観る者の心に運ばれてきた爽やかな風、いつまでも吹かれていたかった - Noism2定期公演vol.17千穐楽♪

2026年3月8日(日)、外にはこの日もつめたい風が吹き、季節が逆戻りしたかのようで、どんなに身を縮こまらせて歩いても、身体は否応なく冷やされてしまうそんな一日だったのですが、新潟市のりゅーとぴあ〈スタジオB〉に若き振付家と若き舞踊家が運んできた風はそれとはまったくの別物でした。それはとても爽やかで、いつまでも吹かれていたいと願うような、そんな風。その場がNoism2定期公演vol.17千穐楽の公演会場だったと言えば、頷いて頂けるものと思います。

「振付家育成プロジェクト」の一環ということもあり、どこを切っても、溌剌とした若さが眩しい3日間4公演だった訳です。

Noism2メンバーへの贈り物といった感もある山田勇気さん振付演出のオープニングから、踊った4人の身体とその動きは伸びやかで自信や確信に満ちたものとして目に映じてきます。(出演:四位初音さん・平尾玲さん・鈴木彩水さん・大﨑健太郎さん)

真っ向勝負の正統派的味わいが魅力の坪田光さん振付演出『Island』。より大きな動きを獲得したふたつの身体のあいだ、「境界線」が越境を許したり、拒んだりするさまが鮮明になり、終始、心を揺さぶられて見詰めました。(出演:平尾玲さん・大﨑健太郎さん)

実験性に溢れた野心作、樋浦瞳さん演出振付『A Mosaic of Moments』。時折、『R.O.O.M.』や『NINA』など想起させられながら、顕微鏡を覗くような感覚で、振付家が求めた「ふたつの身体がひとつの生き物に」なって見えてくるに至りました。(出演:四位初音さん・鈴木彩水さん)

そして、武満徹に胸を借り、その楽曲の強度に敢然と挑んだ、中尾洸太さん演出振付『地平線のドーリア』。一音が響くだけで一瞬にして立ち上がる空間の強靭さに、「身体10割を貫き通して」拮抗することを求められた舞踊家ふたり。その身体は確かにその空間のなかに位置を占めて、まばゆく映りました。(出演:鈴木彩水さん・平尾玲さん)

それはそれは見どころに満ちた、素敵過ぎる公演でした。

劇場専属舞踊団の研修生カンパニーとして、長い時間を共有して稽古を積んできたNoism2のメンバーの身体と動きは、若く粗削りであるにせよ、揃ってNoism印の刻印を見出せるものばかりであり、受け継がれてきたものは確かにそこにありました。そして、この先、一人ひとりが大輪の花を咲かすのを期待させるに充分なものを見せて貰ったと思っています。爽やかな風を感じた所以です。

千穐楽のパフォーマンスに大きな希望を感じながら、一時間ほど友人と話した後、りゅーとぴあの外に出てみると、観客(或いは目撃者)になったその瞬間から思い出すこともなかった「冬」を思わせるつめたい風に再び見舞われることになりました。雪片も混じっていたほどです。しかし、若人たちによって希望を灯された心はそれなどものともする筈もありません。この先もずっとNoismを見続けていきたい、その希望は捨てない、そんな思いを益々強くして帰路につきました。

(shin)

「舞踊」を信じる者たちの熱が感じられたNoism2定期公演vol.17中日のマチネ♪

2026年3月7日(土)、前日に「弥生つめたい風」などと書いてみたものの、明らかにそれを凌駕する冷たい強風に閉口しながらも、りゅーとぴあ〈スタジオB〉の中は、幕1枚を挟んで、地続きの舞台と客席の間に熱の交感があったと断言出来ます。明らかに。

そこで地続きだったのは、高低差なく連続する床面だけの話ではなしに、「舞踊」を信じて創作した若き振付家と「舞踊」を信じて踊った若き舞踊家、そして「舞踊」を信じて舞台を刮目した観客、その全員が、「舞踊」そのものの懐に抱かれるかたちで、1時間強の時間を共有した様も間違いなく地続きだった訳です。

Noism2定期公演vol.17「Three Duets in the Black Box」、山田勇気さん振付のオープニングに登場する「黒い箱」のなかにあったもの、それは舞踊家をして「舞踊」に駆り立てる悦ばしき動機或いは衝動であると同時に、全き献身を求めずにはいない「舞踊」の厳しさであったのだろうと理解するものです。

山田さんのオープニングを含めて4つの「舞踊」作品と、それらを包含する「舞踊」そのもの、そのどちらをも意識せずにはいられない見逃せない好舞台、とそう言い切りましょう。「舞踊」が好きでよかった、そんな思いに満たされています。

〇オープニング・演出振付:山田勇気さん(Noism地域活動部門芸術監督)、出演:四位初音さん・平尾玲さん・鈴木彩水さん・大﨑健太郎さん
上にも書いた通り、若き舞踊家の「今」への深い理解に基づき、一人ひとりの成長を信じて、限りない愛情を注ぐ作品。Noism2メンバーの伸びやかさが目に焼き付きます。

●『Island』演出振付:坪田光さん、出演:平尾玲さん・大﨑健太郎さん
衣裳も照明も奇を衒ったところのない、スタイリッシュな作品。根底にあまり年齢差のない舞踊家2人へのシンパシーの目線が感じられる。前日のアフタートークで語っていた通り、詰め込まれた振りの数々を高速に処理していく様が見もの。

〇『A Mosaic of Moments』演出振付:樋浦瞳さん、出演:四位初音さん・鈴木彩水さん
(幕があがり、目に飛び込んでくる順番で)照明、中嶋佑一さんによる衣裳、そして動き、今公演の4つの演目のなかでも、ひときわ異彩を放つ作品。蠢き、縺れて絡み合い、重なっては分離し、再び融合する2つの身体は見ていて飽きることはない。

●『地平線のドーリア』演出振付:中尾洸太、出演:鈴木彩水さん・平尾玲さん
この日のマチネ上演前の「前説」で、「ほぼカウントをとっていない。相手がいかなかったら、いかない。カウントで踊るのではなく、2人の空気や間(ま)で踊る作品」と。武満徹の音楽の強度に身体の強度で拮抗しようとする挑戦に息をのむ。

どの作品も刮目必至の好演目です。

更に、やはりと言うべきことながら、どの作品にも、Noismの舞踊ボキャブラリーが顔を出して来る瞬間があり、その度に微笑ましい気持ちになってしまいました。(それは前日も同様でした。)Noismが磨いてきたNoism印の動きは確かに手渡されてきているのですし、それはこの先も変わらないことでしょう。これを豊かさと呼ばずして、何と呼びましょう。

中日のマチネについて、これを書いているうちに、時間は18時をまわりました。ソワレの舞台の幕があがる頃です。一日2公演は大変でしょうが、そのことも若き舞踊家にとってはひとつの「経験値」となるもの。必ず、やり切ってくれるものと信じます。

(shin)


