なんと!Noism×鼓童「鬼」がまだ楽しめる!

皆さま、NHKの衛星放送(NHK BSP4K及びNHK BS)「プレミアムシアター」にて金森穣×東京バレエ団『かぐや姫』をご覧になった(または、録画された)ことかと思いますが、本日(2024/01/29)18時より、YouTubeにて、先日、大喝采のうちに幕を下ろしたばかりのNoism×鼓童「鬼」の2作品(『鬼』と『お菊の結婚』)が配信されるとのことです!そうです、まだ楽しめる!嬉しい!サイコー!パチパチパチパチ!

Noism公式による情報です。こちらからお確かめください。

間違いないですよね?夢みたいですけれど、夢じゃないですよね?

公開中の映像舞踊『BOLERO 2020』改訂版、『Near Far Here』(一部無音)と併せて、なんと太っ腹なことか!『お菊の結婚』は著作権の関係から全編無音であるにしろ、嬉しいじゃあ~りませんか、ですよね。

次回の「プレミアムシアター」では山田うんさんとの「境界」もアンコール放送されますし、この冬の「金森穣祭り」、まだまだ盛り上がっていきます♪

【追記】以下にYouTubeへのリンクを貼っておきますので、どうぞご利用ください。
Noism×鼓童『鬼』(38’08″)
Noism0+Noism1『お菊の結婚』(26’17″)

更にこちらのリンクもどうぞ♪
映像舞踊『BOLERO 2020』改訂版(15’45″)
Noism0『Near Far Here』(29’03″)

(shin)

「ムジチーレンの悦び」に浸った祝祭感たっぷりの大晦日:りゅーとぴあジルベスターコンサート2023

2023年最後の一日は、雨降る新潟。雪ではなく。その天気だけでも所謂「普通」ではありませんでしたが、その午後のりゅーとぴあコンサートホールに流れた2時間半の時間は、そこに居合わせた誰もが「普通」ではいられないほどの濃密な時間でした。エモーショナルな熱演に次ぐ熱演。舞台上の渾身が、「ムジチーレン(音楽する)の悦び」が、客席に伝わり、客席と共鳴して、ホール全体が尋常ではないほどの祝祭空間へと変容していった、そうとした言い表せないような圧倒的な時間で、この日の観客は決してこの日の舞台を忘れることはないだろう、容易にそう確信できました。そんなところを以下に少しご紹介していこうと思います。

この日が最後の営業となる6F旬彩・柳葉亭にて2023ジルベスターコンサート限定甘味セットなどを頂いてから、14:30、入場時間。客席に進むと、暫くして、煌めく緋色ドレスに身を包んだ石丸由佳さんによるパイプオルガンのウェルカム演奏が始まりました。最初の2音で、20世紀を代表する「巨大不明生物」ゴジラの音楽だとわかります。『シン・ゴジラ』好きの身としては一気に気分がアゲアゲ状態になっただけでなく、更にニヤリとしました。どういうことかと言えば、伊福部昭作曲によるこの音楽の動機部分は彼が敬愛して止まなかったラヴェルのピアノ協奏曲、その第3楽章にほぼ似たメロディを聴くことができるのですから。というのも、この日の私の一番のお目当ては勿論、プログラムの最後、Noism Company Niigataが踊るラヴェルの『ボレロ』でしたから、「見事に円環が閉じられることになるなぁ。この選曲、やってくれるなぁ」という訳です。

そして始まったこの日のコンサート。「ラフマニノフ生誕150年&20世紀最高の作曲家たち」というテーマに基づく音楽を原田慶太楼さん指揮・東京交響楽団が聴かせてくれました。(司会はフリー・アナウンサーの佐藤智佳子さん。)

最初の曲はバーンスタインの『ウエストサイド物語セレクション』。指揮者の原田さんが当初はダンスと歌に打たれて、音楽を志すきっかけとなったのが、バーンスタインの音楽が流れる同映画を観たことだったそうです。指揮台の上でステップを踏み、踊るかのようにタクトを振る身体の躍動とそれに呼応して奏でられる東響のダイナミックかつ色合い豊かな音。両者の持ち味をたっぷり示して余りある一曲目と言えました。

そしてこの日最大の驚きがやってきます。ソリストに亀井聖矢さん(弱冠22歳!)を迎えて演奏されたラフマニノフのピアノ協奏曲第2番です。最前列で聴いていましたから、冒頭の途切れ途切れのピアノの音の間には、その都度、深く呼吸する音まで聞こえてきました。それだけでもう既に相当エモい導入に感じたのですが、それなどまだまだほんの序の口。目をカッと見開いて鍵盤を見詰めたかと思えば、顔を上方に向けて目を瞑ってたっぷり思いを込めたり。身体を揺らしながらの演奏は、幾度も椅子から腰を浮かせ、時折、左足の靴で床をバンッと蹴っては勢いを加速させたり。ラフマニノフの音楽に全身全霊で没入し、その果てにラフマニノフが憑依したかのようなピアニストの身体がそこにありました。完璧なテクニックから放たれるリリカルさ具合は言うに及びません。そこに火が出るような熱さが加わります。その変幻自在な音の奔流に、聴く者の魂はこれでもかと揺さぶられ続け、遂にはラフマニノフの音楽の真髄との邂逅を果たすに至らしめられた、そんな風に思えます。まさに驚異の演奏でした。指揮者の原田さんによれば、前日の練習を終えた亀井さんはもう少し落ち着いて弾こうと言っていたのだそうですが、この日の演奏はその対極。亀井さんによれば、原田さんが「煽って仕掛けてきた」のだとか。いずれにせよ、一期一会の熱演を堪能しました。スタンディングオベーションも頷けようというものです。
*この日の演奏、最後の部分は亀井さんご本人のX(旧twitter)アカウントでご覧頂けますので、こちらから渾身の熱演の一端に触れてみてください。

休憩中にも石丸由佳さんによるパイプオルガン演奏があり、とてもスペシャルな感じがしました。演奏されたのはラインベルガーにのオルガン・ソナタ第11番の第2楽章「カンティナーレ」とのこと。初めて聴く曲でしたが、会場に優雅な雰囲気を添えていました。

休憩後の第2部はりゅーとぴあ委嘱作品という吉松隆の『ファンファーレ2001』から。原田さんによれば、第九のように毎年聴けるものではなく、今回が「4年に1度」の機会だったとか。また、「プログレッシよるロック好き」の吉松さんらしい曲とも。(その方面、私は明るくないため、よくわかりませんが、)冒頭から打楽器の存在感が耳に届く曲で、盛り上がっていく際の色彩感と高揚感は堪りません。
そしてハチャトリアンの『剣の舞』へ。個人的には、これまでこの曲を面白いと感じたことはなかったのですが、この日は原田さんが突っ込んでは引き出したテクスチュアの多彩さが耳に新鮮に響き、初めて惹き込まれて聞き入りました。

次いで、ヴァイオリンの服部百音さんが加わった2曲も聞きものでした。まずは「これまで弾くのを避けてきて、初めて弾いた」(服部さん)というエルガー『愛の挨拶』。繊細かつ迫力ある弦の響きで奏でていていきながら、最後、「別れの挨拶」(服部さん)として、弾きながら舞台袖に消えていってしまうお茶目な服部さん。呆気にとられて見送る原田さん。打ち合わせになかったドッキリをかます服部さんに、ふたりの関係性が窺い知れるようで、微笑ましかったです。
続く、ラヴェルの演奏会用狂詩曲『ツィガーヌ』。病気を克服して筋肉もついてきて再び演奏活動に戻ってこられたとのこと。まさに入魂の演奏で、全身に漲る気魄が弓を介して弦に伝わり、鬼気迫る熱演を聴かせてくれました。そんなふうに、切れそうなほどに張り詰めた空気感を作り出して流れた音楽。その最後の一音を、顎をぶつけて奏でているかに見えるほど、全身の勢いを込めて弾いた服部さんの姿にアッと声が出そうでした。

そしていよいよクライマックスは金森さんの新振付でNoismが踊るラヴェルの『ボレロ』です。この新振付版は金森さんによれば、修道僧たちのなかに、ひとりの女性の踊り手が交じり、性的かつ生的なものが伝播していく筋立てとのこと。女性は井関さん(ベージュの衣裳)。冒頭、井関さんを円状に囲む修道僧8人は、両脇に中尾洸太さんと糸川祐希さん。最奥に三好綾音さんと杉野可林さん。最前に坪田光さんと樋浦瞳さん。その後ろに庄島さくらさんと庄島すみれさん(いずれも黒の衣裳)、といった布陣だったでしょうか。衣裳は恐らく『セレネ、あるいはマレビトの歌』のときのものと思われ、ということは、故・堂本教子さんの手になるものです。
上に触れた筋立てからもわかることですが、今回披露された新振付による『Bolero』は以前の映像舞踊『BOLERO 2020』とは全くの別物・別作品です。中心に女性がいて、その周囲を円状に囲まれて始まる様子は金森さんの師・ベジャール振付版に似ていますし、途中、ベジャールからの引用と思しき振付も登場するなど、オマージュと継承とを見て取ることができます。その意味では映像舞踊のときとは比べ物にならないくらい、ベジャールを想起させられる要素は大きいと言えます。しかし、この作品での影響力の伝播の方向は、中心の井関さんから8人に向かうのであって、その点では真逆と言ってもいいくらいでしょう。これまでの金森さん作品の持ち味に溢れた新『Bolero』(「シン・ボレロ」?)な訳です。
この夕の『ボレロ』、Noismが踊っているため、もう目は演奏するオーケストラにはいきませんでした。オーケストラの様子だって見たいことは見たいのですが、仕方ありません。但し、踊るNoismメンバー一人ひとりの生き生きした表情にも原田さん+東響と同質の「ムジチーレンの悦び」が溢れていたことは間違いありません。(敢えて言う必要もないかと思われますが、それはこの日のソリスト亀井さんと服部さんにも共通して見出せた要素です。)
おっと、金森さんの新『Bolero』に関しては、今ここではこれ以上は書かずにおきます。終演後に偶然お会いした山田勇気さんによれば、今のところ具体的な再演の予定はないとのことでしたが、必ずその日が訪れると信じていますから。私もその時を楽しみに待ちますし、この日はご覧になられなかった方々もそこは変わらない筈でしょうし。

