2021/11/20東京バレエ団『かぐや姫』マチソワ in 新潟♪

2021年11月20日(土)の新潟市はこの時期らしからぬ穏やかな晴天。2週間前の上野がそうだったように、この日も竹藪に分け入るのにはうってつけの日だったかと。そんなふうに天をも味方につけて、東京バレエ団による『ドリーム・タイム』と『かぐや姫』のダブルビル公演がマチソワで新潟市・りゅーとぴあの観客に届けられました。

運良くどちらのチケットも買うことが出来たために、マチネ・ソワレ両方とも楽しむことが出来ました。そのどちらのホワイエの光景も普段のNoism公演のときとは趣が若干異なり、華やぎが何割か増しのうえ、お子さん連れ、家族連れの観客も多めで、「やはりバレエだなぁ」と感じたような塩梅でした。開演間近を報せる「1ベル」もなにやらチャイム仕立てでいつもと違ってるなと思いました。

ここではマチネとソワレとを合わせたかたちで書かせていただきます。

最初の演目はイリ・キリアン振付の『ドリーム・タイム』、東京は上野での初日の舞台を観たときから本当に魅了された作品です。同時に、内容充実の公演プログラムに、オーストラリアやらアボリジニやらのワードを目にして、「ん?何で?」と思うところがあり、ちょっと調べてみました。すると、大修館のジーニアス英和辞典第5版(「G5」)によれば、「Dreamtime」とは、《オーストラリアのアボリジニにとっての天地創造の時;alcheringaともいう》とあるではありませんか。他もあたってみると、祖先が創造された至福の時代を指すのだとも。ただ単に夢見ている時間ではなかったのだと知った驚き。浅学に過ぎました。それでこその武満徹の響き、合点がいきました。ホリゾントに浮かぶイメージも見事にマッチして見えてきます。

冒頭は女性3人(沖香菜子さん・三雲友里加さん・金子仁美さん)が無音のなかシンクロして踊るところから始まり、やがて、武満の音楽が被さってくるでしょう。それは個と言うより、民族としての堆積した記憶、その古層から浮かび上がってくるかのような夢。編まれつつも解かれていき、浮遊するかのように捉えどころのない、連続にして不連続。そうした非現実的な「時」が宮川新大さんと岡崎隼也さんによる超絶技巧的なリフトなどを駆使して現前化されていきます。そうしたリフトのなかには、金森さんに引き継がれているものも少なくないように感じられました。そして、レム睡眠がノンレム睡眠に取って代わられることで、夢に一区切りが入るように、ラスト、女性3人のたおやかな身体が描く美しい曲線、その3つのシルエットの余韻を残したまま緞帳が下りました。

20分間の休憩。ホワイエに出ると、見知った顔の集まりができました。「いいですねぇ」「好きです、これ」想定内でしかないような、そんな言葉が交わされました、マチネのときも、ソワレのときも。

そして金森さんの『かぐや姫』です。上野の東京文化会館のときとは若干の変更が認められました。映像が違っている印象でしたし、下手(しもて)の装置も最後までずっと顕わしになっている点も異なっていました。なにより、舞台のスケールがしっくりぴったり収まっているように思えたのは、やはり金森さんにとって、りゅーとぴあがホームだからでしょう。

「かぐや姫」と「道児」を踊るのは、マチネが秋山瑛さんと柄本弾さん、ソワレが足立真里亜さんと秋元康臣さん。東京の初日で秋山さん+柄本さんを観ていますが、ソワレのおふたりは初めて観ることになります。ほかには「童たち」もそれぞれ別キャストです。興味は募りました。

和の響きのようなドビュッシーの楽音から、桜舞い散る映像に「KAGUYAHIME」の英文字。やがて、夜明け前の青色は海。もう陶酔感しかないコールドに目は吸い寄せられます。そして、緑の竹の形象へ。この間に連発されるパドブレによるフォーメーションの変化はもう美の極み。そこに加わる、衣が繊細に翻るかのような、細波が時間差で拡がっていくかのような振付も金森さんの独壇場。そしてそれらを極上のスキルで可視化する東京バレエ団、まだ始まったばかりだというのに、もう既に眼福でしかない時間が私たちを一瞬のうちに虜にしてしまうでしょう。

そこに黒衣であり、影絵的仕掛けやら、「降ってくるモノ」すらあり、と金森さん的な話法が随所に顔を覗かせる訳ですから、観ていて楽しいことこのうえありません。

体重など全く感じさせず、ゴム鞠のように跳ねる秋山さんの「かぐや姫」に対し、憂いのテイストを感じさせる、やや年長感漂う足立さんの「かぐや姫」。一日のうちにどちらも観ることができて、その個性の違いを存分に楽しみました。

マチネもソワレも、どちらも40分などあっという間で、するすると過ぎ去り、一旦これで見納めということならば、早くも次の第2幕が、そして第3幕の結末が待ち遠しくなってもうどうしようもありません。きっと客席はそんな人たちばかりだったと見え、「かぐや姫」を失い、悄然とした「道児」をひとり残して緞帳が下りると、割れんばかりの拍手が場内に谺しました。その後、繰り返されたカーテンコール、何度も何度も。それは客電が点ってからも続きました。この日、ソワレの方には金森さんも登場し、すると更に一層大きな拍手が送られ、スタンディングオベーションもドッとその数を増しました。東京での2公演に加えて、新潟でも2公演。練度はあがり、表現が深まっていることは一目瞭然でしたし、当たり前の反応にしか過ぎなかった訳です。

その後、呼びかけられた規制退場のアナウンスに従い、ホワイエに出ると、東京からの、京都からの、出会う顔という顔がもう一様に笑顔でしかなく、満足感に浸る者たちばかりだとわかりました。この作品、言葉を超え、年齢を超え、誰にも届くものに仕上がっていると言い切りたいと思います。

あの人ともこの人ともひとしきり話し終え、漸くりゅーとぴあを後にしようとしたとき、さっきまでのあの物語を引きずるかのように、ほぼ満月が輝いているのを見上げました。2023年の4月も10月もきっと同じように月が輝いていることだろう、そんな根拠のない確信とともに、心躍らせながら駐車場を目指しました。

photo by tak_104981

(shin)

Noism Company Niigata 17thシーズン活動評価結果公表さる

11月8日、新潟市のHPにおいて、過日の有識者会議(9月22日)での意見交換を踏まえるかたちで、Noism Company Niigataの17thシーズン(令和2年9月から令和3年8月まで)の活動評価結果が公表されました。

