE(知識)」というふたつのワードも、描かれた盆栽の松が漂わせる佇まいを引き立てて、何だか意味深ですし!
そして、何より前沢ガーデン(と野外ステージ)というロケーションにピッタリではないですか。こちらのTシャツと前沢ガーデン野外ステージでの公演との間に何か関連はありますか。

 樋浦さん「あまり意識はしていなかったです…。半袖を昼間から着れるくらい暖かくなったので、嬉しくて着ていました」

 *そうなんですね。では、これはそもそものお話になるのでしょうが、古着はお好きと考えていいですか。

 樋浦さん「稽古着はすぐ汚れたり傷がついてしまったりするので、古着の方が気兼ねなく使えるのでよく利用します。あまり古着自体にこだわりが強くあるわけではありません」

 *ほお、そうなんですね、ほお。じゃあ、稽古着として着る古着に絞って、もう少し教えてください。

 樋浦さん「ダンサーの仲間や先輩から、着なくなった稽古着を譲り受けたりすることがあります。人の縁を感じたり、あの人の踊りすごかったなあとか、たまに思い出す時間は自分の支えになっているように感じます」

 *なるほど。そうした場合の古着って、単に古着というだけではなくて、繋がりや記憶も込みの稽古着ってことなのですね。いいお話しです♪

 *あと、これは服からは離れてしまうのですが、最後にもうひとつだけ。首から下げておられるお洒落なカメラについて教えてください。

 樋浦さん「FUJIFILMのX-E3というモデルのカメラです!最近中古で購入しました。レンズもとても気に入っています」

 *昔のフィルムカメラにあったようなボタンとかダイヤルが付いたレトロな感じのカメラなんですね。そして、撮影もカメラ任せのオート撮影機能ではなく、自ら設定を行うモデルのため、撮る人の個性が色濃く出るカメラなのだそうですね。その点、樋浦さんにピッタリかと。うん、お洒落です。カメラもそれをさりげなく首から下げた樋浦さんも♪
樋浦さん、どうも有難うございました。

樋浦さんからもサポーターズの皆さまにメッセージを頂いています。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつもあたたかいご支援をありがとうございます。
感染症への警戒も落ち着いてきましたので、みなさんと直接お会いしてお話しできる機会を心待ちにしております。
今後もみなさんへいい舞台をお届けできるよう、精進いたします」

…ということでした。以上、「纏うNoism」第7回、樋浦瞳さんの回はここまでです。樋浦さん、色々と有難うございました。

これまで、当ブログでご紹介してきた樋浦さんの他の記事も併せてご覧ください。

 「私がダンスを始めた頃」⑳(樋浦瞳さん)
 「ランチのNoism」#19(樋浦瞳さん)

今回の「纏うNoism」、いかがでしたでしょうか。では、また次回をどうぞお楽しみに♪

(shin)

「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージでの「稀有な体験」が語らしめたインスタライヴ♪

2023年5月23日(火)の夜20時から、昨年夏以来の金森さんと井関さんによるインスタライヴが配信されました。語られたのは前週末の2日間のみの野外公演のこと。僅か2日間のみその姿を現し、私たちの日常を活性化して去っていったまさに「稀人」のような『セレネ、あるいはマレビトの歌』とそれが踊られた舞台「前沢ガーデン野外ステージ」について、その「稀有な体験」が語らしめたアフタートーク的内容だったと言えます。全編(作品とほぼ同じ尺の約55分)はおふたりのインスタアカウントに残されたアーカイヴからご覧いただくとして、ここではかいつまんでご紹介させていただきます。

☆前沢ガーデン野外ステージでの公演、そのいきさつ: 昨夏、「御大」鈴木忠志氏から「金森、やってみるか」とお声掛け(=「挑戦状」)があり、0.5秒後にスケジュールも何も見ないままに「はい」と即答。「師匠」からの「新作」の依頼は2019年の『still / speed / silence』以来、2度目。中途半端なものは見せられない。気合が入る。それは井関さんも同じで、「何なら俺よりも(気合が入る)」と金森さん。対する井関さんは金森さんのことを「外からの『異物』があったときに燃える。本能的に闘いにいく人」と。

