荘厳なる金森演出の円熟と原点回帰(サポーター 公演感想)

富山県黒部市の前沢ガーデン・野外ステージでの「黒部シアター2024 春」 Noism Company Niigata新作『セレネ、あるいは黄昏の歌』公演。18日(土)の初演では言葉を失うほどの感慨に打ちのめされたが、19日(日)の公演も幸いにして鑑賞出来た。

前日の快晴からうって変わって、ポツリポツリと雨が降り出した黒部。公演前にお見掛けした井関佐和子さん始めNoismメンバーも、濃密極まる作品の公演前であることに加え、天候を心配してか、険しい表情が垣間見えた。新潟や関東圏から駆け付けたNoismファンの方々と言葉を交わしつつ、時折天気予報を調べては「公演中は大丈夫そうだね」と無事の開演を祈る思い。会場には、金森穣さんが「師匠」と仰ぐ鈴木忠志氏や、Noism「劇的舞踊」シリーズの常連俳優・奥野晃士氏の姿も。また、前沢ガーデンハウス内の鈴木忠志氏の演劇活動を紹介する一室では、昨年のNoism公演のドキュメンタリーが上映されており、やはり圧倒的だった舞台を思い返しつつ、私はじめ見知った顔が収められている映像に笑みをこぼした。

6月末からのNoism20周年記念公演でも『セレネ、あるいは黄昏の歌』は上演される為、詳述は控えねばならないが、前述したように終演時には会場が静まり返り、日ごろならスタンディングオベーションしつつ「イェイ!」「井関! 金森!」など声援を送る私も、「この余韻を壊したくない」「この感動は、簡単に言葉にしたくない」と口をつぐみ、ひたすらに拍手を送るのみだった。マックス・リヒターがヴィヴァルディの『四季』の根幹部を抽出するように編曲した楽曲の強靭さを背骨に、やはり壮絶なまでの神々しさを発する井関佐和子さんを中核として、舞台の刹那を生ききる舞踊家たち。自然の摂理そのものを体現するような井関さんの一挙手一投足に呼応して、音楽を視覚化するように若きメンバーが躍動する冒頭から、幾度も涙が溢れたが、舞台が進行するにつれ、その荘厳さと猥雑さが共存する世界観に「畏れ」さえ覚えた。ある「暴力」に及ぶ者を冷徹に凝視し、集団によってその「性」を露わにされる者を優しく抱きしめ、過去の「恍惚」を豊かに追想する、祭祀の指導者に扮する井関佐和子さん。その眼差しの凄絶さ、照明も相まって白く発光するような全身は、現実から遊離するほどに美しかった。

生が芽生え、繁茂し、成熟し、やがて豊かに老いて「死」と直面してゆく。人間と自然の「業」「摂理」を、イメージ豊かに舞踊に置き換えてゆく「円熟」を感じさせたかと思いきや、初期Noism作品に漂っていた濃密なエロスや暴力性を突き付けて、観客を圧倒する金森穣演出は、どこまで到達するのだろう。舞台に吞み込まれ、翻弄され、この舞台に立ち会えた一瞬や自身や他者の「生命」、その周囲にある自然まで慈しむような余韻に浸る約1時間は、まさしく僥倖だ。黒部の土地もまた舞台を祝福するように公演中は雨がやみ、舞台に余韻が深まる夜陰にかけて、静かな雨に包まれた。

20周年公演では、りゅーとぴあ・劇場でどのように作品が再創造されるか、心して待ち構えたい。

久志田 渉(新潟・市民映画館鑑賞会副会長・「安吾の会」事務局長)
(photos: aco)

再演の「鬼」ツアー、神奈川公演初日(2024/01/13)♪

2024年1月13日(土)、Noism×鼓童「鬼」再演のツアーはこの日、KAAT神奈川芸術劇場でその初日を迎えました。この度の再演のツアーは前年訪れなかった土地を巡るものです。その皮切りに立ち会いたいとの思いで、朝、雪が降りだす前の新潟から横浜を目指しました。途中、三条を過ぎたあたりから案の定、窓外は雪。関東も昼過ぎには雪になるとの予報でしたから、雪の一日を覚悟していましたが、トンネルを抜けたら、あっけらかんと青空が広がっていたので、正直なところ、やや拍子抜けしたりする気持ちもありました。しかし、その後、ぽつりぽつり雨が落ちてきましたから、本格的に崩れる前に、KAATへと急いで移動したような次第です。

KAATに入ると、吹き抜けの下、アトリウムに、前年7月の「柳都会」(Vol.27)にご登場され、刺激的なお話を聴かせてくれた栗川治さんの姿を目に留めましたので、ご挨拶。栗川さん、新潟での公演は都合がつかず、今回、横浜での用向きに合わせてご覧になるのだと。で、大晦日のジルベスターコンサートでもお見かけした旨伝えると、興奮の面持ちで、Noismの『Bolero』はもとより、亀井聖矢さんのピアノが凄かったと話されたので、激しく同意しながら「2週間前」の感動を噛み締めたりさせて貰いました。

そんなこんなで、開場時間を迎えると、公演会場の〈ホール〉へと上がりました。メインロビーへと進み、トイレなどをすませていると、今度は原田敬子さんの姿が目に入ってきました。如何にも偉丈夫の黒コート姿の男性と一緒にこちら、奥の方へと歩んで来られます。前年の初演時にも「最上の音をお届けするために」とほぼ全会場に足を運んでおられた原田さん。この再演にあたっても、新潟でお話できましたし、「今回も」と、またここでもご挨拶をして少しお話出来ました。原田さんが仰るには、会場によって、音の響き方が異なるのは当然としても、こちらは少し大変だったのだとか。そんな話をしてくださった後、原田さんが件の黒コートの男性のことを「御大」と言い表して、そちらに戻って行かれるに及んで初めて、その男性が誰かを認識し、瞬時に凍りつくことに。そうです、その男性は誰あろう鈴木忠志さんだったのでした。金森さんも師と仰ぐまさに「御大」。不調法で失礼なことをやらかしてしまったような訳です。凹みました。(汗)

「うわあ!」とか思いながら、少しテンパった気分で買い求めた席につくと、私たち家族の2列前には鈴木さん!更に横を見ると、私の3つ右の席には原田さん!これもまた「うわあ!」です。いつも以上に緊張しつつ、開演を待つことになりました。

16時を少しまわって、波の音が聞こえてくると、『お菊の結婚』の始まりです。ストラヴィンスキーのバレエ・カンタータ『結婚』、その炸裂する変拍子とともに滑り出すほぼ人形振りによるコスチューム・プレイの見事さに、(しくじった)我を忘れてのめり込むことが出来ました。この日、これまでよりやや後方の席から見詰めた舞台は照明全体を、ある種の落ち着きのうちに観ることを可能にしてくれたと言えます。一例を挙げるならば、今まで気付かなかったのか、それとも、金森さんが今回変えてきたのか、そのあたりは定かではありませんが、中央奥、襖の向こうに印象深い赤を認めたりした場面などを挙げることが出来ます。そんな細部への目線を楽しみながらも、同時に、不謹慎な(と言ってもよいだろう)諧謔味に浸りながら、するすると見せられていくことのえも言われぬ快感はこの日も変わりません。何度観ても唸るばかりです。

呆気にとられながらあのラストシーンを見詰めたとおぼしき客席は、緞帳が完全に下り切るまで水を打ったように静まり返っていましたが、その後、一斉に大きな拍手を送ることになりました。

休憩になると、なんと、横の方から原田さんが「音、どうでしたか」などと訊いてきてくださったのですが、それは高い音が強く聞こえることを気にされてのことで、素人の耳には特段感じるようなこともなかったのですが、、休憩後の『鬼』に関しては、少しわかるようにも思いました。まさに一期一会の舞台な訳ですね。

(また、休憩中の通路には宮前義之さんの姿もありました。書き残しておきます。…以前にはご挨拶したこともあったのですが、この日は流石にもう無理でした。)

