「Noism2 定期公演vol.16」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル&囲み取材に行ってきました♪

2025年2月28日(金)、りゅーとぴあに向かうのに、考えなしにセーターを着てダウンコートを羽織ろうしたところ、連れ合いからダメ出し一発。この日は新潟県も「4月中旬の気温」となるということで、少し薄めのものに変えて、「Noism2 定期公演vol.16」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル&囲み取材に行ってきました。

予定時刻の12:30、〈スタジオB〉にて、中尾洸太さん演出振付の『It walks by night』のクリエイション風景から公開リハーサルは始まりました。ホワイエで待っている間から耳に入ってきていたチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のあの最も知られた旋律が流れる場面を中心に、クリエイションの様子を見せて貰いました。中央奥にとても象徴的な木製の扉。Noism2メンバー9人のうち、ひとりだけ黒い帽子にベージュのステンカラーコートを纏っています。

「タータァタタタータターター、パッ」旋律を歌い、「1234、56」カウントを数え、自ら汗をしたたらせながら踊って、振りとそのイメージを伝えていく中尾さん。この日、私たちの目の前でじっくり時間をかけていた回転の振り。「足、そして手首、身体の順」(中尾さん)に動きが伝わっていき、2本の腕が纏わり付くかたちで身体を捩らすような複雑な回転にはブラッシュアップが続きました。チャイコフスキーの旋律にのせて、中尾さんのロマンがどのように可視化されていくのか、楽しみでなりません。

13:00、次いで今度は樋浦瞳さん『とぎれとぎれに』からの一場面を見せて貰う番です。こちらの作品、まず最初に大きな白い紙が運び込まれて敷かれていったところから、既に何やら独特な世界観が漂ってきました。音楽も、先刻までの中尾さんがメロディアスだったのに対して、ざらつくノイズ然としていたり、機械的だったり、ビート音だったり、全く別の趣のもの(原摩利彦)です。で、それに合わせた振りはやはりソリッドなもので、ところどころ、『R.O.O.M.』や『NINA』を想起させる動きも見出せるように思いました。

「一回、紙から逃げてみて、でも戻っていく感じ」とか「倒れた直希(=与儀直希さん)に、自分の吐く呼吸を入れていくみたいな」「もっと持ち上げるような感じで」とかと丁寧にイメージを伝えていく樋浦さん。Noism2メンバーの9つの身体と一緒になって、私たちをどこへ連れて行き、どんな世界を見せてくれるのでしょうか。興味が掻き立てられました。

上演3作品の使用楽曲です。

13:30、ホワイエにて囲み取材が始まり、地域活動部門芸術監督・山田勇気さんと今回、演出振付作品を発表するNoism1・中尾洸太さん、樋浦瞳さんがそれぞれ質問に答えるかたちでたっぷり話してくださいました。以下に、かいつまんでご紹介します。

Q・今回の作品のテーマ、伝えたいもの。
 -A・中尾洸太さん(『It walks by night』): 一番のテーマは「選択」「チョイス」。同年代(20代前半)の振付家と舞踊家のクリエイションは珍しい機会。同年代の観客層に届けたい思いもある。人生のなかで、何かを選択することを恐れないこと。そのときには誰かがまわりにいて、ひとりじゃないということ。まわりの人がいるからこそ、様々な感情が生まれること。それらを再認識するなかで、この先の自分の選択を噛み締めていけるような、未来に繋がる作品になればいい。
 -A・樋浦瞳さん(『とぎれとぎれに』): 自分が、人が、生命体が生まれてくる前にはどのような光景が広がっているのだろうという疑問から創作を始めた。「舞踊」という芸術は舞踊家が踊るその時間のなかにしか持続はない。その時間とその身体でしか起こることが出来ないもの。生命にも舞踊にも終わりは来るが、途切れたあとも繋がっていくものがきっとある筈だという思いを主軸に創作した。一人ひとりがその身体を持っていることを喜べるきっかけになったら嬉しい。「紙」については、舞踊作品の一回性を作品のなかでより顕著に表したかった。その「紙」に舞踊家たちが集まってきての始まりは、生命の源、「泉」のようなイメージによるもの。今の舞踊界で、このような時間と場所と舞踊家を得て創作出来るのは奇跡的なこと。この環境だからこそ出来ることを追求していきたい。
 -A・山田勇気さん: 【①金森さんの『火の鳥』について】: 金森さんが初めてNoism2のために作った作品で、2011年に初演、これまで5回ほど再演している。 メッセージ性がシンプルで強く、踊る者にとっても「登竜門」のようでもあり、これを越えることで成長できる、或いは、成長しなければ成立しない「強い」作品。これは生き残る作品であり、後世に伝えていくべき作品。これを通過する色々な舞踊家を見て欲しい。ある種、伝統になればいい、という思いもあって選んだ。
【②中尾さん・樋浦さん作品について】: レパートリーを踊るとなると、自分の選択をために振り付けられたものではないため、「踊ってみた」みたいに踊ってしまうことも起こり得るもの。そうした点から、相互に影響を与え合い、主体的に考えないければならないクリエイティヴな場所を設けることでカンパニーとして成長することを期している。若い振付家にがっぷり四つで組んで格闘して貰って、そのなかで何か新しいものが生まれることを期待して、ふたりにお願いした。作品自体がゼロから始まる、「教える-教わる」関係を一旦離れた場所と考えた。

