荘厳なる金森演出の円熟と原点回帰(サポーター 公演感想)

富山県黒部市の前沢ガーデン・野外ステージでの「黒部シアター2024 春」 Noism Company Niigata新作『セレネ、あるいは黄昏の歌』公演。18日(土)の初演では言葉を失うほどの感慨に打ちのめされたが、19日(日)の公演も幸いにして鑑賞出来た。

前日の快晴からうって変わって、ポツリポツリと雨が降り出した黒部。公演前にお見掛けした井関佐和子さん始めNoismメンバーも、濃密極まる作品の公演前であることに加え、天候を心配してか、険しい表情が垣間見えた。新潟や関東圏から駆け付けたNoismファンの方々と言葉を交わしつつ、時折天気予報を調べては「公演中は大丈夫そうだね」と無事の開演を祈る思い。会場には、金森穣さんが「師匠」と仰ぐ鈴木忠志氏や、Noism「劇的舞踊」シリーズの常連俳優・奥野晃士氏の姿も。また、前沢ガーデンハウス内の鈴木忠志氏の演劇活動を紹介する一室では、昨年のNoism公演のドキュメンタリーが上映されており、やはり圧倒的だった舞台を思い返しつつ、私はじめ見知った顔が収められている映像に笑みをこぼした。

6月末からのNoism20周年記念公演でも『セレネ、あるいは黄昏の歌』は上演される為、詳述は控えねばならないが、前述したように終演時には会場が静まり返り、日ごろならスタンディングオベーションしつつ「イェイ!」「井関! 金森!」など声援を送る私も、「この余韻を壊したくない」「この感動は、簡単に言葉にしたくない」と口をつぐみ、ひたすらに拍手を送るのみだった。マックス・リヒターがヴィヴァルディの『四季』の根幹部を抽出するように編曲した楽曲の強靭さを背骨に、やはり壮絶なまでの神々しさを発する井関佐和子さんを中核として、舞台の刹那を生ききる舞踊家たち。自然の摂理そのものを体現するような井関さんの一挙手一投足に呼応して、音楽を視覚化するように若きメンバーが躍動する冒頭から、幾度も涙が溢れたが、舞台が進行するにつれ、その荘厳さと猥雑さが共存する世界観に「畏れ」さえ覚えた。ある「暴力」に及ぶ者を冷徹に凝視し、集団によってその「性」を露わにされる者を優しく抱きしめ、過去の「恍惚」を豊かに追想する、祭祀の指導者に扮する井関佐和子さん。その眼差しの凄絶さ、照明も相まって白く発光するような全身は、現実から遊離するほどに美しかった。

生が芽生え、繁茂し、成熟し、やがて豊かに老いて「死」と直面してゆく。人間と自然の「業」「摂理」を、イメージ豊かに舞踊に置き換えてゆく「円熟」を感じさせたかと思いきや、初期Noism作品に漂っていた濃密なエロスや暴力性を突き付けて、観客を圧倒する金森穣演出は、どこまで到達するのだろう。舞台に吞み込まれ、翻弄され、この舞台に立ち会えた一瞬や自身や他者の「生命」、その周囲にある自然まで慈しむような余韻に浸る約1時間は、まさしく僥倖だ。黒部の土地もまた舞台を祝福するように公演中は雨がやみ、舞台に余韻が深まる夜陰にかけて、静かな雨に包まれた。

20周年公演では、りゅーとぴあ・劇場でどのように作品が再創造されるか、心して待ち構えたい。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長・「安吾の会」事務局長)
(photos: aco)

新潟と黒部から世界へ♪『セレネ、あるいは黄昏の歌』圧倒的な世界初演!

2024年5月18日(土)、早い時間帯から既に夏の訪れを思わせる陽気に、気分も爆上がりのなか、『セレネ、あるいは黄昏の歌』を観るべく、車を運転して、新潟市から黒部市を目指しました。

天気予報によれば、開演時刻19時の黒部市は「晴れ」で、気温は20℃とのこと。昨年公演(『セレネ、あるいはマレビトの歌』)時の予想気温が19℃だったことを考え合わせますと、「やはり今年も『冬装備』までは必要ないな」と安心していられたような塩梅でした。

快晴の黒部市を少しだけ楽しんだ後、宮野運動公演駐車場に車を駐めて、16:15のシャトルバス第一便の到着を待ちます。やがてやって来たバスの車体に「YKK」の文字が見えるのも昨年と同じでした。その車窓からサポーターズ仲間が手を振ってくれるのを目にしたところから、私も一気に「セレネ」モードに切り替わることになりました。

