NHK「ラジオ深夜便」インタビューに金森さん登場♪

皆さま、昨夜(2024年7月17日・水)はお聴きになられたものと思います。勿論、NHKが毎日放送している深夜番組「ラジオ深夜便」(アンカー:芳野潔)、その午後11時台後半、金森さん登場の「公共劇場専属舞踊団を20年」と題されたインタビューのことです。

こちらのインタビューですが、鈴木由美子ディレクターとオンラインで行われたものとのことで、約25分間の放送でした。

未だ「道半ば」とする金森さんのご意向と拝察しますが、聞き手から終始、「20周年おめでとうございます」のような言葉はなく、「前例のないことでしたので、あらゆる面で困難の連続でしたし、まあホント、あっという間に過ぎたっていうのが実感ですかねぇ」と語り出した金森さん。

その後、Noismの「20年」に発して、話は多岐に渡ります…。
・新潟市長交代期に(「幸か不幸か」(金森さん))政治的なトピックになってしまったNoism
・「日本初の公共劇場専属舞踊団」が意味するもの
・「新潟の文化」であることの理解の継続性
・舞踊や文化をめぐって、この国で変えるべきもの、可能性への献身
・「無理解の壁」との闘い、後世のための文化状況改革への闘い
・この国の文化状況を新潟から変えるための金森さんの闘い
・舞踊家たちの稽古への情熱
・芸術が社会に浸透していく循環の実現へ
・記念公演「Amomentof」に込めたもの、舞踊とは一瞬への献身
・消えてなくなること、残らないことの尊さ
・「時分の花」(世阿弥)を目の当たりにすることの醍醐味、一期一会、緊張感
・井関さんの20年間の献身、その身体に刻まれた記憶や注いできた情熱、舞踊への愛をマーラー交響曲第3番第6楽章『愛が私に語りかけるもの』を用いて作品化、未来に繋がれていく情熱、その刹那を共有して欲しい
・次週に迫る「東京公演」(←浦安にあるにも拘らず、「東京ディズニーリゾート」とされるテーマパークに似た、聞き手による「その」表現に、「『埼玉公演』でしょうが!」と思わず突っ込みを入れましたけれど)、「東京一極集中」(金森さん)の危うさ
・「劇場」とは(東京を介さずに)地方独自の文化を創造・発信する場所という理念
・金森さんの「私がダンスを始めた頃」、欧州で体感した社会と舞踊
・目指すもの: 舞踊芸術に従事する舞踊家の情熱・献身が社会のなかでうまく活用され、社会に還元され、この国の劇場文化が、地方が豊かになり、その劇場文化から創造されたもので平和に寄与したい(金森さん)
・舞踊家であること: その社会や他者にとっての価値、世界にとっての貢献、それを一人でも多くの後輩たちに伝えたい、可能性を見せてあげたい(金森さん)…

そんなこんなで、中身の濃い約25分間でした。

こちらのインタビューはNHKのネットラジオ「らじる☆らじる」にて、7月25日(木)午前0:00までの期間限定で配信中です。お聴きになりたい方はこちらからどうぞ。(金森さんへのインタビューは23:17頃から始まります。)

また、この日のやりとりに興味をお持ちになられた向きには金森さんの著書『闘う舞踊団』(夕(せき)書房:2023年)の一読をお勧めします。金森さんの信念と「闘い」の真実が余す所なく記されていて、読めば胸アツになること必至、必読の好著です。

さて、いよいよ「埼玉公演」3 DAYSも間近に迫って参りました。献身のさまを目撃し、刹那を共有すべく、是非、彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉へ♪お見逃しなく!

(shin)

胸に迫る万感と感涙、そしてその先へと~Noism20周年記念公演「Amomentof」新潟公演の幕おりる

2024年6月30日(日)、Noism20周年記念公演「Amomentof」新潟公演楽日の新潟市は昼過ぎから雨。あたかも一足先に天がホームでの最終舞台となるのを惜しむかのように、数時間後の私たちの心を映した天候となっていったのでしょうか。そんなふうにすら思えてしまうほど、楽日の心持ちには寂しさも忍び込んでいたりします。

この日は15時の開演でしたが、通常より30分早い14時ちょうどにホワイエまでの開場となり、そのホワイエ内で同時刻に『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』の上映が始まり、多くの人たちが大型モニターの前に立ち、その優れたドキュメンタリーに見入っていました。

そうでなくても、楽日の賑わいを示すホワイエ。この日の公演に足を運んだ方々のなかには、金森さんの芸術監督招聘およびNoismの設立に関わった篠田昭前新潟市長や、鼓童とのコラボレーション『鬼』の音楽を作曲した原田敬子さん、そしてかねてより金森さんと親交が深く、『ラ・バヤデール-幻の国』において空間を担当した建築家・田根剛さんといった面々の姿がありました。(とりわけ、ご自身も登場するドキュメンタリーに視線を送る原田さんの姿には興味深いものがありました。)

約55分の尺をもつドキュメンタリーが半ば過ぎに差し掛かった14:30、客席への入場も始まりました。チケットカウンターには「当日券あります!!」の表示があったりもしましたが、この日の〈劇場〉はほぼ満席に近かったように見えました。

20年!そう、20年前に今のNoism Company Niigataを、ピークを更新し続ける日本唯一の公共劇場専属舞踊団の姿を想像できていた人は恐らく、そう多くはなかったのではないでしょうか。勿論、金森さんを除いて。

「すみずみまで明瞭にイメージできたことは間違いなく成就するのです。すなわち見えるものはできるし、見えないものはできない。したがって、こうありたいと願ったなら、あとはすさまじいばかりの強さでその思いを凝縮して、強烈な願望へと高め、成功のイメージが克明に目の前に『見える』ところまでもっていくことが大切になってきます」そう書いたのは京セラを設立した稲盛和夫氏(著書『生き方』(サンマーク出版)より:同書は「あの」大谷翔平選手がお勧めの本として挙げる一冊。)ですが、恐らく、金森さんが歩んで来た20年の軌跡にも、ここに引いた内容と重なる部分が大きかったものと推察されます。(稲盛さんの「見える/見えない」という言い回しは、奇しくも前日のアフタートークにおいて、音楽に振り付ける際のキーワードとして金森さんが使ったものでもあります。)

