新潟から届いた箱の中に入っていた心のときめき

Noism1:実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』を見る

山野博大(舞踊評論家)

 新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ専属舞踊団Noismが吉祥寺シアターで公演を行い、金森穣の新作、実験舞踊『R.O.O.M.』と『鏡の中の鏡』を上演した。舞台には長方形の巨大な箱が置かれていた。内部には、銀色の正方形のパネルが上から奥、そして両サイドまでぴたりと張り巡らされていて、客席側の紗幕(実際には紗幕は無いが)から、奥に広がる何もない空間が見えた。日本の能、歌舞伎、日本舞踊などの世界には、黒衣(くろこ)とか、後見(こうけん)と呼ばれる舞台で演技者を助ける役割の者が存在し、それを「見えないもの」とする約束事がある。それと同様に、そこに紗幕がなかったとしたら…。ダンサーたちは、完全に密閉された箱の中で踊り、それを見る人は誰もいないという状況が出現しているのではないか。金森穣は、そんな設定で実験舞踊を創ったのだという想いが頭をよぎった。

『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信
『R.O.O.M.』撮影:篠山紀信

 突然、カミ手寄りの天井のパネルが開き、男性ダンサーの下半身が現れるという思いがけない成り行きで『R.O.O.M.』は始まった。男性5人が次々と落ちてきた。彼らは特に何かを表現するということもなく、ただただ力一杯に動き回った。次いでトゥシューズの女性ダンサー6人がやはり上部のパネルのあちこちに開いた穴から登場し、バレエのステップを粛々と展開した。井関佐和子のソロがあり、次いで、はじめに登場した男性5人のひとり、ジョフォア・ポプラヴスキーとのデュエットになった。デュエットでは男女のさまざまな心理的変化が描かれることが多いのだが、このふたりはむしろそれを排除して踊っているように見えた。さらに男女12人のダンスが続き、箱のそこここにぽっかりと開く穴からダンサーたちが忙しく出入りした。最高潮で暗転となり、全員が現れて前にずらりと横一列に並んだ。これはどう見てもカーテンコールの風景だ。ひとしきり動いて次々に退場。最後に井関が中央奥の穴から退いて作品は終った。劇場の黒い幕が降りて長方形の巨大な箱を隠すと、劇場空間の舞台と客席を分かつ基本構造のからくりが、精密に仕組まれたダンスの紡ぎ出す人間の感情を抑えた『R.O.O.M.』のドライな触感の余韻と共に、にわかに明らかになった。

 舞台と客席を幕で仕切った劇場という空間は、よく考えてみるとおかしな場所だと思う。舞台の上で繰り広げられる出来事とまったく関係のない人間がそこにつめかけ、一喜一憂するのだ。演出家をはじめとする多くの人たちが寄り集まって、客席との一線を意識させないようにいろいろと工夫を凝らし、観客の心を舞台の上で進行している出来事に取り込もうと手を尽くす。そのおかげで、観客は、普通ではなかなか体験できないような不思議な世界に遊ぶことができる。そんな劇場という空間の基本的な仕組みを、金森穣は観客に思い出させた。

 次の『鏡の中の鏡』の幕が開くと、金森が中央に座り、カミ手後方に等身大の鏡がはめこまれている空間が見えた。密封された箱の中という状況は同様だった。金森が力強く動いては、時おり鏡に自身のからだを写した。しばらくして、その鏡に井関佐和子の姿がダブって写った。鏡は半透明になっており、その背後のものに光をあてると、それが同時に写るように仕組まれている。暗転後、パ・ド・ドゥとなった。人間的な感情の交換がたっぷりとあり『R.O.O.M.』のデュエットとの対比は明らかだった。しばし踊った後、二人ははなれたところに座り、もう動こうとしなかった。金森がわずかに動いたところで暗くなり、そのまま『鏡の中の鏡』は終わった。

『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信
『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信
『鏡の中の鏡』撮影:篠山紀信

 新潟から届いた巨大な箱の中に入っていた、人間的な感情の交換を徹底的に排除した『R.O.O.M.』と情感たっぷりの『鏡の中の鏡』の対比が心に残った。金森穣が設定した外から見ることができないはずの空間での実験に立ち会った私は、劇場の持つ意味を改めて確認し、「見られないはずのものを見せてもらった」ひそかな心のときめきを覚えつつ劇場を後にした。

(2019年2月21日/吉祥寺シアター所見)

漸く来た!Noism、2020年8月まで活動期間更新の報せ♪

Noismを愛する皆さま。既にご存じかとは存じますが、
本日(2019/3/6)、Noism活動期間更新の悦ばしき報せが入りました。
2020年8月までとのこと。
従来の「3年単位」ではありませんが、先ずは一安心といったところですね。

しかし、あくまでもこれは「暫定措置」とみるべきで、
中原市長の市政においても、
Noismがこれまでと同様にしっかり新潟市に根を張った活動を展開していくためには、
やはり「3年単位」の更新を勝ち取っていかなければならないとの考えに変わりはありません。

で、2020年8月以降の活動につきましては、
これまで1年前に決定されるのが常だったことを考え併せますと、
今年の8月~9月くらいに方針が出されるものと考えられます。
今から約半年後となります。まさしくここが正念場な訳です。

幸い、先頃の実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』で
初めてNoismをご覧になった市長はかなり好印象を持たれた、
という話も伝わってきております。
そうした追い風も大事にしながら、
Noismの安定した活動を手にしてするべく、
サポーターズ一丸となって応援していかなければなりません。

また、先日の特別アフタートークの席上、
会場から「Noismのために何をしたら良いですか?」と問われて、
金森さん、即座に「友人、知人、見知らぬ人を劇場に連れてきて下さい」との答え。
何を措いても基本はまずそこなのでしょう。
皆さまからの益々のご協力、ご支援をお願いする次第です。
この機に、追い風に乗って、
明日に向かって滑空していかなければなりませんね。
どうぞ宜しくお願い致します。
(shin)

