秋の鳥取・BeSeTo演劇祭/鳥の演劇祭の『Mirroring Memories』(2019 ver.)初日

2019年11月9日(土)の鳥取県は鹿野町・旧小鷲河小学校体育館。鳥取市から鳥取自動車道道を使っておよそ30分。例年ならこの時期、鮮やかな紅葉に囲まれているのだろう山あいの水辺。はるばる新潟から訪れて、観てきました『Mirroring Memories ––それは尊き光のごとく』(2019 ver.)、第26回BeSeTo演劇祭/第12回鳥の演劇祭での初日公演。

個人的には、さして旅好きという訳でもないので、Noismを観ていなかったら、恐らく生涯、足を運ぶこともなかっただろう地、鳥取。更に今年9月に富山県の利賀村に一念発起してシアター・オリンピックスを観に行く選択をしていなかったら、縁遠いままであっただろう地、鳥取。それが、「行ってみるのも面白いじゃない」と考えてしまえるようになり、公演前日の早朝、車で新潟を発ち、約10時間のドライヴで鳥取入りをするなど、以前の私からは考えられないことでした。鳥取に着いてみると晴天で、まだ日も高かったので、小学校の教科書で見た知識の持ち合わせしかなかった鳥取砂丘を訪れ、雲ひとつない青空の下、一足毎、靴が砂に埋まるさえ厭わず、敢えて急峻な斜面を選び、無駄にダッシュで上り下りして、足は上がらないは、息は切れるは、思う存分に「砂丘」を体感する機会を得たのでした。長々と余談でした。スミマセン。

そして迎えた鳥取公演初日、天気予報では下り坂の雨予報。それも公演時間帯あたりが「雨」とのこと。天気を心配しながら、お昼時分に鹿野町に移動してみると、やはり、少しして天気雨に。やがてやや大粒の降りに変わりましたが、さして長く、さしてたくさん降ることもなく上がり、気温が一気に下がることもないまま夕刻を迎えられたのはラッキーでした。

開場直前の様子

午後4時過ぎ、今回の会場となる、かつての小学校体育館脇で料金2500円を払って受付。同じく新潟から駆け付けた顔や、Noismを介して知り合った遠方の友人の顔。そして旧メンバーの浅海さんとご家族。途端にアウェイ感が薄らぐとともに、「いよいよだな」という気分になってきます。

午後5時を告げるサイレンと音楽が山々に谺し、程なくスタッフの指示で入場。正面奥にミラー。その手前、床に敷かれたリノリウムが一番低く、それを階段状に設えられた仮設の客席から見る按配です。満員の客席。私たち知人グループは運良く揃って最前列に腰掛けることが出来ました。そちら、背もたれがないのはいつものこと。演者を間近から見上げることになる席です。そして体育館の床ですから、ただの板張りとは異なります。床下はスプリング構造になっているため、演者が起こした振動が足裏から直に伝わり、こちらの体も共振するような感覚を覚えました。

私をして鳥取まで足を運ばせたもの、それは、2日間限りのキャストを観たいがため。浅海さん、中川さん、シャンユーさん、西岡さんがいなくなり、メンバーが変わって、どんなキャストで、どんな肌合いに仕上がっているのか見逃せないという気持ちからでした。

〈キャストその1〉
〈キャストその2〉

まず、「彼と彼女」、人形(彼女)は西澤真耶さん。白塗りの顔は可愛らしい西洋のお人形さんそのもの、ぴったりの配役に映りました。黒衣のひとりには初登場のスティーヴン・クィルダンさん。彼は続けて、「病んだ医者と貞操な娼婦」と、更に「生贄」「群れ」でも黒衣で踊り、「拭えぬ原罪」からの『Schmerzen(痛み)』において仮面を外して初めて顔認識に至ったのですが、異国の地でのカンパニーに充分溶け込み、違和感はありませんでした。

浅海さん役を引き継ぐのはやはり鳥羽絢美さんです。「アントニアの病」「シーン9–家族」、そしてラストの少女役、どれも彼女らしい弾むようなリズム感を堪能しました。

西岡さんが演じた「Contrapunctus–対位法」を踊ったのは井本星那さん。かつて少年らしく映っていた役どころでしたが、井本さんの持ち味から、女性らしさが拡がっていたように思いました。

中川さんの後を継ぐのは誰か、それが今回の一番の関心事だったと言えます。まずは、「シーン9–家族」の「P」役はNoism2の坪田光さん。当初キャスティングされていたメンバー(タイロンさん)が怪我のため、急遽、抜擢されてのデビュー、頑張っていたと思います。

