凄いものを聴いた!観た!-「サラダ音楽祭」メインコンサートの『ボレロ』、圧倒的な熱を伝播♪

2024年9月15日(日)、長月も半ばというのに、この日も気温は上昇し、下手をすれば、生命すら脅かされかねない暑熱に晒された私たちは、陽射しから逃げるようにして、這々の体(ほうほうのてい)でエアコンの効いた場所に逃げ込んだような有様だったのですが、まさにそのエアコンが効いた快適な場で、全く別種の「熱」にやられることになろうとは予期できよう筈もないことでした。

「サラダ音楽祭2024」のメインコンサートは早々に完売となり、当日券の販売もなく、期待の高さが窺えます。池袋・東京芸術劇場のコンサートホール場内では文芸評論家で舞踊研究者の三浦雅士さんの姿もお見かけしました。この日ただ一度きりの実演な訳ですから、期待も募ろうというものです。

私自身、先日の公開リハーサルを観ていましたから、この日の『ボレロ』が見ものだくらいのことは容易に確信できていましたけれど、大野和士さん指揮の東京都交響楽団とNoism Company Niigataによるこの日の実演は、そんな期待やら確信やらを遥か凌駕して余りあるもので、凄いものを聴いた、凄いものを観た、と時間が経ってさえ、なお興奮を抑えることが難しいほどの圧倒的名演だったと言わねばなりません。

そのメインコンサートですが、まず15時を少しまわったところで、ラターの《マニフィカト》で幕が開きました。私にとっては初めて聴く曲で、「マリア讃歌」と呼ばれる一種の宗教曲なのですが、そうした曲のイメージからかけ離れて、親しみ易いメロディーが耳に残る、実に色彩豊かで現代的な印象の楽曲でした。更に、前川依子さん(ソプラノ)と男女総勢50人を超える新国立劇場合唱団による名唱も相俟って、場内は一気に祝祭感に包まれていきます。「ラター」という人名と聖歌《マニフィカト》とは私の中にもしかと刻まれました。

20分の休憩を挟んで、後半のプログラムは、ドビュッシーの交響詩『海』で再開しました。こちら、どうしても、金森さん演出振付による東京バレエ団のグランドバレエ『かぐや姫』、その冒頭ほかを想起しない訳にはいきませんよね。粒立ちの鮮明な音たちによって、次第にうねるように響きだす音楽によって、そこここであの3幕もののバレエ作品を思い出さずにはいられませんでした。その意味では、都響によるダイナミックレンジが広く、階調も情緒も豊かな熱演が、同時に、次の『ボレロ』へのプレリュードとしても聞こえてくるというこの上なく贅沢な選曲の妙、憎い仕掛けにも唸らされたような次第です。

そしていよいよラヴェルの『ボレロ』です。金森さんと井関さん共通の友人でもあるコンサートマスターの矢部達哉さんが楽団員たちとのチューニングを始めると、客電が落ち、井関さんをはじめNoismメンバーが上手(かみて)袖からオーケストラ前方に設えられた横長のアクティングエリア中央まで駆け足で進み出て、特権的な赤い衣裳の井関さんを中心に、フードまで被った黒い8人が円を描くように囲んで待機します。金森さんの師モーリス・ベジャールの名作と重なる配置と言えるでしょう。やがてスネアドラムがあの魔的な3拍子のリズムを静かに刻み始め、フルートがそこに重なって聞こえてきます…。昨年末のジルベスターコンサートでの原田慶太楼さん指揮・東京交響楽団の時とは異なり、今回は中庸なテンポです。

金森さんによるこの度の『ボレロ』ですが、先ずは赤い井関さんと周囲の黒ずくめ8人の関係性の違いが、ベジャールの名作と最も大きく異なる点と言えるかと思います。音楽のリズムやビートを最初に刻むのが井関さん。そしてその中心からそのリズムやビートに乗った動きがじわじわ周囲に伝播していくことになります。

両腕を交差させて上方に掲げたかと思えば、両手で上半身を撫でつけたり、或いは、両手を喉元までもって来ることで顔が虚空を見上げるかたちになったり、苦悶と言えようほど表情は固く、如何にも苦しげな様子を経過して、決然たる克己の直立へ戻るということを繰り返すうち、次第に、井関さんから発したその身振りが断片的に、先ず周囲の幾人かに伝播していくのです。この「抑圧」が可視化されている感のあるパートで用いられる舞踊の語彙にはベジャール的なものはまだ含まれておらず、これまでのNoismの過去作で目にしてきたものが多く目に留まります。

やがて井関さんとその周囲、赤と黒、合わせて9人のポジションは、(徐々に黒い衣裳を脱がせながら、脱ぎながら、)3人×3という構成にシフトしていきます。それは即ち、最初の円形が横方向へ伸びるフォーメーションへの移行を意味します。そうなるともう多彩な群舞の登場までは時間を要しません。Noism的な身体によるNoism的な舞踊の語彙が頻出する限りなく美しい群舞が待っていることでしょう。見詰める目の至福。そしてそこに重ねられていくのは師へのオマージュと解されるベジャールの動きの引用。ここに至って、感動しない人などいよう筈がありません。飛び散る汗と同時に、9人の表情もやらわぎを見せ始め、笑みさえ認められるようになってきます。それは演出でもあるのでしょうが、自然な成り行きに過ぎないとの受け止めも可能でしょう。可視化されるのは「解放」です。その「解放」があの3拍子のリズムに乗って圧倒的な熱と化して、見詰める目を通して、私たちの身体に飛び込んでくるのですから、一緒に踊りたくなってうずうずしてしまう(或いは、少なくとも一緒にリズムを刻みたくなってしまう)のも仕様のないことでしかありません。(私など全く踊れないのにも拘わらず、です。)そして同時に、心は強く揺さぶられ、狙い撃ちにされた涙腺は崩壊をみるよりほかありません。

金森さん演出振付のダンス付きの、この都響の『ボレロ』は、最初のスネアドラムが刻んだかそけき音に耳を澄まし、それと同時に生じた井関さんの動きに目を凝らしたその瞬間から、最後の唐突に迎える終焉に至るまで、刻まれる時間と場内の空気は全てオーケストラによる楽音とNoismメンバーの身体の動き、ただそのふたつのみで充填し尽くされてしまい、夾雑物などは一切見つかりようもありません。両者、入魂の実演はまさに一期一会です。そんな途方もない時間と空間の体験は、それが既に過去のものとなっているというのに、未だに心を鷲掴みにされ続けていて、落ち着きを取り戻すことが難しく感じられるのですから、厄介なことこの上ありません。

繰り返されたカーテンコールで、満面の笑みを浮かべて拍手と歓声に応えた金森さんの姿も(腕まくりと駆け足も含めて)忘れられません。そんなふうに凄いものを聴き、凄いものを観た9月折り返しの日曜日、Noism20周年のラストを飾るに相応しかったステージのことを記させて貰いました。