で、『鬼』です。客電が消えて、緞帳があがり、鼓童メンバーが控える櫓が顕しになると、そのキリリと引き締まった光景に対して、客席から一斉に息を呑むような気配が感じられました。前年から繰り返して観てきたこの超弩級の作品も、私にとっては、この日が見納め、「鬼」納めです。目に焼き付けるように観ました。鼓童が発する音圧を受け止めながら、舞踊家の献身に見入る時間も最後になるのですから、一挙手一投足も見落とせはしません。そんな覚悟で見詰めた次第です。繋がりも(漸く)クリアにわかってきた感がありましたし、この日も、妖艶さ溢れる姿態から妖気漂う様まで、振り幅の広い、目にご馳走と言うほかない場面がこれでもかと続きました。初めて観たときの驚きとは別種の、その力強い構成力と実演の質への驚きを抱きながら全編を追って、まさに最終盤に差し掛かったとき、目を疑うことになりました。動きが、演出・振付が明らかに違っている!またしても!!ラストのシークエンスを大きく変えてきたのです、金森さん、またしても!!!再演のラストシーンは初演のときとは違っていましたが、この日、そこに至るまでのシークエンスにも大きな変化が生じていたのでした。これからはこれで行くのでしょうか。それとも、まだまだ変更の余地があって、これも「神奈川ヴァージョン」なのでしょうか。いずれにしても、私にとっては「鬼」納めの舞台でしたから、この後のことについては、レポートや報告を待つよりほかにありません。やはり一期一会なのですよね。

「このあと、舞台はどうなっていくのだろうか」若干後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、客席を後にしました。最後に原田さんと「音の聞こえ方」についてお話出来たらなどとも思いましたが、原田さんは鈴木さんたちと一緒におられます。同じ轍は踏めませんから、サポーターズ仲間たちと一緒に外に出ました。すると、強い横殴りの風に煽られた雨が時折、霙(みぞれ)になったりするなど、待っていたのは寒々しい冬の天気でした。帰りの新幹線のこともあり、東海道線に遅れが生じたりされては困るので、まずは横浜へ、そしてその先、上野へと急ぐことで締め括られた私の2024年Noism始めでした。

そうそう、この日の『鬼』に関しては、最後、緞帳が下り切る少し前から、拍手が鳴り始めたのでしたが、きっと、もうそれ以上我慢し切れなかったものと理解できます。そんな訳で、この日、一緒に客席で見詰めた観客のなかから、今取り組まれているクラウドファンディングへの協力者が多数出ることを信じて、否、確信して、新潟への帰路に就いたような塩梅でした。

(shin)

「鈴木忠志・金森穣・瀬戸山美咲による対談」(2023/12/20)(サポーター レポート)

SCOT吉祥寺シアター公演での「対話」へ行ってきました。
舞踊と演劇に関して様々な話題が出ましたが、主に金森さんに関連する部分をレポートさせていただきます。 乏しい記憶力と書きなぐりメモが頼りゆえ、事実と違ったり、話の順番やニュアンスが正しくないかもしれない点はご容赦ください。

劇場の黒い舞台の下手から鈴木忠志さん、金森さん、瀬戸山美咲さんと並び、皆さんモノトーンの装いで、シックな雰囲気。客席には井関さんのお姿も。

まず鈴木さんがおふたりを紹介し、おふたりからも簡単な自己紹介。
鈴木さんは、これまで2人に利賀でやってもらったが、今後も何かやれたらと思う、将来を嘱望されている2人がこれから活躍するにあたり、何が問題かをどんどんしゃべってほしい、何か力になれれば、と前置き。
『闘う舞踊団』については、良く書いたなー、読む方は誰かわかるでしょ?とコメント、皆ジワッと笑い。

金森さんは、日本では劇場の中にプロの専属集団がいないこと、プロではなく「趣味」に生きていると思われがちなこと、地方では多額の税金が、限られた市民だけ、または、東京から舞台を呼ぶことに使われている…という、これまでにもお話しされていた問題点を述べ、帰国して日本の状況に失望し、海外へ戻ろうと思った頃、鈴木さんと会って作品を見て、メソッドを持ち、何十年も身体と向き合っている集団があることに驚き、理解したいと思った。
日本の演劇には、物語はあるが、役者からのエネルギー、生身の身体があることの必然性が感じられないが、SCOTにはそれがあって感動した。
Noismを20年やっても公立の舞踊団は唯一で、新国立のバレエ団もコールドは給料で生活できず、新国立が海外から呼ばれることもない、というのが現実。
国の制度を変えたい、「御大(=鈴木さん)」の背中を見ていれば、変えられると思う、とのこと。

「劇場」について、鈴木さんは、劇場には空間(建築)があって思想があるべき。能舞台がそうで、海外ではピーター・ブルック等が自分の劇場を作っている。空間に合う思想を具現化する技術は何かを考えることが必要で、日本には劇場が沢山あるが、本当の意味での劇場がない…と熱い語り。
瀬戸山さんは、演出家の目線が入っていない劇場が多く使いづらいと指摘。
金森さんは、誰のための劇場かわからないと今後も同じことになる。公平性が社会的正義となると、(誰にでも)使いやすいことが優先されると危惧。

金森さんからの、鈴木さんの舞台は身体が強いので色々な空間で上演される、という言葉を受け、鈴木さんは、自分はどこでもやれる自信があるとキッパリ。能舞台があり能役者がいるのが素晴らしい、というのではなく「軸」が重要。思考の軸・基準がなければ、身体も集団もダメになる、とのこと。

また、「劇作家」「演出家」についての話の流れで、鈴木さんは、金森さんは演出家だと思うが、まだ言葉をしゃべったことがない、舞台の言葉は日常とは異なり、簡単じゃない、と語られましたが、これから言葉を入れることに挑戦してほしいという意味なのかどうか、よくわかりませんでした。

「地域への貢献」の話題で、金森さんは、今の世の中の今の新潟で、「軸」を失わずにできることをやる。「軸」のために闘い方を捻りだし、地域貢献も必要ならやる。今は主にNoism2 が行い、金森さん自身が直接関わらなくても良い仕組みを作ったと説明。

鈴木さんは、「地域貢献」は結果であり、「人類へ貢献したい」。「地域」は政治家が考えることで、芸術家の役割は、多民族や異なる思想を持つ人々の間に共通の悩みや問題があることを示し、それに役立つような共通の思考を見いだし、1つの共同体だけでなく異質なものに橋を架けること。「日本人だけ」はナンセンスとも。
瀬戸山さんが、日本は、日本の演劇を海外へ紹介する意識がないと言うと、金森さんは、日本の演劇の作り手は、そもそも、海外と勝負できる・人類の財産となると思っていないのでは…と一言。

鈴木さんは、公共と関わる場合は税金が使われるから難しく、「アナタの金ではないから偉そうなことは言うな」と言われるのは仕方ないが、本来そこは政治家が説得すべきこと。行政が芸術を助けるのでなく、経済人・政治家・芸術家が対等でなければならない。行政サービスとしてではなく、国家政策としてやらせることが重要と主張。
金森さんに対しては、政治家はいずれ選挙で落ちるけれど、自分は死ぬまで金森穣でやるから、(政治家に)もっと闘ってくれ、と言うべき、と煽り(?)、瀬戸山さんに対しては、日本語を守るためにも戯曲は大事だから、立候補したら?と唆し(?)。

鈴木さんから、自分はやりたいことができているが、このままではダメではないかと考えている。(2人に対して)でっかい態度で発言しなさい、悪口を言えばお金が出るから…と、まさに「御大」な発言が。もちろん「悪口の基盤が重要」と釘さし。

その後、利賀を作り上げるまでの逸話(今ではNGなことも)を披露。はじめは自費だったが、そのうち知事が来て行政からお金が出るようになったとも。
金森さんは、Noism設立時は、流行りの芸術監督制度をやりたいスタッフに自分が呼ばれ、今は、現市長は前市長のやったことをやめると色々言われるから続けている。
「やってください」と言われるまでになっていないので、覚悟しかない、と。

最後に鈴木さんから、「世界はこうだ、私は天才だ」と大きなことを言った方が良い。2人とも頑張っている、きっと思いは通じる。「あれだけのことを言うからには裏に何かある」と思ってくれる、と再び激励。
瀬戸山さんは、今は萎縮したり慎重になりがちだけど、大きな夢を語るのは大事ですね、と。
金森さんは、今、刀を研いでいます、追い出される前に追い出します、と不敵な笑み。

当初、「自分は司会」と言っていた鈴木さんも沢山話してくださり、そこに思いを2人が受け継いでくれるという期待が感じられました。それを聞く金森さんが、嬉しそうだったり、照れくさそうだったり、困惑したり、慌てたり、いつもと少し違う表情を見せていたのが印象的でした。

また、若き日のご自身を「老人キラー」と称した鈴木さんによると、金森さんも「老人キラー」だそうです。何人か殺しちゃってるんですね(笑)。

質問コーナーはなしで約1時間45分、貴重なお話をたっぷりと聞けました。この日の視点は主に作り手側から。いつか観客の視点を交えた対話の場が持たれることに期待します。

(うどん)