そして、「ミランの幻影」におけるバートル。中川さんからシャンユーさんへ渡されたバトンを今回託されたのは、チャーリー・リャンさん。共通するのはどこかフェミニンな雰囲気を滲ませる存在感でしょうか。井関さんとの切なく華麗なデュエットですから緊張感も半端なかったでしょうが、若々しいバートルを見せてくれました。

その他、キャストに異同のない部分はどっしり安定のパフォーマンスを楽しみましたし、何度も繰り返し観てきた演目でしたが、このキャストを見詰めるなかで、部分部分に様々な感じ方が生じてくることに面白さを感じる1時間強でした。

終演。緞帳はありません。顕わしになったままのミラーを背に全員が並ぶと、会場から大きな拍手が送られ、2度の「カーテンコール」。山陰のNoismにお客さんはみんな大満足だったようです。

その後、BeSeTo演劇祭日本委員会代表/鳥の劇場芸術監督の中島諒人さんと、簡単に汗仕舞いをしたばかりの金森さんによる短めのアフタートークがあり、中島さんの質問に金森さんが答えるかたちで進められました。

質問はまず、上演作の経緯から始まり、恩師ベジャールとの関係などが紹介されていきました。そのなかで、中島さんがタイトルの日本語訳はどうなるか訊ねると、金森さんは構成のプロセスとも重なるとしながら、「乱反射する記憶」と訳出してくれました。

「劇場専属舞踊団」を糸口にしたやりとりの過程で、金森さんはNoismを「プライベートなカンパニーではない」とし、金森さんに依存せず、次代に引き継ぐ長期的なヴィジョンを口にされ、「新しいかたち、どういったかたちで持続可能なのか、我々に課せられた課題である」と語りました。

場内が笑いとともに沸き立ったのは、話がNoism存続問題に及び、市民への還元が課題とされる状況に関して、中島さんが敢えて「不本意?」と本音に切り込んだ時でした。一切動ぜぬ金森さんはすかさず「それは日本のなかで専属舞踊団を抱えることの現実であり、後世に残るモデルケースを築いていくべく3年間頑張る」と、ここでも新生Noismを感じさせる前向きな姿勢で後ろ向きな心配をシャットアウトした際の清々しさと言ったらありませんでした。その返答を聞いた中島さんも「コミュニティと関わる面白くてクリエイティヴな還元方法を発明すること。アーティストとして見つけることもある」と即座に同じ方向に目をやって応じ、トークは閉じられていきました。

会場から外に出ても、闇が迫る旧校庭にはたちずさむ人たちの多いこと。山陰のNoismが多くの人を魅了したことは言うまでもありません。その場に居合わせることが出来て嬉しく思いました。

(shin)

舞台と客席に幸福な一体感、15周年記念公演・新潟楽日♪

2019年7月21日(日)の新潟市は、3日間の15周年記念公演期間中、唯一「晴れ」と呼んでよい一日。少し動くだけで汗ばむ気温の中、自動ドアを通って、りゅーとぴあに入ったとき、エアコンが利いた館内の涼しさに救われた気がしたのは私一人ではなかった筈です。

活動期間についての結論が出ていないなか、新潟公演の楽日の舞台を観ようと集まってきた人たちは、胸中、それぞれに何とかして表出したい強い思いを抱えているようでした。ですから、開演前のホワイエは華やぎに混じって、何か大事なものに向き合う前の決然たる空気感があるようにも感じられました。

それが錯覚でなかったことは程なく示されることになります。最初の演目『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』が金森さんのソロから始まりました。冒頭すぐのことです。「ブチッ」、音が一瞬飛ぶ小さなアクシデントがあり、客席もハラハラ。しかし、当の金森さんが心を込めて踊りあげていくので、観る側も案じる気持ちを傍らに、固唾をのんで見詰めることができたのでした。金森さんの放つ気が客席に及び、観客も舞台と一体化していきます。その結果、金森さんのソロが終わったその瞬間、期せずして拍手と「ブラボー!」の掛け声が起きたのです。おとなしい反応で知られる新潟の客席では実に珍しいことだったと言えるでしょう。

その後、観客側から舞台上の演者に届けたい思いは、シーンが終わるたびに拍手のかたちをとって劇場内に木霊することとなったのでした。その場にいて、周囲と一緒に拍手していると、目頭が熱くなってくるのがわかりました。一体感が高まっていく劇場の、それはそれは感動的なこと!その場に居合わせたことで、多幸感に浸ることができました。

