Noism0 / Noism1 『Duplex』

稲田奈緒美(舞踊研究・評論)

 コロナ禍により多くの劇場公演が制約を受ける中、感染対策に万全を期して、Noism0 / Noism1公演『Duplex』が開催された。客席は一人置きのため観客数は減ったが、観客が舞台を欲する思いは変らない。会場となった彩の国さいたま芸術劇場の小ホールは客席がすり鉢状に並んでおり、通常は舞台と客席の間を仕切らないオープンな使い方をする。ところが今回は、舞台と客席の間に幕を吊るし、その両側に袖を作って、額縁舞台(プロセニアム舞台)に仕様を変えた。小空間に敢えて作られた額縁舞台を、まるで西洋近代劇の第四の壁から部屋を覗き込むように観客が見つめる中、客席が暗くなり、Noism 1による『Das Zimmer』(振付:森優貴)が始まった。

 うっすらと照らし出される空間に、スーツ姿の男たち。鍵盤楽器のくぐもった音が、朧げな記憶のかなたから聞こえて来るかのように流れている。立ちすくむ男たちの身体から、声にならない感情がにじみ出る。物語が始まることを期待しながら観客が凝視すると、暗転により中断される。薄暗い照明がついて再び男たちが現れるが、再び暗転。途切れ途切れの薄暗がりから徐々に明るくなると、数脚の椅子と男女が姿を現す。男女はまるでチェーホフやイプセンの芝居の登場人物のような、かっちりとした上流階級風のグレーのスーツやスカートを纏っている。やがて舞台奥に横一列に並べられた椅子に、凍るような男と女10人が座り、一人あぶれていた黒いスーツ姿の男が去ると、残された10名によるドラマが動き出す。

 とはいえ、ダンスは演劇のように一貫した物語や登場人物に従う必要はない。むしろセリフ劇とは異なり、誰のものともわからない、言葉にならない感情の切れ端が動きとなり、踊りとなり、次々と変化していく。シーンが変わるたびに椅子の配置が変わり、異なる空間が現れる。その中で、女たちは複数で、あるいは一人でスカートを翻しながら突き進み、佇み、躊躇い、男たちはスーツ姿で走り、怒り、のたうち、踊り続ける。そこにいる男女は親子なのか、兄弟なのか、夫婦なのか、役割が固定しているわけではなく、シーンごとに親密さ、思慕、反目、疑心など様々な関係性が、視線や身振りによって象徴的に、あるいはダイナミックなダンスによって現わされていく。観客はそこに起きては中断される、様々な思い、感情、関係性、ドラマを見つめ、いかようにも解釈しながら、それが積み重なっていく重みを感じていく。

 やがて、くぐもった鍵盤音が徐々に輪郭を現わしてピアノの音に変わると、ショパンのピアノ曲であることが分かってくる。ピアノが次第に音を増してオーケストラが加わると、黒服の男が再び現れる。男女10人が暗転で繋いだドラマの断片に、黒服の男が介入し、歪められた身体で狂言回しのように紛れ込んでいくのだ。

 ラフマニノフの前奏曲「鐘」が重々しく鳴り響き、舞台の空気が一変する。荘厳なる悲劇性が波となって男女を押し集め、密集し、かたまりとなって個別性を失い、舞台から消えていく。残ったのは、黒服の男と女が一人。だが男の身体は、時間の中へ溶けていくかのようにねじ曲がり、薄れていく。それは彼の肉体的な死を意味するのか、記憶の中で彼が消えていくことを意味するのか、解釈は自由だろう。男の姿を見届けて、女は屹然として舞台奥の眩い光の中へと歩んでいく。女は現実の世界に戻るのか、未来へ進むのか、彼女の行く先を決めるのは観客である。

 振り付けた森優貴によれば、作品名の『Das Zimmer』はドイツ語で「部屋」という意味だそうだ。覗き込んだ部屋で、次々と起こっては中断され、完結することなく形を変えていく物語に、観客は感情を揺さぶられ、自らの思いを投影し、あるいは忘れていた記憶が呼び起こされ、吸い寄せられていった。誰かの一つの物語ではなく、誰でもあり誰でもない、無数の物語。多国籍で多様なダンサーたちなればこそ、次々とこの部屋で起こる無数の物語に、色とりどりの意味を加え、さまざまな角度から光を当てることができる。森優貴とNoism1のメンバーが共に作りあげたその部屋は、小空間に閉ざされながら、観客に対して無限大に開かれていた。