名作『R.O.O.M.』/『鏡~』を反芻する「桃の節句」、特別アフタートーク特集

2019年3月3日(日)16:30のスタジオB。先週その幕を下ろした「名作」実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』に纏わるディープな話に耳を傾けんと、大勢の方が詰めかけ、スタッフは大急ぎで椅子を増やして対応していました。関心の高さが窺えるというものです。そして私たちの向かい側、私たちが見詰める先には「桃の節句」らしい雛壇こそありませんでしたが、並べられた人数分の椅子に、つい先日までとは打って変わってリラックスした表情の13人の舞踊家が腰掛け、この日の特別アフタートークは始まりました。
ここではその一部始終をお伝えすることなど到底できませんが、なんとか頑張って、少しでも多くご報告したいと思います。

勢揃いした13名。左から順に、西澤真耶さん、西岡ひなのさん、カイ・トミオカさん、チャン・シャンユーさん、チャーリー・リャンさん、池ヶ谷奏さん、金森さん(中央)、井関さん、浅海侑加さん、ジョフォア・ポプラヴスキーさん、林田海里さん、井本星那さん、そして一番右に鳥羽絢美さん。お内裏さまが居並ぶような華やかさがありました。

併せまして、noiさんがtwitterにおける今回公演に関するツイートのまとめを二度に渡って行ってくれていますので、そちら(togetter)も参考にされてください。
 ☆新潟公演時点でのまとめ 
 ★東京公演のまとめ

先ずは『R.O.O.M.』、天井のアイディアのきっかけ
NHKのドキュメンタリー番組でシャーレを観察する様子を見て、感銘を受けて、「上からかぁ。スタジオBならできるかなぁ」と金森さん。
そこからは、柱もないこともあり、荷重を巡って、「一度にあがるのは3人くらいがせいぜい」と言う舞台監督と、「12人」と言う金森さんのやりとりが始まっていったのだと。
天井高については、井関さんの逆さ天井歩きから自ずと導き出された高さであるとのこと。

「プロジェクションマッピング」に関して
チャーリーさんの腹部と背中のそれに関しては最初から用意していたものを途中から使った。
一方、井関さんの方は、ソロのバックに何かが足りない、映像であることの必然性が足りないと感じて、撮影して追加したもの。お陰で、「過ぎた時間と対話して踊る」印象になった。(別の機会に、井関さんから、井関さんが増えて見えるそのシーンが『おそ松くん』と呼ばれている旨伺っていたこともここに書き添えておきます。)
また、投影方法に関しては、新潟は上から、東京は下からと異なった。(東京では井関さんから「眩しい」と文句を言われたとか…。)

ポワントについて
金森さん「ポワントなしだと何かが足りない。数センチ足したら、これでいい、と。今後も使うつもりはある」
池ヶ谷さん「目線が高くなり、床面との距離感が変わって最初は怖かったし、筋肉痛もあったが、履くことで出る新しい動きを楽しみながら履くようにしていた」
浅海さんも同様で、「ポワントでしか出来ない動きがあり、新しい発見があって面白かった」
井本さん鳥羽さんは「ポワント履いて普段やる動きではないので、思わぬところが破けたり、消耗が早かったりした」
西岡さんの「大胆な動きが多かったので、『ポワント、可笑しいだろ』と思った」には会場中が大爆笑。
西澤さん「なかなか昔の感覚が戻ってこなくて、穣さんに『お前、ホントに履いてたのか?』と言われた」
井関さんは「20年振りだった」と。

Noismに入ろうと思ったきっかけ
カイさん「日本人とイギリスのハーフ。ストリート系が主流のイギリスのコンテとは異なるスタイルの日本のダンスがどんなものか、日本でしか学べないものを学びたかった」
シャンユーさん(今回、新加入ではありませんが、)「10年前、台湾で『NINA』を観て、金森さんと井関さんからサインを貰って、写真を撮って貰った。先輩のリン(・シーピン)さんが所属していたので、自分もできるかなとオーディションを受けた」
チャーリーさん「2017年、香港の大学を卒業後、フリーランスで踊っていたが、つまらないと感じ始めていた頃、『NINA』公演の際、オーディションを受けた。その後に『NINA』を観たのだが、今まで観たことのないダンスだった」 (帰国後、「オーディションの結果はどうだった?」とチャーリーさんから定期的にメールが来ていたことを金森さんが明かすと、会場は笑いに包まれました。)
ジョフォアさん「Noismのことは知らなかった。日本人の彼女がいることから、日本には来たいと思っていたのだが、所属するカンパニーを離れる決断はつかなかった。そんな折、芸術監督の交代とNoismの募集が重なった」
林田さん「6年間、欧州にいた。Noism出身の人もいたので噂は聞いていて、興味があった。当時、チェコにいて、生活のリズムや働き方のスタンスの違いに直面し、自分のやりたいことが出来るのか疑問に感じていた。何かを変えないとやりたいことに到達できないと思って、オーディションを受けた」

あのチャーミングな靴下について
元々はグレーでいくつもりだった(確かに公開リハのときはそうでした。)が、衣裳を着けてみると「色味が足りない」となった。それが本番の週の頭のこと。で、井関さんの靴下ボックスから色々並べてみて、オレンジ(女性)、ピンク(男性)とすることになり、買いに走ったもの。女性用はチュチュアンナ、男性用はユニクロでお買い上げ。但し、男性用は途中を切って縫い直してあるのだそう。

次にあの「銀色」の正体について
床は(業務用)アルミホイル+その上に透明なシート。天井と横も同様にアルミホイル。「何度も買い足しを行っただけでなく、その店の在庫全部を買ったこともあった」(制作の上杉さん)

『R.O.O.M.』の「壁」
横3ケ、奥6ケに分解でき、床は平台の上に載っている。移動は、10トントラック1台+4トントラック1台で行った。このあと、りゅーとぴあからシビウに向けて発送するとのこと。

『鏡の中の鏡』の音楽について
最初は振付を全く違うアルヴォ・ペルトの曲(『Spiegel Im Spiegel』)に合わせて行ったのだが、楽曲の使用料が高すぎることで断念、変更したもの。

