Noismプレビュー公演…そして、創作は続く(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@りゅーとぴあ)

プロジェクト・ベースで才能を呼び集めるかたちでの多くの公演が、「人の移動」に依拠する点において、コロナ禍の停滞に見舞われざるを得ないなか、それとは一線を画し、関係者が全て新潟市民であり、レジデンシャルでの創作を続けてきた点で、いち早く公演を実現させ得たこの度のプレビュー公演。金森さんにしてみれば、本公演を打てないことの無念さもあっただろうが、混迷を極めるなか、届けられた舞台には妥協などといったものは微塵も見て取れはしなかった。これこそが私たちが誇りとするNoismなのだ、そんな思いを抱いたのは私ひとりではなかったろう。

『Adagio Assai』

共振、共鳴、離れて向き合うふたつの身体が作り出す微細な空気の震えに目を凝らす冒頭。その後、別々の方向を向き、仰け反ったアンバー似の姿勢での静止を経て、デュエットに転じるや、醸し出されていく極上の叙情。その一変奏、スクリーン手前の井関さんが山田さんのシルエットと踊る多幸感溢れる場面に、心は引き付けられ、鷲掴みにされる。

『Adagio Assai』
撮影:村井勇

出会い、邂逅も、やがては別れへと。

そう、別れ。先に触れた仰け反った立ち姿では、自然と視線は上方向、それも遠くに向かわざるを得ず、その夢を追うかのような、ここではない何処かを求めるかのような姿勢が既に暗示していた帰結に過ぎない。「繋ぎ止めておくことなど望むべくもない」、最初からそんな予感漂う他者ではなかったか。

背後からその人の腕を追い、身体を抱こうとするも、痛ましくもすり抜ける、腕も身体も。そのさまは切なく美しい。今度は、揺さ振られ、掻き乱される心。そうして立ち去る井関さん、戻らぬ人。

「しかし、その人のことは一緒に踊ったこの身体が覚えている」、山田さんの身体がそんな声にならぬ声を発するのを、私の両目は聞きつけていた、間違いなく。

『FratresIII』

「贅沢だ、贅沢すぎる、どこを見詰めろというのだ」

勿論、金森さんのソロから視線を外すことなど出来ない。しかし群舞は群舞で、その同調性には陶酔に誘われるものがある。

『FratresIII』
撮影:村井勇

そこで、欲しいのは「近代絵画の父」ポール・セザンヌ(1839-1906)が提示したような多視点。しかし実際にはそんなもの望んでも無駄だ、無理なのだ。人の視覚には不向きな作品なのかもしれない。そのあたりをどう言おう、そう、神々しいのだとでも。神の視点から眺められるべき作品なのかもしれない。

光の滝の如く流れ落ち、身体を打ち続けた穀粒、足許に残るその無数の粒に、動く身体が残した軌跡の一様性にも息をのんだ。それは何やら梵字めいていて、そうすると、全体は動く曼荼羅のようでもあったな、また別な印象も湧いてくる。

もしかすると、この時分なら、恐らく、コロナ禍との文脈で見られることも多いのだろうけれど、それは極めて普遍的な性格を有する、多義的な作品であればこそ。

いずれにしても、これを観る者は揃って激しく鼓舞されることになるだろう。

『春の祭典』

休憩時間のうちに緞帳の前に、横一列、隙間なく並べられた椅子は五線紙めいた風情。

腰掛けに来る者はみな、社会を忌避し、拒絶し、常に怯え慄く者たちばかりだ。ほぼ他と目を合わせることも出来ず、隣り合う席に座ることなど嫌で仕方ない者たち。ためらいながら、或いは妥協したり、威嚇したりしながら、座る場所を選ぶさまはおしなべて不機嫌。他者と一緒になど毛頭なりたくはない胸襟を開かぬ楽音たち。

決して収まるべき場所に収まったとは思えない不穏な導入。イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)なのだ。不協和な楽音が形作る変拍子の律動、それが同調性を示してさえ、或いは、示すなら、その陰に、既に常に付き纏う不安や怯え。

不承不承にしろ何にしろ収まった筈の構図も、背後に、やおら、その口を開いた「魔窟」たる場に蹂躙され、無きものとされてしまう、易々と。

『春の祭典』
撮影:村井勇

やがて、「魔窟」がその本性を現し、魅入られたように足を踏み入れる楽音たちを絡め取っていく。その場の磁場に煽られて、身体内部に酷薄な獣性を目覚めさせる楽音たち。生じる同調圧力と暴力、或いは、お定まりの排除と生け贄。

その様子を観ているうち、想起された名前はトマス・ホッブス(1588-1679)。彼が人間の自然状態とみた「万人は万人に対して狼」「万人の万人に対する闘争」への逆行・遡行。

2020年の今、目撃しているのはまさにそれでしかなく、ここ新潟で、ストラヴィンスキーの楽音を介して、現代社会が内包する「病」に向けられた金森さんの今日的な視線が、幾世紀も隔てた古典的な知と極めて自然に合流することにハッとさせられたが、そんな途方もない結びつきと戯れる醍醐味は格別だった。

しかし、即座にこうも思ったものだ。今回、金森さんが使用したピエール・ブーレーズ(1925-2016)+クリーヴランド管弦楽団による『春の祭典』(1969年録音)を更に聴き込んで来年の本公演に備えなきゃ、と。インスピレーションの源泉に沈潜すること。

何しろ、相手は金森さんである。時間の限り、創作は続くのだろうし、これが最終形である訳がないことだけははっきりしている。 (2020/9/3)

(shin)

穣さん+佐和子さんインスタLIVE Vol.7は『バレエ談義』♪

日差しも和らぎ、風は秋色。2020年9月19日(土)は4連休の初日。その夜、21時より、穣さん+佐和子さんによるインスタLIVE Vol.7が配信されました。

先ず公開されたのは凜々しいふたりの画像♪インスタ・アカウントからの転載です。

この日の配信は、穣さん+佐和子さんのアカウントではなく、穣さんのアカウントで行われましたので、最初、見つけられなかった方もいられたのではないでしょうか。かく言う私も、おふたりのアカウントへ行って待機していたものですから、「なかなか始まらないなぁ」と思っていたところ、連れ合いから「もう始まってるよ」と言われ、「えっ!?」ってなって、慌ててストーリーに戻り、まだ「傷も浅い」ところから視聴することが出来ました。

このインスタLIVE Vol.7『バレエ談義』は、穣さんのアカウントにアーカイヴがありますので、よろしければ、こちらからどうぞ。(約56分)

以下に少し、内容をご紹介しようと思いますが、もともと、バレエの素養がない私には手に余る部分、伝え切れない部分が、これまで以上に多くあります。その点、ご容赦いただき、アーカイヴをご覧になる参考程度にお考え頂けたらと思います。

