2025年2月23日はトークイべント日和(その2):「柳都会vol.30 二代目 永島鼓山×山田勇気 -受け継がれていく、大切なこと」(@りゅーとぴあ〈スタジオB〉)

2025年2月23日(日祝)はNoism関連のトークイベント日和でした。ここからは、「その2」です。16:30より、りゅーとぴあ〈スタジオB〉を会場に開かれた「柳都会vol.30 二代目 永島鼓山×山田勇気 -受け継がれていく、大切なこと」のご報告となります。

(「その1」井関さんの講演会についてはこちらからもどうぞ。)

江戸時代から約300年続く新潟の郷土芸能「新潟樽砧」。二代目 永島鼓山氏は、樽砧の保存継承を目的とした「永島流新潟樽砧伝承会」の創設者である永島鼓山氏の名跡を継ぎ、2022年に二代目を襲名。型を守りながらも自由に探求することを大切にし、新潟の地で、樽砧を伝え広めている。鼓山氏と山田の出会いは、2015年に山田が演出振付をしたNoism2×永島流新潟樽砧伝承会のコラボレーション『赤降る校庭 さらにもう一度 火の花 散れ』。伝統と現代の融合は、当時互いに大きな挑戦となった。“新潟に住む人にこそ新潟の文化を誇りに思ってもらいたい。” 文化を根付かせるために何をどのように伝えていくのか。ともに新潟で活動する両者が見据える新潟の芸能・文化の未来とは。

*山田さん、当時20歳の現・二代目鼓山さんと出会う: 2015年「水と土の芸術祭」において、金森さんから「一緒にやってみないか」と言われたのがきっかけでのコラボレーション(『赤降る校庭 さらにもう一度 火の花 散れ』)。「ただ者じゃない雰囲気」を感じた。先代の鼓山さんから、「この子をメインに据えたい」との意向を聞く。「のめり込んでいる感じが違うなぁ」(山田さん)

*「樽砧」とは: 300年くらいの歴史をもつ。昔、「湊町」新潟は北前船の一大拠点で、無事の航海を願って、龍神に祈りを捧げる意味合いから海岸沿いで船べりが叩かれていた。それが陸にあがって、樽を叩くかたちとなり、盆踊りに繋がっていった。叩かれるようになった樽は、当時、家庭でよく見かけられたもの。今は楽器用の強化樽である。

*二代目鼓山さんの樽砧との出会い: 新潟市西区の通っていた小学校に樽砧のオリジナル楽曲があり、小5になると、授業で樽か笛を選ぶことを求められて、「どうせやるなら」と樽を選んだ。そこに先代が教えに来てくれて、最初は言われるままにやるだけでさぐりさぐりやっていたが、時折、先代が「これは出来ている」という顔をするのを見て、「面白いかも」と思った。それでも、最初からちゃんと教えて貰えた訳ではなかったが、小6になってから、「これ、こうした方がいいんじゃないか」などと言われるように変わっていった。
→しかし、先代が弟子(中学生、6人くらい)を連れて来た際、その技術に圧倒されて、「ここには入れないな」と一度止めた時期もあった。それが、中2になったとき、「やっぱり樽砧やりたいかも」と思い、インターネットで検索してヒットした練習会に参加することで、今に至る。

*永島流樽砧: 先代が11歳のときに、既にあった盆踊りの樽を叩く演奏を兄から習うかたちで継承してきた、と聞く。その後、パフォーマンス性をあげたり、「樽だけで演奏出来るようになったらいいんじゃないか」との声が聞こえてきたりもして、盆踊りから独立するかたちで、ひとりで元々あったものを編纂し、楽曲として整えていった。(当時は、「新潟甚句」のほかにも沢山盆踊りの曲はあったが、消えてしまっている。)

*文化を伝承していくこと: 「そこに自然にあった時の人たちがやっていたことが、その環境が消えている現在、かつて、無意識に捉えられていたものを、意識的に残していこうとする気持ちが感じられる」(山田さん)
また、2015年のコラボでは、「新しいものが生まれる感覚があって、彼女と一緒にやってみたい気持ちになった」(山田さん)

二代目 永島鼓山さんによる基本となる7つの叩き方(「型」)の実演(解説付き:①合わせ打ち、②流し打ち、③正調打ち、④蛙(かわず)打ち、⑤八方崩し、⑥時雨打ち、⑦勇み打ち)があり、それに続けて、その場の雰囲気を取り込んで叩く、アドリブ性の高い「乱れ打ち」(2025年2月23日の今日ヴァージョン)も披露して頂き、そのダイナミックな動きと音に圧倒されたスタジオBの場内からは大きな拍手が沸いた。

*伝承にとっての定型化・パターン化・抽象化: 
 -山田さん: 基本をもとに乱れることが出来る。基本がなければ、乱れることは出来ない。バレエも同じ。抽象化された「かたち」の組み合わせは無限。 
 -鼓山さん: 樽砧が自然だった環境が今はない。パターン化・抽象化されたものを手段として用いて、繰り返していくことで、「自由」に至ることが出来る。作曲もしているが、常にこれが正解かと自問している。自由度がないと面白くない。何も考えないで、そこまで行けるようになりたい。

Q1:若い世代の育成に関して思うこと:
 -鼓山さん: 今の世界には、樽をやるよりも面白いことが溢れていて、ひとつのことを長く続けられる人は少なくなっている。そんな現代の世界に合わせると、「ある程度の、早く、短期に」と思うこともあるが、長く続けて貰うためにはどうしたらいいか、課題である。
 -山田さん: 例えば、金森さん振付のレパートリー『火の鳥』、振付家(=金森さん)がいることで、まだまだその瞬間に生まれるものがあり、作品はまだ生きている、そう感じる。先代のどういうところを「守り」、継承していくのか。
 -鼓山さん: 一人ひとり体つきは異なる。基本を踏まえたうえで、「あなたの身体なら、こっちの方がいいよね」など、魅力的に見えるようにするのが理想。

*「二代目」ってそもそも何で?(そうしたシステムがないなかで、先代の七回忌目前での「襲名」に込められた思いとは?): 
 -鼓山さん: ①先代を忘れて欲しくなかった。思い起こしながら続けていって欲しいと思って。 ②「この名前」に耐えられるようにならなければならなかった。③「先代孝行」が出来ていなかった。「先代のために何が出来るんだろう」と考えて、名前を継ぐことで喜んで欲しい思いがあった。 背負うことのプレッシャーもあったが、それで言えば、先代が倒れた翌月の舞台で、当然、先代がいるだろうと思われていた場所(センター)に立ったときの緊張感の方が凄かった。怖くて、足がすくんで、幕があがるのが嫌だった。
 -山田さん: どうしてそこまで先代にのめり込んだのか?
 -鼓山さん: 孤独だった小学生のとき、打ち返せば、打ち返すほど認めてくれた。好きなものに打ち込むことが救いになった。
 -山田さん: これだと思ったら放さないこと。好きな言葉に「映画に救われた人が映画を救う」というのがある。自分も「重くて黒い観念」を抱えていた。踊りに救われた。踊りに恩返しがしたい。2015年のコラボの際、廃校のグラウンドに、20歳にして「崖っぷちにいる感」漂う姿があり、緊張感があった。 

*鼓山さん、未来への展望: 
 -鼓山さん: 二代目としては次(三代目)を探したい。根を張って、葉を広げていきたい。なくすのは簡単。繋いでいき、出来れば大きくしていきたい。
 -山田さん: 時代は変わっていく。人の力だけでは負けちゃう。システムが残ることが、伝承会が残っていくこととパラレル。
 -鼓山さん: 楽曲はフル尺では7分に及び、昨今は「もっと短く」とも言われる。ちょっとずつでも変えながら、今いる人たちが面白いと思ってくれるものを作っていきたい。そのうえで、自分ひとりで背負わないようにしていきたい、次の三代目のためにも。伝承会は拠点を持たないために、通える人は入って来られる一面がある。
 -山田さん: 「場所」を持って欲しい、と言っている。記憶として残り、空間自体も伝承されていく。そこに物質(建物)の強さがある。 
 -鼓山さん: また、上に行きたい人にどうチャレンジさせていくかということも私の役目である。

Q2: 「バチ」についても教えて欲しい
 -鼓山さん: 「新潟甚句」のバチとは違う作りで、少し太い。上部は樫、持ち手は竹(軽くて頑丈、持ち易い)。先代の頃は、先代自身か大工さんが作っていたが、今は、鼓山さんのお父様が「日曜大工で」作ってくれたものを使っている。(材料はホームセンターで買えるから、と先代。)

