これはもう最強の「番宣」!-ウェブ「dancediton」に金森さんと井関さんの『マレビトの歌』インタビュー掲載♪

2025年10月16日(木)、うかうか更新を見逃してばかりもいられないというので、NPBのクライマックスシリーズ・ファイナルステージ第2戦を見ながら、「念のため」とウェブ「dancedition」を覗いてみると、何と『マレビトの歌』に関する金森さんと井関さんのインタビューが掲載されているではありませんか!それもかなりのヴォリュームで。ブルッと身震いしました。

「黒部シアター2023春」において、黒部の屋外劇場で上演された『セレネ、あるいはマレビトの歌』の誕生に関する逸話から始まり、「集団の中でひとり異質な者」を体現する井関さんの「必然性」とそのクリエイション。触発し合う井関さんと金森さん。そして黒部での合宿の持つ意味合い。

「SCOTサマー・シーズン2025」、合掌造りの会場で上演された『マレビトの歌』へ。空間の違いがもたらす影響。そして井関さんの「ゾーン」状態など、経験を積むことについて。

そして『マレビトの歌』はスロベニアの「ヴィザヴィ・ゴリツィア・ダンス・フェスティバル」で所謂、劇場版となり、この冬、新潟と埼玉では「凱旋版」へ。金森さんの出演に関しても新たな情報が!

「(舞台芸術って、舞踊と音楽という二つの詩が拮抗して生まれる新たな詩のようなもの」(金森さん)、「金森穣の作品は詩劇」(井関さん)と、お二人とも「詩」をキーワードとして語っておられます。

そして「踊っていても毎回違うテーマが出てくる」「深い作品」「シーンごとに何かを感じてもらえたら」と語る井関さん。これはもう最強の「番宣」ではありませんか!

この度のお二人へのインタビュー、かなりのヴォリュームかつ充実した内容で、とても読み応えがあるものと言えます♪

そのインタビュー全文はこちらからどうぞ♪ 『マレビトの歌』への大きな期待感に包まれること、間違いありません。是非ご熟読を。

その『マレビトの歌』新潟公演と埼玉公演のチケットですが、本日、りゅーとぴあ会員及びSAFメンバーズの先行発売が始まりましたし、明後日(10/18・土)には一般発売開始となります。よいお席はお早めに♪

(shin)

「えっ!そんなことが!?」驚きと緊迫の「dancedition」連載「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」

漸く「ちいさい秋」の訪れも感じられるようになってきた2025年9月24日(水)、「間隔的に今日あたりの更新かな」と思っていたところ、案の定、ウェブ「dancediton」に「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」がアップされました。

今回は『Nameless Poison-黒衣の僧』(初演:2009年11月20日)から語られていきます。同作は新潟、静岡、愛知、東京、長野、そして露モスクワで上演。井関さんの回想は創作に悩んでいる金森さんの姿から始まります。本番2週間前になってもできあがっていなかったとは驚きの事実です。金森さんにして、ちょっと想像もつかないというか!そんな「ギリギリ」の様子には、読んでいてもハラハラさせられるものがありました。更に入団間もない中川賢さん急遽の出演に至る事情なども、さぞや大変だったのだろうし、ホント色々あったのだなと。

加えて、音楽の変更やiPadのハプニング、抽象と具象の混在振りなど、諸々過酷な「刹那」に向き合って成し遂げられた公演だったことが読めます。金森さんが師と仰ぐ鈴木忠志さんとの関係性が色濃くなってくる様子も。

次に語られたのはグランシップ開館10周年記念事業 オペラ『椿姫』(初演:2009年12月11日、@静岡)はその鈴木忠志さん演出作品に金森さんが振付で参加した作品です。本番の舞台とその後のことはまさに驚きでしたね。

そして劇的舞踊『ホフマン物語』(初演:2010年7月16日)が続きます。新潟と静岡での上演です。この作品のなかで、タイプの異なる3つのキャラクターを踊った井関さんは、「いつの間にか役に入ってしまう」とし、役になりきろうとすると、「既視感が出て本質的でなく、薄っぺらくなってしまう」と自らの感覚を表出されています。何とも深い内容ですね。

また、床に貼ったパンチカーペットなるものの特徴やら、どの劇場にもある平台と箱馬を使った舞台装置とそれを巡る裏話にも興味深いものがあります。

そして、この作品の静岡公演の前には、2011年3月11日に東日本大震災が起こっている訳で、大変困難な状況だったことは想像に難くありません。

事程左様に、「えっ!そんなことが!?」の連続に息を呑んで読んだ連載第8回。行間の随所に、生々しい緊迫感が溢れています。

その「dancedition」「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8)」はこちらからどうぞ。

Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(8) – dancedition

次回はどんなことが語られるのか、興味は尽きません。それではまた。

(shin)

濃密な闇に蠢く身体、その光芒(サポーター 公演感想)

2023年5月に富山県黒部市の前沢ガーデンで初演された『セレネ、あるいはマレビトの歌』の衝撃は今なお鮮明だ。野外劇場と芝生の丘の高低差を活かしきる金森穣さんの演出と照明美、アルヴォ・ペルトの身体の奥底に響く楽曲とNoismメンバーとの共振、そして近年の代表作『Fratres』シリーズをまた異なる文脈で作品に盛り込み、「来訪者」「異邦人」への迫害・抑圧を超えた先にある連帯を見出すヒューマニズム。前沢ガーデンという得難い環境と密接に結びついた作品だけに、他の空間での公演は難しいかと思っていたが、今年12月のりゅーとぴあ・劇場公演に加え、鈴木忠志氏率いる「SCOT」のSUMMER SEASON 2025での利賀公演、更にスロベニア公演が発表され、「果たして金森さんはどのように作品を再創造するのか?」と期待が膨らんでいた。