*バレエを始めた頃: 佐和子さん3歳から17歳にベジャールの許に行くまでバレエ一筋。穣さんは6歳で踊りを始めるが、最初はジャズで、バレエは10歳から。

*バレエって世界の入り口(佐和子さんの場合): 「ずっと大好き。パリ・オペラ座に入るって思ってた。私にとってそれは(きらびやかな世界とかではなくて)『芸の道』みたいなもの。ドキュメンタリーとか、どういう道で上り詰めていくかに共感していた。キラキラしたチュチュが着たかったとか、そういうのは全然ないの。ただバレリーナたちがカッコイイと思っていた。カッコイイ人への憧れから、そういう人になりたいと思っていた」(佐和子さん)「初耳だね」(穣さん)

*バレエって世界の入り口(穣さんの場合): 「男の子ひとりでタイツ履いて、女の子のなかにいて、始めた当時はジャズの方が好きだった。バレエは『基礎だからやっとけ』と父に言われてやっていた部分があった」(穣さん)(上の写真は、穣さん14歳、バレエ団の公演に出て、『くるみ割り人形』でクララの兄・フリッツ役をやったときのプログラム用のもの、とのこと。)「普段の先生・先輩が全然別人みたいになってそこにいる、舞台芸術としてのバレエの世界観に魅了された」(穣さん)「自分はその世界観のなかに入っていく自分が楽しかった。自分が演じる、表現するってことに快感を覚えていた」(佐和子さん)

身体と向き合うこと: 「年を重ねてくると真摯になってくる。続けていれば、向き合う日々も増える。若い頃のように勢いではいけないから、考える。骨格、構造がバレエのなかにあることに気付いていって、『凄いな、バレエって』と改めて思う」(穣さん)「40代になって、子どもが読むようなバレエ本を買い漁って読んでいる。でも、西洋で生まれて、彼らの骨格に合った方法論。ディープに入っていかないと、『同じ』ってところは分かりづらい。今は自分の身体にバレエの基礎がどう働くのか考えられるようになったから、凄く楽しい。昔は力任せにやっていたから、身体を壊したりもした」(佐和子さん)「自分たちの頃は表面的な『かたち』という捉え方で教えられていた」(穣さん)「日本人のバレエダンサーが踊るときに『かたち』に囚われ過ぎて、本質が出てこないことが多く、『真似事』のような気がすることも」(佐和子さん)「成長過程の身体を理解した上で進めていくためには知識も歴史も必要。バレエは身体を変えなきゃいけないから、時間がかかる芸術」(穣さん)

*バレエの/と歴史(西洋の場合): 「科学技術の進歩、医学の進歩のうち、身体に纏わることが徹底して研究されてきた。バレエは、イタリアで発祥、フランスで成熟、花開いたのはロシア(旧ソ連)。で、旧ソ連において、社会制度とマッチしたことが重要。貴族が愛する芸術分野を脱して、バレリーナを社会制度として育成する道、その文化を担う専門家を育てる道を選んだ」(穣さん)「欧州やロシアには、骨格や解剖学的な基礎の、その先に、『表現として何があるか』っていうことを見ようとする成熟した知性をもつ人が多くて、カッコイイ」(佐和子さん)「フランスの『個の力』、凄い。しっかりした教育制度で育てていくんだけど、『個の力』がポンッて出ると、その人が持っている魅力を評価する。全く異なる個性をそれぞれ芸術的な価値として評価するフランスらしさ」(穣さん)

*日本のバレエ: 「日本もそろそろ日本のバレエ、日本のスタイルを生み出していって欲しい。そうなるためには当然、教育制度だし、そのシンボルは新国立劇場。そのバレエ団が日本のバレエとしてオリジナルなものを作って、世界ツアーをして欲しい。吉田都さんが率いる次のステージに期待している」(穣さん)

*国ごとに異なるバレエのスタイル: Q:「どれが好き?」(佐和子さん)-A:「やっぱり、アメリカン。でも、(ジョージ・)バランシンはネオ・クラで、次の時代に入ってるから、クラシックのスタイルということで、ユーラシアに絞ると、(オーギュスト・)ブルノンヴィル。やっぱり速い、切れのある感じが好き」(穣さん)-A:「私は、ロシア寄りのフランス。子どもの頃、写真で見るロシアは大っ嫌いだった。美しいのは、フランス、ブルノンヴィル。英・ロイヤルだったら、ヴィヴィアナ・デュランテ(伊)。Kバレエで熊川哲也さんと踊った『眠れる森の美女』は何百回も観た。超美しかった」(佐和子さん)「だから、スタイル、って言うより、やっぱり人なんじゃない。フランスって言っても、80%はシルヴィ(・ギエム)でしょ」(穣さん)「あと、(ウリヤーナ・)ロパートキナ(ミハイル・)バリシニコフとシンシア・ハーヴェイの『ドン・キホーテ』(ABT)」(佐和子さん)「バリシニコフ、大好きだった。彼の創作もののソロ、動きも表現力も凄くて、印象に残っている」(穣さん)「バリシニコフは女性の私でも憧れる。身体的には小さいのに、あのテクニックと表現力。ああいうのを子どもの頃に観ていたから、『こっちの世界』にいるんだと思う。『ホワイトナイツ/白夜』も凄く観た」(佐和子さん)「勿論、(ルドルフ・)ヌレエフもバレエダンサーとしての可能性を開いたけど、創作もので、バレエの領域を飛躍させたのはバリシニコフ。バレエダンサーって感じじゃなくて、天才的なダンサー」(穣さん)

*ダンサーの引退に関して: 「パリ・オペラ座の引退は男女とも同じになって42歳。私は今年で最後?(笑)アメリカで、一番身体に負荷がかかる職業のナンバー1はバレエダンサーと。本当にそうだと思う」(佐和子さん)「肉体にかかる負荷は物凄いのに、非自然なことを事もなげにやることによるマジック。背後に、凄い稽古と長年の鍛錬がなければできない。それこそ、生き様というか、それに賭けている人しか、そこには行けない」(穣さん)

森下洋子さん 「子どもの頃からずっと、漫画仕立ての彼女の本を読み続けてきた。彼女は人生を賭けて舞台に立ち、今なお表現することに喜びを感じていて、お客さんも彼女の生き様を観て、それで成立しているもの。私はいつまでも踊っていて欲しいと思う」(佐和子さん)「実演にはピークがある。それを観たお客さんのなかの『永遠なものにしておきたいという心理』も否定できない。それも引き受けて踊る必要がある」(穣さん)「絶対、引き受けていらっしゃる。それがわかる。」(佐和子さん)「勿論、勿論」(穣さん)「ただ、自分が好きだから踊っているじゃない。全てを引き受けて、なお、自分に可能性を感じているから踊っている。今なお、自分が進化していると彼女が思えていることは凄いこと」(佐和子さん)「そうだね」(穣さん)「自分も、明らかに25歳のときよりは、40歳になった今の方が、表現ということを措いても、身体的に進化している部分があることは分かるから、70歳の彼女の場合も、絶対にあることだと思う。毎日、自分の身体と向き合って、自分の可能性を見つけ続けられる限りはずっと踊っていて欲しい」(佐和子さん)

