「dancedition」井関さんの連載インタビュー第3回、Noism初期の興味深い逸話がザクザク、それにゾクゾク+ハラハラ♪

先日(7/6・日)、りゅーとぴあで落語(春風亭一之輔の「ドッサリまわるぜ2025」)を堪能し、幸せな心持ちで同館を後にしようとしていたところ、目指す方向、〈スタジオB〉から歩いて来る金森さんと井関さんおふたりにばったり遭遇するという嬉しい偶然が!

で、その際、おふたりと少し立ち話をさせて頂いたのですが、『アルルの女』/『ボレロ』埼玉公演への出発に関して伺ったりした後、井関さんに、「連載インタビューの次回は、明日(7/7・月)でしょうか?楽しみにしてます」とお訊きしましたら、「明日が原稿締切なんです」と教えて頂き、超弩級連載企画は今まさに「進行中」なのだということを知りました。それはそうですよね、うん。

で、そのウェブ「dancedition」の「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(3)」、本日2025年7月10日(木)、アップされておりました。

今回分(第3回)がカヴァーしているのは、「no・mad・ic project – 7 fragments in memory」(初演:2005年2月24日)、「新潟県中越地震チャリティ公演」(2005年4月16日)、そして、「Triple Bill」(『犬的生活』、『ラストパイ』、『DOOR INDOOR』)(初演:2005年7月15日)と盛り沢山。その一つひとつに興味深い逸話がザクザク語られて、その一つひとつをゾクゾク、ハラハラしながら読ませて頂きました。

個人的な事柄ですが、後年になって、私がこの目で実演を観た作品が初めて出てきました(汗)。『Under the marron tree』です。あとは、想像したり、DVDで観たりするのみ。まだまだですね。

この2005年の実演をご覧になられた方々からのコメントなどお寄せ頂けましたら幸いです。

ウェブ「dancedition」の「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(3)」はこちらからもどうぞ。必読の内容ですから♪

それではまた次回(第4回)に♪

(shin)

ウェブ「dancedition」井関さんの連載インタビュー第2回、アップされていました(汗)

Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演に完全に気持ちが向かっていたところ、「投稿日:2025/6/23」との日付で、ウェブ「dancedition」に、井関さんの連載インタビュー「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(2)」が掲載されておりました。1週間以上前になります(汗)!油断しておりました。

既にご覧になられた方も多くいらっしゃると思います。初回分をこちらのブログでもご紹介した際、同サイトでの他の連載ものの更新頻度を「2〜3週間」とみたまでは良かったのですが、『アルルの女』の『ボレロ』の公演が控えていたことから、勝手に次回は「3週間」後くらいかなと判断していました。正確に「2週間」後の第2回アップでしたね。すみませんでした。

でも、更新頻度が「2週間」であるならば、ひと月に2回アップされることになる訳で、予定も立ち易いですね。

で、今回は「black ice」(初演:2004年10月28日)。中越地震のこと、そして誕生日を祝う私家版「金森さん映画」(!)などにも触れられていて、惹き付けられて読みました。「black ice」公演、私はまだ観ていなかった頃ですので、ご覧になられた方々からのコメントをお待ちしております。

第2回へは下のリンクからもどうぞ。

次回は更新から遅れずにお届け出来ますよう、心して臨みます。m(_ _)m

(shin)

『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演楽日、「舞踊」と一体化して踊った舞踊家たちに客席は熱狂!そしてプレトークのことも♪

この「55分」と「15分」の組み合わせを僅か「3回」しか含まない「3日間」は如何に短い時間であったことか。そんな思いに駆られている今は2025年6月29日(日)の夕刻。陽が傾いていて、Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演楽日の舞台の幕は既に降りてしまっています。

「3日間」で「3回」、その3日目で3回目の舞台は、舞踊家たちが「舞踊」と一体化した感のある渾身の踊りを見せてくれたお陰で、客席でその一挙一動を細大漏らさず見詰めようとした私たちも、自分のなかにこんなに滾る思いがあったのかと、驚くばかりの「熱狂」に引き摺り込まれてしまうことになりました。りゅーとぴあ〈劇場〉にはそんな非日常過ぎる時間が訪れていたのでした。この表現には、一片の誇張も含まれていません。そしてこの日の高揚感を味わってしまった者は誰しも、既に「Noism沼」の只中にいる自分を見出している筈かと。この表現も、全く大袈裟なものではありません。ただの帰結に過ぎないからです。私、今もまだ余韻に浸っています。

動きが流れるような滑らかさを獲得したことに加えて、表現には一層のエッジが利き、作品はどこをとってもその強度を増して、悲劇性が哀しくも美しく胸に迫ってきた『アルルの女』。
胸熱の高揚感は言うまでもなく、身体、衣裳、照明、装置の全てが綾なす色の美しさは息をのむほどで、金森さんの美意識がこれでもかと詰め込まれた『ボレロ - 天が落ちるその前に』。
両作品によって心を激しく揺さぶられ、興奮の坩堝と化した客席からは、(この日も)割れんばかりの拍手+「ブラボー!」+スタンディングオベーションが沸き起こり、その「熱狂」のなか、新潟公演の幕は降りていきました。

そこから時間を随分と遡ることになるのですが、開演時間(15:00)の1時間前に初めて取り入れられた趣向である「プレトーク」についてご報告することも、この日のブログの務めと認識しておりますので、ここからは、金森さんが大勢の前で語った内容を掻い摘まんでご紹介させて頂きます。(13:58~14:17)

○初めての「プレトーク」、やりたいと言い出したのは井関さん。「踊っていないので、やれますよね」と言われて。元来、前もってしゃべることは好きではないのだが。色々書いたりはしているけれど…。

●(『アルルの女』のあらすじに触れながら、)祖父、母、フレデリ、そして原作では「ばか」と呼ばれる弟ジャネという家族構成中、「一番大切なフィギュアなんじゃないかと思った」のは、弟ジャネ。「アルルの女」と息子、母と息子、家族と村、村と都会、様々な問題について、その全てを見詰めながら、ある種の「知的判断」を下さない存在。

○そのジャネをその身振りから、犬や猫という「ペット」と見た人もいたりするみたいだが、彼は弟。しかし、自由に発想して欲しい。皆さんの感性が何を読み解くか、それが「芸術」。

●祖父の役名は「常長」とした。初めて欧州に渡った日本人のひとり(支倉常長)。原作の舞台は南仏だが、「模倣」してやっても仕方ないので、そこになにがしか「和」の要素、身体的・精神的な繋がりのエッセンスを盛り込みたいと思ったもの。

○南仏の死生観、(花々を投げ込むような)祝祭性のなかに、すっと入り込んでくる死。死の捉え方を南仏のものではなく、「和」的なものに置き換える。(「メメント・モリ」、『葉隠』に言及しながら、)武道をもってある種の「生きること」「死ぬこと」を見る。