(shin)

8/31、渋谷のNHKホールで東京バレエ団「ダイヤモンド・セレブレーション」を観てきました。(サポーター レポート)

こちらは創立60周年を迎える東京バレエ団による記念の祝祭ガラ公演です。前年に全幕上演された金森穣さんの『かぐや姫』よりパ・ド・ドゥが上演されると知り、早々にチケットを手配し、当日をとても楽しみにしていました。

当日は台風10号の影響で東海道新幹線が運休するなど交通障害もあり、来場できなかった方も多くいらっしゃったようでした。しかし公演の時間帯は幸いにも天気は小康状態で、私はありがたいことに無事NHKホールに辿り着き、鑑賞することができました。

曇天でしたが、雨は降っていませんでした。
ホワイエにはお花が飾られていました。

ホワイエは綺麗なお花で装飾されていたり、これまでの海外公演のポスターが展示されていたりと華やかです。
ホワイエを一通り散策し、席に座ろうとホール内に入場すると、なんと前の席に金森さんと井関さんが座っておられます。びっくりして、お声掛けするか迷っているうちタイミングを逸してしまいました。「『めまい』おもしろかったです!」とお伝えすればよかったな、と思いました。

第1部『エチュード』はピアノ学習者にとっては『ツェルニー◯◯番』で有名なツェルニーの楽曲に振付られた作品です。初めて観ました。50分にも及ぶボリューム感の中に、バレエの華やかさや超絶技巧が散りばめられて圧巻でした!

そして金森さんの師、キリアン『ドリーム・タイム』から始まる第2部。
『ドリーム・タイム』の渋さに唸り、『ロミオとジュリエット』のパ・ド・ドゥに涙する素晴らしい上演でしたが、金森さんの『かぐや姫』について詳しく書きたいと思います。

金森さんの「『かぐや姫』よりパ・ド・ドゥ」は、今回のガラ公演では舞台装置は置かず、舞台上にはスポットで描かれた月のみありました。
ドビュッシーの『月の光』の音楽に合わせて、月をみて寂しがるかぐや姫を道児が慰め、徐々に2人が惹かれていく様子が感動的に描かれています。
初演のときはどうしても技巧的な面を注視して観ていたように記憶していますが、今日の2人からは心の動きがそのまま伝わってくるようでとても感動しました。そして結末を知っているからでしょうか、少し切なさも伝わってきました。
上演後の2人に会場は拍手喝采、1度目のカーテンコールでも拍手は鳴り止まず、もう一度カーテンに応えていました。

ちなみに前の席の金森さん井関さん、演目が終わるたび2人ともニコニコ言葉を交わしたりして、とても楽しんでおられる様子でした。
『かぐや姫』のクリエーションを通じて得た絆や仲間意識が続いているようで、みているこちらも楽しくなります。

第3部の『ボレロ』は鉄板演目で、何度観ても盛り上がります。
鳴り止まないカーテンコールに応え、1部2部に出演していたダンサー達、スタッフも登場し、客席も総立ちで祝福しました。

『ボレロ』は今月(9月)、サラダ音楽祭で金森さん振付の『ボレロ』、またベジャールバレエ団の『ボレロ』も観られますので、こちらも楽しみにしています。

パ・ド・ドゥだけでも『かぐや姫』を再び観ることができ嬉しかったと共に、近いうちにまた全幕で観たいなあ、と強く思った公演でした。

(かずぼ)

「柳都会」Vol.28 矢部達哉×井関佐和子(2024/2/4)を聴いてきました♪

2024年2月4日(日)、暦の上では「春」となるこの日の午後2時半から、りゅーとぴあ〈能楽堂〉にて、東京都交響楽団のソロ・コンサートマスターを務める矢部達哉さんをお迎えしての「柳都会」を聴いてきました。

―届けているのは本物。音楽と舞踊の関係性、不可分性。

柳都会vol.28 矢部達哉×井関佐和子 | Noism Web Site

今回の「柳都会」は、聞き手の井関さんが話をお聞きしたいお相手として、矢部さんを希望されたところ、快諾をいただき、実現したものとのこと。そして、開催日時が近付いてくるなか、SNSに「ミニ・ワークショップもある」という追加情報も出されるなど、これまでにないスタイルへの期待も膨らみました。

予定時間となり、井関さんからのご紹介で登場した矢部さん。鏡板の「松」の手前、「人生で初めて履いた」という足袋姿+「お見せするだけ」のヴァイオリンを携えたそのお姿はそれだけでもうかなり微笑ましいものがありましたが、その後、トークの間に、何度もヴァイオリンを弾いて説明してくださった矢部さんのお人柄に場内の誰もが惹かれることになりました。終始、穏やかな語り口で、ユーモアを交えて話された矢部さん。ここでは話された内容からかいつまんでご紹介しようと思います。

*矢部さんとNoismとの出会い
2011年、〈サイトウ・キネン・フェスティバル松本2011〉でのバルトーク『中国の不思議な役人』のとき。
矢部さん: 『中国の不思議な役人』は信じられないくらい難しい曲。しかし、指揮者から「舞台の上(Noism)はあまりにも完璧でびっくりする」と言われていて、ピットの中からは見えなかったのだが、舞台の上と繋がっている感覚があった。後からビデオで観て、(Noismに)一気に興味が湧いて、それ以来、自分の人生の中で欠かせないものとなっている。尊敬し過ぎていて、ただのファンという感じ。

*矢部さんとヴァイオリン
・矢部さん5歳: ヴァイオリンは、クリスマスに親が出し抜けに買ってきて、「あなた、コレやるんですよ」と言われて、始めたもの。それがずっと続いて今日に至るのだが、現実は甘くない。「100年にひとり」とかいう存在になるなど、「皮膚感覚で無理」とすぐにわかった。
・矢部さん高1: 病気で学校に行けなかった頃、マーラーのオーケストラ曲と出会い、「これが弾きたい」という気持ちになって、オーケストラでヴァイオリンを弾くことが目標に定まった。
・オーケストラとソリスト: 実力、メンタリティや意識のほか、奏法も違う。オーケストラは調和が大事なのに対して、ソリストは孤独に耐えることができて、一人で2000人の聴衆の一番後ろまで音を届かせなければならない。(一方からもう一方への転向はそれぞれに難しい。)
しかし、ソリストも弾く曲を自分で選べる訳ではない。例えば、メンデルスゾーン、チャイコススキー、シベリウスなどは1年に何度も弾かねばならない。一方、オーケストラでは色々な曲、色々な指揮者に出会えるメリットがある。
・矢部さん22歳: 4つのオケからオファーがあったなか、東京都交響楽団のコンサートマスターになる。その際は、急遽の展開だったため、オケ側の事前協議や準備もままならず、(ご自身は何も事情を知らないながらも、)「不完全なかたちでお迎えして申し訳ない。これからのことはもう少ししてから」と言われての4月のスタートだった。→その後、「大丈夫になりました」と言われたのは、1990年6月6日に「信じられないくらい美しい音楽」マーラーの交響曲第3番・第6楽章を演奏した日のことで、きたる6月に「20周年記念公演」で同曲を踊るNoismとシンクロする。