Q3: 衣裳は?
 -鼓山さん: 着物の帯を使って、手作りで、袖のない羽織のようなものを作っている。履くのは普通、地下足袋、或いは同じメーカー製のクッション性のある黒いスニーカー。(夏の灼けたアスファルトは本当に熱い。)
 -山田さん: 舞踊家たちは靴下にはこだわりがある。(素材、フィット感等々)

Q4: 樽砧を叩く身体性やトレーニングについて:
 -鼓山さん: 上半身・下半身ともある程度の柔軟性があるとよい。樽の高さは一定なため、揃って見えるために。(足を広げ過ぎることも出来ない。)上半身・下半身とも使い方のルーティンはある。初心者には、先ずは身体を確認してから始めている。

Q5: 活動の間口を広げることやアプローチについて:
 -鼓山さん: 練習会(公民館を会場とすることが多い。)の日程を開示しているほか、小学校へ教えに行ってもいる。但し、コロナ禍以降、大人向けの機会は減少してしまっている。

*山田さん: 二代目はどこかで何かするんじゃないかと、ドキドキしながら見ている。今段階、共演の予定はないが、常に一緒に何かやりたいと思っている。(場内から拍手が起こる。)内側にある熱い思いが活動に繋がっている。若手・次世代をどう育て、繋いでいくか。これからも新潟で活動する者として、頑張っていきましょう。

…山田さんからのそうした言葉で90分超のこの度の「柳都会」は締め括られました。歩んできた足跡を、更に前へと力強く運んでいこうとするおふたりの気概に触れて、心熱くなる時間でした。

以上で、2月23日「その2」、二代目 永島鼓山さんと山田勇気さんによる「柳都会vol.30」のご報告とさせて頂きます。

(shin)

2025年2月23日はトークイべント日和(その1):井関佐和子さん講演会(新潟県女子体育連盟主催)

2025年2月23日(日祝)はNoism関連のトークイベント日和でした。先ずは、「その1」として、11時より、新潟市西区にある新潟清心女子中学・高等学校のノートルダムホール2Fを会場に開催された井関さんの講演会、「新潟から世界へ! Noism Company Niigataの挑戦」(新潟県女子体育連盟主催)のご報告です。

この日は悪天候の予報が出ていたために、対面での参加とZoomによる参加のハイブリッド開催となりました。私は諸々の事情からZoomでのリモート参加をさせて頂きました。

Noism発足当時と現在の様子、この20年間の歩み(数々の受賞と受章の足跡、そして『夏の名残のバラ』、鼓童とのコラボ『鬼』、『Amomentof』の動画が紹介されました。)等が駆け足で触れられた後、司会の方とやりとりするかたちで、この日の講演会は進んでいきました。ここではかいつまんで、井関さんのお話しのご紹介を試みます。

*「新潟から世界へ」、井関さんの思い: 具体的な「新潟」と抽象的な「世界」。そのふたつを舞踊で橋渡しする意味合いも込められているように思っている。

*ポテンシャルのある劇場は全国各地に存在するものの、Noismに続くものがなく、この20年間ずっと新潟だけ唯一という状況に、設立当時の「大きな夢」は、今はちょっと淋しいものになってしまっている。 

*新潟で続いている20年間: 「新潟の方々が変わっているから」。作品づくりと自分たちの身体を磨くことだけに向き合っている姿を面白いと思ってくれる「新潟の方々は特別なんじゃないですか」。真っ直ぐ向き合っていくことでしかない。大衆受けはしないだろうだけに、有難い。

*よく「文化・芸術」というふうに一括りにされがちだが、「文化」は民族(地域・集団)のものであるのに対して、「芸術」はそれを超えたものであって、そこを目指さなければならない、自分たちがやっているのはそれだと信じてやっている。

*海外公演: 15年前、ブラジルでの3日間の公演には驚いた。2000人収容の大きな劇場が、初日はガラガラだったが、口コミで、3日目には満席になった。信じられなかった。思いは、「行きたい」というよりは、「来て欲しい」と言われるようになりたい。基本的に「呼んで貰える」ことで行っている。但し、最近は、どの国も「自国ファースト」になっていて、招聘を巡る状況は大きく変貌している。

*地方公演: 文化の違いが客席に出てきている。空気が違う。地方で色々な文化に触れたい思いがある。

*3歳で踊り始め、雑誌で海外のダンサーを見て、15歳頃に海外へ行くと決めていた。16歳で海外へ行き、19歳でプロとして活動し始める。その後、日本に帰ってきたタイミングで、Noismという舞踊団の設立に立ち会える滅多にない機会ということに惹かれて入った。
*20代の頃、周りにライバルがいなくなったと感じて、Noismを辞めようと思ったこともあったが、「ものの見方を変えること」を学んだことで、辞めずに済んだ。「ものの見方を変えること」で関係性は変わることに気付いた。
*悩みで言えば、30代には子どもをもつことを巡っての葛藤もあり、揺れ動いたが、仕事はどんどん入ってきて、時間がどんどん過ぎていった。結局は、自分が今どうであるかということ。今は楽しい。
*40代になり、舞踊家として一番面白い時期に入ってきたように思う。(欧州のダンサーには年金が出る年齢。)ある意味、節目。一旦、ゼロに戻そう、自分の考え方を疑い、自分の身体と向き合おうと思った。パーソナルトレーナーに外から見て貰っている身体は今が一番調子がいい。→50歳が全盛期、と常々言っている。
*食事: グルテンフリーを始めて10年くらいになる。明らかに身体が変わった。野菜と肉はよく食べる。舞踊家としては適正体重(と適正エネルギー)を把握することは重要。

*現代の子どもたちに必要だと思うこと: 価値観が違うことを痛感する。主体的になって欲しいが、「主体性」と「好き勝手」は違う。自分が考える「主体性」は物事を客観視できること。相手や自分をちゃんと掴んだうえで、どう考えるかが「主体性」。自分の考えを明らかにするのだが、それは一方通行ではない。他者との関わりのなかでしか人は生きていないのだから。その関係性をどう考えるかが「主体性」。
*欧州にいたとき、何故、彼らは主体的にいられたりしたのか。劇場に行ったり、抽象的なものを見てきているから。小さい頃から「どういうふうに感じた?」っていうのをやっている。自分が見たものをどういうふうに言語化していくかというトレーニングを子どもの頃からやることの重要性。

*今後の夢・目標: 舞踊家としてはまだまだ上へ行きたい。自分の知らない自分と出会いたい。もっともっと知りたい。もっと勉強したい。もっと吸収したい。それは若手を育てることと繋がっているように感じられている。自分の背中を見せたい思い。

Q1・新潟の人たちに感じること
 -A1: 内側は熱くてもあまり表に出さない人が多い。外に出してくれると、Noismがもう少し浸透するんじゃないかと。街で出会っても、声をかけてくれない人が多い印象。自分たちは普段は一人の人間として、普通の生活をしている。それがスタジオに籠もって創作をしている。声をかけて貰えるのは嬉しい。


Q2・(1)『アルルの女』の創作はどんなふうに始まっているか。(2)『BOLERO』はまたすっかり変わったものになるのか。
 -A2(2): 『BOLERO』は新潟と東京でやったものと同じものだが、最新ヴァージョン。 劇場でやるので、少し作り変えるところがある。構成的には同じものだが、全然違うものになる・
 -A2(1): 『アルルの女』は今、絶賛創作中。バレエでは昔、ひとり欧州の振付家が作ったことがあるだけで、後は作られていない。原作は『アルルの女』のタイトルながらも、「アルルの女」は登場せず、「アルルの女」に取り憑かれた男性のお話し。それを「家族」という視点で表現していく。創作の過程で、シーンを沢山作っているが、即なくなったりする。それは観客に届けるために最善のものにするため。

Q3・設立からの20年間、物凄く苦しかった筈。試行錯誤も経て、真の金森さん・井関さんの舞台が展開されるようになり、「新潟のNoism」になったように思う。長く在籍する方は何年くらいか。「安定」ということと絡めて訊きたい。
 -A3: 辞めていくメンバーに金森さんが陰で涙を流すようなこともあった。最長のメンバーは10年がふたりくらい。金森さん、以前は芸術監督であり、振付家でありということで、メンバーとしても金森さんとしても難しいことが多く、意思疎通に難しい側面もあった。現在は、井関さん(国際活動部門芸術監督)と山田さん(地域活動部門芸術監督)が間に入ることで辞めるメンバーが少なくなった。1年に1回の契約トーク(2月)では、先ず、井関さんが彼らの意向を書面で聞き、次いで、複数(山田さんとか、金森さんとかと)で面接し、自分たちがどう考えているかの話をする。「変わらない子は変わらない」ので、そのへんは結構シビアに言う。人数が限られているために、ただただ増やすという訳にはいかないので気を遣う。


