狂える集団に対峙する「正気」という狂気(「黒部シアター春2026」2日目)(サポーター 公演感想)

富山県黒部市前沢ガーデン「黒部シアター」でのNoism野外公演も、4年目となった。5月30・31日の『春の祭典』は、両日とも魚津市に宿泊のうえ鑑賞した。31日は歌舞伎観劇時にもお会いする方始め関東からのNoism応援勢の方々に同行し、扇状地の高低差を活用した「釈泉寺円筒分水槽」「東山円筒分水槽」や、滑川港からの富山湾クルーズなど富山の自然と地形を浴びてから、二日目の鑑賞に臨んだ。夕刻となって雲ひとつ無い快晴となった前沢ガーデン。16時頃入場整理券待ちをしていると、ガーデンハウス玄関に現れた金森穣さんに手を振っていただき、「これから御大が来られるんだよ」と教えられる。金森さんが師と仰ぐSCOT鈴木忠志氏と団員の皆さん、前沢ガーデンハウスを所有するYKKの方々、『鬼』や『still / speed / silence』などの金森作品の音楽を手がけた原田敬子さんをお見かけしつつ、盛夏を思わせる暑さの中で開演を待った。


19時定刻、円形劇場に能を思わせる摺足で井関佐和子さんが音も無く現れてからの、序曲『Zodiac 1~5』のNoism的なる支配と被支配の黒い喜劇と人形振り、間髪入れずに始まる『春の祭典』の圧倒的な狂える美に至る50分間。新潟での6月末からの改訂版『春の祭典』公演を控えるため核心には触れないが、コロナ禍中に創作された金森版『春の祭典』初演・再演時にあった人間たちの狂騒さえ呑み込む人智を超えた存在への「畏れ」は、本作では全く異なる「人の集団」そのものや、今の世界を覆う全体主義・ファシズム・国家という暴力装置への「恐れ」と「抵抗」の物語として、力強い変容を遂げたように思える。狂える集団の同調圧力の中で、「正気を保つ」ことこそ「狂気」ととられることを体現するような井関佐和子さんの裂帛の気合こもる舞踊は勿論、初演時に井関さんが演じたパート含め表情豊かに舞台を駆ける現Noismメンバーの躍進に幾度も涙が溢れた。太田菜月さん演じる「生贄」が取る行動の残酷さ・脆さ・狂気こそ、私たちが生きる人間社会の酷薄なる象徴であり、それでも尚孤立を恐れずに「個の自由」の為に舞うかのような井関さんの凄烈なる表情に打ちのめされた。
前沢ガーデン野外劇場でしか実現できない終幕の、神がかり的な自然と照明が織りなす背筋が凍るほどの美含め、ここまでの彼岸に観る者を運ぶNoismという「集団」が持つ、肯定的な意味での「狂気」と「献身」にも思いを馳せずにはいられなかった。
6月末からの改訂版『春の祭典』で、また私たち観客の想像を遥かに超えたものを金森さんとメンバーが届けてくれるだろう予感に震えつつ、美しい満月に照らされた前沢ガーデンを後にした。

久志田渉(「月刊ウインド」編集部)

「黒部シアター春2026」、圧倒的な舞台に酔いしれた小一時間(2026/05/30)

5月というのに、季節外れの「夏」を思わせるような陽光降り注ぐ2026年5月30日(土)、その宵の「黒部シアター2026」前沢ガーデン屋外ステージで上演される『Zodiac 1~5』+改訂版『春の祭典』を観るために、朝、高速に乗って新潟市から富山県を目指しました。それは本当にカーエアコンが有難いドライヴでした。

この前沢ガーデン屋外ステージでのNoism Company Niigataは、これまで『セレネ、あるいはマレビトの歌』(2023)、『セレネ、あるいは黄昏の歌』(2024)、そして『めまい-死者の中から』(2025)と観続けてきていましたから、ここが他と違う特別な舞台であることは予め充分に知っており、そのワクワク感には半端ないものがありました。

また、今回は、悪天候や日没後の低気温に嬲られる心配もなさそうと思える予報が出ていたことで、初めて軽装備での現地入りが出来ました。

先ずはチケット片手に前沢ガーデンの総合受付に行き、16:30からの「整理番号」配布に臨みました。この日の配布は予定を少し早めて、16:20頃から始まったでしょうか。手にした「整理番号」は8番・9番。車を宮野運動公園駐車場に置いてから17:15発の(無料)シャトルバスで再び前沢ガーデンに向かいました。

そしてガーデンハウス内でサポーターズ仲間と合流して話をして過ごしていると、金森さんが通りかかったので、みんなで手を振ると、笑顔で手を振り返してくださいました。その後、金森さんは、今回の公演で登場する椅子をデザインした須永檀さんと話しておられました。(下の画像の1枚に写り込む金森さんと須永さん、わかりますか。)