「黒部シアター2023 春」前沢ガーデン野外ステージでの「稀有な体験」が語らしめたインスタライヴ♪

2023年5月23日(火)の夜20時から、昨年夏以来の金森さんと井関さんによるインスタライヴが配信されました。語られたのは前週末の2日間のみの野外公演のこと。僅か2日間のみその姿を現し、私たちの日常を活性化して去っていったまさに「稀人」のような『セレネ、あるいはマレビトの歌』とそれが踊られた舞台「前沢ガーデン野外ステージ」について、その「稀有な体験」が語らしめたアフタートーク的内容だったと言えます。全編(作品とほぼ同じ尺の約55分)はおふたりのインスタアカウントに残されたアーカイヴからご覧いただくとして、ここではかいつまんでご紹介させていただきます。

☆前沢ガーデン野外ステージでの公演、そのいきさつ: 昨夏、「御大」鈴木忠志氏から「金森、やってみるか」とお声掛け(=「挑戦状」)があり、0.5秒後にスケジュールも何も見ないままに「はい」と即答。「師匠」からの「新作」の依頼は2019年の『still / speed / silence』以来、2度目。中途半端なものは見せられない。気合が入る。それは井関さんも同じで、「何なら俺よりも(気合が入る)」と金森さん。対する井関さんは金森さんのことを「外からの『異物』があったときに燃える。本能的に闘いにいく人」と。

★「御大」の感想: はからずもその2回、褒めてくれた。今回、初日の後、ひとつ指摘をいただいた。「御大」からの指摘は常に具体的で、得心させられる。今回も「ああ、まさに」と感じ、対処した。「感覚ではなくて、具体的。聞いているだけで『画』が見える」(井関さん)

☆その「御大」の指摘: 空間の演出の仕方、バランスのとり方。その作品に限ったことではなく、もっと舞台芸術・総合芸術・空間芸術・実演芸術の本質に根差したもの。未来のクリエイションに繋がる指摘。野外ゆえの壮大なものを見つつ、舞踊家の身体、精神まで見てのもの。

★素晴らしい施設での「合宿」: 常に一緒。「スポーツでは必ず合宿やるんだ」と鈴木さん。「同じ釜の飯を食う」こと、集団性において意味大きい。

☆ゲネプロの日(金曜日)の雨: その夜の通し稽古、凄かった。冷えた空気のなか、火照った体から水蒸気が発散された。「まるで『北斗の拳』」(井関さん)「生まれてくる熱量が可視化された」(金森さん)

★アルヴォ・ペルトの音楽: 全編、ペルト。昨秋、会場(東洋的な森林に囲まれた西洋的な建築物、その融合した世界観)を見てイメージしたとき、合いそうだと思ったと金森さん。ペルトの歌曲は珍しいが、最後にそれを見つけたときに「ああ、これだ」と思った。

☆空間の使い方の工夫: 黒い舞台とその奥の緑の芝の丘、その境界をどう解釈して、どうつかむか。それが今回の作品の核だった。此岸と彼岸。その境を超えてやって来るマレビト。空間的なことって、現場に行かなければダメ。そこでアジャストしたつもりが、「御大」から「でもさあ、1個だけ…」と指摘があった。その指摘のキーワードは「7,3,1」と明かした井関さん。それに関して金森さん、「自分の作ったものに対して批評的な視座をもつためには冷静さが必要なのだが、最後のシーンについては感情移入してたんだと思う」

★野外ステージの魅力: 「せっかく良いもの出来たのにさあ」と金森さん。新潟にも野外劇場を!上堰潟(うわせきがた)公園とかに。前沢ガーデン野外ステージで観るNoism、毎年、ひとつの文化みたいに、恒例にしたい。
 金森さん「演出家として、空間をつかむことの本当の課題・難しさは(屋内)劇場では味わえない」
 井関さん「劇場の中で踊っていると気になることが、野外では『いいや!』と思え、そこに拘ること以上のものがあると直感的にわかる」
 金森さん「人工物(ハコ)の中でやっていると、踊りも演出も自分がどうしたいかに拘泥してしまう。野外に出たら受容するしかない」
 井関さん「屋外では本気で自分に集中していた。(屋内)劇場では自分を肯定しつつ、自己満足の部分が結構あると気付いた」
 金森さん「社会がどんどん人工化していくなか、野外でパフォーマンスすると、パフォーミングアーツの神髄や核にもう一度立ち帰れる」
 井関さん「やっと、もしかしたら何か知ったかも、という感覚がある」
 金森さん「(この『セレネ、あるいはマレビトの歌』を)世界中の野外劇場で上演したい」
 井関さん「野外は一様じゃないから、どうなっていくか経験してみたい」
 金森さん・井関さん「いろんな作品でいろんなところに行くんじゃなくて、同じ作品でいろんなところに行ってみたい」
 金森さん「また是非、来年!」

☆明日からは…: 「劇場というブラックボックスの中で良い空間を作ります」と金森さん。「この経験を踏まえた上で」と井関さん。『領域』、ふたりだけで20分強(25分くらい)踊る初めての作品。

…と、そんな感じだったでしょうか。

あと、この日のおやつは貴餅(きへい)さんの白玉ぜんざい。そして、途中、宅配便で高知から西瓜が届いたりするハプニングもありましたね。

それにしましても、また観たいですね、『セレネ、あるいはマレビトの歌』♪それもまた屋外で。ならば仕方ない、「新潟野外劇場プロジェクト」に漕ぎ出してみますか。(笑)

(shin)

Noismの現到達点たる『セレネ、あるいはマレビトの歌』、その夢幻(サポーター 公演感想)

5月11日、りゅーとぴあでの『セレネ、あるいはマレビトの歌』公開リハーサルの衝撃は忘れ難い。『Nameless Hands-人形の家』や『NINA』『R.O.O.M.』など舞踊家の渾身と演出振付・金森穣の魔術的洗練に圧倒される舞台に幾度も立ち会ってきたが、りゅーとぴあ〈劇場〉の舞台上に設えられた客席で展開された舞踊と音楽の濁流と、作品の精神には、真底打ちのめされた(リハーサル後、金森さんにバッタリ会い、「これは凄いです。大好きな作品です」と興奮気味に声を掛けてしまった)。

その本番が、5月20日・21日、「黒部シアター2023 春」として黒部市の前沢ガーデン野外ステージにて開催された。初日の圧倒的舞台についてはしもしんさんが当ブログにて詳報している。私もまたTwitterで「激賞」と呼べる感想を書き連ねたり、「月刊ウインド」6月号にて魚津滞在を含めた紀行記事を掲載予定の為、2日目(5月21日)の感想を主に記載する。

魚津駅から黒部駅へあいの風とやま鉄道の列車で向かい、前沢ガーデン行きのバスが発車する「ホテルアクア黒部」へ。新潟や東京から駆け付けたNoismサポーターの方々と合流し、16時発のバス車中では(初見の方も同乗しているので配慮しつつも)昨日の公演の素晴らしさをあれこれ語り合う(この様子を、同乗していた富山県市町村新聞の宮﨑編集長が聞いており、会場でお声がけいただく。公演について記事を書かれるとのこと。特に声の大きな私の放言、失礼しました)。
開演の19時迄は前沢ガーデンの圧倒的な空間美と自然に浸りつつ待機。鈴木忠志氏をお見かけしたり、会場入りする金森穣さんや井関佐和子さん、山田勇気さんにご挨拶(金森さんのご両親や鈴木忠志氏率いる「SCOT」の本拠地である南砺市長も足を運んでいた)。

そして、19時定刻に始まった本番。舞台は常に一期一会だが、野外公演は吹く風や、それにはためく衣装、空の色(この日は渦巻くような雲が空を覆いつつも、陽光がうっすらと覗く)が繊細なコントラストを生み、作品の強度は変わらぬとはいえ、観る者が受け取る印象が新鮮に変わっていく(舞台に立つ舞踊家にとっても、きっとそうなのだろう)。

活動継続問題やコロナ禍の苦しみの中で、ひたすら舞う「Noism」の集団としての強さと祈りに幾度も涙した『Fratres』を、アルヴォ・ペルトの楽曲を駆使しつつ、作品の一部とし、全く違った文脈で再構築した『セレネ、あるいはマレビトの歌』。異端・来訪者を排斥し、互いを縛る「集団」と、個を確立した者が手を取り合う「連帯」との対比。女性同士の深い共感が、集団の論理に楔を打つ展開(井関佐和子さんと6人の女性舞踊家が織り成す洗練と爽やかなエロスに充ちたシークエンスには、ペルトの楽曲相まって涙が溢れた)。ベクトルの異なる舞踊の連鎖を休む間もなく躍り続ける井関佐和子さんやNoism1メンバー、野外ステージの高低差を活かした演出の中で「恐怖」さえ覚える登場を見せる山田勇気さん。そして、言葉を越え、この世界に生きる人の胸に確かに届くであろう「ヒューマニズム」を謳い、アンゲロプロスやタルコフスキーといった名匠が映画で描いた夢幻のごとき光景を現出させた金森穣さんの手腕に、陶然としてしまう。Noismを応援してきた者にとっての冥利を覚えつつも、この現到達点は、Noism Company Niigataの更なる未来と拡がりを想像させる。