『Das Zimmer』
photo by 篠山紀信

 休憩をはさんで第二部は、金森穣の演出・振付、Noism0の出演による『残影の庭~Traces Garden』。これは2021年1月にロームシアター京都開館5周年記念として、上演されたばかりの新作だ。雅楽の演奏団体として伝統を守り、かつ現代の革新に挑んできた伶楽舎と共に創作された。演奏されるのは、武満徹の《秋庭歌一具》。金森にとって雅楽でダンスを振り付けることは初めてであり、持ち前の探求心でその背景に流れる歴史、文化、社会までを掘り下げ、武満徹をそのコンテクストに置き、考えを深めながら創作に挑んだようだ。観客としても、この刺激的な組み合わせに期待しないはずがない。

 舞台の幕が上がると、三方の壁には九つの燈明のような灯がともされ、チラチラと風に揺らいでいる。舞台中央には、雅楽の敷舞台のような正方形が敷かれ、日常の喧騒から離れた静謐な空間が設えられている。そこに三人のダンサー、金森穣、井関佐和子、山田勇気が現れる。三人が身につけているのは、合わせ衿の直垂のような衣装。しかし袖がないため腕は剥き出しになっている。身体のラインを消す衣装から突き出た腕が、肉体の温もりと塊としての密度を保ちながら、滑らかに動くかと思えば、抽象的な舞楽の舞の型も取り入れ、厳かに、優美に動いていく。三人がそれぞれの場を踏み固めるようにユニゾンで踊り、また、前後に重なって千手観音のような形象も見せる。まるで人から、何ものかへ変わるために場と身体を清める儀式のようだ。

 天井から赤い衣装が降りてきて、吊るされた形のまま、井関が頭からスルリと衣装に入り込む。狩衣のような形をしたそれは、しかし柔らかな素材のため、井関の動きに合わせて軽やかに揺れ、裾が翻り、袖が腕に巻き付く。金森、山田とのコンビネーションでは、井関はまるで重力に支配されていないがごとく、軽やかに宙に舞い、空を泳ぐ。雅楽の音に同化するかのような軽やかさを、柔らかな衣装の動きがさらに増幅して見せている。このような無重力のイリュージョンは、ロマンティックバレエのバレリーナたちがトゥシューズを履き、チュチュを着て、青白いガスライトに照らされて暗い森の中に浮かび上がることで現出させたものである。しかし、井関たちは西洋の妖精たちのように天上を目指すのではない。空気や風となって、音と共に空間に溶け込んでいくのだ。これまでのNoism作品では、生きる身体の熱量を空間に刻み、痕跡を残していくような作品が印象に残っている。一方、この作品では雅楽の音が空間に溶け込みながら響きわたるように、身体の物質性は希薄になり、現れては消え、見る人の中に残像のみを残していく。空気の流れ、風を身体によって視覚化し、空間に溶け込むことで身体の存在を止揚しているかのようだ。

 すると、山田が大きな枯れ木を背中に担いで舞台に現れる。先ほどまでとは正反対の、重力にまみれた巨木とそれを運ぶ人。唐突な具体性に驚きながら、物語の始まりを予感する。山田がその木を床に据えると、舞台は昔話や説話の世界に見えてくる。山田は茶色、金森は黒の狩衣を身につけ、3人のダンサーは再び人に戻り、女や男という意味や関係性を纏って物語のワンシーンのように身振り、手ぶりを挟み込みながら踊っていく。しかしそれは、特定の物語ではなく、物語が形作られる前の原型のような、言葉になる前の音と風が渦巻く状態だ。

 そして三人は狩衣を脱ぎ、鎮めの儀式をするかのように意味をそいだ身体で踊る。彼らの呼吸が音に溶け、風に溶け、身体が風そのものになって秋の庭に残っていくように。

『残影の庭~Traces Garden』
photo by 篠山紀信

 振付、構成も音楽も対照的な二作品を見終えて、何か通底するものを感じた。ひとつの形として統合され、塊として完成されていくことへの躊躇い、疑い。私たちが確かさとして感じていたものが、分断され、中断され、希薄になり、記憶という時間へ、呼吸という風へと変わっていく。それは破壊や分断、消滅ではなく、むしろダンスによって描き出す身体が時間と風になることで、連続性を取り戻すかのようだ。この二つの作品には、今という時代が投影されている。

(2021.2.26(金)19:30~/彩の国さいたま劇術劇場・小ホール)

PROFILE  |  いなた なおみ
幼少よりバレエを習い始め、様々なジャンルのダンスを経験する。早稲田大学第一文学部卒業後、社会人を経て、早稲田大学大学院文学研究科修士課程、後期博士課程に進み舞踊史、舞踊理論を研究する。博士(文学)。現在、桜美林大学芸術文化学群演劇・ダンス専修准教授。バレエ、コンテンポラリーダンス、舞踏、コミュニティダンス、アートマネジメントなど理論と実践、芸術文化と社会を結ぶ研究、評論、教育に携わっている。

『Duplex』埼玉公演 大千穐楽(2/28)に行ってきました!