この度の記念公演の舞台を観ていると、新潟と世界が直結されている、或いは、今のこの一瞬間、ここ新潟はある意味、間違いなく世界の中心と言って差し支えなさそうだ、そんな普通なら途方もない放言と捉えられかねない思いさえ、自然に信じられてくるのです。恐るべし、金森さん。余人をもって代え難い芸術総監督、そう思う所以です。そして、今この国にあってそんな類い希な芸術家を支援することの豊かさや誇らしさといったらそうそうあるものでもないのでは。そんな思いも。

「今、自分が日本の劇場で働けていることは誇りなんですね。海外への憧れよりも、もっと素敵な『夢』を20年かけて作ってきてくれたという思いをのせて公演をよいものにしたいです」4月19日の20周年記念公演「Amomentof」記者発表の席上、そう語ったのはNoism1メンバーの三好綾音さん。(ウォルト・ディズニーではありませんが、)「ワンマンズ・ドリーム」を着実に根付かせるといった「偉業」に対して、(その闘いを知る)メンバーから贈られたこの言葉に相好を崩した金森さん。そして今公演で踊るメンバーたちを「みんないい顔をしている」と評したのは金森さんと井関さん。大きく頷いた山田さん。信頼やら発展やら継承やら…。素晴らしい公演にならない訳がないのです。

新潟楽日のこの日も終演後、りゅーとぴあ〈劇場〉は割れんばかりの拍手とどんどんその数を増していくスタンディングオベーション、そして飛び交う「ブラボー!」の掛け声に満たされました。誰もが幸せを絵に描いたような表情を見せています。(最高潮に達したところで終わりを告げるマーラーの楽曲、前日同様、それにつられて湧き起こった拍手すらご愛敬に見えました。)

20年!当たり前のように新潟の地にあり続けたNoism。一瞬一瞬の献身によって、弛むことなくピークを更新し続けた20年。しかし(これも前日のアフタートークで語られたことにはなりますが、)20年という年月にすら、何かを成し遂げたという感覚はなく、常に今日より明日、すべての可能性はここにあるとして更に先へと目を向ける金森さん、井関さん、山田さん。翻って私たち観客は、だから、次から次へと、常に純度の高い良質な刺激に恵まれた20年を過ごしてこられた訳です。それを幸せ以外のどんな言葉で言い表せましょうか。

『Amomentof』も『セレネ、あるいは黄昏の歌』も、Noism20年の軌跡の果てに、今この時点で結実した「奇跡」のような2演目であり、同時に、そこにはNoismに伴走してきた私たち観客側の年月も(当然に)織り込まれる筈ですから、涙腺破壊指数が高くて当たり前な道理です。舞踊家と観客、向かい合う2者が、非言語の「舞踊」を介して(無言のうちに)20年の区切りを寿ぐことになる2演目と言えます。

しかし、安住することを嫌うのが金森さん。この間の金森さんの言動によって想起させられるものはといえば、やはり彼が常々唱える「劇場文化100年構想」でしょう。20年をかけて、既に言葉以上のものとなっている金森さんの「ワンマンズ・ドリーム」、その軌跡を情感豊かに可視化させた2作品にまみえることを通じて、更に長い100年というスパンで劇場文化を捉える視座のもとに、一緒に明日の劇場を作っていく観客という名の「同志」として誘われているようにも感じた次第です。胸に迫る万感と感涙、それを携えながら、更にその先へと。金森さんと一緒なら。
…そんなことを感じた新潟3daysの楽日でした。

さて、全舞踊ファン必見のNoism Company Niigata 20周年記念公演「Amomentof」ですが、今度は約1ヶ月後の7月26、27、28日、埼玉3days(@彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉)です。期待に胸を膨らませてお待ちください。

(shin)

Noism 20周年記念公演新潟中日の眼福と楽しかったアフタートークのことなど♪

2024年6月29日(土)の新潟市は抜けるような青空。気温も上昇して、梅雨はどこへやら、もう夏本番とも言えそうな一日でした。前日、幕が上がったNoism 20周年記念公演新潟3daysの、この日は中日。公演グッズの黒Tシャツを着込んで出掛けました。

この日は花角新潟県知事と中原新潟市長も来られていて、記念の舞台をご覧になられました。そして旧Noismメンバーたちも多く訪れていて、そのうちの数人とホワイエでご挨拶したり、お話したり出来たのは嬉しい出来事でした。

この日も2演目はそれぞれに胸に迫ってきました。当然のように。

『Amomentof』では金森さんと井関さん、『セレネ、あるいは黄昏の歌』でも井関さん、それぞれが投げ掛ける眼差し、その表情を見逃すまいと注視しました。

その他、『Amomentof』では羽根のように軽やかに舞う舞踊家の姿に陶然とし、はたまた、『Mirroring Memories』を彷彿とさせられましたし、『黄昏の歌』の方は、「暴力」への、そして「暴力」からの流れを追う見方を意識したりしてみたほか、脱ぐこと、脱がせること、着ること、それらをみんな纏うことと一括りにしたうえで、年をとり、老いることも年齢を纏うことと見るなら、作品全体を貫くかたちで様々に「纏うこと」の主題が読み取れるなぁ、もうちょっと考えてみようかなどと思ったりしました。