Q・一公演で同時にふたりが演出振付することについて。
 -A(山田さん):
 ふたりも刺激し合っているが、一番は、プロの振付家の現実問題として、時間の割合が大変なこと、そうした制約があるということがある。与えられたもの、限られたもののなかでベストを尽くすこと。メンバーは3つの作品を踊る、『アルルの女』のリハーサルも行っている、そうした同時進行状況のなかで、如何にフォーカスしてやっていくかは難しいことだが、やらなければならないこと。
現役メンバーに振付家としての依頼をすることには、Noismというカンパニーに属し、ひとつの「言語」のようなものを共有する者が、その中から如何にして「自由」を獲得していくかは大切なことと考える。自分たちが今ここで作っている身体性にどれだけの普遍性があるかは、そのなかで何かを作ることでしか分からないものがある。
また、次世代の振付家を輩出することはレジデンシャルカンパニーにとって大切なことでもある。

Q・【中尾さんに】タイトルは(ジョン・ディクスン・カーの)推理小説と同名。具体的なストーリーをイメージしているのか。
 -A(中尾さん):
 ストーリー・テリングはしない。(使う)曲毎に詩を書いていて、その自分が想像したこと(詩)と音楽、それを社会(観客)とどう繋げていくかを意識している。振付家と舞踊家と観客のトライアングルが綺麗に揃っていないと良い瞬間は生まれない。この時代に簡単に溶け出してしまわない作品を残したい、その時間を提供したい。
観客が観に来ることも選択なら、自分たちが本番中に振りを踊るのもひとつの選択であり、既存のものをただ舞台にのせているのではない。研修生カンパニーであることから、自分たちの葛藤と闘っていて、身近に重い選択を控えている。それは舞台に出て来る。自分たちのベストを尽くした作品で観客に真っ向から立ち向かう時間を作りたい。それら全てが「選択」。タイトルは語り過ぎず、抽象的な感じで、意味を込め過ぎない、ふわっとしたものである。

Q・選曲理由は。
 -A(中尾さん):
 チャイコフスキーがどう亡くなったか知っていたので、「選択」「チョイス」は常に頭にあった。「悲愴」はチャイコフスキー最後の交響曲であり、哲学的思想が詰め込まれている。自分が振付家として彼の音楽と闘うのと同時に、舞踊家と一緒に、彼の音楽を通して、社会になにか普遍的なものを提供出来るのではないかと思った。
 -A(樋浦さん): 自分がそれらを聴いているときに、彼女たちが世界を繰り広げている様子を想像出来たこと。音がなくなる瞬間があったり、メロディー自体が存在しなかったりするが、その空間のなかに舞踊家がいることで、音楽と身体とが相互補完的だったり、相乗効果が生まれたらよいと。それが音楽と舞踊家との関係性として目指していること。

Q・この3作品での公演に関して。
 -A(山田さん):
 ヴァラエティ豊かで、楽しんで貰える。3つの全然違う作品にNoism2の舞踊家がどう取り組んで、そこで生きるのか。若い身体、若い思い、若い精神からしか出て来ないエネルギーを是非感じて欲しい。3作品が合わさったときに、彼女たちの表情とか輪郭とかが見えてくるのかもしれないと期待している。(13:55囲み取材終了)

…というところをもちまして、公開リハーサル&囲み取材の報告とさせて頂きます。

色々な意味合いで、とても興味深い「Noism2 定期公演vol.16」は3月8日(土)と9日(日)の2 days。只今、チケットは好評発売中です。若き舞踊家9人が格闘する3作品、そこに漲るエネルギーを全身で受け止めてください。

更に、8日の終演後には、この日の囲み取材時と同じ、山田さん、中尾さん、樋浦さんが登壇してのアフタートークも予定されています。(9日のチケットをお持ちの方も参加出来ます。)作品が生まれる現場により一層コミットしてみる機会です。楽しくない筈がありません。ご検討ください。

【追記】現在、発行されている「Culture Niigata」最新号(2025.03-05、vol.122)に、今回、振付家として創作している樋浦瞳さんが取り上げられています(表紙およびインタビュー記事)。加えて、昨年11月「新潟県文化祭2024『こども文化芸術体験ステージ』」(@十日町市・段十ろう)に登場し、『火の鳥』と『砕波』を披露したNoism2についても掲載されています。同誌は無料。りゅーとぴあにも置かれていますので、是非、お手にとってご覧ください。

(photos by fullmoon & shin)

(shin)

心が震え、涙も…「円環」新潟公演楽日の幕おりる

2024年12月15日(日)、天気予報では早くから強い冬型で降雪予想の一日とされていたこの日でしたが、私たちにとっては、それ以上にNoism0 / Noism1「円環」トリプルビルの新潟公演楽日であり、そもそも落ち着きをもって迎えるのが困難な日だった訳です。

始まれば、終わるのが舞台の常であるために、新潟公演初日の金曜日にりゅーとぴあに足を踏み入れた際に、まだ何も観ていないというのに、「もう足のつま先から、手の指先からじわじわ『Noismロス』が体をのぼってきている感じがする」などと言っては、「気が早い」と笑われていたのでしたが、それほど3日間というのは短いものだと、この日に至っては完膚なきまでに思い知らされるほかなかった訳です。相応の覚悟が必要でした。

この日、その相応の覚悟を必要としたのは、今回の三つの演目がどれも素晴らしかったからという謂わば「通常の理由」に加えて、ずっとサポーターとしての念願だった「Reunion(再会)」を果たして踊ってくれたゲスト舞踊家の宮河愛一郎さんと中川賢さんが、そして、彼らが舞った記念碑的な傑作を生み出す最大の要素と言ってよい、あの美し過ぎる音楽を書いてくれたトン・タッ・アンさんも、月曜日にはみんな新潟を離れていってしまうからなのでした…。

井関さんが現実のものとしてくれた今回の奇跡のような公演、そこに冠されたタイトルが「円環」であるのなら、またその時が巡り来るのを今から信じて待つ以外ないのです。今日が一旦とはいえ、別れの日であるならば…。でも辛い…。

全身を目にして、見逃すことなく、全身を耳にして、聞き漏らすことなく、すべてを玩味せんと臨むことを要する舞台、その裏にあったもの、やはりそれは人と人との繋がり以外の何物でもある筈がないのです。

