プレビュー公演楽日(2日目)、練度の高い実演に言葉を失う

2020年8月28日(金)の新潟市は、前日ほどではないにせよ、予報通り、極めて高温多湿。しかしこう何日も続くともう「暑い」などと口走る行為がいかにも陳腐な同語反復に過ぎず、限りなく慎みを欠いた、はしたない振る舞いに思えてしまうような、そんな一日だったとも言えます。

暑さを云々するより、どこまでいっても「これでよし」ということのない、文字通り、神経をすり減らすようなコロナ対応を求められながら、それでもこうしてプレビュー公演を実現してくれた方々に心からの感謝と敬意を捧げたいと思うものです。来年夏に延期された本公演への通過点としてのプレビュー公演を2日続けて観たのですが、この日(楽日)の練度の高さは尋常ではありませんでした。前日は気迫漲る舞踊に大変感動したのですけれど、謂わば、それは力ずくで圧倒され、蹂躙された感じの力業だったのに対して、この日見詰めたパフォーマンスは、気持ちが籠もったという点では同じにしても、より繊細さを増し、無理なく染み込んでくる感じの迫力に満ちたもので、一口に「感動した」と言っても、その肌合いを異にしていたように思います。

やはり定刻を3分ほど過ぎた18:03頃、緞帳は上がり、『Adagio Assai』の幕開けです。やや距離を置いた位置にあって、共振し、共鳴するふたつの身体、井関さんと山田さん。その距離を詰めていき、絡み合って踊られるデュエット。しかしそこから山田さんが抜け出すと、スクリーンの裏側へと駆けていき、こちら側に取り残された井関さんがシルエットとなった山田さんと踊る場面の叙情は到底書き表せるものではありません。この小品の大きな見所と言って差し支えないでしょう。その後、スクリーン手前に戻ってきた山田さんとの再びのデュエットから、今度歩み去って行くのは井関さんの方。残された山田さんですが、その身体が井関さんを覚えている…、そんな具合に余韻をたっぷり残しながら閉じられていきました。

舞台上手方向にゆっくり消えていく山田さんと入れ替わるように、中央奥からゆっくりと歩み出てくる姿こそ、金森さん。しなやかであるとともに、強靱で美しい筋肉にも目を奪われるでしょう。そして、金森さんがソロを踊り始めてから、ややあって、舞台奥から11人がこれまたゆっくり姿を現すと、全員で一糸乱れぬ群舞を展開し、金森さんのソロに厚みが加えられていく、『FratresIII』です。前日、どこを観るかでせわしなく視線を移した反省から、この日は中央の金森さんに視線をロックオンして、後景の11人をアウト・オブ・フォーカスで見ることを選択。これ、何という贅沢でしょう。加えて、知っていながらも毎度、「アレ」の場面ではハッとさせられたりもして、激しい動悸とともに、この神々しい作品を心ゆくまで堪能しました。

休憩になり、知り合いと一緒になる機会があっても、お互い、「良かったですね」とか「凄かったですね」とか、口から出てくる言葉は、どれも言っても言わなくても良いようなものばかり。それくらい「良かった」「凄かった」ってことなのですけれど、何とも情けない話です。(汗)言葉を紡ぎ出すには熟成期間を要する、それがNoismの舞台だったりする訳です。

休憩後の40分は『春の祭典』、前のふたつも含めて、3つとも全く肌合いが違う作品であることも驚くべきことです。全部、ひとりの演出振付家の手になるものなのですから。そして後半に置かれた、この実験舞踊、圧倒的な推進力をもって展開していき、手もなく、感情の昂ぶりにまで連れ去られてしまう訳なのですが、光やら、椅子の白と赤やら、白シャツの襟やら、はたまた昇降する装置や幕などといった無数の細部が読み解かれることを待っていて、例えば、数学の図形の証明のように、適切な「補助線」を引くことが必要なのかもしれませんね。本公演は来年夏なので、まだまだ回数を重ねて観たいと強く思う次第です。まあ、観ながら身中で味わう高揚感が本物なのですから、それ以上、何を望む必要もない訳なのですけれど。

終演後、客席のほぼどのブロックにも例外なく、スタンディングオベーションをもって、感動を伝えようとする観客がいて、その数の多さは目撃したこの目の奥に刻まれています。横一列に並ぶ白の舞踊家たちに黒の金森さんが加わったとき、場内の興奮と拍手は最高潮に達したと言いましょう。