カーテンコール後、初日(5月20日)に続いて舞台に立った金森さんは「自分にとっても手応えのある作品」、「この作品を持って海外に出掛け、世界に挑みたい。新潟のカンパニーが黒部に滞在して創った作品です。東京(発)じゃないんです。それが文化」と語った。この挑戦を、更にしっかり応援していきたい。

(久志田渉)

控え目に言って「天人合一」を体感する舞台!「黒部シアター2023 春」の『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日(サポーター 公演感想)

2023年5月20日(土)19時、黒部市の前沢ガーデン野外ステージにて祝祭的な雰囲気のなか、Noism0 +Noism1『セレネ、あるいはマレビトの歌』初日公演を観る。

前沢ガーデンとNoismをイメージした
ノンアルコールカクテル
太田菜月さん(左)と兼述育見さん

『イチブトゼンブ』とはB’z(実はさして詳しくもないのだが、)のヒット曲のタイトルであるが、それになぞらえて言えば、かつて私たちをあれほどまでに魅了し尽くした「ゼンブ」が今回、「イチブ」となり、それが属する「ゼンブ」によって、その肌合いや意味合いを異にしてしまう。その構成にまず驚く。

それは例えば、知らぬ者などいよう筈のないオーギュスト・ロダンの彫刻『考える人』が、ダンテの『神曲』に着想を得て制作された『地獄の門』の頂上に置かれた一部分であったように、あの名作『Fratres』をその一部とする作品が構想されようとは!そうした構成上の驚きである。

そもそも私たちは『Fratres』において、集団による求道者然とした献身の果てに達成された「平衡」、その高度な完結に酔いしれていたのではなかったか。『Fratres』とはつまり、純度の高いひとつの達成だったのだが、それがその記憶も新しいうちに、同じ演出振付家の手によって惜しげもなく解体されてしまうのを目にするのであるから、もしかすると「驚き」と呼ぶ程度では足りないのかもしれない。しかし、そう言ってしまってすぐ、過去にもラストシーンを変更することすら厭わない人ではあった、そうも思い当たる。金森さんは常にとどまることを知らず、前へ前へと進んでいく人なのだ。

その密教的な合一をみた感さえある『Fratres』の解体は、破壊音に似た音楽により始まる。現出するのは『ASU-不可視への献身』や、もっと直接的には『春の祭典』における嬲るような排除の構図。女性対男性のある場面など『春の祭典』を思わずにはいられないほどである。

黒い衣裳の者たち(10人)は「聖」を目指す「俗」であり、その愛の有り様は「アガペー(無償の愛)」や「フィリア(友愛)」を志向しつつもそこには至らない。それはマレビトふたり、つまり、当初の「黒」を脱いだ井関さんとひとり「黒」とは終始無縁の山田さんのデュエットにおいて、井関さんが見せる(金森作品には珍しい)官能的な表情に浮かぶものが「エロス」以外の何ものでもないことからして、無理からぬことではある。井関さんもまた再び「黒」を身に纏ったりし、彼女すら「聖」と「俗」を往還する不安定な存在(「着換える人」)として描かれていく。そうした井関さんの立ち位置にもこれまでにないものが認められよう。

そして従来の「井関さん」的立ち位置は、山田さんによって踊られることになるだろう。二度、緑の芝の丘の向こうから姿を表す山田さん。ゆっくりと、しかし存在感たっぷりに。その二度目の登場場面が只事ではない。尋常ではない。それはほぼ作品のラスト近くに至ってのことなのだが、その「光背」を伴って(敢えて「発散して」と言いたいところであるが、)の登場は、仏像やキリスト像の造形やら数多の映像表現において目にしてきたものであるのかもしれないが、この日、この前沢ガーデンのランドスケープと一体化して見せられると、その神々しさにうっとり平伏すしかないほどの唯一無二の光景となる。そこに目撃される、否、体感されるのは、紛れもなく、刹那の「天人合一」だろう。控え目に言っても。

会場のもつ圧倒的な力。その点では、かつて金森さんと井関さんが原田敬子さんの曲で踊った『still / speed / silence』(第9回シアター・オリンピックス)、その会場・利賀山房でのラストの光景をも想起させるものがあるが、それと較べても、今回、そのスケールは甚だ大きい。宇宙との合一を果たすことになる場に居合わせて、その一部始終を目撃したのである。この日は曇天だったため、ラスト、揃って「個」としての(、そして恐らく「集団」としての)強靭さを増して、「黒」を脱した演者全員が見上げる空を、同様に客席から仰ぎ見ても雲に覆われた空を見るばかりではあったが、唯一、「宵の明星」金星は煌めいており、それを手掛かりに満点の星空を幻視することができた。(また、同様に、野外ステージということでは、照明に寄ってきた鱗翅目がその光を鋭く照り返す様子など、野趣を添える以上の偶然の効果を生んでいたことも書き添えておきたい。)

終演後、気迫の大熱演でこの作品を踊り切り、舞踊家としての矜持を示した全メンバーに、そしてその後、挨拶に立った金森さんに対して大きな拍手が湧き起こったことは言うまでもない。スタンディングオベーションを捧げる観客を含めて、拍手は長く続き、人の両の掌が発するその音は見詰めた者たちの感動を乗せて空へと昇っていった。

席を後にして出口へ向かう際に、(正面2列目でご覧になっていた)鈴木忠志さんが移動するすぐ後ろを(意識的に)歩いたのだが、彼が懇意にする新聞記者に対して、「ダンプ何台分も削って作った」と説明していたこのステージの客席は、そのどの席からも展開されるパフォーマンスをしかと観ることができる筈だ。私はこの日、演者たちの素足が舞台を擦る音や激しい息づかいまで聞こえてくる最前列を選んで腰掛けたのだが、仮に少し上方の席を選んで見下ろしていたとしたら、その姿はさしずめ、ロダンによる件の彫刻のようだったろう。

我を忘れて酔いしれた時間は過ぎたが、なお目を圧して灯る幻想的な大光量を振り返りつつ、前沢ガーデンハウスでトイレを済ませると、20:30発、最終のシャトルバスに乗って車を駐めていた特設駐車場へと向かった。そのバスに乗るまでも、そして乗ってからも、多くを語ろうとする者はいなかった。(「雨にならなくてよかった」以外には。)それくらい誰もがあの55分に圧倒されていたのだ、間違いなく。

金森さんは上で触れた挨拶で、今回の公演実現の経緯を「師匠と仰ぐ鈴木忠志さんから昨年、お誘いを受けた。でも、鈴木さんのお誘いは単なるお誘いではなく、『金森、どんなものを作れるか見せてみろ』という挑戦だった」とし、生涯初めての野外公演に際して夜遅くまで照明作りにあたってくれたスタッフを労いながら、「またここに戻って来たい」との言葉でそれを結んでいた。こんな唯一無二の場所での公演、この日の観客のひとりとしても、同様に「また戻って来たい」と思ったことは言うまでもない。

この度の『セレネ、あるいはマレビトの歌』は僅か2回のみの公演で、私が観たのはその1回に過ぎず、それに基づいて書いた拙文であるが、この驚嘆の作品の「ゼンブ」のうち、「イチブ」でも皆さんと共有し得たならば幸いである。そして書き終えた今は、各々バラバラに再演を望む「イチブ」でしかない者たちの思いが、束になって熱い「ゼンブ」と化し、いつの日か、再演の舞台にまみえることを夢想するのみである。

(shin)

インスタライヴで語られたNoism的「夏の思い出2022」

2022年9月25日(日)、2度目の3連休最後の日に金森さんと井関さんによるインスタライヴが配信され、Noism的に「てんこ盛り」状態だった今年の「夏の思い出」が振り返られました。アーカイヴが残されていますが、こちらでもごくごくかいつまんでご紹介を試みます。