14時30分の開場の以前には、予報に反して、空から落ちてくるものはそぼ降る雨でしかなかったり、陽が差す時間さえあったりしましたが、ホワイエに入って暫くすると、窓外を横殴りの突風が雨とも雪ともつかないものを物凄い勢いで運んだりもするようになりました。リアルに「遣らずの雨」、そういうことだなと納得したものです。

そして迎えた開演時間、15時。先ずは金森さん+Noism1『過ぎゆく時の中で』。走る金森さんを含めて、舞台上の全員の動きがもうキレッキレで、その半端ない疾走感は私たちをも巻き込み、内心の寂寥気分は目と耳とから入ってきたワクワクによって上書きされていきました。

一度目の休憩ののち、近藤良平さん演出振付のNoism1『にんげんしかく』です。いつ見ても楽しい作品。「奔放に見えて、ストイック」、そう近藤さんを捉えたNoism1メンバー。笑いを自らの「演出の癖」と捉える近藤さん。段ボールとも格闘しながら、振付家が目指すものを身体と段ボールとで追い求めようと躍動する様に惹き付けられました。

二度目の休憩後は、Noism0の『Suspended Garden - 宙吊りの庭』です。井関さん、山田さん、宮河さんと中川さん、そしてトルソー。そこに映像が加わり、アンさんの音楽が流れることで織り成されるのは、怖いほどの美の世界。これに比肩するものなど容易には名をあげるべくもないほどの35分間の悦楽。みんなの人生が交わったここ、新潟の地で。
見逃さず、聞き漏らさず、そう言いながらも、否応なしに『夏の名残のバラ』、『カルメン』などを幻視し、『NINA』、『PLAY2PLAY』の楽音などを思い浮かべつつ。心が震え、涙も…。

どの演目のあとにも、大きな拍手と掛け声が飛び交いましたが、やはり、『Suspended Garden』は別格でした。鳴りやまない拍手と飛び交う「ブラボー!」「アイチ!」そして「さとし!」。カーテンコールの度にスタンディングオベーションは広がっていきました。果たされた「再会」の果ての散会、それを惜しむ人がどれほど多かったかが分かろうというものです。

客電が点き、もう緞帳があがることがなくなってからも、いつまでも拍手をしていたかったのですが…。
そんな気分を抱えたまま、ホワイエに出て、同様な思いの友人たちと言葉を交わしつつ、立ち去り難くいたそのとき、背後から大きな音が聞こえてきます。「拍手みたい」そんな声があちこちから上がりました。私もそう思いました。その音、りゅーとぴあの建物に叩きつける大粒の霰(あられ)がもたらすものでした。でも、実際、「拍手みたい」だったのです。(以前にも一度、そんなことがあったのも思い出しました。)先程の「遣らずの雨」転じて、天からの大きな拍手。そう思えただけで、慰めになりました。
その後、アンさんと、次いで宮河さんとそれぞれ会う場面に恵まれましたが、その際も涙なしの笑顔で話すことが出来ましたから。
また、色々な条件が揃っての「再会」があって欲しい、今は再びの念願モードにいます。通常の「Noismロス」も当たり前に抱えながら。

新潟公演の幕はおりましたが、このあと、福岡へ、年明け2月には滋賀、そして近藤さんのホーム埼玉へと巡演する「円環」。それぞれの地で鑑賞予定の方々、期待をぱんぱんに膨らませて、今暫くお待ちください。その期待、決して裏切られることはありませんから。

(shin)

なんという豊かさ!なんて素敵な宵!Noism0 / Noism1「円環」新潟公演初日♪

奇しくも、一般的には不吉とされる日にちと曜日の組み合わせであった12月13日(金)、新潟市のりゅーとぴあ〈劇場〉には、逆にこの日を待ちに待った者たちが18時をまわった頃から冷たい雨すら厭うことなく、続々集まってきました。

Noism0 / Noism1「円環」新潟公演初日、近藤良平さんを招聘してのこのトリプルビルは、国際活動部門芸術監督の井関さんが「自信をもってお届けする」と語ってきた豊かさで早くから評判を呼んでいましたが、なるほど、舞踊の多様性や奥深さを示す、まさに「目にご馳走」のラインナップと言えるものでした。

開演時間の19時を迎えます。まずはNosim0+Noism1『過ぎゆく時の中で』(約15分)。こちらは2021年のサラダ音楽祭で初演された作品の劇場版であり、新潟市初登場となる演目です。疾駆するかのようなジョン・アダムズの音楽(『The Chairman Dances』)に乗って、駆け足で、或いは、ゆっくりスローモーションのように、舞台を下手(しもて)から上手(かみて)へ、或いは、その逆に動いていく身体たちが未来への思いや、過去への追想を描き出し、「時」の流れが可視化されていきます。永遠の相のもとに…。
この作品でNoism1のメンバーと一緒に踊る金森さんの姿はこれまでに目にしてきたどの金森さんとも違う空気感を出していて、そこも見どころと言えるかと思います。

一回目の休憩は10分。それを挟んで、二つ目の演目は、かつての『箱入り娘』(2015)のメインビジュアルと相通じる感もある、近藤良平さん演出振付のNoism1『にんげんしかく』(約35分)です。さすがは近藤さん、奇抜!まさにその一語なのですが、そこは磨かれた身体性のNoism1メンバーたちのことですから、「ちょっと苦労させてみたかった」思いの近藤さんを相手に、「段ボールとの格闘日記」の末、もう充分「段ボール専門家(!)」といった風情を漲らせて舞台狭しと踊ります。ですから、無地の矩形で代替可能でしかない段ボールの一つひとつが、中や脇で踊る各メンバーの個性を帯びて見えてくる不思議な感覚にも出会いました。
観る者を武装解除させずにはいない内橋和久さんによるダクソフォンの音楽も相俟り、10人のそのとても楽しそうな様子が客席にも伝播していく、笑いに満ちた「生命賛歌」と言ってよい会心作です。