予定時間を延長し、80分にも及ぶ時間、とても中身の濃い、貴重なお話しをお聴きすることが出来ました。

2月23日「その1」、井関さんの講演会報告は以上とさせて頂きます。

「その2」柳都会vol.30 二代目 永島鼓山×山田勇気 へつづく)

(shin)


牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅢ」に向けたインスタLIVEに金森さん&井関さん登場♪(2025/2/19)

強烈な寒波が実に1週間に渡って日本列島上空に居座ると報じられるさなかの2025年2月19日(水)、やはり寒いその夕方17:00から約1時間配信された牧阿佐美バレヱ団のインスタLIVEに金森さんと井関さんが登場し、同バレヱ団の清瀧千晴さん・ 織山万梨子さんと話されました。

今回のインスタLIVEは翌3月8日・9日の「ダンス・ヴァンドゥⅢ」(@文京シビックホール 大ホール)に向けたもので、その両日、金森さんが生誕100周年となる芥川也寸志『弦楽のための三楽章-トリプティーク』に振り付けた新作『Tryptique~1人の青年の成長、その記憶、そして夢』が上演されます。師である牧阿佐美さんもかつて振り付けた同曲に金森さんも挑みます。楽しみ以外の何物でもありませんね。

この日のインスタLIVEは、金森さんのその新作『Tryptique』にまつわるお話しをお聴きする機会として設定されたものでした。ほんの少しですが、かいつまんでご紹介を試みたいと思います。

*オファー: 2022年に三谷恭三さん(芸術監督)から、牧阿佐美先生の追悼公演のオファーがあった。
*振付: 戦後の日本人作曲家に振付してこなかったのだが、依頼があった頃によく聴いていたこと、そして、この芥川也寸志作品が阿佐美先生のデビュー作にして代表作であることを知り、「追悼」の意味合いから、師匠のデビュー作を弟子が半世紀後に作るのも悪くないんじゃないかということで決めた。また、バレヱ団が、情熱を継承しつつ、次に進むことを考えたとき、馴染みのないものではなくて、ダンサーたちの身体に入っている『Tryptique』を刷新して、新しい『Tryptique』をダンサーたちの身体に入れていくことに意味があるんじゃないかとも思った。阿佐美先生の振付は見ていない。影響受けそうだったので。

*オーディションとキャスティング: 清瀧千晴さんは「青年」役(主役)で、織山万梨子さんが「恋人3(運命の人)」役。清瀧さんはNHK「バレエの饗宴」で観ていて「青年」役に決めていたが、他のキャストはオーディションで決め、リハーサルで最終決断。直感でしかない。「賭けた」ということ。経歴・来歴には興味なく、「この舞踊家、面白いな、音楽性いいな」とか、それしか純粋にインスピレーションにはならない。他の役については主役・清瀧さんとの相性という要素はあった。
*「あらかじめ説明するのは得意じゃない。面白くない」(金森さん): 設定やストーリーの説明は通し稽古が終わってからだった。タイトルも後から知らせたほど。
*「夢」: 3楽章のラストはシンボリック。ラストのユニゾンが「夢」。みんなで一緒に踊る、舞踊団であること。阿佐美先生へのオマージュや思いも込めつつ、そこにバレヱ団があることの強さ・かけがえのなさは当たり前のことじゃない。「夢」のようなもの。
*エンディング: 全然違う3,4パターンがあって、まだ悩んでいる。「舞踊家がやっと掴んできたものも急に覆されたりするのが、振付家・金森穣の大変なところだが、面白いところ。より良いものにするために、よりよく伝えるために変えたりする」(井関さん)

*衣裳: レオタードやタイツには金森さんからのバレエへのリスペクトが込められている。幼少期から積み重ねて、辿り着いた肉体が全てで、出来るだけそのまま出したい。
*その色・青と緑: 「青」、青臭さ、青春の色味、メタファー。(井関さんの好きな色。)「緑」、安らぐピースフルな印象。(金森さんが好む色。)
青と緑は金森さんにとって、自分の純粋性のなかで大事な色なのだそう。今回の物語・構成は「青い」。恥ずかしげもなくピュアな、阿佐美先生に向き合っていた当時の(15ないしは17歳の)金森さんの心そのものを奇を衒うことなく出したかった。それが阿佐美先生への感謝の印。また、それがダンサーたちに振付をするときに大事なんじゃないかと。
*照明: 沢田祐二先生にお任せしようかとイメージを伝え、(ダンサーには見せていない)台本も渡してある。「綺麗に見えないことは絶対にしないが、もしキツ過ぎたら私に言ってください。フォローします」(井関さん)

*オーケストラの生演奏(指揮:湯川紘惠さん・管弦楽:東京オーケストラMIRAI): 生演奏オケは難しい。音楽家もプロ、要求に全部応えて貰うのも違う。互いに求めているクオリティを尊重しながらも、主張しながらやることになる。
「文京シビックホールはオーケストラピットが広くて、客席が遠い感じ」(織山さん)、「それをイメージしながらリハーサルしている」(清瀧さん)→「会場を知らないから、言ってくれたら、出てくるタイミングをちょっと早めるとか稽古場でもやっておけることがあるかもしれない」(金森さん) 

*金森さんからのメッセージ: 30年振り以上で、牧阿佐美バレヱ団に戻ってきて、後輩やこれからのバレヱ団のために振付家として注げる愛情は全て注いで作っている作品。この作品を通して、個々人の、そしてバレヱ団の力を存分に表現して欲しい。
*井関さんからのメッセージ: やる気・意欲に感銘を受けている。そのポジティヴなエネルギーは観客に伝わると思う。バレヱ団として全力でそこに向かって欲しい。      

*3月7日(金)の公開ゲネプロはチケット購入者でHPから申し込み先着50名が見学可能。『ホフマン物語』第2幕より幻想の場と『Tryptique』がご覧頂けます。残り僅かなので、申し込みはお急ぎくださいとのことでした。

☆「ダンス・ヴァンドゥⅢ」(3/7、8)同時上演作品:
*『ホフマン物語』第2幕より幻想の場: 振付:ピーター・ダレル、音楽:ジャック・オッフェンバック。牧阿佐美バレヱ団としては、2002年の全幕上演以来となる。

*『グラン・パ・ド・フィアンセ』: 振付:ジャック・カーター、音楽:P.I.チャイコフスキー。プティパ/イワノフ版『白鳥の湖』からカットされた場面を、6人の花嫁候補たちが美を競う「パ・ド・シス」として再構成した作品。

*『ガーシュインズ・ドリーム』: 振付:三谷恭三、音楽:ジョージ・ガーシュイン、斉藤恒芳編曲。1997年初演。前回の上演が2007年、織山さんの初舞台でもあるそう。 

「ダンス・ヴァンドゥⅢ」ですが、「バレエを知らない人にも、バレエマニアにもお楽しみ頂ける」(織山さん)ということにホッとしました。バレエはほぼ何も知らない私には、ずっと敷居が高い気持ちもなくはなかったのですが、このインスタLIVEを視聴したことで勇気(!)が持てたのでした。楽しんで観て来ようと思います。

ほぼこんなところをもちまして、この日のインスタLIVE報告とさせて頂きます。きちんとしたご報告など到底無理な話でしたけれど、金森さんと井関さんが話されたことを中心に少しだけでも伝わっていたなら幸いです。

より詳しくは、牧阿佐美バレヱ団のインスタグラムに残されたアーカイヴをご自身でご視聴願います。

(shin)

Noism 20周年記念公演新潟中日の眼福と楽しかったアフタートークのことなど♪

2024年6月29日(土)の新潟市は抜けるような青空。気温も上昇して、梅雨はどこへやら、もう夏本番とも言えそうな一日でした。前日、幕が上がったNoism 20周年記念公演新潟3daysの、この日は中日。公演グッズの黒Tシャツを着込んで出掛けました。

この日は花角新潟県知事と中原新潟市長も来られていて、記念の舞台をご覧になられました。そして旧Noismメンバーたちも多く訪れていて、そのうちの数人とホワイエでご挨拶したり、お話したり出来たのは嬉しい出来事でした。