私たちの大切なNoism。カーテンコールのない『Mirroring …』のあとに、そしてカーテンコールが繰り返された『Fratres I』のあとにも勿論、大きな拍手と「ブラボー!」の掛け声が響いたことは言うに及ばないでしょう。

幸福感が極まるカーテンコールの最終盤、横一列に並んだ舞踊家たち。つつっとその中央位置を離れた金森さん、舞台下手袖に移動すると、今季末にNoismを離れるふたりの舞踊家に贈るためのふたつの花束を抱えて戻ります。オレンジ系の花束はシャンユーさんに、次いで、赤系の花束は浅海さんに手渡されました。渡すたびに、愛情と労いを込めたハグが添えられたのですが、身長差のある浅海さんに対しては、中腰になってハグしようとする金森さんのユーモラスな姿に、会場からは温かみのある笑みが零れ、幾分か寂しさが中和されるように感じました。まったく素敵な光景だったと思います。

更に、カーテンコールの一番最後には、舞台上の金森さんからスタッフに対して、そして、客席に向けて拍手をする仕草が出ると、それが横一列に並んだ舞踊家全員に拡がり、つまりは、場内にいた全ての者が拍手に参加するかたちになることで、幸福な一体感も最高潮に達し、新潟の楽日は締め括られていきました。笑顔の舞踊家、笑顔の観客…。

その後、暫くして、おりていた緞帳が再びあがると、すっかり後片付けが済んだ舞台上、金森さんによるアフタートークです。いつにも増して多くの質問シートが寄せられ、それらに答えるかたちで進められていきました。以下に、金森さんが話された内容を少しご紹介いたします。(公演内容に深く関係あるものに関しては、東京公演が控えている事情から、ここでは触れずにおきます。)

  • 『Fratres I』に関して、こんなに集中を要する10分ってあるのだろうかと感じる。
  • 使用楽曲中、歌詞のあるものについては、その意味から振付を行っている部分もあるので、この後、NoismのHPにアップすることにしたい。
  • 黒衣を用いたきっかけ: 日本に帰国後、文楽を観て、いるけれど、いない、或いは、いないものとして享受する奥深さに衝撃を受け、その豊かさに惹かれて、『Nameless Hands』にて初めて登場させた。人生の節目節目で、何かしらの力を感じて生きてきたこととも無関係ではないと思う。
  • アフタートークについて: 欧米でもカンパニーや劇場によって有無の別がある。(NDTはなし。リヨン・オペラ座はプレ・トーク形式。)自分としては、生の質問を聞きたいという思いがあるほか、舞踊家がどのように過ごしているのか知ってもらうことで、劇場文化を共有したいという思いから行ってきた。これからも新潟ではやっていきたい。
  • 発想のタイミング: 何でもないときに思いつく場合も多いが、それは常に考えているから。今回も、お風呂に入っているときに着想を得た。
  • 踊りが持つ力: 非言語的表現。空間のなかに人がいて、明かりが当たり、音楽が流れると、何も言わずして、それだけで豊饒な奥深さを表現し得る。言語化も数値化もできないものを表現する力が踊りにはある。
  • 長い作品と短い作品について: 長い作品は緊張感の持続が緩む瞬間があり、どう緩ませて、どう引き締めるか。短い作品はクレッシェンドでいけてしまうところがある。長短、どちらも好きである。
  • 『Fratres I』に関して、祈りについて: いつ頃からかわからないが、朝、稽古場に行き、自分の身体に耳を澄ましてみる行為が祈りに通じてきた。精神的、超越的なものへの献身。身を賭して、毎日、祈っている。
  • Noismが目指すもの: 舞踊の歴史を再学習し、身体に落とし込み、お客さんに対する問題提起として届けていくなか、ジャンル分けが無効となるような、「何かNoismなんだよね」としか言えないものを目指している。
  • 世界と地元(新潟): 誤解を恐れずに言うならば、芸術家としては、常に世界の中にいたい。新潟にいたことで、自分の作風がどうなったかという分析はしていないが、幸い、ふたつの目があるので、左右の目で世界と地元を見ていきたい。
  • 伝え聞く恩師(モーリス・ベジャール)の遺言、「過去を振り返ってはならない。前に進むんだ」の通り、小さなことであっても、常になにか新しいことをしていきたい。
  • 「Noismを支援したい」と、その方途を訊ねる声に答えて、金森さん、「客席を埋めてくれること、そしてお金の話になって恐縮だが、活動支援会員になってくれることがある。でも、一番はやはり、こうして観に来てくれること。周りの人を騙してでも連れて来てください」と笑いを誘うことも忘れませんでした。
  • 身体と向き合い、今、できることを続けていくことで、祈ることしかできない。これからも見続けてください。等々…。