ラストは東響によるアンコール、エルガー『威風堂々』でしたが、これがまた華やかで、その後、会場内の数ヶ所から一斉に放たれた赤とオレンジのテープの吹雪がこの日の祝祭感を大いに増幅してコンサートの最後を締め括ってくれました。

こちらの画像、クラウドファンディングのお知らせメールからの転載です。

この大晦日のジルベスターコンサートについてはそんなところをもって報告とさせて頂きますが、折から同日、クラウドファンディングも目標額に達したとのことで、その点でも嬉しい大晦日となりました。
そして、これを書いているのは、紅白歌合戦を見終えて、年も改まった2024年の元日です。皆さま、明けましておめでとうございます。是非、一緒にNoism Company Niigataの20周年をお祝いしつつ、応援して参りましょう。 今年も宜しくお願い致します。

(shin)

「柳都会」Vol.27 栗川治×山田勇気(2023/7/23)を聴いてきました♪

2023年7月23日(日)、暑い日が続く文月下旬、日曜日の夕方、スタジオBを会場にNoism地域活動部門芸術監督・山田勇気さんが初めてホストを務めるかたちで開催された「柳都会」vol.27を聴いてきました。

山田さんの「柳都会」デビューとなる今回のゲストは栗川治さん(立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程ほか)。視覚障がいを持つ栗川さんは、2019年から続く「視覚障がい者のためのからだワークショップ」に初回から参加し、山田さんと共に、同ワークショップの充実・発展に多大な寄与をしながら、普通に、一観客として、本番の公演にも足を運ばれておられます。

栗川さんには、いったいどんな世界が「みえている」のか。打合せ、メール、ワークショップ、公演を通して重ねてきたやり取りを手掛かりに、参加者の皆さんとも一緒に身体や芸術についてイメージを膨らませ、思索を深めます。

Noism Web Site より

申し込みの動きも早く、定員に達して迎えたこの日の会場。参加者は全員、おふたりによる大いに刺激的な対談を堪能しました。

障がいのある人も障がいのない人と同様に、普通の生活を送るべきであり、双方、社会生活を共にするべきとする「ノーマライゼイション(Normalization)」の考え方に基づいた社会参加を行い、サッカー観戦などにも出向く栗川さん。観客4万人のビッグスワンでは、ゴールを外したときや決めたときをはじめ、その場の雰囲気、臨場感に、「見えていないんだけど、その場に身を置いているだけで楽しい」と語り、聞いているし、感じているし、「見ている」だけではない(視覚優位ではない)「五感で開く可能性」に関して、「視覚障がい者のためのからだワークショップ」のこれまでを紹介することを中心に、山田さんと示唆に富む対談を聞かせてくれました。ここでは、かいつまんでそのやりとりのご紹介を試みようと思います。

(1)ワークショップ1回目(2019年12月18日): 手のひら合わせ→相手を感じて動く/踊りになっていく
・この時期は、Noism存続問題で大変だった時期と重なり、一層の地域貢献が求められていた。
・サッカー観戦と異なり、声を出せない劇場の性格から、いきなりの舞踊鑑賞は課題も多い。互いに理解し合う必要があった。
・栗川さん「実際に舞踊家の身体に触ってみてくださいと言われ、全身を触りまくった」
・山田さん「手が求めている。手が目である。触りにきているその勢いに頭が真っ白になった」
・栗川さん「肌と肌の触れ合いのなかで一緒に動いていくことに大きな意味がある。視覚障がい者に対する一般的な鑑賞サポートの在り方が、(1)オーディオガイドによる『ことば』を使った説明、(2)事前事後に組まれる『タッチツアー』と呼ばれる大道具や小道具を触る機会の提供だったりするなか、『ことば』に依らないで、ダンスを感じて、体験することを目指すもので、『とてもよかった』。『ことば』は理解するには優れたツールであるが、ダンスを鑑賞するには、足りないし、場合によっては害になり得る。本来、『ことば』では表現出来ない筈のものを『ことば』に還元してはダメ」

(2)ワークショップ2回目(2020年12月19日): Noismの作品『春の祭典』を踊ってみる
・実際の舞台を経験して貰えないかが出発点。
・『春の祭典』の冒頭部、椅子に座って、踵で床をリズミカルに踏み落とす。(2グループで違うリズムで)
・また、『夏の名残のバラ』の音楽に合わせて、身体で相手を感じて、繋がり、踊った。
・栗川さん「金森さんが『ダンスによる音楽や物語の可視化』と言ったものを、再不可視化したとき、何が残るかを楽しみにして本番の公演を観に来た。音、重量感、拍手、米の音や振動、息遣い等、触れるように感じることが出来た。体験したものが始まる瞬間には『来たー!」という嬉しさがあり、身体が覚えているものは一緒に動いて踊っているように感じた。しかし、映像作品(映像舞踊『BOLERO 2020』)には何も感じなかった」 
・栗川さん「視覚的には『見る』とは網膜に映すことを意味するが、網膜を介さなくても頭にイメージが浮かべば『見た』ことになるのではないか。何らかのかたちで外界をキャッチすることが『見る』ではないか」
・山田さん「踊っているとき、まだ見えないものやこれからの動き等、半分はイメージの中にいる。そういう時間軸のなかで踊っている。
・栗川さん「目で『見る』というのはほんの一部に過ぎない。視覚は強烈な感覚であるだけに人を惑わすこともある」
・山田さん「そのことは舞踊の本質と関係ある。いろんな要素が絡み合って、いい舞踊となる」

(3)ワークショップ3回目(2022年3月12日): Noismの作品『Nameless Hands - 人形の家』を踊ってみる
・栗川さんから「物語、ストーリー、Noismの世界観を感じたい」とのリクエストを受けて実施。
・山田さん「『ことば』だけでなく、身体で直接、伝え導いて振り付けることは出来ないかと考え、人形浄瑠璃にヒントを得た、黒衣による人形振りの作品を選んだ」
・栗川さん「本当に後ろから抱きかかえられて、人形となり、それが踊りになっていくのは面白かった」
・山田さん「最後はアラベスク、足を上げる動きまでいった」

(4)ワークショップ4回目(2022年12月17日): 『Der Wanderer - さすらい人』を踊ってみた
・スタジオBに設えられた本番の舞台で、空間も共有し、本番の曲を踊るに至った。
・更にワークショップの終わりには、車座になってのディスカッションの時間が初めて設けられ、感想や疑問を出し合った。
・栗川さん「本番も観に来たが、スタジオBでは、(劇場ほど大きい空間ではないので、)空気を切って動く動きまでを全身で感じることが出来た。また、歌曲の歌詞も貰っていたので、点訳したものに触りながら鑑賞することが出来た。リハーサルでは倒れて死んでいる筈がハアハアしていたのが、本番ではピタッと息を止めていた」(笑)
・山田さん「栗川さんが来ているときの本番では、踊りが『やかましくなる』。(笑)そこにいる人にどうしたら何かが届けられるか、届けたいと思うから」

(5)『Floating Field』 声の踊り: 新たな試み、その映像の紹介
・山田さん「舞台上のあちこちで展開される、抽象的で踊りそのもののような作品『Floating Field』。それを踊っている映像に、演出振付・二見一幸さんの許可を得て、Noism2のメンバーたちによって、『シュッ』『ダッ』『ドンドン』などの声(一種のオノマトペ)をインプロ(即興)でかぶせて録音してみた」
・栗川さん「割といいかもしれない。可能性があるかもしれない。意味のある『ことば』よりもスピード感やきざみがあって、動きに近い。例えば、リヒャルト・ワーグナーは楽劇を創るにあたって、キャラクターの音形を『ライトモチーフ』として予め設定しておいて、それを用いて構築していくスタイルをとった。また、これはこれで現代音楽としても面白いんじゃないか」

*会場からの質問01: ワークショップといった体験なしに、実際の舞台を見ることは可能か?
 -栗川さん: 「領域」ダブルビル公演は体験なしに観た。金森さんと井関さんの『Silentium』はとても静かな作品だったので、ステージの気配を感じ取るハードルは高かったが、『Floating Field』の方は動きが激しいので感じ易かった。

*会場からの質問02: ダンスという非日常の体験を経て、日常の何かが変わったようなことはあるか?
 -栗川さん: 便秘気味だったが、「ピョンピョン」とか「ブルブル」とか、身体を大きく動かしたり、細かく動かしたりして、便通がよくなった。内臓にもいいのでは。Noismのお陰かなと。(笑)