Noism2定期公演vol.17「Three Duets in the Black Box」初日、得も言われぬ瑞々しさを満喫♪

2026年3月6日(金)、芽吹きの前触れたる弥生つめたい風も、まさにこの公演にベストマッチするものに感じられてしまうほど、得も言われぬ瑞々しさがこの上なく目に眩しかった、りゅーとぴあ〈スタジオB〉。Noism2定期公演vol.17「Three Duets in the Black Box」を満喫してきました。

今公演、Noism2の定期公演として、踊るのは若手舞踊家であり、また同時に「振付家育成プロジェクト」の一環として、振り付けたのがNoism1メンバー3人であるという、それぞれに「若き芽」がそれぞれの「今」に向き合い、個々人として、カンパニーとして、しっかりと明日をも見据えた公演スタイルと言えるものです。魅力的でない筈がありません。

冒頭まず、山田勇気さんの振付で、4人の出演者全員で踊られるオープニングが置かれ、その淀みない展開が魅力的なイントロダクションとして機能し、後に控える3つのデュエット作品への期待感を高めてくれるでしょう。

幕がおりると、下手(しもて)側の袖から、その山田さんが登場してご挨拶。そのなかで、続く3つの作品それぞれの直前に、振付をしたNoism1メンバーが作品や経緯について話してから上演するかたちで進行することが告げられました。

この初日レポートの眼目ですが、3作品それぞれの上演前に話された内容と、終演後のアフタートークについて順番にかいつまんでご紹介することとし、三者三様にして、その清新さがとても魅力的だった3つの演目そのものについては書かずにおきます。その点、ご了承願います。

『Island』(演出振付:坪田光、出演:平尾玲・大﨑健太郎)
坪田光さん: 「他者とは何か。自分と自分以外のものの間の境界線をどう捉えるか。ただ止まっているのではなく、生き続け、更新されていく時間。今を生きる身体と、それを動かす舞踊家の意志にフォーカスした。舞踊家の熱量を感じて欲しい」

(10分休憩)

『A Mosaic of Moments』(演出振付:樋浦瞳、出演:四位初音・鈴木彩水)
樋浦瞳さん: 「舞踊作品を作るたび、踊りとは何か、身体とは何かを考える。自己を見つけて、掘り下げて、その探訪の先に変身・変貌すること。今回の衣裳は中嶋佑一さんにお願いし、テーマや2人の関係性など頭の中身をさらけ出して伝えようとしていくと、中嶋さんから帰ってくるデザイン画や言葉によって、世界観を深めていくのに繋がった。身体は自分が生きてきた経験の集積。2人の皮膚・目・呼吸が何を語るのか感じて欲しい」

『地平線のドーリア』(演出振付:中尾洸太、出演:鈴木彩水・平尾玲)
中尾洸太さん: 「武満徹の楽曲からのインスピレーション。メロディアスと歪さが重なり合う瞬間が多々あり、空間性が提示される。今作では振りを減らしていくことを目指したが、それはそのまま強度が増していくことである。古代ギリシャの「ドーリア式」(建築)を意識し、1枚の「長方形」の布をベルトで縛ったアシンメトリーで偏りのある衣裳とした。記憶に残る舞踊家になって欲しい。記憶に残る舞踊を見せられればと思う」

ここからは、アフタートークについてのご紹介に移ります。

山田さん: 「3人の『講師』(金森さん・井関さん・山田さん)がいて、コンセプトからディスカッションを行い、講評(『審査』)も行いながら進めてきた創作だった」

Q: 自分の意図とは別に滲み出してしまったものはあるか。
 -坪田さん: 「緊張し過ぎて、受け取る準備出来ていなかった。イメージとの差、う~む。緊張とけていない…」
 -樋浦さん: 「実は3人の舞踊家と向き合ってきた。負傷があって、キャストが変わって、最初のイメージとは違うものとなったが、それによって客観的に自分の振付を見詰めることが出来た」
 -中尾さん: 「インスピレーション直行で、意図して作っていないから…。2人の性格と若さが出ていたが、そのふたつによって大きく変わってしまう作品」

Q: 踊っている最中の頭の中はどうなっているのか。そのあたり、どう思うか。
 -坪田さん: 「頭の処理の能力を上げて欲しい思いがあり、振りを詰め詰めにした。瞑想とは異なる集中。一つひとつの動きに全てを出し切って、それを連続していくこと」
 -樋浦さん: 「拘っていたものは目や手、背中。『手が目なんだよ』とか『目で空間を触れ』とか言ってきた。頭で考えているというよりは、感じて踊っているなと」
 -中尾さん: 「何も考えていないだろう。言葉にも出来ない速さなので」

山田さん: 「オープニングは、良いとか悪いとかではなく、凄く緊張していた。一期一会の何かが生まれたなと。で、そのオープニングの使用曲はマイケル・ナイマンの2曲。1曲目は今ちょっと思い出せないが、2曲目は『プロフィット・アンド・ロス』というタイトルで、モーツァルトが得たものと失ったものを表すもので、今回の公演に合うと思った」

Q: 樋浦さんはSNSに描いた絵をあげているが、今回の作品と共通するものはあるか。
 -樋浦さん: 「絵を描き始めたのは、踊りや動きを見た後に、それをなぞりたいという思いから。共通するのは必然と思う」

Q: 振付は今回が初めてではないが、変化や成長の感覚は。
 -坪田さん: 「Noism2に振り付けるのは今回が初めてで、自分がNoism2にいたときのことを思い出していた。要求は今まで以上に高かった。自分がもっともっと要求出来たら良いなと思った」
 -樋浦さん: 「作り始めると、思い込みが激しいタイプ。創作過程で見て貰って、『本当にそれで良いのか』などと言われ、作っては壊し、作っては壊しだった。この環境だからこそ、色々言って貰える。自分のなかにそういう視点を持たなければと思う」
 -中尾さん: 「楽曲の選択やプロセスには成長したことを感じる。動きに頼らない舞踊。穣さんにも褒められたりしたが、『もうないかもしれないから、よく聞いておけ』と言われて、怒られているみたいだった」「褒める時もそうなんだ(笑)」と山田さん。

Q: 常に何か作りたいと思っているのか、それとも、この機会があったからなのか。
 -坪田さん: 「Noism2に作るから、これになった」
 -樋浦さん: 「Noism2の5人とインプロしてみて、ハッとなったのが、この作品との出会いだったと思う」
 -中尾さん: 「武満徹のこの曲との出会いは4年前。それ以来、頭のなかで構想していたかもしれないし、勇気さんからこの話があって始まったのかもしれない」

Q: これまでにない「縛り」のある構成、「前説」のある構成にした理由は。
 -山田さん: 「デュオは関係性の原点。たとえ、1人で踊っても、そこに不在の関係性があるし、『2』には無限の可能性がある。あなたと私しかいない状況で作ってみて欲しかった。身体と向き合って何かを作ることを求めた。
構成には紆余曲折があり、幕間の作品やエンディングを作ることや映像を使うことなども考えたが、一つひとつの作品をしっかり見て貰いたいということで、このかたちになった」

