Noism 20周年記念公演新潟中日の眼福と楽しかったアフタートークのことなど♪

2024年6月29日(土)の新潟市は抜けるような青空。気温も上昇して、梅雨はどこへやら、もう夏本番とも言えそうな一日でした。前日、幕が上がったNoism 20周年記念公演新潟3daysの、この日は中日。公演グッズの黒Tシャツを着込んで出掛けました。

この日は花角新潟県知事と中原新潟市長も来られていて、記念の舞台をご覧になられました。そして旧Noismメンバーたちも多く訪れていて、そのうちの数人とホワイエでご挨拶したり、お話したり出来たのは嬉しい出来事でした。

この日も2演目はそれぞれに胸に迫ってきました。当然のように。

『Amomentof』では金森さんと井関さん、『セレネ、あるいは黄昏の歌』でも井関さん、それぞれが投げ掛ける眼差し、その表情を見逃すまいと注視しました。

その他、『Amomentof』では羽根のように軽やかに舞う舞踊家の姿に陶然とし、はたまた、『Mirroring Memories』を彷彿とさせられましたし、『黄昏の歌』の方は、「暴力」への、そして「暴力」からの流れを追う見方を意識したりしてみたほか、脱ぐこと、脱がせること、着ること、それらをみんな纏うことと一括りにしたうえで、年をとり、老いることも年齢を纏うことと見るなら、作品全体を貫くかたちで様々に「纏うこと」の主題が読み取れるなぁ、もうちょっと考えてみようかなどと思ったりしました。

ふたつの演目を見詰める間中、途切れることなく眼福に浸り、至福のときを過ごしたことは言うまでもありませんでした。
しかし、『Amomentof』のラスト、マーラーの音楽が消え入ったタイミングで、(無音のなか、まだ作品は続いているのですが、)拍手と「ブラボー!」の掛け声が飛んでしまったことは若干残念ではありました。でも、あの流れからはそれも仕方ないのかなとか、そんなことがなかった初日は逆に凄かったなとか思っていました。
また、『黄昏の歌』が終わってからのスタンディングオベーションの拡がりにはこの日も気持ちが昂ぶるものがありました。(1回おまけみたいなカーテンコールがあったりして、舞台上も客席も全員が意表を突かれて「エッ!?」ってなって、それだけで笑顔が増しましたし。)

で、この日のレポートの中心はその後、金森さん、井関さん、山田さんが登壇して行われたアフタートークでのやりとりとなります。そのアフタートーク、強烈な感動の余韻に浸ったままの場内、3人が現れるや、金森さんが口火を切って「あれだけ踊った後に、どんだけ酷使するんだろう、Noismは」と始めてまず笑いをとったのち、アフタートークも井関さんがやることに決めたのであって、「やらされている訳ではない。変な風評が立ったりもするんで」と自ら笑って、もう掴みは完全にOKでした。
この先は掻い摘まんでということにはなりますが、ちょっと頑張って、以下にご紹介を試みたいと思います。

☆年齢とともに感性の変化あるか
金森穣さん(芸術総監督): あるとは思うが、あんまり比べる必要もないかなと思い、そこまで意識していない。感動はそのときそのときのもの。
山田勇気さん(地域活動部門芸術監督): 拘るところが変わってきている。若い頃は動きとか細かいところに目がいったが、今は立つだけとか、歩くだけとかに。あと、踊りを始めたのが遅かったので、ある程度ここまでかなという思いがある。じゃあどうするか。シフトチェンジが必要かなと。
金森さん: でも、なんならピルエットもガンガンやっていたし、若い子たちには出来なくてもいいんだっていうふうに勘違いしないで欲しい。そういうことじゃない。
井関佐和子さん(国際活動部門芸術監督): 涙もろくなった。感性の幅が広くなったり、深くなったり。今回、踊っていて、みんなのことを見てて、ああいいなぁと。
金森さん: みんないい顔しているなぁと思った。見詰める視座が変わる。年齢を重ねるのはいいこと。

★日々のスケジュールはどんなか
井関さん: ・09:30~10:30 Noismメソッド(Noism2とNoism1新メンバー)
      ・10:30~12:00 Noismバレエ
      ・12:00~13:00 稽古①
      ・13:00~14:00 昼休み
      ・14:00~16:00 稽古②
      ・16:15~18:00 稽古③     

☆名古屋での公演予定はないか、公演を増やす計画はないか
井関さん: 今のところ、名古屋の予定はないが、呼んでくれればいつでも行く。新潟での公演回数を増やしたいのもヤマヤマだが、今回も公演ギリギリまで8月の利賀村での新作(『めまい』)のクリエイションをしていたし…。昨年は高校生だけを相手に踊ったスペシャルな公演もあった。ここ(劇場)に呼んでまたやりたい。
金森さん: まあ、でもチケット売れないからねぇ(笑)。
山田さん: 新潟市内全部の小学校まわりたいし、Noism2で長岡とか行ってみたい。
金森さん: もっと県内展開もしたい。

★『セレネ、あるいは黄昏の歌』を見ていると脳内にセリフが溢れるてくるが、舞踊家はどうか
金森さん: 言葉としては浮かんでこない。しかし、非言語だとしても、大事なのは「語ること」。 
井関さん: 客席が静かななか、舞台上でメンバーと「無言の会話」はずっとしている。自分は基本、「やかましい」と言われる。

☆井関さんが一番思い出に残っている衣裳は何か
井関さん: 「一番」となると難しいが、思い入れで言ったら、故・堂本教子さんによる『夏の名残のバラ』の赤い衣裳。生地に拘って色々語っていたのを思い出す。
(*これに続く井関さんの発言は今公演の演目に関係する部分が大きいため、ここでは敢えてご紹介を差し控えさせて頂きます。その点、ご容赦ください。)
(→今回の「Amomentof」公演が埼玉の地で大千穐楽を迎えたタイミングで、このやりとりについてもご紹介させて頂きました。こちらからご覧ください。)

★新潟での一番の思い出は
山田さん: (しばらく考えてから)急性膵炎で入院したことかな。まず正露丸、それから痛み止め、そして入院。1週間くらい絶食した。メンバーがお見舞いに来てくれて。
井関さん: (山田さん同様、思いを巡らせたのち)メンバーのことならよく覚えているけど。
金森さん: 俺に過去のことを訊くのはやめた方がいい(笑)。

☆知事と市長が観にきていたが、何か言いたいことはないか
金森さん: Noismは世界的な舞踊団になってきている。是非活用して欲しい。(→場内から大きな拍手)

★20年間でどこがピークだったか
金森さん: 今に決まってる。ピークを過ぎたと思ったらやめている。

☆これまでに一番チャレンジングだったことは
井関さん: 作品が毎回チャレンジング。サプリを飲んで乗り越えている。チャレンジしていないと生きている気がしない。マッサージをして、今日よりは明日というふうに、舞踊には挑戦を求める。目標を掲げるのは得意じゃない。日々乗り越えていくだけ。
山田さん: (井関さんと)一緒、というか、一緒になった。それがないと、足りないなぁと思うようになった。
金森さん: 「Noism病」だね(笑)。こんなふたりだから、チャレンジし甲斐のある何かを差し出していかなければならない。

★今回のマーラーとヴィヴァルディ(マックス・リヒターによるリコンポーズ版)の音楽はどうやって決めたのか
金森さん: 直感。いずれ創作したい楽曲(や作品)はたくさんある。その時々のカンパニーの状況などを考えて決めているだけ。今回のマーラーも、いずれ作りたかったのだが、ああ、ここだなと。作りたいものはたくさんあるが、時間がない。時間をください。

☆マーラー交響曲第9番の第4楽章を振り付ける予定などはないか
金森さん: 今のところはない。(→質問者から「特殊な曲で、ダンスにするのは難しいかも」と言われるや)そう言われると作りたくなる(笑)。
創作にあっては、音楽を聴いて、舞台が見えたら、それは取っておく。見えないものは使わない。選曲に関しては割に素直で、有名とか(有名でないとか)は気にしない。
(→また、質問者から「以前の『Der Wanderer-さすらい人』について、シューベルトには960曲に及ぶ歌曲があるが」と向けられて、金森さん、「歌曲は手に入るもの700曲くらい聴いた」と答える。)

★怪我もつきものかとは思うが、メンテナンスとか工夫とかはどうしているか
山田さん: ストレッチして、マッサージしてという感じ。
金森さん: 本番のときには、Noism設立当初から、専門のトレーナーに待機して貰っている。
井関さん: 舞台に立てなくなるので、怪我が一番こわい。日々、マッサージやトレーニングでケア。踊りのことと同時に体をケアしていて、それが50%くらいを占めているかもしれない。海外の踊り専門に治療する方のYouTubeを見ている。それと、血液と酸素が今の私のテーマとなっている。
金森さん: 基本はもっとよく踊りたい、もっと長く踊りたいという気持ち。ケアした方がそれに近付ける。若い頃は寝りゃあ治るみたいなところがあったが、ケア自体も楽しめるようになると、ただ苦しいだけじゃなくなる。

