2025年9月15日(月・祝)、前日開幕した「サラダ音楽祭」2日間の2日目、池袋の東京芸術劇場に出掛けて来ました。この日はまず、13時にプレイハウスにて、Noism2による「親子で楽しむダンス バレエ音楽《火の鳥》 Noism2メンバーによるダンス公演&ワークショップ」、そして15時からはコンサートホールでの「音楽祭メインコンサート《Boléro》」において、Noism1の『Fratres』、そしてNoism0+Noism1『ボレロ』が観られるとあっては駆けつけない理由を見つけるのが困難なスケジュールが組まれていたのでした。







まだまだ蒸し暑さが去らないなかでしたが、JR池袋駅から地下通路を使って劇場に向かいますと、不快感はありません。胸が高鳴るのみで、ややもすると足早にさえなりそうでした。
エスカレーターで2階のプレイハウスへ進みます。入場時に渡された二つ折りカラー・リーフレット(デザイン:ツムジグラフィカ・高橋トオルさん)の素晴らしい出来栄えにワクワクしなかった人はいない筈です。名作『火の鳥』、満を持しての東京上演です。




この『火の鳥』の上演&ワークショップは前日の音楽祭初日から既に好評を博していた様子(当然!)ですが、私は各種SNSをほぼ全てシャットアウトしてこの日に臨みました。東京の(家族連れの)観客、一人ひとりの心に刺さる様子を臨場感をもって感じたかったからです。そしてNoism2メンバーの熱演もあり、その通りの「帰結」を迎えたことに心のなかで快哉を叫びました。
金森さんから若者に向けた「贈り物」という性格を有する名作『火の鳥』は、「0歳から入場OK!」と謳われたこの音楽祭での上演にあたり、衣裳、照明など様々な刷新が図られ、より広範な観客を惹き付けるものとなった感があります。特に作品のラストの改変!それはあの二つ折りカラー刷りリーフレットの表紙、容易に切り取れる「白いマスク」によって、誰もが「火の鳥」になった気分を味わえる工夫と相通ずるものと言えるでしょう。この度刷新された『火の鳥』、今後ご覧になる機会もあるだろうことに鑑みて、ここではラストの改変の詳細は伏せておくことと致します。そのときまでお楽しみに。
その後は、「スチール撮影可」のレクチャーとワークショップが続きました。時間にして約30分間、進行は山田勇気さんと浅海侑加さんです。客席から選ばれたお子さんが舞台にあがって、作中の「少年」が持ち上げられる場面を体験する機会なども用意されているなど、満足度の高い好企画だったと思います。自分もひとりの親たる身として、我が子が小さかった頃のことなど思い出したりしながら、微笑ましいひとときを過ごしました。
































次いで、15時からの「メインコンサート」です。コンサートホールは3階席まで満員。


当然のことながら、都響(東京都交響楽団)の演奏は素晴らしく、20分間の休憩を挟んだ約2時間、それだけでもホントに贅沢な気持ちになりました。休憩前にはモーツァルトを2曲(『魔笛』序曲と《戴冠式ミサ》)、典雅だったり、厳かだったり、その流麗な心地よさときたら、もうハンパないレベルだったかと。


