新潟日報紙に「坂口安吾生誕120年」を祝う全面広告掲載さる。「共鳴する安吾とサティ」とNoism新作広告も♪

2026年4月24日(金)、新潟日報の朝刊、その25面に「坂口安吾生誕120年」を祝う全面広告が無事、掲載されました。その左肩部分に「共鳴する安吾とサティ」の文字があり、Noism0+Noism1坂口安吾生誕120年/エリック・サティ生誕160年「私は海をだきしめていたい」公演(同時上演・改訂版『春の祭典』)広告も♪

パチパチパチパチ!まずはその全面です。実におめでたい♪

そして次に、Noismの公演部分のクロースアップ♪井関さんと(恐らく)金森さん画像のかぐわしいコラージュからは、まさにサティの「ジムノペディ第1番」が聞こえてくるかのようです。(この「幻聴」、私がNHK「3マス」ピアノの放送以来、「60の手習い」でほぼ毎日、同曲の独習を続けているからではなく、明らかに、テレビでの同公演スポットCMの影響と考えます(笑)。嬉しさのあまり、のっけから脱線し、個人的な話をしてしまいました。失礼しました。)

更に、本ブログでも寄付のお願いをさせて頂いてましたので、今度は掲載されたご芳名部分です。臙脂バックに「新潟が生んだ文化を誇りに」、いいですね♪

ご協力、どうも有難うございました。本当に誇らしいですね、はい。

6月、7月の『私は海をだきしめていたい』+改訂版『春の祭典』という豪華な公演、新潟、埼玉ともチケット絶賛発売中です。よいお席はお早めに!

このところ、立て続けにメディアに登場している感のあるNoism Company Niigata。このブログでも、その話題をお届けする充実した日々になっています。

そしてこの日の全面広告を見て、一連の言葉たちがあたかも泡立つかのようにシンクロして浮かび上がってきます。「無頼派」、「マレビト」、「アウトサイダー」、「(音楽界の)異端児」、そして「東京の亜流になるな」。

金森さんとNoismの刻んで来た足跡に関して、今、思うところがあります。それを誤解を恐れず、ここで書いてみたいと思います。
2004年、何か未だ先の知れぬ運命が交錯し、謂わば「奇跡」的な出来事として、金森さんをりゅーとぴあ芸術監督に招聘することが選ばれ、この国で初めての公共劇場専属舞踊団がスタートしたとき、確かに私たちはそれを抱えることに決めた新潟市によって、Noismを与えて貰ったことは事実でしょう。しかし、その後、金森さんの傑出した芸術性とその惜しみない舞踊への献身によって産み落とされた舞台の素晴らしさを「発見」し続けてきたのは、他でもない私たち(新潟市民、及び観客)であって、私たちは今日に至るまでずっとNoismを「発見」し続けてきたのです。(そうした思いがあってこそ、金森さんに宛ててあの「希望書」を書いたりも出来たのだと今にして気付きます。)

然るに一方、ここまで自ら抱えた舞踊団への支援を続けてきた新潟市はといえば、市民に対して、ただ与えて奪える立場に留まり、およそ「発見」することを怠る日々を送ってきたのではないでしょうか。ですから、その価値に見合った正当な発信がなされることなど単に期待できなかったに過ぎません。前夕のBSN「ゆうなび」の特集内で金森さんが口にされた「そもそもりゅーとぴあで専属舞踊団を抱えていることが、この国のなかで、日本初だとか、日本唯一だとか言うけど、そのことの価値とか、判断を下す人たちはそう(充分には)捉えていない」は無理のないことだったのです。何も「発見」せずにきた訳ですから。

繰り返します。その出発点でNoismを与えて貰ったことは事実ですが、それを誇らしい「文化」にまで高めてきたのは、金森さんであり、私たち(新潟市民、及び観客)なのであり、決してそれを与えた新潟市ではなかったのです。専属舞踊団の設立というモーメント(契機)をもって、その後、東京の亜流ではない「文化」を創造してきたのは、金森さんであり、私たちだったのです。
ですから、新潟市が(そう言うと、語弊があるかもしれませんが、)勝手に拵えた「制度」のみを根拠に、私たちが築いてきた「文化」を勝手に奪おうとするなどは極めて専横的で、決して許されざる暴挙と言わざるを得ません。新潟市の将来の「文化」に資するよう、しなやかに、したたかに振る舞い、「制度」の修正や微調整を行うべきなのです。

