「ランチのNoism」番外編:カイ・トミオカさん「いつもの仲間と特別な日のお料理」の巻

メール取材日:2020/12/25(Fri.)

『Duplex』Noism0/Noism1新潟ロングラン公演が大好評の滑り出しを見せている今、ここでひとつ別の記事も投入したいと思います。有り難いことに、毎回ご好評を頂いております、「ランチのNoism」です。

今回の「ランチのNoism」は特別な番外編でお送りします。いつものお昼ごはんじゃないんです。お料理が好きで、「ランチのNoism」への登場を楽しみにしてくださっていたと聞く「シェフ」カイ・トミオカさん(とスティーヴン・クィルダンさん)が「いつもの仲間」のために拵えた特別なお料理をお届けします。

コロナ禍にあって推奨されている「いつもの仲間と」の食事。普段からの感染予防もバッチリなNoismメンバー同士の節度ある食事ならノー・プロブレムですよね。

で、それがどう「特別」かって?日付からしてお察しの通りかと。

今回、まず、オープニングの音楽からして違います。では、いってみましょうか。

♫あ~いむ・どぅり~みん・おぶぁ・ほわ~いと・くりすます♪

前日の公演(オルガンコンサート)で大忙しだった舞踊家たちにもサンタさんはやって来る!「ランチのNoism」番外編。

*先ずはお料理の写真から♪

取り分けられたお料理の数々と…
ナイフとフォークじゃない!箸だ!

1 お料理について説明して下さい。

 カイさん「クリスマスの日にNoismメンバーで一緒にその日を過ごしたいという人を招待したのです。で、お料理は幾分、伝統的な英国のクリスマス・ディナーになっています。内容は、ローストビーフ、ローストチキン、ローストポテト、ヨークシャー・プディング、グレイビー、『ピッグズ・イン・ブランケッツ(毛布巻の豚)』(*後述)、ブリュッセルスプラウトとサラダでした」

 *英国のクリスマス・ディナーですか。食べたことはおろか、見たことも聞いたこともないものが次から次に…。(汗)

ヨークシャー・プディングですね。
自信の笑み♪

2 お料理にはどのくらいの時間がかかりましたか。

 カイさん「クリスマス・ディナーを作るとなると、いつもとても長い時間を要します。で、この日も丸一日かけて料理しました!英国では、たくさんを同時に調理できるオーブンを使うのが楽しいのですが、今回、日本ではうまく時間をやりくりするのが大変で、みんな一日がかりで食べることになりました」

 *洋の東西を問わず、たくさん食べる日であることに間違いはないようですね。

見るからにこだわりの「シェフ」、
切り分けも自己採点しながら?

3 今回、お料理するにあたって大事にしたことはどんなことですか。

 カイさん「私にとって大事だったこと…。2020年はコロナウイルスのため、家族や友人に会いに母国に戻ることが出来ませんでした。それは本当にキツいことでしたし、クリスマスの慣習をとても恋しく思いました。メンバーの多くも同じ状況でしたから、一緒にクリスマスを過ごすことは特別なことでした」

 *カイさんの美味しいお料理は胃袋ばかりじゃなく、心の隙間も埋めたんですね、きっと。

4 これだけは外せないというアイテムはありますか。

 カイさん「『ピッグズ・イン・ブランケッツ』がそうです。それはベーコンでソーセージを巻いて作る料理のことです。それからブリュッセルスプラウトも大好きです。でも、それを好む人はあまりいないかもしれません!私は牛タンと一緒に調理したのですが、美味しかったですよ」

 *おお、「肉 in 肉」って料理なんですね、「ピッグズ・イン・ブランケッツ」。私たちにとっては「アスパラのベーコン巻き」の方が一般的でしょうか。そして、ブリュッセルスプラウト!?芽キャベツと同じもの!?

5 今回のクリスマスのお料理に関してもう少し聞かせて下さい。

 カイさん「クリスマスに関しては誰もが好みがあるものです。チキンだったり、ターキーだったり、ビーフやポークだったり。家族で迎えるクリスマスでは、その家その家にしきたりがあり、それを破ったりはしないものです。でも、これが私が日本で作る初めてのクリスマス・ディナーなので、新しいしきたりをスタートさせようと決めてかかりました!」

 カイさん「私たちは前日(12/24)クリスマスイヴにはオルガンコンサートの舞台に立っていましたから、お料理の準備を早くから始めることは出来ませんでした。で、(翌日)クリスマスの朝に買い物をして、それから調理にかかったので、ストレスもありました。でも、結局はうまくいったので、頑張った甲斐がありました」

 カイさん「同じ英国人のスティーヴンも私もクリスマスが大好きなので、ふたりで何を調理するのか責任を分担することにして、私がローストビーフを、彼がローストチキンを作り、その他も分担しました。で、この日のクリスマスは、Noism1とNoism2からメンバー8人での食事となり、特別な機会になりました!」

こちら、スティーヴンさん作の
ローストチキンですね。
これまた本格的!