今週金曜日からの3日間(7/26金、27土、28日)は、めぐろパーシモンホール・大ホールでの東京公演が控えています。身体に加えて、音楽、照明、衣裳、演出その他、混然一体となって観る者の心に食い込むのは、新潟も東京も変わらないことでしょう。お待たせしました。目黒でご覧になられる方、どうぞ目一杯ご期待ください♪

(shin)

漸く来た!Noism、2020年8月まで活動期間更新の報せ♪

Noismを愛する皆さま。既にご存じかとは存じますが、
本日(2019/3/6)、Noism活動期間更新の悦ばしき報せが入りました。
2020年8月までとのこと。
従来の「3年単位」ではありませんが、先ずは一安心といったところですね。

しかし、あくまでもこれは「暫定措置」とみるべきで、
中原市長の市政においても、
Noismがこれまでと同様にしっかり新潟市に根を張った活動を展開していくためには、
やはり「3年単位」の更新を勝ち取っていかなければならないとの考えに変わりはありません。

で、2020年8月以降の活動につきましては、
これまで1年前に決定されるのが常だったことを考え併せますと、
今年の8月~9月くらいに方針が出されるものと考えられます。
今から約半年後となります。まさしくここが正念場な訳です。

幸い、先頃の実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』で
初めてNoismをご覧になった市長はかなり好印象を持たれた、
という話も伝わってきております。
そうした追い風も大事にしながら、
Noismの安定した活動を手にしてするべく、
サポーターズ一丸となって応援していかなければなりません。

また、先日の特別アフタートークの席上、
会場から「Noismのために何をしたら良いですか?」と問われて、
金森さん、即座に「友人、知人、見知らぬ人を劇場に連れてきて下さい」との答え。
何を措いても基本はまずそこなのでしょう。
皆さまからの益々のご協力、ご支援をお願いする次第です。
この機に、追い風に乗って、
明日に向かって滑空していかなければなりませんね。
どうぞ宜しくお願い致します。
(shin)

名作『R.O.O.M.』/『鏡~』を反芻する「桃の節句」、特別アフタートーク特集

2019年3月3日(日)16:30のスタジオB。先週その幕を下ろした「名作」実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』に纏わるディープな話に耳を傾けんと、大勢の方が詰めかけ、スタッフは大急ぎで椅子を増やして対応していました。関心の高さが窺えるというものです。そして私たちの向かい側、私たちが見詰める先には「桃の節句」らしい雛壇こそありませんでしたが、並べられた人数分の椅子に、つい先日までとは打って変わってリラックスした表情の13人の舞踊家が腰掛け、この日の特別アフタートークは始まりました。
ここではその一部始終をお伝えすることなど到底できませんが、なんとか頑張って、少しでも多くご報告したいと思います。

勢揃いした13名。左から順に、西澤真耶さん、西岡ひなのさん、カイ・トミオカさん、チャン・シャンユーさん、チャーリー・リャンさん、池ヶ谷奏さん、金森さん(中央)、井関さん、浅海侑加さん、ジョフォア・ポプラヴスキーさん、林田海里さん、井本星那さん、そして一番右に鳥羽絢美さん。お内裏さまが居並ぶような華やかさがありました。

併せまして、noiさんがtwitterにおける今回公演に関するツイートのまとめを二度に渡って行ってくれていますので、そちら(togetter)も参考にされてください。
 ☆新潟公演時点でのまとめ 
 ★東京公演のまとめ

先ずは『R.O.O.M.』、天井のアイディアのきっかけ
NHKのドキュメンタリー番組でシャーレを観察する様子を見て、感銘を受けて、「上からかぁ。スタジオBならできるかなぁ」と金森さん。
そこからは、柱もないこともあり、荷重を巡って、「一度にあがるのは3人くらいがせいぜい」と言う舞台監督と、「12人」と言う金森さんのやりとりが始まっていったのだと。
天井高については、井関さんの逆さ天井歩きから自ずと導き出された高さであるとのこと。

「プロジェクションマッピング」に関して
チャーリーさんの腹部と背中のそれに関しては最初から用意していたものを途中から使った。
一方、井関さんの方は、ソロのバックに何かが足りない、映像であることの必然性が足りないと感じて、撮影して追加したもの。お陰で、「過ぎた時間と対話して踊る」印象になった。(別の機会に、井関さんから、井関さんが増えて見えるそのシーンが『おそ松くん』と呼ばれている旨伺っていたこともここに書き添えておきます。)
また、投影方法に関しては、新潟は上から、東京は下からと異なった。(東京では井関さんから「眩しい」と文句を言われたとか…。)