*穣さんの場合: 「30代後半、なんとなく身を引き始めて、そろそろ引退かなと思ったけれど、そこからまたスイッチを入れて踊りを再開したときに、『Noismメソッド』をやりながら、気付くことが明らかに増えた。若い頃は考えてなかった。20代って、ちょっとストリートダンス的な感じになっていて、もう「どこでも踊れます」「なんでも来い」みたいな感じだった」(穣さん)「復活し始めたときに、私が本を読んでいて、『こうだよ、ああだよ』って言うと、聞き入れたから…(笑)」(佐和子さん)「それまでは?」(穣さん)「聞・き・入・れ・ない!」(佐和子さん)(穣さん、大爆笑)「その頃から私が『ここ、こうだよ。だから、こうなんだよ』みたいに言うと、穣さんが『あれ?あれ?』ってなり始めた。目の前にいる穣さんのアライメント(骨の配列)がバレエダンサーになってきた」(佐和子さん)「40代にして!」(穣さん、再び大爆笑)

*バレエの基礎がもつ意味: 「今、もう一度、バレエの歴史を自分の身体を通して遡っている感じ」(穣さん)「ここから、皆さんは崩していったんだ、って感じ」(佐和子さん)「ギリギリ俺らの世代はそこに戻ろうという意識をまだ持てる世代。自分の後の世代にはもう戻る場所がなくなっているように思う」(穣さん)「私たちは戻る場所があったから、そこに行けたけど。もうバレエからも入らない人たちが大半。でも、何事にも基礎が必要」(佐和子さん)「踊りだけじゃなく、あらゆる身体表現、或いは表現のなかで、基礎と呼ばれるものが失われていると言われる。今の時代、新しい基礎が必要だろう。また、振付と稽古とは別物。稽古が大事。稽古を蔑ろにしたら、もう基礎なんてなくなり、単にスタイルの話になっていっちゃう」(穣さん)「戻る場所がないと、振付は、終わったら終わり」(佐和子さん)「戻ることが大事。行ったばっかりになってしまうと、もうどこにも行き着かない。コンテンポラリーダンスでは、もう結構、その臨界点が来ているように思う。今、基礎としてのバレエを大事にするんだったら、そこから日本のバレエ、新しいバレエを考えていく必要がある。伝統だけではガラパゴス化してしまい、それが好きな人たち以外に感動を与えたりすることは出来ない気がする」(穣さん)「でも、バレエは凄い。何万回も『白鳥の湖』をやっていて、今なお、お客さんが観続けている。私は舞台の舞踊を観て泣いたのはバレエ以外、記憶にない。酒井はなちゃんの『白鳥の湖』を観て泣いたし…。それって凄い力だと思う。ストーリーも何もかも分かっていて、それでも人は感動するっていう…。だから、古い体質の人が『バレエをやれ』って言うだけじゃない気がしている」(佐和子さん)「それはでも、マスターピース(傑作)を相手にしているからであって、バレエがどうこうじゃない。『白鳥の湖』っていうのは、(マリウス・)プティパのマスターピース、チャイコフスキーのマスターピースっていう部分があるよね」(穣さん)「そう。だから、あなたの作品も頑張って世界中のバレエ団でやればいいんじゃない、っていうので終わっていい?」(佐和子さん)「ああ、もう時間?」(穣さん)→ふたり、大爆笑。「やっぱり、日本で作られた新しいバレエ、世界のバレエ団がレパートリー化するようなものを作らなきゃダメ。そしてそれに見合う舞踊家たちが必要だし、それをプロダクションとして支える劇場文化も必要。そこまでいかないと日本のバレエが確立されたとは俺は思えないんだよね」(穣さん)

*「バレエ談義」がそもそも…: 「こういう話になる予定じゃなかった」(佐和子さん)「そうだよね」(穣さん)「全然、日本のバレエ界の話みたいな…、じゃなくて、ただ、私はバレエが好きみたいな…」(佐和子さん)→穣さん、みたびの大爆笑。「私のバレエ熱を、次はチュチュでも着て気分を上げて」(佐和子さん)「バレエ談義2?」(穣さん)「タイツとチュチュで」(佐和子さん)「俺、タイツ?」(穣さん)…

…と、まあ、そんな具合でしたかね。私自身がバレエに明るくない分、取捨選択することもままならず、当初は簡潔にいくつもりが、逆にダラダラ長くなっちゃいました。スミマセン。m(__)m

で、次に行われるのだろう『バレエ談義2』については、ラストで、穣さんが、佐和子さんの想定する流れにマッチするような「まだまだバレエは奥が深い」、「我々にとってバレエとは何か」なども挙げておられましたけれど、同時に、それと並んで、「抱えている課題も多いだろうし」とも仰り、またまた楽しく迷走する「談義」になる可能性も秘めています。スリリングで聞き逃せない道理ですね。ではまた。

(shin)

本日(9/19)の新潟日報朝刊「窓」欄に拙文を掲載していただきました♪

先月末、かれこれ3週間前に地元の新潟日報紙「窓」欄に宛てた投書が、本日(2020年9月19日)の朝刊に掲載されました。下に載せますので、まずはお読みください。

2020/9/19新潟日報朝刊「窓」欄より

「投稿後、3週間」というのが掲載されるリミットのようですから、今回の投稿は「ボツ」なのだと思っていたところ、ギリギリ滑り込みで、6度目の掲載。新潟日報さん、どうも有難うございました。m(_ _)m

タイトルの変更と文章の整理を施していただいたうえでの、ギリギリの掲載は、採用されたタイトルが何やら中高生っぽくて赤面したくなる気も致しますが、「最高」は「最高」なんだから仕方ありませんね。そして、「最高」の2文字が持つ日報購読層への訴求力は小さくないのでしょうし。でも、そうなら、更にもう一歩踏み込んで「サイコーかよ」とでも表記して貰いたかった気も致します。(笑)

Noismの今回の公演のクオリティ、そしてそれを実現にこぎつけた関係者の方々の努力、それら全てが「サイコー」で、それら全てが「私たちの未来(新しい日常)を作っていく」、そう感じた次第でした。「未来とは、今である」とは、さる米国の人文学者(マーガレット・ミード(1901~1978))が語ったとされる言葉です。その意味で、「未来」に繋がる「今」を目撃した気持ちを込めて書いた文章でした。

追記: 平田オリザさんと金森さんの「柳都会」(2016/4/23/)につきましては、こちらにレポートをアップしてございます。そして、今回の投書で引いた元の発言は、「芸術そのものの役割」中の「被災時の『自粛』の風潮を巡って」語られたなかでお読みいただけます。気の利かない記事ですが、ご参照ください。

(shin)

本夕、BSNテレビ「ゆうなび」にて「サラダ音楽祭」が♪

新潟県内の皆さま、朗報です。本日の夕方(18:15~)のBSNテレビ「ゆうなび」のなかで、過日、同局クルーが同行取材されたサラダ音楽祭の様子がオンエアされるそうです。必見、必録ですね。

ワクワクものですね。で、放送後、同番組をご覧になられたご感想などもお寄せ頂けましたら幸いです。(以下、Noism Company Niigata のtwitterからの転載です。)

これを書いている今、時刻は朝の8時を回ったところ。あと10時間が待ち遠しい!BSNさんには、出来るだけ「尺」をとって頂きたいと思いますが、とりあえず、楽しみでしかありませんね。皆さま、どうぞお見逃しなく♪

