2020年8月 プレビュー公演を観て(サポーター 公演感想)

☆『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(@りゅーとぴあ)

「えっ?これって本番じゃ…?」と驚いた感動の公開リハ。いい体験をしました。支援会員でないと参加できません。なっててよかった! まだ会員になっていない方、お得ですよ。いいもの観れますよ。ぜひどうぞ。

それから2ヶ月。待ちに待ったプレ公演。来年は本公演もあるからお楽しみはこれからだ。

今回はブラボー禁止令が出ていたのでスタンディングオベーションで力一杯の拍手を。 では、思いつくまま感じたままに。

『Adagio Assai 』:  動かなければ何も始まらない。満を持して片方がほんのちょっとだけ動くと、間の空気が動きもう片方が呼応する。気功をする両手の様な二人。 静止映像。スナップ写真。うつされた瞬間に過去のものとなる。時は進む。

「人は一人一人各々の川を持っている。普段は別々に流れているが、何かの加減で合流することがある。しかし流れの質、速さなどが違う為にまた離れて行く。一瞬でも合えば “縁”。」

その瞬間は真実だったのだ。

『Fratres III』:  暗いトンネルの向こうから現れる孤高の修行者。まさに真のソリスト。指導者でもアンサンブル(群舞)を率いるリーダーでもなく。 とはいえ、抜きん出てストイックに自らを律する。痛めつける。 修行の滝(またはもっと痛いもの)に打たれる時も衣服で防御せず生身で受ける。矜持。背中で教える、みたいな存在。

『春の祭典』:  ダンサーが各々違う楽器の旋律を担当。椅子の背もたれのデザインは五線。というのはリハを観た後で知った。その時はただただ「ベジャールも良いけど金森版よ〜く出来てるわ!」と思った。 楽譜の音を拾いながら振り付けしたといいますが、前知識が何にもなかったとしたら、「先に踊りがあってそれに合わせてストラヴィンスキーと言う人が作曲したんだとさ。」を信じる人がいるかもしれない。 実際、プティパの振り付けした白鳥の湖に合わせてチャイコフスキーが作曲したらしい。

『NINA』の生きてる椅子の作者の五線椅子、一個欲しいです。バリケードになったり柵や檻になったり大活躍でしたが、そこで思い当たった。 楽譜って、作曲者やアレンジャーが忘れないように書き留めておくもの。第三者が見ても分かるようにしておく記録。しかし音符にしてみれば線に串刺しにされてるか挟まれてるかである。身動きが取れない。本当は自由に動きたいのに。 そこで演奏者(今回はダンサー)の出番。秩序は保ちながらも音を楽しく遊ばせてやる。檻から解放する。

こう思い当たると楽譜の見方が変わった。高校の時ピアノの先生に言われるがままにやった曲を久しぶりに弾いてみた。もっともっと気楽に弾ける気がした。(要猛練習)

衣裳も良かったです。シャツのボタンをどこまで止めるかでキャラ、属性が変わる。全止めすれば丸っこくて女性または中性。外すと開衿で首元が鋭角になり男性的。これも良く出来てる〜。

今回の三作品のキーワードは“距離感”かもしれない。この時代に生きていればイヤでも意識せざるを得ない事。

音たちも距離を取ろうと病的に振舞っていたが、ズカズカ踏み込んでくる者がいたりして不協和音が生じる。音同士の距離が近いほど緊張感のある音になる。

しかし、そうならない事にはストーリーが動かないのだ。

まだまだ思い当たることは出てくると思われますが、こんなにみせていただいて、まだプレですよ!さらに進化、熟成するであろう本公演、楽しみです! その前に一月の公演もあるけど。 (2020/8/30)

(たーしゃ)

穣さん+佐和子さんインスタLIVE Vol.7は『バレエ談義』♪

日差しも和らぎ、風は秋色。2020年9月19日(土)は4連休の初日。その夜、21時より、穣さん+佐和子さんによるインスタLIVE Vol.7が配信されました。

先ず公開されたのは凜々しいふたりの画像♪インスタ・アカウントからの転載です。

この日の配信は、穣さん+佐和子さんのアカウントではなく、穣さんのアカウントで行われましたので、最初、見つけられなかった方もいられたのではないでしょうか。かく言う私も、おふたりのアカウントへ行って待機していたものですから、「なかなか始まらないなぁ」と思っていたところ、連れ合いから「もう始まってるよ」と言われ、「えっ!?」ってなって、慌ててストーリーに戻り、まだ「傷も浅い」ところから視聴することが出来ました。

このインスタLIVE Vol.7『バレエ談義』は、穣さんのアカウントにアーカイヴがありますので、よろしければ、こちらからどうぞ。(約56分)

以下に少し、内容をご紹介しようと思いますが、もともと、バレエの素養がない私には手に余る部分、伝え切れない部分が、これまで以上に多くあります。その点、ご容赦いただき、アーカイヴをご覧になる参考程度にお考え頂けたらと思います。

*バレエを始めた頃: 佐和子さん3歳から17歳にベジャールの許に行くまでバレエ一筋。穣さんは6歳で踊りを始めるが、最初はジャズで、バレエは10歳から。

*バレエって世界の入り口(佐和子さんの場合): 「ずっと大好き。パリ・オペラ座に入るって思ってた。私にとってそれは(きらびやかな世界とかではなくて)『芸の道』みたいなもの。ドキュメンタリーとか、どういう道で上り詰めていくかに共感していた。キラキラしたチュチュが着たかったとか、そういうのは全然ないの。ただバレリーナたちがカッコイイと思っていた。カッコイイ人への憧れから、そういう人になりたいと思っていた」(佐和子さん)「初耳だね」(穣さん)

*バレエって世界の入り口(穣さんの場合): 「男の子ひとりでタイツ履いて、女の子のなかにいて、始めた当時はジャズの方が好きだった。バレエは『基礎だからやっとけ』と父に言われてやっていた部分があった」(穣さん)(上の写真は、穣さん14歳、バレエ団の公演に出て、『くるみ割り人形』でクララの兄・フリッツ役をやったときのプログラム用のもの、とのこと。)「普段の先生・先輩が全然別人みたいになってそこにいる、舞台芸術としてのバレエの世界観に魅了された」(穣さん)「自分はその世界観のなかに入っていく自分が楽しかった。自分が演じる、表現するってことに快感を覚えていた」(佐和子さん)

