「8-12月の Noism と私」(サポーター 感想)

☆オープンクラス~公開リハーサル(SaLaD音楽祭、DDD@YOKOHAMA2021、『境界』)~小林十市さん(柳都会~『エリア50代』)~『かぐや姫』~公演『境界』

とにかく盛りだくさんな充実したNoismライフだった。りゅーとぴあまで車で1時間弱の田舎に住んでいるが、通った通った…
あまりにも次々とイベントがあり、先週何を観たのかやったのか思い出せないくらいだったが、印象は間違いなく脳内と身体に刻まれている。観たもの感じたことは自分の中で同化して変貌しているので、事実や他の方の記憶と違ってきている可能性もある。「え~??そんなだったっけ~?」という部分があってもスルーしていただけたら幸いです。

オープンクラスは10/3から12/12まで計7回、皆勤賞でした!
「バレエ初級」ある意味このクラスは一番キツい。汗ダクである。人数制限中で10人程度なのでNoism 2メンバーがほぼマンツーマンで付いて優しくキビしく指導して下さる。基本中の基本を徹底的にやるのでごまかしが効かない。Noismらしく踊るには必須のクラスだ。

「レパートリー初級」2回あったのだが、10/3は『Training Piece』だった。「やった!」と心の中でガッツポーズ。Noismメソッドを作品化したもので憧れの演目。心拍音に合わせて起き上がって行き、いろんな動きに発展していくのだが、アイソレーション(ダンスに不可欠な身体各部分を独立して動かす手法)が出来ないとなんかヘン。今までやった事が無いので出来なくてアタリマエ、課題が見つかって嬉しい、とポジティブに。
11/21は『passacaglia』これも「Yes !」
かなりの時間が”歩く”練習に使われた。舞台上を歩く事はステップを踏む以上に難しいと思う。ただ普通に歩けば良いわけではない。役柄に合った感情表現をしながら後ずさったり、緩急をつけたりして全方位に進まなければいけないのだ。それも鑑賞に耐えるよう美しく。井関佐和子さんの歩き方を思い出していただければ納得できると思う。
この曲は悲しみをたたえて歩く感じなので、人生経験の長いヒトは有利だったかな??

いつも楽しい、勇気先生の「からだワークショップ」他のクラスでもやる準備運動で手のひらで全身をさする、叩くというのがある。自分の身体を目覚めさせる、輪郭(外部との境界?)を確認する。手のひらだけでなく手の甲でやったり、身体全体を手のように見なして床と触れ合うというのもやった。
これがすごく新鮮だった。”床との親和性”が初めて実感できた!吸い寄せられるように床に近づいて行き、体の一部が床に密着すると、あとは自然に擦れ合ったり転がったりしていくのだ。そうか、これが発展すると踊りになるのか。足先から徐々に砂に変わって行き崩れ落ちるのも、これが出発点か。
本題は、2人で向かい合いお互い右手と右足を前に出して(古武術でいうナンバ)相手が押したらその分引くというように必然的なリアクションを続ける、というもの。みんな「こう来たら~」「こう来て~」と声に出してやっていた。
このクラスはバレエ無経験の人が多いのだが全く関係無し。武術に近いのでバレエっぽいとかえってヘンだ。しか~し、あら不思議、ラストに一組づつ発表したのだがパドドゥに見えるのだ。スローモーション的に動いたからやれるのだが、メチャクチャNoismっぽい! 
「皆さん相手をよく見ているからです」と先生。
ローザンヌ国際バレエコンクールの実演付き解説の山本康介先生(浅海侑加先生の先生)がコンテンポラリー部門の批評で言っていた「わざとらしくなく、リアクションで踊ってるように見えると良いですね」の意味がクラスを受けてよくわかった。

中級クラスはバレエ、レパートリー共に難易度が上がる。
バレエクラスは井本星那先生だが、私は先生の踊りが好きなのでレッスンを受けられて嬉しい。サブに今期からNoism 1に上がった坪田光さんが付いてくれた。彼のチャーミングな雰囲気、踊りも大好き。まだNoism 2の時に初級クラスでアドバイスいただいた事があるので親近感有り。
ジョフォア先生のレパートリークラスはブレインストーミング。心身共に真っさらにして、がんばって気負いを消して臨んでいる。
毎回「え~⁈ こんなのを私ごときがやっていいんですかぁ~(出来ないけど)」という演目(のホンの一部)を教わるのだが、今回は、小林十市さんのための作品『A JOURNEY ~記憶の中の記憶』だった!