山田さん: 「成長を見た。振付家が生まれる瞬間に立ち会った感覚がある。記憶に残るものになっていて欲しい」

…概ね、そんな感じでしたでしょうか。

踊られた3作品には触れずに書かせて貰ったのは、初日のレポートでもあり、これからご覧になる方々が初めて作品に向き合った際に抱く「ファースト・インプレッション」を変に損ねることはしたくなかったからです。今はまだまだ「Black Box」の中、ということで。
劇場専属舞踊団だからこそ、20年以上かけて築いてきた環境の豊かさがあればこそ、初めて可能になるような形式の今公演。継承することの何たるかを目撃する機会になるでしょう、間違いなく。生き生きと芽吹く新鮮な才能を前に、新鮮な気持ちで見詰めて欲しいと思います。

(shin)

「Noism2定期公演vol.17」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル&囲み取材に参加してきました♪

2026年2月26日(木)、上着を着る必要もないようなお昼どき、りゅーとぴあ〈スタジオA〉を会場に開催された「Noism2定期公演vol.17」活動支援会員/メディア向け公開リハーサル及びその後の囲み取材に参加してきました。

この度の定期公演(3/6~3/8・4公演)は、「振付家育成プロジェクト」として、Noism1メンバーの中尾洸太さん、坪田光さん、樋浦瞳さんがNoism2メンバーに振り付けた3つの新作デュエット作品をその内容とするもので、題して「Three Duets in the Black Box」です。

この日は12:15からの公開リハーサルで、その3作品を15分ずつ見せて貰いました。

最初は、坪田光さんの『Island』(出演:平尾玲さん大﨑健太郎さん)。

Noism1 坪田光さん

続いて、樋浦瞳さんの『A Mosaic of Moments』(出演:四位初音さん鈴木彩水さん)。

Noism1 樋浦瞳さん

最後に、中尾洸太さんの『地平線のドーリア』(出演:鈴木彩水さん・平尾玲さん)。

Noism1 中尾洸太さん

年末からずっとのしかかっている重苦しい空気感をひととき忘れて、舞踊に見入る時間、その贅沢なことと言ったらありませんでした。少し忘れてしまっていたそんな感覚。振付家1人と舞踊家2人。それぞれの「作品」イメージを間に置いて、若き振付家と若き舞踊家が対峙しながら創作を行う様子は、とても瑞々しく、新鮮味溢れる時間でした。

3つの作品(の断片)の外見的印象からのみではなく、細かな動きのブラッシュアップを行う3人の若き振付家の姿からも、個性の違い、もっと言えば、多様性を感じることが出来ました。

その後、場所をホワイエに移して行われた「囲み取材」に立ったのは、Noism地域活動部門芸術監督の山田勇気さんと、中尾さん、坪田さん、そして樋浦さんの4人。そこでのやりとりからご紹介を試みます。

〇今回の公演の全体像・趣旨
-山田勇気さん 「研修生の定期公演は、これまではダンサーの育成が中心だったが、クリエイターも対(つい)で成長していく必要がある。専属舞踊団として、作る人も育てていかなければならないということで、少し前から始めていた振付家育成プロジェクトをNoism2のメンバーと新作を作ってNoism2の公演のなかでやってみようということになった」
(今回の「デュエット」という制約に関して) 「2人という小さな単位で、身体と身体で何が出来るかにフォーカスして、舞踊家と舞踊を作ることを見詰め直すことで、振付家としての自分の立ち位置・欲望などがより良く見えてきて、次に活かすことが出来ると考えた」
(3人それぞれの作品の仕上がりに関して) 「今年に入ってから、段階を踏んで、国際活動部門芸術監督(井関さん)、芸術総監督(金森さん)も含めた3人で途中経過から見て講評を与え、ディスカッションしてやってきたことは今までにないプロセスであり、完成度が高まってきた」

●今回の作品のテーマ、作品に込めたもの
-坪田光さん 「デュエットということで与えられた課題はすぐに肌で感じた。それをNoism2の作品でやるに際して、『試練』とそれに対してどう闘うかを作品に込めれるようにした」
-樋浦瞳さん 「自分が身体をどう捉えているかを見詰め直した。身体はその人が生きてきた経験や瞬間の集積であり、どんどん変わっていくもの。生まれ変わりながら生き続けていく状況を作品にした」
-中尾洸太 「今回は音楽自体がテーマ。しかし、音楽を表現するものではなく、武満徹という圧倒的な芸術家の音楽に対して、どう向き合うか、そのプロセスの集積・結果のようなものがこの作品になったと実感」

〇山田さん担当のオープニングや構成の見どころについて
-山田さん 「デュエット作品は密な空間が生まれるものだが、集団として、舞踊家全員が集まって踊っているシーンはやりたいし、見せた方が良いと思っている。『これがNoism2だ」という集団性を最初に見せるのがオープニングの意図。そのなかの一人ひとりが作品のなかでどんな姿を見せていくか。構成は色々試しているが、結果はシンプルなものになりそう。一つひとつの作品を楽しんで貰うために、時間をちょっと作るようなシンプルなもの」

●選曲について
-中尾さん 「武満徹は西洋の音楽と日本や東洋の独自性を混ぜ合わせたり、再定義しようとする問題意識があると思う。自分自身、祖母が日本舞踊を教える稽古場の傍ら、クラシックバレエを踊ってきたので、同様な問題意識が根っこにあると思っている。なんとなくこのタイミングかなと思い、自分の挑戦でもあり、この曲(『地平線のドーリア』)を選んだ」
-樋浦さん 「曲が先にあったのではなく、誰に踊って貰うかを決めて、テーマが見えてきて、それを表現するために思い至った曲(『Alva Noto & 坂本龍一『By this River – Phantom』)。もともと、ブライアン・イーノの原曲が好きで聴いていた。今回、テーマ設定した際、繰り返すメロディや脈打っている感じを曲のなかに見出したことでやってみようと決めた」
-坪田さん 「4曲使っている。まず作品のなかにある波から想像して、『旅立ち』とか『出会い』とか『試練』とかを基に曲を探した。で、3曲目のショパン(「12のエチュード Op.10-4嬰ハ短調」)は『試練』にピッタリだと思って選んだ」

〇山田さんの目に映る3人の振付家の印象
-山田さん 「その人が出ていると言えば、出ている。性格というよりは、その人の物の見方・考え方・感じ方。それが物凄い集中力でひとつの事に向かったときにこういうかたちで出力されるのかと。根っこにあるものが自分だけのものにならずに、お客さんと共有可能なものになるのか、舞踊という身体を使った限られた表現のなかでどういうふうにしていくのか、それぞれの『色』が以前より明確になってきた感じがする」

