2026年6月22日(月)、ウェブの「dancedition」に2回目となる金森さんと井関さんへの標記インタビュー記事が掲載されました。
同サイトに最初のインタビュー記事が掲載されたのは、2026年4月7日。金森さんが芸術監督の更新を固辞する理由4つが理路整然と紹介されており、掲載のタイミングとしては、芸術監督の継続問題が、世間的には(!)未だ幾分か流動的な部分もあるのでは、そう思われていた時分でした。
その際の当ブログ記事へはこちらからどうぞ。
それからちょうど2ヶ月半を経て、2回目のインタビュー記事が掲載されたのでした。次のリンクからお進みください。
「金森穣&井関佐和子に聞く、退任発表の真意とNoismの行方(2)」
(リード部分に、「署名活動が起こり」とありますが、今回は行っていないことを書き添えておきます。)
金森さんは6月9日の「X」で、「…しかしこれ以上事象の時系列やその時抱いた感情を語り(た)くない。これ以上痛みを追体験したくはない。未来を見つめたい」とポストされていましたが、この度の長いインタビュー記事の前半部分、おふたりをはじめ、Noismのメンバー及びスタッフが否応なしに直面させられてきた、非人間的な所業の繰り返しには、「怒髪天を衝く」ほどの強い憤りを禁じ得ないものがあります。それはまさに痛み以外の何物でもなく、読んでいるだけでも激しい動悸に襲われるほどです。
しかし、後半は「未来を見つめたい」とする気持ちが溢れていて、読んでいるこちら側の方が勇気付けられる気がします。金森さんも井関さんも凄いわ、と。勿論、メンバーも。
来年夏、2027年8月まで、公共劇場専属舞踊団としてのNoismの活動は続きます。私たちはその最後の最後の瞬間まで、まさか財団が次期芸術監督選任にまつわる業務を理由にNoismに対しておざなりな対応などしないよう、充分に目を光らせている必要があると言えるでしょう。そして、「レガシー」を引き継ぐとした言葉をしっかりと現実のものにさせていかなければならないと思うものです。決して、いっときのリップサービスにさせてなるものか、そう思っています。事業としての検証及び説明責任をしっかりと果たすことを求めるものです。
先を急ぎ過ぎました。先ずは今週末に迫った『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』を刮目しましょう。素晴らしい舞踊を目撃することは間違いありません。それは即ち、財団がどれだけ大きな「レガシー」を担うことになるのか、事の重大さがはっきりすることを意味する筈です。
そして、それはまた私たち全員に言えることでもあります。先日、当ブログに再掲載した『新潟はシュツットガルトになるか?』のなかの一文「新潟が、りゅーとぴあがNoismを失くしてしまうというのはどういうことなのか」は私たち全員に向けられた問いなのですから。
「公共劇場専属舞踊団」Noism Company Niigata、これまでにも増して見逃し厳禁ですよ♪
(shin)