圧倒的な舞踊の力を見せつけて幕を下ろした埼玉『マレビトの歌』大千穐楽(2025/12/21)♪

「踊ることでしか伝えられないことがある」、前日のブログでも触れましたが、これは先月(11月28日)の『マレビトの歌』公開リハーサルの後、囲み取材で金森さんが語った言葉。加えて、その折に繰り返し口にされたのが「作品の強度」。この日(12月21日)の大千穐楽を含めた新潟と埼玉での5日間、私たちはそれらの言葉が意味するところを、そう言ってよければ、それらに何の誇張もないさまを、まざまざと目撃・体感してきたのでした。

この日、大千穐楽の終演後も、圧倒的な舞踊の力によって組み伏せられた客席からは、それまでの4日間と全く同様、緞帳が下り切っても、やはり拍手は聞こえてきません。みんな身動ぎすることが憚られたのです。全5公演あったのですから、なかに違った反応があっても不思議ではない筈。しかし、どの日も例外なく同じ反応が返ってきたのです。他のものに代替不可能な舞踊の力を見せつけられ、舞踊に「制圧」され尽くしたからこその反応という以外ありません。

埼玉での2公演で、金森さんはラストシーンを変えてきました。奥行きの深い彩の国さいたま芸術劇場の舞台特性を十二分に活かすための改変です。そのあたり、いかにも金森さんです。やってくれますね。その「埼玉ヴァージョン」は、この作品が『セレネ、あるいはマレビトの歌』として黒部の前沢ガーデン屋外ステージで初演されたときの、目の前に広がる雄大なランドスケープに、(彼岸へと)遠ざかっていく舞踊家たちの後ろ姿と、スロベニア公演を経て新潟で採用された、岩肌に穿たれた開口部を通って(彼岸へと)消えていく舞踊家たちの後ろ姿との、言わば、「ハイブリッド」とも呼ぶべきラストシーンでした。

舞台の一番前、横一列に「火皿(ひざら)」を置いて並んだその位置から、それぞれがその生を総括するように、後方、煙るような闇へと歩を進め、徐々に輪郭が判然としなくなっていく舞踊家たちの後ろ姿。(井関さんを除く。)それが醸し出す、得も言われぬ情緒。個人的なことにはなりますが、その場面と呼び交わすように想起したヴィジョンがありました。それは私が敬愛する映画人、クリント・イーストウッドが撮った『ヒア アフター』(2010)、そこで描かれた「彼岸(=ヒア アフター)」へと歩み去ろうとする人たちの場面です。但し、大きく異なるのは、イーストウッドの「彼岸」が大光量を放つ光源をその中央にあしらって、人物の輪郭をとばしていたこと。ん?え?でも、強い光源をあしらうとなると、黒部での『セレネ、あるいはマレビトの歌』に似てくることに…。そんな按配で、作品の外部とも豊かに呼び交わす舞台、『マレビトの歌』の「埼玉ヴァージョン」に酔いしれつつ、舞台奥の闇に、確かに「彼岸」を幻視する自分がいました。

見どころ溢れる『マレビトの歌』。

冒頭と中盤、金森さんと井関さんによる2度のデュオ、その崇高極まりないさまはどうでしょう。踊るふたりを見詰める目はこの世のものとは思えない美に、都度、釘付けにされ続けました。そして、毎回、その陶酔の果てに、ふたりを越え出る「ナニモノカ」を見るに至るのでした。

また、前半に組み込まれた『Fratres』部分(それはもう『Fratres IV』とでも言いたい気もするものですが)も、舞踊への献身を旨とするカンパニーの精神性が深く共有されていることを遺憾なく示して余りあるもので、観る度に、その濃密で峻厳なさまに言葉を失ってしまいます。

そしてこれはホントに細かい点ではあるのですが、例えば、終盤、手を繋いだ10人が、ゆったりとした音楽に合わせて、横歩きをしていく場面、最後尾の松永樹志さんが後方に伸ばした繋いでいない方の左手、その薬指にピンと力が入り、他と違う気が込められていたこと。そうして見ると、先頭を歩く坪田光さんが前方に伸ばす右手の薬指も同じ様子であることに気付きます。それは金森さん言うところの「Noismでは薬指を大事にしている」、まさにその言葉通りです。そんなふうに、集団として高次に統一された美意識が至るところに認められる美しい舞台だったと言えます。