6 メンバーはどんなふうでしたか。

 カイさん「クリスマスで、一つひとつ別々に調理された料理たちを前にして、ワクワクするのは自分のお皿にとっていく時です。みんなでシェアするのですが、自分の好物はきまって余分にとろうとするものです」

 *ですよねぇ。(笑) そしてその一部始終を「ニンゲン観察バラエティ・モニタリング」、…って番組が違いますけど、きっと楽しいですよねぇ。

7 他にどんなことをしましたか。

 カイさん「ゲームをしたり、クリスマス・プレゼントを開けたり、いっぱい食べて、うんと楽しみました!それがクリスマスというものですから」

 *おお、「ゲーム」、どんなことするのでしょうかねぇ。そして「クリ・プレ」!…って、縮めたりしないか。何でも短くするのは日本人の悪い癖。(笑)そうそう、みんなで「プレゼント交換」でもしたんでしょうかねぇ。楽しいですよね、「プレゼント交換」。中身が何かはさておき、「交換」すること自体がワクワクで。ところで、カイさんは何を貰ったんですかね。サポーターズとしては、そのあたり、突っ込んでみたくないですか、皆さん。…ってことで、うん、訊いちゃいましたよ。えっへん。

 そしたら、カイさん、こんなふうに説明してくれました。

 (a)プレゼントに関して: カイさん「2020年のクリスマスは、家族やパートナーのために時間を使うことは出来ませんでした。プレゼントしようと考えるには『クリエイティヴ』である必要があったからです。ガールフレンドからは「migrateful」(←migrate(移住する)+grateful(感謝して)の造語かと)と呼ばれる慈善活動のギフトバウチャーが送られてきました。それは英国内の移民・難民シェフからお料理のレッスンが受けられるというものです。この活動には世界中から多くの人々が参加しているので、世界中のお料理についてのレッスンが受けられるのです」

 (b)今回、メンバーから貰ったプレゼントに関して: カイさん「Noismでは『シークレット・サンタ』と呼ばれるやりかたでプレゼントをやりとりします。全員がプレゼントする相手の名前を受け取り、上限1,000円で買ってくるのです。で、『シークレット』というのは、誰からのプレゼントか知らずに貰うからです。私はとても素敵なノートを貰って、凄く嬉しかったです」

 (c)クリスマスのゲームに関して: カイさん「英国のクリスマス時期によく行われるゲームに『after8s(アフターエイト)』というのがあります。『アフターエイト』というチョコレートがあるのですが、それを額に載せて、手を使うことなしに、口の中へと移動させなければならないっていうゲームです!様々な表情やらテクニックやらを見ることになるのでとても面白いのです」

【資料画像】(by shin)
アフターエイトチョコレート

 *「アフターエイト」っていうのは、「夜8時以降に、ゆったりとお菓子やリキュールを楽しむ英国の風習」なのだそうで、それに因むチョコレートはミントクリームをダークチョコで包んだおとな味の美味しいやつ♪「チョコミン党」の私、虜になりそうです!

 *おっと、そんなことより、こうして聞いてると、どれも根底に人間味ある「繋がり」が感じられるものばかりで、本場もんのクリスマスはこうなんだなと納得しちゃいました。浮かれてプレゼントをやりとりする日なんかではなく、社会や相手を思い、共に生きるための「想像力」を働かせて、みんなでその日をお祝いしようとする気持ち。伝わってきます。ジョン・レノン『Happy Xmas』とか佐野元春『Christmas Time in Blue』な感じ。見習わなくちゃって。そして、改めて、カイさんの「お料理熱」が高いこともわかりました。エプロン姿、さまになってますもんね、カイさん。素敵、素敵♪

FLOのケーキを覗き込む
「シェフ」

…ここいらで再びお料理に戻りましょう。

8 今回のお料理、作ってみての感想は…。

 カイさん「私たち(カイさんとスティーヴンさん)はとても良い仕事が出来たと思います。お料理も私たちに出来る限りの伝統的なものが仕上がりましたし、作っていて、とても楽しかったです。すぐまたもう一度作らなきゃと思っています、次のクリスマスが来る前に!」

 *改良に改良を加えて、次のクリスマスに備えるつもりなのでしょうかねぇ。カイさんには「次のクリスマス」にも報告して欲しいですね。そして、それだけじゃなく、通常の「ランチのNoism」にも再登板をお願いしたい気持ちでいっぱいです、皆さんも。カイさんの普段のランチ、興味ありますよね。カイさん、是非、覗かせてください。

最後に、カイさんからもサポーターズの皆さまへのメッセージがございます。お読みください。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「Noismをご支援いただき、有難うございます。世界がこのパンデミックで格闘を繰り広げているさなか、皆さんはずっと私たちを支え続けて下さっています。公演も思うような回数は出来ない昨今ですが、じきに事態は収まるでしょう。私はそのときを楽しみにしています。そのとき皆さんとお会いすることを」

はい、「ランチのNoism」番外編もこれにておしまいです。お相手は今回も私、shinでした。それではまた。

(日本語訳+構成: shin)

穂の国とよはし芸術劇場PLATへいきました♪(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@穂の国とよはし芸術劇場PLAT)

2020年12月12日(土)、Noism Company Niigata「春の祭典/FratresⅢ」を観に、穂の国とよはし芸術劇場PLATへ行きました。

豊橋駅から見た
「とよはし芸術劇場PLAT」。
駅から専用通路で直結しています。

豊橋は「愛・地球博」の際に乗り換えで駅を利用しただけで、街を訪れるのは初めてです。また、とよはし芸術劇場PLATについては、知り合いがこの劇場の特色でもあるアーティスト・イン・レジデンスで滞在制作活動をしたことがあり、「劇場スタッフが親切で市民とも交流できて良い環境だった」という話を聞いて、いつか来てみたいと思っていました。

豊橋には路面電車(豊橋鉄道)が走っています。

劇場に到着すると、地元の方に混じり、東京や新潟でよくお見かけする方々もいらっしゃいます。また、りゅーとぴあの仁多見支配人もロビーでにこやかに応対されていました。

とよはし芸術劇場PLATの主ホールは客席が傾斜に配置され舞台との距離が近く、舞台の高さがあまり高くない(椅子の座面の高さ程度)のが特徴と思います。それと客席がコンパクトな割に天井が高いです。ダンスや演劇にとても良い環境のように感じました。

