「Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て」再掲載(2026/07/05 新潟公演千穐楽)

2026年7月5日(日)、Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』の新潟公演千穐楽。
艶めかしさが横溢するところに、シュールな要素が交錯する前者は瞬きするのさえ惜しく、見詰め過ぎたせいか、ドライアイ状態になり、後者には徹頭徹尾、音の洪水と群舞の迫力に圧し潰され、全存在を揺さ振られ、その2演目、もうこれ以上は望めないほどに分厚い時間を目いっぱい堪能し尽くしました。

新潟公演楽日のこの日、見詰める最中に私を捉えて離さなかった思いをここに書き記しておくなら、こうです。
舞台上、舞踊に献身する舞踊家という、この世のものとは思えないほどに美しい生き物を観た、と。

この日はそれが全てですし、未だネタバレは出来ない状況から書かない方がよいことだらけなのですが、前日、話に出した『私は海をだきしめたい』冒頭の「変更」の有無についてだけはお伝えしておきます。結論から言えば、前日(3日目)とまるっきり同じではありませんでしたが、かと言って、全くの別物でもなく、「新潟version2b」くらいの表記が相応しいものだったように思います。果たして、埼玉公演ではどうなるのでしょうか。とても興味をそそられるものがあります。

この日、新潟公演千穐楽の舞台を目撃し、このブログを書くにあたって、現時点で、書き得ることはほぼ全て、初日に、新潟・市民映画館 シネ・ウインドさんから依頼を受けてものした拙稿のなかに書き尽くしています。(全公演が終わったときには、書きたいことはありますが。)
そこで、シネ・ウインドさんの許可を得て、ここにその文章を、一切の改稿を行わず、体裁もそのままにこのブログにも再掲載させて頂きます。
私個人の思いに過ぎない文章ではありますが、読まれた皆さまが、3週間後、埼玉公演を観る選択をして頂くために、少しでも背中を押すことに繋がれば、そう願う気持ちがあります。
実にイレギュラーなことで、既に読まれた方もいらっしゃるかとは思いますが、是非、このタイミングでもお読み頂きたく、ここに再掲載致します。

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Noism『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日を観て

 2026年6月27日、Noism夏公演の初日の舞台を観てきた。渾身の2演目には徹頭徹尾、圧倒され通しだった。同時に、新潟市民としてシビックプライドをかき立てられずにはいられない「公共劇場専属舞踊団」という在り方でのNoismを観る機会がこれを含めて3回になってしまったことを残念に思う気持ちもある。今回も物凄い舞台を目撃したからである。


 印象的な赤と黒、静謐なタブローを思わせる『私は海をだきしめていたい』。官能的でいて、パリのエスプリ要素やアラン・レネ『去年マリエンバードで』のような不条理も香しい。休憩を挟んだ後は、情動を煽りたてて止まない激烈な改訂版『春の祭典』。神経症的不安が募る季節、「木の芽どき」としての「春」に身の毛もよだつ思いはどんどん加速していった。そんな静と動、真逆とも言える2演目を併せて観る公演はまさに豊穣そのものであり、贅沢なことこの上ない。
 しかし、この舞台、観終えたとき、人は、(今回もまた、)せいぜいが「良かった」「凄かった」或いは「美しかった」くらいの陳腐な言葉しか出てこないことに絶望するほかない筈である。観る者を感動にうち震わせておきながら、いざ語ろうとすると、その言葉の限界にまざまざ直面させては、絶望に苛まれることを余儀なくさせてしまう舞台、それがNoism。幾百、幾千もの言葉を費やして語ろうとも、その絶望はおおよそ変わらない。舞踊への献身のみが可能にするその境地、まさに語り得ないのである。
「自由に観てくれればよい」、金森さんは常にそう言ってくれるのだが、ことによると、その「自由」ほど厄介なものもないのかもしれない。その「自由」。「わかる/わからない」の次元とは一線を画すものなのだが、容易に言語化されたり、要約されたりしない舞台を「自由に」見詰めることが、市民への浸透という積年の課題にとってある種の障壁となっていたのかもしれないとすれば、実に皮肉なことと言えようが、それも今は別の話か。ともかく、舞踊家の身体が、言語を介することなしに、音楽と照明、限られた装置と渾然一体となって、客席にいるこちらの身体に届き、そこに共振が始まるや、そこからはもう感情は揺さぶられっ放しになり、最後には陶然となって、大きな感動に包まれている自分を見出すことになるのである。その一期一会の生々しさの体験はまさに「事件」と呼ぶに如くはなく、足を運ばぬことを選んでしまうのは実に勿体ない。


 これまで、Noismの公演時間にあって、観ることが出来るにも拘わらず、それを選ばずに、その一時間強を、それに勝る豊穣な時間にする術などついぞ思いつきもしなかったので、可能な限り、公演会場を訪れることにしてきた。足を運びさえすれば、(たとえ何度目の鑑賞であったとしても、)その都度、(その一度限りの)途方もない渾身の舞台を総身で受け止める至福にあずかることが出来るからである。そして今回、幸い、埼玉もさして遠くはないのだし、全公演を観ることが出来る僥倖を有難く噛み締めている。他の選択肢などあり得ないし、別に難儀なことなど何もない。この「語り得ぬもの」を目撃する時間が私の人生にとってかけがえのないものであると確信するからである。
今、私はNoismをだきしめていたい。  (2026/06/27)

              NoismサポーターズUnofficial 下村 伸


    (初出:新潟・市民映画館 シネ・ウインド公式サイト『新着情報』(2026/06/28)

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(shin)

「それ」も想定内だった♪『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』新潟公演3日目(アフタートーク付き)。

先週の2公演はまだ水無月でしたが、2026年7月4日(土)、この日は月が替わって、気温も上昇した文月のりゅーとぴあ〈劇場〉で迎える『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』新潟公演3日目です。

中5日で迎えた公演3日目でしたから、「それ」はもう充分に想定内でした。そしてやはり「それ」を目にすることになりました。『私は海をだきしめていたい』のまさに冒頭部です。「それ」とは何か。お察しの早い皆さんは既にお気付きかと思います。そう、冒頭部に演出の変更があったのでした。よりスタイリッシュになった感があります。もとより、変更など、金森さんには別に珍しいことでもありませんし、中5日も挟むのなら、「絶対あるだろう」そう思っていた程です。とりあえず、明日もこの日と同じ冒頭部だろうと考えて、「新潟version2」としておきますが、もしかしたら、明日も変わることで、それぞれ「新潟3日目version」と「新潟楽日version」となることだってあるかもしれません。金森さん作品、そうした点でも一期一会なのです。

今日のブログですが、先ずは入場時にお手許に届く「Noism Supporters Information #14(June 2026)」のご紹介から始めさせて頂きます。金森さん、井関さん、そして山田勇気さんからのメッセージは必読ですので、こちらにも掲載したいと考えました。少々見にくいかもしれませんが、ピンチアウトしてご覧頂けましたら幸いです。

この日も「希望」に満ちた「身体の咆哮」はとても胸熱で、見詰める私たちの身体を熱く熱くしていってくれました。大きな感動に揺さぶられました、この日も。しかし、ネタバレは出来ませんし、そうした舞台の素晴らしさすら、ほんの「想定内」でしかありませんし、また、初日と2日目のブログにも(ネタバレなしで)それなりに書いてありますしで、今ここでこれ以上の記述はしないでおきます。否、する必要があるとは思えません。

