場内を魅了し尽くして幕をおろした「Amomentof」7/28大千穐楽(@埼玉)+6/29アフタートーク補遺

Noism Company Niigataの20周年記念公演「Amomentof」が、遂に2024年7月28日(日)に灼熱の埼玉は与野本町、彩の国さいたま芸術劇場〈大ホール〉にてその全6公演の幕をおろしました。

この日の開演時刻(15:00)頃には、気温は38℃になるとの予報が出ていた与野近辺。風もなく、蒸し風呂の中にでもいるかのようなその暑さは、ヒトの暑熱順化など到底追いつくべくもないほどの気温であったかと。

そんな酷暑の街路を辿って彩の国さいたま芸術劇場を目指して歩いていたのは、しかし、別種の「熱」を求める人たち。その移動振りは、この日、その場所を目指した目的から、周囲の異常とも言える高温にさえ負けぬ様子を示していたように思います。

その「熱」を発する舞台を観ようと集まってきた大勢の観客のなか、浅海侑加さんのお母さん、糸川祐希さんのお母さんと、そしてフランスからドバイ経由の20時間の空旅で駆けつけた旧メンバー・中村友美さんとも色々お話ができましたし、更に宮前義之さんの姿なども認めたりして、いやが上にも気分はあがりました。

大千穐楽の舞台はやはり「熱」を発して余りあるものでした。

まずは『Amomentof』。バレエバーに手をかけて身体をほぐすことに始まる日常から、日々に住まう葛藤や苦悩をあからさまにしつつ、物凄い高揚を見せてのち、最初の場面へ。「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただひとつの道」と言ったのはイチロー選手。誰もが肯(がえ)んずるほかない真理なのですが、この舞台ほどの説得力を伴って可視化されることは稀でしょう。井関さん、金森さん、そして他のメンバーたち、それぞれが見せる目の表情、それらが行き違い、交錯するさまには実にスリリングなものがあります。

この演目には、Noismの過去作で目にしてきた「振り」の数々があちらこちらに織り込まれているだけでなく、終盤に至っては、私たちが見詰めるその舞台の奥に、『Mirroring Memories』を彷彿とさせるようなかたちで、先刻、ハケたメンバーたちがこれまで井関さんが纏ってきた数々の衣裳ほかに身を包んで居並ぶ姿が見えてくるではありませんか!更に、やがて、その上方に「20年間」の公演ポスターが一気に映し出されて追い打ちをかけてくるのです。胸に去来する様々な思い出の場面。「ずるいよ、金森さん」涙を堪えることなど早々に諦めるしかありませんから。目に映ずるのは孤高を経て、やがて敬意の群舞へと転じ、その舞台狭しと躍動するメンバーたちの中央、井関さんが発する万感籠もった泣き叫びの声には胸を強く揺さぶられずにはいられません。

更に言えば、マーラーの交響曲第3番第6楽章「愛が私に語りかけるもの」をその作品中に取り込んでしまうといった、大胆と言えば大胆に過ぎる構成の妙も畳みかけてきます。マーラーの旋律とともに現前する圧倒的な高揚感の画、しかし、その全てが、最後、井関さんがメンバーたちに向けるキョトンとした目によって、ありふれた日常の時間のなかに回収されてしまうさまが実に詩情豊かで、切れ味抜群、憎いくらいに見事なのです。

この日は完全に幕がおり切るまで、拍手は一切起こらず、(刹那とはいえ、)甘美な余韻が静寂となってホール内におりてきました。その後、「もっと拍手をしていたいのに」、そんな気持には頓着することなく、呆気なく客電が灯るのはいつも通りでした。

20分の休憩を挟んで、『セレネ、あるいは黄昏の歌』が記念公演の掉尾を飾りました。この大作も、目の表情のスリリングさの点で『Amomentof』に全く引けを取らないものがあります。陶然として春の歓びを発散させる目があったかと思えば、動物的な「生」のエネルギーが「性」的な逸脱へと至る様子を押し殺した怒りを浮かべながらも、敢えて直視しようとしない目があり、はたまた、「憎しみ」の連鎖を宿し、その対象を見出してしまう凶暴な目や、その自らの「蛮行」に自ら怯える目もあり、老いて呆けた印象の、同時に寛容さを示す目に、それを模倣しようとする剽軽な目や、何物にも囚われることのない無邪気さそのものの目、かと思えば、呪術的な手の仕草を繰り返しながら、真っ直ぐ前を見詰めて動じない迫力に満ちた目、等々、挙げだしたらきりがないほどです。舞踊作品において、目ばかり取り上げるのもどうかと思いますが、少なくとも、そこにこの作品を読み解く鍵(のひとつ)があるとしか思えないのです。

命が芽吹く春。内的な力が溢れて、ときに暴発し、その様相をすっかり異にしてしまう夏。平衡かに見える秋を経て、やがて冬の死へ。しかし、一刻も止まることはなく、やがて再生へ…。そんなふうに巡る季節。循環。描かれる円環。

そう、「ENKAN」。近藤良平さんを招いての来る冬の「トリプルビル」です。「巡ること」のモチーフはこの後のNoismにあって、多様に追い求められていくことになりそうですね。楽しみです。

大千穐楽の幕がおりたとき、場内に谺した大きな拍手と「ブラボー!」。そして広がったスタンディングオベーション。無理からぬことです。「20周年」ということを全く抜きにしても、私たちが目撃したのは、物凄い訴求力をもつふたつの演目であり、それは取りも直さず、舞踊家の献身煌めく刹那が途切れることなく連なることで編み上げられた舞台だった訳ですから。もう、端的に言って、至福のときを過ごしたとしか言いようがありません。

皆さんの目には、そして心にはどう映じたでしょうか。「Amomentof」大千穐楽についてはここまでです。

ここからは、以前(2024/6/29)のブログ記事(「Noism 20周年記念公演新潟中日の眼福と楽しかったアフタートークのことなど♪」)において、公演が続いている事情から、「ネタバレ」に繋がるので書けないでいた同夜のアフタートークでの井関さんと金森さんのやりとちをご紹介して、ブログの締め括りにしたいと思います。以前の分と併せてご覧頂けたら幸いです。

☆★6/29アフタートーク(新潟公演中日終演後開催)補遺★☆
☆井関さんが一番思い出に残っている衣裳は何か
金森さん: 『Amomentof』では井関さんがこれまでに着た衣裳を出した。
井関さん: 「一番」となると難しいが、思い入れで言ったら、故・堂本教子さんによる『夏の名残のバラ』の赤い衣裳。生地に拘って色々語っていたのを思い出す。今回、出ていなかった衣裳だけど。
金森さん: 色味が色々あったし、バランスがあった。でも、拘りがあって、最後の最後、井関さんが「あれは(出すのは)イヤだと言った」
井関さん: アレを出したら、「私が着ます」となっちゃうから。

…というところを今漸く書くことが出来て、スッキリした気持になりました。以上です。

(shin)

Noism 20周年記念公演新潟中日の眼福と楽しかったアフタートークのことなど♪

2024年6月29日(土)の新潟市は抜けるような青空。気温も上昇して、梅雨はどこへやら、もう夏本番とも言えそうな一日でした。前日、幕が上がったNoism 20周年記念公演新潟3daysの、この日は中日。公演グッズの黒Tシャツを着込んで出掛けました。

この日は花角新潟県知事と中原新潟市長も来られていて、記念の舞台をご覧になられました。そして旧Noismメンバーたちも多く訪れていて、そのうちの数人とホワイエでご挨拶したり、お話したり出来たのは嬉しい出来事でした。

この日も2演目はそれぞれに胸に迫ってきました。当然のように。

『Amomentof』では金森さんと井関さん、『セレネ、あるいは黄昏の歌』でも井関さん、それぞれが投げ掛ける眼差し、その表情を見逃すまいと注視しました。

その他、『Amomentof』では羽根のように軽やかに舞う舞踊家の姿に陶然とし、はたまた、『Mirroring Memories』を彷彿とさせられましたし、『黄昏の歌』の方は、「暴力」への、そして「暴力」からの流れを追う見方を意識したりしてみたほか、脱ぐこと、脱がせること、着ること、それらをみんな纏うことと一括りにしたうえで、年をとり、老いることも年齢を纏うことと見るなら、作品全体を貫くかたちで様々に「纏うこと」の主題が読み取れるなぁ、もうちょっと考えてみようかなどと思ったりしました。

ふたつの演目を見詰める間中、途切れることなく眼福に浸り、至福のときを過ごしたことは言うまでもありませんでした。
しかし、『Amomentof』のラスト、マーラーの音楽が消え入ったタイミングで、(無音のなか、まだ作品は続いているのですが、)拍手と「ブラボー!」の掛け声が飛んでしまったことは若干残念ではありました。でも、あの流れからはそれも仕方ないのかなとか、そんなことがなかった初日は逆に凄かったなとか思っていました。
また、『黄昏の歌』が終わってからのスタンディングオベーションの拡がりにはこの日も気持ちが昂ぶるものがありました。(1回おまけみたいなカーテンコールがあったりして、舞台上も客席も全員が意表を突かれて「エッ!?」ってなって、それだけで笑顔が増しましたし。)