●Noismを巡る現在の「不安定」な状況下での公演に関して
-山田さん 「本来あるべきかたちとして、芸術総監督の金森が言っていたことでもあるが、『今回が最後だと思って作らなければならないし、今回が最後だと思って踊らなければならない。それはいつでもそういうもの。今回もそう」
-坪田さん 「我々は舞台の上での活動なので、舞台でどう闘うかだけだと思う」
-樋浦さん 「本当に一期一会で、毎回、毎舞台。以前にもNoism2メンバーと作品を作ったことがあるが、そこから巣立って、別の環境で踊り続けている人もいる。このNoismという場所が、舞踊家・振付家含めて、大きな野望の旅の途中であることは今も昔も変わりはないと思う。一つひとつの瞬間を大切にしたい」
-中尾さん 「大変です、気持ちが。不安のなかで作品を作ること。不安や恐怖が積み重なっていく実感がある。そのなかで自分と向き合って作品を作ることの恐怖、純粋に。作品に向き合う、舞台に向き合うという気持ちはあるが、まだ25歳でしかないので、不安で一杯。色々なことに凄いビビっている。でも、それを隠して頑張っている」

…大体、そんなところでこの日の囲み取材は終わりとなり、その後、進行役のNoismスタッフ・高橋和花さんより以下の事柄が告げられました。
・3/6(金)公演の後に、アフタートークがあること。
・樋浦さん作品の出演者が、当初、キャスティングされていた沖田風子さんが怪我のために降板し、四位初音さんの出演となったこと。(←囲み取材の際のやりとりでも、fullmoonさんから質問があり、この交替については触れられていました。)
・3/6(金)及び3/7(土)14時の回がチケット完売となり、千穐楽の3/8(日)もチケット残り僅かで、3/7(土)18時の回のみ、まだ余裕がある販売状況とのこと。なお、Noism Web Siteの「News」欄に【チケット販売・最新状況】が随時更新し掲載中とのこと。

諸々混迷を極める状況下ながら、弥生3月、春風のような爽やかな公演が待たれてなりません。大注目ですよ、皆さま。

(photos: aqua & shin)

(shin)

圧倒的な舞踊の力を見せつけて幕を下ろした埼玉『マレビトの歌』大千穐楽(2025/12/21)♪

「踊ることでしか伝えられないことがある」、前日のブログでも触れましたが、これは先月(11月28日)の『マレビトの歌』公開リハーサルの後、囲み取材で金森さんが語った言葉。加えて、その折に繰り返し口にされたのが「作品の強度」。この日(12月21日)の大千穐楽を含めた新潟と埼玉での5日間、私たちはそれらの言葉が意味するところを、そう言ってよければ、それらに何の誇張もないさまを、まざまざと目撃・体感してきたのでした。

この日、大千穐楽の終演後も、圧倒的な舞踊の力によって組み伏せられた客席からは、それまでの4日間と全く同様、緞帳が下り切っても、やはり拍手は聞こえてきません。みんな身動ぎすることが憚られたのです。全5公演あったのですから、なかに違った反応があっても不思議ではない筈。しかし、どの日も例外なく同じ反応が返ってきたのです。他のものに代替不可能な舞踊の力を見せつけられ、舞踊に「制圧」され尽くしたからこその反応という以外ありません。

埼玉での2公演で、金森さんはラストシーンを変えてきました。奥行きの深い彩の国さいたま芸術劇場の舞台特性を十二分に活かすための改変です。そのあたり、いかにも金森さんです。やってくれますね。その「埼玉ヴァージョン」は、この作品が『セレネ、あるいはマレビトの歌』として黒部の前沢ガーデン屋外ステージで初演されたときの、目の前に広がる雄大なランドスケープに、(彼岸へと)遠ざかっていく舞踊家たちの後ろ姿と、スロベニア公演を経て新潟で採用された、岩肌に穿たれた開口部を通って(彼岸へと)消えていく舞踊家たちの後ろ姿との、言わば、「ハイブリッド」とも呼ぶべきラストシーンでした。

舞台の一番前、横一列に「火皿(ひざら)」を置いて並んだその位置から、それぞれがその生を総括するように、後方、煙るような闇へと歩を進め、徐々に輪郭が判然としなくなっていく舞踊家たちの後ろ姿。(井関さんを除く。)それが醸し出す、得も言われぬ情緒。個人的なことにはなりますが、その場面と呼び交わすように想起したヴィジョンがありました。それは私が敬愛する映画人、クリント・イーストウッドが撮った『ヒア アフター』(2010)、そこで描かれた「彼岸(=ヒア アフター)」へと歩み去ろうとする人たちの場面です。但し、大きく異なるのは、イーストウッドの「彼岸」が大光量を放つ光源をその中央にあしらって、人物の輪郭をとばしていたこと。ん?え?でも、強い光源をあしらうとなると、黒部での『セレネ、あるいはマレビトの歌』に似てくることに…。そんな按配で、作品の外部とも豊かに呼び交わす舞台、『マレビトの歌』の「埼玉ヴァージョン」に酔いしれつつ、舞台奥の闇に、確かに「彼岸」を幻視する自分がいました。

見どころ溢れる『マレビトの歌』。

冒頭と中盤、金森さんと井関さんによる2度のデュオ、その崇高極まりないさまはどうでしょう。踊るふたりを見詰める目はこの世のものとは思えない美に、都度、釘付けにされ続けました。そして、毎回、その陶酔の果てに、ふたりを越え出る「ナニモノカ」を見るに至るのでした。

また、前半に組み込まれた『Fratres』部分(それはもう『Fratres IV』とでも言いたい気もするものですが)も、舞踊への献身を旨とするカンパニーの精神性が深く共有されていることを遺憾なく示して余りあるもので、観る度に、その濃密で峻厳なさまに言葉を失ってしまいます。

そしてこれはホントに細かい点ではあるのですが、例えば、終盤、手を繋いだ10人が、ゆったりとした音楽に合わせて、横歩きをしていく場面、最後尾の松永樹志さんが後方に伸ばした繋いでいない方の左手、その薬指にピンと力が入り、他と違う気が込められていたこと。そうして見ると、先頭を歩く坪田光さんが前方に伸ばす右手の薬指も同じ様子であることに気付きます。それは金森さん言うところの「Noismでは薬指を大事にしている」、まさにその言葉通りです。そんなふうに、集団として高次に統一された美意識が至るところに認められる美しい舞台だったと言えます。

他にも、勿論、井関さんに庄島さくらさんとすみれさんの3人で踊る場面など、挙げればきりがないほど見どころで溢れかえる舞台だったと言えます。もっと観たかった。5回だけでは少な過ぎる、そう思わせられる舞台でした。

幕を下ろした大千穐楽。見終えたところで、東京に住むNoismファン仲間が言います。「次にどんなものを見せてくれるかしら。楽しみ」、まさに、まさに。「よいお年をお迎えください。また来年」、気付けば、2025年も10日を残すのみ。ホントそんな時期です。お互い、大満足の笑顔で挨拶を交わして、暫しのお別れです。