今年のNoismの関係者のNo.1キーパーソンと思われる十市さん。彼は新潟に、「DDD@YOKOHAMA」で上演されるその作品のクリエイションの為に滞在した。その最中の10/4、りゅーとぴあ能楽堂での金森さんとの対談「柳都会」ではお茶目な素顔を見せてくれた。歩きスマホをしてクルマに轢かれそうになった…とか。金森さんは、自由な「兄ちゃん」を尊敬しながらも時にはハラハラしながら見守る弟のようだった。

そして10/9には支援会員向けの公開リハーサル。
公開リハには2種類ある。創作している過程、ダメ出しをしながらの練習風景を見せるもの。それと舞台装置、照明は無いものの衣装は着けて通しで見せるもの。これは新潟以外の地でしか上演されない演目を特別に見せてくれる場合が多い。今回は休憩を挟みながら通しで見せていただいた。とても有り難い、お得な企画なので興味のある方はぜひ支援会員に!
『A JOURNEY ~記憶の中の記憶』は十市さんの今までの歩みを描いた作品だが、『BOLERO 2020』が組み込まれていた。新メンバーも参加し、久しぶりに浅海侑加さんの踊りも見れた「改訂版リアルボレロ」。ラストは十市さんが真ん中。
それを舞台でなくスタジオBの同じフロアで間近に観たら、心の底から「来世はぜったいにダンサーになる!」という思いが湧き上がってきた。そのくらい迫力が自分の中に入って来たのだ。

その十市さんと近藤良平、平山素子両氏の3人がおちゃらけトークを交えながら1人づつ真面目に踊る、という企画『エリア50代』(11/14)。
これも能楽堂で行われたのだが、Noismメンバーの皆さん勢揃いで観客席に。行く道ですからね。歳を重ねて現役だからこその遊び心、心配事、これからどうやってダンス寿命を伸ばすか、どういう方向を目指すか…などなど。アマチュア「エリア60代」としても参考になりました。

11/20に、東京バレエ団(金森さん振り付け)の『かぐや姫』を観た。
席選びに失敗し、残念な事に集中出来なかった。コールドのフォーメーションを見たくて三階最前列を取ったのだが、席の前にバトンがせり出していて、翁の家など舞台の前面が欠けてしまった。身を乗り出すわけにもいかず…この歳になると、見えないというのはかなりのストレスである。
全幕公演の際は一階席を取ろうと思う。

コールドはとても良かった。久しぶりにクラシックダンサーのコールドを観たが、体型や踊りなど、同質性が求められるのを再認識した。クラシックバレエに特化した身体だというのも。
クラシックバレエをずっとやってきた私がコンテンポラリー、Noismに惹かれて自分でも踊りたいと思い始めたのはここら辺に理由があるようだ。ユニゾンできっちり合わせるパートでもひとりひとりの個性を出せる。体型や髪型が違ってもよい。重力を感じる、より人間的なダンスである、という点に。

Noism 1メンバー各々の個性(色彩)を視覚化したのが、今回の公演『境界』の山田うんさんの作品『Endless Opening』の衣装と振り付けだ。
衣装で印象に残ったのは、井本さんの水色、坪田さんの紫、樋浦さんのオレンジ、そしてジョフォアさんのライトグリーン。単色ではなくパッチワークのように様々な色を配している。人はいろんな面を持ち合わせているから。
うんさんは各自のオーラの色が見えたのだろうか。自分の色を纏ってみんな伸び伸び楽しそうに踊っていた。クラシックっぽい振りもたくさん出てきたが、もしかしたら昔からある動きの方が身体により入っているので自由に踊れる部分もあるのかなと感じた。今回は樋浦瞳さんについ目が行った舞台だった。