他にも、勿論、井関さんに庄島さくらさんとすみれさんの3人で踊る場面など、挙げればきりがないほど見どころで溢れかえる舞台だったと言えます。もっと観たかった。5回だけでは少な過ぎる、そう思わせられる舞台でした。

幕を下ろした大千穐楽。見終えたところで、東京に住むNoismファン仲間が言います。「次にどんなものを見せてくれるかしら。楽しみ」、まさに、まさに。「よいお年をお迎えください。また来年」、気付けば、2025年も10日を残すのみ。ホントそんな時期です。お互い、大満足の笑顔で挨拶を交わして、暫しのお別れです。

元来、心配症なもので、乗り遅れたりなどしないよう、遅めの新幹線の指定席をとっていたので、発車までまだまだ時間がありました。(いつもそうなってしまいます。少しは旅上手になりたいものですが。)与野本町駅から大宮駅まで移動し、そこで、随分、時間を潰した後、漸くホームに上がっていくと、そこで見慣れたふたりにバッタリ。地域活動部門芸術監督・山田勇気さんとNoism2リハーサル監督・浅海侑加さんでした。なんでも「新潟に帰るのは私たちだけなんです」とのこと。少し話して、ここでもまた「よいお年を。来年もよろしくお願いたします」と言葉を交わす機会に恵まれたことで、長かった待ち時間も報われたというものです。『マレビトの歌』からの感動のみならず、思いがけず嬉しいハプニングも加わり、更に幸せな気持ちで新潟に戻って来ることが出来ました。

それにしても、Noismにとっての新たな代表作、『マレビトの歌』。また観る日が巡って来るのを楽しみにしております。まだまだ観たいですから。

(shin)

Noismというマレビト、その身体に徹頭徹尾魅了され尽くした客席♪(『マレビトの歌』新潟公演中日)

前日、劇場版としてその全貌を現した『マレビトの歌』ですが、明けて2025年12月6日(土)にも、それが有する力能を遺憾なく解放して、会場を大きな感動で包み込みました。それを可能にしたものは、勿論、Noism0とNoism1の舞踊家全員の圧巻のパフォーマンスであったことは言を俟ちません。踊るほどに発光するかのような身体、そして身体。アルヴォ・ペルトの音楽に乗って、舞台上は一切夾雑物のない『マレビトの歌』の世界観で染め上げられていきました。そして放たれた濃密な空気が客席の全ての隅にまで及ぶことになります。

初夏と冬、年に2度のみ訪れるNoismというマレビトが、この日、その舞踊家の身体で徹頭徹尾客席を魅了し尽くしたと言えます。

深く長い余韻を残すラストシーン、やがて緞帳が下りてきます。そして遂にそれが下り切ってしまっても、まだ拍手は出ません。前日と同様に。しかし、この日が前日と異なったのはその後でした。劇場内を覆い尽くした未だ張り詰めた空気のなか、誰ひとりとして、静寂を破ろうとする「勇者」(なのか?)は現れません。静まり返ったままの場内に、その静けさの故に、緞帳の向こう側、舞台上、カーテンコールに備えて並ぼうとする舞踊家たちの足音や衣擦れの音が聞こえてきます。それをきっかけにして、漸く、まるで金縛りが解けたかのように、大きな拍手が湧き起こったのでした。それは再び緞帳が上がる直前だったように記憶しています。私たちはそんな奇跡のような、濃密この上ない空気と時間とを体験し、共有したのでした。

今日のブログは、主にアフタートークのご紹介かなと思っておりましたので、少し先を急ぎ過ぎた感もありますね。それ以外のことも書き残しておきたいと思います。

「靴下屋さん」とのコラボソックスに関しては、Noism2リハーサル監督の浅海侑加さんが前日とはがらり雰囲気を異にしながらも、物販コーナーにて、素敵な笑顔で販促に努めておられました。