☆Noism 20周年。とても幸せな公演だった。これからのことを聞かせて欲しい
山田さん: 本番は本番で、20周年とかはあんまり関係なかった。よく区切りとかという言い方をされるけれど、今日を精一杯やるとか、今日の課題を明日にとかは変わらない。
地域活動部門では、学校公演を行って、長い時間をかけて浸透させていくのがミッション。
井関さん: 20周年と言われるが、ただ20年が過ぎただけ。それによって、何か成し遂げたという実感はない。今回、メンバーと一緒に踊っていて、全員の目を見て踊っていると、魂が通い合った、嘘じゃない目をしていた。それを求めていた。『Amomentof』で見たみんなの目がホントにピュアで、始まりの一歩に思えたし、これからへの確信を得た。
金森さん: 全ての可能性はここにある。20年間続けてきたことの実績に価値がある。この舞踊団の素晴らしさと可能性。どこにこの身を賭けて、どういう判断を下していくか。その根底にあるものはずっと変わらない。新潟と世界を繋ぐことである。明日もチケットはちょっとだけあるそう(笑)。
井関さん: 公演回数が増えるように(笑)。公演回数を増やしましょう(笑)。

…といった具合で、約30分間の楽しいアフタートークでした。金森さん、井関さん、山田さん、お疲れのところ、どうも有難うございました。

そして、皆さま、今後、「公演回数が増えて」いくためにも、「ちょっとだけある」明日のチケットがソールドアウトとなって欲しいものですね。そのため、まだご覧になっておられない方、或いは、既にご覧になった方、どちらも明日、かっちりした予定が入っていない向きはご購入(ご鑑賞)のご検討をお願いいたします。20周年記念公演の2演目は観る度、新鮮な感動が待っていますゆえ。では、新潟公演楽日にお会いしましょう。

(shin)


BSNテレビ特番『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』上映会&トークショーに行ってきました♪

2024年6月14日(金)@りゅーとぴあ4Fギャラリー

BSN新潟放送制作のドキュメンタリー『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟(英題:On Stage)』が今年5月、ドイツの「ワールドメディアフェスティバル2024」でドキュメンタリー部門(Documentaries: Arts and Culture)金賞を受賞したことはご存じかと思います。
それを記念して開催された上映会と、金森さん×番組ディレクター坂井悠紀さんのトークショーに行ってきました!


最初は椅子が50席ほど用意されていましたが、どんどん椅子追加で、終わる頃には満席立ち見の大盛況でした♪
https://www.ohbsn.com/event/wmf-onstage/

まずは上映会です。
テレビでリアルタイムで見て録画もしてありますが、大画面はやはり違いますね!
ナレーションは石橋静河さん。2022年初演のNoism×鼓童『鬼』に関して、金森さんに密着したドキュメンタリーです。
あの頃はマスク必須でした。『鬼』を作曲した原田敬子さんのことや、新潟、埼玉、京都、愛知、山形の5会場での公演のこと等、懐かしく思い出しました。

続いてトークショーです。
すっかりおなじみ同士の金森さんと坂井さん。明るく楽しくいろいろなお話が繰り広げられました。

坂井さんは授賞式のため5月末にハンブルクに行き、3泊したそうです。
街の中心にある国立劇場で、ジョン・ノイマイヤー、ハンブルクバレエ団『ガラスの動物園』を鑑賞。
「どうだった?」ときく金森さんに、「セットが豪華だった」と答える坂井さん。
「踊りを観にいってセットが豪華って、そりゃダメでしょう!」とすかさず突っこむ金森さんでしたが、坂井さんには訳が。
坂井さんは「舞踊と言えばNoism」が沁み込んでいます。
「Noismは舞踊家たちの身体性が共通しているが、ハンブルクバレエ団は身体性が共通していなかった」そうで、動きの質がNoismより雑と感じたのだそうです。
この返答には金森さんもちょっと驚いたようでした。

ハンブルクバレエ団は公演数がすごく多く、スケジュールが過密で多忙なので、集団性よりも個々の魅力を重視しているのではとのことでした。金森さんは「他の一流の舞踊団を観るとNoismのこともよくわかるよね」と応じていました。

●ハンブルクバレエ団、日本人初のプリンシパル菅井円加さんへのインタビュー( by 坂井さん)
菅井さんは2019年からプリンシパルになったそうで現在29歳。国家公務員という立場。
ノイマイヤーが芸術監督をもうすぐ退くことになっているが、それまではバレエ団にいるし、その後は流れを見たい。
劇場の課題は、観客の高齢化。← これは世界的現象だそうで、若者向けの演目を上演するなど、対処しているそうです。
菅井さんは金森さん、井関さんの大ファンとのこと♪
この『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』を見て、とても勉強になったそうです。

金森さん談:
ノイマイヤーもそうだが、20世紀の巨匠たちがやめると、そのあとがてんやわんやになる。
自分はその次の世代だが、そうならないようにどのように残して、世代交代していくか。
自分がいなくなってもNoismが今のように続いていくにはどうすればいいか、考えているが難しい。
舞台芸術が定着しているヨーロッパではなく、この国独自の専属舞踊団のあり方を考え出して、世界に貢献したいと思っている。
日本は、かつて経済に注いだ情熱を、今度は文化に注げば文化大国になれるのにもったいない。
★この番組が金賞を受賞したからには、全国放送をしてほしい。新潟でしか見られないというのはそれこそもったいない!(拍手)

そのほか、坂井さんは2019年1月『R.O.O.M.』の公開リハで初めて金森さんとNoismに出会ってビックリし、密着取材をしつこく申し込みましたが、断られ続けたこと。その後、モスクワまで(『カルメン』公演の取材に)来たら考えると言われたため、同年5月末にモスクワに行ったこと(モスクワの会場でお目にかかりました)。
ハンブルクでの授賞式・レセプションには審査員が誰も来ていなくて驚いたこと。等々々書ききれず、すみません。

4年前、文化庁芸術祭賞のテレビ・ドキュメンタリー部門で大賞を受賞したBSNスペシャル
『芸術の価値 舞踊家金森穣 16年の闘い』で、坂井さんは「新潟に金森穣がいることの意味」を撮りたかったそうですが、この度は「金森穣にとっての新潟」を意図したそうです。
番組中、昨年の関屋浜海岸清掃のシーンで金森さんが言った「この海の向こうには大陸があるんだよね」という言葉が坂井さんには印象深いそうです。新潟にいて、いつも世界のことを考えている人、なのでしょう。

最後に金森さんのひとこと、
「Noismで二つも賞を取ったのだから、BSNはそろそろNoismのオフィシャルスポンサーになれば!」
拍手喝采! あっという間の1時間、楽しいトークでした!
終了後は来場者と写真撮影♪
https://twitter.com/NoismPR/status/1801581021382721871

なお、6月28日(金)— 30日(日)
Noism 20周年記念「Amomentof」公演期間中も同番組が上映されます。

※28日(金)、29日(土)の上映はどなたでもご入場いただけます。
入場無料(申込不要/当日直接会場へ)
※30日(日)の上映は、会場が劇場ホワイエとなるため、当日の公演チケットをお持ちの方のみのご入場となります。なお、椅子のご用意はありませんので、ご了承ください。

6/28(金)17:30-18:25 4Fギャラリー
6/29(土)15:30-16:25 4Fギャラリー
6/30(日)14:00-14:55 劇場ホワイエ

公演&上映、ぜひどうぞ!

(fullmoon)

【追記】
坂井ディレクターによる授賞式を含むハンブルク訪問の様子は、6月12日(水)夕にBSN新潟放送『ゆうなび』内にて、「芸術の国 ドイツ・ハンブルク 現地リポート(Noismを知るトップダンサーにも取材)」として、10分の尺(!)をとって放送されました。その放送ダイジェストは次のリンクからご覧いただけます。併せてどうぞ。
https://news.infoseek.co.jp/article/bsn_1226246/#goog_rewarded 
(放送には映っていた授賞式での坂井ディレクターの尊いタキシード姿がこちらには載っていない点は誠に残念ですが…。)

(shin)  

「柳都会」Vol.28 矢部達哉×井関佐和子(2024/2/4)を聴いてきました♪

2024年2月4日(日)、暦の上では「春」となるこの日の午後2時半から、りゅーとぴあ〈能楽堂〉にて、東京都交響楽団のソロ・コンサートマスターを務める矢部達哉さんをお迎えしての「柳都会」を聴いてきました。

―届けているのは本物。音楽と舞踊の関係性、不可分性。

柳都会vol.28 矢部達哉×井関佐和子 | Noism Web Site

今回の「柳都会」は、聞き手の井関さんが話をお聞きしたいお相手として、矢部さんを希望されたところ、快諾をいただき、実現したものとのこと。そして、開催日時が近付いてくるなか、SNSに「ミニ・ワークショップもある」という追加情報も出されるなど、これまでにないスタイルへの期待も膨らみました。

予定時間となり、井関さんからのご紹介で登場した矢部さん。鏡板の「松」の手前、「人生で初めて履いた」という足袋姿+「お見せするだけ」のヴァイオリンを携えたそのお姿はそれだけでもうかなり微笑ましいものがありましたが、その後、トークの間に、何度もヴァイオリンを弾いて説明してくださった矢部さんのお人柄に場内の誰もが惹かれることになりました。終始、穏やかな語り口で、ユーモアを交えて話された矢部さん。ここでは話された内容からかいつまんでご紹介しようと思います。

