雨の新潟にNoism1降臨 ー 『Liebestod – 愛の死』『Painted Desert』ダブルビル公演新潟初日

確かに天気予報では高い降水確率の予報が出ていたようでしたが、
街には傘を持たずに出掛けてしまって
時ならぬ激しい雨にうつむき加減で早足を繰り出す人々や、
傘を差していても結構な雨量に足許が濡れるのを如何ともしがたい人々の姿が見られ、
「ならば、車で」と思っても、隣の県民会館でも集客の見込めるイベントが組まれており、
車は車なりに大変だったのだろう、新潟市、2017年5月26日(金)の夕まぐれ。
そんな様々な不都合を越えて各所からりゅーとぴあ・劇場に集った私たちの眼前に、
満を持して、Noism1は降臨したのでした。
それはまさに金森穣さんと山田勇気さんの見えない手と舞踊家の身体によって描き出された、
ふたつの非日常。

この日、初日を迎えたダブルビル公演は
まずは、山田さんがNoism2に振り付けたレパートリー『Painted Desert』から。
かつてNoism2で観ていた作品をNoism1が踊ることに興味をそそられました。
間断なく耳を襲う不穏な地鳴りの響きが緊張感を高めるなか、
冒頭から石原悠子さんが、井関佐和子さん抜きのNoism1を牽引して、
圧倒的な存在感を示します。
他の舞踊家も、椅子に沈み込む姿が、或いは床に身を縮めて眠る姿が、
尋常ではないエッジの利いた身体として静止を続け、もうそれだけで目を惹き付けます。

白眉はやはり中川賢さんと池ヶ谷奏さんによるブラインド・パ・ド・ドゥ。
この作品は「レパートリー」ということですから、
ふたりが完全に目をつむったままで数分間踊るということは書いても差し支えないでしょう。
その姿を観ているだけで、舞踊家の緊張感がダイレクトに伝わってきます。
そしてこの日、私の目に強い印象を残したのは、他ならぬふたりの掌のセンサー。
目という感覚器官の代替物としての掌。見詰める私の目は釘付けでした。
力を抜き、柔らかく、緩やかにほんの少し曲げられた五指が
相手の身体を繊細にキャッチする様子、
それは同時に実に艶めかしくもありました。

照明も美しい作品です。

15分の休憩を挟んで、今度は金森さんの『Liebestod -愛の死』、文字通り世界初演。
ワーグナーの蠱惑的な旋律が流れるなか、
暗闇の下手側に一筋の光が落ちてくると、そこには吉﨑裕哉さんの後ろ姿。
その立ち姿だけで、既に「末期」が表象されています。
再び暗闇。次に上手側で照明が、こちら向きの井関さんの「歓喜」を捉えます。
「実験的な作品ではない。思いっきり感情で作っている。これが金森穣。」(金森さん)
観る者の心を掴んで、虜にしてしまうのにまったく時間は要しません。
見事な滑り出しです。

衣裳、照明、そしてシンボリックな装置の力も相俟って
ほんのふたりしか登場しない作品とは思えない程の空間的、時間的な広がりをもって
観る者を眼福へと誘います。
今、新潟に、井関さんと吉﨑さんがいて結実し、
ふたりの存在が不可欠な作品にして、
感涙必至の名作なのですが、
これより先は、これからご覧になる方に配慮して、あまり書かないでおきます。

ただ、アフタートークの最初、用紙での質問がなかったばかりか、挙手さえもなく、
金森さんが「新作の発表というのに『驚愕の事態』」と笑ったことを書き添えておきましょう。
観客はもれなく作品世界から現実世界への帰還を果たし得ないでいたからに相違ないのです。
この作品はかくの如く観る者を連れ去ってしまうことでしょう。

ここでは、舞台について直接触れることはせずに、
金森さんがその初日のアフタートークで、この作品について語った言葉を紹介することにします。
「憧れのために死ぬのではなく、憧れながら死ぬのだ。」(ショーペンハウアー)
「生は死のなかに取り込まれていて、死のなかの一瞬が生である。」
「(井関さんの「歓喜の女」には)悲しみにくれる女性であって欲しくない。
絶望的な悲しみを超越して立つ姿。それこそ、舞踊家の姿とも重なるもの。
冷ややかな視線や、酷評を前にしても、それを受けて立ち、
踊らなければ生きていけない存在。舞踊家のあり方。」
「劇場は、そうした舞踊家の生き様を見ることに喜びを感じる人が集まる場所であって欲しい。」(金森さん)

   ☆   ★   ☆   ★   ☆

アフタートークでは、金森さん、山田さんおふたりとも、
今回、狭いスタジオ公演ではなく、劇場という広い空間での公演ということから、
席によって見え方が全く異なるので、
是非、席を変えてもう一度見て欲しいとも言っておられました。

また、「今の時代、物質的に恵まれていて、自己表現が容易な社会という側面もある。
そのなかで、敢えて人を集めてまで、人と共に舞台芸術を作るには相当な覚悟を問われる。
作ることは魂の所在を示すこと。」と金森さん。