詳しくは次のリンクからご覧ください。
17thシーズン(令和2年9月から令和3年8月)活動評価の結果について

市による総合評価は「B」(評価指標達成)で、「所見」には次のような記載が見られます。
>全体を通して目標達成に向け善処していることが認められる。
>観客層の拡大に努めたことを評価する。
>地域貢献に資する活動は、その内容について常に改善を図り、参加者をはじめ市民の満足度や認知度の向上に努めていただきたい。また未達成の項目については原因を分析し、来シーズンの目標達成に努めていただきたい。
>活動には多額の公費が投入されており、市民の厳しい目が注がれていることを再認識し、…市民の文化芸術活動の振興に貢献していただきたい。

ご参考までに前16thシーズン(令和1年9月から令和2年8月)活動評価についてもご覧下さい。

この間、「全体を通して目標達成に向け善処している」ことは、16thシーズンと17thシーズンそれぞれの評価項目における、(新潟)市評価のA・B・Cの数に明瞭に現われています。2シーズンの比較をご覧下さい。尚、( )内にはそのパーセンテージとNoismによる自己評価数を示しています。
(評価のA・B・Cとは次の内容を示すものです。「A」:評価指標達成かつ達成度・内容が優れている、「B」:評価指標達成、「C」:評価指標未達成)
16thシーズン(全29項目): 
「A」市評価4(13.8%・自己評価5)、「B」市評価18(62.1%・自己評価15)、「C」市評価7(24.1%・自己評価9)
17thシーズン(全26項目←「オープンクラス」への評価4つがひとつに纏められたことによる3項目減):
「A」市評価8(30.1%・自己評価8)、「B」市評価17(65.4%・自己評価16)、「C」市評価1(3.8%・自己評価2)

目指されるべきは評価指数達成を示す「B」以上であるなか、「A」が倍増(4→8)していると同時に、「C」はひとつのみ(7→1)と大幅にその数を減じています。で、そのひとつの「C」というのが、「地域貢献」中の「新潟市民からの認知度の向上」を評価項目とする「Noismワンデイスクール」であり、「2回以上」開催という評価指標において、前16thシーズンが無開催だったところ、17thシーズンは1回開催しており、評価指標には達していないことから「C」は「C」でも、そこに改善努力は認められ、そうしてみますと、17thシーズンのNoismは、すべての項目において、真摯に成果をあげてきたことがわかります。

更に、17thシーズンにおける成果目標の視点毎の市評価A・B・Cの内訳は以下の通りです。尚、( )内には前16thシーズンの数字を示し、数値の増加(=改善)が読み取れる部分には下線を付しました。
上演活動: 「A」1(0)、「B」4(5)、「C」0(0)
地域貢献: 「A」5(3)、「B」3(3)、「C」1(6)
国内他館との連携: 「A」2(1)、「B」2(3)、「C」0(0)
Noism以外の作品鑑賞: 「A」0(0)、「B」2(1)「C」0(1)
コンプライアンスの遵守: 「A」0(0)、「B」4(4)、「C」0(0)
職員の労務管理: 「A」0(0)、「B」2(2)、「C」0(0)

こうして各視点を通覧してみますと、Noismの活動そのものや鑑賞に纏わる評価(上の4つ)はグンと上がっていて、運営体制ほか(下の2つ)も安定し、悪くないものとして評価されていることが充分に読み取れるかと思います。

それにしましても、気になるのは、この度、こうした高評価を下した新潟市が、件の「レジデンシャル制度」見直し協議において、「Noismありきではない」と強調したうえで、自らを活動拠点と活動費の一部を支援する立場であるとし、「実施主体」りゅーとぴあとの間の役割分担を明確化した発表を行っていることです。更に、中原市長が、その流れで、「条件が整えば10年継続できる。10年後には公募を行う」という方針を示していることも、以前、このブログでご紹介していますが、なんとも解せない話です。

今、先の見えない時代にあって、ここですぐに「11年目以降」の将来の安心など得られないとするなら、この1年、そして次の1年、更にその次も、とそんな具合に、Noism Company Niigata と新潟市民の蜜月を形作ろうとするベクトル、或いはサポートこそが求められているのだろうと思うものです。鑑賞は支援と同義です。是非とも、公演会場で一緒に心を震わせましょう。私たちには金森さんとNoismが必要なのですから。

(shin)

満を持して世界初演♪東京バレエ団『かぐや姫』第1幕、初日の幕上がる

2021年11月6日(土)は秋晴れの一日。まるで、金森さん演出振付、東京バレエ団『かぐや姫』第1幕世界初演の初日にあって、雨など降っていては、竹藪に分け入ったとしても光る竹も見つけ難かろうとばかり、天の配剤ででもあるかのように。そして何より、世界に向けて、この日本古来の物語バレエの幕が上がる、その輝かしき一日を諸手を挙げて祝福しようとでもいうかのように。

期待に上気した表情の人の波、その華やぎに溢れたホワイエ。この東京バレエ団『かぐや姫』第1幕東京公演2日間は、金森さんの現在と、そこに至る謂わば源流をなすとも捉えられようベジャールとキリアンの作品を一緒に観られる豪華トリプルビル公演という豪華さ。バレエについては殆ど何も知らず、語ることもおこがましい私ですが、客席を埋める目の肥えた観客に混じって、件の降り注ぐ美しい秋の陽光にもまさる、美しいバレエを、或いはバレエの美しさを心ゆくまで堪能しました。

午後2時を少し過ぎて客電が落ち、最初の演目、ベジャール『中国の不思議な役人』からのスタートです。今回、上野まで観に来た理由のひとつがこれでした。この後の新潟公演では観られない演目であり、また、以前に観たNoism版が凄く好きなことに加えて、フリッツ・ラングの映画『M』や『メトロポリス』の影響も濃厚に感じられる舞台とあっては、是非観たいという気持ちは抑えるべくもなかったのです。
いつ聴いても血が滾る思いがするバルトークの音楽に乗り、「フィルム・ノワール」的な舞台設定のもと、バレエの語法で展開していく舞台は、Noism版の記憶をまざまざ呼び起こしつつも、(浅学の私にとっては逆に)新たな世界を見せてくれるものでした。更に、禍々しさ溢れるナイフや縄など、金森さんが引き継いだアイテムを確認できたことも収穫でした。

20分の休憩を挟み、ふたつ目の演目は、キリアンの『ドリーム・タイム』です。20分と、この日、一番短い舞台でしたが、詩情も豊かに、そのタイトルのまま、まさに夢幻の境地に誘うバレエにすっかり陶酔してしまいました。武満徹のたゆたうような豊穣さが見事に可視化されていることに驚嘆したと言っても過言ではありません。新潟公演でも再び観られることを心底楽しみにしている程です。