☆「NHKバレエの饗宴」に関して
・中村祥子さんからの依頼によるもの。新潟でのクリエイションは2回。初日(3月?4月?)、パートナーの厚地康雄さんは(井関さんに源を発する噂を耳にしてか)大緊張。2回目にはもう出来上がっていて、「意外とサクッと出来た」(金森さん)
・舞台上での緊張感。「終わって舞台に走って行ったら、ふたりとも死にそうになってたもんね。ホントに怖かったんだろうなと思って」(井関さん)
1公演のみで収録のためのカメラが入る。「その瞬間を味わいたいのに、『これが残る』とかって考えてしまって」(井関さん)
・「あのふたりだから出来た」(井関さん)「本番、もうふたりしかいない。何が起こってもお互い助け合って、お互い委ねて、引っ張っていくしかない。その関係性がパ・ド・ドゥって良いよなぁって」(金森さん)
・「次世代の若い子たち、これから日本のバレエ界とか欧州でも活躍していくだろう子たちの『今』と直接話す機会もあったし良かった」(金森さん)

☆「聖地」利賀村に関して
・3年振りに行った利賀芸術公園(富山県南砺市利賀村)。作品を観るだけではなく、「心の師匠」鈴木忠志さんと話して、ドオーンとふたりで仰け反るような言葉を貰った。「この国に帰ってきて鈴木さんがいらっしゃったこと、鈴木さんがこれまでにやってこられたこと、その全てをこの国で実現できるんだということがどれほど勇気を与えてくれたか計り知れないし、今なお、鈴木さんが利賀でやられている活動、何より舞台芸術、作品を観たときに得られる感動、刺激、影響」(金森さん)「言葉で言えない。あの空間に入った瞬間、皮膚レベルで圧倒的な違いを感じる。刺激っていう言葉以外見つからない」(井関さん)「強めの、過剰なね」(金森さん)「過剰な刺激」(井関さん)
・来月(10月)、黒部市の野外劇場でのSCOT公演を初めてNoism1、Noism2みんなで観に行くことになった。「彼らが行きたいと言って、みんながまとまって、それが結果、全員だったってのが何より」(金森さん)
・「また絶対に踊りたい」(井関さん)「踊らせたい」(金森さん)「踊りましょ」(井関さん)

☆「SaLaD音楽祭2022」に関して
・『Sostenuto』:都響からいくつか候補が示された中からラフマニノフを選んだ。3月、『鬼』の創作中に、「歩いて」と言って井関さんに歩いて貰った金森さん、「OK!見えた。じゃあ5月まで」と。→『鬼』が固まってきた5月くらいに創作着手。
・クリスチャン・ツィメルマン(Pf.)・小澤征爾指揮・ボストン交響楽団のCDで創作したが、生演奏がどう来ようが、それによって作品が破綻しないように考えていたとして、「万が一、凄く遅く演奏されてもこれなら大丈夫。速くなったとしてもこれなら大丈夫」(金森さん)
・そのツィメルマンのCDも素晴らしいが、生には勝てないと口を揃えたおふたり。「生で聴いた瞬間にその世界に入っちゃう」(井関さん)「Noismと一緒に作るという感覚を持ってくれていて、その思いがそこにあるだけで唯一無二」(金森さん)「その瞬間しかできない。消えちゃうがゆえに美しさは半端ない」(井関さん)「音楽はデフォルトが無音。必ず静寂に向かう。静寂への向かい方が音楽の肝。それを感じるためには生じゃなきゃダメ。録音は時間的に定められている」と生演奏の醍醐味を語る金森さん。「このコラボレーションは続けていきたい」とおふたり、もうちょっとだけ舞台を拡げて欲しいという気持ちも共通。

☆新体制、新シーズン
・国際活動部門芸術監督・井関さん:「まだまだそこまでやれている実感はないが、役割分担もあるので、思ってたより大丈夫」「今はメンバーに伝えたいことを何のフィルターも通さずに話せるのが良いこと」(井関さん)「メンバーもこの体制になって、素直に聞けるようになったと思う。今は彼らの芸術活動の責任を担う芸術監督として言ってくれていると彼らも思える。見てると良い関係性だなと」(金森さん)

☆『Andante』の金森さん・井関さんヴァージョンを観る可能性は…
・「あれは彼らのために作ったものなので、彼らが踊っていくものなのですが」(井関さん)「できますよ、できますけど、100%無理なのが全身タイツで出るのは無理。多分、皆さんからも悲鳴が出るんじゃないかと。あれはやっぱり厚地くんの身体を以てして観られる、彼の身体という『作品』があるから」(金森さん)「踊りたいと思わないし、向き合い方が違う。彼らのために作って、彼らが美しく見えるようにやっているから」(井関さん)「期待には応えられない。皆さんの『あのふたりが踊ったら』という妄想がベストだと思う。それを超える実演は出来ない気がする」(金森さん)

等々…。ほか、夏を越えて次々壊れるおふたりの家電製品を巡る話も楽しくて、ホント笑えますし、新作に関する話や「兄ちゃん」小林十市さんについての話もあります。まだご覧になられていない方はこちらのリンクからアーカイヴでどうぞ。

(shin)

山野博大さん追悼(2):特別寄稿「りゅーとぴあ訪問記」再掲

初出:サポーターズ会報第29号(2016年6月)

りゅーとぴあ訪問記

舞踊評論家  山野博大

 1998年10月、新潟市の劇場文化の新しい拠点として、りゅーとぴあ・新潟市民芸術文化会館がオープンした。2004年4月、海外で名をあげて帰国したばかりの金森穣氏を芸術監督に任命し、日本初のレジデンシャル・ダンス・カンパニーNoismを設立した。彼は設立早々から新しい舞踊が新潟に存在することを全国に向けてアピールし、以来12年、日本全国の舞踊人に影響を与え続けてきた。

 私は2005年2月、東京のアートスフィアで行われた金森穣・朝日舞台芸術賞キリンダンスサポート公演“no・mad・ic project ~7 fragments in memory~”を見て衝撃を受けた。公演を見る機会を作ってくれたせいで、私は「りゅーとぴあ」まで出かけることなく今まで過ごしてきてしまった。

 しかし「りゅーとぴあ」を自分の目で見ていないことがしだいに気にかかるようになり、2016年3月22日、新幹線とき号に乗って新潟へ。約2時間、あっという間に着く。太平洋の側から日本海の側まで、汽車に乗ってはるばる来たのだという、かつて旅に出た折に味わった感慨はさらになし。駅前からタクシーに乗り、きれいに整備された街並を走る。信濃川を渡り、白山神社の鳥居を横に見ながら坂を登ると、みごとな桜並木が……。開花までになおしばらく時間がかかりそうと考えるうちに、東京ではとうに盛りを過ぎていることを思い出し、ようやく新潟との距離感がわいてきた。

 「りゅーとぴあ」は巨大な総ガラス張りの卵を横に倒した感じの建物だった。卵のとがった側にパイプ・オルガン付きのコンサートホールが、ふくらんだ側に演劇・舞踊などのための劇場がある。4階のスタジオBに直行して6月に初演が予定されている最新作『ラ・バヤデール-幻の国』の創作現場を見せてもらう。

 スタジオBはまことに手ごろな空間だ。時に座席を並べて作品の公開に使うこともあるというだけに、広さ、高さとも申し分なし。Noismはここを、使いたい時に、使いたいだけ自由に占拠できるという。日本中の舞踊団がリハーサルのためのスペースを確保するために四苦八苦している中で、なんと恵まれたことと、改めてレジデンシャル・ダンス・カンパニーならではの手厚い扱いを知る。

 Noismの“劇的舞踊”は、2010年の『ホフマン物語』、2014年の『カルメン』と続き、『ラ・バヤデール-幻の国』が3作目。こんどは平田オリザがバレエの名作を、草原の国「マランシュ」が崩壊するまでの壮大な物語に書き改めた。彼は劇作家で演出家。こまばアゴラ劇場を拠点に劇団「青年団」を主宰する。劇場芸術に対する政策面への行動、発言でも注目される存在だ。朝日舞台芸術賞の受賞者という共通項があるのだが、二人はどこでどのうようにつながったのかを聞いてみた。富山県礪波郡利賀村という山の中で行われる「利賀フェスティバル」に両者が招かれ、しばらく街の騒音から隔絶された生活を送るうちに親しくなったとのことだった。舞踊台本を依頼したら二つ返事で受けてくれたばかりか、出来上がったものに対していろいろと注文も聞いてくれたということなので、良い結果が期待される。金森氏は、元のバレエ『ラ・バヤデール』のニキヤとガムザッティの階級格差に注目し、その背景にある「戦争」の問題を描きたいと語る。

