初出:Noismサポーターズ会報32号(2017年12月)

幼少のころは虚弱体質で、すぐに風邪をひき、熱を出していたこともあって、12歳になってやっと母はダンス教室へ通わせることにしたようです。
小さい頃から他人(ひと)の真似をするのが好きだった僕は、少しずつダンスが好きになりました。
特に、モスクワ市立バレエの『白鳥の湖』を見てからはバレエの魅力に取りつかれました。DVDを買って、毎日夕食時に何度も繰り返して見て、週末には一日中ストレッチをしました。
ですが、当時、僕は台湾にもダンス専門の学校があることを知らず、学校の先生から「ダンスの学校に進学してみないか?」と言われたのをきっかけに、インターネットを利用して台湾各地のダンス学校の情報を調べ、試験の準備を始めました。 しかし母以外の家族はダンスの道に進むことに賛成してくれませんでした。 あらゆる意見や質問を受けました。
「ダンスはお金のある家の選択だ」 「ダンサーは社会にどのような貢献ができるのか」 「お前は勉強だってできるのに、なぜダンスなのか」 おじに至っては僕の太ももを掴んで、「こんなに痩せててダンスなんかできるのか」と言ったものです。
13歳の僕はあの手この手を使って自分の決意が固いことを伝えました。
「たとえ他の仕事に就いて成功したとして、僕は今日この時ダンスを選ばなかったことを後悔すると思う」
家族は、「じゃあダンスで失敗したとしたら後悔しないのか」と聞き返してきました。
僕はすこし黙ったあと、「後悔しない。だってこれは僕の選択だから」と答えました。
あの瞬間、僕は自分自身で言った言葉に驚いたのを覚えています。
このような、家族との葛藤は一年続き、僕は第一志望だった台北芸術大学に合格します。
当時の僕の成績は、さらに難しい高校に合格できるものでしたが、僕は受験申込書さえ家に持ち帰ることをしませんでした。
この他に思う存分ダンスができる選択はなかったのです。
今になってあの頃を振り返ってみると、ダンスに反対した家族に逆に感謝したいです。幼かった僕が、ダンサーとして一生を送る決心を揺るがないものにするきっかけを与えてくれたからです。
その後に味わった挫折のたびに、自分でくだしたダンスという選択を思い出し、自分の選択に責任を持たなければならないという思いを強くしたものです。
(1992 年台湾・苗栗縣生まれ)
*2019年7月退団
シャンユーさんがダンスを始めたのが「12歳」で、
もう翌年にはダンサーになろうと決心していたとは、
驚きです。
その決心のお陰で、男性なのにフェミニン、
そしてちっとも体重を感じさせない、軽くてキレのある踊りを
堪能できている訳です。
これからも応援しております。
(shin)
少年時のシャンユーさんが決断したダンスへの道。
熱い思いが伝わってきます!
(fullmoon)
皆さま
シャンユーさんのNoism1復帰が発表されましたね。(2020/8/26)
喜ばしい限りです。
こちらをご覧ください。
(shin)