★「御大」の感想: はからずもその2回、褒めてくれた。今回、初日の後、ひとつ指摘をいただいた。「御大」からの指摘は常に具体的で、得心させられる。今回も「ああ、まさに」と感じ、対処した。「感覚ではなくて、具体的。聞いているだけで『画』が見える」(井関さん)

☆その「御大」の指摘: 空間の演出の仕方、バランスのとり方。その作品に限ったことではなく、もっと舞台芸術・総合芸術・空間芸術・実演芸術の本質に根差したもの。未来のクリエイションに繋がる指摘。野外ゆえの壮大なものを見つつ、舞踊家の身体、精神まで見てのもの。

★素晴らしい施設での「合宿」: 常に一緒。「スポーツでは必ず合宿やるんだ」と鈴木さん。「同じ釜の飯を食う」こと、集団性において意味大きい。

☆ゲネプロの日(金曜日)の雨: その夜の通し稽古、凄かった。冷えた空気のなか、火照った体から水蒸気が発散された。「まるで『北斗の拳』」(井関さん)「生まれてくる熱量が可視化された」(金森さん)

★アルヴォ・ペルトの音楽: 全編、ペルト。昨秋、会場(東洋的な森林に囲まれた西洋的な建築物、その融合した世界観)を見てイメージしたとき、合いそうだと思ったと金森さん。ペルトの歌曲は珍しいが、最後にそれを見つけたときに「ああ、これだ」と思った。

☆空間の使い方の工夫: 黒い舞台とその奥の緑の芝の丘、その境界をどう解釈して、どうつかむか。それが今回の作品の核だった。此岸と彼岸。その境を超えてやって来るマレビト。空間的なことって、現場に行かなければダメ。そこでアジャストしたつもりが、「御大」から「でもさあ、1個だけ…」と指摘があった。その指摘のキーワードは「7,3,1」と明かした井関さん。それに関して金森さん、「自分の作ったものに対して批評的な視座をもつためには冷静さが必要なのだが、最後のシーンについては感情移入してたんだと思う」

★野外ステージの魅力: 「せっかく良いもの出来たのにさあ」と金森さん。新潟にも野外劇場を!上堰潟(うわせきがた)公園とかに。前沢ガーデン野外ステージで観るNoism、毎年、ひとつの文化みたいに、恒例にしたい。
 金森さん「演出家として、空間をつかむことの本当の課題・難しさは(屋内)劇場では味わえない」
 井関さん「劇場の中で踊っていると気になることが、野外では『いいや!』と思え、そこに拘ること以上のものがあると直感的にわかる」
 金森さん「人工物(ハコ)の中でやっていると、踊りも演出も自分がどうしたいかに拘泥してしまう。野外に出たら受容するしかない」
 井関さん「屋外では本気で自分に集中していた。(屋内)劇場では自分を肯定しつつ、自己満足の部分が結構あると気付いた」
 金森さん「社会がどんどん人工化していくなか、野外でパフォーマンスすると、パフォーミングアーツの神髄や核にもう一度立ち帰れる」
 井関さん「やっと、もしかしたら何か知ったかも、という感覚がある」
 金森さん「(この『セレネ、あるいはマレビトの歌』を)世界中の野外劇場で上演したい」
 井関さん「野外は一様じゃないから、どうなっていくか経験してみたい」
 金森さん・井関さん「いろんな作品でいろんなところに行くんじゃなくて、同じ作品でいろんなところに行ってみたい」
 金森さん「また是非、来年!」

☆明日からは…: 「劇場というブラックボックスの中で良い空間を作ります」と金森さん。「この経験を踏まえた上で」と井関さん。『領域』、ふたりだけで20分強(25分くらい)踊る初めての作品。

…と、そんな感じだったでしょうか。

あと、この日のおやつは貴餅(きへい)さんの白玉ぜんざい。そして、途中、宅配便で高知から西瓜が届いたりするハプニングもありましたね。

それにしましても、また観たいですね、『セレネ、あるいはマレビトの歌』♪それもまた屋外で。ならば仕方ない、「新潟野外劇場プロジェクト」に漕ぎ出してみますか。(笑)

