大感動に酔いしれていました。決して忘れていた訳ではなかったのですが、それでも気が回らなかったことは確かでしょう。なんと、『マレビトの歌』新潟公演の中日にウェブ「dancedition」に「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(13)」がアップされていたのでした!もっと注意力をもって、複眼で周囲を見なきゃダメですね。今、大層慌てながら、このブログでのご紹介を始めようとしています(汗)。

でも、アップされた当日(12/6)、あの中日に気付いていたとして、ふたつを平行して書けたかどうか、自信はありません。張り切ってそんなことをしようものなら、きっとぶっ倒れてしまっていたことでしょう(汗)。ですから、今になって気付いたことは幸運だった、今回はそう思うことに致します。それでは連載「第13回」のご紹介を始めたいと思います。
先ずは「青山バレエフェスティバル – Last Show -」で踊られた『Under the marron tree』(2015年1月29日・こどもの城 青山劇場)です。金森さんの処女作であるこちらの作品ですが、音楽はマーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」ですから、陰影に満ち、穏やかで静謐な作品と言ってもよいものかと思います。私は別の機会に観たのですが、舞台上、テーブルの裏側からぽとっと落ちてくる井関さん。後の『R.O.O.M.』における「落下」もそうですが、その擬音(ぽとっ)が実際に聞こえてくる気がして、ややユーモラスにも映ります。ですが、それも一瞬、そこから一気に井関さんを包んでいく「寂寥感」が半端なく、井関さんが繰り返し右手の人差し指を立てて作る「1」、それが喚起するイメージが強烈な印象として残っています。
でも、この作品、井関さんのために振り付けられたものでなかったために、「何か」を掴む迄、長い苦闘があったのですね。そして、それは一旦手にしても、時を隔てたら、そのままで良い訳ではないのだということ、毎回、挑戦なのだということに舞踊家が作品を踊ることの奥深さを認めました。世阿弥の言葉を大切にしている井関さんに、私たちの想像を遙かに超えた深みを見せつけられる思いがします。
次いで、「NHKバレエの饗宴2015」での『supernova』(初演:2015年3月28日・NHKホール)です。頭まですっぽりの白タイツ、照明が反射してとても見え難かったとか、周囲のバレエ団からは奇異の目で見詰められたなど、別の場所で教えてくださったことを思い出しながら読みました。ですが、決して「放送事故」などは起きていません(笑)。ハードディスクに録画しておいたものを見返そうと考えています。
3番目は、近代童話劇シリーズの第1作とされた『箱入り娘』(初演:2015年6月6日・新潟、神奈川、石川、韓国・ソウル)です。

様々な趣向で織り込まれた映像のなかに、新潟市の海岸(五十嵐浜)で撮影されたモノクロ映像が含まれていたりして、新潟市民として(或いは少し範囲を広げて、「新潟人」として)愛着を覚えた方も多かったのではないでしょうか。私もその映像が嬉しかったひとりです。でも、その撮影がとても厳しいものだったことは想像もしませんでした。
言ってみれば、これはかなりぶっ飛んだ正真正銘の異色作で、「えっ?金森さん、こういう作品も作るの!?」と呆気にとられながら愛でていたことを思い出しますので、それだけに、井関さんの「イライラ」は今初めて知りました。前回の第12回もキツイ内容ではありましたが、今回はその比ではない様子。その「イライラ」をここまで赤裸々に語ってくださったことに驚きを禁じ得ません。それはまさに読んでいるだけで辛くなってくる程です。それは勿論、「外」にいる部外者としてのレベルですけれど、それでもどうしてどうして、心をひりつかせるものがあります。
長い年月に渡る「舞踊への献身」にあっては、ただ舞踊のみを相手取るだけでは済まず、伴って、周囲との関係性や自分の立ち位置も大きく変わっていくのが必定と言えば、必定でしょう。で、こうして「全作品を語る」となると、そのあたりの葛藤まで漏らさず含めざるを得ないことになる道理なのですね。この連載、(ぞんざいに読んできたつもりは毛頭ありませんが、)これまで以上に心して読みます。
そんな「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(13)」、どうぞお読みください。
それにしましても、最後の方には「ここからの数年間は闘いの時期でした」との文言もあり、不穏な気持ちや胸騒ぎを覚えますが、「人生で最大の勉強をした時期だったと思います」と振り返られたことに救いを見出しつつ、次回を待つことにします。それでもちょっと辛い予感はよぎりますけれど…。
(shin)