*会場からの質問03: 視覚障がい者のためのからだワークショップ、ひとつの舞台のように見えた。見学できないか?
 -山田さん: 人数が多くなると大変なところもあるが、今後、目が見える人と一緒にやることなどもあっていいかもしれない。

…と、そんな感じだったでしょうか。一緒によりよいものを目指して、模索し、工夫に工夫を重ねて、「視覚障がい者のためのからだワークショップ」をアップグレードしてきたおふたり。「柳都会」の終わりにあたり、山田さんが「ワークショップで出会えた人たちに感謝します。踊りが広がり、身体感覚が深くなった」と語れば、栗川さんは「一緒に芸術を創っていきたい」と応じました。

手探りで始められたのだろう「ワークショップ」が僅か4回で大きな進歩を遂げてきたことに驚きを隠せません。

そして、何より、山田さんのみならず、金森さんも井関さんも常々、ワークショップに出られる視覚障がい者の方たちの感覚が、「本当に踊れる舞踊家のようだ」と語っている、その一端を垣間見ることができて、多くの学びを得ることが出来ましたし、今回の「柳都会」のおふたりのやりとりの中心にあった『見る』ことや、逆に、やや旗色の悪い趣だった『ことば』の働きについて、更なる思索に誘われる刺激に満ちた時間となりました。そうした空気感だけでも伝えることができたら幸いです。それではこのへんで今回の「柳都会」レポートを終わりとさせて頂きます。

(shin)


「8-12月の Noism と私」(サポーター 感想)

☆オープンクラス~公開リハーサル(SaLaD音楽祭、DDD@YOKOHAMA2021、『境界』)~小林十市さん(柳都会~『エリア50代』)~『かぐや姫』~公演『境界』

とにかく盛りだくさんな充実したNoismライフだった。りゅーとぴあまで車で1時間弱の田舎に住んでいるが、通った通った…
あまりにも次々とイベントがあり、先週何を観たのかやったのか思い出せないくらいだったが、印象は間違いなく脳内と身体に刻まれている。観たもの感じたことは自分の中で同化して変貌しているので、事実や他の方の記憶と違ってきている可能性もある。「え~??そんなだったっけ~?」という部分があってもスルーしていただけたら幸いです。

オープンクラスは10/3から12/12まで計7回、皆勤賞でした!
「バレエ初級」ある意味このクラスは一番キツい。汗ダクである。人数制限中で10人程度なのでNoism 2メンバーがほぼマンツーマンで付いて優しくキビしく指導して下さる。基本中の基本を徹底的にやるのでごまかしが効かない。Noismらしく踊るには必須のクラスだ。

「レパートリー初級」2回あったのだが、10/3は『Training Piece』だった。「やった!」と心の中でガッツポーズ。Noismメソッドを作品化したもので憧れの演目。心拍音に合わせて起き上がって行き、いろんな動きに発展していくのだが、アイソレーション(ダンスに不可欠な身体各部分を独立して動かす手法)が出来ないとなんかヘン。今までやった事が無いので出来なくてアタリマエ、課題が見つかって嬉しい、とポジティブに。
11/21は『passacaglia』これも「Yes !」
かなりの時間が”歩く”練習に使われた。舞台上を歩く事はステップを踏む以上に難しいと思う。ただ普通に歩けば良いわけではない。役柄に合った感情表現をしながら後ずさったり、緩急をつけたりして全方位に進まなければいけないのだ。それも鑑賞に耐えるよう美しく。井関佐和子さんの歩き方を思い出していただければ納得できると思う。
この曲は悲しみをたたえて歩く感じなので、人生経験の長いヒトは有利だったかな??

いつも楽しい、勇気先生の「からだワークショップ」他のクラスでもやる準備運動で手のひらで全身をさする、叩くというのがある。自分の身体を目覚めさせる、輪郭(外部との境界?)を確認する。手のひらだけでなく手の甲でやったり、身体全体を手のように見なして床と触れ合うというのもやった。
これがすごく新鮮だった。”床との親和性”が初めて実感できた!吸い寄せられるように床に近づいて行き、体の一部が床に密着すると、あとは自然に擦れ合ったり転がったりしていくのだ。そうか、これが発展すると踊りになるのか。足先から徐々に砂に変わって行き崩れ落ちるのも、これが出発点か。
本題は、2人で向かい合いお互い右手と右足を前に出して(古武術でいうナンバ)相手が押したらその分引くというように必然的なリアクションを続ける、というもの。みんな「こう来たら~」「こう来て~」と声に出してやっていた。
このクラスはバレエ無経験の人が多いのだが全く関係無し。武術に近いのでバレエっぽいとかえってヘンだ。しか~し、あら不思議、ラストに一組づつ発表したのだがパドドゥに見えるのだ。スローモーション的に動いたからやれるのだが、メチャクチャNoismっぽい! 
「皆さん相手をよく見ているからです」と先生。
ローザンヌ国際バレエコンクールの実演付き解説の山本康介先生(浅海侑加先生の先生)がコンテンポラリー部門の批評で言っていた「わざとらしくなく、リアクションで踊ってるように見えると良いですね」の意味がクラスを受けてよくわかった。

中級クラスはバレエ、レパートリー共に難易度が上がる。
バレエクラスは井本星那先生だが、私は先生の踊りが好きなのでレッスンを受けられて嬉しい。サブに今期からNoism 1に上がった坪田光さんが付いてくれた。彼のチャーミングな雰囲気、踊りも大好き。まだNoism 2の時に初級クラスでアドバイスいただいた事があるので親近感有り。
ジョフォア先生のレパートリークラスはブレインストーミング。心身共に真っさらにして、がんばって気負いを消して臨んでいる。
毎回「え~⁈ こんなのを私ごときがやっていいんですかぁ~(出来ないけど)」という演目(のホンの一部)を教わるのだが、今回は、小林十市さんのための作品『A JOURNEY ~記憶の中の記憶』だった!

今年のNoismの関係者のNo.1キーパーソンと思われる十市さん。彼は新潟に、「DDD@YOKOHAMA」で上演されるその作品のクリエイションの為に滞在した。その最中の10/4、りゅーとぴあ能楽堂での金森さんとの対談「柳都会」ではお茶目な素顔を見せてくれた。歩きスマホをしてクルマに轢かれそうになった…とか。金森さんは、自由な「兄ちゃん」を尊敬しながらも時にはハラハラしながら見守る弟のようだった。

そして10/9には支援会員向けの公開リハーサル。
公開リハには2種類ある。創作している過程、ダメ出しをしながらの練習風景を見せるもの。それと舞台装置、照明は無いものの衣装は着けて通しで見せるもの。これは新潟以外の地でしか上演されない演目を特別に見せてくれる場合が多い。今回は休憩を挟みながら通しで見せていただいた。とても有り難い、お得な企画なので興味のある方はぜひ支援会員に!
『A JOURNEY ~記憶の中の記憶』は十市さんの今までの歩みを描いた作品だが、『BOLERO 2020』が組み込まれていた。新メンバーも参加し、久しぶりに浅海侑加さんの踊りも見れた「改訂版リアルボレロ」。ラストは十市さんが真ん中。
それを舞台でなくスタジオBの同じフロアで間近に観たら、心の底から「来世はぜったいにダンサーになる!」という思いが湧き上がってきた。そのくらい迫力が自分の中に入って来たのだ。

その十市さんと近藤良平、平山素子両氏の3人がおちゃらけトークを交えながら1人づつ真面目に踊る、という企画『エリア50代』(11/14)。
これも能楽堂で行われたのだが、Noismメンバーの皆さん勢揃いで観客席に。行く道ですからね。歳を重ねて現役だからこその遊び心、心配事、これからどうやってダンス寿命を伸ばすか、どういう方向を目指すか…などなど。アマチュア「エリア60代」としても参考になりました。

11/20に、東京バレエ団(金森さん振り付け)の『かぐや姫』を観た。
席選びに失敗し、残念な事に集中出来なかった。コールドのフォーメーションを見たくて三階最前列を取ったのだが、席の前にバトンがせり出していて、翁の家など舞台の前面が欠けてしまった。身を乗り出すわけにもいかず…この歳になると、見えないというのはかなりのストレスである。
全幕公演の際は一階席を取ろうと思う。

コールドはとても良かった。久しぶりにクラシックダンサーのコールドを観たが、体型や踊りなど、同質性が求められるのを再認識した。クラシックバレエに特化した身体だというのも。
クラシックバレエをずっとやってきた私がコンテンポラリー、Noismに惹かれて自分でも踊りたいと思い始めたのはここら辺に理由があるようだ。ユニゾンできっちり合わせるパートでもひとりひとりの個性を出せる。体型や髪型が違ってもよい。重力を感じる、より人間的なダンスである、という点に。

Noism 1メンバー各々の個性(色彩)を視覚化したのが、今回の公演『境界』の山田うんさんの作品『Endless Opening』の衣装と振り付けだ。
衣装で印象に残ったのは、井本さんの水色、坪田さんの紫、樋浦さんのオレンジ、そしてジョフォアさんのライトグリーン。単色ではなくパッチワークのように様々な色を配している。人はいろんな面を持ち合わせているから。
うんさんは各自のオーラの色が見えたのだろうか。自分の色を纏ってみんな伸び伸び楽しそうに踊っていた。クラシックっぽい振りもたくさん出てきたが、もしかしたら昔からある動きの方が身体により入っているので自由に踊れる部分もあるのかなと感じた。今回は樋浦瞳さんについ目が行った舞台だった。