個々が持っている台車。この歳になると棺桶を運んでいるとしか見えないが、まあそういうものだろう。生まれてから死ぬまで持っている。生をまっとうし、身に付けたものを外してネクストライフに向かって行く。行く先は待機場所の「境界」。
私のイメージは『2001年宇宙の旅』のラスト、スターチャイルドが浮かんでいる場所だ。

Noism 0の『Near Far Here』はモノトーンの荘厳な世界。冒頭は暗い庭園に置いてある彫像たちが稲妻に照らされているように見えた。音楽はゆっくりとしたバロックの三拍子。三拍子と言ってもワルツでは無い。人々が楽しむために踊るワルツは終わりが来るが、これはずっずっずっと永遠に進み続ける音楽。なにかとても大きいものがゆっくりと回転している。終わる事はない。
金森さんの決意、方針が伝わってくるような作品だった。

立ち姿が神々しいとまで言える井関さんの白いドレスと打掛のようなガウン、和と洋が同居している。バレエと武道、両方のスピリットを融合させたNoismの化身のようだった。

全体を通して重厚な雰囲気が漂っていたが、途中に3人ならではのアルアル、1:2に分かれてバランスを崩すという人間的なコミカルな場面もあって面白かった。シルエット(各々の別の面?)も加わると更にややこしくなる

白と黒、そしてラストの暗赤色の花びら。私は、これは”血の色=人間”のように感じた。人間を含めた生き物かもしれない。天と地の間に動き続ける生き物たち。

初日に花びらをひろって帰ったら、ほとんど同じ色のコサージュを持っていることに気づき、楽日はそのコサージュと同色のストール、あとはオールブラックスといういでたちで観た。知り合いに見せまくって「いっぱい拾って作った」と言ったら一瞬信じた人がいた!
今回は演目に関係したファッションで行くという楽しみも満喫できた。

2021年は本当にいろいろ楽しませていただきました。
8/6に東京での「SaLaD音楽祭」のリハも通しで見せてもらい、後で公開動画を観たのですが、画面のテロップに「Noism Company Niigata」と出た時に、なんとも言えない誇らしさを感じました。やはりNiigata が付いてると付いてないでは大違いです。

2022年も私なりに応援して行きたいと思います。1月-3月のオープンクラスも全クラス申込みました。
豪雪やホワイトアウトにならない限り通います!

(たーしゃ)

何回も見なければいけない『マッチ売りの話』+『passacaglia』

山野博大(舞踊評論家)

初出:サポーターズ会報第31号(2017年5月

 Noismが《近代童話劇シリーズ》の第二作『マッチ売りの話』を『passacaglia』と共に初演した。2017年1月20日に本拠地りゅーとぴあのスタジオBで初日の幕を開け、2月9日からは、彩の国さいたま芸術劇場小ホールで上演した。新潟に戻っての再上演の後にはルーマニア公演の予定もある。日本における創作バレエの初演としては、異例の上演回数だ。

 『マッチ売りの話』も金森穣の演出・振付を、井関佐和子らNoism1の主力メンバーが踊る中編だった。アンデルセンの童話と別役実が1966年に早稲田小劇場のために書き岸田国士戯曲賞を受賞した不条理劇『マッチ売りの少女』の両方が、金森の舞踊台本の背景となっていた。