*追記*  同特集の内容につきましては、下のコメント欄にて若干ご紹介させて貰いました。どうぞ、コメント欄にお進み頂き、併せてお読みください。

(shin)

サラダ音楽祭について-公演翌日はもはや恒例(?)インスタライブvol.6

この度の台風10号により被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。

さて、かずぼさんによる前日のサラダ音楽祭レポがあがったばかりのタイミングではありますが、「公演翌日トーク」は公演後の佐和子さんの精神衛生上必須ということで、「ならば止むなし」とばかり、こちらのブログも簡単に概略をアップすることに致します。かずぼさんの詳細な公演レポの「番外編」としてお楽しみ頂けましたら幸いです。

・穣さん、いきなりの「謝罪会見」は、舞い上がってやってしまった矢部さんとの「握手」について。そして、この後も時折、謝罪の言葉は繰り返されました。

・佐和子さん・穣さんともに昨日の一番の印象は、生オケのラストの一音が消えていく瞬間のこと。「生の残響が空間にまだ漂っている」(穣さん)「自らじゃない力で、更に静寂が閉じていく感じ、ホントに凄い。無音が音だと感じる」(佐和子さん)音楽が始まる前も客席は「ただ待っているだけじゃなくて、聴いている感じ」(穣さん)「音との向き合い方、また新しい何かを見つけた感じがする」(佐和子さん)

・「ラベルを初めてオケで練習した際、10分の作品が40分くらいに感じた。自分が知っている世界じゃないところに連れて行かれて、音楽が導いてくれて、砂漠を凄く長い旅をしているようなイメージだった」(佐和子さん)「一音と一音の間が録音よりもっと繊細で濃密」(穣さん)

・矢部さんの『フラトレス』、「まず驚いたのはクリアなこと。一音一音が粒立って全部聞こえる。濁りがない。繊細。これをどういうふうに自分の身体に落とし込んで踊るんだろう、どうやって矢部さんと対話していくんだろう、と思ったのが初日。2日目も矢部さんの音の純度に対して合うスピード感やタイミングを掴めてなかった。何かが違う」(穣さん)「表現として、どいうふうに作品を作り上げていくか」(佐和子さん)矢部さんと言葉でイメージを交換したのを機に「化学反応が起きた」(佐和子さん)「話したことで、動きながら矢部さんに何か送る感じになった。この方向性かも知れないと何か掴み始め、本番3時間前のゲネで、これが矢部さんと奏でる『フラトレス』なんだと確信を得た」(穣さん)「本番では、あの瞬間でしか生まれないものが生まれた」(佐和子さん)「ペルトの『フラトレス』を踊ったんじゃなくて、矢部さんと踊った、矢部さんで踊った感覚」(穣さん)

・オーケストラピットがなくて、背後にオーケストラを背負っていることの体験: オーケストラから、矢部さんから受ける熱い視線の体験、とても疲れた。「超見巧者に骨董を後ろから見られている感じ」(穣さん)

・スタンバイの穣さん: 「俺もオーケストラじゃん」で、オーケストラと一緒に入っていった。いつもの手を振る仕草、「やりおったな」(佐和子さん)「普段、幕の奥で必ずやっていること。自分の儀式として」(穣さん)

・対する佐和子さんはちょっと違うらしい: 「出て行くときから『入っていく』。人の作品という意識が結構あるから。作家がいる演者という感覚とあなたの場合の自らが作家の違いがある」(佐和子さん)「舞踊家としてのタイプの違いもある。俺は人の作品でも意外とやっちゃうタイプだから」(穣さん)「そうね、そうだね。ある、ある」(佐和子さん)

・感染対策、前4列空いている客席、正装した「黒」の団員→不思議な感覚、様々な「ゲスト感」、「『郷に入っては…』なんだけど、郷のやり方が全然分かんないんすけど、みたいな」(穣さん)

・音楽家に訊いてみたいこと(佐和子さん): 本番の緊張感、アドレナリンで身体が変わり、音がゆっくり聞こえたりして、いつもの時間がストレッチされる、イコール自分が俊敏になってくる状態に舞踊家はなりがち。音楽家はどうなんだろう。

・矢部さんの『フラトレス』と俺たちの『フラトレス』、江口さんのラベルと俺たちのラベル: 「実演に向けたコミュニケーションを深くとることも何か違うと思う部分がある。どう融合していくのか、共演して生まれる新しいものに出来ないか」(穣さん)「何か感じたかった。すぐに納得したくなかった」(佐和子さん)

・「Noism0に入りませんか」(穣さん)-「入ります」(矢部さん): 矢部さんとの(サイトウキネン以来)9年振りの共演は、矢部さんの猛アタックによって実現したもの。「サイトウキネンで得た何よりのものは矢部さんと出会えたこと。オーケストラの皆さんとも精神的に近付きたい。こういう機会、経験を積み重ねていきたい」(穣さん)

・Noismとしては、生で踊る機会が続く: オルガン(年末のりゅーとぴあ)、雅楽(年明けの京都)

・佐和子さんは公演後の割りに元気。「今回、興奮気味だったよね」(佐和子さん)「録音で踊っているときは『出した』という感覚になるのだが、今回は、矢部さんから貰って出している、ある種の触媒のように、何かが通過していったって感じ」(穣さん)

・矢部さんと佐和子さんふたりトークも実現したい、等々…

約55分弱、開放感たっぷり充実のインスタライブでした。以上で報告とします。

アーカイヴはこちらからどうぞ。

(shin)

穣さん+佐和子さんが語る「公演後」(インスタライブvol.5)

2日間の『春の祭典』/『FratresIII』プレビュー公演(『Adagio Assai』を含む)を終えた翌日の2020年8月29日19:00、穣さん+佐和子さんによる第5回目のインスタライブが予定時間を延長して配信されました。今回のテーマは「公演後」。前もって質問を受け付けたりすることで、私たちが知りたい「直後」の様子などをお二人が寛いだ雰囲気のなか、あるところでは「夫婦漫才」みたいにユーモラスに、ホント腹蔵なく、時間を延長して、たっぷりと話してくれました。普段、アフタートークがあるときのそれとも違う、なかなかにレアなお話を聴くことができたと思います。

そのお話全体については、おふたりのインスタ・アカウントにアーカイヴ化されていますから、お聴きになりたい方はこちらからどうぞ。(今現在、最新のふたつがそれになります。)

ここでは、お話の内容をかいつまんでご紹介していきます。よろしければ、お付き合いください。

・最初は、昨日の夜に(=本番の夜に)やることも考えたんだそう。でも、さすがにやめようということで、今日になった。

・「『プレ公演』って、嘘でしょ」(佐和子さん)「万全な体制ではないんだけど、出来る限りのことをしようと、可能な限りのことをしようという思いでやったところ、結果としてちゃんとした公演通りにできた。スタッフは大変だったと思う。でも、劇場専属舞踊団だからこそできた公演」(穣さん)