振付家と舞踊家の覚悟に満ちた舞台は必ずや観る者の心を強く揺さぶることでしょう。
生涯に渡る感動が待っていると言っても過言ではありません。
是非、一度、いえ、一度と言わず劇場へ足を運び、
己の身体と向き合う舞踊家の姿を前に、
感動を共有してみませんか。  (shin)

Noism1『Liebestod −愛の死』プレス向け公開リハーサル&囲み取材に行って来ました

Noism1ダブルビル公演の初日を8日後に控えた2017年5月18日(木)、
りゅーとぴあ・劇場での新作『Liebestod – 愛の死』プレス向け公開リハーサルと
それに引き続いて行われた、金森さんの囲み取材に参加して来ました。

午後3時を少しまわり、劇場内へと促され、
客席に腰を落ち着けて前方を見やると、
既にふたりの舞踊家はステージ上にいて、
動きや立ち位置を確認していました。

正面奥の金色(こんじき)の手前、黒い床面の上、
金色の髪に白い衣裳、或いは黒髪に白い衣裳が目を奪います。
今回、大役を務める若い舞踊家(吉﨑さん)が目や口を思いっきり広げ、
表情筋を大きく動かすことで、緊張や体をほぐそうとするなら、
成熟した舞踊家(井関さん)は照明スタッフに語りかけ、
両手を腰にあてて大きく頷いています。

客席に身を沈めた金森さんの「いきましょう」と囁く声が聞こえたかと思うと、
本番さながらの照明と音楽が訪れ、通しの公開リハーサルが始まりました。

リハーサルなら、先日もスタジオBで見せて貰っていましたが、
衣裳と照明とが加わると、やはり別物。
ふたりの舞踊家による「愛と死」を巡る舞踊は
「ふたりきり」の舞踊であるということが嘘のような
壮大なスケールをもって胸に迫って来ました。
その迫力ある非日常の美しさを伝える言葉など見つけるべくもありません。
是非ともご自分の目で観て、圧倒されて欲しいものです。
このうえなく豪華で、このうえなく濃密な20分間であることだけは確かです。

リハーサル後はホワイエに場所を移して、
金森さんの囲み取材がありました。
新潟の報道各社が揃って参加していたことに、
Noism1新作へと注がれる関心の高さが窺え、
嬉しく感じました。

質疑応答の形で金森さんが語った事柄のなかから一部紹介させて頂きます。

〇今、この作品を作る意味について
「現代の社会は決して明るいものではない。
未来に対して希望を抱けない若者も多いと聞く。
それだけに、人を愛することや、生きることに、
純粋に真っ直ぐ向き合う非日常的な感動が必要な時代なのだと言える。」

〇光を用いた表現について
「そもそも光がなければ何も見えないのだし、
光は舞台にとって最も不可欠な要素。」
「それは生と死、或いはその境界のメタファーであり、
影は実存のメタファーでもある。」

〇吉﨑さんのキャスティングについて
「最初は驚いただろうけど、嬉しかったと思う。
彼は野心もあるし。どんどん良くなってきている。」
「身長も高く、筋力にも恵まれていて、今回のハードな役にはうってつけ。」
「自分がここまでひとりの舞踊家にエネルギーと愛情を注いだことはないくらい。
今までにない吉﨑裕哉をお見せできるはず。」
「彼を念頭に置いた『あて振り』もあるし、敢えて全く別のものを求めた部分もある。」
「若い舞踊家(吉﨑さん)と成熟した舞踊家(井関さん)が描く愛の姿を観て欲しい。」

〇ダブルビル、もう一本の山田勇気さんの『Painted Desert』について
「ほとんど見ていない。見ると何か言いたくなっちゃうから。
舞踊家たちは、山田勇気という自分(金森さん)とは違う振付家にどう向き合うかが問われている。」
「金森穣以外の作品をどういうふうに踊れるか。
そして、お客さんが観て、今までにない発見があるのでなければ、
(Noism)1がやる意味はない。」・・・等々。

到底、紹介し切れるものではありませんが、
ここはひとまず、「最近、あまり感動してないなと思ったら、劇場に来てください。
劇場に来れば感動します」
(金森さん)という言葉をもって締めくくりとします。

金森さんが18歳のときに魅了されたワーグナーの楽曲、それ以来、25年。
今、ここに機が熟するかたちで届けられる
Noism1最新作『Liebestod – 愛の死』、その世界初演。
新潟は来週末、埼玉はその翌週。チケット好評発売中。

是非、純粋な「感動」が待つ劇場へ。
心が震えます。
ただひと言、必見とだけ。
もうそれで充分なはずです。 (shin)

ブカレスト公演直前公開リハーサルを観てきました♪

3月25日(土)正午、
漸く「遅い春」の到来を思わせる日差しは「マランシュ帝国」ならぬ、新潟市。
りゅーとぴあ・スタジオBを会場にして、
活動支援会員対象、定員15名(申込先着順)のみ観覧可という
ブカレスト公演直前公開リハーサルがあり、途中15分の休憩を挟んで、
劇的舞踊『ラ・バヤデール -幻の国』全編を通して見るという光栄に浴しました。