ふたつの演目を見詰める間中、途切れることなく眼福に浸り、至福のときを過ごしたことは言うまでもありませんでした。
しかし、『Amomentof』のラスト、マーラーの音楽が消え入ったタイミングで、(無音のなか、まだ作品は続いているのですが、)拍手と「ブラボー!」の掛け声が飛んでしまったことは若干残念ではありました。でも、あの流れからはそれも仕方ないのかなとか、そんなことがなかった初日は逆に凄かったなとか思っていました。
また、『黄昏の歌』が終わってからのスタンディングオベーションの拡がりにはこの日も気持ちが昂ぶるものがありました。(1回おまけみたいなカーテンコールがあったりして、舞台上も客席も全員が意表を突かれて「エッ!?」ってなって、それだけで笑顔が増しましたし。)

で、この日のレポートの中心はその後、金森さん、井関さん、山田さんが登壇して行われたアフタートークでのやりとりとなります。そのアフタートーク、強烈な感動の余韻に浸ったままの場内、3人が現れるや、金森さんが口火を切って「あれだけ踊った後に、どんだけ酷使するんだろう、Noismは」と始めてまず笑いをとったのち、アフタートークも井関さんがやることに決めたのであって、「やらされている訳ではない。変な風評が立ったりもするんで」と自ら笑って、もう掴みは完全にOKでした。
この先は掻い摘まんでということにはなりますが、ちょっと頑張って、以下にご紹介を試みたいと思います。

☆年齢とともに感性の変化あるか
金森穣さん(芸術総監督): あるとは思うが、あんまり比べる必要もないかなと思い、そこまで意識していない。感動はそのときそのときのもの。
山田勇気さん(地域活動部門芸術監督): 拘るところが変わってきている。若い頃は動きとか細かいところに目がいったが、今は立つだけとか、歩くだけとかに。あと、踊りを始めたのが遅かったので、ある程度ここまでかなという思いがある。じゃあどうするか。シフトチェンジが必要かなと。
金森さん: でも、なんならピルエットもガンガンやっていたし、若い子たちには出来なくてもいいんだっていうふうに勘違いしないで欲しい。そういうことじゃない。
井関佐和子さん(国際活動部門芸術監督): 涙もろくなった。感性の幅が広くなったり、深くなったり。今回、踊っていて、みんなのことを見てて、ああいいなぁと。
金森さん: みんないい顔しているなぁと思った。見詰める視座が変わる。年齢を重ねるのはいいこと。

★日々のスケジュールはどんなか
井関さん: ・09:30~10:30 Noismメソッド(Noism2とNoism1新メンバー)
      ・10:30~12:00 Noismバレエ
      ・12:00~13:00 稽古①
      ・13:00~14:00 昼休み
      ・14:00~16:00 稽古②
      ・16:15~18:00 稽古③     

☆名古屋での公演予定はないか、公演を増やす計画はないか
井関さん: 今のところ、名古屋の予定はないが、呼んでくれればいつでも行く。新潟での公演回数を増やしたいのもヤマヤマだが、今回も公演ギリギリまで8月の利賀村での新作(『めまい』)のクリエイションをしていたし…。昨年は高校生だけを相手に踊ったスペシャルな公演もあった。ここ(劇場)に呼んでまたやりたい。
金森さん: まあ、でもチケット売れないからねぇ(笑)。
山田さん: 新潟市内全部の小学校まわりたいし、Noism2で長岡とか行ってみたい。
金森さん: もっと県内展開もしたい。

★『セレネ、あるいは黄昏の歌』を見ていると脳内にセリフが溢れるてくるが、舞踊家はどうか
金森さん: 言葉としては浮かんでこない。しかし、非言語だとしても、大事なのは「語ること」。 
井関さん: 客席が静かななか、舞台上でメンバーと「無言の会話」はずっとしている。自分は基本、「やかましい」と言われる。

☆井関さんが一番思い出に残っている衣裳は何か
井関さん: 「一番」となると難しいが、思い入れで言ったら、故・堂本教子さんによる『夏の名残のバラ』の赤い衣裳。生地に拘って色々語っていたのを思い出す。(*これに続く井関さんの発言は今公演の演目に関係する部分が大きいため、ここでは敢えてご紹介を差し控えさせて頂きます。その点、ご容赦ください。)

★新潟での一番の思い出は
山田さん: (しばらく考えてから)急性膵炎で入院したことかな。まず正露丸、それから痛み止め、そして入院。1週間くらい絶食した。メンバーがお見舞いに来てくれて。
井関さん: (山田さん同様、思いを巡らせたのち)メンバーのことならよく覚えているけど。
金森さん: 俺に過去のことを訊くのはやめた方がいい(笑)。

☆知事と市長が観にきていたが、何か言いたいことはないか
金森さん: Noismは世界的な舞踊団になってきている。是非活用して欲しい。(→場内から大きな拍手)

★20年間でどこがピークだったか
金森さん: 今に決まってる。ピークを過ぎたと思ったらやめている。

☆これまでに一番チャレンジングだったことは
井関さん: 作品が毎回チャレンジング。サプリを飲んで乗り越えている。チャレンジしていないと生きている気がしない。マッサージをして、今日よりは明日というふうに、舞踊には挑戦を求める。目標を掲げるのは得意じゃない。日々乗り越えていくだけ。
山田さん: (井関さんと)一緒、というか、一緒になった。それがないと、足りないなぁと思うようになった。
金森さん: 「Noism病」だね(笑)。こんなふたりだから、チャレンジし甲斐のある何かを差し出していかなければならない。

★今回のマーラーとヴィヴァルディ(マックス・リヒターによるリコンポーズ版)の音楽はどうやって決めたのか
金森さん: 直感。いずれ創作したい楽曲(や作品)はたくさんある。その時々のカンパニーの状況などを考えて決めているだけ。今回のマーラーも、いずれ作りたかったのだが、ああ、ここだなと。作りたいものはたくさんあるが、時間がない。時間をください。