 《近代童話劇シリーズ》は、第一作の『箱入り娘』もそうだったが、子どもに語って聞かせるとすぐに理解してもらえる童話の舞踊化である『眠れる森の美女』『シンデレラ』『白雪姫』『オンディーヌ』などのようには出来ていない。『マッチ売りの話』も別役の不条理テイストで濃厚に色づけされていた。論理的に説明したり理解したりしにくい状況の中で、登場人物が意味不明に近い出会いや動きを繰り返した。公演パンフレットに書かれた配役(それぞれの年齢が細かく指定されている)の横に「疑問符の相関性」という但し書きがあり、そこに「少女は老人夫婦の孫である?」「少女は女の20年前の姿である?」「女は娼婦の20年後の姿?」などの「問いかけ」が列記されている。これを読むと、舞台上で演じられている出来事の不可解さがいっそう増すことになる。

 ストーリーの展開がよく理解できる舞台や小説が、じつは何が起こるか先のことは何も判らない世の中の現実と似ても似つかない絵空事であることを、ベケットの『ゴドーを待ちながら』やイヨネスコの『犀』、別役実の諸作品に接してしまった私たちは知っている。それを舞踊でやっているのが金森穣の《近代童話劇シリーズ》なのだ。

 まず巨大なスカートの上から客席を見下ろす精霊(井関佐和子)の姿を見せる。次いで出演者全員が面をかぶり、凝った作りの衣裳をまとって細かくからだをふるわせたりする動きを見せ、個々の人物を表す。そこで提示されたドラマの断片のひとつひとつは、踊りとして緻密に仕上げられていた。「童話」のバレエ化だったら、かわいそうな少女に焦点があたるはずなのだが、いくら待ってもそのようなことにはならなかった。

 精霊が登場して、舞台に置かれた装置を片づけるように次々と指示を与えると、舞台上はきれいさっぱり。ダンサーたちも面を外し衣裳を変え、抽象的な動きによる『passacaglia』を踊る。前半のドラマの断片を連ねたような『マッチ売りの話』とはまったく別の世界が広がった。観客は、ここで初めて「舞踊」を見たという安心感に浸ることができたのではないだろうか。それと同時に前半の舞台の不条理性への理解が心の中にじわじわと広がってくることを感じたに違いない。

 しかし一回見ただけでは、この実感を素直に受け入れる心境にはなかなかなれないことも事実。『ゴドーを待ちながら』は、何度も見ているうちに、だんだん何事も起こらない舞台を平気で見て、楽しめるようになる。『マッチ売りの話』+『passacaglia』では、それと同じような或る種の「慣れ」が必要だ。何回も何回も見るうちに、不条理な現実世界に立ち向かえる勇気が身内に湧き起こってくると思う。

サポーターズ会報第31号より

(彩の国さいたま芸術劇場小ホール)

Noism1 ルーマニア・シビウ公演に行ってきました!(3)

今回のシビウ・ツアー(参加者4名)は、さわさわ会会長の斎藤正行さんの強い希望があり実現しました。
ルーマニアというと日本から直行便がないし、治安が悪いのではないかとか、何となく二の足を踏みますが、行ってみればとても面白く興味深い国でした。

シビウについては、私は街の名前も知りませんでしたが、毎年、国際演劇祭を開催している文化都市で、2008年には、りゅーとぴあシェークスピアシリーズの「冬物語」もラドゥ・スタンカ劇場で上演しています。

中世の面影が残る美しい街並みのシビウは、教会や時計塔、公園、そしてカフェやレストラン、小さなパン屋さんもたくさんあり、散策が楽しい素敵な街です♪
丘の上の大広場を中心に、石畳の道と、下町の方へ行く坂や階段がいくつも延びています。
佐和子さんが教えてくれた市場や川や、ジェロビタールのお店にも行ってきましたよ♪

どうなることかと心配したルーマニア行きでしたが、いざ行ってみれば楽しい日々でした。

シビウ公演鑑賞以外の詳細は、同行の久志田渉さん(さわさわ会役員、月刊ウインド編集スタッフ)のフェイスブックにアップされています。
そして月刊ウインド6月号(5月末発行)に特集4ページでルーマニア旅行記が掲載されるそうで楽しみです。
どうぞご覧くださいね! (fullmoon)