20分間の二回目の休憩ののち、三つ目の演目がNoism0『Suspended Garden - 宙吊りの庭』(約35分)、金森さん演出の新作で、元Noismの宮河愛一郎さんと中川賢さんが、井関さんと山田さんと一緒にトン・タッ・アンさんによるこの上なく繊細な響きの音楽を踊る、これもまた注目作品です。こちら、同じ金森作品でも、最初の『過ぎゆく時の中で』とは全く趣を異にし、息を呑むほど美しい作品で、その点では、『夏の名残のバラ』(2019)を彷彿とさせるものがありますし、登場するトルソーも、同『夏の名残のバラ』のカメラコード、『Near Far Here』(2021)のアクリル板がそうであったように、舞踊家と一緒に踊っているのを見ることになるでしょう。更に、そのトルソーと人形振りという点からも多くの過去作と呼び交わすものがあることは言うまでもありません。
そこに黒い衣裳の宮河さんには『ZAZA』(2013)の、中川さんの背中には『ラ・バヤデール - 幻の国』(2016)のそれぞれ記憶が回帰しました。(個人的な印象ですが。)瞬きするのさえ惜しいほど、それだけで「尊い」のですが、初めてふたりを観る方も心配ご無用、熟練の舞踊家が醸し出す色気は誰の目にも明らかでしょうから。

このトリプルビル、なんという豊かさであることでしょうか!3作品、それぞれ持ち味を異にするラインナップで、どの演目にも大きな拍手と「ブラボー!」の声が送られたことは言うまでもありません。

終演後、金森さんと近藤さんが登壇して、Noismスタッフ・上杉晴香さんによる手際のよい進行のもと、アフタートークが行われました。で、冒頭、その上杉さんから、動画ではなく、写真であるならば撮影して構わないと告げられたことも嬉しい事柄でした。
以下にこの日のやりとりから、おふたりの回答中心にまとめて少しご紹介します。

Q:『にんげんしかく』の段ボールについて
 -A(近藤さん):「燕三条で買ったもの。『何でこんなに買うんですか?』と訊かれたが、細かいサイズ指定をして買った」「自分の目の高さちょうどのところに小さな穴がふたつ開けてあって、そこから見ている」「箱の中に持ち手などはない。付けるのは邪道」「横に倒れるのは怖い。訓練が必要」「勿論、自分も入ってみた」
 -金森さん:「俺は(入ったことは)ないよ」
 -近藤さん:「でも、誰もいないところで、こっそり入ってたりして(笑)」「みなさんもMy段ボール用意して入ってみてください。いいですよ(笑)」

Q:コンドルズに振り付けるときとの違いは?
 -A(近藤さん):「基本的にはない。生き生きするその人なりの方法を探すのは同じ。調子に乗ってくるとダメだし、あんまり上手くなられるのも困る」

Q:コンドルズの次の新潟公演の予定は?
 -A(近藤さん):「コンドルズは今、28周年。来年が29周年。で、30年、やっぱりめでたいじゃないですか。そのときが一番かなあ」

Q:『にんげんしかく』のお題にある「88%星」にはどこかの国のイメージあるのか?
 -A(近藤さん):「架空の星。星新一に出てくるような。衣裳は、お題にある『一張羅』という投げ掛けにより、段ボールを被ることもまだ知らされていなかった頃、まさか舞台で着ることになるとは思わずにメンバーが描いたデザイン画によるもの。絵はあまり上手くなかったものの、それが結構な精度で出来上がってきた」
*このあたりを巡っては、公演プログラムにこの度のプロダクションについての情報も沢山掲載されていますので、鑑賞前に目を通されておくのもいいですね。(私はしませんでしたけれど…(汗)

Q:『にんげんしかく』にはNoism旗揚げ時の『SHIKAKU』への意識あったか?
 -A(近藤さん):「自分のなかで途中で浮かんできてびっくりした。同じようなこと考えてるんだなと」

Q:(近藤さんに)Noismを振り付けたことについて
 -A(近藤さん):「金森さんのしっかり線を引く作り方、ちょっとだけ憧れる。イメージはあるが、そんなふうに作れない。でも、似ている部分はある。男の子だし(笑)」
 -金森さん:「えっ、そこ?」
 -進行・上杉さん:「聞こえてきたメンバーの話として、近藤さんは奔放なようでいて、凄くストイック。自由が如何に難しいか感じたと」

Q:舞踊家を目指す者として、若いうちに経験すべきことは?
 -A(近藤さん):「無謀なこと。む・ぼ・う」
 -A(金森さん):「出来るだけ色々なことを自分の肌で体験すること」

Q:一緒に創作をしたい団体あるか?
 -A(近藤さん):「団体ではなくて、動物に振り付けたい。概念変えなきゃいけないけど」
 -A(金森さん):「特に団体はない。Noismがもっと豊かになって、色々なことが出来るようになればということしか考えていない」

Q:『Suspended Garden - 宙吊りの庭』の振り付けについて
 -A(金森さん):「(『NINA』は振付が先行だったが、)今回は曲が先行。アンさんは4人のことをよく知っているから、聴きながらインスピレーションを得て、振り付けた。観念の他者がいることで、あり得たかもしれない未来やあり得たかもしれない過去を生きるものに」