個々が持っている台車。この歳になると棺桶を運んでいるとしか見えないが、まあそういうものだろう。生まれてから死ぬまで持っている。生をまっとうし、身に付けたものを外してネクストライフに向かって行く。行く先は待機場所の「境界」。
私のイメージは『2001年宇宙の旅』のラスト、スターチャイルドが浮かんでいる場所だ。

Noism 0の『Near Far Here』はモノトーンの荘厳な世界。冒頭は暗い庭園に置いてある彫像たちが稲妻に照らされているように見えた。音楽はゆっくりとしたバロックの三拍子。三拍子と言ってもワルツでは無い。人々が楽しむために踊るワルツは終わりが来るが、これはずっずっずっと永遠に進み続ける音楽。なにかとても大きいものがゆっくりと回転している。終わる事はない。
金森さんの決意、方針が伝わってくるような作品だった。

立ち姿が神々しいとまで言える井関さんの白いドレスと打掛のようなガウン、和と洋が同居している。バレエと武道、両方のスピリットを融合させたNoismの化身のようだった。

全体を通して重厚な雰囲気が漂っていたが、途中に3人ならではのアルアル、1:2に分かれてバランスを崩すという人間的なコミカルな場面もあって面白かった。シルエット(各々の別の面?)も加わると更にややこしくなる

白と黒、そしてラストの暗赤色の花びら。私は、これは”血の色=人間”のように感じた。人間を含めた生き物かもしれない。天と地の間に動き続ける生き物たち。

初日に花びらをひろって帰ったら、ほとんど同じ色のコサージュを持っていることに気づき、楽日はそのコサージュと同色のストール、あとはオールブラックスといういでたちで観た。知り合いに見せまくって「いっぱい拾って作った」と言ったら一瞬信じた人がいた!
今回は演目に関係したファッションで行くという楽しみも満喫できた。

2021年は本当にいろいろ楽しませていただきました。
8/6に東京での「SaLaD音楽祭」のリハも通しで見せてもらい、後で公開動画を観たのですが、画面のテロップに「Noism Company Niigata」と出た時に、なんとも言えない誇らしさを感じました。やはりNiigata が付いてると付いてないでは大違いです。

2022年も私なりに応援して行きたいと思います。1月-3月のオープンクラスも全クラス申込みました。
豪雪やホワイトアウトにならない限り通います!

(たーしゃ)

10/17『A JOURNEY』横浜千穐楽直後、感動の余韻のままに金森さん×長塚圭史さんのインスタライヴ

10/17(日)、「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」のフィナーレを飾るNoism Company Niigata × 小林十市『A JOURNEY ~ 記憶の中の記憶へ』が多くの人たちの脳裏に、胸に、記憶として刻まれてまもなく、17:45からKAATのインスタ・アカウントにて、金森さんとKAAT 神奈川芸術劇場芸術監督・長塚圭史さんのインスタライヴが配信されました。劇場界隈で、或いは劇場からの帰路で、その様子をご覧になった方も多かったと思われます。かく言う私は、「旅」先でもあり、まずは本ブログに公演レポをあげなければならぬという事情から、当初から、後刻、アーカイヴを観ることに決めていました。そして、日付が変わって、翌朝、(NHKの朝ドラ『おかえりモネ』に続けて)楽しませて貰った口です。ですから、皆さん、もうお楽しみ済みと考えますが、こちらでも内容をかいつまんでご紹介させていただきます。

*その実際のアーカイヴはこちらからもどうぞ。

金森さんと長塚さんはほぼ初対面。その長塚さん、劇的舞踊『カルメン』が印象に残っていて、特に「老婆」のインパクトが凄かったと語るところからやりとりは始まりました。

今回、思いがけない作品でびっくりした。どのようにして作られたのか。(長塚さん)
 -金森さん: 第一部冒頭「追憶のギリシャ」、十市さんと一緒に踊る場面の音楽はマノス・ハジダキス(1925-1994)。ベジャールがよく使っていたギリシャ音楽の作曲家で、ルードラ時代から思い出深い人。その人の楽曲を使って作れないかなと考えた。今回の楽曲は『I’m an eagle without wings.(私は翼のない鷲)』、今回のメインテーマである十市さんにもう一度、羽を獲得して欲しいとの思いを込めて選曲した。
『BOLERO 2020』の舞台版は、コロナ禍で創作した映像版で不在だった中心に十市さんを迎えて、他者と熱量を共有したいという鬱積した思いや願いなどを十市さんにぶつけるかたちをとり、そこから第二部へ行けたらと、この構成にした。
 -長塚さん: まず最初、十市さんの記憶から始まった。ダンス遍歴として受け取った。
 -金森さん: コロナ禍の苦悩が発端だったが、人間は人生の折々に、色々な境遇でそうした感情を抱く。時代を超えて、普遍性を持ったものであって欲しい。自由に受け止めて貰えれば良い。
 -長塚さん: 同時多発的で、凄い情報量。ドラマティックな「ボレロ」として刺激的だった。
あと、始まり方に驚いた。十市さんの劇のように始まった。こんなにひとりのダンサーに向けて作品を製作したことはあったか。
 -金森さん: 初めて。最初から最後まで「兄ちゃん」のために考えた作品。

第二部(The 80’s Ghosts)について
 -金森さん: 音楽はユーグ・ル・バール(1950-2014)、80年代にベジャールさんと一緒に作品を作っていたフランスの映画音楽の作曲家。十市さんがベジャールバレエ団に所属した1989年に、ベジャールさんが初演していたのが『1789…そして私たち』。フランス革命から200年後、革命にまつわる作品で、ユーグ・ル・バールがたくさん使われていた。十市さんとベジャールさんの出会いの頃。
その『1789…そして私たち』、200年前の革命で民主化された筈の世の中も、貧富の差は拡大し、争い事は尽きず、何も変わっていないという問題意識をベジャールさんは持っていた。80年代を振り返り、ベジャールさんを思い起こすとき、それは過ぎたことではなくて、今もなおアクチュアル。今現在、我々が生きている世の中の問題とも繋がっている。そのなかにあって、小林十市という舞踊家が52歳になって再び舞台に立とうとしている。その時間スパンをユーグ・ル・バールの曲を用いて表現できないかと思った。
ベジャールもユーグ・ル・バールも度々来日していた。80年代の日本は「バブル」。今から振り返ったら、じゃあ何だったんだろう、と。今もまだ続いている問題は何で、その上で、我々はここからどう「旅」していくかということを、逆に、舞踊家・小林十市に託した。

十市さんの「道化師」、52歳の十市さん
 -金森さん: 孤独で塞ぎ込んでいた17歳の頃、十市さんはいつも笑顔で優しかった。ベジャールさんの作品のなかでも、十市さんが担っていたポジションは「猫」の役など、人間を傍から、社会を斜めから見る目。あらゆる困難、苦悩、悲しみを見たうえで、それを笑いに転化しようというエネルギーを小林十市という舞踊家に感じていた。「道化師」は必然。その明るさ、道化的な要素をNoismメンバーに共有して欲しかった。通常のNoismではなかなかないようなことを十市さんと交わることで生みたかった。十市さんは落語家の孫。落語は人間の業を肯定する話芸、その遺伝子を継いでいる。
 -長塚さん: 道化師、俯瞰して、傍から見ている。今回の舞台でも、座って見ている時間が長かった。そこから踊り始めるのは結構負荷がかかるのではないか。52歳の十市さんの肉体と向き合ってどういう発見があったか。
 -金森さん: 2日目、カーテンコールが終わって、十市さんがちょっと悔しそうにしてたのが何よりかな。稽古して、求めれば求めるほど満足はいかないものだし、舞台に立ち続けるとはそういうこと。苦痛や不安を乗り越えていく、それが舞台芸術の美しさだと思う。十市さんの年齢を考えて振付したけれど、十市さん的には結構 too much だったかも。
でも、やっぱり十市さんは大きな舞台の人だと思う。世界中ツアーして、3,000人とかに向けて大空間で踊ってきた舞踊家。それは絶対、身体のなかにある筈だし、実際ある。
 -長塚さん・金森さん: 『BOLERO 2020』の最後、円のなかに入っていく、あれ、出来ないですよ。あのエネルギーのなかに行って、立つっていう。
 -長塚さん: 一緒に踊ったことはなくても、知り尽くしてるんですね。
 -金森さん: いやあ、だって、たった2年ですからね。妄想、妄想。知り尽くしてないです。(ふたり爆笑)
 -長塚さん: カンパニーとしての「出会い」はあったか。
 -金森さん: いい刺激になったと思う。凄い経歴、数々の舞台に立ってきた52歳でも、本番前に緊張したり、本番後、あそこがもっとなぁとか思ったり。若いメンバーが踊り続けていくなら、その姿が、彼らが共有したことがハッと気付くときが来る。今、もう既に目の輝きに表われてきたりしている。「舞踊道」、長く続く豊かなものである。たとえ、若い頃のように踊れなくなったにしても、そこにまた何か表現の可能性があることを感じて欲しかったし、感じてくれていると思う。
 -長塚さん: この作品がフェスティバルのフィナーレになったこと、凄い良かったなと改めて思う。
 -金森さん: 「クロージングで」ってことで話を貰ったので、なかなかの責任だったが、十市さんへの思いと持てるもの全てを十市さんのために注いだら、多分相応しい何かが生まれるとは思っていた。最終的に「兄ちゃん」が踊り切ってくれて良かった。
 -長塚さん: この構想を聞いてから、事前にプロットを考えて、そこに十市さんに入って貰ったのか、それとも十市さんと一緒に作っていったのか。
 -金森さん: line で、十市さんが踊った楽曲、思い出、写真など送って貰い、情報は共有したが、作品に関しては、自分のなかでどんどん先に作っておいた。あと、十市さんが入ってから、十市さんとの振付は、実際に十市さんに振付ながら生んできた。