8月29日(金)、列車や新幹線、南砺市利賀村行きのシャトルバス(狭隘な山道を進む故、時折悲鳴を上げつつ)を乗り継ぎ、利賀芸術公園内の茅葺き住宅を改装した「新利賀山房」を目指した。『マレビトの歌』は29、30、31日の3回公演だったが、より多くの方が鑑賞できるよう「一人一回」のみの鑑賞制限があった。りゅーとぴあでの公演まで再び観られないとあって、何時にも増して舞台の一瞬も見逃すまいと、気合を入れて開演を待った。

漆黒の新利賀山房の舞台。今回加えられた井関佐和子さんと山田勇気さんのデュオから、一気に客席の空気が変質し、情感と凄絶さが同居するその身体に引き込まれてゆく。約1時間の公演中、殆ど休むことなく舞い続ける井関さんは勿論、躍進著しい若きNoismメンバーたちの鬼気迫る表情、汗に濡れていく衣装を、手が届くほどの距離で見つめることの得難さ。観客もまた舞台の共犯者であり、それは一瞬の気の緩みで崩壊してしまうことを突きつけてくる。

メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、糸川祐希さんの殺気に溢れる表情と身のこなし、春木有紗さんの目力と透き通るような肢体で見せる舞踊の迫力を特筆したい。

漆黒の空間に置き換えられた『マレビトの歌』は、野外劇場の空間とその広がりとは何もかも違う、より濃密かつ人間の闇とその先にある光芒を見つめる作品に変貌したように思う。「来訪者」と魂を通わせ合う女性たちと、暴力・男権によって支配下に置こうとする男たち、彼らの閉鎖的な集団性を打破する女性たちの連帯。この国に暮らすルーツを異にする人々を排斥する現代に、楔を打つようなヒューマニズムは、より切実なものとして胸に刺さった。

初演時、若干の不満を覚えた終幕も、テンポよく再構成されており、りゅーとぴあでの公演までに更に深化されるだろうと、これもまた楽しみ。
終演後、会場のそこかしこから「凄かった」「緊張した」の声が聞こえたが、Noismと向き合うことは観客それぞれの内奥と対峙することだと、改めて思わされた。

久志田渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)

SCOTサマー・シーズン2025『マレビトの歌』活動支援会員/メディア向け公開リハーサル、身じろぎすら憚られた57分間♪

2025年8月9日(土)の新潟市は、折しも新潟まつりの2日目ということもあり、街にも人にも華やぎが感じられ、祭りばかりが理由ではないのでしょうが、白山公園駐車場も満車状態。近くの駐車場にまわって、車を駐車して、りゅーとぴあを目指し、12時からの『マレビトの歌』の公開リハーサルを観て来ました。

この日の公開リハーサルでは、鈴木忠志さん率いるSCOTの50周年目という記念すべきタイミングで開催される「SCOTサマー・シーズン2025」において、8/29(金)~31(日)の3日間上演される『マレビトの歌』を通しで見せて貰いました。会場はりゅーとぴあ〈スタジオB〉。その正面奥の壁に掛けられた時計での実測57分間は、ぴんと張り詰めた空気感でのしかかってきて、身じろぎひとつさえ憚られるほどの強烈な圧に満ちた時間でした。

月末の利賀村での3公演の舞台は、富山県利賀村芸術公演の新利賀山房。そこは闇と幾本もの太い柱が統べる合掌造りの劇場空間であり、その印象的な柱を模した「装置」が目に飛び込んでくるなかでのリハーサル(通し稽古)でした。

今回の衣裳は全て黒。『Fratres』シリーズで見てきたものです。その点では、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』とは異なります。

正午ちょうど、金森さんが「いきましょうか」と発して始まった実測57分間は、私に関して言えば、2年少し前に『セレネ、あるいはマレビトの歌』として観た記憶などちっとも召喚されることもなしに、「これ、前に観たのと同じ?違うんじゃない?」とばかり、ただただ新しい視覚体験として、息をのみながら見詰めるのみでした。自らの情けないくらい頼りなく覚束ない記憶力に呆れつつ、新作を目の前にするかのように目を凝らして…。

12:57、金森さんの「OK!」の声が耳に届くと、壁に沿った椅子に腰掛けて見詰めていた者たちから、汗を迸らせて踊り切り、上手(かみて)側の壁際へとはけた舞踊家たちに対して大きな拍手が送られました。

すると、私たちに向き合うかたちに椅子を移動させた金森さんから、「お盆には相応しいかも。亡き祖先への思いだったり」という思いがけない言葉が発せられると、息をつめて見詰めた者もみな緊張感から解放されて、漸く和むことになりました。

「何か訊きたいことがあれば、どうぞ」金森さんがそう言うので、途中、東洋風の響きに聞こえるものさえ含まれていた使用曲について尋ねると、全てアルヴォ・ペルトの曲で統一されているとのお答えでした。

恐らく、Noismレパートリーのオープンクラス受講者だったのだろう若い女性が、『ボレロ』の振りと似ていると思ったとの感想を口にすると、金森さんは、「若い頃は色々な振りを入れようとしたりするものだが、齢を重ねてくると、目指す身体性や美的身体が定まってくる」と説明してくれましたし、フード付きの衣裳は視界が狭くて踊り難いのではないかとの質問に対しては、「能の面に開いた穴などもほとんど見えないくらいのものだが、日々の鍛錬によって空間認識が出来てくる」と教えてくれた金森さんに、すかさず、井関さんが「最初の頃は結構、柱が倒れていた」とユーモラスに付け加えてくれたりもして、笑い声とともに公開リハーサルは締め括られていきました。

