「ランチのNoism」#5: タイロン・ロビンソンさんの巻

メール取材日:2020/7/8(Wed.)

お昼ごはんを覗くと、その舞踊家がわかる(かも)、ってことで、今回も始まりました、「ランチのNoism」。第5回は豪州出身タイロン・ロビンソンさんの巻。皆さん興味津々(かも)。

というのも、タイロンさん、ヴィーガンであることを公言しておられまして、第2回にご登場頂いた山田勇気さんが「気になるお弁当」に挙げておられたからです。その折にも触れましたが、「ヴィーガン」とは動物由来のものは一切口にしない「完全菜食主義者」のこと。早くも今回ご登場と相成りました。世の中には色々な食べ方をしている人たちがいる訳ですが、これまで、私の周りにはヴィーガンって方はいませんでしたから、今回、とても楽しみです。そんな人、多いんじゃないですか。さあ、そろそろいってみますか。

♫ファイティン・ピース・アン・ロケンロォォォ…♪

りゅーとぴあで汗を流す舞踊家の昼ごはん、それが「ランチのNoism」!

 *まずはランチのお写真から。

???

 *おおっとぉ、いきなりのフェイントぉ! 大判のバンダナで覆われているので、ヴィーガンらしさは感じられませんね、まだ。

からの、大公開!

 *おお、これですか? 見た目の印象で言うと、私たち日本人にとっては、それほど強烈なインパクトって感じはないですけれど。

1 今日のランチを簡単に説明してください。

 タイロンさん「インドのスパイス・ミックスで味付けた野菜と豆腐の炒め物、それからご飯とトウモロコシです。私はヴィーガンで、それっていうのは、(肉、魚、乳製品、蜂蜜、卵、等々)どんな動物性食品も口にしない人たちのことです。日本ではヴィーガンの食生活はとても難しいものがあります。というのも、多くは乳成分や魚の出汁を含んでいますし、特に新潟のような小さな都市では出来合いのヴィーガン弁当が買えるお店はどこにもありません。ですから、私は自分の食事はすべて自分で調理するほかないのです」

寛いだ笑顔が素敵です♪

 *なんと! 井関さんと金森さんの「グルテンフリー」もそうですが、見た目からはわからない苦労があるのですね。私がそう思っちゃうのは、「食物アレルギー」もなく、無頓着に雑食しているからなんでしょうけれど、身体を作るのは食べ物な訳ですから、「何を入れて、何を入れないのか」そのへんを意識して食べることって大切なのですよね。勉強になります。あと、聞けば、日本にきてから電気炊飯器を使い始めたのだそうですが、調理に要する時間が大幅短縮されて助かっているんだそうです。日本の「白物家電」万歳!ってところでしょうか。

2 普通、作るのにどれくらい時間をかけていますか。

 タイロンさん「私は週末に、翌週のランチをまとめて作ることにしているのですが、食事を用意するのには普通、数日かけています。時間をかけて食事を準備するのが好きなんです。まず、1日かけて食料品を買い出したら、翌日、それらを刻んで、冷蔵庫に入れ、その次の日が調理の日になります。一日中踊ることはとても骨の折れることなので、毎日、キッチンで何回分もの食事を用意しながら数時間も過ごすことは避けたいところです。ですから、週末に3日かけて行う準備は、毎晩の作業をあまり抱え込まずに済むことを意味しているのです」

 *う~む、納得、納得。流行りの「作り置き」ってことですね、納得です。週末の3日間っていうのも、日ごとにやる内容が決まっているので、作業もリズミカルに行えそうですよね。それに、だいいち、身体を追い込む毎日では、「岩のように(like a rock)」或いは「丸太のように(like a log)」、はたまた「独楽(こま)のように(like a top)」寝てしまうことも想像に難くありませんし、それこそ一番、幸福な時間かもしれませんものね。