その後、再びの休憩も20分間。しかし、その休憩も、残り5分くらいになると、舞台上に装置が現われてきました。一見して、なるほどと思えるものです。一旦、暗転した後の明転で翁(飯田宗孝さん)が登場し、『かぐや姫(KAGUYAHIME)』が始まります。恐らく、日本人なら誰も知らぬ人などないだろう物語が、ドビュッシーの楽の音に合わせて、色彩も豊かに紡がれていきます。現代のコンテンポラリーダンス界を牽引してきている金森さんがバレエの手法で描く日本の古典『竹取物語』。月から俗世に遣わされた姫。古き日本の貧しい山村を踊るバレエという西洋の語法。そうした数々の「混淆」若しくは「越境」とも呼ぶべきものが豊かに織り上げられていく35分間は、観る者のなかに、これに続く第2幕、第3幕を今すぐにでも観たいという強い欲望を掻き立てずにはおかないことでしょう。

東京公演キャスト表


軽やかにしてたおやかな秋山瑛さん(かぐや姫)と受け止める柄本弾さん(道児)が身体から発散させる思い。クライマックスで見せるパ・ド・ドゥの物悲しくも、息を呑む美しさと言ったら筆舌に尽くせるものではありません。酔いしれるのみでしょう。そして、そのふたりの脇には、翁の人間味溢れる様子と黒衣の存在感があり、更に、コール・ド・バレエの色彩感も眼福以外の何ものでもありません。コミックリリーフ的な場面を挿入しつつ、緩急のある舞台展開で語られていくグランド・バレエは、難解なところなど皆無で、安心してその流れに身を任せることが出来ます。

やがて、かぐや姫が都へ向かう場面が訪れるでしょう。金森さんが触れていた第1幕の終わりです。もっと観ていたい、そんな気持ちが大きな拍手となって会場中に谺し、繰り返されたカーテンコール。途中、秋山さんに促されて、金森さんが、次いで、井関さんも姿を現しました。その後も続いたカーテンコール、いったい何回あったことでしょう。スタンディングオベーションもどんどんその数を増していきました。世界初演のこの作品を届けた者も、客席からそれを目にした者も、みんな揃って笑顔、これ以上ないくらいの晴れがましい笑顔でした。日本のバレエ界がこの日、またひとつ大きな歴史を刻んだ訳ですから、当然でしかないのですけれど。緞帳が完全に下りてしまってからも、その合わせ目から主な出演者が、そして金森さんと井関さんが次々姿を見せてくれると、その度、大きな拍手が湧き上がりました。で、客電が灯されはじめ、場内がやや明るくなってのち、もうおしまいかと思っていたというのに、やおら緞帳が上がったりしてみると、拍手する方も、される方も「多幸感、ここに極まれり」とばかりの空気感で覆い尽くされていったこの日の東京文化会館・大ホール、終演時の喜ばしい光景でした。

書いているうちに、日を跨いでしまいましたので、東京公演の二日目で、楽日を迎えたことになります。本日は、足立真里亜さんのかぐや姫、秋元康臣さんの道児がきっと会場を魅了し尽くしてくれることでしょう。ご覧になられる方は期待MAXでお運び下さい。

感動は2023年へ♪

そして2023年、その都度、目撃しながら、全3幕、その全てを観ることになる日が今から楽しみで仕方ない私です。これからご覧になられる方も一人残らずそうなること請け合いです。今後も劇場に足を運ぶことで、こうしてバレエの歴史の目撃者となることの幸福を享受して参りましょう♪

(shin)

「私がダンスを始めた頃」⑱ 坪田光

 5歳のときにミュージカルを始めました。母が若い頃通っていたスタジオに、とりあえず1年だけでも通わせたいという母の想いで連れていかれました。


 そのスタジオにはダンススクールとミュージカルスクールがあり、年に1回舞台がありました。初舞台では、出番が終わり舞台袖で母に「照明があたって楽しかった」と言ったそうです。公演後ミュージカルを続けることを決めて、ダンスも少しずつアフリカンステップ、タップダンス、ジャズダンス、hiphopなどを始めていきました。


 しかしミュージカルクラスの中で月に1度のバレエクラスがとても嫌いで、ずっと、なぜ綺麗にしなければいけないのか、なぜピチッとしたタイツを履かなければいけないのかなどと思いながらバレエレッスンを受けていました。
 

 時が経ち、ミュージカルスクールは中学3年生で卒団という決まりだったので、卒団前にはダンスを続けることを決意。そのとき、先生に「ダンスを続けるならバレエを始めなさい」と言われ、渋々バレエを始めました。しかし、これが自分の転機で、自分の身体の変化が楽しくなり、みるみるバレエが大好きになっていました。高校2年生のとき、男性のバレエの先生から指導を受けた方が良いと紹介していただき、バレエ教室に通うことになりました。そして高校3年の進路を考える時期に、バレエのコンクールに出てみないかと声をかけていただき、がむしゃらに挑戦してみたところ、スカラーシップをいただき、アメリカのJoffrey Academyに2年間留学しました。今まで自分がプロのダンサーになりたいとも、なれるとも思っていませんでしたが、そこで素敵なダンサーの方々に出会い、ダンサーになりたいと強く思うようになっていました。

 
 振り返ってみると、私は様々な方に出会い、刺激を受け、導かれてここにいます。全てのことに感謝を忘れず、頑張っていきます。

(つぼたひかる・1999年兵庫県生まれ)

Noismと新潟独自の劇場文化、双方の未来を志向する金森さんを支える!

神無月の月末にずれ込み、昨日の中原新潟市長の定例記者会見を報じるニュースで、漸く、Noismの活動継続協議の方向性が見えてきました。

まず最初に、リンクから昨日(10/29)の金森さんのTwitterからご覧下さい。

次に、会見を受けるかたちで今朝(10/30)、地元紙・新潟日報が「新潟面」で報じた記事です。

新潟日報2021年10月30日付け朝刊

こうした一連の流れの嚆矢は、まず、10月21日の金森さんのツイートに感じ取れました。そちらもリンクからご覧下さい。

そのツイートに接した際、コロナ禍の財政状況も考え合わせるなら、これまでとは異なる内容が話し合われ、かなり厳しい選択を求められていることが窺い知れました。それでも、金森さんは、その段階において触れ得るギリギリの線で、「Noismの“長い未来”、すなわち私が信じる新潟独自の芸術文化の“明るい未来”の為であることを、信じて頂ければと思います。」とツイートしていました。

真に私(たち)が望むのは、新潟市民の「シビックプライド」の一翼をなす存在として、大袈裟に言えば、未来永劫、Noismが新潟市にあり続けることであり、そして、国内に類を見ない17年間の実績を積み重ねてきた「レジデンシャル制度」の芸術監督は、本人が自ら禅譲しない限り、金森穣氏であること、このふたつです。