そして、拍手が途切れることなく響くなか、金森さんから退団するメンバーに花が手渡されていきました。まず、Noism2の長澤さん、森さん、そして橋本さんの3人に花一輪ずつが渡され、ついで、Noism1のタイロンさんと池ヶ谷さんにブーケが贈られたのですが、その際に金森さんから頭を抱えられたのは池ヶ谷さん。その後、タイロンさんも井関さんに頭を抱きかかえられていました。どれも寂しいけれど、良い光景でしたね。皆さんのご健康とご活躍をお祈り致します。

ところで、明日の夜(正確には今夜)は、穣さんと佐和子さんによるインスタライブが告知されています。今回、開催されなかったアフタートーク的な内容のものが楽しめる様子。どんなことが語られるでしょうか。大いに興味を掻き立てられますよね。

そして来年夏、新加入のメンバーが加わって本公演として踊られるとき、どんな舞台が届けられるのでしょうか。その際、また新しいNoismに出会えることを楽しみにしたいと思います。

(shin)

猛暑日の新潟市で『春の祭典』/『FratresIII』プレビュー公演初日

2020年8月27日(木)の新潟市は気温が37℃を上回る体温超えで酷暑の「猛暑日」。

立秋はおろか、暑さも収まるという処暑さえ過ぎて、暦上は立派な「秋」である筈なのに、フェーン現象のため、猛烈な暑さに見舞われた新潟市のりゅーとぴあまで、Noism版の『春の祭典』や厳しい冬のイメージ漂う『FratresIII』を観に来るなど、季節は一体どうなっているのか、と眩暈を禁じ得なかったりもした訳ですが、そもそも劇場は非日常の空間ですし、そこで春だ、冬だと言われてしまえば、それぞれ前後左右を一席ずつ空けて、市松模様状態に割り振られた席に身を沈めた者たちはみな、さっきまでの暑さなどすっかり忘れて、季節不明の異空間に身を置く自分を見出すことになったような成り行きの筈です。

緞帳があがった19:03頃。客電も落ちきらぬままといった明かりの具合から、それと気付かぬまま、日常と地続きに見える非日常へと導き入れられてしまう私たち。その目に飛び込んでくるのは、舞台下手に立つ井関さん、向かい合って立つ山田勇気さんは上手側。真横から見るふたり、まずは不動。そこから「非常にゆるやか」に動き出したかと思えば、ぐんぐん加速して腕を振り回します。同時上演の『Adagio Assai』から公演は始まりました。時折、舞台後方に映し出される静止画像が、ふたつの身体の静止振りや速度を際立たせるなか、踊られる切ないデュエットに瞬きも忘れて見入る私たち。陶然たる時、恍惚の境地。

一段落し、微かに風の音が聞こえてくると、緞帳は下りず、今度は冬枯れを思わす暗めの照明のなか、『FratresIII』へと移行していきます。「I足すIIがIIIです」という金森さんの言葉通りの『FratresIII』。金森さんが手前中央でソロを踊り、その背後、舞台狭しと11人が群舞を踊ります。ソロと群舞が極めて高いレベルで拮抗するなか、ほぼ今回がラストとなる舞踊家も観たいし、勿論、金森さんも観たい。では一体どこを観れば良いというのか。私は心底迷いながら、絶えず目を動かして眺めていたように思います。公開リハーサル時にはなかった「アレ」も加わり、腹にズシンと響く超重量級の作品に仕上がっていました。

休憩時間のホワイエには、もう既に思いっきり魂を揺すぶられ、上気した者たちばかりが目につきました。まだ、後半が残っているというのに、です。恐るべきパフォーマンスに、気温とはまったく別物の、興奮で熱した空気が漂っているように感じられました。

休憩が終わると、『春の祭典』です。壇上には、いつの間にかキチンと並べられた椅子があり、その背もたれ、連続した細い横五本のラインは五線譜のようでもあります。白塗りの顔、白シャツとそこから生え出たかのような2本の素足。虚ろな表情を浮かべた21人の現代人が自分の座る場所を選ぶところから始まります。他人を必要以上に意識しながらも、一切の関わりを避け、心を閉ざしていたい者ばかりです。そんな彼ら、見えない舞台の外部に対して揃って不安を抱き、恐れ慄いていた筈が、いつしか理性の対極に位置するかのような、心を掻き乱す不穏なリズムと不協和音に満ちたポリフォニーに煽られて、内側の暴力性を目覚めさせていきます。その変容のさまを、白シャツを汗まみれにするだけでは足りずに、汗の飛沫を飛び散らせながら、有無を言わせぬド迫力で、可視化していく舞踊家たち。頭をガツンと殴られでもしたかのように感じる作品と言っておきましょう。