3 ランチでいつも重視しているのはどんなことですか。

 タイロンさん「最も大切なことは健康に食べること、私の身体が必要とするすべてのビタミンと栄養素が摂れていると確信できることです。踊ることは循環器系のフィットネスであり、それは大変なスタミナを必要とします。ですから、私はお米やジャガイモのようにゆっくりと燃焼するでんぷん食品を食べることを好むのです」

「あ~んして」っぽく見えて
思わず、口、開いちゃいます。

 *あ~、単にヴィーガンってだけじゃなくって、やっぱり、色々と考えて食べているんですよね。私も年をとってきましたから、その点からだけでも、少しは考えて食べるようにしなきゃです。反省です。

4 「これだけは外せない」というこだわりの品はありますか。

 タイロンさん「一日の食事のなかで主要な部分を占めるお米のほか、ランチにブロッコリーを食べることが好きです。軽く調理を施したブロッコリーにはパリパリと気持ちよい食感と新鮮な味わいがあり、お昼どきの元気回復効果がまんてんです」

 *おお、食感まで重視しておられるんですね! 反対に、昔、ブロッコリーが大の苦手で、自分の食事からブロッコリーを一掃したっていうアメリカの大統領がいましたね。ブッシュさんでしたっけ。その後、怒った全米のブロッコリー農家から大量のブロッコリーを送りつけられたっていう。おっと、話が逸れちゃいましたが、私もブロッコリー好きですよ。カリフラワーはちょっとちょっとですが…。これまた蛇足でした。(汗)

5 毎日、ランチで食べるものは大体決まっている方ですか。それとも毎日変えようと考える方ですか。

 タイロンさん「私が食事を準備するとき、基本の野菜はいつも同じです。でも、数種類の異なるソースやオイル、スパイス・ミックスを用意して、風味を変えるようにしています。そうやって、毎日同じ風味で食べることはしていないんです」

 *シーズニングのパワーを最大限に発揮!ってことで、飽きることなく食べられるんですね。

6 公演がある時とない時ではランチの内容を変えますか。どう変えますか。

 タイロンさん「公演があるときのランチで、たったひとつ他と違うのは、分量を少しだけ少なくしている点です。公演時、私たちは少し短いものの、普段より強い集中力を要するダンスの時間を持ちます。そんな時には、長い時間にわたって活力を維持できる類いの食べ物をたくさん摂るのではなく、身体が重く感じないくらいの軽めのランチであることが大切だと考えています」

 *「勝負飯」は詰め込み過ぎ厳禁ってことですね。わかります、わかります。

7 いつもどなたと一緒に食べていますか。

 タイロンさん「普通、スタジオのすぐ外で、奏(池ヶ谷奏さん)、カイ(・トミオカさん)そしてスティーヴン(・クィルダンさん)と一緒に食べています。今は夏なので、食事を終えると、午後のリハーサルに戻る前の気分転換ってことで、よく一緒に白山公園まで出たりしています」

ますますの笑顔♪

 *この日、一緒にお弁当を囲んでいたのはそのなかの3人でしたが、仲の良さが窺える話と画像ですよね。きっと、心許した感のある画像の撮影者はスティーヴンさんなんでしょうね。有難うございます。

8 主にどんなことを話しながら食べていますか。

 タイロンさん「最近は世界を大きな危機が襲っていますから、カイと私は、何が起きていて、それが私たちそれぞれの母国にどのような影響を及ぼしているかについて話すようなことが多くあります。もっと軽いテーマとしては、「どっちが良い?」(例えば、「一年で100万ドル手にするのと、10年間毎年10万ドル手にするのとどっちが良い?」)みたいなやりとりもしたりしています。出された答えからその人について本当に多くのことを知ることができるんです」

 *今、世界を覆い尽くしているコロナ禍によって、メンバー皆さんの予定や計画も、少なからず変更を余儀なくされたとも聞いてます。心から終息に向かうことを願うものです。あと、「軽い方」の「どっちが良い?」の楽しさも想像できます。素直に答える人、へそ曲がりな人、受け狙いを仕掛けてくる人等々、その個性がばっちり出るでしょうからね。で、「100万ドル」に関しては、タイロンさんや他の3人は「どっち」派なんでしょうか?