Q:金森さんが取材協力した恩田陸さんの小説『spring(スプリング)』と創作について
 -A(金森さん):「難しい質問。でも、恩田さんのフィクションだから、『ああ、そうそう』ってところもあるし、『率直に言うと、そうじゃないんだけど』ってところもある。舞台芸術には、舞踊の当事者だからこそ不思議だなという感覚がある。また、本を読んでいろんなイメージをしながら観ていることについても、舞台芸術って良いものだなと思う」
 -進行・上杉さん:「恩田さんは今日は来られていないが、よく観に来てくれては、新潟に泊まってお酒や美味しいものを楽しんでいかれる」
 -金森さん:「チョコを差し入れしてくれる」


…と、そんな感じでしたでしょうか。

で、ここで、個人的な内容で恐縮なのですが、ちょっとだけ書かせて貰いたいことがありまして。それは、今回の「円環」トリプルビル中、金森さんの新作『Suspended Garden - 宙吊りの庭』の音楽を担当されたトン・タッ・アンさんについてです。
ワタクシ、随分前にアンさんとは、(台湾在住ということで、直接お会いしたことも、お話ししたこともないのですが、)某SNSで「友だち」になり、時折、コメントをやりとりさせて頂いておりました。
で、今回のプロダクションに関して、アンさんが、Noismの20周年記念冊子に関するポストをされた際に、恐れ多くも、コメント欄に「できればサインを頂きたい」旨の気持ちを綴ったところ、「喜んで!」と返信があり、ワクワクが倍増どころではないことになってしまい、この日を迎えていたのでした。
開演前のホワイエに姿を現したアンさんに初めてお会いして、「二回目の休憩の際に」ということになり、(初めて)お話しも出来て、勿論、サインもいただき、一緒に写真を撮っていただいたうえ、更には「終わったら飲んだりしながら話そう」まで言っていただき、(そこに関しましては、あまりにも身に余るお誘いであり、丁重にご辞退申し上げましたが、)もう気さくで腰が低く、魅力的なお人柄にすっかりノックアウトされてしまったような次第でした。リアル「天使」じゃないですか、こんなのって。そんな具合です。


長くなってましたね、すみません。いい加減、少し「公」の方向に戻します。
で、話をするなか、休憩後の演目での自作曲について、「You can swim in the music.(音楽を聴きながら泳げるよ)」との言葉。泳ぎました、泳ぎましたとも、はい。実に気持ちよく。
終演後に、その旨も伝えつつ、「まだ夢見心地だ」など、また少しやりとりするなかで、「think I will need some time to come down again.(落ち着くには少し時間が必要だね)」、そして更に「and I was so overwhelmed by people’s reaction. It was wonderful!(私は観客のリアクションに圧倒された。素晴らしかった)」の言葉が届くに至り、その「観客」のひとりとしてとても嬉しい気持ちになりました。なんて素敵な宵だったことでしょうか!

アンさんしかり、近藤さんしかり、勿論、金森さんと井関さんも、そして宮河さん、中川さんに山田さん、更にNoismメンバーみんなが、舞台芸術のために、この新潟の地に降臨した「天使」、そんなふうに映った魅惑的過ぎる新潟公演初日でした。

新潟ではそんな「天使」たちを目撃する機会はもう2公演。その境地、是非ともご体感ください。

(shin)



新潟から発信された、圧倒的普遍性(サポーター 公演感想)

2023年8月11日(金・祝)日本バレエ協会主催「令和5年度全国合同バレエの夕べ」金森穣演出振付『畔道にて~8つの小品』再演感想

2020年、金森穣さんが初めて新潟市洋舞踊協会の依頼を受けて創作した『畔道にて~8つの小品』初見時の感動は今も忘れられない。若き舞踊家たちが、所謂「稽古事」や「バレエ」の枠を越えた金森作品に出会い、作品を生き、その体験がやがて「何か」をもたらすだろう予感と、作品そのもののシンプルかつ力強い魅力。Noismが新潟という土地に根差して生まれた傑作という感を覚えたものだ。その『畔道にて』が、日本バレエ協会主催の「バレエの夕べ」で再演されるとあって、先日の「サラダ音楽祭」に続いて東京へ出向いた。


会場は初台の新国立劇場内中劇場。「新国」と言うと、井上ひさしの『紙屋町さくらホテル』や「東京裁判三部作」制作などで幼い頃に存在を知り、いつかは訪ねてみたい場所だった。Noismと新国立劇場との共同制作の経緯について、金森さんの著書『闘う舞踊団』(夕書房)で知り、愕然としたことも記憶に新しい。


8月11・13日の二日間に渡って開催される「バレエの夕べ」。11日は関東・中部・関西・東北・甲信越・東京の六支部の作品が上演された。ご家族連れやバレエ関係と思しき方々で会場は華やぐような賑わい。休憩中には金森さんや評論家・三浦雅士氏を見かけ、『畔道にて』のバレエミストレスを初演時に続いて務めた池ヶ谷奏さんにもお声がけいただいた。


甲信越支部は19時過ぎからの五番手。上演が進むにつれ、照明の美的センスと間断無く(拍手する間など無く)展開する金森演出と、新潟の若き舞踊家たちの演技に、客席の空気が変容してゆく。若い世代の「孤独」にこそ寄り添い、「友情」や「恋」を衒いなく見せる振付。そして『NINA』の一場面を想起させる深紅の照明の中、灯火を手にした16人の舞踊家たちが登場する『歌い、』のシークエンスでは、その美しさに会場が静まり、やがて感動が拡がっていくようだった。門山楓さん・山本莉鳳さんにNoism1メンバー(中尾洸太・坪田光・樋浦瞳・糸川祐希)が加わる『愛や、』の悲愴感、まだ幼い福山瑛未さんに井関佐和子さんが未来を託すように寄り添って舞う『夢を、』の連続に、涙腺が決壊し、アルビノーニの「オーボエ協奏曲」(向田邦子作「ドラマ人間模様『 あ・うん』」の水田家と門倉の団らんシーンで使用されていた)に乗っての希望に充ちた祈りを思わせる群舞『語る。』に至って、『畔道にて』は新潟から生まれた傑作に留まらず、世界中の様々な土地で懸命に生き、惑う若者たちの万感を映し出す普遍的な「名作」との感を強くした。
公演後の場内のどよめきや、ご家族連れのお父さんが「度肝を抜かれた」と漏らす声を漏れ聞けただけでも、新潟から応援に駆け付けた甲斐があった。