当日のタイムスケジュール。

各演目の印象を簡単に述べます。「Adagio Assai」は、照明の効果で、井関さん山田さんの舞踊がより際立ってみえました。8月のプレビュー、9月のサラダ音楽祭と3回目の鑑賞ですが、よくよくみるとお二人の踊りはなかなか噛み合わず(もちろん意図的)、ただ別れのストーリーという受け取りではすまないようです。

「FratresⅢ」は「Adagio Assai」の暗転から続けて上演されました。中央でもがき苦しむ金森さんと、高い緊張状態が伝わる群舞。観る方も緊張感MAXのところで「※」が落ちてきます。これには毎回はっとさせられます。先日観たベジャール「M」の大量の桜吹雪が落ちて散るシーンが蘇り、あの時も同様の衝撃・感動でした。そしてふと思ったのが、サラダ音楽祭での「FratresⅢ」の名演は、都響との共演もさることながら、「※」の演出がない分、通常よりも出し気味にしていたのかな、と。

「春の祭典」は8月のプレビュー公演で観た際は全容が把握できず(いろいろ見落としているのでは)と思いましたが、再び観ることで前より深く感じることができました。数ある「春の祭典」の中でも、生け贄を選ぶ(というか押しつける)過程が陰湿で、いじめ問題のように、弱者をターゲットにすることで自分を守ろうとする希薄な集団性を思います。今回は新メンバーも加わり、この難曲を見事に演じていて素晴らしかったです。(準メンバーの樋浦さんが出演されていなかったのは残念でした。)

終演後は、会場中、大きな拍手でダンサーをたたえます。止まないカーテンコールにこたえ、客席から金森さんが登場しました。金森さんの着ているTシャツの背中にはかわいいイラストが描かれていました!(金森さんと井関さんでしょうか?)

終演後はすっかり暗くなっていました。
駅前にきれいなイルミネーションが!

「集団性」の難しさ、尊さ、危うさ、といったテーマが込められた今回のプレビュー公演。本公演ではどのように変化するのでしょうか(演る方も観る方も)。とても楽しみです。

(かずぼ)

揮発しゆく『春の祭典』(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』プレビュー公演(@りゅーとぴあ)

Noism Company Niigataの作品を見る時、今日的な状況に照応させて観てしまいがちなのは何故だろう。 公共空間でしか目にしないような長い椅子は白く、一人掛けの椅子の連結により作られていた。所在なさそうに、しかしそこに座らねばならないかのように一人、また一人と登場する。のっぺりと塗られた白い顔。纏われた白いシャツの身幅は広く、身体のラインを拾わない。膝上まで素足の身体が正面を向いて一列に座ると、没個性化した衣装ゆえに体格差という個性に目が向く。余剰の布は身体に遅延して皺を形成し、時に照明を半透過させた。

このNoism版『春の祭典』は、音の構造から舞踊を作る実験舞踊であり、ひとりの舞踊家がひとつの楽器を担う。しかし楽器の射影に留まらず、音楽と舞踊の相互作用により空間は充溢していく。図形楽譜という記譜法があるが、さらに三次元に拡張したコレオグラフィックノーテーションとも言うべきであろうか。楽譜は椅子の背の5本の線にも象徴されていた。

椅子は一直線に置かれて境界を成し、またランダムに置かれ、積み上げれられ、檻になり、円陣を形づくった。分断は随所にあり、翳りがちな表情の群衆の畏怖や脅威はざわめき、エコーチェンバー的に増幅していくようだった。奥から射す光に導かれる者、そうでない者。おそるおそる踏み出した者もあった。間断のない収縮と弛緩がなす震え、硬直的な身体、開かれたままの手のひらは不安な情動を接ぎ木したようでもあった。

『春の祭典』
撮影:村井勇

自己省察的表現は抑制的なトーンをもたらし、だが突如として野性的なものにも変容する。変容は不意に訪れ、揮発する。それは我々の裡にもあるものだ。舞踊は時間軸をもった揮発性芸術であり、それゆえいつかの私の感情をなぞるのかもしれない。『春の祭典』は美しさと、現在のアクチュアリティに満ちた刺激的な作品だった。

(のい)

Noismプレビュー公演…そして、創作は続く(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@りゅーとぴあ)

プロジェクト・ベースで才能を呼び集めるかたちでの多くの公演が、「人の移動」に依拠する点において、コロナ禍の停滞に見舞われざるを得ないなか、それとは一線を画し、関係者が全て新潟市民であり、レジデンシャルでの創作を続けてきた点で、いち早く公演を実現させ得たこの度のプレビュー公演。金森さんにしてみれば、本公演を打てないことの無念さもあっただろうが、混迷を極めるなか、届けられた舞台には妥協などといったものは微塵も見て取れはしなかった。これこそが私たちが誇りとするNoismなのだ、そんな思いを抱いたのは私ひとりではなかったろう。

『Adagio Assai』

共振、共鳴、離れて向き合うふたつの身体が作り出す微細な空気の震えに目を凝らす冒頭。その後、別々の方向を向き、仰け反ったアンバー似の姿勢での静止を経て、デュエットに転じるや、醸し出されていく極上の叙情。その一変奏、スクリーン手前の井関さんが山田さんのシルエットと踊る多幸感溢れる場面に、心は引き付けられ、鷲掴みにされる。

『Adagio Assai』
撮影:村井勇

出会い、邂逅も、やがては別れへと。

そう、別れ。先に触れた仰け反った立ち姿では、自然と視線は上方向、それも遠くに向かわざるを得ず、その夢を追うかのような、ここではない何処かを求めるかのような姿勢が既に暗示していた帰結に過ぎない。「繋ぎ止めておくことなど望むべくもない」、最初からそんな予感漂う他者ではなかったか。