ポワントについて
金森さん「ポワントなしだと何かが足りない。数センチ足したら、これでいい、と。今後も使うつもりはある」
池ヶ谷さん「目線が高くなり、床面との距離感が変わって最初は怖かったし、筋肉痛もあったが、履くことで出る新しい動きを楽しみながら履くようにしていた」
浅海さんも同様で、「ポワントでしか出来ない動きがあり、新しい発見があって面白かった」
井本さん鳥羽さんは「ポワント履いて普段やる動きではないので、思わぬところが破けたり、消耗が早かったりした」
西岡さんの「大胆な動きが多かったので、『ポワント、可笑しいだろ』と思った」には会場中が大爆笑。
西澤さん「なかなか昔の感覚が戻ってこなくて、穣さんに『お前、ホントに履いてたのか?』と言われた」
井関さんは「20年振りだった」と。

Noismに入ろうと思ったきっかけ
カイさん「日本人とイギリスのハーフ。ストリート系が主流のイギリスのコンテとは異なるスタイルの日本のダンスがどんなものか、日本でしか学べないものを学びたかった」
シャンユーさん(今回、新加入ではありませんが、)「10年前、台湾で『NINA』を観て、金森さんと井関さんからサインを貰って、写真を撮って貰った。先輩のリン(・シーピン)さんが所属していたので、自分もできるかなとオーディションを受けた」
チャーリーさん「2017年、香港の大学を卒業後、フリーランスで踊っていたが、つまらないと感じ始めていた頃、『NINA』公演の際、オーディションを受けた。その後に『NINA』を観たのだが、今まで観たことのないダンスだった」 (帰国後、「オーディションの結果はどうだった?」とチャーリーさんから定期的にメールが来ていたことを金森さんが明かすと、会場は笑いに包まれました。)
ジョフォアさん「Noismのことは知らなかった。日本人の彼女がいることから、日本には来たいと思っていたのだが、所属するカンパニーを離れる決断はつかなかった。そんな折、芸術監督の交代とNoismの募集が重なった」
林田さん「6年間、欧州にいた。Noism出身の人もいたので噂は聞いていて、興味があった。当時、チェコにいて、生活のリズムや働き方のスタンスの違いに直面し、自分のやりたいことが出来るのか疑問に感じていた。何かを変えないとやりたいことに到達できないと思って、オーディションを受けた」

あのチャーミングな靴下について
元々はグレーでいくつもりだった(確かに公開リハのときはそうでした。)が、衣裳を着けてみると「色味が足りない」となった。それが本番の週の頭のこと。で、井関さんの靴下ボックスから色々並べてみて、オレンジ(女性)、ピンク(男性)とすることになり、買いに走ったもの。女性用はチュチュアンナ、男性用はユニクロでお買い上げ。但し、男性用は途中を切って縫い直してあるのだそう。

次にあの「銀色」の正体について
床は(業務用)アルミホイル+その上に透明なシート。天井と横も同様にアルミホイル。「何度も買い足しを行っただけでなく、その店の在庫全部を買ったこともあった」(制作の上杉さん)

『R.O.O.M.』の「壁」
横3ケ、奥6ケに分解でき、床は平台の上に載っている。移動は、10トントラック1台+4トントラック1台で行った。このあと、りゅーとぴあからシビウに向けて発送するとのこと。

『鏡の中の鏡』の音楽について
最初は振付を全く違うアルヴォ・ペルトの曲(『Spiegel Im Spiegel』)に合わせて行ったのだが、楽曲の使用料が高すぎることで断念、変更したもの。

キャストのアンダーに関して
この長丁場の公演、13人の舞踊家に不測の事態があったときのアンダーとして、準メンバーの片山夏波さんと三好綾音さんを同行させていて、ふたりで、女性キャスト6名のパートを半分の3名ずつに分けていたとのこと。それでも男性メンバーのアンダーは不在のため、もし何か起きたら、構成を変えるか、「俺がやるか」(金森さん)ということだったらしいです。

