Noism2026夏公演、熱狂的な喝采のなか大千穐楽の幕おりる♪+6/28アフタートーク補遺+ひとつの考察の試み(サポーター 公演感想)

2026年7月26日(日)、Noism0 + Noism1『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』大千穐楽の幕が、埼玉の地でおりました。この日、舞踊家たちが見せた気迫の籠った舞踊はまさに一期一会の絶品。終演後、熱狂的な喝采と波のように広がっていったスタンディングオベーションを受けることになったのもいたって当然のことに過ぎませんでした。むしろ、もっとずっと拍手し続けていたかったという者ばかりだったのではないでしょうか。実際、私はそうでした。

最初の演目『私は海をだきしめていたい』については、下に考察の試みをアップしますので、そちらに譲ることとして、改訂版『春の祭典』に関して、少し書き記しておきたい事柄がありますので、まずはそちらから。

これまでの『春の祭典』においては、衣裳のボタンを留めて襟を立てる/ボタンを外して襟を開く、その違いで集団の凝集性や同調圧力、そしてそれによる排除が可視化されてきましたし、この「改訂版」においても途中までそれは踏襲されていくのですが、最後に置かれた排除にあっては、全員が一様に襟を立てながらの排除なのであり、差別・排除に繋がる徴としての差異を認めることは出来ません。それこそ差別・排除が極めて恣意的な性格を強めているさまに映り、心底震えました。それはこの「改訂版」の恐ろしさのほんの一例に過ぎませんが、この「改訂版」が描いたのは局所的な「コップの中の嵐」などではなく、まさに今日の私たちと社会の姿に違いないのだと言い切りたいと思います。

それでは、ここからは6月28日(日)に行われた金森さんと井関さんのアフタートークに関して、ネタバレへの配慮からここまでご紹介せずにきたやりとりを「補遺」というかたちで載せていくことと致します。

*6/28金森さん&井関さんアフタートーク補遺
Q: (新潟公演における)開演前のホワイエでの金森さんのパフォーマンスについて
 -金森さん: 日常と虚構の間の境界線を曖昧にしていく。皆さんの反応を見て、「じっと見てくるなぁ」とか「無関心なんだなぁ」とか「あっ、写真撮るんだ」など思いながら。

6/27(土)新潟公演初日の開演前、ホワイエでの金森さん

Q: 『私は海をだきしめていたい』、ラストの海はどこの海か
-スタッフ:
 映像は村松浜*。  【*註: 新潟県胎内市】
-金森さん: 音はどこか(の海のもの)。

Q: 『私は海をだきしめていたい』、途中で緞帳がおりることについて 
 -金森さん: 繰り返しが多い音楽(『天国の英雄的な門への前奏曲』)にインスピレーションを受け、同時に、その音楽的な構造が面白いと思い、あの繰り返しにした。振付は全く同じで、世界でもそうそうない。
 -井関さん: (全く同じ振りは)人生で初めてだった。

Q: その繰り返しを踊るとき、気持ちは同じなのか
 -井関さん: それは勿論、違う。一回目と二回目では全然異なる。それでも敢えて同じ形に持って行こうとすることで、観ている者が想像出来る。形は形、感情は感情。リピートするからこそより集中が必要になる。稽古のときには、一回目が終わると、「これ、もう一回やるのか」と思う。結構、しんどい。

この日のブログ記事の最後に、新作『私は海をだきしめていたい』について、「サポーター 公演感想」の枠組みで、ひとつの考察の試みとして拙文を載せさせて頂きます。是非お読みください。

*考察の試み
『私は海をだきしめていたい』、ラストの繰り返しをどう捉えるか

先ずは、安吾をさほど読んでこなかった自身の読書歴に関係するのだが、金森さんが安吾の同名短編にインスパイアされて創作したその新作は、新潟公演初日、私の目には、随分、サティの音楽寄りのものに映り、「インスパイアとはどういうことなのか」との疑問が浮かんできた。「どこかで、時々、思いがけなく現れてくる見知らぬ姿態のあざやかさを貪り眺めていた」男が見詰める女の向こうを「物凄い荒れ海」にせず、ある意味、原作からドラマ的なるものを排除した金森さんでもあるので、尚更に。

そこで、金森さんが口にしていた「繰り返し」を念頭に置きつつ、安吾の短編に再びじっくり向き合ってみる。すると、金森さんの新作の上に、間違いなく、安吾もその像を結んでくるように思えてきたのだ。

サティと金森さんの向こうの安吾を確かめようとガン見したそのラストシーン。新潟公演二日目。「えっ!?やはりそうなのか!?」動揺するも、自分の目に確信が持てず、勇気を振り絞って、アフタートークの質問シートに書き込んだ。「全く同じではないですか」と。すると、「全く同じ振付です。よく見てましたね」と金森さん。井関さんも「人生で初めて」と明かしてくれた。やはり全く同じ振りが繰り返されたのだ。

そのラストシーン。先ず観る者は、金森さんが新作に取り込み、可視化した『天国の英雄的な門への前奏曲』の音楽構造に呆気にとられざるを得まい。その構造、楽譜の途中に、サティによって書き込まれた「幕(RIDEAU)」の6文字(インターネットで確認可能*)があるというもの。その先、静寂も束の間、やがて曲の最後の部分が聴こえてくるのだ。その構造に面白みを見出した金森さんだが、そこは金森さん、サティの指示にそのまま従うことはしない。今作で一度目の「幕」が降りてくるのは『天国の英雄的な門への前奏曲』全曲が終わってからであるし、二度目の(正真正銘の)「幕」は、サティが書いた「幕」の箇所と言えなくもないが、正確を期すなら、その先を完全に無音にしたのち、暫く経ってからだ。

【*註: https://s9.imslp.org/files/imglnks/usimg/c/cd/IMSLP08170-Prelude_de_la_porte_heroique_du_ciel.pdf 
上の譜面では、2頁目の下から2段目、後半に「RIDEAU(幕)」の6文字が出てくる。これだけ、他と異なり、全て大文字で記されている。】

話を金森さんと井関さんのデュエットに絞ろう。その一度目の「幕」の前後に配置されるのは全く同じ振り、つまり、「幕」を挟んで、正確な「繰り返し」が踊られることになるのだ。(それは「幕」の文字の後、それまで出て来なかった旋律を書いたサティとは全く異なるものだ。)作品のラストに至り、「深まり」を排して、平板に横滑りするかの印象で締め括られていくなど、Noismの舞台でも異例中の異例の構成と言えよう。

金森さんと井関さんふたりが踊るデュエットだからと、無意識のうちに、その関係性に「深まり」を錯視してしまってはならない。それは徹底して「深まり」を欠いたデュエットなのであり、意図的な「繰り返し」、その同一性が淡々と正確に踊られていくのだ。そんなサティと金森さんによる「繰り返し」が立ち上げるものこそ、安吾の「永遠の孤独」或いは虚無に他ならない。

その場面において、演出振付家・金森さんは実に意地悪だ、敢えてそう言わねばなるまい。「繰り返し」の最終盤、正確には、二度目の(正真正銘の)「幕」の直前、男(舞踊家・金森さん)に傘に加えて帽子までとらせているからだ。その振舞いは一見、何らかの「深まり」へとミスリードする力能を有してあまりあるものと言えるだろう。しかし、それでもなお、男は黒い上着に己を護らせ続けていたのではなかったか。全体の同一性を揺るがす変化ではなく、「繰り返し」のモチーフの変奏、或いは「差分」に過ぎないのだ。(一度目の「幕」の少し前、)ホリゾントに映し出されたモノクロの「波」の静止画が動き出すのも同様に理解され得るだろう。

そして、演目を閉じることになる二度目の「幕」に関するならば、仮に緞帳がそのおりる機能に失調をきたしたりでもしたならば、私たちは延々と男と女による三度目以降の「繰り返し」すら目撃することになってしまったに相違なかろう、そう言い切ることも出来そうだ。あの緞帳はつまり「繰り返し」を二度目の途中でカットアウトするためにおりてくる「幕」に過ぎないのだ。「もう充分」とばかりに。

可視化される永遠の「繰り返し」など、もう「嫌がらせ」に過ぎず、ここにおいて、そのフランス語をそのまま曲名とし、開演前のホワイエから流れていた『ヴェクサシオン』に正確に回帰することになり、この新作の構造的な特質は幾重にも強調されることになるだろう。