で、この日のレポートの中心はその後、金森さん、井関さん、山田さんが登壇して行われたアフタートークでのやりとりとなります。そのアフタートーク、強烈な感動の余韻に浸ったままの場内、3人が現れるや、金森さんが口火を切って「あれだけ踊った後に、どんだけ酷使するんだろう、Noismは」と始めてまず笑いをとったのち、アフタートークも井関さんがやることに決めたのであって、「やらされている訳ではない。変な風評が立ったりもするんで」と自ら笑って、もう掴みは完全にOKでした。
この先は掻い摘まんでということにはなりますが、ちょっと頑張って、以下にご紹介を試みたいと思います。

☆年齢とともに感性の変化あるか
金森穣さん(芸術総監督): あるとは思うが、あんまり比べる必要もないかなと思い、そこまで意識していない。感動はそのときそのときのもの。
山田勇気さん(地域活動部門芸術監督): 拘るところが変わってきている。若い頃は動きとか細かいところに目がいったが、今は立つだけとか、歩くだけとかに。あと、踊りを始めたのが遅かったので、ある程度ここまでかなという思いがある。じゃあどうするか。シフトチェンジが必要かなと。
金森さん: でも、なんならピルエットもガンガンやっていたし、若い子たちには出来なくてもいいんだっていうふうに勘違いしないで欲しい。そういうことじゃない。
井関佐和子さん(国際活動部門芸術監督): 涙もろくなった。感性の幅が広くなったり、深くなったり。今回、踊っていて、みんなのことを見てて、ああいいなぁと。
金森さん: みんないい顔しているなぁと思った。見詰める視座が変わる。年齢を重ねるのはいいこと。

★日々のスケジュールはどんなか
井関さん: ・09:30~10:30 Noismメソッド(Noism2とNoism1新メンバー)
      ・10:30~12:00 Noismバレエ
      ・12:00~13:00 稽古①
      ・13:00~14:00 昼休み
      ・14:00~16:00 稽古②
      ・16:15~18:00 稽古③     

☆名古屋での公演予定はないか、公演を増やす計画はないか
井関さん: 今のところ、名古屋の予定はないが、呼んでくれればいつでも行く。新潟での公演回数を増やしたいのもヤマヤマだが、今回も公演ギリギリまで8月の利賀村での新作(『めまい』)のクリエイションをしていたし…。昨年は高校生だけを相手に踊ったスペシャルな公演もあった。ここ(劇場)に呼んでまたやりたい。
金森さん: まあ、でもチケット売れないからねぇ(笑)。
山田さん: 新潟市内全部の小学校まわりたいし、Noism2で長岡とか行ってみたい。
金森さん: もっと県内展開もしたい。

★『セレネ、あるいは黄昏の歌』を見ていると脳内にセリフが溢れるてくるが、舞踊家はどうか
金森さん: 言葉としては浮かんでこない。しかし、非言語だとしても、大事なのは「語ること」。 
井関さん: 客席が静かななか、舞台上でメンバーと「無言の会話」はずっとしている。自分は基本、「やかましい」と言われる。

☆井関さんが一番思い出に残っている衣裳は何か
井関さん: 「一番」となると難しいが、思い入れで言ったら、故・堂本教子さんによる『夏の名残のバラ』の赤い衣裳。生地に拘って色々語っていたのを思い出す。
(*これに続く井関さんの発言は今公演の演目に関係する部分が大きいため、ここでは敢えてご紹介を差し控えさせて頂きます。その点、ご容赦ください。)
(→今回の「Amomentof」公演が埼玉の地で大千穐楽を迎えたタイミングで、このやりとりについてもご紹介させて頂きました。こちらからご覧ください。)

★新潟での一番の思い出は
山田さん: (しばらく考えてから)急性膵炎で入院したことかな。まず正露丸、それから痛み止め、そして入院。1週間くらい絶食した。メンバーがお見舞いに来てくれて。
井関さん: (山田さん同様、思いを巡らせたのち)メンバーのことならよく覚えているけど。
金森さん: 俺に過去のことを訊くのはやめた方がいい(笑)。

☆知事と市長が観にきていたが、何か言いたいことはないか
金森さん: Noismは世界的な舞踊団になってきている。是非活用して欲しい。(→場内から大きな拍手)

★20年間でどこがピークだったか
金森さん: 今に決まってる。ピークを過ぎたと思ったらやめている。

☆これまでに一番チャレンジングだったことは
井関さん: 作品が毎回チャレンジング。サプリを飲んで乗り越えている。チャレンジしていないと生きている気がしない。マッサージをして、今日よりは明日というふうに、舞踊には挑戦を求める。目標を掲げるのは得意じゃない。日々乗り越えていくだけ。
山田さん: (井関さんと)一緒、というか、一緒になった。それがないと、足りないなぁと思うようになった。
金森さん: 「Noism病」だね(笑)。こんなふたりだから、チャレンジし甲斐のある何かを差し出していかなければならない。

★今回のマーラーとヴィヴァルディ(マックス・リヒターによるリコンポーズ版)の音楽はどうやって決めたのか
金森さん: 直感。いずれ創作したい楽曲(や作品)はたくさんある。その時々のカンパニーの状況などを考えて決めているだけ。今回のマーラーも、いずれ作りたかったのだが、ああ、ここだなと。作りたいものはたくさんあるが、時間がない。時間をください。

☆マーラー交響曲第9番の第4楽章を振り付ける予定などはないか
金森さん: 今のところはない。(→質問者から「特殊な曲で、ダンスにするのは難しいかも」と言われるや)そう言われると作りたくなる(笑)。
創作にあっては、音楽を聴いて、舞台が見えたら、それは取っておく。見えないものは使わない。選曲に関しては割に素直で、有名とか(有名でないとか)は気にしない。
(→また、質問者から「以前の『Der Wanderer-さすらい人』について、シューベルトには960曲に及ぶ歌曲があるが」と向けられて、金森さん、「歌曲は手に入るもの700曲くらい聴いた」と答える。)

★怪我もつきものかとは思うが、メンテナンスとか工夫とかはどうしているか
山田さん: ストレッチして、マッサージしてという感じ。
金森さん: 本番のときには、Noism設立当初から、専門のトレーナーに待機して貰っている。
井関さん: 舞台に立てなくなるので、怪我が一番こわい。日々、マッサージやトレーニングでケア。踊りのことと同時に体をケアしていて、それが50%くらいを占めているかもしれない。海外の踊り専門に治療する方のYouTubeを見ている。それと、血液と酸素が今の私のテーマとなっている。
金森さん: 基本はもっとよく踊りたい、もっと長く踊りたいという気持ち。ケアした方がそれに近付ける。若い頃は寝りゃあ治るみたいなところがあったが、ケア自体も楽しめるようになると、ただ苦しいだけじゃなくなる。

☆Noism 20周年。とても幸せな公演だった。これからのことを聞かせて欲しい
山田さん: 本番は本番で、20周年とかはあんまり関係なかった。よく区切りとかという言い方をされるけれど、今日を精一杯やるとか、今日の課題を明日にとかは変わらない。
地域活動部門では、学校公演を行って、長い時間をかけて浸透させていくのがミッション。
井関さん: 20周年と言われるが、ただ20年が過ぎただけ。それによって、何か成し遂げたという実感はない。今回、メンバーと一緒に踊っていて、全員の目を見て踊っていると、魂が通い合った、嘘じゃない目をしていた。それを求めていた。『Amomentof』で見たみんなの目がホントにピュアで、始まりの一歩に思えたし、これからへの確信を得た。
金森さん: 全ての可能性はここにある。20年間続けてきたことの実績に価値がある。この舞踊団の素晴らしさと可能性。どこにこの身を賭けて、どういう判断を下していくか。その根底にあるものはずっと変わらない。新潟と世界を繋ぐことである。明日もチケットはちょっとだけあるそう(笑)。
井関さん: 公演回数が増えるように(笑)。公演回数を増やしましょう(笑)。

…といった具合で、約30分間の楽しいアフタートークでした。金森さん、井関さん、山田さん、お疲れのところ、どうも有難うございました。

そして、皆さま、今後、「公演回数が増えて」いくためにも、「ちょっとだけある」明日のチケットがソールドアウトとなって欲しいものですね。そのため、まだご覧になっておられない方、或いは、既にご覧になった方、どちらも明日、かっちりした予定が入っていない向きはご購入(ご鑑賞)のご検討をお願いいたします。20周年記念公演の2演目は観る度、新鮮な感動が待っていますゆえ。では、新潟公演楽日にお会いしましょう。

(shin)


そして挑戦はつづく:Noism2定期公演vol.15千穐楽

2024年3月3日(日)、前夜から降った雪は、もうこの時期(「桃の節句」)ですから、ほぼ予期し得なかったほど迄に自動車のルーフに積もっていたのですが、それも徐々に寒気が緩むにつれて、溶けていってくれて、ホッと胸を撫で下ろしました。
この日、Noism2定期公演vol.15も「マチソワ」の2公演。で、他にもりゅーとぴあでのイヴェントが目白押しだったため、「マチネ」の頃には既に駐車場が激混みの満車状態になっていたようでした。幸い、私が「ソワレ」を観に行くときには、駐車場はかなり空いていて、その意味でも重ねてホッとしたような次第です。