●南仏と日本人。『ファランドール』の感動。聴いたとき、木刀となぎなたを持つ日本人の姿が見えた。そんな自分を「変な人なんです」と金森さん。

○ビゼーによる『アルルの女』、もともとは「劇付随音楽」として作曲されたもの。ビゼーの死後、後世の人たちが「組曲版」を構成。もとが悲劇だけに、「劇付随音楽」には、不安や哀切を掻き立てる旋律があり、そのCDに出会ったとき、これはオリジナルなものが作れるなと思った。このような音楽構成で『アルルの女』をやっている例は他にない。

●ドーデの原作「戯曲」には、村、コミュニティ、家族といった囲い(フレーム)が出てくる。人はひとつのフレームのなかに、またいくつものフレームを抱えて存在している。フレームはその人を規定する要素でありつつ、それによって、どれだけ束縛され、囚われて生きているか。フレームのメタファー。そのひとつとして、劇場舞台のプロセニアム・アーチも挙げられる。(それがために、かつて街なかへ出たりした人たちもいたが、やがて劇場に回帰した。)『アルルの女』では、それを視覚的に意識して貰いつつ、物語的には、他にもフレームが登場してくる。

○フレームと関連したものとしての「静止」のシーン。ある種の「絵画性」がある。静止画は、物質化した「もの」として見ようとする見方による。身体を単純に「もの化」することは出来ないが、そこにある身体を極めて非日常な「もの」として、或いは、身体の可能性として、美しい身体を提示したい。カラヴァッジオが描いた、ルネサンス期の絵であるような身体を。
今回は演出としても、いつも以上に意識的に「静止」を多用している。絵画から発せられる非言語的な何かを視覚的に読み取ろうとすることは、舞台芸術に対する場合も同じ。

●(「プレトーク」も終わりに至り、)一旦、今聴いたことは全て忘れてください。舞台芸術を観ている時間は本当に自由な時間。正しいか、正しくないかではなく、「自分はこう感じた」を大切に。

…頑張ってみたつもりです。金森さん初めての「プレトーク」の試み、ご紹介は以上とさせて頂きます。

さて、6月のNoism公演はこの日をもって終了し、今度は2週間後の7/11(金)、12(土)、13(日)、彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉での「埼玉3Days」に引き継がれます。
埼玉でご覧になる予定の方、もう少しの辛抱です。その間、期待値をバクあげしておいてお運びください。それでもその「期待値」想定を遥かに凌駕する大きな感動と出会えることに間違いないものと信じます。「しあわせは食べて寝て待て」ってことですかね。

書き終わってみると、既に「大河ドラマ」は終わっていました(汗)。蛇足でした。

(shin)

『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演中日、日々新たな感動と金森さんのアフタートーク♪

蒸し暑かった2025年6月28日(土)。この日が中日(なかび)だったNoism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』の新潟公演ですが、本公演期間中、唯一、終演後に金森さんによるアフタートーク(約30分)が組まれた、その意味でスペシャルな一日だった訳です。

今日のブログは、そのアフタートークを中心に書こうと思っていますが、先ずはこの日のふたつの演目について感じた事柄を簡単に書き記すことから始めさせて頂きます。

『アルルの女』、昨日に続けて2度目の鑑賞となると、当たり前のことですが、かなり余裕をもって見詰めることが出来ました。前日は拾えなかった細部にも目を凝らすことが出来てみると、この作品は、「ある種の抽象度」があるという触れ込みですが、「妄想」や「妄執」を中心に据えつつ、細部が知的かつ繊細に組み立てられた精緻な作品という思いを強くしました。ただ観ているだけでも相当に楽しい55分間なのですが、作品内で提示された関係性について考えてみようとすると、理詰めで細部から作品全体に迫る途が見えてくるように思えます。ですから、見終えた後もじっくり考えてみる楽しみがある作品と言えるでしょう。

『ボレロ - 天が落ちるその前に』となって、こちらもこの日が2度目の「シン・ボレロ」。散りばめられた師「ベジャール印」の引用と教え子「金森印」の動きが、ラヴェルのあの音楽内で同居し、かつ、豊かに絡み合う様子を見詰めることによって、私たちの目が感知するのは、師と教え子の間の深い愛情以外の何物でもないでしょう。注がれた愛情に報いんとばかりに、ありったけの思いを込めて両手を伸ばして、届け返そうとする先は、これもまた「天」。ですから、「天」はこの作品において、単に「杞憂」の対象であるばかりではないことを感じ、その意味でも胸を熱くしました。

そんなふたつの演目を一度に観ることが出来る「イヴニング」です。ホントに「マジ凄い」としか言えない訳です。

『アルルの女』の後も、客席からは熱のこもった反応が示されましたが、『ボレロ』の後はやはり、大興奮が客席を覆い、割れんばかりの大きな拍手に、「ブラボー!」が交じり、スタンディングオベーションが広がっていきます。舞台上もそれに応えるべく、金森さんも加わったかたちでの前日同様のカーテンコールが幾度も幾度も繰り返されることになりました。

ここからは、この日のアフタートークについて掻い摘まんでのご報告とさせて頂きます。登壇者はNoism Company Niigata芸術総監督・金森穣さん。先ずはいつも通りに、「今日初めてNoismをご覧になったという方、手を挙げてください」から。客席を見渡した金森さん、「割といるね。Noismのチケット買えないよね、ってふうにならないとね」と続けて、その後、スタッフが客席から回収した「質問シート」について、「今日は結構あるね」と言いながらも、ひとつひとつ丁寧に答えていってくれました。

Q1: ストーリーのある演目で、それぞれのキャラクターはどう確立させるのか?
 -A: キャラクターは個々に伝えていくが、最初からはあまり伝えない。舞踊家が音楽と振付からキャラクターを感じ取る。メンバー同士でも、どう感じて、どう出してくるか。そこからまたキャラクターを拾い上げていく。必ずしも当初のイメージ通りではないが、その舞踊家が見出したものは豊かだ。

Q2: 舞踊家の個性について
 -A: 個性のない人はいない。舞踊家にとって、如実に身体そのものが一人ひとりの個性。そしてそれをもって何になりたいかが大事。また、関係性のなかで、人格は形成されていく。例えば、Noismに入って形成されるものもある。日々深化し、日々見出されるものでもあり、それはまた、今のものでしかない。より高めよう、深めようとすること。 

Q3: 海外公演について
 -A: スロベニア公演が6年振りの海外公演。国際的な場で、どう評価されるか、世界中の反応を直に見てみたいと思っている。そして、それをもって「ホーム」新潟で公演したい。自分たちが信じている表現がどう受け止められるのか、如実にわかるのが海外公演。