今回、全18回の公演を通した後の心身の変化について
西澤さん「最初、下りるとき、腕がプルプルしていたのが、2回公演でも平気、最後は全然余裕になっていた」
鳥羽さん「一日2回も『あっ、いけた!』と自分でも嬉しかった。リフレッシュしながら、違うお客さんに新たなものを見せることの大切さに改めて気付いた」
西岡さん「自分はルーティンを変えたくない人。リラックスの仕方が重要と思った」
井本さん「下りることが毎回同じにはならないことで、踊りに影響が出ていたりした。しかし、今は、『違っていいのだ』と違うことを楽しめるようになった」
カイさん「セクション毎に動きの質が違う作品。その都度違うことが起きるのは仕様がない。その都度学ぶことがあった。最後の公演で気付いたことを最初に気付いていたかった」
林田さん「公演期間中、生活にも緊張感があった。これほど体調に気を遣ったことは今までなかったこと」
シャンユーさん「Noism3年目で悩みもある。最初に肩を痛めてしまい、自分は踊らない方がいいんじゃないかとすら思ったりしたが、ストレスのある実人生も、ステージ上では幸せを感じた」
ジョフォアさん「全部のエネルギーでぶつかっていくタイプなのだが、『R.O.O.M.』は違った。頑張れば頑張るほど、金森さんの美学と違う方向へ行ってしまった。受け入れて、金森さんの求めるように動こうとしたら、味わったことのない痛みが味わったことのない箇所に生じたりしたが、しっくりいき始めた」
チャーリーさん「パフォーマンスは毎回、精神状態も身体のコンディションも異なる。日々違う自分と向き合う経験をした」
浅海さん「実験舞踊ということで、自分でもルーティンを止める実験をした。その日その日で違う18回、違う圧、違う空間を感じることが出来た」
池ヶ谷さん「公演回数が多いことは経験もあり、どこでどのようになるのか予想はついていたが、年齢から回復に時間を要するようになった。踊っている以外にも色々考えていなければならないことが多くて、集中するのが大変だった。濃い一ヶ月を過ごせた」
井関さん「過去にも20回公演などの経験がある。細かなことは覚えていないが、全て自分の血肉となっていると思う。今回も、全て踊り終わった直後、『踊りたい』と思った」
金森さん「その都度、その日やることをやるだけ。怪我とかせずに踊り通せたことは自分を褒めてあげたい。舞踊家として過ごしてきて、今、頭の中にフィジカルなものが浮かんでいる。今はフィジカルなものを作りたい気持ちでいる」

『R.O.O.M.』の振付について、或いは、振付(創作)一般について(金森さん)
「『R.O.O.M.』では、何かを計算してということではなく、意味とか情感から入るのではなくして、理路整然としたズレではないものを『面白いな』と選んでいった。どうなるのかわからないなか、やってみて、立ち上がったものから拾っていった感じ。」
「最初に動機はあるが、形や動きにしたときにどうなるのか客観的に判断しなければならない。生み出したものの責任を負う。それがより生きるためには何をするべきなのか。クリエーションにあっては、自分の作品なのだけれど、自分の所有物ではないという感覚、それを大切にしている」
「(自分の)感情を起点にして振付を行うと、限定的なものになり、作品が閉ざしてしまうことに繋がりかねない。敢えて、自分とは違うものを求めるなど、作り出す営為にはそれがどのように見えるかの視点が大切」

市長とのその後
Noismの今後の命運の鍵を握る中原(新)市長とは、市長の鑑賞後、まだこれといった交わりはなく、「近々、観に来ていただいたお礼を言いに行くつもり」(金森さん)とのことでした。

その他、国際性を増した新メンバーに関して、Noismメソッドの印象、自国と日本の違いなど、興味深いお話が続きましたけれど、さすがに全てをご紹介することはできません。そこで、ここでは林田海里さんとカイ・トミオカさんの言葉を引いて一旦の締め括りとさせていただきます。
まず、林田さん、「このジャンルは多様性ありき。色々な国籍の舞踊家がひとつのカンパニーにいて当たり前。見易い国籍の違いではなく、パーソナリティやアイデンティティの違いを楽しんで貰いたい」
そして、カイさん、「それぞれの舞踊家に対して、ここまで欲しいもの、欲しい身体がクリア(明確)な芸術監督は金森さんが初めて。これまでは至って自由だったと言える。その求めるものの結実を見たものがNoismメソッドだと理解している」また、「他国で踊っている舞踊家の方が舞踊家でいることが容易だ。こうしてNoismで踊れていることがどれだけラッキーなことかと思う」とのことでした。

記事の最後に重要なお知らせがあります。只今、6月のモスクワに招聘されている劇的舞踊『カルメン』の公開リハーサルの日程を調整中とのことですが、それをご覧になるには、支援会員であることが必要だそうです。
そして、その公開リハ、キャパの都合から2回行う方針だとのことでした。国内ではその2回が『カルメン』を観る機会の全てとなります。まだ、支援会員になっておられない方にとりましては、最重要検討事項であること間違いありませんね。