(久志田渉)

Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)

5月11日、りゅーとぴあでの『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサルの衝撃は忘れ難い。『Nameless Hands-人形の家』や『NINA』『R.O.O.M.』など舞踊家の渾身と演出振付・金森穣の魔術的洗練に圧倒される舞台に幾度も立ち会ってきたが、りゅーとぴあ〈劇場〉の舞台上に設えられた客席で展開された舞踊と音楽の濁流と、作品の精神には、真底打ちのめされた(リハーサル後、金森さんにバッタリ会い、「これは凄いです。大好きな作品です」と興奮気味に声を掛けてしまった)。

その本番が、5月20日・21日、「黒部シアター2023 春」として黒部市の前沢ガーデン野外ステージにて開催された。初日の圧倒的舞台についてはしもしんさんが当ブログにて詳報している。私もまたTwitterで「激賞」と呼べる感想を書き連ねたり、「月刊ウインド」6月号にて魚津滞在を含めた紀行記事を掲載予定の為、2日目(5月21日)の感想を主に記載する。

魚津駅から黒部駅へあいの風とやま鉄道の列車で向かい、前沢ガーデン行きのバスが発車する「ホテルアクア黒部」へ。新潟や東京から駆け付けたNoismサポーターの方々と合流し、16時発のバス車中では(初見の方も同乗しているので配慮しつつも)昨日の公演の素晴らしさをあれこれ語り合う(この様子を、同乗していた富山県市町村新聞の宮﨑編集長が聞いており、会場でお声がけいただく。公演について記事を書かれるとのこと。特に声の大きな私の放言、失礼しました)。
開演の19時迄は前沢ガーデンの圧倒的な空間美と自然に浸りつつ待機。鈴木忠志氏をお見かけしたり、会場入りする金森穣さんや井関佐和子さん、山田勇気さんにご挨拶(金森さんのご両親や鈴木忠志氏率いる「SCOT」の本拠地である南砺市長も足を運んでいた)。

そして、19時定刻に始まった本番。舞台は常に一期一会だが、野外公演は吹く風や、それにはためく衣装、空の色(この日は渦巻くような雲が空を覆いつつも、陽光がうっすらと覗く)が繊細なコントラストを生み、作品の強度は変わらぬとはいえ、観る者が受け取る印象が新鮮に変わっていく(舞台に立つ舞踊家にとっても、きっとそうなのだろう)。

活動継続問題やコロナ禍の苦しみの中で、ひたすら舞う「Noism」の集団としての強さと祈りに幾度も涙した『Fratres』を、アルヴォ・ペルトの楽曲を駆使しつつ、作品の一部とし、全く違った文脈で再構築した『セレネ、あるいはマレビトの歌』。異端・来訪者を排斥し、互いを縛る「集団」と、個を確立した者が手を取り合う「連帯」との対比。女性同士の深い共感が、集団の論理に楔を打つ展開(井関佐和子さんと6人の女性舞踊家が織り成す洗練と爽やかなエロスに充ちたシークエンスには、ペルトの楽曲相まって涙が溢れた)。ベクトルの異なる舞踊の連鎖を休む間もなく躍り続ける井関佐和子さんやNoism1メンバー、野外ステージの高低差を活かした演出の中で「恐怖」さえ覚える登場を見せる山田勇気さん。そして、言葉を越え、この世界に生きる人の胸に確かに届くであろう「ヒューマニズム」を謳い、アンゲロプロスやタルコフスキーといった名匠が映画で描いた夢幻のごとき光景を現出させた金森穣さんの手腕に、陶然としてしまう。Noismを応援してきた者にとっての冥利を覚えつつも、この現到達点は、Noism Company Niigataの更なる未来と拡がりを想像させる。

カーテンコール後、初日(5月20日)に続いて舞台に立った金森さんは「自分にとっても手応えのある作品」、「この作品を持って海外に出掛け、世界に挑みたい。新潟のカンパニーが黒部に滞在して創った作品です。東京(発)じゃないんです。それが文化」と語った。この挑戦を、更にしっかり応援していきたい。

(久志田渉)

りゅーとぴあマガジンに、shinさんご家族 登場!

2020年10月1日発行のRYUTOPIA MAGAZINE vol.62 2020 Autumnに、我らがshinさんとご家族が登場しました(写真はshinさんだけ)! 「偏愛、Noism」のコーナー、7ページです♪ ぜひご覧くださいね!!

(fullmoon)

「Noism2定期公演vol.11 Noismレパートリー感想」(サポーター 公演感想)

☆金森穣振付Noismレパートリー(Noism2定期公演vol.11より)

去年ノイズム2の公演を初めて観て、その初々しさに魅了されました。今年も研修生たちの成長を見ようと心待ちにしていましたが、期待を裏切らずハートウォーミングなひとときでした。

会場ロビーの演目表も見ず、プログラムはお手元用メガネを忘れたので読めず、幕が上がった。

ひとつの作品と疑いもせずに観ていた。面白い!身体もよく動いている。既視感はあるがなんという演目だったかなぁ。まあいいや。とにかく楽しもう。

操り人形、人間。どちらでもなさそうな物体。

休憩時にやっと三作品のオムニバスと分かった!思い込みってスゴイですね〜

『ホフマン』と『人形の家』は観てないのでそれはともかく、『NINA』もハッキリとは認識出来なかった。でも忘れるからこそ新鮮に感じられる、という事のいい例だな。

違和感なく最後まで楽しめたというのは、三作品を一つのトーンにまとめあげた山田監督の演出の力量ではないでしょうか?