身体と向き合うこと: 「年を重ねてくると真摯になってくる。続けていれば、向き合う日々も増える。若い頃のように勢いではいけないから、考える。骨格、構造がバレエのなかにあることに気付いていって、『凄いな、バレエって』と改めて思う」(穣さん)「40代になって、子どもが読むようなバレエ本を買い漁って読んでいる。でも、西洋で生まれて、彼らの骨格に合った方法論。ディープに入っていかないと、『同じ』ってところは分かりづらい。今は自分の身体にバレエの基礎がどう働くのか考えられるようになったから、凄く楽しい。昔は力任せにやっていたから、身体を壊したりもした」(佐和子さん)「自分たちの頃は表面的な『かたち』という捉え方で教えられていた」(穣さん)「日本人のバレエダンサーが踊るときに『かたち』に囚われ過ぎて、本質が出てこないことが多く、『真似事』のような気がすることも」(佐和子さん)「成長過程の身体を理解した上で進めていくためには知識も歴史も必要。バレエは身体を変えなきゃいけないから、時間がかかる芸術」(穣さん)

*バレエの/と歴史(西洋の場合): 「科学技術の進歩、医学の進歩のうち、身体に纏わることが徹底して研究されてきた。バレエは、イタリアで発祥、フランスで成熟、花開いたのはロシア(旧ソ連)。で、旧ソ連において、社会制度とマッチしたことが重要。貴族が愛する芸術分野を脱して、バレリーナを社会制度として育成する道、その文化を担う専門家を育てる道を選んだ」(穣さん)「欧州やロシアには、骨格や解剖学的な基礎の、その先に、『表現として何があるか』っていうことを見ようとする成熟した知性をもつ人が多くて、カッコイイ」(佐和子さん)「フランスの『個の力』、凄い。しっかりした教育制度で育てていくんだけど、『個の力』がポンッて出ると、その人が持っている魅力を評価する。全く異なる個性をそれぞれ芸術的な価値として評価するフランスらしさ」(穣さん)

*日本のバレエ: 「日本もそろそろ日本のバレエ、日本のスタイルを生み出していって欲しい。そうなるためには当然、教育制度だし、そのシンボルは新国立劇場。そのバレエ団が日本のバレエとしてオリジナルなものを作って、世界ツアーをして欲しい。吉田都さんが率いる次のステージに期待している」(穣さん)

*国ごとに異なるバレエのスタイル: Q:「どれが好き?」(佐和子さん)-A:「やっぱり、アメリカン。でも、(ジョージ・)バランシンはネオ・クラで、次の時代に入ってるから、クラシックのスタイルということで、ユーラシアに絞ると、(オーギュスト・)ブルノンヴィル。やっぱり速い、切れのある感じが好き」(穣さん)-A:「私は、ロシア寄りのフランス。子どもの頃、写真で見るロシアは大っ嫌いだった。美しいのは、フランス、ブルノンヴィル。英・ロイヤルだったら、ヴィヴィアナ・デュランテ(伊)。Kバレエで熊川哲也さんと踊った『眠れる森の美女』は何百回も観た。超美しかった」(佐和子さん)「だから、スタイル、って言うより、やっぱり人なんじゃない。フランスって言っても、80%はシルヴィ(・ギエム)でしょ」(穣さん)「あと、(ウリヤーナ・)ロパートキナ(ミハイル・)バリシニコフとシンシア・ハーヴェイの『ドン・キホーテ』(ABT)」(佐和子さん)「バリシニコフ、大好きだった。彼の創作もののソロ、動きも表現力も凄くて、印象に残っている」(穣さん)「バリシニコフは女性の私でも憧れる。身体的には小さいのに、あのテクニックと表現力。ああいうのを子どもの頃に観ていたから、『こっちの世界』にいるんだと思う。『ホワイトナイツ/白夜』も凄く観た」(佐和子さん)「勿論、(ルドルフ・)ヌレエフもバレエダンサーとしての可能性を開いたけど、創作もので、バレエの領域を飛躍させたのはバリシニコフ。バレエダンサーって感じじゃなくて、天才的なダンサー」(穣さん)

*ダンサーの引退に関して: 「パリ・オペラ座の引退は男女とも同じになって42歳。私は今年で最後?(笑)アメリカで、一番身体に負荷がかかる職業のナンバー1はバレエダンサーと。本当にそうだと思う」(佐和子さん)「肉体にかかる負荷は物凄いのに、非自然なことを事もなげにやることによるマジック。背後に、凄い稽古と長年の鍛錬がなければできない。それこそ、生き様というか、それに賭けている人しか、そこには行けない」(穣さん)

森下洋子さん 「子どもの頃からずっと、漫画仕立ての彼女の本を読み続けてきた。彼女は人生を賭けて舞台に立ち、今なお表現することに喜びを感じていて、お客さんも彼女の生き様を観て、それで成立しているもの。私はいつまでも踊っていて欲しいと思う」(佐和子さん)「実演にはピークがある。それを観たお客さんのなかの『永遠なものにしておきたいという心理』も否定できない。それも引き受けて踊る必要がある」(穣さん)「絶対、引き受けていらっしゃる。それがわかる。」(佐和子さん)「勿論、勿論」(穣さん)「ただ、自分が好きだから踊っているじゃない。全てを引き受けて、なお、自分に可能性を感じているから踊っている。今なお、自分が進化していると彼女が思えていることは凄いこと」(佐和子さん)「そうだね」(穣さん)「自分も、明らかに25歳のときよりは、40歳になった今の方が、表現ということを措いても、身体的に進化している部分があることは分かるから、70歳の彼女の場合も、絶対にあることだと思う。毎日、自分の身体と向き合って、自分の可能性を見つけ続けられる限りはずっと踊っていて欲しい」(佐和子さん)

