2020年10月4日(日)は、Noism継続問題で揺れた前年に指摘された課題「市民への浸透度」において、画期的な進展が認められる重要な一日になったと言えるでしょう。
写真は、この日のりゅーとぴあの催し物表示ですが、縦に並んだふたつ、上には14時開演の「和楽器集団ぐるーぷ新潟 第20回コンサート」、そして下には「新潟市洋舞踊協会 第9回記念合同公演」が昼13時30分からと夜18時からの2公演が示されています。
どちらも最上部に「第68回新潟市芸能まつり」とある通り、新潟市芸術祭2020の一環としての催しなのですが、どちらにもNoismの新たな作品(山田さん振付作品と金森さん振付作品)が組み込まれていて、どちらにもNoismメンバーが出演しているのです。
そして最も重要なことは、それぞれ和楽器と洋舞踊に打ち込む市民とNoismとが共演したことであると言えるでしょう。その意義の大きさは計り知れません。それも一日のうちにやっちゃった訳で、「重要な一日」と断言する所以です。
私は、先ず、ぐるーぷ新潟のコンサートを聴き、その後、新潟市洋舞踊協会の夜公演を観ましたので、その順に、若干触れてみたいと思います。
*和楽器集団ぐるーぷ新潟 第20回コンサート(@コンサートホール)
琴や尺八のほか、多くの和楽器が作り出す音を楽しむコンサートは、私のように全くその筋に疎い者の耳にも、極めて新鮮な響きとして届き、大いに楽しめました。山田さんの振付でNoism2が踊ったのは、コンサート最後の演目、4曲からなる組曲『新潟幻想』の第2曲《銀の吹雪》でした。作曲者の後藤丹さんの言葉に「夜半から降り始めた雪は段々と厳しさを増します。題名は蕗谷虹児の詩集から」とある通り、私たちの心象風景「新潟」に深く根を下ろした曲であり、組曲であると言えます。
司会も担当した朝倉劫山さんによれば、山田さんは初めて聴いた曲に振り付けたのだということ。白いフレームを持つ透明アクリル製の見覚えのある立方体の椅子を手に舞台上手の袖からゆっくり歩み出る9人のNoism2ダンサーたち。身に纏うノースリーブとパンツは全体が白でありながら、一部、黒ずんだ箇所があります。私たち新潟の者にとっての雪は、綺麗なだけの鑑賞対象ではなく、生活を営む上での厄介さも伴うものであることを一目で納得させたうえで、種々の和楽器の手前、若いダンサーたちがその身体で、新潟の雪の夜を出現させていきます。そこでは世代の違いも、洋の東西も消失し、幸福なコラボレーションしか見えてきません。最後、雪が大地を覆うかのように横たわる8人のなか、ひとり、尺八と打楽器の音と一体化する中村友美さんの立ち姿で曲が止まると、大きな拍手が沸き起こりました。曲の最後までいかぬうちに拍手が出たのはこのときだけです。その多くは、恐らく、この日初めてNoismを観た方々だったように思います。私がこの日初めて和楽器の公演を聴いたように。
全ての演目が終わると、司会も兼ねた朝倉さんが言います。「通常、アンコールは会場のみんなで『花は咲く』を歌うのですが、飛沫が飛ぶので、今回は今日やったなかから、皆さんが一番聴きたい、観たいものをやります」勿論、Noism2が参加した曲のことです。今度は立方体の椅子は持たずに、駆け足で、4人と5人に分かれての登場。そうして、客席は、雰囲気を異にする《銀の吹雪》を2回堪能した訳です。曲が終わると、この日一番の拍手が会場に谺したことは容易に想像して頂けるものと思います。(直後、山田さんから聞いたところによれば、このアンコール、急遽前日に言われたものだったとのことでした。)
*新潟市洋舞踊協会 第9回記念合同公演(夜の部)(@劇場)
合同公演の全体は3部に分かれていて、その間に15分の休憩を2度挟む長丁場です。2部までは、各バレエ教室ごとの発表会の形式で進み、あるときはまるで保護者になったかのような気分でドキドキ見守り、またあるときには微笑ましかったりもし、またまたあるときには「やるなぁ」とばかりに見入ったりと、私自身、かつて娘がまだ小さかった頃のバレエ発表会のときの記憶と重なる思いを追体験しました。この日の客席もまさにそう。それぞれに視線を送る先が異なり、盛り上がりのピークも若干異なる、出演者の身内が多い客席だったように思います。元来、そういうものなのです。
しかし、金森さん振付の合同作品『畔道にて ~8つの小品』が披露された第3部は肌合いがまったく異なっていました。この作品は「Ⅰ.畔道にて、」「Ⅱ.友と、」「Ⅲ.恋や、」「Ⅳ.孤独を、」「Ⅴ.歌い、」「Ⅵ.愛や、」「Ⅶ.夢を、」「Ⅷ.語る。」と読点と句点を伴って名付けられた8つのパートからなり、ヴィヴァルディやシューベルトなど耳に馴染みのある曲も使われているものでした。そして冒頭、夕陽を思わせる色味の照明のなか、どこかへの移動の手段に回収されてしまうことのない「畔道」の光景が示されると、演者が躍動するステージはもう「新潟」以外のどこにも見えてきません。
8つのパートには、バレエ教室の生徒さんたちからオーディションで選ばれたという出演者たちが、それぞれの年齢に応じて、青年期までの様々な関係や感情を可視化していきます。そして、「Ⅵ.愛や、」にはNoism1から林田さん、チャーリーさん、カイさんとスティーヴンさんが参加し、続く「Ⅶ.夢を、」には井関さんも登場し、全員で踊るラスト「Ⅷ.語る。」へと繋がる情緒を盛り上げていきます。その最後のパートの味わいは、金森さんが『Mirroring Memories-それは尊き光のごとく』において、浅海さんを配して描いた「未来を歩む者」に向けられた思いや慈愛と重なるものであるにとどまらず、事実として、Noismの「外」へと拡がりをもつものでもあり、より普遍性の強いものに映りました。
踊りの最後に盛り込まれた手話は、「新潟。私は舞踊が好きです。新潟。私は舞踊を続けていきます。新潟。本日はどうも有難うございました」と、例外なく、この日舞台を踏んだ者みんなに共通するものだった筈です。そしてそれを見詰める客席には、およそ舞台が産み落とし得る限りの「あたたかみ」が伝わってきたと言い切りたいと思います。終演に際して、耳をつんざくような拍手が舞台上へと送られていたのがその証左です。また、ホワイエに漂うその余韻、そして多幸感。是非、末永くレパートリーとして踊り次いでいって欲しいものです。
…そんな訳で、この日のコンサートホールの客席も、劇場の客席も、ともにそれぞれ、新潟市にNoismがあることの幸せを噛み締めることになり、結果、その豊かさが(再)認識された日と捉えて間違いないでしょう。これまでは、「畑違い」だったりし、または、逆に隣接するジャンル故に尚更遠ざけたりなどしてきたのかもしれません。しかし、この日を境に、それももう過去の話。Noismとの共演を通して経験した充実感は、自分が選んだ表現ジャンルへの熱を増すと同時に、きっとNoismへの関心を高めることにも繋がる筈です。この日のもつ意味合いには本当に大きなものがあったと書いて、この日のレポの締め括りとしたいと思います。
(shin)