整列時間(18:40)が近付き、見事な芝の斜面へ。空には移ろい表情を変える雲、そしてこれから向かう屋外ステージの方向にはうっすら茜色。このランドスケープに趣を添えてくれていて、この日の特別感は弥(いや)増す一方です。

是非とも座りたかった最前列に腰をかけて、開演を待ちます。円形舞台上に12客の椅子、12人の出演者、「Zodiac(黄道十二宮)」、…。これに先立つ公開リハーサルを見ていない者に降り注ぐ様々な「12」たち。そのときです。「あっ!」「えっ?」、その目に飛び込んできた「13?」。それは円形の舞台奥、等間隔に立てられた細い金属のトーチとそこに揺れる炎でした。確かに13本です、何度数えても、それだけ13。「えっ?」そんな疑問を抱えつつ…。

客席の誰もが、屋外にて、「自然」の掌(たなごころ)の中にあり、「人為」を離れた感覚にあったのでしょう。18:59が19:00になっていたことに気付くことのないまま、未だざわつきやガサゴソが残るなか、「自然」の連続性に、不連続な時間という「人為」が重ね書きされ、定刻19:00、井関さんが下手(しもて)側からゆっくりゆっくり舞台上に歩を進めてきます。開演のベルはありません。やや遅れてその姿に気付いた客席は静まり返っていきます。しかし、そこは「自然」の屋外、夕暮れに烏でしょうか、微かに鳴く声などは時を選びませんし、舞台を照らす足許すぐ脇の照明に集まってきては自ら身を焦がしてしまう虫たちのにおいもあります。そんななか、やはり刻々暗さを増していく「自然」の「照明」には有無を言わせないものがあります。やはり特別な舞台なのです。

この日、私にとって、初めてにして、最後(?)の『Zodiac 1~5』。5月30日ですから「双子座」にあたるこの日に観た「山羊座」「水瓶座」「魚座」「牡羊座」、そして「牡牛座」。(天文についても、ギリシャ神話についても、)浅学ですので、ただ見詰めるのみでしたが、様々な要素が盛り込まれた導入部は、私にとって「この日限り」でしたので、見逃してはならぬとやや落ち着きなく観ていたように思います。金森さんの懐の深さに圧倒されながら、もっと深い見方が出来るように、もっと色々知りたいという気持ちになりました。そしてそれは金森さんが生み出す作品の大きな魅力のひとつであることは間違いないことです。極めて良質な刺激に満ちている訳です。

そして舞台はそのまま、改訂版の『春の祭典』に移行していきます。公開リハーサルをご覧になったfullmoonさんが書いておられたように、今回の『春の祭典』は、テーマは変わらずとも、これまでのものとかなり異なっており、更に表現が磨かれ、彫琢が施された感が強くするものに仕上がっています。しかしながら、私たちには、どこからどこまでが「黒部シアター仕様」なのかはわかりませんし、6月~7月の公演時には、また違ったものが観られることでしょう。実に贅沢なことと言えます。

しかし、何を措いても、この日、私が感じたことは、「自然」と「人為」に尽きます。「黒部シアター」で上演される金森さんの作品にあっては、「獣性」が迸る瞬間が強く印象に残り、裏返せば、その点で、「聖性」も立ち上がってくる構造があると言えるかと思いますが、この日、前沢ガーデンの屋外円形ステージという、まさに「自然」と「人為」がせめぎ合う、或いは拮抗する舞台において、私には「獣性」と「聖性」とが1ミリも相反せず、同居するのが「自然」、それを二分せずにはいられないのが「人為」という感覚に強烈に襲われたのでした。

金森さんの演出振付のもと、12人の舞踊家が示した舞踊への発火せんばかりの献身。その周囲に圧倒的な趣で目に飛び込んでくるランドスケープ。目撃したのは「人為」と「自然」が高い次元で両立し得た小一時間。どちらも本物ゆえ、見詰める私たちの身体も熱を帯びてくるばかりです。更にストラヴィンスキーの楽曲にも煽られている訳ですし、熱くならない訳がありません。そう、この体感、これも本物としか言えません。

この『春の祭典』、「黒部シアター仕様」のラストシーンについては、恐らく誰もが想像する通りのものであるでしょうが、その味わい深さには想像を絶するものがあります。これこそ観る他にないもの、観る価値があるものと断言致します。見詰める誰にとっても、至福以外の何物でもない「とき」が訪れることでしょう。

「自然」の照明は既になく、「人為」の照明が残るなか、大いに満たされた気持ちで振り返り振り返りつつ、バスに乗ろうと歩を進めていたとき、煌めく綺麗な星は見ましたが、「セレネ」の舞台であったというのに、その場で月を確認しなかったのは不覚でした。
この日はほぼ満月の「小望月(こもちづき)」という月らしく、後刻、新潟へ帰る高速道路のサービスエリアで遅まきながら見上げました。で、正真正銘の「満月」は5月31日とのこと。更に、更に、それ、調べてみると、「ブルームーン」といって、2~3年に一度しかない、一ヶ月のなかで2度目に見られる「満月」とのこと!で、その「ブルー」というのは、色のことではなく、英語の慣用句「Once in a blue moon(極めて稀なこと、ごく稀に)」に由来するもので、「滅多に見られない特別な満月」らしいです。「金森さん、やはり凄い!」としか。