Q4: なぎなた、木刀が象徴するものは?
 -A: ある種の「葉隠」。生きるとは?死ぬとは?これ以上は言いません。

Q5: 音楽と振付、どちらが先か?
 -A: 7~8割、音楽が先。音楽がなければ、振付が始まらないっていうのはシャクに触ったりもするが(笑)、この世にあって欲しいものの筆頭が音楽。音楽が先。

Q6: 「役を入れ込む」作業に関して
 -A: 「入れ込む」?彫刻家が彫っていく感じ。無駄なものを削いでいく。どうしてもくっつけたくなりがちだが、より強い表現は足していったものではなく、削いでいったものの方。

Q7: 今回の『ボレロ』における、ベジャールさんへのオマージュに関して
 -A: 例えば、師匠の「赤い円卓」が、井関さんの「赤い衣裳」になっている。師匠の円卓は、俺にとっては身体なんだと。

Q8: キャスティングに関して
 -A: その世界のなかに見えることが大前提。しかし、今持っているものだけでキャスティングしていく訳ではなく、これからの変貌も楽しみ。苦労がある方がいい。

Q9: 『ボレロ』を作るときの思いにはいつもと違うものがあったか?
 -A:恩師の代表作ということはあるが、特別違うということはない。覚悟が要ることではあるけれど。

Q10: (山田勇気さんが演じた)「祖父」は侍なのか?
 -A: ドーデによる原作は南仏が舞台で、「常長」は架空の設定。欧州に初めて渡った日本人のなかに侍だった人がいた(=支倉常長(はせくらつねなが))。時代とともにその存在価値が失われていった侍。彼が欧州で家族を持ったらどんなだったかと空想してみた。

Q11: 本番までのプロセスに関して
 -A: 先ずは、信じる。→ついで、批判的に疑う。→そして、迷った末に見つける。そのループのなかで本番という瞬間を迎える。その時にはもう信じるしかないが、終わった瞬間に、また疑問が生じてくるもの。

Q12: ビゼー『アルルの女』の音楽に関して
 -A: 「劇伴音楽」として作曲されたもので、そこには不穏さや蠱惑的なものもあったが、コンサートでは、人はそんなものを聞きたがらず、「組曲版」では、明るくポジティヴなものだけが残ることになった。「そりゃ、そうだよね」。今回、「劇伴音楽」も使ったが、フェイドアウトやカットなどを除けば、特にアレンジはしていない。

Q13: 赤いフレームと衣裳のなかの「赤」に関して
 -A: どちらの色も実は「オレンジ」。衣裳には「傷」が欲しかった。その「傷」から見える内面の色、それをフレームと同じ色にした。オレンジは人間の網膜によって、闇のなかで一番強く認識される色でもある。

Q14: 動きと「語り」に関して
 -A: 常に口を酸っぱくして言っているのが、「動きで語りなさい」。もし語っていない瞬間があれば、それはダメ出しのポイント。

Q15: 『アルルの女』の衣裳に関して
 -A: 今回担当して貰ったのは初めて一緒にやるデザイナー(井深麗奈さん)。あるとき、ポートフォリオを送ってきてくれて、いつか一緒にやりたいと思っていた。先ずこちらからざっくりしたイメージと台本的なものを送り、デザイン画を描いて送って貰うところから始まった。また、お願いしたい。

Q16: どうして『アルルの女』をやることに決まったのか?
 -A: 自分のなかでは、気がついたら決まっていた。「もう『アルル』だなと」。たまたま原作を読んだら、「なるほどね」となった。だから出会い。机の上に読んでいない本や聴いていない音楽がたまっている。それがあるとき、ガチャガチャッと嵌まっていく。今この瞬間にやりたいのに、それが作品になるのが「2年後」というのも不思議と言えば、不思議。その間は「多重人格」的な自分がいる。『アルル』に恋した自分と、次のものに恋している自分。色々なものがアンテナに触れて、それでも失われない「恋」が本物。『アルル』は変わらなかった。
 あと、何作品作れるんだろう。これまで100作くらい作ったが、「今、これが最後になっても構わない」という思いで作ってきた。身体はひとつだし、時間も限られている。結構、本気。もっと色々作りたいのに、今、これしか出来ないそのひとつなので、賭けている。舞踊家の佐和子も、あと何回踊れるだろうという思いに向き合っている。終わるとなくなってしまい、後には残らない、舞台芸術の不条理。いつまで作れるのか、いつまで踊れるのか、わからない。まさに一期一会。だから、見逃さないで欲しい。
 明日もまだ少しチケットはある様子、是非もう一度。(19:15)

…ざっと、そんなところで、アフタートークのご報告とさせて頂きます。(ネタバレとなってしまうやりとりについてはご紹介を控えさせて貰いました。全公演終了後にでも、改めて書きたいと思います。)

さて、日付は6月29日(日)にかわり、はやくも今日が『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演楽日です。空席を作っておくのは実に勿体ない、充実した公演であることは、ご覧になられた方はお分かりの筈。ならば是非、もう一度♪未見の方も是非、一度♪この公演を目にしてしまったなら、「必見」というどこまでも「無粋」でしかない言葉など使わずにおきたいところですので、こちらをお読みになられた方は是非、喜び勇んで、りゅーとぴあ〈劇場〉まで♪想像し得る限りの豊かな時間が保障されています。

(shin)

『アルルの女』/『ボレロ』新潟公演初日、「唯一無二」のNoismらしさで客席を圧する♪

2025年6月27日(金)、曇り空の新潟市はここ数日の厳しい暑さではなく、幾分かしのぎやすい一日で、ホッとひと息つける感じがしました。

それはそれぞれ身体のなかに滾る「期待感」の熱を宿していたから、であったかもしれません。その「期待感」が向かった先は、言うまでもなく、『アルルの女』/『ボレロ』の新潟公演初日に他ありません。世界初演の『アルルの女』と上演の度に刷新を繰り返してきて、今回、新たに「天が落ちるその前に」の副題が添えられた『ボレロ』、どちらも楽しみでない筈がなかった訳です。

開場時間の18:30になり、ホワイエに進むと、一目散にNoism2リハーサル監督の浅海侑加さんが待つ「Noism 20周年記念冊子スタンプコーナー」へ。「一番乗りですね」と浅海さん。で、2種類のスタンプを手にして、イメージトレーニングを重ねた通りに押してみたのですが、力の入れ具合、伝え加減が難しくて、「中抜け」状態になっちゃってちょっと失敗(涙)。でも、浅海さんから、「ああ、もう一度押し直したい!」とまで言って貰えましたし、スタンプ自体はシールに押したものを貰って上から貼ることにしました。(右下画像)

この記念冊子へのスタンプ、Noismの歩みに自分の手で「今」を足していく、とても素敵な企画ですね。この先もスタンプまみれの「唯一無二」のMy冊子にしていきたいものです。スタッフの方々、宜しくお願いします。

そしてサポーターズ仲間や友人、知人と色々話すうちに、開演時間が近づいてきます。(この先、ネタバレなしに書いていきますので、鑑賞前の方も安心してお読みください。)