9 おかずの交換などしたりすることはありますか。誰とどんなものを交換しますか。

 タイロンさん「みんなのおかずは揃って納豆なんです…。(涙) ですから、決して交換したくはありません!」

 *納豆、苦手なんですね。傍から見ると、ヴィーガンの方にはもってこいの一品かなとも思っちゃうんですけど、外国の方にしてみると、そうはいかない事情もあったりするのですね。

10 いつもおいしそうなお弁当を作ってくるのは誰ですか。料理上手だと思うメンバーは誰ですか。

 タイロンさん「カイとガールフレンドのブリタニーがその気になって料理したとき、彼らは本当に凄い食事を作ります。で、あくる日、カイは決まって前夜の「傑作」のいくらかを持って来るんです。また、スティーヴンも料理上手で、新しいスイーツに挑むときなど、常に実験しているようなところがあります。その彼がおやつを持って来て、みんなに配ってくれるときは、いつもワクワクしますね」

 *なんでも出来る人っているんですよね、そんな多方面の才能に恵まれた人。「傑作」まで言われるお弁当も登場しますかね、カイさんの回。(って、別に洒落じゃないですよ。(笑))あと、スティーヴンさんが持って来るおやつに関してですけど、なんでも、スティーヴンさん、普通仕様の多くのほかに、特別にタイロンさんだけのために「ヴィーガン仕様」のものも用意してきてくれるんですって。くぅ~、泣かせるじゃないですか。このFratres感♪ …最後の最後、とても良いお話でした。

 …ってところで今回のタイロンさんのランチ特集はおしまいです。

 でも、ちょっと待って。タイロンさんからもメッセージを預かっていますから、そちらをお読みください。

■サポーターズの皆さまへメッセージ

「この困難で不確かな時にあって、私たちは自分たちのパフォーマンスやダンスに注ぐ愛情をサポーターズの皆さんや一般の方々と分かち合うことが出来ずにいます。そうしたなかにも拘わらず、Noismに対し、変わらぬ支援を頂いていることに感謝いたします。私たちのカンパニーへの支援は、ダンスそのものを日本のアートシーン並びに日本文化を構成する一部たらしめるのに役立つものです。私は、ダンスがその土地その土地の文化にとって大切なものであると思います。というのも、ダンスは多くの人々が共通の言語を介することなく、世界的に繋がることを可能にする方法のひとつであるからです。私には、現在の世界において、パフォーミングアーツが有する価値に自覚的である人々に対して、感謝の念しかありません。そして支援してくださる寛大な人々に対して、拍手を送りたいと思います。

どうも有難うございました。

敬具

タイロン・ロビンソン」

 以上、今回もお相手は shin でした。次回はいつ、どなたの登場でしょうか。どうぞお楽しみに♪

(日本語訳・構成:shin)

Noismかく語る・2020春③ - Noism1メンバー後編

あらゆるものが遠のき、見慣れた日常が一変してしまった感のある日々。未曾有の春の災厄の向こう、まだ見ぬ光輝に満ちたNoism版『春の祭典』へと私たちを誘ってくれるNoismから届いた言葉。3回目となる今回は、Noism1メンバーの後半というかたちで、5人をお読み頂きます。

スティーヴン・クィルダン

現在、私たちは『春の祭典』のリハーサルとクリエーションのさなかにいます。これはとても面白く複雑に込み入った音楽です。実際、私は以前にマーク・ボールドウィン(Artistic Director of Rambert Dance Company:2002-2018)によるヴァージョンを踊ったことがあります。偶然にも元Noismダンサーの浅海侑加さんとも一緒に踊りました。何年も前のことですが。