作品に関して
 -長塚さん: 深い愛情が詰まった舞台であり、なおかつ、そこにとどまらず、今現在、これから先に向かっていくという作品は本当に素晴らしかった。
 -金森さん: 十市さんを思っている沢山の方々(お母さんやファン)の気持ちを裏切らないように作ったものが、昨日、無事に届いた感覚があって、それが何よりだった。
 -長塚さん: 十市さんのストーリーとして始まっていくのに、その間口がとにかく開かれていることが素晴らしいと思った。個人史みたいなところに行かず、歴史と記憶と現在とことを詰めたことが、閉じないことに繋がっている。作品としては、異質なのかもしれないが、十市さんというダンサーを通してできるひとつのレパートリーになっていくような、「幅」をとても強く感じた。
 -金森さん: 十市さんのために作ったが、十市さんにフォーカスしたいうよりも、「金森穣」の作品を作るうえでの妄想空間があり、そこに十市さんを入れ、そこで十市さんに自由に暴れて貰って、それで作った。十市さんが入ったことで、新たなインスピレーションのチャンネルも多数開いたので、十市さんには感謝している。
 -長塚さん: 全然閉じていなかった。特に開けていて、凄く面白くて素敵な公演だった。

…と、まあこんな感じでしたかね。ここでは拾い上げなかった部分も面白さで溢れていますから、是非、全編通してご覧になることをお薦めします。

そして、更に「もっともっと」という方には『エリア50代』初日(9/23)の公演後に配信された小林十市さん×長塚圭史さんのインスタライヴ(アーカイヴ)もお薦めします。こちらからどうぞ。

それではこのへんで。

(shin)

奇跡の現場に身を浸した10月17日、『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』千穐楽

個人的な事柄から書き出します。前日(10/16)のチケットも購入していましたが、職場の周年行事と重なっていたことに遅れて気付き、あえなく見送りにせざるを得ず、この日(10/17)の千穐楽が最初で最後の鑑賞機会となりました。はやる気持ちを抑えつつ、朝イチの新幹線で本当に久し振りの横浜入り。ホテルの部屋からはみなとみらいの大観覧車などを望むことができたのですが、雨煙る窓外のそれらは何とも平板で、そこここで営まれている筈の数多の人生たちも一切華やぎを立ち上げるべくもなく、灰色のなかに没していました。奇跡など存しないかのように…。

しかし、奇跡。そう、奇跡。「Dance Dance Dance @YOKOHAMA 2021」の掉尾を飾るNoism Company Niigata ✕ 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』(KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉)はその名に値するものだったと言えるでしょう。肌寒い10月の平板な日常のなかに、刮目すべき類稀な70分(休憩含む)の「旅」を用意してくれたのですが、それはベジャールさんとローザンヌを巡る記憶に基づいた十市さんの旅であり、用意した金森さんの旅であるのみならず、Noismメンバーにとっても、観客にとっても、まさにそれは奇跡的な旅だったと言えるかと思います。

プログラムによれば、第一部(25分)は、「Opening I」「追憶のギリシャ」「BOLERO 2020」とあります。

その第一部。16時を少しまわった頃、風の音が聞こえてきて、緞帳があがると、舞台中央に旅支度を整え、椅子に腰掛けた十市さん。諦念を滲ませながら、古びたトランクから数枚の写真を取り出しては視線を落とします。舞台奥に映される画像によってそれらがベジャール・ダンサーとして一世を風靡していた頃のものとわかります。そこに上手(かみて)から金森さん、そして、遅れて井関さん、舞踊とは別種の「旅」など祝する様子も皆無で、自ら踊りを繰り出しては舞踊の醍醐味に連れ戻そうと誘いをかけます。その場面、ある種のストーリーを完全に逸脱した、喜色満面の金森さんの笑顔に打たれます。「兄ちゃん」十市さんと踊る奇跡を表情から、体中から発散しているのです。そしてそれは、とりもなおさず、観客にとっても奇跡に立ち会うこと以外の何物でもありませんでした。その愉悦。多幸感。

そこからの『BOLERO 2020』、十市さんは下手(しもて)ギリギリの位置に移した件の椅子に腰掛けて、12人の舞踊家により、新たな『BOLERO』が踊られるさまを、微動だにせず、見詰めるでしょう。コロナ禍の舞踊家を扱ったクリエイションは、途中まで、あくまで舞踊家12人の孤独な舞踊であり、そこには本来、観客は不在の筈で、想定されていない観客として、それを見詰めるいると、音楽の盛り上がりとともに、次第にシンクロしていく構成に、心臓は高鳴り、我を忘れて興奮する他ありません。

そのさなか、今回、「映像舞踊」版に追加されたものがあり、ドキッとすることに。それは大クライマックスへと移る瞬間、濁点付きの「あああっ!」という大音声の叫び声。山田勇気さんが発したものでした。そこからはもう一気呵成、舞台奥にベジャールさんの作風を彷彿とさせる真上からの映像が映ると、舞踊家たちが形作る円の中心に進み出る十市さん。力強く上方に腕を伸ばし、何かを掴んだかのような確かさや一瞬の煌めきも束の間、その場に倒れ込んでしまいます。そこに緞帳が降りてきて、第一部の終わり。大きな拍手が沸き起こりました。

15分の休憩を挟んで、第二部(30分)。「The 80’s Ghosts」と「Opening II」(!)とあります。「ん?」って感じでしたけど。

再び緞帳が上がると、ほぼ第一部ラストの倒れたままの十市さん。違いは下手(しもて)ギリギリにあるのが椅子ではなく、先のトランクであることです。

すると、舞台奥にほぼ正方形の開口が生じて、スモークのなかから、グレーの衣裳に見を包んだ12名が現れます。『中国の不思議な役人』を彷彿とさせる不気味さで、十市さんを脅しに来ます。まるでそれは、十市さん内部の、踊ることへの妄執ででもあるかのように。現実味は希薄ですが、迫力満点です。

やがて、そこにプラスされるのは諧謔味。そして言葉。「彼らは舞踊家です」であるとしながら、翻って、「そして私は俳優です」でよいのか。「そして私は…」と言葉は途切れがちになり、後が続きません。「俳優」であることに安住出来ない気持ちが噴出してきます。

と、トランクに仕舞い込んでいた道化師の衣裳が、井関さん、ジョフォアさん、中尾さん、三好さんによって取り出され、あろうことか、彼ら4人によってバラバラに着られてしまいます。自らも赤い鼻を付ける十市さんですが、4人に翻弄され続けます。『ASU』のコミカルな1場面の趣きです。

次いで、三好さんがトランクから新聞と思しき紙片を取り出すと、唐突に「3億円のサマージャンボ宝くじ」発売を告げる女性の声が聞こえてきたり、そうかと思えば、ミラーボールが降りてきてからは、タンゴ調の音楽が耳となり、弾かれた光が客席全体に散らばるうちに、気付くと「革命とは…」というベジャールさんの声に転じています。やがて、観客は、舞台奥に投影される古いフランスの写真や映像に、混乱、或いは動乱の様子を見ることでしょう。

流れてやまず、とどまることを知らない時間、付随する避け難い加齢という現実…、十市さんにとっての踊る意味とは。そして、同様に、襲い来る様々な困難や苦境…、そこにあって舞踊家が踊る意味とは。そうした踊る意味への問いは否応なく芸術の意味への問いとして普遍化されていきます。そのとき、私たち観客も漏れなくその問いのなかに包含されていることにならざるを得ません。

「Opening II」とは、この奇跡的な共演を機に、舞踊の旅に立ち返ることになる他ないのだろう「兄ちゃん」十市さんの新章へのエールであり、十市さんと踊ったNoismメンバーの今後への期待でもあり、それを観た観客にとってさえ、一人ひとり前を見て歩むことを力強く後押しするものだったと言い切りたいと思います。

「Opening II」と表記されたクロージングにあって、金森さんは十市さんに上着を渡し、写真を渡し、トランクを渡します。どこまでも優しい仕草です。それを受けて、客席の方へ歩み出す十市さんの表情も諦念とは無縁のものになっています。滋味を加えた舞踊家として。

ラストで手渡された1枚の写真。それが何を写したものだったかは示されません。しかし、繰り返されたカーテンコールの際、舞台奥には、まず、十市さんと金森さんの写真を皮切りに、Noismメンバーとのクリエイション時の十市さんの写真が映されていきました。私は、最後の写真は、時空と構成を超えて、そのときの1枚だったと受け取ります。ベジャールさんのもと、ローザンヌで交差したふたりの(或いはベジャールさんを含めた3人の)人生に発したものが、まったく無縁に思えた新潟でのクリエイションを経て、第3の場所、横浜のフェスティバルで多くの人の目を虜にし、心を鷲掴みにする、そんな奇跡的な70分だった訳です。なんとロマンティックなことではありませんか。鳴り止まぬ拍手と時間を追うにつれ、数を増していったスタンディングィング・オベーションとがその証左です。