その代わりに、ここでは、終演後に行われたNoismメンバーたちによるアフタートークについてご紹介させて頂くこととします。

この日の進行役は山田勇気さん、そして、Noism1の中尾洸太さん、庄島さくらさん、庄島すみれさん、坪田光さん、糸川祐希さん、太田菜月さん、松永樹志さん、春木有紗さん、Noism1凖メンバーの江川瑞菜さん、与儀直希さんが登壇されました。

広角に全員を1枚に収める画像は撮れませんでしたので、先ずは画像2枚でのご紹介です。(重なるメンバーもいます。)
【1枚目】左から、山田さん(進行)、坪田さん、糸川さん、与儀さん、すみれさん、中尾さん、春木さん。

【2枚目】左から、与儀さん、すみれさん、中尾さん、春木さん、さくらさん、松永さん、太田だん、江川さんです。

(これ以降の画像は、メモをとる傍らに撮ったものであるため、目の前にいたメンバーのものが多くなっております。ご了承ください。)

それではトークについて、掻い摘んでのご紹介です。(なお、演出に関する質問もあったようですが、この日は実際に踊った舞踊家への質問に限るかたちでの進行となりました。)

Q: 傘や帽子といった小物を持っての踊りについて
 -坪田さん:
 毎回どきどきする。傘は速く動かしたいけれど、空気の抵抗で煽られてしまう。角度が揃うようにとか、帽子は速くかぶるようにとか気を遣う。
 -糸川さん: 帽子はレディースにかぶせたり、自分でかぶったり。サイズも違うので、交換し合ったりしている。(「一番大きなサイズは自分」と坪田さん。)
 -すみれさん: 動きのなかで帽子をとったり、かぶせたりするが、目のところまでかぶせてしまうと、見えなくて踊り難そうなので少し難しい。傘もちょっとした角度で平行に見えなくなってしますし、軸をしっかり持って踊るのは大変そう。

Q: 踊っている感覚なのか、演じている感覚なのか
 -与儀さん(『春の祭典』のみ出演): 今回、曲を覚えるところから始まり、踊っている感覚だったが、今はエモーションが聞こえてくるようになり、演技の感覚もある。
 -中尾さん: 演じている感覚はそれほどない。無意識に陥り過ぎないように意識しよとしていて、表裏一体。どっちが表でどっちが裏かわからないべた~っとした状態。
 -春木さん: 自分が音楽と合わさったときに踊る感覚。演じている訳ではない。「演じている」を出すために、動いたときに出るものを積み重ねていくようにしている。

Q: 2週に跨る公演、どう過ごしてきたか
 -さくらさん:
 最初は詰めてやってきていて、気持ちを結構あげていた。その2公演の後は、客観的にどう見えているのか、冷静になれて、どうやったらスムーズにいくかなど「研究」することが出来ている。
 -松永さん: オフが2日あって、その間はしっかり忘れて休んだ。そうしないと心と頭がもたない。
 -太田さん: 2日間、何も考えずに休むことにして、趣味の映画や温泉を入れて、何とか乗り切れた。
 -江川さん(『春の祭典』のみ出演): 気持ちの持って行き方や集中の持って行き方、よい緊張感を保っていくのは難しいなと感じた。

Q: 『春の祭典』は変拍子の曲。拍で踊るのか、音で踊るのか
 -坪田さん:
 2020年のこのクリエイションが始まった頃には、全部数えていた。楽譜が用意されて、全部カウントした。今は、数えているところと、音でいこうとしているところとそれぞれがある。
 -春木さん: 今回から加わったメンバーは、結構、カラオケ的に歌えるようになっていると思う。5とか、6、7,4だったり、自分の音は歌えるようになっている。

Q: 動きや振りを他者に伝えるときに意識していることは
 -中尾さん:
 最初はあまり言語化しなくていい。言語化すると、情報を限定しがちになるので、オノマトペを使うとか、ざっくりした言い方やふわっとした言葉で伝える。

Q: 『春の祭典』は、ひとり間違えると目立ってしまうが、もし間違えたらどうするか
 -松永さん:
 間違えではないが、今日はちょっと事故ってしまい、椅子を踏み外して、「破壊」してしまった。しかし、焦ったら、次に響いてしまうので、やることに集中してやることに。それから、まわりに頼る。「折れた破片、どうしよう?」と思ったが、洸太くん(=中尾洸太さん)が走ってくるので任せた。結構、助け合いもある。
 -糸川さん: 『春の祭典』は、椅子の配置、フォーメーション、バミリも多くて大変。間違えたときには、後に引き摺らず、「今」に集中することが大事。
 -山田勇気さん(司会): 自分のなかに、「挽回しよう」だとか、いろんな自分がいる。最善にするために、自分のなかで自分とのコミュニケーションが起こっている。

Q:) 演劇と比べて、抽象度が高くて、感情が生々しく伝わってきて驚いた。とても現代的と感じたが、この先のビジョンは
 -山田勇気さん:
 踊っている立場からすると、音楽やスタイル、ジャンルは変わっても人間はそう変わっていないので、ずっと同じことが繰り返されている。生身の人間がそこにいることを感じさせる舞踊の価値そのものは変わらない。

Q: 『春の祭典』は当初、オーケストラが踊り出したらという設定でクリエイションされた。それぞれどんな楽器が割り当てられているのか
 -山田勇気さん:フレンチホルン、 坪田さん:ティンパニー、 糸川さん:オーボエ、 
与儀さん:ビオラ・トランペット、 すみれさん:クラリネットほか、 中尾さん:フルート・アルト、 春木さん:ファゴット・ヴァイオリン・ピッコロ、 さくらさん:ヴァイオリン他、 松永さん:ホルン、 太田さん:ファゴット・ヴァイオリン、 江川さん:フルート 

Q: 表現するとき、どんなことを意識しているか
 -坪田さん:
 このような舞台では全身が見えるので、全てをどう見せるか。
 -糸川さん: 舞台で存在していくのにエネルギーを回して、立っているだけで魅了出来るように。そして、外の環境や空気を動かすこと。
 -与儀さん: 身体の外、空間を意識している。そして目の使い方。あと、「次のこと」は考えないようにしている。
 -すみれさん: 目は大事。あと、外から見られている意識。
 -中尾さん: みんなの答えに加えて、どこから照明が当たっていて、どこにどう影ができているかなども表現に含まれる。
 -春木さん: 空気全部を動かすこと、自分のなかを満たすこと。
 -さくらさん: 表現が小さくなってしまわないこと。想像して、どういう表現が出来るか考える。
 -松永さん: 身体の前から出るエネルギーだけではなく、後ろから出るエネルギーも。
 -太田さん: 客観視すること。燃やし切ること。
 -江川さん: 全身。ふとしたときに抜ける瞬間のないよう心に留めている。


…と大体、そんなところでしたでしょうか。 (~17:20)

「ホーム」新潟では、4公演のうち、気付けば明日、楽日の1公演を残すのみとなりました。もう寂しさがひしひしと。ですから、その部分の癒しにでもなればと思い、終演後に撮らせて頂いた素敵な画像を一枚を投下致します。ど~ん♪


どうです。太田さん(左)と春木さんの素敵過ぎる笑顔画像に、もうキュン死寸前です、私。このおふたりを含めて、舞踊家の全員の「希望」に満ちた「身体の咆哮」に共振するべく、明日の舞台も是非!見逃しはなりませんよ!
果たして金森さんはまた変えてくるのか、それも見どころとしてありますね。また明日、新潟公演楽日の劇場でお会いしましょう♪

(shin)

「纏うNoism」#12:松永樹志さん

メール取材日:2026/05/23(Sat.)&07/02(Thurs.)