こんな物凄い芸術があってくれて良かった。それもこんな時期に、ここ新潟に。どうしても観に来られなかった人がいて、躊躇った末に観ることを諦めた人がいるなか、今、これを観られることの僥倖を噛み締めた一夜でした。と同時に、何か後ろめたいような思いもあって、心の中では、この先、芸術を求める者は誰でも、安心して、その求める芸術によって心が満たされる、当然と言えば当然でしかない、そんな日常が一日も早く戻って来ることを願いました。

(shin)

公開リハーサル2日目、金森さん「今回お見せできてよかった」

2020年6月14日(日)の新潟市はお昼頃から雨。しかし、あまり気温が上がらなかったため、不快感はさほどでもなかったのが救いでした。

そんななか、新潟在住の活動支援会員を対象とした公開リハーサルの2日目です。今日も取材クルーの姿が数多く見られ、前日と併せて、県内全てのテレビ局が大きな機材を抱えて劇場を訪れたように思います。

で、この日の感染予防措置ですが、検温機器の設置場所に前日からの変更点があり、まだまだ手探り状態にあるといった様子で、検温スタッフにとっても、この2日間の全てが「リハーサル」であったり、ある意味、「実証実験」でもあったりするのだろうと理解しました。

前日とは異なる動線の配置
「正常な体温です♪」
検温機器にそう言われない限り、
この先には進めません
この光景、初めての方には物々しく映りますよね
脇道に逸れますが、感染経路を追うためという
趣旨はホテル等の宿帳も同じと聞いています

この日もリハーサル開始時刻が近付くにつれ、静寂が場内を支配するようになり、その静けさがいつまでも続くかと感じられ始めた頃、15時を2分ほどまわっていたでしょうか、これまた音もなく、スルスルと緞帳が上がり、井関さんと山田さんの脚部から、体幹、そして顔が、順に、真横から見るかたちで、私たちの目に入ってきます。ためらうような、たゆたうような、求め合うような、そんなふたり。『Adagio Assai』(仮)です。見惚れるしかないふたり。映像との相互作用も、通り一遍のものではないため、目は舞踊家と映像の行き来を求められるなど、上品な刺激に満ちたものと言えます。緩やかな切なさが印象的な小品です。

そして、ある効果音が聞こえてくると、そのまま『Fratres III』に接続していくのも前日観た通りです。舞台中央奥、登場時点から既に金森さんの目、或いは表情は、「同志」を先導する者のそれにしか見えません。そこから始まる「祈り」と同義でしかないソロと群舞が創出する豊穣な時間。ブレることなく、自らコントロールできることのみに専心する愚直な潔さが観る度に胸を打ちます。

休憩後は、実験舞踊vol.2『春の祭典』。金森さんのこの新作で、ストラヴィンスキーの手になる変拍子や不協和音に合わせて、21の身体を通して可視化される世界は、バーバリズム(野蛮・未開)とは異なる、極めて今日的な主題の体系に収まるものと言えるでしょう。混沌としていながらも、(須長さん制作の椅子に代表されるような)直線的なシンプルさ、或いは明晰さも同居したものであり、照明の果たす役割が印象的な作品と言うに止めておきます。

全て終わった後、この日も「ブラボー!」の掛け声が飛ぶなど、目にした舞台が、もはや「公開リハーサル」の範疇で語られるものではないことは誰しもが共通して感じていた事柄に過ぎません。ただ、舞台両袖に様々な道具や資材の類いが隠されることなく、全て顕しにされていたことのみが、これが「リハーサル」であることを思い出させるくらいだった筈です。

最後の挨拶。この日の金森さんは笑顔で話されました。「ほとんど本番。今まで仕上ったもので、最上のものであり、何の出し惜しみもありません」と。更に続けて、「今、ここに彼らがいて、皆さんがいて、今、この日の実演を彼らがやって、今、この瞬間が非常に貴重だということです。この困難な社会を生きていくうえで、一助になれれば嬉しい。これからも精進していきます」とも。

金森さんがそう語り、一通り、挨拶も終わった感が伝わってきた頃合いで、金森さんの後方、一列に並んだ舞踊家たちの列の中央、井関さんがしきりに隣のジョフォアさんの腕を掴んで、前に押すような仕草を見せています。

そのタイミングで、金森さんが、「ジョフ(ジョフォア・ポプラヴスキーさん)は今シーズンで終わり。8月から、次のカンパニーが始まるので、7月で(Noismを)離れなきゃいけない」と告げるではないですか!「他にもいるんだけど…」と「悲報」の多くは語られなかったものの、ジョフォアさんについては、「今回お見せできてよかった」と言い、8月のプレビュー公演には出演しないことが明らかになりました。(涙)