・「来てくれた人たちもある種の覚悟を持って来てくれた。そのエネルギー、集中力は凄かった」(佐和子さん)「選んで、色々考えた末に『行くんだ』と覚悟を持って来てくれた人たち、その思いや気配が客席には満ちていた」(穣さん)

・「今回、スタンディングオベーション、嬉しかった。泣きそうになっちゃった。客席から来た圧は凄かった」(佐和子さん)

・「(最終日の)公演後は少しおかしくなっちゃう」(佐和子さん)「(佐和子さんは)公演後、ガクッてくるもんね。寝れないは最近かなと思うけど」(穣さん)「穣さんはならないね」(佐和子さん)「実演家としてはならないね。それは多分、作ってる側の脳があるからかな。先を夢見ている部分でバランスがとれているのかもしれない」(穣さん)「私は今しかないから、その今がなくなった瞬間に切れちゃう」(佐和子さん)

・(『春の祭典』について)「昨日、本番観ながら、何かが足りないと感じていたものに気付いた。来年、本番のときには実現させたい」(穣さん)

【質問1】「夫婦のみでの製作について」: 「24時間体制が更に濃くなる」(穣さん)「でもそんなに違いがあるとは考えていない」(佐和子さん+穣さん)

【質問2】「ビデオチェックは通して見るのか」: 「ものによる。今回、『Adagio Assai』と『FratresIII』は前(方向)から見ていないので、チェックしてダメ出しをノートにとったが、『春の祭典』は実際、客席から見たものを基に終演後、楽屋でダメ出しを書いたので楽だった」(穣さん)「『ロミジュリ(複)』は大変だった。長い上に俺(穣さん)も出ていたから。帰ってから、また2時間見なきゃだめだった」(穣さん)「2時間ものは夜がツラい」(佐和子さん)「私は何回も見ちゃう。1回目は作品を(見なくても良いのに)ぼーっと見る。2回目は自分とまわりのダメ出し。3回目は超個人的な拘り」(佐和子さん)「俺は基本的には見ない。ダメ出しはしないとだから、Ⅰ回は見るけど」(穣さん)「何回も見たがるが、見ると落ち込む。映像は嫌い」(佐和子さん)

・本番の後、寝られない人(佐和子さん)と爆睡の人(穣さん)、積み上げていく人(佐和子さん)と「子どもみたいな人」(穣さん)、ごちゃごちゃした楽屋(佐和子さん)と何もない楽屋(穣さん)←「舞踊家としては両極」(穣さん)

【質問3】「『春の祭典』は一番何を意識して作ったか」: 「楽譜を見て、まず、舞踊家ひとりひとりに楽器をあてがうコンセプトがあり、それに忠実でありたいというのがスタート。しかし、それに固執し過ぎるとダメ。コンセプチュアルな部分と破綻した野性性のバランスを実現させたくて拘った」(穣さん)「お陰でアキレス腱が痛い」(佐和子さん)「変拍子は昨日(楽日)ですら数えながら踊っていた。ユニゾンでは必死に数えていた」(佐和子さん)「ああいう緊張状態、集中状態での頭の回転の速さ、時間の流れの刻み方って凄いよね」(穣さん)「身体は現実を生きていて、脳はある種の非現実を生きている感じ」(佐和子さん)

【質問4】「『春の祭典』での襟を立てる、襟を開くに込めたもの」: 元々の衣裳のコンセプトが「患者性」(病院みたいな設定)→ボタンの開け閉めで多様な見え方がするという提案が衣裳のRATTA RATTARR・須長檀さんたちからあったもの。

・去年の利賀の舞台のことは一生忘れない。「あの時の感覚は『点』で思い出す」(佐和子さん)「どことも似ていない劇場。唯一無二だからね」(穣さん)

【質問5】「今回の公演の一番の目標と課題」: 「コロナ禍にあって、実演家もスタッフも無事に舞台を成立させること。それができて良かった」(穣さん)「それに尽きるね。でも、こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけど、舞台に立つときに『コロナどころじゃないぞ』と思う自分がいた」(佐和子さん)「でも、それは当然と言えば当然。意識の持っていきようであって、そのとき、それよりももっと喫緊の、もっと緊急な事態っていうのがあって、それに直面したら向き合わなきゃならなくなる」(穣さん)「それぞれの職種、人それぞれの人生があって、その瞬間瞬間に向き合うことが異なるって感じ。そいうことを通っていろんな人の人生を見られるんだなぁって考えさせられた」(佐和子さん)  

【質問6】「公演が終わったあと、公演のとき、必ずすること」: 「本番の舞台で楽屋に入るとき、普段は聴かない美空ひばりさんを聴いたり、鈴木忠志さんの本を開いたりする」(佐和子さん)「俺、ない。舞台が好きで、『巨大な夢の庭』みたいなの、俺にとって」(穣さん)「劇場の舞台に負けそうになる自分がいて、鈴木さんの本とか、世阿弥の言葉とかを見て、『大丈夫、自分はいける筈』って確認する」(佐和子さん)

【質問7】「『Fratres』はまだ進化するのか: 「あれで完結です」(穣さん)

・週末(サラダ音楽祭)の生オケで踊る『FratresIII』では屑米は降らないのだそう。「降ったら大変なことになる」(穣さん)

・『火の鳥』について、佐和子さん、勇気さん、ニジンスキー、等々…

・公演後のクッションとしてのインスタライブ、恒例になるかも(佐和子さんの精神衛生上。そして、この状況では、アフタートークもなかなか難しくなりそうなので…)→来週も(公演翌日に)あるかも!?

・時間を延長し、エンドレスにどこまでも行きそうだった今回のインスタライブ、終わりのきっかけはさる方からのメッセージ♪それは…(笑)

…ここで拾えなかったお話もたくさんありますから、是非アーカイヴでご覧ください。きっと楽しい時間になると思いますよ。ではでは。

(shin)

 

プレビュー公演楽日(2日目)、練度の高い実演に言葉を失う

2020年8月28日(金)の新潟市は、前日ほどではないにせよ、予報通り、極めて高温多湿。しかしこう何日も続くともう「暑い」などと口走る行為がいかにも陳腐な同語反復に過ぎず、限りなく慎みを欠いた、はしたない振る舞いに思えてしまうような、そんな一日だったとも言えます。

暑さを云々するより、どこまでいっても「これでよし」ということのない、文字通り、神経をすり減らすようなコロナ対応を求められながら、それでもこうしてプレビュー公演を実現してくれた方々に心からの感謝と敬意を捧げたいと思うものです。来年夏に延期された本公演への通過点としてのプレビュー公演を2日続けて観たのですが、この日(楽日)の練度の高さは尋常ではありませんでした。前日は気迫漲る舞踊に大変感動したのですけれど、謂わば、それは力ずくで圧倒され、蹂躙された感じの力業だったのに対して、この日見詰めたパフォーマンスは、気持ちが籠もったという点では同じにしても、より繊細さを増し、無理なく染み込んでくる感じの迫力に満ちたもので、一口に「感動した」と言っても、その肌合いを異にしていたように思います。