この日も2演目はそれぞれに胸に迫ってきました。当然のように。

『Amomentof』では金森さんと井関さん、『セレネ、あるいは黄昏の歌』でも井関さん、それぞれが投げ掛ける眼差し、その表情を見逃すまいと注視しました。

その他、『Amomentof』では羽根のように軽やかに舞う舞踊家の姿に陶然とし、はたまた、『Mirroring Memories』を彷彿とさせられましたし、『黄昏の歌』の方は、「暴力」への、そして「暴力」からの流れを追う見方を意識したりしてみたほか、脱ぐこと、脱がせること、着ること、それらをみんな纏うことと一括りにしたうえで、年をとり、老いることも年齢を纏うことと見るなら、作品全体を貫くかたちで様々に「纏うこと」の主題が読み取れるなぁ、もうちょっと考えてみようかなどと思ったりしました。

ふたつの演目を見詰める間中、途切れることなく眼福に浸り、至福のときを過ごしたことは言うまでもありませんでした。
しかし、『Amomentof』のラスト、マーラーの音楽が消え入ったタイミングで、(無音のなか、まだ作品は続いているのですが、)拍手と「ブラボー!」の掛け声が飛んでしまったことは若干残念ではありました。でも、あの流れからはそれも仕方ないのかなとか、そんなことがなかった初日は逆に凄かったなとか思っていました。
また、『黄昏の歌』が終わってからのスタンディングオベーションの拡がりにはこの日も気持ちが昂ぶるものがありました。(1回おまけみたいなカーテンコールがあったりして、舞台上も客席も全員が意表を突かれて「エッ!?」ってなって、それだけで笑顔が増しましたし。)

で、この日のレポートの中心はその後、金森さん、井関さん、山田さんが登壇して行われたアフタートークでのやりとりとなります。そのアフタートーク、強烈な感動の余韻に浸ったままの場内、3人が現れるや、金森さんが口火を切って「あれだけ踊った後に、どんだけ酷使するんだろう、Noismは」と始めてまず笑いをとったのち、アフタートークも井関さんがやることに決めたのであって、「やらされている訳ではない。変な風評が立ったりもするんで」と自ら笑って、もう掴みは完全にOKでした。
この先は掻い摘まんでということにはなりますが、ちょっと頑張って、以下にご紹介を試みたいと思います。

☆年齢とともに感性の変化あるか
金森穣さん(芸術総監督): あるとは思うが、あんまり比べる必要もないかなと思い、そこまで意識していない。感動はそのときそのときのもの。
山田勇気さん(地域活動部門芸術監督): 拘るところが変わってきている。若い頃は動きとか細かいところに目がいったが、今は立つだけとか、歩くだけとかに。あと、踊りを始めたのが遅かったので、ある程度ここまでかなという思いがある。じゃあどうするか。シフトチェンジが必要かなと。
金森さん: でも、なんならピルエットもガンガンやっていたし、若い子たちには出来なくてもいいんだっていうふうに勘違いしないで欲しい。そういうことじゃない。
井関佐和子さん(国際活動部門芸術監督): 涙もろくなった。感性の幅が広くなったり、深くなったり。今回、踊っていて、みんなのことを見てて、ああいいなぁと。
金森さん: みんないい顔しているなぁと思った。見詰める視座が変わる。年齢を重ねるのはいいこと。

★日々のスケジュールはどんなか
井関さん: ・09:30~10:30 Noismメソッド(Noism2とNoism1新メンバー)
      ・10:30~12:00 Noismバレエ
      ・12:00~13:00 稽古①
      ・13:00~14:00 昼休み
      ・14:00~16:00 稽古②
      ・16:15~18:00 稽古③     

☆名古屋での公演予定はないか、公演を増やす計画はないか
井関さん: 今のところ、名古屋の予定はないが、呼んでくれればいつでも行く。新潟での公演回数を増やしたいのもヤマヤマだが、今回も公演ギリギリまで8月の利賀村での新作(『めまい』)のクリエイションをしていたし…。昨年は高校生だけを相手に踊ったスペシャルな公演もあった。ここ(劇場)に呼んでまたやりたい。
金森さん: まあ、でもチケット売れないからねぇ(笑)。
山田さん: 新潟市内全部の小学校まわりたいし、Noism2で長岡とか行ってみたい。
金森さん: もっと県内展開もしたい。

★『セレネ、あるいは黄昏の歌』を見ていると脳内にセリフが溢れるてくるが、舞踊家はどうか
金森さん: 言葉としては浮かんでこない。しかし、非言語だとしても、大事なのは「語ること」。 
井関さん: 客席が静かななか、舞台上でメンバーと「無言の会話」はずっとしている。自分は基本、「やかましい」と言われる。

☆井関さんが一番思い出に残っている衣裳は何か
井関さん: 「一番」となると難しいが、思い入れで言ったら、故・堂本教子さんによる『夏の名残のバラ』の赤い衣裳。生地に拘って色々語っていたのを思い出す。
(*これに続く井関さんの発言は今公演の演目に関係する部分が大きいため、ここでは敢えてご紹介を差し控えさせて頂きます。その点、ご容赦ください。)
(→今回の「Amomentof」公演が埼玉の地で大千穐楽を迎えたタイミングで、このやりとりについてもご紹介させて頂きました。こちらからご覧ください。)

★新潟での一番の思い出は
山田さん: (しばらく考えてから)急性膵炎で入院したことかな。まず正露丸、それから痛み止め、そして入院。1週間くらい絶食した。メンバーがお見舞いに来てくれて。
井関さん: (山田さん同様、思いを巡らせたのち)メンバーのことならよく覚えているけど。
金森さん: 俺に過去のことを訊くのはやめた方がいい(笑)。

☆知事と市長が観にきていたが、何か言いたいことはないか
金森さん: Noismは世界的な舞踊団になってきている。是非活用して欲しい。(→場内から大きな拍手)

★20年間でどこがピークだったか
金森さん: 今に決まってる。ピークを過ぎたと思ったらやめている。

☆これまでに一番チャレンジングだったことは
井関さん: 作品が毎回チャレンジング。サプリを飲んで乗り越えている。チャレンジしていないと生きている気がしない。マッサージをして、今日よりは明日というふうに、舞踊には挑戦を求める。目標を掲げるのは得意じゃない。日々乗り越えていくだけ。
山田さん: (井関さんと)一緒、というか、一緒になった。それがないと、足りないなぁと思うようになった。
金森さん: 「Noism病」だね(笑)。こんなふたりだから、チャレンジし甲斐のある何かを差し出していかなければならない。

★今回のマーラーとヴィヴァルディ(マックス・リヒターによるリコンポーズ版)の音楽はどうやって決めたのか
金森さん: 直感。いずれ創作したい楽曲(や作品)はたくさんある。その時々のカンパニーの状況などを考えて決めているだけ。今回のマーラーも、いずれ作りたかったのだが、ああ、ここだなと。作りたいものはたくさんあるが、時間がない。時間をください。

☆マーラー交響曲第9番の第4楽章を振り付ける予定などはないか
金森さん: 今のところはない。(→質問者から「特殊な曲で、ダンスにするのは難しいかも」と言われるや)そう言われると作りたくなる(笑)。
創作にあっては、音楽を聴いて、舞台が見えたら、それは取っておく。見えないものは使わない。選曲に関しては割に素直で、有名とか(有名でないとか)は気にしない。
(→また、質問者から「以前の『Der Wanderer-さすらい人』について、シューベルトには960曲に及ぶ歌曲があるが」と向けられて、金森さん、「歌曲は手に入るもの700曲くらい聴いた」と答える。)

★怪我もつきものかとは思うが、メンテナンスとか工夫とかはどうしているか
山田さん: ストレッチして、マッサージしてという感じ。
金森さん: 本番のときには、Noism設立当初から、専門のトレーナーに待機して貰っている。
井関さん: 舞台に立てなくなるので、怪我が一番こわい。日々、マッサージやトレーニングでケア。踊りのことと同時に体をケアしていて、それが50%くらいを占めているかもしれない。海外の踊り専門に治療する方のYouTubeを見ている。それと、血液と酸素が今の私のテーマとなっている。
金森さん: 基本はもっとよく踊りたい、もっと長く踊りたいという気持ち。ケアした方がそれに近付ける。若い頃は寝りゃあ治るみたいなところがあったが、ケア自体も楽しめるようになると、ただ苦しいだけじゃなくなる。

☆Noism 20周年。とても幸せな公演だった。これからのことを聞かせて欲しい
山田さん: 本番は本番で、20周年とかはあんまり関係なかった。よく区切りとかという言い方をされるけれど、今日を精一杯やるとか、今日の課題を明日にとかは変わらない。
地域活動部門では、学校公演を行って、長い時間をかけて浸透させていくのがミッション。
井関さん: 20周年と言われるが、ただ20年が過ぎただけ。それによって、何か成し遂げたという実感はない。今回、メンバーと一緒に踊っていて、全員の目を見て踊っていると、魂が通い合った、嘘じゃない目をしていた。それを求めていた。『Amomentof』で見たみんなの目がホントにピュアで、始まりの一歩に思えたし、これからへの確信を得た。
金森さん: 全ての可能性はここにある。20年間続けてきたことの実績に価値がある。この舞踊団の素晴らしさと可能性。どこにこの身を賭けて、どういう判断を下していくか。その根底にあるものはずっと変わらない。新潟と世界を繋ぐことである。明日もチケットはちょっとだけあるそう(笑)。
井関さん: 公演回数が増えるように(笑)。公演回数を増やしましょう(笑)。