そして、入場時に手渡されるチラシのなか、皆さんに手渡されるもののひとつに、「さわさわ会」の会報誌(vol.10)もあります。表紙を含む全12頁には、井関さん(とNoism)の魅力がたっぷりで、美しい一冊です。

ここからはこの日の終演後に開催されたアフタートークについてのご紹介を試みようと思います。(寄る年波、聞きながらメモするのがちょっとままならなくなってきてしまってます(涙)。かいつまんでのお届けということでご了承ください。)

この日は『マレビトの歌』を踊ったNoism1の舞踊家10人が登壇してのアフタートークです。舞台上、下手(しもて)側から、順に、司会の上杉晴香さん(Noismスタッフ)、坪田光さん、樋浦瞳さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、春木有紗さん、中尾洸太さん、兼述育見さん、糸川祐希さん、松永樹志さん、そして一番上手(かみて)に太田菜月さんが並び、18:14にアフタートークは始まりました。

Q1: 音楽のアルヴォ・ペルトを知ったのはいつ頃か?どのようにして知ったか?
 -坪田光さん
 これがペルトと知ったのは、『Fratres III』で、初めて曲と世界観に触れた。みんなの中央で、ひとりで踊る穣さん(金森さん)の姿に、もう恐ろしいなと思った。
 樋浦瞳さん 穣さんが帰国して、Noismが作られる前、『ノマディック・プロジェクト』のDVDで。
 -司会・上杉さん: 因みに、このなかに『Fratres I』を踊った人はいません。
 中尾洸太さん 『春の祭典』・『Fratres III』・『Adagio Assai』のとき。みんなが踊っているなか、ひとりポンッと入って、「やれっ!」って感じだったので、知った瞬間は特に考える余裕もなく、忙殺されていた。今は毎年、やっていて、聴くところ、聴き方が変わってきている。聞こえ方が変わると、踊りも変わる。

Q2: スロベニア公演で『マレビトの歌』はどのように評されたのか?
 -司会・上杉さん: スロベニア日刊新聞に、東洋と西洋の融合。見たこともない身体表現。「マレビト」は外から来る未知のもので、不安を伴う。強い説得力をもち、考えさせられた。身体の動きが揃っていたことも印象的、と。
 糸川祐希さん 直接、現地の人とのやりとりこそなかったが、集団性のあるカンパニーと受け取られたことに、こういう作品はそうそうないのだなという手応えを感じ、自信に繋がった。
 庄島さくらさん 海外にいた頃の友人のご両親から、なかなか見ることのない作品で、容易には言い表せないものがあるが、(音楽・照明を含めて)舞台の世界観が凄い、と。

Q3: 『マレビトの歌』、黒部、利賀、スロベニアと実演を重ねてきての変化は?
 -庄島さくらさん: 『マレビト』全て踊ってきているが、毎回違っている。今回だと、「火皿」や背景。人が灯した火の皿の意味、儀式、「導く」など、違った意味が増えて、新しい解釈で臨んだ。
 庄島すみれさん スロベニアは縦長で広い舞台だった。舞台も違うし、ストーリー性もちょっとずつ違ってきている。穣さんのなかでも、黒部での初演時とは変化が出て来ているのかなぁと。
 松永樹志さん 今回、初参加。踊るたびに違う気持ち。毎回新鮮な感じ。

Q4: スロベニア公演と新潟公演に関して
 太田菜月さん 5年目になる新潟は慣れ親しんだ場所。地面も空気も空も全てが心に落とし込まれている。対して、スロベニアでは心がザワザワした。慣れるのに少し時間がかかったが、踊るのが好きなので、舞台はどこでも落ち着く場所。
 兼述育見さん 慣れることと踊ることの両立に時間がかかった。あわあわしているうちに本番になり、雑念が多かった。新潟ではルーティーンでやれるが、同時に、緊張するし、気配が怖くなったりもする。
 春木有紗さん 新潟では、幕がしまっていても、直前になると静かになるが、スロベニアは、直前になってもざわざわ集中していないので、ルーティーンが崩されていった。新しい発見があり、体感した。