*穣さんの場合: 「30代後半、なんとなく身を引き始めて、そろそろ引退かなと思ったけれど、そこからまたスイッチを入れて踊りを再開したときに、『Noismメソッド』をやりながら、気付くことが明らかに増えた。若い頃は考えてなかった。20代って、ちょっとストリートダンス的な感じになっていて、もう「どこでも踊れます」「なんでも来い」みたいな感じだった」(穣さん)「復活し始めたときに、私が本を読んでいて、『こうだよ、ああだよ』って言うと、聞き入れたから…(笑)」(佐和子さん)「それまでは?」(穣さん)「聞・き・入・れ・ない!」(佐和子さん)(穣さん、大爆笑)「その頃から私が『ここ、こうだよ。だから、こうなんだよ』みたいに言うと、穣さんが『あれ?あれ?』ってなり始めた。目の前にいる穣さんのアライメント(骨の配列)がバレエダンサーになってきた」(佐和子さん)「40代にして!」(穣さん、再び大爆笑)

*バレエの基礎がもつ意味: 「今、もう一度、バレエの歴史を自分の身体を通して遡っている感じ」(穣さん)「ここから、皆さんは崩していったんだ、って感じ」(佐和子さん)「ギリギリ俺らの世代はそこに戻ろうという意識をまだ持てる世代。自分の後の世代にはもう戻る場所がなくなっているように思う」(穣さん)「私たちは戻る場所があったから、そこに行けたけど。もうバレエからも入らない人たちが大半。でも、何事にも基礎が必要」(佐和子さん)「踊りだけじゃなく、あらゆる身体表現、或いは表現のなかで、基礎と呼ばれるものが失われていると言われる。今の時代、新しい基礎が必要だろう。また、振付と稽古とは別物。稽古が大事。稽古を蔑ろにしたら、もう基礎なんてなくなり、単にスタイルの話になっていっちゃう」(穣さん)「戻る場所がないと、振付は、終わったら終わり」(佐和子さん)「戻ることが大事。行ったばっかりになってしまうと、もうどこにも行き着かない。コンテンポラリーダンスでは、もう結構、その臨界点が来ているように思う。今、基礎としてのバレエを大事にするんだったら、そこから日本のバレエ、新しいバレエを考えていく必要がある。伝統だけではガラパゴス化してしまい、それが好きな人たち以外に感動を与えたりすることは出来ない気がする」(穣さん)「でも、バレエは凄い。何万回も『白鳥の湖』をやっていて、今なお、お客さんが観続けている。私は舞台の舞踊を観て泣いたのはバレエ以外、記憶にない。酒井はなちゃんの『白鳥の湖』を観て泣いたし…。それって凄い力だと思う。ストーリーも何もかも分かっていて、それでも人は感動するっていう…。だから、古い体質の人が『バレエをやれ』って言うだけじゃない気がしている」(佐和子さん)「それはでも、マスターピース(傑作)を相手にしているからであって、バレエがどうこうじゃない。『白鳥の湖』っていうのは、(マリウス・)プティパのマスターピース、チャイコフスキーのマスターピースっていう部分があるよね」(穣さん)「そう。だから、あなたの作品も頑張って世界中のバレエ団でやればいいんじゃない、っていうので終わっていい?」(佐和子さん)「ああ、もう時間?」(穣さん)→ふたり、大爆笑。「やっぱり、日本で作られた新しいバレエ、世界のバレエ団がレパートリー化するようなものを作らなきゃダメ。そしてそれに見合う舞踊家たちが必要だし、それをプロダクションとして支える劇場文化も必要。そこまでいかないと日本のバレエが確立されたとは俺は思えないんだよね」(穣さん)

*「バレエ談義」がそもそも…: 「こういう話になる予定じゃなかった」(佐和子さん)「そうだよね」(穣さん)「全然、日本のバレエ界の話みたいな…、じゃなくて、ただ、私はバレエが好きみたいな…」(佐和子さん)→穣さん、みたびの大爆笑。「私のバレエ熱を、次はチュチュでも着て気分を上げて」(佐和子さん)「バレエ談義2?」(穣さん)「タイツとチュチュで」(佐和子さん)「俺、タイツ?」(穣さん)…

…と、まあ、そんな具合でしたかね。私自身がバレエに明るくない分、取捨選択することもままならず、当初は簡潔にいくつもりが、逆にダラダラ長くなっちゃいました。スミマセン。m(__)m

で、次に行われるのだろう『バレエ談義2』については、ラストで、穣さんが、佐和子さんの想定する流れにマッチするような「まだまだバレエは奥が深い」、「我々にとってバレエとは何か」なども挙げておられましたけれど、同時に、それと並んで、「抱えている課題も多いだろうし」とも仰り、またまた楽しく迷走する「談義」になる可能性も秘めています。スリリングで聞き逃せない道理ですね。ではまた。

(shin)

本日(9/19)の新潟日報朝刊「窓」欄に拙文を掲載していただきました♪

先月末、かれこれ3週間前に地元の新潟日報紙「窓」欄に宛てた投書が、本日(2020年9月19日)の朝刊に掲載されました。下に載せますので、まずはお読みください。

2020/9/19新潟日報朝刊「窓」欄より

「投稿後、3週間」というのが掲載されるリミットのようですから、今回の投稿は「ボツ」なのだと思っていたところ、ギリギリ滑り込みで、6度目の掲載。新潟日報さん、どうも有難うございました。m(_ _)m

タイトルの変更と文章の整理を施していただいたうえでの、ギリギリの掲載は、採用されたタイトルが何やら中高生っぽくて赤面したくなる気も致しますが、「最高」は「最高」なんだから仕方ありませんね。そして、「最高」の2文字が持つ日報購読層への訴求力は小さくないのでしょうし。でも、そうなら、更にもう一歩踏み込んで「サイコーかよ」とでも表記して貰いたかった気も致します。(笑)

Noismの今回の公演のクオリティ、そしてそれを実現にこぎつけた関係者の方々の努力、それら全てが「サイコー」で、それら全てが「私たちの未来(新しい日常)を作っていく」、そう感じた次第でした。「未来とは、今である」とは、さる米国の人文学者(マーガレット・ミード(1901~1978))が語ったとされる言葉です。その意味で、「未来」に繋がる「今」を目撃した気持ちを込めて書いた文章でした。

追記: 平田オリザさんと金森さんの「柳都会」(2016/4/23/)につきましては、こちらにレポートをアップしてございます。そして、今回の投書で引いた元の発言は、「芸術そのものの役割」中の「被災時の『自粛』の風潮を巡って」語られたなかでお読みいただけます。気の利かない記事ですが、ご参照ください。

