荘厳なる金森演出の円熟と原点回帰(サポーター 公演感想)

富山県黒部市の前沢ガーデン・野外ステージでの「黒部シアター2024 春」 Noism Company Niigata新作『セレネ、あるいは黄昏の歌』公演。18日(土)の初演では言葉を失うほどの感慨に打ちのめされたが、19日(日)の公演も幸いにして鑑賞出来た。

前日の快晴からうって変わって、ポツリポツリと雨が降り出した黒部。公演前にお見掛けした井関佐和子さん始めNoismメンバーも、濃密極まる作品の公演前であることに加え、天候を心配してか、険しい表情が垣間見えた。新潟や関東圏から駆け付けたNoismファンの方々と言葉を交わしつつ、時折天気予報を調べては「公演中は大丈夫そうだね」と無事の開演を祈る思い。会場には、金森穣さんが「師匠」と仰ぐ鈴木忠志氏や、Noism「劇的舞踊」シリーズの常連俳優・奥野晃士氏の姿も。また、前沢ガーデンハウス内の鈴木忠志氏の演劇活動を紹介する一室では、昨年のNoism公演のドキュメンタリーが上映されており、やはり圧倒的だった舞台を思い返しつつ、私はじめ見知った顔が収められている映像に笑みをこぼした。

6月末からのNoism20周年記念公演でも『セレネ、あるいは黄昏の歌』は上演される為、詳述は控えねばならないが、前述したように終演時には会場が静まり返り、日ごろならスタンディングオベーションしつつ「イェイ!」「井関! 金森!」など声援を送る私も、「この余韻を壊したくない」「この感動は、簡単に言葉にしたくない」と口をつぐみ、ひたすらに拍手を送るのみだった。マックス・リヒターがヴィヴァルディの『四季』の根幹部を抽出するように編曲した楽曲の強靭さを背骨に、やはり壮絶なまでの神々しさを発する井関佐和子さんを中核として、舞台の刹那を生ききる舞踊家たち。自然の摂理そのものを体現するような井関さんの一挙手一投足に呼応して、音楽を視覚化するように若きメンバーが躍動する冒頭から、幾度も涙が溢れたが、舞台が進行するにつれ、その荘厳さと猥雑さが共存する世界観に「畏れ」さえ覚えた。ある「暴力」に及ぶ者を冷徹に凝視し、集団によってその「性」を露わにされる者を優しく抱きしめ、過去の「恍惚」を豊かに追想する、祭祀の指導者に扮する井関佐和子さん。その眼差しの凄絶さ、照明も相まって白く発光するような全身は、現実から遊離するほどに美しかった。

生が芽生え、繁茂し、成熟し、やがて豊かに老いて「死」と直面してゆく。人間と自然の「業」「摂理」を、イメージ豊かに舞踊に置き換えてゆく「円熟」を感じさせたかと思いきや、初期Noism作品に漂っていた濃密なエロスや暴力性を突き付けて、観客を圧倒する金森穣演出は、どこまで到達するのだろう。舞台に吞み込まれ、翻弄され、この舞台に立ち会えた一瞬や自身や他者の「生命」、その周囲にある自然まで慈しむような余韻に浸る約1時間は、まさしく僥倖だ。黒部の土地もまた舞台を祝福するように公演中は雨がやみ、舞台に余韻が深まる夜陰にかけて、静かな雨に包まれた。

20周年公演では、りゅーとぴあ・劇場でどのように作品が再創造されるか、心して待ち構えたい。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長・「安吾の会」事務局長)
(photos: aco)

「荘厳なる金森演出の円熟と原点回帰(サポーター 公演感想)」への3件のフィードバック

  1. 久志田 さま
    まだまだ詳細には立ち入れないなか、渾身のレポートをお寄せ頂き、有難うございます。
    言葉を選んだ的確な描写は、読んでいるうちに、黒部の丘を背景にした「非日常」の極みとも言うべき舞台の様子が、「既に記憶のなかにしかない舞踊」(金森さん)が、まざまざ蘇ってきました。
    そして屋内に移し替えられる『セレネ、あるいは黄昏の歌』がどのような変貌を遂げて私たちの前に現れてくるか、そこも大いに楽しみですね。そう、金森さんだけに!
    それにしましても、この大作、既にして産み落とされた瞬間に、間違いなく「世界」に通じていますよね。そうした意味からも、その羽ばたきがどんな具合なのか目撃し続けたいと、改めてそう思いました。
    どうも有難うございました。
    (shin)

  2. 久志田さま
    2日目のブログ、ありがとうございました。
    まさしく「荘厳なる金森演出」!
    初日同様、心が大きく揺さぶられました。素晴らしくも凄絶、そして荘厳なる舞台に感動し、声も出ません。
    自然の中で、人間は小さく儚い。
    人は生きて死に、また生きて死ぬ。その繰り返しの中で表出する様々な事象、そして祈り。それを見事に顕現する、金森さん、井関さん、メンバーたち。
    井関さんの神々しさ、凛々しさ、この世ならぬ美しさには驚嘆するばかりです。
    垣間見せる人間らしさは別人のよう。
    そしてメンバー渾身の舞踊は瞠目の迫力!
    公演終盤には、若者たちによる未来への希望も感じられました。
    その若者もいずれ老いるのですが、生者と死者が共にある「セレネ、黄昏」は、永遠に巡りくる季節の中で、また出会えるであろう大いなる人間賛歌にも思えました。
    観る者すべての胸に様々な思いが去来することでしょう。

    shinさま
    コメントありがとうございました。
    shinさんが書かれた通り、「この大作、既にして産み落とされた瞬間に、間違いなく「世界」に通じていますよね。」と私も思いました。
    「マレビト」がヨーロッパに行くそうですが「黄昏」も行くでしょうね♪ 黒部・新潟から世界へ! ですね♪
    そして屋内劇場版「黄昏」がどうなるのか!?
    楽しみでなりません。そう、金森さんだけに!
    (fullmoon)

  3. shin様・fullmoon様

    黒部帰りでフラフラながら、一気に書き上げました。「セレネ、あるいは黄昏の歌」の凄まじい力に引きずられてのことでしょう。
    今は多くを語れませんが、りゅーとぴあや埼玉公演でどのように作品が受け止められるかが、楽しみでなりません。

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