 「りゅーとぴあ」の中を案内してもらった。コンサートホールと劇場は、同じフロアーに背中合わせに作られている。コンサートホールは最大収容人数2,000名。親しみやすい雰囲気が漂う。大きな卵の中央を横に輪切りにした通路から劇場へ。3階席まであり、収容人数868名。黒を基調とした舞台と客席を豊富な照明等の機材がびっしりと取り囲む新しい舞台芸術への備えを持つ空間だ。二つの会場が背中合わせに位置しているせいで、劇場の舞台の奥行きは足りない感じ。どうしても奥行きを必要とする時は、前の客席をつぶして舞台を広げることもあるということだった。この劇場はシモ手に花道を設営できるように作ってあり、邦舞等の公演にも対応可能。

 5階の能楽堂は、本格的な能舞台を382の椅子席が囲む和の世界。まだ真新しい松羽目と磨き上げられた舞台がまぶしかった。ここのロビーからは白山公園の木々の梢が見渡せる。その開放感と見る者の精神の奥深くにまで響く能が共に在る感覚は、他の能楽堂では味わえないものだ。

 日本初のレジデンシャル・ダンス・カンパニーNoismが設立されて、すでに12年が過ぎているというのに、未だ他の市に同様の動きが見られないことが話題になった。欧米ではあたりまえのことが、日本では「りゅーとぴあ」のNoismだけでしか行われていないのは、どういうことなのか。公共の劇場はどこも貸し出し用ばかり。市が独自に市民のために劇場文化を提供しようという考えは、今のところ育っていない。日本では政治・経済を担う人たちが劇場にあまり来たがらない。劇場のロビーが政治・経済界の要人や、各分野の芸術・文化人の交歓の場となっている欧米との違いは大きい。

 行政が劇場文化に対してしっかりした考えを持っていないと、芸術的に高いものを持つ団体の公演も、街の人たちのカラオケ大会も同じレベルで扱い、抽選によって会場を貸すことを「公平」と考えてしまいがちだ。しかし市のホールは、いかにして多くの市民に高い内容の芸術・文化を提供するかを第一に考えるべきではないか。その点、Noismをレジデンシャル・ダンス・カンパニーとして持つ新潟市は、劇場文化に高い関心を示す欧米先進国並みの責任を市民に対して果たしている。

  Noismの12年は、さまざまなトラブル解決の長い道のりだったらしい。市が専属舞踊団を持つという未知の体験は、多くの軋轢を克服するための努力の連続だったようだ。金森氏は「何度もやめようと思った」と、遠くを見るような目つきで語った。彼の心にはいろいろなぶつかり合いの場面が去来していたのではなかったか。しかし今、市の担当者とNoismは、12年という得難い時間を共有した結果、互いの役割を果たし、その恩恵を他の地域の舞踊ファンにまで及ぼしている。第二の「りゅーとぴあ」はいつ、どこの地に現われるのであろうか。金森氏との対話はまだまだ続いた。しかしそれを公表すると物議をかもすことになりかねない。このあたりに止めておくことにしよう。

 Noismのプリンシパルで副芸術監督の井関佐和子さんが書いた「Noism井関佐和子・未知なる道」という本が平凡社から出ている(2014年刊)。金森作品を踊る時の生の感覚をつぶさに記した内容は、Noism理解に必須のものと言ってよい。その本に彼女のサインを貰おうと思って本棚から出しておいたのだが、忘れて来てしまった。残念!

サポーターズ会報第29号

PROFILE  |  やまの はくだい

舞踊評論家。1936年(昭和11年)4月10日、東京生まれ。1959年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1957年より、新聞、雑誌等に、公演批評、作品解説等を書き、今日に至る。文化庁の文化審議会政策部会、同芸術祭、同芸術団体重点支援事業協力者会議、同人材育成支援事業協力者会議、日本芸術文化振興基金運営委員会等の委員を歴任。文化勲章、芸術選奨、朝日舞台芸術賞、橘秋子賞、服部智恵子賞、ニムラ舞踊賞等の選考、国内各地の舞踊コンクールの審査にあたる。舞踊学会、ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク、日本洋舞史研究会等に所属。日本洋舞史を舞踊家の証言で残す連続インタビュー企画《ダンス=人間史》の聞き手をつとめる。《舞踊批評塾》主宰。インターネット舞踊批評専門誌「ダンス・タイムズ」代表。舞踊関係者による《まよい句会》同人。2006年、永年の舞踊評論活動に対し、文化庁長官表彰を受ける。NoismサポーターズUnofficial会員。2021年(令和3年)2月5日永眠。享年84。

* * * * * *

*この玉稿は、前回再掲した金森さんとの対談内容を踏まえてお書きになられたもので、その対談と併せて、同じサポーターズ会報第29号に掲載されたものとなっています。稀代の舞踊評論家が見詰めたこの国の劇場文化と未来への期待は、舞踊家・演出振付家・劇場監督が見詰め、期待するところと正確に呼応するもので、今もなお、大いに示唆に富むものと言えると思います。前回と今回の全2回で、山野さん関係の文章を再掲することで、私たちの追悼の気持ちが少しく表現できていたらと思います。あと、山野さんがこの文章を書かれたあと、いずれかの機会に井関さん(と金森さん)からサインを貰えていたら、とも。蛇足でした。

(shin)

山野博大さん追悼(1):Noism芸術監督対談「舞踊を語る!」(金森穣×山野博大)再掲

初出:サポーターズ会報第29号(2016年6月)

*さる2021年2月5日に惜しまれながら急逝された山野博大さん。生前、サポーターズの会報に掲載させていただきながら、その後、本ブログには再掲せずにいたものがふたつありました。この度、感謝と追悼の気持ちを込めまして、それらを掲載させていただくことに致しました。まずは金森さんとの対談(2016年3月)からお届け致します。深い内容を熟読玩味頂きますとともに、在りし日の山野さんを偲ぶよすがとなりましたら幸いでございます。 (shin)

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春まだ浅い2016年3月22日。

舞踊評論家の山野博大さんを東京から新潟にお招きし、りゅーとぴあで金森芸術監督と対談していただきました。

お話は舞踊批評を中心に、舞踊の歴史とメソッド、海外との文化比較、劇場専属舞踊団の存在意義、そして劇的舞踊『ラ・バヤデール-幻の国』の創作秘話まで多岐にわたり、和気藹藹とテンション高く進みました。

photo by Ryu Endo

劇場

金森 今日はよろしくお願いします。

山野 こちらこそ。先ほど、館内を案内していただいて劇場やリハーサルを見せていただきましたが、なかなかいい環境だね。だけど、劇場のステージはもう少し奥行きがあるといいね。

金森 そうなんですよ。さすがよくわかってらっしゃる。奥行きがないのはなかなか大変です。やはり日本の劇場は建てる時にそこを使う専門家集団が不在のまま建てているので、どうしてもその辺の問題は出てしまうでしょうね。

山野 どこの劇場もそうなんだよね。建築家にも劇場に来てもらえるといいね。

金森 そうですね。

山野 帝劇っていう劇場があったでしょ。

金森 日本バレエ発祥の。

山野 そうそう。あそこを最初に建てたときに、歌舞伎もやりたいというニーズがあって、タッパをちょっと低くして間口を広くした。だから他のものをやるにはバランスが中途半端なんだけど、その後出来た劇場は、みんなそこを真似て造ってるんだよね。1970年くらいまでの公的ホールは全部その寸法。その後は外国のものを観る人も出てきて、縦長のものも増えましたけど。

金森 なるほど、帝劇モデルだったんだ。

山野 その帝劇は今はもう無いんだけどね。

金森 帝劇から日本の洋舞は始まってますもんね。

山野 そうそう。帝劇はそこだけ除くと他は素晴らしい劇場だったね。

舞踊批評

金森 そもそも山野さんは何故、批評を始めたんですか?

山野 中学2年生のときにね、バレエ団で踊ってる同級生がいて、それを観に行ったんですよ。そしたら、「これはなかなか面白い」と思った。面白いと思ったら、自分がやるのが普通でしょ。ところが、その同級生が稽古で学校へは出て来れないし、留年しちゃうし、大変でね。それで「こりゃ、やるより観るほうがいいな」と思っちゃったわけですよ(笑)。そこから観始めて、大学2年生のときに批評家になりました。アントニー・チューダーのライラック・ガーデンでノラ・ケイを観たときに、それまでクラッシック・バレエっていうのは“こういうものだ”という固定観念で観ていたのが全く違う世界に出会って衝撃を受けた。「舞踊とはここまで表現できるものなんだ!」と。ならば一生この世界で生きてもいいなと思ってね。

金森 中学校の同級生の公演を観に行って以降というのは、その方の公演とかをご覧になっていたんですか?