*矢部さんとNoismとの出会い
2011年、〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本2011〉でのバルトーク『中国の不思議な役人』のとき。
矢部さん: 『中国の不思議な役人』は信じられないくらい難しい曲。しかし、指揮者から「舞台の上(Noism)はあまりにも完璧でびっくりする」と言われていて、ピットの中からは見えなかったのだが、舞台の上と繋がっている感覚があった。後からビデオで観て、(Noismに)一気に興味が湧いて、それ以来、自分の人生の中で欠かせないものとなっている。尊敬し過ぎていて、ただのファンという感じ。

*矢部さんとヴァイオリン
・矢部さん5歳: ヴァイオリンは、クリスマスに親が出し抜けに買ってきて、「あなた、コレやるんですよ」と言われて、始めたもの。それがずっと続いて今日に至るのだが、現実は甘くない。「100年にひとり」とかいう存在になるなど、「皮膚感覚で無理」とすぐにわかった。
・矢部さん高1: 病気で学校に行けなかった頃、マーラーのオーケストラ曲と出会い、「これが弾きたい」という気持ちになって、オーケストラでヴァイオリンを弾くことが目標に定まった。
・オーケストラとソリスト: 実力、メンタリティや意識のほか、奏法も違う。オーケストラは調和が大事なのに対して、ソリストは孤独に耐えることができて、一人で2000人の聴衆の一番後ろまで音を届かせなければならない。(一方からもう一方への転向はそれぞれに難しい。)
しかし、ソリストも弾く曲を自分で選べる訳ではない。例えば、メンデルスゾーン、チャイコススキー、シベリウスなどは1年に何度も弾かねばならない。一方、オーケストラでは色々な曲、色々な指揮者に出会えるメリットがある。
・矢部さん22歳: 4つのオケからオファーがあったなか、東京都交響楽団のコンサートマスターになる。その際は、急遽の展開だったため、オケ側の事前協議や準備もままならず、(ご自身は何も事情を知らないながらも、)「不完全なかたちでお迎えして申し訳ない。これからのことはもう少ししてから」と言われての4月のスタートだった。→その後、「大丈夫になりました」と言われたのは、1990年6月6日に「信じられないくらい美しい音楽」マーラーの交響曲第3番・第6楽章を演奏した日のことで、きたる6月に「20周年記念公演」で同曲を踊るNoismとシンクロする。

*コンサートマスターの仕事 
矢部さん: 指揮者とオーケストラは大抵、喧嘩するもの(笑)。そのとき、間に立って、いいかたちに持っていく役割。(穣さんほどじゃないけれど、)生意気だったかもしれないが(笑)、「長い目で見てあげよう」と思われていたのだろう。同時に、最初の4~5年くらいは、「子ども」で大丈夫かとも見られていたようで、「ごめんなさい」という感じで座っていたりもした。
井関さん: 若くしてコンサートマスターになる人はいるのか。
矢部さん: そんな時代もあり、昔は何人かいたが、ここ30年程でオーケストラの技量が格段にアップしてしまって、現在は難しい。

*(舞踊の)カウントと(オーケストラの)指揮者
井関さん: 舞踊の場合、指揮者にあたるのはカウント。カウントを数えて踊るのだが、最終的には、カウントを数えていると「見えなくなる」。 
矢部さん: (例えば、小澤征爾さんとか)本当に凄い指揮者は見なくても伝わってしまう。磁場ができて、自由に弾かせて貰っている感じになる。そのとき、舞台上は有機的に繋がっていて、触発され、相乗効果で演奏している感覚に。それがオーケストラで演奏する醍醐味。

*音楽性をめぐって
矢部さん: 才能もあるが、表現、音の陰翳、色の捉え方が大事。
井関さん: 舞踊家が音楽を身体に落とし込んでいくやり方は、個人によって異なる。矢部さんはどういうふうにキャッチしているのか。
矢部さん: 簡単に言うと、「作曲家の僕(しもべ)」として。例えば、ベートーヴェン。200年も経っているのだが、ビクともせず、生き残っている。普遍的な力で、現在に至るまで、どの時代の人の心も捕らえてきた。生き残らせる役割を仰せつかっている。音楽によって聴衆との間に生まれる空気を共有することが目的。

井関さん: 作曲家の意図を汲みつつ、オケにあって個性は必要なのか。
矢部さん: 生まれ育った環境も心の在り方も異なるのだから、個性は違って当たり前。
ピタリ合っただけの音楽は異様で、生きた音楽にはなり得ない。小澤さんは、個を出した上で有機的に調和することを求めた。

矢部さん: 音楽史上、最も偉大な3人(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン)の音楽は色々な解釈、色々なアプローチを受け付ける。スパゲティ・ナポリタンにも色々なものがあるのと同じ(笑)。(ナポリタンである必要もないが(笑)。)

*呼吸をめぐって
井関さん: 踊っているときの自分の呼吸に興味がある。昨日、弾いて貰うのを聴いていて、矢部さんの呼吸にも。
矢部さん: あっ、そうか。(呼吸)しているんでしょうね。呼吸を入れると、身体が自然に動くが、止めると、身体も止まる。酸素を取り入れた方が流れがよくなる。
井関さん: 呼吸のコントロールで表現が変わってくる。自分の呼吸に気をつけていると、「離れる」こと、「引く」ことができて、身体に影響が大きい。
矢部さん: ヴァイオリンの場合、ダウンボウでは吐き出して、アップボウでは吸う。音の方向性(上に行くものと下に行くもの)に違いがある。

(5分間の休憩後には、予告されていた「ミニ・ワークショップ」から再開される。)

*金森さんの音楽センスと「ミニ・ワークショップ」
(金森さんも加わって、再開)
金森さん: 「雇われ演出家」の金森穣です(笑)。
矢部さん: 穣さんの音楽センスは、まわりの芸術家のなかでも傑出していて、まさに天才。音の陰翳、色を捉えた演出、ずっと興味があった。ドビュッシーの交響詩『海』、ずっと好きで、繰り返し聴いてきたが、『かぐや姫』で聴いたときが一番よかった。それが「金森マジック」。

「ミニ・ワークショップ」: 矢部さんが、金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』で金森さんが使用しているドビュッシーの『亜麻色の乙女』、『海』(のそれぞれ一部)を弾き、その場で金森さんが即興で井関さんに振り付ける様子を観る、実に贅沢な時間…♪

矢部さん: (「ミニ・ワークショップ」では)ただ弾いていただけではなくて、彼ら(金森さんと井関さん)の動きを観ることで、陰翳が変わった。触発されて、別の弾き方をしてみたくなる。相乗効果。とてもクリエイティヴ。
金森さん: 呼吸の「間(ま)」、振付を考えるうえで大きいかもしれない。言葉がないもの、説明のしようがないものを届ける。非言語での想起。
矢部さん: 芸術は受け取る側に委ねられている。(恣意的に歪めることは違うが。)今あるメロディがより綺麗に聞こえる、「金森マジック」。
(この間、約15分。金森さん退場)

*呼吸、カウント、一体感…
井関さん: 最近、「声」が入っているもので踊る機会が多い。歌手の呼吸を聴き込んで踊っている。矢部さんの呼吸をキャッチできたときに一体化できる。
矢部さん: (小澤さんをはじめ、)偉大な指揮者は例外なく呼吸から受け取るものが多い。呼吸によって出て来る音楽が異なる。
井関さん: 一旦、繋がってしまうと、テンポはそれほど重要ではなくなる。信頼関係かもしれない。
矢部さん: 音楽よりカウントを優先させてしまうと、ズレてしまうかもしれない。うねり、抑揚、陰翳…音楽が身体に入ってくると、自ずと身体の使い方が変わってくるのではないか。

矢部さん: まっさらな楽譜に「ボウイング」を書き込むのもコンサートマスターの仕事。でも、違うんじゃないかと言われて、消しゴムで直すなんてことも(笑)。
井関さん: 普通に矢部さんのお仕事見学に行きたい。
矢部さん: そんなに面白くはない…(笑)。

(と、ここで井関さんが終了時刻の午後4時になっていることに気付き、告げる…)

矢部さん: あら、そうね。また遊びに来ます。今度は舞踊について質問したいことがたくさんあるから、それはまた機会を改めて。

…と、そんな感じでした。
矢部さんは「お見せするだけ」の筈だった(?)ヴァイオリンで、上に記した曲のほか、オーケストラとソリストの弾き方の違いを説明する際に、ブラームスの交響曲第1番からのソロ・パートを、更に、アップボウとダウンボウの違いに関しては、マスネの「タイスの瞑想曲」も(一部)弾いてくださいました。お陰で、(金森さん登場の「ミニ・ワークショップ」も含めて、)おふたりの本当に濃密、かつ、わかり易いやりとりを堪能させて貰えました。そんな豊かな時間を過ごせたことに、感謝しかありません。(何しろ終わったばかりで、こんなことを書くのは欲張りも過ぎる気がしますが、)是非、舞踊に関して改めての「機会」が実現しますように♪