ここからは、以前に当ブログにアップした記事の紹介をさせていただきます。必要に応じて、お読み頂けたらと思います。

まずは、自家用車を運転しての利賀村芸術公園入りを考えておられる向きに対するアクセスのアドバイスになれば、ということで、(昨年8月に『めまい』を観に行ったときのものですが、)こちらをどうぞ。
 → 「SCOT SUMMER SEASON 2024」、新利賀山房にて『めまい ~死者の中から』初日を愉しむ♪(2024/8/25)

そして、2023年5月の『セレネ、あるいはマレビトの歌』に関するリンク(4つ)となります。
 → 驚嘆!『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサル!!(2023/5/11)
 → 控え目に言って「天人合一」を体感する舞台!「黒部シアター2023 春」の『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日(サポーター 公演感想)(2023/5/21)
 → Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)(2023/5/22)
 → 「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージでの「稀有な体験」が語らしめたインスタライヴ♪(2023/5/24)

お盆を前にして、貴重な晴天だったこの日の夕方、金森さんの言葉とは逆になりますが、私は『マレビトの歌』のリハを思い出しながら、父と祖母が眠るお墓の掃除をしていました。汗だくになり、もう目に入って痛いのなんの。数時間前に心を鷲掴みにされた舞踊家たちの身体を流れた多量の汗には遠く及びませんでしたけれど、それでも同じ57分間はやろうと決めて…。(個人的過ぎる蛇足、失礼しました。)

あの実測57分間は本当に衝撃でした。利賀でご覧になられる方が羨ましいです。それくらい、『マレビトの歌』公開リハーサル、圧倒的でした。

(shin)
(photos by aqua & shin)

お盆前に「dancedition」井関さんの連載第5回♪

*この度の日本各地を襲う大雨被害に見舞われた方々に対しまして、心よりお見舞いを申し上げます。一日も早く穏やかな日常が戻ってくることをお祈り致します。

2025年8月7日(木)、この日、ウェブ「dancedition」にて連載中の井関さんインタビュー「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る」はその第5回がアップされました。語られたのは、2006年に上演された2公演。

先ずは初めてのスタジオ公演となった、「感覚与件」を意味する『sense-datum』(初演:2006年5月6日)です。その公演を行った場所を見ても、「ホーム」新潟のほか、大阪、石川、宮城、茨城、静岡と近年にはない場所が並び、バラエティが感じられます。

鈴木忠志さんから言われたという「神(=金森さん)」と「巫女」の意識には、故・三波春夫さんの、(後年、誤解されまくった)有名なフレーズ「お客様は神様です」の真意に通ずるものも感じられ、芸能の始原を思わせられるものがあります。そして井関さんは更にそこから発して、「自分の意識との距離」を保つことの重要性に言及してくれていて、それを以て、強靭な舞踊を作り上げる秘訣或いは奥義のように捉えておられることは、(私など門外漢には想像の域を出ないことではありますが、それでも、)「なるほど」と深く納得させられる意義深い発言と読みました。

また、Noismメソッドに歩き方だけで8種類もあること(!)や、井関さんが初めての降板を経験されたこと(仙骨への処理の仕方も含めて)などの記述も驚きとともに目で追いました。

次いで、外部振付家招聘企画第2弾「TRIPLE VISION」(『Siboney』『solo, solo』「black ice』)(初演:2006年11月10日)が語られます。こちらの公演地も、新潟、岩手、東京、滋賀とあり、これもかなり大がかりなツアーだったことがわかります。

若き金森さん、そして若き井関さんとの接点から招聘された稲尾芳文さん&K.H.稲尾さんと大植真太郎さん。2006年当時のNoismとそこに至る迄の若き日々が交錯する公演は、語る井関さんのみならず、カンパニーの全員にとって刺激的な機会だったことがありありと読み取れるものです。

また、語られる若き日々のなかに、金森さんとの出会いについても触れられていて、今なら完全な「塩対応」と表現されてしまうのだろう電話での金森さん、現在のおふたりに至る端緒として見ると、何かちょっと微笑ましかったりもします…。

その「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(5)」、下のリンクからもどうぞ。

そして、コメント欄に掲載される「fullmoonさん、全作品を語る(5)」もお楽しみください。

(shin)

「dancedition」井関さんの連載第4回、様々な舞台で踊っていたNoism♪

2025年7月24日(木)、エンタメ性に富んだNPBマイナビオールスターゲーム2025第2戦を見終えてから、今度はこの日アップされたこちらを楽しみました。「dancedition」連載中の「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(4)」。

で、なんと!そして、なんと!サッカー!?アルビレックス新潟の試合前にも踊っていたりしたのですね!相手が横浜Fマリノスならば、金森さんの故郷・横浜のクラブですけれど、場所は「ホーム」ビッグスワンスタジアムですから、「アイシテルニイガタ」のチャントが谺したことでしょうね。とても珍しい機会だったかと。(2005年10月22日)

次いで、あの『NINA-物質化する生け贄』(初演:2005年11月25日)なのですね。鈴木忠志さんからの影響、Noismメソッドの誕生、そしてタイトルに纏わるお話、とても興味深く読みました。