(shin)

Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)

5月11日、りゅーとぴあでの『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサルの衝撃は忘れ難い。『Nameless Hands-人形の家』や『NINA』『R.O.O.M.』など舞踊家の渾身と演出振付・金森穣の魔術的洗練に圧倒される舞台に幾度も立ち会ってきたが、りゅーとぴあ〈劇場〉の舞台上に設えられた客席で展開された舞踊と音楽の濁流と、作品の精神には、真底打ちのめされた(リハーサル後、金森さんにバッタリ会い、「これは凄いです。大好きな作品です」と興奮気味に声を掛けてしまった)。

その本番が、5月20日・21日、「黒部シアター2023 春」として黒部市の前沢ガーデン野外ステージにて開催された。初日の圧倒的舞台についてはしもしんさんが当ブログにて詳報している。私もまたTwitterで「激賞」と呼べる感想を書き連ねたり、「月刊ウインド」6月号にて魚津滞在を含めた紀行記事を掲載予定の為、2日目(5月21日)の感想を主に記載する。

魚津駅から黒部駅へあいの風とやま鉄道の列車で向かい、前沢ガーデン行きのバスが発車する「ホテルアクア黒部」へ。新潟や東京から駆け付けたNoismサポーターの方々と合流し、16時発のバス車中では(初見の方も同乗しているので配慮しつつも)昨日の公演の素晴らしさをあれこれ語り合う(この様子を、同乗していた富山県市町村新聞の宮﨑編集長が聞いており、会場でお声がけいただく。公演について記事を書かれるとのこと。特に声の大きな私の放言、失礼しました)。
開演の19時迄は前沢ガーデンの圧倒的な空間美と自然に浸りつつ待機。鈴木忠志氏をお見かけしたり、会場入りする金森穣さんや井関佐和子さん、山田勇気さんにご挨拶(金森さんのご両親や鈴木忠志氏率いる「SCOT」の本拠地である南砺市長も足を運んでいた)。

そして、19時定刻に始まった本番。舞台は常に一期一会だが、野外公演は吹く風や、それにはためく衣装、空の色(この日は渦巻くような雲が空を覆いつつも、陽光がうっすらと覗く)が繊細なコントラストを生み、作品の強度は変わらぬとはいえ、観る者が受け取る印象が新鮮に変わっていく(舞台に立つ舞踊家にとっても、きっとそうなのだろう)。

活動継続問題やコロナ禍の苦しみの中で、ひたすら舞う「Noism」の集団としての強さと祈りに幾度も涙した『Fratres』を、アルヴォ・ペルトの楽曲を駆使しつつ、作品の一部とし、全く違った文脈で再構築した『セレネ、あるいはマレビトの歌』。異端・来訪者を排斥し、互いを縛る「集団」と、個を確立した者が手を取り合う「連帯」との対比。女性同士の深い共感が、集団の論理に楔を打つ展開(井関佐和子さんと6人の女性舞踊家が織り成す洗練と爽やかなエロスに充ちたシークエンスには、ペルトの楽曲相まって涙が溢れた)。ベクトルの異なる舞踊の連鎖を休む間もなく躍り続ける井関佐和子さんやNoism1メンバー、野外ステージの高低差を活かした演出の中で「恐怖」さえ覚える登場を見せる山田勇気さん。そして、言葉を越え、この世界に生きる人の胸に確かに届くであろう「ヒューマニズム」を謳い、アンゲロプロスやタルコフスキーといった名匠が映画で描いた夢幻のごとき光景を現出させた金森穣さんの手腕に、陶然としてしまう。Noismを応援してきた者にとっての冥利を覚えつつも、この現到達点は、Noism Company Niigataの更なる未来と拡がりを想像させる。

カーテンコール後、初日(5月20日)に続いて舞台に立った金森さんは「自分にとっても手応えのある作品」、「この作品を持って海外に出掛け、世界に挑みたい。新潟のカンパニーが黒部に滞在して創った作品です。東京(発)じゃないんです。それが文化」と語った。この挑戦を、更にしっかり応援していきたい。