「新制度を適用する第一号がNoism」とか、「Noismありきではない」とか、「芸術監督の任期の上限は2期10年」とか、「お互いに条件が整えば10年継続できる。10年後には新たに公募を行う」とか、行政特有の射程の短い施策に切り替えることで、これまで時間をかけて新潟市に根付き、この地でその在り方が成熟し、世界に冠たる存在となり得たカンパニーを失うことだけはあってはならないことです。

金森さんと彼の「劇場文化100年構想」を信じる気持ちに一点の曇りもありません。あり得ません。ただ、この先は、「新制度」の新たな「実施主体」とされたりゅーとぴあの手腕による部分も大きいと考えます。私たちサポーターズはりゅーとぴあとも連携しつつ活動していく必要が今までにも増して大きくなったと言えます。

求められる「市民還元」も果たしながら、より遠大な芸術的理想を抱くのが、私たちのNoismです。来るべき(10年後?の)「公募」において、わかりやすい「市民還元」という「甘言」を弄するだけで、市側におもねるような団体も現れないとは言えません。そのとき、Noismの芸術的価値はどこまで正当に評価され、検討されていくのか、心配は尽きない訳です。

しかし、これまでも、私たちをここまで連れてきてくれた金森さんです。真の意味での「未来志向」で、Noismと新潟独自の劇場文化の未来を見詰めて、新たな「ブレイクスルー(突破)」を果たしていってくれる筈です。その点で、彼がなす選択への信頼に揺らぎなどありません。あり得ません。そして、これから私たちに問われるのは、Noismをどれだけ必要としているか、その熱量だと言い切りましょう。私たちも、サポーターズとして、覚悟を新たに、新しい「ブレイクスルー」に関わっていけたらと思う次第です。皆さまの広く熱いご協力をお願い致します。

(shin)

【追記】10/29新潟市長定例記者会見時の配布資料(画像)もご覧ください。

金森穣×東京バレエ団『かぐや姫』記者会見インスタライヴ♪

10月27日(水)17:45から30分間、東京バレエ団の主催で『かぐや姫』について、金森さんへの記者会見インスタライヴが行われました。この日は、かぐや姫 足立真里亜さん・道児 秋元康臣さんによる、初めての通しリハーサルがあったようで、記者の方たちはそのリハーサルをご覧になってからの会見のようです。質疑応答の中には若干、物語のネタバレも含まれていますのでご注意ください。

Q(記者) 以前、信頼している方にリハーサルを見てもらった時に、ダメ出しをされたそうですが、どんなことを言われたのですか?

-A(金森さん) ダメ出しの内容はあまり言いたくないものなのですが(笑)。まだそれほど出来上がっていない時点で、自分も客観性が無く、本来であれば踊りの質とか呼吸、情感、表現を考えなければいけないのに、つい技術的なことにフォーカスしてしまい、振付を早く覚えてほしいとか、そんな気持ちが先に立ってしまったので、それは当然のことながら「舞台芸術としてどうなのか」と言われますよね。はい、その通りですというしかありませんでした。

Q コロナ禍において、Noismの作品がどのように変わったと思いますか?

-A 何を届けるか、でしょうか。自分は本来ネガティブというか暗いので、悲哀、痛み、苦悩、悲しみを表現することが多かったのですが、コロナ禍で世の中が暗いのに、その上にまた暗い作品ではどういうものかと思い、暗い中でも少しポジティブに、希望や愛、人と愛し合うということを届けたいと思いました。

Q 『かぐや姫』の主役の二人やバレエ団について、どんな感じをお持ちでしょうか?

-A 『かぐや姫』はかぐや姫と道児の二人が主役で、ダブルキャストです。今日はBキャストの足立真里亜と秋元康臣の通しを始めて見ました。とてもよかったです。二人が『かぐや姫』の世界に生きていて嬉しかったです。群舞は時間をさいてやったので、こちらもよかったと思います。初日のAキャストの秋山瑛と柄本弾は明日通しをします。

Q 道児と、欲が深い翁のキャラクターの発想は?

-A 道児は高畑勲作品に登場しています。かぐや姫の相手として、境遇が違う二人を組み合わせたいと思いました。二人は貧しい村に住んでいますが、道児はもっと貧しい。でも虐げられながらも懸命に生きています。そんな道児が明るくお転婆で天真爛漫なかぐや姫に惹かれる。そんな女の子が泣いているんですよ。月を見て。今回は1幕のみの上演ですが、かぐや姫が都に行ってしまう2幕、3幕では道児がどうなっていくかも描かれます。

 翁は欲深というか、人間ってこういうところあるよね、という感じでしょうか。翁はかぐや姫を溺愛しています。かわいがっていて、ずっと自分のものにしておきたい。でも子どもは他者ですから思い通りにはならない。それを許容できない父親が翁です。親子喧嘩をして、行ってはいけない夜の竹藪に行くと、何かが光っている。金銀財宝を見つけて、翁は金持ちになって、かぐや姫を連れて都に行くのですが、それでかぐや姫が苦しむのです。

Q ダブルキャストの、二人のかぐや姫と道児のそれぞれの魅力は?

-A 道児は弾と康臣ですが、今日の康臣には驚きました。これまでにない彼がいた。この作品を通して、彼が今まで出してこなかった面を生ききってほしいと思います。弾の方が元々役に合っていると思いますが、今日の康臣を見て弾がどう感じたか。その影響も楽しみです。瑛と真里亜は最初似ていると思ったのですが、性格も踊り方も踊りで魅せる魅せ方も全然違いました。主役によって作品に新しい感情や視座が加わります。だからぜひ2回観てほしいですね。

Q 1幕の最後のシーンでかぐや姫はトゥシューズ(ポワント)になりますが?

-A はい、2幕は都に行くので、その前段階として最後にバレエシューズからトゥ
シューズになります。2幕の宮廷の女性は高貴なので皆ポワントです。高貴なふるま
いをしなければならないかぐや姫は、本当はポワントを脱ぎたい。裸足になりたいのです。

Q 群舞がとても効果的です。全てポワントですが?

-A 群舞は自然を表しています。前半は海、それから竹を表しています。自然は俗世とはかけ離れた超常的な存在で、緑の精として表されます。東京バレエ団では、ポワントの群舞と、男性の群舞をやりたかった。Noismではできませんからね。ポワントで、竹の硬質なスッとした感じを出したかったです。

Q 翁にだけ黒衣が付きますが?