2021年2月28日。新潟も埼玉も春らしくていいお天気! 久しぶりの埼玉公演。関東にお住まいの友人知人、会員さんたちにたくさん会えました♪

さて、新潟公演の開場は15分前ですが、埼玉は30分前。 3番のチケットをゲットしていたので、早めに会場に行って順番を待ちます。 今回の埼玉公演は、いつも数回観る私には珍しく、今日1日だけの鑑賞。しかも楽日ですし、やはり最前列ですよね。 まん中上手寄りの希望の席に座れました♪

森優貴さん『Das Zimmer』が始まります。Noism1井本さんの代わりにNoism2の渡部梨乃さんが出演するそうなので期待が高まります。 とは言え、実はちょっと心配していたのですが杞憂でした。とてもよかったです! しっとりと落ち着いていて、でも初々しくて。 森さんが求めていた「ノーブル」という雰囲気にぴったりだったと思います。 渡部さんプロフィール:https://noism.jp/about/member/?person=8742

『Das Zimmer』は演劇的でミステリアスです。メンバーは皆、難しい役柄を自分のものにして踊っていたと思います。

休憩後は、金森穣さん『残影の庭―Traces Garden』。Noism0の3名が舞います。 これはもう「神」!! 美しい!!  見る者は法悦に身を委ね、ただただ呆然とするのみです。

素晴らしい大千穐楽でした。 皆々様、ロングラン公演おつかれさまでした! ブラボー!!!!!

※埼玉公演には速報チラシが折り込まれていました♪

  • Noism2定期公演vol.12: 4月22,23,24日 りゅーとぴあ劇場
  • Noism0,1,2『春の祭典』: 7月2,3,4日 りゅーとぴあ劇場             
  • 同: 7月23,24,25日 さいたま芸術劇場

3月もイベントや公演が次々と続きますよ♪ インスタライヴもあるかも。 目が離せませんね!

(fullmoon)

『Duplex』埼玉公演初日(2/25)を観ました♪(サポーター 公演感想)

☆Noism0 / Noism1 『Duplex』(2021/2/25@彩の国さいたま芸術劇場〈小ホール〉)

彩の国さいたま芸術劇場小ホールで開催された「Noism0 / Noism1『Duplex』」初日公演を観ました。与野本町の劇場に来るのは昨年1月の「森優貴/金森穣Double Bill」公演以来となります。

全5公演すべてが前売りの段階でチケット完売!新型ウイルスの影響により客席数が制限されているとはいえ、2月はダンス公演が非常に多い時期ですからチケット完売は喜ばしいことです。

最初に森優貴さんの作品「Das Zimmer」がNoism1メンバーにより上演されます。ちなみに出演者変更によりNoism1の井本さんとジョフォアさんは今回オンステせず、Noism1準メンバーの2人(杉野さん、樋浦さん)とNoism2メンバーの渡部さんが踊りました。

「Das Zimmer(=部屋)」と題されたこの作品、メンバーはレトロ風ながら洗練されたかっこいい洋装に身を包んでいます。制作段階で「密室群像劇」との言葉を目にしたこともあり、何らかの事情で外に出られない密室(嵐で閉じ込められた洋館や難破中の豪華客船内など)の中で起こる濃厚な人間模様を見ているようです。江戸川乱歩のミステリー小説の世界を想像しました。

ショパン・ラフマニノフの小曲とともに恋愛や軋轢のドラマを展開します。恋愛もどうやら一筋縄ではいかなさそうで「人物相関図」が欲しくなります。ただしドラマは暗転により突然終わり、普段見慣れているダンスとは違い(ノってきたと思ったら突然切られる)というはぐらかされた感覚もあります。森さんの解説には「外してみる」ことを試みた、とあるので意図されたものだと思います。

休憩をはさみ、金森穣さんの作品「残影の庭―Traces Garden」がNoism0の3人により上演されました。森さんが「部屋」ならば金森さんは「庭」。空間をテーマとする2作品が重なったのも楽しいです。

「残影の庭―Traces Garden」では武満徹の雅楽「秋庭歌一具」が使われていますが、タイトル曲「秋庭歌」は使用されていません。どうしてだろうか、と思い「秋庭歌」の曲についてウィキペディアで検索してみると、「『秋庭歌』は初演の際に舞がつけられていた」とあります。もしかしたら金森さんが初演の舞を尊重して新たに振付しなかったのかもしれませんし、この曲を外すことが「残影」そのもの、という意図なのかもしれません。

舞台はまるで日本の古典芸能のようです。人間が羽衣のような衣装を身に纏うことで精霊としての本性を現す、というのは古典芸能そのもの。3人の精霊が秋の庭で舞い遊ぶさまは、まるで既に伝承されている故事を見ているようです。