あっ、ここに至って、蛇足をひとつだけ。上に書いたまま放置していた等間隔に立てられた炎揺らめく「13本」のトーチですが、なるほど、見方を変えると、「13」はそのままで「12」でもあったのだと気付くことになり、「さすが、金森さん!」と膝を打ったような次第です。
何を言っているのかって?はい、上演後、促されて舞台に立った金森さんの「(5/31は)まだ当日券はあるそうです。わかりにくいと言われる金森作品ですが、2回観るとわかるらしいです」との挨拶に繋げて、この日のレポートの締め括りとさせて貰います。
今宵、「ブルームーン」の満月のもと、前沢ガーデン屋外ステージにて、こちらも極めて稀なものと言えるNoism Company Niigataの舞台を是非ご堪能ください♪

(shin)

まさに我が意を得たり♪新潟日報紙5/27朝刊「日報抄」!

今週末、恒例となった富山の「黒部シアター」に招かれての『春の祭典』上演を控えるNoism Company Niigata。その「ホーム」新潟で、地元紙・新潟日報紙が2026年5月27日の朝刊「日報抄」にて、金森さんとNoismが新潟市で刻んで来た20年以上の時間について取り上げてくれました。新潟日報さん、有難うございます♪

朝早く、友人がLINEで知らせてくれて、先ずは急ぎデジタル版で確認、その後、紙面で再確認したような次第です。そして思った「我が意を得たり」、まさに♪

デジタル版はこちらからもどうぞ

冒頭、先日の東京バレエ団『かぐや姫』から始まり、来年のフランスはパリ・オペラ座での公演予定について触れられ、金森さんが「振付家として稀有な存在」であるとするバレエ関係者の言葉が引かれています。なんと誇らしいことでしょう♪とりわけ新潟市民にとって。まさにシビックプライドな訳です。

しかし、次の段落に入ると、そこから一転し、「新レジデンシャル制度」のもと、「後任次第で、ノイズムは新潟市での活動を終える可能性が高い」ことが紹介されます。

この度の「日報抄」、これまで、連載も挟んで、昨年末の金森さんの「退任意向」を報じて以来、精力的に記事を載せてきた新潟日報紙が、改めて新潟市民に向けて発した問いかけ、或いは問題提起の様相を帯びて締め括られていきます。ノイズムを「市が20年以上かけて育てた文化的財産」とし、「その実像を足元の市民が広く理解しないまま、手放すことになってもいいのだろうか」と。

恐らく、今週末には富山の観客を魅了し尽くすことに間違いはありませんし、来年には、国境を越えて、フランスの観客も度肝を抜かれることになるでしょう。しかるに、「足元の市民」は?その「理解」は?

嘆かわしいことに、日本初にして日本唯一の公共劇場専属舞踊団の「実像」を理解するための機会も既に限られている状況にあります。黒部まで赴ける方は今週末、万難を排して是非!それが叶わない方は来月末の『私は海をだきしめていたい』+改訂版『春の祭典』公演(新潟・埼玉)に駆け付けて、改めてNoismの舞踊を目撃してください。そして、自分の目で他に類のない「実像」を確かめて欲しいものです。

私はNoismを抱きしめていたい、です。

(shin)

個と社会の相克を描く、圧倒的な完成度(『春の祭典』5/23公開リハーサル)(サポーター レポート)

来週末5月30日、31日の富山県黒部市「黒部シアター2026春」に向けたNoism活動支援会員向けの『春の祭典』公開リハーサル。昨日に加えて、急きょ本日のスタジオBでのリハが追加開催され、約20名の会員が集まった。


いつに増して緊張が空間に漲るスタジオB。12時定刻、芸術総監督・金森穣さんのいつもの「はい、始めましょうか」の合図で、井関佐和子さんが能を思わせる摺り足で歩み始めてから、約50分間、息つく間もないほどの勢いで展開される音と心体の共振。昨日のリハーサルレポートでfullmoonさんが詳述された黒部公演のみの新作『ゾディアック』は、冒頭の摺り足始め、人形振り、支配と被支配などNoismが22年間表現してきたエッセンスが凝縮しており、様々に舞台の記憶が脳裏を駆け巡る。そして、この鮮やかな序曲を経ての改訂版『春の祭典』はその到達した高みに涙を禁じ得ないほどの仕上がりだった。詳細は黒部、そして6月末からの公演で確かめていただきたいが、新型コロナ禍の苦しみの中で創作され、個と社会の相克とそれをも凌駕する人智を超えたものに打ちのめされた初演・再演を超えて、金森さんは12名の舞踊家の心体による渾身、12脚の椅子、そしてストラヴィンスキーの楽曲の力を駆使して、人は本当に「自由」を希求し得るのか、異端を排するものとは誰なのかを冷徹なまでに突きつけてくる。終盤の改編には、息を呑み、鮮やかな終幕には打ちのめされた。