キャストのアンダーに関して
この長丁場の公演、13人の舞踊家に不測の事態があったときのアンダーとして、準メンバーの片山夏波さんと三好綾音さんを同行させていて、ふたりで、女性キャスト6名のパートを半分の3名ずつに分けていたとのこと。それでも男性メンバーのアンダーは不在のため、もし何か起きたら、構成を変えるか、「俺がやるか」(金森さん)ということだったらしいです。

今回、全18回の公演を通した後の心身の変化について
西澤さん「最初、下りるとき、腕がプルプルしていたのが、2回公演でも平気、最後は全然余裕になっていた」
鳥羽さん「一日2回も『あっ、いけた!』と自分でも嬉しかった。リフレッシュしながら、違うお客さんに新たなものを見せることの大切さに改めて気付いた」
西岡さん「自分はルーティンを変えたくない人。リラックスの仕方が重要と思った」
井本さん「下りることが毎回同じにはならないことで、踊りに影響が出ていたりした。しかし、今は、『違っていいのだ』と違うことを楽しめるようになった」
カイさん「セクション毎に動きの質が違う作品。その都度違うことが起きるのは仕様がない。その都度学ぶことがあった。最後の公演で気付いたことを最初に気付いていたかった」
林田さん「公演期間中、生活にも緊張感があった。これほど体調に気を遣ったことは今までなかったこと」
シャンユーさん「Noism3年目で悩みもある。最初に肩を痛めてしまい、自分は踊らない方がいいんじゃないかとすら思ったりしたが、ストレスのある実人生も、ステージ上では幸せを感じた」
ジョフォアさん「全部のエネルギーでぶつかっていくタイプなのだが、『R.O.O.M.』は違った。頑張れば頑張るほど、金森さんの美学と違う方向へ行ってしまった。受け入れて、金森さんの求めるように動こうとしたら、味わったことのない痛みが味わったことのない箇所に生じたりしたが、しっくりいき始めた」
チャーリーさん「パフォーマンスは毎回、精神状態も身体のコンディションも異なる。日々違う自分と向き合う経験をした」
浅海さん「実験舞踊ということで、自分でもルーティンを止める実験をした。その日その日で違う18回、違う圧、違う空間を感じることが出来た」
池ヶ谷さん「公演回数が多いことは経験もあり、どこでどのようになるのか予想はついていたが、年齢から回復に時間を要するようになった。踊っている以外にも色々考えていなければならないことが多くて、集中するのが大変だった。濃い一ヶ月を過ごせた」
井関さん「過去にも20回公演などの経験がある。細かなことは覚えていないが、全て自分の血肉となっていると思う。今回も、全て踊り終わった直後、『踊りたい』と思った」
金森さん「その都度、その日やることをやるだけ。怪我とかせずに踊り通せたことは自分を褒めてあげたい。舞踊家として過ごしてきて、今、頭の中にフィジカルなものが浮かんでいる。今はフィジカルなものを作りたい気持ちでいる」

『R.O.O.M.』の振付について、或いは、振付(創作)一般について(金森さん)
「『R.O.O.M.』では、何かを計算してということではなく、意味とか情感から入るのではなくして、理路整然としたズレではないものを『面白いな』と選んでいった。どうなるのかわからないなか、やってみて、立ち上がったものから拾っていった感じ。」
「最初に動機はあるが、形や動きにしたときにどうなるのか客観的に判断しなければならない。生み出したものの責任を負う。それがより生きるためには何をするべきなのか。クリエーションにあっては、自分の作品なのだけれど、自分の所有物ではないという感覚、それを大切にしている」
「(自分の)感情を起点にして振付を行うと、限定的なものになり、作品が閉ざしてしまうことに繋がりかねない。敢えて、自分とは違うものを求めるなど、作り出す営為にはそれがどのように見えるかの視点が大切」

市長とのその後
Noismの今後の命運の鍵を握る中原(新)市長とは、市長の鑑賞後、まだこれといった交わりはなく、「近々、観に来ていただいたお礼を言いに行くつもり」(金森さん)とのことでした。

その他、国際性を増した新メンバーに関して、Noismメソッドの印象、自国と日本の違いなど、興味深いお話が続きましたけれど、さすがに全てをご紹介することはできません。そこで、ここでは林田海里さんとカイ・トミオカさんの言葉を引いて一旦の締め括りとさせていただきます。
まず、林田さん、「このジャンルは多様性ありき。色々な国籍の舞踊家がひとつのカンパニーにいて当たり前。見易い国籍の違いではなく、パーソナリティやアイデンティティの違いを楽しんで貰いたい」
そして、カイさん、「それぞれの舞踊家に対して、ここまで欲しいもの、欲しい身体がクリア(明確)な芸術監督は金森さんが初めて。これまでは至って自由だったと言える。その求めるものの結実を見たものがNoismメソッドだと理解している」また、「他国で踊っている舞踊家の方が舞踊家でいることが容易だ。こうしてNoismで踊れていることがどれだけラッキーなことかと思う」とのことでした。

記事の最後に重要なお知らせがあります。只今、6月のモスクワに招聘されている劇的舞踊『カルメン』の公開リハーサルの日程を調整中とのことですが、それをご覧になるには、支援会員であることが必要だそうです。
そして、その公開リハ、キャパの都合から2回行う方針だとのことでした。国内ではその2回が『カルメン』を観る機会の全てとなります。まだ、支援会員になっておられない方にとりましては、最重要検討事項であること間違いありませんね。

この日の特別アフタートーク、18:00の終了予定時刻を15分過ぎた18:15にお開きとなりました。105分間に渡って、それこそあの「名作」のように、どんな話が飛び出すか予測不可能な成り行きに身を任せて、あの「名作」を反芻することが出来ました。ここで取り上げられなかった事柄もまだまだ沢山あります。コメント欄にて、皆さまから書き加えたりして頂けましたら幸いです。宜しくお願い致します。