「様々な舞台」、続いてはりゅーとぴあ〈能楽堂〉での「能楽堂公演」(初演:2006年2月16日)なのですね。金森さんの古い作品を上演したとのことで、『side in / side out - 1st part』、『untitled』、『Lento e Largo』、『Cantus』、『play 4:38』。とても貴重な機会だったことに相違ありませんね。

そして、井関さんが語ってくれた「お面」のお話、「身体の表情」や「面の表情」というところは、「なるほど」と頷きながら読みました。

その「Noism20年 井関佐和子、全作品を語る(4)」は下のリンクからもどうぞ。

これを書いている私にとって、Noismとの出会いはまだ先のことなので、井関さんが語るお話を文字で追いながら、イメージしてみるよりほかにないのですけれど、この後、コメント欄に、fullmoonさんも「全作品」を語ってくれる筈ですので、どうぞ併せてご覧ください。
では、fullmoonさん、よろしくお願いします。

(shin)

1年半振りのインスタライヴで語られた『アルルの女』と『ボレロ』♪

2025年7月15日(火)の夜20:00から、金森さんと井関さんが1年半振りのインスタライヴを行い、2日前に大好評のうちに全6公演の幕をおろした『アルルの女』/『ボレロ』公演について大いに語ってくださいました。

とても興味深いお話が聴けますので、まだお聴きになっておられない向きは、こちらのリンクからお進み頂き、アーカイヴをお聴きになることをお勧めします。

このブログでは、以下に、おふたりのお話を掻い摘まんでご紹介したいと思います。

*『アルルの女』について
○構想は大体1年前くらいからあったが、クリエイションを始めたのは、「円環」公演が終わった3月からで、黒部の『めまい』の稽古と並行して。
●原作を読み、「劇付随音楽」を見つけて「いけそう」と思った金森さんに対して、当時、その「劇付随音楽」を知らなかった井関さんの反応は芳しいものではなかった。しかし、構想と登場人物について聞いて不安は消えた。最後の決め手は複雑で重層的な原作で、オリジナルなものが作れると思った。
○テーマカラーはオレンジと黒。オレンジは人間の網膜が闇のなかで一番認識する色味だとなにかで読んでいて、『アルルの女』の世界観として「これでいける」と思った。コンセプトにあったフレームをオレンジにして、衣裳を全員、黒でいくことにした。

●黒の衣裳: 抽象度を保ちながら、物語の本質を届けるチャレンジにあって、出来るだけ単色として、色による説明を排そうとし、また、全体として「死」がテーマであり「喪に服す」意味合いや、超極彩色の花との対比も意識した。
○衣裳・井深麗奈さん: 井関さんの踊りのファンで、ポートフォリオを送ってきてくれていた。和と洋のミックス、あまり語り過ぎないが、ディテ-ルや繊細さがあるもので、「合うんじゃないかな」と今回初めてお願いしたが、良かった。

●井関さんが踊った「母親」: 昔なら「母親」っぽさ、ある種の具体性とか考えがちだったが、 今回は考えなかった。その裏にあって一番大きかったのは、「演出振付家」(金森さん)への信頼。わざわざ自分がそこに何かを付け加えなくても、何者かになろうとしなくてもいいと。ただ、ディテールを深めて、与えられたものの中でどうやって生きるか。
○「演出家」として、物語や役柄を伝えようとする際に、大切なのは「関係性」。社会的な記号としてではなく、関係性によって「母親」に見えることの方がより本質的。
●こういう家族構成の作品を創ろうと思ったことには、今のNoismのメンバー構成やタイミングがあったのは間違いない。

*『ボレロ』について
○「映像舞踊」ではない『ボレロ』は1年半前のジルベスターコンサート(新潟)が初めて。やる度に構成が少しずつ変わってきている。
●たった15分なのに、「しんどい」。(井関さん)
○金森さんが井関さんに言ったのは、「絶対死ににいっちゃいけない」、それを肝に銘じた。「踊り切って、全身全霊、エネルギーを使い果たして終わる」ことで届けるのは、実演家の自己満足で妄想。「死ににいく」ことで削がれてしまうディテールも物凄くある。コントロールし、制御し、観客の中で「燃え尽きた」ように見えればいいのであって、「芸」の本質としては「燃え尽き」てはいけない。そして今回、敢えてそう言ったのは、「生き方」「死に方」を見つけるのかどうか見ていたかったから。案の定、時期ごとに色んなアプローチをしていて、「ああ、いいなぁ」と思った。演出家としては舞踊家を見て気付くことも沢山あり、それは欠かせないこと。井関さんが見つけていっているものを金森さんも見つけていっていた。
●「再演」: 自分がやったことは自分のなかに残っている。前回、「サラダ音楽祭」で、金森さんから「よかった」と言われ、なにか脳味噌に残っていて、そのときの自分の状態にすがって、リハーサルが始まり、まずはそこにいくことを重要視した。金森さんはそのアプローチは違うなと思ったので、「違うと思うよ」と言った。
○今回の『ボレロ』での、金森さんによる井関さんの「観察」の最終過程、「最終章」は次、来月の「サラダ音楽祭」。そこまでがワンセット。
●昨年、ライヴで都響(=東京都交響楽団)とがっぷり四つで、(「死ににいっている」)素晴らしい実演があり、録音でのアプローチで色々見出した今回があり、それを踏まえて、再びライヴで都響とやるときにどうなるか。