元来、心配症なもので、乗り遅れたりなどしないよう、遅めの新幹線の指定席をとっていたので、発車までまだまだ時間がありました。(いつもそうなってしまいます。少しは旅上手になりたいものですが。)与野本町駅から大宮駅まで移動し、そこで、随分、時間を潰した後、漸くホームに上がっていくと、そこで見慣れたふたりにバッタリ。地域活動部門芸術監督・山田勇気さんとNoism2リハーサル監督・浅海侑加さんでした。なんでも「新潟に帰るのは私たちだけなんです」とのこと。少し話して、ここでもまた「よいお年を。来年もよろしくお願いたします」と言葉を交わす機会に恵まれたことで、長かった待ち時間も報われたというものです。『マレビトの歌』からの感動のみならず、思いがけず嬉しいハプニングも加わり、更に幸せな気持ちで新潟に戻って来ることが出来ました。

それにしても、Noismにとっての新たな代表作、『マレビトの歌』。また観る日が巡って来るのを楽しみにしております。まだまだ観たいですから。

(shin)

「えええっ!こっ、これは!」魂が震えた「会いに行けるマレビト」・Noism『マレビトの歌』埼玉2デイズ初日♪

2025年12月20日(土)午前、新潟から新幹線に乗車。湯沢を通過するとき、車窓から外に目をやっても、全く積雪がなく、「今って12月だよね、確か」みたいな感覚の攪乱に見舞われつつ、大宮を目指しました。

感覚の攪乱…、少し別種のものにはなりますが、2週間前、新潟でのNoism『マレビトの歌』3公演でも連日体感したことは鮮やかに記憶に、この身に刻まれています。大きな感動を伴う強烈な没入感に、「ここはどこ?今はいつ?」のような、そんな心地よい感覚の攪乱でした。

それが2週間前。その際の極めて上質な余韻が忘れ難く、再びそれに浸りたいという思いで、この度の埼玉の舞台を待っていたそんな気持ちもありました。

与野本町の彩の国さいたま芸術劇場に着くと、東京からのNoismファン仲間、新潟のNoismサポーターズ仲間と期待感を共有しながら言葉を交わしました。

開場時間になり、ホワイエに進みます。漂う華やかな雰囲気。金森さんのお父様、それから宮前義之さんの姿も見られます。物販コーナーには、Noism2リハーサル監督・浅海侑加さんに加えて、Noism地域活動部門芸術監督・山田勇気さんもおられました。

靴下屋さんとのコラボ靴下は、メンズは完売と聞きましたし、レディースも残り僅かとのことです。

さて、『マレビトの歌』埼玉2デイズ初日の舞台です。詳しくは書けません。書きません。でも、でもです。書かなければならないこともあります。それはこの埼玉公演を前にして、金森さんが彩の国さいたま芸術劇場の舞台が有する奥行きの深さについて触れ、「『埼玉ヴァージョン』が出来た」と語った(SNSで呟いた)ことに関わるものです。つまり、新潟とは異なる部分があるのです。それも作品の印象を大きく違えることになる箇所で!「えええっ!こっ、これは!」って具合なのです。

舞台の特性を最大限に活かしたその「埼玉ヴァージョン」。それは客席を圧倒しまくり、観客はひとり残らず、魂が震えるのみだった様子。ここ埼玉の地でも、ラスト、緞帳が下り切ってもなお、拍手することが躊躇われる者たちばかりで、深い感動の静寂が濃い密度で覆い被さる場内、息さえ殺してカーテンコールを待つ、という結末が待っていたのでした。新潟公演初日から続く光景です。もう奇跡にも思われてきます。そこから一転しての盛大な拍手、スタンディングオベーション、そして「ブラボー!」の掛け声、その鮮やかな対比。

約60分のマチネ。そんな奇跡に浸らせてくれるNoismという「マレビト」。しかし、それはほぼ誰もが「会いに行けるマレビト」(そんなふうに言うと、何やら撞着語法、或いは、形容矛盾のようでもありますが、)なのです。1日を24分割した僅かな時間を割くことを選択しさえすれば、確実に生涯にわたる感動を与えてくれる奇跡のような「会いに行けるマレビト」。今日また、60分を差し出したところ、大きな驚きとともに、魂を震わせられる体験が待っていた訳です。埼玉を訪れることを選択した自分を褒めてあげたい気持ちもあります。

私は明日も同じ選択をします。恐らく、Noismという「会いに行けるマレビト」はまた、その圧倒的な身体で、私の予想など遥かに凌駕する感動を与えてくれることでしょう。しかし、感動は折り込み済みであっても、その大きさに打ち震える時間は体感することのみの得難いものです。「踊ることでしか伝えられないこと」(金森さん)に目を晒し、心を揺さぶられる選択が出来る、この度の機会も残すところもう明日一日。会いに行きませんか。確実にそこにいる、類い稀なる「マレビト」に。それは今年を締め括るに足る、そして永く忘れられない舞台になると断言しましょう。当日券もありますので、是非。

(shin)

濃密な闇に蠢く身体、その光芒(サポーター 公演感想)

2023年5月に富山県黒部市の前沢ガーデンで初演された『セレネ、あるいはマレビトの歌』の衝撃は今なお鮮明だ。野外劇場と芝生の丘の高低差を活かしきる金森穣さんの演出と照明美、アルヴォ・ペルトの身体の奥底に響く楽曲とNoismメンバーとの共振、そして近年の代表作『Fratres』シリーズをまた異なる文脈で作品に盛り込み、「来訪者」「異邦人」への迫害・抑圧を超えた先にある連帯を見出すヒューマニズム。前沢ガーデンという得難い環境と密接に結びついた作品だけに、他の空間での公演は難しいかと思っていたが、今年12月のりゅーとぴあ・劇場公演に加え、鈴木忠志氏率いる「SCOT」のSUMMER SEASON 2025での利賀公演、更にスロベニア公演が発表され、「果たして金森さんはどのように作品を再創造するのか?」と期待が膨らんでいた。

8月29日(金)、列車や新幹線、南砺市利賀村行きのシャトルバス(狭隘な山道を進む故、時折悲鳴を上げつつ)を乗り継ぎ、利賀芸術公園内の茅葺き住宅を改装した「新利賀山房」を目指した。『マレビトの歌』は29、30、31日の3回公演だったが、より多くの方が鑑賞できるよう「一人一回」のみの鑑賞制限があった。りゅーとぴあでの公演まで再び観られないとあって、何時にも増して舞台の一瞬も見逃すまいと、気合を入れて開演を待った。

漆黒の新利賀山房の舞台。今回加えられた井関佐和子さんと山田勇気さんのデュオから、一気に客席の空気が変質し、情感と凄絶さが同居するその身体に引き込まれてゆく。約1時間の公演中、殆ど休むことなく舞い続ける井関さんは勿論、躍進著しい若きNoismメンバーたちの鬼気迫る表情、汗に濡れていく衣装を、手が届くほどの距離で見つめることの得難さ。観客もまた舞台の共犯者であり、それは一瞬の気の緩みで崩壊してしまうことを突きつけてくる。

メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、糸川祐希さんの殺気に溢れる表情と身のこなし、春木有紗さんの目力と透き通るような肢体で見せる舞踊の迫力を特筆したい。

漆黒の空間に置き換えられた『マレビトの歌』は、野外劇場の空間とその広がりとは何もかも違う、より濃密かつ人間の闇とその先にある光芒を見つめる作品に変貌したように思う。「来訪者」と魂を通わせ合う女性たちと、暴力・男権によって支配下に置こうとする男たち、彼らの閉鎖的な集団性を打破する女性たちの連帯。この国に暮らすルーツを異にする人々を排斥する現代に、楔を打つようなヒューマニズムは、より切実なものとして胸に刺さった。

初演時、若干の不満を覚えた終幕も、テンポよく再構成されており、りゅーとぴあでの公演までに更に深化されるだろうと、これもまた楽しみ。
終演後、会場のそこかしこから「凄かった」「緊張した」の声が聞こえたが、Noismと向き合うことは観客それぞれの内奥と対峙することだと、改めて思わされた。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)

Noism『アルルの女』/『ボレロ』埼玉で迎えた大千穐楽(「箱推し」の推し活ブログ風)

2025年7月13日(日)、Noism0+Noism1『アルルの女』/『ボレロ』公演が、埼玉は彩の国さいたま芸術劇場で大千穐楽を迎え、大評判のうちに、全6公演のその幕をおろしました。ここまで、ネタバレなしにレポートのような、感想のようなブログをあげてきましたが、今日は様々な偶然、それもとても嬉しい偶然が重なったことから、これまでとはまるで違うタッチのブログを残そうという気持ちになりました。敢えて、そのタッチを言い表すなら、「箱推し」の推し活ブログ、とでもなりましょうか。多分に個人的な色彩も強いものになるかもしれませんが、よろしければ、お付き合いください。

朝、宿泊した横浜から、Noism20周年記念の黒Tシャツを着込んで、彩の国さいたま芸術劇場を目指しました。前日の過ごし易さとは打って変わった焦げるように暑い日曜日です。JR与野本町駅からほんの12〜13分歩くだけではあるのですが、それがかなり堪える「苦行」に感じられたため、「着いたら、カフェに行って、冷たいものを飲もう」、そう同行の家族に言うことでやっと辛抱して汗をかきかき歩くことが出来たようなものでした。

劇場前の横断信号を渡って、ガレリアに通ずる入り口を入って、何気なく振り返ると、そこに見覚えのある女性の姿が!その女性、かつて、Noism1メンバーとして活動しておられた西澤真耶さんではありませんか!西澤さんと言えば、映像舞踊版の『ボレロ』に出演しておられるといった点に、今回の公演との繋がりが見出せたりもします。最近は東京で活躍されておられて、なんとかこの日の公演を観に来ることが出来たとのことでした。また、Noism在籍当時に、気さくに接してくださったお母様によろしくお伝えくださいとお願い出来たことも含めて、嬉しい偶然(1)でした。

ミックスジュース、アイスカフェラテ、大人のコーヒーゼリーアフォガード(早くも溶け始めている…)

でも、そのカフェ(Cafe Palette)に着いてみると、みんな考えることは一緒で、3人で座れる席が見つかりません。相席をお願いしようと、連れ合いがお顔も見ずに声をかけさせて貰ったご夫婦が、「えっ!えええっ!」、なんとNoism1の糸川祐希さんのご両親だったのでした。それから約30分間、思いがけずも、糸川さんのこと(今日に通ずる「出発点」Noismのオーディションを受けるに至った経緯なども!)やら、今回の公演のことやらを中心に様々話しながら過ごすことが出来た、スペシャルな時間が持てたのでした。これが嬉しい偶然(2)です。

そして、14:30開場。スーツケースをクロークに預けて「87」の札を受け取った後も、ホワイエに留まり、サポーターズ仲間たちと合流して、大千穐楽開演前の華やぎの中に身を置きながら、入り口付近で外の様子に目をやる金森さんの姿を見続けていると、やがて外に向けて手招きをし始めた金森さん。すると、今年も来月に「サラダ音楽祭」でコラボする東京都交響楽団コンサートマスターの矢部達哉さんが入って来られて、ハグをして、それから親密に話される様子などワクワク見詰めたりしていました。

15:00開演。『アルルの女』です。音楽が耳に届いてくると、緞帳の手前、客席に背中を向けた「アルルの女」井関さんと抱き合う「フレデリ」糸川さん、その目の半端ない色気にうっとりしながら、そこから始まる約50分間の「悲劇」を、この日もカタルシスをもって堪能しました。

全6公演が終わった今だから書けること、繰り返される4度の「死」について。あのインパクトある表現は、かつて、劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』(2018)で用いられ、大いに衝撃を受けたもの!今回、公開リハーサル時に、舞台の手前に、舞台高と同じ高さで黒く立ち上がり、ピットを隠すようにめぐらされた目隠し状のそれを目にした時から、「もしかしたら、また、鳥肌が立ったあの表現が見られるのではないか」、そう微かな期待感を抱いたのでしたが、実際に、時を隔てて再び目にした「死」の表現としての「落下」は、微塵もその破壊力を減じることのなく、この演目においても見どころのひとつとして機能し、やはり今回も鳥肌ものだったことを認めたいと思います。

モロに「ネタバレ」になってしまうため、ご紹介を控えていたのですが、新潟公演でのアフタートーク(6/28)において、その「落下」後のコツについて、質問があり、ピットには無数のウレタンスポンジが敷き詰められていて衝撃を和らげてはくれるものの、出来るだけ大きな面で受け止められるように落ちるのがダメージが少ない、そう金森さんが説明してくれたことをここに書き記しておきます。

見事に可視化されていく妄想やら、妄執やら、不在の現前やら。瓦解する精神性が命とりになってしまう様子やら、その表現の巧みさとそれを支える身体の迫真性があって初めて、ラスト、微動だにせず、ただ小首を傾げる「ジャネ」(太田菜月さん)の姿に、あのカタルシスが宿る訳です。この日は埼玉の中日(そして初日)のような「静けさ」「静寂」から始まるリアクションとは別物の、大千穐楽という、謂わば「祝祭空間」がもたらしたのだろう即応性の高い熱烈な拍手が、緞帳が下り切る前に劇場内に谺することになりました。その後の休憩時間にあっては、観終えた観客の多くが、入場時に手にしたパンフレットに、さも興味深げに、目を落としていました。