そして18時、千穐楽の最終公演の幕があがりました。「Noismレパートリー」のはじまりです。繰り出される電子音のシャープなビート、そしてビート。この日のこの時間、スタジオBの舞台に立った13人は揃って、全5公演のラストの舞台を、それぞれの体内からあらん限りのエネルギーを引っ張り出し、それを発散させ、生命力を漲らせて、躍動感たっぷりにビートと一体化して踊っていきます。その姿は前日の「ソワレ」とも格段に違っていました。
ひとつ、彼らの足を例に書きます。それが私たちの身体の下方、二股に割れるありふれた下肢には見えて来ずに、ある時は鞭のようなしなやかさを備えた、またある時は一切の動きを拒絶するかのような、そんな何か新種の身体部位に見え、単にビートに乗った動きを可視化して示すためだけの(実用性が云々されることなどない)「道具」といったあり方で目に映じる、そんな瞬間に出会ったのです。そのとき、目にしたものは、私たちが自分たちの身体として、当然に、その使い方を知る身体とは全く別物の、まさに「Noism的な」張りのある身体です。メタモルフォーゼ、紛れもなく。そのことにとても興奮しました。
ですから、ラストの『R.O.O.M.』からの抜粋に至って、「生贄」の一語を思い浮かべることになりました。観客の見詰める目にとっての13人の「生贄」。それは「Noism的な」語彙に属するもののひとつです。上方に両手を伸ばして静止した13人のシルエットを祝福したい気持ちになりました。

休憩後は中尾さん振付演出の『水槽の中の仮面』です。見終えたとき、これで見納めかと思うと残念な気持ちになりました。不穏にして、美しく、激しくて、優しく、一貫して瑞々しくて、リリシズム溢れる…そんな作品、そしてそれを踊るメンバーたち。
前日のアフタートークに急遽、登壇した振付家が語ったところによれば、ダンサーに示された振りは「予め決めることをせず、その場で一緒に音楽を聴きながら、その場で作られていった」とのこと。とするなら、作られた振りそのものには、その場の空気感のみならず、必ずやそのダンサーの個性(やそのダンサーへの期待)も反映されていたことになる筈で、であるならば、『水槽の中の仮面』は、間違いなく、それ自体、振付家から12人のダンサーたちへの「贈り物」という性格を持つ作品であることは言を俟たないでしょう。
例えて言えば、大きめサイズながら、フルオーダーで誂えられた洋服(人はそれを「宝物」と呼ぶだろう)が、徐々に身体に馴染んできているのに、(否、逆に、少しずつその洋服が似合うようになって、「映える」ようになってきているのに、そう言うべきか、)もう見納めなのか、そんな塩梅だった訳です。

中尾さん作品終演後、観客全員が大きな拍手を贈り、スタンディングオベーションを捧げる人々も見られました。実に幸福な時間でした。

スタジオBは速攻、「ばらし」が入るため、この日のアフタートークはホワイエで行われました。その様子もご紹介しましょう。

*感想・今の気持ち
中尾さん: 次の作品を早く作りたい。純粋に次を新しくゼロから作りたい。それはご飯を食べたいと思う気持ちに似ている。
山田さん: 今回の作品、満足していますか。
中尾さん: 彼女たちが見せてくれた景色に満足している部分もあるが、もっと出来たかなぁという部分もある。しかし、一期一会。貴重なものになった。
山田さん: 今の洸太と今のメンバーでしか出来ないものだった。

*中尾さん作品の衣裳について
中尾さん: 裏表、前後で着ている。作品が出来上がってから、衣裳さんにイメージや色をざっくり伝えて作って貰った。衣裳が届いてみると、「S」とか「A」みたいな墨のような文字が入っていてびっくりした。

*「Noismレパートリー」に関して
山田さん: 今回、金森さんの初期の作品で電子音楽による、シャープで張りのある踊りのものから選んだ。キャスティングは難しいのだが、彼ら自身もわかっていない彼らがいるので、これをやらせた方がいいな、とか考えてキャスティングした。

*中尾さんが好きなジブリ作品ほか、映画に関して(←初日のアフタートークのなかで、「宮崎駿」という名前に言及があったことから)
中尾さん: 『風立ちぬ』『天空の城ラピュタ』『紅の豚』。穣さんには「っぽいなぁ」と言われた。ひとつのシーンが好きになって、作品が好きになるということがあり、この3作品にはそういうシーンが多い。
山田さん: 自分は『紅の豚』と『崖の上のポニョ』。絵と勢いが好み。自分にも「絵が好きで」っていう作品がある。「長くて」、絶対寝てしまうんだけど。(それはアッバス・キアロスタミ『そして人生はつづく』だそう。)
山田さん: 洸太の作品には、ただ舞踊からだけじゃない動きを感じたりする。映画からの影響はあるか。
中尾さん: 映画からの影響の自覚はない。絵や音楽の影響が大きい。それもシンプルなものに惹かれる。草原に一本の木とか。

*一年目のメンバーに関して
山田さん: 今回、フランス、アメリカ、台湾から新潟市に移り住んだメンバーがいる。Noismという環境だけでも大変なのに、相当大変だったろうが、無事に今日を終えて、ホッとしている。雪や地震もあって、本当にびっくりして、不安だったことだろうが、踊りにしか逃げ場はない。踊りに集中して乗り越えてくれた。

*今の中尾さんにとって踊ること、振り付けること
中尾さん: 今は作る方に気持ちが向かっている。このクリエイションから公演の期間中、踊りたい欲がどんどん溜まってきているのを感じるが、ギリギリ作りたい気持ちが強い。


*水槽の中に仮面を入れる意味は
中尾さん: 水槽は、ある種の枠だったり、ひいて見ると惑星だったり。女性、球体、赤ちゃんが生まれるお腹のなかだったり。「生前(=生まれる前)」と思って作り始めた。
今だから話すと、仮面をつけている側が「心」で、心を制するようにいるのが「脳」。犬を連れたり、相手を踏んだりは「脳」が「心」を制している動き。バランスがとれているのか、いないのか。
仮面を枠の中に押し込んで、生まれる前に僕らの「心」ができ、ひとりの人が生まれる…。

…と、そんなお話だったかと。

「新しい振付家のデビューに立ち会えて嬉しかった」と山田さん。最後に、「20周年記念公演『Amomentof』に来てください」の一言で楽日のアフタートークは締め括られ、同時に、刺激的なまでの3日間の「目撃」は幕となりました。

たとえ、この日の高揚感がどんなに大きかったにせよ、ひとつ確かなこと。B’zではありませんが、(彼らの)ゴールはここじゃない。むしろ、まだ始まったばかり。そして挑戦はつづく。応援するこちらも楽しみはつづく…。
そんなことを思いながら、りゅーとぴあを後にしました。

(shin)

Noism2定期公演vol.15:「舞踊家として悩む中日」(中尾さん)を体験した13人とそれを見詰めた観客

2024年3月2日(土)の新潟市は、雪は舞うは、道路は凍りつくはで、まさに冬に逆戻りでもしたかのような一日。3月だというのに。
前日に幕があがっていたNoism2定期公演vol.15は、この日、14時からと18時からの2公演がある「マチソワ」の日だったのですが、その両方の舞台を目撃してきました。そう、まさに「目撃」の一日でした。

まずは踊られた2つの演目に関して、感じた事柄を書くことから始めようと思います。

最初は金森さんの振付で、山田さんによる構成の「Noismレパートリー」からです。今回は電子音やノイズの中で踊られる作品(『R.O.O.M.』『sense-datum』『no・mad・ic project – 7 fragments in memory』)からの抜粋なのですが、最初の一音が響いたその一瞬から、極めて「Noism的な」と言う他ない動きへの、13人の挑戦が始まることになります。それは、舞踊家が苦しければ苦しいほど、観客は気分があがってくるといった嗜虐的な時間です。しかし、エッジの効いた早いビートに乗るだけでは不充分であり、更に、その向こうに、踊る舞踊家その人でしかないものが見えてこなければなりません。課せられたそんな極めて高いハードルに対して、多くの視線を浴びるなか、アドレナリンを出しつつも、「離見の見」をもちつつ挑んでいく時間の体験です。大きな成長に繋がる機会と言える訳です。「Noismレパートリー」には、13人全員が各自の「今」を超え出ようと格闘する姿が溢れていて、見詰めていると胸に迫ってくるものがあります。
この日の2公演を観ての感想としては、2年目の5人の動きに、やはり一日の長があり、安定した「Noismらしさ」が強く感じられたと記しておきます。そして、なかでも春木有紗さんに目が惹きつけられたことも。場を圧する空気感において群を抜いていたように感じました。