(久志田渉)

控え目に言って「天人合一」を体感する舞台!「黒部シアター2023 春」の『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日(サポーター 公演感想)

2023年5月20日(土)19時、黒部市の前沢ガーデン野外ステージにて祝祭的な雰囲気のなか、Noism0 +Noism1『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日公演を観る。

前沢ガーデンとNoismをイメージした
ノンアルコールカクテル
太田菜月さん(左)と兼述育見さん

『イチブトゼンブ』とはB’z(実はさして詳しくもないのだが、)のヒット曲のタイトルであるが、それになぞらえて言えば、かつて私たちをあれほどまでに魅了し尽くした「ゼンブ」が今回、「イチブ」となり、それが属する「ゼンブ」によって、その肌合いや意味合いを異にしてしまう。その構成にまず驚く。

それは例えば、知らぬ者などいよう筈のないオーギュスト・ロダンの彫刻『考える人』が、ダンテの『神曲』に着想を得て制作された『地獄の門』の頂上に置かれた一部分であったように、あの名作『Fratres』をその一部とする作品が構想されようとは!そうした構成上の驚きである。

そもそも私たちは『Fratres』において、集団による求道者然とした献身の果てに達成された「平衡」、その高度な完結に酔いしれていたのではなかったか。『Fratres』とはつまり、純度の高いひとつの達成だったのだが、それがその記憶も新しいうちに、同じ演出振付家の手によって惜しげもなく解体されてしまうのを目にするのであるから、もしかすると「驚き」と呼ぶ程度では足りないのかもしれない。しかし、そう言ってしまってすぐ、過去にもラストシーンを変更することすら厭わない人ではあった、そうも思い当たる。金森さんは常にとどまることを知らず、前へ前へと進んでいく人なのだ。

その密教的な合一をみた感さえある『Fratres』の解体は、破壊音に似た音楽により始まる。現出するのは『ASU-不可視への献身』や、もっと直接的には『春の祭典』における嬲るような排除の構図。女性対男性のある場面など『春の祭典』を思わずにはいられないほどである。

黒い衣裳の者たち(10人)は「聖」を目指す「俗」であり、その愛の有り様は「アガペー(無償の愛)」や「フィリア(友愛)」を志向しつつもそこには至らない。それはマレビトふたり、つまり、当初の「黒」を脱いだ井関さんとひとり「黒」とは終始無縁の山田さんのデュエットにおいて、井関さんが見せる(金森作品には珍しい)官能的な表情に浮かぶものが「エロス」以外の何ものでもないことからして、無理からぬことではある。井関さんもまた再び「黒」を身に纏ったりし、彼女すら「聖」と「俗」を往還する不安定な存在(「着換える人」)として描かれていく。そうした井関さんの立ち位置にもこれまでにないものが認められよう。

そして従来の「井関さん」的立ち位置は、山田さんによって踊られることになるだろう。二度、緑の芝の丘の向こうから姿を表す山田さん。ゆっくりと、しかし存在感たっぷりに。その二度目の登場場面が只事ではない。尋常ではない。それはほぼ作品のラスト近くに至ってのことなのだが、その「光背」を伴って(敢えて「発散して」と言いたいところであるが、)の登場は、仏像やキリスト像の造形やら数多の映像表現において目にしてきたものであるのかもしれないが、この日、この前沢ガーデンのランドスケープと一体化して見せられると、その神々しさにうっとり平伏すしかないほどの唯一無二の光景となる。そこに目撃される、否、体感されるのは、紛れもなく、刹那の「天人合一」だろう。控え目に言っても。