客席に進むと、舞台の設えから、(先日の公開リハーサルの時にも感じたことでしたが、)過去に大興奮した劇的舞踊の「ある作品」を思い出させられることに。果たしてあの展開(演出)が待っているのか?(その作品名はネタバレに繋がるのを避けるため、ここでは書きませんが。)そんなことなどを思っていると、客電も落ち切らないうちから、音楽が聞こえてきます。『アルルの女』です。もうトップシーンからホント目が離せません。

ビゼーの音楽の、輪郭がはっきりとした、覚え易いメロディが進行していくさまは、降り注ぐ強い陽光がくっきり描き出す、どこか乾いていて、截然と「割り切れた」感じを漂わせるものと言えようかと思いますが、そこにNoismならではの舞踊が、そこはかとない深みある陰翳を加え、見詰める私たちの目に、実にスリリングな情感をもって迫ってきます。全編に漂うことになる不安感や悲劇性はまさに金森さんの独壇場と言えるものでしょう。極上の味わいに酔いしれること請けあいです。また、井関佐和子さん、山田勇気さんは言うに及ばず、その一家の兄弟を踊る糸川祐希さんの雄弁に語るような目、太田菜月さんのコミカルで物悲しい動きの数々なども長く忘れ得ないものとして記憶されることでしょう。

20分の休憩を挟んで、『ボレロ - 天が落ちるその前に』です。これまで色々なヴァージョンを観てきましたが、こちらはもう舞踊そのもの、圧巻の「ザ・ダンス」とでも言いたい演目でした。ベジャールさんの『ボレロ』へのオマージュが含まれていたり、金森さんの過去作『Fratres』は勿論、『Liebestod - 愛の死』に通ずるものが見てとれたり、様々な「系譜」が織り込まれた作品と言えますが、それ以上に、超克と伝播、そして委ねるさま、「今」を踊り切る舞踊家の身体が輝き出すのを目撃する約15分の持続に、胸打たれない者などいよう筈はありません。最後の一音が最高潮に達しつつ、全曲を締め括るが早いか、大興奮の客席からは、堰を切ったように、猛烈な拍手が湧き起こりました。高揚感は「ブラボー!」の掛け声やスタンディング・オベーションとなって広がっていきます。舞台上、カーテンコールに金森さんも加わると、一段と高まるその音量。すると、舞台にいる横一列の皆さんも客席に向けて拍手を返してくれましたし、その場にいた者はひとり残らず笑顔だった筈です。私も多幸感に震え、「こんな幸せ、そうそうない」、そんなふうに感じた次第です。

Noismでしか観ることの出来ない、圧倒的で、「唯一無二」の2作品、まさに素晴らし過ぎでした。私たちの大きな期待感さえ遥かに超えてきてくれたと言えます。
書いているうちに、日付を跨ぎましたので、今日は新潟公演の中日(なかび)。皆さま、くれぐれもお見逃しなく、です。

最後になりますが、皆さんの入場時に、Noismサポーターズからもチラシとともに、「Noism Supporters Information #12」をお渡しさせて貰っております。是非、ご覧ください。そして私たちサポーターズに加わって頂き、Noism Company Niigataを一緒に応援していって頂ける方がいらっしゃるようでしたら、望外の喜びでございます。

以上で新潟公演初日のレポートとさせて頂きます。

(shin)

「Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』活動支援会員/視覚・聴覚障がい者 メディア向け公開リハーサル」+囲み取材に行ってきました♪

まだ「水無月」というのに、耐え難いほどの高温に閉口する日々が続くなかの2025年6月20日(金)、りゅーとぴあ〈劇場〉を会場に行われた「『アルルの女』/『ボレロ』活動支援会員/視覚・聴覚障がい者 メディア向け公開リハーサル」(12:15~13:15)とその後の囲み取材(13:15~13:30)に出掛けてきました。

スタッフからの入場案内が出て、〈劇場〉内に足を踏み入れると、先ず目に飛び込んできたのは、「プロセニアム・アーチ」然とした赤く細いフレームです。圧倒的な存在感を示すその四角いフレームに囲まれながら、動きの確認を行っている舞踊家たち。「これはフィクションだよ」、そう念押しされでもするかのような、なんとも非日常な光景です。

やがて、金森さんの合図があると、客席は暗くなり、一旦、緞帳が下りると、ビゼー作曲のあの聞き覚えのある音楽とともに、『アルルの女』の公開リハーサルが始まりました。「そう来るか」、冒頭すぐにも、かつての劇的舞踊『カルメン』との繋がりなども濃厚に見てとれるアイテムが、舞台を見詰める私たちの目に映ずることになります。

この日の公開リハーサルでは、『アルルの女』冒頭からの約30分を見せて貰いました。以下、画像をご覧頂き、その雰囲気を少しだけでもお楽しみ頂けたらと思います。

フレデリ(糸川さん)が母ローズ(井関さん)を振りほどき、穏やかならざる展開に差しかかろうとするところで、「OK!いいよ」と金森さん。「OK!よかったよ。もっと見てられたのに」と続けて、出来栄えに自信のほどを窺わせました。

そこから約30分は、金森さんの厳しいチェックが入り、様々な動きが順々にブラッシュアップされていきました。
「レディース、最初立っているとき、足6番で」
「背中で『アルル』しなさいよ!クソ真面目に立っているだけではダメなんだよ」
「君が主(しゅ)なんだから、佐和子や勇気に遠慮していたらムリ!」
「左足前の5番からパッセで4番」
「足が低い!すみれ姉さんの蹴り上げを見てみなよ」
「はける時の歩き方、踵から!後ろの膝を曲げない。後ろに体重が落ちているから、前へ行く動機がない。恥骨を立てて、膝じゃなくて、後ろの踵で押す!」等々、一点一画も疎かにしないダメ出しが続きました。

一通り、動きに細かなメスを入れ終えたところで、そろそろ囲み取材の時間が来ます。「こんなもんでいいんじゃない。『公開』終わり。じゃあ、次、2時半から」金森さんの言葉で公開リハーサルは終わりました。

続いてホワイエでの囲み取材に移っていきました。
先ず最初に、スタッフの方からキャストの変更について、三好さんが体調不良のため、降板し、兼述さんが代わりにフレデリの許嫁「ヴィヴェット」役を踊ることになった旨が告げられました。

そして芸術総監督・金森さんと国際活動部門芸術監督・井関さんが並んでの取材です。以下に、やりとりの内容をかいつまんでご紹介させて頂きます。

Q:今回の作品の意図は?
 -A: 「シンプルに『アルルの女』の原作を読んで面白かったこと。その物語が抱える問題が極めて現代的な問題にも通ずるものがあると感じた」(金森さん)