…平板なようでいて、こんな奇跡も内包するのが日常なら、愛おしさも込み上げてこようというものです。帰ったホテルの窓外に広がる光景が、今度は魅力的に見えたのは灯りが点っていたことだけがその理由ではなかったでしょう。そして、この日観たものがひとつの奇跡であるとするなら、またいつか目にし得る日が来るかも、そんな奇跡さえ期待したい気になろうというものです。ただ、今の私たちにはわからないだけで…。

(shin)

金森さんの愛を感じた「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」活動支援会員対象公開リハーサル(土曜日の部)

正確に一週間後に控えたNoism Company Niigata × 小林十市さんの公演(「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」)を前に、10月9日(土)に開催された活動支援会員対象の公開リハーサルを観てきました。(@りゅーとぴあ・スタジオB)以下、ネタバレなしでいきます。

この日と翌10日(日)、二日間に設定された公開リハーサルですが、両日各12人と限られた人数しか目にすることができないとあって、申込開始日には朝から緊張して、ドキドキしながらメールを送信し、その後、「受け付けました」旨の受信を見た際には安堵の気持ちが湧いてきたことが思い出されます。

先日の「柳都会」を聴いて、金森さんが「奇跡」と表現する「兄ちゃん」十市さんとの共演への期待は募る一方でしたので、待ち遠しかったこの機会。

そして3日前(10/6)になって届いたメールには「終了時刻変更」とあります。当初、30分の予定だったものが、1時間に延長されると知らされたのです。「もしかして全部観られるの?」そんな思いを胸に足を運んだ土曜日のお昼過ぎでした。

「1時間もの」に延長されて
実施された公開リハーサル

で、その公開リハーサル、もう随所に金森さん(とスタッフの皆さん)の愛が溢れた至福の約70分だったと言わねばなりません。まず、折から「劇場に空きがない」とりゅーとぴあでの公演が叶わず、目にする機会に恵まれない新潟市民に向けられた愛。フラットな床面、アクティングエリア「きわきわ」に据えられた椅子に腰掛けて、まさに目と鼻の先で見せて頂いたのですが、もちろん、そこに緞帳はありません。全てが顕わしの空間で、金森さんの「カーテンが上がってます」と「カーテンが下りてます」の言葉に挟まれた、当日の舞台の一部始終(それは言葉の正確な意味での「一部始終」で、ホントに最初から最後まで)を見せて頂いたのでした。

第一部は「映像舞踊」として観てきた演目の実演版。出演者も入れ替わり、「あっ、この人がこれをやるんだ」という楽しみ方もあります。そして何より、十市さんを配して追加された場面はまさに眼福で見とれます、マジで。ネタバレを避ける配慮から書けないのが残念ですが、横浜で、或いは明日の公開リハでご覧になられる方はどうぞお楽しみに。ベジャールさんと、そして十市さんへの愛に溢れていることは言うまでもなく、金森さんが、2020年、「コロナ禍」の舞踊家を念頭において、「中心」不在に映る映像を撮ったことで、周囲にある種の磁場が形成され、十市さんが召喚されたのに違いないと思うほどです。このはまり方、金森さんには最初からこのイメージが見えていて、ただ謙遜して「奇跡」と呼んでいるだけじゃないのか、などとも。

そして踊り終わった後には、本番、横浜の舞台での演出についても説明してくれた金森さん、もう愛の人でしかありません。後光が差して見えました。大袈裟でもなんでもなく。

10分(本番では15分だそうです)の休憩を挟んで、新作を見せて貰いましたが、これはもうこれまでのNoismのイメージとは一線を画すもので、「兄ちゃん」十市さんのキャラクターや資質が色濃く投影されたクリエイションだっただろうことが明瞭です。「兄ちゃん」への愛。十市さんに触発された結果、「お初にお目にかかります」的Noismに仕上がっていると言っても過言ではないでしょう。音楽を含めて全てが斬新。しかし、それがどんなものかは今は伏せておきます。なにしろ、ネタバレ厳禁が大命題ですから。ただ、新しいNoismとの出会いが待っていますとだけ。

また、この日の公開リハーサルの楽しみは他にもてんこ盛り状態でした。第一部で再び踊る姿を観た浅海侑加さん、相変わらず素敵でした。またどんどん踊って欲しいものです。そして、先日、「私がダンスを始めた頃」で続けてご紹介した新加入の庄島さくらさん、すみれさんの踊りもガン見しましたし、この度、昇格してNoism1で踊る中村友美さん、坪田光さんにも目が行きました。多くの面で、とても興味深く、中身の濃い時間を過ごせたと思います。

そんなこんなで、終了したのは、13時40分頃だったでしょうか。始まったのが予定の12時半を少し回っていたとはいえ、約70分間、何の出し惜しみもなく、もう「最後の最後まで」全て見せて貰っちゃった訳です。これほどまでに愛ある「リターン」があるなんて、もう活動支援会員でいて良かった♪今日スタジオBにいた誰もが一人残らずそう思っていたことは間違いありません。あそこまで見せられたら、もうスタンディングオベーションで応える他ないじゃありませんか。みんな笑顔笑顔で立ち上がって拍手を送った、そんな公開リハーサルでした。

(shin)

Noism Company Niigata 《春の祭典》

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 2021年7月23日、この日は「東京オリンピック2020」が始まる日でもあった。新国立競技場での開会式とほぼ同時刻から、Noism Company Niigataの公演が始まった。

 幕開きは、2019年初演の〈夏の名残のバラ〉。井関佐和子が楽屋でメイクをし、赤いドレスの衣装を着て舞台に出演するまでの映像が映し出される。静かな、一人だけの時間が流れるが、それは井関がダンサーとして舞台に立つために自らを奮い立たせ、かつ冷静に集中力を研ぎ澄ましていくルーティンだろう。幾度となく繰り返しながら歩んできたダンサーとしての年月が、その佇まいに、背中に、美しく滲んでいる。恐らくは同時間に新国立競技場では、わかりやすくショーアップされた開会式のパフォーマンスが繰り広げられている。その光景を想像しながら井関の姿を見る時、彼女の身体とそれを映像に捉える視点からは、馥郁たるアートの豊かな香りが漂ってくる。アートを特権的な地位におくわけではないが、私が見たいのはこういうものなのだ。様々な意味が、思いが、何層にも積み重なり、あるいは混沌としながら意味を生成していくような、イマジネーションを掻き立てるもの。オリンピックに世間が沸く一方で、このように上質なダンス公演を楽しむことができるのは幸運である。

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『夏の名残のバラ』
撮影:篠山紀信

 井関を捉える映像が舞台へ切り替わり、舞台上で井関が踊り始める。舞台で踊りながらカメラを井関に向けるのは、ダンサーの山田勇気。カメラが井関の顔を、手足を、密着するように、あるいは遠くからとらえ、舞台上のスクリーンに映し出す。観客は目の前で踊る井関と山田を見ると同時に、異なるアングルからクローズアップされた二人をスクリーン上に見る。井関が赤いドレスを翻しながら舞台を疾走し、全身を山田に投げ出して表情をこわばらせ、また柔らかく肢体をくゆらせ、あるいは鋭く空間へ切り込んでいく。常に全身を燃焼させながら踊る井関も、それを果敢に受けとめる山田も、ダンサーとしては円熟期を迎えつつある。しかし、そこにネガティブな要素はない。〈夏の名残のバラ〉は、今なお、その凛とした姿を形にとどめているのだ。私たち観客の眼前にあるダンスと、その遠近をかく乱しながら映し出される映像をシンクロしながら見ていると、最後にその思い込みが見事に覆される。鮮やかな手法。それは次回の上演を初めて見る観客のために秘密にしておこう。

 井関は、自身の過去と未来を、いまここにある身体に重ね合わせながら踊る。強靭なしなやかさで、そのダンスと生きざまを美しく表現し、観るものを引き寄せる。この踊りで井関は、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。井関の“いま”を鮮やかに見せる振付と、ダンスと映像による仕掛けを施す構成、演出をした金森穣は、日本ダンスフォーラム賞を受賞した。

 二作品目は、昨年コロナ禍による自粛が続く中でその状況を見事に映像化した映像舞踊〈BOLERO 2020〉が、劇場のスクリーンで大写しにされた。踊ることを日課とするダンサーたちが、それぞれ閉塞的な部屋にこもり、一人きりで踊る姿を編集し、ウェブ上で配信されたもの。この状況では、いつものように空間を縦横に動き回り、手足を存分に広げ、またダンサー同士で会話したり触れ合いながら創造するという、彼らの日常が封印されている。その苛立ちを、まだるっこさを、不安を吐き出し、なおも踊らずにはいられない身体の生々しく、ヒリヒリとした痛みや熱が画面から伝わってくる。筆者は昨年、パソコン画面上で拝見したが、今回のスクリーン上映では、大写しになったダンサーたちの身体のディテールと、「ボレロ」という単調な反復がやがて大きな渦となる音楽とのシンクロが、より迫力をもって伝わってくる。映像舞踊という実験がまた一つ、ダンスを創り、観る可能性を広げてくれた。