「満ち足ることの影だにない虚しさ」の域で、ただ繰り返されること。安吾とサティに金森さんが重なるところ、一瞬の美しさへの憧れとは裏腹に、索漠とした「永遠の孤独」や虚無を色濃く立ち上げることになる「繰り返し」。「変化」を期待しがちな私たちの視線を悉く裏切りながら、仕掛けられたのは『天国の英雄的な門への前奏曲』の構造に呼応する、只事ではない類の「繰り返し」。しかし、刮目されねばならないのは、新鮮味など微塵も存しない筈の「繰り返し」の最中に浮かび上がってくる光景ではないのか。安吾もサティも遠景に退き、作品の説話論的な流れを超え出たところで、ただ「繰り返し」を踊ることのみに専心する金森さんと井関さんの剝き出しの「今」が生々しく私たちの目に届くだろう。そんな大胆な驚異を可能にする至芸はもはや人外の域かと。ほくそ笑む演出振付家・金森さんの顔が目に浮かぶようだ。舞台は虚心坦懐に見詰められねばならない。

最後にもうひとつだけ。安吾による男の独白中、「肉慾の上にも、精神と交錯した虚妄の影に絢(あや)どられていなければ、私はそれを憎まずにはいられない。私は最も好色であるから、単純に肉慾的では有り得ないのだ。」の2文が、少しかたちを変えながら、否、ほぼほとんどそのままに、客席から、金森さんとNoismが立ち上げる非日常を見詰めることを愛する私、私たちへと繋がるものであると気付かされたことも書き記しておきたい。「精神と交錯した虚妄」、Noismの舞台にはいつもそれが溢れている。

(shin)

埼玉に降臨したNoism、客席を埋め尽くした観客を魅了♪(埼玉公演初日)

2026年7月25日(土)、ドキドキそわそわした一日。朝、待ちに待った彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉でのNoism0 + Noism1『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』を観るべく、ドキドキそわそわしながら、上越新幹線で新潟から大宮を目指しました。朝から既に暑い暑い一日。

乗車したのはいつもより少し遅めの新幹線で、大宮着は10:20。下車する少し前からこの日のドキドキそわそわは「2乗」になります。というのも、9月の利賀芸術公園、「SCOT SUMMER SEASON 2026」で上演されるNoism『水妖譚』の電話予約がこの日の10時からの受付開始だったからです。私が行けるのは週末の土曜日のみ、争奪戦必至な訳です。

下車準備をしておいて、10時を迎えると、デッキ部へ移動して、ガタゴト音のなか、スマホを操作します。繋がりません。大宮で下車して、早速、ホームでも。繋がりません。埼京線で宿泊予定の赤羽へ。そこからも何度もかけました。繋がりません。再度、埼京線で与野本町を目指し、到着後は公演会場の彩の国さいたま芸術劇場を目指し、(周囲の安全を確かめながら)一歩ごとの歩きスマホでした。繋がりません。劇場に着いてからは、Cafe Paletteで食事しながらの鬼電です。繋がりません。諦めきれず、何度も何度も。かけ直すこと、251回。(スマホはちゃんと回数を表示してくれるのです。)そして時間は13:15、「あっ!」と声が出そうになります。遂に繋がったからです。しかし、電話の向こうからは、無情にも、土曜日の公演は既に満席との由。撃沈でした(涙)。

ですが、そんな「傷心」さえ忘れてしまうほど、熱い感動で揺さぶってくれたもの、それこそ、この日、埼玉の大入りの舞台に降臨したNoismの2演目でした。

まだ明日、1公演を残していますから、ネタバレを避けつつ、その意味では、まだまだ「微妙な」ご紹介に留めさせて頂きます。開場すると、そこにサティの『ヴェクサシオン』が流れているのは新潟4公演と変わりありませんでしたが、探せども、ホワイエに「その人」の姿はなく、はや、開演時間が迫ってきます。5分前くらいになっていたでしょうか。客席後方の入り口付近に漸く「その人」を認めました。そこからは、新潟公演の初日と似た流れで、『私は海をだきしめていたい』に繋がっていきました。

その妖しくも謎めいた、心地よい迷宮のような赤と黒を目の前にしたならば、もう心はすっかり連れ去られてしまい、抜け殻のようになった身体でうっとり見詰める以外ないのではないでしょうか。(この新作については、明日、大千穐楽の幕がおりてから、ひとつの拙い考察の試みをアップさせて頂こうと考えております。)

15分の休憩を挟んで、改訂版『春の祭典』です。新潟4公演でも心を鷲掴みにされてきてはいたのですが、根がボンクラなもので、お恥ずかしながら、この日になって漸くピントがカッチリ合ったように思えました。危ういバランスで成立していた関係性が何かをきっかけに崩れ、様々に移ろっていく様子が恐ろしいが迄に可視化されていきます。描かれる危機感はまさに今日的なものであり、ヒリヒリする痛みの実感を伴う点で、リアルホラーと言っても過言ではないでしょう。

終演後、(新潟4公演と同様に)金森さんも登場するカーテンコールでは、盛大な拍手と「ブラボー!」の大音声が場内に長く谺したことは言うまでもありません。場内を埋め尽くした観客が贈る拍手に対し、やがて、金森さんが、そして、舞台上の舞踊家全員が拍手して返すに至るその瞬間、場内に漲る一体感は即、多幸感でもあり、一人残らず、埼玉の地で非日常の圧倒的な高揚感を味わい得たことでしょう。

暑い暑い(そして熱い熱い)一日の締め括り。感動に包まれながら、宿泊するホテルにチェックインし、「土用期間」ということで、こちらはなんとか手に入れることが出来た老舗名店の特上鰻弁当を頬張りつつ、この日のふたつの演目を回想する豊かさも噛み締めたことを書き留めておきます。

(shin)

「纏うNoism」#13:春木有紗さん

メール取材日:2026/05/28(Thur.)&07/04(Sat.)&07/15(Wed.)

2026年夏公演(『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』)、新潟公演の幕がおりて、埼玉公演の幕があがるまでのちょうど中間点にあたる今日(7/15)、連載企画「纏うNoism」の第13回、春木有紗さん登場回をお送り致します。色々お訊きしました。どうぞお楽しみください。

「本人の中身が新しければ、着ているものも新しく見える。ファッションとは、それを着ている人の中身も含めたものなのです」(川久保玲)

それでは「纏うNoism」、春木有紗さんの回をお楽しみください。

纏う1: 稽古着の春木さん

 *振り向きながらのバックショットから入りましたね。では、最初の質問です。この日の稽古着のポイントを教えてください。

 春木さん「今日の稽古着は薄ピンクのタンクトップと、NEUTRALWORKSとNoismのコラボパンツです。肌触りと伸縮性がどちらもすごく良くてお気に入りです。タンクトップの後ろがクロスしているのが可愛くてよく選んでしまいます」

 *振り返る笑顔ともどもとても素敵です。後ろでクロス♪ こちらのタンクトップ、どちらのブランドのものなのでしょうか。

 春木さん「lululemon のものです」

 *訊いてはみましたけれど、お答えは初めてのブランド名でした(汗)。ものを知らないものですみません。調べてみたところ、カナダのバンクーバーで創業されたスポーツウェアブランドとのこと。これからはちょっと気にしてみます。で、薄いピンクも可愛いですね。稽古着は、割と色味のあるものを着ておられるのでしょうか。

 春木さん「最近は自分の肌の色に近いものか、黒を着ることが多いです。作品にもよりますが、リハーサルの時に色で他の印象を作りたくないのでカラフルなものはあまり着ないようになりました」

 *そうなのですね。ではその稽古着なのですが、Tシャツよりタンクトップを選ばれることが多いのでしょうか。そのあたり、理由もあったら、教えてください。

 春木さん「私はタンクトップをきている事がほとんどです。半袖などで肩にひらひらあったら邪魔に感じるし、ピタッとしたものが腕にあると暑く感じるのでタンクトップを選びがちです」

 *なるほどです。今度は、NEUTRALWORKS と Noism のコラボパンツについて伺います。同じくコラボの上着もあると思うのですが、こうやって下だけとか、或いは逆に上だけとかで着られる機会も多いのでしょうか。

 春木さん「一緒に着ることもありますが、ばらばらで他のものとあわせて着ることもよくあります」

 *上下のセットアップって便利ですよね。次は、皆さんに訊いている「お約束」の質問になるのですが、お好みの靴下などありますか。お気に入りポイントも教えてください。

 春木さん「Nike の靴下です!分厚め、滑らない、スライドしやすいがお気に入りポイントです」

 *Nike、初登場きたぁ!っていうところですかね。試してみたいと思います、Nike。
ところで、もうひとつお訊きします。この場所はりゅーとぴあのレディースの楽屋か何かなのでしょうか。