追伸:写真は、うそつき橋の脇の路地。後方の家の屋根にある小さな窓は、目のように見えるので「シビウの目」と言われ、この街の家の特徴になっています。

Noism1 ルーマニア・シビウ公演に行ってきました!(2)

そのあとの「さわさわ会ルーマニア懇親会」は、テーブルは違いますが、Noismの打ち上げ会場と同じレストランで開催できてラッキー♪
佐和子さんが手にしているのはルーマニアの民芸品、イースターエッグです。本物の卵の殻に彩色してあります。
シビウの夜は楽しく更けていきました。

Noism1 ルーマニア・シビウ公演に行ってきました!(1)

4月6日(木)19:00開演、ラドゥ・スタンカ国立劇場(シビウ)でのNoism1『マッチ売りの話』+『Passacaglia』最終公演に行ってきました!

今年1月の新潟公演を皮切りに、埼玉、新潟凱旋、そしてルーマニア・シビウと、全19回公演の最後を飾る大千秋楽。
Noism1メンバー渾身の舞台に、満員の観客は大歓声とスタンディング・オベーションで応えます。
3月30日のブカレスト『ラ・バヤデール-幻の国』公演に続く大成功!
前日の公演もとてもよかったそうで、私も感慨ひとしおです。

この『マッチ売りの話』+『Passacaglia』公演を私は14回観ました。
最後となるシビウ公演は念願の2階席で、3列目のほぼ中央。
客席数300と、ブカレストのオペラハウスのような大きな劇場に比べると、こじんまりした会場ですが、そのおかげで2階席でもステージにわりと近い感じで全体が観られました。

日本で観た時からひと月ほど間があいたわけですが、新たな発見もあり、これまでとは違う印象もありました。
金森さんが意図したであろう「祈り」、「信仰」を強く感じ、休憩なしで一続きの作品として上演されることにもとても納得がいきました。
シビウまで行ってよかった。
なんとなく感じていた不明点が自分なりにすっきり解消した気持ちです。

公演はもちろんとても素晴らしく、言うことなしの120点満点超えでした♪
でも日本で観ている時と違って、周りの観客の反応がとても気になってドキドキしました。
大好反応で本当によかったです!

終演後に、さわさわ会会長の斎藤正行さん(シネ・ウインド代表)に地元メディアのインタビューがありました。ネット配信もされたようですね。
写真の一番左の人は劇場スタッフの谷口さんで、通訳をしてくれたり、ずいぶんお世話になりました。

マッチ+パッサ千秋楽を終え、スタジオB撤収 まだ観足りないなら・・・

2017年2月26日(日)の朝は晴天、青空が広がった新潟。
Noism1『マッチ売りの話』+『passacaglia』新潟凱旋公演の千秋楽の日。
ここまで高い確率で雪に見舞われてきた今回の長丁場の公演も、
最終日を迎え、よもや雪など想像できないほどに
ポカポカの午前中でした。

がしかし、公演時間の一時間半前の13:30、
一天にわかに掻き曇り、
途端に、大粒の霰(あられ)が垂直に落下をはじめ、
音を立てて、屋根を、地面を叩き付けることになろうとは誰が予想できたでしょうか。
それも色こそ違え、ミモザの黄色を降らせた劇的舞踊『カルメン』を彷彿とさせる勢いで。
最後の最後まで、天候を味方に付けるとは、
やはり名作のなせる業に違いありません。

そんな天候のなか、開演時間が近づくと、前日書いた「ラス前」のレポートのように、
否、それ以上に、この日の公演を楽しみにして、
ホワイエに集結してくる「Noism愛」の面々を目にし、思わず笑みが零れました。

でも、それも束の間。
最後の公演が始まると、
舞台から10人の舞踊家が10人とも、
いつも以上に思いを込め、気合いを入れて踊っているのがビシバシ伝わってきて、
それを受け止めるこちら側としては、魅了されながらも、
同時に寂寥感がこみ上げてきてしまうのも致し方なかったことかと。
やはり千秋楽は普段とは違うものなのでした。