それから再びこの曲に戻ってきて、異なる解釈を体感することはとても面白いことです。音楽に合わせて強度をもって動くことは楽しいことです。その瞬間、大きな絵の中のほんの小さな一部になるのみです。私はその絵がどう仕上がるのか知りたくてなりません。更に、観客の皆さんがこの作品から何を得るのかも知りたくてなりません。現時点で、踊る私の目に映ずるものからはそれらはまったく想像もつきません。深く作品の中に入り込むことで、私に見えるものは画されてしまうからです。

また、『Fratres III』も踊ります。こちらに関しては、私たちは素材を学び始めたような、それでいて、常に未知のものででもあるかのような、そんな感じがします。他のメンバーは『Fratres I』を踊っていますが、私は出ていませんし、最善を望む気持ちです。

最後に、今、世界は奇妙な時間の中にあります。英国を離れて、封鎖された街の人々、友人、家族や仲間を見ながら、世界の反対側にいる自分が今も活動できていることには憂鬱な気分もつきまといます。それは芸術について数多く自問することにもなりましたが、一方で、寛大にも多くのものがオンラインで共有されている現状には心温まるものがあります。 

(日本語訳:shin)

*スティーヴンさんによる元原稿(英語)はこちらです。

Currently we are in the rehearsals and creation of the rite of spring. This is a very interesting and complicated piece of music.

Actually I previously danced a version of Rite of Spring by Mark Baldwin. This happen to be with Yuka-san(ex noism dancer), many years ago.

It is very interesting to then come back to the music and feel the different interpretations.

It is fun to be working intensely with the music.  At the moment I am but a small part in the big picture. I am curious as to how that picture will be. I am also curious about what the audience will get from the piece. I really have no idea at the moment from my perspective. Being so inside a piece can create this perspective.

Also we will do Frates III, which I have some sense of as we have begun learning some material but it will also be new. Whilst others were in Frates I before, I was not. I hope for the best.

Ultimately this is a strange time in the world. Being from the UK, seeing people, friends, family and colleagues in lockdown whilst I am on the other side of the world still working has been melancholic. It has made me question a lot about the arts but seeing so much being shared online so generously has warmed my heart.

Photo: Noriki Matsuzaki

(イギリス生まれ)

タイロン・ロビンソン

今、この時期にあって、芸術を支えることはかつてないほど重要なことになっています。土地の文化、そして過去と未来は、その土地の人々が創り出す芸術やパフォーマンスによって形作られる性質のものだからです。ですから、Noismの作品が作り続けられるのなら、その土地の、そして同胞の支えが必要なのです。ダンサー、実演家、或いは芸術家としての私たちが目指すものは、私たちのクリエーションを共同体にもたらし、私たちの情熱を一般の人々と共有することです。芸術とはあらゆる人を迎え入れる家族のようなものです。そして、私はいつかNoismがダンスと共同体の連結を成し遂げ得るカンパニーになることを願うものです。コロナウイルスによるパンデミックが過去のものとなったとき、全ての人を再び結びつける役割を果たすものは芸術でしょう。ですから、皆さん、どうか芸術を支えてください。今、芸術を死なせないでください。どうか宜しくお願いします。 

(日本語訳:shin)

*タイロンさんによる元原稿(英語)はこちらです。

Now during this time, it is more important than ever to support the arts. A county’s culture, both past and future is heavily shaped by art and performance that its people create. So if the work of Noism is to continue it needs the support of its county and its fellow countrymen. As dancers, performers and artists our goal is to bring our creations to the community and to share our passion with the public. The arts are like a family that welcomes everyone and I hope Noism will some day be the company that can bring dance and the community together. When the COVID-19 pandemic passes it will be the arts that will reunite everyone, so to everyone please support the arts, and don’t let it die now. Kindest Regards

Photo: Noriki Matsuzaki

(オーストラリア生まれ)

鳥羽絢美

様々なカンパニーや振付家によって使われ、創られ、踊られてきた『春の祭典』。そんな楽曲にNoismメンバーとして挑むことができること、嬉しく思うと共にとても身の引き締まる思いです。皆様に届けられる日を心待ちにしながら、日々稽古に励みます

Photo: Noriki Matsuzaki

(とばあやみ)

⑩ 西澤真耶

「『春の祭典』のクリエーション」穣さんはじめNoism0+1+2の22名が“音“をテーマに真摯に向き合っているこの作品がこの先本番までにどのように仕上がっていくのか、そして本番を重ねどこまで進化していくのか、私達にもわからない。まさに実験舞踊…?