途中、古木やその魂(曲中で雅楽が「木魂」という小グループに分かれることに掛けているのかもしれません)も現れ、井関さんの精霊と踊るのも楽しいです。 落葉し精霊が去ったのち、再び羽衣を着た金森さんが現れますが、この金森さんは精霊ではなく「木魂」だったのかもしれません。

ちなみに、私が最近大好きなテレビ番組「ヒロシのぼっちキャンプ」では、ぼっちキャンプを楽しんだヒロシさんが場所を元に戻してからパッと画面から消えエンディングとなります。画面が風景だけになることで「(キャンプを楽しんでいた)ヒロシさんの残影」が強く印象に残ります。「残影」について考えていたら、この映像がふいに思い出されました。

上演は日曜日まで続きます。土曜日には新潟公演にもなかった1日2公演もありますし、怪我や感染がなく最後まで無事公演が成功して終えられるよう見守りたいと思います。

(かずぼ)

『Duplex』新潟楽日、スタジオBは感動のスタンディングオベーション締め♪

2021年2月11日(木)、「建国記念の日」の新潟市・りゅーとぴあは、音楽では高嶋ちさ子さん(12人のヴァイオリニスト)あり、演劇なら吉田鋼太郎さん×柿澤勇人さん(『スルース ~探偵~』)あり、そして新潟お笑い集団NAMARAまでありと、駐車場も(吉田鋼太郎さんに因むなら)「所さん!大変ですよ」状態で、動かない車列にハラハラした方も多かった模様。かく言う私もUターンして、付近の駐車場を利用することに切り替えて、事なきを得たクチでした。

そんな『Duplex』新潟ロングラン公演楽日のホワイエは、(新潟では)見納めとなる舞台に高まる期待感が、顔という顔から間違いなく窺えました。この日が初めての人も、そうでない人も、あと数分で「約束された感動」に浸れるという高揚感を漂わせていなかった人など皆無でしたね。

4回目の鑑賞となるこの日は、頭を動かすことなしに、そのまま舞台全てを視野に収められる、これまでで一番引いた席(中央ブロックの後ろから2列目)を選んで腰掛けて、開演を待ちました。

いつも通りに開演時間を3分ほどまわった頃、森さんの『Das Zimmer』の幕が上がります。仄暗さのなか、青年期の5×5(+1)の男女によって描かれる群像劇は、(個人的には)やはり「束の間」とか「かりそめ」とか「儚さ」、或いは「喪失」とか「不在」とか「違和」などの類いの語彙が自然と浮かんでくるスタイリッシュな舞踊作品で、欧州の雰囲気が濃厚に立ちこめる35分間は、この日に至って、滑らかさとダイナミックさを増し、切なさという情緒を堪能しました。

休憩を挟んでの『残影の庭~Traces Garden』、情趣は一変しますが、こちらもこの上なくスタイリッシュです。それを「日本古来の」と言ってしまいたくなるものの、事はそう簡単ではなく、現代音楽と現代舞踊によって象徴的な手法で可視化された「日本らしさ」です。その古くて新しいさまが色鮮やかに観る者の目を射ることでしょう。初秋から晩秋まで、兆しては移ろっていく毎年の奇跡にうっとりとするのみ。武満徹×Noism0の自然頌。この「日本らしさ」、海外にも持って行って欲しいなぁと思うものです。

この日、「楽日」のスタジオB。どちらの演目も終演後にはスタンディングオベーションで応えた客席。このご時世でなければ「ブラボー!」も乱れ飛んだのでしょうが、その代わりに、僅か50人のものとは思えないほどの大きな拍手がいつまでも谺したカーテンコールは、演者にとっても、観客にとっても、至福の時間だったと言い切りたいと思います。

客席を大きな感動で包んだ新潟でのロングラン、全12公演。この勢いは埼玉に引き継がれます。埼玉でご覧になられる皆さま、お待たせしました。濃密な35分と35分に、普段とは全く異なる時間感覚をお楽しみ頂ける筈。圧倒されて、言葉を失う体験が待っています。乞うご期待ですよ!そして、まだまだ観たいですし、まだまだ観たい人は多くいらっしゃいますし、「凱旋公演」激しくキボンヌです♪

(shin)

心を鷲掴みにされ、身体は熱を帯びた新潟公演9日目の『Duplex』

例年より一日早い節分と立春を経た週末、2021年2月6日(土)の新潟市は、前日早朝の物凄い路面凍結が嘘のように、穏やかな日差しに恵まれ、暦の上のみの春から、日々、その「兆し」が大きくなっていることを実感できる一日でした。

