「えっ!そんなことが!?」驚きと緊迫の「dancedition」連載「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」

漸く「ちいさい秋」の訪れも感じられるようになってきた2025年9月24日(水)、「間隔的に今日あたりの更新かな」と思っていたところ、案の定、ウェブ「dancediton」に「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」がアップされました。

今回は『Nameless Poison-黒衣の僧』(初演:2009年11月20日)から語られていきます。同作は新潟、静岡、愛知、東京、長野、そして露モスクワで上演。井関さんの回想は創作に悩んでいる金森さんの姿から始まります。本番2週間前になってもできあがっていなかったとは驚きの事実です。金森さんにして、ちょっと想像もつかないというか!そんな「ギリギリ」の様子には、読んでいてもハラハラさせられるものがありました。更に入団間もない中川賢さん急遽の出演に至る事情なども、さぞや大変だったのだろうし、ホント色々あったのだなと。

加えて、音楽の変更やiPadのハプニング、抽象と具象の混在振りなど、諸々過酷な「刹那」に向き合って成し遂げられた公演だったことが読めます。金森さんが師と仰ぐ鈴木忠志さんとの関係性が色濃くなってくる様子も。

次に語られたのはグランシップ開館10周年記念事業 オペラ『椿姫』(初演:2009年12月11日、@静岡)はその鈴木忠志さん演出作品に金森さんが振付で参加した作品です。本番の舞台とその後のことはまさに驚きでしたね。

そして劇的舞踊『ホフマン物語』(初演:2010年7月16日)が続きます。新潟と静岡での上演です。この作品のなかで、タイプの異なる3つのキャラクターを踊った井関さんは、「いつの間にか役に入ってしまう」とし、役になりきろうとすると、「既視感が出て本質的でなく、薄っぺらくなってしまう」と自らの感覚を表出されています。何とも深い内容ですね。

また、床に貼ったパンチカーペットなるものの特徴やら、どの劇場にもある平台と箱馬を使った舞台装置とそれを巡る裏話にも興味深いものがあります。

そして、この作品の静岡公演の前には、2011年3月11日に東日本大震災が起こっている訳で、大変困難な状況だったことは想像に難くありません。

事程左様に、「えっ!そんなことが!?」の連続に息を呑んで読んだ連載第8回。行間の随所に、生々しい緊迫感が溢れています。

その「dancedition」「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」はこちらからどうぞ。

Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8) – dancedition

次回はどんなことが語られるのか、興味は尽きません。それではまた。

(shin)

「「えっ!そんなことが!?」驚きと緊迫の「dancedition」連載「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」」への2件のフィードバック

  1. shinさま
    ご紹介ブログありがとうございました!
    ドキドキ、ハラハラの第8回。

    『Nameless Poison-黒衣の僧』、金森さんが創作に悩んでいたというのが驚きでした。
    チェーホフ「六号病棟」「黒衣の僧」を踏まえた、「ZONE」『psychic』から続くオリジナル作品。
    金森さんが悩むだけあって、観る方も悩ましく、半ば意味不明の凄い作品でした。
    暗く重く激しく迫り来る闇というか・・・
    誰の心の中にもいる黒衣の僧・・・

    鈴木忠志御大とロシア観客は絶賛で、日本人一般にはあまりウケない、とありますが、そんなことはありません。
    新潟では前半公演チケット完売で、追加公演の白鳥バージョンまで開催し、2009年から2010年に各地で計26回も上演しています。
    様々なキャラクターと、それぞれ面白い衣裳(中嶋佑一)も目を引きます。
    井関さんが宮河さんをおんぶして!歩く場面や、真下さんの笑い上戸にもビックリしました。
    ▼公式写真
    https://noism.jp/works/nameless-poison/

    「白鳥バージョン」は音楽が違うので、受ける印象が全く違いました。
    iPodと白鳥の両方、再演してほしいです。
    ★オマケ
    ●サポーターズ旧ブログ:『黒衣の僧』3月1日 新潟凱旋公演 初日!
    https://noism.exblog.jp/12986767/

    さて、次の『椿姫』もすごいですよ~♪
    このころからサポーターズでは(旧)ブログを開始していて、
    『椿姫』公開リハーサルの記事&お宝写真がアップされています!
    ●オペラ「椿姫」 学生&報道リハーサル公開
    https://noism.exblog.jp/12470422/

    本番は見ていません。間違ってしまったそうですが、大丈夫、金森さんしかわかりません♪

    そして劇的舞踊『ホフマン物語』!
    これも素晴らしかったですね~✨
    ▼公式写真
    https://noism.jp/works/%e5%8a%87%e7%9a%84%e8%88%9e%e8%b8%8a%e3%80%8e%e3%83%9b%e3%83%95%e3%83%9e%e3%83%b3%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%80%8f/

    3つの役について、井関さんの「いつの間にか役に入ってしまう」というのが凄いですね。
    確かに自然体というか、無理なくという感じでした。
    どの役も素敵でしたが、わたし的にはアントニアのせつない物語に
    キュンキュンでした~♡

    ●旧ブログ:「ホフマン物語」マスコミ公開リハーサル
    https://noism.exblog.jp/14154054/
    金森さん、若い!