(shin)




「鈴木忠志・金森穣・瀬戸山美咲による対談」(2023/12/20)(サポーター レポート)

SCOT吉祥寺シアター公演での「対話」へ行ってきました。
舞踊と演劇に関して様々な話題が出ましたが、主に金森さんに関連する部分をレポートさせていただきます。 乏しい記憶力と書きなぐりメモが頼りゆえ、事実と違ったり、話の順番やニュアンスが正しくないかもしれない点はご容赦ください。

劇場の黒い舞台の下手から鈴木忠志さん、金森さん、瀬戸山美咲さんと並び、皆さんモノトーンの装いで、シックな雰囲気。客席には井関さんのお姿も。

まず鈴木さんがおふたりを紹介し、おふたりからも簡単な自己紹介。
鈴木さんは、これまで2人に利賀でやってもらったが、今後も何かやれたらと思う、将来を嘱望されている2人がこれから活躍するにあたり、何が問題かをどんどんしゃべってほしい、何か力になれれば、と前置き。
『闘う舞踊団』については、良く書いたなー、読む方は誰かわかるでしょ?とコメント、皆ジワッと笑い。

金森さんは、日本では劇場の中にプロの専属集団がいないこと、プロではなく「趣味」に生きていると思われがちなこと、地方では多額の税金が、限られた市民だけ、または、東京から舞台を呼ぶことに使われている…という、これまでにもお話しされていた問題点を述べ、帰国して日本の状況に失望し、海外へ戻ろうと思った頃、鈴木さんと会って作品を見て、メソッドを持ち、何十年も身体と向き合っている集団があることに驚き、理解したいと思った。
日本の演劇には、物語はあるが、役者からのエネルギー、生身の身体があることの必然性が感じられないが、SCOTにはそれがあって感動した。
Noismを20年やっても公立の舞踊団は唯一で、新国立のバレエ団もコールドは給料で生活できず、新国立が海外から呼ばれることもない、というのが現実。
国の制度を変えたい、「御大(=鈴木さん)」の背中を見ていれば、変えられると思う、とのこと。

「劇場」について、鈴木さんは、劇場には空間(建築)があって思想があるべき。能舞台がそうで、海外ではピーター・ブルック等が自分の劇場を作っている。空間に合う思想を具現化する技術は何かを考えることが必要で、日本には劇場が沢山あるが、本当の意味での劇場がない…と熱い語り。
瀬戸山さんは、演出家の目線が入っていない劇場が多く使いづらいと指摘。
金森さんは、誰のための劇場かわからないと今後も同じことになる。公平性が社会的正義となると、(誰にでも)使いやすいことが優先されると危惧。

金森さんからの、鈴木さんの舞台は身体が強いので色々な空間で上演される、という言葉を受け、鈴木さんは、自分はどこでもやれる自信があるとキッパリ。能舞台があり能役者がいるのが素晴らしい、というのではなく「軸」が重要。思考の軸・基準がなければ、身体も集団もダメになる、とのこと。

また、「劇作家」「演出家」についての話の流れで、鈴木さんは、金森さんは演出家だと思うが、まだ言葉をしゃべったことがない、舞台の言葉は日常とは異なり、簡単じゃない、と語られましたが、これから言葉を入れることに挑戦してほしいという意味なのかどうか、よくわかりませんでした。

「地域への貢献」の話題で、金森さんは、今の世の中の今の新潟で、「軸」を失わずにできることをやる。「軸」のために闘い方を捻りだし、地域貢献も必要ならやる。今は主にNoism2 が行い、金森さん自身が直接関わらなくても良い仕組みを作ったと説明。

鈴木さんは、「地域貢献」は結果であり、「人類へ貢献したい」。「地域」は政治家が考えることで、芸術家の役割は、多民族や異なる思想を持つ人々の間に共通の悩みや問題があることを示し、それに役立つような共通の思考を見いだし、1つの共同体だけでなく異質なものに橋を架けること。「日本人だけ」はナンセンスとも。
瀬戸山さんが、日本は、日本の演劇を海外へ紹介する意識がないと言うと、金森さんは、日本の演劇の作り手は、そもそも、海外と勝負できる・人類の財産となると思っていないのでは…と一言。

鈴木さんは、公共と関わる場合は税金が使われるから難しく、「アナタの金ではないから偉そうなことは言うな」と言われるのは仕方ないが、本来そこは政治家が説得すべきこと。行政が芸術を助けるのでなく、経済人・政治家・芸術家が対等でなければならない。行政サービスとしてではなく、国家政策としてやらせることが重要と主張。
金森さんに対しては、政治家はいずれ選挙で落ちるけれど、自分は死ぬまで金森穣でやるから、(政治家に)もっと闘ってくれ、と言うべき、と煽り(?)、瀬戸山さんに対しては、日本語を守るためにも戯曲は大事だから、立候補したら?と唆し(?)。

鈴木さんから、自分はやりたいことができているが、このままではダメではないかと考えている。(2人に対して)でっかい態度で発言しなさい、悪口を言えばお金が出るから…と、まさに「御大」な発言が。もちろん「悪口の基盤が重要」と釘さし。

その後、利賀を作り上げるまでの逸話(今ではNGなことも)を披露。はじめは自費だったが、そのうち知事が来て行政からお金が出るようになったとも。
金森さんは、Noism設立時は、流行りの芸術監督制度をやりたいスタッフに自分が呼ばれ、今は、現市長は前市長のやったことをやめると色々言われるから続けている。
「やってください」と言われるまでになっていないので、覚悟しかない、と。

最後に鈴木さんから、「世界はこうだ、私は天才だ」と大きなことを言った方が良い。2人とも頑張っている、きっと思いは通じる。「あれだけのことを言うからには裏に何かある」と思ってくれる、と再び激励。
瀬戸山さんは、今は萎縮したり慎重になりがちだけど、大きな夢を語るのは大事ですね、と。
金森さんは、今、刀を研いでいます、追い出される前に追い出します、と不敵な笑み。

当初、「自分は司会」と言っていた鈴木さんも沢山話してくださり、そこに思いを2人が受け継いでくれるという期待が感じられました。それを聞く金森さんが、嬉しそうだったり、照れくさそうだったり、困惑したり、慌てたり、いつもと少し違う表情を見せていたのが印象的でした。

また、若き日のご自身を「老人キラー」と称した鈴木さんによると、金森さんも「老人キラー」だそうです。何人か殺しちゃってるんですね(笑)。

質問コーナーはなしで約1時間45分、貴重なお話をたっぷりと聞けました。この日の視点は主に作り手側から。いつか観客の視点を交えた対話の場が持たれることに期待します。

(うどん)

ゲンロンカフェ「踊ること、生きること、観ること──日本人にとって劇場とはなにか」(2023/8/1)を聞いてきました♪

2023年8月1日(火)、東京五反田のゲンロンカフェにて「金森穣 × 上田洋子 踊ること、生きること、観ること──日本人にとって劇場とはなにか」を聞いてきました。
ゲンロンカフェといえば、自前のカフェスペースで繰り広げられる時間無制限のトークです。じっくりと話が聞けるため、とめどなく話が深堀りされるのが魅力のひとつです。

さて。五反田駅からゲンロンへ向かう途中の大崎橋の中ほどに看板が出ていました。ゲンロンの入るビル入口にも本日のイベント案内がありました。

今回金森さんと対談するのは、ゲンロン代表の上田洋子さんです。
上田さんと金森さんは、 “御大”鈴木忠志氏が創設したSPACや富山県利賀芸術公園を通じて交流があり、また2016年のゲンロン利賀セミナーでは金森さんが講師の一人を務めています。旧知の間柄であるお二人、トーク序盤は上田さんがやや堅い感じだったのですが、絶好の聞き手を得て金森さんのお話は立て板に水のごとくのテンポで進みます。
トークの様子は配信プラットフォームのシラスで完全中継されてアーカイブがありますので、全編はぜひシラスで御覧ください。

対談中で印象的だったのは、上田さんがクリティカルな質問を投げかけると、目を見開いたまま口角を上げて「ない」とイタズラぽい笑みを浮かべて即答する金森さん。Noismの運営について対話を交わす中、何度となく「もったいない」という言葉が漏れたこと。


そして第一部終盤からは、『夏の名残のバラ』、『ラ・バヤデール―幻の国』など過去の作品映像を見ながら対談が展開されました。展開されるというか、美しい……と、ついつい映像に見入ってしまい、客席に「機会があればぜひ見てください」と投げかける上田さん。権利上の問題から映像に音楽はついていないのですが、貴重な映像もあり、さながらパブリックビューイング状態でした。

第二部も過去の映像作品を観ながらのトークは続きます。
残念ながら私は終電問題につき途中離脱しましたが、対談は23時台まで続きました。
(noi)

シラス ゲンロン完全中継チャンネル アーカイブ

ゲンロンカフェでは個別のトークイベントごとにハッシュタグが用意されています。
Twitter(X)でのタグ #ゲンロン230801 つき発言へのリンク

2023年7月18日、日本記者クラブで『闘う舞踊団』について語った金森さん♪

【お知らせ】日本記者クラブでの会見「著者と語る」にて、初の著書『闘う舞踊団』その他について語った金森さん。その動画がYouTubeにアップされています。

著者と語る『闘う舞踊団』演出振付家、舞踊家 金森穣さん 2023.7.18

演出振付家で舞踊家の金森穣さんは、今年1月に刊行した著書『闘う舞踊団』で自身の半生と、日本で初となる公共劇場専属舞踊団「Noism」を率いてきた18年間の「闘い」をまとめた。 『闘う舞踊団』の執筆に至った経緯や、この間何を思ってきたのか、劇場文化の活性化に必要なこと、文化政策のあり方などについて語った。
司会 中村正子 日本記者クラブ企画委員(時事通信)

Youtube より(一部修正のうえ転載)

金森さんが綴った感動の著書『闘う舞踊団』、既にお読みになられた向きも、これからお読みになられる向きも、この度の会見動画は間違いなくお楽しみ頂けるものです。どうぞこちらからご視聴ください。1時間21分25秒あります。「志」を胸に「闘う」金森さんの語り、いっぺんにでも、少しずつでも♪

(shin)

Noism 金森 穣『闘う舞踊団』~出版記念トークイベント~聴いてきました!