『NINA』

赤い照明の下に四体の人体模型。肌色レオタードで動きがだんだんと生き物っぽく猿っぽくなって来る。既視感。

ベジャールの「春の祭典」

去年東京で、バレエ友達のおごりで東京バレエ団の春祭を観た。その後でNoism次の公演は春祭だって、と伝えたら彼女は「えっ?NINAが金森さんの春祭だと思ってた!」と言った。

なんだか納得。

最後に…

身長体型もバラバラな四体の彼女たちは涙が出るほど美しかった。

他のダンサー達もみんなキラキラ輝いてうつくしかった。

応援します。ありがとう

(たーしゃ)

Noism2定期公演vol.11楽日の余韻に浸る♪

2020年7月12日の新潟市は、時折、晴れ間が覗く曇天で、雨は小休止。湿度も低めで、案外過ごしやすい日曜日でした。昨日のソワレに続いて、この日が楽日のNoism2定期公演vol.11を観に行ってきました。

私は全4公演のうち、後半の2回を観たのですが、運良く、ダブルキャストの両方を観ることが出来ました。

『ホフマン物語』の「妻」役が前日ソワレの長澤さんから、この日は杉野さんに。

『人形の家』の「みゆき」役も、中村さんから橋本さんに、「黒衣」も坪田さんから中村さんに変わっていました。

それぞれの持ち味の違いが感じられて、嬉しかったです。

そのふたつ、回数を重ねることで、前日よりも滑らかな印象に映りました。

そして、暗転後、『Mirroring Memories』の場面転換の音楽が聞こえてきて、扇情的な「赤」の『NINA』に突入していきます。前日に観て、わかってはいても、ドキドキ鳥肌がたつ感じが襲ってきました。「これでラストだから、もう、むちゃむちゃやったれ!」みたいな気持ちで踊り切ろうという空気が感じられ、観ているこちらとしても、「頑張れ!頑張れ!」と心の中で声援を送りながら見詰めていました。そんな人、多かったと見えて、暗転後、絶妙なタイミングで思いを乗せた拍手が贈られることになりました。

15分の休憩を挟んで、山田さんの『黒い象/Black Elephant』。その「黒さ」が支配する45分間です。

自らの身体を隅々まで隈なく触れて、自己を認識することから始めて、他者或いは取り巻く世界を認識しようとする冒頭。そこからして既に断絶が待ち受けている気配が濃厚に漂います。

“Products”… ”cutting: a girl”…”少女”… ”cutting: three opinions”…”三つの言い分”… ”gossip”… ”in the dark”… ”Nobody”… ”in memory of”…、時折、暗示的な言葉が投影されるなか、いつ果てるともない音楽『On Time Out of Time』が立ち上げる、「現(うつつ)」の世界とは異質な時空で8人によるダンスは進行していきますが、焦点は容易には結ばれません。

象徴的な銀色の円柱と途中に一度挿入され、一瞬軽やかな雰囲気を連れてくる映画『Elephant Man』(ここにも象が!)からの音楽(『Pantomime』)とに、『2001年宇宙の旅』におけるモノリスとヨハン・シュトラウス『美しく青きドナウ』を連想したのは私だけでしょうか。

「そして私が知っているのは真実のほんの一部分だということにも気がつきませんでした」の台詞、そして叫び声。認識の限界或いは「不可知論」を思わせるような断片が続きますが、最後、リトアニアの賛美歌が小さく流れ出すなか、ひとり、取り出した「白い本(タブララサか?)」を円柱に立てかけると、一向に焦点を結ぶことのなかった認識の象徴とも呼ぶべき「黒い本」を愛おしむように抱きしめてじっとうずくまる人物…。暗転。

あらゆる認識もすべからく全体像に迫ることに躓き、その意味では、自分の視座からの解釈しか行い得ないというのに、認識すること/認識されることから逃れられない業を抱える私たちを慰撫するかのような優しさで締め括られるように感じました。

終演後、途切れることなく続く拍手。客電が点るまで、何度もカーテンコールが繰り返されるうちに、8人の表情が和らいでいったことをここに記しておきたいと思います。皆さん、本当にお疲れ様でした。

さて、次にNoismを目にする機会は、来月の「プレビュー公演」2 days♪ チケットは絶賛発売中です。お早めにお求めください。大きな感動が待つ舞台をどうぞお見逃しなく!

(shin)

Noism2定期公演vol.11中日ソワレを観に行く♪

前日の天気予報では雨が酷くなりそうだった2020年7月11日、土曜日の新潟市。雨は降ったりやんだり程度で、ひとまず安堵。この日の定期公演はマチソワの2公演。そのうち、ソワレ公演(18:00開演)の方を観に行きました。

入場から退場まで、幾重にも新型コロナウイルス感染症への予防措置がとられたりゅーとぴあは、この困難な時代に公演を打つことにおいて、いかなる油断もあってはならぬという意識がかたちをとったものでした。

共通ロビーからスタジオへのドア手前の
サーモカメラ曰く
「正常な体温です」
この方もカメラに収めていました
誰あろう、「芸術監督」さん♪

画像のデータで確認しますと、17:10のことです。芸術監督氏も同じ場所に立ち、管理体制の一端をカメラに収めていました。その様子をまたスマホで撮った画像を、直接、ご本人に許可を頂いて、掲載しています。「盗撮だね♪」と笑いながら、「いいですよ」と応じてくれた金森さん。有難うございます。