(shin)

本夕、BSNテレビ「ゆうなび」にて「サラダ音楽祭」が♪

新潟県内の皆さま、朗報です。本日の夕方(18:15~)のBSNテレビ「ゆうなび」のなかで、過日、同局クルーが同行取材されたサラダ音楽祭の様子がオンエアされるそうです。必見、必録ですね。

ワクワクものですね。で、放送後、同番組をご覧になられたご感想などもお寄せ頂けましたら幸いです。(以下、Noism Company Niigata のtwitterからの転載です。)

これを書いている今、時刻は朝の8時を回ったところ。あと10時間が待ち遠しい!BSNさんには、出来るだけ「尺」をとって頂きたいと思いますが、とりあえず、楽しみでしかありませんね。皆さま、どうぞお見逃しなく♪

*追記*  同特集の内容につきましては、下のコメント欄にて若干ご紹介させて貰いました。どうぞ、コメント欄にお進み頂き、併せてお読みください。

(shin)

サラダ音楽祭について-公演翌日はもはや恒例(?)インスタライブvol.6

この度の台風10号により被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。

さて、かずぼさんによる前日のサラダ音楽祭レポがあがったばかりのタイミングではありますが、「公演翌日トーク」は公演後の佐和子さんの精神衛生上必須ということで、「ならば止むなし」とばかり、こちらのブログも簡単に概略をアップすることに致します。かずぼさんの詳細な公演レポの「番外編」としてお楽しみ頂けましたら幸いです。

・穣さん、いきなりの「謝罪会見」は、舞い上がってやってしまった矢部さんとの「握手」について。そして、この後も時折、謝罪の言葉は繰り返されました。

・佐和子さん・穣さんともに昨日の一番の印象は、生オケのラストの一音が消えていく瞬間のこと。「生の残響が空間にまだ漂っている」(穣さん)「自らじゃない力で、更に静寂が閉じていく感じ、ホントに凄い。無音が音だと感じる」(佐和子さん)音楽が始まる前も客席は「ただ待っているだけじゃなくて、聴いている感じ」(穣さん)「音との向き合い方、また新しい何かを見つけた感じがする」(佐和子さん)

・「ラベルを初めてオケで練習した際、10分の作品が40分くらいに感じた。自分が知っている世界じゃないところに連れて行かれて、音楽が導いてくれて、砂漠を凄く長い旅をしているようなイメージだった」(佐和子さん)「一音と一音の間が録音よりもっと繊細で濃密」(穣さん)

・矢部さんの『フラトレス』、「まず驚いたのはクリアなこと。一音一音が粒立って全部聞こえる。濁りがない。繊細。これをどういうふうに自分の身体に落とし込んで踊るんだろう、どうやって矢部さんと対話していくんだろう、と思ったのが初日。2日目も矢部さんの音の純度に対して合うスピード感やタイミングを掴めてなかった。何かが違う」(穣さん)「表現として、どいうふうに作品を作り上げていくか」(佐和子さん)矢部さんと言葉でイメージを交換したのを機に「化学反応が起きた」(佐和子さん)「話したことで、動きながら矢部さんに何か送る感じになった。この方向性かも知れないと何か掴み始め、本番3時間前のゲネで、これが矢部さんと奏でる『フラトレス』なんだと確信を得た」(穣さん)「本番では、あの瞬間でしか生まれないものが生まれた」(佐和子さん)「ペルトの『フラトレス』を踊ったんじゃなくて、矢部さんと踊った、矢部さんで踊った感覚」(穣さん)

・オーケストラピットがなくて、背後にオーケストラを背負っていることの体験: オーケストラから、矢部さんから受ける熱い視線の体験、とても疲れた。「超見巧者に骨董を後ろから見られている感じ」(穣さん)

・スタンバイの穣さん: 「俺もオーケストラじゃん」で、オーケストラと一緒に入っていった。いつもの手を振る仕草、「やりおったな」(佐和子さん)「普段、幕の奥で必ずやっていること。自分の儀式として」(穣さん)

・対する佐和子さんはちょっと違うらしい: 「出て行くときから『入っていく』。人の作品という意識が結構あるから。作家がいる演者という感覚とあなたの場合の自らが作家の違いがある」(佐和子さん)「舞踊家としてのタイプの違いもある。俺は人の作品でも意外とやっちゃうタイプだから」(穣さん)「そうね、そうだね。ある、ある」(佐和子さん)

・感染対策、前4列空いている客席、正装した「黒」の団員→不思議な感覚、様々な「ゲスト感」、「『郷に入っては…』なんだけど、郷のやり方が全然分かんないんすけど、みたいな」(穣さん)

・音楽家に訊いてみたいこと(佐和子さん): 本番の緊張感、アドレナリンで身体が変わり、音がゆっくり聞こえたりして、いつもの時間がストレッチされる、イコール自分が俊敏になってくる状態に舞踊家はなりがち。音楽家はどうなんだろう。

・矢部さんの『フラトレス』と俺たちの『フラトレス』、江口さんのラベルと俺たちのラベル: 「実演に向けたコミュニケーションを深くとることも何か違うと思う部分がある。どう融合していくのか、共演して生まれる新しいものに出来ないか」(穣さん)「何か感じたかった。すぐに納得したくなかった」(佐和子さん)

・「Noism0に入りませんか」(穣さん)-「入ります」(矢部さん): 矢部さんとの(サイトウキネン以来)9年振りの共演は、矢部さんの猛アタックによって実現したもの。「サイトウキネンで得た何よりのものは矢部さんと出会えたこと。オーケストラの皆さんとも精神的に近付きたい。こういう機会、経験を積み重ねていきたい」(穣さん)

・Noismとしては、生で踊る機会が続く: オルガン(年末のりゅーとぴあ)、雅楽(年明けの京都)

・佐和子さんは公演後の割りに元気。「今回、興奮気味だったよね」(佐和子さん)「録音で踊っているときは『出した』という感覚になるのだが、今回は、矢部さんから貰って出している、ある種の触媒のように、何かが通過していったって感じ」(穣さん)

・矢部さんと佐和子さんふたりトークも実現したい、等々…

約55分弱、開放感たっぷり充実のインスタライブでした。以上で報告とします。

アーカイヴはこちらからどうぞ。

(shin)