 春木さん「写真の時は黒部にいたので、黒部の時みんながご飯を食べていたダイニングです」

 *おお、はいはい、黒部でしたか。そうですか、そうですか。「男子禁制」の楽屋画像だったらどうしようとドキドキしてしまいましたが、落ち着きを取り戻せました(笑)。

纏う2: 春木さん思い出の舞台衣裳

 *これまでの舞踊人生で大事にしている衣裳と舞台の思い出を教えてください。

 春木さん「バレエ学校時代に憧れていたカンパニーの作品を踊った時のもので、興奮と嬉しさを今でも覚えています。衣裳からキャラクターになりきれるようなそんなデザインでした」

 *「憧れていたカンパニーの作品」というあたり、そのカンパニーと作品について、差しさわりのない範囲で、もう少し詳しく教えて頂けますか。

 春木さん「New Adventures の『Highland Fling』という作品です。クラシックバレエの 『ラ・シルフィード』 を元にした作品です」

 *これもまた「訊いてはみたものの…」分類で(汗)。で、またまた調べてみました。マシュー・ボーンなのですね。YouTube でさわりを観ることが出来ますので、どうぞ。

 *それ、いつ頃のことでしたか。Central School of Ballet 時代のことでしょうか。

 春木さん「19 歳頃です。Central School of Ballet の 3 年生の時でした」

 *春木さんを含め、天使たちが何人もおられるようです。踊られたのは、どんなキャラクターだったのですか。

 春木さん「私は妖精たちの1人をやっていました」

 *とてもチャーミングですね。奥の照明といい、雰囲気もたっぷりの「萌え」写真です。

纏う3: 春木さんにとって印象深いNoismの衣裳

 *Noismの公演で最も印象に残っている衣裳とその舞台の思い出を教えてください。

 春木さん「『セレネ、あるいはマレビトの歌』の衣装です。この黒の衣裳は『Fratres』 や『Bolero』 でも使われていますが、私がNoismに来て初めてNoism0+Noism1の公演に出演して着て以来、かなりの回数着ているので愛着もあります」

 *あの黒の衣裳は、踊っているとき、あのフードで視界が狭まりがちになり、その扱いが難しいとも聞きました。実際、春木さんは如何でしたか。また、ほかにもあの衣裳特有の難しさはありますか。何か工夫されたり、気を付けたりされていたことなどを教えてください。

 春木さん「フードの扱いは大変です。ずれないようにフードの中にゴムをつけているのですが、その日のフードの調子によってゴムをずらしていました(笑)。
他にはあの黒い衣裳はボレロでも着用しているのですが、『Bolero』では踊りながらボタンを外したりしているので、慣れていない時はかなり手こずりました。メンバーにコツを聞いて押さえるところと引っ張るところをしっかり決めたらスムーズにできるようになりました」

 *踊るだけでも大変なのに、衣裳にも神経を遣うのですね。そしてそれを観客には一切見せないようにしているって、舞踊家の皆さんには尊敬しかありません。

 *ここでNoism Web Site へのリンクを貼ります。
『セレネ、あるいはマレビトの歌』、2023年5月、前沢ガーデンでの画像をどうぞ。

 *頂いた画像に関するものではないのですが、今、どうしても次の質問をさせて頂きたいと思います。『私は海をだきしめていたい』の赤の妖艶な衣裳で踊るみなさん、素敵過ぎます。最初、あの衣裳が届いて、初めて目にされたとき、春木さんはどう感じられましたか。そのあたり、教えてください。

 春木さん「初めてみた時は本当に素敵な、繊細なドレスだなと思いました。しかし同時にスカートの長さとスリットにもかなり驚きました」

 *その赤の衣裳、今はどんな気持ちで着ておられますか。

 春木さん「赤の衣裳を着ると自然と衣裳に似合う空気感を纏いたくなる気がします。どんな気持ちかは形容しがたいですが、こんな風に存在していたい、が強くなります」

 *うんうん、ええ、何とか想像できる気がします。特に、『グノシエンヌ第3番』の流れる場面、今風に言うと、もうホントに「好きすぎて滅!」って感じなんですけれど(笑)。これからご覧になる方も同じ気持ちになること請け合いですよ♪ 埼玉であと2回、存分に浸らせて頂きます。楽しみでなりません。

纏う4: 普段着の春木さん

 *新潟市はやすらぎ堤の夜景にベストフィットしていて、とても素敵です。この日のポイントと普段着のこだわりを教えてください。

 春木さん「このワンピースはゆかさん(=浅海侑加さん)からもらったものです!私の中ではフォーマルな服ですが他にもカジュアル目な服や色物など色々着ます!こだわりは自分に似合うものを着ることです(笑)」

 *グリーン系でピンストライプの入った「フィット&フレア」(と言うのだそうですね)のワンピース、そこに足元とショルダーバッグの黒がマッチして、フェミニンで大人っぽい印象がとても素敵です。一方、カジュアル目な服もお好みとのことで、そちらも気になります。春木さんはどんな色がお好きなのですか。

 春木さん「カジュアルな服では赤や水色の服も着ますが、ベージュやグレーなどの淡い色合わせも好きです!」

 *お洋服を購入される場合、色的になど、「冒険」したりする方ですか。もし、「冒険」したお買い物などあれば、それがどんな「冒険」だったのか、ちょっぴり教えてくださいませんか。

 春木さん「冒険はあまりできないほうですが、女性らしいロングスカートのワンピースを選んだ時は大人になった気分でした(笑)」

 *「自分に似合うもの」を着るこだわりに関してですが、よく購入されるお気に入りのブランドなどありますか。そのあたりも教えてください。

 春木さん「10 代の頃からmoussy をよく着ています」

 *「マウジー」と読むことも知らなかった私に、AIさんが、「『誰にも媚びない、強く自立した女性像』を提案する日本の人気レディースカジュアルブランド」であり、「トレンドと自分らしさを両立させたスタイルを発信し続けている」と教えてくれました。そうなのですね。
あと、新潟公演3日目の終演後に直接、少しお話しをお訊きした際に、お洋服などは頂きものも結構多いと伺いました。そのあたり、もう少し教えて頂けますか。

 春木さん「うちの家系は女が多いので叔母やいとこなどからおさがりでよく服やバッグ、化粧品などをもらうんです。実家に帰ると紙袋いっぱいの中から『好きなの選んでっ!』と渡してくれます」

 *それもそれで素敵なお話しですね。そしてその場面、目に浮かんでくるようです。
春木さん、ここまで色々教えて頂き、誠に有難うございました。

春木さんからもサポーターズの皆さまにメッセージをお預かりしています。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつも温かい応援とサポートを本当にありがとうございます!
まだまだ未熟ではありますが、これからも感謝の気持ちを忘れず、良い舞台をお届けできるよう精一杯努力していきます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします!」

埼玉であの「赤」の衣裳で踊る春木さん、もうウズウズ待ち遠しくて堪りません。魅了されまくりの私たちですので、応援するの一択です。頑張ってください。春木さん、今回もどうも有難うございました。

これまで、当ブログでご紹介してきた春木さんの他の記事も併せてご覧ください。

 「私がダンスを始めた頃」#26(春木有紗さん)

 「ランチのNoism」#26(春木有紗さん)

今回の「纏うNoism」は春木有紗さんの回をお送りしました。また、次回をお楽しみに♪

(shin)

2ヶ月強振り♪ウェブ「dancedition」連載「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(17)」

2026年7月8日(水)、ウェブ「dancedition」の連載企画は、「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方(2)」(6/22)を挟んで、この日、「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(17)」をアップしました。正規の連載としましては、前回(16回)からは2ヶ月強経ってのものとなります。

今回、先ず井関さんが語ったのは、劇的舞踊『ROMEO & JULIETS』(初演:2018年7月6日・新潟・富山・静岡・埼玉)。井関さんが書いておられたように、SPAC(静岡県舞台芸術センター)の俳優さんたちが大勢出演された豪華な大作でした。

「ジュリエットたち(複数)」という点でも、井関さんがアンドロイドであるという点でも、実にオリジナリティ溢れる、観ていて楽しい作品でした。そのなかで、井関さん演じるロザラインは、当初はまだ充分に書き込まれていないところから創作が始まっていたのですね。「頭で考えてわかるものではない」「身体で空間に入り、理解して、そこから役がどんどん入っていくようになりました」と井関さん。あの楽しさの裏にそんな当惑する事情があったとは。