いつもお見かけする顔、顔、そして顔。
みんな頑張って申し込んだのだなぁ、と感心することしきり。

来月には市内でも熊川哲也 Kバレエ カンパニーの『ラ・バヤデール in Cinema』の
公開(2週間限定)予定があり、
映画館での予告編で、ミンクスの音楽を耳にしていた折も折、
私たちサポーターにとっては、こちらこそが大本命。
このNoism版『ラ・バヤデール』に魅せられた、
「やまいだれに隠れる」と書く「癮(いん)」の身には、
この日の公開リハはまさに「劇的」舞踊だった訳です。

一部、衣裳を纏って踊る舞踊家も含まれていましたが、
多くは普段の練習着姿。
各舞踊家の好みや趣味なども垣間見えて、その点でも楽しめました。
セットの慰霊碑や小道具も、既にブカレストなのかもしれません。
とてもレア度の高いものを見せて貰いました。
なにしろ、スタジオBの鏡に沿って一列に並べられたわずか15脚の椅子にかけて、
息遣いも聴き取れるほどの至近距離から観れたのですから、
こんなに贅沢なこともそうはないはずです。
「活動支援をしていて良かった」、そう思いながら、目を凝らしました。
(支援の寄附金も「寄附金等特別控除」が受けられますし。(笑))

「ムラカミ」を演じる貴島さんの張りのある声でリハーサルは始まり、
私たちの膝小僧を掠めて、貴島さんが通り、
石原さんが、中川さんが、そして井関さんが踊っていたのです。

この日、大僧正ガルシン役の奥野さんは不在で、
私たちと並んで腰掛けていた山田勇気さんがガルシンの台詞を読み上げていたほか、
第1部、婚約式へ至るくだりには、台詞も少し足されていて、
ミランを始末しようと企む「特務機関」の意図が鮮明になっていましたし、
カリオン族のヨンファを池ヶ谷さんが、
メンガイ族の少年を浅海さんが踊るなど、
キャストにも入れ替えが有ったりして、
新鮮な気持ちで興味深く見詰めました。

そして、たきいさんの品のあるフイシェンや、
バートルを案ずる幼馴染みアルダル役のチェン・リンイさんの
役になり切った、まさに迫真の、素敵な舞踊を、
再び、あんなに間近に見れたことにも感激しました。

やはり名作です、こちら。
見とれてしまいました。
ブカレストはチケット完売とか。
膨れあがったフルハウスの劇場で、かの地の観客を魅了すること必至。
聞こえてくる評判が楽しみですね。

ルーマニアまで駆けつけてご覧になられる方々、
誇らしい思いを胸に、くれぐれも楽しんで来てください。
報告をお待ちしております。
対する、「国内待機組」は、本日よりチケットの一般発売が始まった
Noism1のダブルビル公演を、
ワクワク、気もそぞろに待つことと致しましょう。 (shin)

マッチ+パッサ千秋楽を終え、スタジオB撤収 まだ観足りないなら・・・

2017年2月26日(日)の朝は晴天、青空が広がった新潟。
Noism1『マッチ売りの話』+『passacaglia』新潟凱旋公演の千秋楽の日。
ここまで高い確率で雪に見舞われてきた今回の長丁場の公演も、
最終日を迎え、よもや雪など想像できないほどに
ポカポカの午前中でした。

がしかし、公演時間の一時間半前の13:30、
一天にわかに掻き曇り、
途端に、大粒の霰(あられ)が垂直に落下をはじめ、
音を立てて、屋根を、地面を叩き付けることになろうとは誰が予想できたでしょうか。
それも色こそ違え、ミモザの黄色を降らせた劇的舞踊『カルメン』を彷彿とさせる勢いで。
最後の最後まで、天候を味方に付けるとは、
やはり名作のなせる業に違いありません。

そんな天候のなか、開演時間が近づくと、前日書いた「ラス前」のレポートのように、
否、それ以上に、この日の公演を楽しみにして、
ホワイエに集結してくる「Noism愛」の面々を目にし、思わず笑みが零れました。

でも、それも束の間。
最後の公演が始まると、
舞台から10人の舞踊家が10人とも、
いつも以上に思いを込め、気合いを入れて踊っているのがビシバシ伝わってきて、
それを受け止めるこちら側としては、魅了されながらも、
同時に寂寥感がこみ上げてきてしまうのも致し方なかったことかと。
やはり千秋楽は普段とは違うものなのでした。

普段とは違う・・・。
手許のチケットは今日で尽きてしまったというのに、
感覚はまだそれについて行けず、
また次の週末には、普通に、スタジオBで公演がありそうな気がして、
それを打ち消すのがとても切ない、そんな心持ちです。

ホワイエで行われた終演後のアフタートークも、
平行して撤収されていくスタジオBという現実を受容することを求めてきました。

「今日で千秋楽を迎えましたが、まだ観足りないという方は
来月末、ルーマニアにおいでください。
ルーマニアに行くからといって、特別変わったことはありません。
新潟の舞踊団としてベストの舞台になるよう努めるだけです」(金森さん)と言われてしまうと、
何やら誇らしくもあり、現地でその様子を見届けたい気にはなりますが、
いかんせん・・・。(汗)