サラダ音楽祭メインコンサートのNoism@池袋・東京芸術劇場(サポーター 公演感想)

☆『Adagio Assai』(ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調より第2楽章)/『FratresIII』(ペルト:フラトレス~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のための)

 池袋の東京芸術劇場でサラダ音楽祭メインコンサートを観てきました。 とても素敵なコンサートで、そのすべてについて感想を書きたいところですが、私の文章力ではだらだら長く散漫な文章になってしまいそうなので、今回はこのブログの趣旨でもあるNoism Company Niigataが出演した2演目についてレポートしたいと思い ます。

東京芸術劇場外観
劇場エントランス
サラダ音楽祭の垂幕がかかっている
コンサートホールへと続く長いエスカレーター
改修前はもっと長くて恐かった
エスカレーターをコンサートホール側から見たところ
地下の広場
受付
チケットは自分でもぎる

 

 最初の演目モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」ではモダンオルガンも音を奏でましたが、その後の舞台転換ではこのパイプオルガンが隠れるほど大きなスクリーンが吊り上げられます。 いよいよラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調 第2楽章」のはじまりです(先日の新潟公演では「Adagio Assai(仮)」として上演)。指揮の大野和士さんと共にピアニストの江口玲さんが登場、演奏が始まるかと思えば、Noism0の井関佐和子さん、山田勇気さんがおもむろに現れ大きく踊りだします。冒頭の部分は「Adagio Assai(仮)」から、より大空間に対応すべく変更されたようです。

 江口さんの素敵なピアノの旋律と共に井関さん山田さんの舞踊がドラマチックに語られます。金森さんが以前「退団するメンバーとの別れの寂しさから小さな作品がつくれそう」とつぶやいていたのは、恐らくこの作品のことでしょう。2人のダンスは別れを語っているように感じました。井関さん山田さんの軌跡がストップモーション風に切り取られスクリーンに映し出されます。それはまるで流れつづける時間(現実)と、もはや永遠となった回想がオーバーラップして現れるように感じました。井関さんはオーケストラの間を抜け舞台後方に、山田さんは前方に留まり離れ離れでラストを迎えます。しばしの沈黙のあと万雷の拍手で賞賛されるお二人。

 続いて転換の後、暗転したままの舞台上にオーケストラメンバーと共に入ってきたのは金森穣さん。ヴァイオリンソロの矢部さんも自席で座ったまま演奏するようです。 舞台前方のリノリウム上で気合がみなぎっている様子の金森さんはこれまでにないほど大きく、異様な雰囲気を漂わせています。その直後に大野さんも入場すると場内から拍手が起こりますが拍手には応えず指揮台にのぼり演奏のスタンバイに入りました。 矢部さんのヴァイオリンが鳴ると同時に金森さんの身体が即座に反応し二人の激しい演奏が始まります。ペルトの「Fratres」です。次第に舞台の上手下手からフードで表情のみえないNoism1ダンサーがゆっくりと入場、芸術劇場の舞台上横いっぱいに広がり完璧なユニゾンを踊ります。金森さんは矢部さんのヴァイオリンソロと呼応、群舞はアンサンブルと呼応し演奏が繰り広げられます。金森さんの演舞は鬼気迫るものがあり圧倒されますし、対する矢部さんのヴァイオリンは冷静沈着な中に鋭さがあり、まるでサムライのような凄みがあります。また矢部さんは冒頭の超絶技巧後も、ソリストとオーケストラのコンサートマスターとしての役割を同時に担い、アンサンブルを率いつつソロを奏でます。

 Noismの踊りはコンテンポラリーでありながら原始的であり、純粋な祈りの儀式のように感じられました。「Fratres」シリーズ最終章となる「FratresⅢ」では「これからも踊り続けること」「新型ウイルスの終息」「舞台芸術の存続」の祈りのように感じられました(もちろん観る人によって感じ方は様々でしょう)。 ちなみに、これまでの「Fratres」シリーズでは天井より白いモノが落下してくる演出があり、それが非常に感動的なのですが、こちらについて興味がある方もいらっしゃると思いますので、単独公演との演出の違いについても簡単に書き記します。まず落下物の演出は照明を操作することで同様の効果が得られていました。またラストの円舞もスペースの都合上変更されていて、上手下手に分かれて非常にゆっくりと退場していき最後は金森さんだけが舞台上にいる、といった演出がされていました。

 打楽器の余韻が鳴り止むと同時にこれまた大きな拍手が起き、舞台袖に捌けていたNoism1ダンサーも舞台上に戻りカーテンコールに応えます。ここで金森さん、勢いのあまり矢部さんに握手を求めました。矢部さんは一瞬困惑したように見えましたが握手に応じていました(ちなみに指揮者大野さんと矢部さんは握手の代わりに肘タッチをしていました)。

 また演奏会の終演後は、再びのカーテンコールとなり今度は金森さんが臼木さん、江口さんと共に登場しました。ここでも大きな拍手が観客から送られカーテンコールが何度も続きました。 ちなみに、東京都交響楽団は7月に主催公演を再開しましたが都響会員・サポーターに限られていたため、今回のサラダ音楽祭が一般に開かれたコンサートの久しぶりの再開となったようです。 都響、Noismの公演を待ち望んでいたファンにはとても感慨深いコンサートとなりました。と同時に、いつもNoismの公演には必ず現れる熱いファンの姿が今回は見えなかったこともあり、新型ウイルスの影響により泣く泣く来場を諦めた、自粛した方もいらっしゃることも知っています。 本日のNoismの祈りが天に届き、早く舞台人が正常の舞台活動が出来る日が訪れることを私も願っています。

(かずぼ)

穣さん+佐和子さんが語る「公演後」(インスタライブvol.5)

2日間の『春の祭典』/『FratresIII』プレビュー公演(『Adagio Assai』を含む)を終えた翌日の2020年8月29日19:00、穣さん+佐和子さんによる第5回目のインスタライブが予定時間を延長して配信されました。今回のテーマは「公演後」。前もって質問を受け付けたりすることで、私たちが知りたい「直後」の様子などをお二人が寛いだ雰囲気のなか、あるところでは「夫婦漫才」みたいにユーモラスに、ホント腹蔵なく、時間を延長して、たっぷりと話してくれました。普段、アフタートークがあるときのそれとも違う、なかなかにレアなお話を聴くことができたと思います。