前日とこの日、『春の祭典』の冒頭、ジョフォアさんの登場場面、大柄の体躯を小さく折りたたむことで表出された「可愛らしさ」が個人的にはツボだっただけに何ともショックな報せでした。

でも、彼がNoismのDNAとでも言うべきものを次なる場所に拡散してくれて、異なる場所にいるNoismファミリーとして踊り続けてくれることを期待したいと思います。そして、この先も長く、新潟のことを覚えていてくれたら嬉しいです。いつまでもみんなで応援していきましょう。

さて、実演は一旦終了ですが、今週の金曜日(6/19)にはシビウ国際演劇祭2020 online special edition にて、Noism1の『R.O.O.M.』がオンラインで配信されます。奇しくも、「実験舞踊」繋がりでもあり、あの野心作、久し振りに堪能したいと思います。配信はライヴ配信のみで、朝4;20からと、夕刻16:20からとのこと。詳しくはこちら、Noism Web Siteをご覧ください。

(shin)

渾身!熱い思いで実現した活動支援会員対象 公開リハーサル初日

数日前に梅雨入りが報じられましたが、この日も新潟市に雨はありません。2020年6月13日(土)の新潟りゅーとぴあ・劇場、年頭からのコロナ禍に延期に次ぐ延期を余儀なくされ続けたNoismの舞台にまみえる機会を、全国の、否、世界中のファンに先駆けて手にし得た果報者は、Noism Company Niigataの「ホーム」新潟に住む活動支援会員、およそ50名。更には、開場前からメディア各社も集結しており、「劇場再開」への関心の高さが窺えました。

待ちに待った案内…

沸き立つ心を抑えつつ、足を踏み入れたりゅーとぴあの館内で私たちを待っていたのは、長い空白の果てに漸く、この日を迎た劇場の「華やぎ」ではなく、「With Corona」時代の劇場が直面する「物々しさ」の方だったと言えるかもしれません。

館内に入ると先ず
サーモグラフィーカメラで検温
この後、劇場前に並びます
距離をとって2列に並んだ先、
劇場入り口手前はこんな感じ
6つの「お願い」近景
入場直前に再度の検温

列に並んでいる間、りゅーとぴあの仁多見支配人をお見かけしたので、ご挨拶した後、少しお話する機会を持ったのですが、すぐに検温スタッフが飛んできて、もう少し距離をとるように注意されたような次第です。

入場受付スタッフは当然、衝立の向こう
ホワイエには連絡先記入用紙も
受付時に座席指定がありました

漸く迎えたこの日、久方ぶりに集う見知った顔、顔、顔ではありましたが、それ以上に「重々しさ」が漂うホワイエは、私たちに今がどんな時なのかを決して忘れさせてくれませんでした。

公開リハ開始15分前、促されて劇場内の指定された席へ進みます。すると、この日の席は一列おきのうえ、両横が3つずつ空けられて配され、そのため、中央ブロックは各列4人、脇のブロックは1人ないし2人しかいないというこれまで見たこともない光景を目にすることになり、その裏に、この日を迎えるための厳しいレベルでの安全管理意識の徹底振りにハッとさせられたものです。

15:00。客電が落ちてからは、そうした時間とはまったく異なる別の時間が流れました。最初はNoism0・井関さんと山田さんの『Adagio Assai』(仮)です。緞帳が上がると向かい合うふたり。無音。不動を経て、動き出すと、次いで流れるモーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲、その第二楽章、そして映像。熟練のふたりによる「とてもゆっくり」流れる豊かな時間。『春の祭典』ポスターが舞踊家たちの足を捉えているのと対照的に、今作ではふたりの手に目を奪われます。

15:13頃。浸って見つめていると、緞帳は下りぬままに、次の演目であるNoism0 + Noism1『Fratres III』にそのまま移行しました。ですから、Noism0と言っても、井関さんと山田さんは不在で、金森さん+Noism1(併せて12名)とでも言った方がよい感じでしょうか。で、この完結版とも言える『Fratres III』ですが、いつかの折に、金森さんが「I 足す II が III」と言っていた通りの構成で、その言葉からの想像は当たっていましたが、実際、目にしてみると、これがまた圧巻。鬼気迫る金森さん、一糸乱れぬNoism1ダンサー。それはまさに「1+2=3」以上の深みと高揚感。圧倒的な崇高さが目を釘付けにします。「そうなる訳ね。ヤラレタ」と。更に、どうしても「コロナ禍の舞踊家」というイメージが被さってきましたし、「これを目にする者はみな勇気づけられるだろう。慰撫されることだろう」と、まさに今観るべき舞台との思いを強くした15分弱でした。