☆マーラー交響曲第9番の第4楽章を振り付ける予定などはないか
金森さん: 今のところはない。(→質問者から「特殊な曲で、ダンスにするのは難しいかも」と言われるや)そう言われると作りたくなる(笑)。
創作にあっては、音楽を聴いて、舞台が見えたら、それは取っておく。見えないものは使わない。選曲に関しては割に素直で、有名とか(有名でないとか)は気にしない。
(→また、質問者から「以前の『Der Wanderer-さすらい人』について、シューベルトには960曲に及ぶ歌曲があるが」と向けられて、金森さん、「歌曲は手に入るもの700曲くらい聴いた」と答える。)

★怪我もつきものかとは思うが、メンテナンスとか工夫とかはどうしているか
山田さん: ストレッチして、マッサージしてという感じ。
金森さん: 本番のときには、Noism設立当初から、専門のトレーナーに待機して貰っている。
井関さん: 舞台に立てなくなるので、怪我が一番こわい。日々、マッサージやトレーニングでケア。踊りのことと同時に体をケアしていて、それが50%くらいを占めているかもしれない。海外の踊り専門に治療する方のYouTubeを見ている。それと、血液と酸素が今の私のテーマとなっている。
金森さん: 基本はもっとよく踊りたい、もっと長く踊りたいという気持ち。ケアした方がそれに近付ける。若い頃は寝りゃあ治るみたいなところがあったが、ケア自体も楽しめるようになると、ただ苦しいだけじゃなくなる。

☆Noism 20周年。とても幸せな公演だった。これからのことを聞かせて欲しい
山田さん: 本番は本番で、20周年とかはあんまり関係なかった。よく区切りとかという言い方をされるけれど、今日を精一杯やるとか、今日の課題を明日にとかは変わらない。
地域活動部門では、学校公演を行って、長い時間をかけて浸透させていくのがミッション。
井関さん: 20周年と言われるが、ただ20年が過ぎただけ。それによって、何か成し遂げたという実感はない。今回、メンバーと一緒に踊っていて、全員の目を見て踊っていると、魂が通い合った、嘘じゃない目をしていた。それを求めていた。『Amomentof』で見たみんなの目がホントにピュアで、始まりの一歩に思えたし、これからへの確信を得た。
金森さん: 全ての可能性はここにある。20年間続けてきたことの実績に価値がある。この舞踊団の素晴らしさと可能性。どこにこの身を賭けて、どういう判断を下していくか。その根底にあるものはずっと変わらない。新潟と世界を繋ぐことである。明日もチケットはちょっとだけあるそう(笑)。
井関さん: 公演回数が増えるように(笑)。公演回数を増やしましょう(笑)。

…といった具合で、約30分間の楽しいアフタートークでした。金森さん、井関さん、山田さん、お疲れのところ、どうも有難うございました。

そして、皆さま、今後、「公演回数が増えて」いくためにも、「ちょっとだけある」明日のチケットがソールドアウトとなって欲しいものですね。そのため、まだご覧になっておられない方、或いは、既にご覧になった方、どちらも明日、かっちりした予定が入っていない向きはご購入(ご鑑賞)のご検討をお願いいたします。20周年記念公演の2演目は観る度、新鮮な感動が待っていますゆえ。では、新潟公演楽日にお会いしましょう。

(shin)


金森演出と舞踊家の熱演が多幸感を連れてきたNoism20周年記念公演新潟初日♪

2024年6月28日(金)、雨予報が出ていた新潟市の空模様でしたが、どうにかこうにか持ちこたえるかたちで20周年記念公演の開演を迎えることとなりました。

この日はコンサートホールでのピアニスト反田恭平さん出演のコンサートとまる被りだったため、駐車場が混む前にと早めにりゅーとぴあ入りしておいて、まずは17:30からの4Fギャラリー『劇場にて-舞踊家 金森穣と新潟』上映会(入場無料)に足を運び、Noismが醸し出す空気感を先取りして身に纏い、記念公演に臨んだような案配でした。

18:30開場。ホワイエに進むと、入り口を入ってすぐのところに私たちサポーターズからの花があり、お祝いムードに色を添えることが出来ていて、嬉しく思いました。

見上げると横一列にこれまで20年間の公演ポスターがずらり。色々な思い出も蘇ってきます。

その下、いつものサポーターズ仲間たちとやりとりしたほか、この日が初Noismとなる友人夫妻とも談笑しながら携えてきた期待感をパンパンに膨らませて開演を待ちました。

19:00を少しまわって、客電が落ちると、緞帳があがり、舞台上に銀色のバレエバーが見えてきます。『Amomentof』世界初演の幕が上がりました。しばしの無音からやがて聞こえてくるマーラー。その大きくうねるような音楽に乗って総勢25人が紡ぎ出すのは、あたかも「地層」のように積み重ねられていく一日一日の弛まぬ稽古に始まり、舞踊家の心の揺れもみせながら、矜持と献身が結実に至る様子。積分され、やがて再び微分されていくNoismが刻んだ20年という時間。この作品を通して、目にしかと映じるのはその年月が常に刹那の積み重ねとして(稽古場で、或いは舞台上で)意志をもって生きられてきたという疑いようのなさに尽きるでしょう。
今日までそうした刹那の献身を一瞬毎、目撃してきた私たち。そんな私たちの涙腺を狙い撃ちにした金森さんによる感動的な仕掛けについては書かずにおきます。是非ご自身でまるごとご体感ください。

20分間の休憩後、今度は劇場版の『セレネ、あるいは黄昏の歌』です。前月、黒部の前沢ガーデン屋外ステージで観たときには、その圧倒的なランドスケープを味方につけたスケールの大きさが印象的だった訳ですが、そこはやはり金森さん、今度は有限な劇場空間において、装置と照明とにより、濃密な肌触りを醸し出したばかりか、幽玄な拡がりまで可視化されていました。そうした手捌きの見事さは、これまでにも巡演先の舞台形状の違いから大きく異なるヴァージョンで上演された『ROMEO & JULIETS』といった例もありましたが、今回もその例に漏れません。
開花、生気に満ちる若さ、暴力、老、死、呪術的な振る舞い、そして再生。巡る四季も、金森さんにあっては牧歌的な範疇では描かれません。悲喜、正邪、清濁、聖俗、その振れ幅の大きさに観る者の心は激しく揺さぶられることでしょう。

カーテンコールは二つ目の演目『セレネ、あるいは黄昏の歌』が終わってから。割れんばかりの拍手と大勢のスタンディングオベーション、そして飛び交う「ブラボー!」の声、声、声。りゅーとぴあ〈劇場〉内にはただただ笑顔のみ。身を浸すは多幸感。そこはもう感動した観客と熱演した舞踊家のみんなでNoismの20周年をお祝いする祝祭空間と化していました。カーテンコールは何度も何度も繰り返され、もうホント永遠に続くのじゃないかと思われたほどでした。

おめでとう20周年! 有難うNoism Company Niigata! そしてこれからもずっとNoismのある新潟市で!