そのお話全体については、おふたりのインスタ・アカウントにアーカイヴ化されていますから、お聴きになりたい方はこちらからどうぞ。(今現在、最新のふたつがそれになります。)

ここでは、お話の内容をかいつまんでご紹介していきます。よろしければ、お付き合いください。

・最初は、昨日の夜に(=本番の夜に)やることも考えたんだそう。でも、さすがにやめようということで、今日になった。

・「『プレ公演』って、嘘でしょ」(佐和子さん)「万全な体制ではないんだけど、出来る限りのことをしようと、可能な限りのことをしようという思いでやったところ、結果としてちゃんとした公演通りにできた。スタッフは大変だったと思う。でも、劇場専属舞踊団だからこそできた公演」(穣さん)

・「来てくれた人たちもある種の覚悟を持って来てくれた。そのエネルギー、集中力は凄かった」(佐和子さん)「選んで、色々考えた末に『行くんだ』と覚悟を持って来てくれた人たち、その思いや気配が客席には満ちていた」(穣さん)

・「今回、スタンディングオベーション、嬉しかった。泣きそうになっちゃった。客席から来た圧は凄かった」(佐和子さん)

・「(最終日の)公演後は少しおかしくなっちゃう」(佐和子さん)「(佐和子さんは)公演後、ガクッてくるもんね。寝れないは最近かなと思うけど」(穣さん)「穣さんはならないね」(佐和子さん)「実演家としてはならないね。それは多分、作ってる側の脳があるからかな。先を夢見ている部分でバランスがとれているのかもしれない」(穣さん)「私は今しかないから、その今がなくなった瞬間に切れちゃう」(佐和子さん)

・(『春の祭典』について)「昨日、本番観ながら、何かが足りないと感じていたものに気付いた。来年、本番のときには実現させたい」(穣さん)

【質問1】「夫婦のみでの製作について」: 「24時間体制が更に濃くなる」(穣さん)「でもそんなに違いがあるとは考えていない」(佐和子さん+穣さん)

【質問2】「ビデオチェックは通して見るのか」: 「ものによる。今回、『Adagio Assai』と『FratresIII』は前(方向)から見ていないので、チェックしてダメ出しをノートにとったが、『春の祭典』は実際、客席から見たものを基に終演後、楽屋でダメ出しを書いたので楽だった」(穣さん)「『ロミジュリ(複)』は大変だった。長い上に俺(穣さん)も出ていたから。帰ってから、また2時間見なきゃだめだった」(穣さん)「2時間ものは夜がツラい」(佐和子さん)「私は何回も見ちゃう。1回目は作品を(見なくても良いのに)ぼーっと見る。2回目は自分とまわりのダメ出し。3回目は超個人的な拘り」(佐和子さん)「俺は基本的には見ない。ダメ出しはしないとだから、Ⅰ回は見るけど」(穣さん)「何回も見たがるが、見ると落ち込む。映像は嫌い」(佐和子さん)

・本番の後、寝られない人(佐和子さん)と爆睡の人(穣さん)、積み上げていく人(佐和子さん)と「子どもみたいな人」(穣さん)、ごちゃごちゃした楽屋(佐和子さん)と何もない楽屋(穣さん)←「舞踊家としては両極」(穣さん)

【質問3】「『春の祭典』は一番何を意識して作ったか」: 「楽譜を見て、まず、舞踊家ひとりひとりに楽器をあてがうコンセプトがあり、それに忠実でありたいというのがスタート。しかし、それに固執し過ぎるとダメ。コンセプチュアルな部分と破綻した野性性のバランスを実現させたくて拘った」(穣さん)「お陰でアキレス腱が痛い」(佐和子さん)「変拍子は昨日(楽日)ですら数えながら踊っていた。ユニゾンでは必死に数えていた」(佐和子さん)「ああいう緊張状態、集中状態での頭の回転の速さ、時間の流れの刻み方って凄いよね」(穣さん)「身体は現実を生きていて、脳はある種の非現実を生きている感じ」(佐和子さん)

【質問4】「『春の祭典』での襟を立てる、襟を開くに込めたもの」: 元々の衣裳のコンセプトが「患者性」(病院みたいな設定)→ボタンの開け閉めで多様な見え方がするという提案が衣裳のRATTA RATTARR・須長檀さんたちからあったもの。

・去年の利賀の舞台のことは一生忘れない。「あの時の感覚は『点』で思い出す」(佐和子さん)「どことも似ていない劇場。唯一無二だからね」(穣さん)

【質問5】「今回の公演の一番の目標と課題」: 「コロナ禍にあって、実演家もスタッフも無事に舞台を成立させること。それができて良かった」(穣さん)「それに尽きるね。でも、こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけど、舞台に立つときに『コロナどころじゃないぞ』と思う自分がいた」(佐和子さん)「でも、それは当然と言えば当然。意識の持っていきようであって、そのとき、それよりももっと喫緊の、もっと緊急な事態っていうのがあって、それに直面したら向き合わなきゃならなくなる」(穣さん)「それぞれの職種、人それぞれの人生があって、その瞬間瞬間に向き合うことが異なるって感じ。そいうことを通っていろんな人の人生を見られるんだなぁって考えさせられた」(佐和子さん)  

【質問6】「公演が終わったあと、公演のとき、必ずすること」: 「本番の舞台で楽屋に入るとき、普段は聴かない美空ひばりさんを聴いたり、鈴木忠志さんの本を開いたりする」(佐和子さん)「俺、ない。舞台が好きで、『巨大な夢の庭』みたいなの、俺にとって」(穣さん)「劇場の舞台に負けそうになる自分がいて、鈴木さんの本とか、世阿弥の言葉とかを見て、『大丈夫、自分はいける筈』って確認する」(佐和子さん)

【質問7】「『Fratres』はまだ進化するのか: 「あれで完結です」(穣さん)

・週末(サラダ音楽祭)の生オケで踊る『FratresIII』では屑米は降らないのだそう。「降ったら大変なことになる」(穣さん)

・『火の鳥』について、佐和子さん、勇気さん、ニジンスキー、等々…

・公演後のクッションとしてのインスタライブ、恒例になるかも(佐和子さんの精神衛生上。そして、この状況では、アフタートークもなかなか難しくなりそうなので…)→来週も(公演翌日に)あるかも!?