…といった具合で、約30分間の楽しいアフタートークでした。金森さん、井関さん、山田さん、お疲れのところ、どうも有難うございました。

そして、皆さま、今後、「公演回数が増えて」いくためにも、「ちょっとだけある」明日のチケットがソールドアウトとなって欲しいものですね。そのため、まだご覧になっておられない方、或いは、既にご覧になった方、どちらも明日、かっちりした予定が入っていない向きはご購入(ご鑑賞)のご検討をお願いいたします。20周年記念公演の2演目は観る度、新鮮な感動が待っていますゆえ。では、新潟公演楽日にお会いしましょう。

(shin)


BSNテレビ特番『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』上映会&トークショーに行ってきました♪

2024年6月14日(金)@りゅーとぴあ4Fギャラリー

BSN新潟放送制作のドキュメンタリー『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟(英題:On Stage)』が今年5月、ドイツの「ワールドメディアフェスティバル2024」でドキュメンタリー部門(Documentaries: Arts and Culture)金賞を受賞したことはご存じかと思います。
それを記念して開催された上映会と、金森さん×番組ディレクター坂井悠紀さんのトークショーに行ってきました!


最初は椅子が50席ほど用意されていましたが、どんどん椅子追加で、終わる頃には満席立ち見の大盛況でした♪
https://www.ohbsn.com/event/wmf-onstage/

まずは上映会です。
テレビでリアルタイムで見て録画もしてありますが、大画面はやはり違いますね!
ナレーションは石橋静河さん。2022年初演のNoism×鼓童『鬼』に関して、金森さんに密着したドキュメンタリーです。
あの頃はマスク必須でした。『鬼』を作曲した原田敬子さんのことや、新潟、埼玉、京都、愛知、山形の5会場での公演のこと等、懐かしく思い出しました。

続いてトークショーです。
すっかりおなじみ同士の金森さんと坂井さん。明るく楽しくいろいろなお話が繰り広げられました。

坂井さんは授賞式のため5月末にハンブルクに行き、3泊したそうです。
街の中心にある国立劇場で、ジョン・ノイマイヤー、ハンブルクバレエ団『ガラスの動物園』を鑑賞。
「どうだった?」ときく金森さんに、「セットが豪華だった」と答える坂井さん。
「踊りを観にいってセットが豪華って、そりゃダメでしょう!」とすかさず突っこむ金森さんでしたが、坂井さんには訳が。
坂井さんは「舞踊と言えばNoism」が沁み込んでいます。
「Noismは舞踊家たちの身体性が共通しているが、ハンブルクバレエ団は身体性が共通していなかった」そうで、動きの質がNoismより雑と感じたのだそうです。
この返答には金森さんもちょっと驚いたようでした。

ハンブルクバレエ団は公演数がすごく多く、スケジュールが過密で多忙なので、集団性よりも個々の魅力を重視しているのではとのことでした。金森さんは「他の一流の舞踊団を観るとNoismのこともよくわかるよね」と応じていました。

●ハンブルクバレエ団、日本人初のプリンシパル菅井円加さんへのインタビュー( by 坂井さん)
菅井さんは2019年からプリンシパルになったそうで現在29歳。国家公務員という立場。
ノイマイヤーが芸術監督をもうすぐ退くことになっているが、それまではバレエ団にいるし、その後は流れを見たい。
劇場の課題は、観客の高齢化。← これは世界的現象だそうで、若者向けの演目を上演するなど、対処しているそうです。
菅井さんは金森さん、井関さんの大ファンとのこと♪
この『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』を見て、とても勉強になったそうです。

金森さん談:
ノイマイヤーもそうだが、20世紀の巨匠たちがやめると、そのあとがてんやわんやになる。
自分はその次の世代だが、そうならないようにどのように残して、世代交代していくか。
自分がいなくなってもNoismが今のように続いていくにはどうすればいいか、考えているが難しい。
舞台芸術が定着しているヨーロッパではなく、この国独自の専属舞踊団のあり方を考え出して、世界に貢献したいと思っている。
日本は、かつて経済に注いだ情熱を、今度は文化に注げば文化大国になれるのにもったいない。
★この番組が金賞を受賞したからには、全国放送をしてほしい。新潟でしか見られないというのはそれこそもったいない!(拍手)

そのほか、坂井さんは2019年1月『R.O.O.M.』の公開リハで初めて金森さんとNoismに出会ってビックリし、密着取材をしつこく申し込みましたが、断られ続けたこと。その後、モスクワまで(『カルメン』公演の取材に)来たら考えると言われたため、同年5月末にモスクワに行ったこと(モスクワの会場でお目にかかりました)。
ハンブルクでの授賞式・レセプションには審査員が誰も来ていなくて驚いたこと。等々々書ききれず、すみません。

4年前、文化庁芸術祭賞のテレビ・ドキュメンタリー部門で大賞を受賞したBSNスペシャル
『芸術の価値 舞踊家金森穣 16年の闘い』で、坂井さんは「新潟に金森穣がいることの意味」を撮りたかったそうですが、この度は「金森穣にとっての新潟」を意図したそうです。
番組中、昨年の関屋浜海岸清掃のシーンで金森さんが言った「この海の向こうには大陸があるんだよね」という言葉が坂井さんには印象深いそうです。新潟にいて、いつも世界のことを考えている人、なのでしょう。

最後に金森さんのひとこと、
「Noismで二つも賞を取ったのだから、BSNはそろそろNoismのオフィシャルスポンサーになれば!」
拍手喝采! あっという間の1時間、楽しいトークでした!
終了後は来場者と写真撮影♪
https://twitter.com/NoismPR/status/1801581021382721871

なお、6月28日(金)— 30日(日)
Noism 20周年記念「Amomentof」公演期間中も同番組が上映されます。

※28日(金)、29日(土)の上映はどなたでもご入場いただけます。
入場無料(申込不要/当日直接会場へ)
※30日(日)の上映は、会場が劇場ホワイエとなるため、当日の公演チケットをお持ちの方のみのご入場となります。なお、椅子のご用意はありませんので、ご了承ください。

6/28(金)17:30-18:25 4Fギャラリー
6/29(土)15:30-16:25 4Fギャラリー
6/30(日)14:00-14:55 劇場ホワイエ

公演&上映、ぜひどうぞ!

(fullmoon)

【追記】
坂井ディレクターによる授賞式を含むハンブルク訪問の様子は、6月12日(水)夕にBSN新潟放送『ゆうなび』内にて、「芸術の国 ドイツ・ハンブルク 現地リポート(Noismを知るトップダンサーにも取材)」として、10分の尺(!)をとって放送されました。その放送ダイジェストは次のリンクからご覧いただけます。併せてどうぞ。
https://news.infoseek.co.jp/article/bsn_1226246/#goog_rewarded 
(放送には映っていた授賞式での坂井ディレクターの尊いタキシード姿がこちらには載っていない点は誠に残念ですが…。)

(shin)  

「柳都会」Vol.28 矢部達哉×井関佐和子(2024/2/4)を聴いてきました♪

2024年2月4日(日)、暦の上では「春」となるこの日の午後2時半から、りゅーとぴあ〈能楽堂〉にて、東京都交響楽団のソロ・コンサートマスターを務める矢部達哉さんをお迎えしての「柳都会」を聴いてきました。

―届けているのは本物。音楽と舞踊の関係性、不可分性。

柳都会vol.28 矢部達哉×井関佐和子 | Noism Web Site

今回の「柳都会」は、聞き手の井関さんが話をお聞きしたいお相手として、矢部さんを希望されたところ、快諾をいただき、実現したものとのこと。そして、開催日時が近付いてくるなか、SNSに「ミニ・ワークショップもある」という追加情報も出されるなど、これまでにないスタイルへの期待も膨らみました。

予定時間となり、井関さんからのご紹介で登場した矢部さん。鏡板の「松」の手前、「人生で初めて履いた」という足袋姿+「お見せするだけ」のヴァイオリンを携えたそのお姿はそれだけでもうかなり微笑ましいものがありましたが、その後、トークの間に、何度もヴァイオリンを弾いて説明してくださった矢部さんのお人柄に場内の誰もが惹かれることになりました。終始、穏やかな語り口で、ユーモアを交えて話された矢部さん。ここでは話された内容からかいつまんでご紹介しようと思います。

