☆金森穣振付Noismレパートリー(Noism2定期公演vol.11より)
去年ノイズム2の公演を初めて観て、その初々しさに魅了されました。今年も研修生たちの成長を見ようと心待ちにしていましたが、期待を裏切らずハートウォーミングなひとときでした。
会場ロビーの演目表も見ず、プログラムはお手元用メガネを忘れたので読めず、幕が上がった。
ひとつの作品と疑いもせずに観ていた。面白い!身体もよく動いている。既視感はあるがなんという演目だったかなぁ。まあいいや。とにかく楽しもう。
操り人形、人間。どちらでもなさそうな物体。
休憩時にやっと三作品のオムニバスと分かった!思い込みってスゴイですね〜
『ホフマン』と『人形の家』は観てないのでそれはともかく、『NINA』もハッキリとは認識出来なかった。でも忘れるからこそ新鮮に感じられる、という事のいい例だな。
違和感なく最後まで楽しめたというのは、三作品を一つのトーンにまとめあげた山田監督の演出の力量ではないでしょうか?
『NINA』
赤い照明の下に四体の人体模型。肌色レオタードで動きがだんだんと生き物っぽく猿っぽくなって来る。既視感。
ベジャールの「春の祭典」
去年東京で、バレエ友達のおごりで東京バレエ団の春祭を観た。その後でNoism次の公演は春祭だって、と伝えたら彼女は「えっ?NINAが金森さんの春祭だと思ってた!」と言った。
なんだか納得。
最後に…
身長体型もバラバラな四体の彼女たちは涙が出るほど美しかった。
他のダンサー達もみんなキラキラ輝いてうつくしかった。
応援します。ありがとう
(たーしゃ)
たーしゃさん、楽しいご感想ありがとうございました♪
また観てくださいね!
(fullmoon)
たーしゃ さま
ご感想有難うございました。
舞踊畑の者、或いは目の肥えた舞踊ファンでもない限り、舞踊は細かく記憶しているのがなかなかに困難な芸術形式ですし、
「観たはず」のものでさえ、
すべからく、観た者のファクターを通過し、
それが「記憶された」ものとなる迄に
度重なる様々な変形を被るほかありません。
よって、「観る」こと自体が極めてパーソナルな体験でしかない訳ですよね。
今回の「金森穣振付Noismレパートリー」に登場する「みゆき」になぞらえて言えば、
(文脈こそ違え)「忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか」(中島みゆき『傾斜』)ってことですから、
常に新鮮に映ることは、パフォーミングアーツを好む理由にこそなれ、障害にはならないものと信じる、最近、とみに記憶に自信のない shin でした。(汗)
(shin)