前沢ガーデンに到着し、バスを降りると、総合受付まで早足で移動して、16:30開始の受付に向かいました。無事に若い番号の整理券が貰えたことにホッとし、そこから先、入場への整列時間(18:40)までは見事なランドスケープと澄んだ空気のなか、サポーターズ仲間たちとアレコレ話しながら、ゆったりとした時間を過ごしました。

そして18:40、整理券の番号順に整列すると、スタッフに先導されて屋外ステージへと移動します。私は若い番号の整理券を得ていたため、最前列正面の席を選んで座りましたが、半円が迫り出す舞台を見下ろすかたちの定員300名の客席は、どこに座ってもよく見えることは間違いありません。(そうは言っても、私が座った席からは、ラスト付近で、井関さんの瞼や睫毛の微かな震えなどもじっくり見えたりして、特別感が半端なく、もう堪りませんでしたが。)

客席から黄昏時の空を見上げてみましたが、生憎、月も星も見ることは出来ませんでした。それもその筈なのかもしれませんね。そこから約1時間のあいだ、月も星も地上に、黒部の地の白く塗られたステージ上にあった訳ですから。

定刻ピッタリの19時、「黒部シアター2024春」Noism0+Noism1『セレネ、あるいは黄昏の歌』がスタートしました。

冒頭、マックス・リヒターによって「リコンポーズ」されたヴィヴァルディの『スプリング(春)』に乗って、まずはバレエ色濃い滑り出しです。頻出する多彩なリフトの数々に目を奪われることでしょう。掲げられては下ろされる身体、そのニュアンスの豊かさはまさに金森さんならでは。うっとり陶酔するのみです…。

そこから先は息つく暇もなく、ドラマティックな展開が待ち受けているのですが、ネタバレしてはいけませんので、細かく立ち入ることは控えます。(まあ、簡単に纏められるようなものでもないのですが。)前沢ガーデンのランドスケープと相俟って感じた(あくまでも個人的な)印象のみ、少し記しておきます。

自然の「掌(たなごころ)」のなかに身を置く人間。或るいは、自然の「掌」のなかに人間を捉えようとすること。その2者、対立関係にあるのではなく、あくまでも前者が後者を包含する関係にある2者。時に極めて暴力的でさえありながら、同時に、何にも忖度することなく、何をも飲み込み、平然と動的な平衡を保つ自然。巡る季節、回帰とそして再生。

最近、そうした視座において、強い親近性を感じた映画がありました。それは濱口竜介監督の『悪は存在しない』(2023)という作品です。前沢ガーデンのランドスケープと音楽からインスパイアされて、舞踊を切り口に、巡る季節のなかに人間に迫ろうとする金森さんに対して、濱口作品の方は自然の御し得ず、より「仮借ない」側面をクロースアップして描いていますが、大きく重なり合い、相補関係にある2作品とも言えるのではないかと思います。まだ濱口監督の『悪は存在しない』をご覧になっていない方はそちらも是非ご覧頂けたらと思います。

この日の公演に戻ります。圧倒的な1時間でした。見終えてすぐには、誰もが言葉を失うくらいに圧倒されてしまっていた様子でした。カーテンコールは一度きり。ですから、客席は誰ひとり、我を取り戻し、「ブラボー!」と叫ぶ余裕すら与えられなかった、そんな感じではなかったかと。

公演後、黒部舞台芸術鑑賞会実行委員会の堀内委員長が登壇して挨拶されるなかで、この作品を絶賛され、「黒部から世界へ」との期待を言葉にされたのみならず、金森さんも舞台上に呼び、衆人環視のなかで、「来年もまた来てください」とのオファーを出すに至っては、満席の観客から大きな拍手が寄せられていました。

金森さんが、「舞踊家たちの渾身も既にここにはなく、既に皆さんの記憶のなかにあるのみです」と、舞台の「一期一会」性を口にされたとき、観終えたばかりの者たちは皆、この黄昏時に共有し得た「刹那」のかけがえのなさを、そしてその僥倖を噛み締めていた筈です。加えて、金森さんは、昨年上演した『セレネ、あるいはマレビトの歌』を来年、欧州で、という話があることにも触れましたので、堀内さんが期待するNoism Company Niigataにとって、世界への「2つ目のルート」も稼働準備段階にあることはどうやら間違いないことのようです。