普段とは違う・・・。
手許のチケットは今日で尽きてしまったというのに、
感覚はまだそれについて行けず、
また次の週末には、普通に、スタジオBで公演がありそうな気がして、
それを打ち消すのがとても切ない、そんな心持ちです。

ホワイエで行われた終演後のアフタートークも、
平行して撤収されていくスタジオBという現実を受容することを求めてきました。

「今日で千秋楽を迎えましたが、まだ観足りないという方は
来月末、ルーマニアにおいでください。
ルーマニアに行くからといって、特別変わったことはありません。
新潟の舞踊団としてベストの舞台になるよう努めるだけです」(金森さん)と言われてしまうと、
何やら誇らしくもあり、現地でその様子を見届けたい気にはなりますが、
いかんせん・・・。(汗)

楽日のアフタートークとあって、質問も多かったようです。
なかから、このあと5月に控える新作にまつわる金森さんの言葉を紹介して、
締め括りとさせていただきます。
「最近ハマっているものや、ことがありましたら教えてください」との問いに、
「最近ハマっているものですか・・・」と少し考えた後、
金森さんの口から、「ショーペンハウアーの本ですかね。」と意外な名前が飛び出し、
続けて、「ショーペンハウアー、今まで読んだことがなかったのですが、
次回作にも関係しているので、今読んでいます」と事情の一端を明かしてくれました。
もしかして、Noismロスの「心に空いた大穴」を埋めてくれるのは、
案外ショーペンハウアーなのかもしれません。(笑)
この機会に、一緒に勉強してみようかな、と思ってみたりもしますが、
私の場合、今はまず、村上春樹からですかね。(汗)

寂しい気持ちを抱えつつ、今回はこのへんで。
皆様からのコメントなど賜りましたら、寂しさも紛れようというものです。
どしどしお寄せください。

そして、ルーマニアへおいでの方、現地のレポートを心待ちにしております。
ルーマニアへおいでにならない方、次回、ダブルビル公演の「劇場」でお会いしましょう。
ではでは。 

追記
この冬、新潟と埼玉の地に、金森穣とNoism1が灯した燐寸は、
燐寸であればこそ、他の点火器具とは異なり、
いかに望もうともいつまでも灯り続けることなどあり得ず、
避けがたく訪れた消えることの摂理にも、「Patience!」とばかりに耐えねばなるまい。
しかし、また、燐寸だけが、消えてなお、微かに燐の匂いを鼻孔に伝えてくるのに似て、
千秋楽を終えた今も、金森穣とNoism1の燐寸が放った残り香に囚われ、
酔いしれたままの自分を見出だすのも、私ひとりであろうはずがない。
(shin)

名作マッチ+パッサ、残すところあと1公演

2017年2月25日(土)、所謂「ラス前」公演に行ってきました。
この日のスタジオBのホワイエには、
これまでにもNoismの公演でお見かけしてきた顔も多く、
「私は〇回目です。あなたは?」といった会話と同時に、
「あと明日一日になってしまいましたね。淋しいですね」という声が聞かれました。

今回、公演回数も多いスタジオ公演で、
それが新潟であれ、埼玉であれ、
週末には「公演があるのが普通」っていう感覚でいましたが、
やはり終わりは確実に近付いていたのです。

そうして回を重ねて迎えた「ラス前」の舞台は、錬磨・彫琢が際立ち、
第1部『マッチ売りの話』では、人物の造形に厚みと説得力を増し、
込み入った時空も、頭より先に目が納得させられましたし、
第2部『passacaglia』の方は、信仰と科学といった両極を往還する
不連続な連続を織り上げる身体の豊かさ、
その密度に息つく暇もありませんでした。

明日の最終日は、「舞踊家もそういう思いで踊る」(金森さん)ことから、
ますます訴求力を増した、圧倒的な舞台になることは必定。
前売り完売ながら、当日券が数枚出るとのことですから、見逃す手はありませんよね。
まあ、ルーマニアまで遠征するなら、話は別でしょうけど。(笑)