新潟市には、この日の全面広告の中央を横に走る「新潟が生んだ文化を誇りに」の言葉を噛み締めて、今ここからの「最適解」を模索することを求めたいと思うものです。その「最適解」は容易に見つかるものと思われます。今度こそ、「発見」しそびれることなどなきよう。そして、今度こそ、私たちと一緒に「文化」を共創する意識を基に、真に行政が果たすべき役割を果たしてくれることを期待します。

全面広告が掲載された喜ばしい朝に。

(shin)

BSN「ゆうなび」が「Noism金森芸術監督 退任表明の理由~芸術と行政の埋まらない溝」を放送、…そして「市民への説明会(5/9)」のご案内(2026/04/23)

「芸術家と行政の間には『制度』という埋まらない溝がありました」、冒頭、大塩綾子アナウンサーの言葉です。この日の特集を一言に凝縮したものです。BSN「ゆうなび」での標記特集について、登場する「関係者」が語った言葉を中心に、かいつまんでご紹介させて頂きます。

「新レジデンシャル制度」という「市がルール化した枠組みのなかで継続されることになった」Noism。
「『7年で終わり』と見えているときに何に向かって活動すればいいんですかっていう話。単純にNoismは続いていきます。で、俺の任期がもう7年で無理なんです、は全然構わない。でも今の制度はそうじゃない。それを変えようとしている」
「勿論辞めたくないさ。辞めたくない。ここまで続けてきたからね」「(退任意向として表明された)この決断を俎上に挙げてでも訴えていかなければならない感じかな」と金森さん。

「この制度に期限を設けるというのは当然のこと」「金森監督が公の立場で退任の意向をお持ちだと表明されたので、Noismや監督に対してこれ以上どうこう言う話ではない」というのが中原八一新潟市長。

市民団体が新潟市に対して要望書を提出した際に、野島晶子新潟市副市長(当時)は、「(新潟市には)Noismに関する制度はない。レジデンシャル制度はありますし、金森監督とも契約していますけど」「(市は方向性を示すべき)立場にない。Noismに関して」と。

事業主体のりゅーとぴあ(新潟市芸術文化振興財団)榎本広樹事業企画部長はどうかというと、「原則論から申し上げると、私ども財団は制度に基づいて事業を行っている立場なので、制度自体の是非を論ずる立場にない」「(次の芸術監督を)どのように選定していくかということに関して、今、財団で協議を続けている状況」と話す。

Noismの活動に関心を寄せる新潟国際情報大学の越智敏夫学長は、「税金の使い方をどう検証するか。その検証の方法が社会の中で確立されていないところに問題がある。新潟を良くするという意味では、政治家も芸術家も目的は同じはず」と指摘。

「新潟からこの国の劇場文化を変えたいという芸術家の野望と制度の正統性を主張する行政。両者の間には埋まらない溝がありました」(黒崎貴之アナウンサーのナレーション)

「そもそもりゅーとぴあで専属舞踊団を抱えていることが、この国のなかで、日本初だとか、日本唯一だとか言うけど、そのことの価値とか、判断を下す人たちはそう(充分には)捉えていない」
「ただこの新潟市という自治体にもう俺の居場所はないのは分かったから、他に何ができるか模索するしかない」と金森さん。

…涙、涙です。金森さんにそんなことを言わせてしまうなんて…。でも、まだ諦めていませんけど。横たわるのは深そうに見えたとしても、単に、人が作った「溝」(「制度」)に過ぎません。即刻、埋めることを目指すべきです。新潟市の文化の将来を見据えながら。

と、そんなことを記していたところ、金森さんが「X」にて発信を行い、それと前後して、Noismスタッフの上杉晴香さんからそれ(市民への説明会)に関するメールを頂きました。ここからはそれをご紹介させて頂きます。

以下、頂いたメールの内容となります。(上の画像4枚と同内容です。)