それでは、次は鮮烈な赤のチラシ&ポスターが既に私たちを挑発しているNoism2定期公演の会場でお会いしましょう。
(shin)

既に「名作」の呼び名を欲しいままにする『R.O.O.M.』/『鏡~』大千穐楽(東京公演最終日)

すっかり春といった風情の2019年2月24日(日)、その名作は新潟と東京併せて17日間18公演の最後の幕を下ろしました。ここまで5週間、律義にほぼ週末毎に、見たこともない「異空間」を立ち上げて私たちを魅了してくれていたその名作が、一旦、国内でのすべての公演を終えたのは、東京の吉祥寺シアター、時刻にして19時少し前のこと。深い感動や満足と同時に、もうあの「異空間」にまみえることは叶わなくなった事実が棘のように刺さった時刻でもありました。

観客は勝手なものです。演じる者たちの身体のあちこちに増えることはあっても減ることのないテーピングが物語る身体を痛めつけ続けた過酷な日々にも拘わらず、まだまだ観たかったなどと容易く口にするのですから観客は本当に勝手なものです。

しかし私たち観客も知っていたのです。この5週間に目にしたこの2作が紛れもない名作だということなら。そしてその名作の記憶は、この度演じた13の身体、その所有者の名前とともに私たちの内部に刻まれることになりました。終演後、捧げられた惜しみない拍手と歓声、スタンディング・オベーション、それらは皆、それぞれの身体の限界ギリギリのところで「異空間」を立ち上げて魅せてくれた13人の舞踊家が当然に受け取るべき「栄誉」な訳ですから、私たちはもっと長く、もっと激しく、まだまだ拍手していたかったのでした。

今回、その刺激に満ちた豊饒な2作品がどんなふうに映じたか、個人的な印象を以下に書いてみようと思います。(読まずにおきたい向きは、☆☆☆印から★★★印までを飛ばして下さい。)

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

『R.O.O.M.』。目を奪うほどの威容を示す「箱」の中で展開される実験とその観察(全12場面)。架空の種、その「胚」の発生を辿るかのような体験。滴り落ちるも自らが何であるかを知ることのない原初の「胚」。やがて、手を発見するも未だ使い方は知らず、それを照らす光源をいぶかし気に見上げたかと思ううち、それが動くことに気付き、そこから意のままに動かすことを覚えていきます。足についても同様。両方の足の甲で床を打つことを通して、足を発見。動かしてみると動いたことから、動きを獲得していくと、いつしか立つことを覚え、遂にはつま先立ちをするまでに至ります。(但し、四肢に類する部位として、手を介して、頭部をも発見しますが、それはどうやらあまり使い途がないようで、なんとも皮肉です。)
それぞれの「胚」が示す発生の過程にあっては、時に他の「胚」が辿った過程を掠め取るかのように一足飛びの発生を見せる「胚」(ジョフォアさん、池ヶ谷さん)も現れてきます。更に、女王然とした「胚」を踊る井関さん。ひとり超越的な別次元の運動性を獲得する迄に至ります。

そうして個体が確立されると、次に待っているのは、他の個体とのせめぎ合い。同種間の、そして異種間の闘争に似た様相を呈して、それは描かれていきます。女性舞踊家の「種」が示す、男性舞踊家の「種」に対する優位性には、『NINA』を彷彿とさせるものがあり、その威圧感たるや半端ないものがありました。未だ覚醒を見ていない自らの力能、それを覚醒させるためには、「触媒」として他の個体すらも利用していきます。そしてそこから先は「適者生存の理」に従い、振るい落とされていく個体と残る個体の別を見ながらも、最終的には全てが篩にかけられてしまう迄を概観する「実験」。私たちが見詰めるのは「箱」の内部だけながら、その外部も大いに気になる作りになっていると言えるでしょう。そして最後にやってくるカタルシスには圧倒的なものがあります。

『鏡の中の鏡』。①ソロ:苦悩のあまり蹲る金森さん。自らを纏め上げる全的なイメージがつかめず、心底から苦しんでいます。鏡が映す自らの姿にも満たされることはなく、出口なしといった感じです。そこに「天啓」のように一筋の光明が差し込みます。鏡に映る姿に己の別の姿を認めるからです。

②ソロ:鏡を見ながら孤独に苛まれ絶望する井関さん。他者との邂逅を求めるのですが、それは得られそうもありません。そこに導きが与えられます。きっかけはまたしても鏡。鏡が映す「手」から、孤独を埋める、埋めないだけではなく、自らを突き詰めることから他者へと至る道筋が拓けます。

③デュエット:苦悩する魂と孤独な魂。観客はそれらふたつを同じ「箱」空間のなかに目にしますが、踊る金森さんと井関さんの視線は交わることはありません。それは、ふたりを一緒に見ていながらも、「説話」構造的には、ふたりがまったく別の時間、別の空間に存在していて、一切触れあってはいないことを物語るものです。まったくの非接触を踊っていたものが、途中から身体的な接触を伴う動きに変わってさえ、視線は決して交わりませんから、異なる別の時空に存在するふたりと読み解くのが妥当と感じます。接触はたまたまのものに過ぎず、お互いが「説話」構造としては「デュエット」の相手を欠いたまま、「ソロ×2」として、(観る者の目には、舞踊的にこの上なく高度にシンクロする「デュエット」が)踊られていきます。金森さんと井関さんがソロ・パートをそう踊ったように、私たち観客も見えない筈のもの(デュエット)を見ていたのです。ため息の出るような美しさと言ったらありません。
踊っている間は苦悩と孤独を傍らに置くこともできたようですが、それも事故のような「天啓」に過ぎない訳で、長続きするものではなく、やがて訪れ、募るのはまたしても苦悩と孤独。しかし、遂に何か見る(気付く)ことができたようで、…。