Photo: Noriki Matsuzaki

(にしざわまや)

三好綾音

ストラヴィンスキーの音楽は、一瞬眉を潜めてしまうけれど、しばらく経つと虜になっていて、気がつくと嵐が去った後、騒いだ血の感覚だけが残っている様な。そんな感じがたまりません。しかし、この曲が書き下ろされた当時のダンサー達はどんなに戸惑っただろうと、リハーサル中はそんな苦労も想像します。(笑) 音楽史、舞踊史共に大きなインパクトを残してきた『春の祭典』で新たな創作に関わる機会に恵まれ、とても光栄に思います。是非、楽しみにしていてください。

Photo: Noriki Matsuzaki

(みよしりお)

さてさて、連載最終回の次回は、フレッシュなNoism2のメンバーをお届けします。森加奈さん、池田穂乃香さん、カナール・ミラン・ハジメさん、 杉野可林さん、長澤マリーヤさん、橋本礼美さん、坪田光さん、そして中村友美さんと、ドド~ンと一挙に8名を掲載いたします。どうぞお楽しみに。

(shin)

「私がダンスを始めた頃」⑫ タイロン・ロビンソン

私は常にヒップホップやR&Bが聞こえてくる家庭で育ちました。そうした環境だったからこそリズムや動きに対する興味が芽生えたのだと思います。もしあなたもその場にいたら、いつだって若い日の私がリビングでパフォーマンスに興じていたり、乗り気でない友人たち主演のダンス作品を作っていたりするのを目にすることができたことでしょう。

様々な趣味やスポーツにトライしてきましたが、どれも本当に私の興味を刺激してはくれませんでした。10歳の時、母が初めて私をダンスクラスに連れて行ってくれて、動きに対するこの興味の探究を後押ししてくれるまでは。私は自分が夢中になれる居場所を見つけたのですが、そこからが私の才能と技術への挑戦でした。そこは創造的で、自由であることを求められる場所でした。

私は高校に通っている間もダンスを続けました。私が通っていたのはダンス専門の高校で、そこで初めてコンテンポラリーダンスと出会いました。私はアブストラクト(抽象的)なコンテンポラリーダンスに夢中になり、この魅力的な分野の研究を始めました。他の生徒たちが綺麗な動きやターンの数に執心しているあいだ、私はと言うと、自らの体を地面に投げ出して踊るダンサーのビデオに畏敬の念を抱き、振付における静止の美を見出していました。

ダンスに対する愛と才能はあったと思いますが、それでも私は一度たりともキャリアを考える選択肢として捉えたことはありませんでした。もともと私は建築家になりたかったのです。しかし、不運にも、学校での私の成績ではそれが叶うことは考えられないことでした。私は決して学力のある生徒ではありませんでしたし、単位を落としたことで、最終学年を前にして高校を辞めることになってしまったのです。しかし、ひとりのとても協力的なダンスの先生の励ましと手助けのお陰で、ダンスを学べる大学に進学できました。それは一般的な教育システムによらない道でしたが、従来のシステムには生徒たちがその真の知性や可能性を証明するのに適さない部分もあると身をもって示すことになったと思います。