背後からその人の腕を追い、身体を抱こうとするも、痛ましくもすり抜ける、腕も身体も。そのさまは切なく美しい。今度は、揺さ振られ、掻き乱される心。そうして立ち去る井関さん、戻らぬ人。

「しかし、その人のことは一緒に踊ったこの身体が覚えている」、山田さんの身体がそんな声にならぬ声を発するのを、私の両目は聞きつけていた、間違いなく。

『FratresIII』

「贅沢だ、贅沢すぎる、どこを見詰めろというのだ」

勿論、金森さんのソロから視線を外すことなど出来ない。しかし群舞は群舞で、その同調性には陶酔に誘われるものがある。

『FratresIII』
撮影:村井勇

そこで、欲しいのは「近代絵画の父」ポール・セザンヌ(1839-1906)が提示したような多視点。しかし実際にはそんなもの望んでも無駄だ、無理なのだ。人の視覚には不向きな作品なのかもしれない。そのあたりをどう言おう、そう、神々しいのだとでも。神の視点から眺められるべき作品なのかもしれない。

光の滝の如く流れ落ち、身体を打ち続けた穀粒、足許に残るその無数の粒に、動く身体が残した軌跡の一様性にも息をのんだ。それは何やら梵字めいていて、そうすると、全体は動く曼荼羅のようでもあったな、また別な印象も湧いてくる。

もしかすると、この時分なら、恐らく、コロナ禍との文脈で見られることも多いのだろうけれど、それは極めて普遍的な性格を有する、多義的な作品であればこそ。

いずれにしても、これを観る者は揃って激しく鼓舞されることになるだろう。

『春の祭典』

休憩時間のうちに緞帳の前に、横一列、隙間なく並べられた椅子は五線紙めいた風情。

腰掛けに来る者はみな、社会を忌避し、拒絶し、常に怯え慄く者たちばかりだ。ほぼ他と目を合わせることも出来ず、隣り合う席に座ることなど嫌で仕方ない者たち。ためらいながら、或いは妥協したり、威嚇したりしながら、座る場所を選ぶさまはおしなべて不機嫌。他者と一緒になど毛頭なりたくはない胸襟を開かぬ楽音たち。

決して収まるべき場所に収まったとは思えない不穏な導入。イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)なのだ。不協和な楽音が形作る変拍子の律動、それが同調性を示してさえ、或いは、示すなら、その陰に、既に常に付き纏う不安や怯え。

不承不承にしろ何にしろ収まった筈の構図も、背後に、やおら、その口を開いた「魔窟」たる場に蹂躙され、無きものとされてしまう、易々と。

『春の祭典』
撮影:村井勇

やがて、「魔窟」がその本性を現し、魅入られたように足を踏み入れる楽音たちを絡め取っていく。その場の磁場に煽られて、身体内部に酷薄な獣性を目覚めさせる楽音たち。生じる同調圧力と暴力、或いは、お定まりの排除と生け贄。

その様子を観ているうち、想起された名前はトマス・ホッブス(1588-1679)。彼が人間の自然状態とみた「万人は万人に対して狼」「万人の万人に対する闘争」への逆行・遡行。

2020年の今、目撃しているのはまさにそれでしかなく、ここ新潟で、ストラヴィンスキーの楽音を介して、現代社会が内包する「病」に向けられた金森さんの今日的な視線が、幾世紀も隔てた古典的な知と極めて自然に合流することにハッとさせられたが、そんな途方もない結びつきと戯れる醍醐味は格別だった。

しかし、即座にこうも思ったものだ。今回、金森さんが使用したピエール・ブーレーズ(1925-2016)+クリーヴランド管弦楽団による『春の祭典』(1969年録音)を更に聴き込んで来年の本公演に備えなきゃ、と。インスピレーションの源泉に沈潜すること。

何しろ、相手は金森さんである。時間の限り、創作は続くのだろうし、これが最終形である訳がないことだけははっきりしている。 (2020/9/3)

(shin)

2020年8月 プレビュー公演を観て(サポーター 公演感想)

☆実験舞踊vol.2『春の祭典』/『Fratres III』プレビュー公演(『Adagio Assai』含む)(@りゅーとぴあ)

「えっ?これって本番じゃ…?」と驚いた感動の公開リハ。いい体験をしました。支援会員でないと参加できません。なっててよかった! まだ会員になっていない方、お得ですよ。いいもの観れますよ。ぜひどうぞ。

それから2ヶ月。待ちに待ったプレ公演。来年は本公演もあるからお楽しみはこれからだ。

今回はブラボー禁止令が出ていたのでスタンディングオベーションで力一杯の拍手を。 では、思いつくまま感じたままに。

『Adagio Assai 』:  動かなければ何も始まらない。満を持して片方がほんのちょっとだけ動くと、間の空気が動きもう片方が呼応する。気功をする両手の様な二人。 静止映像。スナップ写真。うつされた瞬間に過去のものとなる。時は進む。

「人は一人一人各々の川を持っている。普段は別々に流れているが、何かの加減で合流することがある。しかし流れの質、速さなどが違う為にまた離れて行く。一瞬でも合えば “縁”。」

その瞬間は真実だったのだ。

『Fratres III』:  暗いトンネルの向こうから現れる孤高の修行者。まさに真のソリスト。指導者でもアンサンブル(群舞)を率いるリーダーでもなく。 とはいえ、抜きん出てストイックに自らを律する。痛めつける。 修行の滝(またはもっと痛いもの)に打たれる時も衣服で防御せず生身で受ける。矜持。背中で教える、みたいな存在。