あと、本日の折り込みチラシには、
Noism1の5月末のダブルビル公演の作品タイトルが、
金森さんによる新作『愛の死』と
山田さん作のレパートリー『Painted Desert』と刷られていました。
金森さんは(新作を)「早く作りたくて仕方がない」と言っていましたし、
『Painted …』の方はNoism2で観てきましたが、Noism1が「劇場」で踊るとどうなるのか。
どちらも楽しみですね。

ですが、その前にまずは明日の公演で見納めになる方が多い
『マッチ売りの話』+『passacaglia』。
この名作を心ゆくまで堪能しようではありませんか。
明日の千秋楽に向けて期待は募ります。
「いざ、スタジオBへ」です。 (shin)

クライマックス3公演 始まりました!

いよいよラスト、週末3公演となりました!
昨日24日(金)、プレミアムフライデーの公演もますます冴え渡り、素晴らしかったです!

アフタートークでの質問も多く、振付の変更点、作品中で音楽が交互に入れ替わることと身体性について、弟役はなぜふたごなのか、疑問符の相関性について、楽曲「マッチ売りの少女 受難曲」中の「ペイシェンス」の意味(直訳としては「忍耐」)、などなど盛り上がりました。

公演は残り今日、明日の2日間。
当日券は少なそうですが、どうぞお見逃しなく。
(fullmoon)

マッチ+パッサ、新潟凱旋公演第1ラウンド終了

Noism1『マッチ売りの話』+『passacaglia』新潟凱旋公演第1ラウンドの最終日、
変則日程の2017年2月20日(月)は珍しく雨。
それも強い風と合わさり、体感気温は相当に低く、
「これなら雪の方がまだまし」とは、人はまったく勝手なものです。

fullmoonさんのお陰で、思いがけず、この日の公演を観ることが出来ました。
一昨日の公演を観て、3回目で、ある程度すっきりするところまでいけたので、
この日は「理解したもの」に捕らわれずに
目に徹して観ようという思いを抱えて、スタジオBへ。

もともと多義的なものであり、固定化・安定化しようとする視線をかいくぐり、
常に逸脱していくベクトルとしての身体、
更に、「時間の芸術」(金森さん)としての舞踊。
意味などに拘泥せずとも、
否、理解したつもりでも、
それを超えた豊饒さで私たちを揺さぶってくるのが、
金森穣とNoismだった訳ですし。
そういった刺激に満ちている点では、
ゴダールの映画に似ているように思いますし、
個人的には、それに比肩しうるように感じられます。
決して大袈裟ではなく。

なんとか理解したくて、一生懸命に観て、
少し輪郭を捕まえられたかな、などと感じると、
今度は逆に、その輪郭に縛られてしまって、
もう自由に観ることは困難になってしまうもの。
意味に関しては、人はまったく不自由なものです。

でも、ゴダールも、Noismも、その懐は途轍もなく深いものがあります。
今回途中で、唐突に2度、耳に届く「Patience!」の言葉に、
意味を志向して、それなりに安心を得ようとするのではなく、
豊饒なるものの豊饒さを取り逃がさないよう、
まず「辛抱強く」目に徹せよ、という、
私たちに求められる「エチカ(倫理)」が谺していたように聞きました。

なんだか訳がわからなくなってしまいましたね。
簡単に言うと、「わからない」ことを恐れるな、ってことになりますかね。
そんな心構えを最初に教えてくれたのが、
私の場合、ゴダールでした。
そして今、Noismも。
もともと正解がある訳ではないので、
観たままでいい、と。
それでも充分に美しい、否、それだからこそ美しい。
更新され続け、誰も捕まえてなどおけない「刹那」の美におののき続けること。
まあ、そんなことになるでしょうか。