その『ROMEO & JULIETS』ですが、各地の劇場を巡演する間に、大小様々な変更がなされていったことも記憶に新しいところです。とりわけ、各劇場の舞台形状の都合からトップシーンが変わり、「死」の表現も違うものになっていたり、挿入されるロザラインの映像が何度も差し替えられていたりと各地で様々なヴァージョンを観ることになり、それも楽しさに繋がっていたことは確かでした。

そして諸々節目の年でもあったという「不惑」の40歳の頃のこと。先入観を捨てて、身体への向き合い方を見直していく作業は本当に大変だったに違いないでしょうが、「実感を伴った」ことで続けられたとされたあたりは、「やはりそれはそうなのだな」と繊細な作業の「真実」を感じながら読みました。

次いでは、「R.O.O.M./鏡の中の鏡」公演(実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』『鏡の中の鏡』)(初演:2019年1月25日・新潟・東京)です。

こちらも魅力的な2演目でしたね。あの存在感溢れる「箱」は、あれ以前も、あれ以後も見たこともないものであり、その存在感に舞踊家たちが絶妙に絡み合う様子は、とてもシュールで美しく、ワクワク感に半端ないものがありました。

愉しいことこの上ない演目『R.O.O.M.』では、トウシューズには、勿論、大きなインパクトがありましたが、それを巡って、ここでも、井関さんは身体への気付きを得て、それを新たなテクニックに落とし込んで進んでいたのですね。

もうひとつの『鏡の中の鏡」 の方は、最初にまったく別の音楽を用いて振付を行っていたことも興味深い事実ではありますが、目を合わすことなく踊られていくデュオ、その緊張感、思い出しました。最後のところ、タイミングを決めずに、初めて顔を上げて相手を見やる場面の「一回性」、その妙味もはっきり思い出しました。

読んでいると、舞踊家(井関さん)が自らの身体に注ぐ視線のその奥深さを、少しなりとも想像出来るような「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(17)」でした。こちらからどうぞ。

【追記】今回も、この後、コメント欄にて、舞踊評論家の故・山野博大さんによる『ROMEO & JULIETS』のご批評ほか(PDF)へのリンクを貼らせて貰う予定です。そちらも是非ご覧ください。

(shin)

「Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て」再掲載(2026/07/05 新潟公演千穐楽)

2026年7月5日(日)、Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』の新潟公演千穐楽。
艶めかしさが横溢するところに、シュールな要素が交錯する前者は瞬きするのさえ惜しく、見詰め過ぎたせいか、ドライアイ状態になり、後者には徹頭徹尾、音の洪水と群舞の迫力に圧し潰され、全存在を揺さ振られ、その2演目、もうこれ以上は望めないほどに分厚い時間を目いっぱい堪能し尽くしました。

新潟公演楽日のこの日、見詰める最中に私を捉えて離さなかった思いをここに書き記しておくなら、こうです。
舞台上、舞踊に献身する舞踊家という、この世のものとは思えないほどに美しい生き物を観た、と。

この日はそれが全てですし、未だネタバレは出来ない状況から書かない方がよいことだらけなのですが、前日、話に出した『私は海をだきしめたい』冒頭の「変更」の有無についてだけはお伝えしておきます。結論から言えば、前日(3日目)とまるっきり同じではありませんでしたが、かと言って、全くの別物でもなく、「新潟version2b」くらいの表記が相応しいものだったように思います。果たして、埼玉公演ではどうなるのでしょうか。とても興味をそそられるものがあります。

この日、新潟公演千穐楽の舞台を目撃し、このブログを書くにあたって、現時点で、書き得ることはほぼ全て、初日に、新潟・市民映画館 シネ・ウインドさんから依頼を受けてものした拙稿のなかに書き尽くしています。(全公演が終わったときには、書きたいことはありますが。)
そこで、シネ・ウインドさんの許可を得て、ここにその文章を、一切の改稿を行わず、体裁もそのままにこのブログにも再掲載させて頂きます。
私個人の思いに過ぎない文章ではありますが、読まれた皆さまが、3週間後、埼玉公演を観る選択をして頂くために、少しでも背中を押すことに繋がれば、そう願う気持ちがあります。
実にイレギュラーなことで、既に読まれた方もいらっしゃるかとは思いますが、是非、このタイミングでもお読み頂きたく、ここに再掲載致します。

☆☆☆☆☆

Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て

 2026年6月27日、Noism夏公演の初日の舞台を観てきた。渾身の2演目には徹頭徹尾、圧倒され通しだった。同時に、新潟市民としてシビックプライドをかき立てられずにはいられない「公共劇場専属舞踊団」という在り方でのNoismを観る機会がこれを含めて3回になってしまったことを残念に思う気持ちもある。今回も物凄い舞台を目撃したからである。


 印象的な赤と黒、静謐なタブローを思わせる『私は海をだきしめていたい』。官能的でいて、パリのエスプリ要素やアラン・レネ『去年マリエンバードで』のような不条理も香しい。休憩を挟んだ後は、情動を煽りたてて止まない激烈な改訂版『春の祭典』。神経症的不安が募る季節、「木の芽どき」としての「春」に身の毛もよだつ思いはどんどん加速していった。そんな静と動、真逆とも言える2演目を併せて観る公演はまさに豊穣そのものであり、贅沢なことこの上ない。
 しかし、この舞台、観終えたとき、人は、(今回もまた、)せいぜいが「良かった」「凄かった」或いは「美しかった」くらいの陳腐な言葉しか出てこないことに絶望するほかない筈である。観る者を感動にうち震わせておきながら、いざ語ろうとすると、その言葉の限界にまざまざ直面させては、絶望に苛まれることを余儀なくさせてしまう舞台、それがNoism。幾百、幾千もの言葉を費やして語ろうとも、その絶望はおおよそ変わらない。舞踊への献身のみが可能にするその境地、まさに語り得ないのである。
「自由に観てくれればよい」、金森さんは常にそう言ってくれるのだが、ことによると、その「自由」ほど厄介なものもないのかもしれない。その「自由」。「わかる/わからない」の次元とは一線を画すものなのだが、容易に言語化されたり、要約されたりしない舞台を「自由に」見詰めることが、市民への浸透という積年の課題にとってある種の障壁となっていたのかもしれないとすれば、実に皮肉なことと言えようが、それも今は別の話か。ともかく、舞踊家の身体が、言語を介することなしに、音楽と照明、限られた装置と渾然一体となって、客席にいるこちらの身体に届き、そこに共振が始まるや、そこからはもう感情は揺さぶられっ放しになり、最後には陶然となって、大きな感動に包まれている自分を見出すことになるのである。その一期一会の生々しさの体験はまさに「事件」と呼ぶに如くはなく、足を運ばぬことを選んでしまうのは実に勿体ない。


 これまで、Noismの公演時間にあって、観ることが出来るにも拘わらず、それを選ばずに、その一時間強を、それに勝る豊穣な時間にする術などついぞ思いつきもしなかったので、可能な限り、公演会場を訪れることにしてきた。足を運びさえすれば、(たとえ何度目の鑑賞であったとしても、)その都度、(その一度限りの)途方もない渾身の舞台を総身で受け止める至福にあずかることが出来るからである。そして今回、幸い、埼玉もさして遠くはないのだし、全公演を観ることが出来る僥倖を有難く噛み締めている。他の選択肢などあり得ないし、別に難儀なことなど何もない。この「語り得ぬもの」を目撃する時間が私の人生にとってかけがえのないものであると確信するからである。
今、私はNoismをだきしめていたい。  (2026/06/27)

              NoismサポーターズUnofficial 下村 伸


    (初出:新潟・市民映画館 シネ・ウインド公式サイト『新着情報』(2026/06/28)

☆☆☆☆☆

(shin)

「それ」も想定内だった♪『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』新潟公演3日目(アフタートーク付き)。

先週の2公演はまだ水無月でしたが、2026年7月4日(土)、この日は月が替わって、気温も上昇した文月のりゅーとぴあ〈劇場〉で迎える『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』新潟公演3日目です。

中5日で迎えた公演3日目でしたから、「それ」はもう充分に想定内でした。そしてやはり「それ」を目にすることになりました。『私は海をだきしめていたい』のまさに冒頭部です。「それ」とは何か。お察しの早い皆さんは既にお気付きかと思います。そう、冒頭部に演出の変更があったのでした。よりスタイリッシュになった感があります。もとより、変更など、金森さんには別に珍しいことでもありませんし、中5日も挟むのなら、「絶対あるだろう」そう思っていた程です。とりあえず、明日もこの日と同じ冒頭部だろうと考えて、「新潟version2」としておきますが、もしかしたら、明日も変わることで、それぞれ「新潟3日目version」と「新潟楽日version」となることだってあるかもしれません。金森さん作品、そうした点でも一期一会なのです。

