2026年4月10日(金)の新潟日報朝刊は、告知通り、連載企画の「問いかけるNoism」「舞踊の十字路」〈下〉を掲載しました。

この日、同紙が取り上げたのは、静岡県舞台芸術センター(SPAC)。金森さんが師と仰ぐ現SCOT主宰の鈴木忠志さんが初代芸術監督を務め、現在の宮城聰さんは2代目の芸術監督になります。
Noismはこれまでに、SPACの俳優をキャスティングして、劇的舞踊vol.3『ラ・バヤデールー幻の国』(2016)、Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』(2018)を上演してきたほか、SPACの奥野晃士さんに関しては、劇的舞踊『カルメン』(2014、再演2016)とNoism0『愛と精霊の家』(2015)にも出演しており、盛んな交流があった一時期のことが思い出されます。
*劇的舞踊vol.3『ラ・バヤデール-幻の国』



*Noism1×SPAC 劇的舞踊vol.4『ROMEO & JULIETS』



上にあげた画像は、SPACの本拠「静岡芸術劇場(グランシップ)」(←新潟日報社が入る「メディアシップ」とも似た発想からの命名ですね。)を訪れたときのものです。市街地の喧騒を離れたところ、広がる緑地の奥に突如現れるその威容がひときわ目を惹きます。
この日の記事に戻ります。見出しは、「SPAC」、「まちづくりの核に活用」、「人材流出を防ぐ手だてに」。
SPAC制作部・丹治陽さんの「演劇と出会ってしまう仕掛け」という言葉や、「関心のない人にもこちらから会いに行く」ことを公共劇場の役割と捉える意識、更には、積極的に社会課題に向き合おうとする方向性を紹介しながら、公共劇団が地方にある意義について、「ここにしかないもの」を作り続けることが地域の将来を明るくするとの確信に基づき、「公金をかけてもやる価値がある」とする宮城聰さんの言葉で結ばれています。
読み終えてみると、宮城聰さんの言葉が、まさに金森さんの言葉と重なって響く感覚に襲われました。文化政策としてやっている以上、目指されるべきは何か、が眼目であることは言を俟ちません。そして、その取り組みの成果を最大化しようとする姿勢が行政全般に共有されていること、全体が協働することは必須の筈です。なのに、新潟市は…。
金森さんがあげた「更新」を固辞する理由(4つ)のうち、3つ目(財団職員の人数の問題)と4つ目(外部スタッフに依存している問題)は、まさにそうした事柄に関わるもので、新潟市には、宮城さん言うところの「クリエイティブな人材」に関する長期的な視座も姿勢も、ともに不在であることが明らかになってしまわざるを得ない訳です。新潟市が「新レジデンシャル制度」でやろうとしていることは、なんら協働することはなしに、一時期(5年、或いは10年)のみの「施し」をするに近いお粗末なこと、そう言っても過言ではありません。
文化的な理想を掲げることはおろか、長期的な展望など何一つ持たないことも明らかな「新レジデンシャル制度」、そしてそれが自ら立ち上げた「制度」である故に、無駄に拘るだけでしかない新潟市と中原市長に対して呆れかえるとともに、心底からの失望を禁じ得ません。「残念!」(←「ギター侍」風ですね。古っ!…あっ!でも、人道的な見地から、「ギター侍」が発する締めの一語まで言うつもりはありませんけど…。)
【追記】
fullmoon さんが、この日の日報紙の記事中に触れられていた静岡市の「まちは劇場」プロジェクトの空気感を伝える画像(下)を寄せてくれました。
静岡駅から降りていった地下広場の柱を撮ったものだそうですが、爽やかなスカイブルーにきりっとしたゴシック体。大きなインパクトがあり、目を惹きますよね。
街なかに、こうした告知や写真などといった「仕掛け」を施すことで空気感が醸成され、共有されていくのですよね。まさに協働。こうでなくっちゃ。(今年1月17日撮影の画像だそうです。)

【追記2】この記事も新潟日報デジタル版にアップされました。こちらからもどうぞ。→「ノイズムの存続危機は『人ごとでない』…静岡県立劇団『SPAC』の取り組みや『演劇に出合ってしまう仕掛け』とは」(2026年4月12日17:30)
(photos by fullmoon & shin)
(shin)
皆さま
ブログ記事本体に書きそびれてしまったことがありまして、こちらコメント欄に追記させて頂きます。
この日の記事でショックだったのは、SPACへの県からの直接的な補助金が右肩下がり状態にあり、ピーク時(2000年度)の半分以下になっているという事実でした。どこも同じ状況にあるのだと。そして、かなり乱暴に「費用対効果」が求められているのではないかとの懸念も拭えません。
これは、金森さんが固辞する理由3つ目と重なるものです。増大し続ける事業数に対して、予算が増えることがないなら、それはとりもなおさず、人が足りないという様相として表れてこざるを得ないのです。
デジタル的な事業であれば、やり方の工夫を含む、ソフト面での対応で済むことも多々あるかもしれませんが、Noismの場合は舞踊、SPACにあっては演劇です。どちらも(語弊はあるかもしれませんが、)極めてアナログな身体をフルに活用する舞台芸術なのです。両者が勝ち得た世界的に特筆されるような水準を手放すことなしに、増大し続ける事業数に対応するには、限度があることは道理に過ぎません。デスクワークとは違うのです。舞台上の身体には途方もないほどの時間が織り込まれているのであり、それが観る者の人生を揺さぶり、それを大きく変えてしまう程の感動が宿ったりするのです。乱暴に「費用対効果」を求めるのはそうした理解が欠けていることの証左です。
NoismもSPACも国際的な名声を博するほどの実績をあげてきました。最初から、「世界」を相手に闘っていればこそです。先ずはその基本の一点においてブレることなしに、地域への還元も行うならば、予算と人が必要なのは自明です。しかし、現状、どこも財政的に厳しいこともわかります。では何が「最適解」たり得るのか、工夫が求められる所以です。数値化出来るものばかりに血道をあげているようでは、畢竟、人間性の疎外に繋がりかねません。この時代における芸術の意義は、かつてないくらい大きなものになっている、そう私は思います。
以上、蛇足でした。
(shin)
shinさま
ブログ&コメントありがとうございました!
shinさんのコメントは蛇足ではありません。
「ギター侍」(笑)からの至極真面目なコメントに襟を正しました。
あと、静岡駅地下広場、柱の写真も載せていただき嬉しいです♪
静岡県・市は文化事業に力を入れていますが、それでも予算減とは悲しいことです。
しかし、記事を読むと予算減に負けず、SPACの皆さんはがんばっていますね!
shinさんも書かれていますが、
「公共劇団が地方にある意義について、「ここにしかないもの」を作り続けることが最終的には人材流出減少につながる。」
「東京に行かなくても静岡で頑張れば世界に道が開ける」
↑ これはまさに「静岡」を「新潟」に置き換え、ですね!
「クリエーティブな人材が集まれば、地域の将来を明るくしてくれる。公金をかけてもやる価値があるのではないか。」
とする宮城聰さんの言葉、まさしくその通りと思います。
もっと文化芸術に目を向けてほしい新潟市!
エールを送ってほしい新潟県!
芸術文化は心の食です。
ちゃんといただかないと心身不調になってしまいますよ。
shinさんコメントの通り、
「この時代における芸術の意義は、かつてないくらい大きなものになっている」と私も思います。
(fullmoon)
shinさま
連載、上・中・下とも、デジタル版にアップされてよかったです♪
有識者会議委員や他自治体への取材等々、多岐に渡る記事内容で読み応えがありました。
今後の記事も期待しています。
(fullmoon)