*矢部さんとNoismとの出会い
2011年、〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本2011〉でのバルトーク『中国の不思議な役人』のとき。
矢部さん: 『中国の不思議な役人』は信じられないくらい難しい曲。しかし、指揮者から「舞台の上(Noism)はあまりにも完璧でびっくりする」と言われていて、ピットの中からは見えなかったのだが、舞台の上と繋がっている感覚があった。後からビデオで観て、(Noismに)一気に興味が湧いて、それ以来、自分の人生の中で欠かせないものとなっている。尊敬し過ぎていて、ただのファンという感じ。

*矢部さんとヴァイオリン
・矢部さん5歳: ヴァイオリンは、クリスマスに親が出し抜けに買ってきて、「あなた、コレやるんですよ」と言われて、始めたもの。それがずっと続いて今日に至るのだが、現実は甘くない。「100年にひとり」とかいう存在になるなど、「皮膚感覚で無理」とすぐにわかった。
・矢部さん高1: 病気で学校に行けなかった頃、マーラーのオーケストラ曲と出会い、「これが弾きたい」という気持ちになって、オーケストラでヴァイオリンを弾くことが目標に定まった。
・オーケストラとソリスト: 実力、メンタリティや意識のほか、奏法も違う。オーケストラは調和が大事なのに対して、ソリストは孤独に耐えることができて、一人で2000人の聴衆の一番後ろまで音を届かせなければならない。(一方からもう一方への転向はそれぞれに難しい。)
しかし、ソリストも弾く曲を自分で選べる訳ではない。例えば、メンデルスゾーン、チャイコススキー、シベリウスなどは1年に何度も弾かねばならない。一方、オーケストラでは色々な曲、色々な指揮者に出会えるメリットがある。
・矢部さん22歳: 4つのオケからオファーがあったなか、東京都交響楽団のコンサートマスターになる。その際は、急遽の展開だったため、オケ側の事前協議や準備もままならず、(ご自身は何も事情を知らないながらも、)「不完全なかたちでお迎えして申し訳ない。これからのことはもう少ししてから」と言われての4月のスタートだった。→その後、「大丈夫になりました」と言われたのは、1990年6月6日に「信じられないくらい美しい音楽」マーラーの交響曲第3番・第6楽章を演奏した日のことで、きたる6月に「20周年記念公演」で同曲を踊るNoismとシンクロする。

*コンサートマスターの仕事 
矢部さん: 指揮者とオーケストラは大抵、喧嘩するもの(笑)。そのとき、間に立って、いいかたちに持っていく役割。(穣さんほどじゃないけれど、)生意気だったかもしれないが(笑)、「長い目で見てあげよう」と思われていたのだろう。同時に、最初の4~5年くらいは、「子ども」で大丈夫かとも見られていたようで、「ごめんなさい」という感じで座っていたりもした。
井関さん: 若くしてコンサートマスターになる人はいるのか。
矢部さん: そんな時代もあり、昔は何人かいたが、ここ30年程でオーケストラの技量が格段にアップしてしまって、現在は難しい。

*(舞踊の)カウントと(オーケストラの)指揮者
井関さん: 舞踊の場合、指揮者にあたるのはカウント。カウントを数えて踊るのだが、最終的には、カウントを数えていると「見えなくなる」。 
矢部さん: (例えば、小澤征爾さんとか)本当に凄い指揮者は見なくても伝わってしまう。磁場ができて、自由に弾かせて貰っている感じになる。そのとき、舞台上は有機的に繋がっていて、触発され、相乗効果で演奏している感覚に。それがオーケストラで演奏する醍醐味。

*音楽性をめぐって
矢部さん: 才能もあるが、表現、音の陰翳、色の捉え方が大事。
井関さん: 舞踊家が音楽を身体に落とし込んでいくやり方は、個人によって異なる。矢部さんはどういうふうにキャッチしているのか。
矢部さん: 簡単に言うと、「作曲家の僕(しもべ)」として。例えば、ベートーヴェン。200年も経っているのだが、ビクともせず、生き残っている。普遍的な力で、現在に至るまで、どの時代の人の心も捕らえてきた。生き残らせる役割を仰せつかっている。音楽によって聴衆との間に生まれる空気を共有することが目的。

井関さん: 作曲家の意図を汲みつつ、オケにあって個性は必要なのか。
矢部さん: 生まれ育った環境も心の在り方も異なるのだから、個性は違って当たり前。
ピタリ合っただけの音楽は異様で、生きた音楽にはなり得ない。小澤さんは、個を出した上で有機的に調和することを求めた。

矢部さん: 音楽史上、最も偉大な3人(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン)の音楽は色々な解釈、色々なアプローチを受け付ける。スパゲティ・ナポリタンにも色々なものがあるのと同じ(笑)。(ナポリタンである必要もないが(笑)。)

*呼吸をめぐって
井関さん: 踊っているときの自分の呼吸に興味がある。昨日、弾いて貰うのを聴いていて、矢部さんの呼吸にも。
矢部さん: あっ、そうか。(呼吸)しているんでしょうね。呼吸を入れると、身体が自然に動くが、止めると、身体も止まる。酸素を取り入れた方が流れがよくなる。
井関さん: 呼吸のコントロールで表現が変わってくる。自分の呼吸に気をつけていると、「離れる」こと、「引く」ことができて、身体に影響が大きい。
矢部さん: ヴァイオリンの場合、ダウンボウでは吐き出して、アップボウでは吸う。音の方向性(上に行くものと下に行くもの)に違いがある。

(5分間の休憩後には、予告されていた「ミニ・ワークショップ」から再開される。)

*金森さんの音楽センスと「ミニ・ワークショップ」
(金森さんも加わって、再開)
金森さん: 「雇われ演出家」の金森穣です(笑)。
矢部さん: 穣さんの音楽センスは、まわりの芸術家のなかでも傑出していて、まさに天才。音の陰翳、色を捉えた演出、ずっと興味があった。ドビュッシーの交響詩『海』、ずっと好きで、繰り返し聴いてきたが、『かぐや姫』で聴いたときが一番よかった。それが「金森マジック」。

「ミニ・ワークショップ」: 矢部さんが、金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』で金森さんが使用しているドビュッシーの『亜麻色の乙女』、『海』(のそれぞれ一部)を弾き、その場で金森さんが即興で井関さんに振り付ける様子を観る、実に贅沢な時間…♪

矢部さん: (「ミニ・ワークショップ」では)ただ弾いていただけではなくて、彼ら(金森さんと井関さん)の動きを観ることで、陰翳が変わった。触発されて、別の弾き方をしてみたくなる。相乗効果。とてもクリエイティヴ。
金森さん: 呼吸の「間(ま)」、振付を考えるうえで大きいかもしれない。言葉がないもの、説明のしようがないものを届ける。非言語での想起。
矢部さん: 芸術は受け取る側に委ねられている。(恣意的に歪めることは違うが。)今あるメロディがより綺麗に聞こえる、「金森マジック」。
(この間、約15分。金森さん退場)

*呼吸、カウント、一体感…
井関さん: 最近、「声」が入っているもので踊る機会が多い。歌手の呼吸を聴き込んで踊っている。矢部さんの呼吸をキャッチできたときに一体化できる。
矢部さん: (小澤さんをはじめ、)偉大な指揮者は例外なく呼吸から受け取るものが多い。呼吸によって出て来る音楽が異なる。
井関さん: 一旦、繋がってしまうと、テンポはそれほど重要ではなくなる。信頼関係かもしれない。
矢部さん: 音楽よりカウントを優先させてしまうと、ズレてしまうかもしれない。うねり、抑揚、陰翳…音楽が身体に入ってくると、自ずと身体の使い方が変わってくるのではないか。

矢部さん: まっさらな楽譜に「ボウイング」を書き込むのもコンサートマスターの仕事。でも、違うんじゃないかと言われて、消しゴムで直すなんてことも(笑)。
井関さん: 普通に矢部さんのお仕事見学に行きたい。
矢部さん: そんなに面白くはない…(笑)。

(と、ここで井関さんが終了時刻の午後4時になっていることに気付き、告げる…)