そしてかく言う私たちNoismサポーターズも20周年なのです!「サポーターズ・インフォメーション#10」も是非ご覧ください。

そしてそして買いました、買いました。Tシャツとクリアファイル、もう嬉しい、嬉しい。(でも、残念ながら、既に黒TシャツのSサイズは売り切れとのことです。ご注意ください。)

明日(気分的にそう書きましたが、もう随分前に日付を跨いでおりますので、正確には「今日」ですが)、このTシャツを着ていこうかな、そんなふうに考えていることを記しながら初日レポの締め括りと致します。

この情感豊かで圧倒的な記念公演、新潟はもう2公演あります。まだまだお席はお求めになれる様子。皆さま、くれぐれもお観逃しなく!ですよ。

(shin)

2024年5月5日「子どもの日」、市報のNoism♪

2024年の大型連休も後半に差し掛かった5月5日「子どもの日」、5月の第1日曜のこの日に発行された「市報にいがた」(No.2814)の第5面に「Noism 20周年記念公演」の記事が掲載されました。パチパチパチパチ♪

「Noismとは」と「Noism 20年のあゆみ」に簡潔に触れながら、「記念公演」の新潟公演が紹介されています。

同市報ですが、下のリンクからPDF版もご覧頂けますので、よろしければクリックしてみてください。
 *全ページ
 *Noism掲載面(第5面のみ)
また、そのNoism掲載面(第5面)に関しましては、新潟市HP上のHTML版もどうぞ。
(こちらのHTML版ですと、3枚の画像を少し大きくご覧いただけます。)

市報上では、簡潔に完結していますが、お気付きの通り、添えられたふたつのQRコードによって、それぞれ、Noism Web Site および 20周年記念公演「Amomentof」特別サイトへと飛ぶことも出来るようになっています。(こちらでも同じリンクを貼っておきましたから、ご活用ください。)

同日の「市報にいがた」のトップ記事には特集として「73年ぶりの名誉市民」に選定された佐野藤三郎さんが取り上げられ、主な功績のなかに、「国際交流」があることが報じられています。更に、中原市長は「市長より」のなかで、佐野さんを「本市の国際交流の先駆者」と表現し、「本市を活力ある日本海側の拠点都市に成長させていきます」と抱負を述べています。その功績、そしてその路線こそ、「新潟から世界へ」を掲げて、これまで20年にわたって活動してきたNoism Company Niigataのあゆみともピタリ重なり合うものと言えるでしょう。期せずしてのこの一致です。

いやあ、新潟市によるこうしたPR、待っていました。まさに要望していた通りの路線ですし、大歓迎ですね。新潟市の「至宝」、漸く(と言ったら何ですが、)にして堂々の「市報」登場。そんな2024年5月5日は「子どもの日」であるだけでなく、まさに「祝日」ですね。いい日です。皆さんと一緒に喜び合いながら、「記念公演」への期待感を加速増幅させていきたいと思います。再びパチパチパチパチ♪

ところで、もう「記念公演」チケットはお求めのことと思いますが、もしこれからでしたら、よいお席はお早めにお求めください。Noismの「20周年」を劇場にて一緒にお祝いいたしましょう♪

(shin)

NHK新潟放送局「新潟の挑戦者たち」に金森さん&Noism登場♪(2024/04/17)

2024年4月17日(水)、NHK新潟放送局、夕方のローカルニュース番組「新潟ニュース610」中の「新潟の挑戦者たち」に金森さんとNoismが取り上げられたことは、皆様、ご存じのことと思います。無事ご覧になられましたか。

NHKプラスには「見逃し配信」がありますので、「新潟ニュース610」を検索して、「4/17(水)午後6:10」分をご覧ください。(放送後1週間視聴可能。)金森さんとNoismが登場するこの日の「新潟の挑戦者たち」は画面左上の表示時刻で「6:33」~「6:39」(動画の23:40~29:50)あたりとなります。

俳優・渡辺謙さんの「ふるさと新潟が元気になる、そのヒントを探ります」の言葉に始まり、男性キャスター(木花牧雄さん)が「地方が活性化するためには地域独自の文化が必要」とする金森さんの言葉が紹介され、コーナーが始まりました。

以下に金森さんが語った言葉を(かいつまんで)紹介していこうと思います。

「舞踊の場合は非言語。“ことば”に類型化される前の表現」
「舞踊は音楽よりも、詩よりも先に誕生している文化」
「人間が人間であること、人間たらしめている文化だと思う」

「地方にはまだ時間も場所もある。それは文化を醸成する上ではすごく必要なこと」
「ましてわれわれが志しているような独自の身体表現を生み出そうと思ったら、体と向き合って毎日毎日稽古を続けて、すごい時間をかけなければいけない」

「劇場がその地域だけで消費されるものではなくて、もっと交流を生むものだし、『世界とつながる場所なんだ』『いち地方自治体が世界とつながれる場所なんだ』という認識をこの国に根づかせたい」