休憩後は、Noism1の中尾洸太さん振付演出の新作『水槽の中の仮面』です。30分の作品を振付るのは初めてとのことですが、主に6組のデュオのフォーマットを用いて、中尾さんらしいリリカルさを基調にしながら、描かれていく2者間の隔たりに、ある種の不穏さが色濃く漂うアレゴリカルな(隠喩的な)作品と映りました。現在の世界情勢などが、否応なしに、反映されているといった感じも受けますが、「隔たり」を扱うこの作品自体は、踊り込まれることによって、様々な受け取り方を許すものになり得るように感じました。踊る側の深度が増すことによって、中尾さんの当初のイメージを超えていくだろう可能性をそこここに感じながら観たような次第です。(同時に、これも否応なく、「水槽」と「仮面」についての思索に誘われています、今。)また、使用楽曲のシューベルト『死と乙女』もそれが描く死と安息を「隔たり」繋がりで捉えようとすると、今作に奥行きを与えてくれるものがあると言えるでしょう。様々な点で、たくさんの「開口部」を持つ作品であると思いました。
いずれにしましても、今回が本格的な振付デビューとなる中尾さんが、Noism2メンバーの「今」に向き合うかたちで作られた本作、必見ですね。

2つの演目を公演中日の2時の回と6時の回に観た訳ですが、2回を併せて、そんなことを感じました。

その後のアフタートークについてもかいつまんで記します。この日の登壇者としてアナウンスされていたのは、地域活動部門芸術監督・山田勇気さんとNoism2リハーサル監督・浅海侑加さんでしたが、途中、質問への回答上の要請から、場内にいた中尾洸太さんも加わることになりました。

*メンバーが悩んだり、苦しんだりしているときの声掛け
浅海さん: 【今回のクリエイションにおいては】(じっくり考えてから)「洸太(=中尾洸太さん)を真似してみて。洸太も音楽を聴いて動きを作っているので」とか言ったりした。
【普通に悩んだり苦しんだりしているときには】経験する時間を感じて欲しい。その気持ちを感じることも経験だから。
山田さん: 経験が浅いし、難しい部分。簡単な答えはない。今日の舞台もひとつの経験。

*今回、苦労したところは
浅海さん: 洸太の作品は新作で、過去に踊った人の手本がないので、ゼロから作り上げなければならない。洸太の作品なので、稽古をみていて、自分が思うことだけになっていって、違ってしまっては嫌なので。どこまで伝えたらいいか。
山田さん: 「レパートリー」には過去の振付があって、難易度が高くても崩せない。そこにもっていって、自分が踊る意味を見出させること。

*中日の舞台(2公演)に関して
山田さん: 昨日、初日があけて、今日は2公演。初日はエネルギーを解放させたのだが、中日の昼の部(2時の回)は持っていき方が難しかった。しかし、夜の部(6時の回)には、修正して、違った面が見られた。「レパートリー」に関しては、どちらも色々な「点(=箇所)」でいい人、光る人が違った。洸太の作品は、全体の色が毎回違ってきていて、どこへ落ち着くのかなぁと。
浅海さん: ここまで3回全部違う。洸太の作品は毎回印象が変わるが、今回は「人間」というものを感じた。彼らが経験している姿を見て、人生の一部だとか、「今」だとかいうふうに。言語化できない気持ち、したくない気持ちになった。

*身体のケア・回復方法
山田さん: 個人に委ねられている。その準備もひとつの経験。自分の身体を知って、ルーティーンを確立していく。

*中尾さんのメンバーの選び方
中尾さん: 選び方はインスピレーション。曲を決めてあるので、そこから思い浮かぶ人のを選んだ。そして、自分は振りを決めていかずに、その人がいる場で音楽を聴いて、振りを決めていった。(曲 → ダンサー → 振り、の順。)

*中尾さんが苦労したこと
中尾さん: 『鬼』の公演前に急ピッチに振り付けたものが、『鬼』公演の1ヶ月をおいたら、不安な気持ちになってしまった。どう見えているのか精査し切れないままだったので、「過去(1ヶ月前)」に考えて出したものが「これでよかったかなぁ」と不安に。
『鬼』が終わって、再開したとき、「1回通しで見せてくれ」と言って、「今」の自分を重ねていく前に、「過去」の自分を再確認して始めた。

*中日の舞台の印象
山田さん: 彼ら自身と自分の向き合い方を考えて見てしまった。これからどうしようかと。
中尾さん: 気分によって、波が激しいなと。自分も気分によって変わるタイプなのでわかる。「中日」は舞踊家にとって、どう持っていったらいいか悩む日。2時の回は「うーん、あんまりだなぁ」と思ったが、6時の回は「その体験を体験たらしめている」と思った。昇華して、伝え方も変わった。(その体験を)次に使えている。
浅海さん: 2時の回と6時の回とでは全然違っていた。稽古監督としては、踊りの部分での見せ方とか言いたいことは結構あるけれど。

*中尾さん作品の衣裳に関して(←衣裳の着方の違いに気付いたという会場からの声を受けて)
中尾さん: 表と裏で着ている。最初に出した衣裳案は、「Aライン」の白で、立体的にふわっと、というもの。その後、そこに黒いライン(線)も欲しいと思ったが、その下を黒にして、透ける感じにした。表と裏にして着ることで、パターンを増やさなくて済んだ。どっちが表、裏を着るかは純粋に見た目で決めた。

と、そんな感じでご紹介とさせて頂きます。

さて、これを書いているうちに日付も変わってしまいましたので、Noism2定期公演vol.15も本日(楽日)の2公演を残すのみとなりました。まだ、夜の回はお求め頂ける様子です。日々「体験」し、「経験」を増していく13人の若者。是非、彼らの「今」の格闘を目撃しにいらしてください。それはそのまま、観客としても、きっと心動かされずにはいられない時間の「経験」になるでしょうから。

(shin)



「挑戦」を超えた、若き舞踊家と振付家の誕生(サポーター 公演感想)

Noism2定期公演vol.15初日は、完売・当日券無しの盛況となった。先日の活動支援会員向け公開リハーサルでは、まだまだ緊張や葛藤も見られたNoism2メンバーだったが、第一部「Noismレパートリー」の幕が開くや、身体の躍動と音楽の連打で一気に会場の空気を高揚させた。金森穣作品の内、『R.O.O.M.』始め電子音楽に乗って展開する諸作に絞ってNoismならではの無機質さと有機的な身体との拮抗や、硬質なエロスといったエッセンスを抽出した山田勇気地域活動部門芸術監督の構成が冴え、Noism的なるものを体得しつつあるメンバーと、成長の途上にあるメンバーとの共闘や、その差異がもたらす新鮮な感覚に、いつしか忘我して舞台に没頭した。過去最多となる13名のメンバー各々の個性は、これから更なる開花を見せるだろうが、しなやかな身体性と既にして凄絶ささえ漂わせる表情で舞台を牽引した春木有紗さんをここでは特筆したい。

そして「Noism1メンバー振付公演」を経て、本格的な演出・振付家デビューとなった中尾洸太作品『水槽の中の仮面』が生み出した、瑞々しい感動たるや。12人の女性メンバーによる6組のデュオが交錯し、音楽の高揚とそれぞれの身体が確かな共振を現出させ、いつしか目頭が熱くなっていた。支配・被支配、仮面と素顔という対比を超えて、重ね合う額や肌で通じ合う6組の「魂」(中心となる春木有紗さん・与儀直希さんコンビ始め、デュオそれぞれが互いを高め合うようだった)。否応なく、パレスチナを始め世界で命を奪われている人々に思い至る鮮やかな終幕。舞台美術の明確なコンセプト。師・金森穣の影響を感じさせつつも、独自の舞台芸術を産み出そうとした中尾洸太さんの挑戦は、確かな成果として結実していた。実に4回に及んだカーテンコールでの熱い拍手もその証左だろう。

山田勇気さんとのアフタートークで、初日の印象を問われた中尾さんの「サプライズがあった。僕の考えた振付を超えて、メンバーが舞台で生きていた」という感慨は、観客もまた感じ取ったものだった。6組のデュオは「インスピレイションで決めた。対になるような個性のメンバー同士で」という裏話や、「楽曲と自身のイメージが先にあって、その先に振付がある」という創作過程、会場からの現在の「戦争」からの影響を感じたという声に、「強く影響を受けた。最近は三島由紀夫や鈴木忠志、宮崎駿など『戦争』を経験した人の作品に関心がある」という回答など、中尾さんの率直かつ誠実な言葉の数々。舞台の仕上がりに安堵したと語りつつ、「欲を言えば、金森穣作品と、もっともっと違う世界を見せて欲しい」「自身のイメージを基にすると、そこに縛られることもあるよね。それをどう超えるか」「Noism2を、Noism1メンバーが振付ける試みを永く続けたい」と優しくも鋭くエールを送る山田勇気さんの姿も印象深い。若き舞踊家と振付家の渾身に、観客もまた全身で向き合うことで、豊かな時間となったNoism2定期公演初日。明日・明後日の公演をご覧になる方も、是非刮目して彼女・彼らの躍動に立ち合っていただきたい。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、安吾の会事務局長、さわさわ会役員)

1/20(土)岡山市の新劇場・岡山芸術創造劇場ハレノワにて Noism×鼓童「鬼」岡山公演を観てきました。(サポーター 公演感想)

