新潟日報朝刊、新連載の「舞踊の十字路」〈上〉掲載(2026/04/07)

2026年4月7日(火)、新潟日報紙が予告していた新連載「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」を文化面にてスタートさせました。(早晩、デジタル版にもアップされるものと思われます。)

その連載第1回目である〈上〉は、「公共劇場」の性格を切り口にした内容構成で、「前例ない専属舞踊団運営」「支援で地域ブランド向上」の見出しも並べながら、連載開始前のインタビュー編〈中〉に登場していた東京芸術大客員教授・太下義之さんの言葉が再度引かれてもいるほか、「先進地の事例」として、石川県と金沢市が1988年に設立した「オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)」についても紹介されています。

先ず、太下義之さんはりゅーとぴあとNoismを「施設に『魂』を入れて、成功した希少な事例」としながら、「公共劇場の運営の難しさ」にも触れています。

「オーケストラ・アンサンブル金沢」の事例は、施設の「魂」として、石川県と金沢市が自治体のブランド力向上に繋がるものとして支援している様子が紹介されています。

私が今回の連載〈上〉を読んで、最も衝撃を受けたのは、Noismの活動を評価する有識者会議の委員の一人が、金森さんが「制度」に反対していたことを知らずに議論したとその後悔を明かす件(くだり)でした。
えっ!まさか、そんな杜撰な会議運営がなされていたとは!開催されてきた「有識者会議」は、やはり予め恣意的に「結論」が設定されていたのではないかとの疑いを禁じ得ません。「覚書」「合意書」のみを盾に、当事者(金森さん)を入れないかたちでの会議を行ってきた理由も今ははっきりわかります。当事者が訴える「制度」の「課題」を蚊帳の外に置くことで、「制度」の修正可能性を初めから排除してしまっていたやり口は卑劣としか言いようがありません。
上の委員は制度のブラッシュアップの必要性にも触れています。「前例ない専属舞踊団運営」なのですから、至って当然のことに過ぎません。生き残るべきは「文化」の方であって、「制度」ではないことは自明です。

連載1回目は、再び、東京芸術大学客員教授・太下義之さんの、新潟市はNoismを含む踊り文化をきちんと文化資源として認識し、ブランド力の向上に繋げていくべきとする見解で締め括られますが、こんな至極当然なことが敢えて叫ばれなければならないこと自体の、新潟市の文化政策に対する意識の薄さが露呈しており、言いようのない悲しさが込み上げてきます。そうした本来、積極活用すべき面において、新潟市が示してきた「無為無策」の徹底振りは呆れかえるレベルのものでした。それは、まず第一に、いつでも取り換えが容易に出来るように、積極的にコミットすることを避ける姿勢そのものだったのだと考えます。記事中、石川県文化振興課長・素都(そつ)明子さんが語る「質の高い文化に磨きをかける」姿勢など露も認められません。むしろ、「好対照」と言うことさえ出来るくらいです。

皆さんはどう読まれましたでしょうか。コメント欄にてご感想などお聞かせ頂けましたら幸いです。

【追記】この記事、新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「りゅーとぴあの“魂”となった専属舞踊団のいずむ、ただ前例なき運営に壁多く…近県に学ぶ『文化の未来』」(2026年4月12日11:30(最終更新:2026年4月12日13:11))

(shin)


新潟日報「窓」掲載に至らなかった投稿ですが、それでもお読み頂きたく…(サポーター 投稿)

個人的なことにはなりますが、前年末に金森さんの「退任意向」が報じられて以来、もう心落ち着く日もなく、その穏やかならぬ気持ちを多くの人たちに届けて、共有したいと思い、地元紙・新潟日報の「窓」欄への投稿を続けて参りました。

同投稿欄には、以前、どれもNoismに関して、6回続けて掲載して貰っていましたが、その後、ぱったりとボツ続きに(涙)。しかし、「この一大事にあっては」、そう思って投稿したのですが、掲載に至らず、それがために次々と連続投稿になったような塩梅です…。

掲載されることはなくても、読んで頂きたい思いは変わらずで、そんな折に、fullmoonさんから「サポーターズ・ブログに載せてはどうでしょう?」とのお考えをお聞きしましたので、極めて変則的なかたちにはなりますが、この場をお借りし、「***from SUPPORTERS & READERS」のカテゴリーで、お読み頂くこととしました。暫くお付き合いをお願いし、お読み頂ければと思います。(統一性がとれていないところもありますが、その点はご容赦ください。)

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*2026年1月3日投稿: 「改めてノイズム金森監督の慰留協議を」
昨年末12/29に報じられた「金森さん退任意向」の記事を読んで以来、切ない思いに苛まれている。新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)専属舞踊団「Noism Company Niigata」(ノイズム)の金森監督が1期で退任する意向だというのだ。
刷新された「新レジデンシャル制度」のもと、金森監督とノイズムは国内外から熱い視線を集める圧倒的な舞台を見せ続けているし、当初、課題とされた「市民貢献」の面でも、小学校へのアウトリーチの実施や、ダンス愛好者のみならず、視覚・聴覚障がい者を対象とするワークショップの展開など、他に類を見ない精力的な取り組みを重ねており、もやは新潟市のひとつの「顔」となった感もあるのにだ。
金森監督は退任意向について、4つの点で妥協できないとしているが、どれも、芸術家としての創作活動の根幹に関わるものと、増え続ける事業に応じる必要からくるものであり、至極当然な要求に思える。
新潟市は協議を継続して、金森監督の慰留に全力を挙げて欲しい。