———————————————————————————

市民への説明会―金森穣芸術監督退任について昨年末から、新聞等のメディア、新潟市議会でも話題にあがった新潟市の「りゅーとぴあのレジデンシャル制度」芸術監督である金森穣の退任に関して、その経緯や現状についての説明会を開催いたします。
二部制の質問形式を予定しておりますので、Noism Company Niigataの今後をご心配いただいている方はもちろん、Noismに限らず、りゅーとぴあのレジデンシャル制度に関心をお持ちの方など、どなたでも広くご参加ください。
なお、この会でお話し、お答えするのは、金森芸術監督の意見となりますので、新潟市および、新潟市が定めたレジデンシャル制度に基づくレジデンシャル事業の実施主体である公益財団法人新潟市芸術文化振興財団の意見ではありません。また、いただいた質問についても市や財団へ確認してお答えするものでもありません。予めご了承ください。
皆様のご参加をお待ちしております。

日時:2026年5月9日(土)
第1部      一問一答 13:00-16:00
第2部      座談会 17:00-終了時間未定
*22:00閉館
*質問がなくなり次第終了します。

会場:りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館〈スタジオB〉
定員:100名
参加申込:事前の申込は必要ありません。
*座席の状況によってはご入場いただけない可能性もある旨ご了承ください。

*撮影について
第一部「一問一答」メディア関係者のみ可能です。
第二部「座談会」どなたもご遠慮ください。

——————————————————————————–

以上です。

「当日は、どなたでも事前の申込なしで無料でご参加いただける形で場を開きますので、ご都合が許すようでしたらぜひおこしいただけたら幸いです」と書き添えてくださった上杉さん。

惜しみのない時間設定。
新潟日報紙に掲載された「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」インタビュー編〈下〉(2026/3/5)で、一般社団法人「芸術と創造」(東京)代表理事の綿江彰禅さんが語った「ただ、これだけの専属舞踊団を立ち上げたからには、やめるにしても続けるにしても、市として説明が必要だ。行政は思いつきで事業を立ち上げ、なし崩し的に終わるといったパターンを繰り返すことが多いと感じている」に呼応する、とても大きくて誠実な動きと言えます。

皆さん、金森さんに質問しながら、金森さんの思いを聞きに行きませんか。否、是非聞きに行きましょう。

(shin)





新潟日報紙、金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』のパリ・オペラ座での来春上演の記事掲載(2026/04/22)♪

2026年4月22日(水)、新潟日報が朝刊の文化欄に、写真入りで、「東京バレエ団の『かぐや姫』パリ・オペラ座で来年5月上演」「金森穣さんが演出・振り付け」「『日本の舞台芸術として発信へ』」の見出しが躍る、晴れがましさたっぷりに「慶事」を伝える記事を掲載しました。

*同記事は新潟日報のデジタル版でも読むことが出来ます。こちらからもどうぞ。

日本人振付家(金森さん)の快挙を伝える、とても誇らしい記事です。

そして、この記事、冒頭が「新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)の専属舞踊団『Noism Company Niigata(ノイズム」)』の芸術総監督で振付家の金森穣さんが、演出・振り付けを手がけた東京バレエ団の『かぐや姫』が、来年5月26~29日、フランスで上演される。」と始まるのです。新潟市としても、これほど誇らしいPRなどまたとないのではないでしょうか。

記事のなかでも、金森さんの「バレエ界にとって貴重な機会に恵まれた。日本発のバレエを欧州の人たちに見てもらえるのは本当にうれしい」の言葉や東京バレエ団の斎藤友佳理団長の「海外に行くと、日本人振付家の作品はないのかと聞かれていたので、いつか実現させたいと思っていた。日本のバレエ界にとっても大きな進歩になる」という言葉も紹介されています。どれほどの快挙なのかわかろうというものです。

然るに、新潟市は…。
現状、そう言わざるを得ないのは残念の一語です。

ここからは主に、その新潟市についてです。

繰り返しになりますが、金森さんはNoism Company Niigataの芸術総監督なのですから、新潟市にとっての誇らしさも只事ではない筈です。
こんなに新潟市民にとってシビックプライドを感じられる出来事などそうそうないことを、市と財団はきとんと評価すべきです。

世界に「新潟」の名前を轟かしてくれている、まさにこのタイミングで更新の特別オファーを出さないなど愚の骨頂かと。
逆に言えば、市と財団にとっては、次期芸術監督について再考する好機が訪れた訳です。
これほど世界的な規模で、文化的な「新潟」をPR出来る人を手放す理由があるとは思えません。あらゆる工夫を凝らして、金森さんを繋ぎとめておく努力をするべきです。文化政策に携わる担当部署がその努力を怠るようではもう職務懈怠或いは職務怠慢との指弾も免れないのではないでしょうか。