そんな午後、りゅーとぴあ・スタジオBへ、『Duplex』の新潟公演9日目を観に行ってきました。都合3回目の鑑賞でした。有難いことです。

過去2回は、全体を視野に収めることが出来るほぼ中央部の席から観ていたのですが、この日は連れ合いが「最前列で観よう」と言うので、その言葉に従って、首振り覚悟で、一番前の席を選んで腰掛けました。複数回観るのなら、やはり、一度はその選択はアリですね。森さんの『Das Zimmer』では、あたかも「部屋」の一員ででもあるかのように、願えども得られない繋がりに身悶えし、「不在」に身を焦がす、その切なさを共有しましたし、更に、金森さんの『残影の庭』にあっては、3人の腕の産毛さえ視認でき、空気の震えまで伝播してくる近さはもう「圧巻」の一言で、一瞬にしてあたりを浸してしまう武満徹の「一にして全」の楽音とフォルテッシモで迫ってくる無音を全身で浴びることと相俟って、心を鷲掴みにされる時間を堪能しました。両作品とも、これまでの少し引いた席から視線を送っていたときとはまったく別物の見え方でした。

『Das Zimmer』の情緒たっぷりのピアノは誰だろう。ショパンなど、勝手に、無責任極まりなくも、「ホロヴィッツ」などという名前を思い浮かべたりするのですが、まったく根拠もないことでして、どなたか詳しい方からのご教示を賜りたいところです。宜しくお願い致します。m(_ _)m

『残影の庭』は、「耳を澄ますこと」と「目を凝らすこと」により、繰り返される季節の移ろいに、そしてその変化の「兆し」に、「奇跡」を感得する深みに打たれずにはいられません。また、この日は山田勇気さんの浮かべる表情が、金森さんとのデュオのときと、井関さんとのデュエットのときとでは全く異なることに目が反応しました。

どちらの作品に対しても、腕がだるくなるくらいに、少しでも大きな拍手を送りたいと思わずにはいられませんでした。その後、出口付近で手指消毒をして帰ろうと、検温機能付きの機器に両手をかざすと、いきなりピー音が鳴り、「37.7℃」と表示されて、ちょっと焦ることに。しかし、「そんな筈はない」と、慌てて隣のサーモグラフィーカメラに移動し、今度は額で測定させると「36.4℃」という数値を出してくれたので、ホッと胸を撫で下ろしました。なるほど、この公演の「熱さ」は、間接的に、検温機器にも伝わっていた訳でして(←ホントか?)、「ブラボー!」と叫べない今、先刻の精一杯の拍手が演者にその熱量を伝えてくれていたら嬉しいと思いながら、帰路につきました。

『Duplex』新潟ロングラン公演も残すところ、あと3公演となりましたが、楽日前日の2月10日(水)(19:00~)の公演は、11:00より若干の当日券販売があるとのこと。(りゅーとぴあ2Fインフォメーションでの販売。)「争奪戦」が繰り広げられるかもですけれど、諦めていた方には「吉報」と言えるのではないでしょうか。チャレンジあるのみです。もしでしたら、ご検討ください。

(shin)

『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)を観る♪

新潟市の2021年1月30日(土)は、週頭からの予報では前日からの「暴風雪」が続くとされた日。しかし、開けてみれば、時折、真横から雪を伴った強風が吹き付けたりすることはあるものの、そんな人をいたぶるような荒れた時間は割りに短く、積雪も、酷い路面の凍結もなく終始し、安堵することになりました。

「もし荒れた天気だったら嫌だな」など思いながら迎えた『Duplex』新潟公演第2クール2日目(公演5日目)でしたが、まあ、それも杞憂に終わり、「舞台を楽しむだけ」という気持ちで客席に着けたのはラッキーでした。

また、開演前と終演後には、久し振りに会う方々とも、適度な距離を保ちながら、言葉を交わすことができ、「ワクワク」と「うっとり」が増幅するのを楽しみました。

前週の金曜日に初日の公演を観てから、この日が2回目の鑑賞。やや余裕ももちながら視線を送っていたつもりでしたが、瞬きも忘れて凝視したりしていたらしく、ドライアイ気味になり、目をショボつかせることしきり。そして驚きの場面と知っていても、またしても驚いてしまったり、「2度目だというのに」とそれこそ驚きでした。

次に2作を観た個人的な印象を若干記したいと思います。心に浮かんだよしなし事を、ネタバレを避けつつ書き付けるつもりですが、お読みになりたくない向きは、*****と*****の間を読み飛ばしてください。

*****

森優貴さんのNoism1『Das Zimmer』。冒頭から張り詰めた空気は不穏そのもの。10人(+1人)の内面を表象する色濃い影。交わらない視線、一様でない表情。ときに翻り、ときにたくし上げられるスカートの裾、その性的(sexual)なimplication(暗示)。対する大仰な男性らしさ(musculine)の誇示。注ぎ、注がれる品定めの視線。性別(gender)への違和(SOGI)。かりそめでこれ見よがしの交歓。喪失(語られることのない)と過去の呪縛、震え…。この部屋を照らす光源はどこに見出せるのでしょう。重ねられていくfragileな(脆い)断章に、ラフマニノフとショパンは似合い過ぎです。