それにしましても、昨年の「マレビト」といい、今年の「黄昏」といい、あの前沢ガーデンのランドスケープのなかで観ることの豊穣さは「一生もの」と言っても過言ではありません。本日は当日券の販売も若干枚予定されているとのことですから、検討中の向きは是非ご覧ください。この後、6月、7月の「20周年記念公演」では屋内で観ることになる「黄昏」、それとはまた別物の舞台に心底圧倒される時間が待っています。まだまだ間に合って駆け付けられる方も多い筈。みすみす見逃す手はありません。是非、是非、是非♪

(shin)

壮大!『セレネ、あるいは黄昏の歌』活動支援会員/メディア向け公開リハーサル♪

2024年5月8日(水)、午前中はまだまだ雨もよい。徐々に曇りになってきているとはいえ、例年のこの時期の服装では寒くてかなわないといった気温の低さ。それにも拘らず、気持ちを昂ぶらせて、目的地・りゅーとぴあへと向かったことはおわかり頂けるものと思います。

10日後に迫る「黒部シアター2024春」に向けて開催された、Noism0+Noism1『セレネ、あるいは黄昏の歌』Noism活動支援会員/メディア向け公開リハーサルを観てきた訳です。

この日の公開リハーサルの会場は、昨年の『セレネ、あるいはマレビトの歌』の公開リハーサルのときと同様に、〈劇場舞台上〉ですから、その非日常感たるや、もう稀なる機会と言えます。

定刻の12:10に受付を済ませると、ホワイエまで通され、そこで入場を待ち、その後、〈劇場舞台上〉に設えられた席へと進みました。

12:30、金森さんの「いいな、ハイ、じゃあ始めましょう」の言葉があり、鳥のさえずりが聞こえてきましたから、マックス・リヒターの『シャドウ』から始まったのではなかったかと思われます。

みな「白」色ながら、一人ひとり異なる衣裳を身に纏った14人。勿論、井関さんと山田さん(Noism0)も含まれますが、Noism2リハーサル監督も兼ねる浅海侑加さん(久し振りに目一杯踊ってくれていて、嬉しい気持ちで見詰めました。)とNoism1準メンバーの兼述育見さん、そして、Noism2の男性メンバー・松永樹志さんが出演しています。

ややあって、全米桜祭りでのワシントンバレエ団『SAKURA』の印象も新しい「リコンポーズ」されたヴィヴァルディの『スプリング(春)』(マックス・リヒター)が聞こえてきて、その春めく様子から、訪れては行く季節の巡りが踊られ始めます。

しかし、そこは金森さん。その「季節の巡り」も、決して日本的な「花鳥風月」の風流みたいなものではなく、もっとダイナミックな生命の営みとも呼ぶべきものです。そしてそこに身を置く人間。喜怒哀楽も正も邪も全て包含したうえで、どこへどう進んでいくのか見通せない舞踊の連打に見舞われることでしょう。おっと、あぶない、書き過ぎ、書き過ぎ。これ以上は書けません。

たっぷり、じっくり55分。13:25、余韻を引き摺るマックス・リヒターの音楽、それも消え入ります…。

「オーケー!」と金森さん。私たちの前に進み出ると、「ハイ、まあ、これが最新作でございます。今回はこれをもって黒部第2弾行って参ります。本日はどうも有難うございました。そして日頃よりご支援頂き、有難うございます」とご挨拶されて、この日の公開リハーサルは終わりました。

『25%のヴィヴァルディ』 Recomposed by マックス・リヒター*

(*註: 「25%」…原曲の75%にあたる素材を捨て、残りの25%の素材に基づきながら新たに楽譜を書き下ろし、ヴァイオリン独奏と室内アンサンブルで演奏可能な“新作”を完成させた、とのこと。)

『セレネ、あるいは黄昏の歌』、極めてスケールの大きな「季節の巡り」の只中に「人間とは何か」を捉えようとする作品です。そして、更に、前沢ガーデン野外ステージのランドスケープに嵌めてみたときのスケールアップも含めたならば、空恐ろしいことになるのではないかと、もう「ズキズキワクワク」が止まりません。チケットはチケットぴあ他にて絶賛発売中。5月18日(土)、19日(日)、必見です。お見逃しなく!