○「『ボレロ』は終わったときに息切れてちゃ駄目だよ」(金森さん)に対して、「あの作品で息が上がらないって、どういうことだろう?」、でも考えても無理だと思った井関さん、次の日に、考える前に、身体がそのイメージを掴んでくれていた。「あれっ、息がほとんど切れていない」。頭で考えることを止めない限り、そこには行けない。
●最初、闇のなかで待つ時間が長い。3分くらいの感覚。身体の輪郭だけが見えて、あとは空っぽの状態で立っている状態で、考える必要がないってことと理解。
○「ゼロ・ポイント」(金森さん): そこにいるってだけのために必要最低限のエネルギーで、思考も呼吸の意識もなく、邪念もなく、ただそこにポッとある状態。一回、「しんどさ」がわかると、記憶があるために、やる前から「しんどさ」が来て、そっちに引っ張られがちになるのだが、経験も記憶も何もない「ゼロ」の状態に持っていくのは一番目指すところであり、一番難しいところ。でも、それが掴めたら、あらゆることが「初めて」になる。
●『ボレロ』はゆっくり始まるから、点で、何かがよぎる。それをなくすことは絶対無理だが、そこに留まらないで、過ぎていく感じがあるのは、「再演」を重ねてきたお陰。
瞬間に色々なことが起きているのだが、ずっと流れていて、終わったあとに「あれは何だったのだろう?」と。(井関さん)→「自然。全ては流転する」(金森さん)
○(観世寿夫さんの本『心より心に伝ふる花』を手にした井関さん)「自然」という言葉を、昔は「ふと」と読んでいたと。自然は流動的であり、何かに留まろうとするから、苦しいのだなと。
●自然なままに生きる感受性の強い身体であるためには鍛錬が必要であり、鍛錬は自然ではない。しかし、舞台上では鍛錬したことにしがみつくのではなく、全部捨てて、ぽおんと自然のままの状態的にいること。(金森さん)
○舞台上で「立つ」ことは本当に怖いこと。ピラティスで「立つ」ことを学んできたため、怖さは一切なかった。それが自分の中では鍛錬だった。心が落ち着いたということではなく、単純に体重をかけて、どこにアライメントをおいて、立っていることが。(井関さん)
●脳味噌は不思議。自分で翻弄して、自分でびびって、自分で悩んで、自分で解決している。(金森さん)

○井関さんから金森さんに質問、「見ているときって緊張するの?」: 『アルルの女』では見ているシーンの多かった井関さんは「頑張れ、みんな!」と緊張したというが、金森さんはどんどん緊張しなくなってきたという。若い頃は、自分の思う「100%」みたいなものがあり、「みんなミスしないように」と緊張していたが、今は自分が想定する「100%」というのが如何にレベルの低い話かと経験上わかってきているので、逆に、どう想像を超えてくれるかなと期待をして見ている。(金森さん)→それを聞いた井関さんも、自分に対しては全く同じで、集中はするが、緊張はしなくなって、どう超えてくれるかなと自分に期待していると。「経験だと思う」で一致したおふたり。

Q:今回の公演は観客の熱気が特別凄かったと感じた。それについては?
 -A: 「こちら側もそう感じた」、と井関さん。「特に関東であんな感じになるって、そんなにない」と金森さん。井関さん、「有難かった」
Q:ステージからはどうでしたか?
 -A: (井関さん)「ステージからは結構感じた。(Noismの)お客さんは見ているときのエネルギーでわかり易い。上演中に『これは届いているな』とか、『きょとんとしているな』とか」
Q:(金森さんから)最も「きょとん度合い」高め、引っ張れてない感覚があったのは?
 -A: (井関さん)「引っ張れてない」というより、「ふわっとした」感覚があったのは、『Der Wanderer - さすらい人』と『鬼』。時と場合、公演場所による。(井関さん)
コメント: 3公演観ても足りないです。
 -A: (井関さん)「Noismは何回観ても面白いって言ってくださるからね」
Q: 配信とかライヴとかはやらないのですか?
 -A: (金森さん)「ないですね」 
     (井関さん)「なるべくしたくない。やはり生(なま)で。でも、自分たちが死んだりしたら、配信して貰ってもいいと思う。今現在、生(なま)で出来ているのだから、今一緒に生きたい。でも、死んでしまった後は、金森穣という人の作品を色々な人に観て貰いたいので、いっぱい配信してもいいと思う」
     (井関さん、鈴木忠志さんの本『初心生涯 私の履歴書』(白水社)に出てくる「今生きている人の賞は貰わない」に触れながら、)「今、完結されてしまうことに否定的になってしまう」
     (金森さん)「俺はどうでもいいけど」

*今回の『照明』について
●「片明かり」とか増やした。「御大」(=鈴木忠志さん)からの言葉も自分のなかにあったし、「額縁」のなかの(カラバッジオみたいな)ルネサンス絵画(静止画)みたいなものを考えたときに、あの時代、ドラマチックな絵を産むときに、明かりの方向性は重要だった。フラットにならずに、敢えて強めに、片側だけ強めにした。(金森さん)→「初めてだった。面白かった」と井関さん。
○表情: 昔の日本画では、女性はみんな同じ表情をしていた。それはそのシチュエーションで表情で語らせる必要がなく、観る側が表情を想像することが出来た。表情は見えなくても、その時の身体の在り方と美術や人との関係性の在り方とで、その人がどういう表情をしているかは観客はわかる。(井関さん)→その時々の重要な人物への明かりの当て方、バランスは気にした。(本当に大事なところは顔が見えなくても伝わる。)(金森さん)

Q: 音楽とは何か?
 -A: (金森さん)人類が生んだ最高のものじゃないですか。

終わり間際、残り時間も極めて少なくなったなか、金森さん(と井関さん)から、Noismの次の公演は来月、利賀村での『マレビトの歌』であり、それを上演する場が鈴木忠志さん率いるSCOT「50周年」となる夏のフェスティバルであること(かつ、前掲の近著『初心生涯』の素晴らしさ)が触れられ、次回インスタライヴについても、その利賀村の後、「サラダ音楽祭」の前に、「今度は近いうちにやります。さよなら」と、この日のインスタライヴは終わっていきました。