入場整理番号、10人ずつ検温してから
4階・スタジオBに進みます
場内で許可を得て撮りました。
隣とは3席、或いは2席とばした
「赤」の座席のみ着席可です

そうして進んだ場内で、山田勇気さんをお見かけしましたので、「やはり、『おめでとうございます』ですよね」とご挨拶すると、「そうですね。有難うございます」のお答え。

さて、前置きが長くなり過ぎました。この日の公演について記していきます。

最初の演目は、金森穣振付Noismレパートリー。昨日、及びこの日のマチネとは異なる別キャストだそうです。ダブルキャストなのですね。

見覚えのある衣裳、見覚えのあるメイク、そして聞き覚えのある音楽…、かつての名作にあり余る若さをぶつけて挑んでいくNoism2メンバーたち。今回、抜粋された場面は、どれも趣きをまったく異にする3つの場面。それらを一気に踊る訳ですから、彼ら、彼女たちにとっては、大きく飛躍するきっかけとなる筈です。

なかでも目を楽しませたのは、やはり最後に置かれた『NINA』でしょう。それも観る者の情動を激しく揺さぶり、昂ぶらせる、あの「赤」の場面です。これはもう敢闘賞もの、燃え尽きんばかりの頑張りに気分も上がりまくりでした。

15分の休憩を挟んで、プログラム後半は山田勇気さんの新作『黒い象/Black Elephant』です。

客電が落ちる前から聞こえ出す、海中、それも深海を思わせるような、たゆたうような、終わりを想像し得ない音楽のなか、照明はあるものの、暗く、黒く、不分明な舞台空間。それはいかに目を凝らそうとも、しかとは見えないような具合の色調。見ること、見えるものに疑いを抱かせるような案配とも。

「cutting(カット)」、裁断されて提示される場面の連続は、それらを繋ぐ糸、そんな「何か」を見つけようとすることを徹底して拒むかのようです。目の奥の脳を働かそうとするのではなく、目に徹して見詰めるのがよいでしょう。翻弄され続けるのみです。今回、それがテーマに適う態度というべきものかと思いました。若い8名が熱演する「決定不可能性」、魅力的です。

場内の席から、この舞台を目撃した観客を数えることはさして難しいことではありませんでした。スタジオBには35名の観客(と山田勇気さん)。収容人数の3分の1ということで設けられた上限人数マックスの観客はもれなく、「お値段以上」で、「この感動はプライスレス」とでも言うべき熱演を満喫したに違いありません。その人数からして、「耳をつんざく」とは言えぬまでも、惜しみない、心からの拍手が続いたのがその証拠です。

3日連続で、この日も200名を超えるコロナウイルス新規感染者が確認された東京。私たちを取り巻くネット環境の拡大・進展に、もうこの世界が「ボーダーレス」であるかのように感じていた私たちは、具体的な場所(トポス)の制約を受けることなく、どこにいても文化そのものにアクセス可能になったかのように錯覚してしまっていたのでしたが、具体的な身体は具体的な場所にしかあり得ず、人の移動、及び「対面」が不可避であること、「劇場」の、そのどうしようもなく不自由な性格は否定しようがないものだったことに改めて気付かされ、同時に、文化の東京一極集中は、文化そのものの中断を意味しかねない、相当に危うい事態だと思い知らされた気がします。日頃の稽古を含めて、東京から離れた場所、新潟市に拠点を置くからこそ行い得た公演、そうした側面を痛感したような次第です。

8人を追いかけて見詰める両目が歓喜に震える時間。私たちはこうした時間が好きなのでした。日本のアートシーンを考えたとき、この日の80分×2回において、間違いなく、新潟市は日本の中心にあった、そう言っても決して大袈裟ではないでしょう。居合わせる栄誉に浴した35名の至福。そんな思いに誘われるほど、久し振りに「劇場」で充実した時間に浸れたことを有り難く感じました。

若さの何たるかを観る機会となる今回の定期公演も、あと明日の一公演を残すのみで、チケットは既に完売。明日、ラストの公演をご覧になられる方は是非心ゆくまでご堪能ください。

(shin)

Noism2定期公演vol.11 初日!

*今も列島に甚大な被害をもたらし続けている「令和2年7月豪雨」。被災された方々に心よりお見舞いを申し上げますと同時に、一日も早く平穏な日常が戻ってきますようお祈り申し上げます。

2020年7月10日(金)19時のスタジオB。本来ならば、3月6,7,8日に開催されるはずだったNoism2公演。まずは本日、無事 初日が明けたことを喜びたいと思います。

とはいえ、観客はもちろんマスク着用+消毒・検温があり、座席はソーシャルディスタンスで予想以上の席数減(わずか35席)! たくさんの人に観てほしいのに…(涙)

開場前はいつも人で溢れるスタジオBのホワイエも、寂しいほどひっそりとしています… それにアフタートークも中止とのこと。残念です。

さて、開演! Noismレパートリーから、劇的舞踊『ホフマン物語』(2010年)より、『Nameless Handsー人形の家』(2008年)より、『NINA-物質化する生け贄』(2005年)より、が続けて上演されます。(20分)

目の前で躍動する眩しい身体に重なって、これらの作品を踊った何人ものメンバーたちの姿が思い出されます。

休憩15分の後は、山田勇気さんの新作『黒い象/Black Elephant』(45分)。この作品は、「私たちは何を見た/触れたのか」ということが主題になっているそうです。

ドキッとする幕開け。暗く深い闇の舞台でうごめくメンバーたち。観客は盲人になったかのようです。夢の中のような音楽(On Time Out of Time)が絶えず流れ、明るい音楽の中間部がありますが、静かに終わります。

惜しみない拍手! 『春の祭典』公開リハーサルにも出演したNoism2メンバー。一段と逞しさを増したようです♪ 4回公演もチケット完売です。座席数が少ないのが本当に残念です。 

明日からは 真打ち、shinさんが登場しますよ♪ どうぞお楽しみに!

(fullmoon)