★★★ ★★★ ★★★ ★★★ ★★★

まったく方向性を異にしながらも、それぞれ、あの緊密な空間にも拘わらず、広さと深みを備えた「分厚い」2作品。それらを同時に観るのですから、私たちの心は、受け止めるのに要すると暗に想定していた容量をいとも容易く超えられてしまい、驚き、慌てふためきながら、全く未開の領野を経巡ることになる、そんな体験をしていたように思います。(ですから、上に記したものは、驚きと動揺のうちに、精緻さを欠いて私の内側に形作られた印象に過ぎず、どこまでも個人的なものであることをお断りしておきます。)そして観るたびに常に瑞々しい、その意味でも驚くべき体験と言いましょう。観ているだけなのにも拘わらず、相当な体力を要した意味も分かろうというものです。それを「名作」と呼ばずして何と呼んだらよいのでしょうか。

私たちの記憶は抽象的なものではありませんから、この名作の記憶も、常にりゅーとぴあ・スタジオB、或いは、吉祥寺シアターという空間と切り離すことの出来ないものとして留まり、或いは、再帰してくることでしょう。名作とはその細部のリアリティに至るまで全てが自ら語り出してくるかのように噴出する何物かです。ですから、私たちはこのふたつの空間を細部のひとつとして喜びをもって思い出すことになるのです。曰く、「聖地」と。金森さんが、「聖性は場所にではなく眼差しの裡にある」と呟いた所以です。(2019/2/19twitter)

ああだ、こうだと、愚にも付かない事柄を書いている今ですが、既に手に余るほどに大きな「Noismロス」が始まってしまっています。それに抗するために、3月3日(日)開催の特別アフタートーク(「アフターアフタートーク」)でどんなお話しが聞けるのか楽しみにしていよう、と無理にも気持ちを切り替えているような次第です。

末筆にはなりましたが、これを締め括るために書き落としてはならないことを最後に。
「この長い公演期間を完走された舞踊家の皆さん、スタッフの皆さん、どうもお疲れ様でした。大きな感動を有難うございました。私たちはとても幸せでした」と改めて。
(shin)

実験舞踊・東京公演も「大山」マチソワを越えて、いよいよ…

2019年2月23日(土)の東京は日差しは春めきながらも、終始、強い風が吹きつけ、体感温度的には決して暖かいとは言えず、コートの離せない一日でした。しかし、そんな一日も「熱い」ところは「熱かった」訳で、それが吉祥寺シアター界隈のことであったことは言うまでもない事柄でしょう。

熱さの理由など言うに及ばぬ筈。この日がNoismにとって、記念すべきその第1作『SHIKAKU』以来15年振りとなるマチソワ公演日であった以外ありません。

これまでも見るからに恐ろしいがまでの消耗振りを目撃してきていますし、この日のマチネとソワレの間には2時間半しかないのですから、心配にもなろうという訳です。果たして…。

私はこの日、ソワレの客席にいたのですが、そこで目にしたもの、それはこちらの心配を全て杞憂に終わらせてしまう、疲れを感じさせない無尽蔵のパワーであり、それを駆使した鬼気迫るパフォーマンスでした。
「疲れている筈なのに…」
おのれの限界のそのまた先へ行かんとして、ありったけの意地と本気をぶつけてくる実演家。その姿を目の当たりにして、震えに襲われなかった者など皆無でしょう。リアルに「化け物」、否、「MONSTER」の降臨。まさにデモーニッシュ!
そして、それに驚きながらも、「もっと!もっと!」とばかり、嬉々として、心に巣食う嗜虐的な側面が頭をもたげるのに任せて、まだまだ満たされたいと視線を送る観客。
その構図こそ、真に「舞台芸術」が産み落とす醍醐味!吉祥寺シアターには、尋常ではない空気が張り詰めていました。

終演後の割れんばかりの拍手も、「ブラボー!」も、スタンディング・オベーションさえも、内なる感動を伝えるには不釣り合いなリアクションにしか感じられず、そのもどかしさに歯噛みする思いだったのは私ばかりではなかったでしょう。『R.O.O.M.』も『鏡の中の鏡』もどちらも「人間業」には感じられないような、この日のソワレの舞台でした。

そんなふうにひとつ大きな山を越えて、Noismがある豊かな週末も遂にあと1日、明日を残すのみとなりました。

一旦始まってしまえば、いずれそういう時がやって来るのは必定。「千秋楽」の明日、また渾身の舞台を観せてくれる舞踊家に魅了される準備はとうに整っています。白熱の吉祥寺シアター、見逃せませんよ。(shin)

『R.O.O.M.』/『鏡~』東京公演開幕!

2019年2月21日(木)19:30、東京・吉祥寺シアター公演初日、素晴らしかったです!!
満員御礼、大盛況、大好評、大歓声で無事終了♪ 

心配していた舞台装置(あの銀色の市松模様の巨大な箱)も照明も、
ばっちりハマっていて、この会場のために作ったかのようでした。

ステージは新潟(スタジオB)よりも高さがありました。
私は最前列!で、椅子席でしたが、とても見やすかったです。
踊る人たちを、より間近に感じました!
土曜の夜と日曜も観ます。楽しみ~♪
(fullmoon)

目を圧する『R.O.O.M.』/目を惹きつける『鏡~』に心を鷲掴みにされた新潟公演楽日

2019年2月17日(日)、新潟市中央区は少し強い風は吹くものの晴れ間も顔を覗かせ、
「新潟の冬」からは遠いイメージの一日。
ホワイエ開場の時刻14時半のスタジオBにはキャンセル待ちの方も数名いらっしゃり、
楽日の公演に向けられる熱い期待が既にホワイエには充満していました。
初めての方も、何度目かの方も、一様に気持ちの昂ぶりを抑えることができずにいる、
そんな様子だったと言えます。

スタジオへ入った後も、中の空気は張り詰めていて、浮かれた様子は皆無。
そこに身を置くだけで呼吸が浅くなるような、そんな雰囲気が漂っていたのは、
明らかに他の日とは違う感じがしました。
この日が新潟で観る最後の機会でしたから、
誰もがみな、舞台の「一回性」、その厳かさを全身で受け止めて、
緊張の内に幕が上がるのを待っていたとしても何の不思議もありはしませんが。