リハーサル後、金森さんは「これだけの仕上がりになっています。舞踊家たちは身を削って、ここまでに達しています。これもこの恵まれた環境あってのこと。そして、それも後一年」「バイトの合間に集まって練習していては、ここまでのレベルには届かない。比べてお見せしたいくらいだけど」と、Noismが置かれた苦境を踏まえつつ語った。
公演後、あまりの興奮にりゅーとぴあ屋上庭園で一服していると、「お疲れさまです!」と井関佐和子さんが声を掛けてくださった。二日続けての公開リハーサルだった為お疲れとのことだったが、改訂版に至るまでの初演・再演時の記憶含めて、お話することが出来た。コロナ禍中の初演時の公開リハーサルで、金森さんが見せた涙を思い返しつつ、この舞踊団が新潟で続けてきた「献身」は決して失われないし、その為に何が出来るかを、改めて思わされた。まずは来週末の黒部公演に心して臨みたい。

久志田渉(「月刊ウインド編集部」)

黒部シアター2026春『春の祭典』活動支援会員向け公開リハーサルに行ってきました!

5月22日(金)肌寒く雨が降る中、りゅーとぴあ〈劇場〉で、活動支援会員オンリーの公開リハーサルが行われました! メディアは無しで、写真撮影も不可。
劇場のステージは、前沢ガーデンの野外ステージを模した特別舞台仕様になっていて、私たちは舞台上に用意された椅子に座って、超間近で見せてもらいました♪

まずは、黒部公演のみの特別オープニング、現代音楽作曲家シュトックハウゼンの楽曲「ティアクライス」(黄道十二宮)より、新作『ゾディアック』(約15分)。そして切れ目なく『春の祭典』(約35分)へと続きます。

横道にそれますが、この「ティアクライス」と『ゾディアック』は、ゲームのタイトルにもなっています。更に『ゾディアック』は実際の事件を基にしたサスペンス映画のタイトルでもあります。
(2006年アメリカ映画。デヴィッド・フィンチャー監督による本格サスペンス。実際にアメリカで起きた連続殺人、ゾディアック事件を原題としている)
さすが金森さん、いつもながら奥が深いです。

『ゾディアック』は黒部でしか上演しません。皆様お見逃しなく!
最初に井関さんが登場し、次いで山田勇気さん、そして徐々に人数が増えていき、準メンバーを含む12名が、金森さんのインスピレーションによる星座の物語を顕現します。

摩訶不思議な『ゾディアック』に続いて、『春の祭典』!
物凄いド迫力に圧倒されました!!
観ている方も緊張して全身に力が入りました。
いやぁ、凄いですよ~

金森穣『春の祭典』は2バージョンありますが、そのどちらとも違う新バージョン!
黒部は野外なので、これがそっくりそのまま新潟公演で上演されるかは謎です。

そして『ゾディアック』と『春の祭典』の終わり方が絶妙すぎます!
当然ながら見なくてはわかりません。

特別感満載の黒部シアター2026春『春の祭典』公演!
無理をしてでも見に行きましょう!!

チケット情報 | 黒部シアター

(fullmoon)

これはもう最強の「番宣」!-ウェブ「dancediton」に金森さんと井関さんの『マレビトの歌』インタビュー掲載♪

2025年10月16日(木)、うかうか更新を見逃してばかりもいられないというので、NPBのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第2戦を見ながら、「念のため」とウェブ「dancedition」を覗いてみると、何と『マレビトの歌』に関する金森さんと井関さんのインタビューが掲載されているではありませんか!それもかなりのヴォリュームで。ブルッと身震いしました。

「黒部シアター2023春」において、黒部の屋外劇場で上演された『セレネ、あるいはマレビトの歌』の誕生に関する逸話から始まり、「集団の中でひとり異質な者」を体現する井関さんの「必然性」とそのクリエイション。触発し合う井関さんと金森さん。そして黒部での合宿の持つ意味合い。

「SCOTサマー・シーズン2025」、合掌造りの会場で上演された『マレビトの歌』へ。空間の違いがもたらす影響。そして井関さんの「ゾーン」状態など、経験を積むことについて。

そして『マレビトの歌』はスロベニアの「ヴィザヴィ・ゴリツィア・ダンス・フェスティバル」で所謂、劇場版となり、この冬、新潟と埼玉では「凱旋版」へ。金森さんの出演に関しても新たな情報が!

「(舞台芸術って、舞踊と音楽という二つの詩が拮抗して生まれる新たな詩のようなもの」(金森さん)、「金森穣の作品は詩劇」(井関さん)と、お二人とも「詩」をキーワードとして語っておられます。

そして「踊っていても毎回違うテーマが出てくる」「深い作品」「シーンごとに何かを感じてもらえたら」と語る井関さん。これはもう最強の「番宣」ではありませんか!