『春の祭典』:  ダンサーが各々違う楽器の旋律を担当。椅子の背もたれのデザインは五線。というのはリハを観た後で知った。その時はただただ「ベジャールも良いけど金森版よ〜く出来てるわ!」と思った。 楽譜の音を拾いながら振り付けしたといいますが、前知識が何にもなかったとしたら、「先に踊りがあってそれに合わせてストラヴィンスキーと言う人が作曲したんだとさ。」を信じる人がいるかもしれない。 実際、プティパの振り付けした白鳥の湖に合わせてチャイコフスキーが作曲したらしい。

『NINA』の生きてる椅子の作者の五線椅子、一個欲しいです。バリケードになったり柵や檻になったり大活躍でしたが、そこで思い当たった。 楽譜って、作曲者やアレンジャーが忘れないように書き留めておくもの。第三者が見ても分かるようにしておく記録。しかし音符にしてみれば線に串刺しにされてるか挟まれてるかである。身動きが取れない。本当は自由に動きたいのに。 そこで演奏者(今回はダンサー)の出番。秩序は保ちながらも音を楽しく遊ばせてやる。檻から解放する。

こう思い当たると楽譜の見方が変わった。高校の時ピアノの先生に言われるがままにやった曲を久しぶりに弾いてみた。もっともっと気楽に弾ける気がした。(要猛練習)

衣裳も良かったです。シャツのボタンをどこまで止めるかでキャラ、属性が変わる。全止めすれば丸っこくて女性または中性。外すと開衿で首元が鋭角になり男性的。これも良く出来てる〜。

今回の三作品のキーワードは“距離感”かもしれない。この時代に生きていればイヤでも意識せざるを得ない事。

音たちも距離を取ろうと病的に振舞っていたが、ズカズカ踏み込んでくる者がいたりして不協和音が生じる。音同士の距離が近いほど緊張感のある音になる。

しかし、そうならない事にはストーリーが動かないのだ。

まだまだ思い当たることは出てくると思われますが、こんなにみせていただいて、まだプレですよ!さらに進化、熟成するであろう本公演、楽しみです! その前に一月の公演もあるけど。 (2020/8/30)

(たーしゃ)

「Noism2定期公演vol.11 Noismレパートリー感想」(サポーター 公演感想)

☆金森穣振付Noismレパートリー(Noism2定期公演vol.11より)

去年ノイズム2の公演を初めて観て、その初々しさに魅了されました。今年も研修生たちの成長を見ようと心待ちにしていましたが、期待を裏切らずハートウォーミングなひとときでした。

会場ロビーの演目表も見ず、プログラムはお手元用メガネを忘れたので読めず、幕が上がった。

ひとつの作品と疑いもせずに観ていた。面白い!身体もよく動いている。既視感はあるがなんという演目だったかなぁ。まあいいや。とにかく楽しもう。

操り人形、人間。どちらでもなさそうな物体。

休憩時にやっと三作品のオムニバスと分かった!思い込みってスゴイですね〜

『ホフマン』と『人形の家』は観てないのでそれはともかく、『NINA』もハッキリとは認識出来なかった。でも忘れるからこそ新鮮に感じられる、という事のいい例だな。

違和感なく最後まで楽しめたというのは、三作品を一つのトーンにまとめあげた山田監督の演出の力量ではないでしょうか?

『NINA』

赤い照明の下に四体の人体模型。肌色レオタードで動きがだんだんと生き物っぽく猿っぽくなって来る。既視感。

ベジャールの「春の祭典」

去年東京で、バレエ友達のおごりで東京バレエ団の春祭を観た。その後でNoism次の公演は春祭だって、と伝えたら彼女は「えっ?NINAが金森さんの春祭だと思ってた!」と言った。

なんだか納得。

最後に…

身長体型もバラバラな四体の彼女たちは涙が出るほど美しかった。

他のダンサー達もみんなキラキラ輝いてうつくしかった。

応援します。ありがとう

(たーしゃ)

Noism2定期公演vol.11楽日の余韻に浸る♪

2020年7月12日の新潟市は、時折、晴れ間が覗く曇天で、雨は小休止。湿度も低めで、案外過ごしやすい日曜日でした。昨日のソワレに続いて、この日が楽日のNoism2定期公演vol.11を観に行ってきました。

私は全4公演のうち、後半の2回を観たのですが、運良く、ダブルキャストの両方を観ることが出来ました。

『ホフマン物語』の「妻」役が前日ソワレの長澤さんから、この日は杉野さんに。

『人形の家』の「みゆき」役も、中村さんから橋本さんに、「黒衣」も坪田さんから中村さんに変わっていました。

それぞれの持ち味の違いが感じられて、嬉しかったです。

そのふたつ、回数を重ねることで、前日よりも滑らかな印象に映りました。

そして、暗転後、『Mirroring Memories』の場面転換の音楽が聞こえてきて、扇情的な「赤」の『NINA』に突入していきます。前日に観て、わかってはいても、ドキドキ鳥肌がたつ感じが襲ってきました。「これでラストだから、もう、むちゃむちゃやったれ!」みたいな気持ちで踊り切ろうという空気が感じられ、観ているこちらとしても、「頑張れ!頑張れ!」と心の中で声援を送りながら見詰めていました。そんな人、多かったと見えて、暗転後、絶妙なタイミングで思いを乗せた拍手が贈られることになりました。

15分の休憩を挟んで、山田さんの『黒い象/Black Elephant』。その「黒さ」が支配する45分間です。

自らの身体を隅々まで隈なく触れて、自己を認識することから始めて、他者或いは取り巻く世界を認識しようとする冒頭。そこからして既に断絶が待ち受けている気配が濃厚に漂います。