「新レジデンシャル制度」の規定に、芸術監督在任中の顕著な業績が認められる場合、「特別オファー」をすることがあり得るとの一文を加えれば済む、ただそれだけのことです。ほんのひと汗かくだけでしょう。
それをしないのは、自分たちが立ち上げた「制度」に縛られ過ぎるあまり、「最適解」があってもそれをただ指をくわえて見過ごさざるを得なくなることを意味するもので、つまるところ、新潟市民をそっちのけにしてしまうだけの極めて官僚的で、最悪な姿勢であると繰り返しておきます。

何のための「制度」なのか。「文化政策」として何を目指そうとしているのか。文化を長期的に展望する視座に立とうとしない以上、「文化創造都市」を名乗るなどおこがましい限りです。「目を覚ませ、新潟市と財団!」今、声を大にして、そう言いたいと思います。

(以上、fullmoonさんからのご提案を受けて、以前、コメント欄に掲載したものに修正を施して再掲させて頂いた部分があります。)

(shin)

新潟ろうきんの情報誌「シニア倶楽部」巻頭インタビューに井関さん登場♪

先日(4/20)、かなり重量のある球体を転がして18m強先に並ぶ10本のピンを倒そうとする球技で散々なスコアに終わり、悄然と帰宅して、何気なく郵便物を確認していたところ、新潟ろうきんさんから届いた「シニア倶楽部」のコミュニケーション情報誌「かけはし」の封筒に、なんと「井関佐和子さん」の文字が刷られていることに気付き、そこからはもう気分が爆上がりしました。

井関さんが登場されているのは、同会報誌「2026春号」(第28号)巻頭インタビュー「素敵な人生のために」の見開き2頁♪「選んだ道を正解にする。」の見出しのもと、「新潟」への思いも強く感じられるインタビュー記事になっています。

同誌には、これまで数独等のクイズに応募する際、感想のなかに、欠かさず、「巻頭インタビュー、毎回楽しく読ませて貰っています。是非、Noism Company Niigataの金森穣さん、井関佐和子さん、山田勇気さんを取り上げてください」と書き続けてきましたから、(ひとり勝手に)それに応えて貰ったものと思い、ホント嬉しい気持ちが込み上げてくると同時に、色々な場面で地道に声を発信していくことの大切さを改めて再認識させられたような次第です。

ほんの2頁という紙幅でありながらも、充実したインタビューと言えようかと思いますが、それに加えて、右側頁にあるQRコードから見ることの出来る井関さんの特別インタビュー「アフターVOICE」動画も、のっけから相当に意外な答えがあったりしてとても楽しいものでもあり、かつ、この国の「劇場文化」の成熟に賭ける並々ならぬ思いが伝わってくるものにもなっています。そのYouTube動画、こちらからご覧ください。

そして、新潟ろうきん「シニア倶楽部」会員の方は、是非、『私は海をだきしめていたい』初日のチケットプレゼント(抽選で10名)に応募して頂きたいとも思います。

末筆にはなりますが、新潟ろうきんさん、この度はどうも有難うございました。

(shin)

新潟日報紙の連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈下〉(2026/04/10)

2026年4月10日(金)の新潟日報朝刊は、告知通り、連載企画の「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈下〉を掲載しました。

この日、同紙が取り上げたのは、静岡県舞台芸術センター(SPAC)。金森さんが師と仰ぐ現SCOT主宰の鈴木忠志さんが初代芸術監督を務め、現在の宮城聰さんは2代目の芸術監督になります。

Noismはこれまでに、SPACの俳優をキャスティングして、劇的舞踊vol.3『ラ・バヤデールー幻の国』(2016)、Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』(2018)を上演してきたほか、SPACの奥野晃士さんに関しては、劇的舞踊『カルメン』(2014、再演2016)とNoism0『愛と精霊の家』(2015)にも出演しており、盛んな交流があった一時期のことが思い出されます。

*劇的舞踊vol.3『ラ・バヤデール-幻の国』

*Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』

上にあげた画像は、SPACの本拠「静岡芸術劇場(グランシップ)」(←新潟日報社が入る「メディアシップ」とも似た発想からの命名ですね。)を訪れたときのものです。市街地の喧騒を離れたところ、広がる緑地の奥に突如現れるその威容がひときわ目を惹きます。

