「私がダンスを始めた頃」⑤  鳥羽絢美

私が舞踊を始めたきっかけは姉でした。姉がすることは何でも自分もするものだと思っていた私は、姉がバレエを始めると当たり前のように真似をして、ちゃっかりバレエを始めました。

それに加え、当時、ディズニープリンセスやキラキラしたものが大好きだったようで、クラスで着るレオタードや、舞台衣裳にも惹かれていたようです。

初めて舞台に立ち、幼いながらに照明に当たりながら踊ることが好きだと感じました。今でも母に「絢美は昔から照明が好きだったからね〜」とよく言われます。もちろん、照明の下で踊ることができる本番の舞台は、今も変わらずとても興奮します。

余談ですが、自分が踊ったNoism作品の照明で一番好きなのは『NINA―物質化する生け贄』の『hidden glass』というシーンの照明です。黒幕裏に待機し、音楽が鳴り、黒幕が上がった時に見えた真っ暗闇の客席、シンプル且つ力強く美しい照明、舞踊家たちのシルエットに、私はとてもゾクゾクし、高揚し、今までにないほど興奮したことを覚えています。

ダンスを始めた頃に話を戻しますが、中学3年生の頃、仙台に住んでいた私は、父の転勤で東京の高校へ進学することになりました。どの高校にするか探していた時、バレエではなくコンテンポラリーダンスを授業のカリキュラムに含んだ高校があることを知りました。

今思えば、普通科の高校へ行くか、舞踊専攻がある高校へ行くか悩み、後者を選んだ瞬間が、これから先の未来も舞踊家として踊っていきたいと覚悟を決めた時だったのだと思います。そしてその高校の先生との出会いをきっかけにNoismを知り、今へと繋がっていきます。

私の両親は、私がやりたいことをいつも応援してくれますが、それと同時に「自分の行動や、選んだ道、自分が決めたことにちゃんと最後まで責任を持ちなさい」と言います。自分が選んできたこと、これから選ぶことにしっかり向き合い、責任を持ち、これからも舞踊家として精進していきたいと思います。

(とばあやみ・1995年静岡県生まれ)

*2021年7月退団

「私がダンスを始めた頃」④  井本星那

初出:Noismサポーターズ会報34号(2018年7月)

実はかなり内気な性格です。幼い頃は、人見知りがひどくて、幼稚園でも友達と遊べず、先生のスカートをしっかりと握りしめているような甘えん坊で内向的な子供でした。

4歳の時に、母が健康のためにと通っていた近所のバレエ教室に通い始めました。
何度か誘われても「やらない」と言っていたはずの私は、踊ることの楽しさに少しずつ魅了されていきました。
バレエを始めてから、だいぶ積極的になって、お遊戯会の本番で他の園児に注意するほどでした…(汗)

音楽に合わせて身体を動かすのは大好きですが、私の身体はバレエ向きではありませんでした。
不器用で振り付けを覚えるのも遅く、何をするにもとにかく時間がかかりました。
「なんで私にはできないの?」と悔しくて泣くことも多かったです。

それでも続けることができたのは、バレエの先生のおかげです。
出来ないことは徹底的に、何度も何度もやらせてくれました。
そして「何もない分、武器をもて」と、回転系のテクニックを教わり身体の軸が強くなりました。

初舞台は『くるみ割り人形』のネズミ役でした。
お姉さんに手を引かれて、初めてでた舞台はまぶしくて、知らない世界が広がっていました。
舞台に立つ時、本番独特の緊張感や怖さが嫌いでした。
でもそれに克って、踊りだしたとき、舞台上にしかいないもう1人の自分がいるような不思議な感覚がありました。
舞台の上のもう1人の自分に会うために、これからも踊り続けていきたいです。

(いもとせな・1989年大阪府生まれ)

「私がダンスを始めた頃」③  チャン・シャンユー

初出:Noismサポーターズ会報32号(2017年12月)

幼少のころは虚弱体質で、すぐに風邪をひき、熱を出していたこともあって、12歳になってやっと母はダンス教室へ通わせることにしたようです。
小さい頃から他人(ひと)の真似をするのが好きだった僕は、少しずつダンスが好きになりました。

特に、モスクワ市立バレエの『白鳥の湖』を見てからはバレエの魅力に取りつかれました。DVDを買って、毎日夕食時に何度も繰り返して見て、週末には一日中ストレッチをしました。

ですが、当時、僕は台湾にもダンス専門の学校があることを知らず、学校の先生から「ダンスの学校に進学してみないか?」と言われたのをきっかけに、インターネットを利用して台湾各地のダンス学校の情報を調べ、試験の準備を始めました。 しかし母以外の家族はダンスの道に進むことに賛成してくれませんでした。 あらゆる意見や質問を受けました。

「ダンスはお金のある家の選択だ」 「ダンサーは社会にどのような貢献ができるのか」 「お前は勉強だってできるのに、なぜダンスなのか」 おじに至っては僕の太ももを掴んで、「こんなに痩せててダンスなんかできるのか」と言ったものです。