やはり定刻を3分ほど過ぎた18:03頃、緞帳は上がり、『Adagio Assai』の幕開けです。やや距離を置いた位置にあって、共振し、共鳴するふたつの身体、井関さんと山田さん。その距離を詰めていき、絡み合って踊られるデュエット。しかしそこから山田さんが抜け出すと、スクリーンの裏側へと駆けていき、こちら側に取り残された井関さんがシルエットとなった山田さんと踊る場面の叙情は到底書き表せるものではありません。この小品の大きな見所と言って差し支えないでしょう。その後、スクリーン手前に戻ってきた山田さんとの再びのデュエットから、今度歩み去って行くのは井関さんの方。残された山田さんですが、その身体が井関さんを覚えている…、そんな具合に余韻をたっぷり残しながら閉じられていきました。

舞台上手方向にゆっくり消えていく山田さんと入れ替わるように、中央奥からゆっくりと歩み出てくる姿こそ、金森さん。しなやかであるとともに、強靱で美しい筋肉にも目を奪われるでしょう。そして、金森さんがソロを踊り始めてから、ややあって、舞台奥から11人がこれまたゆっくり姿を現すと、全員で一糸乱れぬ群舞を展開し、金森さんのソロに厚みが加えられていく、『FratresIII』です。前日、どこを観るかでせわしなく視線を移した反省から、この日は中央の金森さんに視線をロックオンして、後景の11人をアウト・オブ・フォーカスで見ることを選択。これ、何という贅沢でしょう。加えて、知っていながらも毎度、「アレ」の場面ではハッとさせられたりもして、激しい動悸とともに、この神々しい作品を心ゆくまで堪能しました。

休憩になり、知り合いと一緒になる機会があっても、お互い、「良かったですね」とか「凄かったですね」とか、口から出てくる言葉は、どれも言っても言わなくても良いようなものばかり。それくらい「良かった」「凄かった」ってことなのですけれど、何とも情けない話です。(汗)言葉を紡ぎ出すには熟成期間を要する、それがNoismの舞台だったりする訳です。

休憩後の40分は『春の祭典』、前のふたつも含めて、3つとも全く肌合いが違う作品であることも驚くべきことです。全部、ひとりの演出振付家の手になるものなのですから。そして後半に置かれた、この実験舞踊、圧倒的な推進力をもって展開していき、手もなく、感情の昂ぶりにまで連れ去られてしまう訳なのですが、光やら、椅子の白と赤やら、白シャツの襟やら、はたまた昇降する装置や幕などといった無数の細部が読み解かれることを待っていて、例えば、数学の図形の証明のように、適切な「補助線」を引くことが必要なのかもしれませんね。本公演は来年夏なので、まだまだ回数を重ねて観たいと強く思う次第です。まあ、観ながら身中で味わう高揚感が本物なのですから、それ以上、何を望む必要もない訳なのですけれど。

終演後、客席のほぼどのブロックにも例外なく、スタンディングオベーションをもって、感動を伝えようとする観客がいて、その数の多さは目撃したこの目の奥に刻まれています。横一列に並ぶ白の舞踊家たちに黒の金森さんが加わったとき、場内の興奮と拍手は最高潮に達したと言いましょう。

そして、拍手が途切れることなく響くなか、金森さんから退団するメンバーに花が手渡されていきました。まず、Noism2の長澤さん、森さん、そして橋本さんの3人に花一輪ずつが渡され、ついで、Noism1のタイロンさんと池ヶ谷さんにブーケが贈られたのですが、その際に金森さんから頭を抱えられたのは池ヶ谷さん。その後、タイロンさんも井関さんに頭を抱きかかえられていました。どれも寂しいけれど、良い光景でしたね。皆さんのご健康とご活躍をお祈り致します。

ところで、明日の夜(正確には今夜)は、穣さんと佐和子さんによるインスタライブが告知されています。今回、開催されなかったアフタートーク的な内容のものが楽しめる様子。どんなことが語られるでしょうか。大いに興味を掻き立てられますよね。

そして来年夏、新加入のメンバーが加わって本公演として踊られるとき、どんな舞台が届けられるのでしょうか。その際、また新しいNoismに出会えることを楽しみにしたいと思います。

(shin)

猛暑日の新潟市で『春の祭典』/『FratresIII』プレビュー公演初日

2020年8月27日(木)の新潟市は気温が37℃を上回る体温超えで酷暑の「猛暑日」。

立秋はおろか、暑さも収まるという処暑さえ過ぎて、暦上は立派な「秋」である筈なのに、フェーン現象のため、猛烈な暑さに見舞われた新潟市のりゅーとぴあまで、Noism版の『春の祭典』や厳しい冬のイメージ漂う『FratresIII』を観に来るなど、季節は一体どうなっているのか、と眩暈を禁じ得なかったりもした訳ですが、そもそも劇場は非日常の空間ですし、そこで春だ、冬だと言われてしまえば、それぞれ前後左右を一席ずつ空けて、市松模様状態に割り振られた席に身を沈めた者たちはみな、さっきまでの暑さなどすっかり忘れて、季節不明の異空間に身を置く自分を見出すことになったような成り行きの筈です。

緞帳があがった19:03頃。客電も落ちきらぬままといった明かりの具合から、それと気付かぬまま、日常と地続きに見える非日常へと導き入れられてしまう私たち。その目に飛び込んでくるのは、舞台下手に立つ井関さん、向かい合って立つ山田勇気さんは上手側。真横から見るふたり、まずは不動。そこから「非常にゆるやか」に動き出したかと思えば、ぐんぐん加速して腕を振り回します。同時上演の『Adagio Assai』から公演は始まりました。時折、舞台後方に映し出される静止画像が、ふたつの身体の静止振りや速度を際立たせるなか、踊られる切ないデュエットに瞬きも忘れて見入る私たち。陶然たる時、恍惚の境地。

一段落し、微かに風の音が聞こえてくると、緞帳は下りず、今度は冬枯れを思わす暗めの照明のなか、『FratresIII』へと移行していきます。「I足すIIがIIIです」という金森さんの言葉通りの『FratresIII』。金森さんが手前中央でソロを踊り、その背後、舞台狭しと11人が群舞を踊ります。ソロと群舞が極めて高いレベルで拮抗するなか、ほぼ今回がラストとなる舞踊家も観たいし、勿論、金森さんも観たい。では一体どこを観れば良いというのか。私は心底迷いながら、絶えず目を動かして眺めていたように思います。公開リハーサル時にはなかった「アレ」も加わり、腹にズシンと響く超重量級の作品に仕上がっていました。

休憩時間のホワイエには、もう既に思いっきり魂を揺すぶられ、上気した者たちばかりが目につきました。まだ、後半が残っているというのに、です。恐るべきパフォーマンスに、気温とはまったく別物の、興奮で熱した空気が漂っているように感じられました。