Noismにとっても、私にとっても初となる岡山です。
公演前に少し時間があったので路面電車に乗って、
岡山城や後楽園を散策したり初めての街並みを楽しみました。
また公演後に立ち寄った町中華で食べたよだれ鶏定食が絶品でした。
またいつか必ず訪れたい(できればNoism公演で)と思います。

新しい劇場ハレノワは、コンパクトながらしっかりとした造りで、舞台が非常に観やすい劇場でした。
職員の方もキビキビと対応されていて良い劇場だな、という印象です。
客席もかなり埋まっていました。客層も幅広い年代でちょっと驚きました。
Noismの評判、鼓童の人気、劇場への期待などいろんな要素があるのかな、と思いました。

開演直前、おなじみのメロディーが流れると幕前にスタッフが現れ、篝火が灯されました。
そこからしばらくして会場全体が暗くなり『お菊の結婚』がはじまりました。
ここ岡山で一足早く千秋楽となる『お菊の結婚』、岡山でも素晴らしい実演でした。
まず、いきなりの大音量と突然のお菊さんの動きには毎回驚かされます。
私以外にもびっくりされた方もいらっしゃっただろうと思います。

この『お菊の結婚』はとても好きな作品です。
『ボレロ』や『春の祭典』から続く音符に振付をするシリーズですが、
ストラヴィンスキーの『結婚』は複数パートが同時に歌う場面は意外と少ないため、
上記の作り方でダンスを作るのは大変だったのでは、と思います(かなり動きが限られそう)。
これを「人形振り」にすることで、動かないことに違和感を覚えません。
更に歌っている人だけが動くことで、昔のセル画で作っているアニメ(『サザエさん』とか)をみているような非現実感もありました。

15分の休憩後、『鬼』がはじまりました。
『鬼』もまた素晴らしい作品です。
原田敬子さんの楽曲はいきなりテンポが変化したり休符で断絶したりと、
こちらもまたダンス作品にするには難しいと思います。
Noismと鼓童は初演から素晴らしい実演でしたが、
回を重ねるにつれて完璧に手中に収めていて深みが増していることが分かります。
個人的に感心するのは、鼓童メンバーは登場時から最後まで、演奏している時もしていない時も身体が入っていることです。
これができるのは鼓童だからではないでしょうか。Noismと同じ身体言語を共有しているように思います。

『鬼』終了後は、鳴りやまない拍手と次々と増えるスタンディングオベーションで会場が歓喜に包まれました。
(岡山に見に来てよかった)と心から思いました。

更に終演後、地方公演では珍しくアフタートークが開催されました。
事前に募った質問に答える形でトークが進められました。
金森さんと井関さんのお話を簡単にご紹介します。

■最初に、初岡山の感想は。
井関: お客さんの拍手が温かった。自分は高知出身で岡山は馴染み深いし、Noismは西の方の出身者が多く岡山出身のメンバーもいる。
金森: もっと気温が暖かいと思ったら寒かった。(寒い)新潟から逃げてきたのに。
井関: 晴れの国なのに、連れてきちゃった。

■【質問】ダンスが嫌になったことはありますか。
井関: 1回ある。21歳で帰国した時。ヨーテボリで3日に1回踊る日々で踊りきったと感じ、一旦離れようと思った。離れたのはすごく良かった。
金森: 贅沢病だね。カフェで働くとかお花屋さんで働くとか言っていたが、3ヶ月後には踊っていた。
(嫌になったことは)ない。辛いのはしょっちゅう。

■【質問】振り付けを考えるとき、一番最初に取りかかることは何ですか。
金森: 作品によるので決まっていない。音楽が先にあったり物語が先にあったり、コンセプトが先にあったり、身体性が先にあったり、ケースバイケース。
ただ自分にとって一番大事なのは音楽。音楽が定まった時点で、そこからインスピレーションを得て作る。
『お菊の結婚』は曲を先に聴き、作品化したいと思った。ただ、元の物語(ニジンスカの『結婚』)には興味がなく、オリジナルを探すうちに『お菊さん』に出会った。
井関: 『お菊の結婚』はダンサーも楽譜の解読からはじめた。自分の担当する声部に振り付けており、歌が歌う時しか動かない。
リハーサルを進めるにつれ、金森さんから「もうちょっと動いて」と指示が出るが、そこは声がないから動けない。
金森: 『鬼』は原田さんの楽曲を聞いてから作った。「鬼」をテーマに掲げたのも原田さん。そこから色々リサーチをはじめ、役行者や清音尼を取り込みながら作った。

■【質問】作品を創作する際、新潟の歴史や物語、土地の記憶から着想を得ることがありますか。
金森: あるといえばあるし、ないといえばない。
ヨーロッパ時代など、日々生きていく中で、いろんなことからインスピレーションを受けた。
例えば、スウェーデンの夕日がサイドからバーンと街を照らす光景を見た時、インスピレーションが浮かんだりする。
それは「ストックホルムである」という場所性が関わっているけれど、だからといってストックホルムを表現しようと思わない。
更に言うと、それを説明するために作品を作っても面白くない。
今回も「鬼」についていろいろ調べたが、「鬼」を説明するために作品を作ってもしょうがないので、「鬼」にまつわるあらゆるものからインスピレーションを得て、自分の中でどこにも存在してないパフォーマンスを作る。
それが私の芸術的な野心。インスピレーションはあくまでもインスピレーション。

■【質問】いつも踊ってる時に気をつけてることは何ですか。
井関: 舞台上では瞬間を生きること。
例えば、今日は朝からずっと稽古してリハーサルしていろんなこと考えるが、それを本番では投げ捨てる勇気、その瞬間を生きる。ストイックにすればするほど、集中すればするほど、違うものがなぜか本番には見えてしまう。本当にその本番でしか見えないものを探し求めてる感じ。
金森: 実演芸術に共通だが、鍛錬と呼ばれるものは同じことを繰り返して、それを大事に、この型は崩さないように、と真摯に向き合うことが大切。最初から投げ捨てるつもりだったらそこまでにはできない。それを続けて大切に守ってきて、最後にそれを手放す。
井関: 手離した瞬間、自分じゃない何かが乗り移ったかのようになって、こんなにこの作品が違うように見えるんだとか、音がこんなに違うように聴こえるんだ、ということを発見する。そうしてまた次のステップに行ける。
金森: 意識と感覚について、果たして感覚も意識化できるのかという問題があって、ここをこうしようとか、稽古でこうしたらダメ出しがあったから気をつけようとか。それは意識じゃない?でも実際、生でバンってそこ出たらそれはもう感覚。あわいの中で感覚の方が突き抜けて。
井関: いわゆる「ゾーン」というもの。

■【質問】再演にあたり変化したところはありますか。また、鼓童さんとのコラボによって、普段のNoism作品との変化はありますか。
金森: 篝火を『(お菊の)結婚』『鬼』に入れたぐらい、そんなに変えていない。これまでにあるものをひたすら磨いていく事に時間を費やした。
(普段のNoism作品との変化については)これだけ難しい楽曲、しかも生音で太鼓は初めての共演だったので、みんなにとってもすごい経験だったと思う。
井関: 太鼓の音に皆さんもビックリされたと思うんですけど、実は皆さん以上に私たちもびっくりしている。舞台上で響く音って本当にすごい。舞台上では何もないかのように見せてるんですけど、本当に飛び上がる。それくらいエネルギーがある。それと原田さんの楽曲は難しい音楽だけど本質的。
太鼓が体に響いてくることで重心が落ちてくる。
金森: 上に上がってくるのはシンバルぐらい。それ以外はぜんぶ下に落ちていく。

■【質問】国内トップ舞踊団のダンスと地方在住者で作る地元の人のダンス、それぞれに役割があるとすれば、何が大切ですか。
井関: 劇場にプロの舞踊団があり、地元のダンスからそこを目指すような流れができれば、お互い活性化すると思う。
現状、新潟にしかないっていうのが問題。岡山に新しい舞踊団ができれば素晴らしいのでは?(拍手沸く)
金森: どちらかを否定するものではいけない。共存が大事。

■最後に…
井関: 2 月にNHK BSで 、2 年前に収録されたNoism公演(「境界」)が再放送されるので、今日来ていただいて興味を持っていただけたら、ぜひご覧ください。
金森: 今日の公演に誘ったけど来なかった人たちにも「テレビならタダで見れるよ」とご案内いただければ。

(かずぼ)

Noism×鼓童「鬼」再演:「タタク」と「オドル」に耽溺した至福の新潟千穐楽

2023年12月17日(日)午前11時過ぎ、新潟市内にも雪が舞い始めて、「いやいやとうとう来たか」みたいな気分で、車を運転して白山公園駐車場を目指しました。その頃にはまだ駐車場も空いていたので、場所を選んで車を駐めることができて一安心。で、まずはりゅーとぴあの6Fに上がってみると、展望ラウンジから見えるのは横殴りの風雪だったりするもので、まったく「やれやれ」って感じな訳です。

そのまま、そのフロアにとどまり、旬彩 柳葉亭にて家族で食事(まぐろ漬け丼と柳御膳)をしたり、珈琲を飲んだりして過ごしていたのですが、こちらのお店も年末に閉店してしまうとのことで、「そうなると来年からは淋しくなるなぁ」とか思って、これまで以上に味わって頂いたような塩梅でした。いろんな思い出もあります。長い間どうもお世話になりました。

