山野博大(舞踊評論家)
創立16年目のNoismは、財政的支援を行う新潟市との関わりを、より明らかにするために名称を「Noism Company Niigata(ノイズム・カンパニー・ニイガタ)」と改めた。そのNoism1+Noism0《森優貴/金森穣 Double Bill》公演を、彩の国さいたま芸術劇場大ホールで見た。
金森穣演出振付 の《シネマトダンス―3つの小品》は、舞踊表現とその映像表現という、まったく異次元のものを掛け合わせる試みだった。現れた瞬間に消えてしまう舞台芸術にとって映像は、記録して後で見るために使うことのできるたいへん便利な「技術」だ。また舞踊表現を援けるために映像を使う試みがこれまでにもいろいろと行われてきたが、そのほとんどは舞踊を援ける「効果」の範囲を超えることはなかった。映像表現の芸術性は、舞踊の世界ではほとんど問題にされてこなかったのだ。しかし金森は、その両者を対等にぶつけ合うことを意図した。
最初の『クロノスカイロス1』は、バッハの「ハープシコード協奏曲第1番ニ短調」によってNoism1の10人(池ヶ谷奏、ジョフォア・ポプラヴスキー、井本星那、林田海里、チャーリー・リャン、カイ・トミオカ、スティーヴン・クィルダン、鳥羽絢美、西澤真耶、三好綾音)が踊った。舞台中央奥にスクリーンがあり、そこに同時に映像が流れる。列を作り舞台を駆け抜けるダンサーたちの映像がスクリーン上に現れた。それは速度を表示する時間表示とたびたび入れ替わり、人間が動くことによる時間の経過をスリリングに観客に意識させた。舞踊と映像が激しく交錯する瞬間があった。
次の『夏の名残のバラ』では、「庭の千草(Last Rose of Summer)」のメロディーが聞こえはじめると、井関佐和子がメークする映像がスクリーンいっぱいに広がる。髪を整え、衣裳を身につけ、からだをほぐしてから、彼女は照明のきらめく場面へと進む。そこで幕が上がると、舞台にはスクリーンの中とまったく同じ情景が広がっていた。井関を撮影するカメラマン(山田勇気)の姿があり、舞台上のスクリーンに彼が撮る彼女の踊りが映った。とつぜん山田がカメラを置いて井関をサポートする。その瞬間に映像がどのように変わって行くかを気にしている自分に気が付いた。井関の姿がいっそう身近に感じられた。
最後の『FratresⅡ』は金森穣のソロだった。彼自身が舞台中央に立ち、両手、両足を力強く屈伸させる。その背後で彼の影が動いていた。しかし背後の影が別の動きであることがわかった。空間と時間にしばられている「舞踊」と、空間も時間も自由に超えられる「映像」との違いを、いろいろなところで観客に意識させた金森の《シネマトダンス―3つの小品》は、舞踊の可能性を広げる試みだった。
森優貴振付の『Farben』は、Noismが8年ぶりに招いた外部振付者による作品だ。森はドイツのレーゲンスブルク歌劇場の芸術監督として7年間働いて帰国したばかりなので、海外で進行中の新しい舞踊の傾向を熟知している。同時に彼は、貞松・浜田バレエ団が毎年行う《創作リサイタル》やセルリアンタワーの《伝統と創造シリーズ》などで創作活動を続け、日本の舞踊の持つ独特の感触も理解しており、これまでに『羽の鎖』(2008年初演)、『冬の旅』(2010年初演)などの佳作を残している。
帰国後、森は最初の作品となる『Farben』をNoismのために振付けた。いくつもテーブルを置いた舞台。舞台上空にも、テーブルが下がる暗めの空間で、地味な衣裳(衣裳=堂本教子)の12人(井関佐和子、池ヶ谷奏、ジョフォア・ポプラヴスキー、井本星那、林田海里、チャーリー・リャン、カイ・トミオカ、スティーヴン・クィルダン、タイロン・ロビンソン、鳥羽絢美、西澤真耶、三好綾音)が踊る。テーブルをさまざまに使いまわしてパワフルな動きを繰り広げた。このような舞台展開は、Noismのダンサーの得意とするところ。さらに大小のサイズの枠を使って鏡のように見せる。花を入れた花瓶を取り込んだりして、舞台の景色を自在に変えて行く。そのような思いがけない流れの節目を井関佐和子がさりげなくコントロールしていた。
金森の作品は細部までしっかりつめて作られている。一方で森の作品はどこまでも出たとこ勝負。成り行きで進む感じがある。そんな対比が楽しめた《森優貴/金森穣 Double Bill》公演だった。
(2020年1月17日/彩の国さいたま芸術劇場大ホール)