休憩が終わると、『春の祭典』です。壇上には、いつの間にかキチンと並べられた椅子があり、その背もたれ、連続した細い横五本のラインは五線譜のようでもあります。白塗りの顔、白シャツとそこから生え出たかのような2本の素足。虚ろな表情を浮かべた21人の現代人が自分の座る場所を選ぶところから始まります。他人を必要以上に意識しながらも、一切の関わりを避け、心を閉ざしていたい者ばかりです。そんな彼ら、見えない舞台の外部に対して揃って不安を抱き、恐れ慄いていた筈が、いつしか理性の対極に位置するかのような、心を掻き乱す不穏なリズムと不協和音に満ちたポリフォニーに煽られて、内側の暴力性を目覚めさせていきます。その変容のさまを、白シャツを汗まみれにするだけでは足りずに、汗の飛沫を飛び散らせながら、有無を言わせぬド迫力で、可視化していく舞踊家たち。頭をガツンと殴られでもしたかのように感じる作品と言っておきましょう。

こんな物凄い芸術があってくれて良かった。それもこんな時期に、ここ新潟に。どうしても観に来られなかった人がいて、躊躇った末に観ることを諦めた人がいるなか、今、これを観られることの僥倖を噛み締めた一夜でした。と同時に、何か後ろめたいような思いもあって、心の中では、この先、芸術を求める者は誰でも、安心して、その求める芸術によって心が満たされる、当然と言えば当然でしかない、そんな日常が一日も早く戻って来ることを願いました。

(shin)

「色、そして/或いは時間」(サポーター 公演感想)

☆『森優貴/金森穣 Double Bill』

 新潟と埼玉で観た「森優貴/金森穣 Double Bill」は、様々な時間が、それらと不可分な色を散りばめつつ描出される刺激的な公演だった。

 金森さんの『シネマトダンス』は『クロノスカイロス1』から。肌を透かせて横溢する若さをピンクが象徴し、「昨日」(=映像)と格闘しながら過ごされる「永遠」かと錯視される眩しい時間。やがて終焉の予兆が滲み、甘酸っぱい感傷の余韻を残した。

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『クロノスカイロス1』
Photo : Kishin Shinoyama

 『夏の名残のバラ』は、その身体に「Noismの歴史が刻まれている」井関さんの踊りと最奥に映される映像は勿論、録りつつ見せる山田さんの「所作」も舞踊以外の何物でもない重層的な作品。強弱様々にリフレインされるたったひとつの歌に乗せて、落日を思わせる照明のなか、赤と黒と金で描かれる舞踊家の今と昔日は涙腺を狙い撃ちにするだろう。

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『夏の名残のバラ』
Photo : Kishin Shinoyama

 色と同様に、シルエットが現実界の身体に不可分なものであるなら、金森さんのソロ『FratresⅡ』は、現実界を超え出たものにしか見えない。何色かを同定することが容易でない色味、身体と同調しないシルエット。しかし、そもそも色もシルエットも光が織りなす仮象でしかあり得ず、ならば、身体が突出する金森さんの舞踊は、それらを置き去りにしながら、舞踊の本質に降りていくものであり、神々しく映る他あるまい。

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『Fratres II』
Photo : Kishin Shinoyama

 森さん演出振付は『Farben』。冒頭からスタイリッシュで、耳も目も瞬時に虜となる他ない。自らの色を求めて走り出す者たち。過去と現在、そして未来。交錯し、折り重なる時間を、個々の舞踊家の個性(=色)もふんだんに取り込みながら、多彩な舞踊で次々に編み変えていくその作品は、どこを切っても、鍛錬された身体が集まってこそ踊られ得るものでしかない。

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『Farben』
Photo : Kishin Shinoyama

 今回の「Double Bill」、時間を共通項に、過去に立脚しながら、新色を添えつつ、未来を見晴るかすものだった点で、Noism第二章の幕開けを飾るに相応しい公演だったと言い切ろう。 (2020/01/26)

(shin)

「ランチのNoism」#5: タイロン・ロビンソンさんの巻

メール取材日:2020/7/8(Wed.)

お昼ごはんを覗くと、その舞踊家がわかる(かも)、ってことで、今回も始まりました、「ランチのNoism」。第5回は豪州出身タイロン・ロビンソンさんの巻。皆さん興味津々(かも)。

というのも、タイロンさん、ヴィーガンであることを公言しておられまして、第2回にご登場頂いた山田勇気さんが「気になるお弁当」に挙げておられたからです。その折にも触れましたが、「ヴィーガン」とは動物由来のものは一切口にしない「完全菜食主義者」のこと。早くも今回ご登場と相成りました。世の中には色々な食べ方をしている人たちがいる訳ですが、これまで、私の周りにはヴィーガンって方はいませんでしたから、今回、とても楽しみです。そんな人、多いんじゃないですか。さあ、そろそろいってみますか。

♫ファイティン・ピース・アン・ロケンロォォォ…♪

りゅーとぴあで汗を流す舞踊家の昼ごはん、それが「ランチのNoism」!

 *まずはランチのお写真から。

???

 *おおっとぉ、いきなりのフェイントぉ! 大判のバンダナで覆われているので、ヴィーガンらしさは感じられませんね、まだ。

からの、大公開!

 *おお、これですか? 見た目の印象で言うと、私たち日本人にとっては、それほど強烈なインパクトって感じはないですけれど。

1 今日のランチを簡単に説明してください。

 タイロンさん「インドのスパイス・ミックスで味付けた野菜と豆腐の炒め物、それからご飯とトウモロコシです。私はヴィーガンで、それっていうのは、(肉、魚、乳製品、蜂蜜、卵、等々)どんな動物性食品も口にしない人たちのことです。日本ではヴィーガンの食生活はとても難しいものがあります。というのも、多くは乳成分や魚の出汁を含んでいますし、特に新潟のような小さな都市では出来合いのヴィーガン弁当が買えるお店はどこにもありません。ですから、私は自分の食事はすべて自分で調理するほかないのです」

寛いだ笑顔が素敵です♪

 *なんと! 井関さんと金森さんの「グルテンフリー」もそうですが、見た目からはわからない苦労があるのですね。私がそう思っちゃうのは、「食物アレルギー」もなく、無頓着に雑食しているからなんでしょうけれど、身体を作るのは食べ物な訳ですから、「何を入れて、何を入れないのか」そのへんを意識して食べることって大切なのですよね。勉強になります。あと、聞けば、日本にきてから電気炊飯器を使い始めたのだそうですが、調理に要する時間が大幅短縮されて助かっているんだそうです。日本の「白物家電」万歳!ってところでしょうか。

2 普通、作るのにどれくらい時間をかけていますか。

 タイロンさん「私は週末に、翌週のランチをまとめて作ることにしているのですが、食事を用意するのには普通、数日かけています。時間をかけて食事を準備するのが好きなんです。まず、1日かけて食料品を買い出したら、翌日、それらを刻んで、冷蔵庫に入れ、その次の日が調理の日になります。一日中踊ることはとても骨の折れることなので、毎日、キッチンで何回分もの食事を用意しながら数時間も過ごすことは避けたいところです。ですから、週末に3日かけて行う準備は、毎晩の作業をあまり抱え込まずに済むことを意味しているのです」

 *う~む、納得、納得。流行りの「作り置き」ってことですね、納得です。週末の3日間っていうのも、日ごとにやる内容が決まっているので、作業もリズミカルに行えそうですよね。それに、だいいち、身体を追い込む毎日では、「岩のように(like a rock)」或いは「丸太のように(like a log)」、はたまた「独楽(こま)のように(like a top)」寝てしまうことも想像に難くありませんし、それこそ一番、幸福な時間かもしれませんものね。