-A 翁には飯田先生(飯田宗孝、東京バレエ団団長 特別出演)に無理にお願いしてやっていただいています。小林十市さんもそうですが、齢を重ねて、今だからこその経験値と存在感があります。黒衣を付けたのは能でいうところの「後見」というか。もし何かあったとしても大丈夫なようにというか…(笑)。

…と、ここまで順調なインスタライヴでしたが、なぜか18:09~音声が途切れ、映像も切れましたが、会見は続いています。18:12頃に復活しました。

Q (使用楽曲のドビュッシーの音楽についてのようです)

-A ・・・ドビュッシーの音楽は「海」や「月の光」など自然を表す曲が多く、情感があります。何より色彩が見える。もう3幕まで、使う楽曲を選んであります。(ほおーという感嘆の声)

Q キリアンの作品にも「かぐや姫」がありますが意識しましたか?

-A いや、こちらは物語ですし、キリアンの方は抽象度が高いので、ほとんど考えませんでした。

Q 金森さんはベジャールとキリアンに学ばれましたが、二人の巨匠に学んだことは何ですか?

-A 話すと長いですよ。時間がかかります(笑)。学んだことが『かぐや姫』に
ギュッと出ていると思います。作品に二人の影響があることを感じてもらえると嬉しいです。若い時は自分自分でしたが、私もそういうことを嬉しく感じられる年になりました。

Q 東京公演は、金森さん、ベジャール、キリアンの作品が上演されますね。

-A はい、『かぐや姫』、『中国の不思議な役人』、『ドリームタイム』のトリプルビルです。縁を感じますね。

 ありがとうございました。

…終始和やかな雰囲気のインスタライヴでした♪ 新潟公演では『かぐや姫』と『ドリームタイム』のダブルビルです。お話を聞いていたら『かぐや姫』1幕はもちろんですが、2幕、3幕も早く観たくなりました。 皆様どうぞお見逃しなく♪

東京公演:11/6(土)14時 11/7(日)14時(@東京文化会館)  
新潟公演:11/20(土)13時、17時(@りゅーとぴあ)
https://www.nbs.or.jp/stages/2021/kaguyahime/index.html

(fullmoon)

『記憶の中の記憶へ』から1週間余、「ゲスト!小林十市さんでーす!」のインスタライヴは超脱力系♪

2021年10月25日(月)、予定されていた18時半より15分ほど早くそれは始まりました。「それ」とは、ゲストに小林十市さんをお招きした金森さんと井関さんによるインスタライヴ。予定が繰り上げられた理由はゲスト・十市さんのお腹の空き具合によるものとのことで、ここでもキーワードは「十市さんのお腹」だったことになります。(笑)私は告知されていた18時半でも間に合わないことが確実だったため、最初からアーカイヴ狙いでしたから、直前の変更による影響はほぼ被ることもありませんでしたが…。

そんなふうに始まったゲストシリーズ初回のインスタライヴ(58:54)です。もうとことん、潔いくらいに脱力系のトークが展開されていきました。今回は、その雰囲気をお伝えすることを主眼に書いてみますが、開始に間に合わなかった人も多かったでしょうし、直に皆さんの耳で、実際の脱力具合を確かめて欲しいものです。インスタライヴ「ゲスト!小林十市さんでーす!」のアーカイヴへはこちらからどうぞ。

☆十市さんの膝
『記憶の中の記憶へ』は、脱力がテーマの『エリア50代』のソロとは真逆。運動量が莫大に増え、「強い身体」を求められたときの反動が膝にきた。その膝は治療中だが、半月板の内側のすり減りは年のせいで、手術は不要、「十字靱帯は大丈夫なので鍛えてください」と言われたと明かす。
「皆さん、聞いて下さい。この(十市さんの)膝は私のせいじゃありません」(金森さん)「勿論、穣くんのせいじゃない。そんなこと思ってない」(十市さん)「十市さんファンに恨まれる」(金森さん)「そんなことはない」(十市さん)

★50代の十市さんが挑んだ『記憶の中の記憶へ』
「楽しかった?」(金森さん)の問いに、「はい」と答えた十市さん。しかし、初日、最初のピルエットがまわれなかったと後悔。「力が出せなかった。燃え尽きようと思ったけど、先に力尽きちゃった。そこが残念だったかなと」とし、また、ゲネプロ、本番初日、本番2日目と踊ると、3日目(本番2日目)には「回復していない。それが若い時との違い」と感じるとも。

☆「ゆるい、頑張らずに踊れるは妄想」(金森さん)
「『楽で、お客さんが喜んでくれる』はそうそうない。振付家から作る段階で、ツラいかどうか、もうちょっと楽にしてあげようか、というのはインスピレーションにない。最初から『楽に』を前提にしたりはない」「ダンサーが『今、いいな』というのを積み重ねていって、結果、そんなにシンドくなかったら、それはラッキー」「ツラくある必要があるとは思ってないけど、結果的にやっぱりある程度のエナジーは要るし」(金森さん)
十市さんは「インスタのピルエット、成功したところしかあげてなかった」のに、そうと知らず、それを見たから「まわるのは負担がないんだと思って振り付けたんだけど」と金森さん。
「今回、穣くんの腕の動きを何とか真似したいと思って頑張った。『大きく、遠く、広く、デカく』、そうしたら肩が痛くなった」(十市さん)
3人で踊る場面、プリエの深さが全然違っていたが、周りがちゃんと固めてくれた。また、いつも、若手には「枠からはみ出さないと…」と言っているのに、枠に収まっている自分っていうのが、「違うじゃん」と十市さん。「本番ではふたり(金森さんと井関さん)を脇に、『松葉杖か』っていう。それで思いっきりプリエしましたよ。…今回、Noismとの共演ということで、自分のなかでも最低限、ここまではみたいなのがあった」とも。

★「今回の作品は間違えやすい作品」(井関さん)
「凄いカウントするよね。ギリシャとか、8と10だっけ。なんとなく数えているふりしながらフレーズで(踊っていた)」(十市さん)
「本当に集中してないと間違えそうだなぁというのが結構あった」(井関さん)「今回、ちょっと振りが違った?どう違う感じだった?」(金森さん)「足にきた」(井関さん)「えっ、プリエ?」(十市さん)「穣さんの作品、結構、プリエ多いんだけど。ベジャールさんに寄せているって言ってたじゃない、穣さんのなかで。イメージが、結構、2番プリエとか多いんじゃない」(井関さん)

☆「兄ちゃんのなかで、オレのはシンドイっていう固定観念が…」(金森さん)
「次はまた違う感じのを」(金森さん)「次があるの?」(十市さん)「次があったら、違う感じの作る」(金森さん)「嬉しい」(十市さん)「この感じやったじゃん。おいら、同じ感じの繰り返すの嫌な人だから」(金森さん)「(Noism)0に特別出演して貰って…。0は結構厳しいですよ」(井関さん)「勇気さんの背中、テーピング見たとき、びっくりしちゃって…」(十市さん)「身体が痛いけど、集中したときの集中力が凄い。若い人たちのエネルギーも良いんだけど、それとはちょっと違う…」(井関さん)