    このころ、2008年10月、金森さん、第61回新潟日報文化賞受賞。
    2009年1月、Noism08、第8回朝日舞台芸術賞舞踊賞受賞。
    2009年2月、金森さん、第40回舞踊批評家協会賞受賞。
    2009年9月、研修生カンパニー Noism2 設立。メインカンパニーは Noism1 に名称変更。
    https://unofficial.noism.info/
    2009年9月、金森さんと井関さんによるダンスユニットunit-Cyan(ユニット-シアン)立ち上げ。
    『シアンの告白』9/5,6高知美術館公演、9/11-13 dancetoday2009
    さいたま公演出演。
    公私ともに大活躍ですね!

    次回も楽しみです♪
    (fullmoon)

    1. fullmoon さま
      実に内容の濃いコメント、感謝です。
      最初期からずっとNoismを見続けてこられたからこその深みに感銘を受けました。

      また、諸々のリンクも有難うございます。
      サポーターズがこれまで積み重ねてきた「歴史」を目の当たりにして、改めてその厚みに驚くとともに圧倒されました。

      皆さま、私もその「歴史」に列なるべく、当時の「サポーターズ会報」に掲載して頂いた拙稿をこちらに再掲させて頂きます。
      今回のものは、初めてNoismについて書いた文章で、劇的舞踊『ホフマン物語』を観ての感想です。
      少し長くなりますし、今となっては、気恥ずかしさも否めないものではありますが、よろしければお読みください。

      *****
      「贅沢な夢の時間 ーーー Noism劇的舞踊『ホフマン物語』(2010/07/18)」
      (初出:「Noismサポーターズ会報」017号(2010年11月5日))

       明らかに予習が不足していた。E.T.A.ホフマンやオッフェンバックについての予備知識もなかった。オペラの存在も意識的に遠ざけていた。そして楽日に一回限りの鑑賞に臨む。スクリーンを使った魅力的な冒頭から、凝視するより他にない時間が流れ、幕が下りた。もし、予めもう少し何かを頭に詰め込んでこの「劇的舞踊」を観たのならば、言葉に集約されるかたちで何かをまとめ得たかもしれない。または、そうでもなかったかもしれない。今、敢えて心にあるものを言い表そうとするならば、消尽されてしまったはずなのに、何故か引っかかりのある時間、ということにでもなろうか。同時にそれは約束されていない次回を渇望する思いでもある。再び翻弄されたいとしか言えない。そう、この上なく贅沢に翻弄された時間であった。
       理性や理解、理屈が追いつけないような時間。いや、速度ではないのだから、正確には、それらをすり抜け、かいくぐるような時間、と言うべきか。あるときは奔放に、またあるときはメカニカルに躍動する肉体を前に、要約などできはしまいし、すべきでないとも思えてしまった。ただ凝視するのみ。それ故、Noism『ホフマン物語』は、明確に言葉で表せるものとしてではなく、不定型な何物かとして棲みついてしまっているのである。ある種の気体や霧のような覚束なさをもつ、しかし、それ故に多義的で、ある種官能的な不定形さ。ダンスが何かを表していたとして、この場合、原作が存在するので、それはその物語ということになろうが、表された何かによってダンスそのものが集約されてしまうことはあり得ないことだろう。ダンスは手段ではなく、それ自体で完結されているべき何物かなのである。敢えて言えば、時間のように逆戻りが許されない一回性。決して全体のなかに回収されてしまうことのない確かな躍動。部分や細部の突出。そしてそれをまとめ上げようとする金森穣の構築への意志とのせめぎ合い。過ぎ去っていくしかないとしても、決して平滑に流れていくようなものではない時間。全ての要約は拒まれる他にないのである。
       平滑ではないもの。そう、襞のイメージ。光る子供ニクラウスや羊のアマデウスが纏っていたような襞状の時間。中嶋佑一の衣装が、トン・タッ・アンの音楽が平滑ではない襞状の手触りを持っていなかったか。たとえ、『ホフマン物語』という全体との関係のなかにあっては一部分に見えても、それ自身に光を当てて見ようとすると、なかなか容易に把握できない性質をもつ部分たち。過ぎ去ってしまったものの、その平滑ではないという性質の故に、今なお多義的であるもの、それがこの度のNoism『ホフマン物語』には満ちていると言おう。翻弄はその多義性に由来する極めてまっとうな反応に過ぎない。「例えば、毎年クリスマスの時期にでも定期公演できたなら、」夢のような言葉を金森穣の口から聞くとき、劇中の印象的な舞踏会の場面(トン・タッ・アンの音楽が際立つ、メカニカルな群舞の比類ない美しさ!)とも呼び交わして最高の時間になることは間違いないと断言できる。未だ約束されていない次回への渇望を募らせながら、Noism『ホフマン物語』は、幕が下りてしまってもなお、なかなか醒めようとしない贅沢な夢の時間であり続けている。 (2010/10/05)
      *****

      駄文を最後までお読み頂き、有難うございました。
      (shin)

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