テレビをつければWBC一色、ぽかぽか陽気の休日に、MOYO Re:(もより)にて行われた『闘う舞踊団』~出版記念トークイベントを聴いてきました!
聞き手はツバメコーヒーの田中 辰幸さん。
以下、トークの様子をふわっとレポートします。

■出版について
本を書くことで未来の誰かに託している。資料として残すという側面がある。
『闘う舞踊団』は、文化政策にかかわっている人から反応がある。
Noismは成功例だと思っていたところ、読んでみて驚きや共感を覚えたという声がある。
こういう形で発信していかないと気が付いてもらえない。もっと発言していかなければいけない。

■鑑賞すること、批評の不在
Noism初期の頃のアフタートークでは平易な質問もあったが、回を追うごとにはっとする質問が来るようになった。
舞踊に触れていなければ、見方はわからない。感じられるものはあっても、この見方で”合っているのか”わからない。
舞踊についての言説が流通していない。別の方法も考えていかなければいけないし、地道に続けていくこともある。
一度でもいいから観てもらうためには、知名度を上げることも必要。

■10代の頃
中学生くらいの頃は授業に身が入らなかった。屋上でハーモニカを吹いていた。
自分が”違う!”と思ったらイヤになって、授業が入ってこない。
承認欲求はある。0歳児保育の頃は大人に気に入られようと愛想をふりまく幼児だった。

■家庭環境からして舞踊のエリートなのでは?
父は伊豆大島から東京に出て、ウエストサイドストーリーに感化されてダンスを始めた。
いま70代で生活保障もあるわけではない。舞踊家の大変さ、厳しさは目の当たりにしている。
舞踊は身近なものであり、踊っていると周りの大人がほめてくれた。

■世代による分断
現代では舞踊の動画もたくさんあり、学習しやすくはなっている。
世代による体験の分断はあり、強いてやらせるのは暴力的なこと。
いま海外に行っても、通信手段が普及しているので容易につながってしまえる。
ただし方法が違うだけで、孤独は味わっているのかもしれない。
自分の追い込み方、内圧を高めてどう外圧に対処するかという体験が重要。
外圧がないところで、内発的に自らを高めていくことは難しい。

■身体の稀少性
社会が非身体化しているからこそ、身体の稀少性に惹かれる。
知識は見て学べること。その時自分の身体がどうなっているか、身体と向き合うという実践によって理解できることがある。
知識を疎外しているわけではなく、両輪としてやっていく。
身体性をどうとらえるかは、一度WSに出て体験してみるのが一番。
実践を通して身体の可能性に気づき、見る行為により追体験ができる。
人生をかけて自分の身体と向き合うことでリアリティが生まれる。

■読書について
本は18歳頃から読み始めた。図書館には行かないタイプだった。
ヨーロッパでは、哲学とは、親とはといった会話で他者とコミュニケーションする光景があった。
自分は今まで舞踊(運動)はしてきたが、これではヤバイ!恥ずかしいという思いから本を読み始めた。
いきなりニーチェを読み、内容はわからないけれど負けず嫌いなので読み通した。
ニーチェのほか、三島、村上春樹など雑食だった。
今ならまとめ動画で要約も見られるし、知らなくてもchatGPTで回答は得られる。
だが身体とどうかかわるか、全身体的な体験として本を読む。読む行為は空間的かつ時間的。
ベジャールの父は哲学者だった。メルロー=ポンティなども会話に出てきた。
情報と感覚は違う。ヤバイ!と思うこと、危機感を持つことが大事。

■金森さんがちゃんとしすぎている問題から
田中:金森さんは、もう少し隙があると親しみがわきやすいのでは?
金森:この前も柳都会で、近づきがたいと思っていたが、普通でよかったと言われた。
田中:だらしなくしてみては?
金森:スキを見つけて楽しい? 別に作っているわけではなくて、やりたくてやっている。
そんな方法でなくても、山田の道、井関の道、オレはオレでやっていく。
もし、崩して観客が増えるとか、根拠があるならやる。
とはいえバランス感覚が重要。知名度が全てではないが、知名度も必要。
質と社会性の両立、広報を続けていっておいおい成果がでてくればよい。多角的アプローチをしていきたい。

■観客について
少子高齢化が問題と言われるが、高齢者はさまざまな人生経験をしているので、ごまかされない目があり深く届くものがある。
芸術家の自分としては、理解者は一人でもいればいい。実演家と芸術家の両方の視座が必要。
県外からの観客は2~3割程度。昔より増えている。
市内の人が劇場に足が向かないのは、年間を通してやっていることの弊害かもしれない。
首都圏へのアピールは課題。関係が構築できたと思ったら担当者が変わる。
(芸術家としては)ただ数が集まればいいというものではない。
何が評価されているのかは、今期から新体制なので、三年後にまた聞いてほしい。
メンバーがチケットを販売することはタブーではないが、それをやらないと成り立たなくなるのは駄目。
普段の生活の中で、馴染みのお店や触れ合う人へ観に来てくださいという声かけはあると思う。

■饒舌な金森さん
(ポスターの指先まで隙のない姿に対して)舞踊家だから仕方がない(笑)
田中くんが相手だと、ふだん話さないことまで話した気がする。
柳都会では聞き手になっているが、今日はずっと喋っている。
フリートークが成立するかどうかは相手による。

■良くも悪くも金森さんの存在は不動のものでは?
日々さらけ出して、メンバーと一緒に稽古している。
ベジャール、キリアンの指導者性はタイプが違う、自分が師事した頃の彼らは60代70代だった。
自分が踊らなくなってからわかる見え方があるかもしれない。
今後は、Noismの組織としての体制を確立させる。
自分の身体と向き合うことで「真の花」に迫れるのではないか、興味はある。
舞踊はよく非言語と言われるが、むしろ前言語的ではないか。

■「美しさ」とは
大前提として、はかないもの。言語化すると消失してしまう。
ヨーロッパでは「美しい」と頻繁に言葉に出す。
リプロデュース可能なものにするのが「芸」。

軽妙なテンポの田中さんが、スペイン人の女の子、鈴木忠志さんのユンボなどの話題を挟んで会場を沸かせることも度々。質疑応答からさらに話題を展開するモデレーターぶりに、いつになく饒舌な金森さんが応えます。怒涛のトークに聞き入り、気づけばあっという間の2時間が経過していたのでした。(のい)

「柳都会」vol.26 渋谷修太×金森穣(2023/03/18)を聴いてきました♪

ここ数日の暖かさはどこへやら、冷たい雨がそぼ降る2023年3月18日(土)の寒い新潟市。雨もあがった夕刻16:30からの「柳都会」vol.26 渋谷修太×金森穣を聴いてきました。(@りゅーとぴあ〈能楽堂〉)

この日のゲストはアプリとデータをテーマに事業展開するIT企業・フラー株式会社の代表取締役会長 渋谷修太さんとあって、ビジネススーツ姿の来場者もおられるなど、いつもの「柳都会」とは少し雰囲気も異なるように感じました。そしてこれを書く私はと言えば、デジタルにはとんと疎いもので、「ついていけるかなぁ?」という不安が拭えずに会場入りしたような次第でした。しかし、渋谷さんの人間味溢れる人柄と語りの上手さに惹き付けられてあっという間に終了予定時刻になっていた、そんな対談でした。ここでは話された内容からかいつまんでご紹介しようと思います。

冒頭、この日の占いで「口は災いの元」と出たので気を付けるという金森さん。つかみはOK。そこからは主に渋谷さんがご自身とフラー株式会社についての話をされるかたちで進んでいきました。

*起業家の力で、故郷を元気に。
渋谷修太さんは1988年、新潟県生まれ。佐渡に実家も、親の仕事の都合により、→妙高→南魚沼→新潟と転校→長岡高専へ進学(プログラミング・テクノロジーを学ぶ)→筑波大学に編入学(経済・経営を学ぶ)→IT企業・グリー株式会社に勤務(2年強働く)→1911年、愛着のある新潟で、長岡高専時代の仲間と一緒にフラー株式会社を設立した。「友達と一緒にいたい。どうしたら『卒業』しないで済むんだろうか。会社があれば」の思い。創業時、5人→現在、150人が働く会社へ。
高専: 高等専門学校。中学卒業で入学することができ、5年間の一貫教育で優れた専門技術者を養成するための高等教育機関。全国に57校ある。「かつてアメリカのオバマ元大統領は『日本で一番優れた教育機関』と評した」と渋谷さん。

2016年、アメリカの経済誌「Forbes」から、年に一度選出する「アジアを代表する30歳未満の30人」に選出されたことを報せるメールが届いた。同年の選出者には、他に田中将大、錦織圭、内村航平もいて、そこに「起業家」が並ぶことはアメリカでは驚きなく受け止められることであり、日本で「『おおっ!』ってなるのをやめさせたい」(渋谷さん)思いがある。評価されたのはアントレプレナー(起業家)としての「数値」:会社を成長させるスピードや資金調達力(当時、10億円くらい集めていた!)