この度のお二人へのインタビュー、かなりのヴォリュームかつ充実した内容で、とても読み応えがあるものと言えます♪

そのインタビュー全文はこちらからどうぞ♪ 『マレビトの歌』への大きな期待感に包まれること、間違いありません。是非ご熟読を。

その『マレビトの歌』新潟公演と埼玉公演のチケットですが、本日、りゅーとぴあ会員及びSAFメンバーズの先行発売が始まりましたし、明後日(10/18・土)には一般発売開始となります。よいお席はお早めに♪

(shin)

SCOTサマー・シーズン2025『マレビトの歌』活動支援会員/メディア向け公開リハーサル、身じろぎすら憚られた57分間♪

2025年8月9日(土)の新潟市は、折しも新潟まつりの2日目ということもあり、街にも人にも華やぎが感じられ、祭りばかりが理由ではないのでしょうが、白山公園駐車場も満車状態。近くの駐車場にまわって、車を駐車して、りゅーとぴあを目指し、12時からの『マレビトの歌』の公開リハーサルを観て来ました。

この日の公開リハーサルでは、鈴木忠志さん率いるSCOTの50周年目という記念すべきタイミングで開催される「SCOTサマー・シーズン2025」において、8/29(金)~31(日)の3日間上演される『マレビトの歌』を通しで見せて貰いました。会場はりゅーとぴあ〈スタジオB〉。その正面奥の壁に掛けられた時計での実測57分間は、ぴんと張り詰めた空気感でのしかかってきて、身じろぎひとつさえ憚られるほどの強烈な圧に満ちた時間でした。

月末の利賀村での3公演の舞台は、富山県利賀村芸術公演の新利賀山房。そこは闇と幾本もの太い柱が統べる合掌造りの劇場空間であり、その印象的な柱を模した「装置」が目に飛び込んでくるなかでのリハーサル(通し稽古)でした。

今回の衣裳は全て黒。『Fratres』シリーズで見てきたものです。その点では、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』とは異なります。

正午ちょうど、金森さんが「いきましょうか」と発して始まった実測57分間は、私に関して言えば、2年少し前に『セレネ、あるいはマレビトの歌』として観た記憶などちっとも召喚されることもなしに、「これ、前に観たのと同じ?違うんじゃない?」とばかり、ただただ新しい視覚体験として、息をのみながら見詰めるのみでした。自らの情けないくらい頼りなく覚束ない記憶力に呆れつつ、新作を目の前にするかのように目を凝らして…。

12:57、金森さんの「OK!」の声が耳に届くと、壁に沿った椅子に腰掛けて見詰めていた者たちから、汗を迸らせて踊り切り、上手(かみて)側の壁際へとはけた舞踊家たちに対して大きな拍手が送られました。

すると、私たちに向き合うかたちに椅子を移動させた金森さんから、「お盆には相応しいかも。亡き祖先への思いだったり」という思いがけない言葉が発せられると、息をつめて見詰めた者もみな緊張感から解放されて、漸く和むことになりました。

「何か訊きたいことがあれば、どうぞ」金森さんがそう言うので、途中、東洋風の響きに聞こえるものさえ含まれていた使用曲について尋ねると、全てアルヴォ・ペルトの曲で統一されているとのお答えでした。

恐らく、Noismレパートリーのオープンクラス受講者だったのだろう若い女性が、『ボレロ』の振りと似ていると思ったとの感想を口にすると、金森さんは、「若い頃は色々な振りを入れようとしたりするものだが、齢を重ねてくると、目指す身体性や美的身体が定まってくる」と説明してくれましたし、フード付きの衣裳は視界が狭くて踊り難いのではないかとの質問に対しては、「能の面に開いた穴などもほとんど見えないくらいのものだが、日々の鍛錬によって空間認識が出来てくる」と教えてくれた金森さんに、すかさず、井関さんが「最初の頃は結構、柱が倒れていた」とユーモラスに付け加えてくれたりもして、笑い声とともに公開リハーサルは締め括られていきました。

ここからは、以前に当ブログにアップした記事の紹介をさせていただきます。必要に応じて、お読み頂けたらと思います。

まずは、自家用車を運転しての利賀村芸術公園入りを考えておられる向きに対するアクセスのアドバイスになれば、ということで、(昨年8月に『めまい』を観に行ったときのものですが、)こちらをどうぞ。
 → 「SCOT SUMMER SEASON 2024」、新利賀山房にて『めまい ~死者の中から』初日を愉しむ♪(2024/8/25)

そして、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』に関するリンク(4つ)となります。
 → 驚嘆!『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサル!!(2023/5/11)
 → 控え目に言って「天人合一」を体感する舞台!「黒部シアター2023 春」の『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日(サポーター 公演感想)(2023/5/21)
 → Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)(2023/5/22)
 → 「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージでの「稀有な体験」が語らしめたインスタライヴ♪(2023/5/24)