(shin)

20周年記念公演「Amomentof」記者発表に出席してきました♪

2024年4月19日(金)の新潟市は、雨こそ落ちてはこないものの曇天そのもので、薄着では肌寒く感じられるような一日でした。そんなお昼の時間帯(12:00~13:00)に、りゅーとぴあの〈スタジオA〉で開かれたNoism Company Niigata 20周年記念公演「Amomentof」の記者発表に出席してきました。

Noismの出席者は金森さん、井関さん、山田さん、そしてその後ろにNoism1及びNoism2全員の総勢25名。揃って居並ぶ様子は壮観でした。この日の会場には県内マスコミ各社が駆けつけていたほか、オンラインで約20社ほどの参加があったとのことです。
ここではその記者発表での様子についてご報告いたします。

☆井関佐和子さん(Noism 国際活動部門芸術監督): 今回の公演の意図と経緯
・新作2本(『Amomentof』『セレネ、あるいは黄昏の歌』)を上演。
・演出振付家の金森に依頼するにあたって、20年を通過点とみて、「蓄積」(=今までのもの)ではなく、飛躍のためにも、「蓄積」の次の一歩を、と思った。
・演出振付家への信頼、メンバーへの信頼とともに、観客への信頼がある。「次は何を作るんだろう」「それに観客はどう反応するんだろう」→金森には「何もテーマを決めることなく、今、現時点で作りたいものを作って欲しい」と依頼。→作品はほぼ仕上がりつつあるが、「20周年記念」に相応しいものになったと思っている。

★金森穣さん(Noism 芸術総監督): 今回の演出振付作品について
・芸術家は何もテーマがないところから創作は出来ない。必ず、そこには対象がある。
・『Amomentof』の対象は井関佐和子。その身体のなかにNoismの歴史がある。そしてマーラーの交響曲第3番第6楽章から感じる「舞踊とは何か」を井関佐和子という舞踊家を通して顕現させたいと思った。
・『セレネ、あるいは黄昏の歌』に関しては、現代の科学技術の進歩の恩恵は計り知れないが、それによって脅かされているもの、失われていくもの、忘れられているものがある。再び忘れてはならないものに向き合うきっかけを与えるものが芸術のひとつの力と考えている。「人間とは何か」ということを軸に集団として表現したい。また、『Amomentof』とも共通して、Noismとして蓄積してきた身体性が総動員されている。春夏秋冬、異なる身体性で創作している。

☆山田勇気さん(Noism 地域活動部門芸術監督): Noism2メンバー出演に関して
・研修生カンパニーNoism2は2009年に発足。地域の学校公演、地域のイヴェント等で活動している。今回は『Amomentof』に出演する。
・カンパニー全体としての層の厚さ、空間的な広がり、奥行き等を表現出来たら嬉しい。
・次の5年、次の10年、次の20年に向けて鼓舞したり、希望となるような公演にしたい。

★質疑応答:
【Q1】20周年を迎えてどんな思いか?
 -金森さん: 「A moment」、一瞬だった。20回、循環する四季の巡りを体験してきたが、ひとつとして同じ季節はなかった。時間の蓄積と多様性が大きな変化。20年ということに「節目」感はない。裏を返せば、毎日が節目。
 -井関さん: 現時点では、一瞬といえば一瞬だが、いろんな道のりがあった。この20年の歩みのなかで、この道しか自分を生かす道はないなと思った。この道を歩くというのをこの20年で定めた。

【Q2】公演に向けてここからどう進めていくのか?
 -金森さん: 作品としてラフスケッチは出来たが、更に練って練って試行錯誤。舞踊家の身体に入れていく。演出という行為は、そこにある空間・もの・気配などを活かすことではなくて、変容させること。それは振付も同様。舞踊家が変容していくさま。無自覚で潜在的な能力や才能、輝きみたいなものを引き出すために振付はある。そのためには時間もエネルギーも必要。我々のこのような環境でなければ辿り着けないもの。Noismにおける金森穣の舞台芸術は、金森穣のアイディア、コンセプトに基づいて生まれるものではあるが、ひとり残らず、参加するNoismの実演家たちによって生み出されるもの。そうした実演のされ方が重要。
 「どれだけの時間をかけてきたんだ、この人たちは」といったものを我々の舞台を通して感じて貰えるようでなければ、Noismとしての存在意義はないと思う。