今日のブログですが、先ずは入場時にお手許に届く「Noism Supporters Information #14(June 2026)」のご紹介から始めさせて頂きます。金森さん、井関さん、そして山田勇気さんからのメッセージは必読ですので、こちらにも掲載したいと考えました。少々見にくいかもしれませんが、ピンチアウトしてご覧頂けましたら幸いです。

この日も「希望」に満ちた「身体の咆哮」はとても胸熱で、見詰める私たちの身体を熱く熱くしていってくれました。大きな感動に揺さぶられました、この日も。しかし、ネタバレは出来ませんし、そうした舞台の素晴らしさすら、ほんの「想定内」でしかありませんし、また、初日と2日目のブログにも(ネタバレなしで)それなりに書いてありますしで、今ここでこれ以上の記述はしないでおきます。否、する必要があるとは思えません。

その代わりに、ここでは、終演後に行われたNoismメンバーたちによるアフタートークについてご紹介させて頂くこととします。

この日の進行役は山田勇気さん、そして、Noism1の中尾洸太さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、坪田光さん、糸川祐希さん、太田菜月さん、松永樹志さん、春木有紗さん、Noism1凖メンバーの江川瑞菜さん、与儀直希さんが登壇されました。

広角に全員を1枚に収める画像は撮れませんでしたので、先ずは画像2枚でのご紹介です。(重なるメンバーもいます。)
【1枚目】左から、山田さん(進行)、坪田さん、糸川さん、与儀さん、すみれさん、中尾さん、春木さん。

【2枚目】左から、与儀さん、すみれさん、中尾さん、春木さん、さくらさん、松永さん、太田だん、江川さんです。

(これ以降の画像は、メモをとる傍らに撮ったものであるため、目の前にいたメンバーのものが多くなっております。ご了承ください。)

それではトークについて、掻い摘んでのご紹介です。(なお、演出に関する質問もあったようですが、この日は実際に踊った舞踊家への質問に限るかたちでの進行となりました。)

Q: 傘や帽子といった小物を持っての踊りについて
 -坪田さん:
 毎回どきどきする。傘は速く動かしたいけれど、空気の抵抗で煽られてしまう。角度が揃うようにとか、帽子は速くかぶるようにとか気を遣う。
 -糸川さん: 帽子はレディースにかぶせたり、自分でかぶったり。サイズも違うので、交換し合ったりしている。(「一番大きなサイズは自分」と坪田さん。)
 -すみれさん: 動きのなかで帽子をとったり、かぶせたりするが、目のところまでかぶせてしまうと、見えなくて踊り難そうなので少し難しい。傘もちょっとした角度で平行に見えなくなってしますし、軸をしっかり持って踊るのは大変そう。

Q: 踊っている感覚なのか、演じている感覚なのか
 -与儀さん(『春の祭典』のみ出演): 今回、曲を覚えるところから始まり、踊っている感覚だったが、今はエモーションが聞こえてくるようになり、演技の感覚もある。
 -中尾さん: 演じている感覚はそれほどない。無意識に陥り過ぎないように意識しよとしていて、表裏一体。どっちが表でどっちが裏かわからないべた~っとした状態。
 -春木さん: 自分が音楽と合わさったときに踊る感覚。演じている訳ではない。「演じている」を出すために、動いたときに出るものを積み重ねていくようにしている。

Q: 2週に跨る公演、どう過ごしてきたか
 -さくらさん:
 最初は詰めてやってきていて、気持ちを結構あげていた。その2公演の後は、客観的にどう見えているのか、冷静になれて、どうやったらスムーズにいくかなど「研究」することが出来ている。
 -松永さん: オフが2日あって、その間はしっかり忘れて休んだ。そうしないと心と頭がもたない。
 -太田さん: 2日間、何も考えずに休むことにして、趣味の映画や温泉を入れて、何とか乗り切れた。
 -江川さん(『春の祭典』のみ出演): 気持ちの持って行き方や集中の持って行き方、よい緊張感を保っていくのは難しいなと感じた。

Q: 『春の祭典』は変拍子の曲。拍で踊るのか、音で踊るのか
 -坪田さん:
 2020年のこのクリエイションが始まった頃には、全部数えていた。楽譜が用意されて、全部カウントした。今は、数えているところと、音でいこうとしているところとそれぞれがある。
 -春木さん: 今回から加わったメンバーは、結構、カラオケ的に歌えるようになっていると思う。5とか、6、7,4だったり、自分の音は歌えるようになっている。

Q: 動きや振りを他者に伝えるときに意識していることは
 -中尾さん:
 最初はあまり言語化しなくていい。言語化すると、情報を限定しがちになるので、オノマトペを使うとか、ざっくりした言い方やふわっとした言葉で伝える。

Q: 『春の祭典』は、ひとり間違えると目立ってしまうが、もし間違えたらどうするか
 -松永さん:
 間違えではないが、今日はちょっと事故ってしまい、椅子を踏み外して、「破壊」してしまった。しかし、焦ったら、次に響いてしまうので、やることに集中してやることに。それから、まわりに頼る。「折れた破片、どうしよう?」と思ったが、洸太くん(=中尾洸太さん)が走ってくるので任せた。結構、助け合いもある。
 -糸川さん: 『春の祭典』は、椅子の配置、フォーメーション、バミリも多くて大変。間違えたときには、後に引き摺らず、「今」に集中することが大事。
 -山田勇気さん(司会): 自分のなかに、「挽回しよう」だとか、いろんな自分がいる。最善にするために、自分のなかで自分とのコミュニケーションが起こっている。

Q:) 演劇と比べて、抽象度が高くて、感情が生々しく伝わってきて驚いた。とても現代的と感じたが、この先のビジョンは
 -山田勇気さん:
 踊っている立場からすると、音楽やスタイル、ジャンルは変わっても人間はそう変わっていないので、ずっと同じことが繰り返されている。生身の人間がそこにいることを感じさせる舞踊の価値そのものは変わらない。

Q: 『春の祭典』は当初、オーケストラが踊り出したらという設定でクリエイションされた。それぞれどんな楽器が割り当てられているのか
 -山田勇気さん:フレンチホルン、 坪田さん:ティンパニー、 糸川さん:オーボエ、 
与儀さん:ビオラ・トランペット、 すみれさん:クラリネットほか、 中尾さん:フルート・アルト、 春木さん:ファゴット・ヴァイオリン・ピッコロ、 さくらさん:ヴァイオリン他、 松永さん:ホルン、 太田さん:ファゴット・ヴァイオリン、 江川さん:フルート 

Q: 表現するとき、どんなことを意識しているか
 -坪田さん:
 このような舞台では全身が見えるので、全てをどう見せるか。
 -糸川さん: 舞台で存在していくのにエネルギーを回して、立っているだけで魅了出来るように。そして、外の環境や空気を動かすこと。
 -与儀さん: 身体の外、空間を意識している。そして目の使い方。あと、「次のこと」は考えないようにしている。
 -すみれさん: 目は大事。あと、外から見られている意識。
 -中尾さん: みんなの答えに加えて、どこから照明が当たっていて、どこにどう影ができているかなども表現に含まれる。
 -春木さん: 空気全部を動かすこと、自分のなかを満たすこと。
 -さくらさん: 表現が小さくなってしまわないこと。想像して、どういう表現が出来るか考える。
 -松永さん: 身体の前から出るエネルギーだけではなく、後ろから出るエネルギーも。
 -太田さん: 客観視すること。燃やし切ること。
 -江川さん: 全身。ふとしたときに抜ける瞬間のないよう心に留めている。


…と大体、そんなところでしたでしょうか。 (~17:20)

「ホーム」新潟では、4公演のうち、気付けば明日、楽日の1公演を残すのみとなりました。もう寂しさがひしひしと。ですから、その部分の癒しにでもなればと思い、終演後に撮らせて頂いた素敵な画像を一枚を投下致します。ど~ん♪


どうです。太田さん(左)と春木さんの素敵過ぎる笑顔画像に、もうキュン死寸前です、私。このおふたりを含めて、舞踊家の全員の「希望」に満ちた「身体の咆哮」に共振するべく、明日の舞台も是非!見逃しはなりませんよ!
果たして金森さんはまた変えてくるのか、それも見どころとしてありますね。また明日、新潟公演楽日の劇場でお会いしましょう♪

(shin)

「纏うNoism」#12:松永樹志さん

メール取材日:2026/05/23(Sat.)&07/02(Thurs.)