この日の特別アフタートーク、18:00の終了予定時刻を15分過ぎた18:15にお開きとなりました。105分間に渡って、それこそあの「名作」のように、どんな話が飛び出すか予測不可能な成り行きに身を任せて、あの「名作」を反芻することが出来ました。ここで取り上げられなかった事柄もまだまだ沢山あります。コメント欄にて、皆さまから書き加えたりして頂けましたら幸いです。宜しくお願い致します。

それでは、次は鮮烈な赤のチラシ&ポスターが既に私たちを挑発しているNoism2定期公演の会場でお会いしましょう。
(shin)

『ロミオとジュリエットたち』感動の新潟楽日を終えて、アフタートーク特集

2018年7月8日(日)、雨予報を裏切り、晴れるも、相当な蒸し暑さの一日。
感動のうちに、「新潟 3 DAYS」全3公演の幕が下りました。
この日のアフタートークでのSPAC・舘野百代さんの言葉を借りれば、
「一幕の丁々発止のやりとりから、このまま二幕も転がる感じがした」との、鼓動が高まり、「胸熱」だった新潟公演の楽日。

一幕の終わりにこの日も拍手が沸き起こり、(私も拍手しました)
終幕には「ブラボー!」の掛け声、(私も叫びました)
そしてスタンディングオベーション。(私も自然と立ち上がっていました)

回数を重ねたカーテンコールのラストに至り、
退団が決まっている中川賢さんと吉﨑裕哉さんに、
金森さんから情熱的な赤色が印象的な花束が手渡されると、
会場中から一層大きな拍手が贈られたこともここに書き記しておきます。

この日はアフタートークに先立って、
客席で一緒に新潟楽日の公演を観た篠田昭・新潟市長の挨拶があり、
「文化発信都市」を自認する一地方都市・新潟市にあって、
ここまでNoismが担ってきた役割の大きさについて話され、
今後も持続可能な活動を作っていきたいと結ばれました。

「ホーム」新潟・りゅーとぴあ公演における一大アドバンテージと言ってよい3日間のアフタートークには、
連日、Noism1からは、金森さん、井関さん、山田さん、
SPACからは、武石さん、貴島さん、舘野さんの合わせて6名が終演後の舞台に登場して、様々な質問に答えたり、色々なお話を聞かせてくださいました。

で、ここからは、今回の分厚い力作『ロミジュリ(複)』を観るにあたり、
期間中のアフタートークから、
読んでおけば、少しは参考になる事柄などを少しご紹介していきたいと思います。
ネタバレはしないつもりですが、それでもご覧になりたくない向きには、
この下の部分(☆★を付した部分)をそっくり読み飛ばしていただきますようお願い致します。

☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★
〇井関さんの役柄「ロザライン」: 原作では直接登場してこない役どころながら、「元来、物語全体がメインの人物だけに付随する構造は好きじゃない。
ほんのちょっとしか登場しない人が見ている世界の方が豊かなこともあり得る」(金森さん)ということで、ロザラインの比重が大きくなったのだと。
ロザラインはアンドロイドの看護師(全機、両手に手袋)、
他の看護師ふたりは歪な体はしているが、人間、
金森さんが演ずる医師ロレンスは半人半機(片手の手袋)の存在。
◎その井関さん: 「一番楽しいシーンが一番大変で、大変過ぎて笑っちゃうくらいだった」と明かす。←きっと「あの」シーンです。

〇患者たち、チームC(奇数)とチームM(偶数)について:
「キャピュレットは奇数っぽかったし、モンタギューは偶数っぽかったので、そういう患者ナンバーを割り振った。(笑)」(金森さん)
彼らはみんな、ナンバー化され、ナンバーとして管理される存在。それぞれの背中、縦一列にナンバーが付けられている。
◎彼らの体のあちこちに貼られたテープ2種の意味合い:
暖色(オレンジ)→パワーアップしている部位、
寒色(青緑)→マイナスがかった部位、 をそれぞれ示している。
【例】山田さん演じるポットパンは頭に「寒色」: おつむが弱い。
5人のジュリエットたちも喉に「寒色」: 発話しない(できない)。
反対に、ティボルト(中川さん)は両手が「暖色」、
マキューシオ(シャンユーさん)は両足が「暖色」。
〇両足「寒色」で車椅子のロミオについて:
「車椅子を押してまっすぐ行くのも、曲がるのも難しい。人の体なら通じるのに、物はなかなか通じない」と井関さん。
ロミオ役の武石さんは「車椅子での事故はなかった。愛があった」と。