開演。『R.O.O.M.』。
明転すると目に飛び込んでくる「装置」にまずはため息が思わず零れてしまうのですが、
これが意外と重要。
息をするのも忘れてしまいそうな、50分間の斬新な実験が展開されていく訳ですから。

楽日の12場面は、
舞踊家一人残らず、「もうこのあと余力など残っていなくとも構わない」とばかりに、
ありったけの力を振り絞り、全身全霊を傾けて踊られていきました。
その異次元と言っても過言ではないクオリティは、観る者の目を圧する迫力に満ち、
観ている側も同調して、心拍数はあがり、気持ちが滾っていかざるを得ません。
熱を帯びていく舞台、けしかけられ、固唾を飲んで見詰める客席。
ラストでマックスの昂揚に達して暗転。
すると今度はそこまで不動で来ていた客席の番です。口火を切る男声の「ブラボー!」、
続く女声の「ブラボー!」その絶妙。
そこから先はもう堰を切ったかのような「ブラボー!」の洪水。その怒涛。
同時に、あちらこちらで反射的に人影が動いたかと思うと、見たこともないくらいの人数の
スタンディング・オベーション。
そして勿論、鳴り止まぬ拍手がカーテンコールに立つ舞踊家一人ひとりに捧げられました。

休憩でクールダウンを図ると、後半は『鏡の中の鏡』。
打って変わった音楽と照明、蹲る金森さんの姿に、
私たちは一瞬にして、相貌を別にした、まったくの異空間に連れ去られてしまいます。

金森さんのソロそして鏡。鏡そして井関さんのソロ。その果てのパ・ド・ドゥ。
能弁な身体ふたつに目は惹きつけられ、その繊細さには心底驚くよりありません。
観ているだけで涙が込み上げてくるのです。
もっと観ていたいと思ったのもいつも通りでした。
余韻を引き摺り、じわじわ込み上げてくる思いを噛み締めることになる作品の性質から、
我に返るには「間」が必要とされます。それなしには、容易に身体は動きません。
自由を取り戻した身体から徐々にスタンディング・オベーションが客席を拡がっていく点、『R.O.O.M.』とは全く別種の経験・別種の感動と言う他ありません。
「ブラボー!」も声を取り戻してからという感じでした。
しかし辿り着いた先が大喝采であることは言うまでもありません。
舞台上で拍手を受ける井関さんと金森さんのカーテンコールが続きます。
そのさなか、金森さんがその右手を後方の壁に向けて、スタッフへの拍手を促し、
更に拍手の音量が増したかと思えば、
今度は金森さん、両手を客席に差し向けた後、自ら客席に拍手をしてくれるではないですか。
そこに井関さんも加わり、お互いに拍手を送り合う舞台と客席という幸福過ぎる光景に至り、
楽日ならではの贅沢なひと時に浸りました。

長かった筈の新潟13公演が、地元の観客だけでなく、遠方からお越しの方々の心も鷲掴みにして、遂にその幕を下ろしました。(「箱」は直ちに一旦解体されて、搬出されることになります。)

引き続き、この舞台は中3日で、東京・吉祥寺シアターに登場します。その4日間・5公演、東京でご覧になられる方々、お待たせしました。期待値を上げるだけ上げてお待ちください。きっとその期待値すら凌駕する驚きの舞台を目にされることと確信しています。

まだこの舞台の旅は続きますが、新潟公演で見納めの方も大勢いらっしゃいます。
そこで、今日のところは一旦こう締め括りましょう。
「感動の舞台を有難うございました。私たちは幸福でした」と。
(shin)

仰天どころじゃない『R.O.O.M.』/琴線に触れるどころじゃない『鏡~』第3クール最終日(新潟公演10日目)

2019年2月11日(月)「建国記念の日」祝日、
Noism1実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』第3クール最終日の舞台を観るべく、
中一日でスタジオBへ行ってきました。
この日の客席には、近作『ロミジュリ(複)』に出演されていたSPACの舘野百代さん、
元Noism2の牧野彩季さん、そして前新潟市長の篠田昭さんのお姿がありました。
皆さん、お忙しい時間を割いて、他のお客様と同様、自らチケットをお買いになられてのご鑑賞とお伺いしました。それぞれ、Noismに対して並々ならぬ関心をお持ちだということが窺われ、胸が熱くなりました。皆さんそれぞれにご挨拶できてよかったです。

雪も収まったりゅーとぴあ界隈

そして、この日の公演です。
第3クールも最終日となり、舞踊家は揃って圧巻のパフォーマンスを見せてくれました。
どの動きも「自家薬籠中のもの」に映り、一瞬の淀みもありません。(当然と言えば、当然なのでしょう。)私たちの目を釘付けにして舞台は進みます。
『R.O.O.M.』も『鏡の中の鏡』どちらも、観るのが初めてでも、何度目かでも、
そんなことは大差ないとでも言わんばかりに、会場中の一人残らずを圧倒し、
虜にして、魅了し尽くしていきます。
客席には、どちらも息を殺して見詰めた後、最後の暗転に至り、
漸く思い出したかのように大きく息をつく者しかいないようでした。

話が先へ進み過ぎました。
先ず『R.O.O.M.』で触れておかなければならない事柄に戻ります。
一昨日、このクールに入って、ある印象的で効果絶大なる要素の「追加」があったことは
既に記しました
その際、驚きのあまり、やや落ち着きを欠いたまま観てしまったため、
この日は「ガン見せねば」との思いで、その場面を迎えました。
すると、またしても「えええっ!」「一昨日観たのと違う!」
「いや、待てよ。気のせいか、若しくは、一昨日は見落としていたのかも?」
仰天し、落ち着きを失うこと再び。
しかし、その真偽を確かめるべくもありません。
仕方ないので、他に(心許ない)記憶とは違う細部もちらほらあったような気がしたことから、
3月3日の「アフターアフタートーク」の折にでも訊いてみようかと切り替えることで、
なんとか気持ちを落ち着けることが出来ました。
後半のクライマックスでは、西澤真耶さんが視線を定める一点が私の席と重なり、
その微動だにしない凛とした目の力強さに打たれたことも書き記しておきます。
そして、音楽、照明、舞踊の全てが渾然一体となって作り出す、
あの切れ味鋭いナイフのような幕切れに至り、
この日も、まるで初めて観るかのように圧倒されてしまったのでした。
毎度のことですが、あれよあれよと一気見してしまい、
50分もある作品だということが俄かには信じられない程です。
けだし、50分間の「驚異」と。