Q:物語があることについて
 -A: 「以前の『劇的舞踊』のように台本を書き、キッチリ物語を先に作って、それを舞台化する手順ではなくて、もっと抽象的な、もっと音楽と身体の関係性、緊張感みたいなものを。抽象度を保ったまま、物語の本質を届けることに興味がある。『アルルの女』の組曲版と劇付随版をミックスすることで唯一無二の、どこでも見たことのない『アルルの女』を届けることが出来るだろうと思った。新たな試み」(金森さん)

Q:訴えかけたい問題意識みたいなものは?
 -A: 「『家族』は逃れることが出来ない関係性のメタファー。人間は常に関係性のなかにあって、様々な思いの狭間で生きている。『関係性』を持たなければ生きていけない人間というものに今、興味がある」(金森さん)

Q:(井関さんに)芸術監督として、『アルルの女』が来たことをどう受け止めたか?
 -A: 「これが決まる前、1年ちょっと前に、穣さんは原作を読んで興味があると話していた。当時、組曲版しか知らなかったので、わかり易い音楽でもあり、正直、『これをやるのか?』『穣さんが目指しているところにこの音楽が合うのか?』と心配をした。とはいえ、信じているので、どう向き合って、どういう作品にしていくのか興味はあった」(井関さん)

Q:(井関さんに)ある意味、人間関係の「起点」とも言える「母親」をどう表現しようと思ったか?
 -A: 「リハーサルを重ねてくると、全ては『妄想』だなと思うようになった。フレデリは『アルルの女』の妄想に捕らわれているだけでなく、母親も息子(フレデリ)本人に向き合っているというよりは、『妄想』に向き合っている。人と人との関係性は本当に危ういものだなと感じている。本当に相手のことを考えているのか、ただの自己満足か、その曖昧な関係性のラインを変に見せようという気持ちはない。ある種の抽象度が含まれている故に、感じ取るものは個々に異なるものだろう。人間というものをどう感じたか、観終えた後に訊いてみたい」(井関さん)

Q:(井関さんに)今回の2作品の上演を決めたことについて
 -A: 「『アルルの女』は、新作として、穣さんが芸術家としてこの瞬間にやりたいものをと。50~55分という作品なので、少し短い。(音楽も色々トライアウトしていて、まだ完成版が決まっていないため、時間も伸び縮みしている。)で、昨年の『サラダ音楽祭』でやって好評だった『ボレロ』と併せるかたちで。こちらは15分と短いものだが、濃密な作品。まだ新潟の皆さんに見せていなかったので。物語モノと踊りに身を捧げるものと、ふたつ対称的なので、ちょうどいいかなと」(井関さん)

Q:「生と死」の対称性は結果的なもの?
 -A: 「全ての作品に生も死もあるが、この2つの作品を表すとしたら、その言葉がしっくりくるなと。過去の作品にも含まれていたエッセンスがより濃く、よりシンプルにドカンとくると思う」(金森さん)

Q:今回の『ボレロ』は、これまでの『ボレロ』と大きく異なるものなのか?
 -A: 「大きく異なる。先ずは空間が広く、それを活用している。そして演出的にも、オーケストラ版では出来なかったことをひとつやっている。印象はかなり違うと思う」(金森さん)

Q:今回の公演を観に来るお客さんにそれぞれひとことずつ
 -A: 「このようなキャッチーな音楽を用いても、自分の芸術性で勝負出来るっていうくらいなところに来た実感がある。若い頃には、引っ張られてしまったり、逆に、背を向けようとしたりもしたが、今は齢50にして、素晴らしい音楽と向き合いたいという気持ち。それを皆さんが知っていようが知っていまいが関係なく、自分の芸術性を表現出来ると思って選んでいる」(金森さん)
 -A: 「穣さんが色々経てきて、芸術家としての「核」の部分が凄く強くなってきていて、それが『アルルの女』とか『ボレロ』とか作品名に捕らわれない、Noismだからこそというものが出来るところに来ている。振付家と舞踊家がよいバランスで成熟してきている。全く違う2作品ではあるが、共通する部分も多い。是非、劇場に来て観て貰わないと勿体ない」(井関さん)
 -A: 「既成概念とか、出来上がっているイメージを壊す方が楽しい。『皆さん、知ってますよね、コレ。でも違いますよ』っていう、或いは、皆さんの価値観が変わるぐらいのことに興味がある。ぶっ壊しますよ(笑)、イメージを」(金森さん)

…以上で、この日の囲み取材の報告とさせて頂きます。早く観たい気持ちが募ってきちゃいました、私。公演まであと1週間!チケットは新潟公演(6/27~29)、埼玉公演(7/11~13)とも好評発売中とのこと。よいお席はお早めに。

そして、スタッフの方からは新潟での金森さんによるアフタートーク付き公演(6/28)とプレトーク付き公演(6/29)についても重ねての紹介がありました。この日、囲み取材でも期待値を「爆上げ」してくれた明晰な語り口の金森さんが、公演期間中に、何を話してくれるのか、そちらも興味が尽きません。皆さま、よろしければ、その両日、ご検討ください。

なお、この「公開リハーサル」の模様は、同日夕、BSNのローカルニュース番組「ゆうなび」内で、ほんの少し(1分強)取り上げられて、それ、ドキドキしながら見ましたけれど、う~む、本番がホント楽しみ過ぎます。皆さま、是非お見逃しなく♪
サポーターズも「Noism Supporters Information #12」を皆さまにお届けしようと準備中です。そちらもどうぞお楽しみに♪

(shin)
(photos by aqua & shin)

ウェブ「dancedition」(ダンスエディション)にて超弩級連載「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る」が始まりました♪

皆さま、Noism公式からの【掲載情報】として、「ダンスエディションにて、連載『Noism20年 井関佐和子、全作品を語る」が始まります。ぜひご覧ください!執筆はライターの小野寺悦子さんです。」という簡潔過ぎるニュースが飛び込んで来たのが、2025年6月11日でしたから、既に2日が経過しておりますし、その記念すべき「第1回」、もうお読みになられていることと拝察しますが、このような「超弩級連載」について、こちらのブログでもご紹介しなければと思い、取り上げさせて頂くこととしました。

「投稿日」を見ますと、更に遡ること2日、「2025年6月9日」とあります。

それにしましても、「創作の模様から楽屋話まで、Noismと共に歩んだ20年の道程と、全作品を語ります」とは、まさしく、「Noism20周年」を彩るとてつもない好企画!