13歳の僕はあの手この手を使って自分の決意が固いことを伝えました。
「たとえ他の仕事に就いて成功したとして、僕は今日この時ダンスを選ばなかったことを後悔すると思う」
家族は、「じゃあダンスで失敗したとしたら後悔しないのか」と聞き返してきました。
僕はすこし黙ったあと、「後悔しない。だってこれは僕の選択だから」と答えました。
あの瞬間、僕は自分自身で言った言葉に驚いたのを覚えています。

このような、家族との葛藤は一年続き、僕は第一志望だった台北芸術大学に合格します。
当時の僕の成績は、さらに難しい高校に合格できるものでしたが、僕は受験申込書さえ家に持ち帰ることをしませんでした。
この他に思う存分ダンスができる選択はなかったのです。

今になってあの頃を振り返ってみると、ダンスに反対した家族に逆に感謝したいです。幼かった僕が、ダンサーとして一生を送る決心を揺るがないものにするきっかけを与えてくれたからです。
その後に味わった挫折のたびに、自分でくだしたダンスという選択を思い出し、自分の選択に責任を持たなければならないという思いを強くしたものです。

(1992 年台湾・苗栗縣生まれ)

*2019年7月退団


「私がダンスを始めた頃」②  浅海侑加

初出:Noismサポーターズ会報31号(2017年5月)

私が3歳の時、突然「バレエがしたい…」と母に言ったそうです。
バレエを観た事もなければ、周りに習っていた人もいなかったのに、「バレエ」なんてどこで知ったのだろうと・・・また、母は昔バレエを習うことができず、いつか娘に習わせたいと思っていたので、3歳の私が言った言葉にはとても驚いたそうです。

私は見学に連れて行ってもらい、お教室の隅で見学をしていたはずが、急に踊り出したそうです。 これなら習わせても大丈夫だと母は思い、教室に通う事になりました。

音楽が聞こえてくると、どこででも踊り、ふと我に返って恥ずかしくなって、顔を赤らめたり、デパートのBGMに合わせて階段を登ったりしていました。(今でもやっちゃう時があります)

国語の授業の音読や、人前に出て話をするだけで、心臓バクバクになる私が、舞台に上がって、違う自分になったかのように踊れることを不思議に思います。
そのマジックのようなものがあるから、私は、今でも踊り続けているのだと思います。

(あさうみゆか・1992 年愛媛県生まれ)

*2019年7月退団

*2020年9月よりNoism2リハーサル監督に就任

「私がダンスを始めた頃」①  池ヶ谷奏

初出:Noismサポーターズ会報28号(2016年1月) *一部修正

私が踊ることに夢中になったのは物心つく前なので覚えていません。

3歳の夏、数ヶ所の夏祭りに連れて行ってもらった私は、勝手に櫓(やぐら)の上に登って見よう見まねで踊っていたそうです。
夏が終わり、「もうお祭りないの?」とせがむ私を、母が近所のバレエ教室に連れて行ってくれました。
最初の日は見学だったのに、「なんで私は踊っちゃいけないの?」と機嫌が悪くなるほど。もう踊らずにはいられない性格だったようです。そうして最初に始めたのがクラシックバレエでした。

半年後に初舞台(発表会)に立つのですが、そこで初めてお化粧をしてもらった顔を見てウットリとしていたこと、そして何よりも舞台袖からキラキラした照明の舞台を眺め感動したことは鮮明に覚えています。
あの日、私はもう舞台に立つことの虜になってしまったのです。

もう1つのダンスとの出会いは7歳のとき。家の側にあるホールでコンテンポラリーダンスの舞台を観ました。
キラキラしたクラシックバレエの世界しか知らなかった私は、見たこともない面白い 動きをしたり、床に手をついたり、ただ歩いて手振りを繰り返す怪しげな人がいたりするその作品に、隣りで観ていた母と大興奮しました。
ダンスってこんな世界もあるのか! やってみたい! と。

その衝撃を抱えたまま月日は流れていきましたが、11歳のとき、通っていたバレエ教室の先生がコンテンポラリーダンスの先生をお呼びしてクラスをしてくださること になりました。
やっとあの世界の人に私も仲間入りできる!と、とても嬉しかったのを覚えています。
が、何より嬉しかったのは、私に衝撃を与えたあの作品の手振りの怪しげな人がクラスの先生だったのです。
あの作品を観たことは運命だったのだな、と勝手に思っています。

こうして私のダンス人生は始まり、まだまだその道を外れることは想像できません。

(いけがやかな・1989年神奈川県生まれ)

*2020年8月退団

新カテゴリー準備中♪(ご案内)

日頃より、当ブログをご訪問、ご愛顧いただいておりますことに改めて感謝いたします。
先のカテゴリー追加(2019/3)に加えまして、現在、更に新カテゴリーを準備中です。

新しいカテゴリーは「☆Noism RELAY ESSAY」。これまで紙媒体の「サポーターズ会報」にメンバーリレーエッセイとして連載し、ご好評を博してきました「私がダンスを始めた頃」を、ウェブに場所を移して順次掲載していこうと考えております。