“Products”… ”cutting: a girl”…”少女”… ”cutting: three opinions”…”三つの言い分”… ”gossip”… ”in the dark”… ”Nobody”… ”in memory of”…、時折、暗示的な言葉が投影されるなか、いつ果てるともない音楽『On Time Out of Time』が立ち上げる、「現(うつつ)」の世界とは異質な時空で8人によるダンスは進行していきますが、焦点は容易には結ばれません。

象徴的な銀色の円柱と途中に一度挿入され、一瞬軽やかな雰囲気を連れてくる映画『Elephant Man』(ここにも象が!)からの音楽(『Pantomime』)とに、『2001年宇宙の旅』におけるモノリスとヨハン・シュトラウス『美しく青きドナウ』を連想したのは私だけでしょうか。

「そして私が知っているのは真実のほんの一部分だということにも気がつきませんでした」の台詞、そして叫び声。認識の限界或いは「不可知論」を思わせるような断片が続きますが、最後、リトアニアの賛美歌が小さく流れ出すなか、ひとり、取り出した「白い本(タブララサか?)」を円柱に立てかけると、一向に焦点を結ぶことのなかった認識の象徴とも呼ぶべき「黒い本」を愛おしむように抱きしめてじっとうずくまる人物…。暗転。

あらゆる認識もすべからく全体像に迫ることに躓き、その意味では、自分の視座からの解釈しか行い得ないというのに、認識すること/認識されることから逃れられない業を抱える私たちを慰撫するかのような優しさで締め括られるように感じました。

終演後、途切れることなく続く拍手。客電が点るまで、何度もカーテンコールが繰り返されるうちに、8人の表情が和らいでいったことをここに記しておきたいと思います。皆さん、本当にお疲れ様でした。

さて、次にNoismを目にする機会は、来月の「プレビュー公演」2 days♪ チケットは絶賛発売中です。お早めにお求めください。大きな感動が待つ舞台をどうぞお見逃しなく!

(shin)

Noism2定期公演vol.11中日ソワレを観に行く♪

前日の天気予報では雨が酷くなりそうだった2020年7月11日、土曜日の新潟市。雨は降ったりやんだり程度で、ひとまず安堵。この日の定期公演はマチソワの2公演。そのうち、ソワレ公演(18:00開演)の方を観に行きました。

入場から退場まで、幾重にも新型コロナウイルス感染症への予防措置がとられたりゅーとぴあは、この困難な時代に公演を打つことにおいて、いかなる油断もあってはならぬという意識がかたちをとったものでした。

共通ロビーからスタジオへのドア手前の
サーモカメラ曰く
「正常な体温です」
この方もカメラに収めていました
誰あろう、「芸術監督」さん♪

画像のデータで確認しますと、17:10のことです。芸術監督氏も同じ場所に立ち、管理体制の一端をカメラに収めていました。その様子をまたスマホで撮った画像を、直接、ご本人に許可を頂いて、掲載しています。「盗撮だね♪」と笑いながら、「いいですよ」と応じてくれた金森さん。有難うございます。

入場整理番号、10人ずつ検温してから
4階・スタジオBに進みます
場内で許可を得て撮りました。
隣とは3席、或いは2席とばした
「赤」の座席のみ着席可です

そうして進んだ場内で、山田勇気さんをお見かけしましたので、「やはり、『おめでとうございます』ですよね」とご挨拶すると、「そうですね。有難うございます」のお答え。

さて、前置きが長くなり過ぎました。この日の公演について記していきます。

最初の演目は、金森穣振付Noismレパートリー。昨日、及びこの日のマチネとは異なる別キャストだそうです。ダブルキャストなのですね。

見覚えのある衣裳、見覚えのあるメイク、そして聞き覚えのある音楽…、かつての名作にあり余る若さをぶつけて挑んでいくNoism2メンバーたち。今回、抜粋された場面は、どれも趣きをまったく異にする3つの場面。それらを一気に踊る訳ですから、彼ら、彼女たちにとっては、大きく飛躍するきっかけとなる筈です。

なかでも目を楽しませたのは、やはり最後に置かれた『NINA』でしょう。それも観る者の情動を激しく揺さぶり、昂ぶらせる、あの「赤」の場面です。これはもう敢闘賞もの、燃え尽きんばかりの頑張りに気分も上がりまくりでした。

15分の休憩を挟んで、プログラム後半は山田勇気さんの新作『黒い象/Black Elephant』です。

客電が落ちる前から聞こえ出す、海中、それも深海を思わせるような、たゆたうような、終わりを想像し得ない音楽のなか、照明はあるものの、暗く、黒く、不分明な舞台空間。それはいかに目を凝らそうとも、しかとは見えないような具合の色調。見ること、見えるものに疑いを抱かせるような案配とも。

「cutting(カット)」、裁断されて提示される場面の連続は、それらを繋ぐ糸、そんな「何か」を見つけようとすることを徹底して拒むかのようです。目の奥の脳を働かそうとするのではなく、目に徹して見詰めるのがよいでしょう。翻弄され続けるのみです。今回、それがテーマに適う態度というべきものかと思いました。若い8名が熱演する「決定不可能性」、魅力的です。

場内の席から、この舞台を目撃した観客を数えることはさして難しいことではありませんでした。スタジオBには35名の観客(と山田勇気さん)。収容人数の3分の1ということで設けられた上限人数マックスの観客はもれなく、「お値段以上」で、「この感動はプライスレス」とでも言うべき熱演を満喫したに違いありません。その人数からして、「耳をつんざく」とは言えぬまでも、惜しみない、心からの拍手が続いたのがその証拠です。