井関さんもSNSで、「何ヶ月もの間、インタビューに答えるという形で、この20年を振り返りました。あくまでも私目線です^_^
長い連載になると思いますが、記念すべき1回目は『Noismの設立当初』です」と書いておられます。

Noismの「20年」については、金森さんが「佐和子の身体に全てが刻まれている」と繰り返して語っておりますし、金森さんの著書『闘う舞踊団』をNoismの「正史」と捉えるなら、この連載は即ち、井関さん目線の「側面史」として見逃せないものと言えます。そう来たか!このアプローチがあったか!そんな思いで震えました。もうとてつもなく意義深い企画が進行していたのですね。

その第1回にて語られた作品は『SHIKAKU』(初演:2004年6月8日)。そして、設立当時の雰囲気がありありと伝わってきます。不定期の連載となるのでしょうが、このあとも見逃す訳にはいきません、絶対に。

その連載初回はこちらのリンクもお使い頂き、是非、お読みください。

(shin)

この夜は中尾さんと糸川さんがFM-NIIGATAの「NAMARA MIX」に出演♪

2025年6月3日(火)、FM-NIIGATAのラジオ番組「NAMARA MIX」(20:14~)にNoism1の中尾洸太さんと糸川祐希さんが出演されました。同番組は新潟のお笑い集団「NAMARA」の江口歩代表さんとオダニハジメさんがパーソナリティを務めるトーク番組で、以前にはこのブログでも、井関さん(2024/11/5)山田勇気さん(2025/2/18)、それぞれの登場回を紹介させて貰ったことがあります。ラジオ出演ということでは、先日、井関さんがBSNラジオ「サロン・ド・かおり」に出演されたばかりで、今度は中尾さんと糸川さん。Noismのメディア露出が続いており、嬉しい限りですね。

おふたりが出演されたのは「NAMARA MIX 30分1本勝負」で、「青コーナー」の挑戦者として、江口さん、オダニさんとやりとりされました。語られた内容をかいつまんでご紹介します。その江口さん、「NAMARA」事務所の脇に、Noismの稽古場があり、いつも覗きたい、覗きたいと思っていると語り出しました。

*朝10:30から「Noismバレエ」「Noismメソッド」、12:00から18:00頃までが次の公演に向けたリハーサルというNoismの毎日。

*Noismバレエ・Noismメソッド: 垂直軸を意識して、「外側に開いていく」ことを基本とする西洋発祥のクラシックバレエ。東洋的な水平軸を意識しながら融合・発展させていこうとするNoismバレエ・Noismメソッド。(糸川さん)

*Noism所属の経緯:
*中尾さん: 5歳からバレエを始める。その後、ドイツで学び、2020年2月にオーディションを受けようとするも、一足先に「コロナ禍」に見舞われた欧州ではオーディション全てがなくなってしまう。その前、フランスでのオーディションで出会ったアジア人の元NoismメンバーからNoismの話を聞き、自分でも調べて、4月に日本でのオーディションを受けて、Noism1メンバーとなった。
*中尾さんが感じるNoism: 所属した頃は、ある意味「宗教」チックで、思想や身体的なテーマ性があると感じ、それをどう自分に溶け込ませて、血肉にしていくか考えていた。最近はそれに加えて、Noismという「家族」になっていると感じている。
*糸川さん: アメリカに留学していたが、やはり「コロナ禍」で日本に帰らざるを得なくなった。そのタイミングで出会ったバレエの先生からNoismのことを聞き、すぐオーディションを受けたいと思い、単身、新潟に来て、オーディションを受けて、Noism2に所属した(2021年)。
*糸川さんが感じるNoism: 舞踊に全てを賭けている人たちの集まり。みんな、一日をほぼ舞踊に費やして、ひたすら身体に向き合っている。

*舞踊家が身体と向き合うこと: イメージしたもの、与えられた振りを身体で実践できるように、一致させるように身体を研ぎ澄ませていく作業。一朝一夕にはいかない、時間がかかる。(糸川さん)
イメージしたものに、運動神経的なもので辿り着けても、柔軟性的には辿り着けない部分もある。思い描いた通りに身体が動いたとしても、身体がその形になっていないみたいなリアリティとの闘いも常にある。(中尾さん)
共通の価値基準・身体言語としてのNoismメソッド、それはNoismとして高めていくべきものであり、身体と向き合っての身体表現は各々が向き合っていくべきもの。その中で、他者から影響を受けることになり、イコール、他者と向き合うことは自分と向き合うことになる。(中尾さん)

*ふたりがお互いに凄いと思うところ:
*糸川さんから見た中尾さん: 自分が持っていないものを持っていて、結構、影響を受けている。体つきも違うし、得意とする身体の使い方も異なっていて、凄い勉強になる。
*中尾さんから見た糸川さん: 没入力。何かに没頭する、その入り込み方。リハーサルの段階から表れている。

(倉木麻衣さんの『Body talkin’』を挟んで、後半へ。)

*「アルルの女/ボレロ」公演: 
*『アルルの女』: 糸川さんは「フレデリ」役(主役)、中尾さんは「村人」役。中心にくる「家族」はキャラクターに基づいて配役された感じ。
*台詞はなし。(メンバーは見せられていないが)台本のようなものは金森さんは持っている。振付・所作・動きの中で(身体で)表現していく。
*「アルルの女」は登場しない。「フレデリ」にしか見えていない幻想かも、何かが起こした妄想かもしれないが、その女性に取り憑かれて、追いかけてしまう。(糸川さん)
*初日に何も見ずにピュアなかたちで観て、その後、色々調べたりして、2日目・3日目にまた来て貰えるというのがよいのでは。(中尾さん)
*ストーリー以外にも、舞踊家の身体から出てくるエネルギーは強いので、それを感じて貰えたら嬉しい。(糸川さん)
*その瞬間が忘れられないものになれば、ということがメンバー全員が強く思っていること。(中尾さん)
*観客は常に意識している。「見てくれるお客さんありき」なので。どうやったら身体で伝えられるかは常に頭にある。それが具体的に言葉で表現出来ないものだったとしても、何か感動だったり、新しい発見だったりしてくれたら嬉しい。(糸川さん)
*「振付家としての中尾さんから金森さんはどう見えているのか」(江口さん)
 →「芸術家として、振付家としての先輩であり、Noismの『ビッグボス』として尊敬している」(中尾さん)
 →「そこ、俺だったら、こうするのになぁみたいなのは…」(江口さん)
 →「勿論ある。この曲はそういうふうに使うんだとか、ここはこの人数で、こういう空間的な配置をするんだとか、常に考えてしまう」(中尾さん)

*『ボレロ」: 
*具体的なストーリーがある訳ではなく、抽象的で、純粋な舞踊。(糸川さん)
*こちらは台本はないが、イメージから連想される人と人の繋がりは確実にある。(中尾さん)

*「アルルの女/ボレロ」公演のみどころ(江口さん「今、聴いている人の7割くらいが観に来てくれるような紹介を」): 
*大きなテーマが「生と死」。ふたつの作品が表裏一体で、ひとつの「イヴニング」にて上演される面白い公演になる。(糸川さん)
*「劇場」は人間の「生」の根源的な部分を舞台から見せ、観客はそれを新たな別の人、或いはリアリティとして受け取り、感じて、考えて、感動を受け取る場所。ひとりの人間である舞踊家が踊る「虚構」に非現実性を感じ、逆にそれがリアリティになる。(中尾さん)