Noism夏公演の『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』、その新潟公演の1週目と2種目の間、かな~りお忙しい筈なのに、それでも律儀にメール取材に応じて頂いたのは「ザ・男前」松永樹志さん。気持ちの切り替えが上手いんですね。それ、実に羨ましいです。ですからこのタイミングでもお届け出来ちゃうんです、「纏うNoism」第12回、松永樹志さんの回。どうぞお楽しみください。

「おしゃれのポイントは服自体よりもむしろ、着こなし方にある」(オノレ・ド・バルザック)

それでは「纏う」松永樹志さん、はじまりです。

纏う1: 稽古着の松永さん

 *おおっとぉ、意表を突くご登場ですねぇ。画像の上下はこれでよかったのですよね。これは寝ているのでしょうか。はたまたなにか瞑想中とか。どちらにせよ、稽古の合間とお見受けしましたが、この日の稽古着のポイントを教えてください。

 松永さん「稽古着は、リハーサル中に自分の気が服に散らないよう、なるべく黒でシンプルなものをいつも選んでいます」

 *なるほど、黒でシンプル。着る物は気持ちに影響与えますからね。黒がお好みなのかと思いますが、なかでも「コレは特別♪」っていう位置付けの黒の稽古着ってありますか。特に気合を入れるときなどに着るものとか。

 松永さん「Noism20 周年のTシャツですね!」

 *あ、私たちと同じ感覚! わかります。あの黒Tシャツにはパワーを貰えますよね。確かに特別です。画像に戻りますが、上がTシャツ、下はフルレングスのようですが、やはりその組み合わせが基本でしょうか。

 松永さん「この組み合わせが基本です。動きやすさが理由です」

 *そうなのですね。あと、「黒」と言えば、金森さんが「ユニフォームが出来た」と喜ばれていた「ニュートラルワークス」もそうですが、あれはどんなときに着るのですか。また、「今日は着るように」と言われる日はありますか。

 松永さん「本番前に身体を冷やさないようにするために着たりします。集合写真を撮るときは着るように指定があったりします」

 *「ユニフォーム」ですものね。で、次は皆さんにお訊きしている「お約束」の質問になるのですが、お好みの靴下などありますか。お気に入りポイントも教えてください。

 松永さん「こだわりはありませんが、いつもUNIQLOのものです。本番で用意される靴下がUNIQLOのものなので、普段から同じものを履けることが良い点です」

 *ユニクロのソックスを好まれていたのは、坪田光さん、樋浦瞳さん、糸川佑希さんがそうでしたね。ところで、お訊きしたくてたまらなくなっちゃったことがあって。衣裳とは直接関係ない質問にはなるのですが、稽古着画像でのポーズ(?)はもしかすると、何かウォーミングアップのルーティーンのようなものですか。ジグソーパズルのピースのようにさえ見えますけれど。また、Noismの皆さんのなかで、松永さんは身体は柔らかい方ですか。

 松永さん「休憩中に爆睡していたときで、ストレッチしていたわけではありません(笑)。体の柔らかさは中の中だと思います(笑)」

 *あっ、寝てたんだ、やっぱり。あの姿勢で。で、軟体レベル的には「中の中」と。それ、どセンターじゃないですか(笑)。なるほど、わかりました。
一度そう見えちゃうと、そこから先、もうどうやってもジグソーパズル感満載に映りますけれど、でも、どんな格好でも絵になりますね。

纏う2: 松永さん思い出の舞台衣裳

 *これまでの舞踊人生で大事にしている衣裳と舞台の思い出を教えてください。

 松永さん「4年ほど前、コンクールに出場した時の衣裳です。これは、もともとあった上下白の衣裳に、自分で黒やグレーの絵の具を撒き散らして製作しました。Noismに入団する前、最後に参加したコンクールでした」

 *モノクロの画像なのですが、黒やグレーが撒き散らされたモノトーンの衣裳だったのですね。

 松永さん「はい、モノトーンの衣裳でした」

 *その衣裳を仕上げるにあたって、どんなことを考えて作られたのでしょうか。衣裳作りはご自分で行うのですか。ご自分では得意な方とお考えでしょうか。

 松永さん「ボロボロのような、汚れているような感じでつくりました。普段は衣裳の方に作ってもらうのですが、その時は時間がなく、自分で急遽仕上げました。美術の成績は学年1位2位を争う感じだったので笑、こういうことは得意な方だと思います」

 *そうなのですね。凄い、凄い。で、その衣裳を纏って、どんな曲で、どんなダンスを踊ったのでしょうか。

 松永さん「ピアノとストリングスがメインのスローテンポな曲で、暗闇の中から這い上がって一筋の光を掴むといったようなテーマで踊りました」

 *ああ、はい、そんな感じ。見えます、そんな感じに。そのコンクールについて、よろしければ、もう少し教えて頂けますか。

 松永さん「埼玉全国舞踊コンクールというコンクールに出場しました。入賞は出来ずでした(笑)」

 *それは残念。いい雰囲気の魅力的な画像なだけに…。

纏う3: 松永さんにとって印象深いNoismの衣裳

 *Noismの公演で最も印象に残っている衣裳とその舞台の思い出を教えてください。

 松永さん「『セレネ、あるいは黄昏の歌』です。この作品は、初めてNoism0・Noism1のメンバーと参加した作品でした。衣裳は一人ひとりデザインが違っており、自分のデザインもお気に入りでしたが、すみれさん(=庄島すみれさん)のフワフワしたトップスが印象的で、暇があればみんなが触っていたのを覚えています(笑)」

 *すみれさんの「ふわふわしたトップス」、剝ぎ取られてしまうアレですよね。実際、松永さんも触ってみましたか。どんな印象?肌ざわり?ふわふわ感?でしたか。そのあたり教えてください。

 松永さん「触った感触は羽毛のような感触でした。ずっと触っていたいくらいだったのですが、手に毛がつくので程々にしておきました」

 *程々! 理性が欲望に勝ったのですね(笑)。

 *Noism Web Site へのリンクを貼ります。
『セレネ、あるいは黄昏の歌』、2024年5月、前沢ガーデンでの画像翌6月、20周年記念公演「Amomentof」のときの画像をどうぞ。

 *『セレネ、あるいは黄昏の歌』。衣裳だけ見ていると、みんな妖精っぽい雰囲気です。松永さんの衣裳は着丈の短い半袖に、下はフルレングスで、それぞれ袖口も足元もすぼまっていて、かなり手がこんだものですよね。最初、それが自分の衣裳だと知ったときの第一印象はどんなものでしたか。また、ご自分の衣裳のお気に入りポイントはどこですか。

 松永さん「最初はヒカルくん(=坪田光さん)が着ていた衣裳が自分の衣裳だったのですが、全体のバランスなどをみて交換になりました。第一印象は、交換した後の実際に着た衣裳の方が自分に似合っているような気がして、お気に入りでした。クロップド丈のジャケットがお気に入りでした」

 *おお、それは、それは。交換後のものが気に入って良かったです。

纏う4: 普段着の松永さん 

 *こ、これはっ! キラースマイルといい、もうキュンキュンくるやつやないかい。

 松永さん「ありがとうございます(照)」

 *さりげなくも、爽やかさが前面に出てきて、しっかりお洒落ですね。この日のポイントと普段着のこだわりを教えてください。

 松永さん「この季節は基本的にワイドめのデニムにタンクトップをインして、シャツを羽織るスタイルが多いです。足が太いので個人的にスリムなパンツはNGです(笑)」

 *お好みのデニム、ブランドなども教えて貰えますか。加えて、タンクトップやシャツのお好みやこだわりなどについてもお願いします。

 松永さん「ブランドにこだわりはないのですが、デニムはある程度ダボっとしているものを選んで、シャツはクロップド丈のものを選ぶことが多いです。タンクトップはUネックで、ネックレスをポイントにつけることが多いです」