お盆を前にして、貴重な晴天だったこの日の夕方、金森さんの言葉とは逆になりますが、私は『マレビトの歌』のリハを思い出しながら、父と祖母が眠るお墓の掃除をしていました。汗だくになり、もう目に入って痛いのなんの。数時間前に心を鷲掴みにされた舞踊家たちの身体を流れた多量の汗には遠く及びませんでしたけれど、それでも同じ57分間はやろうと決めて…。(個人的過ぎる蛇足、失礼しました。)

あの実測57分間は本当に衝撃でした。利賀でご覧になられる方が羨ましいです。それくらい、『マレビトの歌』公開リハーサル、圧倒的でした。

(shin)
(photos by aqua & shin)

「黒部シアター2025春」、前沢ガーデン屋外ステージで観た『めまい ― 死者の中から』初日公演に痺れる♪

2025年5月17日(土)、朝に雨が降り、風も吹く新潟市を出発して、『めまい - 死者の中から』が上演される富山県黒部市の前沢ガーデンを目指して、車を走らせました。富山県に入ると、やや天気は好転したものの、時折、強風に煽られて叩きつける雨粒に屋外ステージでの公演のことを案じたりもしていました。それでも、受付が始まる夕方迄には雨はすっかりあがり、心配は杞憂に終わって、胸をなで下ろしたような塩梅でした。

昨年8月(SCOT SUMMER SEASON 2024)に利賀村は新戸賀山房でその初演を観た金森さんの『めまい』は、ヒッチコックの同名映画(そこにはサンフランシスコの街路や金門橋といった「抜け感」のある「屋外」シーンもあるにはあるのですが、)同様に、「密室」での奸計、謀略の色彩が濃厚でしたから、黒く太い角柱が死角を産み、影と光のコントラストが強烈な印象を残すその山房のために創作された作品という印象が強く、「まさか、屋外で!?」「一体どうなるのだろう!?」と強く興味を掻き立てられたのは、私だけではなかった筈です。

18:40に整列して、円形の屋外の円形ステージ客席に移動し、腰を下ろすと、もう開演時間です。舞台下手(しもて)側から毛皮を纏った井関さん〈女優〉が姿を現すと、舞台中央に置かれた机と椅子に向けてゆっくりと歩みを進めます。腰掛けた井関さん、瞬きも身じろぎもせず、その右手は、後ほど登場する三好さん〈亡霊〉と同じポジションです。井関さんはまったくの不動なのですが、そこは屋外、そよぐ風が井関さんの衣裳の脚部を揺らしています。そこに山田勇気さん〈男Ⅰ〉がやはり下手(しもて)より登場して、物語が動き出します…。

舞台の奥に広がる「借景」(金森さん)は緑の丘。その手前、舞台との境界には赤いチューリップの花が一列に配され、此岸と彼岸を画するのか、それとも繋ぐのか。気付くと、丘をゆるやかに移動する薄青色の三好さんの姿。見るからに彼岸、或いは冥界。雰囲気たっぷりです。

そしてその丘。冒頭、その斜面にはこれも下手(しもて)側から赤紫の照明が放たれて縞模様を描いています。不穏な印象を掻き立てられるのは、無論、「横縞」と「邪」の濁点の有無という音の近似性からではなくて、自然に対して人為的になされた「装い」(照明)が「偽り」の性格を帯びてしまうことの故かと。

そうです。この作品のそこここで目に飛び込んで来るのは、まさしく、偽って装うことであり、それと絡む夥しい二重性、そして反復の禍々しさなのです。見詰めることになるのは巧みに仕組まれた「犯罪」。偽って装うことそのものです。

対して、対極には自ら装うことなく、ただある自然。例えば、晴れること、或いは、雨が降ること、風が吹くこと等々を含めて、一切装わず、単純で揺るがないもの。自然のそうした側面は、今作に先立つ屋外上演の『セレネ』2作にあって、「悠久」といったものへと拡大していくベクトルが濃厚だったのに対して、今回の『めまい』においては、人の奸計や謀略といったもののスケールの卑小さを際立たせ、強調していくように映じます。その意味で、この『めまい』における自然は、巧緻にあの「犯罪」が仕組まれる「密室」、或いは「閉鎖性」を浮かび上がらせて余りあるもの、そんなふうに言えようかと思います。何という逆説でしょう!痺れてしまいました。そしてそれはまた、井関さん、山田さん、そして糸川さん〈探偵〉をはじめ、出演した9人揃っての息のあった、一分の隙もない熱演あって初めて細部まで鮮明に可視化されるものであることも言を俟たないことでしょう。異様な緊迫感を湛えた約一時間の舞台、その見事だったこと!ここまでそれに触れずに書き進めてきたことの非礼はお詫びするより他にありません。本当にすみません、と。