矢部さん: あら、そうね。また遊びに来ます。今度は舞踊について質問したいことがたくさんあるから、それはまた機会を改めて。

…と、そんな感じでした。
矢部さんは「お見せするだけ」の筈だった(?)ヴァイオリンで、上に記した曲のほか、オーケストラとソリストの弾き方の違いを説明する際に、ブラームスの交響曲第1番からのソロ・パートを、更に、アップボウとダウンボウの違いに関しては、マスネの「タイスの瞑想曲」も(一部)弾いてくださいました。お陰で、(金森さん登場の「ミニ・ワークショップ」も含めて、)おふたりの本当に濃密、かつ、わかり易いやりとりを堪能させて貰えました。そんな豊かな時間を過ごせたことに、感謝しかありません。(何しろ終わったばかりで、こんなことを書くのは欲張りも過ぎる気がしますが、)是非、舞踊に関して改めての「機会」が実現しますように♪

(shin)




「鈴木忠志・金森穣・瀬戸山美咲による対談」(2023/12/20)(サポーター レポート)

SCOT吉祥寺シアター公演での「対話」へ行ってきました。
舞踊と演劇に関して様々な話題が出ましたが、主に金森さんに関連する部分をレポートさせていただきます。 乏しい記憶力と書きなぐりメモが頼りゆえ、事実と違ったり、話の順番やニュアンスが正しくないかもしれない点はご容赦ください。

劇場の黒い舞台の下手から鈴木忠志さん、金森さん、瀬戸山美咲さんと並び、皆さんモノトーンの装いで、シックな雰囲気。客席には井関さんのお姿も。

まず鈴木さんがおふたりを紹介し、おふたりからも簡単な自己紹介。
鈴木さんは、これまで2人に利賀でやってもらったが、今後も何かやれたらと思う、将来を嘱望されている2人がこれから活躍するにあたり、何が問題かをどんどんしゃべってほしい、何か力になれれば、と前置き。
『闘う舞踊団』については、良く書いたなー、読む方は誰かわかるでしょ?とコメント、皆ジワッと笑い。

金森さんは、日本では劇場の中にプロの専属集団がいないこと、プロではなく「趣味」に生きていると思われがちなこと、地方では多額の税金が、限られた市民だけ、または、東京から舞台を呼ぶことに使われている…という、これまでにもお話しされていた問題点を述べ、帰国して日本の状況に失望し、海外へ戻ろうと思った頃、鈴木さんと会って作品を見て、メソッドを持ち、何十年も身体と向き合っている集団があることに驚き、理解したいと思った。
日本の演劇には、物語はあるが、役者からのエネルギー、生身の身体があることの必然性が感じられないが、SCOTにはそれがあって感動した。
Noismを20年やっても公立の舞踊団は唯一で、新国立のバレエ団もコールドは給料で生活できず、新国立が海外から呼ばれることもない、というのが現実。
国の制度を変えたい、「御大(=鈴木さん)」の背中を見ていれば、変えられると思う、とのこと。

「劇場」について、鈴木さんは、劇場には空間(建築)があって思想があるべき。能舞台がそうで、海外ではピーター・ブルック等が自分の劇場を作っている。空間に合う思想を具現化する技術は何かを考えることが必要で、日本には劇場が沢山あるが、本当の意味での劇場がない…と熱い語り。
瀬戸山さんは、演出家の目線が入っていない劇場が多く使いづらいと指摘。
金森さんは、誰のための劇場かわからないと今後も同じことになる。公平性が社会的正義となると、(誰にでも)使いやすいことが優先されると危惧。

金森さんからの、鈴木さんの舞台は身体が強いので色々な空間で上演される、という言葉を受け、鈴木さんは、自分はどこでもやれる自信があるとキッパリ。能舞台があり能役者がいるのが素晴らしい、というのではなく「軸」が重要。思考の軸・基準がなければ、身体も集団もダメになる、とのこと。

また、「劇作家」「演出家」についての話の流れで、鈴木さんは、金森さんは演出家だと思うが、まだ言葉をしゃべったことがない、舞台の言葉は日常とは異なり、簡単じゃない、と語られましたが、これから言葉を入れることに挑戦してほしいという意味なのかどうか、よくわかりませんでした。

「地域への貢献」の話題で、金森さんは、今の世の中の今の新潟で、「軸」を失わずにできることをやる。「軸」のために闘い方を捻りだし、地域貢献も必要ならやる。今は主にNoism2 が行い、金森さん自身が直接関わらなくても良い仕組みを作ったと説明。

鈴木さんは、「地域貢献」は結果であり、「人類へ貢献したい」。「地域」は政治家が考えることで、芸術家の役割は、多民族や異なる思想を持つ人々の間に共通の悩みや問題があることを示し、それに役立つような共通の思考を見いだし、1つの共同体だけでなく異質なものに橋を架けること。「日本人だけ」はナンセンスとも。
瀬戸山さんが、日本は、日本の演劇を海外へ紹介する意識がないと言うと、金森さんは、日本の演劇の作り手は、そもそも、海外と勝負できる・人類の財産となると思っていないのでは…と一言。

鈴木さんは、公共と関わる場合は税金が使われるから難しく、「アナタの金ではないから偉そうなことは言うな」と言われるのは仕方ないが、本来そこは政治家が説得すべきこと。行政が芸術を助けるのでなく、経済人・政治家・芸術家が対等でなければならない。行政サービスとしてではなく、国家政策としてやらせることが重要と主張。
金森さんに対しては、政治家はいずれ選挙で落ちるけれど、自分は死ぬまで金森穣でやるから、(政治家に)もっと闘ってくれ、と言うべき、と煽り(?)、瀬戸山さんに対しては、日本語を守るためにも戯曲は大事だから、立候補したら?と唆し(?)。

鈴木さんから、自分はやりたいことができているが、このままではダメではないかと考えている。(2人に対して)でっかい態度で発言しなさい、悪口を言えばお金が出るから…と、まさに「御大」な発言が。もちろん「悪口の基盤が重要」と釘さし。

その後、利賀を作り上げるまでの逸話(今ではNGなことも)を披露。はじめは自費だったが、そのうち知事が来て行政からお金が出るようになったとも。
金森さんは、Noism設立時は、流行りの芸術監督制度をやりたいスタッフに自分が呼ばれ、今は、現市長は前市長のやったことをやめると色々言われるから続けている。
「やってください」と言われるまでになっていないので、覚悟しかない、と。

最後に鈴木さんから、「世界はこうだ、私は天才だ」と大きなことを言った方が良い。2人とも頑張っている、きっと思いは通じる。「あれだけのことを言うからには裏に何かある」と思ってくれる、と再び激励。
瀬戸山さんは、今は萎縮したり慎重になりがちだけど、大きな夢を語るのは大事ですね、と。
金森さんは、今、刀を研いでいます、追い出される前に追い出します、と不敵な笑み。

当初、「自分は司会」と言っていた鈴木さんも沢山話してくださり、そこに思いを2人が受け継いでくれるという期待が感じられました。それを聞く金森さんが、嬉しそうだったり、照れくさそうだったり、困惑したり、慌てたり、いつもと少し違う表情を見せていたのが印象的でした。

また、若き日のご自身を「老人キラー」と称した鈴木さんによると、金森さんも「老人キラー」だそうです。何人か殺しちゃってるんですね(笑)。

質問コーナーはなしで約1時間45分、貴重なお話をたっぷりと聞けました。この日の視点は主に作り手側から。いつか観客の視点を交えた対話の場が持たれることに期待します。

(うどん)

ゲンロンカフェ「踊ること、生きること、観ること──日本人にとって劇場とはなにか」(2023/8/1)を聞いてきました♪

2023年8月1日(火)、東京五反田のゲンロンカフェにて「金森穣 × 上田洋子 踊ること、生きること、観ること──日本人にとって劇場とはなにか」を聞いてきました。
ゲンロンカフェといえば、自前のカフェスペースで繰り広げられる時間無制限のトークです。じっくりと話が聞けるため、とめどなく話が深堀りされるのが魅力のひとつです。

さて。五反田駅からゲンロンへ向かう途中の大崎橋の中ほどに看板が出ていました。ゲンロンの入るビル入口にも本日のイベント案内がありました。

今回金森さんと対談するのは、ゲンロン代表の上田洋子さんです。
上田さんと金森さんは、 “御大”鈴木忠志氏が創設したSPACや富山県利賀芸術公園を通じて交流があり、また2016年のゲンロン利賀セミナーでは金森さんが講師の一人を務めています。旧知の間柄であるお二人、トーク序盤は上田さんがやや堅い感じだったのですが、絶好の聞き手を得て金森さんのお話は立て板に水のごとくのテンポで進みます。
トークの様子は配信プラットフォームのシラスで完全中継されてアーカイブがありますので、全編はぜひシラスで御覧ください。