3日連続で、この日も200名を超えるコロナウイルス新規感染者が確認された東京。私たちを取り巻くネット環境の拡大・進展に、もうこの世界が「ボーダーレス」であるかのように感じていた私たちは、具体的な場所(トポス)の制約を受けることなく、どこにいても文化そのものにアクセス可能になったかのように錯覚してしまっていたのでしたが、具体的な身体は具体的な場所にしかあり得ず、人の移動、及び「対面」が不可避であること、「劇場」の、そのどうしようもなく不自由な性格は否定しようがないものだったことに改めて気付かされ、同時に、文化の東京一極集中は、文化そのものの中断を意味しかねない、相当に危うい事態だと思い知らされた気がします。日頃の稽古を含めて、東京から離れた場所、新潟市に拠点を置くからこそ行い得た公演、そうした側面を痛感したような次第です。

8人を追いかけて見詰める両目が歓喜に震える時間。私たちはこうした時間が好きなのでした。日本のアートシーンを考えたとき、この日の80分×2回において、間違いなく、新潟市は日本の中心にあった、そう言っても決して大袈裟ではないでしょう。居合わせる栄誉に浴した35名の至福。そんな思いに誘われるほど、久し振りに「劇場」で充実した時間に浸れたことを有り難く感じました。

若さの何たるかを観る機会となる今回の定期公演も、あと明日の一公演を残すのみで、チケットは既に完売。明日、ラストの公演をご覧になられる方は是非心ゆくまでご堪能ください。

(shin)

Noism2定期公演vol.11 初日!

*今も列島に甚大な被害をもたらし続けている「令和2年7月豪雨」。被災された方々に心よりお見舞いを申し上げますと同時に、一日も早く平穏な日常が戻ってきますようお祈り申し上げます。

2020年7月10日(金)19時のスタジオB。本来ならば、3月6,7,8日に開催されるはずだったNoism2公演。まずは本日、無事 初日が明けたことを喜びたいと思います。

とはいえ、観客はもちろんマスク着用+消毒・検温があり、座席はソーシャルディスタンスで予想以上の席数減(わずか35席)! たくさんの人に観てほしいのに…(涙)

開場前はいつも人で溢れるスタジオBのホワイエも、寂しいほどひっそりとしています… それにアフタートークも中止とのこと。残念です。

さて、開演! Noismレパートリーから、劇的舞踊『ホフマン物語』(2010年)より、『Nameless Handsー人形の家』(2008年)より、『NINA-物質化する生け贄』(2005年)より、が続けて上演されます。(20分)

目の前で躍動する眩しい身体に重なって、これらの作品を踊った何人ものメンバーたちの姿が思い出されます。

休憩15分の後は、山田勇気さんの新作『黒い象/Black Elephant』(45分)。この作品は、「私たちは何を見た/触れたのか」ということが主題になっているそうです。

ドキッとする幕開け。暗く深い闇の舞台でうごめくメンバーたち。観客は盲人になったかのようです。夢の中のような音楽(On Time Out of Time)が絶えず流れ、明るい音楽の中間部がありますが、静かに終わります。

惜しみない拍手! 『春の祭典』公開リハーサルにも出演したNoism2メンバー。一段と逞しさを増したようです♪ 4回公演もチケット完売です。座席数が少ないのが本当に残念です。 

明日からは 真打ち、shinさんが登場しますよ♪ どうぞお楽しみに!

(fullmoon)

渾身!熱い思いで実現した活動支援会員対象 公開リハーサル初日

数日前に梅雨入りが報じられましたが、この日も新潟市に雨はありません。2020年6月13日(土)の新潟りゅーとぴあ・劇場、年頭からのコロナ禍に延期に次ぐ延期を余儀なくされ続けたNoismの舞台にまみえる機会を、全国の、否、世界中のファンに先駆けて手にし得た果報者は、Noism Company Niigataの「ホーム」新潟に住む活動支援会員、およそ50名。更には、開場前からメディア各社も集結しており、「劇場再開」への関心の高さが窺えました。

待ちに待った案内…

沸き立つ心を抑えつつ、足を踏み入れたりゅーとぴあの館内で私たちを待っていたのは、長い空白の果てに漸く、この日を迎た劇場の「華やぎ」ではなく、「With Corona」時代の劇場が直面する「物々しさ」の方だったと言えるかもしれません。

館内に入ると先ず
サーモグラフィーカメラで検温
この後、劇場前に並びます
距離をとって2列に並んだ先、
劇場入り口手前はこんな感じ
6つの「お願い」近景
入場直前に再度の検温

列に並んでいる間、りゅーとぴあの仁多見支配人をお見かけしたので、ご挨拶した後、少しお話する機会を持ったのですが、すぐに検温スタッフが飛んできて、もう少し距離をとるように注意されたような次第です。

入場受付スタッフは当然、衝立の向こう
ホワイエには連絡先記入用紙も
受付時に座席指定がありました

漸く迎えたこの日、久方ぶりに集う見知った顔、顔、顔ではありましたが、それ以上に「重々しさ」が漂うホワイエは、私たちに今がどんな時なのかを決して忘れさせてくれませんでした。

公開リハ開始15分前、促されて劇場内の指定された席へ進みます。すると、この日の席は一列おきのうえ、両横が3つずつ空けられて配され、そのため、中央ブロックは各列4人、脇のブロックは1人ないし2人しかいないというこれまで見たこともない光景を目にすることになり、その裏に、この日を迎えるための厳しいレベルでの安全管理意識の徹底振りにハッとさせられたものです。