【Q3】「一瞬の」と読める作品、もう少し説明して貰えないか?
 -金森さん: 20年前からずっとNoismを追ってくれている人たちにとっては涙がとまらないような作品になるかもしれない。極めて具体的にNoismの20年を想起させる演出をしている。一方、初めてNoismを観る人にとっても、舞踊芸術への昇華ぶりを目の当たりにして感動して貰える作品にしたい。

【Q4】改めて今、金森さんにとって、「舞踊とは何か」を聞かせて欲しい。
 -金森さん: 詩や音楽やあらゆる文化・芸術が生み出される前に、そして、我々が身体をもって生まれる限りにおいて、そこには既に舞踊がある。それだけ根源的な芸術こそが、「人間とは何か」を表現するのに最も相応しい、それが私の舞踊観。「人間とは何か」の問いは、どれだけ時代が変わり、社会が変容し、技術が発展したとしても問われ続けていくこと。そうした舞台芸術を新潟市という一地方自治体が文化政策として掲げていることの価値や意義には大きなものがある。生涯、命が尽きるまで舞踊と向き合っていく。「私を見てください。それが舞踊です」

【Q5】(メンバーへの質問)「20年」の歴史の節目に立ち会っている思いと公演への意気込みを聞かせて欲しい。
 -Noism1・三好さん(井関さんからの指名による): これまでの様々な人の顔が思い浮かび、プレッシャーに感じることもあるが、この一瞬にどれだけ同じような愛情を注げるか。今、自分が日本の劇場で働けていることは誇り。海外への憧れよりも、もっと素敵な「夢」を20年かけて作ってきてくれたという思いをのせて公演をよいものにしたい。

【Q6】ファンの人たちへの思いは?
 -金森さん: 感謝しかない。感謝という言葉では足りない。見て貰えなければ成立しないものだから。ただ、その人たちのためにやっているのではない。そのあわいを失すると芸術家として死んでしまう。物凄い感謝を感じつつ、背を向ける。その背中で愛を感じて欲しい。
 今、私が思っている未来は、このふたつの作品に全て込めている、それが今、演出家として言える全て。

【Q7】舞踊家・井関さんのどこに創作の源泉を感じるのか?
 -金森さん: 一舞踊家として様々な要素があるが、何より生き様とか献身する姿。これだけ舞踊芸術を信じ、献身する舞踊家を見て触発されない演出振付家はいないだろう。

【Q8】『セレネ』に関して、前作と今回作との関係性は?
 -金森さん: どちらも「セレネ」という役が出て来ること、イメージ的には前回は黒が基調の世界観に対して、今回は白と反転。(井関さんからの囁きがあって、)共通するのは儀式性。 

【Q9】『セレネ、あるいは黄昏の歌』、ヴィヴァルディを選んだ理由は?
 -金森さん: 四季の巡りのテーマからリサーチをした。最初にヒットしたのがヴィヴァルディだったが、「これは作品化できないなぁ」と思って、更にリサーチして、マックス・リヒターの編曲版と出会い、「これはいける」と感じた。
そのふたつの『四季』に関して、「何故この音楽には舞台空間が見えて、何故この音楽には見えないか」は本質的な問い。「この(創造の)能力は果たして何なのか、どこから来ているのか」、答えられる者はどこにもいないと思う。「見えた」ということ。

【Q10】井関さんの身体に蓄積された年月というアプローチには『夏の名残のバラ』もあったが、今回との違いなどあれば聞きたい
 -金森さん: そこは私の魂の同じ箇所から出てきている。過去作のなかで類似するものがあるとすれば、『夏の名残のバラ』だと昨日あたりから考えていたところ。しかし、今回は先にマーラーの音楽を舞踊化するというのがあり、その感動を表現するのに、井関佐和子を軸にしたアプローチをという発想。マーラーのあの崇高な音楽を聴いたときに、愛や献身や喜びや苦悩、「生きるとは何か」が迫ってくる。それを舞台上に顕現させる方法論として、井関佐和子という舞踊家が蓄積してきたものを舞台化することで、マーラーの音楽を自分なりに表現出来ると感じたということ。

…大体、そんな感じでしたでしょうか。その後に写真撮影がありました。

写真撮影をもちまして、この日の記者発表は終わりました。

以下に、Noismの広報スタッフより提供して頂いた「公式」画像をアップさせて頂きます。ご覧ください。(どうも有難うございました。)

最後に、この日の記者発表の席上、スタッフの方から『セレネ、あるいは黄昏の歌』の公開リハーサルが来月あること、そして、金森さんからは、その前作『セレネ、あるいはマレビトの歌』の再演予定もある旨、語られたことも記しておきたいと思います。