そして、休憩が終わると、いよいよNoismの登場となります。ペルトの音楽に合わせて踊られる『Fratres』、(彩り豊かで活気溢れるファリャ『三角帽子』を挟んで、)更にラストにはラヴェルの『ボレロ』が待っています。
『Fratres』は、先日の公開リハーサルで、金森さんが繰り返し口にされていた「手の舞」という視点から見詰めました。「う~む、なるほど」と。しかし、これまで幾度も観てきていて、「あ?ん?え?」となった見慣れない振付にも出くわします。終演後に偶然お会いして少しお話しをする機会を得た糸川さんから、それは「利賀村ヴァージョン」(『マレビトの歌』中の『Fratres』)と教えて頂き、既にして「古典」の趣すらあるこの作品も刷新が続いていることを知る機会となりました。
ラストの『ボレロ』。もう圧巻の一言でしかありません。赤い衣裳の井関さん、黒からベージュのNoism1の8人、全員が客席を圧倒し尽くしました。舞踊家にあって、「メディア」としての自らの身体を両の掌で確かめながら、ラヴェルによるリフレインの高揚をそこを通過させ、可視化して周囲に放っていくひとりと8人。
この日、都響が奏でたのは、ともすれば走りがちになりそうなところ、終始、それを抑制しつつ進んでいく泰然たる『ボレロ』であり、過度の興奮を煽ることをしない、ある種禁欲的な姿勢で向き合われたその音楽は、零れるようにニュアンス豊かなものとして耳に届き、その豊かさな響きに同調する舞踊家の9つの身体により、一瞬一瞬、味わい深い厚みが加えられ、見詰める目に映じることとなりました。かようにためてためて「走らない」『ボレロ』、これも糸川さんに伺ったところ、都響とのリハーサルを通してこの間変わらないことだったのだそうです。都度書き換えられていく『ボレロ』の記憶!都響とNoismによる一期一会のもの凄い実演を目の当たりにし、『ボレロ』のまた違った一面に触れた気がして、もう興奮はMAX。繰り返されたカーテンコールに、スタンディングオベーションをしながら、「ブラボー!」と叫ばずにはいられませんでした。