しかし、ゴダールも金森穣Noismも見終わると、
確実に自分のなかに新しい世界が広がっていて、
その若干の異物感と共に、
刺激に満ちた何物かとして怠惰なままではいられない
スイッチをいれてくる点まで同じなのです。厄介なことに。(笑)
(個人の感想です。(笑))

凱旋公演も、残すところ3回。
豊饒なるものに圧倒される経験をするために、是非スタジオBへ。 (shin)

マッチ+パッサ新潟凱旋公演第1ラウンド中日(なかび)を観ました

週末の2017年2月18日(土)、
新潟凱旋公演第1ラウンド中日(なかび)、
開演時刻の午後5時が近づくと、
あたかもそれは県外からのお客様への「礼儀」であるとでも言わんばかりに、
雪がちらつく新潟市。
誰も困りはしない程度に「情緒」としての雪〈天花〉を降らせてしまう
金森穣とNoismはやはり恐ろしいと思う。

『マッチ売りの話』+『passacaglia』、3回目の鑑賞。
イントロ部の精霊・井関さんは
NHKバレエの饗宴2015の『supernova』を思わせるような超越的な存在。

からの第1部、『マッチ売りの話』の具象世界へ暗転。
そこは西洋と日本が同居する時空。
表情を奪い、身体を際立たせ、それでいながらも様々な陰影を伝える仮面。

交錯する現在、過去、そして未来、
更には、あり得たかも知れないパラレルワールド、その一瞬の提示。

眼前で展開される加害と被害の混沌。
互いに指弾し、互いに指弾される怯える者たち。
安逸に、(不毛な)「夜のお茶」の作法に耽っていたというのに、
過去の、否、未来の侵犯により、しっぺ返しを受けて震える老夫婦。
そして封印していたはずの獣性の蘇り。
目を逸らしたままでいたかった過去。

今日のささやかな日常は何のうえに成り立っていたというのか。
蓋をして、無き者にしてしまいたかったというのに、
「忘れさせまいぞ」とばかり
蘇ってはのし掛かってくる、各人の存在の内側に折りたたまれたこの国の過去。

プログラムには「たとえその足跡が、
降り積もる天花(雪)によって
消え去ろうとも。」とあるものの、
それは、むしろ逆。
雪によってでも消し去ってしまいたい足跡ではなかったか。

今一度、プログラムに戻れば、そこに書き綴られた
「私たちは歩いて行かなければならない。
(信じ、)打ちのめされ、立ち上がっては過去を背負い、
一歩一歩大地を踏みしめるように、
歩いて行かねばならない」が、
それぞれに傷を負った9人によって
厚みをもって可視化されていきます。
並び立つ、諧謔と戦慄。

明転から、精霊・井関さんの導きで抽象舞踊の第2部『passacaglia』へ。
まずは、アウトフォーカスで互いを視認することなく
「コンタクト(接触)」という言葉では言い表せないほどの
驚異の濃密な絡みを見せる井関さんと中川さんのパートは福島さんの現代音楽。

次いで音楽がビーバーに変わると、
そこではコンタクトとリリースを繰り返す
デュエットを基本にしたユニゾンに一転。

しかしそれも束の間。
更に、再び、福島さんの現代音楽に転じると、
今度はコンタクトは極小に。

かように多彩な舞踊のボキャブラリーを見せつけて踊る10人の舞踊家。飛び散る汗。
プログラムにある通り、「信じ」て踊る、舞踊家の覚悟が身体から迸ります。

複雑を極める現代にあって、
複雑を複雑のままに提示することに誠実さを見出す今回の作品、
見事に構築された重層性には唸るより他ありません。

この新潟凱旋公演第1ラウンドは変則日程で、
日曜日が休演日。次の公演は月曜日となってます。
土日には都合がつかない方もご覧になるチャンスです。
金森さんとNoism1が現代に向き合い、
「劇場」から投げかける問いに挑んでみては如何でしょうか。

私も期せずして月曜日の公演に行ける幸運に恵まれました。
スタジオBでお会いしましょう。 (shin)