 *はい、普段着でもクロップド丈! そうなんですね。 もうひとつお訊きします。身に着けておられるベルトも印象的なバックルをしつつ、全体を引き締めていてお洒落です。この日使っているベルトについても(ブランドやお気に入りポイント等々)教えてください。また、ベルトは何本くらいお持ちなのですか。どんな色目のものがお好みですか。

 松永さん「ベルトのブランドは忘れてしまいましたが、バックルがゴールドなところがお気に入りです。2種類を使い回しており、もう一つはシンプルな細めのブラックのベルトを使っています」

 *ここまでを通して感じたのは、安易にブランドで選んだりせずに、自分が似合う「好き」を見つけてくることが上手いこと。そのへんにも「男前」な割り切り方が感じられますし、何より、そうした姿勢がホントお洒落です。
松永さん、どうも有難うございました。

松永さんからもサポーターズの皆さまにメッセージをお預かりしています。

■サポーターズの皆さまへのメッセージ

「いつも応援ありがとうございます!
いつ皆さんにバッタリお会いしても良いように、普段からオシャレするよう心掛けます(笑)!」

やめてください、松永さん。キュン死しちゃいますから(笑)。でも、りゅーとぴあ界隈では偶然にお見かけすることもちょっぴり期待しつつ、きょろきょろすることになりそうです。てか、なります。楽しみです。
そして、週末の2公演、その後の埼玉での2公演も楽しみなのは言うまでもありません。頑張ってください。応援しています。お忙しいなか、本当に有難うございました。

これまで、当ブログでご紹介してきた松永さんの他の記事も併せてご覧ください。

 「私がダンスを始めた頃」#25(松永樹志さん)
 「ランチのNoism」#25(松永樹志さん)

今回の「纏うNoism」松永樹志さんの回、いかがでしたでしょうか。では、次回もどうぞお楽しみに♪

(shin)

『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』新潟公演2日目(アフタートーク付き)レポート(2026/06/28)

2026年6月28日(日)、気温もあがり、蒸し暑かった新潟。しかし、それに負けず劣らず熱かったのは、りゅーとぴあ〈劇場〉のNoism界隈ではなかったでしょうか。

前日、公演初日のブログを書いてくださった久志田渉さんが、「詳細」を伏せつつも、なるべく早い入場を勧めていたこと、(その「詳細」も既に各種SNSにて広く知られた感がありますが、ここではまだ頑なに伏せつつ進めさせて頂きます(笑)。ご了承ください。)それに関連して、開演前のホワイエは普段の光景とは様相を異にし、その熱気は弥増すばかりでした。さすがの金森さんとはいえ、『ヴェクサシオン』の旋律を840回繰り返し、一曲通しで流すことこそしませんが、そのピアノのリフレインのなか、ルネ・マグリットっぽいシュールさを演出してくれています、とだけ。で、敢えて、私も繰り返します。「詳細」は伏せますが(笑)、今公演はなるべく早く入場された方がよろしいかと。

そんなシュールさから横滑りするかのように、公演2日目の幕が上がりました。官能の『私は海をだきしめていたい』、戦慄の改訂版『春の祭典』、どちらにも渾身の実演を見せつけられ、由って来たるところこそ違えど、心拍数が増加して、耳たぶは熱くなり、ドクンドクンという音が聞こえてくるといった同種の身体反応が生じたのでした。この日のカーテンコールも拍手は鳴りやまず、「ブラボー!」の掛け声が飛び交うなか、幾度も繰り返されることになりました。

ここからは、この日の終演後に開催されたアフタートークについての掻い摘んでのご報告とさせて頂きます。登壇者は、Noism芸術総監督の金森さんと国際活動部門芸術監督の井関さんです。(16:40~17:23)

(なお、このあと、月が変わると、新潟・埼玉併せて4公演が控えている事情から、作品の内容や構成に深く関わり、ネタバレに繋がるものは、今この場ではご紹介いたしませんので、その点、ご了承ください。そうしたやりとりにつきましては、全6公演終了後に「補遺」というかたちでご紹介させて頂くつもりでおります。暫くお待ちください。)

Q: どうしてそんなに踊れる身体でいられるのか?
 -井関さん:
 日々のことをただただやっていたらここまで来た。やればやるほど面白味が出てきた。踊れる幸せを感じる。この先の次元が楽しみ。長くやっていればこそ、見出せる領域がある。ふたりとも負けず嫌いなので、一生懸命ストレッチはしている。

Q: 身体で表現するときに大切にしていることは?
 -井関さん:
 色々あるので難しいけれど…(暫し熟考したのち、)呼吸ですかね。身体の隅々まで呼吸が行き渡るようにすると、身体を感じることが出来る。
 -金森さん: 呼吸のコントロールが一番難しい。
 -井関さん: 呼吸が乱れていると、「酔っているな」と反省する。

Q: パイプオルガンと共演するのはいつか?
 -Noismスタッフ・上杉さん: 来年3月13日になる。

Q: 『私は海をだきしめていたい』をピアノの構成にしたのは何故か?
 ー金森さん:
 小説を読んだ際、ある種のシンプリシティ(単純さ・素朴さ)を感じた。そしてサティの精神を最も反映するのはピアノだろうと。ここまでピアノだけで作品を創ったことはなかった。

Q: 『春の祭典』創作におけるインスピレーションについて。
 -金森さん:
 これまで学んだこと、気付いたことが出てくるのであって、ことさら、何かを入れようというようなことではない。

Q: 昨日と今日、前方席と後方席で観て、見え方が異なった。お勧めの席はあるか?
 -金森さん:
 前で1回、後ろで1回、右で1回、左で1回(笑)。プロセニアム・アーチのなか、見え方は異なる。一期一会でもあるし、見え方が異なるのは劇場文化の豊かさ。

Q: 印象的だった椅子や装置、衣裳など、どのくらいの段階で決めるのか?
 -金森さん:
 1年くらい前、遅くとも半年前には決める。プロダクションが大きくなると2年前とかも。自分の場合、丸投げはしない。椅子についても、(須長檀さんと)「割れたら血が出ている」「五線譜はどうか」などイメージのやりとりを重ねていった。

Q: 最前列から見ても「バミリ」は見えないが、どうやっているのか?
 -井関さん:
 星の数ほどある。彼(金森さん)の場合、曖昧さは存在しないから。『春の祭典』初演時はリノリウムにペイントをしていたので、バミリは大変で、大きいものだった。今回の改訂版では黒いリノリウムなので、割とバミリは見えやすいのだが、脚光がつくと見えなくなって本当に大変になる。

Q: この度の改訂版『春の祭典』には戦争への恐怖を感じる。意図してのものか?
 -金森さん:
 その都度、手を入れているが、今回は凄惨なイメージにした。それには、この時代の危機感が反映している。しかし、虚構のなかで凄惨さを伝えることのなかには、そこに現実は異なることへの祈りや願いがある。

Q: 黒部の前沢ガーデン屋外ステージとここりゅーとぴあ〈劇場〉は大きく異なる舞台だがどう考えているか?(黒部・前沢ガーデンのガーデンマスターからの質問)
 -金森さん:
 空間によって身体は規定される。その空間をどう活かすか。屋外ステージに比べて、自由があるように見えるかもしれないが、制約はある。照明効果で色々なことを表現している。(黒部では、勿論、天井からの照明は釣れないが。)