感動を胸に東京芸術劇場を後にしましたが、酩酊は今も…。
(shin)
本コメント欄にて、上のブログ記事に書かないでしまった事柄をひとつ書き残しておこうと思います。
この日、通常の公演とは異なる文脈でNoism2『火の鳥』を見詰めていた際に感じたことです。
平尾玲さんの「火の鳥」、高田季歩さんの「少年」、それがどちらも渾身の熱演でありながら、対称的に映ることとも関係があります。
言い換えるならば、「火の鳥」の特別感や霊性はどこに宿るのか、そんなことをつらつら考えながら舞台に視線を注いでいたこの日、思いついたことがあります。
勿論、「火の鳥」の特別感や霊性が由来するのは、あの「白いマスク」による力が大きいことは言うまでもありません。それは、同じく特権的な「赤い衣裳」以上に。
「火の鳥」は必要最小限の(いずれもほんの断片的な)いくつかの瞬間を除いて、その「白いマスク」を終始、客席に向けつつ踊られていきます。このことは劇場における暗黙の了解事項であるところの、舞台の「正面性」という「非日常」をひとり体現する存在とみることが出来るのです。
更に「マスク」ですから、そもそも表情は変わりようもありません。しかし、ほぼ正面に向けられたあの「白いマスク」が雄弁に物語を語ってしまうのです。それもまたひとつの「非日常」でしょう。そこで私の脳裏に浮かんできたのは、映画編集のモンタージュ技法として知られる「クレショフ効果」でした。それはそれに先行する場面との連続性のなかにおいて、観客は直後に示される「無表情」に、合理的な繋がりに基づく「表情」を読み取ってしまうことになる現象を指すものです。ヒッチコックの名作『裏窓』において、偶然、惨劇を目撃することになるジェームズ・ステュアートの「能面」がのっぴきならぬ「ヤバさ」を帯びて映じるカットを思い浮かべるとよいでしょう。(『裏窓』、ご覧になられたことのない向きには一見をお勧めします。)
私がこの日の「プレイハウス」から受け取った「火の鳥」が醸す特別感や霊性、その背後に感じたものをご紹介させて頂きました。ここまでお読み頂き、感謝いたします。
(shin)
shinさま
サラダ音楽祭ブログ本文&コメント、ありがとうございました!
『火の鳥』+ワークショップもメインコンサートも素晴らしかったですね!!
『火の鳥』は1日目も行きました。Noism1メンバーやNoism卒業生たちも観に来ていました♪
2日目はりゅーとぴあ支配人、デザイナーの高橋トオルさんご一家も♪
作品ラスト、「誰もが火の鳥になれる」という金森さんからのメッセージを強く感じました。
ワークショップでも「皆さんも、誰かに希望を与える、火の鳥のような人になってくださいね」という山田さんの言葉が沁みました。
Noism2の熱演に拍手です!
そして『Fratres』。
メンバーが登場しただけで場の雰囲気が変わりましたね。
静謐でありながら情熱的で、魅入られました。
あの拍子木のような音の楽器はクラベスというのですね。
以前は足音があったこともありますが、今回は足音は全く無く、クラベスの音が響き渡りました。
神聖で高潔な舞と演奏でした。
次の、ファリャ『三角帽子』は、「これでもか!」という都響の渾身が、
『Fratres』の緊張感を取り払い『ボレロ』へと続きました。
『ボレロ』はもう~~~
前回も凄かったですが、今回もますます凄い!
余裕というか、ゆとりというか、笑顔というか、shinさんが書かれたように
「一瞬一瞬、味わい深い厚みが加えられ」ていて、井関さんはもちろん、一人ひとりが輝いていました✨
圧倒的でした!!
『アルルの女』と『ボレロ』は記憶に新しいですが、この『Fratres』と『ボレロ』の組み合わせもバッチリですね!
来年のサラダ音楽祭もコレでいきましょう♪
そして、コメントの「クレショフ効果」のご説明、ありがとうございました。
それこそ「能面」にも繋がるものでもあり、そういう心理現象に名前があるとは知りませんでした。
さすがshinさんですね♪
さて、春の黒部めまい、そしてアルル・ボレロ、利賀マレビト、サラダと続いてきたNoismの長い夏。
次は秋のスロベニアです。私は行けませんが、メンバーには楽しんできてほしいですね♪
毎回ブラボーな公演をどうもありがとう!
皆様おつかれさまでした!
(fullmoon)
fullmoon さま
コメント有難うございました。
「サラダ音楽祭」、ホントに贅沢な時間でしたね。
生『Fratres』での楽器「クラベス」。見逃しました(涙)。そっちまで目がいかず、残念。確かめたかったなと。
そんな私の印象に強く残ったのは、ダイナミックレンジの広さがCDなどでは到底再現することなど出来ないと思わせられた、あのファリャ『三角帽子』のあと、次の『ボレロ』を前に、更に楽団員が加わってより大編成になったこと。
そして、Noismの9人が登場して、井関さんを中心に位置につくと、都響コンサートマスターの矢部達哉さんをはじめとするヴァイオリン奏者たちが、その弓を足許に置いた場面です。『ボレロ』だから「そうなんだよな」と。
でも、こちらでもまた、その後、彼らがその弓を拾い上げるところは見逃していたことに気付きましたが(汗)。それも仕方ないですよね。目はNoismに釘付けにされていきましたから。
『Fratres』と『ボレロ』、(或いは『Fratres』からの『ボレロ』、)ホントに良い組み合わせでしたね。
先般の『アルルの女』と/からの『ボレロ』は、死と生とが表裏一体であることを基に、遂には生への解放へと至る、その高揚感を謳いあげ、有り余るほどの感動をもたらしてくれました。
一方、この度の『Fratres』と/からの『ボレロ』は、ある種「密教」じみた雰囲気が漂うなか、舞踊に献身する集団がやがて「メディア」としての強靭な身体を獲得し、人であることを超え出て、音楽と舞踊そのものへのメタモルフォーゼを果たし、見詰める私たちも「非日常」の何かが可視化されていくその様子をつぶさに目撃するうちに、いつしか劇場内を満たしていた、心を滾らせる、震えるような時間のただ中、興奮が止まらない我が身に気付く、そんな稀有な体験となりました。大袈裟でも何でもなしに。また、金森さん言うところの「ミラーニュートン」のなせる業っていう部分も大きいですよね、きっと、それ。
fullmoonさんのコメントに触発されて、そのあたりをそうして文字にすることが出来たことを今、嬉しく思っています。
『Fratres』からの『ボレロ』、また(何度でも)観たい気持ちです、ハイ♪
(shin)