*コンサートマスターの仕事 
矢部さん: 指揮者とオーケストラは大抵、喧嘩するもの(笑)。そのとき、間に立って、いいかたちに持っていく役割。(穣さんほどじゃないけれど、)生意気だったかもしれないが(笑)、「長い目で見てあげよう」と思われていたのだろう。同時に、最初の4~5年くらいは、「子ども」で大丈夫かとも見られていたようで、「ごめんなさい」という感じで座っていたりもした。
井関さん: 若くしてコンサートマスターになる人はいるのか。
矢部さん: そんな時代もあり、昔は何人かいたが、ここ30年程でオーケストラの技量が格段にアップしてしまって、現在は難しい。

*(舞踊の)カウントと(オーケストラの)指揮者
井関さん: 舞踊の場合、指揮者にあたるのはカウント。カウントを数えて踊るのだが、最終的には、カウントを数えていると「見えなくなる」。 
矢部さん: (例えば、小澤征爾さんとか)本当に凄い指揮者は見なくても伝わってしまう。磁場ができて、自由に弾かせて貰っている感じになる。そのとき、舞台上は有機的に繋がっていて、触発され、相乗効果で演奏している感覚に。それがオーケストラで演奏する醍醐味。

*音楽性をめぐって
矢部さん: 才能もあるが、表現、音の陰翳、色の捉え方が大事。
井関さん: 舞踊家が音楽を身体に落とし込んでいくやり方は、個人によって異なる。矢部さんはどういうふうにキャッチしているのか。
矢部さん: 簡単に言うと、「作曲家の僕(しもべ)」として。例えば、ベートーヴェン。200年も経っているのだが、ビクともせず、生き残っている。普遍的な力で、現在に至るまで、どの時代の人の心も捕らえてきた。生き残らせる役割を仰せつかっている。音楽によって聴衆との間に生まれる空気を共有することが目的。

井関さん: 作曲家の意図を汲みつつ、オケにあって個性は必要なのか。
矢部さん: 生まれ育った環境も心の在り方も異なるのだから、個性は違って当たり前。
ピタリ合っただけの音楽は異様で、生きた音楽にはなり得ない。小澤さんは、個を出した上で有機的に調和することを求めた。

矢部さん: 音楽史上、最も偉大な3人(バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン)の音楽は色々な解釈、色々なアプローチを受け付ける。スパゲティ・ナポリタンにも色々なものがあるのと同じ(笑)。(ナポリタンである必要もないが(笑)。)

*呼吸をめぐって
井関さん: 踊っているときの自分の呼吸に興味がある。昨日、弾いて貰うのを聴いていて、矢部さんの呼吸にも。
矢部さん: あっ、そうか。(呼吸)しているんでしょうね。呼吸を入れると、身体が自然に動くが、止めると、身体も止まる。酸素を取り入れた方が流れがよくなる。
井関さん: 呼吸のコントロールで表現が変わってくる。自分の呼吸に気をつけていると、「離れる」こと、「引く」ことができて、身体に影響が大きい。
矢部さん: ヴァイオリンの場合、ダウンボウでは吐き出して、アップボウでは吸う。音の方向性(上に行くものと下に行くもの)に違いがある。

(5分間の休憩後には、予告されていた「ミニ・ワークショップ」から再開される。)

*金森さんの音楽センスと「ミニ・ワークショップ」
(金森さんも加わって、再開)
金森さん: 「雇われ演出家」の金森穣です(笑)。
矢部さん: 穣さんの音楽センスは、まわりの芸術家のなかでも傑出していて、まさに天才。音の陰翳、色を捉えた演出、ずっと興味があった。ドビュッシーの交響詩『海』、ずっと好きで、繰り返し聴いてきたが、『かぐや姫』で聴いたときが一番よかった。それが「金森マジック」。

「ミニ・ワークショップ」: 矢部さんが、金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』で金森さんが使用しているドビュッシーの『亜麻色の乙女』、『海』(のそれぞれ一部)を弾き、その場で金森さんが即興で井関さんに振り付ける様子を観る、実に贅沢な時間…♪

矢部さん: (「ミニ・ワークショップ」では)ただ弾いていただけではなくて、彼ら(金森さんと井関さん)の動きを観ることで、陰翳が変わった。触発されて、別の弾き方をしてみたくなる。相乗効果。とてもクリエイティヴ。
金森さん: 呼吸の「間(ま)」、振付を考えるうえで大きいかもしれない。言葉がないもの、説明のしようがないものを届ける。非言語での想起。
矢部さん: 芸術は受け取る側に委ねられている。(恣意的に歪めることは違うが。)今あるメロディがより綺麗に聞こえる、「金森マジック」。
(この間、約15分。金森さん退場)

*呼吸、カウント、一体感…
井関さん: 最近、「声」が入っているもので踊る機会が多い。歌手の呼吸を聴き込んで踊っている。矢部さんの呼吸をキャッチできたときに一体化できる。
矢部さん: (小澤さんをはじめ、)偉大な指揮者は例外なく呼吸から受け取るものが多い。呼吸によって出て来る音楽が異なる。
井関さん: 一旦、繋がってしまうと、テンポはそれほど重要ではなくなる。信頼関係かもしれない。
矢部さん: 音楽よりカウントを優先させてしまうと、ズレてしまうかもしれない。うねり、抑揚、陰翳…音楽が身体に入ってくると、自ずと身体の使い方が変わってくるのではないか。

矢部さん: まっさらな楽譜に「ボウイング」を書き込むのもコンサートマスターの仕事。でも、違うんじゃないかと言われて、消しゴムで直すなんてことも(笑)。
井関さん: 普通に矢部さんのお仕事見学に行きたい。
矢部さん: そんなに面白くはない…(笑)。

(と、ここで井関さんが終了時刻の午後4時になっていることに気付き、告げる…)

矢部さん: あら、そうね。また遊びに来ます。今度は舞踊について質問したいことがたくさんあるから、それはまた機会を改めて。

…と、そんな感じでした。
矢部さんは「お見せするだけ」の筈だった(?)ヴァイオリンで、上に記した曲のほか、オーケストラとソリストの弾き方の違いを説明する際に、ブラームスの交響曲第1番からのソロ・パートを、更に、アップボウとダウンボウの違いに関しては、マスネの「タイスの瞑想曲」も(一部)弾いてくださいました。お陰で、(金森さん登場の「ミニ・ワークショップ」も含めて、)おふたりの本当に濃密、かつ、わかり易いやりとりを堪能させて貰えました。そんな豊かな時間を過ごせたことに、感謝しかありません。(何しろ終わったばかりで、こんなことを書くのは欲張りも過ぎる気がしますが、)是非、舞踊に関して改めての「機会」が実現しますように♪