会場のもつ圧倒的な力。その点では、かつて金森さんと井関さんが原田敬子さんの曲で踊った『still / speed / silence』(第9回シアター・オリンピックス)、その会場・利賀山房でのラストの光景をも想起させるものがあるが、それと較べても、今回、そのスケールは甚だ大きい。宇宙との合一を果たすことになる場に居合わせて、その一部始終を目撃したのである。この日は曇天だったため、ラスト、揃って「個」としての(、そして恐らく「集団」としての)強靭さを増して、「黒」を脱した演者全員が見上げる空を、同様に客席から仰ぎ見ても雲に覆われた空を見るばかりではあったが、唯一、「宵の明星」金星は煌めいており、それを手掛かりに満点の星空を幻視することができた。(また、同様に、野外ステージということでは、照明に寄ってきた鱗翅目がその光を鋭く照り返す様子など、野趣を添える以上の偶然の効果を生んでいたことも書き添えておきたい。)

終演後、気迫の大熱演でこの作品を踊り切り、舞踊家としての矜持を示した全メンバーに、そしてその後、挨拶に立った金森さんに対して大きな拍手が湧き起こったことは言うまでもない。スタンディングオベーションを捧げる観客を含めて、拍手は長く続き、人の両の掌が発するその音は見詰めた者たちの感動を乗せて空へと昇っていった。

席を後にして出口へ向かう際に、(正面2列目でご覧になっていた)鈴木忠志さんが移動するすぐ後ろを(意識的に)歩いたのだが、彼が懇意にする新聞記者に対して、「ダンプ何台分も削って作った」と説明していたこのステージの客席は、そのどの席からも展開されるパフォーマンスをしかと観ることができる筈だ。私はこの日、演者たちの素足が舞台を擦る音や激しい息づかいまで聞こえてくる最前列を選んで腰掛けたのだが、仮に少し上方の席を選んで見下ろしていたとしたら、その姿はさしずめ、ロダンによる件の彫刻のようだったろう。

我を忘れて酔いしれた時間は過ぎたが、なお目を圧して灯る幻想的な大光量を振り返りつつ、前沢ガーデンハウスでトイレを済ませると、20:30発、最終のシャトルバスに乗って車を駐めていた特設駐車場へと向かった。そのバスに乗るまでも、そして乗ってからも、多くを語ろうとする者はいなかった。(「雨にならなくてよかった」以外には。)それくらい誰もがあの55分に圧倒されていたのだ、間違いなく。

金森さんは上で触れた挨拶で、今回の公演実現の経緯を「師匠と仰ぐ鈴木忠志さんから昨年、お誘いを受けた。でも、鈴木さんのお誘いは単なるお誘いではなく、『金森、どんなものを作れるか見せてみろ』という挑戦だった」とし、生涯初めての野外公演に際して夜遅くまで照明作りにあたってくれたスタッフを労いながら、「またここに戻って来たい」との言葉でそれを結んでいた。こんな唯一無二の場所での公演、この日の観客のひとりとしても、同様に「また戻って来たい」と思ったことは言うまでもない。

この度の『セレネ、あるいはマレビトの歌』は僅か2回のみの公演で、私が観たのはその1回に過ぎず、それに基づいて書いた拙文であるが、この驚嘆の作品の「ゼンブ」のうち、「イチブ」でも皆さんと共有し得たならば幸いである。そして書き終えた今は、各々バラバラに再演を望む「イチブ」でしかない者たちの思いが、束になって熱い「ゼンブ」と化し、いつの日か、再演の舞台にまみえることを夢想するのみである。

(shin)

驚嘆!『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサル!!

2023年5月11日(木)の新潟市は暑いくらいの五月晴れ。折しもこの日から市内某所にてG7のさる国際会議があるとのことで、JR新潟駅を始め、市内中心部には、警察官や警備員が多数配置され、物々しい雰囲気も漂っていました。

その「会議」の「さあ、新潟を世界へ。」という惹句。空虚で実体のない感じが否めず、なんだか失笑を禁じ得ないものがあります。Noismが謳う「新潟から世界へ」とその構成パーツこそ似てはいますが、片や認知だけが関心事であるに過ぎず、片や世界を驚かそうというのですから、そもそも気概なり覚悟なりの点で隔たりを感じてしまうのは私ひとりだけではないでしょう。…そんな失笑。