休憩後の『鏡の中の鏡』。
同じ「箱」がほんの15分を挟んで、全くの別物に見えるのはいつもの通りです。
先ずは金森さんのソロ。切ない導入です。
空気がそっくり入れ替わったのかと見紛うばかりの切なさが瞳に届いてきます。暗転。
続いて井関さんのソロ。
さっきまで『R.O.O.M.』を踊っていたのが嘘のような別人がそこにいて、
切なさを増幅、展開させていきます。暗転。
音楽も装いを変えると、今度はふたりのパ・ド・ドゥ。
何という情緒でしょう。何故にこれほど胸を打つのでしょう。
恐らく、そのパには観る者の数だけ「物語」が重ねられるのでしょうが、
重ねられる「物語」は異なっても、
胸が締め付けられ、息苦しくなるのは観る者すべてに共通のようです。
「琴線に触れる」などという生易しいレベルではありません。
事実、私が涙腺に来たなどというのはまだ序の口に過ぎず、
隣の女性は肩を震わせて必死に嗚咽を堪えようとしていたほどです。
他にも涙を流していた方も大勢いらっしゃった様子で、
誰一人として、呼吸を整えることなしに、拍手などできよう筈もありませんでした。
いつものことながら、ふたつの身体が見せる信じ難い程の表現の深さを
目の当たりにしては、僅か20分の作品だということが信じられません。
まさしく、20分間の「奇跡」かと。

どちらも最後の暗転の後、
カーテンコールを待って、「ブラボー!」の声が飛び交いましたし、
大きな拍手のなか、スタンディングオベーションせずにはいられないお客様も何人もいらっしゃいました。
(私も気が付くと立っていましたけれど…。)

終演後、立ち去り難い思いを抱えていますと、
Noismを介して知り合った方々も数名、同じ思いだったらしく、
音楽文化会館側の2階出入り口付近で、意識して語るでも、意識して語らぬでもないまま、
自然と輪ができて、お互いの満足し切って、紅潮した表情を見ながら、
言葉にもならない思いを下手な言葉に乗せて口にしていたのは、
やはりみんな直ぐには立ち去り難かったからに過ぎなかったのでしょうが、
そんな私たちの心を察した「舞踊の神様」が微笑んでくださったのでしょう。
50分+20分を踊り終えた井関さんが通りかかり、なんと足を止めてくれるではないですか!
なんという僥倖♪
お疲れにも拘わらず、笑顔で、「皆さん、舞台から見えましたよ」などとおっしゃってくれるのに気をよくして、「お訊きしたいことがあるのですけれど」「いいですよ。何でも訊いて下さい」
その流れから件の真偽を確かめました。すると、「あれは昨日からです。穣さんが別のを試してみようと言うので」と教えてくださり、一昨日観たのとは違っていたことが確かめられた訳です。で、思ったのは「金森さん、やってくれるなぁ!」
その他にも幾つかお訊ねしていると、誰からともなく、「即席アフタートークですね」の声。
みんなで一斉に笑ったところで「お開き」となりました。
井関さん、お疲れのところ、本当に有難うございました。この場を借りてお礼申し上げます。

傑出した舞踊家と気さくに言葉を交わせる、
そんなほとんど奇跡のようなことが現実に起きる街・新潟市。
Noismはやはり私たちの「宝物」です。

圧倒的な訴求力で私たちを一人残らず虜にしてしまう、
今回の実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』。
はや、新潟公演も3公演を残すのみとなりました。
いずれも前売りは完売ながら、各公演とも当日券の販売が予定されています。
公演時間の1時間前から、おひとり様1枚、お求めになれるチャンスがあります。
未見の方は是非一度、既にご覧になられた方ももう一度、ご覧になるというのは如何でしょうか。後々、後悔の念に苛まれぬよう、くれぐれもお見逃しなく、とだけ。
で、かく言う私も、千秋楽のチケットは買っていますが、
別の日も検討してみようかと思ったりしているような次第です。
(shin)

第3クールにも再び新趣向追加の『R.O.O.M.』と洗練の極み『鏡~』(新潟公演8日目)

前夜来、「観測史上最強レベル」の寒気が予報されるなか、空気は身を切るほどの冷たさながら、雪なく迎えた第3クール初日の実験舞踊Vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』は2019年2月9日(土)。

公演会場に着いてみますと、既に階段のところには、期待に胸を膨らませた制服姿の高校ダンス部員たち(男女)が並んで、入場を今や遅しと待っており、そんな光景も最近は珍しいものではないのですが、それもこれも新潟市に金森さんとNoismがあってのことなのですよね。

そんななか、(古い話で恐縮ですが、)昭和の人気番組の司会者に倣うなら、前回の鑑賞からほぼ「1週間のご無沙汰」で新潟公演8日目の舞台を観てきました。

このクオリティからして当然なことに過ぎないのですけれど、この日早く、SNS上にNoism PRから「全公演前売り完売」の報が伝えられ、それは即ち、(並んで当日券を入手する以外、)「観たくても観られない」状況が生じたことを意味するものであるため、繰り返し観ているという点で、未見の方には申し訳ない思いもあるにはあるのですが、そこは「舞台の一回性」ゆえ、ご寛恕を請う次第です。

金森さんのツイートを深読みする癖とこれまでのNoism鑑賞の経験とから、
この日の公演を迎えるにあたって、ある種の「胸騒ぎ」があったことは確かでした。
それは第2クール初日にもあったことですし…。
その正体ですが、休演日を挟んだことで、また何か変化があるやもしれないという、
そんな「胸騒ぎ」でした。