この日の記事に戻ります。見出しは、「SPAC」、「まちづくりの核に活用」、「人材流出を防ぐ手だてに」。
SPAC制作部・丹治陽さんの「演劇と出会ってしまう仕掛け」という言葉や、「関心のない人にもこちらから会いに行く」ことを公共劇場の役割と捉える意識、更には、積極的に社会課題に向き合おうとする方向性を紹介しながら、公共劇団が地方にある意義について、「ここにしかないもの」を作り続けることが地域の将来を明るくするとの確信に基づき、「公金をかけてもやる価値がある」とする宮城聰さんの言葉で結ばれています。

読み終えてみると、宮城聰さんの言葉が、まさに金森さんの言葉と重なって響く感覚に襲われました。文化政策としてやっている以上、目指されるべきは何か、が眼目であることは言を俟ちません。そして、その取り組みの成果を最大化しようとする姿勢が行政全般に共有されていること、全体が協働することは必須の筈です。なのに、新潟市は…。

金森さんがあげた「更新」を固辞する理由(4つ)のうち、3つ目(財団職員の人数の問題)と4つ目(外部スタッフに依存している問題)は、まさにそうした事柄に関わるもので、新潟市には、宮城さん言うところの「クリエイティブな人材」に関する長期的な視座も姿勢も、ともに不在であることが明らかになってしまわざるを得ない訳です。新潟市が「新レジデンシャル制度」でやろうとしていることは、なんら協働することはなしに、一時期(5年、或いは10年)のみの「施し」をするに近いお粗末なこと、そう言っても過言ではありません。

文化的な理想を掲げることはおろか、長期的な展望など何一つ持たないことも明らかな「新レジデンシャル制度」、そしてそれが自ら立ち上げた「制度」である故に、無駄に拘るだけでしかない新潟市と中原市長に対して呆れかえるとともに、心底からの失望を禁じ得ません。「残念!」(←「ギター侍」風ですね。古っ!…あっ!でも、人道的な見地から、「ギター侍」が発する締めの一語まで言うつもりはありませんけど…。)

【追記】
fullmoon さんが、この日の日報紙の記事中に触れられていた静岡市の「まちは劇場」プロジェクトの空気感を伝える画像(下)を寄せてくれました。
静岡駅から降りていった地下広場の柱を撮ったものだそうですが、爽やかなスカイブルーにきりっとしたゴシック体。大きなインパクトがあり、目を惹きますよね。
街なかに、こうした告知や写真などといった「仕掛け」を施すことで空気感が醸成され、共有されていくのですよね。まさに協働。こうでなくっちゃ。(今年1月17日撮影の画像だそうです。)

【追記2】この記事も新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「ノイズムの存続危機は『人ごとでない』…静岡県立劇団『SPAC』の取り組みや『演劇に出合ってしまう仕掛け』とは」(2026年4月12日17:30)

(photos by fullmoon & shin)

(shin)

ビッグニュース!金森さんと井関さん、「新たな船」一般社団法人「NEMUSPORTA(ネムスポルタ)」を設立!

2026年4月8日(水)の夜になって、超特大のニュースが飛び込んできました!発信元は金森さん!「X」にて、一般社団法人「NEMUSPORTA(ネムスポルタ)」を設立したとの報せです。それは金森さんと井関さんおふたりの芸術活動のための法人だそうです。

その報せを伝える「X」へはこちらからもどうぞ。

目指されるのは「多様な芸術活動に開かれた、多くの芸術家が集う」、「芸術家やスタッフが社会保障を得て活動ができる」法人。

「豊かな精神活動に寄与する活動」、「望まれ、応援される活動」を志して行くとのこと。

「劇場文化100年構想」もこちらに引き継がれていくことになるのでしょう。そしてこの新しい船の門出が知らされたこの日は、ひとつの大きな「画期」となり、またここが新しい歴史の起点となることでしょう。金森さん、井関さん、おめでとうございます。

今後の希望に満ちた新展開を楽しみにしつつ、まずはお知らせのみです。

(shin)

新潟日報紙の連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈中〉(2026/04/08)

前日に引き続き、2026年4月8日(水)の新潟日報朝刊は連載の「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈中〉を掲載しました。