楽日のアフタートークとあって、質問も多かったようです。
なかから、このあと5月に控える新作にまつわる金森さんの言葉を紹介して、
締め括りとさせていただきます。
「最近ハマっているものや、ことがありましたら教えてください」との問いに、
「最近ハマっているものですか・・・」と少し考えた後、
金森さんの口から、「ショーペンハウアーの本ですかね。」と意外な名前が飛び出し、
続けて、「ショーペンハウアー、今まで読んだことがなかったのですが、
次回作にも関係しているので、今読んでいます」と事情の一端を明かしてくれました。
もしかして、Noismロスの「心に空いた大穴」を埋めてくれるのは、
案外ショーペンハウアーなのかもしれません。(笑)
この機会に、一緒に勉強してみようかな、と思ってみたりもしますが、
私の場合、今はまず、村上春樹からですかね。(汗)

寂しい気持ちを抱えつつ、今回はこのへんで。
皆様からのコメントなど賜りましたら、寂しさも紛れようというものです。
どしどしお寄せください。

そして、ルーマニアへおいでの方、現地のレポートを心待ちにしております。
ルーマニアへおいでにならない方、次回、ダブルビル公演の「劇場」でお会いしましょう。
ではでは。 

追記
この冬、新潟と埼玉の地に、金森穣とNoism1が灯した燐寸は、
燐寸であればこそ、他の点火器具とは異なり、
いかに望もうともいつまでも灯り続けることなどあり得ず、
避けがたく訪れた消えることの摂理にも、「Patience!」とばかりに耐えねばなるまい。
しかし、また、燐寸だけが、消えてなお、微かに燐の匂いを鼻孔に伝えてくるのに似て、
千秋楽を終えた今も、金森穣とNoism1の燐寸が放った残り香に囚われ、
酔いしれたままの自分を見出だすのも、私ひとりであろうはずがない。
(shin)

名作マッチ+パッサ、残すところあと1公演

2017年2月25日(土)、所謂「ラス前」公演に行ってきました。
この日のスタジオBのホワイエには、
これまでにもNoismの公演でお見かけしてきた顔も多く、
「私は〇回目です。あなたは?」といった会話と同時に、
「あと明日一日になってしまいましたね。淋しいですね」という声が聞かれました。

今回、公演回数も多いスタジオ公演で、
それが新潟であれ、埼玉であれ、
週末には「公演があるのが普通」っていう感覚でいましたが、
やはり終わりは確実に近付いていたのです。

そうして回を重ねて迎えた「ラス前」の舞台は、錬磨・彫琢が際立ち、
第1部『マッチ売りの話』では、人物の造形に厚みと説得力を増し、
込み入った時空も、頭より先に目が納得させられましたし、
第2部『passacaglia』の方は、信仰と科学といった両極を往還する
不連続な連続を織り上げる身体の豊かさ、
その密度に息つく暇もありませんでした。

明日の最終日は、「舞踊家もそういう思いで踊る」(金森さん)ことから、
ますます訴求力を増した、圧倒的な舞台になることは必定。
前売り完売ながら、当日券が数枚出るとのことですから、見逃す手はありませんよね。
まあ、ルーマニアまで遠征するなら、話は別でしょうけど。(笑)

あと、本日の折り込みチラシには、
Noism1の5月末のダブルビル公演の作品タイトルが、
金森さんによる新作『愛の死』と
山田さん作のレパートリー『Painted Desert』と刷られていました。
金森さんは(新作を)「早く作りたくて仕方がない」と言っていましたし、
『Painted …』の方はNoism2で観てきましたが、Noism1が「劇場」で踊るとどうなるのか。
どちらも楽しみですね。

ですが、その前にまずは明日の公演で見納めになる方が多い
『マッチ売りの話』+『passacaglia』。
この名作を心ゆくまで堪能しようではありませんか。
明日の千秋楽に向けて期待は募ります。
「いざ、スタジオBへ」です。 (shin)

マッチ+パッサ、新潟凱旋公演第1ラウンド終了

Noism1『マッチ売りの話』+『passacaglia』新潟凱旋公演第1ラウンドの最終日、
変則日程の2017年2月20日(月)は珍しく雨。
それも強い風と合わさり、体感気温は相当に低く、
「これなら雪の方がまだまし」とは、人はまったく勝手なものです。

fullmoonさんのお陰で、思いがけず、この日の公演を観ることが出来ました。
一昨日の公演を観て、3回目で、ある程度すっきりするところまでいけたので、
この日は「理解したもの」に捕らわれずに
目に徹して観ようという思いを抱えて、スタジオBへ。

もともと多義的なものであり、固定化・安定化しようとする視線をかいくぐり、
常に逸脱していくベクトルとしての身体、
更に、「時間の芸術」(金森さん)としての舞踊。
意味などに拘泥せずとも、
否、理解したつもりでも、
それを超えた豊饒さで私たちを揺さぶってくるのが、
金森穣とNoismだった訳ですし。
そういった刺激に満ちている点では、
ゴダールの映画に似ているように思いますし、
個人的には、それに比肩しうるように感じられます。
決して大袈裟ではなく。

なんとか理解したくて、一生懸命に観て、
少し輪郭を捕まえられたかな、などと感じると、
今度は逆に、その輪郭に縛られてしまって、
もう自由に観ることは困難になってしまうもの。
意味に関しては、人はまったく不自由なものです。