★「十市さんって、一緒に踊ってて、凄い目を見てくれる」(井関さん
「凄く踊りやすい。いろんなダンサーと踊ってきましたけど、結構少ないんですよね。目をただ見てるだけじゃなくて、その人のなかに入ってくる、その感じが」(井関さん)「昔からそう?」(金森さん)「芝居やるようになってからかもしれない」(十市さん)「どんなに上手い人と踊っていても、そこの通じ合いがないと舞台に立っていて、全然楽しくないから、そういう人と踊れることは本当に幸せ」(井関さん)

☆「脱力」をめぐる応酬も…
翌日10時からというレッスンにも、いかにも及び腰で「脱力しなきゃいけない」とする十市さんに、「脱力する前に一回あげなきゃ」と金森さん。十市さん、すかさず「脱力するウォームアップで」と返すも、金森さんからは「脱力はウォームアップ要らない」と。で、負けじと、十市さん「脱力するためのウォームアップを脱力してやって、脱力する踊りを踊って…」と言ったのですが、金森さんから「でも、そんなのばっかりやってるとまたダメになるから、稽古は稽古でして、脱力系を踊って…」と敢えなく一蹴されてしまう十市さんでしたが、「愛されキャラ」振りはよ~く伝わってきました。

…とまあ、そんな感じにしてみました。
「伸びてきた髪を週末に切る予定」の十市さんをゲストに迎えたインスタライヴ、幾分かだけでも紹介できていたなら幸いです。でもまあ、どこをとっても楽しい話ばかりですから、一番は、実際にアーカイヴを聴いてみることですけれど。
それでは今回はこのへんで。

(shin)

真下恵さん・池ヶ谷奏さん「どっちが持っていく?」に行ってきました♪

10月23日(土)と24日(日)の2日間、真下恵さん主催、砂丘館で開催されたダンス公演「どっちが持っていく?」を観てきました!
https://www.sakyukan.jp/2021/09/8963
出演は真下恵さん、池ヶ谷奏さん。全5回公演、大好評で無事終了しました♪ ブラボー!!

長年、Noismで踊ってきたお二人。退団後も新潟を拠点に活動していて(池ヶ谷さんは新潟・東京)、このような凄い公演をやってくれて感謝感激! とてもうれしいです♪
お二人の初共演、超ハードな動きに、豊かな表情、驚きの演舞にビックリ仰天!!

萩尾望都「半神」をモチーフにした双子の物語(約40分)です。うれしいことに11/7までの期間限定ですが、10/23の昼夜公演をどちらも視聴できます。以下のリンクから、どうぞお楽しみください♪
https://www.instagram.com/p/CVbjsZ4POO3/?utm_medium=twitter

昼の部
https://youtu.be/1TFmVtcZ39k
(5分後に開始)

夜の部
https://youtu.be/57q-pfZ4968

お二人の共演、ぜひぜひまた!!
(fullmoon)

10/17『A JOURNEY』横浜千穐楽直後、感動の余韻のままに金森さん×長塚圭史さんのインスタライヴ

10/17(日)、「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA 2021」のフィナーレを飾るNoism Company Niigata × 小林十市『A JOURNEY ~ 記憶の中の記憶へ』が多くの人たちの脳裏に、胸に、記憶として刻まれてまもなく、17:45からKAATのインスタ・アカウントにて、金森さんとKAAT 神奈川芸術劇場芸術監督・長塚圭史さんのインスタライヴが配信されました。劇場界隈で、或いは劇場からの帰路で、その様子をご覧になった方も多かったと思われます。かく言う私は、「旅」先でもあり、まずは本ブログに公演レポをあげなければならぬという事情から、当初から、後刻、アーカイヴを観ることに決めていました。そして、日付が変わって、翌朝、(NHKの朝ドラ『おかえりモネ』に続けて)楽しませて貰った口です。ですから、皆さん、もうお楽しみ済みと考えますが、こちらでも内容をかいつまんでご紹介させていただきます。

*その実際のアーカイヴはこちらからもどうぞ。

金森さんと長塚さんはほぼ初対面。その長塚さん、劇的舞踊『カルメン』が印象に残っていて、特に「老婆」のインパクトが凄かったと語るところからやりとりは始まりました。

今回、思いがけない作品でびっくりした。どのようにして作られたのか。(長塚さん)
 -金森さん: 第一部冒頭「追憶のギリシャ」、十市さんと一緒に踊る場面の音楽はマノス・ハジダキス(1925-1994)。ベジャールがよく使っていたギリシャ音楽の作曲家で、ルードラ時代から思い出深い人。その人の楽曲を使って作れないかなと考えた。今回の楽曲は『I’m an eagle without wings.(私は翼のない鷲)』、今回のメインテーマである十市さんにもう一度、羽を獲得して欲しいとの思いを込めて選曲した。
『BOLERO 2020』の舞台版は、コロナ禍で創作した映像版で不在だった中心に十市さんを迎えて、他者と熱量を共有したいという鬱積した思いや願いなどを十市さんにぶつけるかたちをとり、そこから第二部へ行けたらと、この構成にした。
 -長塚さん: まず最初、十市さんの記憶から始まった。ダンス遍歴として受け取った。
 -金森さん: コロナ禍の苦悩が発端だったが、人間は人生の折々に、色々な境遇でそうした感情を抱く。時代を超えて、普遍性を持ったものであって欲しい。自由に受け止めて貰えれば良い。
 -長塚さん: 同時多発的で、凄い情報量。ドラマティックな「ボレロ」として刺激的だった。
あと、始まり方に驚いた。十市さんの劇のように始まった。こんなにひとりのダンサーに向けて作品を製作したことはあったか。
 -金森さん: 初めて。最初から最後まで「兄ちゃん」のために考えた作品。

第二部(The 80’s Ghosts)について
 -金森さん: 音楽はユーグ・ル・バール(1950-2014)、80年代にベジャールさんと一緒に作品を作っていたフランスの映画音楽の作曲家。十市さんがベジャールバレエ団に所属した1989年に、ベジャールさんが初演していたのが『1789…そして私たち』。フランス革命から200年後、革命にまつわる作品で、ユーグ・ル・バールがたくさん使われていた。十市さんとベジャールさんの出会いの頃。
その『1789…そして私たち』、200年前の革命で民主化された筈の世の中も、貧富の差は拡大し、争い事は尽きず、何も変わっていないという問題意識をベジャールさんは持っていた。80年代を振り返り、ベジャールさんを思い起こすとき、それは過ぎたことではなくて、今もなおアクチュアル。今現在、我々が生きている世の中の問題とも繋がっている。そのなかにあって、小林十市という舞踊家が52歳になって再び舞台に立とうとしている。その時間スパンをユーグ・ル・バールの曲を用いて表現できないかと思った。
ベジャールもユーグ・ル・バールも度々来日していた。80年代の日本は「バブル」。今から振り返ったら、じゃあ何だったんだろう、と。今もまだ続いている問題は何で、その上で、我々はここからどう「旅」していくかということを、逆に、舞踊家・小林十市に託した。