開場時刻が近付いてきたので、3Fに降りていきます。一昨日とか昨日とか、或いは一昨日も昨日も会った友人・知人も大勢集まって来ましたし、この日、久し振りにお会いする顔もありました。でも、その誰もが一様にこの午後の公演への期待から晴れやかな笑顔を浮かべていました。館外の悪天候などはもう関係ありません。

14:30、ホワイエへ進みます。物販コーナーにて、浮き星をふたつ(ミルクと黒糖ベース)買い足しました。

物販担当はNoism2 高田季歩さん(左)と村上莉瑚さん、
やはり笑顔が素敵です♪

この日も開演前のソワソワ気分のままに、原田さん直筆の楽譜を見たり、色々な人たちと色々な話をしたりしてから、客席につきました。

『お菊の結婚』25分間、そして休憩20分間を挟んでの『鬼』40分間。新潟公演千穐楽のこの日、心掛けたのは「タタク」と「オドル」に耽溺すること。耳に届く音と目に映ずる身体のみが立ち上げる異界に耽ること。

『お菊の結婚』。ストラヴィンスキーの『結婚』、その奇天烈な音や歌、一筋縄ではいかない込み入った展開をもはや「劇伴」かと思わせるほどまでに自家薬籠中の物として踊る(現・元)Noismメンバーたち。
蔑み、欲、閉塞感、排除、謀(はかりごと)、孤独、その果ての惨劇。しかしながら、動き的に、ほぼ人形振りで紡がれていく「悲劇」からはその悲劇性がそっくり抜け落ち、ちょこまか動く身体の滑らかさの印象から「愉しい」の感想こそ似つかわしいほどです。鮮やかな色に染まる襖の外連(けれん)もピタリはまっているうえ、ふたつの死の見せ方も見事の一語で、(二重の「人形性」に閉じ込められるお菊の末路はさておき、)安易な「ポリコレ(政治的正しさ)」を嘲笑うように躍動するヴィラン(悪役:殊に楼主一家の3人)たちのアナーキーさ加減にドキドキしまくりの演目です。

Noism×鼓童の『鬼』。原田敬子さん曰く「挑戦でしかない」音楽をもとに、「同時に」産み落とされる「タタク」と「オドル」を耳からと目からと取り込んで、献身の賜物として成し遂げられた「同時性」そのものでしかないパフォーマンスに驚き続ける時間。音だけでも、舞踊だけでも既に圧巻レベルなのですが、それが「同時に」来る訳です。それはそれは物凄いシンクロ振りで、それを今風に言えば、「鬼」シンクロとでもなるのでしょうから、ここにも「鬼」が顔を出す訳です。まさに極限のところで出会う「鬼」です。
今回の再演にあたって行われたラストシーンの変更も主題的な一貫性・統一性を高めているように感じます。(初演時のラストシーンにおいては無人の光景だけが広がっていました。)
そんなふうにまるで隙のない一作、耳を澄まし、瞠目する者が悉くその身体の深奥から揺さ振られるように感じるのも無理のないことでしょう。なかなか身体の震えがとまらず、本当に物凄いものを観た感がある新潟千穐楽の『鬼』でした。

この日も終演後に大喝采とスタンディングオベーションが起こったことに何の不思議もありませんでした。「名作」が発火しそうなほどの熱演で演じられたのですから、それらはとりもなおさず、観客側の気持ちの昂りと至福の表れでしかなかった訳です。

この2作品につきましては、初演時に観た際に、感じたところを当ブログに記しています。そちらもご覧頂けましたら幸いです。
*「初見参の地・鶴岡を席巻したNoism×鼓童『鬼』ツアー大千穐楽♪」(2022/07/31)
(こちら、入場時にお手許に渡されたなかの「Noism Supporters Information #9」にて触れさせて貰っているブログ記事になります。)

この日のアフタートークについても書き記しておきたいと思います。登場したのは、井関佐和子さん、三好綾音さん、坪田光さん(以上、Noism)、そして小松崎正吾さんと平田裕貴さん(以上、鼓童)でした。

☆『鬼』のテーマ「新潟」の印象
平田さん(鹿児島県生まれ): 冬、凄く色々な風が吹く。冷たい風、寒い風…。
坪田さん(兵庫県生まれ): 雲が分厚い。上から押されている感じが、『鬼』の洞窟のなかで踊っているような感じと重なる。
小松崎さん(福島県生まれ): 海。太平洋側で生まれたので、海のキレイさに驚いた。海産物も違っていて、色々魅力がある。荒れている表情の海やサンセットも印象深い。
三好さん(東京都生まれ): じゃあ山(笑)。海も山も同時に見られる。山にいながら日本海の風を感じられる。ちょっと暗い感じなのも、自分にフォーカスし、集中するのによい場所。
井関さん(高知県生まれ): 一番大事なのは自然の力。この作品に活かされている。昨日までと全然違って、今日は踊っていて、「新潟にいる」と感じた。お客さんが信じられない熱量と集中力とで見詰めてくれていて、「新潟」って出て来た。

★再演でパワーアップした部分
平田さん: 2回目ということで、お互いのタイム感がなんとなくわかってきた部分がある。どちらかが合わせるというのではなく、パッと出て来る感じになった。
井関さん: より刺激が大きくなってきている。毎日、音色が違う。

☆コラボレーションで大変だったこと
三好さん: 毎日違うから集中力が必要だが、総じて大変さより面白いが勝っている。
坪田さん: 人見知りするところ。いつもマイナスから始まる。
小松崎さん: 本当に幸せな毎日。もっと深まっていったら、どんな景色が見えるか楽しみ。(*小松崎さんは、約10年ほど前に鼓童で踊りをやることになったとき、Noismに来てNoismメソッド・Noismバレエを学んでいたことがあり、その意味では「三好さんの先輩」(井関さん)にあたるそう。昨年はタイミングが合わず、『鬼』不参加だったのをとても残念がっていたもの。)
平田さん: 大変だったこと忘れてしまっている。ただ、合わせることは大変。
井関さん: 大変なことを楽しいと感じる「変な人たち」が集まっているのが舞台人。鼓童が演奏する『鬼』は、自分の気持ちが入っているときは別だが、普通の状態で聴いていると衝撃的過ぎて、気がどうかしてしまいそう。通して聴かされたお客さんは大変だったろう。

★今晩食べたいものは
平田さん: 新潟市内の某店(E亭)のディナーBセット。担々麺のお店かと思っていたところ、常連の坪田さんから、お勧めは「油淋鶏のBセットだ!」と聞いた。(「ぎょうざが付いてくるのも大事なところ」と坪田さん。)
坪田さん: お肉。「うし」。
小松崎さん: あったかいご飯と味噌汁。ホテル生活が続いているので、あたたかい家庭料理が食べたい。(とそこで、坪田さん「E亭は玉子スープ」だと補足するが、ややあってから、この日は同店が定休日だと気付き、平田さんは崩れ落ち、全員大爆笑のオチがついた。)
三好さん: 「ぶたにく」。(「疲労回復のためだね」と井関さん。)
井関さん: わからない。

☆このあとの『鬼』ツアー(神奈川・岡山・熊本)、どういう意気込みで臨みたいか
平田さん: すぐに再演したい、した方がよいと思っていた。楽しみ。また再演したい。
坪田さん: 各地それぞれ別の作品になる感じがある。毎回、新しい衝撃があって楽しみ。
小松崎さん: ふたつの生命体がガシャッとひとつになる演目。各地で邪気を払えたらいいなと思う。毎回、「これが最後!」と思ってやっている。再演したいんですけど。
三好さん: ツアーといっても踊る回数は4回。昨日より超えたいという欲をもってやっている。やればやるほど、もっと先があると身体で感じている。行けるところまで行きたい。
井関さん: 世界ツアーをしたいというのが夢。「新潟」から生まれたこの作品を広げていきたい。確実にパワーアップしていくだろうし、また再演したい。

浮き星は4分の3をゲット。しかし、コンプには至らずでした。

…等々。最後はクラウドファンディングへの協力依頼と大晦日のジルベスターコンサートへの参加について、井関さんが言及し、拍手のうちに、この日のアフタートークは閉じられました。

さて、Noism×鼓童「鬼」再演ですが、絶賛のうちに新潟3daysを終えて、明けて新年に神奈川(1/13,14)→岡山(1/20)→熊本(1/25)とまわります。各地で「鬼」降臨をお待ちの皆さま、お待ちどおさまです。来年のことを言うと「鬼」が笑うといいますが、この『鬼』再演に向けた期待感から自然と笑顔になってしまうというのが、今の状況かと。圧倒される準備を整えて、いましばらくお待ちください。
その公演、JR東日本の新幹線搭載誌「トランヴェール」2023年6月号に私たちNoism サポーターズについて掲載していただいたときの、「感動は約束されています。期待値を高めて来てください」(私)、「本物の舞台が見られます。必ず心が動きます」(aco)、「Noismはあなたを裏切りません」(aqua)、「私が保障しますよ(笑)」(fullmoon)、それらに尽きます。どうぞお楽しみに♪