そして、『ボレロ — 天が落ちるその前に』。ひとり、真上からのダウンライトを浴びて、特権的な赤を纏う井関さんを除くと、他は全員、『Fratres』シリーズ(2019-2020)の黒の衣裳で登場してきます。やがて、ひとり、またひとりとそれを脱ぎ捨て、あれは「キナリ」でしょうか、手足を露出させつつ、「脱皮」或いは「メタモルフォーゼ」を遂げていきます。それはベジャール振付の名高い『ボレロ』とは異なり、中心から周囲への「伝播」の方向性をとるものであり、Noismの集団性を謳いあげるベクトルを感じさせるものと言えると思います。やがて、シンクロして踊る身体を見詰める醍醐味が横溢するでしょう。その美しさ!少し先を急ぎ過ぎました。

加えてこの演目で、その美しさをもって、観る者を圧倒しにかかるのは、徐々に顕しとなっていく最後方、金色のホリゾント幕です。下の方からその金色が見えてくる様子自体が陶酔を誘うひとつのハイライトを形作っている、そう言っても過言ではないでしょう。有無を言わせぬ圧倒的な美そのものです。それは、かつて、『Liebestod — 愛の死』(2017)で用いられた装置であり、ここでも、ラストにいたって、あのときの「屋台崩し」に似た場面が再現され、その頽れる美の有り様で私たちを虜にしてしまうでしょう。またしても、急ぎ過ぎてしまっているようです。

「魔曲」にのって、自らの身体(メディア)をチューニングし、上方、天に向かって、両の腕を伸ばす舞踊家たち。祈りと献身は、中央の井関さんに発して、フォーメーションを変化させながら、やがて、集団へと「伝播」し、全員のものとなっていく。しなやかで強靭な身体。力強くも繊細な身体。優美ながらも艶かしささえ立ち上げる身体。エロス(生)と同時にタナトス(死)、刹那と同時に永遠さえ表象してしまう身体。およそあらゆる二分法が無効化され、止揚されて、迎えることになるラストの一瞬。その陶酔。

この日も客席からは爆発的な拍手が湧き起こり、「ブラボー!」の声が飛び交ったことは言うまでもないことでしょう。

この火を吹くような『ボレロ』の終演後、興奮を抑えることが出来ないサポーターズ仲間に混じって、前出の糸川さんのお母様が、終盤の盛り上がる場面で、中央の井関さんが両脇に目配せして、「最後、思いっ切り踊り切ろう」という感じで誘いかける様子を目撃したと話されると、確かにそう見えたと応じる人もいました。私自身は、しかと目にしてはいなかったのですが、そうだとしても、何ら不思議ではありませんから、「なるほど」と聞いていました。同時に、「全てを観るためには目はふたつでは足りないな。情報量が多過ぎる」、とも。本当に魂から揺さぶられ通しの、圧倒的な大千穐楽だった訳です。

しかし、偶然はまだここで終わりではなかったのです。新潟に向かう新幹線に乗ろうとJR大宮駅まで行き、やや時間をもて余し気味に、新幹線待合室で過ごしていて、ペットボトルの水でも買おうかと売店まで赴いたとき、目を疑うような偶然(3)があり、驚いたのでした。なんとそこには、先程まで踊っていた庄島さくらさん・すみれさんの姿があったからです。またしてもの「えっ!えええっ!」体験です。私の目はハート型になっていたに違いありません。もうテンパってしまったことは容易に察して頂けるものと思います。感動の舞台のお礼を伝えたのち、テンパっていたのをいいことに、「連れ合いも連れて来ていいですか」など口走って、結果、4人で立ち話をする時間を手に入れてしまった訳です。お疲れのところにも拘らず、(同じ新幹線に乗車予定だったため、)まだ少し時間があると、優しく応じてくれたおふたりには感謝しかありません。

そこで件の『ボレロ』における井関さんの目配せについて訊いてしまいました。訊いちゃったんです、実際に。すると、確かに盛り上がりのところで目配せはあったと教えてくれました。しかし、それはこの日だけではなしに、埼玉入りしてから始まったことだったのだとも。で、その目配せで気持ちが通じていることが嬉しかった、そう教えてくださいました。テンパっていたから訊けたことですよね。で、テンパりついでに、『ボレロ』終盤でのおふたりのポジションについても、下手(しもて)側がさくらさん、上手(かみて)側がすみれさんだったことも確認させて頂き、胸のつかえがとれました。今回は髪の色も同じ、髪型も同じということで、見分けるのが極めて困難だったのですが、そんな私の失礼と言えば、失礼でしかない質問に対しても、「そうですよね、見分けはつき難いですよね」、微笑みながら、そう言ってくださっただけでなく、「穣さんも間違ったりしましたから」とまで付け加えてくださる気遣いにホント感動しました。(おまけに、4人で自撮り写真まで撮らせて頂きました。それ、もう宝物です。)更に更に「推し」ていく他ないじゃありませんか!

そんな夢みたいな時間を過ごして、新潟に向かう新幹線に乗り込み、荷物を棚に上げたりなどしていると、通路を歩いて来る男性が、私の苗字に「さん」付けで呼び掛けてくるではありませんか!偶然(4)はここにも。それは山田勇気さんでした。山田さんも同じ新幹線だったのですね。虚を突かれて、「あっ!どうもです」くらいしか言えず、トイレに向かった連れ合いに知らせに行くと、驚いた連れ合いも大した挨拶も出来なかったような始末。常に平常心でキチンと応じることの出来る人にならねば、この日の締め括りにそんな思いを強くしたような次第です。

思いがけず、様々な嬉しい偶然に恵まれたことで、これを書いている今もまだ「Noismロス」に見舞われずに済んでいました。

ということで、このような「箱推し」の推し活ブログ、長々とお読み頂き、誠に恐縮、並びに心より感謝です。

(shin)

春、若芽が吹くように…「Noism2 定期公演vol.16」(2025/03/09)

皮肉なことに、東京をはじめ関東には凍結の恐れなどを伝える注意喚起がなされていたというのに、新潟では光に少し春らしさが感じられるようになってきた、そんな2025年3月9日(日)。15時からの「Noism2 定期公演vol.16」2回公演の2日目を観るために、りゅーとぴあに向かいました。

前日(3/8)は同時刻に、金森さん演出振付の新作『Tryptique ~1人の青年の成長、その記憶、そして夢』を含む牧阿佐美バレヱ団「ダンス・ヴァンドゥⅢ」を観に行ってましたので、この日はまた異なる舞踊が観られることにワクワクする気持ちがありました。

過日の公開リハーサル後の囲み取材の場で、地域活動部門芸術監督の山田勇気さんから、今回(vol.16)のラインナップに込めた思いを聞いたことも、その期待を膨らませる効果がありました。山田さん曰く、次世代の振付家を輩出することと、「登竜門」を通過する舞踊家を観ること。そのふたつは充分に興味深い事柄でした。

物販コーナーにはNoism1準メンバーの春木有紗さん(左)と佐藤萌子さん(右)