(shin)




金森穣×東京バレエ団『かぐや姫』新潟大千穐楽を総身に浴びた至福の2時間40分♪

2023年12月3日(日)、新潟市は本格的な「冬」を連れてくるとおぼしき強烈な風雨に見舞われました。この日はりゅーとぴあも県民会館もイヴェント目白押しで、果たして駐車場に車を入れられるか、若干、不安な気持ちを抱えつつ、りゅーとぴあを目指しました。少し待ちましたが、何とか入れ替わりのタイミングで駐車できて、まずは一安心。

冬の荒天のなかの各公演地『鬼』再演ポスター

13時30分の入場時間を前に、どんどん観客は集まってきます。私自身も久し振りのりゅーとぴあでしたので、友人、知り合いの顔を探しながら待っていました。そんななか、山田勇気さんと浅海侑加さん夫妻、ジョフォア・ポプラヴスキーさんと中村友美さん夫妻、現Noism1メンバーの糸川祐希さんとお母様にお会いして、ご挨拶をしたり、お話できたりとウキウキ気分もずんずん盛り上がっていきました。

そうこうしているうちに入場時間となり、ホワイエに進むと、そこは一段と賑わいが増しているように思えました。この日のミッションは金森さんと井関さんからプログラムにサインを貰うこと。特別なペンを用意して臨みましたが、おふたりの姿は見えません。「今日は立たれないのかな」と半ば諦め始めた矢先、おふたりが出てきてくださいました!この時点で既に興奮はMAXレベルに! 無事、金色のペンでサインをしていただくことが出来ました。

14時になり、(恐らく)最後のお客さんが席についたところで開演。そこからはまた別の興奮に包まれることになります。前の記事でfullmoonさんが書いてくれたように、今公演は「すり鉢」状の一番「底」にあたる部分に地続きでせり出すようにして舞台が設えられていて、そのため、(恐らく)どの席からも想像以上に近くから見下ろす感じで鑑賞することができたからです。近い、近い!

そんなふうに総身で浴びるようにして観た『かぐや姫』全3幕公演の大千穐楽の舞台。第1幕の「緑」、第2幕は「赤」と「黒」、そして第3幕の「白」、休憩を含む至福の2時間40分でした。

まず驚くべきは音楽。ドビュッシーの音楽はこの金森作品のための劇伴音楽ではないかと思ってしまうほど! で、ドビュッシーって本当に様々な曲を書いていたのだと改めて感じたりもしましたが、「超」が付くほどの有名曲が使用された場面であっても、舞台上のパフォーマンスの強度が強くてちっとも音楽に負けていないばかりか、逆に、今後、その曲を聴くと舞台の場面を思い起こさずにはいられない、そんな気がするほどです。ここまで集めに集めて、オール・ドビュッシーで構成した金森さんの執念も感じました。

そのパフォーマンスの強度、東京バレエ団の団員に目は釘付けでした。この世の者とは思えない秋山瑛さんは「白」。跳ねる無邪気さから陰影に富む憂いまで全身で「かぐや姫」をリリカルに具現化していきます。一方、「影姫」沖香菜子さんの「赤」。吸い込まれそうな半端ない目力ともども、衝撃的としか言いようがないほどの圧倒的な存在感で迫ってきます。そして勿論、「道児」柄本弾さん、「翁」木村和夫さん、「帝」大塚卓さんはじめ男性陣も素晴らしかったですし、男性群舞の場面などはまさに圧巻でした。そして金森作品のファンとしては「暗躍(?)」する「黒衣」たちが「金森印」として可愛くて仕方なかったことも言い添えておきましょう。

私たちを超えた大きな力により、この世に「愛」をもたらさんと遣わされた「かぐや姫」。周囲に人を愛する心を芽生えさせますが、それは同時に、「嫉妬」や「欲望」その果てに「憎しみ」や「争い」までもたらすことになってしまい、失意の底、嘆きの(無音の)叫び声をあげるや、…。(←あくまでも個人的な解釈です。)

私たちが目撃したのは、紛れもない金森作品としての普遍的なグランド・バレエの誕生。バレエに疎い私ですが、この作品をもって東京バレエ団の素晴らしさを知り得たことも喜び以外の何物でもありません。他の演目も観てみたいと思ったような次第です。

曰く、桃や栗と同様に、3年間の月の満ち欠けの果てに、ここに結実を見た金森さんと東京バレエ団の『かぐや姫』全3幕。この名作の世界初演に立ち会えたことをしみじみ嬉しく思っております。

そして今月(2023年12月)は、この度の『かぐや姫』を皮切りに、中旬は鼓童との『鬼』再演(12/15~17:『お菊の結婚』含む)が、そして大晦日にはりゅーとぴあジルベスターコンサートにて「新」ボレロが待つ、まさに金森さんとNoism「大渋滞」の月♪ 年末の渋滞する道路は御免ですが、こちらは嬉しい悲鳴そのもの。りゅーとぴあでお会いしましょう。

さてさて、今夜は私も(プログラムに読める三浦雅士さん同様に)アリス=紗良・オットのCDでドビュッシー『夢想』を聴いて寝ることと致します。あの余韻のままに…。

(shin)

『かぐや姫』2日目(10/21)Bキャスト & 金森さんアフタートーク♪

爽やかな秋晴れの10/21(土)。
世界初演の興奮と感動が覚めやらぬまま2日目の劇場へ。


公演初日はドキドキハラハラの連続で、輝く舞台と盛りだくさんの内容に圧倒されました!
2日目はキャストが変わり、舞台の雰囲気も変わりましたが、素晴らしさは変わりません✨
特に2幕の姫と道児のパ・ド・ドゥは切なさに感涙・・・
影姫の、大臣4名とのダイビングのようなパ・ド・サンクに瞠目!
影姫は両キャストとも迫力満点です!
かぐや姫はお二人とも本当にかわいくて可憐で美しくて儚くて、細くて・・・
第3幕は白い世界・・・幻想と現実と終焉が・・・

第1幕45分、20分休憩、2幕40分、15分休憩、3幕40分、
と長いのですが、あれよあれよと物語は進み、気がつけば終幕。
スタンディングオベーションで歓声を送っている2日間でした♪

2日目の終演後は金森さんのアフタートークです♪
聞き手は共立女子大学准教授・舞踊研究家の岡見さえさん。

岡見: 今のお気持ちはいかがですか?
金森: 最後のクリエーションは怒涛というか必死でした。今は何か他人事というか、傍観している感じというか、自分事として捉えられていません。明日はもっと感慨に浸れるかもしれない。
岡見: ドビュッシーの音楽がこの作品のために作られたかのようですが。
金森: そう言われると振付家として嬉しいです。様々な音楽を聴いてドビュッシーに辿り着きました。