対談中で印象的だったのは、上田さんがクリティカルな質問を投げかけると、目を見開いたまま口角を上げて「ない」とイタズラぽい笑みを浮かべて即答する金森さん。Noismの運営について対話を交わす中、何度となく「もったいない」という言葉が漏れたこと。


そして第一部終盤からは、『夏の名残のバラ』、『ラ・バヤデール―幻の国』など過去の作品映像を見ながら対談が展開されました。展開されるというか、美しい……と、ついつい映像に見入ってしまい、客席に「機会があればぜひ見てください」と投げかける上田さん。権利上の問題から映像に音楽はついていないのですが、貴重な映像もあり、さながらパブリックビューイング状態でした。

第二部も過去の映像作品を観ながらのトークは続きます。
残念ながら私は終電問題につき途中離脱しましたが、対談は23時台まで続きました。
(noi)

シラス ゲンロン完全中継チャンネル アーカイブ

ゲンロンカフェでは個別のトークイベントごとにハッシュタグが用意されています。
Twitter(X)でのタグ #ゲンロン230801 つき発言へのリンク

2023年7月18日、日本記者クラブで『闘う舞踊団』について語った金森さん♪

【お知らせ】日本記者クラブでの会見「著者と語る」にて、初の著書『闘う舞踊団』その他について語った金森さん。その動画がYouTubeにアップされています。

著者と語る『闘う舞踊団』演出振付家、舞踊家 金森穣さん 2023.7.18

演出振付家で舞踊家の金森穣さんは、今年1月に刊行した著書『闘う舞踊団』で自身の半生と、日本で初となる公共劇場専属舞踊団「Noism」を率いてきた18年間の「闘い」をまとめた。 『闘う舞踊団』の執筆に至った経緯や、この間何を思ってきたのか、劇場文化の活性化に必要なこと、文化政策のあり方などについて語った。
司会 中村正子 日本記者クラブ企画委員(時事通信)

Youtube より(一部修正のうえ転載)

金森さんが綴った感動の著書『闘う舞踊団』、既にお読みになられた向きも、これからお読みになられる向きも、この度の会見動画は間違いなくお楽しみ頂けるものです。どうぞこちらからご視聴ください。1時間21分25秒あります。「志」を胸に「闘う」金森さんの語り、いっぺんにでも、少しずつでも♪

(shin)

Noism 金森 穣『闘う舞踊団』~出版記念トークイベント~聴いてきました!

テレビをつければWBC一色、ぽかぽか陽気の休日に、MOYO Re:(もより)にて行われた『闘う舞踊団』~出版記念トークイベントを聴いてきました!
聞き手はツバメコーヒーの田中 辰幸さん。
以下、トークの様子をふわっとレポートします。

■出版について
本を書くことで未来の誰かに託している。資料として残すという側面がある。
『闘う舞踊団』は、文化政策にかかわっている人から反応がある。
Noismは成功例だと思っていたところ、読んでみて驚きや共感を覚えたという声がある。
こういう形で発信していかないと気が付いてもらえない。もっと発言していかなければいけない。

■鑑賞すること、批評の不在
Noism初期の頃のアフタートークでは平易な質問もあったが、回を追うごとにはっとする質問が来るようになった。
舞踊に触れていなければ、見方はわからない。感じられるものはあっても、この見方で”合っているのか”わからない。
舞踊についての言説が流通していない。別の方法も考えていかなければいけないし、地道に続けていくこともある。
一度でもいいから観てもらうためには、知名度を上げることも必要。

■10代の頃
中学生くらいの頃は授業に身が入らなかった。屋上でハーモニカを吹いていた。
自分が”違う!”と思ったらイヤになって、授業が入ってこない。
承認欲求はある。0歳児保育の頃は大人に気に入られようと愛想をふりまく幼児だった。

■家庭環境からして舞踊のエリートなのでは?
父は伊豆大島から東京に出て、ウエストサイドストーリーに感化されてダンスを始めた。
いま70代で生活保障もあるわけではない。舞踊家の大変さ、厳しさは目の当たりにしている。
舞踊は身近なものであり、踊っていると周りの大人がほめてくれた。

■世代による分断
現代では舞踊の動画もたくさんあり、学習しやすくはなっている。
世代による体験の分断はあり、強いてやらせるのは暴力的なこと。
いま海外に行っても、通信手段が普及しているので容易につながってしまえる。
ただし方法が違うだけで、孤独は味わっているのかもしれない。
自分の追い込み方、内圧を高めてどう外圧に対処するかという体験が重要。
外圧がないところで、内発的に自らを高めていくことは難しい。

■身体の稀少性
社会が非身体化しているからこそ、身体の稀少性に惹かれる。
知識は見て学べること。その時自分の身体がどうなっているか、身体と向き合うという実践によって理解できることがある。
知識を疎外しているわけではなく、両輪としてやっていく。
身体性をどうとらえるかは、一度WSに出て体験してみるのが一番。
実践を通して身体の可能性に気づき、見る行為により追体験ができる。
人生をかけて自分の身体と向き合うことでリアリティが生まれる。

■読書について
本は18歳頃から読み始めた。図書館には行かないタイプだった。
ヨーロッパでは、哲学とは、親とはといった会話で他者とコミュニケーションする光景があった。
自分は今まで舞踊(運動)はしてきたが、これではヤバイ!恥ずかしいという思いから本を読み始めた。
いきなりニーチェを読み、内容はわからないけれど負けず嫌いなので読み通した。
ニーチェのほか、三島、村上春樹など雑食だった。
今ならまとめ動画で要約も見られるし、知らなくてもchatGPTで回答は得られる。
だが身体とどうかかわるか、全身体的な体験として本を読む。読む行為は空間的かつ時間的。
ベジャールの父は哲学者だった。メルロー=ポンティなども会話に出てきた。
情報と感覚は違う。ヤバイ!と思うこと、危機感を持つことが大事。

■金森さんがちゃんとしすぎている問題から
田中:金森さんは、もう少し隙があると親しみがわきやすいのでは?
金森:この前も柳都会で、近づきがたいと思っていたが、普通でよかったと言われた。
田中:だらしなくしてみては?
金森:スキを見つけて楽しい? 別に作っているわけではなくて、やりたくてやっている。
そんな方法でなくても、山田の道、井関の道、オレはオレでやっていく。
もし、崩して観客が増えるとか、根拠があるならやる。
とはいえバランス感覚が重要。知名度が全てではないが、知名度も必要。
質と社会性の両立、広報を続けていっておいおい成果がでてくればよい。多角的アプローチをしていきたい。

■観客について
少子高齢化が問題と言われるが、高齢者はさまざまな人生経験をしているので、ごまかされない目があり深く届くものがある。
芸術家の自分としては、理解者は一人でもいればいい。実演家と芸術家の両方の視座が必要。
県外からの観客は2~3割程度。昔より増えている。
市内の人が劇場に足が向かないのは、年間を通してやっていることの弊害かもしれない。
首都圏へのアピールは課題。関係が構築できたと思ったら担当者が変わる。
(芸術家としては)ただ数が集まればいいというものではない。
何が評価されているのかは、今期から新体制なので、三年後にまた聞いてほしい。
メンバーがチケットを販売することはタブーではないが、それをやらないと成り立たなくなるのは駄目。
普段の生活の中で、馴染みのお店や触れ合う人へ観に来てくださいという声かけはあると思う。

■饒舌な金森さん
(ポスターの指先まで隙のない姿に対して)舞踊家だから仕方がない(笑)
田中くんが相手だと、ふだん話さないことまで話した気がする。
柳都会では聞き手になっているが、今日はずっと喋っている。
フリートークが成立するかどうかは相手による。

■良くも悪くも金森さんの存在は不動のものでは?
日々さらけ出して、メンバーと一緒に稽古している。
ベジャール、キリアンの指導者性はタイプが違う、自分が師事した頃の彼らは60代70代だった。
自分が踊らなくなってからわかる見え方があるかもしれない。
今後は、Noismの組織としての体制を確立させる。
自分の身体と向き合うことで「真の花」に迫れるのではないか、興味はある。
舞踊はよく非言語と言われるが、むしろ前言語的ではないか。

■「美しさ」とは
大前提として、はかないもの。言語化すると消失してしまう。
ヨーロッパでは「美しい」と頻繁に言葉に出す。
リプロデュース可能なものにするのが「芸」。

軽妙なテンポの田中さんが、スペイン人の女の子、鈴木忠志さんのユンボなどの話題を挟んで会場を沸かせることも度々。質疑応答からさらに話題を展開するモデレーターぶりに、いつになく饒舌な金森さんが応えます。怒涛のトークに聞き入り、気づけばあっという間の2時間が経過していたのでした。(のい)