これがまだ「連載」企画になるとは知らずにいた2月半ば、一年のなかでもチョコレートのやりとりが活況を呈する日の前日に、fullmoonさんと一緒にメディアシップに伺って1時間強も諸々話してきたなかから、私の「ぼやき」発言も掲載して貰っております。かつての故・野村克也さん一流の「ぼやき」には到底かないませんけれど。でも、さすがは地元紙・新潟日報さんです。朝から記事を読んだ旨の連絡が幾つも届きました。願わくば、そんな「ぼやき」を受け止めたなかから、新庄剛志さんのような人が出てくれたりすると有難いのですけれど…(笑)。

冒頭から話が逸れ過ぎました。すみません。この日の記事は、長らく課題とされてきた「市民への浸透」を扱うもので、「芸術的評価と比例せず」と「裾野広げる仕組み課題」の見出しも掲げられています。

有識者が語る、コンテンポラリーダンスは「多くの市民にとってなじみがない」という状況下、金森さんとNoism Company Niigataは、記事にも触れらている小学校への「アウトリーチ」や視覚障がいを持つ方々を対象とするものを含む多様なオープンクラスを展開してきました。どれも間違いなく、世界的に見て他に類のないものばかりです。しかし、同時に、どれも自ら取りにいかなければ、そうした情報に接することは出来ない環境にあったことを看過してはならないと思うものです。

何が足りなかったのか。もう一目瞭然ですよね。新潟市の積極的な関与や発信に尽きます。それが「ぼやき」の本質です。

プロスポーツなどと縁遠かった新潟に、あのサッカーチームが出来た頃、回覧板で観戦無料チケットの必要枚数を書き込む用紙が何度回ってきたことか。そうした時期を経て、老若男女問わずの盛り上がりを形成されていき、現在の「アイシテルニイガタ」に繋がっていったのです。そのチームは市役所や区役所にチームユニフォームを寄贈して広報に努めています。かたや、新潟市がNoismについてどうだったかというと…。はい。紹介できる事例など見当たりません。たとえば、「市報」すら、紙幅の都合から掲載スペースの割り当てに順番があるのだとか、ないのだとか。はい。残念過ぎる事例なら枚挙にいとまがないほどです。

ですから、新装なったJR新潟駅舎内、多くの往来がある通路脇に出来た観光案内センターの中に、一枚Noismのポスターを貼って、チラシを常備するラックのひとつも用意して欲しいと何度も訴えてきましたし、空の玄関口の新潟空港にNoismをあしらった「ウェルカムボード」のようなものを作ることなども提案してきました。後者は一時期設置されましたが、今はりゅーとぴあ内にあり、極めて限られた期間のものでしかなかったこともまた残念な事柄に属します。(前者は、今日に至るまで何一つ対応されたことなど見つかりません。)

「市民への浸透」、率先して行うべき主体は果たしてどこなのでしょうか。

この日の記事中、地域活動部門芸術監督・山田勇気さんの「すぐに効果を求めるのではなく、中長期的な視点が必要」との見解こそ重く受け止められなければならないものです。小学生への「アウトリーチ」という種蒔きは巡り巡って、将来の観客という実を生み出すのです。
また、地元・新潟りゅーとぴあでの公演において精力的に実施されてきたアフタートークなども、金森さんが長期的な視座で、地元に「見巧者(みごうしゃ)」(=目の肥えた観客)を育てていこうとする意志なしには行い得ないものであり、劇場が身近にある豊かさを実感できる贅沢なひとときになっています。

「市民への浸透」、ただただ何もなさず、無為の日々を過ごすのみで、真に責めを負うべきはどこなのでしょうか。

2月の市議会の一般質問において、シビックプライド醸成の観点から、「経済・観光との接続」「教育・福祉との接続」について問われた際に、文化スポーツ部長はいつになく前向きな答弁を行いましたが、今年度、そうした側面において新潟市がどう関わってくるのか注視したいと思います。そして、増してやそれがそのまま「丸投げ」されて、Noismの事業負担増加のみに繋がるなどということのないよう、目を光らせておくことも必要かと。

限られた税収のなか、諸々課題がある状況下で、将来を見据えた文化政策の成否にはそれなりの覚悟が伴うものと思います。批判逃れに、安易に「平等性・公平性」を持ち出す無責任体質を脱却して、金森さんが「劇場文化100年構想」で唱える意を汲んで、その将来の豊かさの実現に向けて邁進して欲しいと思うものです。

どれだけ紙幅があったとしても、収まり切らない私の「ぼやき」、とりあえず、今はここまでにしておきます。

新潟日報紙のこの連載、次回は4月10日掲載予定とのことです。

【追記】この記事も新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「ノイズムの『価値』新潟市民にどれだけ浸透?芸術的評価と比例せず…裾野広げるには『中長期的な視点必要』」(2026年4月12日14:30)

(shin)

2026年4月7日、ウェブ「dancedition」にアップされた「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方」は必読!