◎精神病院でのロミジュリ、あるいは、多様性(diversity)と包括性(inclusiveness)の問題:
「今の時代を言い現わす象徴的な2語だろう。
多種多様な人たち、多種多様な趣味嗜好、多種多様な価値観が混在する世界。
それはどのように包括されたらよいのか。
『視線』が複雑なものにならざるを得ないのが、まさに(現代の)世界。
今回の作品も同じ。そのどこを見て、何を感じるのか。
作品に正解を求めるのではなく、どう見るかを問いたい」(金森さん)
〇金森さんが師と仰ぐ鈴木忠司さんの『リア王』も精神病院を舞台にしていたが、その類縁性について:
「絶対、言われるだろうと思っていたが、好きなので、『まあ、いいや』と。
今回の『ロミジュリ』に関しては無自覚だった部分もあったのだが、
大好きなので、そういう文脈で観て貰えることは嬉しい」(金森さん)

◎実演家として大事だと思う事柄:
SPAC武石守正さん(ロミオ役): 「関係性。ある瞬間が切り取られたものが舞台。
他者との関係の中で、声も演技も定まってくる」
SPAC貴島豪さん(グレゴリー/キャピュレット役): 「見られている感覚。
本番までどういう準備をして、舞台に立つのか。
お客さんが舞台を観に来られる理由はさまざま。
何が観る者の心を動かすのか」
Noism山田勇気さん: 「関係性。例えば、武石さんが体から発しているものがあって、自分はそこにどう居るべきなのか、肌で受け止める。そうやって何かが生まれたら嬉しい」(そこで金森さんの「感受性だね」の言葉に一同頷く。)

〇シェイクスピア『ロミオとジュリエット』は「死ぬことでしか叶わない愛」を描くが、「今回のロザラインには『死ねないことの悲哀』を込めた」(金森さん)
(また、「ジュリエットたち」が果たしてどうなっていくかについても要注意、と書くことに留めておきます。)
・・・場合によっては、読み飛ばして欲しい箇所、ここまで。
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Noism1×SPAC劇的舞踊Vol.4『ROMEO & JULIETS』、
「お互い境界線を感じない、ひとつの舞台を創る舞台人」(井関さん)として、
舞踊家と俳優とががっぷり四つに組み、
渾然一体となって取り組んだこの野心的なクリエイションで、
双方の実演家の皆さんが異口同音に、
大きな刺激を受けたと語っておられたことも印象的でした。
それはひとえにどちらも「劇場専属」という在り方に関わっているのだとする金森さんの指摘にも首肯する他ない事実が含まれているように思いました。

また、「繰り返される一回性」や「一瞬、一瞬」という言い方も、
日頃の金森さんがよく口にされる「刹那」とピタリ重なり合って、
動かしようのない「舞台の真実」を物語っていました。

「繰り返す『一回性』」と語ったのは武石さん。
更に続けて、「舞台は日々模索し、発見するもの。
再現することが出来ないことも多いのだが、
再現しなきゃならない」とも。
で、井関さんが、「舞台は立たないとわからない。常に発見があり、
お客さんが入ると、本気を越えた本気になる」と言えば、
貴島さんも、「毎日、フルパワーでやっていても、日々違うものがある。
一回一回新しいものがどんどん生まれている。
いろんなところに『宝箱』があって、それを探しに行く感じ」と応じました。
山田さんは、「舞踊でも演劇でもない『劇的舞踊』がようやくわかってきた。
やっているなかで、見出すもの」と語り、
舘野さんも、「神秘的で曰く言い難い魅力」を指すらしい「ドゥエンデ」という
言葉を使って、それがあるのが舞台であると纏めました。
そんなふうに、舞台のうえで生まれる「一瞬、一瞬」を共有しに、
私たちも劇場に足を運び続けましょう。
…人生を豊かにするために♪

以上、力の及ぶ限りの「採録」を試みてみました。
ご覧になられた方にとっても、これからご覧になられる方にとっても、
僅かでも何かの参考にしていただけたなら、望外の喜びです。

さて、3日間、新潟の地に大きな驚きと感動をもたらした『ロミジュリ(複)』、
次は、週末7/14(土)、中川さんご出身の富山県はオーバード・ホールに参ります。
演出・振付家、舞踊家、俳優が揃って創りあげるこの渾身の舞台、
ゆめゆめお見逃しなきように!
(shin)