「20年新潟に住んで、皆さんとともに作ってきたこの道をどうしたら未来につないで、さらに豊かに広げていけるか、皆さんで考えていただきたい」

「あなたにとって挑戦とは?」(渡辺謙さん)に対して、金森さんはズバリ「命をかけるにつきますね」!
続けて、「日本に観光に行くんだったら、絶対、新潟に行って、りゅーとぴあに行って、Noismを見たほうがよいと言う観光客がどんどん増えてくるようなね」と。

「劇場文化あるいは生のライブパフォーマンスの醍醐味ってまさに皮膚で感じること」
「情報技術がどんどん非身体化していけば非身体化していくほど、“この身体とは何か”を通して“人間とは何か”と向き合うこの劇場文化はこれからより重要になってくる」

そうした金森さんの言葉たちを受けて、
女性キャスター(石井由貴さん): 「いやあ、『命をかける』とおっしゃっていましたが、こうした熱い思いを持っている方が新潟にいらっしゃるってことがとても嬉しいですし、楽しみですよね」
木花牧雄さん: 「それにしても、舞踊の世界というのは奥が深いですよね。舞踊によって、新潟がどう変わっていくのか、これからの挑戦も楽しみですね」
石井由貴さん: 「はい、期待したいです」

6分程度のさして長い尺ではありませんでしたが、いつもながらの濃い中身でした。

石井さん同様、多くの方が「命をかける」の覚悟に胸を打たれた筈ですよね。金森さん、やはり、余人をもって代え難い類稀なる「芸術総監督」です。「新潟の宝」であり、「新潟の誇り」、私たちも負けずに熱い思いを持って、現在のこの一瞬一瞬、金森さんと同じ夢を見ながら伴走していかなきゃいけませんね。そんな思いを強くしました。よい夕方のひとときでした。

(shin)

浅草バレエスタジオ発表会 & JR新潟駅「新潟市観光案内センター」に行ってきました♪

ちょっと肌寒い4月6日(土)。浅草バレエスタジオhttps://asakusaballet.com/
の発表会「The 2nd Recital」で、主宰の正木亮さん・本島美和さんが金森さんの新作を踊ると知り、ぜひ見たいと思ってバレエスタジオに問い合わせました。うれしくもご承諾いただき、東京に行ってまいりました!

会場は曳舟文化センター。開場時間より前に到着すると、なんと外の玄関脇で金森さんと井関さんが休憩しているではありませんか! お二人に会えるとは思っていなかったのでビックリしました!
でもお二人の方がもっと驚いたようですよ♪
発表会なのでクローズドのようでしたが、いつもNoism新潟公演に来てくださる東京の方たちにも会えて嬉しかったです。やはりバレエスタジオに問い合わせたそうです。

曳舟文化センター
じょうさわさん
会場ロビー
プログラム
同プログラムに金森さん

17時開演で3部構成。金森さんの小品『solo』は第1部の最後です。
暗めの照明の中、白いドレス衣裳で素足の本島さんが主に踊ります。正木さんはスーツ姿で力なく椅子に座っています。二人なのに『solo』、『solo』なのに二人。二人だけれど、一人ずつである人間。
音楽はマルチェッロのオーボエ協奏曲ニ短調 第2楽章Adagioです。この曲は「境界」の『Near Far Here』でも使われていましたが、この度はオーボエではなくピアノ編曲版でした。
哀調を帯びた旋律が響きます。別れの悲しさ、闘病(正木さん)の苦しみ、本島さんの踊りが切なく胸を打ちます。会場は静まりかえり、誰もが息をのんで舞台に引き込まれています。
約5分ほどの短い作品で、短調の曲ですが、最後は長調の和音で終結します。その最後の音と共に、離れて見つめあう二人。一縷の希望を見るようでした。
感動、感涙・・・

盛大な拍手で無事終了。見に行って本当によかったです。今思い出してもジワっと来ます。
プログラムの最後、「special thanks」のところに井関佐和子さんのお名前があるので、金森さんと二人で踊って振り付けたのかもしれませんね。

素晴らしい作品・舞台に感謝です! 感動の『solo』鑑賞旅行でした♪
そして、東京への行き帰りは、もちろんJR新潟駅からですよ~

この前のshinさんによるブログ記事、
●「Noismの更なるPRを求めた「市長への手紙」と文化政策課からの返事」(2024/04/01)
https://noism-supporters-unofficial.info/supporters-blog/shin/14989/
及びその前の前の前の、
●「地元紙・新潟日報朝刊「窓」欄に掲載して頂きました。」(2024/03/22)
https://noism-supporters-unofficial.info/supporters-blog/shin/14910/

を読むと、新潟駅に行かなくちゃ! ですよね。
で、行ってきました4月6日、新潟駅「新潟市観光案内センター」。
見たところチラシ置き場にNoismのチラシはありませんでしたので、受付の人(3名いました)に、
「Noismの案内はありませんか?」ときいたら、「この前そのチラシが入ったので、あるはずなんですが・・・」と答えつつ、引き出しや戸棚の中も探してくれましたが、残念ながら全て出払ってしまって「売り切れ」のようでした。

そして4月8日、再度来訪! 今度はありました!
6日にはなかった「りゅーとぴあマガジン」と仲よく並んでいました♪
対応が早いですね! さすがshinさん、「窓」欄投書、及び「市長への手紙」は効きますね!

また、「大型デジタルサイネージ」もそうですが、
「万代広場側へ下りていくエスカレーターの正面に横長の大型ビジョンがあって、新潟PR動画が映し出されていて、そこにもNoism映像を取り上げて貰えたなら」ということをshinさんから聞いていたので、そちらも見てきました。
まだ工事中の部分もありましたが、なるほど立派な大型ビジョンでした。ぜひNoism映像を流してほしいですね!

