☆Noism0 / Noism1 『Duplex』(2021/2/27@彩の国さいたま芸術劇場〈小ホール〉)
一昨日に続き、「Noism0 /Noism1『Duplex』」埼玉公演3日目を観ました。 いつもですと、土曜日は合唱団の練習があるのですが、非常事態宣言で中止となり、幸いにも埼玉公演2回目を観ることができました。
最初は、森優貴さん「Das Zimmer」です。「群像劇」ですが、断章ごとに異なるダンサーにスポットがあたり、それぞれ見せ場があるのは観客として嬉しいですね。
先日はこの密室空間を「洋館」と書きましたが、今回は学校生活のように感じました。衣装も制服のようにも見えますし。
男女ペアの「ハグ」が印象的でした。密着せず持ち上げていないのに女性が浮いています。不思議な美しさがありました。
ラストの渡部さんのソロは、これまで周囲に合わせていた彼女が、自立し、もがきつつも前に歩もうとしています。井本さんの代演で相当なプレッシャーを感じていたかもしれませんが、見事でした。
「残影の庭」については、初演の京都公演と新潟・埼玉公演を観て気づいたことについて書きます。
まず、京都の初演を観た時は「あまり踊らないなあ!」というのが第一印象でした。それが新潟・埼玉公演では、静寂な世界観はそのままに踊りに満ちていて、その感じ方の違いに驚きました!
どうしてでしょうか。
第一に京都では「秋庭歌一具」のうち「秋庭歌」が雅楽のみだった、のがあると思います。舞踊家のいない舞台(庭)が「不在感」「残影感」を醸し出しますが、舞踊のみの公演でどうするのだろう?という疑問もありました。まさかの曲ごとカットには驚きました。
また、京都では共演した伶楽舎の影響も大きいです。雅楽は演奏家の立ち居振る舞いが「静」そのもの。武満徹の曲でさえも空間が動かない印象がありました。観客にも少なからず影響を与えていると思います。
舞台装置についても書きます。
新潟・埼玉公演では壁に備え付けだった灯篭は、京都公演では天井からぶら下がり、上下に可動式でした。 雅楽と舞踊の結界のようでもあり、また逆に極彩色の雅楽と淡色のNoismを結びつける効果もあったと思います。
新潟・埼玉公演でひらひらと落ちてきた落葉は、京都公演ではバサッと落ちてきたのも印象的でした。ベジャール「M」の桜吹雪と落ち方が一緒のようにみえました。
この落葉については、第一部の最後の曲目で声明を唱う僧侶たちが「散華(さんげ)」を巻いたのもあり、Noismの落葉が「散華」のようだったのも奇跡的でした(果たして金森さんは狙っていたのでしょうか?)
以上、思いついたままにつらつらと書いてしまい、非常に読みにくい文章になってしまいました。 何かしら公演や作品を感じる手助けになれば幸いです。
(かずぼ)
かずぼ さま
再びの内容の濃い感想、どうも有難うございました。
これまで数多く舞台をご覧になられてきたその「厚み」に教えられるところが多くありました。
また、『残影の庭』に関しては、こちらからの依頼に快く応じて頂き、京都と新潟、そして埼玉、それぞれの空気感や演出、装置の違い等もはっきり書き記して頂き、感謝の念に堪えません。観ることが叶わなかった公演についてもある程度イメージすることができ、嬉しく思っております。どうも有難うございました。
かずぼさんがふたつの感想でお書きになられたものを改めて読み直しながら、今はもう、誰にとっても一様に「残影」となってしまった『Duplex』を想起しながら過ごすことと致します。
(shin)
かずぼさま shinさま
ご感想、コメント、ありがとうございました!
京都公演で、一部バサッと落ちてきた紅葉につきまして、さすがは かずぼさん、読みが深いです!
私などは、広い会場なのでそれもアリかな、程度の認識しかなく・・・
新潟・埼玉では会場の大きさに見合った量と落ち方でした。
新潟・埼玉はNoism0が主役ですが、京都では伶楽舎も主役ということを感じました。
(fullmoon)
Shinさま、fullmoonさま
コメントありがとうございます。
今回はロングラン公演ということもあり、客席でお目にかかることも叶いませんでしたが、それぞれが観た舞台の感想を通して繋がることができるというのも素敵な体験でした。
紅葉について。ロームシアター京都の高い天井ですと、ある程度の重みがないと散らばってしまう恐れがあるので、ああいった落とし方になったと思いますが、それでもその落ち方にベジャールの「残影」を勝手に感じてしまいました。
かずぼさま、ますます さすがでございます。
(fullmoon)