映像舞踊『BOLERO 2020』
撮影:篠山紀信

 3曲目は〈Fratres〉シリーズの最終章〈Fratres Ⅲ〉。ラテン語で親族、兄弟、同士を意味する言葉であり、使用されているアルヴォ・ペルトの音楽タイトルでもある。

 幕が上がると、薄暗い空間の中心に金森。その周りを取り囲むように群舞が配置される中で、ヴァイオリンが鮮烈なメロディを畳みかけるように奏で始める。ダンサーたちは男女の別なく、修道士のようなフードのついた黒い衣装をまとっている。彼らの動きは顔を上げる、手を伸ばす、俯く、床に倒れこみ、這うといったミニマムなものが多いが、それを見事に音楽と他者にシンクロしながら反復していく。一つひとつの動きには、研ぎ澄まされた内への集中と同時に、空間を構成するすべてのダンサーや光、音楽へと向けられている。その場に佇んだまま、または蹲踞の姿勢を取りながら続いていく様は、儀式のようでもある。そのため観客はシンプルな動きが単なる身振りではなく、天を仰ぎ、地を希求するかのような意味を様々に見出し、解釈することができる。

 集団によるアンサンブルの集中度が極まったとき、頭上から米が降り注ぐ。群舞はフードをかぶり、一人一人の頭上で受け止めるが、中心の金森だけはフード(我が身を守るモノ)をかぶらずに全身で受け止める。受苦であり浄化でもある、頭上からの米を一身に浴びるという行為からは、自己犠牲を超えた祈りを感じる。踊ることで天と地をつなぐダンサーである彼らは、もはや儀式や祈り、畏れを忘れた現代人のために、そこにいるのだ。しかし突出したカリスマに扇動されるのではなく、その集団の調和によって、そこにいることの強度を増している。Noismが多くの団員を抱えるカンパニーとして存在することの意義と可能性を、舞台は表している。

『FratresIII』
撮影:村井勇

 4曲目は公演タイトルにもなっている〈春の祭典〉。この作品が1913年に初演された際は、ストラヴィンスキーの音楽、ニジンスキーの振付共に時代から遥に進んでいたため、観客の多くは理解できず、評価も得られなかったことは舞踊史ではよく知られている。しかし時代と共に音楽は高く評価され、20世紀の古典となり、数えきれないほどの振付を生んできた。そのため振付家は、どのような設定で、コンセプトで、振付、演出をするか想像力を掻き立てられると同時に、恐ろしくもあるのではないか。金森が選んだのは、ダンサー一人一人にオーケストラの演奏家のパートを振り分けて、オーケストラが踊りだす、というコンセプトであった。それはしばしば「音楽の視覚化」と言われる振付の手法を超えた、厳密にして挑発的な試みである。

 客電がついたまま幕があがると、舞台前方には横一列に椅子が並べられている(椅子:須長檀)。椅子の背はワイヤーのようであり、それが一列に並んでいると、まるで鉄格子か鉄柵で囲まれているように見えるため、囚人、隔離された人々の空間を思わせる。井関から一人ひとり、おどおどした様子で背中を曲げながら登場し、椅子に座っていく。中央に井関と山田。全員が横一列に座ると、客席の方へ、舞台の中へと、何ものかにおびえているように見つめては後ずさりし、音楽に合わせて手を震わせる。男女全員が白シャツと白い短パンという同じデザインの衣装を着ており、その色と画一的なデザインが精神病院かどこかに囚われているようにも思わせる。

『春の祭典』
撮影:村井勇

 音楽が激しいリズムを刻み始めると、その不規則なリズムにぴったり合わせながら、群舞が踊る。椅子に座ったまま両足を床に打ち付けながらリズムを刻み、あるいは半分が立ち上がり、また座り込み、と見事である。やがて、椅子の後方にある幕の内側が紗の間から照らされると、誰もいない空間が広がっている。四方を半透明の柵に囲まれた空間は、閉ざされ、隔離された空間であることがわかる。空間は人々をおびき寄せるように、サスペンションライトで床を照らしている。覗き込む群衆。幕があがると、群衆は恐れながらもその中に入っていく。

 そして激しくなる音楽そのものを踊っていく。椅子を円状に並べ、座る人と、前方中心に向かって倒れこむ人がいるシーンや、ダンサーが自分の腕で自分の腹部を打つような動きはピナ・バウシュへのオマージュだろうか。また、男女が下手と上手に分かれて群れとなり、男の群れが帯状の光の中を激しく跳躍しながら突進してくるシーンは、ベジャールへのオマージュだろうか。〈春の祭典〉という音楽と舞踊の歴史への敬意が感じられる。

 やがて男女が分かれて入り乱れ、一人の女性が生贄として選ばれる。これまで多くの振付家が作ってきた作品では、生贄として選ばれた女性、または男女ペアと、それを取り巻く群衆は対立構造を取ることが多い。それがこの作品では、生贄の女性を守ろうとするのは、もう一人の女性(井関)である。か弱い女性を男性が守るのではなく、女性が女性を守っている。男女のペアで無いところも現代ならではの視点だ。その二人に対して攻撃するような群衆。この辺りは、群れを作ったとたんに匿名の集団が凶暴性を増す、現代社会を投影しているのだろうか。同調圧力やSNSでの誹謗中傷などを思い起こさせる。しかし、最後に守られていた女性が、井関を指さす。「この女こそ生贄だ」と示しているかのように。信頼が裏切りに変わる、人を裏切り、売り渡すような現代社会を表しているのか。

 井関は一人で群衆の苦しみ、恐れを受けとめるが、最後は全員が手をつなぎ、後方へ向かってゆっくり歩んでいく。手をつなぎ共に歩み始める人々の姿は、救いと希望を感じさせる。

 もちろん振付家は、ベタな現代社会の投影を意図して振り付けてはいないだろうが、今回の公演では様々に現代社会を喚起させるシーンが多かった。言葉ではなく身体で表されるからこそ、観るものの想像力を多面的に刺激し、その意味を考えさせ、より深く目と耳と、胸と頭と、皮膚感覚に残る。なんと贅沢な公演だったのだろう。また、これだけ体力と集中を必要とする作品を、(映像作品は含めず)3曲も次々と踊っていく団員たちにはまったく感服する。そのダンサーたちは国籍も民族も身体も多様性に富んでいる。このように多様かつ優れたなダンサーたちを育てた金森や井関、山田、そして新潟という日本海から世界に向かって開かれた土地に改めて拍手を送りたい。 

(2021.7.23(金)/彩の国さいたま芸術劇場)

PROFILE | いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

【インスタライヴ-15】『春の祭典』ツアー後の大質問大会

2021年8月1日(日)20時、『春の祭典』最後のツアー先である札幌から(2時間前に)新潟市に戻ってきたばかりの金森さんと井関さんが、「眠い」なか、前回のインスタライヴ以来、ほぼ3ヶ月振りとなるインスタライヴを行ってくれました。広く質問に答える形式での『春の祭典』大質問大会、約1時間。以下にその概要を抜粋してお伝えします。

*この日の晩ご飯: 北海道名産・鮭のルイベ漬(佐藤水産)
*今回のインスタライヴ中のおやつ: 福島産の桃

札幌公演は15年振り。「皆さん、待っててくれた感じ。(hitaru)楽屋のトイレは入る度に音楽が流れる『最新設備』だった」(笑)(井関さん)

Q:照明の調整に時間はかかったか?
-金森さん「ツアー地では凄く時間がかかって、ゲネが無理になり、本番直前のテクニカルランで初めて通せる感じなのが、今回は設備が良くて、順調だった」
-金森さん+井関さん「札幌スペシャルの照明、次やるときはテッパン。最後にちょっと違う演出・照明が加わっている。もう一個『外部』の世界を感じる照明にした」
-井関さん「最後の最後までライヴ感が凄かった」


Q:『春の祭典』音源はどのように決めたか?
-金森さん「入可能なものは手当たり次第に入手して、実際に踊ってみた。既に作っていた構成に合っていて、演出家としてビビッとくるものがあったのがブーレーズ盤だった」
-井関さん「色々なテンポのものがあったが、ブーレーズ盤が一番、音の粒が立っていると言っていたのを覚えている」
-金森さん「ブーレーズ盤は、情感でいくというより、理知的。音がクリアで構造がはっきりしている印象。後から、ベジャールさんもこれを使っていたと聞いた」

Q:踊るときに一番大切にしていることは何か?
-井関さん「その瞬間をどう生きるか。邪念を抜きにして、その瞬間の空気とエネルギーをどう感じるか。邪魔は入るが、それさえも『瞬間』と捉えて乗り越えること」
-金森さん「舞台に立てば立つほど、緊張感をコントロールする術も判ってくるが、『失敗しないかな』との適度な緊張感で集中度も上がる。そのときの音楽の響き、観客のエレルギー、自分の状態を大切にしたい。そこに身を投じる。そこに居続けるための集中」