皆さま
新潟日報紙が新連載を掲載したちょうど同日(2026/04/07)、ウェブ「dancedition」上に、「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方」というインタビュー記事もアップされました。

こちらでは同記事へのリンクを貼って、ご紹介することのみにとどめ、皆さまからのコメントをお寄せ頂くプラットフォームとさせて頂きたいと存じます。

どうぞ、こちらからお読みください。↓

読まれた皆様からのコメントをお待ちしております。よろしくお願いします。

(shin)

新潟日報朝刊、新連載の「舞踊の十字路」〈上〉掲載(2026/04/07)

2026年4月7日(火)、新潟日報紙が予告していた新連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」を文化面にてスタートさせました。(早晩、デジタル版にもアップされるものと思われます。)

その連載第1回目である〈上〉は、「公共劇場」の性格を切り口にした内容構成で、「前例ない専属舞踊団運営」「支援で地域ブランド向上」の見出しも並べながら、連載開始前のインタビュー編〈中〉に登場していた東京芸術大客員教授・太下義之さんの言葉が再度引かれてもいるほか、「先進地の事例」として、石川県と金沢市が1988年に設立した「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」についても紹介されています。

先ず、太下義之さんはりゅーとぴあとNoismを「施設に『魂』を入れて、成功した希少な事例」としながら、「公共劇場の運営の難しさ」にも触れています。

「オーケストラ・アンサンブル金沢」の事例は、施設の「魂」として、石川県と金沢市が自治体のブランド力向上に繋がるものとして支援している様子が紹介されています。

私が今回の連載〈上〉を読んで、最も衝撃を受けたのは、Noismの活動を評価する有識者会議の委員の一人が、金森さんが「制度」に反対していたことを知らずに議論したとその後悔を明かす件(くだり)でした。
えっ!まさか、そんな杜撰な会議運営がなされていたとは!開催されてきた「有識者会議」は、やはり予め恣意的に「結論」が設定されていたのではないかとの疑いを禁じ得ません。「覚書」「合意書」のみを盾に、当事者(金森さん)を入れないかたちでの会議を行ってきた理由も今ははっきりわかります。当事者が訴える「制度」の「課題」を蚊帳の外に置くことで、「制度」の修正可能性を初めから排除してしまっていたやり口は卑劣としか言いようがありません。
上の委員は制度のブラッシュアップの必要性にも触れています。「前例ない専属舞踊団運営」なのですから、至って当然のことに過ぎません。生き残るべきは「文化」の方であって、「制度」ではないことは自明です。

連載1回目は、再び、東京芸術大学客員教授・太下義之さんの、新潟市はNoismを含む踊り文化をきちんと文化資源として認識し、ブランド力の向上に繋げていくべきとする見解で締め括られますが、こんな至極当然なことが敢えて叫ばれなければならないこと自体の、新潟市の文化政策に対する意識の薄さが露呈しており、言いようのない悲しさが込み上げてきます。そうした本来、積極活用すべき面において、新潟市が示してきた「無為無策」の徹底振りは呆れかえるレベルのものでした。それは、まず第一に、いつでも取り換えが容易に出来るように、積極的にコミットすることを避ける姿勢そのものだったのだと考えます。記事中、石川県文化振興課長・素都(そつ)明子さんが語る「質の高い文化に磨きをかける」姿勢など露も認められません。むしろ、「好対照」と言うことさえ出来るくらいです。

皆さんはどう読まれましたでしょうか。コメント欄にてご感想などお聞かせ頂けましたら幸いです。

【追記】この記事、新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「りゅーとぴあの“魂”となった専属舞踊団のいずむ、ただ前例なき運営に壁多く…近県に学ぶ『文化の未来』」(2026年4月12日11:30(最終更新:2026年4月12日13:11))

(shin)