2024年3月3日(日)、前夜から降った雪は、もうこの時期(「桃の節句」)ですから、ほぼ予期し得なかったほど迄に自動車のルーフに積もっていたのですが、それも徐々に寒気が緩むにつれて、溶けていってくれて、ホッと胸を撫で下ろしました。
この日、Noism2定期公演vol.15も「マチソワ」の2公演。で、他にもりゅーとぴあでのイヴェントが目白押しだったため、「マチネ」の頃には既に駐車場が激混みの満車状態になっていたようでした。幸い、私が「ソワレ」を観に行くときには、駐車場はかなり空いていて、その意味でも重ねてホッとしたような次第です。
そして18時、千穐楽の最終公演の幕があがりました。「Noismレパートリー」のはじまりです。繰り出される電子音のシャープなビート、そしてビート。この日のこの時間、スタジオBの舞台に立った13人は揃って、全5公演のラストの舞台を、それぞれの体内からあらん限りのエネルギーを引っ張り出し、それを発散させ、生命力を漲らせて、躍動感たっぷりにビートと一体化して踊っていきます。その姿は前日の「ソワレ」とも格段に違っていました。
ひとつ、彼らの足を例に書きます。それが私たちの身体の下方、二股に割れるありふれた下肢には見えて来ずに、ある時は鞭のようなしなやかさを備えた、またある時は一切の動きを拒絶するかのような、そんな何か新種の身体部位に見え、単にビートに乗った動きを可視化して示すためだけの(実用性が云々されることなどない)「道具」といったあり方で目に映じる、そんな瞬間に出会ったのです。そのとき、目にしたものは、私たちが自分たちの身体として、当然に、その使い方を知る身体とは全く別物の、まさに「Noism的な」張りのある身体です。メタモルフォーゼ、紛れもなく。そのことにとても興奮しました。
ですから、ラストの『R.O.O.M.』からの抜粋に至って、「生贄」の一語を思い浮かべることになりました。観客の見詰める目にとっての13人の「生贄」。それは「Noism的な」語彙に属するもののひとつです。上方に両手を伸ばして静止した13人のシルエットを祝福したい気持ちになりました。
休憩後は中尾さん振付演出の『水槽の中の仮面』です。見終えたとき、これで見納めかと思うと残念な気持ちになりました。不穏にして、美しく、激しくて、優しく、一貫して瑞々しくて、リリシズム溢れる…そんな作品、そしてそれを踊るメンバーたち。
前日のアフタートークに急遽、登壇した振付家が語ったところによれば、ダンサーに示された振りは「予め決めることをせず、その場で一緒に音楽を聴きながら、その場で作られていった」とのこと。とするなら、作られた振りそのものには、その場の空気感のみならず、必ずやそのダンサーの個性(やそのダンサーへの期待)も反映されていたことになる筈で、であるならば、『水槽の中の仮面』は、間違いなく、それ自体、振付家から12人のダンサーたちへの「贈り物」という性格を持つ作品であることは言を俟たないでしょう。
例えて言えば、大きめサイズながら、フルオーダーで誂えられた洋服(人はそれを「宝物」と呼ぶだろう)が、徐々に身体に馴染んできているのに、(否、逆に、少しずつその洋服が似合うようになって、「映える」ようになってきているのに、そう言うべきか、)もう見納めなのか、そんな塩梅だった訳です。
中尾さん作品終演後、観客全員が大きな拍手を贈り、スタンディングオベーションを捧げる人々も見られました。実に幸福な時間でした。
スタジオBは速攻、「ばらし」が入るため、この日のアフタートークはホワイエで行われました。その様子もご紹介しましょう。
*感想・今の気持ち
中尾さん: 次の作品を早く作りたい。純粋に次を新しくゼロから作りたい。それはご飯を食べたいと思う気持ちに似ている。
山田さん: 今回の作品、満足していますか。
中尾さん: 彼女たちが見せてくれた景色に満足している部分もあるが、もっと出来たかなぁという部分もある。しかし、一期一会。貴重なものになった。
山田さん: 今の洸太と今のメンバーでしか出来ないものだった。
*中尾さん作品の衣裳について
中尾さん: 裏表、前後で着ている。作品が出来上がってから、衣裳さんにイメージや色をざっくり伝えて作って貰った。衣裳が届いてみると、「S」とか「A」みたいな墨のような文字が入っていてびっくりした。
*「Noismレパートリー」に関して
山田さん: 今回、金森さんの初期の作品で電子音楽による、シャープで張りのある踊りのものから選んだ。キャスティングは難しいのだが、彼ら自身もわかっていない彼らがいるので、これをやらせた方がいいな、とか考えてキャスティングした。
*中尾さんが好きなジブリ作品ほか、映画に関して(←初日のアフタートークのなかで、「宮崎駿」という名前に言及があったことから)
中尾さん: 『風立ちぬ』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』。穣さんには「っぽいなぁ」と言われた。ひとつのシーンが好きになって、作品が好きになるということがあり、この3作品にはそういうシーンが多い。
山田さん: 自分は『紅の豚』と『崖の上のポニョ』。絵と勢いが好み。自分にも「絵が好きで」っていう作品がある。「長くて」、絶対寝てしまうんだけど。(それはアッバス・キアロスタミ『そして人生はつづく』だそう。)
山田さん: 洸太の作品には、ただ舞踊からだけじゃない動きを感じたりする。映画からの影響はあるか。
中尾さん: 映画からの影響の自覚はない。絵や音楽の影響が大きい。それもシンプルなものに惹かれる。草原に一本の木とか。
*一年目のメンバーに関して
山田さん: 今回、フランス、アメリカ、台湾から新潟市に移り住んだメンバーがいる。Noismという環境だけでも大変なのに、相当大変だったろうが、無事に今日を終えて、ホッとしている。雪や地震もあって、本当にびっくりして、不安だったことだろうが、踊りにしか逃げ場はない。踊りに集中して乗り越えてくれた。
*今の中尾さんにとって踊ること、振り付けること
中尾さん: 今は作る方に気持ちが向かっている。このクリエイションから公演の期間中、踊りたい欲がどんどん溜まってきているのを感じるが、ギリギリ作りたい気持ちが強い。
*水槽の中に仮面を入れる意味は
中尾さん: 水槽は、ある種の枠だったり、ひいて見ると惑星だったり。女性、球体、赤ちゃんが生まれるお腹のなかだったり。「生前(=生まれる前)」と思って作り始めた。
今だから話すと、仮面をつけている側が「心」で、心を制するようにいるのが「脳」。犬を連れたり、相手を踏んだりは「脳」が「心」を制している動き。バランスがとれているのか、いないのか。
仮面を枠の中に押し込んで、生まれる前に僕らの「心」ができ、ひとりの人が生まれる…。
…と、そんなお話だったかと。
「新しい振付家のデビューに立ち会えて嬉しかった」と山田さん。最後に、「20周年記念公演『Amomentof』に来てください」の一言で楽日のアフタートークは締め括られ、同時に、刺激的なまでの3日間の「目撃」は幕となりました。
たとえ、この日の高揚感がどんなに大きかったにせよ、ひとつ確かなこと。B’zではありませんが、(彼らの)ゴールはここじゃない。むしろ、まだ始まったばかり。そして挑戦はつづく。応援するこちらも楽しみはつづく…。
そんなことを思いながら、りゅーとぴあを後にしました。
(shin)