最後の最後、「新潟は好きか」訊ねられ、間髪を入れず、即座に「好きです」と答えたおふたり。嬉しかったですね。で、訊ねた江口さんはNoismの連載(「古町通信」)があるタウン誌「月刊にいがた」にも触れていました。(糸川さん登場回の2025年3月号。)興味のある方はそちらも是非ご覧ください。

話は逸れますが、雑誌の連載ということで言えば、新潟市民映画館シネ・ウインドが出している「月刊ウインド」にもNoismの連載(「Voice of Noism」)があり、今月(6月)号は中尾さんのとても興味深い文章が掲載されています。そちらもこの機に是非併せてお読み頂けたらと思います。では、話を戻して、そろそろ締め括りです。

…以上で、この日の「NAMARA MIX」、中尾さんと糸川さん登場回(約30分)のご紹介とさせて頂きます。なお、radikoのタイムフリーで(暫くは?)聴くことも出来るようですので、是非そちらを活用されて、ご自分の耳でもお聴きください。

是非、是非、是非と連打で来ましたが、もう一度だけ。そうです。ほぼ3週間後に迫ったNoism Company Niigata「アルルの女/ボレロ」公演!皆さま、劇場に足を運んで、舞踊家の献身を一緒に見詰めましょう。大きな感動に浸れることでしょうから。是非!

(shin)

土曜の夕刻、BSNラジオ「サロン・ド・かおり」に井関さん登場♪

2025年5月31日(土)17:00、地元のBSNラジオで石塚かおりさんがパーソナリティを務める番組「サロン・ド・かおり」のゲストとして、井関佐和子さんが登場され、公演のこと、日頃の過ごし方、身体のメンテナンス等々について、約30分間のやりとりを聞かせてくれました。

「時刻は5時をまわりました。『サロン・ド・かおり』のオープンです。お相手は石塚かおりです。ここは全国で、世界で活躍する様々な皆さまが束の間、翼を休める憩いの場。ラジオをお聴きの皆さまもゆっくりと耳を傾けてくださいね。…」そうした石塚さんの語りから始まる番組は、かつて、JFN系列のFM局で放送されていた人気番組「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー(AVANTI)」を彷彿とさせるような雰囲気の、同じくトーク番組です。

ここでは、主に井関さんが語った内容を中心にほんの少しだけ、かいつまんでご紹介したいと思います。それでは「おふたりの話にさっそく耳を傾けてみるとしましょう」(←「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー」風に。)、ってことで。

*「Noism Company Niigataは変わらずに、それでいて進化している」(石塚さん)→「変わらないことの重要性ある。しかし、とどまることは衰退なので、進化し続けるための毎日を過ごしてきた」「年齢と向き合っている時間はない。前を見て、今の身体とどう向き合っていくかを常に考えている。身体的には少し若返ってきている感覚がある」(井関さん)

*20年前(2005年)の井関さんの日記には、「20年後の私はどう考えているんだろう」の記載。Noismが20年続くとは考えていなかった。彼女(20年前の井関さん)に「伝えてあげたいなぁと思って」と。

*この20年間、劇場文化の在り方の「変わらない部分」と相変わらず闘い続けている金森さん。新潟にそれがあればいいということではなく、この国で芸術活動をしている人たちを支える基盤を作っていきたいという思い。

*『アルルの女』/『ボレロ』公演のこと: 全然違う2作品。豊かな時間になると思う。(新潟公演:6/27、28、29。埼玉公演:7/11、12、13。)
・『ボレロ』: コロナ禍の動画版→オーケストラとの舞台版→今回の劇場版へ。金森さんの師・ベジャールさんへの敬意を込めて、オマージュ的なものも含まれている。
・『アルルの女』: 共依存の家族。例えば、「母」(井関さん)が「息子」をハグする場面も多いが、その距離感・間合い・角度で示すものが全然違う。それも観て欲しい。

*舞踊の舞台にはある意味、リアリティは必要ない。瞬間の集中があって、音と空気感で出てしまうもの、それを引き出すのが上手いのが金森さん。

*「ひとつ観て、Noismは知れない、そんな奥の深さがある、それがNoism」(石塚さん)

*公演が近付いてくるなかの井関さんの日常生活のこと:
・無意識ながら、どんどんストレスがかかってきて、背中がガチガチになる。精神とかかわりの大きいという肩甲骨の間の部分がピリピリ硬くなっていく。食べ物・入浴・ストレッチ、より一層注意している。そして健康グッズ(小さなガジェット)が増えていく。最近、ポチッてしまったのが「針がいっぱい出ているマット」、その上に20分くらい寝るとマッサージをしたくらい筋肉が緩んでいくという触れ込みのもの!(まだ届いていないので、試せていない。)身体のため、心のためになるものに手を出してしまう。
・劇場に入っていないときには、基本、スイッチがOFFになっていて、金森さんからは、「省エネモードに入ったね」と言われる。
・食事はグルテンフリーを10年くらいずっと続けていて、「もう戻り方がわからない、怖くて。ずっと続けていくことだろうなと思っている」
・肉・魚・野菜、全部食べる。本番が近くなってくると、時間が限られてきて、自分で作る時間がなくなってしまう。そこで身体によさそうなものを下調べしてネットで購入して、本番までの1,2週間分はストックしている。ちゃんと食べながら、踊りに集中する。
・サプリメントも何種類も摂っているほか、ここ数年、毎朝、一番最初に飲んでいるのは酵母。あったかいお湯に溶いて飲んでいる。
・それらは全部、佐和子さん発信で、金森さんも気に入ると続けている。
・野菜は、「週1」で地場産のものを売っているところで、大量買いしている。

*今年、21年目のNoism Company Niigata:
5月に黒部の屋外公演、6・7月・『アルルの女』/『ボレロ』公演、8月・利賀村での公演、9月・サラダ音楽祭、そして、10月に久し振りの海外・スロベニア公演と目白押し。通常の夏休みはなく、海外公演後に、「秋休み」となる予定。

*井関さんからのメッセージ: 今回の公演は『アルルの女』と『ボレロ』、全然違う作品を一晩で楽しめる機会。「Noismって、こういう感じもあるんだ」と発見もして貰える筈。是非、劇場に足を運んで、生の舞台を観て欲しい。

「ちょっと暫く佐和子さんにお会いしてない時間が開いちゃったので、次はあまり開けないうちにお目にかかりたいと思います。井関佐和子さんでした。どうも有難うございました」「『サロン・ド・かおり』、それでは来週も土曜日の夕方5時にご来店をお待ちしています。『サロン・ド・かおり』、お相手は石塚かおりでした」とそんなふうに締め括られていきました…。