金森さんのNoism0『残影の庭~Traces Garden』。こちらは勿論、「はじめに武満徹の音楽ありき」の舞踊。武満本人が使った表現で言えば、「沈黙と測りあえる」音、或いは極めて沈黙と親和性の高い音が、ぽつん空間に落ちるや、一瞬にしてあたりを浸してしまうかのような彼の音楽を可視化した美しさが際立つ作品は、徹底して耳を澄まさんとする意志に貫かれた端正な作品でもあります。また、目に鮮やかな黄色と赤から、それぞれカロテノイド(黄)、アントシアニン(赤)と自然界の植物色素を連想させられたのも武満ゆえかと感じられました。

*****

どちらも最初に観たときよりも、強く胸に迫ってくるものがありました。複数回観る幸福に浸りながらも、同時に、より多くの人に観て貰いたいという気持ちもあり、その意味では複雑な部分もあります。やむを得ないこととは言え、50人とは少な過ぎ、勿体なさ過ぎです。それだけに凱旋公演であるとか、「生」が無理なら、配信であるとか、なにか機会を作って頂けないものかと思ったりもします。そんなプラチナチケットの公演、これからご覧になられる方はご堪能ください。

(shin)

『Duplex』新潟公演、ロングラン初日の幕が上がる♪

2020年1月22日(金)の新潟市、宙から降ってくるのは雪ではなく雨。それでも道路脇に高く固く積まれた雪の壁を融かすほどの雨量ではありません。正直、物足りない雨という感じでした。

しかしながら、18時半頃、りゅーとぴあ2Fの東玄関(新潟市音楽文化会館側)を入ったところに(距離を意識しつつ)集まってきた顔たちはどれも晴れ晴れとした笑顔ばかり。そう、この日は『Duplex』Noism0/Noism1新潟公演の初日。りゅーとぴあで全12公演、チケットはすべて「sold out」のロングランがスタートする日。皆さん、胸躍らせて駆けつけて来た訳です。

「密」を生み出さないために、4FのスタジオBへ上がっていくのも、券面に印刷された入場整理番号により、10人刻みで案内されます。勿論、一人ひとり、マスクの着用、検温に手指消毒等の感染拡大防止に向けた高い意識が求められることは言うまでもありません。私たちは自分たちが愛する芸術を守る責務もあるのです。

ところで、この2日前の1月20日(水)には、BSN新潟放送製作のドキュメンタリー「芸術の価値 舞踊家金森穣16年の闘い」が第75回文化庁芸術祭賞テレビ・ドキュメンタリー部門で大賞を受賞したことを記念して、同局が夜7時というゴールデンタイムでの再放送をしたばかりでした。それは通常ですと、新潟ローカルの人気番組『水曜見ナイト』の放送枠でもありましたから、多くの方がご覧になり、これまでにないくらいNoismへの関心が高まったと見え、放送後、りゅーとぴあの仁多見支配人のもとには「何故、チケットが手に入らないのか」との声が多数寄せられていると聞きました。しかし、「密」を避ける配慮から、座席が千鳥に割り振られたスタジオB公演の席数は、当初から各回ジャスト50席。それはそれで致し方のないことですが、これを機に私たちは一層強くNoismを待望しなければなりません。

で、公演についてですが、まだ初日を終えたばかりですので、多くは書きますまい。ネタバレもなしで、ごくごく簡単に。

Noism1が踊る森優貴さんの『Das Zimmer』と金森さん×Noism0の『残影の庭~Traces Garden』を併せて観るということが如何に贅沢なことであるかだけは書いておかねばなりません。この2作、ほとんど何から何まで異なる2作と言えるでしょう。世界初演『Das Zimmer』の35分と、先日の京都公演とも異なるという新潟ヴァージョンの『残影の庭~Traces Garden』35分。尺まで一緒なのに、休憩を挟んだだけで、同じ席にいながらにして、現出するまったく異なる時空に身を置く自分を体感することでしょう。その驚異に息をのむ私たち、僅か50人!

僅か50人で、その2作をすぐ目の前で息を詰めて見詰めることの興奮!その時間を贅沢と言わずして何と言えば良いのでしょうか。

その贅沢。そもそも劇場専属舞踊団というNoism Company Niigataの在りようが、「今」、この極めて困難な状況下でのロングラン公演を可能にしていることも忘れてはならない事実です。心身共に縮こまって、萎縮したようにして過ごす他なくなってしまった不自由な日常に穴を穿ち、大いなる解放が、非日常の感動がもたらされる35分×2であることに間違いはありません。

さあ、新潟公演の幕は上がりました。運良くチケットを手にされた方、圧倒される準備はできていますか。弛まぬ舞踊への献身が産み落とす果実を目撃し、心が共振する時間をお楽しみください。

(shin)