で、この機会に、かつて紙面でご紹介したメンバーにつきましても改めてお読みいただけるよう準備しているところです。

ますます読み応えのあるブログを作って参りたいと思います。
ご期待ください♪
(shin)

新潟から届いた箱の中に入っていた心のときめき

Noism1:実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』を見る

山野博大(舞踊評論家)

 新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ専属舞踊団Noismが吉祥寺シアターで公演を行い、金森穣の新作、実験舞踊『R.O.O.M.』と『鏡の中の鏡』を上演した。舞台には長方形の巨大な箱が置かれていた。内部には、銀色の正方形のパネルが上から奥、そして両サイドまでぴたりと張り巡らされていて、客席側の紗幕(実際には紗幕は無いが)から、奥に広がる何もない空間が見えた。日本の能、歌舞伎、日本舞踊などの世界には、黒衣(くろこ)とか、後見(こうけん)と呼ばれる舞台で演技者を助ける役割の者が存在し、それを「見えないもの」とする約束事がある。それと同様に、そこに紗幕がなかったとしたら…。ダンサーたちは、完全に密閉された箱の中で踊り、それを見る人は誰もいないという状況が出現しているのではないか。金森穣は、そんな設定で実験舞踊を創ったのだという想いが頭をよぎった。

『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信

 突然、カミ手寄りの天井のパネルが開き、男性ダンサーの下半身が現れるという思いがけない成り行きで『R.O.O.M.』は始まった。男性5人が次々と落ちてきた。彼らは特に何かを表現するということもなく、ただただ力一杯に動き回った。次いでトゥシューズの女性ダンサー6人がやはり上部のパネルのあちこちに開いた穴から登場し、バレエのステップを粛々と展開した。井関佐和子のソロがあり、次いで、はじめに登場した男性5人のひとり、ジョフォア・ポプラヴスキーとのデュエットになった。デュエットでは男女のさまざまな心理的変化が描かれることが多いのだが、このふたりはむしろそれを排除して踊っているように見えた。さらに男女12人のダンスが続き、箱のそこここにぽっかりと開く穴からダンサーたちが忙しく出入りした。最高潮で暗転となり、全員が現れて前にずらりと横一列に並んだ。これはどう見てもカーテンコールの風景だ。ひとしきり動いて次々に退場。最後に井関が中央奥の穴から退いて作品は終った。劇場の黒い幕が降りて長方形の巨大な箱を隠すと、劇場空間の舞台と客席を分かつ基本構造のからくりが、精密に仕組まれたダンスの紡ぎ出す人間の感情を抑えた『R.O.O.M.』のドライな触感の余韻と共に、にわかに明らかになった。

 舞台と客席を幕で仕切った劇場という空間は、よく考えてみるとおかしな場所だと思う。舞台の上で繰り広げられる出来事とまったく関係のない人間がそこにつめかけ、一喜一憂するのだ。演出家をはじめとする多くの人たちが寄り集まって、客席との一線を意識させないようにいろいろと工夫を凝らし、観客の心を舞台の上で進行している出来事に取り込もうと手を尽くす。そのおかげで、観客は、普通ではなかなか体験できないような不思議な世界に遊ぶことができる。そんな劇場という空間の基本的な仕組みを、金森穣は観客に思い出させた。

 次の『鏡の中の鏡』の幕が開くと、金森が中央に座り、カミ手後方に等身大の鏡がはめこまれている空間が見えた。密封された箱の中という状況は同様だった。金森が力強く動いては、時おり鏡に自身のからだを写した。しばらくして、その鏡に井関佐和子の姿がダブって写った。鏡は半透明になっており、その背後のものに光をあてると、それが同時に写るように仕組まれている。暗転後、パ・ド・ドゥとなった。人間的な感情の交換がたっぷりとあり『R.O.O.M.』のデュエットとの対比は明らかだった。しばし踊った後、二人ははなれたところに座り、もう動こうとしなかった。金森がわずかに動いたところで暗くなり、そのまま『鏡の中の鏡』は終わった。

『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信
『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信
『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信

 新潟から届いた巨大な箱の中に入っていた、人間的な感情の交換を徹底的に排除した『R.O.O.M.』と情感たっぷりの『鏡の中の鏡』の対比が心に残った。金森穣が設定した外から見ることができないはずの空間での実験に立ち会った私は、劇場の持つ意味を改めて確認し、「見られないはずのものを見せてもらった」ひそかな心のときめきを覚えつつ劇場を後にした。

(2019年2月21日/吉祥寺シアター所見)

カテゴリーの追加について(ご案内)

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この度、ふたつのカテゴリーを追加いたしました。
①「*** from SUPPORTERS & READERS」:サポーターズ会員および読者の方々からのご感想を掲載して参ります。
②「SPECIAL FEATURES」:批評家・専門家の方々からのご寄稿等を「特別読み物」として掲載して参ります。
ますます読み応えのあるブログを作って参りたいと思います。
ご期待ください。
(shin)