雨上がりの湿気が照明を燻らせ、「犯罪」や「悲劇」を恐ろしいほどまでに美しく呑み込んでいきました。嘲笑いでもするかのように泰然と。立ち竦むしかない探偵…。

終演後、昨年と同様に、黒部舞台芸術鑑賞会実行委員会・堀内会長が舞台にあがり、「委員長としての一番の仕事は天気が晴れるよう祈ること」とのつかみで笑いをとって語り始めると、「この環境で、同じ風を感じながら舞台を観たことは素晴らしいことだった」とこの日の舞台の感想を語りました。

その後、堀内会長に促されて、金森さんが今年も登壇。2年前に同じ前沢ガーデン屋外の円形ステージで発表した『セレネ、あるいはマレビトの歌』をもって、5ヶ月後にスロベニアへ行く予定があり、「黒部から世界へ」の一歩を確かに刻めることや、今年50周年を迎えるSCOTの「聖地」利賀村、今年もそこでNoismの公演も予定されていることなどを紹介すると、その都度、客席から大きな拍手が湧き起こります。更に、緑の「借景」を背景とする今回の『めまい』について、昨年の新戸賀山房でのそれとは「こうも違うものか!」との印象を持って貰えたものと思うとも話されました。そして「まだまだこのへんに空席があるので、明日もまた足を運んで欲しい。当日券もあります」と(ユーモラスかつシリアスに)付け加えることも忘れなかった金森さんです。

まず亡霊が、次いで女優も手にし、探偵が翻弄されていく赤いチューリップ。割りと健康的なイメージのある花ですが、「鬱金香(うっこんこう)」と漢字表記にしてみると、途端に、金森版『めまい』において説話論的機能を担った、「メタフォリカル(隠喩的)」な空気感を芬々(ふんぷん)と漂わせ始めるように思います。そして更に、その花、舞台上、彼岸と此岸を越境し、「犯罪」に絡んで、あたかも愛憎をともに起動する装置のように、手から手へ移動しただけでは足りずに、舞台を離れては、奇しくも富山と新潟とがそれぞれにその「県花」としていたりするものでもあります。そこにもまたひとつ二重性が認められること。そんな細部、果たして偶然なのでしょうか。

まだまだ刮目され、読み解かれることを待つ細部に溢れた『めまい ― 死者の中から』。(個人的には、特に前半部分、そんなふうに感じます。)観終えて後、今もなお、痺れています。そして同時に渇望してもいます。もっともっと繰り返して観る機会に恵まれることを。

(shin)

Noism0+Noism1『めまい ― 死者の中から』活動支援会員向け公開リハーサルを観て来ました♪

大型連休入りの4月26日(土)の新潟市は実際の気温以上に陽射しが強く感じられた一日。そのお昼どき(12:30~13:30)、りゅーとぴあ〈スタジオB〉を会場に実施された「Noism Company Niigata 黒部シアター2025春 『めまい - 死者の中から』活動支援会員向け公開リハーサル」を観て来ました。

スタジオBに入る際、スタッフの上杉晴香さんから「予定を変更して、今日は通し稽古をご覧頂きます」の言葉があり、(衣裳はほぼ帽子とウィッグのみでしたが、)正味1時間、まるまる一作品をじっくり堪能させて頂きました。

ここでは先ず、昨年(「SCOT SUMMER SEASON 2024」)の『めまい』に関するブログ記事へのリンクを貼っておきます。よろしければご覧ください。
 ・活動支援会員向け公開リハーサル(2024/08/11)
 ・新戸賀山房での公演初日(2024/08/24)
 ・新戸賀山房での公演2日目(2024/08/25)

で、この日の公開リハーサルですが、冒頭の瞬きも身じろぎもしない井関佐和子さんの姿から、ラスト、フィルム・ノワールの雰囲気も濃厚に、悄然と佇む糸川祐希さん(その直前、隆起した二の腕内側の筋肉に圧倒されたことも記しておきます)の様子まで、数多くの超絶リフトや絡み合う身体たちに目を釘付けにされ、この「謀(はかりごと)」に引き込まれて、たっぷりたっぷり楽しませて頂きました。

もうとっぷり浸って見終えた私たちは誰ひとり拍手することすらままならずで、金森穣さんから「あれ、拍手はないの?」など言われてしまう始末だったのですが、それこそ、作品が周囲に漲らせた緊張感・緊迫感に縛られて見入っていた証左と言ってもよいかと思います。

通し稽古が終わり、椅子を動かして、私たちと向き合う位置に移動した金森さん。「何かあればどうぞ」と言葉をかけてくれたのをきっかけにうまれたやりとりのなかからご紹介します。