1/16『Duplex』活動支援会員対象公開リハーサルに行ってきました

1月16日(土)の新潟市は朝から雨が降っていたのですが、寒くなかったのは救いでした。前日のメディア向け公開リハーサルに続き、この日は活動支援会員対象の公開リハーサル(15:30~16:30)が開かれ、そちらへ行ってきました。

受付時間の15時より少し早くりゅーとぴあに着いてみると、スタジオBから降りてくる金森さんと井関さんの姿に気付きました。少し距離を隔てたところからお辞儀をすると、手を振ってくれるお二人。久し振りのNoism、その実感が込み上げてきました。

入場時間の15:30になり、ワクワクを抑えきれぬまま、スタジオBに入ると、森優貴さん『Das Zimmer』のリハーサルが進行中でした。前日のメディア向けリハの記事でfullmoonさんが「ヨーロッパ調のシックな衣裳」と書かれたものは、見ようによっては、チェーホフの舞台で観たことがあるようなものにも思えました。そこに、森さんの「ノーブルさが欠けている」などのダメ出しの声が聞こえてきますから、どことも知れぬ「異国」が立ち現れてきます。また、森さんが発する言葉が、英語と関西弁であることも国の特定を困難にしていたと言えるかも知れません。

ノートをとり、ダメ出しを伝える役目は浅海侑加さん(Noism2リハーサル監督)。それを聞いて森さんが身振りを交えて、Noism1メンバー一人ひとりに細かな指示を出しながら、動きのブラッシュアップを行っていきます。時には、自分が踊ってもみせる森さん。そうやって見せた回転はとても美しいものでした。森さんのなかにあるイメージが具体的な動きを伴って手渡されていきます。

10人の舞踊家(ジョフォアさんの姿がなかったのは少し気になります…)と10脚の椅子。振りを見ていると、椅子の他にも、印象的な小道具がありそうな予感がしました。そして、頭上に吊されて、剥き出しの存在感を放つ照明を観ていると、前作『Farben』の印象も蘇ってきます。その『Farben』では、舞踊家一人ひとりの個性を最大限に活かす演出をされていた森さん。今度はどんなドラマを見せてくれるでしょうか。楽しみです。

16:00少し前になると、森さんとNoism1メンバーは撤収し、3本の筒状に巻かれたリノリウム(表・黄色、裏・緑色)が縦方向に敷かれ、張り合わされて、能にインスピレーションを得たという約6m四方の「舞台」が作られていきます。その転換作業の過程そのものも見物で、誰も席を立ったりすることなく見入っていたことを書き記しておきたいと思います。ものの5分ほどの作業の末、黄色い舞台が整うと、もうそこからは少し前までの「異国」感とも異なる、まったく別の時空に身を置いている気がしました。

舞台上手奥からの照明は傾く日の光のようで、季節はすっかり秋。残り30分は『残影の庭-Traces Garden』の公開リハです。シルク製で、それぞれ異なる色の「薄翅(うすば)」にも似た羽織を纏ったNoism0の3人がお互いに感じたことをやりとりしながら動きを確認していく様子には、大人の風格が色濃く漂っていました。ですから、まず最初、井関さんと金森さんのデュエットから金森さんのソロまでを通して踊った(「舞った」の語の方がしっくりきます)後、「緊張するね」と金森さんが漏らした一言には意外な気がしたものです。ロームシアター京都という大きなハコからスタジオBというミニマムなスペースに移ったことも、「無風」で揺れがない衣裳の感じも、録音された音源も、鋭敏なセンサーを備えた3人の身体には京都とは「別物」のように感じられたのではないでしょうか。「新潟版」が作られていく貴重な過程を覗き見させて貰った気がしました。

16:30を少し過ぎて、金森さんが時計に目をやり、時間が超過していることに気付くと、それまでの張り詰めていた時間にピリオドが打たれ、固唾をのんで見詰めていた私たちも普通の呼吸を取り戻しました。ついで、金森さんが私たちの方に向き直り、金曜日からの新潟ロングラン公演について「観に来ることも快適とばかりは言えない時期ですが、私たちも精一杯のことをやってお迎えします。是非、非日常の感動を味わいにいらして下さい」とご挨拶されると、その場にいた者全員が大きな拍手で応え、この日の公開リハーサルは終了となりました。

1/22から始まる「Duplex」新潟公演(全12回)は全公演ソールドアウトの盛況ですが、2/25からの埼玉公演(全5回)はまだ少し残席もあると聞きます。普段からの健康観察と感染予防を徹底したうえで、ご覧になれるチャンスのある方はご検討下さい。

*前日(1/15)のメディア向け公開リハーサルに関しては、こちらからどうぞ。

(shin)