そして、それはこれまでの様々な作品において金森さんが示してきた姿勢から、
ほぼ確信にまで近いものに変わっていたと言えます。
それも全て、金森さんに「教育」されてきたことでしかない訳です。

果たして、その通りでした。
で、「やっぱりだ!」そう思いました。
『R.O.O.M.』のあのシーン、際立つ一層の美しさをもって、私たちを魅了しにかかってきます。華が段違いです。
しかし、その詳細については今はまだ書かないでおきます。
それは、恐らく、(殊に、既にご覧になられた)多くの方々にとって、
「嫉妬」を掻き立てずにはおかない「思わせ振り」な態度にも感じられるかとは存じますが、
公演はまだ続きますので、ご了承をお願いする次第です。
書ける時が来たら書くつもりでいますが、
今のところは「嫉妬」と闘っていていただくより他ありません。
もとより、観てはいながら、それでも「嫉妬」の対象となる舞台など、
そうそう多くはないのかもしれません。
その点、金森さんとNoismの舞台は公演期間を通して進化(深化)する一面を強く持ち合わせていますので、
続けて何度も足を運んでは、舞台に向き合わずにいられない心境になってしまうのです。
(そもそも人は「森羅万象」にアクセスできたりしないことは自明ですので、限界はありますが…。)
どうしても知りたくて我慢がならないという向きには、当日券をお求めに並ばれることをお薦めするのみです。申し訳ございません。m(_ _)m

そしてそれ(追加や変更)に関しては、この先の新潟公演・最終第4クールと、東京公演においても事情は同じなのかもしれません。
ますます目が離せないのですけれど、既に前売りは完売という状況で、…。
ですから、皆さんのお手許にあるのは間違いなく「プラチナ・チケット」と言って差し支えないものでしょう。お楽しみに♪

休憩後の『鏡の中の鏡』も、洗練の度を加え、切なさマックスで胸にド~ンと届いてきて、身震いを禁じ得ないものがありました。
井関さんと金森さんの激しい息遣いがダイレクトに届いてくる下手最前列で鑑賞したこともありましたが、こちら観る側は、反対に、息をすることさえ忘れて、おふたりの一挙手一投足に目を凝らしていたように思います。
心底痺れました。

どちらも終演後は、「ブラボー!」の掛け声が飛び、大きな拍手が途切れることはありませんでした。

スタジオ内が明るくなったのを潮に拍手も止んで後、
スタッフの方が「外は少し雪が積もりましたので、お気をつけてお帰り下さい」と注意を促してくれた際には、会場中が「!」となり、現実に引き戻された部分もありましたが、
外に出てみると、冷え込みはむしろ昼より和らぎ、雪もまだまだ「新潟」の本領発揮からは程遠いもので、こちら「新潟人」にしてみれば、滑らないように気をつけてさえいれば大丈夫、そんな感じでしたけれど、
県外から来られた方々にとっては如何だったでしょうか。
きっと、新潟市での鑑賞の思い出に「雪」も加えてお戻りになられたことでしょうね。ご苦労しておられなかったのなら良いのですが。

明日も雪の予報です。お気をつけてお越しください。
しかし、言うまでもなく、その価値は充分過ぎる程にあると断言致しましょう。
(shin)

何度観ても感動の嵐

Noismが発足する少し前、“トップランナー”に出演した金森穣さんが「もし自分の作品を観てくれるならば、前回観てよかったからとか、そういうものが好きだから観に行こうっていうのではなくて、何やるかわからないけど、何かやってくれそうだから観に行こうかと思ってもらいたい」と語っていた言葉。これまで、その言葉に裏切られたことは一度もなかったなぁと、しみじみ思い返しています。いつもNoismの新作が発表されるときにはドキドキとワクワクで心が踊り、その舞台は必ず新しい驚きや感動を与えてくれます。この15年間ずっと、常に進化し続けているNoism作品に魅了され続けています。

そんなNoism1の最新作、実験舞踊vol.1『R.O.O.M.』/『鏡の中の鏡』は、全13回中、本日6回目の公演が終了しました。
ここ新潟で生まれ、歩み続けているNoismの作品は、Noismにしか表現できないものばかりだと言っても過言ではないと思うのですが、この最新作がこれまた凄いわけで・・・。
初日、最前列で『R.O.O.M.』を観終えて立ち上がれなくなり、『鏡の中の鏡』でグスグスに泣いていて、ブラボー!!スタンディングオベーションしたい!!の心境で感動の渦の中にありながらも立ち上がれず、フラフラになっていた私。
実は、その日の最前列の私の隣の方もそのまた隣の方もその隣方もまた、同じ状態だった様子でした。
その後、恩師をお連れして再度鑑賞したときにも、恩師から「新潟の宝だね」と称していただき、感動を分かち合ったのですが、「Noismの舞台をこれからも観続けていきたい。」と、その場で活動支援に申し込むと話してくれて、胸が熱くなりました。
とにかく、圧倒されるほどの感動の舞台。
どうか、見逃さないでいただきたいと思います。

今回の『R.O.O.M.』は、ストーリー性はありませんが、(何かしらのストーリーを見出したならば、それはそれで大正解だと思います!)もしも、わからないから難しいと思っている方がいたら、「わからなければ」と思わずに、目の前の舞台を観て生まれてくる自分の感性に自由になってみてください。
そして、その自由になった感性のまま『鏡の中の鏡』で感情を揺さぶられてみて欲しい。

同じく“トップランナー”での金森さんの言葉・・・
「振付とは、身体の可能性を探し、またそこにひとつの事実を作ること」

その事実が私達にもたらす感動の嵐。
本当に素晴らしい舞台を、今日もまた届けてくれました。
何度観ても感動しっぱなしです。

Noismの舞台が観れる幸せ、噛みしめてます。
明日からまた、頑張る!!

追伸 詳細レポはshinさんアップをご覧くださいませ。

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