でも、ゴダールも、Noismも、その懐は途轍もなく深いものがあります。
今回途中で、唐突に2度、耳に届く「Patience!」の言葉に、
意味を志向して、それなりに安心を得ようとするのではなく、
豊饒なるものの豊饒さを取り逃がさないよう、
まず「辛抱強く」目に徹せよ、という、
私たちに求められる「エチカ(倫理)」が谺していたように聞きました。

なんだか訳がわからなくなってしまいましたね。
簡単に言うと、「わからない」ことを恐れるな、ってことになりますかね。
そんな心構えを最初に教えてくれたのが、
私の場合、ゴダールでした。
そして今、Noismも。
もともと正解がある訳ではないので、
観たままでいい、と。
それでも充分に美しい、否、それだからこそ美しい。
更新され続け、誰も捕まえてなどおけない「刹那」の美におののき続けること。
まあ、そんなことになるでしょうか。

しかし、ゴダールも金森穣Noismも見終わると、
確実に自分のなかに新しい世界が広がっていて、
その若干の異物感と共に、
刺激に満ちた何物かとして怠惰なままではいられない
スイッチをいれてくる点まで同じなのです。厄介なことに。(笑)
(個人の感想です。(笑))

凱旋公演も、残すところ3回。
豊饒なるものに圧倒される経験をするために、是非スタジオBへ。 (shin)

マッチ+パッサ新潟凱旋公演第1ラウンド中日(なかび)を観ました

週末の2017年2月18日(土)、
新潟凱旋公演第1ラウンド中日(なかび)、
開演時刻の午後5時が近づくと、
あたかもそれは県外からのお客様への「礼儀」であるとでも言わんばかりに、
雪がちらつく新潟市。
誰も困りはしない程度に「情緒」としての雪〈天花〉を降らせてしまう
金森穣とNoismはやはり恐ろしいと思う。

『マッチ売りの話』+『passacaglia』、3回目の鑑賞。
イントロ部の精霊・井関さんは
NHKバレエの饗宴2015の『supernova』を思わせるような超越的な存在。

からの第1部、『マッチ売りの話』の具象世界へ暗転。
そこは西洋と日本が同居する時空。
表情を奪い、身体を際立たせ、それでいながらも様々な陰影を伝える仮面。

交錯する現在、過去、そして未来、
更には、あり得たかも知れないパラレルワールド、その一瞬の提示。

眼前で展開される加害と被害の混沌。
互いに指弾し、互いに指弾される怯える者たち。
安逸に、(不毛な)「夜のお茶」の作法に耽っていたというのに、
過去の、否、未来の侵犯により、しっぺ返しを受けて震える老夫婦。
そして封印していたはずの獣性の蘇り。
目を逸らしたままでいたかった過去。

今日のささやかな日常は何のうえに成り立っていたというのか。
蓋をして、無き者にしてしまいたかったというのに、
「忘れさせまいぞ」とばかり
蘇ってはのし掛かってくる、各人の存在の内側に折りたたまれたこの国の過去。

プログラムには「たとえその足跡が、
降り積もる天花(雪)によって
消え去ろうとも。」とあるものの、
それは、むしろ逆。
雪によってでも消し去ってしまいたい足跡ではなかったか。

今一度、プログラムに戻れば、そこに書き綴られた
「私たちは歩いて行かなければならない。
(信じ、)打ちのめされ、立ち上がっては過去を背負い、
一歩一歩大地を踏みしめるように、
歩いて行かねばならない」が、
それぞれに傷を負った9人によって
厚みをもって可視化されていきます。
並び立つ、諧謔と戦慄。

明転から、精霊・井関さんの導きで抽象舞踊の第2部『passacaglia』へ。
まずは、アウトフォーカスで互いを視認することなく
「コンタクト(接触)」という言葉では言い表せないほどの
驚異の濃密な絡みを見せる井関さんと中川さんのパートは福島さんの現代音楽。

次いで音楽がビーバーに変わると、
そこではコンタクトとリリースを繰り返す
デュエットを基本にしたユニゾンに一転。

しかしそれも束の間。
更に、再び、福島さんの現代音楽に転じると、
今度はコンタクトは極小に。

かように多彩な舞踊のボキャブラリーを見せつけて踊る10人の舞踊家。飛び散る汗。
プログラムにある通り、「信じ」て踊る、舞踊家の覚悟が身体から迸ります。

複雑を極める現代にあって、
複雑を複雑のままに提示することに誠実さを見出す今回の作品、
見事に構築された重層性には唸るより他ありません。

この新潟凱旋公演第1ラウンドは変則日程で、
日曜日が休演日。次の公演は月曜日となってます。
土日には都合がつかない方もご覧になるチャンスです。
金森さんとNoism1が現代に向き合い、
「劇場」から投げかける問いに挑んでみては如何でしょうか。

私も期せずして月曜日の公演に行ける幸運に恵まれました。
スタジオBでお会いしましょう。 (shin)

Noism1新作・第2クール2日目(1/28・SAT.)を観ました

1月28日(土)、fullmoonさんが投稿された前日の公演レポートを読んだことにより、
前週より更に進化・深化した舞台が観られることを確信しつつ、
期待を膨らませるだけ膨らませて、2度目のスタジオBへ。