大型ビジョン…りゅーとぴあ!
いつかはNoismも!!

shinさんが書かれているように、文化政策課とのやりとりを含め、機会を捉えて「地道」に声にして、届けていくこと、継続的にはたらきかけていくことが重要と思いました。

そんなこんなの楽しい嬉しい東京&新潟駅でした♪

(fullmoon)

Noismの更なるPRを求めた「市長への手紙」と文化政策課からの返事

本ブログのコメント欄にて触れましたとおり、過日(2024/3/26)、新潟市HP内の「市長への手紙」により、Noismの更なるPRに関するアイディアを送信しておりました。

そして時をおかず、本日(2024/4/1)、担当部署からのお返事ということで、文化政策課の職員の方からお電話を頂き、「手紙」の内容を元にやりとりする機会を持ちました。今回はそれらのご報告をさせて頂こうと思います。

□「市長への手紙」(2024/3/26)抜粋□
…新潟市には新たに更なる(Noismの)PRの実施をお願いしたいと思います。手始めに次のようなものを考えました。

(1)まずはJR新潟駅構内に新装なった「観光案内センター」でのPRです。そこは「政令市にふさわしい情報発信基地」と位置づけられる施設で、大型デジタルサイネージなども目を惹く、「新潟の美しい景観や歴史、文化、食などの映像メッセージなどを映し出し、新潟の魅力を発信」するものとされています。そうした新潟市の「魅力」の一端を形作るコンテンツとして、充分、Noismは取り上げられてしかるべきであると信じるものです。市内外の多くの人の目に触れるように、同所にポスターを貼り、公演チラシ等を置くことを(手始めに)提案したいと思います。

(2)そして、常時、掲示しておくのに自然なアイテムとして、各公演ポスターとは別に、毎年、各シーズンを通してのNoism Company Niigataポスターを一枚「シンボル」として作成し、新潟市役所と各区役所、「玄関口」である新潟駅(勿論、件の観光案内センターにも)や新潟空港等、市内各所に一年を通して貼っておくというのは如何なものでしょうか。

新潟市がこれまで、当然「排他的に」抱えてきたNoismという文化資源を市内外に向けて、これまで以上に広く発信することで、未だ想像もできないような新たな展開も期待できるかもしれない、そう感じているのは決して私ひとりではないと思います。そして、上のような取り組みであるならば、それほど元手もかからず、さして難しいことにも思われませんが、一方、その効果は小さくないのでは、そう思うのです。

(Noismを活用する方途を探るためにも、)外に向けて、PRという「仕掛け」をして、新たな好循環の種を蒔いていくことが必要だと思うものです。是非、前向きにご検討ください。…

◇文化政策課からの返事(電話でのやりとり要旨)ほか(2024/4/1)◇
こちらが例示したNoismのPRに関する提起が意味するところを、一定程度、評価して頂いた様子で、「市としてできること」があれば取り組んでいきたいとのお答えでした。

「手紙」に盛り込んだアイディアは、あくまでも、「例」に過ぎないとの認識を共有しながら、「市としてできること」を考えていきたいとおっしゃってくださいました。

(1)新潟市は、JR新潟駅に上記観光案内センターのほか、市の掲示板も有しているので、それも有効に使えたら、ともお話しされていましたし、
(2)例えば、シーズンポスターなどとなれば、市だけでなく、りゅーとぴあとも相談しながらやっていくことになるとも。

いずれにしましても、全般において、寄せられた前向きな提起に対して、歓迎の気持ちが認められる、そんなやりとりが出来たものと思っています。

具体的に「いつまでに何を」ということではなく、そして、ある時、何かが劇的に変わるということでもないとしながらも、市として、アイディアを受け止めたうえで、できることを検討し、取り組んでいくことで、「街を歩いていたら、あのアイディアがこうして活かされている」と感じて貰えるようにしたいという言い方をして頂きました。

加えて、本ブログも見て頂いているとのことでしたし、この度の「市長への手紙」に繋がる新潟日報朝刊「窓」への投書にも目を通されていました。そんな諸々から、やはり、機会を捉えて「地道」に声にして、届けていくことの重要性を再確認したような次第です。

これからの新潟市の具体的な取り組み(真のレスポンス)を期待感をもって待ちたいと思います。

以上、「市長への手紙」に関するご報告をさせて頂きました。

(shin)

速報!全米桜祭り(YouTubeライヴ配信)

2024年3月24日(日)朝、全米桜祭りのオープニングセレモニーの模様がYouTubeで生配信されました。皆さん、ご覧になられたことと思います。早起きした甲斐がありましたね。えっ、朝6時なら「早起き」ってほどのこともない?まあ、それはおいておくことにして、華やかなセレモニーの様子は見ているだけで気持ちも華やぐものがありました。

で、その様子は既にアーカイヴとしてYouTubeにあがっておりますので、見逃してしまわれた方、そしてまたご覧になられたい方は、下のリンクもご利用ください。
(下のXのポスト画像中の2行目、「Livestream:」の後ろに続く青い文字列がYouTubeへのリンクとなります。)

全編(1:52:59)ご覧いただけますが、ここでは金森さん関連のメモを記しておきます。
(1)金森さん振付・ワシントンバレエ団による『SAKURA』(ワールドプレミア!)は開始50分頃に、金森さんのプロフィールの紹介から始まり、そこから約10分間のパフォーマンスとなります。その後、所謂カーテンコールがあり、金森さんも舞台に立ちます。(その間、少し音声が乱れた箇所があります。カーテンコールでの盛大な拍手は各自、心でお聞きください。)
(2)更に、金森さんは、このセレモニーの終わりの部分(約1時間50分くらいのところ)で、司会者から促されて、6人のダンサー、そして森山直太朗さんと一緒に舞台に戻り、会場の拍手に応える場面もあります。

で、『SAKURA』です。まさに「日出ずる国」からの贈り物。芽吹きにはじまり、歓びの桜前線が北上し、内面の変容を経て、やがて満開の華やぎへ。そして美しく散る花びらとしっかり大地に根付く木。そうした全てが、幾分現代的に響くヴィヴァルディに乗ることで、桜が贈られた1912年から今日までの時間も凝縮して感じさせながら、繊細に可視化されていきます。儚さが永遠の相のもとに結晶化されていきました。冒頭から幕切れまで、そのどこをとっても、私たちが愛する「金森印」に溢れた小品でした。