2021年、EY「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」10人のうちのひとり(Exceptional Growth(=並外れた成長)部門)に選出される。「地方創生DX(デジタル・トランスフォーメーション:デジタルでの変革)のリーダー」

*フラー株式会社 
「自動車だったらトヨタ、家電だったらソニーといった、日本発で世界一といえるような会社をITの世界でも創りたい。」
デジタルパートナー事業: パートナーに寄り添い、共に創り、本当に必要なものを届け、企業がデジタル化していくのを支える。
一番大事にしているのは人。IT企業には在庫はない。コストの大半は人件費。
社員の平均年齢:32歳。高専出身者:27%。
地方拠点を活かした開発体制:都心から離れた拠点率:100%。(←Uターン就職の受け皿に。)

*社会全体がHAPPYになることを目指す、地方のデジタル化
【例】長岡花火のアプリ開発: 大勢の人が集まることで電波が繋がり難くなるウェブサイトに対して、使えるのがアプリ。
金森さん: どうして? その瞬間、最新の情報にアクセスできるの?
渋谷さん: 事前にアプリをダウンロードしておけば、最新の情報も情報量は少ないので、キャッチできるときにキャッチすることが可能。

「デジタル化」はあくまでも手段。「長岡花火が良くなるんだったら、デジタルでなくても何でもやろうよ」→ゴミ拾いなども行った。→そこを見てくれて評価してくれる会社(任天堂)もあった。

*2本社体制(新潟&柏の葉)、それぞれの地域を活かした活動
統計によれば、東京で働く人の4割が地元に戻りたい思いを持つが、仕事が理由で叶わない。→ささるキャッチコピーを投下。
・交通広告: 改札を出ると、またはエスカレーターに乗ると、「フラー」の広告。
・年末・年始のTV 15秒CM: 年末・年始、普段はTVを見ない若者が、お茶の間で家族と一緒に点いちゃっているTVを見ている時間帯にCM。
「ふるさとに帰ったら挑戦は終わりだと思っていた。この会社と出会うまでは。」
「諦めなくていいんだ。新潟に戻るのも、ITの仕事も。」 

*「地域に優しいデジタル化を通じて、世界一、ヒトを惹きつける会社を創る。」
ソフトウェアの地産地消。持続可能であること。地域の課題を地域で解決することは働くモチベーションになる。地域に雇用を生み出す正しいサイクルを目指す。

金森さん: 経営者の面のほか、デジタルのプロダクトやコンテンツはどうしているの?
渋谷さん: デザイナーとエンジニアに任せている。「自分よりできるヤツいる。みんなで一緒につくればいいんだ」自分は説明やお金集め、人集めに特化。
金森さん: 日本のプログラマーは現在、最先端ではない。「外国へ行きたい」とかならないの?
渋谷さん: シリコンバレーで感じたのは、「こいつらもめちゃめちゃ凄くはないな」ということ。但し、挑戦はするし、プレゼンは上手い。日本にも優秀なエンジニアはいる。
金森さん: テクノロジーの進化に対応する必要はある。
渋谷さん: 英語のメディア等に情報を取りにいくことは必要。更に実際に自分で使ってみることが重要。

3年前、故郷・新潟に移住して感じたリアルな現場: ファミリー経営が多い地方の企業は社長交代期に、60代から30代へとか、「世代がとぶ」環境があり、一気にデジタル化が進む傾向もある。

新潟には、100年続く老舗企業も多く、そうした既存企業の更なる飛躍と新潟初の新規事業の促進をDXで支えていくことを目差す。
全国的にも起業家が少なかった新潟において、新潟ベンチャー協会として若手起業家合宿などの活動を行うことで、現在、若手起業家は増加している。「ローカル発。世界に新潟から。」
金森さん: 同業他社が増えていいの?
渋谷さん: 人に関しては、ある程度、「集積地」を作らなければならない。フラーなのか東京なのかではなく。給与のレンジや競争の適正化が図れる。自分としては、「競争」ではなく「共創」のイメージがある。

*AIで仕事は変わる
金森さん: テクノロジーやAIの進化で人はどんどん要らなくなっていくとみられている。この先もアプリを作るのは人間?
渋谷さん: ゆくゆくはAIが作るようになるだろう。AIで仕事は急速に変わる。AIを使いこなし、味方につける術を身につけていくことが求められる。スティーヴ・ジョブズも「既存の仕事はなくなるが、クリエイティヴなことに使う時間は増える」と言っている。時間が節約され、膨大な時間が生まれる。それを人間にしかできないことに使うこと。

*活躍できる土壌、文化、場所
シリコンバレーの風土・環境: イノベーション施設「wework」には遊ぶ環境も用意されていて、昼からビールも飲める。精神的に何がよしとされているか。ハード面でもクリエイティヴな環境があることが大事。→プラーカに「新潟版」を作って貰った。「NINNO(ニーノ)」:新潟とイノベーションを掛け合わせた造語。
金森さん: 環境に惹かれる人間の感性を育てることも重要。劇場はクリエイティヴィティが発動する場という思いでやっている。ローカルに消費されるだけでなく、世界と繋がっていることが感性にとって大事。
渋谷さん: アメリカのポートランドの例をみるまでもなく、芸術とクリエイティヴな人材の相関性は高い。「Noism、希望だな」と思う。個と集団を扱ったこの間の作品(『Der Wanderer-さすらい人』)、(会社)集団が大きくなってきていて凄くささった。
金森さん: 世界の主要な劇場には多数の日本人がいる。帰って来ようにも(金銭的にも、精神的にも)来られる環境がない。
渋谷さん: 活躍できる土壌、文化、場所が必要なのはアートもITも同じ。仕事をつくれば戻って来られる。

会場からの質問
01a: 社名「フラー(FULLER)」の意味・由来は?
-渋谷さん: サッカーボール状の構造をもつC60フラーレンに由来する。強固な構造をもつと同時に他とも吸着する側面を併せ持つ。また、「ソニー」や「ヤフー」のようなカタカナ2文字+伸ばし記号にもしたかった。
01b: 「起業家」の意味は?
-渋谷さん: 社会に今、存在していない解決策をつくる存在。何かインパクトを起こし続けたい。
01c: 友達と一緒に会社を作った。その組織論は?
-渋谷さん: 最初はよくても、10年続くのは6%に過ぎない。自分はビジネスアイディアよりも友達が大事。みんなでやることが大事。友達と一緒だったので、苦難・困難も乗り越えることができた。

02: 2011年の創業。物凄い勢いで勝ち上がってきた。その秘訣は?
-渋谷さん: シンプルに言うと、助けて貰った。愛された。アプリ製作から「新潟においでよ」と言って貰えた。先輩経営者の方々が協力してくれて今に至っている。自分としては誰よりも新潟を愛している。住みたい人が住めるようになって欲しい。そのために、何かしらできることがあればやりたい。

03a: 人とのコミュニケーションの取り方、人との関わりのなかで身につけていくこと希薄になっていないか?
-渋谷さん: 自分はコンピュータよりも人が好き。デジタルも使うことによって人と一緒にやっていけるものと信じている。アイディアはひとりのときよりも人と出会うことによって生み出される。
03b: 介護分野でのデジタル化進んでいないが、どう考えるか?
-渋谷さん: デジタル化は時間を生み出す。介護もデジタル化が必要となる分野。大事である。

04: 企業やアプリにおけるアイディアや著作権はどうなっているか?
-渋谷さん: IT分野では、アイディアだけでは意味がない。誰もが同じようなことを思いつくが、実行が大事な分野。Facebookのマーク・ザッカーバーグも”Demo is better than words.”と言っている。また、意匠面でもユーザーにとってインターフェイスは似通っていた方が使い易い。インターネットという環境をみんなで作り上げているように思う。
-金森さん: インターネットとはそもそもオープンソースであり、地球規模の民主化。一方、舞踊における固有性、脳や身体などは真似できないものだが、舞台のイメージやビジョンについては訴えられることもある。
人と違うことが大事だったのが20世紀とすれば、過去から学び、影響を受けることを恥じずに次の一歩を踏み出すのが21世紀。