ほか、かぐや姫をテーマに選んだ理由、バレエ作品の振付について、キャラクターの魅力、月と日本人の精神性、翁について、かぐや姫の謎 、バレエの技法とNoismメソッドをどう融合させるか等々、既報の各インタビューやプログラムに掲載されている内容についても改めての質問がありました。

詳細どうぞお読みください。

https://madamefigaro.jp/series/interview/231016-kaguyahime.html

https://balletchannel.jp/32867

https://thetokyoballet.com/blog/blog/2023/10/3-1.html

https://www.jiji.com/jc/article?k=2023100200760&g=etm

岡見: 東京バレエ団との仕事はどうでしたか?
金森: 一番最初の1幕の頃はゲスト的に迎えられて、お互いに緊張していましたが、回を重ねるごとにだんだん慣れてきて「あ、また来たの?」みたいな、東バのコレオグラファーのようになっていきましたね。
東京バレエ団との縁は続いてほしいし、『かぐや姫』をぜひ再演してほしい。
「残る作品」というのはいろいろな舞踊家が踊っても作品が崩れないことだと思います。そういう意味でも、今回A・Bキャストがあってよかったと思います。

岡見: 第3幕は「バレエ・ブラン」(白いバレエ。古典バレエにおいて女性ダンサーたちが白いコスチュームで踊る作品及びその場面を指す用語で、純粋で正統的なバレエの形式。バレエ・ブランは非現実的な世界(妖精や精霊、夢の中など)を表現するのに適した形式で、『ラ・シルフィード』『ジゼル』『白鳥の湖』(湖畔の場面)、『ラ・バヤデール』の『影の王国』などが有名な例)のようでもありますが、現代的な要素も山盛りでした。
金森: 夢のようだけれども「今」を共有、共感できるような、それを可能にするような作品を創りたいと思っています。劇場での出来事、感動を共有してほしい。劇場はたまに行くところではなく、生きていくために必要な所、そう思えるような作品を創っていきたい。劇場文化は特別なものではなく、日常や自分の心と響き合うものであるということを多くの方たちにわかってほしいです。

岡見: かぐや姫は何者だったのでしょうか?
金森: 姫は生まれましたが、私が創ったのではなく、自分は「触媒」だったと思います。
世代、時代を超え、日本や海外のバレエ団でも上演してほしいです。そしてその問いの答えを皆さんから聞きたいと思います。

というようなお話でした。書ききれなくてすみません。
「月の姫」はふところ深く、謎をはらみつつ、新作でありながら古典となるべく生まれました。
日本人振付家・金森穣によるグランド・バレエが誕生する瞬間に立ち会うことができて、本当に幸せです♪

(fullmoon)

『かぐや姫』第2幕、2日目♪

大感激の初演を観て興奮冷めやらぬ2日目、4月29日(土)。
この日は14時開演なので、前夜は閉店していたバレエホリデイのかわいいお店がたくさん開店していました♪

2日目の『かぐや姫』は主な出演者が交代して、ダブルキャストの醍醐味を堪能させていただきました✨
どちらも素晴らしい!

そして冒頭から、そこかしこに金森さんの細やかな思い入れや、痒いところに手が届くような心配りが感じられ、まさに感嘆感激!
音楽もピッタリで、ドビュッシーの曲なのに特別誂えかと思ってしまいます♪

そして孤独感溢れる登場人物と『ビリティスの歌』✨
かぐや姫と道児のほんの一瞬の逢瀬♡
素晴らしい美術、舞台装置、煌めく衣裳✨
もう〜書ききれません!
愛とは、孤独とは、人生とは!?

もう最終日(4/30)の公演を残すだけなのですね・・・
shinさんのブログを楽しみにしています♪

(fullmoon)

2021/11/20東京バレエ団『かぐや姫』マチソワ in 新潟♪

2021年11月20日(土)の新潟市はこの時期らしからぬ穏やかな晴天。2週間前の上野がそうだったように、この日も竹藪に分け入るのにはうってつけの日だったかと。そんなふうに天をも味方につけて、東京バレエ団による『ドリーム・タイム』と『かぐや姫』のダブルビル公演がマチソワで新潟市・りゅーとぴあの観客に届けられました。

運良くどちらのチケットも買うことが出来たために、マチネ・ソワレ両方とも楽しむことが出来ました。そのどちらのホワイエの光景も普段のNoism公演のときとは趣が若干異なり、華やぎが何割か増しのうえ、お子さん連れ、家族連れの観客も多めで、「やはりバレエだなぁ」と感じたような塩梅でした。開演間近を報せる「1ベル」もなにやらチャイム仕立てでいつもと違ってるなと思いました。

ここではマチネとソワレとを合わせたかたちで書かせていただきます。

最初の演目はイリ・キリアン振付の『ドリーム・タイム』、東京は上野での初日の舞台を観たときから本当に魅了された作品です。同時に、内容充実の公演プログラムに、オーストラリアやらアボリジニやらのワードを目にして、「ん?何で?」と思うところがあり、ちょっと調べてみました。すると、大修館のジーニアス英和辞典第5版(「G5」)によれば、「Dreamtime」とは、《オーストラリアのアボリジニにとっての天地創造の時;alcheringaともいう》とあるではありませんか。他もあたってみると、祖先が創造された至福の時代を指すのだとも。ただ単に夢見ている時間ではなかったのだと知った驚き。浅学に過ぎました。それでこその武満徹の響き、合点がいきました。ホリゾントに浮かぶイメージも見事にマッチして見えてきます。

冒頭は女性3人(沖香菜子さん・三雲友里加さん・金子仁美さん)が無音のなかシンクロして踊るところから始まり、やがて、武満の音楽が被さってくるでしょう。それは個と言うより、民族としての堆積した記憶、その古層から浮かび上がってくるかのような夢。編まれつつも解かれていき、浮遊するかのように捉えどころのない、連続にして不連続。そうした非現実的な「時」が宮川新大さんと岡崎隼也さんによる超絶技巧的なリフトなどを駆使して現前化されていきます。そうしたリフトのなかには、金森さんに引き継がれているものも少なくないように感じられました。そして、レム睡眠がノンレム睡眠に取って代わられることで、夢に一区切りが入るように、ラスト、女性3人のたおやかな身体が描く美しい曲線、その3つのシルエットの余韻を残したまま緞帳が下りました。

20分間の休憩。ホワイエに出ると、見知った顔の集まりができました。「いいですねぇ」「好きです、これ」想定内でしかないような、そんな言葉が交わされました、マチネのときも、ソワレのときも。

そして金森さんの『かぐや姫』です。上野の東京文化会館のときとは若干の変更が認められました。映像が違っている印象でしたし、下手(しもて)の装置も最後までずっと顕わしになっている点も異なっていました。なにより、舞台のスケールがしっくりぴったり収まっているように思えたのは、やはり金森さんにとって、りゅーとぴあがホームだからでしょう。