*追記: 「トランヴェール」2023年6月号に関しましては、こちらもご覧ください。
「2023年6月1日、JR東日本「トランヴェール」6月号にサポーターズ登場♪」(2023/06/01)
また、掲載していただいた「トランヴェール」の6月号そのものもバックナンバーとして、こちらからご覧いただけますので、そちらもどうぞ。

(shin)

 

Noism×鼓童「鬼」再演:2日続けて不定形で名状し難い情動に駆られた新潟公演中日

前日の超弩級の舞台、その余韻を引き摺ったまま迎えた2023年12月16日(土)、この日の「至上命題」は滞りなく「鬼」新潟公演中日の開演を迎えることでした。白山公園駐車場は混雑が予想されていたため、早め早めの行動で、りゅーとぴあを目指したのですが、師走の週末は「どこからこんなに車が湧いて出て来るんだ!?」状態で、やや気を揉ませられました。それでも、時間に余裕をもって動いたため、駐車場も「楽勝」で、落ち着いて、翻弄される準備を整える(?)ことが出来ました。

今日はまず、昨日のブログにあげそびれていた私たちNoismサポーターズUnofficial発行の「インフォメーション #9」(A4版・両面)からご紹介させていただきます。

入場の際にチケットを切って貰ったあとに手渡されるチラシたちのなかに折り込ませて頂いています。裏面掲載の「再演への思い」はとても興味深いものと言えます。是非、お読みください。また、この表(おもて)面にて使用のビジュアルからだけでも初演時との相違(追加されたもの)がふたつは見てとれます。これからご覧になる方はじっくり比較してみられるのも一興かと。

で、この日のホワイエに『鬼』を作曲された原田敬子さんのお姿を見つけたので、ご挨拶をしてから、少しお話する時間を得ました。昨年の京都以来のことで、嬉しく思いました。そのなかで、原田さんは今回、舞台と地続きとなっている新潟・りゅーとぴあ〈劇場〉の響きの良さについて触れられました。規模的にもちょうどよい大きさであるとも。その意味からも「新潟」をテーマとして、「新潟」を代表する2団体が共演する今作を「新潟」で観ることの意味は大きいと言えるでしょう。まさに新潟の誇りそのものです。

お話を伺ってから、展示されている『鬼』の楽譜(抜粋)を観たのですが、私がこの日、個人的に驚いたのは、その大層込み入った楽譜のなかのあるひとつの音符が赤ボールペンで丸く囲まれていて、脇に貼られた黄色い付箋に「きこえない」とあったことでした。まさに「鬼」のような耳の持ち主によって作られた楽曲なのだと再認識した次第です。

その後、中原八一新潟市長をお見かけしたりしましたし、物販コーナーで「浮き星」(私はピンク色の「いちごベース」にしました。)などを買ってから、客席に向かいました。「至上命題」クリアです。

この日の物販コーナーはNoism2 河村アズリさん(右)と春木有紗さん、
素敵な笑顔です♪

そこから観た2演目のもの凄さといったらありません!
まったく方向性を異にしながらも、観る者全てを不定形で名状し難い情動に駆られた状態に置いてしまう点で共通する2演目。その情動、安易に「感動」などと表現して事足りる類のものではないというのが実感です。身体の奥深いところをむんずと握られたうえ、力を込めて揺すぶられでもしたかのような感覚。それを体感するために何度も足を運びたくなるような舞台。それがNoism×鼓童「鬼」(再演)なのです。
『鬼』が終わると、この日もスタンディングオベーションが目立った客席!
舞台には大熱演を示した演者たちがいて、その場に身を置いて見詰めることができた、その幸福を表出するための唯一無二の振る舞いだったと言い切りましょう。

終演後はアフタートークです。この日はNoismから山田勇気さん(司会)、中尾洸太さん、そして庄島さくらさんが、鼓童さんからは木村佑太さんと渡辺ちひろさんが登場されました。今日も交わされたやりとりの一部をご紹介します。

☆新潟公演中日の感想
中尾さん(Noism): 2日目は身体が重いことも多いのだが、この日はギヤがあがっている感覚。逆にこれは危ないなと自制した。自由にやり過ぎて怒られないように。
渡辺さん(鼓童): 昨日以上に緊張した。初演時には幕が下りる5分くらい前まで、唾液が飲めない、呼吸が出来ないくらいに緊張していたのを思い出した。
さくらさん(Noism): 昨日は緊張して、高揚感でハイになっていたが、今日は色々なものが見えた。
木村さん(鼓童): 初日は勢いよくいけた。原田さんからのフィードバックがあって、気を付けてやろうと思ったら、鼓童としては緊張した感じのサウンドになった。

★鼓童にとっての楽曲『鬼』
渡辺さん: 難しい。例えば、3人でひとつのフレーズを完成させなければならない箇所なども多い。
木村さん: いつものコンビネーションが通用しない、いつもやらないような楽曲。

☆櫓の上に鼓童、下にNoismという配置について
渡辺さん: 凄く揺れる。ビートをとっているだけでグラグラする。
木村さん: 高所恐怖症なので、最初怖かった。演奏者は通常、ピットなどに入ったりするので、逆に上から踊りが見えるのは新鮮。舞台からエネルギーが伝わってくる。
さくらさん: 櫓の下にいたりする場面も多く、振動が内臓まで響いてくる。
中尾さん: 音源だとフラットに聞こえるが、生演奏の舞台では、位置によっては音が聞こえないなどもあって大変。
山田さん(Noism): 音なのだけれど、そこには人がいて、だから、はまった時には凄く気持ちいい。

★実演家として感じる初演時との違い
木村さん: 去年の実力では気付かなかった繋がりが多々あった。一回「寝かせた」ことで作品を深められている実感がある。
さくらさん: 初演時に鼓童さんと合わせたとき、大変だと感じたことが多かった。それが、今回、合わせてみたら、スッといって、大変さがなくなった感覚。スッと一緒に同じものを作ることができたように感じる。
渡辺さん: 去年は楽譜の読み込みが浅かったなと感じる。また、前回はギリギリでやっていたため、誰かが間違ったりすると、「オイッ!」という気持ちになるような、殺伐とした緊迫感があった。しかし、今回。穣さんから「バッキングにならないで欲しい」と言われたので、そうした空気感も大事だと。そういう意味で「鬼」って要るなと。
中尾さん: 本を再読するような感じ。例えば、『星の王子さま』を一回手放して、星のことなどを色々学んでまた向き合うような多角的な感覚。
山田さん: 今回は集団として闘っているような感じがする。

☆ダンサーがいる/いないによって演奏は変化するか
渡辺さん: 凄く変わる。いないときの練習は気の張り方が違う。動きはよく見ている。睨みつけるような感じで集中して。
木村さん: 普段は客席に向けての一方向で済むが、今回は舞台上にも僕たちの音を欲しがっている人がいて、そのベクトルの違いが一番大きい。普段より疲れる。やはり気の張り方が違う。

…等々。また、山田勇気さんはこの『鬼』で海外へ行くプランに関する質問に対して、まだ決まっていることはないとしながらも、前日、トルコからの視察があり、好感触だったことに触れたあと、この『鬼』を「ただの伝統芸能の紹介ではなく、インスピレーションを与えることが出来る演目」と語りました。激しく同意します。この日のアフタートークは最後、山田さんの「毎回、その時その時にしか出来ない舞台を作っている。また是非観に来て欲しい」という言葉で締め括られました。

舞台が発する熱量も増し増しできている、ここまでの新潟2公演ですが、早くも明日が新潟千穐楽となります。当然の如く、好評発売中のチケットですが、3階席ならまだお求め頂けるようです。観逃したらもう観られないかもしれませんし、何より、人生のなかの「いっとき」ではありますが、自分の裡に不定形で名状し難い情動を体感できる得難いひとときとなることは間違いありません。まさしく一期一会。
これを書いている今、窓の外からは寒そうな強い風がピューピュー打ちつける音が聞こえてきます。更に明日は「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」という山下達郎的天気の予報もあり、「冬将軍」到来に道路や駐車場も混雑するかもしれませんが、それらを超えて、是非、りゅーとぴあ〈劇場〉に集い、一緒に「鬼」相手に身を打ち震わせましょう!