そして、テレビ各局の報道に関してですが、私が確認した限りでは、NHK新潟放送局が同日夕刻の「新潟ニュース610」内において、この記者発表を取り上げていました。そちら、一週間、NHKプラスで見ることが出来ますから、是非。おっと、同じものがもっと簡便に、こちらからもご覧いただけます。NHKの「新潟 NEWS WEB」です。どうぞ♪
あと、他局の放送、及び各紙誌の掲載が楽しみです。

それでは以上をもって、この日の記者発表報告とさせて頂きます。

(photos: aqua & shin)
(shin)

速報!全米桜祭り(YouTubeライヴ配信)

2024年3月24日(日)朝、全米桜祭りのオープニングセレモニーの模様がYouTubeで生配信されました。皆さん、ご覧になられたことと思います。早起きした甲斐がありましたね。えっ、朝6時なら「早起き」ってほどのこともない?まあ、それはおいておくことにして、華やかなセレモニーの様子は見ているだけで気持ちも華やぐものがありました。

で、その様子は既にアーカイヴとしてYouTubeにあがっておりますので、見逃してしまわれた方、そしてまたご覧になられたい方は、下のリンクもご利用ください。
(下のXのポスト画像中の2行目、「Livestream:」の後ろに続く青い文字列がYouTubeへのリンクとなります。)

全編(1:52:59)ご覧いただけますが、ここでは金森さん関連のメモを記しておきます。
(1)金森さん振付・ワシントンバレエ団による『SAKURA』(ワールドプレミア!)は開始50分頃に、金森さんのプロフィールの紹介から始まり、そこから約10分間のパフォーマンスとなります。その後、所謂カーテンコールがあり、金森さんも舞台に立ちます。(その間、少し音声が乱れた箇所があります。カーテンコールでの盛大な拍手は各自、心でお聞きください。)
(2)更に、金森さんは、このセレモニーの終わりの部分(約1時間50分くらいのところ)で、司会者から促されて、6人のダンサー、そして森山直太朗さんと一緒に舞台に戻り、会場の拍手に応える場面もあります。

で、『SAKURA』です。まさに「日出ずる国」からの贈り物。芽吹きにはじまり、歓びの桜前線が北上し、内面の変容を経て、やがて満開の華やぎへ。そして美しく散る花びらとしっかり大地に根付く木。そうした全てが、幾分現代的に響くヴィヴァルディに乗ることで、桜が贈られた1912年から今日までの時間も凝縮して感じさせながら、繊細に可視化されていきます。儚さが永遠の相のもとに結晶化されていきました。冒頭から幕切れまで、そのどこをとっても、私たちが愛する「金森印」に溢れた小品でした。

更に、踊る6人(男女3人ずつ)のダンサーのうち、女性3人がそれぞれ、Ms. Ayano Kimura、Ms. Tamako Miyazaki、Ms. Maki Onukiとの日本名の方々であり、(森山直太朗さんも『さくら(独唱)』を歌う前のトークで触れた、)両国間の「架け橋」を感じさせます。

また、最初に幾つもの和楽器を用いてパフォーマンスを行ったKaoru Watanabeさんは、アメリカ生まれの現代音楽の作曲家とのことですが、10年間、佐渡の太鼓芸能集団「鼓童」で演奏家・演出家として活動されていたとのことですから、それはもう、同様な意味合いでの「架け橋」であるだけでなく、金森さんとの奇縁を感じさせるものがあったりもします。

“May cherry blossoms and music and dance, all arts, entertainments always be the ‘kakehashi’ ( you know, ‘kakehashi’ is the bridge ), the bridge in each of our hearts. Thank you very much.”(Naotaro Moriyama)
「桜の花が、音楽とダンスが、そして全てのアートとエンターテインメントが、常に私たちそれぞれの心の「架け橋」でありますように。」(森山直太朗)

「新潟の誇り」にして「新潟の宝」の金森さん、そんなそんな、この日のこれ観ちゃうと、もうそれどころではありませんね。既に「日本の誇り」にして「日本の宝」であることを再認識させられました。実に誇らしい気持ちで、この先もますます応援させて頂きます、と。

そんなふうに、一足早い「春爛漫」を満喫した日曜日の朝の、晴れた春の日曜日の朝のひとときでした。

(shin)