「かぐや姫」と「道児」を踊るのは、マチネが秋山瑛さんと柄本弾さん、ソワレが足立真里亜さんと秋元康臣さん。東京の初日で秋山さん+柄本さんを観ていますが、ソワレのおふたりは初めて観ることになります。ほかには「童たち」もそれぞれ別キャストです。興味は募りました。

和の響きのようなドビュッシーの楽音から、桜舞い散る映像に「KAGUYAHIME」の英文字。やがて、夜明け前の青色は海。もう陶酔感しかないコールドに目は吸い寄せられます。そして、緑の竹の形象へ。この間に連発されるパドブレによるフォーメーションの変化はもう美の極み。そこに加わる、衣が繊細に翻るかのような、細波が時間差で拡がっていくかのような振付も金森さんの独壇場。そしてそれらを極上のスキルで可視化する東京バレエ団、まだ始まったばかりだというのに、もう既に眼福でしかない時間が私たちを一瞬のうちに虜にしてしまうでしょう。

そこに黒衣であり、影絵的仕掛けやら、「降ってくるモノ」すらあり、と金森さん的な話法が随所に顔を覗かせる訳ですから、観ていて楽しいことこのうえありません。

体重など全く感じさせず、ゴム鞠のように跳ねる秋山さんの「かぐや姫」に対し、憂いのテイストを感じさせる、やや年長感漂う足立さんの「かぐや姫」。一日のうちにどちらも観ることができて、その個性の違いを存分に楽しみました。

マチネもソワレも、どちらも40分などあっという間で、するすると過ぎ去り、一旦これで見納めということならば、早くも次の第2幕が、そして第3幕の結末が待ち遠しくなってもうどうしようもありません。きっと客席はそんな人たちばかりだったと見え、「かぐや姫」を失い、悄然とした「道児」をひとり残して緞帳が下りると、割れんばかりの拍手が場内に谺しました。その後、繰り返されたカーテンコール、何度も何度も。それは客電が点ってからも続きました。この日、ソワレの方には金森さんも登場し、すると更に一層大きな拍手が送られ、スタンディングオベーションもドッとその数を増しました。東京での2公演に加えて、新潟でも2公演。練度はあがり、表現が深まっていることは一目瞭然でしたし、当たり前の反応にしか過ぎなかった訳です。

その後、呼びかけられた規制退場のアナウンスに従い、ホワイエに出ると、東京からの、京都からの、出会う顔という顔がもう一様に笑顔でしかなく、満足感に浸る者たちばかりだとわかりました。この作品、言葉を超え、年齢を超え、誰にも届くものに仕上がっていると言い切りたいと思います。

あの人ともこの人ともひとしきり話し終え、漸くりゅーとぴあを後にしようとしたとき、さっきまでのあの物語を引きずるかのように、ほぼ満月が輝いているのを見上げました。2023年の4月も10月もきっと同じように月が輝いていることだろう、そんな根拠のない確信とともに、心躍らせながら駐車場を目指しました。

photo by tak_104981

(shin)

満を持して世界初演♪東京バレエ団『かぐや姫』第1幕、初日の幕上がる

2021年11月6日(土)は秋晴れの一日。まるで、金森さん演出振付、東京バレエ団『かぐや姫』第1幕世界初演の初日にあって、雨など降っていては、竹藪に分け入ったとしても光る竹も見つけ難かろうとばかり、天の配剤ででもあるかのように。そして何より、世界に向けて、この日本古来の物語バレエの幕が上がる、その輝かしき一日を諸手を挙げて祝福しようとでもいうかのように。

期待に上気した表情の人の波、その華やぎに溢れたホワイエ。この東京バレエ団『かぐや姫』第1幕東京公演2日間は、金森さんの現在と、そこに至る謂わば源流をなすとも捉えられようベジャールとキリアンの作品を一緒に観られる豪華トリプルビル公演という豪華さ。バレエについては殆ど何も知らず、語ることもおこがましい私ですが、客席を埋める目の肥えた観客に混じって、件の降り注ぐ美しい秋の陽光にもまさる、美しいバレエを、或いはバレエの美しさを心ゆくまで堪能しました。

午後2時を少し過ぎて客電が落ち、最初の演目、ベジャール『中国の不思議な役人』からのスタートです。今回、上野まで観に来た理由のひとつがこれでした。この後の新潟公演では観られない演目であり、また、以前に観たNoism版が凄く好きなことに加えて、フリッツ・ラングの映画『M』や『メトロポリス』の影響も濃厚に感じられる舞台とあっては、是非観たいという気持ちは抑えるべくもなかったのです。
いつ聴いても血が滾る思いがするバルトークの音楽に乗り、「フィルム・ノワール」的な舞台設定のもと、バレエの語法で展開していく舞台は、Noism版の記憶をまざまざ呼び起こしつつも、(浅学の私にとっては逆に)新たな世界を見せてくれるものでした。更に、禍々しさ溢れるナイフや縄など、金森さんが引き継いだアイテムを確認できたことも収穫でした。

20分の休憩を挟み、ふたつ目の演目は、キリアンの『ドリーム・タイム』です。20分と、この日、一番短い舞台でしたが、詩情も豊かに、そのタイトルのまま、まさに夢幻の境地に誘うバレエにすっかり陶酔してしまいました。武満徹のたゆたうような豊穣さが見事に可視化されていることに驚嘆したと言っても過言ではありません。新潟公演でも再び観られることを心底楽しみにしている程です。

その後、再びの休憩も20分間。しかし、その休憩も、残り5分くらいになると、舞台上に装置が現われてきました。一見して、なるほどと思えるものです。一旦、暗転した後の明転で翁(飯田宗孝さん)が登場し、『かぐや姫(KAGUYAHIME)』が始まります。恐らく、日本人なら誰も知らぬ人などないだろう物語が、ドビュッシーの楽の音に合わせて、色彩も豊かに紡がれていきます。現代のコンテンポラリーダンス界を牽引してきている金森さんがバレエの手法で描く日本の古典『竹取物語』。月から俗世に遣わされた姫。古き日本の貧しい山村を踊るバレエという西洋の語法。そうした数々の「混淆」若しくは「越境」とも呼ぶべきものが豊かに織り上げられていく35分間は、観る者のなかに、これに続く第2幕、第3幕を今すぐにでも観たいという強い欲望を掻き立てずにはおかないことでしょう。

東京公演キャスト表


軽やかにしてたおやかな秋山瑛さん(かぐや姫)と受け止める柄本弾さん(道児)が身体から発散させる思い。クライマックスで見せるパ・ド・ドゥの物悲しくも、息を呑む美しさと言ったら筆舌に尽くせるものではありません。酔いしれるのみでしょう。そして、そのふたりの脇には、翁の人間味溢れる様子と黒衣の存在感があり、更に、コール・ド・バレエの色彩感も眼福以外の何ものでもありません。コミックリリーフ的な場面を挿入しつつ、緩急のある舞台展開で語られていくグランド・バレエは、難解なところなど皆無で、安心してその流れに身を任せることが出来ます。