Noism夏公演の『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』、その新潟公演の1週目と2種目の間、かな~りお忙しい筈なのに、それでも律儀にメール取材に応じて頂いたのは「ザ・男前」松永樹志さん。気持ちの切り替えが上手いんですね。それ、実に羨ましいです。ですからこのタイミングでもお届け出来ちゃうんです、「纏うNoism」第12回、松永樹志さんの回。どうぞお楽しみください。

「おしゃれのポイントは服自体よりもむしろ、着こなし方にある」(オノレ・ド・バルザック)

それでは「纏う」松永樹志さん、はじまりです。

纏う1: 稽古着の松永さん

 *おおっとぉ、意表を突くご登場ですねぇ。画像の上下はこれでよかったのですよね。これは寝ているのでしょうか。はたまたなにか瞑想中とか。どちらにせよ、稽古の合間とお見受けしましたが、この日の稽古着のポイントを教えてください。

 松永さん「稽古着は、リハーサル中に自分の気が服に散らないよう、なるべく黒でシンプルなものをいつも選んでいます」

 *なるほど、黒でシンプル。着る物は気持ちに影響与えますからね。黒がお好みなのかと思いますが、なかでも「コレは特別♪」っていう位置付けの黒の稽古着ってありますか。特に気合を入れるときなどに着るものとか。

 松永さん「Noism20 周年のTシャツですね!」

 *あ、私たちと同じ感覚! わかります。あの黒Tシャツにはパワーを貰えますよね。確かに特別です。画像に戻りますが、上がTシャツ、下はフルレングスのようですが、やはりその組み合わせが基本でしょうか。

 松永さん「この組み合わせが基本です。動きやすさが理由です」

 *そうなのですね。あと、「黒」と言えば、金森さんが「ユニフォームが出来た」と喜ばれていた「ニュートラルワークス」もそうですが、あれはどんなときに着るのですか。また、「今日は着るように」と言われる日はありますか。

 松永さん「本番前に身体を冷やさないようにするために着たりします。集合写真を撮るときは着るように指定があったりします」

 *「ユニフォーム」ですものね。で、次は皆さんにお訊きしている「お約束」の質問になるのですが、お好みの靴下などありますか。お気に入りポイントも教えてください。

 松永さん「こだわりはありませんが、いつもUNIQLOのものです。本番で用意される靴下がUNIQLOのものなので、普段から同じものを履けることが良い点です」

 *ユニクロのソックスを好まれていたのは、坪田光さん、樋浦瞳さん、糸川佑希さんがそうでしたね。ところで、お訊きしたくてたまらなくなっちゃったことがあって。衣裳とは直接関係ない質問にはなるのですが、稽古着画像でのポーズ(?)はもしかすると、何かウォーミングアップのルーティーンのようなものですか。ジグソーパズルのピースのようにさえ見えますけれど。また、Noismの皆さんのなかで、松永さんは身体は柔らかい方ですか。

 松永さん「休憩中に爆睡していたときで、ストレッチしていたわけではありません(笑)。体の柔らかさは中の中だと思います(笑)」

 *あっ、寝てたんだ、やっぱり。あの姿勢で。で、軟体レベル的には「中の中」と。それ、どセンターじゃないですか(笑)。なるほど、わかりました。
一度そう見えちゃうと、そこから先、もうどうやってもジグソーパズル感満載に映りますけれど、でも、どんな格好でも絵になりますね。

纏う2: 松永さん思い出の舞台衣裳

 *これまでの舞踊人生で大事にしている衣裳と舞台の思い出を教えてください。

 松永さん「4年ほど前、コンクールに出場した時の衣裳です。これは、もともとあった上下白の衣裳に、自分で黒やグレーの絵の具を撒き散らして製作しました。Noismに入団する前、最後に参加したコンクールでした」

 *モノクロの画像なのですが、黒やグレーが撒き散らされたモノトーンの衣裳だったのですね。

 松永さん「はい、モノトーンの衣裳でした」

 *その衣裳を仕上げるにあたって、どんなことを考えて作られたのでしょうか。衣裳作りはご自分で行うのですか。ご自分では得意な方とお考えでしょうか。

 松永さん「ボロボロのような、汚れているような感じでつくりました。普段は衣裳の方に作ってもらうのですが、その時は時間がなく、自分で急遽仕上げました。美術の成績は学年1位2位を争う感じだったので笑、こういうことは得意な方だと思います」

 *そうなのですね。凄い、凄い。で、その衣裳を纏って、どんな曲で、どんなダンスを踊ったのでしょうか。

 松永さん「ピアノとストリングスがメインのスローテンポな曲で、暗闇の中から這い上がって一筋の光を掴むといったようなテーマで踊りました」

 *ああ、はい、そんな感じ。見えます、そんな感じに。そのコンクールについて、よろしければ、もう少し教えて頂けますか。

 松永さん「埼玉全国舞踊コンクールというコンクールに出場しました。入賞は出来ずでした(笑)」

 *それは残念。いい雰囲気の魅力的な画像なだけに…。

纏う3: 松永さんにとって印象深いNoismの衣裳

 *Noismの公演で最も印象に残っている衣裳とその舞台の思い出を教えてください。

 松永さん「『セレネ、あるいは黄昏の歌』です。この作品は、初めてNoism0・Noism1のメンバーと参加した作品でした。衣裳は一人ひとりデザインが違っており、自分のデザインもお気に入りでしたが、すみれさん(=庄島すみれさん)のフワフワしたトップスが印象的で、暇があればみんなが触っていたのを覚えています(笑)」

 *すみれさんの「ふわふわしたトップス」、剝ぎ取られてしまうアレですよね。実際、松永さんも触ってみましたか。どんな印象?肌ざわり?ふわふわ感?でしたか。そのあたり教えてください。

 松永さん「触った感触は羽毛のような感触でした。ずっと触っていたいくらいだったのですが、手に毛がつくので程々にしておきました」

 *程々! 理性が欲望に勝ったのですね(笑)。

 *Noism Web Site へのリンクを貼ります。
『セレネ、あるいは黄昏の歌』、2024年5月、前沢ガーデンでの画像翌6月、20周年記念公演「Amomentof」のときの画像をどうぞ。

 *『セレネ、あるいは黄昏の歌』。衣裳だけ見ていると、みんな妖精っぽい雰囲気です。松永さんの衣裳は着丈の短い半袖に、下はフルレングスで、それぞれ袖口も足元もすぼまっていて、かなり手がこんだものですよね。最初、それが自分の衣裳だと知ったときの第一印象はどんなものでしたか。また、ご自分の衣裳のお気に入りポイントはどこですか。

 松永さん「最初はヒカルくん(=坪田光さん)が着ていた衣裳が自分の衣裳だったのですが、全体のバランスなどをみて交換になりました。第一印象は、交換した後の実際に着た衣裳の方が自分に似合っているような気がして、お気に入りでした。クロップド丈のジャケットがお気に入りでした」

 *おお、それは、それは。交換後のものが気に入って良かったです。

纏う4: 普段着の松永さん 

 *こ、これはっ! キラースマイルといい、もうキュンキュンくるやつやないかい。

 松永さん「ありがとうございます(照)」

 *さりげなくも、爽やかさが前面に出てきて、しっかりお洒落ですね。この日のポイントと普段着のこだわりを教えてください。

 松永さん「この季節は基本的にワイドめのデニムにタンクトップをインして、シャツを羽織るスタイルが多いです。足が太いので個人的にスリムなパンツはNGです(笑)」

 *お好みのデニム、ブランドなども教えて貰えますか。加えて、タンクトップやシャツのお好みやこだわりなどについてもお願いします。

 松永さん「ブランドにこだわりはないのですが、デニムはある程度ダボっとしているものを選んで、シャツはクロップド丈のものを選ぶことが多いです。タンクトップはUネックで、ネックレスをポイントにつけることが多いです」

 *はい、普段着でもクロップド丈! そうなんですね。 もうひとつお訊きします。身に着けておられるベルトも印象的なバックルをしつつ、全体を引き締めていてお洒落です。この日使っているベルトについても(ブランドやお気に入りポイント等々)教えてください。また、ベルトは何本くらいお持ちなのですか。どんな色目のものがお好みですか。

 松永さん「ベルトのブランドは忘れてしまいましたが、バックルがゴールドなところがお気に入りです。2種類を使い回しており、もう一つはシンプルな細めのブラックのベルトを使っています」