十市さんの「道化師」、52歳の十市さん
 -金森さん: 孤独で塞ぎ込んでいた17歳の頃、十市さんはいつも笑顔で優しかった。ベジャールさんの作品のなかでも、十市さんが担っていたポジションは「猫」の役など、人間を傍から、社会を斜めから見る目。あらゆる困難、苦悩、悲しみを見たうえで、それを笑いに転化しようというエネルギーを小林十市という舞踊家に感じていた。「道化師」は必然。その明るさ、道化的な要素をNoismメンバーに共有して欲しかった。通常のNoismではなかなかないようなことを十市さんと交わることで生みたかった。十市さんは落語家の孫。落語は人間の業を肯定する話芸、その遺伝子を継いでいる。
 -長塚さん: 道化師、俯瞰して、傍から見ている。今回の舞台でも、座って見ている時間が長かった。そこから踊り始めるのは結構負荷がかかるのではないか。52歳の十市さんの肉体と向き合ってどういう発見があったか。
 -金森さん: 2日目、カーテンコールが終わって、十市さんがちょっと悔しそうにしてたのが何よりかな。稽古して、求めれば求めるほど満足はいかないものだし、舞台に立ち続けるとはそういうこと。苦痛や不安を乗り越えていく、それが舞台芸術の美しさだと思う。十市さんの年齢を考えて振付したけれど、十市さん的には結構 too much だったかも。
でも、やっぱり十市さんは大きな舞台の人だと思う。世界中ツアーして、3,000人とかに向けて大空間で踊ってきた舞踊家。それは絶対、身体のなかにある筈だし、実際ある。
 -長塚さん・金森さん: 『BOLERO 2020』の最後、円のなかに入っていく、あれ、出来ないですよ。あのエネルギーのなかに行って、立つっていう。
 -長塚さん: 一緒に踊ったことはなくても、知り尽くしてるんですね。
 -金森さん: いやあ、だって、たった2年ですからね。妄想、妄想。知り尽くしてないです。(ふたり爆笑)
 -長塚さん: カンパニーとしての「出会い」はあったか。
 -金森さん: いい刺激になったと思う。凄い経歴、数々の舞台に立ってきた52歳でも、本番前に緊張したり、本番後、あそこがもっとなぁとか思ったり。若いメンバーが踊り続けていくなら、その姿が、彼らが共有したことがハッと気付くときが来る。今、もう既に目の輝きに表われてきたりしている。「舞踊道」、長く続く豊かなものである。たとえ、若い頃のように踊れなくなったにしても、そこにまた何か表現の可能性があることを感じて欲しかったし、感じてくれていると思う。
 -長塚さん: この作品がフェスティバルのフィナーレになったこと、凄い良かったなと改めて思う。
 -金森さん: 「クロージングで」ってことで話を貰ったので、なかなかの責任だったが、十市さんへの思いと持てるもの全てを十市さんのために注いだら、多分相応しい何かが生まれるとは思っていた。最終的に「兄ちゃん」が踊り切ってくれて良かった。
 -長塚さん: この構想を聞いてから、事前にプロットを考えて、そこに十市さんに入って貰ったのか、それとも十市さんと一緒に作っていったのか。
 -金森さん: line で、十市さんが踊った楽曲、思い出、写真など送って貰い、情報は共有したが、作品に関しては、自分のなかでどんどん先に作っておいた。あと、十市さんが入ってから、十市さんとの振付は、実際に十市さんに振付ながら生んできた。


作品に関して
 -長塚さん: 深い愛情が詰まった舞台であり、なおかつ、そこにとどまらず、今現在、これから先に向かっていくという作品は本当に素晴らしかった。
 -金森さん: 十市さんを思っている沢山の方々(お母さんやファン)の気持ちを裏切らないように作ったものが、昨日、無事に届いた感覚があって、それが何よりだった。
 -長塚さん: 十市さんのストーリーとして始まっていくのに、その間口がとにかく開かれていることが素晴らしいと思った。個人史みたいなところに行かず、歴史と記憶と現在とことを詰めたことが、閉じないことに繋がっている。作品としては、異質なのかもしれないが、十市さんというダンサーを通してできるひとつのレパートリーになっていくような、「幅」をとても強く感じた。
 -金森さん: 十市さんのために作ったが、十市さんにフォーカスしたいうよりも、「金森穣」の作品を作るうえでの妄想空間があり、そこに十市さんを入れ、そこで十市さんに自由に暴れて貰って、それで作った。十市さんが入ったことで、新たなインスピレーションのチャンネルも多数開いたので、十市さんには感謝している。
 -長塚さん: 全然閉じていなかった。特に開けていて、凄く面白くて素敵な公演だった。

…と、まあこんな感じでしたかね。ここでは拾い上げなかった部分も面白さで溢れていますから、是非、全編通してご覧になることをお薦めします。

そして、更に「もっともっと」という方には『エリア50代』初日(9/23)の公演後に配信された小林十市さん×長塚圭史さんのインスタライヴ(アーカイヴ)もお薦めします。こちらからどうぞ。

それではこのへんで。

(shin)

奇跡の現場に身を浸した10月17日、『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』千穐楽

個人的な事柄から書き出します。前日(10/16)のチケットも購入していましたが、職場の周年行事と重なっていたことに遅れて気付き、あえなく見送りにせざるを得ず、この日(10/17)の千穐楽が最初で最後の鑑賞機会となりました。はやる気持ちを抑えつつ、朝イチの新幹線で本当に久し振りの横浜入り。ホテルの部屋からはみなとみらいの大観覧車などを望むことができたのですが、雨煙る窓外のそれらは何とも平板で、そこここで営まれている筈の数多の人生たちも一切華やぎを立ち上げるべくもなく、灰色のなかに没していました。奇跡など存しないかのように…。

しかし、奇跡。そう、奇跡。「Dance Dance Dance @YOKOHAMA 2021」の掉尾を飾るNoism Company Niigata ✕ 小林十市『A JOURNEY〜記憶の中の記憶へ』(KAAT神奈川芸術劇場〈ホール〉)はその名に値するものだったと言えるでしょう。肌寒い10月の平板な日常のなかに、刮目すべき類稀な70分(休憩含む)の「旅」を用意してくれたのですが、それはベジャールさんとローザンヌを巡る記憶に基づいた十市さんの旅であり、用意した金森さんの旅であるのみならず、Noismメンバーにとっても、観客にとっても、まさにそれは奇跡的な旅だったと言えるかと思います。