1/15『Duplex』メディア向け公開リハーサルに行ってきました

本日1月15日(金)、小正月。この時期には珍しく晴天で、気温も上がり、雪も少しは消えたでしょうか。 りゅーとぴあスタジオBで、メディア向け公開リハーサルと囲み取材が行われました。

公開リハは、森優貴さん新作『Das Zimmer』の冒頭部分でした。 森さんが細かく細かく指示を出しながら少しずつ進み、短い区切りで通します。ピアノのメロディが印象的です。 ヨーロッパ調のシックな衣裳を身に纏ったNoism1メンバー。指示に応えて何度もやり直します。 森さんの思い描くドラマにどこまで肉薄できるのか! 3,4シーン進んだところで時間切れになり、囲み取材です。

囲み取材は森さんと金森さん。 質問に応えての内容は概ね次の通りです。

森さん

  • どこまでが真実で、どこまでが架空なのか。不安と希望の狭間を生きる人の思いや感情を表したい。
  • 言葉は大切。動き一つ一つが言語であり、ダンサーたちには話すように動いてほしいと思う。
  • 『Das Zimmer』は「部屋」という意味。舞踊には、空間、場所、人が集まることが必要だが、それはすべて「いけないこと」になってしまった。 しかし「部屋」は破壊されない限り、そこに残っている。そこに存在していたという事実を残したいという思いがある。
  • 自分が帰国して、Noismに振付した(『Farben』)のが約1年前。そして、その1年前から日本にも新型ウイルスが忍び寄ってきていた。それから全ては変わり、自分の中にも壁ができてしまった。今回、前と同じメンバーがいるのはうれしいが、前年に引き続きという気持ちはない。前は前、今は今。こうして りゅーとぴあという劇場が機能し、リハーサルができていることは奇跡に近い。

金森さん

  • 今回、武満徹さん作曲の雅楽『秋庭歌一具』で創作した新作『残影の庭』は、ロームシアター京都の事業(依頼)によるもの。ロームシアターでの初演は伶楽舎との共演であり、舞台も大きかったが、スタジオ公演では同じ作品でも趣は違ってくる。舞踊のエッセンスがより凝縮されたものになると思う。
  • 目に見えているものは過ぎ去りし時の名残り。それは、感染症がもつ特殊な性格と同じで、時間を遡っていくものであり、今をどう過ごすかが未来に現れる。
  • 雅楽との共演は手応えがあった。その成果を「その先の芸術」として将来の作品に反映できればと思う。
  • この時節、自分たちは恵まれている。今後の文化芸術に影響を与える作品を創っていきたい。
取材に応じる森優貴さん(左)
と金森さん

新型ウイルスの影響は、計り知れないものがあります。無事の開幕を祈ります。

*翌日(1/16)の活動支援会員対象公開リハーサルに関しては、こちらからどうぞ。

(fullmoon)

映像舞踊『BOLERO 2020』公開されました♪

既にご覧になられた方も多くいらっしゃると思いますが、金森さんのdirectionと遠藤龍さんの編集によるNoismの映像舞踊『BOLERO 2020』が本日公開されました。このところの金森さん、多岐にわたって精力的です、いつにも増して!

「2020年」ということで言えば、昨年末~今年初の「森優貴/金森穣Double Bill」において『Farben』を振り付けた森優貴さんが、夏(8月)のアーキタンツ20周年記念公演で、「ボレロ(新作)」を発表する予定だったことも記憶に新しいところです。

…『ボレロ』。森さん振付の新作、私もチケットを買って、楽しみに待っていたのですが、「コロナ禍」で公演中止となってしまい、残念な気持ちでいた折も折、逆に今度は金森さんが「コロナ禍」ゆえに出来ることとして映像作品で取り上げて(そして/或いは、撮り上げて)くれました。『ボレロ』の穴は『ボレロ』で。金森さん、こう来たか。森さんだったら、どんなだったろう。そんな夢想にも浸れるほど、ぽっかり空いた穴が埋められていくように感じました。

この作品に関して、金森さんからのメッセージがあり、そのなかで製作の経緯などが語られています。こちらからもご覧いただけますので、どうぞ。

では、本編ですが、Noism公式ウェブサイトのニュース頁のリンクを貼っておきます。『BOLERO 2020』、そちら経由でどうぞ。(有料:「7日間レンタル」200円)

スマホでもご覧になれますが、少し大きなディスプレイでご覧になることをお薦めします。

私は幸いにも、プレビュー公演、先日の和楽器集団「ぐるーぷ新潟」コンサートにゲスト出演したNoism2、そして金森さんが新潟市洋舞踊協会記念合同公演に振り付けた『畦道にて~8つの小品』と続けて観ることができましたが、そうはいかず、「Noismロス」状態できている方も多くいらっしゃる筈です。こちら、一週間、何度でもご覧になれますから、「ロス」解消の絶好のチャンス。言うまでもなく、必見です♪

(shin)