期待は裏切られることはありません。
動きはこなれて、余裕が感じられる様子にブラッシュアップ。
まったく趣を異にする1部と2部とが、
より大きな統一体へと止揚(アウフヘーベン)されていく、
その醍醐味が今作の大きな魅力と言えるでしょう。
ですから、これも前日fullmoonさんが提起した問い、
「『精霊』のスカートのなかに何があるのか」
---私は第1部と第2部の作品世界全てをその裡に包含する衣裳とみます。
みなさんの目にはどう映りますか。
コメントなどでやりとりできたら楽しいですよね。

(この先、公演に関する個人的な印象を盛り込んだ書き方をしているため、
幾分か、公演内容に触れておりますことを書き添えておきます。
ご覧になりたくない方は、*****印より下まで、スクロールしてください。)

さて、第1部は『マッチ売りの話』、
幕開け前に私たちの耳に届く冷たい吹雪の音は
「初演直前の新潟で録音されたもの」(金森さん)なのだそうです。
前回、1/22の公演後のブログには「ごった煮」と書きましたが、
この日の印象はまったく別物で、
様々な時空、様々な立場にあるはずの9名が
まるでひとつの家族ででもあるかのように映りました。
一人ひとりは異なっているのにも拘わらずです。
哲学者ヴィトゲンシュタインが唱えた「家族的類似性」という概念が浮かびます。
完全に一致する共通点などはあり得ないものの、
様々な類似性が隙間なく重なりあい、交差しあって、
直接、間接に緩く繋がる「家族」という集合体にヒントを得た着想で、
家族のもつ「その家族らしさ」、というようなことになるでしょうか。

そんな観点から、この日、目に付いた細部。
「老夫婦」が冒頭に示す「夜のお茶」の「作法」は
「女」と「双子の弟」たちによって反復されますし、
「義父」が「少女」に加える「殴打」の主題は
「女」によって「双子の弟」たちに対して反復されます。
「老夫婦」は商品名「チャッカマン」で呼称されることの多い点火棒を用いますが、
「女」の方はマッチを用い、
「少女」との連続性を表象します。
そのように散りばめられた様々な細部が「家族的類似性」を色濃く表現していきます。
そしてそれは時代に翻弄されるよりなかった日本人の姿に重ね書きされているようでもあります。
「少女」が数度見せる涙を拭う仕草が胸に迫りました。

第2部は『passacaglia』、
まずはブルーグレーの照明の下、福島諭さんの現代音楽パート。
井関さんと中川さんは、ふたりなのか、それともひとりなのか。
私たちが目撃するのはついぞ目にしたことがない類いの
異なるふたつの身体が同化しては離れる驚きの光景。
「動きを微分化していくと、そのものには意味がない」(金森さん)のに、
10名の舞踊家の身体が、それを越えた何かを獲得していくパートです。

白い照明に切り替わると、一転、そこは情感たっぷりなビーバーの音楽。
ヴァイオリンによる旋律が美しい。
舞踊家も瞬時に典雅な風情を漂わせる、
ある種古典的な動きに切り替わり、ユニゾンで魅了します。
このパート、「その瞬間のエモーション」(金森さん)に目は射貫かれます。

ふたつのパート間の見事な往還が数回繰り返されるあいだ、
私たちは身じろぎもせず、固唾を呑んで、「ふたつの眼」に成り切るのみです。
その至福。まさに眼福です。

****************************************

言語化されざる動きがもたらす大いなる感動がここにはあります。
公演を重ねるなかで、「彼ら(=舞踊家)も何かを見出し、
私自身(=金森さん)も何かを見出す」のだそうです。
「(彼らが)今日見出したというところもあって、
面白いなぁと思って、
次はこんなことをやらせてみたいと思う」とは金森さん。
それらの言葉は、常に停滞することのないNoismらしさの、
その根幹をなすものを正確に言い表す言葉と言えるでしょう。

まだまだ先へ行く作品『マッチ売りの話』+『passacaglia』。
何度でも観たい舞台、
友人はそのあたりのことを「週末にNoismがある幸せ」と表現しました。
それを是非多くの方と一緒に体感していきたいと思います。

追記
今回のNoismTシャツ、各色とも良い感じですよ。
私はメンズLサイズのブラックとネイビーを買いました。
価格は2,800円(金文字入りピンクのレディースのみ3,000円)。
とてもクールでお勧めです。

更に、この日のアフタートーク、一番最後に、
金森さんが新潟のことを、
「人生の中で一番長く住んでいる場所。
街が変容していくのを目にし、友人ができ、
『ふるさと』と化していく過程を理屈抜きで感じている。
大切な場所である、既に」と語ってくれたことに、
胸が熱くなったことも書き添えておきたいと思います。 (shin)

Noism1新作、第1クール最終日(1/22・SUN.)そして活動支援懇親会

Noism1最新作の初演の幕があがった金曜日も、昨日の土曜日も、
雪が降るぞ、雪になるぞ、と思わせるだけ思わせておいて、
実際はさして降らずにきてましたが、
遂にこの日、雪片が落ちてきました。
しかし、湿り気の多さと、形状が無駄に大きいことから、
新潟県人なら誰しも「まあ、今は積もらない」と思える牡丹雪でしたが、
県外からいらした方々はさぞや心配だったことでしょう。
そんな『マッチ売りの話』+『passacaglia』第1クール最終日の日曜日、
スタジオBへ出掛けて来ました。