で、この日の公開リハーサルですが、「メディア向け」かつ「活動支援会員向け」に設定されたものだった訳ですが、メディア各社は恐らく、号令一下、総力を挙げての「会議」対応に追われていたものと思われます。惜しむらくは、日が被っていたために、「文化部」と言えども身動きがとれなかったのではないでしょうか。その点がなんとも残念でした。

そう書くのも、この日見せて貰ったNoism0+Noism1『セレネ、あるいはマレビトの歌』が、「世界へ」の文言がまざまざ実体を伴って想起されるほどスケールの大きな、超弩級の作品だったからです。

12:30少し前に、〈劇場〉に通された訳ですが、〈劇場〉は〈劇場〉でも、「〈劇場〉舞台上」に席が設えられていたことにまず驚くとともに胸が高鳴りました。5/20、21の公演会場である前沢ガーデン野外ステージを模すかたちで、舞台下手(しもて)側をその円形ステージ正面に見立て、その縁を白線で区切ってアクティング・エリアとし、私たちも舞台上に用意された弧を描くかたちの席から見学させてもらったのでした。畢竟、上手(かみて)側舞台袖奥に積まれて片付けられている備品の数々を背景に見ることになる訳ですが、そんな「非日常」も楽しい以外の何ものでもありませんでした。

ちょうど、12:30となり、井関さんからの合図を受けた金森さんの「いいの?じゃあ、いきましょうか」でリハーサル(通し稽古)が始まりました。都合、6方向から進み出た10人。纏っているのは『Fratres』の衣裳です。そこからの55分間、間近から見詰めたものはまさに驚嘆に値するものでした。しかし、今ここではその詳細を書くことはしません。来週末の驚きを奪うことはできませんから。

『Fratres』の黒の衣裳と、「ルミナスイエロー」というのでしょうか、月の色を思わせる衣裳とが対比させられて踊られていく「大きな世界」。聖と俗。或いは邪やら獣性やら。それらが衣裳を着がえるが如くに交錯していきます。愛、希求、浄化…。頭に浮かんでくるキーワードには事欠きません。その目まぐるしさのなか、これまで以上の官能性も見落とせませんが、とにかくスケールの大きな作品と書くに留めておこうと思います。

この作品には、Noism1準メンバーの横山ひかりさんとNoism2から春木有紗さんが出演されています。「ん、誰だろう?」そのおふたりの動きに、目が反応して見詰めている時間もありました。Noism0の井関さん、山田さんを含む12人で魅せる「大きな作品」、とにかく物凄いですから。ご覧になられる方は期待大で!

13:25、尾を引く余韻に対して、「パンッ!」と手を打つ音、続けて「OK!」という声。どちらも金森さんからのものでした。「光、大丈夫?」と、途中、走って捌ける際にスピーカーに激突して左足の向こう脛(「弁慶の泣き所」)から流血したまま踊り通した坪田さんを案じながら、椅子に腰掛けたままキャスターを転がして、踊り終えた12人の方に近付いていった金森さん。そこから感じた事柄を伝える言葉かけに移行していきました。断片的に耳に入ってきたのは、「…結構、晒されている感じのなかで、閉ざしちゃうと弱くなっちゃうから、開いて…」といった言葉。もっともっとと思い、ずっと耳をそばだてていたのでしたが、「もうあがっていただいていいんですけど。稽古なんで」とこちらを振り向いて金森さん。私たちは拍手で応えて、この日の公開リハーサルは終了となりました。

踊り終えた井関さんがふと漏らした「ああ、しんどい」。この物凄い作品『セレネ、あるいはマレビトの歌』、現段階では黒部以外での公演予定はなしとのこと。但し、私たちの熱望のその「熱量」によって、この先、予定変更なんてこともなくはないかと。否、予定変更を現実のものとするべく熱望する必要ありってことで。そんなことを思うほどの超弩級の作品であり、驚嘆の55分間でした。

前沢ガーデン野外ステージでの本公演はそのランドスケープと一体化して神々しさを帯び、見詰める者は魂を揺さぶられ、生涯、心に残るものとなるに違いありません。断言します。(キッパリ)

(shin)