*結びに
渋谷さん: 新潟はシリコンバレー同様、自然が豊かな良い場所。エンジニアのなかには登山やサーフィン等、外に出て行くことを好む者も多く、ITと自然豊かな場所や芸術的に盛り上がっている場所とは相性がよい。
1888年の新潟は全国で一番人口が多い町だった。一度できた町にはポテンシャルがある。若い人が増えて欲しい。戻りたい人が戻れて、住んで楽しい町になって欲しい。
金森さん: (渋谷さんは)「もう有能な政治家にしか見えないね」(笑)

…金森さんにそんなオチまでつけて貰って終了したこの日の「柳都会」でした。
ざっと、そんな感じでしょうか。何かしら伝わっていたら幸いです。途中に(トイレ)休憩も挟まず、聴く者をぐいぐい引き込んでいく、圧倒的に、或いはめちゃめちゃ面白い90分間でしたから。

聴き終えたら終えたで、渋谷さんについてもっともっと知りたい気分になり、物販コーナーにて著書の『友達経営』(徳間書店)を求めたところ、その後いろいろありで、渋谷さんのサインもいただけました。

そんなこんなで、とても刺激的で有意義な時間を楽しみました。以上、報告とさせていただきます。

(shin)

金森穣『闘う舞踊団』刊行記念 金森穣×大澤真幸(社会学者)トークイベントに行ってきました!

『Der Wanderer-さすらい人』世田谷公演の余韻も冷めやらぬ2月28日(火)、東京・青山ブックセンターで開催された金森さん・大澤さんのトークイベントに行ってきました♪

ほぼ満席の会場。黒のステキなジャケットで登壇の金森さん! あのプリーツは!?
そう、宮前義之さん(A-POC ABLE ISSEY MIYAKE)のデザインです!
(ちなみに次の、Noism0・1夏の公演「領域」https://noism.jp/npe/noism0noism1-ryoiki/ でのNoism0衣裳は宮前さんですよ♪)

世田谷公演の裏話があるかなと思いましたが、それは全く無くてちょっと残念。司会者はいないので、最初は大澤さんが進行役のような形で始まりました。
大澤さんの机には付箋がたくさん付いた『闘う舞踊団』が置いてあり、 金森さんも気になる様子でしたが、付箋箇所を開くわけでもなくお話が進みます。

トーク内容はとても書ききれませんので、だいたいの流れに沿って簡単にご紹介します。

大澤:
・金森さんは、劇場に専門家集団がいて世界に向けて芸術文化を発信したいと思っているのに、足を引っ張る人がいて苦労している。
・芸術活動は何のためにあるのか。金森さんには確信があるが、他者はピンと来ていない。
・スポーツは見ればわかるが、芸術はそうではないので受容する素地(文化的民度?)が必要。
・日常を超えた真実があるかどうか、世界が違って見えてくるのが芸術。
・芸術は感動。快いと感じるものだけではなく、不安をおぼえるようなものも含めた心が揺らぐ体験。

金森:
・時代によって世の中が芸術に求めるものが変化している。
・自分はかつては、既存のものを壊して新しいものを立ち上げたいと考えていた。それができないのは自分に力がないからと思っていたが、そうではない。
・自己否定ではなく、意識を少し変える。微細な意識変容で見えてくるものがある。
・少しずつ世界をずらしていく。

大澤: 舞踊芸術の価値は日本では伝わりにくいのではないか?

金森: そんなことはない。日本には海外の一流のものがたくさん来ていて、観客は目が肥えている。そういう見巧者の感性に肉薄できるかどうか。環境が整えば日本でもできる。

大澤・金森: 見たことによって心が豊かになるのが芸術の力であり価値。

大澤: 90年代は多分野の人たちが集まって話をすることが結構あったが、最近は専門分野に分かれてしまっている。金森さんはいろいろな分野の交点になるような触媒になれるのでは? しかも東京ではなく新潟で。

金森: 新潟では対談企画の「柳都会」をやっているが、それとはまた違うことと思う。既存の文化の体制を変えたい。
・問題意識として、自分の同世代は40代、50代になり、老いや老後のことを考え出している。しかし今からでは遅い。20代の頃から考えなければならない。そのためにもこの本を読んでほしい。

大澤: この本を読んで、金森さんが100年スパンで考えていることに驚いた。そして自分は最初の方をやると書いてあることに感動した。
・舞踊は普遍的、本質的なもの。言語の前に音楽やダンスがある。言葉により日本では能が発展し、後に西洋のものを輸入していくようにもなる。
・集団を率いるというのは羨ましい。

金森: 集団は大変。一人だと楽だろうなと思う。

大澤: 静岡県のSPAC芸術総監督・宮城聰さんの苦労はよく知っているが、金森さんは宮城さんより大変だと思う。

金森: そんなことはない。自分ができたことは環境があればみんなができる。行政の人にはいい人もいる。
・カンパニーの維持や金銭問題についてはベジャールやキリアンでさえ苦労していた。

*このあと大澤さんは、吉本隆明と高村光太郎がどのように戦争と関わったか、転向論について話され、日本のどこに問題があったのか。知識人は大衆から遊離、孤立し、その孤独感に耐えられなくて転向する等、お話がどうなるのかと思いましたが、最後にはぐっと引き寄せて、
「金森さんは、一般の感覚と西洋のものの間に何とか連絡をつけて日本の文化として定着させたいとしている」とまとめてくださいました。

大澤: 感染症やウクライナ、核など、世界が迷っているこの時代に、日本はただ世界の後に付いていくだけ。
・感受性に対して揺らぎを与える芸術こそが役に立つ。
・少しずつ物事の見方を変えていく。
・金森さんは劇場文化の困難な道を進んでいる。

金森: そんな大層なことではなく、ちょっとやり方や使いみちを変えれば実現できること。
・劇場はもっと別な使い方をした方がよい。劇場のあり方に自分の人生を賭けている。
・ヨーロッパにいた時も、帰国してからも自分は移民・アウトサイダーだが、日本も新潟もアウトサイダーをうまく活用できるかどうかがカギ。

大澤: アウトサイダーがどのように文化を豊かにするか。
・金森さんは思春期~青年期に日本にいなかったので、日本人として社会人にならなかったのがよかった。
・ムラ社会に取り込まれなくてよかった。

金森: 日本は島国だから。でも外来文化を受け入れるマレビト的な考え方もある。
・自分は運がいい。危機的な時に限って決定的なことが起こる。助けられるとやらなくちゃいけない。

*大澤さんが終始「金森さんがやってきたことは、苦労、不可能、困難、難しい」等々を連発するので、金森さんは「それを言うのをやめてほしい」とことごとく談判! 
その結果、「金森だからできた。ではなく、金森ができたのだから他の人もできる」という共通認識になりました。

金森: 誰でも楽勝!
・時間とお金を使って観るだけの価値があるものを提供するのが劇場。

*時間になって一応トークが終わり、質問コーナーでは、東洋性と西洋性との折り合いについて、つらかった時期の解決法、新体制について等の質問がありましたが、『闘う舞踊団』にも書かれていますのでどうぞお読みください。

Q: 国の文化政策の課題は?という質問に対して、
金森: 確かに他国と比べて国の芸術予算は少ない。
でも(東京は劇場が減ってきて、人口に対して劇場の数は多くはないが)、他の地域は劇場(ハコ)もあるし、補助金も出る。
ハコも予算もあるのだから、少し考え方を変えるだけでやっていけるのではないか。
国の芸術予算は無駄な支出が多いと思う。官僚の皆さんは頭がいいのだから、補助金の出し方も踏襲のみではなくて考え方を変えたらいいと思う。

お話はだいたい以上です。割愛だらけで申し訳ありません。
トーク内容は、本に書いてあることもたくさんありましたので、どうぞお読みくださいね♪

最後に金森さんのひとこと: 一人ひとりが唯一無二。わかり合えないのが大前提。

やはり苦労してますね~
おつかれさまでした♪

トークのあとはサイン会があり、井関さんの臨時サイン会もあったようですが、私は日帰り参加のため残念ですがトークのみで直帰しました。

会場では、東京の友人知人に会えましたし、夕(せき)書房の高松さん、金森さん、井関さん、山田さん、浅海さん、三好さん、糸川さんに挨拶できてよかったです♪

(fullmoon)

中村祥子さん×井関佐和子さんの「柳都会」vol.25を聴いてきました♪

Noism×鼓童『鬼』京都公演チケットの先行発売が始まった2022年4月16日(土)、夕刻16;30から、りゅーとぴあの能楽堂で開催された「柳都会」vol.25。初ホスト(ホステス)役を務める井関さんたっての希望で招かれたゲストは中村祥子さん。「舞踊家として生きる2人の女性、初の対談」を聴いてきました。

会場となった能楽堂に集まってきた聴衆はこれまでの柳都会とは違った雰囲気で、バレエダンサー中村さんお目当てという方も多かった様子。今回が初めての柳都会参加という方が大勢いらっしゃいました。