休憩を挟んで、今度はNoism0 + Noism1 + Noism2による実験舞踊vol.2『春の祭典』。ホワイエから戻り、自席から目を上げると、緞帳の前、横一列に綺麗に並べられた21脚の椅子。舞踊家にはそれぞれ別々の楽器が割り振られているとの前情報から、背もたれを構成する横に走る黒い5本の線が21脚分、一続きになって並ぶ、この冒頭部においては、何やら五線譜を想像させたりもしますが、須長檀さんによるこの一見、無機質に映る椅子は、この後やはり、様々に用いられ、様々な表情を示すことになります。

作品に関してですが、私自身、先行する『春の祭典』諸作について深く知るものではありませんので、次のように言うのも少し躊躇われますが、ストラヴィンスキーのあの強烈な音楽に導かれると、畢竟、情動的なものへの傾向が強くならざるを得ないのだろうと、そんな印象を抱いていました。それが金森さんの新作では、情動のみならず、理知的なコントロールが利いていて、つまりはスタイリッシュな印象で見終え、私たちの時代の『春の祭典』が誕生したとの思いを強く持ちました。また、この作品、若い西澤真耶さんが大きくフィーチャーされていることは書いておいても差し支えないでしょう。準主役の立ち位置で素晴らしいダンスを見せてくれます。ご期待ください。

ネタバレを避けようということで書いてきましたから、隔靴掻痒たる思いも強いことかと思われますが、ご了承ください。今回、公開リハーサルとしながらも、休憩を挟んで、見せて貰った大小3つの作品は、どれひとつ取っても、大きな感動が約束されたものばかりだと言い切りましょう。『春の祭典』の終わりには、「ブラボー!」の掛け声がかかり、会場の雰囲気はリハーサルとは思えないようなものであったことを書き記しておきたいと思います。

また、こちら過去の記事4つ(いずれも「Noismかく語る・2020春」)ですが、併せて御再読頂けたらと思います。

最後、客席から黒いマスク姿の金森さんが登壇し、挨拶をした場面について触れない訳には参りません。

舞台上、熱演した舞踊家たちに、”You guys can take a rest.(さがって休んで)”と指示を出した後、「本当は昨日が初日だったんですけど、…」と語り始めた金森さん、そこで声を詰まらせ、続く言葉が出て来ません。そのまま後ろ向きになると、私たちの目には、必死に涙を堪えようと震える背中が、そして私たちの耳には、その手に握られたマイクが拾った嗚咽が。瞬間、客席にもこみ上げる熱い思いと涙が伝播します。やがて、「…ご免なさい。こんな筈じゃなかったんだけど。言うことも考えていたし…。」と言った後、続けてキッパリと言い切ったのは「これが今の我々に出来るベストです。我々にとっての本番です」の言葉。「出来る限りを続けていきます」とも。

更に、「今出来る限りをやりたいということで、スタッフにも演出家のワガママに付き合って貰いました」と、リハーサルらしからぬリハーサルが実現した舞台裏を明かしながら、スタッフに向けられた感謝の言。そこに溢れる、この日に賭ける並々ならぬ思いに心打たれなかった者はひとりもいなかった筈です。

いつ果てるとも知れない、暗く長いトンネル。未だ「抜け出した」とは言えないような日々。不安で不自由な環境の中にあってさえ、共有されていたNoismというカンパニーの鍛錬に纏わる揺るぎない精神性。同じものを見詰める「同志」たる舞踊家たち。その凄さを垣間見せることになったのが、この日の公開リハーサルだったと思います。

終演後は、大きな感動に包まれながらも、場内放送で、後方の席から順番の退場を指示されるなど、私たちの周囲にある「現実」に引き戻された訳ですが、そうした「現実」があるのなら、勿論、「生活」だけでは満たされ得ず、真に「生きる」ために、こうした優れた「芸術」や「文化」が必要であることが身に染みて感じられたような次第です。裏返せば、それこそ、私たちが「Noismロス」にもなる理由です。(長い文章になってしまったのも、ここまでの長い「Noismロス」の故とご容赦ください。)今回、ご覧になれない方々、次の機会まで今暫くお待ちください。今度のNoismも、必ずその辛抱に応えてくれますから。

この日、確かに、Noismの歴史がまたひとつ刻まれたと言っても過言ではないと思います。それを目撃し得たことの、否、ともにその時間を過ごし得たことの喜びに、今、浸っています。

(shin)