各種SNSで目にしていた、前日までの書き込みはどれも
感動の大きさを示していましたし、待ち遠しい思いに、期待は募る一方でした。
そして実際に目にしてみると、その複雑さに酔いしれる自分に気付くことになりました。

(このあと、個人的な印象を含めて、公演内容に若干触れています。
ご覧になりたくない方は、下のお料理とお酒の画像あたりまでスクロールしてください。)

開演。冒頭、一旦の闇を経た後、天井から光が落ちてくると、
舞台中央に、白と濃いグレーが彩なす、裾の長い衣裳に身を包む精霊・井関さん。
上から降り注ぐ照明は刻々明るさを変えていきます。
両の腕を持ち上げる、或いは下ろす、ゆっくりと。
ゆっくり体を捻ると、衣裳もゆっくり捻れる。ひと言、エレガントです。
1部と2部とを繋ぐこの象徴的なイントロ部を観るだけで
手もなくNoismの世界観に引き込まれてしまうはずです。

一転、「ごった煮」感のある第1部は
別役実『マッチ売りの少女』を下敷きにしたオリジナルの物語舞踊。
舞踊家の顔を覆う「仮面」が異なる時間の混在を可能にすると、
マッチとライターと商品名「チャッカマン」で知られる類いの点火棒の3種が、
20年後、そのまた20年後と20年間隔で隔てられた3つの時間を象徴しつつ、
物語が3つ同時に展開されていきます。
人間関係の把握はなかなか容易ではありません。
しかし、それは敢えて志向された複雑さなのであって、
何かが伝え切れずに複雑に見えてしまうのとは根本的に事情が異なります。
謎は謎のままで構わないのでしょう。
舞踊家が繰り出す身体表現を目で追うことで、
たとえ、整理がつかない部分が残ったにせよ、
全体の印象はさして違わないはず、
そう思わせるような第1部に見えました。

井関さんがひとりソロを踊る傍ら、
舞踊家たちの手で
セットが全て綺麗に片付けられてしまうと、
うって変わって抽象舞踊の第2部です。
まずは井関さんと中川さんが絡む、もぐる、捻れる、翻る、解け合う。
互いにアイコンタクトをとらないまま、アウトフォーカスで、
あんなになって、こんなになる福島諭作曲の音楽パート。
カウントの取りづらいシンセサイザー音楽のなか、
頭に浮かんだのは、なんと歌川国芳の浮世絵『みかけはこわいがとんだいいひとだ』。
(個人の感想です。(笑))
ふたつの身体が皮膚レベルで融合して、別のひとつの身体を獲得するかのようです。
アフタートークで金森さんは、このあたりのイメージを、
「雪が溶けて水になる」と表現されていましたので、相当開きがあるかも、ですけど。(汗)
ところが、音楽がビーバー作曲の「passacaglia」に切り替わると、
今度は西洋の「正統的な」舞踊に近付きます。男性5人・女性5人による群舞は圧倒的です。
その後も、福島パートとビーバー・パートが交互に現れ、
舞踊の「洋の東西」が10人の舞踊家の身体を介して
絡んで、もぐって、捻れて、翻って、解け合う印象です。
このスイッチの切り替えには相当な集中力が必要となるはずです。
言葉では表現できない領域を身体で可視化していきます。
観る者も置き換えるべき言葉など容易に見つけられたりはしません。
汗を迸らせながらの熱演にただただ圧倒されるのみです。

そして先日の金森さんの言葉の正しさを知ることになります。
曰く、「一度ではわからない」と。
この日は「1回目より、2回目の方がよくわかるのがNoism」とおっしゃっていた金森さん。
複雑で、到底一度では理解出来ませんでしたが、目は大いに堪能したと脳に伝えてきました。
この後も公演は続きます。
まだまだ変化、変貌を遂げていくこと必至の作品でもあり、目が離せません。
また観ます。まだ観ます。

終演後、アフタートークを挟んで、初めて活動支援懇親会に参加してきました。
金森さん・山田さんをはじめ、Noism1、Noism2のメンバーも全員加わり、
あちこちで、美味しいお寿司と飲み物を頂きながら、
色んな話が交わされた、とても楽しい約1時間でした。

 

画像は左、米粉のキャラメルレクチェロール、鴨スモークと柔肌ネギのピンチョス。
その右隣の静岡・土井酒造場の日本酒「開運」はSPACさんからの頂き物なのだそうです。
私はこちらのお酒を贅沢にも井関さんから封を切って頂いたうえ、
真っ先に、直々注いで頂き、たいへん美味しく頂戴しました。
口当たりが柔らかく、スッキリした甘さで飽きの来ない、いいお酒でした。

NoismサポーターズUnofficial同様、活動支援者にも加わってNoismを応援していきませんか。

さて、話は戻って、『マッチ売りの話』+『passacaglia』。
次の公演は今週末に3日間。
「わかるか、わからないか」はわかりませんが、
それは大した問題ではないようです。
観ることの魅力に溢れたスタジオ公演の会場でお会いしましょう。(shin)