…こんなところをもって、ご紹介とさせて頂きます。それではまた。

(shin)

暗闇の先の光芒(サポーター 公演感想)

「黒部シアター2025春」でのNoism Company Niigata『めまい − 死者の中から』を、5月17日(土)、18日(日)の両日鑑賞した。

昨年8月「SCOT SUMMER SEASON 2024」での初演時、アルフレッド・ヒッチコックの大傑作映画や、ボアロー&ナルスジャックによる原作『死者の中から』に基づく金森穣演出と舞踊家達の気迫が、新利賀山房の漆黒の空間に炸裂し圧倒されたことは記憶に新しい。先日、りゅーとぴあ・スタジオBで開催された活動支援会員向けリハーサルでの通し稽古では、会場となる前沢ガーデン野外ステージを想定しての空間を広々と使った構成の変化や、バーナード・ハーマンの楽曲と舞踊とのシンクロの深化、更に「探偵」役・糸川祐希さんの表情・身振りの躍進に唸り、リハーサル後にバッタリ遭遇した金森さんに感想を伝えたところ、嬉しげに「金森作品は何度も観てもらうことで理解が深まりますから」と返してくれたものだ。

今回の黒部シアター公演は、当初雨天が予想され、刻々と変化する天気予報を直前まで追い続けたが、両日共に雨は降ることなく、安堵する思いだった。18日(日)も、16時発の会場行きシャトルバスに乗り込み、開演までの約2時間半を胸高鳴らせつつ過ごした。前沢ガーデンゲストハウスでは、金森さんが旧知と思しき方々と歓談しており、私もご挨拶。更に鈴木忠志氏始めSCOTメンバー、浅海侑加さんや準メンバー、金森さんのご両親もお見かけした。ゲストハウス二階のSCOTに関する展示コーナーでは、23・24年のNoism公演全編が上映されており、改めて前沢ガーデン野外ステージを活かしきった舞踊作品の凄みに気付かされる。

19時の開演直前、利賀新山房では板付きだった井関佐和子さんの「女優」が舞台下手から登場し、虚無とも蠱惑的とも見える表情で中空を見つめる。その視線を見つめ返すことに恐ろしささえ覚えつつ、定刻に舞台は始まった。

「女優」と「亡霊」、横暴な「男Ⅰ」・「男Ⅱ」、「双子」、更に分裂する机や椅子。いくつもの「相似」するイメージに加え、野外ステージ背後の小高い丘を照らす紫の照明と、幻のようにその頂から現れる「亡霊」には、彼岸の光景が現前に現出するようで、感涙を禁じ得なかった。舞踊家の身体とバーナード・ハーマンの楽曲、小道具、照明がピシリと噛み合う舞台には、ヒッチコック作品冒頭のソール・バスによるタイトルバックにも通じる洗練を感じ、ため息さえ漏れた。

関東から来られたNoismファンの方々とも感想が一致したのが、舞台終盤「金髪」に妄執する「探偵」を襲うブロンドの鬘をまとった男女の場面の凄まじさだ。眼前の女性ではなく、「概念」に囚われた男の脆さを突き付けるエログロを視覚化する金森演出に、初期Noism作品の性と暴力のニュアンスを懐かしく想起させられた。

照明も相まってその透き通るような白い肌から醸されるエロスと、妖艶と冷徹を自在に往来する表情で、「男から求められるものを演じる女優」を体現しきる井関佐和子さんに魅了されたのは勿論だが、やはり糸川祐希さんの「探偵」の迫真は今回の公演の収穫だろう。堂々と井関さんに対峙しつつ、終盤「事の真相」が明かされた後の後悔・憤り・慟哭を全身で表現する糸川さんの演技には思わず落涙した。

18日(日)公演では、これまで「亡霊」(映画版のカルロッタ)を演じてきた三好綾音さんに代わって、兼述育見さんがダブルキャストで登場したが、三好さんとはまた違う伸びやかさと儚さで、冥界の存在を見せていた。

改めて思うのは人間の心の闇や脆さを直視し、芸術作品に昇華仕切るNoismと金森穣作品の得難さだ。社会に厳然としてある「不条理」を無きことにし、「明快さ」だけを求める現代社会に疲弊している者は、筆者だけではないだろう。人間の底知れない暗部を苛烈なまでに見つめ、其処に美と光明を見出す芸術の力に、生きる糧を与えられるようであった。

終演後、舞台に立った金森さんは「今日も空席が目立ったのは、私の未熟さ。見巧者とされる人から評価を得ても、それがより広く届かないことは課題」としつつも、師匠・鈴木忠志氏のSCOTや黒部シアターへの敬意、今年10月のスロベニア公演など「世界へ向けた闘い」を力強く語り、大きな拍手が巻き起こった。

これからの利賀や黒部での公演は勿論、Noismの「闘い」を応援し続ける為に、観客である私もまた新たな闘志を授けられたように思う。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、「安吾の会」事務局長、舞踊家・井関佐和子を応援する会「さわさわ会」役員)

「漆黒の中の蠱惑」SCOTサマーシーズン2024 Noism『めまい 〜死者の中から』二日目レポート(サポーター レポート)