Q5: 一人ひとり進化が感じられる。身体の変化や身体への思いを聞かせて欲しい。
 -坪田光さん: 作品毎に筋肉も、精神的にも変わってきている。『マレビトの歌』は「外」からの影響。それにどう挑むか、その日によって違って楽しい。
 -樋浦瞳さん: 今日の踊りで気付いたことだが、目が合うときに、その人の身体、自分の身体を感じる。その瞬間、ビビっと感じるのが楽しい。
 -庄島さくらさん: 現在、35歳。若い頃は全力を注いで踊っていたが、今は、「ここは40%、ここは30%」等と、身体と思考を分散させて見えるようになってきた。
 -庄島すみれさん: 『Fratres』のハードルは高かった。中に入って踊るのは衝撃だった。今は、「ここはどう踊ろう」という気持ちに。目が合うと、やはり良いなと思う。
 -春木有紗さん: 『マレビトの歌』は自分にとって特別な作品。黒部でNoism2としても、準メンバーとしても、Noism1としても踊っている。見ていられない踊りしかしていなかったなと。
 -中尾洸太さん: 自分に、そして相手に集中するだけ。ただただ生き切るだけ。眠れない夜もあるが、それも愛して舞台に立つ。
 -兼述育見さん: ストーリーはないが、一つひとつの動きを、誰に対して何を見せたくて、どう動くのか、大切にしなくちゃいけないと感じている。
 -糸川祐希さん: これまでも新しい発見をしてきた。これからも怠らず、進化し続けたい。
 -松永樹志さん: 3年目。本番にどう集中していくか考えて臨んできた。今は、本番直前までなるべくぼうっとしていることにした。そうでないと、アドレナリンが出過ぎてしまって、もたなくなる。今は作品に集中出来ている。
 -太田菜月さん: 『マレビトの歌』のフード、視覚が削られる。ダンサーとして、人間として、感覚が磨かれる。普段から明るいキャラクターだが、自分も本番前はぼうっとしている。今日はそれがちょっと上手くいったかなと。

…と、18:46に終了したこの日のアフタートークですが、まあそんな感じだったでしょうか。

待ちに待った『マレビトの歌』公演ですが、早いもので、新潟公演は12/7が楽日、全5公演の折り返しとなります。Noismにとっても熟成に熟成を重ねてきた、正真正銘エポックメイキングな舞台です。ストーリーがないにも拘わらず、突出した身体がもたらす説得力は目撃してみなければ、想像し得ないものと言い切りましょう。

また同時に、見詰める私たち一人ひとりがどのような見方で臨もうとも、全ての見方を許容してしまう強靭な包容力、或いは強度を有する類い稀なる舞台とも言い切りましょう。

これまでのNoismの歩みがここに収斂し、この先のNoismの歩みはここから始まることになるのだろう、そんな舞台です。『マレビトの歌』、どうぞお見逃しなく!

(shin)

金森さんが語った「これを見ずして…」をまざまざ実感!新たな代表作『マレビトの歌』新潟公演初日♪

12月5日(金)、寒波襲来の予報に少したじろぎを覚えて迎えたこの日でしたが、新潟市は降雪も積雪も「この冬初めて」だったという事情を別にすれば、その雪自体は概ね大過なく過ごせる程度のものだったことに胸を撫で下ろしました。

ですから、この日、身中に感じた疼きにも似た落ち着かなさは、雪からくるものではなく、紛れもなく、Noism0+Noism1『マレビトの歌』新潟公演初日にまみえることからくるものだったことは明らかです。前回のブログ記事でご紹介した金森さんの「これを見ずに、今後、Noismを語るのはだいぶモグリ」という言葉に大きな期待を掻き立てられていたのでした。

開場時間の18:30を迎え、ホワイエまで進みます。すると、こちらに笑顔を向け、素敵なスカートの裾を少しだけ持ち上げて「足元」を見せてくださるNoism2リハーサル監督・浅海侑加さんの姿が目に飛び込んできました。引き寄せられるとはこのこと、それも呆気なく。