 *ここまでを通して感じたのは、安易にブランドで選んだりせずに、自分が似合う「好き」を見つけてくることが上手いこと。そのへんにも「男前」な割り切り方が感じられますし、何より、そうした姿勢がホントお洒落です。
松永さん、どうも有難うございました。

松永さんからもサポーターズの皆さまにメッセージをお預かりしています。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつも応援ありがとうございます!
いつ皆さんにバッタリお会いしても良いように、普段からオシャレするよう心掛けます(笑)!」

やめてください、松永さん。キュン死しちゃいますから(笑)。でも、りゅーとぴあ界隈では偶然にお見かけすることもちょっぴり期待しつつ、きょろきょろすることになりそうです。てか、なります。楽しみです。
そして、週末の2公演、その後の埼玉での2公演も楽しみなのは言うまでもありません。頑張ってください。応援しています。お忙しいなか、本当に有難うございました。

これまで、当ブログでご紹介してきた松永さんの他の記事も併せてご覧ください。

 「私がダンスを始めた頃」#25(松永樹志さん)
 「ランチのNoism」#25(松永樹志さん)

今回の「纏うNoism」松永樹志さんの回、いかがでしたでしょうか。では、次回もどうぞお楽しみに♪

(shin)

『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』新潟公演2日目(アフタートーク付き)レポート(2026/06/28)

2026年6月28日(日)、気温もあがり、蒸し暑かった新潟。しかし、それに負けず劣らず熱かったのは、りゅーとぴあ〈劇場〉のNoism界隈ではなかったでしょうか。

前日、公演初日のブログを書いてくださった久志田渉さんが、「詳細」を伏せつつも、なるべく早い入場を勧めていたこと、(その「詳細」も既に各種SNSにて広く知られた感がありますが、ここではまだ頑なに伏せつつ進めさせて頂きます(笑)。ご了承ください。)それに関連して、開演前のホワイエは普段の光景とは様相を異にし、その熱気は弥増すばかりでした。さすがの金森さんとはいえ、『ヴェクサシオン』の旋律を840回繰り返し、一曲通しで流すことこそしませんが、そのピアノのリフレインのなか、ルネ・マグリットっぽいシュールさを演出してくれています、とだけ。で、敢えて、私も繰り返します。「詳細」は伏せますが(笑)、今公演はなるべく早く入場された方がよろしいかと。

そんなシュールさから横滑りするかのように、公演2日目の幕が上がりました。官能の『私は海をだきしめていたい』、戦慄の改訂版『春の祭典』、どちらにも渾身の実演を見せつけられ、由って来たるところこそ違えど、心拍数が増加して、耳たぶは熱くなり、ドクンドクンという音が聞こえてくるといった同種の身体反応が生じたのでした。この日のカーテンコールも拍手は鳴りやまず、「ブラボー!」の掛け声が飛び交うなか、幾度も繰り返されることになりました。

ここからは、この日の終演後に開催されたアフタートークについての掻い摘んでのご報告とさせて頂きます。登壇者は、Noism芸術総監督の金森さんと国際活動部門芸術監督の井関さんです。(16:40~17:23)

(なお、このあと、月が変わると、新潟・埼玉併せて4公演が控えている事情から、作品の内容や構成に深く関わり、ネタバレに繋がるものは、今この場ではご紹介いたしませんので、その点、ご了承ください。そうしたやりとりにつきましては、全6公演終了後に「補遺」というかたちでご紹介させて頂くつもりでおります。暫くお待ちください。)

Q: どうしてそんなに踊れる身体でいられるのか?
 -井関さん:
 日々のことをただただやっていたらここまで来た。やればやるほど面白味が出てきた。踊れる幸せを感じる。この先の次元が楽しみ。長くやっていればこそ、見出せる領域がある。ふたりとも負けず嫌いなので、一生懸命ストレッチはしている。

Q: 身体で表現するときに大切にしていることは?
 -井関さん:
 色々あるので難しいけれど…(暫し熟考したのち、)呼吸ですかね。身体の隅々まで呼吸が行き渡るようにすると、身体を感じることが出来る。
 -金森さん: 呼吸のコントロールが一番難しい。
 -井関さん: 呼吸が乱れていると、「酔っているな」と反省する。

Q: パイプオルガンと共演するのはいつか?
 -Noismスタッフ・上杉さん: 来年3月13日になる。

Q: 『私は海をだきしめていたい』をピアノの構成にしたのは何故か?
 ー金森さん:
 小説を読んだ際、ある種のシンプリシティ(単純さ・素朴さ)を感じた。そしてサティの精神を最も反映するのはピアノだろうと。ここまでピアノだけで作品を創ったことはなかった。

Q: 『春の祭典』創作におけるインスピレーションについて。
 -金森さん:
 これまで学んだこと、気付いたことが出てくるのであって、ことさら、何かを入れようというようなことではない。

Q: 昨日と今日、前方席と後方席で観て、見え方が異なった。お勧めの席はあるか?
 -金森さん:
 前で1回、後ろで1回、右で1回、左で1回(笑)。プロセニアム・アーチのなか、見え方は異なる。一期一会でもあるし、見え方が異なるのは劇場文化の豊かさ。

Q: 印象的だった椅子や装置、衣裳など、どのくらいの段階で決めるのか?
 -金森さん:
 1年くらい前、遅くとも半年前には決める。プロダクションが大きくなると2年前とかも。自分の場合、丸投げはしない。椅子についても、(須長檀さんと)「割れたら血が出ている」「五線譜はどうか」などイメージのやりとりを重ねていった。

Q: 最前列から見ても「バミリ」は見えないが、どうやっているのか?
 -井関さん:
 星の数ほどある。彼(金森さん)の場合、曖昧さは存在しないから。『春の祭典』初演時はリノリウムにペイントをしていたので、バミリは大変で、大きいものだった。今回の改訂版では黒いリノリウムなので、割とバミリは見えやすいのだが、脚光がつくと見えなくなって本当に大変になる。

Q: この度の改訂版『春の祭典』には戦争への恐怖を感じる。意図してのものか?
 -金森さん:
 その都度、手を入れているが、今回は凄惨なイメージにした。それには、この時代の危機感が反映している。しかし、虚構のなかで凄惨さを伝えることのなかには、そこに現実は異なることへの祈りや願いがある。

Q: 黒部の前沢ガーデン屋外ステージとここりゅーとぴあ〈劇場〉は大きく異なる舞台だがどう考えているか?(黒部・前沢ガーデンのガーデンマスターからの質問)
 -金森さん:
 空間によって身体は規定される。その空間をどう活かすか。屋外ステージに比べて、自由があるように見えるかもしれないが、制約はある。照明効果で色々なことを表現している。(黒部では、勿論、天井からの照明は釣れないが。)

Q: 今回の作品では、男性と女性、はっきり分かれる演出が見られた。演者それぞれを分けて振付を行っているのか。
 -金森さん:
 あくまでも目の前の舞踊家に振り付けている。その舞踊家からインスピレーションを受けて振り付けている。

Q: 井関さんは男性の身体がいいなと思ったことはあるか?筋肉量は多い方がよいのか?
 -井関さん:
 20代前半には男性みたいに踊りたいと言っていた。表面的な筋肉量は関係ないが、力はあった方がよい。金森さんは筋肉を使う前に、骨が動く。お腹のセンターの力が凄くて、安心感がある。振り回されても大丈夫だなと。しかし、(若い人となら、自分のコントロール内で踊れるが、)これだけ力のある人(金森さん)と踊ると疲れる。それは、自分の「範疇」の外に出されてしまうからで、結構シンドイ。見た目で言えば、筋肉がある方が良いですよね(笑)。
 -金森さん: 性差を超えたところに、表現し得る何かがある。なんとも言えない感じで、究極の贅沢かと思う。若い頃にいたベジャールさんのところには魅力的な男性が多くいて、そのあたりの感受性が強くなった。

Q: 『私は海をだきしめていたい』には鏡面的なものを感じる。どのようにインスピレーションが湧くのか?
 -金森さん:
 小説が持っているものよりも、作家に興味がある。何故こういうものを書いたのか。一人の人間が自他を描く。安吾も自分の内なる女性を描いたということ。鏡面性がある。サティの「繰り返し」に見られる偏執的な精神性に安吾が惹かれた。安吾が書いた同名の短編小説は7部立て、そこからのインスピレーションで、サティの7曲で構成することにした。