*冒頭、8/28夕時点で九州南部に接近し、猛威を振るう「過去最強クラス」の台風10号の被害に遭われた方々に対し、心よりお見舞いを申し上げますと同時に、今後、西日本・東日本を縦断する可能性も報じられるその進路において被害が少ないことをお祈りいたします。(NoismサポーターズUnofficial事務局)

 私にとって、2019年9月の「第9回シアター・オリンピックス」Noism0『still / speed / silence』以来、5年ぶりとなる富山県南砺市利賀村行き。8月23日(金)には富山市に入り、24日(土)・25日(日)の2日間、連絡バスで利賀村迄2往復して、Noism『めまい』2公演に加え、鈴木忠志演出『シラノ・ド・ベルジュラック』『世界の果てからこんにちはⅠ』、瀬戸山美咲演出『野火』の計5公演を鑑賞した。

 映画ファンの端くれとして、10代の頃にヒッチコックの諸作を観、特に圧倒されたのは『めまい』だった。年を重ねた後、シネ・ウインドのスクリーンで『めまい』を再見した時には、若い頃には気付けなかったキム・ノヴァクの肉体が放つ凄まじい色香に、それこそ目眩を覚えたことを思い出す。

 そのヒッチコック作品の原作であるP.ボアロー&T.ナルスジャック『死者の中から』を基に金森穣さんが舞台化すると知った時の驚きたるや。19年に鈴木忠志氏のトークを聴いた利賀芸術公園「新利賀山房」の漆黒の空間を思い起こしつつ、どのような舞台が展開されるか期待に胸膨らませた。

 24日の公演後、野外劇場での『世界の果てからこんにちはⅠ』で隣合わせた金森さんと井関佐和子さんに、「『still / speed / silence』といい、利賀でやる作品は男が女を束縛しようとする話が続きますね」と伝えたところ、金森さんも苦笑されていたが、冗談抜きに、男が欲情し、幻想を託す「女性性」を「演じる」こと自体を、素顔から蠱惑的な表情への変化始め、全身で見せきる井関さんと、バーナード・ハーマンの馴染み深い音楽やシンプルな小道具を駆使しての高低差表現、照明の鮮やかさまで唸るばかりの金森さんの構成力には、惚れ惚れするほどに酔った。

 翌25日、利賀へ向かう連絡バスは、狭隘な山道で豪雨に遭遇した。幸い利賀に着く頃に雨は収まり晴れ間も覗いたが、この道程を越えれば今日もまた『めまい』の濃密な時間に立ち会えるなぁと、その凄絶な甘美を思い出して、山道の恐怖に耐えたものだ。


 二日目の『めまい』、新潟は勿論、関東方面から足を運んだNoismファンの方々始め、世界各国からのお客さんも含めて前日同様の大入満員。巨大な茅葺き住宅を改装した「新利賀山房」の客席に坐ると、眼前には金髪のウィッグを付けた井関さんが、瞬きすることなく虚空を見つめている。その恐ろしくもあり、妖艶でもある眼差しには、直視することを躊躇ってしまう(地元の方と思しき観客の方が、「ずっと瞬きしないぞ」と驚きの声を上げていた)。

 漆黒の「新利賀山房」で展開する、死者の幻影と生身の肉体との相克。特筆したいのは、探偵(映画版ではジェームズ・スチュアート扮する元刑事)役の糸川祐希さん、ヒロインである女優(井関佐和子さん)が追い求める亡霊に扮した三好綾音さん始め、難役に挑んだ若きNoismメンバーの表情豊かな演技だ。失ったと思った女性への執着とその果ての狂気を、鬼気迫るように見せた糸川さんは、初日以上の迫真を感じさせた。井関佐和子さん・山田勇気さんの感情・身体表現の巧みさはNoismの中核だが、若き舞踊家たちもまた、金森作品の凄絶な美を表現する為に喰らいつき、その成果が実りつつあることを確信している。


 この公演に続いて鑑賞した瀬戸山美咲演出『野火』(利賀山房にて)もそうだが、鈴木忠志が築き上げた「利賀芸術公園」という、演劇の桃源郷とも呼びたい異空間に於いて、金森さんも瀬戸山氏も、そして出演者・スタッフが、劇場の漆黒を如何に照らしだし、活かしきり、観る者たちを安全圏に置くことなく没入させる為に尽くしている渾身に思い至る。舞台で展開される凄絶な物語を越えて、人が生み出すものの「美」に強く勇気付けられたのだ。鈴木忠志氏の作品と営為は正しく「過剰」なパワーを発しているが、その「過剰故の余白」が利賀にはあるからこそ、演出家たちの本質が浮き彫りになることに気付いたように思う。

 利賀の地、そして鈴木忠志を更に深く知りたいと渇望するような滞在となった。

(新潟・市民映画館鑑賞会副会長、舞踊家・井関佐和子を応援する会役員 久志田渉)

「SCOT SUMMER SEASON 2024」、新利賀山房にて『めまい ~死者の中から』初日を愉しむ♪

 2024年8月24日(土)の富山は前日ほどではないものの酷暑の予報。更に午後には雷雨の可能性も高いとのこと。穏やかな天気となることを願って、朝早く新潟を車で出発して、利賀芸術公園を目指しました。

 この日、車のナビもスマホのgoogle先生も富山ICからの利賀入りを推していたため、それに従いましたが、待っていたのはつづら折の狭い狭い山道で、それこそ生きた心地がしないウイリアム・フリードキン『恐怖の報酬』(1977)のようなドライヴ。ちょっと大袈裟?いや、マジで。ホントのホント。
 「えっ?前はそうでもなかったんだけどな…」以前に来たときには砺波ICから利賀に入るコース(国道359→国道471→県道229)だったのですが、そちらの方が運転してて、格段に楽なので、ルートを思案中の方には、私、迷わずそちらお勧めします。