私はWestern Australian Academy of Performing Arts(WAAPA:西オーストラリア・パフォーミングアート・アカデミー)で学び始めて、学ぶことに対するより強い喜びとともに、歴史におけるダンスの影響と身体に興味を抱きました。また、そこで、他のアーティストとの親密な関係を育み、周囲をインスパイアする助言者から学び、そしてパフォーミングアーツを職業にする可能性を見出すことが出来ました。2011年にダンスの学士号(BA)を取得して卒業すると、私はすぐにオーストラリア国内でフリーランスのダンス/パフォーマンスのアーティストとして様々なダンスの仕事を手に入れ、プロとしての人生を歩み出したのです。

プロとしてのキャリアを始めて間もなく、実演家であるよりも振付家であることに興味を抱いている自分に気付き、実演よりも振付の努力にフォーカスし始めました。しかし、じきにクリエイションの壁にぶち当たることになりました。充分な経験を持たないことは創作のビジョンを形にしようともがくことを意味したのです。振付家として成功するために、振付家としては勿論、ダンサーとも変わらぬくらいにアクティヴである必要がある、そう判断したのでした。振付の方法論の抽斗(ひきだし)を豊かにするために他の振付家とともに働いて、彼らから学びながら。

まだ「若い」アーティストと言ってよい年齢にある私は、世代も人種も社会的な背景も異にする様々なアーティストたちの振付のプロセスを掘り下げ、研究を続けています。特にアーティスト同士であるなら、私たちはお互いから学び合うものはたくさんあると思います。そして私が得た知識が他者をインスパイアする芸術創造に役立つことを願うものです。

(日本語訳:shin)

以下はタイロンさんが書いた元原稿(英語)です。併せてご覧ください。

Tyrone Robinson

I grew up in a household where the presence of hip-hop and R&B music could always be heard. I suppose this is where my interest in rhythm and movement began. You could always find a young me preforming in the living room, and directing choreographed dance pieces staring my reluctant friends.

I had tried different hobbies and sports but none ever really sparked my interest. It wasn’t until my mother encouraged me to explore this interest in movement by taking me to my first dance class at the age of ten. I had found a place that catered to my love of attention but still challenged my abilities. It was a space to be creative, it was a space to be free.

I continued dance throughout high school, where I attended a specialist dance high school. This was my first contact with contemporary dance. I had become enamoured with contemporary & abstract dance, and began doing my own research into this fascinating sector of the dance world. While other students were obsessing over pretty movements and how many turns they could do, I was in awe of the videos of dancers throwing themselves at the ground and finding the beauty of stillness in choreography.

Although I had the love and talent for dance I still never thought of it as being an eligible option for a career. I had originally wanted to be an architect, unfortunately my grades in school were never going to allow that to happen. I had never really been an academically strong student, and with failing grades I dropped out of high school before my final year. But with the encouragement and help from one of my very supportive dance teachers, I found myself in University studying dance; circumventing the educational system, and proving that most archaic educational systems do not allow students to show their true intelligence and prove their potential.

I began to study at the Western Academy of Performing Arts, finding a renewed joy for learning and an interest in the effects of dance on history and the body. It was there where I fostered close relationships with other artists, learnt from inspiring mentors and discovered the possibility of a career in the performing arts. I graduated with a Bachelor of Arts in 2011 and began my professional life immediately, securing various dance jobs as a freelance dance/performance artist, in Australia.

It didn’t take long after beginning my professional career, that I realised I had more interest in being a choreographer than a performer. I began to focus more on choreographic endeavours, and less on performing. Yet early on I found myself hitting creative walls, and not having enough experience meant that I struggled to see my creative visions come to fruition. I decided that in order for me to be a successful choreographer I needed to stay as active as a dancer as I am a choreographer; working with and learning from different choreographers to build my arsenal of choreographic methods.

At an age where I would still consider myself to be a “young” artist, I continue my research, delving into the choreographic processes of different artists of various generational, racial and social backgrounds. I believe we have a lot to learn from each other especially as artists, and I hope the knowledge I gain will help me create art that inspires others.

(1992年オーストラリア生まれ)

*2020年8月退団