山野 いや、外国から来たものはなんでも観に行ったりしながらのめり込んでいきました。新聞に投稿したりとかしてね。当時は一般的に男の子が舞踊を観に行くということに対して、否定的でしたからね。

金森 そうでしょうねぇ。

山野 うちの場合はね、母親が芸事が大好きで理解があったんですよ。観に行くことに反対もされなかったし、チケットも買ってもらえた。そんななか、次第に趣味の域からは離れていきましたね。あるとき、図書館で本を読んでいたら、学校の先輩が「君、バレエの本を読んでるみたいだけど、興味があるの?」と声をかけてきてくれてね。当時はコピー機がないから書き写しをしていたんだけど、「その本なら家にあるから遊びにおいで」って言ってくれた。

金森 そのエピソード、山野さんの本(「踊る人にきく」三元社)に書いてありましたね。

山野 そうそう。それがきっかけで日本を代表する大評論家の光吉夏弥さんの家に通えるようになったんですよ。光吉さんに当時自分が書いた評論を見せたら、「これは中学生の作文だ。批評というのはちゃんとルールがあって書くんだ。感想文じゃないんだ」って言われた。「批評の第一は“舞台で何が行われていたのかを正確に書く”こと。その次に“批評”がくる。そうでなければ、その人がどう観て評価しているのかわからないじゃないか」と。しかも「歴史的な流れがどうあって、今ここがあるのかを理解していないと批評というのも意味がない」と言われてね。観てることをちゃんと書いて、それが歴史的にどうなのかというところも理解した上で自分の意見がどうなのか。批評というのはそういうふうに書きなさいと言われましたね。

金森 素晴らしい方にお会いしたんですね。そのような批評は、残念ながら日本ではなかなか目にしませんね。 “舞台上で何が行われていたか”だけか、“自分がどう感じたか”だけのものが多くて、その間が無い。歴史を踏まえた上でどうなのかというところは専門的知識がないと書けないものだとは思うんですが。

山野 だからね、批評家になるには少なくとも10年は観てないと、批評家って看板はかけられないんですよ。今を批評するならば、それ以前のことを把握し、理解を深めて自分の知識を補強していかないとならない。

金森 そうですよね。バレエでもなく現代舞踊でもないNoismがやっているような表現を、何舞踊というのか、山野さんに名称を考えていただきたいな。コンテポラリーという名称は嫌なんですよ。消費文化の象徴のようで。コン、テンポラリーじゃないですか。テンポラリーって一時的なものですよね。今の批評家のお話じゃないですけど、歴史性を踏まえてこれから何をするかと考えていくときに、自分の世代、育ちにおいては、やはり洋舞の影響なしには語れません。ただアイディア的に面白いとか、一時的なものではなく、バレエや現代舞踊、また、日本舞踊や舞踏など日本のなかで培われてきた歴史的身体の知識みたいなものと、自分がヨーロッパで学んできたものなど全部を活かして日本の21世紀の舞踊スタイルとして何かを残したいと考えています。

photo by Ryu Endo

舞踊の歴史とメソッド

山野 洋舞が一番影響を受けているのは、日本舞踊だと思うんですよ。我々日本人の立居振舞いを基本にして出来ているからね。日本舞踊が歴史的に培ってきたものをもっと使えばいいと思う。

金森 日本舞踊って型があるじゃないですか。稽古はどのようにしているんですか?

山野 稽古のメソッドはないんですよ。

金森 ないんですか?

山野 日本舞踊というのはね、先生と弟子が1対1で相対して、先生が三味線弾いて、振りを写していくんです。

金森 集団で稽古をしないんですか?

山野 振りを写していくのが稽古。つまり、日本舞踊って「システム」じゃないんです。作品集なんですよ。

金森 なるほど。でも上達はどのように見ていくんですか?

山野 師匠によって良し悪しが下される。エリアナ・パブロワが日本で最初にクラッシックバレエを教えたんだけど、それは日本舞踊と同じやり方で教えていた。

金森 パブロワが何の規範もなく、いいとかよくないとか言うわけですか。

山野 そう。つまり、パブロワはバレエ団に属していませんでしたからね。

金森 そうですよね。そこですよね。

山野 パブロワは貴族で、先生を家に呼んで教わっていた。貴族が没落して、日本に流れてきてバレエを教えながら生活していたんだね。その後、オリガ・サファイアという人が日本に来て、理論と技術を日本に伝えた。そこで初めて世界のバレエと日本が繋がったんだね。

金森 日本に初めて来たバレエ団がロシア系だったわけで、バレエと言えばロシアというところがあったし、新国立劇場ができたときにも最初にロシアのスターを招いていた。それはオリガ・サファイアからの影響だと思うんですが、なぜ日本のバレエ界は日本のバレエのメソッドを創らなかったんでしょうね。

山野 日本のバレエのメソッド…創れないですよ。

金森 創れますよ! デンマークだってブルノンヴィルが創っているし。フランスだって、イタリアだって、イギリスだってそうだし、アメリカだってバランシンの影響があるにしてもアメリカのバレエだなって感じがするじゃないですか。日本は何故いつまでも海外の真似をして、海外のスターを呼んで公演をしているんでしょう。

山野 つまりはね、海外に繋がっていることで日本というのは評価される。

金森 そう! それが情けなくてしょうがない。

山野 う~ん。そこが日本なのね。でもね。バレエの歴史というのは500年あるわけよ。

金森 そうですね。

山野 日本のバレエの歴史っていうのは、まだ100年ほどなんだよ。無理だよ、まだ。

金森 なるほど。これからですかね。

山野 これからは、あなた方の番だね。やらなきゃならないね。

劇場専属舞踊団

山野 日本のバレエというのはね、スタートがそうだったから、なかなか劇場でバレエをやるというスタイルになってこなかったんですよ。だから、日本のバレエ団は個人名がついているわけ。海外でね、個人名のついているバレエ団は少ない。

金森 そうですね。海外では結局、劇場がその国や街の文化政策として運営されているから、その劇場専属の舞踊団も当然その国や街の名前が付けられていますね。

山野 向こうは劇場に舞踊家が棲んでいるわけですよ。日本みたいに個人がバレエ団を創って、劇場を借りてやるんだということを考えた人は、世界でディアギレフが最初。日本はずっとディアギレフ・スタイル。

金森 でも、ディアギレフは天才的なプロデューサーとして、すごい芸術家たちを集めてやっていましたよね。日本の舞踊団はバレエ団のトップの方がいなくなると成り立たなくなってしまう。

山野 そういう在り方は世界では非常識で、劇場についてるバレエ団というのが常識なんですよ。そう考えると、りゅーとぴあに在るNoismっていうのは世界の常識に適っているわけだよね。日本では他に新国立劇場しかない。やはり、それ以外にも公的なところが舞踊団を持とうとして劇場を提供してくれるようなシステムが出てこないと世界と伍していけないわけよね。

金森 なんでできないんですかね。

山野 まだまだ、世間の関心が低いんですよ。

『ラ・バヤデール』平田オリザ脚本

山野 今回の『ラ・バヤデール』では平田オリザさんが脚本を書いているということですけど、平田さんとはどういう関係性があったんですか?

金森 2年前の夏に演出家の鈴木忠志さんが拠点とされている利賀村の演出家コンクールで審査員を依頼された際に、平田さんが審査委員長でしたから、お会いしたんです。初めてお会いしたのはおそらく10年近く前だと思うのですが、ゆっくりとお話ししたのはそこが初めてでした。利賀村に入っていると演劇を観る、あるいは食事をする以外の時間は空いていますから、そこにいる専門家たちと非常に密な話ができるわけです。そんななかで平田さんにどんどん興味を持つようになって、「いつかNoismのために脚本書いてください」って言ったら、「いいですよ」と言ってくださって。

山野 平田さんの芝居は観たことあるの?

金森 稽古を見せていただいたことはありますが、舞台はまだ生では無いです。映像で観て感銘を受けたのと、書かれた本を幾つか読んでいます。でも、平田さんの演劇的なものをNoismで表現したいということではなく、彼の論理的構築の仕方や政治に深くコミットしているところに強く関心を持ちました。“なぜ平田オリザだったか”と言えば、やはり「政治」というキーワードですね。新しく劇的舞踊を考えるにあたり、社会的なことを盛り込まないといけないと感じた。今、我々が直面している社会的な問題や課題をもとにした戯曲を書くために、シンプルに深い洞察ができる人っていうのは、やはり平田オリザさんだな、と思ったんですね。そしたら、もう想像以上の脚本が来ました。今、まさに考えるべきことだし、創るべきものだし、皆さんにお届けするべき物語になりましたね。

山野 なるほど。

金森 平田さんは、要望があれば書き直すし何かを加えたいという希望もウェルカムだからと言ってくださいました。なので、結構自分のアイディアも盛り込んでいただきながら、今、第6稿まで詰めていただきました。

山野 そうなの! すごいねぇ。

金森 ありがたいです。

山野 そういうやりとりがあるというのがいいね。音楽や美術や照明など、その他の要素というのはどういうふうに?