Q: 今回の作品では、男性と女性、はっきり分かれる演出が見られた。演者それぞれを分けて振付を行っているのか。
 -金森さん:
 あくまでも目の前の舞踊家に振り付けている。その舞踊家からインスピレーションを受けて振り付けている。

Q: 井関さんは男性の身体がいいなと思ったことはあるか?筋肉量は多い方がよいのか?
 -井関さん:
 20代前半には男性みたいに踊りたいと言っていた。表面的な筋肉量は関係ないが、力はあった方がよい。金森さんは筋肉を使う前に、骨が動く。お腹のセンターの力が凄くて、安心感がある。振り回されても大丈夫だなと。しかし、(若い人となら、自分のコントロール内で踊れるが、)これだけ力のある人(金森さん)と踊ると疲れる。それは、自分の「範疇」の外に出されてしまうからで、結構シンドイ。見た目で言えば、筋肉がある方が良いですよね(笑)。
 -金森さん: 性差を超えたところに、表現し得る何かがある。なんとも言えない感じで、究極の贅沢かと思う。若い頃にいたベジャールさんのところには魅力的な男性が多くいて、そのあたりの感受性が強くなった。

Q: 『私は海をだきしめていたい』には鏡面的なものを感じる。どのようにインスピレーションが湧くのか?
 -金森さん:
 小説が持っているものよりも、作家に興味がある。何故こういうものを書いたのか。一人の人間が自他を描く。安吾も自分の内なる女性を描いたということ。鏡面性がある。サティの「繰り返し」に見られる偏執的な精神性に安吾が惹かれた。安吾が書いた同名の短編小説は7部立て、そこからのインスピレーションで、サティの7曲で構成することにした。

…と、(ネタバレに繋がりそうなものは一旦除外して、)大体そんなところでしたでしょうか。頑張ってはみましたけれど、寄る年波もあって、聴きながらのメモもきちんととれなかったりしましたし、これくらいでご容赦願います。m(_ _)m

ご紹介することになる最後の言葉はこのところ金森さんからよく聞くようになったものです。

金森さん: 「ちょっとわからないところがあったなぁ。」そう思ったら、繰り返し観て欲しい。2度観るとわかると言われます。

私もまだまだわかりたいので、来週末もまた観に来ます。是非、皆さまも。
では、これを以ってこの日のブログの締め括りと致します。また今週末に。

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金森穣、Noismメンバーの献身と反骨に滂沱(『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』公演初日)(サポーター 公演感想)

2026年6月27日(土)、ついにNoism0・Noism1『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』が初日を迎えた。金森穣Noism芸術総監督に、「安吾の会」世話人代表、シネ・ウインド代表・齋藤正行が「坂口安吾作品を舞踊化してほしい」と伝えてから長い時が過ぎたが、ついに結実する日を迎えた。

シネ・ウインドや安吾の会メンバーはNoismを長きに渡って応援してきたが、金森穣さんの「退任」、安吾作品の舞踊化とあって、これまで以上に公演の盛り上げに奔走した。寄付を募っての新潟日報紙での「坂口安吾生誕祭120」と『私は海をだきしめていたい』をPRする一面広告掲載(4月24日)、シネ・ウインドでの『私は海をだきしめていたい』特大ポスター掲示や、『ジョン・クランコ バレエの革命児』上映(5月16日〜6月5日)などなど、今回の公演がひとりでも多くの方に届くよう、心を込めて広報を展開した。

そして公演初日に併せて、本日10時からは安吾のご子息・坂口綱男さんの案内による、恒例の安吾の生地・西大畑界隈の街歩きを開催。関東から参加された2名を含む5名の参加者が集まった。今回から街歩きの集合場所が「ゆいぽーと」(旧二葉中学校)に変わったこともあり、綱男さんはまず日本海の風景を見るルートを取った。好天に恵まれ、青く透き通るようだった海もまた、安吾原作の舞踊の誕生を寿ぐように思えたのは、私の牽強付会だろうか。今回の街歩き参加者全員が、Noism鑑賞を予定していたことも嬉しいことであった。


今日のりゅーとぴあでは、Noismに加えて「新潟A・フィルハーモニック第5回定期演奏会」にて「〜坂口安吾生誕120年に捧ぐ〜ジムノペディ ドビュッシー版 第1番」としてエリック・サティの楽曲が演奏された為、両会場で安吾関連書籍の販売も実施。学芸員・岩田多佳子さんによる新刊『新潟県人物小伝 坂口安吾』(新潟日報メディアネット刊)を、多くの方に手にしていただけた。


そして16時半、Noism公演の開場を迎えた。私は書籍販売の為、既に劇場ロビーに入っていたが、開場直前になって『私は海をだきしめていたい』の冒頭で使用されるサティの楽曲が場内に流れ始めた為、「おや? こんなことは今まで無かったぞ」と違和感を覚えた。その答えは間もなく明かされたのだが、今は詳述を控える。ただし、明日以降の公演に出掛ける方はなるべく早めに劇場ロビーへ進んでいただきたい。私は「客席が安全ではない、舞台を他人事に思わせない」Noismを始めとする舞台芸術に心惹かれて来たが、この驚きに満ちた開演間際までの時間は、「客席」と「舞台」、「劇場」と「ロビー」の境界を突破するようであり、金森穣さんの並々ならぬ気合とアバンギャルドさに、「安吾的だよ!」と興奮を抑えられなかった。

そして始まった『私は海をだきしめていたい』初演。詳述は控えるものの、シンプルに研ぎ澄まされた照明の元、安吾描くところの男女の「遊び」をサティの調べに載せて、いつまでもこの時間が続くことを願うような舞踊作品に昇華した金森さんの演出と、躍進著しいNoismメンバーが見せる静謐でいて激しく、艶めかしくも透き通るような舞踊にため息さえ漏れた。初期Noism作品に濃厚だったエロスが、時を経て「性愛」を俯瞰するような成熟を見せたように思う。メンバーひとりひとりの名前を挙げたいくらいだが、今回は特に庄島すみれ・さくら姉妹、太田菜月さん、春木有紗さんの身体表現が安吾描く観念的な「女」に、熱い血肉を与えたこと、その美しさに魂を奪われるようであったことを特筆したい。

公演後、坂口綱男さんに感想を尋ねたところ、「とっても良かった!」とサティの楽曲と安吾の作品精神がピッタリ噛み合った舞台を絶賛されていた。
そして、黒部シアターでも鑑賞した改訂版『春の祭典』もまた、舞台版として更なる高みに到達していた。相互監視や全体主義と、自由を確立しようとする者との相克を私は本作に感じてしまうが、井関佐和子さんと太田菜月さんのある「相克」を描く場面からは涙が溢れ出し、音と身体表現を全身で浴びる喜び、Noismが新潟にあることの僥倖を思い、恍惚にも似たところへ運ばれた。

その後、幾度も繰り返されたカーテンコールの熱さ・温かさには、これまでのNoismのどの公演とも違うものがあったように思う。舞台の為に献身し、圧倒的な芸術を届けることで、カンパニーが追い込まれた苦境を突き破るような、素晴らしき「反骨」。その結実と、豊かな未来を確信させられるようで、いつしか舞台上のメンバーと客席には涙だけでなく、笑顔さえ拡がったのだ。