・時間を延長し、エンドレスにどこまでも行きそうだった今回のインスタライブ、終わりのきっかけはさる方からのメッセージ♪それは…(笑)

…ここで拾えなかったお話もたくさんありますから、是非アーカイヴでご覧ください。きっと楽しい時間になると思いますよ。ではでは。

(shin)

 

プレビュー公演楽日(2日目)、練度の高い実演に言葉を失う

2020年8月28日(金)の新潟市は、前日ほどではないにせよ、予報通り、極めて高温多湿。しかしこう何日も続くともう「暑い」などと口走る行為がいかにも陳腐な同語反復に過ぎず、限りなく慎みを欠いた、はしたない振る舞いに思えてしまうような、そんな一日だったとも言えます。

暑さを云々するより、どこまでいっても「これでよし」ということのない、文字通り、神経をすり減らすようなコロナ対応を求められながら、それでもこうしてプレビュー公演を実現してくれた方々に心からの感謝と敬意を捧げたいと思うものです。来年夏に延期された本公演への通過点としてのプレビュー公演を2日続けて観たのですが、この日(楽日)の練度の高さは尋常ではありませんでした。前日は気迫漲る舞踊に大変感動したのですけれど、謂わば、それは力ずくで圧倒され、蹂躙された感じの力業だったのに対して、この日見詰めたパフォーマンスは、気持ちが籠もったという点では同じにしても、より繊細さを増し、無理なく染み込んでくる感じの迫力に満ちたもので、一口に「感動した」と言っても、その肌合いを異にしていたように思います。

やはり定刻を3分ほど過ぎた18:03頃、緞帳は上がり、『Adagio Assai』の幕開けです。やや距離を置いた位置にあって、共振し、共鳴するふたつの身体、井関さんと山田さん。その距離を詰めていき、絡み合って踊られるデュエット。しかしそこから山田さんが抜け出すと、スクリーンの裏側へと駆けていき、こちら側に取り残された井関さんがシルエットとなった山田さんと踊る場面の叙情は到底書き表せるものではありません。この小品の大きな見所と言って差し支えないでしょう。その後、スクリーン手前に戻ってきた山田さんとの再びのデュエットから、今度歩み去って行くのは井関さんの方。残された山田さんですが、その身体が井関さんを覚えている…、そんな具合に余韻をたっぷり残しながら閉じられていきました。

舞台上手方向にゆっくり消えていく山田さんと入れ替わるように、中央奥からゆっくりと歩み出てくる姿こそ、金森さん。しなやかであるとともに、強靱で美しい筋肉にも目を奪われるでしょう。そして、金森さんがソロを踊り始めてから、ややあって、舞台奥から11人がこれまたゆっくり姿を現すと、全員で一糸乱れぬ群舞を展開し、金森さんのソロに厚みが加えられていく、『FratresIII』です。前日、どこを観るかでせわしなく視線を移した反省から、この日は中央の金森さんに視線をロックオンして、後景の11人をアウト・オブ・フォーカスで見ることを選択。これ、何という贅沢でしょう。加えて、知っていながらも毎度、「アレ」の場面ではハッとさせられたりもして、激しい動悸とともに、この神々しい作品を心ゆくまで堪能しました。

休憩になり、知り合いと一緒になる機会があっても、お互い、「良かったですね」とか「凄かったですね」とか、口から出てくる言葉は、どれも言っても言わなくても良いようなものばかり。それくらい「良かった」「凄かった」ってことなのですけれど、何とも情けない話です。(汗)言葉を紡ぎ出すには熟成期間を要する、それがNoismの舞台だったりする訳です。

休憩後の40分は『春の祭典』、前のふたつも含めて、3つとも全く肌合いが違う作品であることも驚くべきことです。全部、ひとりの演出振付家の手になるものなのですから。そして後半に置かれた、この実験舞踊、圧倒的な推進力をもって展開していき、手もなく、感情の昂ぶりにまで連れ去られてしまう訳なのですが、光やら、椅子の白と赤やら、白シャツの襟やら、はたまた昇降する装置や幕などといった無数の細部が読み解かれることを待っていて、例えば、数学の図形の証明のように、適切な「補助線」を引くことが必要なのかもしれませんね。本公演は来年夏なので、まだまだ回数を重ねて観たいと強く思う次第です。まあ、観ながら身中で味わう高揚感が本物なのですから、それ以上、何を望む必要もない訳なのですけれど。

終演後、客席のほぼどのブロックにも例外なく、スタンディングオベーションをもって、感動を伝えようとする観客がいて、その数の多さは目撃したこの目の奥に刻まれています。横一列に並ぶ白の舞踊家たちに黒の金森さんが加わったとき、場内の興奮と拍手は最高潮に達したと言いましょう。

そして、拍手が途切れることなく響くなか、金森さんから退団するメンバーに花が手渡されていきました。まず、Noism2の長澤さん、森さん、そして橋本さんの3人に花一輪ずつが渡され、ついで、Noism1のタイロンさんと池ヶ谷さんにブーケが贈られたのですが、その際に金森さんから頭を抱えられたのは池ヶ谷さん。その後、タイロンさんも井関さんに頭を抱きかかえられていました。どれも寂しいけれど、良い光景でしたね。皆さんのご健康とご活躍をお祈り致します。

ところで、明日の夜(正確には今夜)は、穣さんと佐和子さんによるインスタライブが告知されています。今回、開催されなかったアフタートーク的な内容のものが楽しめる様子。どんなことが語られるでしょうか。大いに興味を掻き立てられますよね。

そして来年夏、新加入のメンバーが加わって本公演として踊られるとき、どんな舞台が届けられるのでしょうか。その際、また新しいNoismに出会えることを楽しみにしたいと思います。

(shin)