*2026年2月5日投稿: 「ノイズム金森監督の「任期」は新潟市の文化行政の観点で」
年末にノイズム金森監督の「退任意向」が報じられてから色々と考えている。個人的には、国際的な名声を博する一方、多様な市民還元にも努めてきた金森さんの芸術監督継続を望むものだが、ことはそれにとどまらず、芸術監督の任期を1期5年(最長2期10年)とした「レジデンシャル制度」をどう捉えるかは、新潟市の文化行政の在り方を問う側面も大きいように思う。
令和3年の有識者会議において、任期を設けることを妥当とした判断も理解できるが、芸術監督を猫の目のようにくるくる変えてしまう文化行政では機会の公平性は担保されても、市の未来の姿を遠望する視点に欠けており、会議そのものが交替を最適解として前提していたきらいも否めない。
奇しくも金森監督は同年、ノイズムを率いての活動が評価され、紫綬褒章を受章している。そうした名誉に浴する活動の場を用意したのが新潟市なら、その誇らしさを金森監督と共有し、今一度、長期的な観点で市の文化行政に資する新たな解を求めて欲しい。

*2026年2月13日投稿:
昨年末に明らかになったノイズム・金森監督の「退任」意向の流れから、ノイズムのメンバー・スタッフが中原新潟市長に提出していた「要望書」に対して、芸術監督任期の上限は撤廃しない、及び、新潟での活動継続については「ノイズム内で話し合うべき」との回答が届いたと報じられたことに疑問を禁じ得ない。
この間、市長は一貫して「任期」の上限設定については有識者から妥当との見解が示されたことを理由に、「撤廃しない」姿勢を示しているが、果たしてそれのみに過度に固執することが、未来を志向した文化政策として充分なのかという疑問である。
任期に上限を設定することの意味も理解できるが、顕著な活動実績を積み重ねている場合、交代させることのみが「最適解」とは思えない。一期5年(最長二期10年)で交代を繰り返していては、新潟市の未来に「持続可能」で発展的なビジョンなど描きようがないし、描こうとする姿勢そのものの不在が明らかになるだけだ。
制度一期目の今だからこそ、協議を重ね、未来志向の新たな「解」を創り出していって欲しい。

*2026年3月11日投稿(投稿後、2週間が経ち、不掲載と判断):
3/4付け朝刊掲載の「舞踊の十字路(中)」太下義之さんへのインタビューを読んだ。ノイズム芸術監督である金森穣さんの「退任意向」を巡って、新潟市の持続可能な文化政策の在り方を考えるうえで、重要な声と感じた。芸術監督任期に上限を設けることに関して、ノイズムの活動評価に関する有識者会議の座長も務めた太下さんが「任期更新の制限疑問」との見解を示したのは、「有識者会議で妥当とされた」と繰り返す中原市長や新潟市と相容れない内容だったからだ。そもそも有識者会議とは多角的な視点から多様な意見が出る場であり、恣意的に総括することは許されない。「妥当」とされた判断も諸外国や国内の例に照らしてのものに過ぎない。
21年前に前例のない劇場専属舞踊団を抱え、その後の顕著な活動を支えてきた新潟市にあっては、今ここで横並びでしかない「妥当」判断に固執して市の文化の独自性を損なう道を選ぶのではなく、金森さんとノイズムを活かしながら持続可能な文化政策の意義の最大化を目指すのが「文化創造都市」の名に恥じない姿勢ではないか。

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以上となります。お読み頂き、有難うございます。

AIによれば、不掲載となる主な要因には、「紙幅の都合」「内容の重複」「投稿規定違反」「内容の適切性」「情報の鮮度」等があるとのことですが(笑)、ひとえに私の不徳の致すところなのでしょう。

ここに(お恥ずかしながら)「ボツ投稿」をまとめてお読み頂いたもうひとつの理由に、これらがきっかけとなって、この先、生産的なやりとりが生じたり、或いは、お読みになられた方々のなかから、ご自分で投稿することをお考え頂ける方が出てきてくれたりしたら大層嬉しいという思いがありました。

(因みに、新潟日報「窓」欄への投稿はこちらから行えます。)

今はあらゆる手段を排除することなく、声をあげるべき時かと思います。一つひとつは大きな声でなくても、発せられたその声が広がりを、そして力を得ていくことを信じています。後悔したくはありませんし。

最後に、新潟日報さん、この先も益々、新潟の豊かな文化創造に寄与する紙面をお届けください。そしてそのなかに私のNoism投稿も取り上げて頂けたら嬉しく思います。益々精進致しますので、引き続き、よろしくお願い致します、ということで。

(shin)