*昨年と今年、大きく変えてはいないが、昨年が日本家屋(新戸賀山房)内での上演だったが、今年は屋外の円形ステージになるので、配置などの変更はある。
*赤いチューリップ: 絵のなかの女性(亡霊)と女優を繋ぐものであり、此岸と彼岸の境界を暗示するものでもある。今回は円形ステージ上の舞台装置としての使用も構想している。
*テーブルと椅子: どちらも金属製。「分裂」や「脱皮」などのイメージをもって、須長檀さん(家具)と話し合って作って貰ったもの。今年は少し補修して使用している。また、須長さんの方から椅子を「商品化してもよいか」と言われ、(全く同一ではないが、)実際に買うこともできる。「(値段は)少し高いけど」と金森さん。(→商品化されたものは恐らく、こちら、「guess I’ll hang my tears out to dry」。うむ、高い(汗)。少しじゃなく…。)
*「昨年はヒッチコックの映画に寄せながら観たが、今日はバーナード・ハーマンの音楽に乗って展開されるバレエの印象が強かった」の声に、「金森作品は複数回観るんですよ」と繰り返し観ることで感じ方が変わってくると金森さん。

前沢ガーデンは、利賀村(利賀芸術公園)に比べると、格段に訪れることも容易ですし、これを機会に富山への遠征デビューなども検討してみるのは如何でしょうか。「ホーム」りゅーとぴあのみならず、他のどのステージとも異なる、圧倒的な威容を以て迫ってくるその「空間」は、一度訪れると癖になること請け合いです。

5/17(土)・18(日)「黒部シアター2025春『めまい - 死者の中から』」のチケット(全席自由席)はチケットぴあ他で只今、絶賛発売中です。皆さま、是非♪

(shin)

荘厳なる金森演出の円熟と原点回帰(サポーター 公演感想)

富山県黒部市の前沢ガーデン・野外ステージでの「黒部シアター2024 春」 Noism Company Niigata新作『セレネ、あるいは黄昏の歌』公演。18日(土)の初演では言葉を失うほどの感慨に打ちのめされたが、19日(日)の公演も幸いにして鑑賞出来た。

前日の快晴からうって変わって、ポツリポツリと雨が降り出した黒部。公演前にお見掛けした井関佐和子さん始めNoismメンバーも、濃密極まる作品の公演前であることに加え、天候を心配してか、険しい表情が垣間見えた。新潟や関東圏から駆け付けたNoismファンの方々と言葉を交わしつつ、時折天気予報を調べては「公演中は大丈夫そうだね」と無事の開演を祈る思い。会場には、金森穣さんが「師匠」と仰ぐ鈴木忠志氏や、Noism「劇的舞踊」シリーズの常連俳優・奥野晃士氏の姿も。また、前沢ガーデンハウス内の鈴木忠志氏の演劇活動を紹介する一室では、昨年のNoism公演のドキュメンタリーが上映されており、やはり圧倒的だった舞台を思い返しつつ、私はじめ見知った顔が収められている映像に笑みをこぼした。

6月末からのNoism20周年記念公演でも『セレネ、あるいは黄昏の歌』は上演される為、詳述は控えねばならないが、前述したように終演時には会場が静まり返り、日ごろならスタンディングオベーションしつつ「イェイ!」「井関! 金森!」など声援を送る私も、「この余韻を壊したくない」「この感動は、簡単に言葉にしたくない」と口をつぐみ、ひたすらに拍手を送るのみだった。マックス・リヒターがヴィヴァルディの『四季』の根幹部を抽出するように編曲した楽曲の強靭さを背骨に、やはり壮絶なまでの神々しさを発する井関佐和子さんを中核として、舞台の刹那を生ききる舞踊家たち。自然の摂理そのものを体現するような井関さんの一挙手一投足に呼応して、音楽を視覚化するように若きメンバーが躍動する冒頭から、幾度も涙が溢れたが、舞台が進行するにつれ、その荘厳さと猥雑さが共存する世界観に「畏れ」さえ覚えた。ある「暴力」に及ぶ者を冷徹に凝視し、集団によってその「性」を露わにされる者を優しく抱きしめ、過去の「恍惚」を豊かに追想する、祭祀の指導者に扮する井関佐和子さん。その眼差しの凄絶さ、照明も相まって白く発光するような全身は、現実から遊離するほどに美しかった。

生が芽生え、繁茂し、成熟し、やがて豊かに老いて「死」と直面してゆく。人間と自然の「業」「摂理」を、イメージ豊かに舞踊に置き換えてゆく「円熟」を感じさせたかと思いきや、初期Noism作品に漂っていた濃密なエロスや暴力性を突き付けて、観客を圧倒する金森穣演出は、どこまで到達するのだろう。舞台に吞み込まれ、翻弄され、この舞台に立ち会えた一瞬や自身や他者の「生命」、その周囲にある自然まで慈しむような余韻に浸る約1時間は、まさしく僥倖だ。黒部の土地もまた舞台を祝福するように公演中は雨がやみ、舞台に余韻が深まる夜陰にかけて、静かな雨に包まれた。

20周年公演では、りゅーとぴあ・劇場でどのように作品が再創造されるか、心して待ち構えたい。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長・「安吾の会」事務局長)
(photos: aco)