金森 衣裳を宮前義之さん、空間は田根剛さん、木工美術を近藤正樹さん、そして今回は新たに笠松泰洋さんに音楽の部分をお願いしています。今回の創作にあたり、やはり彼らだなと強く思いました。彼らが『ラ・バヤデール』の物語を通して、今の時代の課題をどう考え、表現するのかに興味があります。世界的な視座を持って活動している同時代の信頼できるクリエーターたちですね。

山野 なるほど。楽しみですね。

金森 ありがとうございます。楽しみにしていてください。

(2016.3.22/りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館)

(取材・文: fullmoon / aco ) 

PROFILE  |  やまの はくだい

舞踊評論家。1936年(昭和11年)4月10日、東京生まれ。1959年3月、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1957年より、新聞、雑誌等に、公演批評、作品解説等を書き、今日に至る。文化庁の文化審議会政策部会、同芸術祭、同芸術団体重点支援事業協力者会議、同人材育成支援事業協力者会議、日本芸術文化振興基金運営委員会等の委員を歴任。文化勲章、芸術選奨、朝日舞台芸術賞、橘秋子賞、服部智恵子賞、ニムラ舞踊賞等の選考、国内各地の舞踊コンクールの審査にあたる。舞踊学会、ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク、日本洋舞史研究会等に所属。日本洋舞史を舞踊家の証言で残す連続インタビュー企画《ダンス=人間史》の聞き手をつとめる。《舞踊批評塾》主宰。インターネット舞踊批評専門誌「ダンス・タイムズ」代表。舞踊関係者による《まよい句会》同人。2006年、永年の舞踊評論活動に対し、文化庁長官表彰を受ける。NoismサポーターズUnofficial会員。2021年(令和3年)2月5日永眠。享年84。

『still/speed/silence』立錐の余地ない利賀山房。木の香、闇、切っ先鋭い音、そして…

2019年9月22日(日)、第9回シアター・オリンピックスにおいて僅かに2回だけ上演されるNoism0『still/speed/silence』、その2回目を観に行ってきました。会場は富山県の「合掌文化村」利賀村、利賀芸術公園内の利賀山房(キャパ:250名)です。

いきなり少し時間を遡り、尚且つ、極めて個人的な事柄から書き起こしますが、ご容赦ください。

2019年6月30日(日)、まだこの年の夏があれほど暑い夏になるとは予想だにしていなかった頃、シアター・オリンピックス公演チケットの電話予約受付が始まりました。全公演一斉の受付でしたから、電話は容易には繋がりません。

更に会場・利賀山房に行くには、どうやっても山道をくねくね行く以外のアクセスなどある訳がありません。ネットで調べて以来、「細い山道じゃん。怖い」と尻込みする連れ合いはまだ行く決心がつかずにいました。「ひとりで行って」、お昼過ぎにそう言いながら電話をかける手伝いをしてくれていた彼女の電話の方が繋がるのですから皮肉です。というか、運命だったのかも。ふたりで行くことになったからです。

それから80日強を経て迎えたこの日、9月22日。件の山道を含む新潟・利賀間往復630km、合わせて8時間の日帰り自動車旅。距離的な隔たりはそのまま時間的な隔たりであり、それを越えていく移動はまさに「CREATING BRIDGES(橋を架ける)」がごとき趣きでした。半端ない緊張を強いられた運転の末、なんとか無事に利賀芸術公園に到着したのは午前11時。開演前にグルメ館を訪れて、友人・知人にも会い、ボルシチやらパスタやらを楽しんで、緊張をほぐした後、いざ、利賀山房へ。Noism0『still/speed/silence』です。

前売りは完売、キャンセル待ちの長い列もできていました。開演20分前の13:40、整理番号順に入場開始です。コンクリート造りの建物内に入り、靴を脱いで、会場に進むと、いきなりの明から暗。目に飛び込んでくる能舞台を思わせるステージも柱を含めてほぼ黒一色。唯一の例外は、その奥の襖が淡い黄のような色をしているのみ。足下、木造りの階段席は、鼻孔に心地よい木の香を伝えてきます。これが最後の鑑賞機会とあって、できるだけ詰めて座ることを求められた客席は立錐の余地もないほどで、腰を下ろした際の姿勢を変えることすらままならないくらいでした。

14:10、ステージ両脇に配されたテグム、筝、打楽器の生演奏が始まり、切っ先の鋭い楽の音が場内の空気を震わせるなか、上手側から黒い衣裳の金森さんが姿を現し、舞台上手の柱脇に置かれた楕円形の鏡を前に座ると、虚ろな目でそれを覗き込み、微動だにしません。そこに下手側から井関さんが登場。井関さんも黒い衣裳ですが、黒いのは衣裳だけでなく、鋭い目をした井関さんの存在そのものが妖しく危険な黒さを発散して止みません。このふたり、イニシアティヴを握るのは井関さんで、絡んでは、挑発し、操り、翻弄し、挑んだ挙句、金森さんの存在をその黒さで侵していきます。侵犯、越境、同化、葛藤、否定、争い…、そうした、まさに闇が跳梁する舞台。「黒」の権化、井関さん。こうした役どころは実に珍しいと言えます。

受け止める私たち観客は、目と耳に加え、鼻まで預けきったうえ、身動きもかなわず、ほぼ五感を握られ、既に手もなく、怪談じみた作品世界へと幽閉されてしまっています。否、日常から非日常へと、あらゆる隔たりを自ら越えて、進んで幽囚の身となることを選んだ者たちですが。

確かに、既視感めいたものもなくはありません。実際、能の『井筒』に似ているとの言葉も目にしましたし、坂口安吾『桜の森の満開の下』のようだと言う友人もいます。更に勅使河原宏『砂の女』めいたテイストがあるようにも思われました。しかし、そうした類似性を持ち出してみたところで、なおこの『still/speed/silence』が屹立するのは、実演芸術としての「一回性」が極限まで際立っているからだということに尽きるでしょう。私たち観客はむせ返るような場内に与えられたほんの僅かな専有面積に座して、あの50分を、五感を総動員して、共に生きたのですから。

ラスト、男は果たして女を殺したのか。はたまた、「真に殺された」のは男の方だったのか。答えは私たち一人ひとりに委ねられたままですが、正面、最奥の襖が開くにつれ、一面の黒のその向こう、建物の外の斜面に自生する草の葉の鮮やかな緑色が溢れんばかりの四角となって拡がり出し、私たちの目に飛び込んでくるではありませんか。美しさに固唾をのむ客席。そしてそれとともに一陣の涼風が私たちの顔を吹き抜けていきました。そのときの2重の「快」は、客席で見詰める私たちの人生に直にもたらされた「快」以外の何物でもなく、利賀山房でしか成立しない「快」だったと言えます。井関さんはその眩しいばかりの「緑色」のなかに姿を消し、次いで、襖が閉ざされると、戻ってきた闇のなかに残された金森さんも下手側に歩んで去っていきました。

緞帳はありません。楽の音が収まるが早いか、無人となった舞台に向け、盛大な拍手が送られました。それに応えて、金森さんと井関さんが現れると、音量は更に増しましたし、あちこちから「ブラボー!」の声が飛び交いました。それぞれの人生に物凄い50分間を作り出してくれたことに対して、拍手を惜しむ者はいません。やがて、大きな拍手がこだまするなか、ふたりは下手側に歩み去ります。場内後方、出入口付近に控えていたスタッフが何度か「どうも有難うございました。これで…」と終演を告げようとするのですが、観客は誰一人拍手を止めませんし、誰一人席を立とうともしません。薄暗がりの中に金森さんと井関さんの姿が微かに認められることもあったのかもしれません。拍手の音はますます強くなる一方でした。その流れで、笑顔のふたりが再びステージ中央に戻ってくると、それからはもうやんやの大喝采とスタンディングオベーションになるほかありませんでした。そんな予定外のなりゆきも渾身の実演芸術ゆえ。この日、利賀山房にいて、この「50分」を共有した者は、その「熱」を一生忘れないのだろうな、そんなふうに思いました。

「芸術の聖地」、その言葉が大袈裟でないことをまざまざと体感し、上気したまま新潟へと自動車を走らせたような次第です。様々な隔たりを越えて利賀に行って良かった。そんな思いを抱く豊穣な一日でした。

(shin)