プログラムによれば、第一部(25分)は、「Opening I」「追憶のギリシャ」「BOLERO 2020」とあります。

その第一部。16時を少しまわった頃、風の音が聞こえてきて、緞帳があがると、舞台中央に旅支度を整え、椅子に腰掛けた十市さん。諦念を滲ませながら、古びたトランクから数枚の写真を取り出しては視線を落とします。舞台奥に映される画像によってそれらがベジャール・ダンサーとして一世を風靡していた頃のものとわかります。そこに上手(かみて)から金森さん、そして、遅れて井関さん、舞踊とは別種の「旅」など祝する様子も皆無で、自ら踊りを繰り出しては舞踊の醍醐味に連れ戻そうと誘いをかけます。その場面、ある種のストーリーを完全に逸脱した、喜色満面の金森さんの笑顔に打たれます。「兄ちゃん」十市さんと踊る奇跡を表情から、体中から発散しているのです。そしてそれは、とりもなおさず、観客にとっても奇跡に立ち会うこと以外の何物でもありませんでした。その愉悦。多幸感。

そこからの『BOLERO 2020』、十市さんは下手(しもて)ギリギリの位置に移した件の椅子に腰掛けて、12人の舞踊家により、新たな『BOLERO』が踊られるさまを、微動だにせず、見詰めるでしょう。コロナ禍の舞踊家を扱ったクリエイションは、途中まで、あくまで舞踊家12人の孤独な舞踊であり、そこには本来、観客は不在の筈で、想定されていない観客として、それを見詰めるいると、音楽の盛り上がりとともに、次第にシンクロしていく構成に、心臓は高鳴り、我を忘れて興奮する他ありません。

そのさなか、今回、「映像舞踊」版に追加されたものがあり、ドキッとすることに。それは大クライマックスへと移る瞬間、濁点付きの「あああっ!」という大音声の叫び声。山田勇気さんが発したものでした。そこからはもう一気呵成、舞台奥にベジャールさんの作風を彷彿とさせる真上からの映像が映ると、舞踊家たちが形作る円の中心に進み出る十市さん。力強く上方に腕を伸ばし、何かを掴んだかのような確かさや一瞬の煌めきも束の間、その場に倒れ込んでしまいます。そこに緞帳が降りてきて、第一部の終わり。大きな拍手が沸き起こりました。

15分の休憩を挟んで、第二部(30分)。「The 80’s Ghosts」と「Opening II」(!)とあります。「ん?」って感じでしたけど。

再び緞帳が上がると、ほぼ第一部ラストの倒れたままの十市さん。違いは下手(しもて)ギリギリにあるのが椅子ではなく、先のトランクであることです。

すると、舞台奥にほぼ正方形の開口が生じて、スモークのなかから、グレーの衣裳に見を包んだ12名が現れます。『中国の不思議な役人』を彷彿とさせる不気味さで、十市さんを脅しに来ます。まるでそれは、十市さん内部の、踊ることへの妄執ででもあるかのように。現実味は希薄ですが、迫力満点です。

やがて、そこにプラスされるのは諧謔味。そして言葉。「彼らは舞踊家です」であるとしながら、翻って、「そして私は俳優です」でよいのか。「そして私は…」と言葉は途切れがちになり、後が続きません。「俳優」であることに安住出来ない気持ちが噴出してきます。

と、トランクに仕舞い込んでいた道化師の衣裳が、井関さん、ジョフォアさん、中尾さん、三好さんによって取り出され、あろうことか、彼ら4人によってバラバラに着られてしまいます。自らも赤い鼻を付ける十市さんですが、4人に翻弄され続けます。『ASU』のコミカルな1場面の趣きです。

次いで、三好さんがトランクから新聞と思しき紙片を取り出すと、唐突に「3億円のサマージャンボ宝くじ」発売を告げる女性の声が聞こえてきたり、そうかと思えば、ミラーボールが降りてきてからは、タンゴ調の音楽が耳となり、弾かれた光が客席全体に散らばるうちに、気付くと「革命とは…」というベジャールさんの声に転じています。やがて、観客は、舞台奥に投影される古いフランスの写真や映像に、混乱、或いは動乱の様子を見ることでしょう。

流れてやまず、とどまることを知らない時間、付随する避け難い加齢という現実…、十市さんにとっての踊る意味とは。そして、同様に、襲い来る様々な困難や苦境…、そこにあって舞踊家が踊る意味とは。そうした踊る意味への問いは否応なく芸術の意味への問いとして普遍化されていきます。そのとき、私たち観客も漏れなくその問いのなかに包含されていることにならざるを得ません。

「Opening II」とは、この奇跡的な共演を機に、舞踊の旅に立ち返ることになる他ないのだろう「兄ちゃん」十市さんの新章へのエールであり、十市さんと踊ったNoismメンバーの今後への期待でもあり、それを観た観客にとってさえ、一人ひとり前を見て歩むことを力強く後押しするものだったと言い切りたいと思います。

「Opening II」と表記されたクロージングにあって、金森さんは十市さんに上着を渡し、写真を渡し、トランクを渡します。どこまでも優しい仕草です。それを受けて、客席の方へ歩み出す十市さんの表情も諦念とは無縁のものになっています。滋味を加えた舞踊家として。

ラストで手渡された1枚の写真。それが何を写したものだったかは示されません。しかし、繰り返されたカーテンコールの際、舞台奥には、まず、十市さんと金森さんの写真を皮切りに、Noismメンバーとのクリエイション時の十市さんの写真が映されていきました。私は、最後の写真は、時空と構成を超えて、そのときの1枚だったと受け取ります。ベジャールさんのもと、ローザンヌで交差したふたりの(或いはベジャールさんを含めた3人の)人生に発したものが、まったく無縁に思えた新潟でのクリエイションを経て、第3の場所、横浜のフェスティバルで多くの人の目を虜にし、心を鷲掴みにする、そんな奇跡的な70分だった訳です。なんとロマンティックなことではありませんか。鳴り止まぬ拍手と時間を追うにつれ、数を増していったスタンディングィング・オベーションとがその証左です。

…平板なようでいて、こんな奇跡も内包するのが日常なら、愛おしさも込み上げてこようというものです。帰ったホテルの窓外に広がる光景が、今度は魅力的に見えたのは灯りが点っていたことだけがその理由ではなかったでしょう。そして、この日観たものがひとつの奇跡であるとするなら、またいつか目にし得る日が来るかも、そんな奇跡さえ期待したい気になろうというものです。ただ、今の私たちにはわからないだけで…。

(shin)