 でも、そのような思いをしてまでも観たかった、そして観てよかったのが、金森さん演出振付の新作『めまい ~死者の中から』でした。

 開演時間は14時。受付開始はその1時間前でしたが、入場整理番号は既に電話による観劇予約の順番で割り振られていますから、示された整列開始時間までに受付を済ませて会場前に並べばよい訳です。

 今回、その会場は新利賀山房。金森さんは「狂気の生まれる場」と書いていますが、まさしく「禍々しい」と言ってよいような、圧倒的な「場」の力を宿す建物でした。外観は合掌造りの所謂「和テイスト」そのものですが、中はガラリとその雰囲気を異にします。凹凸があり陰影に富む表情豊かな壁の手前、横長に広がる空間(アクティング・エリア)。そこに敢えて不可視の領域を作り出さんとでもするかのように突き刺さる角ばった黒い2本の柱の存在感。そして照明に(逆に)浮かび上がるかのような闇。のし掛かかってくるその威容に観客は一瞬にして飲み込まれてしまわざるを得ません。

 その威容に一歩も引けを取らない濃密な舞踊を私たちは目撃したのでした。それはまさにその「場」だからこそ生まれた圧巻の作品だったと言えるでしょう。

 金森さんは「演出ノート」に、今作(そのタイトルも途中から『めまい』ではなく、『めまい ~死者の中から』に変更されています。)が、あくまでもボアロー=ナルスジャックの原作『死者の中から』にインスピレーションを得た制作であると書いていて、ヒッチコックの映画『めまい』に関する言及は使用音楽について見出されるのみと、極めて限定的なものでしかありません。「女優(井関さん)」と「探偵(糸川さん)」をめぐる展開に関しても下敷きにされたのがどちらかは明らかでしょう。

 では、こう考えてみるのはどうでしょうか。『死者の中から』からインスピレーションを得て作品を作った者がふたりいて、私たちはふたりによるふたつの作品を愉しむ豊かさを手にしている、と。

 今回の井関さんも、いつも通り、冒頭からまったく見事な存在感を示しており、目は釘付けにされるでしょう。その点ではヒッチコック映画のキム・ノヴァクも同様です。違うのは、監督と演出振付家からふたりへの「愛」が感じられるかどうかです。その点で、映画『めまい』において、観客はキム・ノヴァクではなく、ジェームズ・スチュアートにシンパシーを感じながら見詰めることになるのですが、金森さんの『めまい~死者の中から』にあっては、そこは間違っても、糸川さん寄りの目線にはならない訳です。ですから、伴って、新利賀山房の私たちはあたかも「男Ⅰ(山田さん)」の共犯者のようにして事のなりゆきを見詰めていたのでしょうし、まあ、少し控え目に言っても、「未必の故意」的な心持ちでその推移を目撃し続けるのだろうことくらい最初から予見できてしまう恐ろしい「場」に身を置いていたとは言えるのではないでしょうか。

 で、同じひとつの原作から生まれたふたつの作品に認められるそうした味わい或いは肌合いの違いはまさしく互いに相照らすことで豊かさを増すものでもあり、私たちはここで「2」という象徴的な数字を前にすることになります。「2」の象徴性は、まさしく金森さんが今回の作品のあちこちに(岩波書店「思想」2024年第8号風に言えば、「過剰に」)散りばめたものです。「1」は自立し得ないとでも言うかのように…。

 その「場」の凄さを構成する要素のひとつに照明があることに異を唱える者はいないでしょう。で、その照明スタッフとして、金森さん、丹羽誠さんふたりの名前に先立ち、先頭に「御大」鈴木忠志さんの名前も見られるのです。これからご覧になる方は、凝りに凝った照明もご期待ください。

 …とまあ、ネタバレしないように気を配りながら、あの「場」で、そしてその後、私が個人的に感じたことを書いてきました。あくまでも個人的な感じ方に過ぎません。しかし、観終えたら、「はい、おしまい」で済むような作品ではないことは確かです。初日をご覧になられた皆さんの目にはどのように映り、どのように感じられましたでしょうか。とても興味があります、ハイ。

 あと、この日の利賀のことをもう少しだけ。作品に圧倒されて、新利賀山房を出ると、予報通りというか、雷鳴が轟くではありませんか。夏そのものの濃い青ではなく、舞踊作品に浸っているい時間のあいだに、すっかりグレーにその色を変えてしまっていた空がまるで突然に破けでもしたのではないかと思うような凄まじい雷鳴が、すぐ頭の上で聞こえたのでした。その後、やはり(!)雨も降り出します。これらも金森さんの演出か!?そんな感じでした。

 不穏な作品に不穏な天気が追い打ちをかけてくるのです。でも「怖い思い」はもうたくさん。帰りは車のナビで「砺波IC入り口」を検索して、車を走らせることにしました。県道229号線方向に左折すると、目の前にトンネル!見覚えがあります。思い出しました。そうそう、この道、この道!そこからの帰路はあまり怖い思いをすることもなく、新潟を目指すことができました。『めまい ~死者の中から』の余韻を『恐怖の報酬』で上書きすることなしに、です。蛇足でしたが、ご参考まで。

 以上、少し歩くだけですぐに汗が噴き出す暑さはあっても、蜻蛉も多く飛び交い、一足早く、確実に季節の移行も感じさせるこの時期の利賀芸術公園、『めまい 〜死者の中から』初日レポートとさせて頂きます。

(shin)