…と、(ネタバレに繋がりそうなものは一旦除外して、)大体そんなところでしたでしょうか。頑張ってはみましたけれど、寄る年波もあって、聴きながらのメモもきちんととれなかったりしましたし、これくらいでご容赦願います。m(_ _)m

ご紹介することになる最後の言葉はこのところ金森さんからよく聞くようになったものです。

金森さん: 「ちょっとわからないところがあったなぁ。」そう思ったら、繰り返し観て欲しい。2度観るとわかると言われます。

私もまだまだわかりたいので、来週末もまた観に来ます。是非、皆さまも。
では、これを以ってこの日のブログの締め括りと致します。また今週末に。

(shin)

金森穣、Noismメンバーの献身と反骨に滂沱(『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日)(サポーター 公演感想)

2026年6月27日(土)、ついにNoism0・Noism1『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』が初日を迎えた。金森穣Noism芸術総監督に、「安吾の会」世話人代表、シネ・ウインド代表・齋藤正行が「坂口安吾作品を舞踊化してほしい」と伝えてから長い時が過ぎたが、ついに結実する日を迎えた。

シネ・ウインドや安吾の会メンバーはNoismを長きに渡って応援してきたが、金森穣さんの「退任」、安吾作品の舞踊化とあって、これまで以上に公演の盛り上げに奔走した。寄付を募っての新潟日報紙での「坂口安吾生誕祭120」と『私は海をだきしめていたい』をPRする一面広告掲載(4月24日)、シネ・ウインドでの『私は海をだきしめていたい』特大ポスター掲示や、『ジョン・クランコ バレエの革命児』上映(5月16日〜6月5日)などなど、今回の公演がひとりでも多くの方に届くよう、心を込めて広報を展開した。

そして公演初日に併せて、本日10時からは安吾のご子息・坂口綱男さんの案内による、恒例の安吾の生地・西大畑界隈の街歩きを開催。関東から参加された2名を含む5名の参加者が集まった。今回から街歩きの集合場所が「ゆいぽーと」(旧二葉中学校)に変わったこともあり、綱男さんはまず日本海の風景を見るルートを取った。好天に恵まれ、青く透き通るようだった海もまた、安吾原作の舞踊の誕生を寿ぐように思えたのは、私の牽強付会だろうか。今回の街歩き参加者全員が、Noism鑑賞を予定していたことも嬉しいことであった。


今日のりゅーとぴあでは、Noismに加えて「新潟A・フィルハーモニック第5回定期演奏会」にて「〜坂口安吾生誕120年に捧ぐ〜ジムノペディ ドビュッシー版 第1番」としてエリック・サティの楽曲が演奏された為、両会場で安吾関連書籍の販売も実施。学芸員・岩田多佳子さんによる新刊『新潟県人物小伝 坂口安吾』(新潟日報メディアネット刊)を、多くの方に手にしていただけた。


そして16時半、Noism公演の開場を迎えた。私は書籍販売の為、既に劇場ロビーに入っていたが、開場直前になって『私は海をだきしめていたい』の冒頭で使用されるサティの楽曲が場内に流れ始めた為、「おや? こんなことは今まで無かったぞ」と違和感を覚えた。その答えは間もなく明かされたのだが、今は詳述を控える。ただし、明日以降の公演に出掛ける方はなるべく早めに劇場ロビーへ進んでいただきたい。私は「客席が安全ではない、舞台を他人事に思わせない」Noismを始めとする舞台芸術に心惹かれて来たが、この驚きに満ちた開演間際までの時間は、「客席」と「舞台」、「劇場」と「ロビー」の境界を突破するようであり、金森穣さんの並々ならぬ気合とアバンギャルドさに、「安吾的だよ!」と興奮を抑えられなかった。

そして始まった『私は海をだきしめていたい』初演。詳述は控えるものの、シンプルに研ぎ澄まされた照明の元、安吾描くところの男女の「遊び」をサティの調べに載せて、いつまでもこの時間が続くことを願うような舞踊作品に昇華した金森さんの演出と、躍進著しいNoismメンバーが見せる静謐でいて激しく、艶めかしくも透き通るような舞踊にため息さえ漏れた。初期Noism作品に濃厚だったエロスが、時を経て「性愛」を俯瞰するような成熟を見せたように思う。メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、今回は特に庄島すみれ・さくら姉妹、太田菜月さん、春木有紗さんの身体表現が安吾描く観念的な「女」に、熱い血肉を与えたこと、その美しさに魂を奪われるようであったことを特筆したい。

公演後、坂口綱男さんに感想を尋ねたところ、「とっても良かった!」とサティの楽曲と安吾の作品精神がピッタリ噛み合った舞台を絶賛されていた。
そして、黒部シアターでも鑑賞した改訂版『春の祭典』もまた、舞台版として更なる高みに到達していた。相互監視や全体主義と、自由を確立しようとする者との相克を私は本作に感じてしまうが、井関佐和子さんと太田菜月さんのある「相克」を描く場面からは涙が溢れ出し、音と身体表現を全身で浴びる喜び、Noismが新潟にあることの僥倖を思い、恍惚にも似たところへ運ばれた。

その後、幾度も繰り返されたカーテンコールの熱さ・温かさには、これまでのNoismのどの公演とも違うものがあったように思う。舞台の為に献身し、圧倒的な芸術を届けることで、カンパニーが追い込まれた苦境を突き破るような、素晴らしき「反骨」。その結実と、豊かな未来を確信させられるようで、いつしか舞台上のメンバーと客席には涙だけでなく、笑顔さえ拡がったのだ。

不可逆の時間の中で、舞台の一瞬にかけるNoismの営為が、坂口安吾が生を受けた新潟の地でまた新しい到達を見せたことを、心から祝したい。

久志田 渉(「月刊ウインド」編集部、安吾の会事務局長)

こちらも必読!ウェブ「dancedition」掲載の「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方(2)」

2026年6月22日(月)、ウェブの「dancedition」に2回目となる金森さんと井関さんへの標記インタビュー記事が掲載されました。

同サイトに最初のインタビュー記事が掲載されたのは、2026年4月7日。金森さんが芸術監督の更新を固辞する理由4つが理路整然と紹介されており、掲載のタイミングとしては、芸術監督の継続問題が、世間的には(!)未だ幾分か流動的な部分もあるのでは、そう思われていた時分でした。

その際の当ブログ記事へはこちらからどうぞ。

それからちょうど2ヶ月半を経て、2回目のインタビュー記事が掲載されたのでした。次のリンクからお進みください。

「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方(2)」

(リード部分に、「署名活動が起こり」とありますが、今回は行っていないことを書き添えておきます。)

金森さんは6月9日の「X」で、「…しかしこれ以上事象の時系列やその時抱いた感情を語り(た)くない。これ以上痛みを追体験したくはない。未来を見つめたい」とポストされていましたが、この度の長いインタビュー記事の前半部分、おふたりをはじめ、Noismのメンバー及びスタッフが否応なしに直面させられてきた、非人間的な所業の繰り返しには、「怒髪天を衝く」ほどの強い憤りを禁じ得ないものがあります。それはまさに痛み以外の何物でもなく、読んでいるだけでも激しい動悸に襲われるほどです。

しかし、後半は「未来を見つめたい」とする気持ちが溢れていて、読んでいるこちら側の方が勇気付けられる気がします。金森さんも井関さんも凄いわ、と。勿論、メンバーも。

来年夏、2027年8月まで、公共劇場専属舞踊団としてのNoismの活動は続きます。私たちはその最後の最後の瞬間まで、まさか財団が次期芸術監督選任にまつわる業務を理由にNoismに対しておざなりな対応などしないよう、充分に目を光らせている必要があると言えるでしょう。そして、「レガシー」を引き継ぐとした言葉をしっかりと現実のものにさせていかなければならないと思うものです。決して、いっときのリップサービスにさせてなるものか、そう思っています。事業としての検証及び説明責任をしっかりと果たすことを求めるものです。

先を急ぎ過ぎました。先ずは今週末に迫った『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』を刮目しましょう。素晴らしい舞踊を目撃することは間違いありません。それは即ち、財団がどれだけ大きな「レガシー」を担うことになるのか、事の重大さがはっきりすることを意味する筈です。

そして、それはまた私たち全員に言えることでもあります。先日、当ブログに再掲載した『新潟はシュツットガルトになるか?』のなかの一文「新潟が、りゅーとぴあがNoismを失くしてしまうというのはどういうことなのか」は私たち全員に向けられた問いなのですから。

「公共劇場専属舞踊団」Noism Company Niigata、これまでにも増して見逃し厳禁ですよ♪

(shin)