不可逆の時間の中で、舞台の一瞬にかけるNoismの営為が、坂口安吾が生を受けた新潟の地でまた新しい到達を見せたことを、心から祝したい。

久志田 渉(「月刊ウインド」編集部、安吾の会事務局長)

活動支援会員特典として、『私は海をだきしめていたい』2回目の公開リハーサルを観てきました♪

2026年6月20日(土)、前日に続き、公演まであとちょうど一週間というタイミングで開催された『私は海をだきしめていたい』2度目の公開リハーサルを活動支援会員として見せて貰ってきました。(12:00~13:30)

なお、この日は、視覚・聴覚に障がいをもつ方々及び開志専門職大学の学生さんたちも一緒ということで、入場前のホワイエにはいつもと違う雰囲気が感じられたのでした。

この日は、先ずは『私は海をだきしめていたい』を通しで、続けて、コレクション(ダメ出し)、その後に照明づくりの様子を見せて貰いました。

新作『私は海をだきしめていたい』。私自身、「無頼派」坂口安吾は読んでいる作品が限られていて、恐らくステレオタイプと思われる破天荒で骨太なイメージがつきまとっています。差し詰め、上にもあげた超有名な「汚部屋」写真によって流布されるイメージと言えるでしょう。安吾の同名短編からもその印象は濃厚に感じとられたように思います。

そして観た金森さん×Noismの『私は海をだきしめていたい』は、そのステレオタイプのイメージ通りだったのか。果たして…。

特権的な「赤」の衣裳に身を包んだうえで、そこから露出した肌が視線を惹き付けるその効果も知り尽くす女。一方、黒づくめで、ハットやアンブレラに身を守らせつつ、先ずは安全な場所に身を置こうとする男。そこからの妖艶、頽廃、優美、粗野、虚栄、真実、放縦、孤独、共振、たゆたい…それらが何の違和感もなく同時に成立してしまう時空。それを支えているのは、紛れもなくピアノで奏でられるエリック・サティの音楽。

照明もまだこれから、という段階で観て、もう確信出来た新たな傑作の誕生。約35分間。身を持ち崩してみたい、そんな途方もない衝動さえ禁じ得ないものがありました(笑)。おっと、書き過ぎ、書き過ぎ、ですね。必見! そう書けば、一言で済むところでした。

そしてその後、冒頭部の照明づくりを見せて貰った訳ですが、興味を惹きつけられて、食い入るように見詰めていると、舞台から客席の方に移動してきた井関さんに尋ねられました。
「こうやって照明つくってるの見てて楽しいですか」
「はい。楽しいです。とても」
「でも、これ、延々続くんですよ。結局、さっき1秒が出来上がらなかったし…」
…本当に気が遠くなるような、凄い作り込み方をしているのだなぁ、としみじみ。

冒頭にも書きましたが、公演の幕があがるのはきっかり一週間後。楽しみでなりません。楽しみでない筈がありません。チケットは好評発売中。お早めにお求めください。

そして公演初日の本ブログは、「安吾の会」の久志田渉さんに書いて頂けるよう、只今、調整中です。果たして安吾はどんな人だったのか。久志田さんがこれまで読んできて辿り着いた「深さ」から書かれる記事もまた楽しみです。

さて、私事で恐縮ですが、私が一昨年の秋から「コソ練」を続けているのが「3マス(=3か月でマスターする)」サティのジムノペディ第1番。随分「時間」オーバーで、一向に上手くならず、「伸びしろ、伸びしろ」と怪しい呪文を唱え続けているのですけれど、この日、うっとり魅了されっ放しだった公開リハーサルを観た後の練習です。ましな音が出るかもしれない、そんなふうにひとり勝手に期待感をもっています。
さて、コレ書き終えたので、鍵盤に向かいます。そちら、果たして…。

話を戻します。皆さま、来週の土曜日、りゅーとぴあ〈劇場〉でお会いしましょう。繰り返しますが、必見ですよ、必見♪

(shin)

『私は海をだきしめていたい』/改訂版『春の祭典』活動支援会員/メディア向け公開リハーサル(2026/6/19)にいってきました。

公開リハーサルが始まる15分前に劇場に到着すると、ホワイエには沢山の報道陣が囲み取材の準備をしていました。かつてないほどの多さに戸惑いつつ、開場を待ちました。


本日(2026年6月19日)は『私は海をだきしめていたい』の通しリハーサルを見せていただけるとのこと。定刻時間、衣装を着けた舞踊家達が舞台上で動きを確認するなか、劇場後方に案内されました。先ず目に入ってきたのは女性舞踊家の赤いドレス。その赤は白い肌に重なりとても美しく、瞬時に惹きつけられました。男性舞踊家の衣装は黒、床のリノリウムは白だったので、よりその美しい赤が際立ちます。その魅力はリハーサルが始まると、舞踊家達の見事な身体表現と共に加速していきます。動きに合わせて表情ゆたかに揺れる赤いドレスは、この物語の言葉に出来ない心情を掻き立ててくるものがありました。


登場人物は、一人の男と女。それを複数の舞踊家たちが表現していきます。リハーサル中、金森さんが「一人の男の様々な側面を表現しているのだから…」と伝えます。その場面の“複数”の男性舞踊家は1人の男の異なる側面であり、ほんの少しの動きで「別の人間になってしまう」という指摘がありました。そこから動きの微細な修正。その修正後には、先程とは見え方、見ている側の感じ方までもが変わります。また、表情や内面の在り方について「浴びて! 浴びているものが途切れるから倒れる!」と指摘する場面。それによって舞踊家の表情や身体から発するものが変わります。「ああ!これが公開リハーサルの醍醐味!」と心の中で叫び、心が踊りました。

公開リハーサルの間、金森さんが全体を見て振りの細かなニュアンスや振り一つひとつをどう活かしていくのかをアドバイスし、井関さんが舞踊家に振付の具体的なアドバイスをしていく作業を見ながら、ひとつの舞踊団としての共通言語があるからこその修正の素早さ、的確さがあることを実感しました。
(公開リハーサル前に金森さんと井関さんはリハーサルを終えたとのことで、本番ではお二人とも出演とのことですのでご心配なく。)

『春の祭典』は先般の黒部公演で拝見したのですが、今のNoism、本当にひとり1人の舞踊家達のレベル、状態、魅力が見るごとに増していっていると感じます。今回の『私は海をだきしめていたい』でも、その魅力と輝きは爆発的にアップしていました。見逃したら損しちゃいます。今回は、全4回公演、土日で月またぎで開催されます。お見逃しなく♪

それでは、囲み取材での質疑応答についてお伝え致します。

-『私は海をだきしめていたい』この作品に込めた思いは
金森さん: 坂口安吾という作家は勿論知っていたし、作品もいくつか読んでいたが、安吾の小説を題材として作品を創ることになるとは思っていなかった。「安吾の会」から依頼を受けて、今回こういうかたちで創ることになったことを嬉しく思うし、新潟の方には是非観ていただきたい。

-安吾への印象
金森さん: 色々なタイプの芸術家がいると思うが、ある特定の精神性を持ち、芸術作品に自らが書いていたものと私生活=どうやって生きるかということをなかなか分離しがたく、密接に結びつく強度が強い芸術家というのがいる。サティと安吾というのは、それに属する芸術家だと思っている。私自身、芸術家の端くれとして常に自分の中の芸術性というものと、日常との折り合いをつけながらやっている。安吾の芸術家としての生き方に憧れるというのはあるが、現実的には難しいという思いがある。自分の人間性に照らし合わせるとこういう生き方は出来ないなと思うと、大先輩の芸術家へのアイロニックな感情を持ちますね。