15:00。客電が落ちてからは、そうした時間とはまったく異なる別の時間が流れました。最初はNoism0・井関さんと山田さんの『Adagio Assai』(仮)です。緞帳が上がると向かい合うふたり。無音。不動を経て、動き出すと、次いで流れるモーリス・ラヴェルのピアノ協奏曲、その第二楽章、そして映像。熟練のふたりによる「とてもゆっくり」流れる豊かな時間。『春の祭典』ポスターが舞踊家たちの足を捉えているのと対照的に、今作ではふたりの手に目を奪われます。

15:13頃。浸って見つめていると、緞帳は下りぬままに、次の演目であるNoism0 + Noism1『Fratres III』にそのまま移行しました。ですから、Noism0と言っても、井関さんと山田さんは不在で、金森さん+Noism1(併せて12名)とでも言った方がよい感じでしょうか。で、この完結版とも言える『Fratres III』ですが、いつかの折に、金森さんが「I 足す II が III」と言っていた通りの構成で、その言葉からの想像は当たっていましたが、実際、目にしてみると、これがまた圧巻。鬼気迫る金森さん、一糸乱れぬNoism1ダンサー。それはまさに「1+2=3」以上の深みと高揚感。圧倒的な崇高さが目を釘付けにします。「そうなる訳ね。ヤラレタ」と。更に、どうしても「コロナ禍の舞踊家」というイメージが被さってきましたし、「これを目にする者はみな勇気づけられるだろう。慰撫されることだろう」と、まさに今観るべき舞台との思いを強くした15分弱でした。

休憩を挟んで、今度はNoism0 + Noism1 + Noism2による実験舞踊vol.2『春の祭典』。ホワイエから戻り、自席から目を上げると、緞帳の前、横一列に綺麗に並べられた21脚の椅子。舞踊家にはそれぞれ別々の楽器が割り振られているとの前情報から、背もたれを構成する横に走る黒い5本の線が21脚分、一続きになって並ぶ、この冒頭部においては、何やら五線譜を想像させたりもしますが、須長檀さんによるこの一見、無機質に映る椅子は、この後やはり、様々に用いられ、様々な表情を示すことになります。

作品に関してですが、私自身、先行する『春の祭典』諸作について深く知るものではありませんので、次のように言うのも少し躊躇われますが、ストラヴィンスキーのあの強烈な音楽に導かれると、畢竟、情動的なものへの傾向が強くならざるを得ないのだろうと、そんな印象を抱いていました。それが金森さんの新作では、情動のみならず、理知的なコントロールが利いていて、つまりはスタイリッシュな印象で見終え、私たちの時代の『春の祭典』が誕生したとの思いを強く持ちました。また、この作品、若い西澤真耶さんが大きくフィーチャーされていることは書いておいても差し支えないでしょう。準主役の立ち位置で素晴らしいダンスを見せてくれます。ご期待ください。

ネタバレを避けようということで書いてきましたから、隔靴掻痒たる思いも強いことかと思われますが、ご了承ください。今回、公開リハーサルとしながらも、休憩を挟んで、見せて貰った大小3つの作品は、どれひとつ取っても、大きな感動が約束されたものばかりだと言い切りましょう。『春の祭典』の終わりには、「ブラボー!」の掛け声がかかり、会場の雰囲気はリハーサルとは思えないようなものであったことを書き記しておきたいと思います。

また、こちら過去の記事4つ(いずれも「Noismかく語る・2020春」)ですが、併せて御再読頂けたらと思います。

最後、客席から黒いマスク姿の金森さんが登壇し、挨拶をした場面について触れない訳には参りません。

舞台上、熱演した舞踊家たちに、”You guys can take a rest.(さがって休んで)”と指示を出した後、「本当は昨日が初日だったんですけど、…」と語り始めた金森さん、そこで声を詰まらせ、続く言葉が出て来ません。そのまま後ろ向きになると、私たちの目には、必死に涙を堪えようと震える背中が、そして私たちの耳には、その手に握られたマイクが拾った嗚咽が。瞬間、客席にもこみ上げる熱い思いと涙が伝播します。やがて、「…ご免なさい。こんな筈じゃなかったんだけど。言うことも考えていたし…。」と言った後、続けてキッパリと言い切ったのは「これが今の我々に出来るベストです。我々にとっての本番です」の言葉。「出来る限りを続けていきます」とも。

更に、「今出来る限りをやりたいということで、スタッフにも演出家のワガママに付き合って貰いました」と、リハーサルらしからぬリハーサルが実現した舞台裏を明かしながら、スタッフに向けられた感謝の言に溢れていた、この日に賭ける並々ならぬ気持ちに打たれなかった者はひとりもいなかった筈です。

いつ果てるとも知れない、暗く長いトンネル。未だ「抜け出した」とは言えないような日々。不安で不自由な環境の中にあってさえ、共有されていたNoismというカンパニーの鍛錬に纏わる揺るぎない精神性。同じものを見詰める「同志」たる舞踊家たち。その凄さを垣間見せることになったのが、この日の公開リハーサルだったと思います。

終演後は、大きな感動に包まれながらも、場内放送で、後方の席から順番の退場を指示されるなど、私たちの周囲にある「現実」に引き戻された訳ですが、そうした「現実」があるのなら、勿論、「生活」だけでは満たされ得ず、真に「生きる」ために、こうした優れた「芸術」や「文化」が必要であることが身に染みて感じられた次第です。裏返せば、それこそ、私たちが「Noismロス」になる理由です。(長い文章になってしまったのも、ここまでの長い「Noismロス」の故とご容赦ください。)今回、ご覧になれない方々、次の機会まで今暫くお待ちください。今度のNoismも、必ずその辛抱に応えてくれますから。

この日、確かに、Noismの歴史がまたひとつ刻まれたと言っても過言ではないと思います。それを目撃し得たことの、否、ともにその時間を過ごし得たことの喜びに、今、浸っています。

(shin)