浅海さんがおられたのは物販コーナー。並べられた「靴下屋」さんとのコラボソックスはどれも素敵で、連れ合いとふたり迷いながらも、限定色のなかからレディース(各1200円)とメンズ(各1500円)を2足ずつお買い上げ。次いで、その横のスタンプコーナーへ移動して、無事、「Noism20周年記念冊子」の表紙に今年のスタンプ3つを追加。それでまずは開演前のミッション・クリアと相成りました♪

開演時間が迫ってきて、客席につきますと、緞帳の手前、上手(かみて)と下手(しもて)にそれぞれひとつずつの「火皿(ひざら)」が見えます。雰囲気たっぷりです。

19:03、客電が落ち、『マレビトの歌』の幕があがりました。上手側に金森さんと井関さんの姿。「ふたり」の踊り(デュオ)であることは理解しているのですが、その絡み合う身体は「ふたつ」としてよりかは、容易には信じられないレベルで「ひとつ」といった印象に映り、冒頭にして既に目を圧倒してきます。

そこからの約1時間、明確なストーリーこそありませんが、アルヴォ・ペルトの音楽と一体化して立ち現れてくる「ナニモノカ」は、見詰める目を虜にして離しません。

この日は最前列中央の席で観たのですが、アクティング・エリアとは照明機材によって隔てられているのみの地続きだったため、没入感には半端ないものがありました。(俯瞰で観るのもまた違った雰囲気を楽しめるものと思います。)

確かにひとつのストーリーに収斂することはないのかもしれませんが、それでも、私は安易にブルース・リーの有名な言葉「Don’t think! Feel!(考えるな!感じろ!)」に寄りかかり過ぎることは好みません。(フードを被る/頭部を露わにする、或いは、黒い衣裳を脱ぐ/着る、それだけをとっても)極めて理知的に構成されていることは確かです。(それもかなり高度にです。)考えることをやすやすと放棄してしまいたくはないので、浴びて浸りながら、考えようともしてみます。しかし、次々繰り出される動きに虜にされた両目は、頭が考えるより以前に、もう納得させられてしまっているのです。それこそ、金森さんも井関さんも口にする今作の「強度」のゆえだと言えます。激しくも、繊細で、そして何よりも美しいのですから。「これを見ずして…」の言葉、まさに、まさにです。もうこれは必見以外の何物でもありません。

ラスト、全てが終わり、緞帳が下り切ってもなお、圧倒され尽くした私たち客席は暫く静まり返ったままで、拍手することすらままならない心境を共有していたと言えます。静寂を破ることが躊躇われた稀有なる体験。放心状態の自分がいました。その後も「ブラボー!」も叫べず、腰をおろしたまま拍手するだけでもう精一杯という私…。

物凄いものを観た、そう思っています。

この新たな代表作『マレビトの歌』、見逃してしまっては勿体ないというものです。チケットはまだ発売中です。是非、ご覧ください。また、新潟公演中日(12/6)には、出演したNoism1メンバー全員が登壇してのアフタートークもあります。彼らが何を語るか、とても興味深いものがありますよね。そちらも是非です。

それから、入場時に手渡されるチラシのなかに私たちNoismサポーターズUnofficialからの「Information #13」も含まれています。金森さん、井関さん、そして山田勇気さんの言葉に加えて、この度、Noism1に昇格された松永樹志さん春木有紗さんからお伺いしたお話も掲載しております。手に取ってご覧頂けましたら幸いです。

あっ、そうそう、それに関してもうひとつだけ。感動に浸りながら、〈劇場〉を後にして出口に向かっていますと、そこで前方を通りかかった人物に目が釘付けになります。「あれ?似ている?えっ?やっぱりそうだよ。本人じゃん!」と。それは早くもNoismロゴ入りジャージに着替えを済ませた松永樹志さんでした!ご挨拶してから、短時間でしたが、ご本人に直接、感動をお伝えする機会が持てたことも嬉しいハプニングでした。

『セレネ、あるいはマレビトの歌』から深化と進化を遂げて、劇場版の『マレビトの歌』となって届けられた本作。以後、紛れもなく、Noism屈指の名作の評判を欲しいままにすることでしょう。最後にもう一度、「この類い稀なる舞台、くれぐれもお見逃しなく!」とだけ。

(shin)