やがて、かぐや姫が都へ向かう場面が訪れるでしょう。金森さんが触れていた第1幕の終わりです。もっと観ていたい、そんな気持ちが大きな拍手となって会場中に谺し、繰り返されたカーテンコール。途中、秋山さんに促されて、金森さんが、次いで、井関さんも姿を現しました。その後も続いたカーテンコール、いったい何回あったことでしょう。スタンディングオベーションもどんどんその数を増していきました。世界初演のこの作品を届けた者も、客席からそれを目にした者も、みんな揃って笑顔、これ以上ないくらいの晴れがましい笑顔でした。日本のバレエ界がこの日、またひとつ大きな歴史を刻んだ訳ですから、当然でしかないのですけれど。緞帳が完全に下りてしまってからも、その合わせ目から主な出演者が、そして金森さんと井関さんが次々姿を見せてくれると、その度、大きな拍手が湧き上がりました。で、客電が灯されはじめ、場内がやや明るくなってのち、もうおしまいかと思っていたというのに、やおら緞帳が上がったりしてみると、拍手する方も、される方も「多幸感、ここに極まれり」とばかりの空気感で覆い尽くされていったこの日の東京文化会館・大ホール、終演時の喜ばしい光景でした。

書いているうちに、日を跨いでしまいましたので、東京公演の二日目で、楽日を迎えたことになります。本日は、足立真里亜さんのかぐや姫、秋元康臣さんの道児がきっと会場を魅了し尽くしてくれることでしょう。ご覧になられる方は期待MAXでお運び下さい。

感動は2023年へ♪

そして2023年、その都度、目撃しながら、全3幕、その全てを観ることになる日が今から楽しみで仕方ない私です。これからご覧になられる方も一人残らずそうなること請け合いです。今後も劇場に足を運ぶことで、こうしてバレエの歴史の目撃者となることの幸福を享受して参りましょう♪

(shin)

金森穣×東京バレエ団『かぐや姫』記者会見インスタライヴ♪

10月27日(水)17:45から30分間、東京バレエ団の主催で『かぐや姫』について、金森さんへの記者会見インスタライヴが行われました。この日は、かぐや姫 足立真里亜さん・道児 秋元康臣さんによる、初めての通しリハーサルがあったようで、記者の方たちはそのリハーサルをご覧になってからの会見のようです。質疑応答の中には若干、物語のネタバレも含まれていますのでご注意ください。

Q(記者) 以前、信頼している方にリハーサルを見てもらった時に、ダメ出しをされたそうですが、どんなことを言われたのですか?

-A(金森さん) ダメ出しの内容はあまり言いたくないものなのですが(笑)。まだそれほど出来上がっていない時点で、自分も客観性が無く、本来であれば踊りの質とか呼吸、情感、表現を考えなければいけないのに、つい技術的なことにフォーカスしてしまい、振付を早く覚えてほしいとか、そんな気持ちが先に立ってしまったので、それは当然のことながら「舞台芸術としてどうなのか」と言われますよね。はい、その通りですというしかありませんでした。

Q コロナ禍において、Noismの作品がどのように変わったと思いますか?

-A 何を届けるか、でしょうか。自分は本来ネガティブというか暗いので、悲哀、痛み、苦悩、悲しみを表現することが多かったのですが、コロナ禍で世の中が暗いのに、その上にまた暗い作品ではどういうものかと思い、暗い中でも少しポジティブに、希望や愛、人と愛し合うということを届けたいと思いました。

Q 『かぐや姫』の主役の二人やバレエ団について、どんな感じをお持ちでしょうか?

-A 『かぐや姫』はかぐや姫と道児の二人が主役で、ダブルキャストです。今日はBキャストの足立真里亜と秋元康臣の通しを始めて見ました。とてもよかったです。二人が『かぐや姫』の世界に生きていて嬉しかったです。群舞は時間をさいてやったので、こちらもよかったと思います。初日のAキャストの秋山瑛と柄本弾は明日通しをします。

Q 道児と、欲が深い翁のキャラクターの発想は?

-A 道児は高畑勲作品に登場しています。かぐや姫の相手として、境遇が違う二人を組み合わせたいと思いました。二人は貧しい村に住んでいますが、道児はもっと貧しい。でも虐げられながらも懸命に生きています。そんな道児が明るくお転婆で天真爛漫なかぐや姫に惹かれる。そんな女の子が泣いているんですよ。月を見て。今回は1幕のみの上演ですが、かぐや姫が都に行ってしまう2幕、3幕では道児がどうなっていくかも描かれます。

 翁は欲深というか、人間ってこういうところあるよね、という感じでしょうか。翁はかぐや姫を溺愛しています。かわいがっていて、ずっと自分のものにしておきたい。でも子どもは他者ですから思い通りにはならない。それを許容できない父親が翁です。親子喧嘩をして、行ってはいけない夜の竹藪に行くと、何かが光っている。金銀財宝を見つけて、翁は金持ちになって、かぐや姫を連れて都に行くのですが、それでかぐや姫が苦しむのです。

Q ダブルキャストの、二人のかぐや姫と道児のそれぞれの魅力は?

-A 道児は弾と康臣ですが、今日の康臣には驚きました。これまでにない彼がいた。この作品を通して、彼が今まで出してこなかった面を生ききってほしいと思います。弾の方が元々役に合っていると思いますが、今日の康臣を見て弾がどう感じたか。その影響も楽しみです。瑛と真里亜は最初似ていると思ったのですが、性格も踊り方も踊りで魅せる魅せ方も全然違いました。主役によって作品に新しい感情や視座が加わります。だからぜひ2回観てほしいですね。

Q 1幕の最後のシーンでかぐや姫はトゥシューズ(ポワント)になりますが?

-A はい、2幕は都に行くので、その前段階として最後にバレエシューズからトゥ
シューズになります。2幕の宮廷の女性は高貴なので皆ポワントです。高貴なふるま
いをしなければならないかぐや姫は、本当はポワントを脱ぎたい。裸足になりたいのです。

Q 群舞がとても効果的です。全てポワントですが?

-A 群舞は自然を表しています。前半は海、それから竹を表しています。自然は俗世とはかけ離れた超常的な存在で、緑の精として表されます。東京バレエ団では、ポワントの群舞と、男性の群舞をやりたかった。Noismではできませんからね。ポワントで、竹の硬質なスッとした感じを出したかったです。

Q 翁にだけ黒衣が付きますが?