更に、踊る6人(男女3人ずつ)のダンサーのうち、女性3人がそれぞれ、Ms. Ayano Kimura、Ms. Tamako Miyazaki、Ms. Maki Onukiとの日本名の方々であり、(森山直太朗さんも『さくら(独唱)』を歌う前のトークで触れた、)両国間の「架け橋」を感じさせます。

また、最初に幾つもの和楽器を用いてパフォーマンスを行ったKaoru Watanabeさんは、アメリカ生まれの現代音楽の作曲家とのことですが、10年間、佐渡の太鼓芸能集団「鼓童」で演奏家・演出家として活動されていたとのことですから、それはもう、同様な意味合いでの「架け橋」であるだけでなく、金森さんとの奇縁を感じさせるものがあったりもします。

“May cherry blossoms and music and dance, all arts, entertainments always be the ‘kakehashi’ ( you know, ‘kakehashi’ is the bridge ), the bridge in each of our hearts. Thank you very much.”(Naotaro Moriyama)
「桜の花が、音楽とダンスが、そして全てのアートとエンターテインメントが、常に私たちそれぞれの心の「架け橋」でありますように。」(森山直太朗)

「新潟の誇り」にして「新潟の宝」の金森さん、そんなそんな、この日のこれ観ちゃうと、もうそれどころではありませんね。既に「日本の誇り」にして「日本の宝」であることを再認識させられました。実に誇らしい気持ちで、この先もますます応援させて頂きます、と。

そんなふうに、一足早い「春爛漫」を満喫した日曜日の朝の、晴れた春の日曜日の朝のひとときでした。

(shin)

地元紙・新潟日報朝刊「窓」欄に掲載して頂きました。

2024年3月22日(金)は、前夜から舞う雪が家々の屋根を白くする寒い朝。そんな日の地元紙・新潟日報朝刊の「窓」欄に、「市はノイズムPRに力を」というタイトルで投書を掲載して頂きました。こちらでもご紹介させて貰いながら、若干の補足などさせて頂きたいと思います。

2024年3月22日新潟日報朝刊「窓」欄より

* 上の拙文中にて触れさせて貰った「2月の市長定例記者会見」ですが、市のHPに掲載されている「令和6年度当初予算案について」の「質疑応答」部分の後半に、朝日新聞の記者からの質問を受けるかたちでの中原市長の答弁として読むことができます。


こちらにそれに関する「市のホームページ」へのリンクを貼りますので、よろしければご覧ください。

** つづいて、掲載して頂いた拙文の最後の方に出てくる「リニューアルした(新潟)市観光案内センター」についてですが、ここでは、まず、それを紹介する「にいがた経済新聞」の「にい経NEWS」動画(YouTube)へのリンクなどもご覧いただけたらと思います。

約60年ぶりの大規模改修となったJR新潟駅の2F在来線東改札口の正面にそれはあります。動画にもありますように、中原市長は「政令市にふさわしい情報発信基地」と位置づける施設で、そこに設置された高さ3m・横幅2.5mの3面LEDパネルの大型デジタルサイネージが行き交う人々の目を惹きます。それはまた、「新潟の美しい景観や歴史、文化、食などの映像メッセージなどを映し出し、新潟の魅力を発信します」とも紹介されています。

たまたま、昨日(3/21)、同施設に足を運ぶ機会があり、実際に自分の目で見てきました。壁面には、新潟市および他地区のパンフレットやイベントのチラシ等が並んでいたのですが、残念なことにNoism Company Niigataに関するものはありませんでした。

観光センターという性格上、「その日」新潟市を訪れた観光客に対して「その日」の情報提供が主になることは理解できます。実際、昨日も常駐するスタッフに、「これから佐渡への日帰りは可能か」「荷物を預けておいての佐渡行きは出来るか」等々を尋ねている人をお見かけしました。

しかし、私には観光センターが「その日」の対応をするだけで充分だとは思えません。それは、はからずも、件の「大型デジタルサイネージ」に映し出される「新潟の美しい景観」の映像が端的にそのあたりのことを証し立てているように思います。色鮮やかな映像には咲き誇る花々や白い雪の美しさが魅力的に発信されています。ですが、それらは、当然なことに、「その日」の新潟市訪問にとって、「無縁」といえば「無縁」なものかもしれません。しかし、新潟市の「ポテンシャル」を紹介するそれらの映像は、充分、映像が映し出した「その時期」の新潟市を再訪したいと思うきっかけにはなることでしょう。

それと同じ意味で、(一般的な感覚で、公演の時期限定のものと捉えられることがあってさえ、)新潟市の「ポテンシャル」の一環を形作るコンテンツとして、Noismは充分に機能すると信じるものです。その機能を発動させるためにやることと言えば、まず、ポスターを貼り、公演チラシ等を置くことだけなのですから、(恐らく)元手もかかりません。

今そこから始めるなら、早晩、スタッフに「今はNoismの公演はやっていないのか」などと尋ねる人々も出てくるでしょうし、それを経て、遂には、Noismの公演時期に、市外からも多くの観光客が、そのまま公演の観客として訪れて来るコンテンポラリーダンスの一大「メッカ」となっていく新潟市…そんな展開。決して「夢」とばかりは思えないのです、私には。まず初手としてやるべきは、そうした「仕掛け」を、「プラットフォーム」を用意することなのです。(恐らく)元手はかからないでしょうから。新潟市が排他的に抱えてきたNoismという文化資源を市内外に向けて広く発信することで、未だ想像もできないような新たな展開すら期待できるかもしれない、そう感じているのは決して私ひとりではない筈です。

…そんな思いを込めてあのような拙文を綴ってみたような次第です。最後までお読み頂き、有難うございました。感謝です。

(shin)