Q:一人ひとりに楽器を割り当てた『春の祭典』、音を聴いて踊るのか?
-井関さん「楽譜で割り当てていて、全員で完全にカウントを数えているので、一応判っている。それが大前提で、カウントの取り方、『音色になる』ことの難しさがある」
-金森さん「舞踊家は音楽に合わせることに慣れているが、『音になる』っていうのはどういうことか。「(音が)来る」と判っていることではない。音の呼吸・強度を身体化するという完全にはなし得ないことを21人に求めた」
-井関さん「音に合わせすぎると、音に見えない。外からの目がないと成立しない」
-金森さん「一人ひとりが演奏者であるということが肝。自分が動いたことで、その音が発されているように見えることの難しさ」

Q:しんどいとき、それを超える秘訣は?
-井関さん「体力は、稽古でも頑張ってMAXやるが、本番でガンガンあがっていく」
-金森さん「身体は記憶する。最初の通しは滅茶滅茶しんどいが、そのしんどさを求めちゃったりする。これが危ない」
-井関さん「それに酔っちゃったりするのが危ない。語弊はあるが、作品を超える体力と精神力があって、しんどそうに見えて、しんどくないのがベスト。表現の幅が増えてくる。身体も精神も鍛える稽古、また、本番では最高の作品にするべくコントロールすることが重要。身体でやり切って、その先に見える何かを頭を使って見つけて、身体で試す」
-金森さん「舞踊家は馬であって、同時に騎手である。しかし、騎手であり続けながら馬を鍛えることは出来ない。鍛錬は馬にならなければ出来ない。馬が仕上がった後から、騎手が来るというバランスがいい」

Q:踊った後、どれくらいすると食欲がわくものか?
-金森さん「すぐは無理。でも、作品による」
-井関さん「本番の時は『食欲』はない。『食べなきゃ』っていう感じで『義務』。『完全にコレ、仕事だな』って思ったことも」
-金森さん「遅くならないうちに、できるだけ身体にいいものを、って感じだが、美味しいものの方が入り易い。当然、幸せにもなるし」

*照明や装置の微細な違いに気付く舞台人のビビッドさについて
「なんかちょっと違う。今日、(照明が)眩しい」って言って怒り出すのが「佐和子あるある」と金森さん。「で、照明家さんたちが『えっ、変えてないです』ってザワザワってなる。(笑)でも、厳密に言うと、毎日、照明はチェックで触っている。で、微細には変わっている。どれだけビビッドな感覚で舞台に立って感知しているかは、多分、照明家さんには想像できない」(金森さん)

Q:『Fratres』のお米は使い回しか?
-金森さん「はい。演出部さんが、毎回、終演後にザルでほこりを取っている。降らしたときに詰まっちゃったりするので。金銀山の砂金採りかみたいなレベルで」(笑)

Q:リノリウムのペイント、そのコンセプトは?
-井関さん「近々、映像をアップする予定」
-金森さん「コンセプトを伝えて、(俺以外の)メンバーみんなで塗ったもの。そのコンセプトは上から落ちてきてバチャ。みんなのは噴水みたいにバチャ。まあ、似てるんだけど、上から落ちてくることが…」
-井関さん「みんなで話し合って、やっぱりちょっとずついこうと。ひとり一色ずつ持って」それで、「これ、いけるんじゃね」と最初は井関さんから塗っていった。「踊っているとき、毎回、一瞬、海のような、波のようなエネルギーを感じた」
-金森さん「プレヴュー公演やっているときに、何かが必要と感じていて、『ああ、これか』と気付いたもの。『春の祭典』の色彩の爆発、色の欲情みたいなものを精神的な爆発として付与したかった。アクションペインティングのように上からペンキを落とそうと思ったが、さすがに、劇場の人に『大変なことになるからやめて下さい』と言われて…」

Q:『春の祭典』創作で一番苦労した点は?
-井関さん「一番というと、やはり楽譜読み。ホントに時間かかったし、待つ時間も長かった」
-金森さん「ユニゾンもそんなになくて、一人ひとりに振り付けていたから」
-井関さん「楽譜とにらめっこしていて、これはホントにダンスの作品なのかと。最初の1、2ヶ月くらいは」

Q:ふたりにとって、踊り・振付が「腹落ちする」っていうのはどのような感覚か?
-金森さん「踊っていて、『コレだ』って思うときってことなら、それが判るってことが『経験』なのかなと思う。今にして思うと、若い頃は、腹まで落ちないで、肺ぐらいで止まっていた気がする」
-井関さん「完璧な踊りはないが、その瞬間、光を浴びて、そこに集中していられているときが一番納得できるときか」
Q:振付が自分のものになり、無意識・ナチュラルなかたちで踊れるといった感覚か?
-井関さん「無意識はない」
-金森さん「おおっ、佐和子だねぇ。オレ、無意識だからね」
-井関さん「リハーサルで計算をとことんしておいて、そこからどれくらい外れたところへ行けるかっていうか」
-金森さん「結局、完全にはコントロールし得ないものをコントロールしようとしているから、どちら側に立つのかで違うし、この身体っていうのが凄い矛盾で、そういうものと向き合うことが踊ること。観てて感じる感想とは違う」
-井関さん「ここ最近になって、やっと、バランスっていうのが計算じゃないってことが判ってきた。その瞬間瞬間に選び取っていくこと、それが楽しいなと」

Q:『春の祭典』のキャスティングはどのようにして行ったか?
-金森さん「ホントに直感的なインスピレーションによった。楽器の音色からどのメンバーを想起したかっていうこと。癖も性格も判っているし、音色が舞踊家のもつエネルギー等に合うかどうか、という感じ」

Q:今後、『火の鳥』『ペトルーシュカ』に取り組む予定は?
-金森さん「『火の鳥』はNoism2のために作ったものがあり、それはいつかやりたい。『ペトルーシュカ』は『いつかやるのか?』と…、特に予定はないけど」

Q:昨年の「サラダ音楽祭」の演目、再演はないのか?
-金森さん+井関さん「『Adagio Assai』と『Fratres』に関しては、特別決まっているものはない。今回はジョン・アダムズの新作『ザ・チェアマン・ダンス』。42歳・井関佐和子、走れるのか。(笑)それと20年間、点で踊ってきている『Under the Marron Tree』。e-plus『SPICE(スパイス)』の記事を見てください」
-金森さん「『春の祭典』はいずれそのときのメンバーで再演するだろうし、『夏の名残のバラ』はやる予定がある」

…等々と、そんな感じですかね。疲れていた筈のおふたりでしたが、多岐にわたる質問ひとつひとつに丁寧に答えてくださっていました。その様子、是非ともアーカイヴにて全編をご覧ください。そして次回は「サラダ音楽祭」後かな、と予告めいたものもありましたね。楽しみにしています。

それでは、今回はこのへんで。

(shin)

「春の祭典」大千穐楽、北の街に炸裂した幻影♪(サポーター 公演感想)

☆ストラヴィンスキー没後50年 Noism0+Noism1+Noism2『春の祭典』(2021/7/31@札幌文化芸術劇場 hitaru)

 現メンバーによる最終公演でもあるNoism0、1、2「春の祭典」大千穐楽、札幌の地で無事終了しました。

 酷暑、拡大を続ける新型コロナ禍、某巨大スポーツイベントと、北海道行きをどれだけ躊躇したか。それでも、現代に切り結んだ傑作「春の祭典」のひとまずのラスト、この公演がラストになると思われるメンバーの勇姿を目撃する為、予定どおり応援旅行を決行しました。

さっぽろ創生スクエア
札幌文化芸術会館 hitaru(4~8F)
hitaruロビーからのさっぽろテレビ塔

 会場の「札幌文化芸術劇場 hitaru」はオフィスや放送局、図書館などが入る高層ビルの一角。さっぽろテレビ塔もロビーからよく見えます。
この劇場がスゴい! 5階~8階までが客席の為、舞台の天井が高く、また音響も抜群。井関佐和子さんの渾身と、山田勇気さんの安定の受けが冴える『夏の名残のバラ』に引き込まれつつ、「あれ? いつもより音楽が低音まで聴こえるぞ」と気付かされました。映像舞踊『BOLERO 2020』も、今まで観たどの会場よりもメロディが身体に響き、かつ舞台の高さもあって、最前列で鑑賞したにも関わらずとても見易かったです。

 『FratresⅢ』で金森穣さんが舞台に現れた瞬間、嗚咽が漏れたのは何故でしょう。活動継続の危機を経て、さぁこれからという矢先のコロナ禍。カンパニーだけでなく、観客である私たちも、いつ果てるとも知れない苦しみの中で、何とか希望を捨てず、祈るように暮らしています。その万感を、この荘厳な作品には重ねてしまうのです。Noism1メンバーひとりひとりの、いつも以上に気合いのこもった表情、完璧な動きのシンクロ、それを背中で見守るような金森さんのソロ。落涙しつつ、いつか「Fratresシリーズを観ていた頃は、辛い時期だったけれど、何とか越えられたね」と思える日が来ることを正に祈りました。

 そして、特筆すべきは「札幌スペシャル」と呼ぶべき演出の仕掛け。『夏の名残のバラ』ラスト、客席を驚かせる映像が、「hitaru」の客席を使って再撮影されていたのです。また、『春の祭典』ラスト、「人は人と手を繋ぐことが出来るか?」という祈りがこもるような場面で、客席を舞台奥から照射する強烈な光。舞台芸術ならではの、その時、その場での一回性が生み出す、深々とした感激。札幌の地まで出掛けたことで目撃できた「幻影」のようでいて、確かな実感を伴った公演の余韻を、じっくり反芻しようと思っています。

(久志田渉)