(shin)

Noism×鼓童「鬼」再演:新潟公演初日、深化/進化した舞台に魅入られる喜び♪

2023年12月15日(金)、この日は朝から雨が間断なく降り続き、誰にとっても鬱陶しさが募る一日だったかと。そんななか、夕刻には「あの『鬼』」再演の舞台にまみえる予定があることがそんな一日の気分を変えてくれることは明らかでした、私(たち)にとっては。昨年あんなに魅了された「あの『鬼』」が、こんなにも早く再演されることで、また「あの感動」に浸れる、「あの『鬼』」に。

しかし、昨年の感動があるため、自然と「あの」という指示詞を冠してしまうような気持ちに、幾分か油断に似たものがあったことは認めざるを得ません。そうです。Noismと鼓童の舞台で目撃したものは、「再演」という言葉では充分に表象することが適わない深化及び進化だったからです。この日この場所で、まさに一期一会でしかない刹那そのものとしての舞台だったのでした。

最初の1音から淀みなく流れていく物語に身を任せるようにして視線を送る、その快感に満ちた『お菊の結婚』。そして、それとは全く趣を異にし、1音1音が立ち上げる異界に身を晒し続けるような時間の体験とも言える『鬼』。

約1年半を隔てた「再演」の舞台。「えぐみ」を増した25分間の『お菊の結婚』では、そのトップシーン、ゲストダンサーのジョフォア・ポプラヴスキーさん(元Noism1)が登場する場面が変更されていましたし、休憩後の『鬼』に至っては、(それは金森さんにあっては決して珍しいことではありませんが、)ラストシーンが昨年と違うものになっていました。そのほか、両作品には細部の変更も数多く見出されることでしょう。しかし、そうした変更以上に、この日、目に映じたものはと言えば、パフォーマンスの深化及び進化であり、結果、「かつて観たことがある」と言って済ませることなど到底できないレベルの舞台だったということになります。魅入られっ放しでした。

『鬼』が終わると、場内に熱く大きな拍手と「ブラボー!」の掛け声が響き、客電が点いてからでさえカーテンコールは幾度も繰り返されました。そのなかで、金森さんが、先日、急逝された衣裳担当の堂本教子さんに届けんとばかりに両手を天に向けて差し出して拍手を送ったその様子には胸にグッとくるものがあったことを書き記しておかねばならないでしょう。

その後、この日のアフタートークには金森さんと『鬼』の作曲者である原田敬子さんが登場して興味深いお話を聴かせてくれました。少し紹介を試みます。

☆金森さんからストラヴィンスキー『結婚』について問われて
原田さん: 極めて異色で挑戦的。ピアノに歌を混ざらせず、敢えてぶつけている。空虚な感じのする和音を多用。倍音が聞こえてくる。声の出し方も所謂「ベルカント(美しい歌)」ではない。
金森さん: 1923年初演なので、ちょうど100年前の曲。アタックでパッと切ってステイするシャープな人形振りが合いそうと思った。

★「『鬼』舞踊と打楽器アンサンブルのための」(2020-22)等々
原田さん: 金森さんからのオーダーは「太鼓を超越した響き」。こんなに早く再演できたことで、直接の継承がなされ、楽曲も成長する。演奏者に指示する際、共有できる言葉でイメージを伝えることも。(例:お墓を風がふーっと吹くような感じで、とか。)それ故、作曲家が生きている間にコミットしている初演者の存在は大事。それが伝わらなくなってしまった後世の人になると、歴史を学んでイメージして、想像力と実感をもって演奏することになる。
自分は「直感人間」。リサーチしてイメージが浮かんだのち、それを整理して楽譜におとすのに時間がかかる。
「作曲家」は「確信犯」。限りなく不可能に近いところを意図している。慣習的なものではないところを演奏者に要求っすることで、新しい世界が拓かれる。身体が変化するくらいでないと、響きは変化しないもの。
金森さん: 音楽でも舞踊でも、技術的な難しさは一昔前とは比較にならない。不可能に思われていたことも誰かによってできることが立証されると、みんなできるようになる。トップランナーは突き抜けて凄いのだが、後の者もついて行ける。チャレンジの質も変わってこざるを得ない。 

ざっと、そんなところだったでしょうか。
あと、ホワイエには原田さん手書きの「『鬼』舞踊と打楽器アンサンブルのための(2020-22)」楽譜(抜粋:冒頭部分と清音尼が鬼に変わる部分)が飾られています。鼓童メンバーを絶句させたというその超絶な細かさ、ガン見しておきたいものです。(撮影禁止です。)

さて、「鬼」再演、このあと新潟ではもう2公演あります。昨年の初演をご覧になられた方にも、今回初めてご覧になられる方にも、それぞれこの驚異の2演目に瞠目する豊かな時間が待ち受けています。それだけはもう間違いのないことと言い切りましょう。金森さんはクリエイションにおいて決して歩みを止めませんから、今回観るのが最上の舞台となります。つまり、観る側にとっては人生の豊かさの問題になろうかと。
心ゆくまでお楽しみください。

(shin)

Noism×鼓童「鬼」再演:視覚・聴覚障がい者/メディア向け公開リハーサルに参加しました(2023/12/08)

新潟市はこの日、鈍色の曇天。雪は落ちてこないながら、重苦しい冬の空の色そのもの。そんな空の下、「鬼」再演を翌週に控えて開催されたメディア向け公開リハーサルのため、りゅーとぴあを目指しました。視覚・聴覚に障がいを持つ方々と一緒に舞台に向かいます。館内のモニターにはNoism1メンバーによる「鬼」再演のPR動画が流されていて、見入りました。

開始時間の13時少し前に受付を済まると、劇場ホワイエに入りました。新潟のテレビ局からも3局が参加。公開リハーサル後の囲み取材に向けて準備に余念がありません。

そして昂ぶる気持ちのままに劇場内へと誘導され、開始時間を待ちました。この日、私たちが見せて貰ったのは、鼓童さんとの演目である『鬼』。その冒頭からの約20分間でした。
場内が暗転した後、静寂、そしてややあっての強打。昨年同様、そのトップシーンから既になす術なく絡め取られてしまうようでした。また、その後やってくる「総奏(トゥッティ)」の音圧といったら!あたかも場内の空気全体が異様な密度をもつ「塊」と化したりでもしたかのよう。劇場の椅子に身を置きながら、押し潰されそうなほどの圧を感じました。しかし/ですから、思ったのは、更にその音を至近距離にて浴びながら踊る身体たちのこと。それが如何ばかりかと。想像もつきかねますけれど…。目と耳を圧して迫ってくる本作はやはりもの凄い演目であると再認識した次第です。

13時20分頃、前半部分の通しでのリハーサル鑑賞は終了。そこから、金森さんからのフィードバックにより、照明や動きの音楽との同調性、位置の精緻な調整が始まりました。
ある箇所、カウントが定まっていない原田敬子さんの音楽にあって、演奏者と舞踊家とが(原田さん的にはOKなのか案じながらも)最上の実演を求めて、互いにじっくり時間をかけてやりとりを重ねる姿を目にして、そんなふうにして妥協を排して具現化されていく舞台作りに尊さの思いがこみ上げてくるのを禁じ得ませんでした。

囲み取材が始まったのは、予定段階では終了時間とされていた13時45分頃のことでした。ここでは、その取材時に金森さんと井関さんが語った内容を中心に、そのご紹介を試みます。

○『鬼』再演に関して
金森さん: Noism設立から19年の昨年。初めて新潟をテーマに作ったもので、新潟にある舞踊団として大事な作品。鼓童さんとの初めてのコラボレーションということもあり、早く再演したいと思っていたところ、井関さんが早めに決めてくれ、嬉しい限り。 
井関さん: この作品に関して、昨年は早々に完売となり、観られなかったという人も多くいた。再演は常々やりたいと考えている。新作において新しい出会いがあるのは勿論だが、再演にあっても、舞踊家、演奏家、演出振付家にとってたくさんの出会いがある。そうやって作品を練り上げていくことで「名作」となる。それは必然。この作品に限らず再演はやっていきたい。
金森さん: 演出家にとって(所謂)「再演」は一個もない。全て、今この瞬間に生まれている作品。実演芸術はホントに一期一会。今回、再演にあたって、より際立って収斂されてきた。舞踊家の身体の深度も全然違っている。(経済や文明の時間軸が発展や進化で語られるのに対して)「文化」とは蓄積であり、成熟である。それを味わえることも劇場文化の価値と言える。再演はまさにその貴重な機会。この一年半のなかで演出家として磨いてきたエッセンスが、そして舞踊家と演奏家の一年半の経験値が盛り込まれていて、あらゆる方向でパワーアップしていると言える。手応えは充分。新潟市の舞踊団であり、テーマは新潟。ひとりでも多くの新潟市民に観て欲しい。
井関さん: まだまだこれから進化(深化)できる。舞台に立って稽古できる環境があることを幸せに感じている。まだまだいける。今回、鼓童メンバーと話していても深度が違う。「この作品は新潟をテーマに、新潟の舞踊団と太鼓集団による作品。絶対に世界に持っていきたい」と話していた。その始まりとして、この再演がある。多くの人に観て欲しい。

その後、進行にあたったNoismスタッフの方から、①新潟での3公演にはいずれも終演後に30分のアフタートークが予定されていて、チケットがあればそれを聴くことができることと、②現在、Noism20周年記念事業に際して広報活動の強化のためのクラウドファンディングに取り組んでいることとが紹介されました。(「クラファン」、私も少額ですが、寄附させて頂きました。)そんな囲み取材が終了したのは13時55分でした。

待ちに待ったNoism×鼓童「鬼」再演。本当に深化(進化)が感じられる公演、いよいよ来週末の開演。「もう幾つ寝たら」とか数えることすら必要ないほどに迫ってきました。まだまだお席に余裕があります。こぞって、あの音に、あの舞踊に、あの世界観に身悶えしに行こうではありませんか。りゅーとぴあ〈劇場〉で深化(進化)した「鬼」を目撃してください。

(shin)
(photos by aqua & shin)