気心が知れた旧知のふたりといった感じで、終始、リラックスした雰囲気のなか、井関さんのことをあれこれ知れる、約30分間のやりとりでした。同時に、聴いていると、やはりこの先のNoismの公演への期待感がずんずん高まってきました。radikoでは明日の夕方くらいまでは聴ける様子かと思いますので、興味のある方はとり急ぎ、radikoへ。

(shin)

「黒部シアター2025春」、前沢ガーデン屋外ステージで観た『めまい ― 死者の中から』初日公演に痺れる♪

2025年5月17日(土)、朝に雨が降り、風も吹く新潟市を出発して、『めまい - 死者の中から』が上演される富山県黒部市の前沢ガーデンを目指して、車を走らせました。富山県に入ると、やや天気は好転したものの、時折、強風に煽られて叩きつける雨粒に屋外ステージでの公演のことを案じたりもしていました。それでも、受付が始まる夕方迄には雨はすっかりあがり、心配は杞憂に終わって、胸をなで下ろしたような塩梅でした。

昨年8月(SCOT SUMMER SEASON 2024)に利賀村は新戸賀山房でその初演を観た金森さんの『めまい』は、ヒッチコックの同名映画(そこにはサンフランシスコの街路や金門橋といった「抜け感」のある「屋外」シーンもあるにはあるのですが、)同様に、「密室」での奸計、謀略の色彩が濃厚でしたから、黒く太い角柱が死角を産み、影と光のコントラストが強烈な印象を残すその山房のために創作された作品という印象が強く、「まさか、屋外で!?」「一体どうなるのだろう!?」と強く興味を掻き立てられたのは、私だけではなかった筈です。

18:40に整列して、円形の屋外の円形ステージ客席に移動し、腰を下ろすと、もう開演時間です。舞台下手(しもて)側から毛皮を纏った井関さん〈女優〉が姿を現すと、舞台中央に置かれた机と椅子に向けてゆっくりと歩みを進めます。腰掛けた井関さん、瞬きも身じろぎもせず、その右手は、後ほど登場する三好さん〈亡霊〉と同じポジションです。井関さんはまったくの不動なのですが、そこは屋外、そよぐ風が井関さんの衣裳の脚部を揺らしています。そこに山田勇気さん〈男Ⅰ〉がやはり下手(しもて)より登場して、物語が動き出します…。

舞台の奥に広がる「借景」(金森さん)は緑の丘。その手前、舞台との境界には赤いチューリップの花が一列に配され、此岸と彼岸を画するのか、それとも繋ぐのか。気付くと、丘をゆるやかに移動する薄青色の三好さんの姿。見るからに彼岸、或いは冥界。雰囲気たっぷりです。

そしてその丘。冒頭、その斜面にはこれも下手(しもて)側から赤紫の照明が放たれて縞模様を描いています。不穏な印象を掻き立てられるのは、無論、「横縞」と「邪」の濁点の有無という音の近似性からではなくて、自然に対して人為的になされた「装い」(照明)が「偽り」の性格を帯びてしまうことの故かと。

そうです。この作品のそこここで目に飛び込んで来るのは、まさしく、偽って装うことであり、それと絡む夥しい二重性、そして反復の禍々しさなのです。見詰めることになるのは巧みに仕組まれた「犯罪」。偽って装うことそのものです。

対して、対極には自ら装うことなく、ただある自然。例えば、晴れること、或いは、雨が降ること、風が吹くこと等々を含めて、一切装わず、単純で揺るがないもの。自然のそうした側面は、今作に先立つ屋外上演の『セレネ』2作にあって、「悠久」といったものへと拡大していくベクトルが濃厚だったのに対して、今回の『めまい』においては、人の奸計や謀略といったもののスケールの卑小さを際立たせ、強調していくように映じます。その意味で、この『めまい』における自然は、巧緻にあの「犯罪」が仕組まれる「密室」、或いは「閉鎖性」を浮かび上がらせて余りあるもの、そんなふうに言えようかと思います。何という逆説でしょう!痺れてしまいました。そしてそれはまた、井関さん、山田さん、そして糸川さん〈探偵〉をはじめ、出演した9人揃っての息のあった、一分の隙もない熱演あって初めて細部まで鮮明に可視化されるものであることも言を俟たないことでしょう。異様な緊迫感を湛えた約一時間の舞台、その見事だったこと!ここまでそれに触れずに書き進めてきたことの非礼はお詫びするより他にありません。本当にすみません、と。

雨上がりの湿気が照明を燻らせ、「犯罪」や「悲劇」を恐ろしいほどまでに美しく呑み込んでいきました。嘲笑いでもするかのように泰然と。立ち竦むしかない探偵…。

終演後、昨年と同様に、黒部舞台芸術鑑賞会実行委員会・堀内会長が舞台にあがり、「委員長としての一番の仕事は天気が晴れるよう祈ること」とのつかみで笑いをとって語り始めると、「この環境で、同じ風を感じながら舞台を観たことは素晴らしいことだった」とこの日の舞台の感想を語りました。

その後、堀内会長に促されて、金森さんが今年も登壇。2年前に同じ前沢ガーデン屋外の円形ステージで発表した『セレネ、あるいはマレビトの歌』をもって、5ヶ月後にスロベニアへ行く予定があり、「黒部から世界へ」の一歩を確かに刻めることや、今年50周年を迎えるSCOTの「聖地」利賀村、今年もそこでNoismの公演も予定されていることなどを紹介すると、その都度、客席から大きな拍手が湧き起こります。更に、緑の「借景」を背景とする今回の『めまい』について、昨年の新戸賀山房でのそれとは「こうも違うものか!」との印象を持って貰えたものと思うとも話されました。そして「まだまだこのへんに空席があるので、明日もまた足を運んで欲しい。当日券もあります」と(ユーモラスかつシリアスに)付け加えることも忘れなかった金森さんです。

まず亡霊が、次いで女優も手にし、探偵が翻弄されていく赤いチューリップ。割りと健康的なイメージのある花ですが、「鬱金香(うっこんこう)」と漢字表記にしてみると、途端に、金森版『めまい』において説話論的機能を担った、「メタフォリカル(隠喩的)」な空気感を芬々(ふんぷん)と漂わせ始めるように思います。そして更に、その花、舞台上、彼岸と此岸を越境し、「犯罪」に絡んで、あたかも愛憎をともに起動する装置のように、手から手へ移動しただけでは足りずに、舞台を離れては、奇しくも富山と新潟とがそれぞれにその「県花」としていたりするものでもあります。そこにもまたひとつ二重性が認められること。そんな細部、果たして偶然なのでしょうか。

まだまだ刮目され、読み解かれることを待つ細部に溢れた『めまい ― 死者の中から』。(個人的には、特に前半部分、そんなふうに感じます。)観終えて後、今もなお、痺れています。そして同時に渇望してもいます。もっともっと繰り返して観る機会に恵まれることを。

(shin)