-「安吾生誕120年」という節目に作品を創るということについて
金森さん: 先に話した通り、「安吾の会」の皆さんからお声掛けいただかなければ、なかなか自分からは歩み寄っていくイメージがなかった。本はいくつも読んだが、舞踊化できないと思っていた。ただ今回、お話を頂いてから改めて安吾の小説を出来るだけ多く読んだり、安吾について色々調べていくなかで、安吾が心酔した音楽家のサティという存在があったことを知った。私の作品創作においては、音楽が一番大事で、どの小説であれ音楽が決まらないと創作出来ないと思っていたので、安吾とサティの世界観から「これでいける!」と思った。

-作品のテーマや赤と黒の衣装など、観客の皆さんにどんな想いを感じて欲しいか
金森さん: この小説の登場人物は一人の男と一人の女だけであり、男の中の多面性とか、女の中の多様性みたいなものが主題になっている。安吾の作品には常に付き纏う“孤独”とか“不安”というものが随所に散りばめられていると感じている。色味の世界観としては、今回エリック・サティの世界観や精神性も安吾と拮抗するかたちで用いている。男性の衣装のハットや傘は完全にサティの世界観。

-作品の中でハットを男女で取ったり、被せたりといった場面があったが、どういった意図があるのか 
金森さん: その解釈については自由でいいというか、あまり限定したくない。我々がやっていることは非言語の表現なので、抽象的であることによって解り難いとか一般性がないと思われがちだが、実は言語化さて具体化されるものほど、人と人との溝を生むし、軋轢を生む。こういう抽象化された音楽であったり、舞踊だったり、一概にこういうことを言っていると言えないものと向き合った時に自らの感受性を基に自由に発想するとか、それを基に他者と会話するとかがすごく大事だと思うし、それが芸術の役割だと思う。なので、自由に解釈してくれると嬉しい。

-リハーサル中、「もう一人の男と言えども同じ男」という言葉を伝えていました。そういうことを始めとしてこの作品に込められたテーマはあるか
金森さん: ひとりの人間の中には様々な側面がある。対象や環境が変わると別な側面が見えてしまうこともある。それが人間だと思う。この人はこういう人だとか、一概に言えない。この人がこういう人だと決めつけてしまうことの暴力性みたいなものがある。安吾やサティはそれに対してすごく敏感なふたりであると思う。だからこそ、ある種の堕落性とかある種の負の感情を抱くということも肯定するべきであるのは、それが人間の本質であるからという世界感。そこを踏まえた上で舞踊化するときに、一人の男、一人の女が分裂したような構成を取ることで、一人の男、一人の女の多様性というものを群像劇的に展開できると思った。
テーマを上げるとしたら「繰り返す」。サティの音楽も繰り返しが多い。安吾も然り。とても飛躍した言い方をすると「人間、同じことを繰り返すよね…社会も同じことを繰り返すよね…」

-改訂版『春の祭典』ということで、このタイミングでの再演の意図
金森さん: 作品が再演できるということは、振付家にとって大変嬉しいこと。常に完成はない。公演をする度に作品のここをもっとこうしたいという思いを抱くのが振付家だと思うので、今回の改訂にあたっては出演人数を減らして、演出もシンプルにして、その分“音楽と身体”という舞踊の根源に迫るもっと強度のあるものに出来上がっている。再演を決めたのはこちら(井関さん)です。
井関さん: 『春の祭典』ではNoismならではの集団の強さをお客さんに是非、感じて欲しい。改訂版は人数を減らしたことや舞台美術もシンプルにしたことによって、ほんとにNoismらしさ全開な作品になったと思う。“身体そこに在りき”というものになった。音楽も有名なものですし、Noismを観たことのない方でも、そのエネルギーを劇場で直に見るという体感は、満足してもらえるものだと思うので、是非観ていただきたい。

-Noismがレジデンシャル制度としては終了と発表され、ダンサーの皆さんはどのような思いでこの公演を迎えているのか
井関さん: 年明けから色々あり、様々な気持ちになったと思う。彼らの年齢で、なかなか経験出来ないことを経験して大変だったと思うが、それが血肉になっているのをすごく感じる。りゅーとぴあでは、あと3プロダクションで終わるというのが分かっているからこそ、この空間で舞台稽古が出来ることの有難みとか様々なことを再認識していると思う。それは慣れてきていたりすると感じ難いことなので、そういう意味では毎日を大切にしながら過ごしているなと感じている。Noismとしての強度が上がってきているなと感じる。

-半年色々あったなかで、おふたり(金森さん、井関さん)は、どんな思いで定期公演を迎えたのか
井関さん: もうほんとに色々ありすぎて、本当に半年だったのかなと思うほどだったが、この公演を始める前に穣さんが「Noismは継続します」という事を発表できたのは大きかったと思っている。メンバー、スタッフ、応援してくださる方々にとって、どうなるか分からない未来だったが、そのたった一言がすごく大きな希望を与えたと思うし、自分自身も今は前を向いて希望を持って見えてきているものがあり、それをどう実現していくかということに思いが向いているので、今回の公演をこれくらいポジティブな気持ちで迎えられていることがすごく嬉しいです。

-色々なことがあり、環境についてこれまで言葉で伝えてきた訳だが、いよいよ作品で伝えられると思うことは何かあるか
金森さん: それに関しては、「絶対的に自信があるので是非、観て欲しい」としか言いようがないし、そのクオリティを揺るがなく維持するために、みんなでこの怒涛の五ヶ月の間も立ち止まらずに稽古は続けてきたので、その成果を是非観てほしいと思います。

-「X」で「Noismは終わらない」と書いていたが、その辺の思いや今後について
金森さん: いたって前向きに来年の夏以降もNoismは続けていこうと思っている。支援者や協力者の方達の協力を仰ぎながら、先ずは拠点をどこに定めるかを決めていき、整備し、活動を続けていきたいと思っている。りゅーとぴあでの活動を終えると縮小してしまうとか立ち行かなくなってしまうというような懸念は全く無い。我々は活動を続けるし、我々が生きている限り芸術活動を続けていく。それに賛同してくれる若者たちがいれば、是非一緒にやりたいと思うし、それに賛同するスタッフがいれば、是非協力して欲しい。何かの終わりではない。次への始まりだと思っている。

以上です。ぜひぜひ、お見逃しなく!

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まさに我が意を得たり♪新潟日報紙5/27朝刊「日報抄」!

今週末、恒例となった富山の「黒部シアター」に招かれての『春の祭典』上演を控えるNoism Company Niigata。その「ホーム」新潟で、地元紙・新潟日報紙が2026年5月27日の朝刊「日報抄」にて、金森さんとNoismが新潟市で刻んで来た20年以上の時間について取り上げてくれました。新潟日報さん、有難うございます♪

朝早く、友人がLINEで知らせてくれて、先ずは急ぎデジタル版で確認、その後、紙面で再確認したような次第です。そして思った「我が意を得たり」、まさに♪

デジタル版はこちらからもどうぞ

冒頭、先日の東京バレエ団『かぐや姫』から始まり、来年のフランスはパリ・オペラ座での公演予定について触れられ、金森さんが「振付家として稀有な存在」であるとするバレエ関係者の言葉が引かれています。なんと誇らしいことでしょう♪とりわけ新潟市民にとって。まさにシビックプライドな訳です。

しかし、次の段落に入ると、そこから一転し、「新レジデンシャル制度」のもと、「後任次第で、ノイズムは新潟市での活動を終える可能性が高い」ことが紹介されます。

この度の「日報抄」、これまで、連載も挟んで、昨年末の金森さんの「退任意向」を報じて以来、精力的に記事を載せてきた新潟日報紙が、改めて新潟市民に向けて発した問いかけ、或いは問題提起の様相を帯びて締め括られていきます。ノイズムを「市が20年以上かけて育てた文化的財産」とし、「その実像を足元の市民が広く理解しないまま、手放すことになってもいいのだろうか」と。

恐らく、今週末には富山の観客を魅了し尽くすことに間違いはありませんし、来年には、国境を越えて、フランスの観客も度肝を抜かれることになるでしょう。しかるに、「足元の市民」は?その「理解」は?