猛暑日の新潟市で『春の祭典』/『FratresIII』プレビュー公演初日

2020年8月27日(木)の新潟市は気温が37℃を上回る体温超えで酷暑の「猛暑日」。

立秋はおろか、暑さも収まるという処暑さえ過ぎて、暦上は立派な「秋」である筈なのに、フェーン現象のため、猛烈な暑さに見舞われた新潟市のりゅーとぴあまで、Noism版の『春の祭典』や厳しい冬のイメージ漂う『FratresIII』を観に来るなど、季節は一体どうなっているのか、と眩暈を禁じ得なかったりもした訳ですが、そもそも劇場は非日常の空間ですし、そこで春だ、冬だと言われてしまえば、それぞれ前後左右を一席ずつ空けて、市松模様状態に割り振られた席に身を沈めた者たちはみな、さっきまでの暑さなどすっかり忘れて、季節不明の異空間に身を置く自分を見出すことになったような成り行きの筈です。

緞帳があがった19:03頃。客電も落ちきらぬままといった明かりの具合から、それと気付かぬまま、日常と地続きに見える非日常へと導き入れられてしまう私たち。その目に飛び込んでくるのは、舞台下手に立つ井関さん、向かい合って立つ山田勇気さんは上手側。真横から見るふたり、まずは不動。そこから「非常にゆるやか」に動き出したかと思えば、ぐんぐん加速して腕を振り回します。同時上演の『Adagio Assai』から公演は始まりました。時折、舞台後方に映し出される静止画像が、ふたつの身体の静止振りや速度を際立たせるなか、踊られる切ないデュエットに瞬きも忘れて見入る私たち。陶然たる時、恍惚の境地。

一段落し、微かに風の音が聞こえてくると、緞帳は下りず、今度は冬枯れを思わす暗めの照明のなか、『FratresIII』へと移行していきます。「I足すIIがIIIです」という金森さんの言葉通りの『FratresIII』。金森さんが手前中央でソロを踊り、その背後、舞台狭しと11人が群舞を踊ります。ソロと群舞が極めて高いレベルで拮抗するなか、ほぼ今回がラストとなる舞踊家も観たいし、勿論、金森さんも観たい。では一体どこを観れば良いというのか。私は心底迷いながら、絶えず目を動かして眺めていたように思います。公開リハーサル時にはなかった「アレ」も加わり、腹にズシンと響く超重量級の作品に仕上がっていました。

休憩時間のホワイエには、もう既に思いっきり魂を揺すぶられ、上気した者たちばかりが目につきました。まだ、後半が残っているというのに、です。恐るべきパフォーマンスに、気温とはまったく別物の、興奮で熱した空気が漂っているように感じられました。

休憩が終わると、『春の祭典』です。壇上には、いつの間にかキチンと並べられた椅子があり、その背もたれ、連続した細い横五本のラインは五線譜のようでもあります。白塗りの顔、白シャツとそこから生え出たかのような2本の素足。虚ろな表情を浮かべた21人の現代人が自分の座る場所を選ぶところから始まります。他人を必要以上に意識しながらも、一切の関わりを避け、心を閉ざしていたい者ばかりです。そんな彼ら、見えない舞台の外部に対して揃って不安を抱き、恐れ慄いていた筈が、いつしか理性の対極に位置するかのような、心を掻き乱す不穏なリズムと不協和音に満ちたポリフォニーに煽られて、内側の暴力性を目覚めさせていきます。その変容のさまを、白シャツを汗まみれにするだけでは足りずに、汗の飛沫を飛び散らせながら、有無を言わせぬド迫力で、可視化していく舞踊家たち。頭をガツンと殴られでもしたかのように感じる作品と言っておきましょう。

こんな物凄い芸術があってくれて良かった。それもこんな時期に、ここ新潟に。どうしても観に来られなかった人がいて、躊躇った末に観ることを諦めた人がいるなか、今、これを観られることの僥倖を噛み締めた一夜でした。と同時に、何か後ろめたいような思いもあって、心の中では、この先、芸術を求める者は誰でも、安心して、その求める芸術によって心が満たされる、当然と言えば当然でしかない、そんな日常が一日も早く戻って来ることを願いました。

(shin)

「色、そして/或いは時間」(サポーター 公演感想)

☆『森優貴/金森穣 Double Bill』

 新潟と埼玉で観た「森優貴/金森穣 Double Bill」は、様々な時間が、それらと不可分な色を散りばめつつ描出される刺激的な公演だった。

 金森さんの『シネマトダンス』は『クロノスカイロス1』から。肌を透かせて横溢する若さをピンクが象徴し、「昨日」(=映像)と格闘しながら過ごされる「永遠」かと錯視される眩しい時間。やがて終焉の予兆が滲み、甘酸っぱい感傷の余韻を残した。

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『クロノスカイロス1』
Photo : Kishin Shinoyama

 『夏の名残のバラ』は、その身体に「Noismの歴史が刻まれている」井関さんの踊りと最奥に映される映像は勿論、録りつつ見せる山田さんの「所作」も舞踊以外の何物でもない重層的な作品。強弱様々にリフレインされるたったひとつの歌に乗せて、落日を思わせる照明のなか、赤と黒と金で描かれる舞踊家の今と昔日は涙腺を狙い撃ちにするだろう。

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『夏の名残のバラ』
Photo : Kishin Shinoyama

 色と同様に、シルエットが現実界の身体に不可分なものであるなら、金森さんのソロ『FratresⅡ』は、現実界を超え出たものにしか見えない。何色かを同定することが容易でない色味、身体と同調しないシルエット。しかし、そもそも色もシルエットも光が織りなす仮象でしかあり得ず、ならば、身体が突出する金森さんの舞踊は、それらを置き去りにしながら、舞踊の本質に降りていくものであり、神々しく映る他あるまい。

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『Fratres II』
Photo : Kishin Shinoyama

 森さん演出振付は『Farben』。冒頭からスタイリッシュで、耳も目も瞬時に虜となる他ない。自らの色を求めて走り出す者たち。過去と現在、そして未来。交錯し、折り重なる時間を、個々の舞踊家の個性(=色)もふんだんに取り込みながら、多彩な舞踊で次々に編み変えていくその作品は、どこを切っても、鍛錬された身体が集まってこそ踊られ得るものでしかない。

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『Farben』
Photo : Kishin Shinoyama

 今回の「Double Bill」、時間を共通項に、過去に立脚しながら、新色を添えつつ、未来を見晴るかすものだった点で、Noism第二章の幕開けを飾るに相応しい公演だったと言い切ろう。 (2020/01/26)

(shin)