そして15時になります。最初の演目は樋浦瞳さん演出振付の『とぎれとぎれに』。緞帳があがると、初日公演を観た久志田さんの文章にあるように、斜めに配された大きな「紙」が存在感たっぷりに目に飛び込んできました。思ったこと。「やはり樋浦さんは『斜めの人』であって、『正面の人』じゃないんだ。だから、『にんげんしかく』で客席の方を向いて、ポケットから笹団子を取り出したり、身体の前で両手を動かして矩形のイメージを伝えてきたりしたときに、何やら新鮮な感じがしたんだ」とかそういったこと。
蠢いたり、たゆたうようだったりしながら、斜め位置の「紙」で表象される舞台(時間、人生)との関わりのなかで、逃げ出そうとしたり、格闘したりしながらも、とぎれがちながら繋がっていく関係性。その間も「紙」が決して破れることがなかったのは、この日の私には希望に映りました。そして、その歪な「紙」が上方に浮き、その真下で踊られるようになってからは、佐野元春『No Damage』のメインビジュアルが想起されもしましたが、「人生ってそうだよな」とも妙に納得させられる部分がありました。
最後、6人が舞台正面奥に消えていくときにハッとしたのは、『にんげんしかく』のときと同じでした。樋浦さんがこれから先も変わらず「斜めの人」なのか興味があります。

10分の休憩を挟んで、今度は中尾洸太さん演出振付『It walks by night』です。チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が聞こえてきます。第3楽章です。レインコートと帽子、蝋燭、そして一枚のドア。多分にウェットでシリアスな雰囲気を待ち受けていたところ、開いたドアから折り重なるようにして見える顔たちはいずれもこちらを見据えています。「えっ!」と思うが早いか、「アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ(とても速く活発に)」に乗って展開されるコミカルで楽しい動き。腰には白いチュチュを巻いて。この先、あの音楽を耳にする度、その光景が浮かんでくるようになってはちょっとつらいというか、残念というか、そんな困った組み合わせに、唖然としつつ、気持ちは「脱臼」させられたような塩梅です。(ゴダールの映画もよく「脱臼」を狙ってきます。)
しかし、第4楽章の「アダージョ・ラメントーソ(悲しげにゆっくりと)」では、踊りの調子がガラリと変わっただけでなく、紗幕の向こう、シルエットとして浮かんでくる「活人画」に似た場面には殊更に美しいものがありました。「何も徹底的に『美』を廃した訳ではなくて、硬軟をフットワーク軽く行き来することを狙ってのものなのだな」、そう理解しました。
それからこの作品では、今度は腰に巻いていた筈のチュチュが揃って上方に浮いただけでなく、ラストでは(予想通り)全員が中央のドアの向こうに消えていきます。そのあたりに樋浦さん作品との近縁性も強く感じられ、興味深く見詰めました。また、ふたりとも広い舞台を充分に活かそうとする演出振付をされていたように思います。

その後の休憩は15分。そして、「登竜門」(山田さん)の『火の鳥』、何度観ても、観る度にゾクッとする金森さん演出振付の名作です。若いダンサーがその身体を使って、この作品に一体化したときに放たれる「美」は決して色褪せたり、揺いだりすることのないものです。「これをしっかり踊り切れたら、観る者はちゃんと感動する」、そんな作品がこの『火の鳥』なのです。金森さんから若者に向けられた愛で出来上がっていて、寸分の隙もない作品と言えます。
また、繰り返し観てきた者としては、初めてこれを目にする人たちが「あっ!」と声まで出さんばかりに、心地よい不意打ちをくらう瞬間が訪れるのを待つ、そんな楽しみもあります。そして同行者がある場合には、まず例外なく、終演後、笑顔でその場面の話をする姿が見られるのです。そんなリアクションはこの日もあちこちに認められました。
この日、この「登竜門」或いは「試金石」に挑んだダンサーたちに鳥肌が立ったことは書き記しておかねばなりませんし、それを書き記すだけでもう充分かと思います。そんな心を揺さぶる踊りを見せてくれたダンサーたちにこの日もっとも大きな拍手が贈られました。彼女たちにとっては、「伝統」(山田さん)に繋がった日だった訳です。

春、若芽が吹くように瑞々しい躍動を見せた若きダンサーたちと若き振付家ふたり。大地に力強く根を張り、限りなく広がる高い空に向かって大きく育っていって欲しいものです。きっと襲ってくるのだろう風雪などものともすることなく、逞しく、そして美しく。3つの演目を観終えて、そんなことを思ったような次第です。

(shin)

清新さと野心と(サポーター 公演感想)

毎年3月恒例の研修生カンパニーNoism2定期公演。今回(vol.16)はNoism1・中尾洸太さんに加え、同じく樋浦瞳さん(新潟市出身)が演出振付家デビューすることもあって、各種媒体でも公演が紹介され、初日の客席も盛況だった(BSN新潟放送の取材班もお見かけした)。客席や物販コーナーではNoism1メンバーの姿もあり、皆で若き舞踊家と演出振付家を盛り立てようという思いが、劇場に漂うよう。


開幕は樋浦瞳作品『とぎれとぎれに』から。私たちが「Noism的なるもの」として連想する、虚飾を剥いだ舞踊の連なりに、樋浦さんならではの細やかな感性が染み込んだ一作。舞台正面から斜め方向を意識した空間構成や、ある舞台美術が雄弁に示す舞台の一回性。白から黒、生から死へのあわいで悶える6人の若き舞踊家達と、照明が織りなすものに、私は奪われていくガザ始め世界を生きる人たちの命を思わずにはいられなかった。

続く中尾洸太作品『It walks by night』は、中尾さんの既にして才気溢れる作家性に圧倒される仕上がりとなっていた。Noismの基礎にある「クラシックバレエ」そのものを解体し、再構築していく舞台に息を幾度も呑んだ。あるクラシックの有名曲(最近ではアキ・カウリスマキ『枯れ葉』でも印象的に使用されていた)と9人のダンサーの調和、バレエでの女性表象を超えるNoismらしいエログロまで内包した演出には唸るばかり。

公演ラストを飾るのは金森穣芸術総監督による、最早古典的風格さえ漂う「火の鳥」。ストラヴィンスキーの楽曲と寸分違わず溶け込む振付、8人の舞踊家の「今」を活かし切る瑞々しさと、安易な感傷を排して観客のイマジネーションを膨らませる「仮面」と「黒衣」。幾度見ても新たな発見を得られる名品だ。

公演初日は、地域活動部門芸術監督・山田勇気さん、中尾洸太さん、樋浦瞳さんによるアフタートークが開かれた。「若いダンサーへのメッセージ」を問われ、「自分が今持っている身体に向き合えるのは自分だけ。未来と今、他者と出会うことを意識して踊り、あなたの身体でしか発見出来ないことを見付けてほしい」と語る樋浦さんと、「夢を見ないこと。夢は叶わないかもしれないし、逃げにもなる。身体や心から起こる野心と、現在地を見つめる為の目標を大切にしてほしい」という中尾さん。対照的でいて、各々の誠実さが滲む答えに胸が熱くなった。


若き舞踊家それぞれの献身と躍動に加え、新しい舞踊作家の誕生を目撃する機会。本日の公演の更なる盛況を祈る。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長)