嘆かわしいことに、日本初にして日本唯一の公共劇場専属舞踊団の「実像」を理解するための機会も既に限られている状況にあります。黒部まで赴ける方は今週末、万難を排して是非!それが叶わない方は来月末の『私は海をだきしめていたい』+改訂版『春の祭典』公演(新潟・埼玉)に駆け付けて、改めてNoismの舞踊を目撃してください。そして、自分の目で他に類のない「実像」を確かめて欲しいものです。

私はNoismを抱きしめていたい、です。

(shin)

「地方文化の確立について」考える傑作 Noismメンバーをお招きしての『ジョン・クランコ バレエの革命児』試写会レポート(サポーター レポート)

シネ・ウインドにて5月16日(土)〜6月5日(金)上映の『ジョン・クランコ バレエの革命児』のNoism Company Niigata・Noismサポーターズの皆さんに向けた試写会を、5月12日(火)に開催した。ドイツの地方都市シュトゥットガルトの公立劇場専属バレエ団を、世界有数の存在に高めた伝説的振付家ジョン・クランコ(1927〜73)の生涯を描く本作。上映企画時から、Noismの皆さんと、日本唯一の「劇場専属舞踊団」を擁する新潟に暮らす人たちに広く観ていただきたいと願い、今回の試写会を企画した。
16時からの上映を前にNoismメンバーがシネ・ウインドに集まり、ウインド有志で作成した6月からの『私は海をだきしめていたい』巨大ポスターを前に記念撮影。金森さん・井関さん始めメンバーは折々にウインドで映画を観てくださるが、全員がこの場に集う光景には、感慨無量だった。


事前に作品を鑑賞していた私も、皆さんと上映に臨んだが、舞踊映画を超えた本作の力に打ちのめされ、幾度も落涙した。ドイツの地方都市に世界各地からの舞踊家が集い切磋琢磨しつつ、圧倒的な舞台芸術を創造する過程。日本と比して戦争犯罪に向き合っているとされるドイツにもあった歴史修正や差別への怒りを作品に込めるクランコの姿(南アフリカ出身かつユダヤ系である彼の背景もしっかりと描写される)。そして、現役の「シュツットガルト・バレエ団」メンバーが、マルシア・ハイデ始め当時のメンバーを演じ、息遣いや情感まで見せきる舞台シーンの迫真に、この時代に広く届いてほしい傑作映画との思いを再確認した。クランコの「形をなぞるな。舞台を生きろ」という檄や、音楽と心体表現への「祈り」に通じる情熱、マルシア・ハイデ役であるエリサ・バデネスが全身で体現する舞踊家の矜持など、バレエを観たことのない人にも届くであろう。

上映後、熱のこもった場内からは自然と拍手が起こった。世界に誇る舞踊団を擁する新潟に於いてNoismに起こっている苦難に思いを馳せつつも、それを超える舞台芸術の豊かさを皆さんと噛み締めるようだった(不勉強故、クランコが金森さんの恩師イリ・キリアンの恩師であることを、上映後に知った)。

『ジョン・クランコ バレエの革命児』シネ・ウインド上映は5月16日(土)〜6月5日(金)まで。坂口安吾がアジア太平洋戦争直後に書いた檄文「地方文化の確立について」を思わせる本作を、新潟に暮らす皆さまにこそご覧いただきたい。Noismがあるこの街の意味を考えるためにも。

久志田渉(「月刊ウインド編集部」)



「日本」を飛び越える普遍性(『かぐや姫』5/5ソワレ)(サポーター 公演感想)

5月5日(火・祝)、東京バレエ団『かぐや姫』再演の為、東京へ駆けつけた。東京行きを決めたのは直近だったが、夜の部(18時半から)の「パリ・オペラ座公演記念応援シート」席を確保出来た。5月6日をもって長期休館に入る東京文化会館でNoism『Mirroring Memories―それは尊き光のごとく』(18年)を繰り返し観、合間に本郷台地の坂道を歩き倒したことを思い返しつつ、当時のNoism「活動継続」問題と今目の前にある金森穣さんの去就を巡る現実、また「国立劇場」問題にも通ずるこの国の文化軽視・利益至上の風潮を嘆かずにはいられなかった(公演前の東京文化会館前で反戦サイレントスタンディングを開催された方々をお見かけし、「何かプラカードを持ってくれば良かった」と思いつつ)。

夜の部公演前の17時50分からは、金森さんによるプレトークが開催された。『かぐや姫』に当て書きされたかのようなドビュッシーの楽曲に至るまでに多くの日本人作曲家の作品を聴いたこと、「最初はお見合いのようだったけれど、今は専属振付家になった気持ちでいます」と語る東京バレエ団(東バ)との創作、専用スタジオを複数要する東バの環境、舞台美術・衣装など要素を削ぎ落とし、手を加え続けてきた金森版『かぐや姫』の創作過程(この日の昼の部を観て、「あぁ、ここも変えたいけど夜の部には間に合わない」)についてなど。そして、今年末のイタリアでの『かぐや姫』一幕、来年のパリでの全幕公演については、「本当に楽しみ。いつかオーケストラ付き公演も実現したい。その為にも皆さん、今、応援してください」と強調しつつ、「5階席の方も見えますね。最前列の方も5階席の方もこの場で舞台を体験したことは心に刻まれるはず。それこそが舞台芸術の一回性」と語る金森さんの伸びやかな芸術観が印象深かった。

夜の部でかぐや姫を演じたのは足立真里亜さん。21年の第一幕初演時にその溌剌たる姿に心惹かれたが、やっと足立さんによる三幕通しての舞台を観ることが出来た。全身でこの世界を跳躍するような姫に振りかかる男性社会の歪み、奪われる愛(道児と重ね合う手の振りや、抱きしめることの意味の変容)、無常の連鎖の末の「声なき絶叫」、その先にある「無」の非情な救済。幾度となく落涙しつつ、確信に至ったのは、「日本最古の物語」に基づく「国産バレエ」を謳いつつ、金森さんが本作で到達したものは「日本」など軽々と飛び越えて、この世界何処にもある孤独な魂や、権力に尊厳を奪われた人々を包み込む、圧倒的な「普遍性」ではないかと思い至る。日本的情緒を削ぎ落とすように、磨き抜かれていった衣装・装置・振付の無機質でさえある美にこそ、この世に生を受けたあらゆる人々がその思いを仮託できる「余白」が生まれたと思えるのだ。「救いがないことこそ救い」という坂口安吾言うところの「人間の絶対的孤独」と金森さんとの共振を感じたのは、Noismによる安吾作品『私は海をだきしめていたい』舞踊化を控えていることからの牽強付会かもしれないが。

パリ公演に向けて金森さんがこの豊かな余白を、更に拡げていくであろう期待を覚えつつ、幾度も繰り返されたカーテンコールでは汗だくになりながら声援を送った。

(久志田渉 「月刊ウインド」編集部)
(photo by fullmoon)