-A 翁には飯田先生(飯田宗孝、東京バレエ団団長 特別出演)に無理にお願いしてやっていただいています。小林十市さんもそうですが、齢を重ねて、今だからこその経験値と存在感があります。黒衣を付けたのは能でいうところの「後見」というか。もし何かあったとしても大丈夫なようにというか…(笑)。

…と、ここまで順調なインスタライヴでしたが、なぜか18:09~音声が途切れ、映像も切れましたが、会見は続いています。18:12頃に復活しました。

Q (使用楽曲のドビュッシーの音楽についてのようです)

-A ・・・ドビュッシーの音楽は「海」や「月の光」など自然を表す曲が多く、情感があります。何より色彩が見える。もう3幕まで、使う楽曲を選んであります。(ほおーという感嘆の声)

Q キリアンの作品にも「かぐや姫」がありますが意識しましたか?

-A いや、こちらは物語ですし、キリアンの方は抽象度が高いので、ほとんど考えませんでした。

Q 金森さんはベジャールとキリアンに学ばれましたが、二人の巨匠に学んだことは何ですか?

-A 話すと長いですよ。時間がかかります(笑)。学んだことが『かぐや姫』に
ギュッと出ていると思います。作品に二人の影響があることを感じてもらえると嬉しいです。若い時は自分自分でしたが、私もそういうことを嬉しく感じられる年になりました。

Q 東京公演は、金森さん、ベジャール、キリアンの作品が上演されますね。

-A はい、『かぐや姫』、『中国の不思議な役人』、『ドリームタイム』のトリプルビルです。縁を感じますね。

 ありがとうございました。

…終始和やかな雰囲気のインスタライヴでした♪ 新潟公演では『かぐや姫』と『ドリームタイム』のダブルビルです。お話を聞いていたら『かぐや姫』1幕はもちろんですが、2幕、3幕も早く観たくなりました。 皆様どうぞお見逃しなく♪

東京公演:11/6(土)14時 11/7(日)14時(@東京文化会館)  
新潟公演:11/20(土)13時、17時(@りゅーとぴあ)
https://www.nbs.or.jp/stages/2021/kaguyahime/index.html

(fullmoon)

BSN「ゆうなび」が伝える金森さん×東京バレエ団『かぐや姫』創作の様子♪

2021年9月9日(木)夕刻、BSNが平日18:15から放送している番組「ゆうなび」内で、10分を割き、「挑戦 Noism金森穣氏 東京バレエ団と“初共演” 新作『かぐや姫』を創作」の題のもと、クリエイションの過程を伝える特集を放送しました。

時刻18:26、特集は金森さんと井関さんが、東京都目黒区、大通り沿いにある一際目立つ西洋風の建物「東京バレエ団」のスタジオに入っていく姿から始まりました。

金森さんが演出振付を行う新作『かぐや姫』は、「日本最古の物語」と言われる『かぐや姫』に着想を得たもので、音楽にクロード・ドビュッシーが用いられ、かぐや姫、初恋の相手・道児、翁の3人を主要人物に展開する物語とのこと。

金森さん「皆さんも知っているような“王道のかぐや姫”なんだけど、エッセンスとして現代的な物語とか、あるいは自分が常々問いかけ続けている『人間とは何か』とか『人を愛するとは何か』とか根源的なテーマというものも、この『かぐや姫』にはのせられるし」

柄本弾さん(道児役)「穣さんが創っておられる過程に自分も参加できているというのもありますし、自分がやったことのない動きとか新しいことに挑戦できる毎日なので楽しくて楽しくてしょうがないというのは一番ありますね」

秋山瑛さん(かぐや姫役)「(穣さんは)漠然と怖い人なんじゃないかって思っていたのはなくなりました。(笑) 穣さんの中の『かぐや姫』っていうのはこういうふうに進んでいくんだなっていうのを今私たちもちょっとずつ、こうページをめくっている最中っていうか、でもすごく楽しみです」

一人の芸術家を介したつながり: 20世紀を代表する振付家モーリス・ベジャール(1927-2007)。国内では唯一、ベジャール作品をレパートリーにしている東京バレエ団と10代の頃に直接薫陶を受けた金森さん。

「東京バレエ団から依頼を受けたこともすごく自分の中で縁(えにし)を感じるというか、ベジャールさんが今“きている”のかなとは思うよね。失礼な言い方になっちゃうけど、(依頼が)遅いなと思った」と屈託なく笑う金森さん。

1964年の創設以来、古典バレエを活動の中心に据え、国内は勿論、海外は32ヶ国、155都市で775回と、日本で最も多く海外公演を行ってきた東京バレエ団が、世界への発信を視野に、新作を金森さんに依頼。

斎藤友佳理さん(東京バレエ団芸術監督)「東京バレエ団にとっても日本人振付家の作品を海外で上演するのはすごく意味あること。常に金森穣さんというのは私の頭の中にありました。彼の才能というのをもっと世界にアピールしていかなければいけないし」

Q:「Noism設立以来、外部での振り付けは初めて?」
 -金森さん「そう。新作を振り付けるのは初めて。なんていうのか、その挑戦がものすごく楽しいよ。それが何より大切なことだと思っていて」
 -金森さんにとっての挑戦: たとえば、ポワントシューズを履いた女性ダンサーの群舞を振り付けるのは初めてなのだそう。

金森さん「(東京バレエ団のダンサーは)バレエをメインでやっていらっしゃるから、それ以外の『金森穣の身体性』みたいなものは今回は初体験だから、そこは教えていかなければいけないし」

更に金森さん「『バレエと金森穣の身体性の融合』が今回の一つの東京バレエ団への振り付けの課題、テーマではあるよね」

両者の初共演に高い関心を寄せる評論家の三浦雅士さんがスタジオに足を運びました。「金森さんがね、ピークに接近していっているんだよね、今。自分のキャリアの絶頂の方に行っているの。新潟という所で元々の素地をつくって、その上で東京バレエ団という、率直に言えば、日本でほとんど唯一インターナショナルなバレエ団、そこで全幕物を目指して振り付けるというのはものすごく意味がある」と手振りを交えて話す三浦さんの様子からは内心の興奮が滲み出ていました。

金森さん×東京バレエ団の新作『かぐや姫』は全3幕物の構想。今回の公演はその第1幕、かぐや姫の誕生から都へ出るまでのストーリーが描かれる。

Q:「いい作品になりそうですか?」
 -斎藤友佳理さん「なります。もう絶対なりますね」

金森さん「自分たちの街(新潟)の舞踊団の芸術監督の作品をずっと見てくださっている方たちが、違う舞踊団の金森穣の作品を見るわけだから、うん、反応が楽しみ」

この日の特集は、笑顔の金森さんが椅子に腰を下ろしながら発した「一応できたぞ、全部」の声に、スタジオ内から拍手が沸き起こる場面で閉じられました。

期待の新作『かぐや姫』第1幕は、世界初演となる11月6日(土)、7日(日)に東京公演(同時上演『中国の不思議な役人』、『ドリーム・タイム』)、11月20日(土)に新潟公演(同時上演『ドリーム・タイム』)が組まれています。良いお席はお早めにお求め下さい。

(shin)