Noism1最新作 プレス向け公開リハーサル&囲み取材に参加してきました

2017年1月12日(木)の新潟はNoism1新作チラシに2度言及されている「雪」の予報。
そして冬の仄暗さのなか、
あたかも天気予報が律儀に約束を履行しようとでもするかのように小雪がちらつく午後1時、
プレス向け公開リハーサル(スタジオB)とその後の囲み取材(練習室5)に参加してきました。

  

午後1時からのプレス向け公開リハーサルで見せて貰ったのは、
前回、本ブログで「まだ見ぬ第1部」と書いた、
近代童話劇シリーズvol.2『マッチ売りの話』の一部でした。

どうやら日本であるらしい、古風な、しかし金色の卓袱台が鎮座する家の「内」と
これも古めかしい形状の街灯を付けた電信柱が屹立する「外」が同居し、
更に幾つかの時間が混在する、不可思議な時空間。

 

少女、女性、娼婦、おばあちゃん、双子、弟、遺影、犬・・・そして仮面・・・???
今回も目に飛び込んでくる情報量は多めで、同時に様々なことが起こっているようです。
アンデルセンの童話というよりも、別役実による同名の不条理劇的要素が濃厚に感じられました。

生来のぼんやりゆえ、「筋」らしきものは辿れませんでしたが、
「昭和」を思わせる、幾分か大袈裟で古臭い感じの音楽が流れるなか、
同シリーズの1作目『箱入り娘』同様に、
コミカルで、ユーモラスな動きが楽しい、
「見ることの愉悦」に溢れた第1部と言えるでしょう。

午後1時30分、公開リハーサルに続き、
場所を隣の練習室5に移して、金森さんの囲み取材が行われました。
交わされた質疑応答のなかから、今作鑑賞のヒントになりそうな
金森さんの言葉を要約して幾つかご紹介します。

「タイトルを『少女』ではなく『話』としたのは、
本作はアンデルセンと別役実を下敷きにしたオリジナル作品であって、
アンデルセンだと思ってこられると訳がわからなくなってしまうだろうから。」

「物語舞踊の第1部と抽象舞踊の第2部を、休憩を挟まず地続き(70分間)でお見せするのは、
多様な価値観が云々される現代、本来共存し得ないものを同時に受け入れ、
その共通項だったり、同時に見ることで何かを感じて欲しいという思いから。
是非混乱しよう。(笑) そしてその後で何を感じるか。
混乱しながら、これを読み解いて欲しい。」

「仮面の使用は一番最後にきたもの。
そう言えば『ホフマン物語』の仮面があるよね、と。
もう一個抽象化して、『私でもあり得る、あなたでもあり得る、誰でもあり得る私』へ飛躍させようと。
また、舞踊家にとって仮面を付けて踊るのは難しいことではあるが、欧州では誰もが通る必須の課程でもある。
私たちは普段いかに表情にごまかされているか。
それを封じて、舞踊家の身体的なものに置き換えたい。」

「見渡せば、あちらでもこちらでもポピュリズム(大衆迎合)が大手を振って罷り通っている。
そうした困難な時代に生きている私たち。この困難な時代に何を作るのか。
目指すのは、答えを出すことではなく、考えるきっかけを与えること。
何となく幸せな気分に浸っていたければ、劇場になんか来ない方が良い。(笑)
舞踊家集団として抱く疑問を提示していきたい。」等々。

最後は、金森さんの「俺が言うと、何か変だけど、今回は2回は観て欲しい。1回ではわからない。(笑)」
という言葉をもって、囲み取材は和やかな空気感のうちに閉じられました。

金森さんの「1回ではわからない」発言への対策のひとつとして、
明日夜19:00開催のリーディングイベント、
★★声に出して読む、不条理劇 別役実「マッチ売りの少女」★★ などは如何でしょうか。
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日時:2017年1月13日(金)19:00~21:00
会場:kaffa 蒼紫~パルム(新潟市中央区古町6、萬松堂向かいの小路を入った2階 電話025-228-2050)
定員:25名  参加費:1,000円(資料代&ワンドリンク代)
申込:「新潟でリーディングを楽しむ会」/電話・ショートメール090-8615-9942
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ナビゲーター・市川明美さん(月刊ウインド編集部 制作長)の手ほどきで予習すれば
心強いこと間違いありません。
期日が迫っておりますので、ご連絡はお早めに。

・・・こちら、私は残念ながらどうやっても参加できそうにない日程だったため、
代わりに、りゅーとぴあからの帰路、ほんぽーと新潟市立中央図書館に寄って、
別役実『マッチ売りの少女』を収めた『現代日本戯曲大系・7』(三一書房刊)を借りてきました。

いずれにしても、Noism1新作・近代童話劇シリーズvol.2『マッチ売りの話』+『passacaglia』公開を来週末に控えて、
ワクワクが募って仕方ありません。
今は一刻も早く「混乱したい」気持ちです。(笑)
皆さん、是非、一緒に金森さんの企てで「混乱」しましょう!(笑)

(shin)
(撮影:aqua)