16:32。先ずは井関さんが、そして彼女の紹介を受けた中村さんが、それぞれ黒のワンピースに白い足袋を履き、摺り足で、橋掛かりから本舞台に用意された椅子へと進み出ました。

以下、この日のお話から少し紹介を試みたいと思います。

まず、スイスのローザンヌ国際バレエコンクールで出会った、中村さん16歳、井関さん17歳の頃の話から。
その時、初めてコンテンポラリーに挑戦したという中村さん、斜めの床で踊った『海賊』のヴァリエーションで「すってんころりん」とやってしまったことが紹介されるも、「転倒など重要なことではなく、将来性を見極めるのがローザンヌ」と井関さん。
その後、「挽回しなきゃ」との思いで踊った『告白』、中村さんは「何かが降りてきた」感覚で、(理由はわからないとしながらも、)亡くなったお祖母ちゃんと連動して踊り、自分なりに解釈して踊ることを体験、オーディエンス賞を受賞するに至ったとのこと。そしてスカラーシップを得て、シュトゥットガルトへ。

そこからクラシックバレエとコンテンポラリーと、2人の道は別々になるが、その奇縁を繋いでくれていたのが、2人とロパートキナ(ロシア:1973~)を好んだライターの故・浦野芳子さんで、平凡社から2人の本を出版してくれた、と井関さん。

シュトゥットガルトでの中村さん、靱帯断裂の大怪我をして帰国。そのまま契約が切れると、今度はウィーンへ。
やっと入ったバレエ団。コールドバレエだったところ、ソリストの役を貰い、意気込んで、ダブルピルエットの場面で3回まわったら、またしても「すってんころりん」。監督から「舞台全てを台無しにした。お金を払って観に来てくれたお客さんにも失礼」と言われ、プロの厳しさ、プロとは何か、みんなで作り上げていく責任を学んだ。
「『コールドが踊れないと、センターは踊れない』と言いますよね」と井関さん。

井関さんが、ナタリア・マカロワさん(ロシア:1940~)に指導を受けたことがある中村さんに、その印象を訊ねます。答えて中村さん、小柄ながら、「スーパーサイヤ人」のようなオーラを出していた人で、「ひとつひとつの形や振りではなく、内側のものを出すこと。何を表現したいのか見せなさい」と言われたことを紹介。その後、自分のこだわりを入れて踊ろうと思うようになったとのこと。
そして中村さん、ベルリンでウラジーミル・マラーホフ(ウクライナ:1968~)監督のもと、プリンシパルに昇格後も、自分らしさを忘れてはいけない、自分にしか出せないものを、自分ができるベストを、との思いで踊ってきたと。

日本のバレエ環境について:
「こういうふうにやらなきゃ」というふうに固まっていて、狭い。「自分をオープンにできる環境」や自由さがないのが残念と井関さんが言えば、中村さんも、「海外にはいろんなダンサーがいて、エクササイズにしても、みんな違った。美しくいたいという思いがあり、みんな違った格好をしていた。鏡に映してやる気を出したり」と。

ルーティーンに関して:
井関さんが、30代前半はルーティーンが凄かったと言うと、中村さん、「私も!」。「少しズレたら、ピリピリしていた」(井関さん)、「全く同じ道を通り、同じ物を食べないと舞台がうまくいかないみたいに考えて、凄くツラい生き方をしていた」(中村さん)
「その頃、自分は『失敗しない女』だと思っていた。今は『失敗してもいいや』と、舞台ではそれすら自由だと感じられるようになった。隣にいる47歳の人(金森さん)は、積み上げてきたものを崩して、失敗しないギリギリのところを狙える強さがある人」(井関さん)、「挑戦するのが好き。挑戦しないと」(中村さん)

中村さんと井関さん、中村さんと金森さん:
井関さんが柳都会に中村さんを呼んだのが先で、その後、金森さんが中村さん(と厚地康雄さん)を振り付けることになったもの、と明した井関さん。
中村さんは「金森さんは雲の上の人」で、「穣さんの作品を踊れるなんてあり得ないと思っていた」のだが、「NHKバレエの饗宴」に際して、自らの挑戦として、「穣さんの作品を踊らせて頂きたい」と申し出たとのこと。
そのオファーに、井関さんが「熱意は伝わるもの。穣さんはすぐにOKしていた」と話すと、中村さん、「厚地くんは『穣さんが忙しくて断られますように』と言っていた」など、リハーサルまでの間、2人とも不安だったと舞台裏を語った。で、そうして迎えたリハーサルを終えてみて、厚地さんは「一生の宝物になります」と言い、中村さんも「良いものを作りたい。穣さんの世界観に近付きたい」とその思いを口にしたところで、時間は17:20。そこから10分間の休憩に入りました。

(休憩中に、井関さんが紹介していた中村さんの本『SHOKO』をamazonでポチった私です。蛇足でした。)

休憩後は会場からの質問シートを基に、井関さんが中村さんに訊ねるかたちで進行されました。なかからいくつか、簡潔に質問と答えを記していきます。

*中村さんの今後の活動は?
中村さん「Kバレエ団を退団して、今はフリー。バレエの他にも、幅広いことが見えてきた。こういう時期も必要だったと受け止めている。もっと踊りたいとも」
井関さん「表現は息の長いもの。同世代の中村さんは大切な存在」

*一番楽しいこと、一番ツラいことは?
井関さん「楽しいこととツラいことは重なっていることが多い」
中村さん「若い頃と違い、日によって波がある。自分の求める動きじゃなかったりする日はツラい。それを受け入れて、前へ行く」
井関さん「ずっと集中しているのは無理。ONとOFFは大事。最近、Noismも良い感じの波が出来てきた」(笑)

*身体を鍛えること:
井関さん「していない」
中村さん「していない。背中の筋肉が綺麗と言われ、『絶対にしてますよね』と言われるが。でも、リハーサルが始まると、ババババァンって(筋肉が)付いてくる。要は使い方と意識なんですよね」
井関さん「脳からの指示で筋肉は変えられる」

*足袋とトゥシューズ:
中村さんの足のサイズは25.0cmなのに、そのサイズの足袋が入らず、26.0cmの足袋を履いて能舞台に立つことになったのは、甲高だったため。
中村さんの「トゥシューズはスリッパ」発言に、井関さん「!」

*食事で気をつけていること:
「イメージはササミ。ササミですよね。チョコレート、食べないですよね」と言われたりすることが多いという中村さん、「チョコレートは普通に食べるけれど、踊り出したらすぐにシュッとなる。筋肉もついてくる」

*バレエ、ちっとも上達しない。どうやればいい?
中村さん「私もまだまだだと思いながらレッスンしている。終わりがない世界。調子が悪いときには受け入れるしかなく、それを乗り越えてやろうと思える。スタジオに行くだけで気持ちがリセットされる。終わって外に出たときに新たな気持ちになっている。それだけで良いのかなと」

*ルーティーンに入れている食べ物は?
中村さん「納豆や卵といったタンパク質を摂るようにしている。他に、これは初めて言うけど、ヤクルト1000を飲んでいる。(息子はヤクルト400)」
井関さん「うちの人(金森さん)も毎朝、ヤクルトを飲んでいる。市内のスーパーからヤクルト、消えたりして」(笑)

*舞台に出るとき、緊張するのだが、どうすれば?
中村「緊張していてもいい。昔はお客さんへの意識強くて、怖いくらいの緊張感があったりしたが、ある時、舞台のここ、ハコで、自分のファンタジーを作って、自分の世界を楽しもうと思えるようにもなった。要は考え方次第」
井関さん「緊張しない方がヤバイ」
中村さん「ミラクルな舞台の経験ありますか」
井関さん「一度、幽体離脱のような経験がある。『今、舞台から出て行ってもいいよ』ともう1人の自分が言っていて、本当に自由な選択の感覚があった」
中村さん「『白鳥』を踊っている、ゆったりしていた時、何でも出来ちゃうみたいな、余裕の瞬間を味わったことがある」

*ダンサーとして一番の喜びは?
中村さん「終わった瞬間の客席からの拍手。『こういうふうに感じて貰えたんだ』と、それを浴びたとき」
井関さん「終わったときの(客席との)波長がピタッときたとき」
中村さん「踊っているあいだ、普通、客席は見えないのだが、『クレオパトラ』では落ちるとき、見える瞬間がある。これだけの人が一緒に舞台を支えてくれているんだという有難みを感じる」
井関さん「舞台は一期一会の会話」

…とまあ、そんな具合でしたでしょうか。完全にご紹介することは出来ませんが、雰囲気だけでも伝わっていたらと思います。(18:08終了)

中村さんと井関さん。「Fratres(同志)感」溢れるおふたりはもう息がピッタリ合っていて、いつまでも話していられるといった感じでした。金森さんの振付で一緒に踊る機会なんかも妄想されるだけでなく、早晩実現する日がやって来るのでは、とそんな途方もない期待も芽生えたトークイベントでした。

この後、インスタライヴに場所を移して、「柳都会」初、終了後の楽屋トークが配信されました。その模様はこちらからアーカイヴでご覧ください。(スタッフのように動く金森さんも楽しいですよ。)

(shin)