3 ランチでいつも重視しているのはどんなことですか。

 タイロンさん「最も大切なことは健康に食べること、私の身体が必要とするすべてのビタミンと栄養素が摂れていると確信できることです。踊ることは循環器系のフィットネスであり、それは大変なスタミナを必要とします。ですから、私はお米やジャガイモのようにゆっくりと燃焼するでんぷん食品を食べることを好むのです」

「あ~んして」っぽく見えて
思わず、口、開いちゃいます。

 *あ~、単にヴィーガンってだけじゃなくって、やっぱり、色々と考えて食べているんですよね。私も年をとってきましたから、その点からだけでも、少しは考えて食べるようにしなきゃです。反省です。

4 「これだけは外せない」というこだわりの品はありますか。

 タイロンさん「一日の食事のなかで主要な部分を占めるお米のほか、ランチにブロッコリーを食べることが好きです。軽く調理を施したブロッコリーにはパリパリと気持ちよい食感と新鮮な味わいがあり、お昼どきの元気回復効果がまんてんです」

 *おお、食感まで重視しておられるんですね! 反対に、昔、ブロッコリーが大の苦手で、自分の食事からブロッコリーを一掃したっていうアメリカの大統領がいましたね。ブッシュさんでしたっけ。その後、怒った全米のブロッコリー農家から大量のブロッコリーを送りつけられたっていう。おっと、話が逸れちゃいましたが、私もブロッコリー好きですよ。カリフラワーはちょっとちょっとですが…。これまた蛇足でした。(汗)

5 毎日、ランチで食べるものは大体決まっている方ですか。それとも毎日変えようと考える方ですか。

 タイロンさん「私が食事を準備するとき、基本の野菜はいつも同じです。でも、数種類の異なるソースやオイル、スパイス・ミックスを用意して、風味を変えるようにしています。そうやって、毎日同じ風味で食べることはしていないんです」

 *シーズニングのパワーを最大限に発揮!ってことで、飽きることなく食べられるんですね。

6 公演がある時とない時ではランチの内容を変えますか。どう変えますか。

 タイロンさん「公演があるときのランチで、たったひとつ他と違うのは、分量を少しだけ少なくしている点です。公演時、私たちは少し短いものの、普段より強い集中力を要するダンスの時間を持ちます。そんな時には、長い時間にわたって活力を維持できる類いの食べ物をたくさん摂るのではなく、身体が重く感じないくらいの軽めのランチであることが大切だと考えています」

 *「勝負飯」は詰め込み過ぎ厳禁ってことですね。わかります、わかります。

7 いつもどなたと一緒に食べていますか。

 タイロンさん「普通、スタジオのすぐ外で、奏(池ヶ谷奏さん)、カイ(・トミオカさん)そしてスティーヴン(・クィルダンさん)と一緒に食べています。今は夏なので、食事を終えると、午後のリハーサルに戻る前の気分転換ってことで、よく一緒に白山公園まで出たりしています」

ますますの笑顔♪

 *この日、一緒にお弁当を囲んでいたのはそのなかの3人でしたが、仲の良さが窺える話と画像ですよね。きっと、心許した感のある画像の撮影者はスティーヴンさんなんでしょうね。有難うございます。

8 主にどんなことを話しながら食べていますか。

 タイロンさん「最近は世界を大きな危機が襲っていますから、カイと私は、何が起きていて、それが私たちそれぞれの母国にどのような影響を及ぼしているかについて話すようなことが多くあります。もっと軽いテーマとしては、「どっちが良い?」(例えば、「一年で100万ドル手にするのと、10年間毎年10万ドル手にするのとどっちが良い?」)みたいなやりとりもしたりしています。出された答えからその人について本当に多くのことを知ることができるんです」

 *今、世界を覆い尽くしているコロナ禍によって、メンバー皆さんの予定や計画も、少なからず変更を余儀なくされたとも聞いてます。心から終息に向かうことを願うものです。あと、「軽い方」の「どっちが良い?」の楽しさも想像できます。素直に答える人、へそ曲がりな人、受け狙いを仕掛けてくる人等々、その個性がばっちり出るでしょうからね。で、「100万ドル」に関しては、タイロンさんや他の3人は「どっち」派なんでしょうか?

9 おかずの交換などしたりすることはありますか。誰とどんなものを交換しますか。

 タイロンさん「みんなのおかずは揃って納豆なんです…。(涙) ですから、決して交換したくはありません!」

 *納豆、苦手なんですね。傍から見ると、ヴィーガンの方にはもってこいの一品かなとも思っちゃうんですけど、外国の方にしてみると、そうはいかない事情もあったりするのですね。

10 いつもおいしそうなお弁当を作ってくるのは誰ですか。料理上手だと思うメンバーは誰ですか。

 タイロンさん「カイとガールフレンドのブリタニーがその気になって料理したとき、彼らは本当に凄い食事を作ります。で、あくる日、カイは決まって前夜の「傑作」のいくらかを持って来るんです。また、スティーヴンも料理上手で、新しいスイーツに挑むときなど、常に実験しているようなところがあります。その彼がおやつを持って来て、みんなに配ってくれるときは、いつもワクワクしますね」

 *なんでも出来る人っているんですよね、そんな多方面の才能に恵まれた人。「傑作」まで言われるお弁当も登場しますかね、カイさんの回。(って、別に洒落じゃないですよ。(笑))あと、スティーヴンさんが持って来るおやつに関してですけど、なんでも、スティーヴンさん、普通仕様の多くのほかに、特別にタイロンさんだけのために「ヴィーガン仕様」のものも用意してきてくれるんですって。くぅ~、泣かせるじゃないですか。このFratres感♪ …最後の最後、とても良いお話でした。

 …ってところで今回のタイロンさんのランチ特集はおしまいです。

 でも、ちょっと待って。タイロンさんからもメッセージを預かっていますから、そちらをお読みください。

■サポーターズの皆さまへメッセージ

「この困難で不確かな時にあって、私たちは自分たちのパフォーマンスやダンスに注ぐ愛情をサポーターズの皆さんや一般の方々と分かち合うことが出来ずにいます。そうしたなかにも拘わらず、Noismに対し、変わらぬ支援を頂いていることに感謝いたします。私たちのカンパニーへの支援は、ダンスそのものを日本のアートシーン並びに日本文化を構成する一部たらしめるのに役立つものです。私は、ダンスがその土地その土地の文化にとって大切なものであると思います。というのも、ダンスは多くの人々が共通の言語を介することなく、世界的に繋がることを可能にする方法のひとつであるからです。私には、現在の世界において、パフォーミングアーツが有する価値に自覚的である人々に対して、感謝の念しかありません。そして支援してくださる寛大な人々に対して、拍手を送りたいと思います。

どうも有難うございました。

敬具

タイロン・ロビンソン」

 以上、今回もお相手は shin でした。次回はいつ、どなたの登場でしょうか。どうぞお楽しみに♪

(日本語訳・構成:shin)